大歩危、かづら橋[四国旅行記#5]

大歩危峡

 3月26日、火曜日。曇り。高松7時16分発、特急「しまんと1号」中村行に乗りこんだ。朝食に駅の讃岐うどんを食べたが、個人的には白つゆの方が好きなので、うまかった。

 JR四国独特のチャイムが流れ、車内放送がある。車内をみると、クラブの試合かな、と思える若者3人が中年の先生らしき3人と一緒に乗っていたが、そのとき、手首のハンカチの隙間から、銀色の手錠が見えてしまった。彼らにとっては、しばらくは接することのできない外界となるのだろうか。

 猪ノ鼻峠を越え、香川県から徳島県に入って、列車は下り坂になる。右手に吉野川が見えてきた。ぐる一つと180度、右にカーブし、吉野川を渡って、8時31分、阿波池田で下車した。池田高校のある池田である。これから、大歩危、かずら橋と行くので、荷物をコインロッカーに入れて、8時46分発のワンマン高知行に乗った。

 1両のワンマン列車は、吉野川上流に向かって走っている。車内はロングシートで15人程いるが、ほとんど観光客であった。
 景色もだんだんと山の中になり、大歩危(小歩危)峡にさしかかった。数十メートルに及ぶ断崖絶壁や美しく磨かれて層をなした岩石、木々の色彩はみごとである。
 9時31分、大歩危到着。11時35分発のバスまで時間があるので、大歩危峡のドライブインまで往復して、吉野川を見てまわった。

大歩危峡(吉野川)

秘境・西祖谷山村(かずら橋)

 再び、大歩危駅まで戻ってきて、かずら橋行の西祖谷山村村営バスに乗った。マイクロバスで1時間かかるのだが、四国交通のかずら橋行のバスでは20分で到着するので、村営バスはよほど大回りをするのだろうと思った。

 満員の客を乗せて発車した。半分は観光客であり、車内には案内テープもなければ、下車合図のブザーもない。有科道路入り口の手前で、右に別れているマイクロバス1台がやっと通れるような道路に入った。

西祖谷山村営バス

 村営バスは旧道を通っていく為に時間がかかるのであり、住民の足でもあるのだ。そして、うっそうとした木々に囲まれた「ほんとうの山の中」に入っていき、急な上り坂となった。バスは低速ギアで、「ワンワン」唸りをあげている。対向車はほとんどなく、車がきた場合は待避所でどちらかが待って行き違いをする。

 地元客は1人のじいさんになった。

 ウネウネとこんな調子の道路が10分程続く。した~の方を眺めると、今通ってきた道が小さくなってみえる。そして、上を見上げるとこれから行くであろう道と集落が見える。まさに秘境の集落で、どうやってあんな急な斜面に住んでいるのだろうと思ってしまう。

 ガラスがくもってきた。頂上にきたらしく、今度は下り坂になる。ウネウネと下っていくうちに、一人じいさんが降りた。こんな所に家があるのか!と思った。なにしろ、木しか見えないのだから。

 約40分程走ると、大きい道路にでた。有科道路に通じている新道である.そしてひらけた町 (といっても,今までと比べたらそのように思えてしまう)についた。一宇である。 乗り降りはなく、バスは方向変換して出発した。ここから先は、1日3往復しかない。

 橋を渡ったバスは左折し、また狭い急な上り坂(日道)を唸りながら上っていった。車内では半数の人が眠っていた。 12時35分、かずら橋に着いた。

かづら橋

 かづら橋は,水面からの高さ12mの祖谷川にかかる、付近に自生するシラクチカズラで編み上げた、古風なつり橋である。ゆらゆら揺れ,粗いかづらの編み目から水面を覗くと、吸い込まれそうで足がすくむことで有名である。

 410円の通行料を払って、かづら橋を渡った。はじめは『ちょろい、ちょろい』と思っているのだが、わたってみると結構背筋がぞくぞくする。友人の1人は高所恐怖症であるらしく、必死にカズラを握りながら手に汗をかいて渡っていた。
 祖谷そばを食べ、今度は、四国交通バス、大歩危駅経由阿波池田駅行に乗った。車内は大歩危までは満員であった。天候は相変わらずのくもり空で、からっとした青空が見たい。

 阿波池田で荷物をだして、16時15分発の急行『よしの川4号」に乗って、徳島に向かった。車両は転換クロスシートと固定クロスシートの2両編成で、普通列車にも運用されているものであった。途中、教習所の車と並走する場面があり、友人が免許を取っている最中だったため、他の友人と教官のまねをしてからかっていた。そして、徳島に到着。17時33分。

小松島線を歩く。そして南国高知へ[四国旅行記#6]

小松島線を歩く

 雨。朝からしとしとと降っていた。徳島駅は駅舎の全面建てかえをするようで、本駅舎は使われておらず(まだ壊されてはいない)、小さい仮の駅舎が使われていた。

徳島駅

 8時18分発、牟岐線海部行に乗って車内で駅弁を食べ、小松島線の分岐駅であった中田で下車した。単なる田舎駅で駅前は住宅街となっており、乗客は数人であった。

 雨の中、小松島線の廃線跡を見つけるため、地元の人に聞きながら歩いた。

中田駅

 小松島線は、かなり以前から廃止の案が浮かび上がっていた線で、中田一小松島間ひと駅の僅か1.9㎞の路線であった、終点の小松島の先に『小松島港(臨)』という駅がくっついていたが、小松島港は小松島駅構内に南海フェリー連絡のため設けられた仮乗降場で営業キロがない。したがって小松島一小松島港間の運賃はいくらか?タダになるのか?と鉄道マニアの間で話題になった区間でもある。

 そして歩くこと10分、前方に小川に掛かる小さな鉄橋が見えるではないか!自然と3人共かけあしになる。紛れもなく小松島線廃線跡だ。線路ははがされ、残っているのは鉄橋とバラストぐらいのものであった。そして、小松島に向かって歩いていると、途中から洒落た遊歩道に変わった。近くの案内板をみると、中田一小松島の間を遊歩道にする計画のようで、その一部なのだろう。

 さらに、10分程歩くと、前方がだだっ広い野原になった。貨物操車場跡地だろうか。そのまま野原を歩いたが、雨が降っている為、草についた露がGパンや靴についてビショビショになった。

小松川線貨物操車場跡地

 和歌山行南海フェリーの待合室に着いた。随分寂しい感じの待合室だった。和歌山から先の南海電車『サザン号』の乗り継ぎ時刻が書いてあり。切符も販売しているのを見て「南海なんだな」と実感した。フェリーは約2時間おきにー昼夜出航ている。和歌山港まで2時間。

南海フェリーのりば

牟岐線を往復して

 小松島港からタクシーで南小松島駅にでた。10時23分の特急「うずしお3号」で終点の牟岐まで行き、1分接続のワンマン普通列車海部行にのりかえた。車内はお年寄りや補習をうけた高校生など、約30人程乗っていた。外は大雨になっているらしく、あめが波打って降っている。鯖瀬、浅川、阿波海南と止まる度に乗客がおりていく。そして、11時37分、終点海部。終着駅だが、高架橋は先へ延びている。いつ宍喰(仮称)までつながるのだろう。

海部駅

 折り返し11時44分発、板野行の列車で徳島に向かった。だんだんと乗客も乗ってきて、南小松島のあたりでは、立客もではじめた。中高生が多いけれど、お年寄りも多かった。

高松をまわって南国高知へ

 徳島で3分接続の「うずしお14号」高松行に乗る(13時54分)。2両編成全車自由席の特急で、約1時間毎に走っている。1990年11月21日のダイヤ改正で急行「阿波」(2往復)が全て特急に格上げされてそのようになった。

 発車直前に乗ったので座れず、デッキに立つことにした。ホテルが高知なので、徳島線で直行すればよいのだが、徳島線は昨日乗車した為、まだ乗ったことのない高徳線、ついでに土讃練大歩危一高知間を通る高松まわりのルートにしたのであった。

 昼食は高松で取ろうと思っていたが、空腹には耐えきれず、車内販売でサンドウィッチ[380円]とウーロン茶を買った。

 15時10分、高松に到着。高松は2度目である。ここから、15時45分発の普通琴平行で多度津まで行き、岡山からの特急にのりかえる。多度津では、大抵の特急において、高松からの特急と、岡山からの特急との列車接続(一方は予讃線方面行、もう一方は土讃線方面行)を行なっているので、高松16時11分発の予讃線方面特急「いしづち11号」に乗ってもいいのだが、なにしろ四国の普通電車は珍しいので、電車に乗ることにしたのである。

 多度津に着いた。岡山からの特急『南風9号』中村行にのりかえる。私は、気動車初の新型振り子式気動車2000系に乗りたかった。振り子列車に乗るのも初めてである。期待通り、新型の5両編成がきて、16時47分、動いた。

多度津駅

 振り子式車両とは曲線区間を高速で走っても横揺れが起きないように工夫されたもので、台車の上にコロを付けて車体をより傾けて走るものである。

 初めは座れなかったが、阿波池田になると数人降りたので、パラパラではあるが3人共座れた。座った車両は、高知で切り離される車(一番後ろ)だった。

 乗り心地は、やはり最高。全然揺れが少なく、高速でカーブを曲がると車体が傾くが、とてもスムーズに感じる。特に、四国山地を越える阿波川口一大歩危一土佐山田間においては顕著だった。四国の特急は遅い、と思っていたがとんでもない。最高時速120km/hで飛ばせるところでは飛ばす。

 あたりも暗くなり、18時25分、南国高知に到着した。駅前は徳島と同じように背の高いヤシの木が沢山立っており、いかにも「南国」という感じである。雨あがりのせいか、吹いてくる風が、湿っていて生暖かった。

高知駅

おっと!一目惚れ?土佐くろしお鉄道の女性車掌[四国旅行記#7]

 3月28日、5日目に突入した。今日はまっすぐ中村に行き、市内を観光する予定になっている。高知8時08分発、特急『あしずり1号』中村行きに乗りこんだ。車内は50%位の乗車率で、観光目的の人と数人のサラリーマンぽい人しか乗っていない。天気は昨日とはうってかわっての『快晴』で、観光をするにはもってこいの天候であった。

 9時28分、窪川に到着した。隣には、明日乗車するであろう予土線のワンマンカーが発車時刻を待っている。ここから中村までは、元中村線であった第3セクター「土佐くろしお鉄道」に会社が変更する。ということは周遊券では乗れないわけで、別に1240円(特急料金込み)を払うことになる。

 9時33分発車。JR四国のチャイムが再び流れ、奇麗で済んだ女性の声でアナウンスが始まった。女性の車掌さんなのである。

「本日は、土佐くろしお鉄道、特急『あしずり1号』中村行きにご乗車いただきまして、誠に有難うございます。これから先は周遊券ではご乗車になれませんので、切符をお持ちでないお客様は只今より車掌がまいります。その時にお買い求めください…。」

 大変流暢な言葉づかいであった。かつて、JR東日本で女性の職員を採用した際、社員研修の一つとして「車掌の車内放送の実習」があり、私の通学手段である京浜東北線でもその放送を耳にしたことがあるが、訓練されてないせいもあるのか、間のあけ方が適切ではない為に非常に聞きづらく、男性の放送の方がよっぱどよいと感じた事があった。土佐くろしお鉄道の女性車掌は大変訓練されているらしく、JR四国の車掌とも比べものにならない程素晴らしいものである。どんな顔をしているのか見てみたくなった。

 しばらくして、噂の女性車掌が入ってきた。

「失礼いたします。乗車券をお持ちでないお客様はいらっしゃいますか…。」

 一瞬目を疑った。品があり美人である。そして、二コニコ笑顔を絶やさない。「紀子さま!」まさにこの人にピッタリの言葉である。私たちは切符を精算したが、なんだか自分たちが良い事をして、晴れ晴れとしているような気分に浸っていた。この車掌さんが回ってきたら少なくとも男性ならば、キセルする人がいなくなるのではないだろうか。ドアの開閉業務も行なうのだが、その時の下車客に笑顔で頭を下げる様子を見ていると、ただ唯「うっとり」の四文字に尽きてしまう。
「けっ、結婚して下さい!」
このようにアタックする人がいてもおかしくはないと思う。

 第3セクターの意気込み、真剣さが感じられた。

土佐くろしお鉄道「中村駅」

中村観光[四国旅行記#8]

水車とトンボ

 10時15分に中村に着いた。荷物をコインロッカーに入れ、早速『中村市観光情報センター』の案内所に行った。自転車を借りるとき身分証明証を求められ、取りたての「普通免許証」を見せたが、この免許証にとっては初仕事であり、ようやく役にたった。そして、我々3人は自転車をこいで市内観光をすることになった。

 友人の一人が『水車』を見たい!という事で水車を見にいくことにしたが、なんでわざわざ中村まで来て「水車」なんか見たいのだろう、『車』と勘違いしているのではないか、と思った。

 駅の東側にある川の土手沿いを北西に向かって走り、橋を北に向かって渡る。始めは四万十川かと思ったがそうではなく、後川という四万十川よりも東側にある支流であった。橋を渡ると田畑が広がり、左折してしばらく行くと、お目当ての水車が1つだけ畑(田)のど真ん中の水深1.5m程ある水路でまわっていた。

 そして、その水路の脇を見ると水車を掛ける支柱のみがズラーつとあった。私の方が単なる『水車』と勘違いをしていたらしく、この水車は灌漑の為にあるもので、水を水車の羽根で汲み上げ木の水路を通して畑に入れる、という今では珍しいものなのであった。シーズンである4月以降には、沢山の水車が取り付けられ、日本むかし話のワッシーンに見られるような光景になるのだろう。

水車

 次に、約60種ものトンボが見られるという湿地帯になっている『トンボ自然公園』に向かうべく、市街地に一旦戻り西に進路を向けた。今度はいよいよ四万十川を渡っていくのである。土手に建設省の『渡川』、その下に括弧をして(四万十川)と書かれた名称板が見えた。四万十川とは公式な名称ではなく、渡川が本当の名なのだそうである。かなり立派な四万十川橋を渡り、日本最後の清流を橋の真ん中から覗いた。

 ところが、思った程澄んではおらず、確かに濁り方は東京の隅田川のようなドス黒くはなくエメラルドグリーンで清らかではあったが、『日本最後の・・・』もこの程度だったのかと納得してしまった。このことについては後に再び触れることになる。

 そして、トンボ公園に到着した。人影はまばらで、なんとトンボが1匹も飛んでいない。時期が時期だけに当然と言えば当然である。一周り散策して正午を過ぎていたので。駅に戻って自転車を返し、昼食をとることにした。

駅前食堂にて

 駅前の食堂で壁のメニューにざるそばがあったのでそれを注文したが、店のおばちゃんに、
「田舎の方では夏しかでないんよー」(方言は定かではない)
と言われ、無難なカレーライスに変更した。ついでにうまそうなおでんがあったので数本いただいた。客は我々3人しかいなく、カウンター式の店たった。

「おにいさんら、何処からきたん?」
「あっ、東京です。」
「あーそーう。昨日はどこをまおってきたの?」
「えーと、かずら橋と大歩危と‥・。」
「へえ一、じゃあ今日は四万十川だ。ところで、大学生かい?」
「いえ、今年高校卒業して、今度大学生になるんですよ、」
「あーあ、やっぱりね、幼い顔してるもんね。」

この言葉でちょっと『ヒクヒク』ときた我々であった。そして、おでんを食べ終わったところで、
「おでん、すんちょった?」
と聞いてきた。私は、もうおでん食べ終おったのか(済んだのか)と聞いていると思い、
「はい。」
と答えた。しばらく沈黙が続いたあと、
「すんちょる、つて意味わかった?」
と聞いてきた。私は、ちょっと自信のない声で、
「はい。」
「どんな意味?」
「えーつと、もう食べ終わったってぃう事じゃないんですか。」
「ちがうよ。よく味がしみていることをこっちでは『すぃちょる』つてぃうんだよ。」
「あーなんだア、おでんね、ええ、よく味つぃてぃましたよ。」
おばちゃんはよそものにも慣れたものであった。

歩いた歩いた!四万十川[四国旅行記#9]

 水車を見に行こう、と行った野球部の友人が今度は「沈下橋まで歩いて行こう」などと言いだした。その友人によると、沈下橋までは3キロぐらいという事で、私たちも「行こう」と返事をした。そして、土佐の小京都と言われる中村市の市街地を抜け、桜が満開であった中村城跡の公園に寄ってから四万十川に向かった。

 四万十川の川岸に着いて、川の東側にある車がやっとすれ違える程の広さの舗装道路を北に向かって歩いた。四万十川の雄大な流れを見ることができたが、いくら見ても沈下橋らしきものは見当らない。もう30分程は歩いただろうか。そして、小さな町に出て、かなり立派な観光用の地図があった。それによるとこれから行く予定の佐田沈下橋はなんとここからあと4~5kmもあるということがわかり『はめられた』と思った瞬間、他の1人の友人と共に「バスを捜そう」だの「自転車でくりゃよかった」だのブーブー文旬を垂れるようになった。しかし、ここまで来て引き返すわけにもいかず、そのまま歩くことにした。幸い道路には小さい距離表が100mごとに設置してあったので、「あと何メートルだ!」と目標を持って歩くことができた。

四万十川沿いをひたすら歩く.沈下橋を目指して.

 さらに40分程歩いただろうか。周りには家が全然見当らない。まだか、まだか、と思っていると、四万十川展望台という新しく作ったばかりだと思われる休憩所があらわれた。トイレまであった。そこでひと休みしまた歩き出す。殆ど人とは会わない。すれちがうのは車だけだった。もうここまでくると逆に疲れをあまり感じなくなってきた。

  道路が広くなって片側1車線道路になった。バスも走っているらしくバス停があったが、なんと1日2往復。それも夕方は中村駅からのバスのみということで、帰りにこのバスで戻って来る事は不可能であることがわかった。みんなもう無口になって唯歩いているという感じである。こんなに歩くとは思っていなかった為、出発するときの心の準備が無く、非常に疲れを感じていた。

 そして、駅から歩くこと約2時間『佐田沈下橋は左折』という看板が見えてようやく沈下橋に到着した。周りは何もないところで、喫茶店一件と木造のトイレ、そして民家があるだけだった。観光客も2組ほどいたが、どちらもタクシーでの観光だった。

 橋にはもちろん欄干がなく、幅はトラック1台がやっと通れる程で、途中2ヶ所にほんの少しだけ(100cm)広くなった待避所があるが、乗用車どうしならここですれちがえるだろう。橋を渡ることにしたが、その手前に、

『トラックの運転手さんへ。お年寄りや、子供が渡っているときは、徐行して運転をして下さい。』

という赤字の立て札が立っていた。この時はなるほど、と軽くうなずいていたのだが、我々が渡り出して間もなくトラックがやってきた。欄干のない、道幅の狭い橋である。体をはじっこによせ、その隣をわが者顔で通過していくトラックには恐怖を感じた。

 それが、1回どころか数分おきにやって来るのである。スリルが有り過ぎる、と思った。川は相変わらず濁っているが、緑の山々に青い四万十、そして沈下橋という風景は、もっとも四万十川らしい風景であった。

四万十川の沈下橋(欄干がない)

 もう17時をまわっていた。さすがに帰りも歩いて行こう、という気にはなれず近くの民家にいってバスがないかどうか尋ねてみた。おばさんが応対してくれたが、「ない」とのこと。『タクシーを呼んであげるから』ということになり、そのお宅の前でタクシーを待つことになった。

 タクシーの運転手さんは話し好きなようで、四万十川は濁っていたでしょう、という話しになった。前日までは雨が降っていたので、川が濁ってしまうとのこと。こういう日には、上流の江川崎や土佐大正あたりで見ると澄んでいる四万十川が見られるということであった。これで疑問に思っていた『濁り』の謎は薦けた。

 いたるところで、風によって散った桜の花びらがゆらゆらと清流四万十川を流れていた。

四万十川を背景に(沈下橋から)

土佐から伊予へ、そして再び高松[四国旅行記#10]

予土線で土佐から伊予へ

 とうとう四国を離れる日がきてしまった。今日は本州に戻る日である。

 中村8時15分、窪川行の土佐くろしお鉄道ワンマン列車は発車した。車内は中間部がクロスシートになっていて、その部分の窓だけがいっそう大きくなっている。春休みとあって学生は居ず、数人しかいなかった。天気は晴れ。右手に土佐湾がみえてきた。
 トンネル内のループ線とぐるりと左回りして川奥信号所を通過し、于土線と合流して岩井に停車した後、9時19分、窪川に到着した。

 9時59分、JR予土線のワンマンカーが発車した。再び、同じ線路を走って川奥信号所へと向かうのだが、この線路は土佐くろしお鉄道になっており、JRの列車は分岐点であるその信号所まで他社線を走ることになる。我々はJRの周遊券で乗っているので、窪川の隣の駅である岩井までの運賃180円を払わなければならない。降りる時に払うのだろうか。車内は殆どが観光客で、ロングシートが埋まり立ち客がでる程だった。

 車窓に川が見えてきた。四万十川の上流の仁井田川である。さすがに四万十川とあって、川岸にいたわけではないので底まで見ることはできなかったが、川は緑色がかっていて美しかった。さらに浮かんでいる桜の花びらが白い点のように見えた。車内の案内テープでも、

「只今、見えている川が日本最後の清流、四万十川です。」

と、駅名案内のあとに付け加えていた。もう川の名前は「四万十川」で統一してしまっているようだ。そして、10時22分、四万十川の観光地である土佐大正に到着し、観光客が数十人降りた。

 このあたりから、川とそれに沿って走っている道路はウネウネと曲がりだすのだが、予土線は橋とトンネル(短いもの)でまっすぐにつきぬけており、四万十川が右へいったり左へいったりするので、美しい四万十川を充分に満喫できるように思う。

 10時47分、江川崎に着いた。ここは仁井田川と吉野川の合流地点であり、ここから川は四万十川(渡川)となって中村に流れている。これから先の予土線は吉野川沿いを走っていくので、川の流れが逆になって四万十川が見える。

 時々車窓から『予土線の廃止反対! 予土線を残そう』という看板を見かけた。確かに、乗客は宇和島付近を除いて観光客が多かった。今この線に廃止計画があるのかどうか現状は分からないが、四万十川を見れる唯一の鉄道ということで残して欲しいものである。

 11時53分、長い下り勾配を走って宇和島に到着した。

宇和島駅

特急で3度目の高松

 昼食を駅前のレストランでとり、12時50分発の特急「宇和海4号」松山行きに 乗った。去年のダイヤ改正の話をしたときに言い忘れたが、この特急「宇和海」もそ の改正によって急行『うわじま』から格上げされた特急である。時刻表によるとこの 特急は5両編成のはずなのだが、客が多い時期のためか自由席を1両増結して6両編成で運行していた。車内はほぼ満席だった。さすが愛媛県、みかんの段々畑が目につくようになってきた。

 13時53分、内子に到着。内子一向井原間は5年程前に新しく開通した区間で、予讃綴の五郎一向井原間が災害に弱い為、新しい幹線としてこの短絡線が開通した。新谷一内子間はいまでも内子線という別線扱いになっている。これが加算(換算)運賃をとられない『幹線』ならよかったのだが、内子線は『地方交通線』の為、加算(換算)運賃をとる区間になっており、全ての特急が内子線経由になっている現在、この加算運賃をとるやり方はふに落ちない部分がある。と、始めは思っていたが、短絡線が開通したことによって向井原一伊予大洲間の営業キロが、海側ルートの41㎞から34.7kmと短くなり、しかも加算運賃のとる区間は短い為、加算運賃を営業キロ数に換算すると僅か0.5㎞をキロ数に加算した運賃になり、34.7kmと0.5kmとを足した35.2kmが運賃のうえでの換算キロ数になるが、これも海側ルートの41kmよりも短くなることになる。したがって、結果的には運賃が安くなるわけであり(区間によっては変わらないが)、加算運賃(換算キロ)も僅かなため「目くじらを立てる程の事でもない」と思うようになった。内子緑の別線(地方交通線)扱いは何か他にもいろいろな事情があるのだろうか。もちろん海側ルートは特急こそ通らなくなったが、列車は走っている。

 内子をでると新線のため揺れが少なく、トンネルで山の中をぶち抜いて走っていった。

 14時22分、伊予市を出発した。あと10分程で終点松山であるが、ここでのりかえる特急『しおかぜ』の席が取れるか心配になった。高松まで行く我々は松山で16分接続の特急「しおかぜ14号」岡山行に乗りかえるのだが、この「宇和海」の自由席は4両で「しおかぜ」の自由席は3両。満席のこのひとたちが殆ど乗り換えると仮定すると、どう考えても溢れる人がでてくる。しかも、松山で座れないと終点まで座れないような気がしていた。そこで、我々は早々と降りる準備をしてデッキで待つことにした。

 14時31分、松山に到着。お目当ての「しおかぜ14号」は同じホーム向かい側に止まっていた。振り子式新型ディーゼルカーであった。しかも、運よく目の前が自由席だったので、悠々席を確保することができた。そして、車内はすぐ満席になり、14時47分、振り子式ディーゼルカーは動いた。

松山駅

 16時44分、特急連絡接続がある多度津に到着。我々は高松に向かうので中村(土讃緑方面)から来た特急「しまんと8号」高松行きに乗り換えた。高知(土讃緑)方面からの客も岡山行き「しおかぜ」にのりかえて、高松行きが先に発車した。

 その後すぐに振り子式新型特急とすれちがったが、実はあの特急、一昨日多度津から高知に向かう時に乗った「南風9号」中村行きの列車であり、今日これから四国を離れる私にとっては懐かしく感じられた。

 30分程たった17時14分、3度目の高松に到着した。

フェリーで四国にさようなら[四国旅行記#11]

 帰りはフェリーで本州の宇野に渡ることにした。宇野までのフェリーは、宇高国道フェリー、日通フェリー、四国フェリーと3つあり、我々は宇高国道フェリーに乗ることにした。特別な理由はないのだが、待合室や桟橋がきれいで、見た目一番しっかりしていそうだったから、という単純なことからだった。

 いよいよ四国を離れると思うとやはり空しいような寂しいような気分になってくる。そして、船に乗り込み、17時50分、たった4日間ではあったが、私たちを楽しませてくれた島【四国】を離れ、フェリーはゆっくりと後ろに進んで回頭し、一路本州宇野をめざして海を渡るのであった。

宇高国道フェリーの甲板にて

 船内はガラガラで2~30人程しかいない。半分はトラックの運転手で、みんな毛布をかぶったりしながら真ん中のビニールの長椅子に横になって、僅かばかりの休息時間を有効につかっていた。我々は窓側のソファーに荷物を置いて、甲板にでた。後ろには高松の町が大きく見え、同じ宇野行きである四国フェリーが航海していた。あのフェリーはこの国道フェリーの3分後に出港したフェリーである。

鬼ヶ島(だと思う=昔撮影したもので記憶がなく・・・)

 右手に「鬼が島」が見えた。あの桃太郎がきびだんごを持って行った鬼が島である。そして、左手を見ると夕日が鮮やかに輝いており、我々の四国への別れと同時に、一日を終えようとしているのであった。私はうしろに見える四国の島を見ながら、より一層四国での旅行を回想し、空しさを感じていた。

夕日とともに

 前方を見ると右、左から何隻もの船が行き来しているのが見えた。これからこの船もあの海の交差点を通っていくのだろうが、このまま進んだら衝突するのではないか、と心配になることがあった。しかし、周りに何もないため遠近感が鈍るのか、船の速度が遅いのか、しばらくするとその船は目の前から通り過ぎてしまい、『全然余裕じゃないの!』と思う事が時々あった。

 夕日も沈みかけた頃、瀬戸大橋が見えないかと左手を見たが、かすかに見える程度で殆ど見えないと等しいものだった。そして、寒くなってきたので下の船室に戻ることにした。

 約1時間で本州宇野に到着した。日は沈みあたりは真っ暗である。宇野駅まで10分程歩き、19時28分発の茶屋町行きに乗って岡山に向かうことになった。宇野駅はひっそりとしており、かつての賑わいを見せていた面影が、駅の造りから何となく伺うことができた。そして、1両編成で荷物車の改造電車という、いかにも宇野線は寂れてしまった、と物語っているような電車に乗って茶屋町まで行き、四国琴平からの湘南色電車岡山行きに乗って、岡山へと向かった。岡山到着、20時28分。

宇野駅

大垣で再集合[四国旅行記#12]

雨を恨む!大恥じマクドナルド事件

 3月30日土曜日、あとは東京に戻るのみである。帰りももちろん鈍行列車。夜行鈍行の発車する大垣へと向かうのである。天気はまた雨。今回の旅行では雨の日が多い。

 友人2人は大垣を起点とする『樽見鉄道』に乗りたいということで、大垣に20時の待ち合わせをして別行動をとることにした。友人たちは早くチェックアウトして大垣へと向かった。私はひとりのんびりと、大阪や京都を途中下車しながら大垣に向かおうと思っていた。

 8時20分、ホテルをチェックアウトし岡山駅に向かう。予想以上の出費によって財布の中身が危うくなったので、岡山電気軌道(路面電車)駅前停留所の前にある三菱銀行へ寄っていこうとしたが、キャッシュサービスが9時からだったので先に朝食を済ませることにした。

岡山駅前の三菱銀行と路面電車

 駅そばも食べ飽きたし、レストランは締まっているし、といろいろ考えていると、停留所を挾んだ道路向かい側にマクドナルドが見えるのでそこにすることにした。雨がパラパラと降り続いていた。自動ドアを入ると階段になっており、両端は2階への上り階段、真ん中は1階の売り場カウンターへの下り階段となっていた。下り階段を6段ほど降りて、
「いらっしゃいませ。おはようございま~す。」
売り場メニューの下敷きに指をあてて、
「このセットをひとつ。」
「Bセットですね。お飲み物は何になさいますか。」
「コーラ。」
「コーラですね。」
「お持ち帰りでしょうか。」
「いいえ。」
Bセット(AかBかCかは忘れてしまったので、ここでは仮にBセットとする)とはフィレオフィッシュとハッシュポテトと飲み物の朝食セットである。会計を済ませ、
「ありがとうございました。」

 ここまでは順調だった。トレーを持ち上げ席のある2階へ行くため後ろに振りかえって階段をのぼった。右足が3段目にさしかかった瞬間、雨で床が濡れていて、しかもビニールの滑りやすい材質な為、右足が

『ズルつ!』

と下に滑ってしまった。

 トレーは手を離さなかったので何とか床と並行に保つ事ができたが、不安定な形のコーラが床に落ちてしまった。氷と液体が四方八方にちらばり、より一層床がビショ濡れになった。しかも自動ドアの前であり、かつど真ん中でそんな事をやらかしたので一瞬にして『注目の的』となり、恥ずかしい思いをしている暇もなく急いで売り場カウンターに戻って事情を説明した。

 運よくその時、緑色の帽子をかぷった偉い(?)正社員の男性がいて、同じ飲み物をもらい、そのままにしておいて結構ですよ、と言われ大変恐縮な思いをした。

 2階で朝を済ませ銀行に寄ってから、ホームへと向かった。ああ、恥ずかしい、恥ずかしい。

赤穂線回り

 山陽本綴でそのまま大阪に向かうのでは面白くないので、まだ未乗区間が残っている赤穂線回りで向かうことにした。

 9時23分、相生行きの電車が出発した。湘南色3扉セミクロスシートの4両編成で車内は1人1ボックスのガラガラであった。そして、2つ目の東岡山を過ぎると山陽本線と分岐し、電車は右に曲がっていった。

 2駅、3駅と止まる度に赤穂線のローカルな雰囲気が漂ってくる。駅も無人駅や委託駅が多くなり、ホームに降りたらすぐ道路、というのも見られる。ここは電車よりも気動車・ディーゼルカーのほうが割に合っているような気がするが、またそのギャップが面白いところでもある。

 10時12分、5日前に下車した西片上に到着。お好み焼き屋の元気なおばちゃんを思い出す。車内はガラガラ。土曜日で春休みとあれば、乗る人も少なくなるのだろうか。そして23分、日生に到着。ここは瀬戸内観光汽船の小豆島行きフェリー「オリーブライン」への乗り換え駅であり、右手に港を見ることができる。

日生駅

 県境を越え兵庫県に入り、10時39分、赤穂浪士、忠臣蔵で知られている播州赤穂に到着した。乗客が乗ってきて席がかなり埋まった。15分後、終点相生に到着した。

京都で荷物を預けてから大阪へ

 相生で乗り換えて姫路に着いた。姫路からは新快速で早く移動できる。11時27分米原行きは発車した。大阪で降りようか京都で降りようか色々考えたが、京都で降りてカバンをコインロッカーに入れて私鉄で大阪に戻る、ということに決めた。

 12時59分、京都に到着。改札を出てコインロッカーへと向かった。さすがに国際観光都市京都、外国人の旅行者をあちこちで見かけた。

 昼食をとり大阪に向かった。個人的に好きな京阪電車で向かうことにする。地下鉄で今出川まで行き、そこから始発駅である出町柳駅に向かって傘をさして歩いた。京都御所の北側を通り、鴨川を渡るとその駅はある。橋の北側はちょうど高野川と加茂川の合流地点になっており、その東側に駅がある格好になっている。

出町柳駅

 駅は地下にあり、最近京阪三条から延びたばかりなので、駅はきれいである。勿論特急に乗った。特急と言っても特別科金はとられない電車で、さすが競合関西、サービスはよい。そして運転席の真後ろにある席に座った。いわゆる『かぷりつき』である。そして、京阪ノンストップ特急は大阪に向けて走っていた。

 終点淀屋橋まで行こうと思ったが、14時30分で時間が余っているので京橋で降りて、日本で初めて実用化されたというリニアモーター駆動方式の大阪市営地下鉄に乗りに行くことにした。繁いたことに京阪では、乗車駅からその駅までの運賃よりも多くの運賃の切符を持っていれば、途中下車ができるのである(同額では無効)。私の切符は淀屋橋まで買ってあり、出町柳一京橋間の運賃よりも高いので、途中下車することができる。他の関西の私鉄でも近距離の途中下車を認めているのであろうか。日付の入った下車印を押され、地下鉄へと向かった。

 この大阪市交通局鶴見緑地線は京橋一鶴見緑地を結ぶもので、「国際花と緑の博覧会」会場へのアクセス手段として開通したものであった。リニアモーターといっても軌道は他の電車と変わりがなく、詳しいことは分からないが、ただ駆動方式がリニア方式を採用しているというものであるらしい。線路と線路の間に駆動時に使われる灰色の板のよなものが敷いてある。

 電車に乗った。他の電車よりも小さく狭い。乗客は少ししか乗っておらず、それも終点鶴見緑地の1つ手前の横堤でほぼ全員降りてしまった。鶴見緑地で降りたのは私と男性の2人だけ。改札を出ると広々としており、噴水があり上り階段になっている。階段をのぼると万博跡地になっており、工事をしているようだ。歩く人は誰もいない。今となっては駅前の整った広場が妙に不釣り合いのような気がする。雨が強くなってきたので引き返すことにした。

鶴見緑地駅
淀屋橋駅

 再び京橋に戻って、京阪に乗る。淀屋橋で御堂筋線にのりかえ梅田、JR新快速に乗って京都、荷物を取って再び新快速で米原、のりかえて大垣。大垣到着19時25分。

友人と再開~大垣にて

 20時になって、友人と再開したが、すごく久しぶりに感じられた。旅行をしていると毎日同じ人と顔を合わせている為に、時には面倒臭い存在になることもあるが、やはり友人がいるということは心強いことでもあり、話し相手にもなるので、改めて良いものだと思った。また、たまには別行動も必要だとも思った。夕食を駅ビルで食べ、今日のお互いのでき事について話をした。久しぶりに口を動かすので、次から次へと言葉がでてきて話が途絶えない。食事がとてもおいしかった。

 ホームに戻り大垣夜行の入線までまだ時間があったので、隣のホームの新しく建てられた待合室で暖をとりながら、列車を待った。

 今日も臨時の大垣夜行列車が運転されているが、我々は定期夜行列車に乗ることにした。別に理由はない。臨時の方にも人は並んでいて、今日のは6両編成であるということだった。そして定期列車が入線して間もなくの22時30分、臨時の方が先に発車し、40分、定期の東京行きが定刻に発車した。

終幕

 名古屋を過ぎる頃には、ほぼ席が埋まっていた。今は「臨時夜行」「定期夜行」の順に走っているが、下りの夜行同様途中で順番が逆転し、東京へは「定期夜行」「臨時夜行」の順で到着する。上りの場合追い抜きがあるのは、停車駅ではなく豊橋→浜松間のどこかの駅のようで、その時私は眠っていた。浜松。静岡、と止まる度に目を覚ましたが、発車すると再び眠りについた。もう列車は逆転していて、我々の乗る定期夜行が先に走っているはずである。

 2時43分、沼津に到着した。目を覚ましぼんやりホームを眺めていると、隣のホームに臨時の夜行列車が入ってきた。まだ追い抜きをしていなかったのか、と一瞬疑ったが、我々の方が先に到着しているのでそれはあり得ないことで、時刻表を見直してみると、沼津では『定期夜行の到着が2時43分、発車が55分』『臨時夜行の到着が2時53分、発車が59分』と、追い抜かれた臨時が追いつき、2分だけ肩をならべるようになっていた。沼津を先に出発し、私は再び寝た。

 気がつくと熱海で、駅名板が緑のラインのものになった。発車メロディーがなり、また気がつくと小田原、また気がつくと大船だった。大船からはもう起きていた。友人たちも起きだし眠っている町を眺めていた。雨はやんでいた。まわりの乗客たちは寝ている人が多い。モーターと車輪の刻む音しか聞こえない。

 4時29分、川崎に到着。友人たちが降りる準備をしだした。そして、4時38分、品川到着。友人は降りた。4時43分、私も新橋で列車に別れを告げ、京浜東北線の1番電車に乗って、四国旅行の幕は閉じるのであった。

あとがき

 どうして帰りの大垣夜行では終点の東京まで行かず、1つ手前の新橋で乗り換えたのか。大垣夜行の東京到着は4時42分、僕の乗り換える京浜東北線北行の始発の発車は4時43分。乗り換えの複雑な東京駅では1分間での乗り換えはほぼ不可能であり、それより4時38分(夜行)に到着し4時40分発(京浜線)である新橋だと乗り換えが出来るという理由からです。また、この始発の京浜東北線を逃すと17分電車が来ない為、寒い中待たなければならないという事も理由のひとつでした。(だから何?と言われてしまえばそれまでですが)

~旅・万歳!街歩きの風が吹く~