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茶51 駒込駅⇔御茶ノ水駅[都バスで東京発見]

名所旧跡を本郷通りで結ぶ文化教養路線

茶51 駒込駅⇔御茶ノ水駅(経由)駒込駅南口・東大赤門 巣鴨営業所

路線keyword:本郷通り,飛鳥山,西ヶ原一里塚,旧古河庭園,六義園,東大赤門,都電と併走


平成7(1995)年の営団地下鉄南北線の駒込・四谷間開通により、バスの本数が半数以上減らされてしまった。王子から東京大学までの区間、南北線は本郷通りの真下を走り、その上にこのバス路線が走っている。
王子駅から飛鳥山の坂を都電と共に登り、右手に王子神社と音無親水公園の緑を、左手に標高27mの飛鳥山公園を望みながら、本郷通りを南進する。飛鳥山は、徳川吉宗が桜の苗木を千本移植してから江戸近郊の桜や紅葉の名所となったところで、音無橋や王子七滝(名主の滝など)も含めかつては江戸の日光と称されていた。
都電と分かれて渋沢栄一史料館前を過ぎ、一里塚バス停を過ぎると、道路の車線が左右に離れて、真ん中に榎の樹木が現れる場所がある。かつての岩槻街道(日光御成道)の西ヶ原一里塚である。東京都23区内で唯一、かつての位置にほぼ原型をとどめている一里塚であり、2つの塚に挟まれた片側車線の幅が旧道の幅ということになる。西ヶ原は日本橋から二里のところである。
左手に紙幣を製造している大蔵省印刷局滝野川工場と大蔵省印刷局東京病院が現れ、しばらく走ると右手に旧古河庭園の立派な門が現れる。古河庭園は明治の元勲陸奥宗之邸を受け継いだ旧財閥古河家の庭園だったところで、2層の明治建築様式の面影をとどめる洋館の前に、和風・洋風の庭園が広がっている。
駒込駅からは、同じ茶51系統の駒込駅・東京駅北口線が加わり、終点の御茶ノ水駅までほぼ同じ道を走っていく。そして、右側の建物の裏手に六義園が存在する。六義園は元禄8(1695)年に老中柳沢吉保が5代将軍徳川綱吉から中屋敷として拝領した土地に造った庭園であり、千川上水の水を引いた池を中心とする回遊式築山泉水の名園である。その後、明治時代に岩崎弥太郎が別邸として整備し、最終的には東京市へ寄贈されたものである。
本駒込、向丘を過ぎると、左手に赤煉瓦の塀と瀟洒な黒い柵が現れると、日本の最高学府「東京大学」となる。江戸時代には加賀百万石前田家の上屋敷だったところである。北側から順に辿っていくと、まず農学部、続いて道路を越えて工学部、法学部・文学部となって東大正門となる。大楠の立派な並木が本郷通りに沿って茂っており、アカデミックな雰囲気が車内にも漂ってくる。さらに、図書館、教育学部と続いて東大赤門となる。赤門の正式な名称は御守殿門であり、8代将軍徳川家斉の娘溶姫が前田家に嫁ぐときに建てられたものである。そして、経済学部、学士会館別館で東京大学の赤煉瓦の塀は終了する。ちなみに理学部、薬学部、医学部、安田記念講堂は奥の敷地に存在する。
本郷三丁目で春日通りを横切り、神田明神前を過ぎてバスはぐるりと回って、神田川に架かる聖橋を眺めると、終点御茶ノ水駅となる。左にはJR線の電車と御茶ノ水駅を望むことが出来る。

平成12年12月、都営大江戸線の開通により、王子駅-駒込駅間と御茶ノ水駅-東京駅北口間が廃止された。

王49 千住車庫⇔王子駅[都バスで東京発見]

足立区西部の環七通り沿線をカバーする路線

王49 千住車庫⇔王子駅(経由)環七 千住営業所

路線keyword:環七通り,西新井大師,鹿浜の中古車販売店,梅田町


営団地下鉄南北線の開業によって、駒込駅・王子駅間が廃止され、現在の運行に短縮された。足立区西部の環七通り沿線をカバーしているが、道路渋滞が激しく、定時運行がままならない路線でもある。
王子駅から島根三丁目までは、王30系統と同じルートを走る。
島根三丁目にて右折し、二車線道路をしばらく走ると、東武伊勢崎線梅島駅前となる。東武線のガードをくぐり、駅前の商店街を抜ける。左手に女性総合センター・Lソフィアが現れて、しばらく行くと終点千住車庫に到着する。

王45 王子駅⇔北千住駅[都バスで東京発見]

荒川放水路と隅田川に挟まれた狭長な地域を走る路線

王45 王子駅⇔北千住駅(経由)王子五丁目・新田土手通り・千住桜木 北営業所

路線keyword:荒川放水路と隅田川,工場地帯,裏小段


つい最近(1996年執筆)までは王子駅・足立区役所間の運行であったが、平成8年に足立区役所が中央本町(最寄駅:東武伊勢崎線梅島駅)に移転したため、北千住駅に乗り入れるルートに変更された。
私の推測するところ、恐らくこの路線は荒川と隅田川に囲まれた地域に住む足立区民の区役所本庁舎への利便性を考えて設けられた路線であると思われる。本数が少ないし、通勤通学者は本数の多いJR王子駅や田端駅、日暮里駅へのバスを利用しているだろう。地図を眺めていても、両河川に囲まれているために土地がほとんど存在せず、またお互いの地域を結ぶ意味合いも感じられず、それほど需要が見込める路線だとは思えない。バスはいつ乗ってもたいてい座れるが、この地域間に用のある人にとっては、大変便利な路線である。
王子駅から途中の新田3丁目までは、王41系統と同じルートを走り、王41系統の補完的な役割を果たす。新田3丁目からこの路線は右折し、トーアスチールの工場前を通る。荒川土手が左手に現れ、土手に沿ってバスは走る。しらばくするとこのバスは、堤防の中程にある「裏小段」と呼ばれる水平な段のところの道路を走るようになり、千住桜木までその裏小段の部分を走っていく。
豊島橋バス停あたりになると、右手に公団豊島5丁目団地を背景にして隅田川が現れる。左に荒川、右に隅田川、この豊島橋バス停を利用する人は果たしているのだろうかと疑問に思う。
また、この豊島橋停留所付近は北区と足立区の区境が、この地域だけ隅田川ではなくせり出して荒川で線が引かれており、ちょっとした話題になったことがある。これは、荒川放水路完成以前の隅田川(当時の荒川本流)の川筋の名残で、水路は整備されたが、区境はそのまま残されたということである。川筋の形から「天狗の鼻」と呼ばれていた。
現在の荒川の岩淵水門より下流部は、開削によって19年の歳月をかけて昭和5年に完成した放水路であり、川筋や土手が整然としているのは人工河川だからである。それまでは現在の隅田川が荒川本流であり、下流では度々洪水を繰り返し、高潮による被害も続出していた。そこで、荒川放水路の建設が行われ、岩淵水門で荒川を荒川放水路と隅田川(旧荒川)とに分水させたのである。数年前までは隅田川という名前は正式な名称ではなかったが(国の登録上の話.庶民には放水路開削以前から隅田川と呼ばれて親しまれており、一般的には鐘淵中学校あたりの屈曲部より下流のことを隅田川と呼んでいた.)、現在は正式名称「隅田川」として建設省に登録されている。
荒川に架かる江北橋、扇大橋を横切る時だけ、川面を見ることができる。都市の川沿いの風景らしく、沿線には中小の工場や倉庫群が多く目に付く。土手の芝生の緑が心を和ませる。
西新井橋の手前でバスは右に折れ千住桜木となる。ここにはかつて、東京電力火力発電所の「お化け煙突」が立っていた。常磐線の車窓からこの煙突を眺めると、見る方向によって4本の煙突が姿を変える煙突だった。右側がその跡地である。
日光街道を横切ると北千住駅前の商店街に入り、正面にJRの駅ビルが見えると、終点北千住駅となる。道路は駅前で行き止まりとなっており、都内の大きな駅としては珍しい袋小路型の構造をした駅前である。

端44 北千住駅⇔駒込病院[都バスで東京発見]

荒川区町屋・東尾久界隈を走って北千住駅と田端駅・駒込病院を結ぶ路線

端44 北千住駅⇔駒込病院(経由)熊野前・田端駅 千住営業所

路線keyword:駒込病院,熊野前,尾久橋通り


全体的に捕らえどころのない地味な路線である。北千住駅から荒川区を通って田端駅・駒込病院までを結んでおり、荒川区の町屋、東尾久に住む住民にとっての生活路線でもある。
北千住駅を発車すると商店街を走り、千住二丁目で日光街道と横切る。バスは墨堤通りを西新井橋方面に向けて走る。かつてお化け煙突と呼ばれていた火力発電所のあった千住桜木の西新井橋南詰にて左折し、隅田川を尾竹橋で越える。
荒木田交差点にて右に曲がる。商店の続く2車線道を西に走っていく。右手に大きな原っぱが現れた。都立尾久の原公園と名付けられているが、この敷地には将来、文化教育施設の建設が予定されており、その建設までの暫定的な公園であるという看板が立てられている。
右手に都立医療技術短大が現れて、都電の走る熊野前となり、バスは左折して尾久橋通りを南下する。東尾久界隈を走り、田端新町一丁目の明治通りと交差する5差路の交差点で右折するが、明治通りに右折するのではなく、明治通りの南にある右前方の2車線道路へ入る。
田端新町、下田端を走り、陸橋を上って東北・上越新幹線とJR山手・京浜東北線を横切ってJR田端駅前となる。ここからは東43系統と同じルートを走り、急坂を上って右手に駒込病院が見えてくると、構内に入って終点となる。

東43 荒川土手(江北橋下)⇔ 東京駅北口[都バスで東京発見]

下町・川の手地域からビジネス街まで南北に縦断する路線

東43 荒川土手(江北橋下)⇔東京駅北口(経由)田端駅・御茶ノ水駅 北営業所

路線keyword:荒川土手,工場地帯,旧山の手,東京大学,大手町ビジネス街,赤煉瓦駅舎,狭路


江北橋(足立区)より少し北側に入ったところに荒川土手操車所が存在する。「荒川土手」と言っても場所は広範囲にわたり、何処の荒川土手なのかを明記しないと場所がわからず、近年、バスの方向幕に括弧書きで(江北橋下)と記載されるようになった。
幅の狭い道路に面して操車所が設けられているので、バスが操車場に入るときは、道路に走る車を誘導員が止めてから、バックをして定位置に入る。東京駅北口行はそんな荒川土手操車所前から発車する。なお、荒川土手行のバスは、一つ手前の荒川土手(江北橋下)停留所で終点となり、荒川土手操車所前停留所までは乗車できない。
正面に荒川土手の堤防が現るとバスは左折し、首都高速川口線(C2)の高架下を走る。高速のジャンクション下にてバスは右に入って坂を登り江北橋を渡る。右手には首都高速王子線(仮称・未開通)の真新しい江北橋が見え、都会の密度の高い圧迫的な空間とは違う開放的な荒川土手が広がる。
宮城にて左折し、工場の多い地区を走っていく。この辺りの宮城・小台は荒川と隅田川に囲まれた交通不便な地域でもあり、この地域にとってこの路線はJR田端駅までのアクセスとして利用されている。その為に駒込病院までの便が多数存在している。右手に荒川遊園地の観覧車が見えると小台二丁目となり、工場地帯の狭路をくねりながらバスは走る。
小台橋で隅田川を渡ると荒川区・西尾久となり、両側に商店街が続くようになる。小台にて都電荒川線と交差するが、ここは小台という町名ではないのだが、何故か都電と都バスの停留所には「小台」と名付けられている。明治通りを横切って北区となり、JRの引き込み線踏切を越えて下田端となる。そして、突き当たりを左折すると、右手にJR東日本東京地域本社のビルを眺めて、JR山手線・京浜東北線を田端大橋の陸橋で越えると田端駅前となる。ここでかなりの乗客が下車する。
田端駅を出るとバスは下町低地から山の手台地に入り、切り通しの中を通り抜ける。動坂下で不忍通りと交差して、急坂を登ると都立駒込病院が右手に現れる。
この辺りから街路樹の緑が目立ちだし、イチョウ並木が続く文京区のお寺の多い地域を走っていく。そして、本駒込にて本郷通りに合流する。ここから本郷二丁目までは茶51系統と同じルートを走る。東京大学を左に見て、正門・赤門を通り越すと本郷三丁目となる。本郷二丁目からバスは右に曲がって、順天堂病院、東京医科歯科大学を左に見て、神田川と美しい聖橋を眺めながら橋を渡ると、御茶ノ水駅前となる。
楽器専門店やスキー専門店などが多く連なる学生街を徐々に下りながら、右手に明治大学を眺めて、三省堂書店本店が見えると駿河台下交差点となる。本屋街・神田神保町は右手すぐのところにある。
駿河台下を過ぎると、オフィス街の様相を呈するようになる。近代的なビルディングが建ち並んでいる。神田錦町にて上下線が別れ、東京では珍しい5車線の一方通行の道を走る。神田橋にて日本橋川を渡り、首都高神田橋ランプを通り過ぎる。右手には気象庁・消防庁等が存在する大手町合同庁舎が見え、ビジネス街の中心地・大手町となる。
右手に皇居のお濠と森が見えるとバスは左折する。大正3(1914)年にオランダのアムステルダム中央駅を参考にして辰野金吾が設計したルネサンス様式赤煉瓦駅舎・東京駅丸の内口の姿が見えると、終点東京駅北口となる。

王41 王子駅⇔新田一丁目[都バスで東京発見]

王子駅と新田地区を結ぶ路線

王41 王子駅⇔新田一丁目(経由)王子五丁目・新田橋 北営業所

路線keyword:新田町,超狭路


王子駅と豊島七・八丁目、及び隅田川と荒川とに囲まれた新田とを結ぶ生活路線であり、さらに、登校日の朝夕の通学時間帯には沿線のマンモス女子高に通う学生で車内が満員になる路線でもある。距離が短いためなのか、正面方向幕の表示が「王41 王子駅-新田一丁目」となっており、往路復路で正面方向幕の変化がない。
王子駅から北本通りを王子二丁目・三丁目・四丁目と北上する。王子消防署前の交差点を右折し、ここから新田橋までは、上下線のルートが一致しない。豊島七丁目のバス停を出発するとバスは左折し、バスがやっと通れるような一方通行の狭路に入る。しばらくすると狭路のクライマックスがやってくる。バスは左に曲がったかと思うとまたすぐに右に曲がり、城下町に残る鍵型十字路のようなルートを走る。その交差点の左隅には、左折時におけるバスの民家接触防止を目的としたコンクリートの塊が置かれている。左側の窓際に座って真下をのぞいていると見つけることができる。王子駅行方面の場合は狭路の商店街(庚申通り商店街)の中を走り、買い物客や自転車などが道路を横切る中、速度を落としてバスは走っている。
隅田川を新田橋で渡ると、足立区新田地区となる。新田三丁目で王45系統は右折して別れてしまい、このバスは直進する。環七通りを横切って、正面に隅田川の無機質な堤防が現れると道は行き止まりとなり、そこにバスの折り返し所、新田一丁目停留所があり、バス誘導員のための小屋がぽつんと建っている。

王40乙 王子駅⇔豊島循環[都バスで東京発見]

王子・豊島を一周する循環路線

王40乙 王子駅⇔豊島循環(経由)トンボ鉛筆 北営業所

路線keyword:豊島町,王子町,トンボ鉛筆


午前(通勤)便と午後(帰宅)便で、逆回りとなる循環路線である。この路線は、豊島六丁目・王子駅間の朝ラッシュ時における乗客の取り残しを防止するのに一役買っている。
豊島六丁目・王子駅間はバス渋滞が著しいことから、朝の時間帯に限って原則的にバス専用道路となる2車線道路の区間である。西新井駅からやってくる王40系統、豊島五丁目団地始発の王57系統が王子駅方面に向けて頻繁に走っているのだが、いずれも既に満員になって通過してしまうことが多く、その為に江北・豊島五丁目団地方面からの乗客が乗っていない豊島循環路線は、豊島六・四・三丁目から乗ってくる乗客にとって有り難い路線である。午後便は帰宅客が分散するので、車内は比較的空いている。
午前便について記載する。
王子駅にてバスターミナルを発車すると、王子二丁目、王子三丁目、王子四丁目と北本通りを北上し、王子消防署前の交差点を右折する。成徳学園の女子高生が下車し、車内にはひとときのゆとりが生まれる。
鉛筆でお馴染みのトンボ鉛筆の工場前を通り、豊島五丁目交差点で右折する。王40・王57系統は正面からやってきて合流する。バス専用道路を豊島六丁目、四丁目、三丁目と走り、乗客を次々と乗せる。道路が広くなって豊島二丁目となり、溝田橋交差点から明治通りとなって、終点王子駅前停留所に到着する。降車場所はバスターミナルではなく、王57系統の赤羽駅東口行のりばとなる。

王40丙 王子駅⇔宮城循環[都バスで東京発見]

宮城地区を循環して王子駅まで戻る王40系統の補助的路線

王40丙 王子駅⇔宮城循環(経由)宮城都営住宅 北営業所

路線keyword:宮城町,豊島五丁目団地


王子駅から宮城2丁目までは王40系統と同じ路線を走る.隅田川を渡ると一旦左折して宮城2丁目停留所となるが,荒川の江北橋陸橋へは上らず,下の側道を走って180度旋回し,同じ交差点に戻って宮城町方面へと向かう.右回りで宮城町をぐるりと周り再び宮城2丁目に戻って王子駅へと帰っていく.

王40甲 池袋駅東口⇔西新井駅[都バスで東京発見]

都内北部の交通不便な地域を走る乗客数の多い通勤通学路線

王40甲 池袋駅東口⇔西新井駅(経由)王子駅・荒川土手 北営業所

路線keyword:車内混雑,飛鳥山,明治通り,狭道,都電と併走


ビックカメラ正面の池袋駅東口バス乗り場には、いつも長蛇の列ができている。先発のバスが満員になっていなくても、次のバスに乗る乗客が多い。この路線は北区・足立区の鉄道の便の良くない地域を走るため、その地域に行く人はバスに頼らざるを得ない。そこで池袋からの長い道中、座っていこうと考える乗客が多いのである。座るためには最低1本、混雑時には2本以上のバスを待つ覚悟が必要である。
池袋を出発すると、バスは三越の裏手を走り、明治通りに入る。豊島区役所を右手に見て、池袋六ツ又陸橋交差点を過ぎ、JR山手線を跨ぐ。王子までは緩い坂を上り下りしながら明治通りを直進する。上池袋、西巣鴨、滝野川、そして正面に緑の茂みが見えると飛鳥山に突き当たる。西巣鴨から飛鳥山までは首都高速建設の高架工事を行っており、将来は道路の真ん中に高速道路が覆い被さることだろう。バスは左折し、運が良ければ都内唯一残った都電との併走が見られる。都電は車に押され気味に、そろりそろりと気を使いながら走っている。左手に昭和5年に架けられたクラシックな音無橋、右手に飛鳥山を眺めながら、大きなカーブと急なくだり坂を走り、JR京浜東北線のガードをくぐり抜けて王子駅前となる。
さらに乗客を乗せ、バスは2車線の狭い道を走る。この区間はバスの本数が多く、追い越し車線がないため、朝夕のラッシュ時はバス渋滞が発生し、そのために朝はバス専用道路となっている。豊島二丁目、三丁目、四丁目、六丁目と豊島のオンパレードを過ぎると公団の豊島五丁目団地が突然現れる。ここはかつての日産化学工業の王子工場であり、跡地を団地開発したところである。左手には団地群が、右手には日本出版の流通センターや日本油脂の工場がある。この路線は両方向とも混雑していることが多い。朝の場合、ここに居住する人が駅に向かって乗車し、逆に工場や職場に向かう通勤者が駅から職場に向かって利用する。夕方はその逆パターンとなる。両方向とも混雑するのはその為である。
豊島五丁目団地を出ると、新豊島橋で隅田川を渡り、江北橋で荒川放水路を渡る。左手には首都高速中央環状線の2層構造の江北橋が見える。橋の中央部分は一般道の江北橋と同じアーチが取り付けられており、さながら親子といった感じである。
荒川土手の停留所を過ぎると、バスは右折し、再び狭い2車線の道路に入る。密集した地域の中に、東43系統折り返しのための荒川土手操車所があり、発車待ちのバスが数台停車している。さっき通った豊島二丁目から五丁目間の2車線道路とは違って、この道路には歩行者専用の歩道がなく、電柱の存在が更に道路を狭くしているので、お互いの大型バスがすれ違うときは運転手同士の連携と相互の譲り合いが欠かせない。出会った場所が悪いときは最徐行しながらすれ違う。乗客のおばあさんが、「この辺りは戦争で焼けなかったから道が狭いのよ」と教えてくれた。地図を眺めると、バス通り以外の道路は区画整理がされていない曲がった道が多く存在していた。江北四丁目にて尾久橋通りと交差する。尾久橋通りには新交通システム(日暮里-舎人間)が開通することになっている。それが開通すれば、本路線の混雑が多少は緩和されるに違いない。阿弥陀橋停留所を過ぎ、環七通りに出ると古くから川崎大師とともに厄除開運の霊場として有名だった西新井大師前停留所となる。本道は左手に少し入ったところに存在する。そして、東武線を跨ぐ陸橋の手前でバスは左の車線に入り、線路を越えずに一方通行の道を走ると終点西新井駅となる。

平成12年12月より、池袋駅から豊島五丁目団地間に急行バスが登場した。

王30 王子駅⇔亀有駅(北口)[都バスで東京発見]

足立区中央部を環七通りで東西に横断する路線

王30 王子駅⇔亀有駅(北口)(経由)鹿浜橋・西新井大師 千住営業所

路線keyword:環七通り,足立区横断,西新井大師,中古車販売店,大渋滞


王子駅と亀有駅とを環七通りで結び、足立区の中央部を横断していく路線であるが、渋滞で評判の悪い環七通りの中でも、さらに渋滞の激しさで定評のある足立区東部を走っており、定時運行がしにくい路線である。本数が少なく、3本に1本の割合で東武バスが運行しており、都バスの1日乗車券では非常に乗りにくいバスである。近年、足立区役所の本庁舎が沿線近くに移転したことから、区東部・区西部に住む住民が区役所本庁へ行くには大変便利であり、足立区を東西に直線的に結んでいる事を考えれば、もっと本数・利用客共に多くても良さそうであるが、本数も少なければ、利用客も足立区東部になるほど少なくなる。やはり、環七の渋滞が一因なのだろうか。
王子駅を発車すると、北とぴあを左に見て北本通りを北に進む。王子二丁目、三丁目、四丁目と走り、公団王子五丁目団地が現れると、王子五丁目・営団地下鉄南北線王子神谷駅前となる。宮堀陸橋(交差点)で環七通り(→p.)へと右折し、坂を上って環七通りと合流してすぐに隅田川を新神谷橋で渡る。ここから足立区となる。車窓からは無味乾燥とした隅田川のカミソリ型堤防と工場と住宅が混合している川沿いの風景が見られる。
新田を走り、新田小学校を右手に見ると鹿浜橋にさしかかり荒川を渡る。左手には河川敷のゴルフ場と、そのさらに奥に水色の3つの水門が見える。水門は荒川から隅田川への分岐点である岩淵水門である。昭和5(1930)年以前は、現在の隅田川が荒川の本流であった。
首都高速川口線をくぐり、右にカーブしながら陸橋の坂を下って鹿浜となる。環七沿線にはファミリーレストランやガソリンスタンドがやたらに多く、様々な店舗が後ろに過ぎ去っていく。この辺りから環七沿線の雰囲気が若干変化し、郊外の長閑な風景になってくる。
鹿浜から、「現金買取・下取歓迎」と書かれた中古車販売の店が多くなる。値段を記入したボードを中古車内のフロント部分に置いて、野ざらしに車を並べている販売店が次々と現れる。値段のボードに「124」と書いてある車は、124万円ということであり、バスが止まったときによく見ると、「万円」という文字が小さく付いていた。子供の頃、中古車はこんなに安く買えるのか、と本気で思ったことがあった。
畑が見られるようになり、江北陸橋にて尾久橋通りと交差する。尾久橋通りでは現在、日暮里と舎人とを結ぶ新交通システムの計画が進行している。
商店などが軒を連ねるようになると、川崎大師と共に厄除開運の霊場として有名な西新井大師となる。そして、右手に西新井駅を見ながら陸橋で東武伊勢崎線の複々線の線路を越える。島根三丁目にて、王49系統の千住車庫行が右に分かれていく。
日光街道を横切ると、足立区役所の最寄り停である本庁五丁目となる。ビニールハウスや畑が時々見えて、首都高速6号線の珍しい円形ループ型の加平ランプが現れる。
綾瀬警察署前に営団地下鉄千代田線北綾瀬駅がある。環七を走る車の交通量が多くなり、特にトラック等の大型車が多く走っているように思える。大谷田橋の陸橋を越え、中川四丁目になると左手に東京都下水道局の建設残土改良プラントの大きな空き地が広がる。
JR常磐線の高架橋手前にてバスは右に曲がり、終点亀有駅北口に到着する。

現在は、都営交通としては廃止されているが、東武バスのみ1日2本だけ細々と運行されている。