「会津考察」カテゴリーアーカイブ

会津の街を写真と共にコラム形式で紹介. 会津は心のふるさとです.会津人は「ならぬことはなりませぬ」の精神で,戊辰戦争以降,ゆっくりとした時の刻みの中で,会津文化を守ってきました.そんな会津を紹介します.

冬の飯盛山【会津考察#2】

Mt.Iimori in winter  (Iimori-yama)


正面に見える飯盛山

 


 飯盛山は,幕末の戊辰戦争において白虎隊士19名が自刃した最後の地となったところである.詳しい話は,幕末を描いた多くの書物が出ているので,そちらに譲るとして,僅か16~17歳の少年達が会津の為に戦って自決した話が,多くの感銘を呼んで,現在でも全国から訪れる人々による墓前の線香の煙が絶えないという.飯盛山には,白虎隊記念館やさざえ堂,戸の口堰から流れる用水の洞門などがあり,自刃した山腹からは鶴ヶ城が望める.
なお,冬は雪と氷に覆われて,山腹まで登っていけないので,夏に訪れることをお奨めする.詳しいレポートはまた夏にしたいと考えている.

飯盛山への入口
手前にみやげ物店,奥に階段がある

階段はごらんのとおりの「つるつる」
白虎隊記念館の隣り(左側)にはやや緩やかな参道があるので
そちらのルートで山腹(上)まで登ることができる
ただ,いずれにしても大雪が降ると登るのはきつい

飯盛山 動く坂道
夏にはエスカレーターが山腹まで動いている

ふもとの「白虎隊記念館」
こちらは通年でオープンしている
テレ朝系でジャニーズが主演する「白虎隊」のドラマが放送されたこともあり,
若いカップルなども含めて訪問者が増えているとか.

酒井峰治と愛犬クマの銅像
【公共交通案内】
●まちなか周遊バス(ハイカラさん) 若松駅→七日町→鶴ヶ城→飯盛山下→若松駅(逆回りは「あかべえ」)
●居合団地・松長団地循環(中島町経由) 若松駅→飯盛山下→中島町→居合・松長団地→会津大学→若松駅(逆回りあり)
●飯盛山・鶴ヶ城循環(飯盛山先回り) 若松駅→飯盛山→武家屋敷→鶴ヶ城→若松駅(逆回りあり)

磐梯山(会津磐梯山)【会津考察#1】

Mt.Bandai (Aizu-Bandaisan)

 


 磐梯山は,会津の人々にとって心に刻み込まれているランドマークである.標高は1819m,猪苗代町,磐梯町,北塩原村の3町村にまたがっている山で,別名会津富士,会津磐梯山とも呼ばれている.磐梯山は活火山であり,806(大同元)年と1888(明治21)年に大噴火を起こしている.
806年の噴火の時に磐梯山頂部分がふっとんで,当時は3000m程あった富士山のような姿だった容姿から,現在のように櫛ヶ峰と赤埴山と磐梯山からなる3峰の形になった.写真を見ると3つの山頂からなっていることがわかる.
1888年の大噴火では,泥流によって村が埋没するなどの被害がでて多数の死者をだしている.その時に川が堰き止められて,檜原湖や小野川湖,五色沼といった裏磐梯湖沼群が形成された.
磐梯山は,表から見る女性的な容姿の磐梯山と,噴火口が見える荒々しく男性的な容姿である裏磐梯の2面の表情を見せ,全国各地からその美しい自然の姿を見に,多くの観光客が訪れている.春夏秋冬,様々な表情を見せる磐梯山である.磐梯山は日本百名山にも選ばれ,夏は登山者で賑わい,冬には磐梯山を取り囲んで整備されているスキー場へくるスキー客で賑わっている.

磐越自動車道の高速道路から見える磐梯山
郡山から猪苗代へ走っていくと,トンネルを抜けて緩やかな下り坂と左カーブにより
磐梯山が徐々にフロントガラスに現れてくる.
この自動車からのシークエンス景観はお見事!といえる程の,
感動的な動く景色である
【公共交通案内】
会津若松駅と東京新宿・郡山・いわき・福島・仙台を結ぶ高速バスの車窓から眺められます(特に若松駅行きの右側席)

猪苗代湖天神浜から見える磐梯山
この姿は「表」磐梯である

会津若松市(河東町より)から見た磐梯山
右側の小さな白い山が磐梯山である.
会津若松市までくると猫魔ヶ岳(左)が大きく見えて,
磐梯山は小さくなってみえるが,
これも場所によって,その姿を変える.

No.14 磐梯山登山(八方台ルート)へ

会津考察(Aizu Guidance)

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