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ヨドバシカメラ新宿西口本店【東京考察#341】

Yodobashi Camera Shinjuku West Exit Head Office


ヨドバシカメラ新宿西口本店
(1975(昭和50)年に開業したときの店舗は現在の東館)

「ま~るい緑の山手線,まん中とおるは中央線,新宿西口えきのまえ~,カメラはヨドバシカ・メ・ラ!」のソングでおなじみのヨドバシカメラ.新宿西口本店が開店したのが1975(昭和50)年11月で現在の東館にあたる.当初は,その名の通り,一眼レフカメラを中心としたカメラ用品を販売する店であったが,その後,家電やパソコンなど取り扱い品が拡大し,新宿西口本店の店舗も徐々に周りのビルをアメーバーのように広げていって,現在のように分散して13店舗が展開されるようになった.なぜ店名にヨドバシカメラと「カメラ」がつくのかと疑問に思う人もいるかもしれないが,そもそもがカメラ用品店からスタートしたからなのである.
ヨドバシカメラはその品揃えの多さから個人的に好きな店であり,今でも家電などの購入はヨドバシオンリーである.最近は,ネット通販のヨドバシ.comが便利であり,店舗とネットを併用して活用している.10%還元のゴールドポイントカードのシステムは家電量販店として初導入している.
将来的に今の新宿西口本店は大きく建て変わる予定となっている.かつて京王バスの高速バスターミナルが1階にあったMY新宿第2ビル(旧・安田生命第2ビル)は,現在ヨドバシカメラが所有しており(現在は地下や1階に店舗が入っている),取り壊して高層ビルを新築する予定となっている.そして複数の建物に分散している今の新宿西口本店を高層ビルに立て替え,MY新宿第2ビル跡地のビルと合わせて2棟構成の店舗になる予定だという.いまのアメーバーのような店舗展開も,もうじき見られなくなる.


分散している店舗を案内する看板.
とにかく色々とビルが分かれている.


かつての中央道方面の高速バスのりばはヨドバシカメラに.
将来的には新しいビルに生まれ変わる予定.
スマートフォン館


こちらは,誰もが見覚えのある景色かと思う.
北館・マルチメディア館


オープン当初からの本店はここ.
発車する高速バスを避けながら歩いていた.
東館


昔から販売しているカメラを扱うのはこちら.
カメラ総合館


携帯のアクセサリーを扱う店舗.
携帯アクセサリー館


旅行用品はこちらにおまかせ.
トラベル館


時計のことならこちらへ.
時計館


路地裏に展開する
プリント館・修理フィルム館


大人をターゲットとしたアダルトソフト売り場
入口も目立たずこっそりと,売り場も地下にひっそりと.
他にもゲームホビー館やガシャポン館などがある.

バスタ新宿(新宿高速バスターミナル)【東京考察#331】

Busta Shinjuku(Shinjuku Highway-Busterminal)

 


 これまで新宿駅の高速バス乗り場は事業者ごとにバラバラとなっていたものを,新宿駅新南口に人工地盤を設けて交通ターミナルとして集約したものがバスタ新宿である.2016(平成28)年4月4日にオープンした.2階は駅と歩行者エリア,3階はタクシー乗降場と高速バス降り場,4階は高速バス乗り場となっており,国道20号(甲州街道)の一部として位置づけられていることもあり,2階の一部と3階は国土交通省で管理されている.正式名称は「新宿南口交通ターミナル」というが,バスタ新宿よりもこちらの方がわかりやすい気もしないではない.地方都市の行き先案内表示に「バスタ新宿」と表示されてもピンと来ないが,「新宿駅南口交通ターミナル」と表示された方がピンとくるような気がする.構内に入ると各方面に出発する高速バスがずらりとならんでおり,これまでの狭くて雑然としていた旅のスタートが,すっきり快適な施設から旅立ちできるようになった.新宿駅南口エリアに新たな施設が誕生し,とどまることを知らない新宿のエネルギーを感じる.
過去に掲載していた新宿高速バスのりば関連のリンクはこちらから.No.114 新宿高速バスターミナル(京王バス)No.156 新宿高速バスターミナル(JRハイウェイバス)No.302 WILLERバスターミナル新宿西口(新宿住友ビル1階).これらの高速バスターミナルがバスタ新宿に集約された.

バスタ新宿は南の端の端!「新南口」にあるので,
JR新宿駅ホームからは延びた通路を歩いて新南口に向かう.
 
新南口の改札を出ると直結している.
 
2階(新南改札)は,歩行者エリア.
エスカレーターに乗ると3階へ.

2階にあるSuicaのペンギン像
待ち合わせにはいいかも.

こちらにもペンギンが.

4階,高速バス乗り場の入口
自動ドアをくぐるとフロアーとなる.
 
チケット売り場.
電光掲示板は空港のような感じである.

タブレットによる発車時刻等の案内コーナーもある
 
B4バスのりば
ロビーから直結しているのりば(B)と,
外に出るのりば(A,C,D)がある.

こちらは,いったん外にでるのりば(A).
 
4階点景.のりばには屋根がついているので雨に濡れることはない.

甲州街道から右折レーンを走ってバスタ新宿に入る.
 
3階にあるツーリストインフォメーションセンター東京
外国人観光客向けに着物姿で案内している.
 
3階,高速バス降り場とタクシー乗降場

甲州街道に面した車の出入口

新宿通りの歩行者天国(新宿地区)【東京考察#328】

Vehicle-free promenade of the Shinjuku Street


新宿通りの歩行者天国


 かつては都内各地で行われていた歩行者天国であるが,現在は,ここ新宿通りと銀座,秋葉原の3カ所を残すのみとなった.新宿通りでは,靖国通りとの交差点から新宿駅東口前を通り新宿2丁目まで,日曜・休日の4月~9月は12時~18時,10月~3月は12時~17時に実施されている.大道芸などの取り締まりが厳しくなったらしく,今はかつてほどの大道芸を見ることができなくなっている.

アルタ前

新宿駅東口前の広場

東口から新宿3丁目方面

人寄せ行為禁止の看板

紀伊国屋書店前

かつての三越新宿店はビックロに.

新宿3丁目といえば伊勢丹.

丸井もある

新宿3丁目交差点.ホコ天はこの先の2丁目まで続く.

日曜・休日の12時~18時(冬期は17時)が実施時間

消防博物館(四谷)【東京考察#315】

Firefighting Museum


消防博物館


 消防博物館は,江戸時代から現在までの消防に関する資料を展示している博物館で,東京消防庁の四谷消防署に併設されている施設である.1992(平成4)年12月に開館している.地下1階から地上10階までのうち8フロアーが立ち入ることのできる部分となっており,地下鉄丸ノ内線の四谷三丁目駅と地下で直結している.入館無料となっており,10階の展望休憩室には持ち込みによる飲食が可能となっているなど,小さな子供連れの家族にとって嬉しい施設である.土日祝日の午後1時45分から午後2時15分までの間には,館内を案内するガイドツアーを実施している.また,4言語の音声ガイドの貸し出しは随時行っている.開館時間は9時30分~17時まで.毎週月曜(祝日の場合は翌日)と年末年始は休館日.

新宿通りと外苑東通りの交わる四谷三丁目交差点前にある

地下鉄四谷三丁目駅に直結している.

入場は無料であるが,受付で入館証のバッチを受け取る.

まずは,ファイアー君がお出迎え.

そして,消防ヘリコプター.
消防車だけではなく,ヘリコプターも見られる.

地下1階は消防自動車の変遷.
東京に初めて消防ポンプ車が導入されたのが1917(大正6)年
大正から平成にかけて活躍した車が並んでいる.

トヨタの救急自動車

小さな子供の記念撮影用に椅子が置かれている.

地下にはミュージアムショップもある.
奥のドアが地下鉄への出入口.

いろいろな消防車に出会えて,小さな子供は大喜び.

10階には飲食物持ち込み可能な展望休憩室がある.

6階には企画展示室がある.
  
それぞれのフロアーで展示がされている

5階の屋外には,消防ヘリコプターが展示されている.
 
消防隊に変身!
防火衣を着て,消防車の運転席に乗って,記念撮影をすることができる.

隣は本物の四谷消防署.

WILLERバスターミナル新宿西口(新宿住友ビル1階)【東京考察#302】

WILLER bus terminal Shinjuku western exit (Shinjuku Sumitomo buil. 1F)


WILLERバスターミナル新宿西口


 路線バスの高速バスよりも格安の値段で提供されている高速バスとして,募集形企画旅行のツアーとして催行される高速ツアーバスが各地で運行されている.その催行会社の一つにWILLER
TRAVEL(ウィラートラベル)がある.全国100都市を70路線250便で結ぶ高速ツアーバスのネットワークを持っているが,今回,そのバス会社の東京のバスターミナルとして,2010(平成22)年4月,新宿住友ビル1階にオープンした.
路線バスの高速バスは運行を国に申請して運行されている(途中,渋滞しているからと言って走る道路を変更することが原則できない)のに対し,高速ツアーバスは旅行ツアーとして募集を行っているので国への運行申請などは必要なく,渋滞があったら別の道を走るなど臨機応変にバスを運行させることが可能であるが,駅前のバスターミナルなどに入ることができないため,貸し切りバス専用の駐車場や民間施設の駐車場などを借りて乗客の乗降をしなければならない点がある.この新宿西口バスターミナルも,超高層ビル街の新宿住友ビル1階をバス待合所のターミナルとして,2階にある正面バス駐車場から乗降して出発するようになっている.

中に入ると,チケットカウンターとチェックインカウンターがある.

売店もついている

カラフルなデザインの椅子

全国に高速ツアーバスは運行されている

乗車ゲートがA~Dまで4つに分かれている
  
バスに乗るときは,外を歩いて階段を登るか,
ビルの中のエスカレーターで2階の正面前駐車場に移動する.

バスは駐車場から出発

住友ビルの中空吹き抜け
別名三角ビルとも呼ばれている.
51階に無料展望台がある.

花園神社(新宿)【東京考察#297】

The Hanazono shrine ( Shinjuku )


花園神社境内

 


 花園神社は,内藤新宿と呼ばれていた宿場町の時代から,新宿の総鎮守として存在していた.敷地内では演劇などの催し物も開催され,伊勢丹や歌舞伎町などのアジア最大の歓楽街にある貴重なオープンスペースである.

靖国通り沿いにある入口

建物の間を歩いていく

烏や鳩を避けるためか,網が張られている

朱塗りの拝殿

ビルに囲まれている花園神社

貴重なオープンスペースである

元祖有名駅弁大会(京王百貨店)【東京考察#293】

The famous packed lunch for travelers rally ( Keio Department Store Co.,Ltd. )


京王百貨店の催事場


 全国の有名駅弁を集めて実演販売するイベントが,毎年冬に新宿の京王百貨店で行われている.このイベントは1966(昭和41)年に冬のお客様が集まらない時期の集客をねらって始まったもので,今年(2010年)で45回目を迎える.京王百貨店では最も集客力のあるイベントであるという.イベントのタイトルで「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」と記載されているとおり,駅弁のほかに全国の名産品を集めた特産品も合わせて販売されている.駅弁の種類は約200種類,期間中には約40万個の駅弁を売り上げるという(2009年).例年,実演販売の売り上げ1位は,北海道函館本線「森駅」の「いかめし(500円)」であり,約5万個を売り上げる.2010(平成22)年は,1月7日~19日まで実施され,営業時間は10時~20時(最終日は17時まで)となっている.

とにかく会場内はすごい人.

駅弁の販売.隣のブースで実演を行っている.

「女将さん奮戦記」と題して,料亭旅館の技とおもてなしの心が駅弁になったもの.
郡山駅の秘伝・豚肉の女将漬辨當を売っていた.

会場内.緑字の看板は全国特産品の表示

駅弁のグッズを売るコーナーもある.
いかめしTシャツもあった.

有名駅弁のチラシ

新宿テラスシティのイルミネーション2008(新宿駅南口)【東京考察#269】

The Shinjuku terrace city illuminations 2008 ( Shinjuku station southgate)


サザンテラスにあるイルミネーション


 新宿駅南口の新宿サザンテラスと,西口と南口とを結ぶモザイク通りにかけて,毎年恒例となったイルミネーションが新宿テラスシティイルミネーションである.2008年11月5日~12月25日までとなっているが,2009年2月15日まで延長している.青い色と基調としたイルミネーションで,モザイク通りのオーロラは一見の価値有り.
 
ミロード(モザイク通り)の入口は,
西口の京王百貨店と小田急百貨店の間にある.

モザイク通りのオーロラ

階段になっている通りの上に,青いオーロラが演出されている.
 
基調は「青色」

モザイク通りから南口サザンテラスへ.高島屋タイムズスクエア.

JR新宿駅サザンテラス口前のイルミネーション
高島屋はいつ見ても巨艦である.

幻想的な色合いである
  
クリスピードーナツ第1号店
かつては大行列であったが,今回は10分程度で買えた.

サザンテラス

高島屋側にもイルミネーションがある
 
デッキにイルミネーションが装飾されている

羽田空港行きリムジンバス(お薦め路線・新宿発)【東京考察#253】

The Haneda Airport going limousine bus

リムジンバス(羽田空港)

 


 リムジンバスは空港への送迎を行っている路線バスで,羽田空港と成田空港では「東京空港交通(株)」で事業を行っている.リムジンバスは,空港までの路線バスの他にも空港内のランプバスと呼ばれる,搭乗ゲートと飛行機との距離が離れているときの輸送も行っているので,オレンジ色のリムジンバスを空港内で見かけることもある.昔の羽田空港ではよく空港内でリムジンバスに乗ったものである.
そんなリムジンバスは,都内をはじめ首都圏各地から空港までのネットワークが思ったよりも充実していて,都心ではホテルに直結して空港までの輸送を行っている.現在は,定時運行を確保するために渋滞情報をキャッチして迂回ルートを選んで走行したり,現在の所要時間をインターネットや携帯電話を使ってリアルタイムに見ることができるので,かなり利用しやすくなっている.
リムジンバスは首都高速を走行して羽田空港へ向かうが,窓の外に過ぎ去る都内の景色は見ていて飽きない.特にお薦めなのが新宿駅西口から羽田空港に向かう路線である.新宿駅西口の乗り場は京王百貨店の1階にチケット売り場があって,羽田空港行きは横断歩道をヨドバシカメラ方面に渡った向かい側にある.都庁脇を通って助走区間の短い新宿ランプから首都高に乗ると,新宿の超高層ビル街・明治神宮・新宿御苑の緑・皇居のお堀・紀尾井町のホテルニューオータニや赤坂プリンスホテル・東京タワーなど,続々と東京の名所を眺めることができ,さらに芝浦ジャンクションからは11号台場線に入ってレインボーブリッジを渡る.東京のダイナミックなビル群を橋の上から振り返ることができる.お台場を通過し東京港13号海底トンネルを抜けて,東海道新幹線の車両基地・大井埠頭の物流基地が見えると終点羽田空港となる.新宿駅から羽田空港まで片道大人1200円,所要時間は45分程度,電車よりも料金は高いが,それほど乗客は混雑していないので,ちょっとした東京見物をするのにお薦めである.最後は羽田空港の飛行機を展望デッキで見学して締めくくれば,結構充実したものとなる.

新宿駅西口から羽田空港までのルート(新宿→浜崎橋JCT)

新宿駅西口から羽田空港までのルート(浜崎橋JCT→羽田)

レインボーブリッジから都心方面を眺める

屋上のモイスチャーミスト(小田急百貨店) 【東京考察#235】

The moisture mist at the rooftop ( Odakyu Department Store Co., Ltd. )


モイスチャーミストの機械


 今年(2007年)の夏は猛暑であった.日本各地で過去最高気温を更新していったが,そんな中で少しでも気温が涼しくなるような取り組みが見られる.その一つがこの「モイスチャーミスト」である.
モイスチャーミストとは直訳すると湿気の霧(モイスチャー=湿気,ミスト=霧)であるが,霧状の水であるミストと強力なファンの風を散布して,気化熱の作用により周囲の温度を下げる装置の名称で,2~3℃冷やすことができるという.さらに冬場は屋内の加湿装置としても利用できるので,冬でも有効活用ができる.近距離で手をかざすと濡れるが,離れれば霧が気化するので濡れなくてすみ,電気代も家庭用のエアコンと比べても電力が約20分の1ということで,環境にもやさしい装置である.今年はこの猛暑もあって全国各地で好評なため生産が追いつかないとのことであり,9月いっぱいまでは予約が難しいという.
小田急百貨店新宿店では9階の屋上広場に2007年9月30日まで設置している.その他,各地でも導入しているところがあるので,見つけたときは霧を浴びてみましょう.

屋上広場には4つの機械が設置され,
ミストが内向きに流されて,
その中の遊戯施設の空間が涼しくなっている

このように霧を吹き付ける
  

伊勢丹の(旧)紙袋 【東京考察#228】

Isetan Co., Ltd.’s paper bag (Old version)


伊勢丹の紙バック(タータンチェック柄)


 伊勢丹は1886(明治19)年に神田旅籠町に伊勢屋丹治呉服店を創業したのが始まりで,その後百貨店へと変化し,伊勢丹となったのは1930(昭和5)のことである.流行のファッションをリードするアイテム・品揃えと店員さんの質の高さには定評があり,人気のある老舗百貨店の一つである.高島屋,三越,伊勢丹,松屋などなど・・・老舗百貨店で買い物をすると,その店の紙バックがもらえるが,その中で私が最もお気に入りなのが伊勢丹の紙バックである.
ちまたでは「伊勢丹チェック」などとも呼ばれているタータンチェック柄であるが,正式にはマクミラン・アンシェント・クラン・タータン(MacMillan
Ancient Clan tartan)という柄で,この紙袋は黄色の紙に赤と緑の2色刷で印刷されているのだとか.
まず,色合いが好きである.黄色と赤という取り合わせが暖かみを出してくれる.また,メンズ館の紙バックは緑と群青に色合いが変化した紙バックで渡される.それから,手提げの部分が「ひも」になっているところも高級感があっていい.新宿の街を歩いていると,高島屋の花柄の紙バック,三越の白を基調とした中央に青と赤い色が入った紙バックとともに,伊勢丹の紙バックをもって百貨店をはしごしている人が多い.

大小並べてみました

この手提げ部分が紐状になっているのがいい

メンズ館の紙袋 この色合いも渋い
紙バックは,この柄の他にも,単色バージョンもあります.

クリスマスバージョン
(Christmas at Home)


包装紙はこちら


新宿伊勢丹(本店)の外観

都庁の展望台(西新宿) 【東京考察#227】

Tokyo Metropolitan Government’s observatory (shinjuku)


都庁を下から見上げる


 都庁は,平成3年に丸の内(現東京フォーラム敷地)から新宿副都心の現在の場所に移転したもので,都庁舎の竣工は平成3年3月,第一本庁舎,第二本庁舎,都議会議事堂からなっている.第一本庁舎の高さは243m(地上48階)で,しばらくの間は,かつて日本一だったサンシャイン60を抜いて日本一の高さだったのであるが,横浜のランドマークが完成してからは,日本一の座を明け渡して「都内一」の高さを誇っていた.ところが,六本木の東京ミッドタウンが完成してからは,都内一の座も明け渡すこととなったが,展望台への入場は無料ということもあり,高いところから手軽に東京を眺められるスポットとして,多くの人が訪れている.
展望室のあるところは第一本庁舎の45階,高さ202mである.第一本庁舎は,上層部にいくと北側と南側に分離されるようになっており,展望台も「北展望台」と「南展望台」の2カ所存在している.それぞれは展望室では行き来することができないので,1階の展望室行きエレベータに乗るときに北側に行くのか,南側に行くのかを選択しなければならない.
開館時間は,9時30分~23時までとなっており,夜遅くまで夜景を楽しむこともできる.ただ,17時30分以降オープンしているのは展望室フロアの一部でバーを営業している北展望室のみである.閉館日は火曜日であるが,南展望室と北展望室を交互に閉めているので,どちらかの展望室には入れるようになっている(点検日などの例外を除く).また,南展望室の一部をイベントなどの会場として、有料で利用することもできるようになっている.

展望室(45階)行き直通エレベータ
入口で荷物のチェックがある.このエレベータは結構遅い.
北展望台と南展望台では乗り場が違う.

銀座「博品館」のお土産ショップがある
 
無料で入れるのも魅力のひとつ

眼下には,首都東京の巨大な街並みが広がる
  
眺望三連発
 
展望室にはカフェ&バーがある
昼はカフェとして,夜はバーとして23時まで営業している
ピアノまで置いてあって,なんか本格的で役所的ではない

下りのエレベータに乗るのにも行列する

お土産屋に,王貞治や長島茂雄のブロマイドとともに石原裕次郎も置いてあった.
せっかくだから都知事石原慎太郎氏もあれば面白いのでは.
右に映っているジオラマ東京(鳥瞰図)は人気商品のひとつ


1階には「東京観光情報センター」があり,
国内外から東京を訪れる人のために
さまざまな種類の無料パンフレットが置かれている.

戸山公園(箱根山地区)【東京考察#204】

Toyama park (Hakoneyama area)


戸山公園の散策路


 戸山公園は,昭和29年に開園した面積約18万m2(両地区合計)の都立公園であり,明治通りを挟んで大久保地区と箱根山地区に分けられている.箱根山地区は,山手線内で最も標高の高い「箱根山」(標高44.6m)があり,ちょっとした登山(というほどの標高ではないが)を味わうことができる.江戸時代に尾張藩の徳川光友が東海道五十三次に似せてつくったという池泉回遊式の戸山荘庭園があり,その中心にあった築山が現在の箱根山となっているのである.
また,箱根山の麓は明治6年から終戦まで陸軍兵学校や軍医学校などの軍施設があったことでも有名で,戸山といえば陸軍というイメージを持つ年配の方も多い.その陸軍施設のひとつである「旧陸軍軍医学校防疫研究室」も設置されていた(現在は国立感染症研究所となっている)が,ここでは細菌兵器を造るための人体実験を行っていたらしく,1989年には頭と腰の人骨だけが不自然な形で約100体ほど発見され,過去の凄惨な歴史を感じる場所でもある.そんなことからなのか,心霊スポットとしても話題の多い公園である.
戸山公園へは,都バスだと池86系統の池袋駅東口-新宿追分-渋谷駅に乗車して大久保通り停留所で下車,地下鉄では都営大江戸線東新宿駅または東西線早稲田駅で下車が便利である.

公園そのものは不思議な形をしている
公園の周りは都営戸山ハイツアパートに囲まれている
つまり,戸山ハイツに囲まれたグルーピングの中に公園がある感じ
 
公園のようす.右の写真はいきいき広場

近くの早稲田大学の空手部は,
公園のスペースを使って練習「気合い!」を入れている

花を育てる「花の広場」

スポーツ広場ではキャッチボールなどをしている

せせらぎもある

「箱根山-陸軍戸山學校址」と刻まれている
 
箱根山頂上への登山口
といってもすぐに頂上となる

頂上からの景色
夏は葉が生い茂り,遠くは何も見えない

戸山教会の下階に残っている遺跡.
周囲には説明の看板など全く立っておらず,
樹木の茂みの中にひっそりと佇む様子はかえって不気味なのであるが,
これは,終戦まで使われていた陸軍戸山学校将校の集会所だったと伝えられている.
公のガイドブックなどではほとんど紹介されていない遺跡である.
 
周囲は都営戸山ハイツアパートで囲まれている
もともと「戸山ハイツ」と言えば,米軍の兵舎払い下げ資材で昭和24(1949)年に建てられた
約1000戸の都営木造アパートのことで団地開発の元祖ともいわれた.
今の都営アパートは昭和45年から鉄筋コンクリート造りに建て替えられたものである.

都心の団地商店街でもシャッター化が進んでいる

思い出横丁・やきとり横丁(新宿西口)【東京考察#203】

The remembrance alley and the grilled chicken alley (Shinjuku West)


思い出横丁入口


 新宿駅西口と青梅街道との間にJR線路際に広がる闇市的な雰囲気の飲食街が「思い出横丁」と「やきとり横丁」である.新宿西口商店街となっており約80店舗で構成されている.新宿ゴールデン街と雰囲気は似ているが,こちらの方はバーやスナック街というよりは,カウンターで定食などの定食とやきとりとビールでちょっと1杯といった感じの店が連なっている.新宿ゴールデン街といい,思い出横丁といい,戦後の新宿マーケットの闇市を彷彿させる雰囲気が十分残っている貴重な空間でもある.
いまだに再開発されなかったのは,この雰囲気の場所で営業を続けたいという店主の強い思いがあり,なかなかまとまらなかったという経緯がある.しかし,平成11年の火災をきっかけとして,店主たちの意見が賛成へと傾いていき,再開発ビルの準備組合の設立となり,この雰囲気を残した新たな計画が進められている.

狭い路地にはやきとりのにおいが漂っている
定食などを食べられる店もある

食堂では懐かしの味が味わえる
 
なんかビールが飲みたくなってきた!

トイレは共同のようで,
迷路のような路地を歩いてたどり着くことができる
 
やきとり横丁は,思い出横丁の隣りにあって
JR線路に沿って建ち並んでいる.
東口のアルタ前とつなぐ地下歩道ガード下への入口がある.

青梅街道の新大ガード西交差点にある入口
決して入りづらい雰囲気ではない

日が暮れるとこんな感じ

西口から出て青梅街道に歩いていくと
アーケードに案内看板が出ている.

昼の新宿ゴールデン街【東京考察#202】

Shinjuku Golden town at noon


新宿ゴールデン街


 戦後マーケットの露天街の雰囲気がそのまま残る飲屋街が新宿ゴールデン街である.新宿区役所と花園神社に挟まれた区域に存在している.昭和24年に,屋台による飲み屋街の移転命令を受けて現在の歌舞伎町1丁目に移ってきたのが始まりで,昭和33年の売春禁止法が制定されるまでは「青線」地帯として賑わっていた.その後,青線の廃止によって飲み屋やバーの連なる地域として再出発していき,昭和40年頃にゴールデン街という名称が生まれたという.全盛期には200軒程度あった店だが,今は150軒程度になっている.
一般的に新宿ゴールデン街と呼ばれている地域は,南側の新宿ゴールデン街商業組合による「新宿ゴールデン街」と,北側の新宿三光商店街振興組合による「花園街」から成り立っている.串刺しに6本の細い道路が走っており,4店程度が1つの建物となる長屋がびっしりと建ち並んでいる.かつては,やくざや暴力団が支配する怖い街・常連さんだけの飲屋街などといったイメージがあったが,最近は若い人が店を経営しているところもあり,世代交代も進んでいることもあって,少しずつ活気を取り戻している.作家や文化人と称する人々が常連として,議論を深めた場所でもある.
夜になると賑わうであろうこの地区の,まだ喧噪前の昼の様子をお届けする.

マップ.小さな店が軒を連ねている.
北側(青色色)が花園街.南側(赤色系)が新宿ゴールデン街.

こちらは花園街.見た目にはどちらも同じ雰囲気.
ただ,花園街の方が,長屋建物の長さが長く,
8店程度が1つの棟となっている.

東京でこのような狭い路地を見られる地域は
少なくなってきた.防災上は問題なんだろうが・・・.
 
これは,集中管理?している「火災受信所」
各店からの火災報知を一括して知らせるシステムらしい.

花園街の北端より撮影
隣りには,バブル期の地上げによって駐車場と化した空き地が広がる
 
靖国通りの交差点からは「四季の路」の遊歩道が整備されている.
ここはかつて都電の線路が走っていたところ.
昔は店の裏側で都電の走りゆく音が聞こえたのだろう.
ゴールデン街へはここから入っていくと行きやすい.

長屋と長屋の間にある路地
すれ違うのがやっとの幅である.

 

平和祈念展示資料館(新宿住友ビル)【東京考察#189】

The peace prayer display museum(Shinjuku Sumitomo building)


資料館の看板

 


 超高層ビル街の新宿住友ビル31階に,戦争体験の労苦を語り継ぐ場として「平和祈念展示資料館」が開設されている.独立行政法人平和祈念展示資料館が運営を行っており,第二次世界大戦による尊い戦争犠牲を銘記し,同時に永遠の平和を祈念するため,いわゆる恩給欠格者,戦後強制抑留者,引揚者の方々等の労苦について国民の理解を深めるために昭和63年に「平和祈念事業特別基金等に関する法律」に基づき設立された団体である.沖縄県の平和祈念資料館も同じ団体による資料館である.
展示内容は大きく分けて「導入部」・「恩給欠格者コーナー」・「戦後強制抑留コーナー」・「海外からの引揚げコーナー」・「語り継ぐ場」からなっている.入口を入ると,昭和元年からの年表が貼ってある導入部から始まり,現物の「招集赤紙」や「軍隊手帳」,「袖無しの防寒外套」,海外での収容生活の状況や引揚げの様子などがわかりやすく,そして生々しく展示してある.戦争が終わって60年が経過し,戦争体験を風化させないためにも語り継ぐ場として展示が行われている.入場は無料である.館内は撮影禁止だったので,外側の状況だけ掲載する.

住友ビル31階フロアー

住友三角ビル

 

新宿御苑【東京考察#182】

Shinjuku Gyoen National Garden


新宿御苑内


 新宿御苑の始まりは天正18(1590)年に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した時,譜代の家臣であった内藤清成に与えた江戸屋敷の一部である.その後,皇室の庭園となっていた時期を得て,戦後は厚生省(現在は環境庁)所管の公園として一般に開放されることになったものである.
広々とした庭園内は家族連れやカップルがひとときの緑の安らぎをもとめて散策しており,都心のなかのオープンスペースとして貴重な空間である.大きな一眼レフカメラを構えたアマチュアカメラマンの姿も見かける.ちょっと時間があるときに,新宿の喧噪から離れてぶらっと立ち寄ってみるのもよい.新宿御苑内では皇室の紋章として用いられている「菊」の栽培も行われ,毎年11月になると菊花壇展が行われている.

新宿御苑新宿門
現在入れるゲートは,「新宿門」「千駄ヶ谷門」「大木戸門」の3カ所のみ

入場は大人200円
さすがは環境省所管の公園,チケットは回収と再利用が可能な磁気式を用いている

広々とした芝生

茶室もある.700円で立札席の抹茶を楽しめる.

日本庭園の中にそびえ立つNTTドコモビル
日本文化とニューヨークのような高層ビルとのシンメトリーが面白い

美しく剪定・管理されている

浮遊植物で覆われた池

家族で・・・

プラタナス並木

歴史の古い温室

新宿高速バスターミナル(JRハイウェイバス)【東京考察#156】

Shinjuku high-way bus terminal (The JR highway bus)


JRバスの高速バスターミナルは
新南口の1階にある

 

 No.114では,中央高速道方面の京王バスの高速バスターミナルを紹介したが,JRハイウェイバスとは乗り場が違っている.今回は,JRバスの乗り場を紹介する.
新宿駅で昔からの景観が最も変化したエリアは「南口」である.かつては何もなかった(というか商業エリアではなかった)が,今では,ルミネも改装され,高島屋タイムズスクエアーがそびえ立ち,NTTドコモの先の尖ったビルディングが建ち,ここ10年で風景が一変した場所である.JRハイウェイバスもその「新南口」の1階に入り口が存在している.バスの乗降場所は,薄暗い高架橋の下に位置するので,外からはバスの姿を見ることができない.どこからバスが発車するのか,不安になってしまう入り口であるが,切符売り場の脇にある狭い通路を奥に歩いていくと,狭隘なバス乗り場となり,出発時間の10分前から乗車の手続きが始まる.この周辺は交通渋滞が激しいので,定時運行も大変だろうが,下り便は途中から乗ることができないので,すべて新宿駅から乗車して目的地に向かうのであるが(上り便は途中の王子駅や池袋駅で下車できる),都心を抜けるのだけで1時間もかかることもあり,下り便はちょっと辟易してしまうこともある.でも,なんといっても値段が安いのは大変魅力的である.「ニュー」のつく夜行高速バス「ニュードリーム号」は,新宿駅からの発着となっている夜行便である.
なお現在,新宿駅南口では,「新宿駅南口地区基盤整備事業」が国土交通省によって実施されており,この事業は人工岩盤によって土地を造り,その上に交通広場等の創出として,2階のJR駅施設,3階のタクシー・一般車乗降場とあわせて,4階に新宿駅を発着する全ての高速バスを集めたバスターミナル(乗降場)を整備する工事が行われている.


高島屋タイムズスクエアの手前に入口がある


チケット売り場の脇の通路を進むとバス待合室と乗り場となる


バス待合室


バス乗り場からは埼京線のホームが見える

新宿駅の点景【東京考察#146】

The staffage in Shinjuku Station


新宿駅西口

 


 新宿駅は乗降客数が約320万人と全国一の規模を誇っている.西口には超高層ビル街の新宿副都心があり,東口には最大の歓楽街歌舞伎町を控えている.中学高校と6年間,山手線から小田急線へと乗り換えて通学していた頃,帰りは必ず新宿の雑踏の中で遊ぶといった生活を送っていた.新宿は,渋谷のような若者の流行先端を行く発信基地というよりは,ちょっと陰のあるダークなイメージがつきまとう大人の街といった感じであり,そんなところも新宿を魅力的にしている部分であろう.そんな新宿駅の点景をどうぞ.


西口小田急百貨店前
昔もこのように笠をかぶって「チリンチリン」とならす修行僧(?)がいた.


西口から見た副都心


近年,外国人旅行者のためのインフォメーションセンターができた.
いつも外国からの観光客で賑わっている.
(係員は英語は勿論,中国語,ハングル語も堪能)
一民鉄の「小田急」が開設しているところが素晴らしい.
恐らく箱根のPRからスタートしたのかも知れないが・・.


どこだか分かりますか.


西口のJR改札前


最近は青色のダイオード掲示板もお目見えしている


JR切符売り場
最近はSuicaやイオカードの普及により,昔ほど行列はできなくなった.


西口改札 最近の自動改札はスリムで開放的になった.
これだけ開放的にしても飛び越える人が続出しないのは,日本の治安の良さか.


西口のロータリーの地下
昔からここは薄暗い


西口から東口,新宿3丁目へと続く地下道
ショップもオシャレになって並ぶようになった


東口.金曜の夕方などは人々でごった返しており凄い喧噪となる.


そう,東口といえば歌舞伎町.


東口の有料化粧室.昔からある.
完璧な有料であり,お金を入れないとドアが開かない.


東口改札


構内のコンコース.


土曜日の午後なので,空いている.


山手線ホーム
混雑時はこんなもんじゃありません.
JRで発車メロディーを最初に導入したのは新宿駅と渋谷駅.

新宿高速バスターミナル(京王バス)【東京考察#114】

Shinjuku high-way bus terminal (Keio Bus)

 


 新宿西口のヨドバシカメラ前には京王バスの中央高速バスのバスターミナルが存在する.甲府・松本・飯田・駒ヶ根・長野などといった中央高速方面のバスが頻繁に発着しており,ヨドバシカメラの「まぁーるい緑の山手線・・・・」という音楽とともに,次々とバスが発車していく.地方のバス会社と京王バスが共同運行することにより,地方のバス会社も都心への乗り入れが実現し,貴重なドル箱路線を維持している.なお,日本最長距離である福岡まで結ぶ路線(はかた号/京王バス・西日本鉄道)も,ここ新宿高速バスターミナルから発車している.この高速バスターミナルはかなり昔から存在しており,近年路線拡大を図ったJRバスの高速バスターミナルは高島屋タイムズスクエアに向かう途中の新南口ガード下にあるが,JRバスの方はこの京王バスのターミナルとは違い,狭い空間を無理矢理バスターミナルにした感のある乗り場となっている.JRバスの乗り場はNo.156へ.


駒ヶ根行き高速バス


チケット売り場
電光掲示板には空席情報も表示される


3番のりば


目の前は「ヨドバシカメラ本店」


背景は京王百貨店

阪神タイガースショップ(京王百貨店)【東京考察#113】

Hanshin Tigers shop(Keio Dept Store)

 


 2003年,絶好調の阪神タイガースである.6月末で2位に12.5ゲーム差をつけてぶっちぎりの首位.優勝も夢ではなくなりつつある.関東で唯一(阪神タイガースの公式サイトを見る限り,大阪以東では唯一であるように思う)の阪神タイガースショップが,新宿駅西口にある「京王百貨店」の7階にある.まだ,優勝もしていないというのに,売り上げがうなぎ登りであり,休日には売り場が混雑している.優勝したときにはどのようなことになるのか? 吉田タイガース以来,底辺を低迷していたタイガースであるが,今年は優勝に向け,今から楽しみである.


売り場は黄と黒のオンパレードといった感じ


「買い物かご」まで黄色にしているこだわりよう


思ったよりも売り場面積は広い

 
一番人気は,7回の攻撃の時に球場で放つ,
「ピュー」となる風船だとか.


レジには「最後尾」を示す看板までが・・・


京王百貨店の案内看板

新宿アルタ前【東京考察#103】

The Shinjuku ALTA (The Shinjuku station east gate)

 

 新宿アルタ前といえば,大ビジョンを観ながら待ち合わせを行う場所として定着しているが,つまりは新宿駅東口なのである.新宿アルタはファッションなどを扱うショッピングビルで1980年にオープンした.新宿アルタの他に,「池袋サンシャインシティアルタ」「札幌アルタ」「新潟アルタ」が存在する.そして,新宿アルタの最上階には「スタジオアルタ」があって,すっかりお馴染みの平日お昼のバラエティー「森田一義アワー・笑っていいとも」が生放送で行われている.新宿アルタの存在は,この「笑っていいとも」によって有名になったものであり,さらに特筆できることは,街頭におけるオオロラビジョンの先駆けとなった大画面を壁に掲げていることである.いまでは,渋谷や銀座や池袋など,どの繁華街でも観ることができるようになったが,ALTAに大画面ができた当時は,珍しいものであった.

 
アルタのオオロラビジョン


つまりは新宿駅東口


ミニライブができるステージもある
こんなに利用価値の高い駅前広場は他にない.


昔から変わらない風景として,
ずらっと並ぶ映画宣伝の大看板がある.
(現在はなくなっている)

 

神楽坂(料亭街の路地)【東京考察#97】

Kagurazaka(The alley of a Japanese-style cooking town)


神楽坂の商店街

 


 神楽坂の由来は,坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)で神楽を奏したから,津久戸明神が移ってきたときにこの坂で神楽を奏したから,若宮八幡の神楽が聞こえてきたからなど,いずれも神楽にちなんだ諸説からきている.明治から昭和初期にかけて,山の手でもっとも栄えた繁華街で,坂の上にある山の手七福神の一つ「毘沙門天(善国寺)」の縁日でにぎわったところである.人がすれ違うのがやっとの石畳の路地に連なる割烹料亭は,神楽坂の風情を最も醸し出している.しかし,料亭街はほんの一部で,神楽坂は居酒屋や飲食店,パチンコ屋,ゲームセンターなどが広がる賑やかな商業地域で,東京理科大や日本歯科大学,法政大学などが近くにあるため,若者のコンパなどでも賑わうところである.イメージよりも現代的な街である.


石畳の料亭街


石畳の料亭街


入口には明かりが灯されている


料亭街の路地


毘沙門天(善国寺)


これが路地の幅  街灯が奥へと続いている
建物と建物の間を縫うように入る
ボケッとしていると気がつかない路地である

 
ふつうの飲屋街もある


ゲーセンで太鼓を打つ外国人
外国人観光客の姿も目につく


これが今の神楽坂である


飯田橋駅から神楽坂へ
(外堀通り 神楽坂下から)

大隈通り商店街(早稲田大学裏)【東京考察#94】

Okuma-dori Shopping center (Waseda University side)

 


 大隈重信は早稲田大学の創始者である.早稲田大学の裏にその名が付けられている商店街がある.その名も「大隈通り商店街」.いかにも学生街らしい商店街であり,オシャレで近代的というよりは,ゲタとたばこがよく似合うようなところである.都電荒川線で早稲田大学に行くときは,この商店街を通って正門まで行くことになる.食堂などもあって早稲田大学生にとってはちょっとした生活の場でもある.


これは「焼肉屋」 韓国系料理の店も多い


やっぱり「雀荘」は外せない 全卓全自動である


弁当屋には列ができる


大隈通り商店街の通り

 
珍しい飲食店もある


大隈講堂


大隈重信の銅像(大学構内)

大久保アジアエスニックタウン(韓国人街)【東京考察#89】

The Asia ethnic minority town at Okubo(Korean town)

 


 2002年夏の日韓共催によるワールドカップは盛り上がった.最も暑く燃えていた地区のひとつに,ここが挙げられるだろう.エスニックとは少数民族という意味であるが,大久保・新大久保駅から職安通りにかけての大久保・百人町には,中国や東南アジア,韓国出身の人々が多く住んでいる.
この周辺には,日本語学校が集中していることと,家賃の安い木賃アパートが多く残っていることから,少しでも経済的に安く済ませようとする外国人に受け入れられていった.新宿という大都市が近くに存在していることも大きな魅力のひとつであろう.目立って多く居住するようになったのは,バブル絶頂期における労働力不足が背景にあった1980年あたりからである.
近年は職安通り付近の地価が上昇し,職安通り周辺は裕福な韓国人による韓国料理店などの出店が多く見られるようになった.そのため,石焼きビビンバやチジミ,冷麺など本場の韓国料理を味わうことができる.一方,大久保駅から新大久保駅にかけての大久保通り周辺では,インドネシアやベトナム,タイ,中国などのアジア各国の料理も味わうことができ,ここにくると「アジアの中のニッポン」を十分感じることができる.
韓国から日本へやってくる旅行者は,この街に立ち寄って情報を得たり,異国への不安を取り除いているのではないだろうか.


ハングルの旗が立つ職安通り


無料の情報誌 住まいの情報等


中国語やハングルの看板が多い大久保通り


ホテル入口 看板もハングル


中国アジア食品館


インターネットカフェの垂れ幕


「南大門市場」という名のスーパー


パチンコ屋の宣伝看板もハングル


本場の韓国料理が味わえる

 
専門学校などの文教施設が多くある一方で,
隣にはラブホテル街も存在する.
防犯抑止効果のチラシには,ハングルと中国語が併記されている.

 

新宿・歌舞伎町【東京考察#88】

The Shinjuku kabuki-cho town


靖国通りから見た歌舞伎町のビル
看板の色彩が派手なところ
いかにも繁華街である.

 


 歌舞伎町は日本最大の歓楽街と言っていいだろう.そこは「不夜城」という言葉がよく似合う.昼も夜も人々が溢れ,非日常を味わうために人々が交錯している.光と影,明と闇,都市の明るい賑やかさを持つ反面,都市の不気味な闇も併せ持つ地区である.
歌舞伎町の歴史はそれほど古くはない.戦災によって移転した府立第5女子高校の跡地にスケートリンク(現ボーリング場),オデヨン座,新宿劇場,グランドオデヨン座,東宝コマ劇場,ゲームセンターなどができたのが昭和25(1950)年であり,そのときが今の歌舞伎町のはじまりといっていい.それまでは新宿追分あたり(伊勢丹周辺の新宿2~3丁目付近)が新宿の繁華街だった.「歌舞伎町」の由来は大戦後の復興計画の際に銀座や浅草のような庶民の娯楽の場として歌舞伎劇場などの建設を意図していたことによるという.今となっては,浅草や銀座を凌ぐアジア最大の歓楽街と言われるまでになっている歌舞伎町であり,劇場,映画館,ボーリング場,喫茶店,ファーストフード,居酒屋,風俗店,サウナ,ゲーセン,パチンコ・パチスロなど,なんでもできる歓楽街である.

 
とにかく看板が派手で賑やか.


コマ劇場 細川たかしや吉幾三など演歌ショーも見れる


映画館とボーリング場と・・・
コマ劇場の前にはビルで囲まれた広場がある
夜になると大変な賑わいの場所となり・・・
深夜になると物騒な歌舞伎町となり・・・


風俗もたくさん・・・・

 
監視カメラが分かりますか?
歌舞伎町には50箇所にもわたって監視カメラが取り付けられており,
犯罪防止ということで,道行く人々はいたるところから監視されている


近くの大久保公園には,
防犯上なのか出入り口に扉がついており,
夜間は閉鎖される.


歌舞伎町から見た新宿副都心
サラリーマンたちは,昼は西新宿で,夜は歌舞伎町で・・・・


この中にもカメラがあります.さて,どこでしょう.(答えは一番下)



カメラの位置の解答:「歌舞伎町一番街」という白い看板の「町」の字のすぐ下

サザンライツ(新宿駅南口のイルミネーション)【東京考察#66】

Christmas illuminations (at the Shinjuku station southern entrance)


 クリスマスから年末にかけて,新宿駅南口に新しい話題のスポットが誕生しようとしている.東京駅丸の内で毎年開催されている「東京ミレナリオ」に対抗するかのように,高島屋と小田急とJR東日本の共催によって,美しいイルミネーションが展開されている.
新宿駅南口は,ここ十年余りの間に,タイムズスクエアーのオープンとともに,がらりと雰囲気を変えたところで,新宿における人々の流れを大きく変えた地域である.ここは人工の地盤を設けて土地のスペースを確保しており,限りある都市空間の限界に挑戦しているような趣さえある.時間になると,タイムズスクエアーのビルの壁面にレーザー光線によるショーが映し出され,新宿の衰えるところを知らないパワーを感じる.


代々木のNTTドコモのビル
NYのエンパイヤーステートビルを連想させる


豪華客船のようなタイムズスクエアの建物
高島屋・東急ハンズなどがテナントに入る


電球の配置が見事に理路整然と配されている

四97 品川車庫⇔新宿駅西口[都バスで東京発見]

品川・高輪・天現寺・広尾・西麻布・青山・新宿を結ぶお洒落路線

品97 品川車庫⇔新宿駅西口(経由)広尾橋・信濃町駅 品川・新宿営業所

路線keyword:青山墓地,赤坂御所,神宮外苑,外苑東通り,新宿・歌舞伎町,西麻布


平成12年12月の都営大江戸線の開通による路線改変によって、四97から品97となり、路線区間が四谷駅から新宿駅西口へと変更した。都03と田70系統を補う形となったのだろう。
都営北品川アパートの1階に品川車庫がある。品川車庫を出発すると、坂を上り八ツ山橋でJR線を越え、踏切で京浜急行の線路を通過する。京浜急行の線路はこの付近でカーブしており、さらに終着品川駅へ近いことから電車のスピードが出せず、踏切が閉まってから電車が通過し終わるまで時間がかかる踏切である。第一京浜の8車線もある広い通りを快走すると、左手に品川プリンスホテル、ホテルパシフィック東京の高層ビルが現れて賑やかになり、品川駅前となる。
ホテルパシフィック前を離れ、浅野家の菩提寺で浅野内匠頭や赤穂浪士47士の墓がある泉岳寺にてバスは左折し、坂とカーブの続く2車線道路を桜田通り目指して走る。周辺は高輪の高級住宅街である。魚藍坂を下って、魚らん坂下より北上し、古川橋となる。
古川橋より左折して明治通りに入る。古川橋交差点は明治通りの起点である。バスは古川とその川に沿って建設されている首都高速の高架橋を左に見ながら走っていく。四ノ橋を過ぎて、天現寺橋となる。この辺りの「○○橋」という地名は全て古川に架けられている橋の名前である。
天現寺にてバスは右折し、左手に都営広尾五丁目アパートを眺めると、テナントとして明治屋の入る広尾プラザ前(地下鉄広尾駅前)の広尾橋停留所となる。ここは付近に各国大使館があることから外国人を多く見かけるお洒落でハイセンスな店の連なる地域でもある。
男性ダンサーのストリップで話題となった「東京J’mens」を左に見て西麻布となる。六本木通り・首都高速と交差し、左手に青山墓地が見えてくると墓地下停留所となる。しばらくは墓石の続く車窓となる。お墓と道路はフェンスの柵で区切られているので、車から墓地が丸見えとなる。続いて青山斎場となり、墓地は赤坂高校停留所まで続く。西麻布から広尾にかけてはお洒落なオープンカフェやブティックなどが建ち並ぶ。外国人の乗客もちらほら乗ってくる。みんなお金持ちに見える。
カーブを過ぎると青山一丁目となって青山通りを横切る。再びカーブが続いて、右手に赤坂御所の森、左手に神宮外苑の森が現れて、緑の茂る空間をバスは走り抜けると、JR線信濃町駅前となる。左手に慶應義塾大学病院が見える。
バスは北に進み、四谷三丁目にて新宿通りへ右折する。四谷三丁目交差点の左前方には消防博物館の併設された四谷消防署があり、その屋上には真っ赤なヘリコプターが出動を待っている。
かつては、新宿通りを東へ進み、右手に上智大学と土塁の堤が見えると、終点四谷駅に到着していたが、地下鉄大江戸線の開通により新宿駅西口へと路線経路の変更が行われた。都03系統の新宿駅西口-晴海埠頭間が四谷駅-晴海埠頭間に短縮され、田70系統の新宿駅西口-港区スポーツセンター間の廃止を補う形となった。
新宿通りを左に曲がって西に進み、新宿御苑、新宿2丁目を通り越し、伊勢丹前で明治通りと交差する。ここから先は平日と土日でルートが異なり、平日はまっすぐ新宿通りをすすみ、紀伊国屋書店前やアルタ前を通ってJR大ガードをくぐる。土日は、靖国通りへ回って歌舞伎町を通りJR大ガードをくぐって西口に向かう。どちらにしても、道路渋滞の激しい所を走っていく。

四92 品川車庫⇔四谷見附(四谷駅)[都バスで東京発見]

品川・高輪・麻布十番・虎ノ門・赤坂見附・四谷と南北に結ぶ路線

四92 品川車庫⇔四谷見附(四谷駅)(経由)一ノ橋・虎ノ門 品川営業所

路線keyword:麻布十番,虎ノ門,赤坂見附,一流ホテル,迎賓館,東京タワー,ビジネス街


品川車庫から四谷駅(四谷見附)までの路線は、天現寺・青山を経由する四97系統と、麻布・虎ノ門・赤坂を経由するこの四92系統の2つが存在する。地下鉄の便の悪い地区を縦(南北)に結ぶ路線であり、平日の日中はビジネス客も利用する路線である。
都営北品川アパートの1階に品川車庫がある。品川車庫を出発すると、坂を上り八ツ山橋でJR線を越え、踏切で京浜急行の線路を通過する。京浜急行の線路はこの付近でカーブしており、さらに終着品川駅へ近いことから電車のスピードが出せず、踏切が閉まってから電車が通過し終わるまで時間がかかる踏切である。第一京浜の8車線もある広い通りを快走すると、左手に品川プリンスホテル、ホテルパシフィック東京の高層ビルが現れて賑やかになり、品川駅前となる。
ホテルパシフィック前を離れ、浅野家の菩提寺で浅野内匠頭や赤穂浪士47士の墓がある泉岳寺にてバスは左折し、坂とカーブの続く2車線道路を桜田通り目指して走る。周辺は高輪の高級住宅街である。魚藍坂を下って、魚らん坂下より北上し、古川橋、三ノ橋、二ノ橋、そして一ノ橋の麻布十番となる。桜田通りでは現在、営団地下鉄南北線の麻布駅(仮称)工事が行われている。
バスは一ノ橋で右折し、中の橋を通って右に共生会中央病院を見て赤羽橋を左折、国道1号・桜田通りに入る。右手に東京のランドマーク・東京タワーが目の前に現れる。右の窓側に座って首をひねり上げないと東京タワーの先端を見ることができない。馬の鞍のような地形となっている飯倉交差点を山型に通過し、営団地下鉄日比谷線神谷町駅前となる。
この辺りから番号の振られた「森ビル」が多くなり、オフィス業務ビルが建ち並ぶ景観が続く。虎ノ門三丁目交差点では、右手にサムライ美術専門店を開く日本刀剣の専門店が現れる。車内から見ることはできないが、左手奥には各国の来賓が宿泊するホテルオークラが存在する。そして、虎ノ門交差点となり、バスは左折し外堀通りに入る。直進すれば官庁街・霞ヶ関になる。
文部省、霞ヶ関ビル、特許庁を右に見て、溜池交差点を通過する。右手奥は首相官邸である。火災によって閉鎖していたホテルニュージャパンの煤けた建物がかつては建っていた跡地を右手に見ると、赤坂東急プラザ(ホテル)が現れて、赤坂見附となる。右手には陸橋・高速道路の高架橋ごしに赤坂プリンスホテルの高層ビルが見え、続いてビル上部が円形となっているホテルニューオータニの本館・新館の高層ビルが江戸城の外堀・弁慶濠ごしに現れる。
ここからは喧噪としたビル群がなくなり、周辺の雰囲気ががらりと変わる。左手には迎賓館(赤坂御所)の森が現れ、右手に外堀の土塁と上智大学敷地内の聖イグナチオ教会の十字架を見て四谷見附交差点となり、まもなく終点四谷駅の停留所に到着する。

平成12年12月、大江戸線の開通により、反96系統と統合され、短縮された。

宿91 駒沢陸橋-新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿から東高円寺を通り、環七で駒沢までを結ぶ路線

宿91 駒沢陸橋⇔新宿駅西口(経由)新代田駅・東高円寺駅 杉並営業所

路線keyword:新宿副都心,青梅街道,環七通り,駒沢


新宿から東急王国の世田谷区駒沢までの都バスがあったのか、と思わせるような路線である。かつては大森駅まで走っていたのであるが、環七の道路渋滞が激しいためか、区間が短縮された。
新宿から高円寺陸橋までは青梅街道を王78系統と同じルートで走る。
高円寺陸橋で左に曲がり、あとはひたすら環七通りを南下するのみである。
丸の内線の方南町駅を過ぎ、甲州街道や首都高速と交差し、代田橋を過ぎて新代田駅となる。ここに東急バスの操車場があり、大森駅行きのバスが出ている。小田急線の下をくぐり、都内で2カ所だけになったチンチン電車・東急世田谷線と交差して若林となる。上馬、野沢と過ぎ、駒沢通りとの交差点に駒沢陸橋があり終点となる。青梅街道と環七通りしか走らないので、車窓の変化に乏しい路線である。