「多摩地区」タグアーカイブ

多摩動物公園(日野市)【東京考察#340】

Tama Zoological Park(Hino City)


多摩動物公園の正門にある象の像

多摩動物公園は1958(昭和33)年に開園した意外と歴史のある都立動物園である.動物の自由な姿を見せるというコンセプトに基づいて,できる限り柵を使わない(というか狭い檻に入っていない.人との境に柵はある.)展示をしているのが特徴で,とにかく園内は広い.面積は約60ha,上野動物園の4倍,東京ドーム12個分の広さ.上野動物園(1882(明治15)年開園)の分園という形でオープンした.園内は広いだけではなく 多摩丘陵の中にあるため坂も多い.そのため,園内を周遊する無料マイクロバスが運行されており,坂の上までバスで移動して園内を下りながら見て回ることも可能である.動物の種類も多く,昆虫を展示した昆虫館も存在する.ライオンをバスの車内から間近に見られるライオンバスの運行は日本初だとか(2017年1月現在運行休止中).動物の種類も多く,全ての展示を見て回るには丸1日は必要である(小さな子供がいる場合は全て見るのはとても無理).子供に限らず,動物好きな人にとっては満足度の高い動物園である.入園料大人600円,中学生200円,小学生以下無料.開演時間9:30~17:00.水曜日と年末年始は休園日.5月4日,5月5日,10月1日は無料開放日.


とにかく広々とした園内
歩きやすい靴で来園することをお勧めする


ライオンがお出迎え


ベビーカーが有料(500円)で借りられる


子供が迷子になったときのために
名前や連絡先を記載して背中等に貼る迷子札(シール)がもらえる


正門からはいって左側にあるウォッチングセンター
案内所や救護室,カフェ,コインロッカーなどがある


園内は広くて坂が多いため,
荷物はコインロッカーに入れた方が良い.
100円~と料金も良心的.


園内を周遊する無料バス.
観覧バスではないので1周することはできない.
高齢者,妊婦,乳幼児優先.料金は無料.
10分間隔で運行している.



イノシシ.寝ている.


マレーバク.広々としたところを歩く.


どんぐり広場では,動物と触れ合えるイベントが行われる.


園内は,アフリカ園・アジア園・オーストラリア園・昆虫園に
エリアが分けられていて,案内板が建てられている.



昆虫園にあるバッタ.でかい!


冬なのに生きたバッタが触れる!


ハキリアリの展示.小さい点は全てアリ.


水生昆虫の展示


人気のヘラクレスオオカブトさなぎ


カブトムシの幼虫


いろいろな昆虫.虫が嫌いな人は昆虫園はパスを!


昆虫生態園
中は非常に暖かく,写真ではわからないが
すごく沢山の蝶蝶が飛んでいる.バッタもいた.


卵から5令幼虫までを各段階ごとに展示されている.
もちろん全て本物,いきているバッタが見られる.



日本で初めてライオンバスを運行したのは多摩動物園.
現在は建物の耐震工事中のため運行されていない(2017年1月現在).
のびのびと広い園内で飼われている.


キリン,シマウマ,オリックス


アフリカ象


園内にはテーブルとベンチが多く配置されており,
弁当持参で入園することも可能.


我々は,カレーライスとパンケーキで昼食.



アカカンガルー.だらけ過ぎている「ごろ寝」.
ここに来るとみんな笑いながら「シャキッとしろ!」といった声が聞かれる.


コアラ館の下にある無料休憩所.
売店がある.軽食もとれる.


コアラはお昼寝中.


こちらはアジア象.
平成31年に新たな舎ができあがる予定で工事中.


人気のオラウータン.冬はスカイウォークはお休み.


ユキヒョウ,ターキン


動物慰霊碑


オオカミ


ムフロン.牛の仲間なので角は抜けないのだとか.


帰りにはギフトショップでお買い物.
まだまだ紹介しきれない多摩動物公園である.
4時間滞在していたが,全ての動物を見ることはできなかった.
ホームページから園内マップを印刷して,
事前に見たい動物にターゲットを絞ってから回るとよい.

小金井周辺の玉川上水(中流部)【東京考察#237】

Tamagawa-josui in Koganei

都立小金井公園の南側の五日市街道に沿って流れている


 玉川上水は,1653(承応2)年に羽村から四谷大木戸まで約43kmを開削によって上水路工事を行い,江戸時代に江戸市中へ上水を通水したものである.四谷から先は木樋などで地下水道となっていたが,その後の新田開発によって分水路が開削されるようになり,武蔵野の農地へも水を供給するようになっていた.
現在の玉川上水は3つの区間に分けることができ,現役の導水路として東村山浄水場へ導水を行っている羽村(羽村市)~小平監視所(立川市)間の約12kmの上流部,淀橋浄水場の廃止によって導水路としての役割は行っていないが,下水道の高度二次処理水を流して清流復活を行っている小平監視所(立川市)~浅間橋(杉並区)間の約18kmの中流部,そして,暗渠や公園などとなっている浅間橋(杉並区)~大木戸(新宿区)間の約13kmの下流部の3つである.
ここでは,小金井市の都立小金井公園付近の玉川上水中流部の風景をお送りする.

五日市街道に沿って流れる玉川上水
水路に沿って,桜などの樹木が植えられて,
グリーンベルトとなっている.
玉川上水を挟んで上下の車線が別れている.

橋の下に玉川上水がある

鯉がたくさん泳いでいた

夏は周辺の木々が生い茂っており,
水路を遠くまで見通すことはできない.

水路に沿って遊歩道が整備されている

羽村から浅間橋まで,橋のマップが作られている
 
玉川上水は,東京の歴史的遺産である

江戸東京たてもの園(小金井市)【東京考察#236】

Edo Tokyo old building Garden


ビジターセンターの旧光華殿


 江戸東京たてもの園は,両国にある江戸東京博物館の分館として,1993(平成5)年に小金井市の都立小金井公園内に建設された博物館で,江戸から昭和に渡って現存した歴史的建造物を移築し展示しているものである.この江戸東京たてもの園ができる前までは,武蔵野郷土館とよばれる武蔵野の生い立ちをテーマにした博物館が存在していた.現在27の復元建造物が展示されており,それぞれの建築物は中に入ることができるので,昔の建物内部の空間を感じることができて楽しい.じっくり見て回るには半日かかる博物館である.建物に入るときは靴を脱ぐので,くつ紐のない靴を履いてくることがお薦めである.
アクセスはJR中央線の武蔵小金井駅またはJR東小金井駅から100円循環CoCoバスに乗っていくと便利である.観覧料は大人400円,9時30分から17時30分(冬期は16時30分)まで.
 
【田園調布の家(大川邸)】
田園調布に建てられた住宅.
田園調布といえば田園都市株式会社(現在の東急電鉄)の
民間ディベロッパーによって開発された超高級住宅街である.
 
【小出邸】
文京区西片にあった住宅
木のお風呂が渋い!
 
建物内部へは玄関から靴を脱いで入れる.
玄関には靴べらがおいてある.
くつ紐のある靴だと何回も非常に面倒なので,
観覧中は紐を緩めて歩いていた.
 
【常盤台写真館】
東武東上線の常盤台駅前に広がっていた住宅地にあった写真館
館内には東武鉄道の常盤台宅地開発に関する古地図もある.
移築復元された建物とはいえ,バリアフリーに対応するためにエレベータがつけられている.
車いすでも安心して見学ができる博物館である.

【綱島家 (農家)】
世田谷区岡本に江戸時代にあった建物
 
建物を忠実に保存するため,囲炉裏やかまどには定期的に本物の火が入れられる.

段差はすべてバリアフリー対応である
 
【高橋是清邸】
1階には喫茶のできる休みどころがある.
↓<注文の仕方>↓
机にあるメニューを見て注文品が決まったら,部屋の隅にある内線電話で
テーブル番号と注文の品を伝えると運ばれてくる.半セルフ式

戸のガラスも明治時代に造られたもので,
よく見ると均一ではなく歪みが見える(写真ではわからない)
 
【都電7500型】
動きはしないが,車内には電気が通っていて扇風機も回っている

下町の風情が感じられる東ゾーン
正面は子宝湯
  
左から,醤油店,文具店,居酒屋
 
【銭湯 子宝湯】
足立区千住元町にあった銭湯
こういう銭湯はかつて都内にたくさんあった.熱い湯船のお風呂だった

味の素スタジアム【東京考察#154】

The Ajinomoto Co., Inc. stadium(The football watching)


やっぱりスポーツ観戦はライブに限る
味の素スタジアム


 かつては「東京スタジアム」と呼ばれていたが,味の素がスポンサーとなることでスタジアム名に「味の素」の名を付けるネーミング・ライツという制度を日本で初めて導入したスタジアムである.運営・管理は,現在も(株)東京スタジアムが行っている.
平成13(2001)年3月オープンの5万人収容の新しいスタジアムで,第1種公認陸上競技場に準拠して造られている.様々な経緯があって,現在はJリーグサッカーのFC東京の本拠地となっている.そんな,FC東京の親善試合の様子をどうぞ.


スタジアム正面


ぞくぞくと観客が入る


ペットボトルは紙コップに移し替えなければならない


入口ではカバンの中身をチェックさせられる


指定席のブロックごとに,さらにチケットのチェックがある


スタジアム内の通路


スタジアム
サッカー専用ではなく,陸上競技用に造られている


観客席


選手の紹介が始まると

サポーターの声援が響き渡る
FC東京の応援歌に「東京ラプソディー」を歌うものがあった.
「はーなーのみやこー,みやこー
こーいーのみやこー,みやこー
ゆーめーのパラダイスよ,花のと~きょー」
という具合に.お年寄りでも大丈夫である.


選手入場


オレンジのラインを境に,左がFC東京側の応援席
色の違いが分かりますか?


休憩時間になると売店には列ができる
が,東京ドームなどと比べると数が少ないような気がする.


記者がカメラを構えている


ナイターの模様

井の頭公園【東京考察#121】

Inokashira Park 


井の頭池


 井の頭公園は正式には「井の頭恩賜公園」といい,1917(大正6)年に開園した380,000m2の都立公園で,徳川歴代将軍が鷹狩りをした場所でもある.井の頭池とその周辺,雑木林と自然文化園のある御殿山,運動施設やジブリ美術館のある西園,東南にある第二公園の4つから成り立っている.また,中央に存在する井の頭池は江戸に初めてひかれた水道の水源であり,明治31年まで重要な役割を果たしていた.「井の頭」の命名者は,3代将軍家光といわれているが,その由来は「上水道の水源」「このうえなくうまい水を出す井戸」という説がある.井の頭池は神田川の源となっている.
ちなみに「恩賜」とは,天皇主君から賜ることとなっている.つまり,天皇から賜ってできた公園ということである.


木々の葉が落ちて,冬が到来する.


野外音楽堂もある
ここを活動拠点にしているバンドもある.


名物!?「井の頭だんご」

 
井の頭池のボート
このボートは恋人と乗ると必ず別れるという噂があり,
あまりカップルは乗っていない.


楽しい大道芸人の周りには人だかりが出来ていた

 
ここが「神田川」の始まり
これから柳橋(隅田川)まで神田川の旅は続く・・・・


井の頭池

ジョージの魅力(吉祥寺)【東京考察#120】

The attractiveness of “George” (Kichijgeorge)


吉祥寺駅前

 


 若者は吉祥寺を「ジョージ」と呼ぶ.吉祥寺は武蔵野市に位置しており,新宿と八王子の中間に位置する商業エリアである.駅前には,伊勢丹にパルコに東急百貨店と一流百貨店が建ち並び,サンロードのアーケード街を中心としたショッピングゾーンが展開されている.さらに,日本ではあまり見ることが出来なくなった狭隘な道路に建ち並ぶ商店エリアも残っており,エキゾチックな側面も見ることができる.コンパクトにまとまっていて,ぶらっと立ち寄るのにはおもしろい街である.
さて,吉祥寺と地名がついているので,近くに吉祥寺があるかというと,そうではないらしい.吉祥寺は水道橋にあったものが大火で駒込に移ったもので,現在も駒込病院の裏に存在している.では,なぜここが吉祥寺に???


 
駅正面のサンロード入り口.アーケードの工事中であった.


ダイヤ街

 
伊勢丹付近


ヒューマンスケールの街が魅力の一つ


駅南口エリア(井の頭公園側)


駅前(北口)に広がる狭隘な商店街


アジアチックで路地裏的な地区である
すれ違うのがやっと.


なかなかいい感じ・・・


焼き鳥が似合う

 
夜になると賑わうのだろう.
右は洗い場.なんか懐かしい感じ.

少しは”ジョージ”の魅力が感じられましたか?

奥多摩,そして多摩源流(東京の水源地)【東京考察#57】

The origin at the Tama river (source of a Water service in Tokyo)


JR青梅線奥多摩駅
ここまでくると終着駅という感じがする
★東京都西多摩郡奥多摩町★

 


 奥多摩を訪れると「ここも東京都なのかぁ」と思わせるほどの大自然が広がっている.多摩川の源流域であり,ハイキングやキャンプ場として,老若男女を問わず人気のあるところとなっている.さらに,東京都民の水瓶である小河内ダム(奥多摩湖)を抱え,東京都民の水源地として重要な役割を担っている地域でもある.

超高層ビルの林立する新宿から中央線の赤い通勤電車に乗り込み,立川へと向かう.びっしりと建ち並んだ家々を高架橋上から眺め,西へ西へと走っていく.立川,青梅でそれぞれ乗り換えて,最後は4両編成の奥多摩行きに乗り込んだ.奥多摩に近づくに従って,リュックを背負った家族連れ,老夫婦,キャンプセットを担ぐ若者などの割合が多くなり,車窓も段々と山々が現れるようになってくる,
御岳駅からはいよいよ奥多摩らしくなってくる.屹立した山の中をキーキー車輪をきしませながら走るようになり,さながら渓谷鉄道の様相を呈する.通勤電車のロングシートでは,大人も車内に背を向けて車窓の景色に釘付けとなる.そして,トンネルを抜けると終着駅奥多摩となる.



JR奥多摩駅前


駅前からは各方面へバスが出ている.日原鍾乳洞,奥多摩湖,丹波,小菅へと,さらに奥地へ歩を進めることができる.どこへ行くか決めていなかったが,多摩源流の小菅村に「小菅の湯」という日帰り入浴施設があるとのことで,帰りのバス便を確認してから,小菅行きのバスに乗り込んだ.小菅までは西東京バスによって1日に5往復運転されており,さらに小菅の湯に行くには途中の金風呂か田元橋で接続する村営バスに乗り換えて行けばよいとのことであった.
小菅村は多摩川の源流域であり,かつての裏甲州街道(青梅街道)であった大菩薩峠への登山口でもある.大菩薩峠が多摩川水系と富士川水系との分水嶺となっている.分水嶺や尾根の入り方,バスの路線などから考えると,小菅村と丹波山村は東京都に属していそうなのであるが,そうではなく実は山梨県となっている.氷川(現奥多摩駅)との交通がよくなったのは大正時代における改修,昭和になってからの小河内ダム建設に伴う補償としての道路改修により車が通行できやすくなってからであり,それ以前の交易は塩山から大菩薩道を通って行われていた.現在,山梨県側の上野原や塩山方面への路線バスは走っておらず,全て東京都側の奥多摩駅からの便となっているが,行政上は山梨県なので,車のないお年寄りや学生にとっては,なにかと不便ではないかと思ったりもする.高校生は上野原へスクールバスで通っているという.
夏休み中ということもあって,立客がでるほどの客を乗せ,バスは発車した.現在は国道411号となっているが,昭和57年に主要地方道(県道)甲府青梅線から昇格した道路であり,これが新宿まで通じている青梅街道である.素堀の岩にモルタルを吹き付けただけのゴツゴツした壁面のトンネルが残る道路を通り過ぎ,ダムの堰堤が下から眺めるように現れると,奥多摩湖(小河内ダム)となる.半数の乗客がここで下車した.ここには東京都水道局の展示館が設置されている.


  
前方にトンネル出口の明かりが大きくなっていく--車内では観光パンフを眺め--車窓には奥多摩湖の湖面


バスはダム湖畔を縫うようにカーブしながら走っていく.湖の湖面が美しいが,この湖の下には移転によって水没した集落がある.石川達三の「日陰の村」には以下のような記述がある.
「東京という大都市が発展していく.すると大木の日陰にある草が枯れていくように小河内は発展する東京の犠牲になって枯れていくのです.山の日陰にある間はまだよかった.都会の日陰になってしまうと村はもう駄目なんです」
小河内ダムは昭和10年に着工し,戦時中の中断を経て昭和32年に完成,当時としては世界最大規模の水道用ダムである.ダムの上流端である峰谷橋までくると,車内の乗客も5人だけとなった.


 
小河内神社前 湖面を渡る浮き橋


丹波・塩山方面への国道411号・青梅街道とは別れて,国道139号へ入り,小菅へと向かう.小菅川にもせせらぎが戻り,屹立とした山に囲まれた静かな清流のなかをバスは唸りをあげながら走っていく.そして山梨県となって金風呂となる.小菅の湯まで行くには,ボンネットバスの村営バスに乗り換えなければならないが,ダイヤによって金風呂で乗り換える場合と,さらに先の田元橋で乗り換える場合とがあるので,奥多摩駅に掲示してある時刻表で確認しておく必要がある.ここで間違えてしまうと足がなくなってしまう.今回は田元橋での乗り換えとなるので,もうしばらく乗車となる.
先ほども記したように,丹波山村,小菅村は山梨県であるが,東京都による水源涵養林の指定がされている区域をもっている.このため丹波山村には東京都の水源涵養林の管理事務所が設けられている.山梨県といえど,東京都の水源地として重要な役割を担っているのである.
田元橋で全ての乗客が下車し,全ての乗客がかわいらしいボンネットバスに乗り込んだ.村内は全て100円均一という良心的なバスで,村民も気軽にこのバスを利用しているようである.村内の各集落を順に巡回して役場や小菅の湯,西東京バスとの乗り継ぎを行えるようにしている.そして,新宿から約3時間,多摩源流・小菅の湯に到着した.温泉は肌がすべすべするアルカリ性の無色透明の湯であった.駐車場には「八王子」「多摩」ナンバーの車がびっしり止まっていた.


 
田元橋の小菅川 多摩源流である

 
小菅の湯  村営のボンネットバス


チャーちゃんまんじゅう

多摩ニュータウン見学モデルルート【東京考察#】

多摩ニュータウン 見学モデルルート

豊ヶ丘4丁目までの行き方
多摩センター駅バスターミナル8番のりば 全路線が豊ヶ丘4丁目停車 約15分

A:豊ヶ丘・貝取南近隣センター
B:歩車分離(車道と立体交差)
C:タウンハウス(低層集合住宅)
D:鶴牧近隣センター
E:富士見通り(道路の軸線上に富士山が存在)
F:タウンハウス鶴牧(3つの公園を環状につなげ、その内外に住宅を配置)
G:鶴牧東公園
H:グリーンメゾン鶴牧(メニュー方式による中層住宅)
I:プロムナード多摩中央(プラス1住宅)
J:多摩中央公園
K:パルテノン多摩(多摩市総合複合文化施設 大小ホールと展示室、ギャラリー等)
L:多摩ヴァンサンカン(多摩ニュータウン展示室)
M:都市センターの中心地
N:多摩センター駅前広場(ペデストリアンデッキを配して、徹底的に歩車分離を図る設計)

O:東京都立大学(イタリアの山岳都市をイメージさせるような設計)
P:宮上中学校(学校も周辺の景観イメージに合わせて設計)
Q:ベルコリーヌ南大沢(マスターアキテクト制による、強烈な個性ある中・高層住宅)

三徳前バス停より南大沢駅までバスで約10分

 

多摩ニュータウン(その3)【東京考察#39】

Tama housing new town (Vol.3)


南大沢駅北側に広がる都立大学
イタリアの山岳都市をイメージした設計となっている


「宝くじ」までイタリア調である


近年オープンしたアウトレットモール


仮面ライダーショーに集まった親子

★ベルコリーヌ南大沢 1989(H1)年入居開始
内井昭蔵氏をマスターアーキテクト(主任建築士とでもいったところか)として各クラスターの設計を担当した建築家の独自のデザインを尊重し、南欧山岳都市をイメージした非常に個性的な街づくりを行った。住宅は主に中層のタウンハウス型式であるが、高層住宅棟は地区の北側にバランスよく配置されている。


南大沢の高層住宅 三角屋根のとんがりが特徴的
デザインに個性が感じられる


川が流れるベルコリーヌ南大沢
レンガ調の強烈な個性ある色彩である


中層住宅


イタリアにいるようだ


建物の側面には地番が明記されている

★ライブ長池 1990(H2)入居開始
堀之内地区の再奥部にある長池をシンボルとし、「せせらぎ」がテーマとして開発が行われている。堀之内駅前と住宅地区をつなぐガウデイ調の屋外通路は非常に個性的である。


四谷にあった見附橋を移設したもの
長池から流れ出る川にかけられている


長池


長池から流れてくる「せせらぎ」をテーマとしている


ライブ長池 これも一連の「せせらぎ」である


堀之内駅前と斜面上の住宅までをエスカレーターで結んでいる

 
堀之内駅前と住宅を結ぶ斜行エレベーター
斜めに動いていく珍しいエレベーターである

開発の行われる前の多摩NTは、畑や山が広がるのどかな丘陵地であり、このような街に大変身するとは、誰も想像していなかっただろう。その当時の写真や様子は、多摩ヴァンサンカンの展示室にて公開されている。タヌキやキツネがでそうな、雑木林であった。

見学モデルルート

参考文献
・多摩ニュータウンパンフレット
・日経アーキテクチュア 93年3月号

多摩ニュータウン(その2)【東京考察#38】

Tama housing new town (Vol.2)

見学モデルルート

1980年代前半

住環境の向上を図るため、多摩NTにタウンハウス(低層集合住宅)が建設された。多摩NTで最初にタウンハウスが建てられたのは諏訪地区(1979年)であり、続いて4年後に鶴牧地区で建設された。また、入居者がメニューの中から自分で設計するフリースペースを含んだ、メニュー方式による中層住宅も登場した。

★タウンハウス諏訪 1979(S54)年入居開始
タウンハウスの先駆的事例として知られる。しかし、高密化できないこと、建ぺい率が高く駐車場の確保が難しいこと、コストが割高であることなどにより、タウンハウスの時代はあまり長続きしなかった。

★タウンハウス鶴牧 1982(S57)年入居開始

★グリーンメゾン鶴牧 1983(S58)年入居開始
中層および高層からなる住宅。中層棟に勾配のある屋根を付けて雁行させるなど、外観に一工夫付け加えている。入居者が設計できるメニュー方式による中層住宅もある。


2階建てのタウンハウス鶴牧


住居案内板
緑のラインが歩行者・自転車専用道路
灰色のラインが自動車・二輪車道路
完全に歩車分離がされている


歩行者専用道路


自動車の道路

区画整理事業によって建てられた戸建住宅もある


雁行屋根をつけたタウンハウス


道路の軸線上に富士山が見えるように設計された「富士見通り」
運良く富士山が見えている


公園の広場ではサッカー

1980年代後半

この時代になると、アイデンティティー(個性・その人らしさ)を重視した街づくりが現れるようになってきた。プラスワン住宅と呼ばれる、通りに面して開かれたもう一つの部屋(フリースペース)を持つ住宅が登場し、キャラクタープランと呼ばれる、個性的な間取りが考え出されるようになった。また、マスターアーキテクト制を導入して、街全体を調和のあるデザインに設計された開発も登場した。

★プロムナード多摩中央(プラスワン住宅) 1987(S62)年入居開始
「プラスワン住宅」である。通りに面した部屋(フリースペース)での趣味活動などにより、地域とのコミュニケーションが図られ、暮らしの営みにプラス1のふくらみが生まれる。通りに対して賑わいを創出する狙いもあった。

★ファインヒルいなぎ 1988(S63)年入居開始
戸建から中層・高層住宅が扇形に広がる配置と、色彩の統一や歩車融合(ボーンエルフ式・多摩NTの基本的考え方と逆である)を図った街づくりが特徴。キャラクタープランにより、個性的な考え方が出されるようになった。


プラスワン住宅。
通りに面して、アトリエなどを開くことができる。
プラスワン部屋専用の玄関もある。もちろん中の部屋とつながっている。
この部屋は1階に住む人だけの部屋であろう。


多摩中央公園


パルテノン多摩から多摩センター駅へまっすぐのびる都市軸
多摩NTの中心地である。
パルテノン大通りと呼ばれる歩行者専用のペデストリアンデッキである
自動車の軸線はこの下の階にある。


たまヴァンサンカン
多摩NTの情報展示館である
開発変遷の展示が行われており、
住宅案内も行っている


三越前からサンリオピューロランドを望む


カード売りの露天商に群がる子供達


多摩センター駅

参考文献
・多摩ニュータウンパンフレット
・日経アーキテクチュア 93年3月号

多摩ニュータウン(その1)【東京考察#37】

Tama housing new town (Vol.1)


(出典:「多摩ニュータウン」パンフレット)


 多摩ニュータウン(以下多摩NT)は東京都南部の多摩丘陵に位置し、標高150m前後、多摩市を中心に稲城市、八王子市、町田市に及ぶ東西14km、南北2~4kmの大規模な住宅開発地域である。京王相模原線を利用することにより、新宿から約35分で結ばれており、大都市東京のニュータウンとして、大阪の千里ニュータウンとともに、大都市の住宅供給を行ってきた開発である。

1960年代、日本の高度経済成長によって東京圏は都市化が急速に広がっていき、大量の勤労者が流入していった。それに伴って、住宅宅地需要が増加していき、中心市街地の地価の高騰によって、郊外である多摩地域でも無秩序な開発(スプロール化)が進行していった。このことから、居住環境の良い宅地・住宅を大量に供給することを目的として、1965(昭和40)年、「新住宅市街地開発事業都市計画」が決定、計画人口約30万人、総面積約2980haの多摩NT開発が行われることになった。

 多摩NTの宅地開発は、施行者が土地を全面買収して宅地造成などを整備する事業(新住宅市街地開発事業という)と、所有されている土地を換地という手続きによって区画形質の変更を行って宅地としての利用を増進する事業(土地区画整理事業という)によって行われている(道路や下水道などの整備は関連公共施設整備事業によって行われている)が、多摩NTでは前者の土地を全面買収することをメインとして宅地造成をしており、歩車分離を徹底させた(ラドバーン方式)道路構成やバランスのとれた建物や公園の配置など、開発設計思想の反映された個性と魅力のある面的な住宅開発がされている。

新住宅市街地開発事業の施行者は、都市基盤整備公団(前住宅・都市整備公団)、東京都住宅供給公社、東京都によって行われている。

見学モデルルート


1970年代前半

多摩NTで最初に入居開始された地区が諏訪・永山地区であり、その翌年に入居開始されたのが和田・愛宕東寺地区である。「安く良質な住宅を、早く大量に供給する」という時代であり、箱形の中層住宅(5階建て)が平行に建設され、ポイントには高層住宅(14階建て)も建設された。

★諏訪・永山団地 1971(S46)年入居開始
3DKを中心都市、平均住戸専用面積は約50m2。直方体の箱形中層住宅と高層住宅が建設された。


初期に開発された貝取団地


豊ヶ丘・貝取近隣センター(構成図:戸店)


近隣センター構成図

 
大型スーパーなどの出店による小売店の衰退は
近隣センターでも起こっている。
中心市街地の衰退と同じことである


近隣センターにある医者村(構成図:病)

1970年代後半

★貝取・豊ヶ丘団地 1976(S51)年入居開始
基本的な外観、プランは諏訪・永山団地と同じである。分譲住宅については広いLDKを導入するなどして面積を大きくしたため、平均住戸専用面積は70m2を越えた。また、1971年の道路法改正によって、諏訪・永山地区ではできなかったペデストリアンデッキによる歩行者専用道路のネットワーク(歩車分離のラドバーン方式)が実現した。公園もただ真四角の広場をとるだけではなくて、池を配するなどの工夫が見られるようになった。


ペデストリアンデッキ(歩道橋)によって徹底的に
歩車分離が図られている


初期の箱形中層住宅(ようかん型とも言う)


ゴミ集積所


1階の掲示板

 公団住宅の入口は開放的で入りやすい。それは、居住者以外の人も入りやすいということであり、そういう構造上のこともあってか、公団の団地というのは、壁への落書きやエレベーターボタンのいたずら(ライターでプラスチックのボタンを溶かしてしまう)が多いように思う。


犯罪防止のため、午後11時から午前5時まで、
強制的に各階に停止するエレベーター
14階の住人にはたまらない(深夜は全てドアが開くのである)


新住宅市街地開発事業で整備された区域内では、中学校区を基本的な単位として、幹線道路を境界に「住区」と呼ばれるブロックに分けられている。
全住区数は21住区であり、1住区は面積約100ha、住宅3,000~5,000戸、人口12,000~20,000人が計画されている。
各住区には原則として中学校1校、小学校2校を設置し、スーパーや店舗、交番、郵便局、診療所などの住民サービス施設の集まる近隣センターが配置されている。
さらに、住区をいくつかあつめた「地区」が構成されており、地区の中心(鉄道駅となっている)には地区におけるサービスセンターである地区センターが配置されている。
このように、学校やスーパー、警察などといった公共機関も含めて一体的に開発できるところに、土地を全面的に買収して開発する新住宅市街地開発事業の魅力があり、多摩NTの魅力と特徴になっている。公団や都道府県などの役所による開発でなければ、このような開発は難しいであろう。

住区マップ1 住区マップ2

参考文献
・多摩ニュータウンパンフレット
・日経アーキテクチュア 93年3月号