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東京五輪オフィシャルショップ(ジュンク堂書店)【郡山見聞録#119】

 ジュンク堂書店郡山店(うすい百貨店9階)に期間限定で,東京オリンピックオフィシャルショップがオープンしている.ストラップやエンブレム,バックや文房具など,かなり充実したラインナップである.
 期間は今年(2020年)の9月末まで開催しているので,足を運んでみてはいかがでしょうか.

冬でも釣りへ【目指せ!アングラー#13】

 気温0℃,小雪がちらつく中,どうしても釣りがしたいと言う息子とともにいつもの池へ.氷が薄く張っている。(ブルブル)

 寒いと魚は動かないんじゃぁないの.いくら息子に言っても「行く!」ときかない.こんなに寒くて本当に釣れるのか疑問だが,重ね着して,ホッカイロを背中に貼って,今年最初の屋外での釣り.

 やはり魚の影はひとつも見つからず....でも,他にも釣り人が一人いたので,釣れないわけではないようだ.

 冬は,桧原湖でワカサギ釣りにしようか.でも,なぜワカサギは冬でも釣れるんだろう? ワカサギがつれるということは,この池のブラックバスや鯉などもつれるということか???

 結局,魚は1匹もつれず.
息子曰く,「釣りの練習をしていたんだよ!」だって.

郡山細沼教会【郡山見聞録#118】

郡山細沼教会(プロテスタントの教会)

 郡山細沼教会は,プロテスタント教会として1910(明治43)年に日本基督教会郡山教会として設立され,現在の礼拝堂は1929(昭和4)年に建築されているが,1956(昭和31)年の火災によって一部復旧工事がされた.

 国の有形文化財に登録され,ステンドグラスとパイプオルガンがある歴史が感じられる礼拝堂となっている.

 結婚式を挙げることも可能で,ホテルなどの近代的な建物の中にある疑似教会で結婚式をあげるよりも,本物の歴史ある教会で素晴らしい雰囲気の中で行った方が感動もより大きいと感じる.

 礼拝式は毎週日曜日の10:30~. また,毎週金曜日の12:00~15:00には教会を開放しているので,自由に内部を見学することも可能.

 郡山市教育委員会による案内看板.

窓の形も特徴的.

外からちょっと覗けるステンドグラス.

ステンドグラスの裏側.

 内部の写真は撮影しなかったので,お時間のあるときにご訪問ください.お願いすれば,急で細い階段をあがった塔屋の部分の3階の部屋も見学することが可能.

泉ガーデンタワーと六本木グランドタワー【東京考察#360】

Izumi Garden Tower and Roppongi Grand Tower

泉ガーデンタワー

 泉ガーデンタワーと六本木グランドタワーは麻布通り(地下鉄南北線六本木一丁目駅)を挟んで並ぶ,住友グループが行った再開発事業である.

 泉ガーデンタワーは,住友会館や民家等があった場所を,六本木一丁目西地区第一種市街地再開発事業によって再開発を行い,地上45階建てのビルに生まれ変わった地区で,2002(平成14)年6月に完成した.
 地下鉄南北線の六本木一丁目駅(2000年開業)と直結しており,南北線の開業によって生まれ変わった街である.敷地内には,賃貸マンションである泉ガーデンレジデンスやイベントホールの泉ガーデンギャラリー,美術館の泉屋博古館分館がある.
 ちなみに「泉」とは,住友グループの屋号「泉屋」からとったものであるとのこと.

南北線六本木一丁目駅の改札前.駅から直結している.

泉ガーデンタワーの案内板.

レストラン街もある.

昼休みは階段で一休み.坂を利用して再開発が行われているので,階段によって導線が確保されている.

中央縦に2本の溝があるように見える部分は,かごが屋外に出ているエレベータ.2基ある.とても暑い日だったからか,今日は運転されていなかった.ガラス張りの外壁が特徴.

 日本最大級の75人乗り大容量シャトルエレベーター(東芝製)が4基設置されている.昼休みになると大勢の乗客が降りてくる.
  まずは24階の乗り継ぎフロアーまで大型のエレベーターで乗客を運び,そこからさらに各階をつなぐローカルエレベータに乗り換えるという仕組み.

展望用大容量エレベーター.72人乗り.速度は分速240m(時速14.4km).

美術館「泉屋博古館分館」は休館中だった.


住友不動産六本木グランドタワー

 住友不動産六本木グランドタワーは,旧日本IBM本社や旧六本木プリンスホテルなどの跡地を再開発したもので,泉ガーデンタワーとは麻布通りを挟んで向かい側に位置する.2016(平成28)年3月に完成し,オフィス棟・レジデンス棟・商業棟の3棟でつくられている.
 オフィス棟にはテレビ東京の本社が入っており,1階には「テレ東本舗」が併設されたタリーズコーヒーがある.

テレビ東京とタリーズコーヒーがコラボしたショップ「テレ東本舗」.

関係者しか入場できないため,訪問者は左側の画面からコンタクト情報を入力して入場していた.

入場ゲート.

31階以上の高層階にいくには,29階の乗り換えフロアーまで移動して各階のローカルエレベーターに乗る仕組み.

六本木グランドタワーの外観

案内パンフレットの1ページ.

白川街道・飛騨街道をゆく[ローカルバスの旅]

 山々に囲まれた街・高山から牧戸(まきど)を経て、富山との県境に位置する秘境・白川郷までの道を「白川街道」と呼ぶ。そして、牧戸からひるがの高原を経て、美濃白鳥(みのしろとり)までの道は「飛騨街道」の一部である。

 高山一牧戸間は約50km。その間に3つの峠を越える。白川街道は峠道なのである。そして、牧戸一美濃白鳥間にも1つの峠があり、高山から美濃白鳥まで抜けると、合計4つの峠を通過することになる。

 ここに1日数本の路線バスが走っている。典型的なローカル線である。高山から白鳥へ、路線バスに乗り込んだ。

今回の旅行経路図.
高山バスセンター

 高山駅13時20分発、濃飛バス牧戸行きである。白鳥までの直通便は無く、牧戸で乗り換えとなる。今日の高山地方は天気は良いのだが、冷え込みが今年最高の厳しさであった。最低気温がマイナス7.9°C。ふきのとうが芽を出しているというのに真冬並みの寒さである。バスの車内は暖かく、白川街道を西へ西へと走っていった。

 高山の街を抜けると田畑が広がり、前方の山々が徐々にこちらに近づいてきた。車内は適当に混んでいる。清見村の役場がある三日町にてかなりの乗客が下車し、バスは登り坂へと入っていった。

 小鳥(おとり)峠越えである。別名びっくり峠とも呼ばれるそうで、この辺りは野鳥の声がよく聞かれるところだという。左には白い雪を残した連峰が雄大に広がっている。この風景は峠越えの醍醐味のひとつである。ここは分水嶺でもあるが、下流では高山を流れている宮川と合流するので水系は神通川水系であり、以前と変わらない。

 道は国道であり、完全に舗装されている。道幅も広くドライブには最適な道路だと思う。

 続いて松之木峠に大った。別名思案峠である。比較的平坦な道だったので、これは峠越えなのかと思ったが、地図によると「松之木峠」と記されているので峠なのである。「峠」とは何か。普段、峠について真剣に考える機会はあまりないが、辞書によると、山の道を登りつめた所、と書いてある。峠とはある一点の場所を指す言葉であった。

 車の交通量はゼロに等しい。残雪が多くなり、周りの畑は30cm程の雪で覆われている。その残雪の断面は断層のようになって道路に面していた。白樺やカラマツ林が続くようになった。少々耳鳴りがした。この峠を越えると水系が庄川水系に変わる。

 六厩(むまい)を出ると、
「この先、急カーブが多くなります。ご注意下さい。」
とテープが流れる。軽岡峠越えである。別名辞職峠と呼ばれている。

 なぜかこの白川街道の峠には別名が付けられている。ガイドブックにそう書いてある。順に「びっくり峠」「思案峠」「辞職峠」。人生の失敗への歩みを物語ったものなのだろうか。事が起こってびっくりし、いろいろと迷ったあげく辞表を提出……。悲しい物語である。

 それとも、正式名称の読み方をもじったものなのかも知れない。おどり→おどろいた→びっくり。まつのき→待つ→待つとは考えること→思案する。かるおか→帰ろうか→辞職。最後のものは自分でもよく意味がわからない。

 この軽岡峠も景観が美しい峠である。標高は約1000m、軽岡トンネルを抜けると下り坂となり、道が多少狭くなる。カーブも多くなった。道は屹立した山の底を走っており、三谷川の渓流が美しく流れている。

 黒谷よりややひらけた。しばらくして集落が現れ、荘川村の役場前を通り過ぎた。温度計が2°Cとなっている。外は寒そうである。そして高山より1時間15分、白川街道と飛騨街道の分岐点である牧戸に到着した。下車客は4人だった。

 牧戸は御母衣湖の南の集落である。せっかくなのでダムの見物に行きたいところだが、都合の良いバスもなければ、歩いて回る時間もない。白鳥駅行きのJRバスは15時7分発である。あと20分程であった。待合室でバスを待った。

牧戸駅

 待合室は広くはなく、売店も兼ねており、店の中に椅子が置いてある、といった感じであった。JRだからなのか、切符の窓口や料金表、運賃表など、鉄道の駅を思わせるような雰囲気の待合室である。移動スーパーから流れる演歌が聞こえていた。切符売り場の中では、テレビを見ながらミシンをかけているおばあさんがいた。美濃白鳥までの切符を買った。

 3人の乗客を乗せ、バスは牧戸を後にした。ひと息つく暇もなく、ヘアピンカーブにさしかかり、ひるがの高原へと向かった。

 ひるがの高原に大った。近代的なペンションが立ち並ぶ、今流行の典型的なリソート地である。この辺りの開発は近年目覚ましいものかおるらしく、途中には「リゾート地売ります 8500坪」という看板があった。

 ひるがのは漢字で書くと「蛭ヶ野」である。が、どこを見渡してみても「蛭ヶ野高原」と漢字で書いてある看板は見当たらない。リゾート地はイメージというものも重要な開発計画の要素のひとつである。「蛭ヶ野」では、人の生血を吸い取る「蛭」が野原に広く住みついている、というイメージが頭に浮かんでくる。これでは心をリフレッシュさせる爽やかさがまるで無くなってしまうように思う。「蛭ヶ野高原」ではなく、「ひるがの高原」なのである。

 ひるがの高原を抜けると道は下り坂カーブの連続となる。となりの尾根下に道路の延長が見える。この辺りは長良川の源流域である。

 「折立道」バス停を通過した。左を見下ろすと灰色の道がピンどめのように折り重なっていた。「○○洞(ぼら)」という名のバス停が多くあった。

 田が現れ、長良川鉄道の終着駅、北濃に着いた。終着駅といっても無人駅であり、開けた街ではなかった。バスは線路沿いに南下すると、16時、長良川の上流域である、美濃白鳥に到着。

 高山から76.9km、峠を走るローカルバスの旅でした。

(1993(平成5)年3月旅行,5月執筆)

さぁ出発!夜行鈍行大垣行き[四国旅行記#1]

はじめに

 高校の卒業式を終えた1991(平成3)年の春休み、旅好きな友人2人と一緒に、3月24日(日)から7泊8日の四国旅行に出掛けました。これは、その時の旅の記録です。

(旅行年月:1991(平成3)年3月)

さぁ出発

 私はいつも旅行の準備というものは、出発する直前に行なっている。別にこだわり を持っているわけではないのだが、どうしてもそうなってしまうのである。そして、 今日も午後4時、出発の準備をしていた。この準備を始めると心が高揚しはじめる。 嬉しくて、楽しくて、ワクワクしてくるのである。準備が早く終わってしまうと出発 時間まで待ち切れなくなり、今回もそのようなパターンであった。集合は東京駅10 番ホーム品川寄りに午後6時であった。夜行普通列車大垣行きに乗るためである。
 午後5時20分、ちょっと早いが家を出発することにした。

夜行鈍行大垣行き

 東京駅に着いた。案の定1番のりで、友人は誰も来ていなかった。数分後友人がき た。大垣夜行は毎日運転されているが、春夏冬休みには青春18切符が使えるとあって大混雑する。ピーク時の混雑ぷりは大変なもので、今どきこんな列車があるのか、と思う程である。

 そこでやっと最近、混雑する日に臨時 の大垣夜行列車(9375M)が運転されるようになったのである。この臨時夜行、東京を定期夜行より3分遅く発車するのだが、浜松で追い抜いて大垣には8分早く到着するおもしろいダイヤになっている。こうなるとどうしても臨時夜行の方に乗ってみたくなる。そして我々は臨時の大垣行きに乗ることになった。

 念には念をということで、集合時間を発車時刻の5時間43分前、午後6時にした のだが、臨時列車ができたせいか誰も並んでいる人がいない。我々は、臨時ができてから乗るのは初めてであり、大垣夜行に乗る人かどうかは一目見ればすぐわかる。勿論『大垣行き』乗車案内板下(10番線)に先頭として陣取りをした。

 午後9時、ボチボチ並ぶ人がでてきた。ブルートレインが次々と目の前を発車していくが、発車していくたびに「金があったらなあ」と車内の乗客をうらやんでしまう。これくらいの旅行になると、結構お金がかさむ。しかも、ビンボーな若者!にとってはなおさらである。また高松行き「瀬戸」が出発した。そんなとき、定期夜行の発車する隣の7,8番ホームを見ると、中核派の制服!、ヘルメット、マスク、サングラス、ハットスピーカー、旗を持った大集団が前2両に並んでいて、鉄道公安員も警備のため立っていた。これから何処へ行くのかなどと友人と話をしていたが、なんとも物騒な感じであった。

 午後11時ともなると、いいかげん暇で暇でいやになってくる。最後のブルートレイン『銀河』を見送って、22時33分、まちにまった臨時夜行が入線してきた。

 8両編成でグリーン車はついていない。座席の背もたれ上部にJR東海独特の自いカバーがかかっていないので、JR東日本の車両だろう。7番線の大垣行きを見ると日よけカーテンが全部閉められていた。

 22時43分、定刻に発車。車内は80%位の乗車率だろうか。

『どうせ寝れるわけがない』と諦めていたが、我々の乗った車両(先頭)の暖房の調子が悪いのか、窓の具合が悪いのか、とても寒かった。隣の車両をみると窓が水滴でびっしょりなのに対し、こっちの車両の窓は涸れるどころか曇ってもいない。しかも
窓を開けてる若者がいて本当に寝むれずイライラした。浜松で両大垣行きが並んだ。日よけカーテンは閉ったままである。

 列車は闇の中をひたすら走っていった。