「葛飾区」タグアーカイブ

東京拘置所(小菅)【東京考察#164】

Kosuge bridewell


小菅駅ホームから見た東京拘置所


 東京拘置所は面積約21万㎡の国内最大の拘置所(監獄)である.ここが監獄として使用されはじめたのは明治11年であり,歴史は古い.小菅刑務所が未決囚専門の拘置所となったのは昭和20年であり,「刑務所」に「拘置所」が併設された.その後、昭和45年に旧東京拘置所(スガモプリズン=現サンシャイン60敷地)が廃止され,名称を「小菅拘置所」から「東京拘置所」に変えた.
東京拘置所は設備が古く,未決囚への人権配慮が足りない施設であるとのことで,現在建替え工事が行なわれている.東京拘置所の建替え工事は1997年に着工され,2003年4月段階で中央管理棟・南収容棟が完成している(約1500人の被収容者が移動したという).北収容棟が完成すると,さらに1500人が収容されることができるようになるという.
面会者用の入口と新しい管理棟
綾瀬川に挟まれて建つ無機質なコンクリート塀
監視小屋とサーチライトが敷地のカドに建っている
こちらには川(というか堀)が巡らされている
脱走しにくくしているのか?
大正時代に作られたというレンガ塀
敷地内の団地は中で働く人の住宅だとか.
東京拘置所正面入口

亀有駅北口交番【東京考察#128】

The Kameari station north exit police box


亀有駅北口交番

 


 「こちら葛飾区亀有公園前派出所(略して「こち亀」)」という漫画が少年ジャンプに掲載されている.今は,日曜日の夜にテレビでおなじみとなったアニメであるが,その両さんが勤めている派出所(交番)のモデルとなっているのが,この亀有駅北口の交番である.亀有公園というのは,北口の近くに実在しているが,亀有公園前派出所というのは存在していない.漫画を読んでいると,まさにこの交番だ!と思うほどよく似ている.亀有駅には反対側の南口に大きな交番があり,こちら北口の交番は,普段は無人らしい.


色々な角度から


駅を背にして


反対側の南口交番. こちらの方が大きい

柴又帝釈天【東京考察#124】

Shibamata Taishakuten


京成柴又駅
寅さんの銅像が立っている

 


 柴又といえば,松竹ヒット映画「男はつらいよ・寅さん」の舞台となったところである.柴又帝釈天への参道にあるお店が寅さんの実家であり,今は亡き俳優・渥美清が「よう,元気かい」といってふらりと現れてきそうな,そんな雰囲気のする街である.
柴又帝釈天(経栄山題経寺)は,寛永6(1629)年,日忠上人の草創と伝えられており,本尊は日蓮上人自刻の帝釈天の板仏である.行方不明だった板本尊が庚申の日に発見されたので,以降,縁日は庚申の日に設定されている.縁日は2ヶ月に1日の割合でやってくる.


「男はつらいよ」の映画監督・山田洋次氏による寅さんの名セリフ


参道の賑わい


寅さんの撮影現場となっていた「とらや」


寒いときには「甘酒」を.1杯100円也.


悪い患部はタワシで磨くと直ります


線香は仏前に供えます


二天門


本尊


「寅さんせんべい」もあります


「葛飾柴又・寅さん記念館」も近くにあります


寅さんよ,永遠に.

草39 金町駅⇔浅草寿町(上野松坂屋)[都バスで東京発見]

上野・浅草から国道6号・水戸街道をただひたすら走る路線

草39 金町駅⇔浅草寿町(上野松坂屋)(経由)青戸車庫・東向島広小路 青戸支所

路線keyword:雷門の大提灯,国道6号・水戸街道


上野松坂屋から浅草寿町までは、平日の日中のみの運転となり本数が少ない。上野松坂屋から浅草寿町までは上46系統と同じルートを走る。
寿町を発車し、雷門の大提灯、東武浅草駅、水上バスのりばを見て、吾妻橋で隅田川を渡る。墨田区役所を過ぎて三ッ目通りへ左折する。言問橋より国道6号・水戸街道となり、あとはひたすら水戸街道を金町向けて走っていくのみである。
向島界隈の下町を走り、東武博物館のある東向島で東武線のガードをくぐって、四ツ木橋で荒川を渡る。国道6号沿いとあって、環七通り同様、中古車販売のディーラーやファミリーレストランが多く目に付く単調な風景が続く。
青戸車庫を過ぎ、中川を渡り、踏切を越えて、左折。また京成線の踏切を渡り、線路に沿って走ると、終点金町駅となる。

新小29乙 春江町終点⇔東新小岩四丁目[都バスで東京発見]

都営瑞江葬儀所のある春江町までを結ぶ路線

新小29乙 春江町終点⇔東新小岩四丁目(経由)一之江駅・菅原橋 臨海営業所

路線keyword:瑞江葬儀場,春江町,中川のボート,同潤会という名のバス停


東新小岩四丁目から一之江駅までは、新小29甲系統と同じルートを走る。非常に本数が少なく、捕まえにくい路線である。
一之江駅をでると、新中川を渡るかと思いきや、手前を左折。川に沿ってしばらく走る。右手にレジャーボートの係留を眺めながら、そして川を渡る。住宅街に入ってまもなくすると終点の春江町終点となる。何故、停留所の名前が「春江町」ではなく「春江町終点」なのか?謎である。かつての都電の終点だったのだろうか?隣には都営瑞江葬儀所がある。このバスは、この都営の葬儀所のために残っているのだろう。終点に葬儀所がある春江町終点。なんだか「終点」という停留所名に重みが感じられる。
この区間には京成バスが、小岩駅・葛西駅間でバスを運行している。

新小29甲 葛西駅⇔東新小岩四丁目[都バスで東京発見]

新小岩・同潤会・一之江・葛西と縦断する路線

新小29甲 葛西駅⇔東新小岩四丁目(経由)一之江駅・菅原橋 臨海営業所

路線keyword:一之江,江戸川区,同潤会という名のバス停


平日と土曜日の朝の時間帯は、バスは東新小岩四丁目までやって来ない。道路混雑のため、新小岩駅北口を起終点として右回りループ運行となってしまう為であり、隣の東新小岩三丁目で右に曲がってショートカットして一之江駅・葛西駅へと向かうルートとなる。
東新小岩四丁目を出発すると、蔵前橋通りを西に進み、巽橋交差点を左折、そして新小岩駅北口となる。JR総武線のガードをくぐってから左折し、狭い2車線道路を走っていく。
菅原橋にて千葉街道を横切り、右斜め前方の道路に入る。しばらく走って同潤会通りの商店街が現れるようになると同潤会停留所となる。
同潤会とは現在の住宅・都市整備公団の全身で、関東大震災罹災地の住宅建設のために設置された公益法人のことである。罹災者向け住宅を建設した後も同潤会は解散せず、大正14(1924)年~昭和3(1927)年にかけて青山、代官山、千駄ヶ谷、清砂通(東大工町)、中之郷、柳島などに鉄筋コンクリート造アパートを建設したことは特筆すべき事項であり、同潤会は住宅供給と団地計画で重要な役割を果たした。
この中央二丁目から松江二丁目にかけての地域が同潤会と呼ばれるのは、昭和初期に「東小松川」として同潤会の分譲住宅が建設された場所だからであろうと推測され、古地図を眺めてみると、現在の同潤会通りを中心に南北に長細く格子状道路が入り、そこには「同潤会住宅地」と印刷されていた。京葉道路との交差点近くには同潤会病院も健在している。おそらく分譲時に開業した診療所である。
京葉道路と交差し、バスは南に歩を進める。松江にて突き当たりを左折し、今井街道を今井方面へ向けて走っていく。一之江駅北にて環七通りへ右折し、一之江駅となる。
一之江駅からは環七通りをひたすら南下する。江戸川区内では、水路や運河を水の流れる公園にした「親水公園」を多く目にする。長島町交差点で葛西橋通りを横切ると、まもなく終点葛西駅前となる。

亀29 なぎさニュ-タウン⇔亀戸駅[都バスで東京発見]

亀戸駅から西葛西駅を通り、なぎさニュータウンまでを結ぶ路線

亀29 なぎさニュ-タウン⇔亀戸駅(経由)西葛西駅・境川 葛西営業所

路線keyword:葛西橋,なぎさニュータウン,江戸川区の住宅・団地群


江戸川区の千葉県境寄りに建つ高層住宅・なぎさニュータウンまでのアクセスラインであるが、日中は全本数の半分が亀戸駅-西葛西駅間の運行となる。
亀戸駅から明治通りを南下し、境川までは都07系統と同じルートを走る。境川で清洲橋通りへと左折し、葛西橋手前にて右左折を繰り返し、荒川と中川を葛西橋で渡る。江戸川区に突入する。
宇喜田を出ると右折するのであるが、この右折の仕方が面白い。その方法は乗ってからのお楽しみ。そして、突然団地の中を縫うように走り、西葛西駅となる。
左折して、8車線の広い道路を東へ走り、途中で右に曲がる。住宅街の中をジグザグに走行していき、団地が現れると堀江となる。このあたりの風景は、東京のベットタウンという様相を呈しており、日中に乗車すると牧歌的なのんびりとした雰囲気を味わうことができる。
環七通りと交差して、直進すると高層住宅の建ち並ぶ、終点なぎさニュータウンとなる。

 

平23乙 新四ツ木橋⇔浅草寿町[都バスで東京発見]

新四つ木橋の手前で折り返す路線

平23乙 新四ツ木橋⇔浅草寿町(経由)押上駅・墨田区役所 南千住営業所青戸支所

路線keyword:下町,墨田区,浅草通り,浅草雷門,新四つ木橋,曳舟川


浅草寿町から八広2丁目までは、平23乙系統上野松坂屋・平井線と同じルートを走る。

八広2-新四つ木橋 未乗

曳舟川通りの下には、かつて曳舟川が流れていた。曳舟川とは、亀有上水として利用されていた水路が享保年間(1750年頃)に廃止され、その後、小梅村-四ツ木村-亀有村間の輸送用引舟の水路となり、曳舟川として知られるようになったものである。荒川放水路の開削によって川筋が切断され、現在は荒川以南では下水溝として暗渠となり、荒川以北では葛西用水として綾瀬川に注ぐ工業用水等の排水路となっている。新四つ木橋はかつての曳舟川の水路のあった場所に沿って忠実に架設されており、地図で眺めると荒川に対して斜めに架けられていることに気づく。

新小21 西葛西駅⇔新小岩駅[都バスで東京発見]

新小岩-西葛西で江戸川区を縦断する路線

新小21 西葛西駅⇔新小岩駅(経由)小島・船堀駅 臨海営業所

路線keyword:船堀街道,狭路,江戸川区縦断


江戸川区はどちらかというと南北に広がりをもつ地域である。東西方向の交通は、JR総武線や都営新宿線、営団東西線、JR京葉線が走っているため便利なのであるが、南北方向の交通は非常に不便である。それを補完しているのが都営バスであり、この路線も非常に本数が多くなっている。区役所本庁舎に用事のある時には欠かせない交通機関である。
西葛西駅前は大きな道路がなく、路上駐車の多い狭い2車線道路を走っていく。船堀街道に出ると北に向かって走っていくが、宇喜田の行橋公園前になると船堀街道から外れて北葛西の住宅街の中を走っていく。急行00系統の急行バスは、北葛西には寄らず船堀街道を直進して船堀駅に向かう。左手に中川・荒川土手のコンクリートブロックの護岸が見える。
再び船堀街道に戻って橋を渡り船堀駅となる。乗客が入れ替わる。
ひたすら北上し、松江・東小松川界隈を走り、京葉道路と交差して江戸川区役所前となる。そしてまもなく終点新小岩駅となる。

新小20 東新小岩四丁目⇔一之江駅[都バスで東京発見]

江戸川区北部を環七通りで縦断する路線

新小20 東新小岩四丁目⇔一之江駅(経由)新小岩駅北口・鹿本中学校 臨海営業所

路線keyword:環七通り,くねり狭路,ビニールハウス


この路線は京成バスとの共同運行であり、そのうえ本数が少ないので、都営バスで乗車しようと思う場合は捕まえにくい路線である。
新小20系統の一之江駅バスのりばは、バスターミナルのりばより少し離れた駅ビルの裏手に存在する。一之江駅を発車するとすぐに環七通りに入り、北を目指して進んでいく。首都高速の一之江ランプを過ぎ、一之江一丁目交差点で京葉道路と交差する。ネギやトウモロコシの植わる畑が時々横切っていく。駐車場と化したオープンスペースが目立ち、環七通り沿線の中で比べると建物の密集密度が低い方である。
大杉、松本、上一色と通過し、JR総武線を越える陸橋は渡らずに横の側道に入って、JR線の線路にぶつかると左にバスは曲がる。狭くくねった道路となり、23区内の都営バスにしては珍しく、白い破線が道路中央に入っている追い越し可能な道路を走っていく。ビニールハウスが過ぎ去っていった。
新小岩四丁目を出ると葛飾区となって、商店街の中をやはり狭い二車線道路で走っていく。朝の時間帯にはこの区間は新小岩駅北口を起終点とするループ運行となって、右回りのみの運行となるのだが、理由は道路が狭いために朝の混雑時はバス同士がすれ違えなくなるからではないか、と推測する。
新小岩駅南口にはバスターミナルが存在するが、このバスは入らずにJR線のガードをくぐって新小岩駅北口の停留所となる。終点まではあと4つであるが、それでも10名程の乗客が乗ってきた。京成バスも含めたバス路線図を眺めてみると、新小岩駅から東新小岩方面に向かうバスは都営バス(新小20・新小24・新小29甲乙)しか走っていない。
巽橋にて右折し、蔵前橋通りへ入る。東新小岩一丁目、東新小岩三丁目となり、朝のループ運行の時間帯には小松橋北交差点で右折してJR線の陸橋を渡り、一之江駅へと向かう。普通の時間帯では東新小岩四丁目を始発として、今通ってきた道を反対側に走り、新小岩駅北口に寄る通常のルートとなる。京成バスは東新小岩三丁目が起終点となり運行している。つい最近までは本系統の都営バスも東新小岩三丁目を起終点としていた。
右手前方にマクドナルドが見えると、その交差点を右折し狭い道をちょっと入ったところに都バス操車所があって、終点東新小岩四丁目となる。京成バスが東新小岩四丁目まで乗り入れないのは、自社の折返し施設がないためだと憶測する。操車所は、住都公団のエステート東新小岩の低層(5階建て)住宅が背後に建ち並ぶ、ひっそりとした佇まいの所にある。