「台東区」タグアーカイブ

浅草文化観光センター【東京考察#358】

Asakusa culture tourist information center


浅草文化観光センター

浅草文化観光センターは,浅草雷門の道路向かいに建つ台東区の観光情報センターである.隈研吾の設計により,平屋の建物を積み重ねたイメージで造ったという.2012(平成24)年にオープンした.

建物は地下1階から地上8階までで,敷地面積はそれほど広くないため,1フロアーに1施設といった感じに作られている.地下1階は化粧室のみとなっており,誰でも清潔なトイレが利用できるのは嬉しい.

最上階の8階は展望テラスと喫茶室となっており,浅草寺から仲見世までの景観がダイナミックに眺めることができる.
また,観光センターでは,観光ボランティアや外国人観光客ガイドツアーも行っており,観光客へのおもてなしも充実している.

スカイツリーのオープンにより,浅草への観光客がさらに増えたように思う.外国人観光客にも人気が高く,雷門の前は写真を撮影する人・人・人でごった返している.そんな浅草の見所を紹介しているビルである.


浅草文化観光センター入口


1階は案内ロビー.大きなビジョンでも浅草を紹介している.


外貨両替所もある.


2階観光情報センターでは,無料インターネット(多言語)や観光情報誌の閲覧などができる.


1階から2階への通路からは,窓越しに雷門を見ることができる.ここから見た方が雷門をよく見れると思う.


多目的スペース.イベントなどで活用できる会議室もある


6~7階にある展示スペース,多目的スペース
台東区の見所や歴史・文化を紹介している.


外の階段を上って8階へ.


浅草寺から雷門までの仲見世が鳥瞰できる


「ここから手を出さないでください.カメラ,スマホなどの落下が多発しています」 撮影したくなる気持ちはよくわかる.


8階の展望テラスからはスカイツリーが目の前に.


8階には喫茶室もある.


地下1階はトイレのみ.


エレベーターホールにある大きな熊手.
福運や財を掻き込むという縁起から,御守りとして江戸時代から受け継がれているもの.


台東区のジオラマ.

隅田川の水上バス(東京都観光汽船(TOKYO CRUISE))【東京考察#357】

Tokyo Cruise(Sumida River water bus)


水上バスの船内から


日の出桟橋(乗船地)

浅草から日の出桟橋までの隅田川水上バスは,ツアーコースなどにも組み込まれており,一度は乗ったことがあるかもしれない.現在は,「東京都観光汽船(株)(TOKYO CRUISE)の隅田川ライン」と「(公財)東京都公園協会の東京水辺ライン」の2つが運航されているが,昔から馴染みがあって運航本数が多いのは,前者の東京都観光汽船の水上バスである.

浅草と日の出桟橋を約40分で結ぶが,浅草からの便のみ,途中,浜離宮に立ち寄るルートとなっている.お台場や高層ビルやマンション,築地市場跡地,そして技術的にも評価の高い隅田川にかかる橋梁を眺めるなど,普段とは違った視点で東京を眺めてみるのも面白い.

今回は,日の出桟橋から浅草まで乗船した.


日の出桟橋までは,ゆりかもめの「日の出駅」から歩いて行くと便利.駅のエレベータ内には,水上バス乗り場の案内が貼ってある.


シンフォニーと書かれた建物が最初に見えるので,ここが水上バスのりばかと思ってしまうが,こちらはクルーズ船「シンフォニー」の乗船ターミナル.水上バスはさらに奥(左手側)となる.


ターミナル前には大型バスが待機できる駐車場がある.ツアーでは片道乗船として,バスを先回りして乗客を乗せる.


こちらが水上バスの乗船のりば.


中に入るとまずはCafe.奥に券売機と桟橋がある.


カフェのメニュー.チョロQのお土産も買った.


時刻表.浅草までの隅田川ラインの他に,お台場ライン,東京ビッグサイトラインなどがある.


チケット.大人780円.


パンフレット.


桟橋を歩いて乗船となる.今日の船は「竜馬」定員560人.


後部デッキ.天気が良いとガラスの仕切りを開けることができる.


2階船室


1階船室


1階船室の前に売店がある.アルコールも販売している.航行している途中で船内販売もある.


後ろのデッキからの眺め


他の水上バスとすれ違う.こちらは東京水辺ラインの船.


柳橋.神田川の合流点.


清洲橋.耐震補強工事をやっているため,全姿は見られず.足場の形が富士山のよう.


売店でカフェを注文すると,専用のカップで渡される.東京の名所がイラストで入っている.


東京スカイツリーが見えてきた.


吾妻橋の下側!


浅草に到着.水上バスターミナルは新しい建物になった.


浅草の水上バスのりば.浅草駅のすぐ近く.


浅草・隅田川ライン(降船地)

UENO3153ビル(上野西郷さんビル)【東京考察#351】

Ueno 3153 Building (Ueno Mr.Saigo Building)

UENO3153ビル

かつて,上野駅しのばす口を出て,ガード下の右側を見ると上野百貨店と書かれ,レストラン聚楽台のあった古めかしいビルが建っていた.西郷会館というビルだったが,老朽化に伴って建て替えを行うこととなり,2012(平成24)年に新しくオープンしたビルがUENO3153(上野西郷さん)である.
西郷さんの銅像がビルの屋上にあるためこの名がつけられている.テナントは基本的に飲食店であり,薩摩魚鮮,上野精養軒,牛タンねぎし,焼肉叙々苑,ペッパランチダイナー,銀座ライオン,まるごと北海道,ロッテリア,コージーコーナーなど.上野駅前で食事処を探しているのであればとりあえずUENO3153ビルに入ってみるとよい.

地下1階には「まるごと北海道」

2階にはペッパーランチ.「いきなりステーキ」と同じ会社なので,メニューはほぼ同じだが,家族連れでも安心できるテーブル席がメイン.

そのほか,上野精養軒や牛タンねぎしなども入る.レストラン聚楽は新しいビルにはテナントとして入らなかった.ただ,中央通り道路向かい側のガード下には「レストランじゅらく」がある.

1階には外貨両替機が設置してある.


UENO3153ビルの隣(上野公園側)には「さくらテラス」という飲食店の入ったビルがある.かつての松竹デパートの跡地で,山手線や京浜東北線の車窓から「上野囲碁センター」の看板と囲碁を打つ人々を見た記憶のある方は多いのではないだろうか.そのビルがなくなって新しくなったのである.


さらに,さくらテラスの隣(上野公園側)には,「バンブーガーデン」がある.かつてはちょっと近寄るのをためらってしまうような汚らしい一角であったこの周辺地域は,一気におしゃれな商業施設に生まれ変わっていた.ここで家族で食事をして,上野公園や上野動物園,博物館・美術館に行くのも全然OKである.


かつての西郷会館のビル.上野百貨店,聚楽の看板が懐かしい.

特別展「昆虫」(国立科学博物館)【東京考察#347】

Special exhibition insects(National Museum of Nature and Science)

「昆活しようぜ!」ポスター

今年の夏の東京は「昆虫」が熱い! 東京スカイツリーや東大の研究博物館,国立科学博物館で昆虫展をやっているのではしごをしてみるのも面白い.上野にある国立科学博物館では,「生態、多様性や機能、他の生物との関わりなど、幅広い視点から昆虫の魅力に迫り、その研究成果が現代社会でどのように活かされているのかを取り上げます。」をテーマに,わかりやすい展示内容で特別展として開催されている.夏休み期間中なので多くの家族連れで混雑しており,落ち着いてゆっくり見るというわけにはいかなかったが,時間が許せば空いている平日にじっくりと見てみたい.開催期間は2018(平成30)年7月13日(金)~10月8日(月)まで.ローソンだと企画チケットとして割引のファミリーチケットなどを事前購入できる.

特別展は別の入口からも入れる.

熱いから配布されるうちわ.昆虫ワールド!

蚊の巨大模型!

こちらはセミ!

続いてチョウチョ.

このように巨大模型が展示されている.

昆虫の歴史が年表で学べる.

とにかくすごい人.昆虫って子供たちに大人気なのである.東京の大都会で触れる機会があまりないのにと思うが,むしろ大都会で見られなくなったからこそ珍しい昆虫が注目されるのか.

それぞれの生息環境ごとに標本が展示されている.

漫画でわかりやすく解説.

昆虫人間,カブトムシマン.「何じゃこりゃ」っていう感じ.

標本の作り方を映像で紹介.

標本がずらりずらり.標本をゆっくり見るなら,東京大学総合研究博物館にも足を運ぶといい.

ゲーム感覚で学ぶこともできる.

懐かしい~.ジャポニカ学習帳の表紙には虫の写真が載っていたっけ.

お土産グッズ売り場も大盛況.

これ本物の生物が入った「化石」.お値段は・・・

ゴキブリは17,820円.

カメムシは58,400円.

ヤゴは,な・な・なんと194,400円!これは子供のお土産としては買えないな~.同じ昆虫なんだけど.ゴキブリは安い.

記念写真は「昆活しようぜ!」 オフィシャルサポーターとして俳優の香川照之さんが務めている.昆虫に関わる活動を昆活と呼びかけている.NHK-Eテレの番組「昆虫すごいぜ!」でカマキリ先生として登場しており,子供たちにも人気がある.

館内を出ると,おなじみのシロナガスクジラの屋外展示.

浅草すしや通り(浅草一丁目)【東京考察#339】

Asakusa sushi street mall


浅草すしや通り 

 


 浅草すしや通りは,浅草一丁目の浅草公園六区へ向かう道に位置する商店街である.延長は100mほどで決して長くはないが,飲食店が多く,戦前はすし屋が多かったことからこの名で呼ばれるようになったという.現在歩いてみると,それほどすし屋が多いとは感じない.1960(昭和35)年に浅草寺が再建されたときにアーケードが完成しているが,このアーケードは都内第1号許可のものだとか.現在のアーケードは1986(昭和61)年に改修されたものである.

アーケードにデザインされているイラスト
「浅草はいつもモダン」 昭和の香りがプンプンする

すし屋が多いからすし屋通り
でも最近はそれほど多くないと感じる.
 
すし屋に限らず,飲食店が並んでいる.
 
歴史と重みを感じさせる店構え

 

まるごとにっぽん(浅草公園六区)【東京考察#338】

Japanese excellent article for sale shop “Marugoto Nippon” at Asakusa


浅草公園六区にある「まるごとにっぽん」

 


 「まるごとにっぽん」とは,次世代に向けて日本の古き良き伝統や食文化・製品を後世に繋げていくため,全国47都道府県の逸品や名産品を紹介する商業施設である.2015(平成27)年11月にオープンした.東京楽天地浅草ビルの1~4階までが「まるごとにっぽん」となっており,5階以上はリッチモンドホテルである.公園六区と言えば,戦前戦後の一大歓楽街であったが,近年はかつてほどの勢いはない.この勢いを取り戻すべく株式会社東京楽天地によってできたのが当施設である.全国からの逸品がそろっており,見るだけでも面白い商業施設である.

フロアは1~4階
 
木のぬくもりを感じさせる落ち着いた空間
全国からの逸品が集まっている

一見すると温泉施設!!?
これは温泉グッズを売るお店なのである.
 

浅草寺【東京考察#337】

Sensoji Temple


大勢の参拝客で賑わう浅草寺

 


 浅草寺は,都内で最古となるお寺である.大勢の参拝客が訪れており,年間参拝客は約2,800万人というから驚く.近年の外国人観光客のブームもあって,海外からの皆様も多く目にする.本尊は聖観音菩薩で浅草観音として親しまれている.ちなみに地名は「あさくさ」,お寺は「せんそうじ」と読む.仏教に関連したお寺は音読みになり,日本古来からの地名は訓読みだからとのこと.神社は訓読みだそうである.

宝蔵門(仁王門)
1945(昭和20)年に戦災にあって,
現在の門は1964(昭和39)年の再建によるもの.
 
仁王さま「阿形(あぎょう)」と「吽形(うんぎょう)」

浴衣を着た外国人観光客(レンタルがある)
暑い夏でも涼しげな風景となり,よく似合っている.

本堂が見えてきた.

煙をかぶると頭がよくなると小さい頃教えられたことを思い出す

お水舎
龍神像をまつっている

本堂へ上る階段
多くの参拝客が訪れている

本堂から見た宝蔵門

五重塔は改修工事中であった

ポポンデッタwith東武鉄道ギャラリー【東京考察#336】

Popondetta With TOBU Railway

 


 ポポンデッタはNゲージを中心とした鉄道模型を扱う専門店である.その鉄道模型店と東武鉄道がコラボレーションしたお店が,東武浅草駅の上,浅草エキミセの7階にある.通常の模型の他に,ミニ博物館「東武鉄道ギャラリー」があって,かつて日光・鬼怒川を結んでいたデラックスロマンスカー「けごん」や,東武の歴代の車両が解説されていたりする.また,レンタルレイアウトといってNゲージのレイアウトをレンタルして運転できるコーナーも設けられており,ちょっとした鉄道博物館的な感じのするお店である.東武鉄道に特化したグッズなどもあって,東武ファンにはたまらないお店である.2015(平成27)年9月にオープンした.営業時間は10時~20時.

東武鉄道とのコラボなので,
歴代の車両が解説付きで展示されている.

鉄道模型がずらりと販売されている.
もちろん東武鉄道関連も含まれている.
 
Nゲージのレンタルレイアウト
1番線から12番線まである.1時間600円~(土日祝),お試し20分400円(土日祝)もある.

1番線は8000系の実物運転台
 
広いレイアウトで遊びたいときにはお勧めである.

浅草エキミセ(松屋浅草・東武浅草駅ビル)【東京考察#335】

Asakusa Eki Mise (Tobu Asakusa Station building)


浅草エキミセ

 


 浅草エキミセは,かつては全フロアーが松屋浅草デパートであったものが,松屋浅草の縮小に伴って開業した商業施設である.ビルの2階が東武鉄道浅草駅となっているため,東武浅草駅といった方がピンとくるかもしれない.
松屋浅草は歴史のあるデパートで1931(昭和6)年に開業しており,現在の建物もその時に建設された壮麗なネオ・ルネサンス様式の建築である(建物は東武鉄道の所有).関東初の百貨店併設の駅ビルで,当時は日本最大級の規模であり,設計は南海難波駅などを手がけた建築家久野節であった.昭和初期の浅草は東京の一大歓楽街であったので,当時は相当の賑わいだったに違いない.
その後1970年頃に,外壁の劣化による剥離防止のため,建物の外壁をアルミルーバーで全面的に覆う工事を行ったため,それ以降,ネオ・ルネサンス様式の建物ファサードが見られない時期が続いていた.そして,近年,耐震改修工事とあわせて建物の歴史的価値の再評価を行うことによって,全面を覆っていたアルミルーバーを全て撤去し,2012(平成24)年の東京スカイツリー開業にあわせて,極力往年の姿に近づけた全面リニューアルによる復活がなされたのである.
やはり当時の本物の姿を眺めると,重厚感があって素晴らしいと改めて感じる.以前の無機質なアルミルーバーで覆ったものとは格段の違いがある.この全面リニューアル時に松屋浅草はフロアーを縮小し,現在は地下1階~3階までが松屋浅草となって,4階~7階は各テナントが入居する「浅草エキミセ」として再出発した.2階は東武浅草駅ターミナルとなっている.
 
リニューアル後の建物.
当時のファサードが復活し,重厚感ある浅草駅が蘇った.

こちらがリニューアル前の松屋浅草(東武浅草駅)
アルミルーバーにより全面的に覆われてしまっていた.
(1989(平成元)年10月に撮影)
 
1階の東武浅草駅.
乗り場はエスカレータで2階まで上がる.

浅草エキミセのフロア案内

浅草ハレテラスは屋上にある展望施設
レトロな階段で屋上に上がると・・・

スカイツリーが目の前に広がるテラスとなる
 
納涼ハレテラス エキビアホール
しかし,本日の気温35度の炎天下では誰もいないかと思いきや...

ビールを飲む人たちがいた!しかもバーベキュー!

正一位出世稲荷大明神を祀る神社

7階はレストラン街「駅見世ごはん」
浅草には「デパート」というイメージはないが,
それを求めたいときは浅草エキミセ(松屋浅草)がお勧め.
その他,くまざわ書店,家電のノジマ,Right-on,ABCマートなどが入る.

東武鉄道が所有するビル内にあるだけあって
東武関連を充実させた鉄道模型を取りそろえるポポンデッタ
(詳しくは,次項目(東京考察No.336)で)

谷中七福神めぐり(天王寺・護国院・不忍池弁天堂)【東京考察#310】

The Yanaka Seven Gods of Good Luck traveling


七福神

 


前のページへ(No.309 谷中七福神めぐり(修性院・長安寺))
 谷中七福神は江戸最古の七福神と言われている.七福神めぐりとは「恵比寿」・「大黒天」・「毘沙門天」・「弁財天」・「福禄寿」・「寿老人」・「布袋尊」の七神が祀られている寺社をめぐって,家内安全や商売繁盛,縁結びなどの「万幅招来」を祈願するために,室町時代に京都から始まって,江戸時代に全国に広まり,お正月に参拝するものである.この期間には御神体を御開帳し,御朱印を授けてもらえる.七福神は人々に幸福をもたらす神として古くから信仰の象徴とされていて,この谷中七福神巡りを終えたあとの心のすがすがしさ,心のスッキリ感は何とも心地よい.
谷中七福神の御開帳,御朱印は,1月1日(元旦)~1月10日まで(2011年以降.かつては1月15日まで実施していた),時間は9時~17時まで行われる.谷中七福神御朱印和紙1000円をまずは購入(各寺で購入できる)し,各寺で御朱印を受ける際に200円ずつ納める.総距離は約5kmとなっていて,単純に計算すると約1時間30分で歩けそうであるが,寄り道などしていると結構時間の経つのが早くて,最低でも時間は3時間程度を見ておいた方がよい.(時間が短いと,御朱印をもらうためだけに急いで歩いているだけの感じがしてしまい,歩くことが楽しめなくなると思う)


長安寺→天王寺 (約0.3km 約6分)

長安寺から天王寺までは谷中霊園の中を歩いていく

霊園内の天王寺駐在所にて左に曲がる

谷中霊園・ソメイヨシノの桜並木の中を歩く
静かな環境の中,両側には墓地が広がる
<毘沙門天・びしゃもんてん>
⑤天王寺・てんのうじ
ご利益:威光

天王寺.実は,日暮里駅の横(の坂の上)にある.

毘沙門天が祀られている毘沙門堂
このお堂は1961(昭和36)年に完成した.
1957(昭和32)年の放火によって焼けてしまった五重塔の残材で建てられている.

釈迦如来座像がある.
江戸時代には,徳川幕府公認の富くじが行われ賑わっていた.


天王寺→護国院 (約0.9km 約17分)

谷中の街を歩いていく.

谷中らしい建物が見られる

<大黒天・だいこくてん>
⑥護国院・ごこくいん
ご利益:富財


護国院の正式名称は「東叡山護国院大黒天」と呼ばれ,別名「東叡山釈迦堂」である.
寛永寺の子院となっており,1630年に開基した.

護国院本堂


護国院→不忍池弁天堂 (約1.1km 約21分)

ゴールを目指して,ひたすら歩く.
上野高校前の専用歩道橋.
だんだん日も暮れてきた.

上野公園に入ると,あと少しだ.
 
レンガ造りの古い建物の横を通り,
清水坂を下がっていく.

森鴎外居住の跡となっている鴎外温泉
(水月ホテル鴎外荘)

上野動物園のモノレールが見えてくると,
不忍池弁天堂はもうすぐだ.

不忍池の真ん中に島があり,そこに弁天堂がある.
<弁財天・べんざいてん>
⑦不忍池弁天堂・しのばずのいけべんてんどう
ご利益:愛敬

参拝の行列ができていた.
午後5時で閉まってしまうので,御朱印を先にもらって列にならんだ.
17時まであと20分となっていた.

不忍池弁天堂 本堂

甲府鳥もつ煮の屋台には行列ができていた



全部揃った,谷中七福神御朱印和紙.
田端駅を14時に出発し,終了したのは17時であった.

お寺でもらえる地図
JR田端駅でも,JRのパンフレット地図が配られている.

谷中七福神めぐり(修性院・長安寺)【東京考察#309】

The Yanaka Seven Gods of Good Luck traveling


前のページへ(No.308 谷中七福神めぐり(東覚寺・青雲寺))
 谷中七福神は江戸最古の七福神と言われている.七福神めぐりとは「恵比寿」・「大黒天」・「毘沙門天」・「弁財天」・「福禄寿」・「寿老人」・「布袋尊」の七神が祀られている寺社をめぐって,家内安全や商売繁盛,縁結びなどの「万幅招来」を祈願するために,室町時代に京都から始まって,江戸時代に全国に広まり,お正月に参拝するものである.この期間には御神体を御開帳し,御朱印を授けてもらえる.七福神は人々に幸福をもたらす神として古くから信仰の象徴とされていて,この谷中七福神巡りを終えたあとの心のすがすがしさ,心のスッキリ感は何とも心地よい.
谷中七福神の御開帳,御朱印は,1月1日(元旦)~1月10日まで(2011年以降.かつては1月15日まで実施していた),時間は9時~17時まで行われる.谷中七福神御朱印和紙1000円をまずは購入(各寺で購入できる)し,各寺で御朱印を受ける際に200円ずつ納める.総距離は約5kmとなっていて,単純に計算すると約1時間30分で歩けそうであるが,寄り道などしていると結構時間の経つのが早くて,最低でも時間は3時間程度を見ておいた方がよい.(時間が短いと,御朱印をもらうためだけに急いで歩いているだけの感じがしてしまい,歩くことが楽しめなくなると思う)


青雲寺→修性院 (約0.1km 約2分)

青雲寺から修性院までは,細い路地を歩いてすぐのところにある.
100m約2分でつく.

塀に布袋尊のイラストが現れたら修性院となる.
<布袋尊・ほていそん>
③修性院・しゅしょういん
ご利益:大量

修性院の入口.
江戸時代,このあたりは「ひぐらし(日暮らし)の里」と呼ばれ,
花を楽しむ人々で賑わったところでもある.
修性院も,青雲寺とともに,花見寺として賑わっていた.

修性院の本堂.
参拝と御朱印をもらう人々で賑わっている.
布袋尊は約200kgもあるという巨大なもので,存在感がある.
「ひぐらしの布袋」として本堂内にて拝むことができる.
 
境内に移動カフェがある.コーヒー200円
日蓮宗のロータスカフェ.お寺とカフェのコラボレーション.


修性院→長安寺 (約0.7km 約13分)
 
修性院を出てすぐ左側に「富士見坂」がある.
今でも上にあがると,富士山が軸線上に見える.

残念ながら富士山は望めなかった.霞がないと,
街灯の富士山デザインの所(ビルとビルの間)に見える.

密集した住宅街となっている西日暮里

そして,谷中銀座となる.
外国人観光客もチラホラ歩いていて,
下町情緒たっぷりの商店街である.

階段を登って振り返ると,
よくテレビでもおなじみの「夕焼けだんだん」の風景となる.
猫がひなたぼっこしていた.

谷中の標記は,さすが多言語.

谷中らしい建物が現れてきた.
<寿老人・じゅろうじん>
④長安寺・ちょうあんじ
ご利益:長寿

長安寺には寿老人が祀られている.
1669(寛永9)年老山和尚による創建.
長安寺の寿老人は,徳川家康が納めたと言われており,等身大の寄木彫刻である.

乳母車を押して,子供達と一緒に,
家族連れで回っている人も見かける.

本堂内で御朱印をいただく.
次のページへ(No.310 谷中七福神めぐり(天王寺・護國院・不忍池弁天堂))

谷中七福神めぐり(東覚寺・青雲寺)【東京考察#308】

The Yanaka Seven Gods of Good Luck traveling


七福神

 


 谷中七福神は江戸最古の七福神と言われている.七福神めぐりとは「恵比寿」・「大黒天」・「毘沙門天」・「弁財天」・「福禄寿」・「寿老人」・「布袋尊」の七神が祀られている寺社をめぐって,家内安全や商売繁盛,縁結びなどの「万幅招来」を祈願するために,室町時代に京都から始まって,江戸時代に全国に広まり,お正月に参拝するものである.この期間には御神体を御開帳し,御朱印を授けてもらえる.七福神は人々に幸福をもたらす神として古くから信仰の象徴とされていて,この谷中七福神巡りを終えたあとの心のすがすがしさ,心のスッキリ感は何とも心地よい.
谷中七福神の御開帳,御朱印は,1月1日(元旦)~1月10日まで(2011年以降.かつては1月15日まで実施していた),時間は9時~17時まで行われる.谷中七福神御朱印和紙1000円をまずは購入(各寺で購入できる)し,各寺で御朱印を受ける際に200円ずつ納める.総距離は約5kmとなっていて,単純に計算すると約1時間30分で歩けそうであるが,寄り道などしていると結構時間の経つのが早くて,最低でも時間は3時間程度を見ておいた方がよい.(時間が短いと,御朱印をもらうためだけに急いで歩いているだけの感じがしてしまい,歩くことが楽しめなくなると思う)


田端駅→東覚寺 (約0.4km 約8分)

まずは,JR田端駅(北口)からスタート
改札口前には「谷中七福神巡り」の張り紙が貼られていた.
改札を出て左に歩いていくと,福禄寿が祀られている「東覚寺」がある.

<福禄寿・ふくろくじゅ>
①東覚寺・とうがくじ
ご利益:人望


室町中期の1491(延徳3)年に創建された寺.
写真にちょっと赤く写っているのは,一対の仁王像であり,
病の場所に赤紙を貼ると治ると言われている「赤紙仁王」.

入って左手の建物で,七福神の描かれた和紙(1000円)に
ここの御朱印(200円)が押された御朱印和紙を購入した.
御朱印和紙を購入すると,谷中七福神のマップももらえる.
これを見ながらゴール(上野不忍池弁天堂)を目指すことになる.

東覚寺本堂.中に御開帳された福禄寿が祀られている.
このお寺の福禄寿は杖と宝珠を持って,金襴の冠をかぶっており,両手で経巻を握っているとか.
 
東覚寺本堂の細い脇を通ると,裏側に日本庭園がある.


東覚寺→青雲寺  (約1km 約18分)

マップを見ながら住宅街の中を歩いていく

地図にも記載されている「千歳湯」
右側にある煙突が途中でなくなっているので,
廃業しているのかと思ったが,今はガスで湧かしている銭湯とのこと.

御朱印和紙は,折り目をつけたくないので,
このように丸めて持ち歩いた.
筒があると便利かも.

狭い路地を左に曲がると旗が見えて青雲寺となる.
<恵比寿・えびす>
②青雲寺・せいうんじ
ご利益:正直

青雲寺の本堂.
中に恵比寿神が祀られていて,御開帳時には拝むことができる.
宝暦年間(1760年頃)に興されたと伝えられているが,
現在の本堂は,第二次世界大戦の空襲で焼失したため,1960(昭和35)年に再建されたもの.
 
御朱印をもらうところには行列ができる.
本堂で参拝してから御朱印の列に並ぶ.

御朱印の他に「スタンプ」もある.
御朱印は200円かかるが,スタンプは無料で押印できる.
両方押している人も多かった.

私の御朱印和紙.
2つの七福神を拝んだ.あと5つ.
次のページへ(No.309 谷中七福神めぐり(修正院・長安寺))

2010年師走の東京スカイツリー(建設中)【東京考察#307】

“Tokyo skytree” in the end of the year in 2010 ( Now constructing)

 


 着々と建設が進んでいる東京スカイツリー.2010(平成22)年の師走のスカイツリーをお届けする.第2展望台も見えてきて,アンテナ部分の建設が634mを目指してこれから進む.高さは約500m(写真撮影当時)に達している.

隅田公園西岸から撮影した東京スカイツリー
鉄橋は東武鉄道の橋梁.

隅田川西岸は,桜のシーズンには
お花見スポットとして有名である.

カメラを構える人が多い.

水上バスのりばがある吾妻橋
撮影する人など人で賑わっている.
浅草にとっても,スカイツリーは大きな起爆剤.

みんなスカイツリーを見ている(撮影)している人

 

観光路線バス「東京・夢の下町」【東京考察#282】

Torism local bus “Tokyo and The downtown of the dream”


観光路線バス「東京・夢の下町」

 


 初めて東京を訪れる人でも気軽に都内の名所を巡れるように,2008(平成20)年4月より都バスで運行を開始した路線バスが「東京・夢の下町」号である.東京駅丸の内北口から日本橋,須田町(秋葉原電気街),上野公園下,菊屋橋(かっぱ橋入口),浅草雷門を経由して両国駅前までを結ぶ路線で,9時から18時まで30分間隔で運行されている.近年増加している外国人観光客にも対応できるように,車内放送やTVモニターでは日本語・英語・韓国語・中国語による案内がされ,車内に置かれている案内パンフレットも他言語版が用意されている.一般の都バスと同じ扱いなので,一日乗車券やパスモなどのIC乗車券でも乗れる.車両デザインは,首都大学東京との産学連携によるオリジナルデザインのバスを使用し,車体はステンレス製で塗装がないものとなっている.
 
車内に付いているTVモニター
映像と共に多言語で案内が流れる

車内 基本的には横に向いて座るロングシートタイプ

出入り口脇には,多言語のパンフレットが置かれている.

こちらは英語版のマップ

ディープな上野公園(社寺編)【東京考察#277】

The details in Ueno Park ( The shrine Buddhist temple )


 もともと上野公園は,江戸の三代将軍・徳川家光が鬼門を封じるために東叡山寛永寺の敷地であったが,戊辰戦争において寛永寺に立てこもった旧幕府軍を新政府軍が攻めたことにより,焼け野原となっていた.その場所に医学校と病院を建設する予定であったが,上野の山を視察したオランダ医者のボードワン博士が,公園として残すよう日本政府に働きかけて,1873年に日本初の公園に指定されたものである.現在では,春になると桜の名所となり,様々な博物館が建ち並び,上野動物園もあって,文化芸術の森となっているが,じっくり公園を歩いてみると様々な銅像や社寺があることに気づく.普段は見逃してしまいそうな,そんな上野公園を改めて散策した.こちらは社寺編となる.
 
上野東照宮 唐門と銅灯籠
 藤堂高虎が上野の屋敷内に,徳川家康と追慕して家康を祭神とする宮祠を造った.これが上野東照宮の創建といわれている.現在の社殿は1651(慶安)4年に3代将軍家光が大規模に作りかえたもので,現在に至っている.国の重要文化財に指定されている.唐門は日本には一つしかない金箔のものである.灯籠は神事や法会を行うときの浄火を目的としているが,上野東照宮には50基ほどの銅灯籠があり,これは諸国の大名が納めたものとなっている.竿の部分には寄進した大名の姓名と官職名・年月日などが刻印されている.
 
尊顔のみ残った上野大仏
 上野大仏は,1631(寛永8)年に越後の国村山城主・堀丹後守直寄公旧自邸内であったこの高台に,戦乱に倒れた敵味方将兵の冥福を祈るために土で釈迦如来像を建てたのが始まりで,その後火災によって,1841(天保12)年に大仏を新鋳したものである.1923(大正12)年の関東大震災によって仏頭が落ちて寛永寺にて保管されていたが,第二次世界大戦により体が献納されて尊顔のみが残っていた.1972(昭和47)年に,尊顔を再び旧地に迎えて再建したのが,現在の上野大仏となっている.
 
花園稲荷神社
 安産・縁結びの神といわれている花園稲荷神社.
 
五條天神社
 学問の神様となる天神社である.
 いずれの施設も,上野公園に隣接しており,日本文化が身近に感じられるとあって,外国人観光客が多く訪問している.

ディープな上野公園(銅像編)【東京考察#273】

The details in Ueno Park ( The statue )


野口英世像


 もともと上野公園は,江戸の三代将軍・徳川家光が鬼門を封じるために東叡山寛永寺の敷地であったが,戊辰戦争において寛永寺に立てこもった旧幕府軍を新政府軍が攻めたことにより,焼け野原となっていた.その場所に医学校と病院を建設する予定であったが,上野の山を視察したオランダ医者のボードワン博士が,公園として残すよう日本政府に働きかけて,1873年に日本初の公園に指定されたものである.現在では,春になると桜の名所となり,様々な博物館が建ち並び,上野動物園もあって,文化芸術の森となっているが,じっくり公園を歩いてみると様々な銅像や社寺があることに気づく.普段は見逃してしまいそうな,そんな上野公園を改めて散策した.こちらは銅像編となる.
 
安井誠一郎像
 JR上野駅の公園口を降りて横断歩道を渡り,東京文化会館の脇に設置してある銅像は,戦後初代の東京都知事となった安井誠一郎像である.戦後の東京復興,東京オリンピックの招致など,12年間にわたって知事を努め,この偉業を偲んで1966(昭和41)年に当時の東龍太郎知事が設置したものである.
 
試験管を振る野口英世像
 噴水広場の奥,国立科学博物館脇の散策路に立つのが世界的に有名な細菌学者・野口英世像である.1876(明治9)年に福島県猪苗代町で生まれ,その後中南米やアフリカに赴いて黄熱病の研究に努めたが,自ら黄熱病にかかってしまい1928(昭和3)年に53才で没した研究者である.銅像建立の活動は,当初,福島県三春町出身の玉応不三雄という人物が行っていたが,その後,日本医師会北里研究所野口英世記念会などの活動により1951(昭和26)年,現在の場所に建立された.
 
上野公園を提唱した生みの親「ボードワン博士」
 ボードワン博士はオランダ軍医の講師として,1862~1871(明治4)年まで滞在していた.ここは東叡山寛永寺の境内であり,幕末の上野戦争で荒廃したため,病院の建設計画があがっていたが,すぐれた自然が失われるのを惜しんで政府に公園造りを提言したのがボードワン博士である.そして,1873(明治6)年に日本で初めての公園が誕生することになり,いわはボードワン博士は,上野公園の生みの親と言われている.この像は上野恩賜公園開園百年を記念して1973(昭和48)年に建てられたが,製作の手違いにより弟の写真を基にした像が置かれていて,2006(平成18)年に本人の像に置き換えられた経緯がある.
 
女性の像
 噴水広場脇の散策路にひっそりと佇む女性の像であるが,特に説明書きもなく由来などは不明である.太もものコンクリートがはがれ落ち,芸術の森ということで作られた像なのだろうか?
 
小松宮彰仁親王銅像
 彰仁親王は,伏見宮邦家親王の第八王子である.1868(慶応4)年の鳥羽・伏見の戦いに征東大将軍として参戦し,会津征伐越後口総督となって戊辰戦争に従軍している.1877(明治10)年の西南戦争の負傷者救護団体として創立された博愛社(のちの日本赤十字社)の総長に就任し,以後赤十字活動の発展に貢献していった.銅像は1912(明治45)年に建てられたものである.

忘れてはいけない西郷隆盛像
 西郷隆盛の詳しい説明は省くが,上野公園で最も有名な銅像であろう.この銅像は高村光雲によって彫られた銅像で1897(明治30)年に完成した.

浅草仲見世(雷門から浅草寺まで)【東京考察#271】

Asakusa Nakamise ( To Senso-ji from Kaminarimon )


雷門の提灯


 浅草仲見世は,日本で最も古い商店街の一つで,江戸時代の浅草寺への参拝客に対して出店を行ったのが始まりである.その後,変遷を得て現在のような姿となっている.約250mの直線道路に,約90店舗が並んでおり,日本のみならず海外からの観光客で賑わっている.2008年師走の様子を撮影した.

雷門から仲見世へ.雷門は観光客の撮影ポイント.
右に風神,左に雷神が祀られている.(風雷神門)

雷門の真下
 
とにかくすごい人
正月前なので装飾も華やか
==今回は「食い倒れ」と行きましょう==

浅草名物「人形焼き」は半額サービス

「あったか甘酒」は1杯100円

「串ぬれおかき」も1本100円
これ,せんべい餅を柔らかくして串に刺したもので,
独特の食感が美味しい.
 
「よもぎ餅」 程良いあんこが美味.
 
「あげまんじゅう」も1個100円
抹茶やごま,梅などもある.

「手焼きせんべい」は門前町の定番

「ちょうちんもなか」には行列が...

富士山の初日の出が見えると,まもなく浅草寺

浅草寺

お線香の煙を浴びる

お参り

不忍池(上野)【東京考察#260】

Shinobazunoike ( Ueno )


不忍池


 不忍池(しのばずのいけ)は,上野恩賜公園の南端にある池である.周囲は約2kmで,北側には上野動物園がある.中央には弁才天を祀っている弁天島(中之島)があり,池の真ん中に遊歩道が走っている.不忍池はこの遊歩道で3つに分けられており,蓮で覆われる蓮池,ボートの浮かぶボート池、鵜が棲息している池がある.渡り鳥も含めて,数十種類の鳥がみられ,春になると桜の花で遊歩道が満開となり,上野にある水辺のオアシスとして存在している.水質浄化のため,水を循環させるためのばっ気装置などが付けられている.

のんびり散策にはもってこいの不忍池

蓮が浮かぶ蓮池(写真では見えないが)
 
様々な鳥を見ることができる

春になると遊歩道は桜のトンネルとなる
 
ボート池では足こぎボートに乗れる
1時間600~700円

弁天島にある弁財天(弁天堂)

花見シーズンには出店も出てお祭り気分
外国人観光客も多い

上野公園の上から見た弁天堂と参道

(余談・・・)
 
2008(平成20)年4月21日に
50年間の歴史に幕を閉じたレストラン「聚楽」(上野百貨店)
また,上野らしさが消えることとなる.
(反対側の旧京成本社跡地には大きなヨドバシカメラ・マルチメディア上野店がオープンした)

旧岩崎邸庭園(池之端)【東京考察#259】

The old Iwasaki mansion garden ( Ikenohata )


岩崎邸庭園入口


 旧岩崎邸は,1896(明治29)年に三菱財閥の創設者である岩崎家本邸として建てられたもので,イギリス人のジョサイア・コンドルによって設計された.近代日本を代表する西洋木造建築で,ジャコビアン様式の装飾が施されており,1999年に重要文化財に指定されている.十年余りの修復作業ののち,2001(平成13)年に開園した公園である.上野駅から不忍池を通って池之端に向かうと,この洋館のある庭園があり,上野のアメ横の雰囲気とはまた違った上野が楽しめて面白い.開園時間9時~17時まで,入園料大人400円,年末年始以外年中無休.
 
洋館.1896(明治29)年に完成したもの.

エントランス.電球色のほのかな灯りがいい.

大きな鏡がある.

スチーム.古い洋館にはつきもの.
ヨーロッパで古いホテルに泊まるとありそうな感じ.

角のスペースをうまく使っている小便器(男性用)

やっぱり電球色はいい.

洋館から和館への廊下

和館の和室

和館ではちょっとした茶菓が食べられる

ビリヤード場(撞球場)
洋館から地下道でつながっているとか.

袖塀にある三階菱
岩崎家の家紋となっている.
現在の三菱マーク(社章)の原形.

 

上野駅低いホーム【東京考察#252】

The home with the low position which is in Ueno station


上野駅低いホーム


 上野駅低いホームは13~17番線のことを指し,宇都宮・高崎線の一部普通列車と,東北本線・常磐線等の特急や寝台の優等列車が発車する.新幹線が開業する前までは,東北方面の優等列車が発車するホームで,各方面への乗客で大変な賑わいを見せていたホームであった.東京にある駅の中で,ヨーロッパのような串刺し式の終着駅の雰囲気が味わえる駅である.「低いホーム」とは,1~12番線(山手線・京浜東北線・常磐線・宇都宮線・高崎線)までの高架上の駅(「高いホーム」「高架ホーム」)と区別するための呼び名であり,上野駅は2階構造になっているのである.石川啄木の「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにいく」という歌は有名である.
 
中央改札口を通るとその奥が低いホームとなる

低いホーム
左側が13番線,右側が17番線と新幹線改札口

上部に見えるのが12番線(常磐線)の高いホーム
吹き抜けで,高いホームと低いホームが一部同じ空間となっている.

北斗星が到着した13番線

終着駅なので車止めがある

石川啄木の歌碑
「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにいく」

家族で特急スーパーひたちを見学

特急のホーム(16・17番線)には特急券を拝見する改札口がある

ずらずら並ぶ電光掲示板は終着駅という感じになる.

朝顔まつり(入谷鬼子母神) 【東京考察#229】

The morning-glory fair ( Iriya goddess of children )


いろいろな朝顔がある


 入谷朝顔市は,入谷鬼子母神を中心として,毎年7月6~8日の3日間開催されるものである.もともと朝顔は,奈良時代に薬用として中国より入ってきたもので,最初は青色のみだった.入谷で盛んに朝顔が栽培されるようになって,「入谷の朝顔」として知られるようになったのは明治の中頃からで,植木氏成田屋留次郎の活躍をはじめ,十数件の植木屋が始めたものと伝えられている.
大正初期に市街化によって途絶えた朝顔市だったが,戦後の昭和25年になって朝顔市が復活し,七夕にちなんで7月6・7・8日が祭りの開催日と決定したという.当初は朝顔の咲く時期ではなかったため,大変苦労したとのことである.毎年,大勢の人出で賑わい,土日開催の時などは身動きがとれない程の人出でごった返す(今回).朝顔市が始まると,これから暑い夏がやってくるんだな,と思わせる季節の風物詩である.

地下鉄入谷駅側の様子
JR鶯谷駅からもアプローチできる

言問通り沿いに出店が並べられる

たばこの自動販売機に貼られた朝顔まつりのポスター

朝顔が棚に並べられる
 
威勢のよいかけ声で,朝顔が売られる

色とりどりの朝顔

朝顔にも様々な種類があるようだが,
1鉢2000円となっていて,この値段は朝顔組合で決まっている.

溢れんばかりの人で歩道は満杯である


入谷鬼子母神
朝顔まつりの中心的存在である
 入谷鬼子母神は,日蓮上人の尊像とともにこの地の眞源寺に祀られており,1659(万治2)年に創建されたものである.入谷鬼子母神では,子育ての善神になったという由来から本来の名称記述には「鬼」の字の角(上のチョン)がない字を使用している.(変換文字にはないので,表記は「鬼」にしている)

お守りを買うと,火打ち石で念仏を唱えてくれる

入谷鬼子母神も人出が多い

組合の朝顔には,すべてこの札が取り付けられている

反対側の歩道は,食べ物の屋台が並んでいる

両手に朝顔!

谷中銀座 【東京考察#223】

Yanaka Ginza


休日には観光客で賑わう谷中銀座


 近年,下町情緒の残る街として脚光を浴びている「谷根千(やねせん)」である.谷根千とは,地名の谷中・根津・千駄木の頭文字をとって付けられたもので,昔の東京の面影を残す下町の路地裏に,小さな店や施設が点在しており,マップ片手にブラブラ歩くと新たな発見があったりして面白い.その谷根千の中にある商店街が「谷中ぎんざ」である.日暮里駅を降りて歩いていくと谷中銀座にたどり着くが,お寺,煎餅屋など,下町風情の香りが伝わってきて,谷中銀座では名物の谷中メンチを頬張って,ポカポカ陽気の下町をふらっと歩いてみるのもまた楽し.

JR日暮里駅
駅の西側は武蔵野台地となっていて,そこはもう谷中である

木陰で客待ちをする人力車

下町に必ずあるせんべい屋
もちろん1枚から買える.色々な種類のせんべいがある.

こちらは佃煮屋
大皿から量り売りする.
 
「経王寺」
慶応4(1868)年の新政府軍の攻撃を受けて,
この山門に今も銃弾痕が残っていることはあまり気づかれない.

ツツジが満開の延命院

だんだんと「谷中ぎんざ」が見えてきた

「夕やけだんだん」の階段を下りると,谷中ぎんざが広がる
ここから眺める夕焼けは絶景だという 命名は作家・森まゆみだとか

「夕やけだんだん」
谷中という地名は,台東区に位置するのであるが,
この階段は,荒川区西日暮里にある.
谷中銀座の中に区境があって,
行政区名上は荒川区西日暮里と台東区谷中が混在している.

飴(あめ)屋
 
狭い商店街,最近の谷根千ブームで人出が多い
カフェ有り,雑貨あり,肉屋あり・・・・
 
谷中名物のひとつに「谷中メンチ」がある
もともとはお肉屋さん.1個100円


「谷中ぎんざ」を抜けると「よみせ通り」となる

谷根千の魅力は,路地裏をブラブラ歩くことにある

福丸の10円まんじゅう

台東区循環バス「東西めぐりん号」も
人を避けながら路地裏を走っていく
いまはやりのコミュニティーバス

地下鉄千駄木駅に到着
(団子坂下交差点前)
明治時代は菊人形の名所だった.

東京国立博物館(上野) 【東京考察#222】

Tokyo National Museum


東京国立博物館


 東京国立博物館の歴史は古く,明治5(1872)年に文部省が湯島聖堂で最初の博覧会を開催したのが博物館としての始まりで,その後,明治15(1882)年に上野公園に移ってから,現在に至っているのが,東京国立博物館である.
展示館は,「本館」「東洋館」「平成館」「法隆寺宝物館」「表慶館」の5つに分かれており,全ての展示を見ようと思ったら,丸1日がかかるほど,ボリュームのある博物館である.国立博物館だけあって,常設展示されている本館の「日本ギャラリー」では,国宝や重要文化財などの展示品が紹介されており,日本文化を知る上では欠かすことのできない博物館である.彫刻,陶磁,刀剣など,日本に訪れた外国人観光客の方にとっても,興味深い展示である.
入場料金は大人600円と大変安いが,特別企画展などがあると料金は高くなる.時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)となっているが,特別展によっては金曜日は20時まで延長したり,土日は18時まで延長したりしており,夜までゆっくり鑑賞することも出来る.ちなみに,上野駅から歩いてくるよりも,実は鶯谷駅から歩いてきたほうが近い.しかし,鶯谷駅からは裏道を歩いてくる感じで,案内板などがないので,鶯谷駅から来る場合は地図などを見ながら歩いてくることをお奨めする.


入口正面にある「本館」
 現在の本館は,昭和13(1938)年に昭和天皇の即位を記念して開館したものである.渡辺仁設計で,コンクリート建築に瓦屋根をのせてた「帝冠洋式」の代表建築といわれており,平成13(2001)年に重要文化財に指定されている.この本館では,日本ギャラリーとして日本の美術,工芸,歴史資料などを展示しているが,企画展示室も設けられている.2007年ゴールデンウィークの時はレオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」が特別展示されていた.

本館内部 重厚な雰囲気である

本館から後ろの正面入口の先に広がる上野公園
 
人気のある企画展では行列ができる

日本ギャラリーでは兜も展示されている
撮影禁止マークが付いていなければ撮影OKである

本館から見える茶室

新しい「平成館」
平成館は,皇太子殿下のご成婚を記念して平成11(1999)年に開館したものである.1階は考古展示室,2階は特別展が開かれる展示室となっており,講堂なども備えている.

1階から2階へ向かうフロアー
こちらも重厚な感じに造られている

ラウンジにはドリンクコーナー(自販機)もある
京菓子の老舗・鶴屋吉信のあんみつを売っていた

エントランスから本館へ向かう通路


最も古い建物である「表慶館」
 東京国立博物館では最も古い建物で,大正天皇(当時は皇太子)のご成婚を記念して明治42(1909)年に開館したものである.日本における最初の本格的な美術館で,設計はJ.コンドルの弟子である片山東熊,中央と左右にドーム屋根があり,上部の外壁には製図用具や工具・楽器などのレリーフがある.昭和53(1978)年に重要文化財に指定されている.かつては通常の展示を行っていたが,改装が終わった2007年4月より教育普及活動を行う場所となっている.
 
中央ドームの内部
 
展示室 シンプルなシャンデリアがかえってよい


「法隆寺宝物館」
 かつては週1日だけの公開だったのであるが,平成11(1999)年に現在の新宝物館がオープンしたことにより,毎日公開されるようになった.法隆寺宝物館は,法隆寺献納宝物をまとめて保存展示する展示館として,昭和39(1964)年にオープンしたもので,お釈迦様などの像がずらりと並べてある.1階にレストランがある.


本館の右となりにある「東洋館」
 東洋館はアジアギャラリーとなっており,中国や朝鮮半島,東南アジア,インド,エジプトなど東洋の美術と考古物を展示するものとして昭和43(1968)年に開館した.ミイラなどが展示されている.内部は吹き抜けになっていて,半階ずつ上がっていく展示室になっているという.(夕刻になり時間がなくなってしまったので,内部には入らなかった)

東京国立博物館HPを参考に作成しています

浅草花やしき【東京考察#191】

Asakusa Hana Yashiki (The amusement park)


花やしき入口


 浅草花やしきは嘉永6年(1853)年に上野輪王寺宮の御出入りの造園師がこの地を下賜されて造園したもので,四季を通じた百花百草を栽培する庶民の憩いの場所であった.大正天皇がお忍びで御幼少のみぎり来園されたことがあったという.明治17年には浅草公園地改正の際に,浅草寺境内の盛り場や見世物小屋などの全てが公園六区に移転することとなったが,この花屋敷だけは現在の五区に残された.後に,珍鳥や猛獣を見せるようになり,あやつり人形や山雀の芸当で評判を呼んだが,第二次世界大戦中は閉園していた.戦後において,家族でも楽しめる遊園地として現在のような遊園地となった.
乗り物が小さくて,小学校低学年までの園児・児童にとって遊びやすい遊園地であり,あらかわ遊園のような感覚の遊園地である.宙返りするジェットコースターなどといったものは存在しない.小さな遊具施設が狭い敷地内に密集して配置されており,この密集した密度の高い空間が,かえって花やしきの良さを醸し出している.入園料は大人900円で,乗り物代は別となっているが最も高いアトラクションでさえ500円である.

入園券は懐かしの硬券入場券である

乗り物に乗るときはこのチケットボックスでチケットを購入する
1枚100円 乗り放題チケットは大人2200円 子供1900円

花やしきのランドマーク的存在「Beeタワー」
3枚(つまり300円)で乗れる
  
狭い空間に施設が密集している

「ぴょんぴょん」修理中

五重塔を背景にぶんぶん回る「ザ・ニューヨーク」
(別名「空飛ぶじゅうたん」とも呼んでいたが)

背景のビルは「浅草ビューホテル」
約20年前に浅草まち興しの起爆剤として
新しい風を吹き込んだホテルである

昔ながらの花やしきの雰囲気を残すところもある

「スワン」 2枚

定番「お化け屋敷」もある

一番人気は,日本で最も古いコースター
「ローラーコースター」 4枚
ガタガタと今にも壊れそうな音を出して疾走する.

ビルの壁面ギリギリを走り抜けていく

花の湯に突っ込んでいく

ほぼ全景
右後ろに見える三角屋根は浅草寺

新春の浅草公園六区【東京考察#190】

The neighborhood at Asakusa Koen Rokku

公園六区


 かつての浅草の賑わいの中心は「公園六区」であった.浅草公園六区の「六区」とは,明治15(1882)年より始まった浅草公園の築造・整備(全6区画に区分して整備)における区画番号のことである.その中でも第6区画は興行街として整備され,そのまま「浅草公園六区」という名称が明治・大正・昭和にかけて東京の娯楽の代名詞のようになったのである.映画館は明治40(1907)年頃から登場し、現在も残る浅草六区の映画街が形成された.バス停の名称に「浅草公園六区」という名が今でも残されていることに拍手を送りたい.近年,つくばエクスプレスの浅草駅が浅草ビューホテル前の国際通り下に開業したが,地下鉄銀座線や東武線の現浅草駅とはかけ離れているので,せっかくなら「浅草公園六区駅」という名称を復活させてもらいたかったと個人的には思う.今の浅草を象徴しているWINS浅草とその周辺の様子をお届けする.そして隣接する遊園地「浅草花やしき」は次のNo.191のページで.

六区の映画街
寅さんから成人映画まで
なんか懐かしい雰囲気である

公園六区の現在の象徴的存在であるWINS浅草
土日の競馬開催日は大勢の人で賑わう
 
 
WINS周辺にはホッピーが似合う
屋台やスタンドの飲み屋が建ち並ぶ

WINS内の投票所

トイレの中でも平らなスペースがあれば
そこが勝ち馬を選ぶ場所に・・・
(用を足しているのではありません.
入口の平らな場所を机代わりにしている)

WINSのすぐ隣には花やしきの遊園地がある
 
「全レース競馬中継」と看板を掲げた飲食店が多い

全席指定席の「レースカフェ」
2000円を払うと1日出入り自由となる

浅草びっくり食堂 何がびっくり?
 
日本で最初の高層ビル「浅草凌雲閣(通称十二階)」
があったところ.今はパチンコ屋である.
(右の画像は「浅草十二階計画」のWebサイトより引用)
 
懐かしのスマートボール
200円で50玉,300円で75玉.
番号の付いた穴に玉が入ると,その数字だけ玉がもらえる
玉が増えて帰りたいときに景品と交換する.

浅草演芸場
林屋こぶ平などが出演していた.

人力車で浅草観光
 
ちょっと高級感を味わいたくなったら
浅草ビューホテルへ

上野動物園【東京考察#171】

Ueno Zoological Gardens


正面入り口


 上野動物園は,明治15(1882)年に開園した日本で最初の動物園である.正式には「恩師上野動物園」という.当初は農商務省の博物館の付属施設として開園したが,現在は東京都建設局の管理となっている.現在は,哺乳類、両生類、爬虫類、鳥類等約420種、2200点を飼育・展示しており,さらに外国の動物園との協力も得て,オカピやアイアイなども来園している.もっとも有名なところとしては「ジャイアントパンダ」であろう.上野動物園というと,小学生の頃に訪ねたきりで,20年ぶりくらいの入園であったが,思ったよりもいろいろな動物が観察できて,改めて訪れてみるとまた面白い.都の施設であることもあって入園料も安く大人600円,65歳以上は300円,中学生は200円,小学生は無料,都内在住と在学の中学生も無料となっている.

動物たちを撮影するだけではなく,動物を見ている人々もフレームの中に納めてみた.夫婦同士,家族連れ,恋人同士,動物を眺める人々の後ろ姿もいろいろあって微笑ましい.


「キジ」

やっぱり上野動物園といえば「パンダ」

「パンダ」は人気コーナー

今話題の「レッサーパンダ」がいた
でも立ち上がっていません.

でもなんと,本家「パンダ」が立ち上がっていた!
今上野動物園にいるパンダは
北京動物園からやってきた「リンリン」と
メキシコチャプルテペック動物園からやってきた「シュアンシュアン」の2頭

「フクロウ」

「おおたか」
狭いかごの中では猛禽類もおとなしい

「さる」と記念撮影!
 
「とら」も間近に見られる

「鳥」のコーナー

「あしか」

「シロクマ」

「ぞう」

夕方になると飼育小屋に入ります
 
モノレールに乗って西園へ.もちろん歩いてもいける.
このモノレールは東京都交通局が運行しているもので,
昭和32年12月に開業した,日本で最初(世界で2番目)に誕生したモノレールである.
地方鉄道法に基づく公共交通機関である.
西園までの所要時間は1分30秒.僅か300mである.正直,歩いた方が早い気がする.

「ペンギン」

「フラミンゴ」

「きりん」
夕方は飼育小屋側からの見学ができる

「わに」

不忍池(しのばずのいけ)が広がる

浅草橋の問屋街【東京考察#109】

The wholesale district in Asakusabashi

 

 浅草橋といえば問屋街である.最近の問屋は小売りも行ってくれるようになり,色々な種類の商品を選ぶことが出来るので,スーパーや百貨店とはまた違った面白さがある.特に「江戸通り」沿いにたくさんの問屋が並んでおり,人形・玩具・模型・文具・装飾品などの問屋が多い.この江戸通りは,銀座などの都心から浅草に向かうときの観光バスルートとなっているため,バス車中から「ここは浅草橋の問屋街で,人形の九月や吉徳などが見えます・・・」などとガイドさんが案内をするところである.
なお,問屋街は日曜・祝日が休業日となっているところが多いので,平日か土曜日に出かけることをお奨めする.


ひな祭りが近い


駅前では,問屋の割引券を配る人がいる

 
桜の装飾品

 
アクセサリーやパーツの店


地下鉄の出口に置かれている
服¥250 靴¥77 也


玩具・鯉のぼり・花火の店もある

 
ゴム風船やクリスマス用品の専門店


「ハンドバック会館」という名のビル
いかにも問屋街らしい名前である


点景

テプコ浅草館(東京電力展示室)【東京考察#108】

TEPCO Asakusa Exhibition hall (The Tokyo Electric Power exhibition room)

 


 合羽橋から浅草方面へ向けて「ぶらぶら」と歩いていたら,面白そうな展示室を見つけた.ここは東京電力が公開している展示室で,かつては大賑わいの繁華街であった大正・昭和時代の浅草に実際に存在していた施設を,実物大の模型で再現し解説している面白い展示室である.なんと入場は無料であり,ちょっとしたタイムスリップを味わうことができる.お台場やサンシャインにも昔の街並みを再現したテーマパークがあるけれど,本場浅草で懐かしい街並みを体験できるのはうれしい.ちょっとした穴場のスポットである.


映画館の入口(電氣館と呼ばれていたらしい)


水族館の入口(かつては水族館があったらしい)


電氣館(映画)のパンフレット


懐かしい裸電球の街灯


古い街並み


懐かしの写真も展示されている

合羽橋道具街【東京考察#106】

Kappa-Bashi cooking tool town(Aasakusa Kappabashi)


 ここは問屋街の中でも,もっとも面白いところだと思う.合羽橋道具街は食器具・調理器具・サンプル品・調理衣装など,調理に関するものなら,ありとあらゆるものが揃う問屋街である.小売りも行っており,こだわった調理器具を買いたい場合はここに足を運ぶことをお奨めする.もちろんプロ用の調理器具も揃っているので,お店をやっている人にとっても満足するものである.なお,日曜日は店を閉めているところが多いので,土曜日に行かれることをお奨めする.
地名の由来は,近くに合羽屋があったので橋の名前に付けられた,合羽屋喜八が隅田川に住む河童に助けられて新堀を開いたという伝承もある.


皿がずらりと並ぶ

 
片手鍋もずらり


提灯もずら~り


看板.すべて商品です.


衣装もあります


釜もあります


調理台


椅子,椅子,椅子・・・


ここもすべて商品です.飲食店ではありません.

 
カレーライスがなんと4,500円! もちろんサンプルの値段です.

夜の隅田川橋梁群【東京考察#104】

The bridge of Sumida river at night(view from a water-bus)

水上バス

 


  東京考察No.6では昼の隅田川橋梁群を紹介した.ここでは,夜バージョンでお送りします.では,浅草から河口まで橋の旅をどうぞ.



東武鉄道の橋梁


吾妻橋


駒形橋


厩橋


蔵前橋


JR総武線の橋梁


両国橋


首都高6・7号の両国ジャンクション


新大橋


清洲橋


永代橋


中央大橋


勝鬨橋 (真ん中がハの字に開く橋だった)

東京湾へ

おまけ・・・

レインボーブリッジ