ヨハネスブルグ(ソウェト)[南アフリカ旅行記#3]

Johannesburg  (Soweto)
<ヨハネスブルグ (ソウェト)>

ヨハネスブルグ中央駅

ヨハネスブルグ。アフリカ最大の都市であり、ゴールドラッシュによって栄えた街である。しかし、アパルトヘイト撤廃後、移民の流入などによって治安の悪化が進み、今では「世界で最も危険な都市」というレッテルまで貼られてしまった。上の写真は日曜日午前10時頃のヨハネスブルグ中央駅の駅前広場(バスの中から撮影)であるが、誰も人が歩いていない。市中心部はゴーストタウンのようになっており、白人を中心とした住民や外資系資本の会社などは、郊外のサントン地区に拠点を移している。
「バックを持った白人の旅行者は,ほぼ確実に襲われるので、絶対に昼間でも外を歩かないように」と言われており,南アフリカ政府観光局の人にも「外は歩かないでください」と言われていたので、残念ながら街の中を歩くことは断念した。観光にはツアーに参加するとよい。ちなみに現地英語では「ヨハネスブルグ」とは発音せずに「ジョハネスバーグ」と言う。

街中の写真

駐車場との境界には柵がつけられているが,その上にあるのは鉄条網.南アでは至る所に鉄条網が張り巡らされている.車を荒らす侵入者を完全に防御するためである.治安の悪いことが伺える.

オフィスビルの1階なのだが,まるで刑務所のような格子状の柵がドアや窓につけられている.人通りが少なく,まさにゴーストタウンのよう.明るいのに人が全く歩いていない大都市の風景は不気味である.果たしてテナントが入っているのだろうか.

格子状の防護柵.出入り口の扉部分にもつけられている

ソエトの街並み ~かつての黒人居住区の風景

ソエト(South-West Townships)は、ヨハネスブルグの南西約30kmに位置する南ア最大の黒人居住区である。南アといえばケープタウン・喜望峰、クルーガー国立公園など美しい自然景観が観光客を魅了しているが、一方でアパルトヘイトによる人種隔離政策が実施されていた国でもあり、ソエトはアパルトヘイト中の黒人のみが居住するエリアだったことから、南アを理解する上で見ておかなければならない地区である。ソエトは黒人解放運動の拠点でもあった。バラックの建物が所狭しと密集しており、劣悪な居住環境が存在する一方で、レンガづくりの豪邸も建つ。しかし、どちらもほとんど黒人しか住んでいないことには変わりがない。アパルトヘイト廃止以前は、黒人はこのソエト以外で外泊することが認められていなかった。
高層ビルが建ち並び、インターネットが普及している大都市がある一方で、電話も下水も整備されていない黒人居住区が存在する。貧富の差を目の当たりにした。

ソエトの風景

天気のいい日曜日。
家族で買い物にでも行こうか。

車の修理をしているらしい.

手をつないだ親子

街角では少年がゴミ拾いをしていた.

ターミナルみたいなところだった

広場では古着を広げて売っているのか?

ミニバス駐車場

ソエト住人の主な交通手段は、このミニバスである。3人座りのシートには4人を詰め込み、ぎゅうぎゅうの人を乗せて発車する。ミニバスにも冷房の効くものから冷房のないオンボロ車まで、いろいろな種類があり、僕もヨハネスブルグ空港からプレトリアまでミニバスに乗車した。(冷房つきで乗客は全員白人だったが…)

ソエトの子供達

屈託のない子供達。写真を見る限りそのように感じる。
「マネー、マネー」
子供達は手を伸ばしてこのように叫んでいる。

我々はソエトのツアーに参加した(ドライバー兼ガイド1名、ツアー客4名)のだが、白人のツアー客がくるたびに、子供達が家の中から走ってきて、「money」と窓越しに叫ぶ。もちろんツアー中は外に降りることは禁止されている.ここまでの写真は,全て車内から撮影したものである.バンタイプのワゴン車であるツアーバスは,外側からも頑丈な鍵が掛けられる特別な車で,ドライバー兼ガイドは無線機を持ちながら,万一の事故に備えて準備している.唯一,下車して見学できたところが,ネルソンマンデラの育った家の中の見学であった.同じ人間同士なのに車から降りることのできないツアーという形態にちょっと違和感を感じた.しかし,このようにしてソエトの実情,アパルトヘイト撤廃後の南アの根深い問題を知ることができるという側面もある.