谷中(懐かしの日本の街なみ)【東京考察#91】

Yanaka(Japanese culture town ordinariness)

 


 谷中は日本文化の色濃く残る街である.寛永年間(1624~43年)に上野寛永寺の子院がここに建立されたのが谷中寺町の始まりで,現在では70数件にも及ぶ寺院が存在している.その後江戸府内再開発によって神田辺りの寺院が谷中に移転し,寺の門前に町屋が形成され,参詣客などによって行楽地となっていった.
1868年の幕末戦争の時には多くの寺院が焼失したが,その後再建され,関東大震災でも戦災でも被災しなかったことから,昔ながらの佇まいが今でも残っているのである.外国人観光客の姿も見られ,ガイドブックを片手に街をぶらぶらと散策する人が多い.

谷中霊園は明治5(1872)年に,旧天王寺境内の一部を官地とし,それに天王寺墓地,徳川墓地の一部などをあわせた谷中墓地が始まりである.東京都の公共墓地として発足し,東京の三大霊園のひとつに数えられている.広さは10万m2,墓地使用者は6000余りだという.墓地内は広く,迷路のように細かく入った路が墓地を形成している.100年以上も前のコケが生えた墓石や石灯籠などが,飾り気なく自然に置かれているのも,俗化されておらずいい.徳川慶喜や著名人が眠っている.


谷中霊園


谷中霊園の桜並木

 
谷中霊園は一度立ち入ると迷路のようなところである.
各区画には全て番号が付けられている.


このように墓地には区画番号がつけられている
(これは地図のほんの一部分)


石材店と花屋


谷中の街並み


交差点角にある木造の喫茶店
昭和初期といった感じである


酒屋を移設して復元したもの


和菓子屋と銭湯の煙突

 
寺も多い


玄関の外灯(電球)が気に入った
昔流行った様式のようである

 
狭い路地


1868年の幕末戦争のときの弾痕
(大黒天 経王寺)