小松島線を歩く
雨。朝からしとしとと降っていた。徳島駅は駅舎の全面建てかえをするようで、本駅舎は使われておらず(まだ壊されてはいない)、小さい仮の駅舎が使われていた。
8時18分発、牟岐線海部行に乗って車内で駅弁を食べ、小松島線の分岐駅であった中田で下車した。単なる田舎駅で駅前は住宅街となっており、乗客は数人であった。
雨の中、小松島線の廃線跡を見つけるため、地元の人に聞きながら歩いた。
小松島線は、かなり以前から廃止の案が浮かび上がっていた線で、中田一小松島間ひと駅の僅か1.9㎞の路線であった、終点の小松島の先に『小松島港(臨)』という駅がくっついていたが、小松島港は小松島駅構内に南海フェリー連絡のため設けられた仮乗降場で営業キロがない。したがって小松島一小松島港間の運賃はいくらか?タダになるのか?と鉄道マニアの間で話題になった区間でもある。
そして歩くこと10分、前方に小川に掛かる小さな鉄橋が見えるではないか!自然と3人共かけあしになる。紛れもなく小松島線廃線跡だ。線路ははがされ、残っているのは鉄橋とバラストぐらいのものであった。そして、小松島に向かって歩いていると、途中から洒落た遊歩道に変わった。近くの案内板をみると、中田一小松島の間を遊歩道にする計画のようで、その一部なのだろう。
さらに、10分程歩くと、前方がだだっ広い野原になった。貨物操車場跡地だろうか。そのまま野原を歩いたが、雨が降っている為、草についた露がGパンや靴についてビショビショになった。
和歌山行南海フェリーの待合室に着いた。随分寂しい感じの待合室だった。和歌山から先の南海電車『サザン号』の乗り継ぎ時刻が書いてあり。切符も販売しているのを見て「南海なんだな」と実感した。フェリーは約2時間おきにー昼夜出航ている。和歌山港まで2時間。
牟岐線を往復して
小松島港からタクシーで南小松島駅にでた。10時23分の特急「うずしお3号」で終点の牟岐まで行き、1分接続のワンマン普通列車海部行にのりかえた。車内はお年寄りや補習をうけた高校生など、約30人程乗っていた。外は大雨になっているらしく、あめが波打って降っている。鯖瀬、浅川、阿波海南と止まる度に乗客がおりていく。そして、11時37分、終点海部。終着駅だが、高架橋は先へ延びている。いつ宍喰(仮称)までつながるのだろう。
折り返し11時44分発、板野行の列車で徳島に向かった。だんだんと乗客も乗ってきて、南小松島のあたりでは、立客もではじめた。中高生が多いけれど、お年寄りも多かった。
高松をまわって南国高知へ
徳島で3分接続の「うずしお14号」高松行に乗る(13時54分)。2両編成全車自由席の特急で、約1時間毎に走っている。1990年11月21日のダイヤ改正で急行「阿波」(2往復)が全て特急に格上げされてそのようになった。
発車直前に乗ったので座れず、デッキに立つことにした。ホテルが高知なので、徳島線で直行すればよいのだが、徳島線は昨日乗車した為、まだ乗ったことのない高徳線、ついでに土讃練大歩危一高知間を通る高松まわりのルートにしたのであった。
昼食は高松で取ろうと思っていたが、空腹には耐えきれず、車内販売でサンドウィッチ[380円]とウーロン茶を買った。
15時10分、高松に到着。高松は2度目である。ここから、15時45分発の普通琴平行で多度津まで行き、岡山からの特急にのりかえる。多度津では、大抵の特急において、高松からの特急と、岡山からの特急との列車接続(一方は予讃線方面行、もう一方は土讃線方面行)を行なっているので、高松16時11分発の予讃線方面特急「いしづち11号」に乗ってもいいのだが、なにしろ四国の普通電車は珍しいので、電車に乗ることにしたのである。
多度津に着いた。岡山からの特急『南風9号』中村行にのりかえる。私は、気動車初の新型振り子式気動車2000系に乗りたかった。振り子列車に乗るのも初めてである。期待通り、新型の5両編成がきて、16時47分、動いた。
振り子式車両とは曲線区間を高速で走っても横揺れが起きないように工夫されたもので、台車の上にコロを付けて車体をより傾けて走るものである。
初めは座れなかったが、阿波池田になると数人降りたので、パラパラではあるが3人共座れた。座った車両は、高知で切り離される車(一番後ろ)だった。
乗り心地は、やはり最高。全然揺れが少なく、高速でカーブを曲がると車体が傾くが、とてもスムーズに感じる。特に、四国山地を越える阿波川口一大歩危一土佐山田間においては顕著だった。四国の特急は遅い、と思っていたがとんでもない。最高時速120km/hで飛ばせるところでは飛ばす。
あたりも暗くなり、18時25分、南国高知に到着した。駅前は徳島と同じように背の高いヤシの木が沢山立っており、いかにも「南国」という感じである。雨あがりのせいか、吹いてくる風が、湿っていて生暖かった。