水車を見に行こう、と行った野球部の友人が今度は「沈下橋まで歩いて行こう」などと言いだした。その友人によると、沈下橋までは3キロぐらいという事で、私たちも「行こう」と返事をした。そして、土佐の小京都と言われる中村市の市街地を抜け、桜が満開であった中村城跡の公園に寄ってから四万十川に向かった。
四万十川の川岸に着いて、川の東側にある車がやっとすれ違える程の広さの舗装道路を北に向かって歩いた。四万十川の雄大な流れを見ることができたが、いくら見ても沈下橋らしきものは見当らない。もう30分程は歩いただろうか。そして、小さな町に出て、かなり立派な観光用の地図があった。それによるとこれから行く予定の佐田沈下橋はなんとここからあと4~5kmもあるということがわかり『はめられた』と思った瞬間、他の1人の友人と共に「バスを捜そう」だの「自転車でくりゃよかった」だのブーブー文旬を垂れるようになった。しかし、ここまで来て引き返すわけにもいかず、そのまま歩くことにした。幸い道路には小さい距離表が100mごとに設置してあったので、「あと何メートルだ!」と目標を持って歩くことができた。
さらに40分程歩いただろうか。周りには家が全然見当らない。まだか、まだか、と思っていると、四万十川展望台という新しく作ったばかりだと思われる休憩所があらわれた。トイレまであった。そこでひと休みしまた歩き出す。殆ど人とは会わない。すれちがうのは車だけだった。もうここまでくると逆に疲れをあまり感じなくなってきた。
道路が広くなって片側1車線道路になった。バスも走っているらしくバス停があったが、なんと1日2往復。それも夕方は中村駅からのバスのみということで、帰りにこのバスで戻って来る事は不可能であることがわかった。みんなもう無口になって唯歩いているという感じである。こんなに歩くとは思っていなかった為、出発するときの心の準備が無く、非常に疲れを感じていた。
そして、駅から歩くこと約2時間『佐田沈下橋は左折』という看板が見えてようやく沈下橋に到着した。周りは何もないところで、喫茶店一件と木造のトイレ、そして民家があるだけだった。観光客も2組ほどいたが、どちらもタクシーでの観光だった。
橋にはもちろん欄干がなく、幅はトラック1台がやっと通れる程で、途中2ヶ所にほんの少しだけ(100cm)広くなった待避所があるが、乗用車どうしならここですれちがえるだろう。橋を渡ることにしたが、その手前に、
『トラックの運転手さんへ。お年寄りや、子供が渡っているときは、徐行して運転をして下さい。』
という赤字の立て札が立っていた。この時はなるほど、と軽くうなずいていたのだが、我々が渡り出して間もなくトラックがやってきた。欄干のない、道幅の狭い橋である。体をはじっこによせ、その隣をわが者顔で通過していくトラックには恐怖を感じた。
それが、1回どころか数分おきにやって来るのである。スリルが有り過ぎる、と思った。川は相変わらず濁っているが、緑の山々に青い四万十、そして沈下橋という風景は、もっとも四万十川らしい風景であった。
もう17時をまわっていた。さすがに帰りも歩いて行こう、という気にはなれず近くの民家にいってバスがないかどうか尋ねてみた。おばさんが応対してくれたが、「ない」とのこと。『タクシーを呼んであげるから』ということになり、そのお宅の前でタクシーを待つことになった。
タクシーの運転手さんは話し好きなようで、四万十川は濁っていたでしょう、という話しになった。前日までは雨が降っていたので、川が濁ってしまうとのこと。こういう日には、上流の江川崎や土佐大正あたりで見ると澄んでいる四万十川が見られるということであった。これで疑問に思っていた『濁り』の謎は薦けた。
いたるところで、風によって散った桜の花びらがゆらゆらと清流四万十川を流れていた。