橋63 大久保駅⇔新橋駅[都バスで東京発見]

官僚の街を垣間見て国会議事堂を正面から眺められる唯一の路線

橋63 大久保駅⇔新橋駅(経由)市ヶ谷駅・国会議事堂 小滝橋営業所

路線keyword:国会議事堂,永田町,霞ヶ関,日テレ,番町,外国(韓国)人街


新橋を出発すると虎ノ門方面に向けて正面に霞ヶ関ビルを望みながらバスは走る。日本石油の眩しいほど輝く黄金の「希望の像」を右手に見ると、バスは右折し日比谷通りに入る。左手に日比谷シティーが現れる。内幸町にて今度は左折し、右手には市政会館(日比谷公会堂)、都立日比谷図書館、その背後に日比谷公園が存在する。
ここから先は、日本の中枢を担っている中央官庁街・霞ヶ関となる。まず手始めに、通商産業省が左手に現れ、家庭裁判所、合同庁舎5号館(厚生省・労働省・環境庁・国土庁・社会保険庁)、農林水産省(食糧庁・林野庁・水産庁)が右手に現れる。続いて次の街区に移ると、左手には大蔵省と合同庁舎4号館(総務庁・経済企画庁・北海道開発庁・国税庁)、右手には外務省・科学技術庁・公正取引委員会の建物が現れる。春になると街路樹の桜並木が美しく咲き誇る。正面に目を移すと、国会議事堂の姿がいつの間にか現れていた。現在の国会議事堂は、昭和11年に内幸町より移転してきたものである。
バスは、高さ65mの中央塔を左手に眺めながら国会議事堂横を南から北まで走る。北端になるとバスは左折し、今度は国会議事堂の横顔を眺めながら、日本で出版された全ての本の納品を義務づけている国会図書館前を通り過ぎる。そして、自由民主党の本部が見えると永田町となる。第2次世界大戦前までは、陸軍参謀本部として知られていた場所である。
この先の交差点は、国の中枢機関への警備のために事ある毎に検問所が設けられる場所である。不審者(外宣車やデモ隊など)が国会や霞ヶ関方面に進入しようとするときは、アコーデオン式の門を素早く道路に引いて、不審者を入れさせないようにする。
バスは青山通りに入るが、すぐに右折する。この右折の仕方が、ひとつの見物である。ここには信号機が取り付けられておらず、運転手が手を上げながら交通量の多い片側3(4かも)車線の自動車を強引に停止させて右折する。大型バスでなければ出来ない芸当である。ここからは2車線(両側)の狭い道になって平河町となる。
麹町となって晴海通りを鍵型に走ってバスは直進し、坂を下って上って江戸時代にはお屋敷が建ち並んでいた番長界隈となる。4チャンネルの日テレ前を通り過ぎ(ズームイン朝で後ろにグリーンの都バスが通り過ぎるときがあるが、あれはこの路線です)、坂を再び下ると市ヶ谷駅前となる。路上駐車が多く道も狭いので、非常に運転しづらいところであろう。
お堀を渡って右左折を繰り返すと、再び2車線の道路となり、牛込界隈となる。この辺りの地図を眺めると、町名の整理が行われておらず、旧町名が数多く残っている地域であることが伺える。山手台地の下町らしい街並みが続いていく。
牛込北町で左折し大久保通りとなる。国際医療センター、総務庁統計局前、戸山町を通り過ぎ、明治通りと交差する。大久保2丁目を過ぎると韓国のハングル文字が多くなり、新大久保駅となる。この界隈は韓国人などの外国人街が形成されており、地元商店街でもどのようにコミュニケーションを図っていくかがテーマとなっている。
左手には新宿副都心の超高層ビルがちょっと見えて、中央線の赤と総武線の黄色の電車が見えると、終点大久保駅となる。ここまで約1時間の旅路である。