荒川放水路と隅田川に挟まれた狭長な地域を走る路線
王45 王子駅⇔北千住駅(経由)王子五丁目・新田土手通り・千住桜木 北営業所
路線keyword:荒川放水路と隅田川,工場地帯,裏小段
つい最近(1996年執筆)までは王子駅・足立区役所間の運行であったが、平成8年に足立区役所が中央本町(最寄駅:東武伊勢崎線梅島駅)に移転したため、北千住駅に乗り入れるルートに変更された。
私の推測するところ、恐らくこの路線は荒川と隅田川に囲まれた地域に住む足立区民の区役所本庁舎への利便性を考えて設けられた路線であると思われる。本数が少ないし、通勤通学者は本数の多いJR王子駅や田端駅、日暮里駅へのバスを利用しているだろう。地図を眺めていても、両河川に囲まれているために土地がほとんど存在せず、またお互いの地域を結ぶ意味合いも感じられず、それほど需要が見込める路線だとは思えない。バスはいつ乗ってもたいてい座れるが、この地域間に用のある人にとっては、大変便利な路線である。
王子駅から途中の新田3丁目までは、王41系統と同じルートを走り、王41系統の補完的な役割を果たす。新田3丁目からこの路線は右折し、トーアスチールの工場前を通る。荒川土手が左手に現れ、土手に沿ってバスは走る。しらばくするとこのバスは、堤防の中程にある「裏小段」と呼ばれる水平な段のところの道路を走るようになり、千住桜木までその裏小段の部分を走っていく。
豊島橋バス停あたりになると、右手に公団豊島5丁目団地を背景にして隅田川が現れる。左に荒川、右に隅田川、この豊島橋バス停を利用する人は果たしているのだろうかと疑問に思う。
また、この豊島橋停留所付近は北区と足立区の区境が、この地域だけ隅田川ではなくせり出して荒川で線が引かれており、ちょっとした話題になったことがある。これは、荒川放水路完成以前の隅田川(当時の荒川本流)の川筋の名残で、水路は整備されたが、区境はそのまま残されたということである。川筋の形から「天狗の鼻」と呼ばれていた。
現在の荒川の岩淵水門より下流部は、開削によって19年の歳月をかけて昭和5年に完成した放水路であり、川筋や土手が整然としているのは人工河川だからである。それまでは現在の隅田川が荒川本流であり、下流では度々洪水を繰り返し、高潮による被害も続出していた。そこで、荒川放水路の建設が行われ、岩淵水門で荒川を荒川放水路と隅田川(旧荒川)とに分水させたのである。数年前までは隅田川という名前は正式な名称ではなかったが(国の登録上の話.庶民には放水路開削以前から隅田川と呼ばれて親しまれており、一般的には鐘淵中学校あたりの屈曲部より下流のことを隅田川と呼んでいた.)、現在は正式名称「隅田川」として建設省に登録されている。
荒川に架かる江北橋、扇大橋を横切る時だけ、川面を見ることができる。都市の川沿いの風景らしく、沿線には中小の工場や倉庫群が多く目に付く。土手の芝生の緑が心を和ませる。
西新井橋の手前でバスは右に折れ千住桜木となる。ここにはかつて、東京電力火力発電所の「お化け煙突」が立っていた。常磐線の車窓からこの煙突を眺めると、見る方向によって4本の煙突が姿を変える煙突だった。右側がその跡地である。
日光街道を横切ると北千住駅前の商店街に入り、正面にJRの駅ビルが見えると、終点北千住駅となる。道路は駅前で行き止まりとなっており、都内の大きな駅としては珍しい袋小路型の構造をした駅前である。