佃島【東京考察#144】

Tsukudajima


木造の建物が残る佃島


 佃島(つくだじま)は隅田川河口にできた自然の寄洲であり,江戸時代の初代将軍徳川家康の時に摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃町)の漁師を招いて住まわせたところからこの名がついたという.この島と対岸(湊町)の間には「佃の渡し」があり,昭和39年の佃大橋の完成まで最大で1日70往復も運航されていた.佃大橋が完成するまでは「本当の島」だったのである.かつての「佃島」は現在の佃1丁目である.現在の佃2・3丁目はかつて「新佃島」という地名であったが相生橋で結ばれていて,佃島のようにまったく交通が遮断されていたわけではなかった.
佃島には氏神の住吉神社があるが,これは大阪の住吉神社を勧請したものだといい,漁民などの信仰を受けていた.特産品には「佃煮」があり,現在でも佃煮を販売する小さなお店には多くの買い物客が訪れている.


大正14年の古地図
これによると「佃島」は島となっているのがわかる.

 
木造の家屋が残っている
 


路地の後ろには大川端リバーシティ21の高層住宅が見える.
周辺には高層ビルが建ち,この「佃」だけ異空間が広がっている感じである.


狭い路地も残る

 
特産の「佃煮屋さん」


佃大橋と隅田川
かつてはここに渡し船が運航されていた


氏神の住吉神社