中村観光[四国旅行記#8]

水車とトンボ

 10時15分に中村に着いた。荷物をコインロッカーに入れ、早速『中村市観光情報センター』の案内所に行った。自転車を借りるとき身分証明証を求められ、取りたての「普通免許証」を見せたが、この免許証にとっては初仕事であり、ようやく役にたった。そして、我々3人は自転車をこいで市内観光をすることになった。

 友人の一人が『水車』を見たい!という事で水車を見にいくことにしたが、なんでわざわざ中村まで来て「水車」なんか見たいのだろう、『車』と勘違いしているのではないか、と思った。

 駅の東側にある川の土手沿いを北西に向かって走り、橋を北に向かって渡る。始めは四万十川かと思ったがそうではなく、後川という四万十川よりも東側にある支流であった。橋を渡ると田畑が広がり、左折してしばらく行くと、お目当ての水車が1つだけ畑(田)のど真ん中の水深1.5m程ある水路でまわっていた。

 そして、その水路の脇を見ると水車を掛ける支柱のみがズラーつとあった。私の方が単なる『水車』と勘違いをしていたらしく、この水車は灌漑の為にあるもので、水を水車の羽根で汲み上げ木の水路を通して畑に入れる、という今では珍しいものなのであった。シーズンである4月以降には、沢山の水車が取り付けられ、日本むかし話のワッシーンに見られるような光景になるのだろう。

水車

 次に、約60種ものトンボが見られるという湿地帯になっている『トンボ自然公園』に向かうべく、市街地に一旦戻り西に進路を向けた。今度はいよいよ四万十川を渡っていくのである。土手に建設省の『渡川』、その下に括弧をして(四万十川)と書かれた名称板が見えた。四万十川とは公式な名称ではなく、渡川が本当の名なのだそうである。かなり立派な四万十川橋を渡り、日本最後の清流を橋の真ん中から覗いた。

 ところが、思った程澄んではおらず、確かに濁り方は東京の隅田川のようなドス黒くはなくエメラルドグリーンで清らかではあったが、『日本最後の・・・』もこの程度だったのかと納得してしまった。このことについては後に再び触れることになる。

 そして、トンボ公園に到着した。人影はまばらで、なんとトンボが1匹も飛んでいない。時期が時期だけに当然と言えば当然である。一周り散策して正午を過ぎていたので。駅に戻って自転車を返し、昼食をとることにした。

駅前食堂にて

 駅前の食堂で壁のメニューにざるそばがあったのでそれを注文したが、店のおばちゃんに、
「田舎の方では夏しかでないんよー」(方言は定かではない)
と言われ、無難なカレーライスに変更した。ついでにうまそうなおでんがあったので数本いただいた。客は我々3人しかいなく、カウンター式の店たった。

「おにいさんら、何処からきたん?」
「あっ、東京です。」
「あーそーう。昨日はどこをまおってきたの?」
「えーと、かずら橋と大歩危と‥・。」
「へえ一、じゃあ今日は四万十川だ。ところで、大学生かい?」
「いえ、今年高校卒業して、今度大学生になるんですよ、」
「あーあ、やっぱりね、幼い顔してるもんね。」

この言葉でちょっと『ヒクヒク』ときた我々であった。そして、おでんを食べ終わったところで、
「おでん、すんちょった?」
と聞いてきた。私は、もうおでん食べ終おったのか(済んだのか)と聞いていると思い、
「はい。」
と答えた。しばらく沈黙が続いたあと、
「すんちょる、つて意味わかった?」
と聞いてきた。私は、ちょっと自信のない声で、
「はい。」
「どんな意味?」
「えーつと、もう食べ終わったってぃう事じゃないんですか。」
「ちがうよ。よく味がしみていることをこっちでは『すぃちょる』つてぃうんだよ。」
「あーなんだア、おでんね、ええ、よく味つぃてぃましたよ。」
おばちゃんはよそものにも慣れたものであった。