「岐阜県」タグアーカイブ

白川街道・飛騨街道をゆく[ローカルバスの旅]

 山々に囲まれた街・高山から牧戸(まきど)を経て、富山との県境に位置する秘境・白川郷までの道を「白川街道」と呼ぶ。そして、牧戸からひるがの高原を経て、美濃白鳥(みのしろとり)までの道は「飛騨街道」の一部である。

 高山一牧戸間は約50km。その間に3つの峠を越える。白川街道は峠道なのである。そして、牧戸一美濃白鳥間にも1つの峠があり、高山から美濃白鳥まで抜けると、合計4つの峠を通過することになる。

 ここに1日数本の路線バスが走っている。典型的なローカル線である。高山から白鳥へ、路線バスに乗り込んだ。

今回の旅行経路図.
高山バスセンター

 高山駅13時20分発、濃飛バス牧戸行きである。白鳥までの直通便は無く、牧戸で乗り換えとなる。今日の高山地方は天気は良いのだが、冷え込みが今年最高の厳しさであった。最低気温がマイナス7.9°C。ふきのとうが芽を出しているというのに真冬並みの寒さである。バスの車内は暖かく、白川街道を西へ西へと走っていった。

 高山の街を抜けると田畑が広がり、前方の山々が徐々にこちらに近づいてきた。車内は適当に混んでいる。清見村の役場がある三日町にてかなりの乗客が下車し、バスは登り坂へと入っていった。

 小鳥(おとり)峠越えである。別名びっくり峠とも呼ばれるそうで、この辺りは野鳥の声がよく聞かれるところだという。左には白い雪を残した連峰が雄大に広がっている。この風景は峠越えの醍醐味のひとつである。ここは分水嶺でもあるが、下流では高山を流れている宮川と合流するので水系は神通川水系であり、以前と変わらない。

 道は国道であり、完全に舗装されている。道幅も広くドライブには最適な道路だと思う。

 続いて松之木峠に大った。別名思案峠である。比較的平坦な道だったので、これは峠越えなのかと思ったが、地図によると「松之木峠」と記されているので峠なのである。「峠」とは何か。普段、峠について真剣に考える機会はあまりないが、辞書によると、山の道を登りつめた所、と書いてある。峠とはある一点の場所を指す言葉であった。

 車の交通量はゼロに等しい。残雪が多くなり、周りの畑は30cm程の雪で覆われている。その残雪の断面は断層のようになって道路に面していた。白樺やカラマツ林が続くようになった。少々耳鳴りがした。この峠を越えると水系が庄川水系に変わる。

 六厩(むまい)を出ると、
「この先、急カーブが多くなります。ご注意下さい。」
とテープが流れる。軽岡峠越えである。別名辞職峠と呼ばれている。

 なぜかこの白川街道の峠には別名が付けられている。ガイドブックにそう書いてある。順に「びっくり峠」「思案峠」「辞職峠」。人生の失敗への歩みを物語ったものなのだろうか。事が起こってびっくりし、いろいろと迷ったあげく辞表を提出……。悲しい物語である。

 それとも、正式名称の読み方をもじったものなのかも知れない。おどり→おどろいた→びっくり。まつのき→待つ→待つとは考えること→思案する。かるおか→帰ろうか→辞職。最後のものは自分でもよく意味がわからない。

 この軽岡峠も景観が美しい峠である。標高は約1000m、軽岡トンネルを抜けると下り坂となり、道が多少狭くなる。カーブも多くなった。道は屹立した山の底を走っており、三谷川の渓流が美しく流れている。

 黒谷よりややひらけた。しばらくして集落が現れ、荘川村の役場前を通り過ぎた。温度計が2°Cとなっている。外は寒そうである。そして高山より1時間15分、白川街道と飛騨街道の分岐点である牧戸に到着した。下車客は4人だった。

 牧戸は御母衣湖の南の集落である。せっかくなのでダムの見物に行きたいところだが、都合の良いバスもなければ、歩いて回る時間もない。白鳥駅行きのJRバスは15時7分発である。あと20分程であった。待合室でバスを待った。

牧戸駅

 待合室は広くはなく、売店も兼ねており、店の中に椅子が置いてある、といった感じであった。JRだからなのか、切符の窓口や料金表、運賃表など、鉄道の駅を思わせるような雰囲気の待合室である。移動スーパーから流れる演歌が聞こえていた。切符売り場の中では、テレビを見ながらミシンをかけているおばあさんがいた。美濃白鳥までの切符を買った。

 3人の乗客を乗せ、バスは牧戸を後にした。ひと息つく暇もなく、ヘアピンカーブにさしかかり、ひるがの高原へと向かった。

 ひるがの高原に大った。近代的なペンションが立ち並ぶ、今流行の典型的なリソート地である。この辺りの開発は近年目覚ましいものかおるらしく、途中には「リゾート地売ります 8500坪」という看板があった。

 ひるがのは漢字で書くと「蛭ヶ野」である。が、どこを見渡してみても「蛭ヶ野高原」と漢字で書いてある看板は見当たらない。リゾート地はイメージというものも重要な開発計画の要素のひとつである。「蛭ヶ野」では、人の生血を吸い取る「蛭」が野原に広く住みついている、というイメージが頭に浮かんでくる。これでは心をリフレッシュさせる爽やかさがまるで無くなってしまうように思う。「蛭ヶ野高原」ではなく、「ひるがの高原」なのである。

 ひるがの高原を抜けると道は下り坂カーブの連続となる。となりの尾根下に道路の延長が見える。この辺りは長良川の源流域である。

 「折立道」バス停を通過した。左を見下ろすと灰色の道がピンどめのように折り重なっていた。「○○洞(ぼら)」という名のバス停が多くあった。

 田が現れ、長良川鉄道の終着駅、北濃に着いた。終着駅といっても無人駅であり、開けた街ではなかった。バスは線路沿いに南下すると、16時、長良川の上流域である、美濃白鳥に到着。

 高山から76.9km、峠を走るローカルバスの旅でした。

(1993(平成5)年3月旅行,5月執筆)

さぁ出発!夜行鈍行大垣行き[四国旅行記#1]

はじめに

 高校の卒業式を終えた1991(平成3)年の春休み、旅好きな友人2人と一緒に、3月24日(日)から7泊8日の四国旅行に出掛けました。これは、その時の旅の記録です。

(旅行年月:1991(平成3)年3月)

さぁ出発

 私はいつも旅行の準備というものは、出発する直前に行なっている。別にこだわり を持っているわけではないのだが、どうしてもそうなってしまうのである。そして、 今日も午後4時、出発の準備をしていた。この準備を始めると心が高揚しはじめる。 嬉しくて、楽しくて、ワクワクしてくるのである。準備が早く終わってしまうと出発 時間まで待ち切れなくなり、今回もそのようなパターンであった。集合は東京駅10 番ホーム品川寄りに午後6時であった。夜行普通列車大垣行きに乗るためである。
 午後5時20分、ちょっと早いが家を出発することにした。

夜行鈍行大垣行き

 東京駅に着いた。案の定1番のりで、友人は誰も来ていなかった。数分後友人がき た。大垣夜行は毎日運転されているが、春夏冬休みには青春18切符が使えるとあって大混雑する。ピーク時の混雑ぷりは大変なもので、今どきこんな列車があるのか、と思う程である。

 そこでやっと最近、混雑する日に臨時 の大垣夜行列車(9375M)が運転されるようになったのである。この臨時夜行、東京を定期夜行より3分遅く発車するのだが、浜松で追い抜いて大垣には8分早く到着するおもしろいダイヤになっている。こうなるとどうしても臨時夜行の方に乗ってみたくなる。そして我々は臨時の大垣行きに乗ることになった。

 念には念をということで、集合時間を発車時刻の5時間43分前、午後6時にした のだが、臨時列車ができたせいか誰も並んでいる人がいない。我々は、臨時ができてから乗るのは初めてであり、大垣夜行に乗る人かどうかは一目見ればすぐわかる。勿論『大垣行き』乗車案内板下(10番線)に先頭として陣取りをした。

 午後9時、ボチボチ並ぶ人がでてきた。ブルートレインが次々と目の前を発車していくが、発車していくたびに「金があったらなあ」と車内の乗客をうらやんでしまう。これくらいの旅行になると、結構お金がかさむ。しかも、ビンボーな若者!にとってはなおさらである。また高松行き「瀬戸」が出発した。そんなとき、定期夜行の発車する隣の7,8番ホームを見ると、中核派の制服!、ヘルメット、マスク、サングラス、ハットスピーカー、旗を持った大集団が前2両に並んでいて、鉄道公安員も警備のため立っていた。これから何処へ行くのかなどと友人と話をしていたが、なんとも物騒な感じであった。

 午後11時ともなると、いいかげん暇で暇でいやになってくる。最後のブルートレイン『銀河』を見送って、22時33分、まちにまった臨時夜行が入線してきた。

 8両編成でグリーン車はついていない。座席の背もたれ上部にJR東海独特の自いカバーがかかっていないので、JR東日本の車両だろう。7番線の大垣行きを見ると日よけカーテンが全部閉められていた。

 22時43分、定刻に発車。車内は80%位の乗車率だろうか。

『どうせ寝れるわけがない』と諦めていたが、我々の乗った車両(先頭)の暖房の調子が悪いのか、窓の具合が悪いのか、とても寒かった。隣の車両をみると窓が水滴でびっしょりなのに対し、こっちの車両の窓は涸れるどころか曇ってもいない。しかも
窓を開けてる若者がいて本当に寝むれずイライラした。浜松で両大垣行きが並んだ。日よけカーテンは閉ったままである。

 列車は闇の中をひたすら走っていった。

大垣で再集合[四国旅行記#12]

雨を恨む!大恥じマクドナルド事件

 3月30日土曜日、あとは東京に戻るのみである。帰りももちろん鈍行列車。夜行鈍行の発車する大垣へと向かうのである。天気はまた雨。今回の旅行では雨の日が多い。

 友人2人は大垣を起点とする『樽見鉄道』に乗りたいということで、大垣に20時の待ち合わせをして別行動をとることにした。友人たちは早くチェックアウトして大垣へと向かった。私はひとりのんびりと、大阪や京都を途中下車しながら大垣に向かおうと思っていた。

 8時20分、ホテルをチェックアウトし岡山駅に向かう。予想以上の出費によって財布の中身が危うくなったので、岡山電気軌道(路面電車)駅前停留所の前にある三菱銀行へ寄っていこうとしたが、キャッシュサービスが9時からだったので先に朝食を済ませることにした。

岡山駅前の三菱銀行と路面電車

 駅そばも食べ飽きたし、レストランは締まっているし、といろいろ考えていると、停留所を挾んだ道路向かい側にマクドナルドが見えるのでそこにすることにした。雨がパラパラと降り続いていた。自動ドアを入ると階段になっており、両端は2階への上り階段、真ん中は1階の売り場カウンターへの下り階段となっていた。下り階段を6段ほど降りて、
「いらっしゃいませ。おはようございま~す。」
売り場メニューの下敷きに指をあてて、
「このセットをひとつ。」
「Bセットですね。お飲み物は何になさいますか。」
「コーラ。」
「コーラですね。」
「お持ち帰りでしょうか。」
「いいえ。」
Bセット(AかBかCかは忘れてしまったので、ここでは仮にBセットとする)とはフィレオフィッシュとハッシュポテトと飲み物の朝食セットである。会計を済ませ、
「ありがとうございました。」

 ここまでは順調だった。トレーを持ち上げ席のある2階へ行くため後ろに振りかえって階段をのぼった。右足が3段目にさしかかった瞬間、雨で床が濡れていて、しかもビニールの滑りやすい材質な為、右足が

『ズルつ!』

と下に滑ってしまった。

 トレーは手を離さなかったので何とか床と並行に保つ事ができたが、不安定な形のコーラが床に落ちてしまった。氷と液体が四方八方にちらばり、より一層床がビショ濡れになった。しかも自動ドアの前であり、かつど真ん中でそんな事をやらかしたので一瞬にして『注目の的』となり、恥ずかしい思いをしている暇もなく急いで売り場カウンターに戻って事情を説明した。

 運よくその時、緑色の帽子をかぷった偉い(?)正社員の男性がいて、同じ飲み物をもらい、そのままにしておいて結構ですよ、と言われ大変恐縮な思いをした。

 2階で朝を済ませ銀行に寄ってから、ホームへと向かった。ああ、恥ずかしい、恥ずかしい。

赤穂線回り

 山陽本綴でそのまま大阪に向かうのでは面白くないので、まだ未乗区間が残っている赤穂線回りで向かうことにした。

 9時23分、相生行きの電車が出発した。湘南色3扉セミクロスシートの4両編成で車内は1人1ボックスのガラガラであった。そして、2つ目の東岡山を過ぎると山陽本線と分岐し、電車は右に曲がっていった。

 2駅、3駅と止まる度に赤穂線のローカルな雰囲気が漂ってくる。駅も無人駅や委託駅が多くなり、ホームに降りたらすぐ道路、というのも見られる。ここは電車よりも気動車・ディーゼルカーのほうが割に合っているような気がするが、またそのギャップが面白いところでもある。

 10時12分、5日前に下車した西片上に到着。お好み焼き屋の元気なおばちゃんを思い出す。車内はガラガラ。土曜日で春休みとあれば、乗る人も少なくなるのだろうか。そして23分、日生に到着。ここは瀬戸内観光汽船の小豆島行きフェリー「オリーブライン」への乗り換え駅であり、右手に港を見ることができる。

日生駅

 県境を越え兵庫県に入り、10時39分、赤穂浪士、忠臣蔵で知られている播州赤穂に到着した。乗客が乗ってきて席がかなり埋まった。15分後、終点相生に到着した。

京都で荷物を預けてから大阪へ

 相生で乗り換えて姫路に着いた。姫路からは新快速で早く移動できる。11時27分米原行きは発車した。大阪で降りようか京都で降りようか色々考えたが、京都で降りてカバンをコインロッカーに入れて私鉄で大阪に戻る、ということに決めた。

 12時59分、京都に到着。改札を出てコインロッカーへと向かった。さすがに国際観光都市京都、外国人の旅行者をあちこちで見かけた。

 昼食をとり大阪に向かった。個人的に好きな京阪電車で向かうことにする。地下鉄で今出川まで行き、そこから始発駅である出町柳駅に向かって傘をさして歩いた。京都御所の北側を通り、鴨川を渡るとその駅はある。橋の北側はちょうど高野川と加茂川の合流地点になっており、その東側に駅がある格好になっている。

出町柳駅

 駅は地下にあり、最近京阪三条から延びたばかりなので、駅はきれいである。勿論特急に乗った。特急と言っても特別科金はとられない電車で、さすが競合関西、サービスはよい。そして運転席の真後ろにある席に座った。いわゆる『かぷりつき』である。そして、京阪ノンストップ特急は大阪に向けて走っていた。

 終点淀屋橋まで行こうと思ったが、14時30分で時間が余っているので京橋で降りて、日本で初めて実用化されたというリニアモーター駆動方式の大阪市営地下鉄に乗りに行くことにした。繁いたことに京阪では、乗車駅からその駅までの運賃よりも多くの運賃の切符を持っていれば、途中下車ができるのである(同額では無効)。私の切符は淀屋橋まで買ってあり、出町柳一京橋間の運賃よりも高いので、途中下車することができる。他の関西の私鉄でも近距離の途中下車を認めているのであろうか。日付の入った下車印を押され、地下鉄へと向かった。

 この大阪市交通局鶴見緑地線は京橋一鶴見緑地を結ぶもので、「国際花と緑の博覧会」会場へのアクセス手段として開通したものであった。リニアモーターといっても軌道は他の電車と変わりがなく、詳しいことは分からないが、ただ駆動方式がリニア方式を採用しているというものであるらしい。線路と線路の間に駆動時に使われる灰色の板のよなものが敷いてある。

 電車に乗った。他の電車よりも小さく狭い。乗客は少ししか乗っておらず、それも終点鶴見緑地の1つ手前の横堤でほぼ全員降りてしまった。鶴見緑地で降りたのは私と男性の2人だけ。改札を出ると広々としており、噴水があり上り階段になっている。階段をのぼると万博跡地になっており、工事をしているようだ。歩く人は誰もいない。今となっては駅前の整った広場が妙に不釣り合いのような気がする。雨が強くなってきたので引き返すことにした。

鶴見緑地駅
淀屋橋駅

 再び京橋に戻って、京阪に乗る。淀屋橋で御堂筋線にのりかえ梅田、JR新快速に乗って京都、荷物を取って再び新快速で米原、のりかえて大垣。大垣到着19時25分。

友人と再開~大垣にて

 20時になって、友人と再開したが、すごく久しぶりに感じられた。旅行をしていると毎日同じ人と顔を合わせている為に、時には面倒臭い存在になることもあるが、やはり友人がいるということは心強いことでもあり、話し相手にもなるので、改めて良いものだと思った。また、たまには別行動も必要だとも思った。夕食を駅ビルで食べ、今日のお互いのでき事について話をした。久しぶりに口を動かすので、次から次へと言葉がでてきて話が途絶えない。食事がとてもおいしかった。

 ホームに戻り大垣夜行の入線までまだ時間があったので、隣のホームの新しく建てられた待合室で暖をとりながら、列車を待った。

 今日も臨時の大垣夜行列車が運転されているが、我々は定期夜行列車に乗ることにした。別に理由はない。臨時の方にも人は並んでいて、今日のは6両編成であるということだった。そして定期列車が入線して間もなくの22時30分、臨時の方が先に発車し、40分、定期の東京行きが定刻に発車した。

終幕

 名古屋を過ぎる頃には、ほぼ席が埋まっていた。今は「臨時夜行」「定期夜行」の順に走っているが、下りの夜行同様途中で順番が逆転し、東京へは「定期夜行」「臨時夜行」の順で到着する。上りの場合追い抜きがあるのは、停車駅ではなく豊橋→浜松間のどこかの駅のようで、その時私は眠っていた。浜松。静岡、と止まる度に目を覚ましたが、発車すると再び眠りについた。もう列車は逆転していて、我々の乗る定期夜行が先に走っているはずである。

 2時43分、沼津に到着した。目を覚ましぼんやりホームを眺めていると、隣のホームに臨時の夜行列車が入ってきた。まだ追い抜きをしていなかったのか、と一瞬疑ったが、我々の方が先に到着しているのでそれはあり得ないことで、時刻表を見直してみると、沼津では『定期夜行の到着が2時43分、発車が55分』『臨時夜行の到着が2時53分、発車が59分』と、追い抜かれた臨時が追いつき、2分だけ肩をならべるようになっていた。沼津を先に出発し、私は再び寝た。

 気がつくと熱海で、駅名板が緑のラインのものになった。発車メロディーがなり、また気がつくと小田原、また気がつくと大船だった。大船からはもう起きていた。友人たちも起きだし眠っている町を眺めていた。雨はやんでいた。まわりの乗客たちは寝ている人が多い。モーターと車輪の刻む音しか聞こえない。

 4時29分、川崎に到着。友人たちが降りる準備をしだした。そして、4時38分、品川到着。友人は降りた。4時43分、私も新橋で列車に別れを告げ、京浜東北線の1番電車に乗って、四国旅行の幕は閉じるのであった。

あとがき

 どうして帰りの大垣夜行では終点の東京まで行かず、1つ手前の新橋で乗り換えたのか。大垣夜行の東京到着は4時42分、僕の乗り換える京浜東北線北行の始発の発車は4時43分。乗り換えの複雑な東京駅では1分間での乗り換えはほぼ不可能であり、それより4時38分(夜行)に到着し4時40分発(京浜線)である新橋だと乗り換えが出来るという理由からです。また、この始発の京浜東北線を逃すと17分電車が来ない為、寒い中待たなければならないという事も理由のひとつでした。(だから何?と言われてしまえばそれまでですが)