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片上鉄道で柵原へ[四国旅行記#3]

 この旅行の目的は四国なので、まっすぐ岡山へ行くべきなのだが、今年4月で廃止になる私鉄「同和鉱業片上鉄道」に乗るため、片上駅に向かった。
 この鉄道は、吉井川上流の柵原 (やなはら) 鉱山で採掘 される硫化鉄鋼を瀬戸内海に面した片上港へ運ぶために建設されたもので、昭和6年に全通した。片上駅へは、赤穂線西片上駅で下車し、5分程歩いた所にある。

 12時30分頃、片上駅についた.今度の列車まで45分程あるので食事を済ませることにした.近くにお好み焼き屋があったのでそこに決めた.店はそれ程広くはなく、奇麗だ!といえる感じではない。中では地元の人々の談話室となっていた。

 「おにいちゃんら、ちょっと時間かかるよって・・・。」

 岡山弁?で店のおばちゃんがこのように言っていた。
そして、すったもんだと議論したのち、急いで作ってもらう事に落ち着いた。

 店にいる地元の人と色々な話しになり、東京から来た、と言うと『うちの甥も東京で働いてるわ』という話しになる。既に12時50分、発車25分前であった。そして、早く食べないと間に合わないぞ、という話しになり、店のおばち々んが私に向かって、

「あんたが、一番だめそうや。」

と言った。3人の中では確かに1番キャシャな体格ではある。,自慢じゃないが食べるのは1番早い。こう言われると、意地でも1番に食べ終わらなければ気が済まない。13時、発車15分前に出来上がった。3人共急いで食べたが、熱いので思うよう口に進まない。味わって食べる暇もない。私は1番に食べ終わり、意地は張れた。そして、3人共食べ終わったが、発車5分前だった。最後、店を出るとき、

「おばちゃんのこと忘れないで、また今度はゆっくりと来てちょうたいね。その頃は彼女もいっしょかなー、気いつけてな。」

と言われ、慌てて駅に向かった事が非常に印象に残っている。

 何とか列車には間に合った。13時15分、定刻に片上駅を発車した。1両編成の肌色と赤のツートンカラーのディーゼルカーで、車内は20人ぐらい乗客がいるが、ほとんどがはるばるこの鉄道に乗りに来た旅行者のようである。

 列車は、赤穂線、続いて新幹線をオーバークロスして、ウネウネと山中の上り勾配をのぽっていく。備前市から和気市に入って、31分、和気に着いた。ここで19分停車する。
 岡山からの電車に接続するためだろうが、他の列車も和気でしばらく停車するので、和気が中心のダイヤ設定になっているのだろう。13時50分、さらに20人ぐらいの客を乗せて発車した。

 列車は吉井川に沿い、上流に向かって北上する。左手に川と国道374号線がみえる。車窓は結構美しい。3駅、4駅と止まるたびに、地元の乗客はポツポツと降りていく。

 14時36分、終点柵原(やなはら)に着いた。車窓は終点まで変化がないが、赤いとんがり屋根の駅舎は洒落たものである。私は全国の駅舎の写真を撮り集めているので、写真を撮り、折り返し14時57分の列車に乗り込んだ。

柵原駅

 柵原には今では廃墟となった鉄鉱場の建物があり、何とも寂しいところであった。待合室の掲示板を見ると、6月(何日かは忘れてしまった)に廃止となる旨が伝えられていた。バスとの交渉がうまくいかず、2ヶ月程廃止が延びたのだそうだ。

柵原駅の鉄鉱場跡地.この後廃止された.

 折り返し列車が発車した。乗客はほとんど折り返し客だった。

 10分位たった頃、走っていたディーゼルカーが急停車した.
「え一つ、申し分けありません。ただいま、踏切が故障しています。しばらくお待ち下さい。」
と車内放送があった。「ほんとかよ!」と思っていると、車掌が車から降りて、前方の踏切まで走っていった。工事中の案内看板に踏切の捧がひっかかっていたらしく、手で直して戻ってきた。

「おまたせしましたー。」

警笛がなり、発車した。しかし、今までの旅行のなかで車掌が降りて踏切を直したという場面は初めて見た。もしかすると、踏切も列車の廃止に感づいて、自己主張をしたのかもしれない。

正面6枚窓の流線型車両

どっきん!四国へついに突入[四国旅行記#4]

 16時26分、和気で山陽本線に乗りかえ、岡山に着いた。いよいよ瀬戸大橋を渡る時が来た。しかし、天気は曇り空で今にも雨がふりだしそうな模様である。16時45分発の『マリンライナー43号』に間に合う時間だったが、座れなかった為、30分後に発車する『マリンライナー45号』(17時15分発)に乗ることにした。

 16時59分、ステンレスにブルーの帯びの電車が入ってきた。席は勿論確保。そして、17時15分発車。電車は左にカーブし宇野線を走り、早島、茶屋町と停車する。車内は春休みに入ったとあって、子供連れの客で混雑していた。

 17時30分、茶屋町を発車すると、宇野線に別れを告げ、灰色の高架橋をグングン走って行く。本四備讃線(瀬戸大橋線)に突入した。右に大きくカーブして、左眼下に宇野線が見えた。そして、一目で新線とわかる直線のトンネルを何回も、物凄いスピードで突っ走る。

 10分後、児島に到着。1/3位の客が下車した。茶屋町より大きい町に思えた。後で地図で調べてみると、倉敷市であることがわかり、少々意外であった。

 児島を出ると、左手に児島ボートレース競技場が見え(駐車場が広い)、マリンライナーはどんどん加速していった。車掌が瀬戸大橋の説明らしき事を言っているようだが、ボリュウムが小さくてあまり聞こえない。まだか、まだかと外を見ているが、青函トンネルに入る時もこんな気持ちだった。すると『ゴー』といって(そんなに大きな音ではない)瀬戸大橋を渡り始めた。天候が芳しくないため、遠くは見えないが、海の上を列車が走っている、と考えると「銀河鉄道999の哲郎」のような気分になる。しかも、下を覗くと「海」なので、なおさらである。

 橋の途中にある与島パーキングエリアが見えてきたが、その車の高架橋(灰色)が随分高いところにあってカーブしており、よく折れないものだな、と感心してしまった。

 橋も渡り終わったようで、瀬戸中央自動車道は左に別れていった。周りは工場地帯で、いよいよ四国に突入して、17時55分、坂出に着いた。立っている人がいなくなる。ついに雨が降りだして、列車は高松に向かった。しかしまあ、よく飛ばすこと・・・。そして、18時12分、四国随一の都市、高松に到着した。

高松駅

フェリーで四国にさようなら[四国旅行記#11]

 帰りはフェリーで本州の宇野に渡ることにした。宇野までのフェリーは、宇高国道フェリー、日通フェリー、四国フェリーと3つあり、我々は宇高国道フェリーに乗ることにした。特別な理由はないのだが、待合室や桟橋がきれいで、見た目一番しっかりしていそうだったから、という単純なことからだった。

 いよいよ四国を離れると思うとやはり空しいような寂しいような気分になってくる。そして、船に乗り込み、17時50分、たった4日間ではあったが、私たちを楽しませてくれた島【四国】を離れ、フェリーはゆっくりと後ろに進んで回頭し、一路本州宇野をめざして海を渡るのであった。

宇高国道フェリーの甲板にて

 船内はガラガラで2~30人程しかいない。半分はトラックの運転手で、みんな毛布をかぶったりしながら真ん中のビニールの長椅子に横になって、僅かばかりの休息時間を有効につかっていた。我々は窓側のソファーに荷物を置いて、甲板にでた。後ろには高松の町が大きく見え、同じ宇野行きである四国フェリーが航海していた。あのフェリーはこの国道フェリーの3分後に出港したフェリーである。

鬼ヶ島(だと思う=昔撮影したもので記憶がなく・・・)

 右手に「鬼が島」が見えた。あの桃太郎がきびだんごを持って行った鬼が島である。そして、左手を見ると夕日が鮮やかに輝いており、我々の四国への別れと同時に、一日を終えようとしているのであった。私はうしろに見える四国の島を見ながら、より一層四国での旅行を回想し、空しさを感じていた。

夕日とともに

 前方を見ると右、左から何隻もの船が行き来しているのが見えた。これからこの船もあの海の交差点を通っていくのだろうが、このまま進んだら衝突するのではないか、と心配になることがあった。しかし、周りに何もないため遠近感が鈍るのか、船の速度が遅いのか、しばらくするとその船は目の前から通り過ぎてしまい、『全然余裕じゃないの!』と思う事が時々あった。

 夕日も沈みかけた頃、瀬戸大橋が見えないかと左手を見たが、かすかに見える程度で殆ど見えないと等しいものだった。そして、寒くなってきたので下の船室に戻ることにした。

 約1時間で本州宇野に到着した。日は沈みあたりは真っ暗である。宇野駅まで10分程歩き、19時28分発の茶屋町行きに乗って岡山に向かうことになった。宇野駅はひっそりとしており、かつての賑わいを見せていた面影が、駅の造りから何となく伺うことができた。そして、1両編成で荷物車の改造電車という、いかにも宇野線は寂れてしまった、と物語っているような電車に乗って茶屋町まで行き、四国琴平からの湘南色電車岡山行きに乗って、岡山へと向かった。岡山到着、20時28分。

宇野駅

大垣で再集合[四国旅行記#12]

雨を恨む!大恥じマクドナルド事件

 3月30日土曜日、あとは東京に戻るのみである。帰りももちろん鈍行列車。夜行鈍行の発車する大垣へと向かうのである。天気はまた雨。今回の旅行では雨の日が多い。

 友人2人は大垣を起点とする『樽見鉄道』に乗りたいということで、大垣に20時の待ち合わせをして別行動をとることにした。友人たちは早くチェックアウトして大垣へと向かった。私はひとりのんびりと、大阪や京都を途中下車しながら大垣に向かおうと思っていた。

 8時20分、ホテルをチェックアウトし岡山駅に向かう。予想以上の出費によって財布の中身が危うくなったので、岡山電気軌道(路面電車)駅前停留所の前にある三菱銀行へ寄っていこうとしたが、キャッシュサービスが9時からだったので先に朝食を済ませることにした。

岡山駅前の三菱銀行と路面電車

 駅そばも食べ飽きたし、レストランは締まっているし、といろいろ考えていると、停留所を挾んだ道路向かい側にマクドナルドが見えるのでそこにすることにした。雨がパラパラと降り続いていた。自動ドアを入ると階段になっており、両端は2階への上り階段、真ん中は1階の売り場カウンターへの下り階段となっていた。下り階段を6段ほど降りて、
「いらっしゃいませ。おはようございま~す。」
売り場メニューの下敷きに指をあてて、
「このセットをひとつ。」
「Bセットですね。お飲み物は何になさいますか。」
「コーラ。」
「コーラですね。」
「お持ち帰りでしょうか。」
「いいえ。」
Bセット(AかBかCかは忘れてしまったので、ここでは仮にBセットとする)とはフィレオフィッシュとハッシュポテトと飲み物の朝食セットである。会計を済ませ、
「ありがとうございました。」

 ここまでは順調だった。トレーを持ち上げ席のある2階へ行くため後ろに振りかえって階段をのぼった。右足が3段目にさしかかった瞬間、雨で床が濡れていて、しかもビニールの滑りやすい材質な為、右足が

『ズルつ!』

と下に滑ってしまった。

 トレーは手を離さなかったので何とか床と並行に保つ事ができたが、不安定な形のコーラが床に落ちてしまった。氷と液体が四方八方にちらばり、より一層床がビショ濡れになった。しかも自動ドアの前であり、かつど真ん中でそんな事をやらかしたので一瞬にして『注目の的』となり、恥ずかしい思いをしている暇もなく急いで売り場カウンターに戻って事情を説明した。

 運よくその時、緑色の帽子をかぷった偉い(?)正社員の男性がいて、同じ飲み物をもらい、そのままにしておいて結構ですよ、と言われ大変恐縮な思いをした。

 2階で朝を済ませ銀行に寄ってから、ホームへと向かった。ああ、恥ずかしい、恥ずかしい。

赤穂線回り

 山陽本綴でそのまま大阪に向かうのでは面白くないので、まだ未乗区間が残っている赤穂線回りで向かうことにした。

 9時23分、相生行きの電車が出発した。湘南色3扉セミクロスシートの4両編成で車内は1人1ボックスのガラガラであった。そして、2つ目の東岡山を過ぎると山陽本線と分岐し、電車は右に曲がっていった。

 2駅、3駅と止まる度に赤穂線のローカルな雰囲気が漂ってくる。駅も無人駅や委託駅が多くなり、ホームに降りたらすぐ道路、というのも見られる。ここは電車よりも気動車・ディーゼルカーのほうが割に合っているような気がするが、またそのギャップが面白いところでもある。

 10時12分、5日前に下車した西片上に到着。お好み焼き屋の元気なおばちゃんを思い出す。車内はガラガラ。土曜日で春休みとあれば、乗る人も少なくなるのだろうか。そして23分、日生に到着。ここは瀬戸内観光汽船の小豆島行きフェリー「オリーブライン」への乗り換え駅であり、右手に港を見ることができる。

日生駅

 県境を越え兵庫県に入り、10時39分、赤穂浪士、忠臣蔵で知られている播州赤穂に到着した。乗客が乗ってきて席がかなり埋まった。15分後、終点相生に到着した。

京都で荷物を預けてから大阪へ

 相生で乗り換えて姫路に着いた。姫路からは新快速で早く移動できる。11時27分米原行きは発車した。大阪で降りようか京都で降りようか色々考えたが、京都で降りてカバンをコインロッカーに入れて私鉄で大阪に戻る、ということに決めた。

 12時59分、京都に到着。改札を出てコインロッカーへと向かった。さすがに国際観光都市京都、外国人の旅行者をあちこちで見かけた。

 昼食をとり大阪に向かった。個人的に好きな京阪電車で向かうことにする。地下鉄で今出川まで行き、そこから始発駅である出町柳駅に向かって傘をさして歩いた。京都御所の北側を通り、鴨川を渡るとその駅はある。橋の北側はちょうど高野川と加茂川の合流地点になっており、その東側に駅がある格好になっている。

出町柳駅

 駅は地下にあり、最近京阪三条から延びたばかりなので、駅はきれいである。勿論特急に乗った。特急と言っても特別科金はとられない電車で、さすが競合関西、サービスはよい。そして運転席の真後ろにある席に座った。いわゆる『かぷりつき』である。そして、京阪ノンストップ特急は大阪に向けて走っていた。

 終点淀屋橋まで行こうと思ったが、14時30分で時間が余っているので京橋で降りて、日本で初めて実用化されたというリニアモーター駆動方式の大阪市営地下鉄に乗りに行くことにした。繁いたことに京阪では、乗車駅からその駅までの運賃よりも多くの運賃の切符を持っていれば、途中下車ができるのである(同額では無効)。私の切符は淀屋橋まで買ってあり、出町柳一京橋間の運賃よりも高いので、途中下車することができる。他の関西の私鉄でも近距離の途中下車を認めているのであろうか。日付の入った下車印を押され、地下鉄へと向かった。

 この大阪市交通局鶴見緑地線は京橋一鶴見緑地を結ぶもので、「国際花と緑の博覧会」会場へのアクセス手段として開通したものであった。リニアモーターといっても軌道は他の電車と変わりがなく、詳しいことは分からないが、ただ駆動方式がリニア方式を採用しているというものであるらしい。線路と線路の間に駆動時に使われる灰色の板のよなものが敷いてある。

 電車に乗った。他の電車よりも小さく狭い。乗客は少ししか乗っておらず、それも終点鶴見緑地の1つ手前の横堤でほぼ全員降りてしまった。鶴見緑地で降りたのは私と男性の2人だけ。改札を出ると広々としており、噴水があり上り階段になっている。階段をのぼると万博跡地になっており、工事をしているようだ。歩く人は誰もいない。今となっては駅前の整った広場が妙に不釣り合いのような気がする。雨が強くなってきたので引き返すことにした。

鶴見緑地駅
淀屋橋駅

 再び京橋に戻って、京阪に乗る。淀屋橋で御堂筋線にのりかえ梅田、JR新快速に乗って京都、荷物を取って再び新快速で米原、のりかえて大垣。大垣到着19時25分。

友人と再開~大垣にて

 20時になって、友人と再開したが、すごく久しぶりに感じられた。旅行をしていると毎日同じ人と顔を合わせている為に、時には面倒臭い存在になることもあるが、やはり友人がいるということは心強いことでもあり、話し相手にもなるので、改めて良いものだと思った。また、たまには別行動も必要だとも思った。夕食を駅ビルで食べ、今日のお互いのでき事について話をした。久しぶりに口を動かすので、次から次へと言葉がでてきて話が途絶えない。食事がとてもおいしかった。

 ホームに戻り大垣夜行の入線までまだ時間があったので、隣のホームの新しく建てられた待合室で暖をとりながら、列車を待った。

 今日も臨時の大垣夜行列車が運転されているが、我々は定期夜行列車に乗ることにした。別に理由はない。臨時の方にも人は並んでいて、今日のは6両編成であるということだった。そして定期列車が入線して間もなくの22時30分、臨時の方が先に発車し、40分、定期の東京行きが定刻に発車した。

終幕

 名古屋を過ぎる頃には、ほぼ席が埋まっていた。今は「臨時夜行」「定期夜行」の順に走っているが、下りの夜行同様途中で順番が逆転し、東京へは「定期夜行」「臨時夜行」の順で到着する。上りの場合追い抜きがあるのは、停車駅ではなく豊橋→浜松間のどこかの駅のようで、その時私は眠っていた。浜松。静岡、と止まる度に目を覚ましたが、発車すると再び眠りについた。もう列車は逆転していて、我々の乗る定期夜行が先に走っているはずである。

 2時43分、沼津に到着した。目を覚ましぼんやりホームを眺めていると、隣のホームに臨時の夜行列車が入ってきた。まだ追い抜きをしていなかったのか、と一瞬疑ったが、我々の方が先に到着しているのでそれはあり得ないことで、時刻表を見直してみると、沼津では『定期夜行の到着が2時43分、発車が55分』『臨時夜行の到着が2時53分、発車が59分』と、追い抜かれた臨時が追いつき、2分だけ肩をならべるようになっていた。沼津を先に出発し、私は再び寝た。

 気がつくと熱海で、駅名板が緑のラインのものになった。発車メロディーがなり、また気がつくと小田原、また気がつくと大船だった。大船からはもう起きていた。友人たちも起きだし眠っている町を眺めていた。雨はやんでいた。まわりの乗客たちは寝ている人が多い。モーターと車輪の刻む音しか聞こえない。

 4時29分、川崎に到着。友人たちが降りる準備をしだした。そして、4時38分、品川到着。友人は降りた。4時43分、私も新橋で列車に別れを告げ、京浜東北線の1番電車に乗って、四国旅行の幕は閉じるのであった。

あとがき

 どうして帰りの大垣夜行では終点の東京まで行かず、1つ手前の新橋で乗り換えたのか。大垣夜行の東京到着は4時42分、僕の乗り換える京浜東北線北行の始発の発車は4時43分。乗り換えの複雑な東京駅では1分間での乗り換えはほぼ不可能であり、それより4時38分(夜行)に到着し4時40分発(京浜線)である新橋だと乗り換えが出来るという理由からです。また、この始発の京浜東北線を逃すと17分電車が来ない為、寒い中待たなければならないという事も理由のひとつでした。(だから何?と言われてしまえばそれまでですが)