多摩ニュータウン(その2)【東京考察#38】

Tama housing new town (Vol.2)

見学モデルルート

1980年代前半

住環境の向上を図るため、多摩NTにタウンハウス(低層集合住宅)が建設された。多摩NTで最初にタウンハウスが建てられたのは諏訪地区(1979年)であり、続いて4年後に鶴牧地区で建設された。また、入居者がメニューの中から自分で設計するフリースペースを含んだ、メニュー方式による中層住宅も登場した。

★タウンハウス諏訪 1979(S54)年入居開始
タウンハウスの先駆的事例として知られる。しかし、高密化できないこと、建ぺい率が高く駐車場の確保が難しいこと、コストが割高であることなどにより、タウンハウスの時代はあまり長続きしなかった。

★タウンハウス鶴牧 1982(S57)年入居開始

★グリーンメゾン鶴牧 1983(S58)年入居開始
中層および高層からなる住宅。中層棟に勾配のある屋根を付けて雁行させるなど、外観に一工夫付け加えている。入居者が設計できるメニュー方式による中層住宅もある。


2階建てのタウンハウス鶴牧


住居案内板
緑のラインが歩行者・自転車専用道路
灰色のラインが自動車・二輪車道路
完全に歩車分離がされている


歩行者専用道路


自動車の道路

区画整理事業によって建てられた戸建住宅もある


雁行屋根をつけたタウンハウス


道路の軸線上に富士山が見えるように設計された「富士見通り」
運良く富士山が見えている


公園の広場ではサッカー

1980年代後半

この時代になると、アイデンティティー(個性・その人らしさ)を重視した街づくりが現れるようになってきた。プラスワン住宅と呼ばれる、通りに面して開かれたもう一つの部屋(フリースペース)を持つ住宅が登場し、キャラクタープランと呼ばれる、個性的な間取りが考え出されるようになった。また、マスターアーキテクト制を導入して、街全体を調和のあるデザインに設計された開発も登場した。

★プロムナード多摩中央(プラスワン住宅) 1987(S62)年入居開始
「プラスワン住宅」である。通りに面した部屋(フリースペース)での趣味活動などにより、地域とのコミュニケーションが図られ、暮らしの営みにプラス1のふくらみが生まれる。通りに対して賑わいを創出する狙いもあった。

★ファインヒルいなぎ 1988(S63)年入居開始
戸建から中層・高層住宅が扇形に広がる配置と、色彩の統一や歩車融合(ボーンエルフ式・多摩NTの基本的考え方と逆である)を図った街づくりが特徴。キャラクタープランにより、個性的な考え方が出されるようになった。


プラスワン住宅。
通りに面して、アトリエなどを開くことができる。
プラスワン部屋専用の玄関もある。もちろん中の部屋とつながっている。
この部屋は1階に住む人だけの部屋であろう。


多摩中央公園


パルテノン多摩から多摩センター駅へまっすぐのびる都市軸
多摩NTの中心地である。
パルテノン大通りと呼ばれる歩行者専用のペデストリアンデッキである
自動車の軸線はこの下の階にある。


たまヴァンサンカン
多摩NTの情報展示館である
開発変遷の展示が行われており、
住宅案内も行っている


三越前からサンリオピューロランドを望む


カード売りの露天商に群がる子供達


多摩センター駅

参考文献
・多摩ニュータウンパンフレット
・日経アーキテクチュア 93年3月号