「玉川村」タグアーカイブ

yodge[ヨッジ](玉川村四辻新田)【郡山見聞録#126】

 yodge(ヨッジ)は,1910(明治43)年に創立した小学校である旧四辻分校をリノベーションした施設で,宿泊施設とカフェが営業している.建物は,梁がむき出しとなっている高い天井や、教室だった全5室の客室,音楽室だったカフェなど,おしゃれに洗練された体験空間として生まれ変わっている.キャンプのほか,たき火,農業,動物ふれあい,サウナ,バーベキュー,ビザ作り,サイクルツアー,渓流釣りなど様々なアクティビティもできる.

 福島県玉川村の四辻新田という里山の集落にある.

 道しるべもおしゃれ!柱の中にライトが灯されている.

yodge(ヨッジ)の案内図

これが旧分校の建物を活用した「yodge」.カフェと宿泊施設などが併設されている.

サイクリストにもやさしい.

喫煙所?

薪が積まれている.

こちらが正面になる.

本当の入口はこちら.

自然豊かな里山で様々な体験活動ができる.

カフェではランチや珈琲を注文することができる.夜は予約制でコースを注文することも可.

木造の旧校舎を生かした空間となっている.福島県建築文化賞の正賞を受賞している優れた建築物.

カフェから客室への廊下.

チェックインカウンター.

客室内はこのような感じ.

ラセン階段を上ると,展望台にいける.

小学校の佇まいを残す廊下.

建築文化賞の賞状.

カフェラテを注文.お手拭きはアロマ.

阿武隈川・みちのくサイクリングロードを走る【郡山見聞録#123】

みちのくサイクリングロード.郡山市側は土手の上を走る.


みちのくサイクリングロードは,福島県玉川村の乙字ヶ滝(国道118号乙字大橋付近)を起点として須賀川市内を通り,郡山市の日和田(磐越自動車道新阿武隈川橋付近)を終点とする約30kmの自転車専用道路である.中通りを南北に流れる阿武隈川に沿ってルートが設定され,郡山市内では土手の上を爽快に走ることができる.

今回は,郡山駅前のまざっせ(郡山駅前まちなか交流拠点)にてロードバイクをレンタル(息子)して,郡山駅前から行合橋(県道65号小野郡山線)まで一般道を走ってサイクリングロード(阿武隈川)に合流し,乙字ヶ滝までの往復54km(片道27km)をサイクリングした.

レンタル用のロードバイクは5台,クロスバイクは3台ある.今回,車種:SCHWINN FASTBACK1  シュウィン ファストバック1,サイズ・適応身長(カタログ値):480㎜/165-175をレンタルした(乗るのは息子.僕は息子の自転車TB1を借りる).1日4,000円(クロスバイクは2,000円).貸出し時間は10時~18時まで.日をまたぐことも相談可.

出発前にタイヤの空気圧を調整してくれる.

阿武隈川の土手の上を走るサイクリングロード.

一級河川阿武隈川ー管理は国土交通省.

水門と排水ポンプの施設が時々現れる.大雨の時は阿武隈川の水位が上がって逆流してしまうため,大雨時は水門を閉めて,排水ポンプで宅地側の水を阿武隈川に排水する.極度の大雨で阿武隈川がパンクすると洪水の大水害となる.

案内看板もある.

新御代田橋(県道110号田村安積線)を渡って左岸側にいくと,内陸に入って畑や水田の中を走る.

須賀川市に突入!

きれいになった休憩所もある.一昔前までは草ボウボウ,ベンチはひっくり返っているなど荒れ放題となっていたが,素晴らしく整備し直された.

一部,一般道路を走るルートがある.どうもネットのルートマップが間違っているみたいで...砂利道になってしまいました.阿武隈川の土手沿いだと間違いないので,土手に向かうことにした.

斜面は担いで登って,再び土手の上を走る.

一部,令和元年の台風19号の被災により迂回区間があるので注意.

なかなか味のある看板.「みちのく」の下には「あぶくま川」という文字があって,昔は「あぶくま川自転車道」だったようで.なぜ,「みちのく自転車道」になったのかな,「あぶくま川自転車道」の方が場所がわかりやすいのではないかと思う.

須賀川市小作田地区(JR水郡線川東駅周辺)には,昼食を食べられるお店が何軒がある.昼食はここで取るのがお勧め.
選んだのは「やぶき食堂」.ガッツリ昼食.ついついお腹がすいていたのでたらふく食べてしまったが,のちのち辛いことに.消化のエネルギーが胃袋にいってしまうため,たくさん食べてはいけないことがわかった.
でも,焼き肉丼はボリューム満点でおいしかったな~.

玉川村に入った! 終点(起点)はもう少しだ!

トラクターも走る.(地元の農耕車は許可をもらっているらしい?)

最後の上り坂を走ると・・・

乙字ヶ滝に到着.もう午後2時を過ぎていて,午後6時までに自転車を返さなければならないため,すぐに引き返すことに.そして,無事17時に郡山まで戻ってきたのであった.中1の息子はリュックを背負っていても楽々であったが,50歳過ぎの僕にとっては帰りはやすみ休みハカハカしながら走って帰ってきた.