池袋・王子・浅草を明治通りで結ぶ路線
草64 池袋駅東口⇔浅草寿町(経由)王子駅・日本堤 巣鴨営業所
路線keyword:明治通り,池袋,飛鳥山,吉原大門,浅草公園六区,浅草雷門,都電と併走
池袋・王子・浅草と、電車では乗換なければならない地点を明治通りで結ぶ比較的利用価値のある路線であり、休日には若干本数が増える。池袋・浅草間には、この他に巣鴨駅・白山・千束を経由する草63系統が存在する。
池袋駅から王子駅までは王40系統と同じルートを走る。王子駅前を出発するとこのバスは溝田橋交差点で右折して王40・王57系統と別れるが、明治通りも右に曲がっているので、通り名称は変わらない。石神井川を小さな橋で渡り、梶原で都電荒川線と交差する。この路線は、都電の線路と平行に走って行くわけではないが、都電が結ぶ地域と同じ地域を結んで走っている。
右手にひっそりと佇むJR宇都宮・高崎線の尾久駅舎が現れる。注意をして見ないと気づかずに通り過ぎてしまう。駅の後ろにはJRの操車場が広大に広がっており、運が良ければ夜の発車を待つ東北方面への寝台列車をちらっと眺めることができる。
京成線新三河島駅を過ぎ、左手に荒川区役所前に広がる公園を眺め、バスは中小工業と住宅が混在する下町の中を走っていく。この辺りの明治通りは、渋谷駅前・新宿伊勢丹前・池袋駅前の明治通りとは全く異なった趣を呈す。
大関横丁で国道4号・日光街道と交差し、三ノ輪二丁目で明治通りは左斜め前に別れていく。バスはここで明治通りに別れを告げ、土手通りを南に走っていき、山谷地域に接している日本堤を通過する。そして、遊郭で有名だった吉原の裏手に位置する吉原大門となり、吉原大門交差点の昭和シェル石油ガソリンスタンド前歩道に「見返りの柳」が小さな石灯籠と共にぽつんと一本立っている。バスは高速で走り抜けていくので、車内から見るときは目を凝らして右手を眺めていなければ見過ごしてしまう。吉原(新吉原)は明暦3(1657)年に日本橋人形町あたりに存在していた旧吉原の遊郭を現在の千束四丁目に移転して形成された遊郭であるが、昭和33(1958)年の売春防止法の施行によって吉原遊郭は消滅した。現在は特殊浴場(ソープランド)街が形成されている。
浅草二丁目で往路復路が別れ、このバスは右に曲がる。駅前にバスターミナルのないところでは、バスをループ運行させて折り返させるルートとすることが多く、浅草の場合も繁華街が広域に広がっていることもあって、ループ運行をする路線が多く存在する。左手に浅草寺(浅草観音堂)の裏を一寸眺められ、西浅草三丁目交差点を左折し、左手に花やしき遊園地をこれまた一寸眺めて浅草公園六区となる。花やしきは江戸時代には花園で賑わったところで、昭和28(1953)年に日本初のローラーコースターが登場した遊園地である。
浅草公園六区の「六区」とは、明治15(1882)年より始まった浅草公園の築造・整備(全6区画に区分して整備)における区画番号のことである。その中でも第6区画は興行街として整備され、そのまま「浅草公園六区」という名称が東京の娯楽の代名詞のようになったのである。バス停の名称に「浅草公園六区」という名が今でも残されていることに拍手を送りたい。映画館は明治40(1907)年頃から登場し、現在も残る浅草六区の映画街が形成された。1本左手奥に入った道沿いに映画館が建ち並んでいる。
浅草の繁華な雰囲気となってバスは国際通りを直進し、右手には浅草ビューホテルの高層ビルが現れ、ROXビル前にて浅草一丁目のバス停となる。そして、地下鉄銀座線田原町駅前である終点浅草寿町に到着する。
浅草寿町発の池袋駅東口行は、浅草二丁目まではループ運行となる。浅草の見所の多いところを通過するので、浅草二丁目までを記載する。
浅草寿町を発車し、隅田川に架かる駒形橋を右手に見るとバスは左折する。正面には浅草雷門が現れ、「雷門」と黒字で書かれた大きな赤提灯が門にぶら下がっている。雷門は五穀豊穣を祈願して天慶5(942)年に建てられたもので、風神・雷神が安置されている。現在の雷門は昭和35(1960)に復元されたものである。雷門正面に突き当たると右折し、賑やかな商店街を走る。吾妻橋・隅田川橋めぐりの水上バスのりば・金色の炎のオブジェを右手に見ながらバスは左折し、松屋デパート・浅草駅前となって浅草松屋前(東武浅草駅)停留所となる。浅草寺に通じる二天門バス停を通って、浅草二丁目バス停となる。バスはそのまま直進して池袋に向かう。