東43 荒川土手(江北橋下)⇔ 東京駅北口[都バスで東京発見]

下町・川の手地域からビジネス街まで南北に縦断する路線

東43 荒川土手(江北橋下)⇔東京駅北口(経由)田端駅・御茶ノ水駅 北営業所

路線keyword:荒川土手,工場地帯,旧山の手,東京大学,大手町ビジネス街,赤煉瓦駅舎,狭路


江北橋(足立区)より少し北側に入ったところに荒川土手操車所が存在する。「荒川土手」と言っても場所は広範囲にわたり、何処の荒川土手なのかを明記しないと場所がわからず、近年、バスの方向幕に括弧書きで(江北橋下)と記載されるようになった。
幅の狭い道路に面して操車所が設けられているので、バスが操車場に入るときは、道路に走る車を誘導員が止めてから、バックをして定位置に入る。東京駅北口行はそんな荒川土手操車所前から発車する。なお、荒川土手行のバスは、一つ手前の荒川土手(江北橋下)停留所で終点となり、荒川土手操車所前停留所までは乗車できない。
正面に荒川土手の堤防が現るとバスは左折し、首都高速川口線(C2)の高架下を走る。高速のジャンクション下にてバスは右に入って坂を登り江北橋を渡る。右手には首都高速王子線(仮称・未開通)の真新しい江北橋が見え、都会の密度の高い圧迫的な空間とは違う開放的な荒川土手が広がる。
宮城にて左折し、工場の多い地区を走っていく。この辺りの宮城・小台は荒川と隅田川に囲まれた交通不便な地域でもあり、この地域にとってこの路線はJR田端駅までのアクセスとして利用されている。その為に駒込病院までの便が多数存在している。右手に荒川遊園地の観覧車が見えると小台二丁目となり、工場地帯の狭路をくねりながらバスは走る。
小台橋で隅田川を渡ると荒川区・西尾久となり、両側に商店街が続くようになる。小台にて都電荒川線と交差するが、ここは小台という町名ではないのだが、何故か都電と都バスの停留所には「小台」と名付けられている。明治通りを横切って北区となり、JRの引き込み線踏切を越えて下田端となる。そして、突き当たりを左折すると、右手にJR東日本東京地域本社のビルを眺めて、JR山手線・京浜東北線を田端大橋の陸橋で越えると田端駅前となる。ここでかなりの乗客が下車する。
田端駅を出るとバスは下町低地から山の手台地に入り、切り通しの中を通り抜ける。動坂下で不忍通りと交差して、急坂を登ると都立駒込病院が右手に現れる。
この辺りから街路樹の緑が目立ちだし、イチョウ並木が続く文京区のお寺の多い地域を走っていく。そして、本駒込にて本郷通りに合流する。ここから本郷二丁目までは茶51系統と同じルートを走る。東京大学を左に見て、正門・赤門を通り越すと本郷三丁目となる。本郷二丁目からバスは右に曲がって、順天堂病院、東京医科歯科大学を左に見て、神田川と美しい聖橋を眺めながら橋を渡ると、御茶ノ水駅前となる。
楽器専門店やスキー専門店などが多く連なる学生街を徐々に下りながら、右手に明治大学を眺めて、三省堂書店本店が見えると駿河台下交差点となる。本屋街・神田神保町は右手すぐのところにある。
駿河台下を過ぎると、オフィス街の様相を呈するようになる。近代的なビルディングが建ち並んでいる。神田錦町にて上下線が別れ、東京では珍しい5車線の一方通行の道を走る。神田橋にて日本橋川を渡り、首都高神田橋ランプを通り過ぎる。右手には気象庁・消防庁等が存在する大手町合同庁舎が見え、ビジネス街の中心地・大手町となる。
右手に皇居のお濠と森が見えるとバスは左折する。大正3(1914)年にオランダのアムステルダム中央駅を参考にして辰野金吾が設計したルネサンス様式赤煉瓦駅舎・東京駅丸の内口の姿が見えると、終点東京駅北口となる。