浅草雷門と仲見世・公園六区【東京考察#26】

Asakusa Kaminari-mon and Nakamise, Koen-rokku
(The town where the Edo culture of old Japan remains)

 

 今の浅草は、外国からの観光客が必ず立ち寄る国際観光地となった趣があり、古き良き東京、江戸情緒を残す街として、賑わっている。昭和初期や戦後時代には、日本の流行発信地として、現在の渋谷・新宿に匹敵するような大繁華街を形成していたが、東京の繁華街は西へ西へと移動していき、斜陽化する浅草をなんとか復活させようと、数々の祭りを催したり、新しいタイプのホテルやビルを建てたりし、往年の繁華街の復権に力を入れている。



雷門


雷門の先に続く仲見世


古風な日本を感じさせるみやげもの屋。
外国人観光客にはこのような日本風なものに人気があるのだろう。


せんべい屋。香ばしい醤油の香りが漂ってくる。


仲見世の裏側


人力車。お金を払えば誰でも乗れる。


浅草では、年中、行事と祭りを行っている


伝法院通り。この雰囲気は浅草と大阪・新世界でしか味わえない

 
こんなものまで売っている。大村昆のオロナミンCは9900円。女のかつらはなんと15万円。


浅草公園六区。かつては一大繁華街・映画街であった。


浅草公園六区の「六区」とは、明治15(1882)年より始まった浅草公園の築造・整備(全6区画に区分して整備)における区画番号のことである。その中でも第6区画は興行街として整備され、そのまま「浅草公園六区」という名称が東京の娯楽の代名詞のようになったのである。バス停の名称に「浅草公園六区」という名が今でも残されていることに拍手を送りたい。映画館は明治40(1907)年頃から登場し、現在も残る浅草六区の映画街が形成された。



地下鉄銀座線の浅草駅。赤提灯が浅草らしい。


「東京時代祭り」で歩く中村勘九郎 歓声があがる。