「めんそ~れ沖縄」カテゴリーアーカイブ

冬の沖縄へ.南北に貫く国道58号で沖縄本島の旅.

マチグワー(牧志市場)[めんそ~れ沖縄#1]

独特の時と文化を育んできた琉球.怒濤の時代を生き抜いてきた沖縄へ9年ぶりに訪ねてみた.珊瑚礁の広がるビーチ,きらびやかな琉球文化の首里城,第二次世界大戦で最悪の戦場となった沖縄,アメリカによる占領時代・・・.改めて沖縄を見つめてみると,様々な様子を発見することができた.そんな沖縄の旅をどうぞ.

★★ めんそーれ = ようこそ ★★

(旅行年月:2002年1月)


マチグワーとは「市場」のことである.迷路のように入り組んだ路地の中に,所狭しと店が軒を連ね,市場が形成されている.上野アメ横に雰囲気はにている.

「那覇市第一牧志公設市場」肉・魚・惣菜などがならぶ.沖縄らしいカラフルな魚が並び,
豚の顔!がこちらをにらみ,海ブドウや豆腐用ようなどの珍品も並ぶ.一度立ち入ったら病みつきになる市場である.

「マチグワカイ ユーメンソーチェピーサヤー」
沖縄の言葉は難しい.標準語の語気がまるでない.

ずらりと肉が並ぶ.さすが沖縄,「豚」がメイン.

「チラガー」と呼ばれる豚の顔!1枚400円也.千切りにして酢味噌で食べる.

色とりどりの魚がならぶ.

オレンジや青い魚もならぶ.食べておいしいのかと思ってしまう.

エビもこんなに沢山.

1階で買った魚は,2階の食堂で調理してもらえる.ただし,500円也.

2階の食堂.

沖縄の野菜には「ゴーヤー」が欠かせない.

首里城[めんそ~れ沖縄#2]

現在の首里城は,1992年に沖縄復帰20周年を記念して復元されたものである.琉球王国(1429~1879年)歴代の国王の居城であり,中国と日本の文化が混在する独特の城となっている.第二次世界大戦までは現存していた.この首里城は世界文化遺産に登録されている.

正殿
この正殿を復元するにあたり,当時の技術を精巧に模して施工が行われた.中にはいると当時の技術のすばらしさと琉球のきらびやかな繁栄ぶりが伺える.

漏刻門
漏刻とは中国で水時計の意だとか.

瑞泉門の近くにある「泉」

「だいじょぶさぁ~沖縄」
アメリカのテロ事件以来,観光客が減っているという.県をあげてキャンペーンを行っている.

沖縄の赤瓦は下に敷く瓦とそれらのつなぎ部分を上から包む瓦があり,さらに台風で飛ばないように漆喰で固める.

ちょっと一枚

首里城から見たパノラマ写真.

ルート58(北谷→コザ(沖縄市)→嘉手納)[めんそ~れ沖縄#3]

沖縄本島を南北に貫く国道58号.沖縄の基幹道路である.レンタカーを借りて北上した.ルート58沿線の風景をどうぞ.

国道58号の風景

アメリカ中古家具店
沿線には米軍の払い下げ品やアメリカから直輸入の店が多い.まるでアメリカを旅行しているかのようだ.

普通の交差点.赤信号で止まったので撮ってみた.

信号待ち.タクシーの停止位置が・・・

北谷(ちゃたん)

北谷は今,若者の人気スポットである.かつての米軍ハンビー基地の跡地を利用し,再開発を行ったウォーターフロントで,ハンビータウン・アメリカンビレッジとして賑わいを見せる地域である.写真はアメリカンビレッジの60m観覧車.

美浜サンセットビーチ.人工海浜である

「シャワーではありません」「THIS IS NOT A SHOWER」
誰が見たってシャワーじゃないことは理解できる.おそらくこの忠告には続きがあって,「シャワーではありませんので,頭や体を洗わないでください」というのが趣旨だと思う.

もう一枚.サンセットビーチ.その名の通り夕日がきれいな浜である.

コザ(沖縄市)

胡屋十字路の歩道橋から撮影.「空港通り」と呼ばれている.
真っ直ぐ行くと「米軍嘉手納基地第2ゲート」.第2ゲート内付近には米軍住宅があり,外国人も多く,英語の看板を掲げた店も多い.
1970年のコザ騒動の時は,この付近の米国人車両70台余りが焼きうちされた.基地の街の住民の不満が爆発したところ.

コザの夜は外国人が多く出歩く賑やかな街に違いない.英語の看板があちこちで目に付く

な,な,なんと・・・.基地の街にも「喜多方ラーメン」が・・・

1時間 $2.00

ゴヤ(胡屋)市場

嘉手納

基地へ入る「ゲート」.もちろん一般人は入れない.

嘉手納基地のフェンス.嘉手納町は面積の8割が米軍基地

星条旗がたなびく・・・・

沖縄の道路沿いでは工事予告看板のようにアイスクリームのマークの看板が出てくると,パラソルを出してアイスを売る人が現れる.

基地周辺では警備員が目を光らせている.

ルート58(残波岬→琉球村→万座毛)[めんそ~れ沖縄#4]

沖縄本島を南北に貫く国道58号.沖縄の基幹道路である.レンタカーを借りて北上した.ルート58沿線の街の風景をどうぞ.

残波岬

残波岬の灯台
ここは戦後米軍の実弾演習場だったが,沖縄復帰によって灯台が設置された.南西諸島随一の高さ(31m)を誇る.光の強さは64万カンデラ.

灯台には階段で上ることができる(有料).360度の大パノラマが広がる.写真は真栄田岬.背後は名護.

ダイビングをする人々

釣り人はどんなところでも・・

夕日が沈むときは素晴らしい景色が広がる.

琉球村(テーマパーク)

「琉球村」とは行政上の市町村ではなく,むかしの沖縄・琉球の文化を伝えるために造られたテーマパークである.この琉球村には昔の生活の様式を再現しているが,ろう人形などの「まがいもの」によって昔の伝統工芸や生活等を再現しているのではなく,本物の人間が昔の建物のなかで文化を再現していたり,製糖工場を忠実に復元していたり,リアリティーのある体験型テーマパークとなっている.

沖縄らしい開放的な家.

昔の家の台所では,本当に薪を焚いて揚げ物を作っている.
「おばぁ」が揚げているのは沖縄風ドーナツ「サーターアンダギー」.黒糖の香りがするお菓子である.100円で揚げたてを食べることができる

「紅型」を制作している.伝統工芸を再現している.

「亜熱帯の琉球」といった感じ.

三線(さんしん)を弾いて沖縄の歌を歌っている.

「水牛」もちろん本物.

万座毛

万座毛から見た万座ビーチ

「万座毛」は隆起サンゴ礁の断崖で,天然の芝で覆われた平坦な台地となっている.「万人が座するに足る」と賞賛されたことからこの名がついた

海の透明度は抜群である.

万座ビーチ

万座毛からのパノラマ写真.

美しい珊瑚礁.いつまでも残したい自然である.

「はい,チーズ」

平坦な台地となっている.

平和祈念公園[めんそ~れ沖縄#5]

かつて琉球の先人は
平和をこよなく愛する民として
海を渡り
アジア諸国と交易を結んだ
海は
豊かな生命の源として
平和と友好の掛け橋として
いまなお
人々の心に息づいている

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

太平洋と東シナ海の波間につらなる沖縄の島々・・・
海は
人々のくらしにさまざまな恵みをもたらしました
生活のかてを 富を そして文化を・・・
しかし この清ら島(ちゅらじま) 沖縄に
やがて 暗雲が たれこめ
鉄の暴風が・・・

(沖縄県平和祈念資料館プロローグより)


20数万人の命を奪った沖縄戦.日本における唯一の地上戦であり,太平洋戦争で最大規模の戦闘であった.
そんな歴史を伝えるのが平和祈念資料館である.
2000年に新しくリニューアルし,よりわかりやすく沖縄の歴史を伝えている.

実物の砲弾

平和の礎
沖縄戦で亡くなった全ての人々の氏名を刻んである祈念碑.太平洋戦争沖縄戦終結50周年を
記念して建設された.

平和祈念公園の式典広場でキャッチボールをする親子.このような平和な光景がつづいているのが今の沖縄である・・・


沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものは
これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはない
と思うのです

この なまなましい体験の前では
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです

戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか

戦争このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば と思いつづけてきました

これが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです

(平和祈念資料館 展示むすびのことば より)


サンゴ礁や白いビーチもいいけれど,沖縄に来たら,時代に翻弄されてきた歴史を振り返らなければなりません.
是非,この平和祈念資料館に立ち寄って,「平和の礎」の上に,青く広がる穏やかな空,そして,果てしなく広がる青い海を眺めてください・・・

ちょっとブレイク~沖縄の風景[めんそ~れ沖縄#6]

ちょっとした風景を集めてみた.沖縄の一面を.

米軍の車はナンバープレートが違う.

「Y」ナンバーの車.
「いろは・・」の欄が「Y」になっている. これは,米軍関係者の使用する車であることを示しているが,この制度は沖縄特有のことではなく,米軍基地の周辺ではよく見られるナンバーである.横浜で始まったことから「Y」となっている。ちなみに,アメリカからきた車には「E」がついている。
相手が米軍関係者の場合、事故にあっても保障が受けられないことなどがあったり,「車庫証明」が不要ということがあったり,不平等であるとの声があがっている.
「Y」ナンバーについては,日米特別行動委員会において廃止が合意されているという。

沖縄の公共交通機関は「バス」である.電車は走っていないが,現在モノレールが建設されており,平成15年には,空港~首里の間を結ぶ.
そんな沖縄のバスには各社共通の系統番号が付けられている.その路線マップは,走行する路線の上に系統番号を書いて示すものとなっていて,最初は見づらいが慣れると合理的な路線図であることに気づく.諸外国ではこの方式の路線図の方が主流である.日本では1本1本路線ごとに色を決めて線を書く路線図が主流である.

国際通りは沖縄一賑やかなストリートである.昼夜を問わず「呼び込み」が激しい.観光客とみると,すかさず声を掛けてくる.日本でもこんな都市があったのか,と驚き.
沖縄が観光立県であることを物語っている.

夜の国際通り.沖縄の夜は20時頃からである.というのも,沖縄人は一旦家に帰ってから
飲みにでかける.ライブハウスなどの開店時間は20時から.ファーストステージは21時から・・・夜が長い沖縄である.

ホテルのテレビチャンネル6chに「米軍放送 AFRTS」とあり,米軍の放送が流れていた.東京のAMラジオに「FEN」(810KHZ)というのがあるが,あれのTV版なのだろうか.

「バス停にお客様がいらっしゃる場合は必ず停車して行き先をアナウンス致します(手を挙げて合図する必要はありません)」と黄色いシールが貼ってある.
ガイドブックなどには,「沖縄では手を挙げないとバスが止まらない」と書いてあるので,乗客が手を挙げることは昔からの習慣なのだろうと思う.諸外国では手を挙げないと止まってくれないところが多く,沖縄では現在でも手を挙げてバスに乗る人は多いが,観光客等から苦情がきたのだろうか,必ず止まるようにしている.
しかし,手を挙げないと止まらないで走ってしまうバスもあるようで・・・.沖縄らしい一面である.

コザの市場の中にある裁縫屋.開放的でアジアチックな雰囲気が沢山残っているのも沖縄.

沖縄自動車道のサービスエリア.駐車場には屋根がついている.日差しが強い沖縄ならでわである.

沖縄の高速道路では最高時速80km.スピードを出す車は少なく,左側車線では80kmで走っている.追い越し車線でも100km程度.ばんばん抜かしていくのは「わ」ナンバーばかり・・・.警察の取り締まりが厳しいのかもしれない.

国際通りの電柱に貼ってあった張り紙.東京はいろいろな意味で華やかな街なのだ.

米軍関係者が事故を起こすと,迷彩服を着た米軍の警察もやってきて事故処理をするらしい.それとも米軍関係者のみの検問をやっていたのか? とにかく,迷彩服をきた人とアメリカのパトカーが止まっていた.