「会津考察」カテゴリーアーカイブ

会津の街を写真と共にコラム形式で紹介. 会津は心のふるさとです.会津人は「ならぬことはなりませぬ」の精神で,戊辰戦争以降,ゆっくりとした時の刻みの中で,会津文化を守ってきました.そんな会津を紹介します.

中田観音(弘安寺)【会津考察#32】

The Nakata Kannon (The Kouan temple)


中田観音(会津美里町)

 


 中田観音は,会津三十三観音の30番札所で会津ころり三観音の一つにも数えられている.寺院名は弘安寺であるが,「中田の観音様」と呼ばれて多くの信仰を集めている.野口英世博士の母「シカ」も,この中田観音を信仰しており,英世博士とともに参拝した写真が収められている.堂内には,銅造十一面観世音菩薩・脇侍不動明王・地蔵菩薩立像の三体が収められており,鎌倉時代の金剛仏として,国の重要文化財に指定されている.
ちなみに,「会津ころり三観音」とは,観音堂内にある抱きつき柱にすがれば苦しまずに成仏できて家族に余計な負担をかけずにすむ,ということで「ころり」三観音と呼ばれるようになったものだという.中田観音のほかに,坂下町の立木観音,西会津町の鳥追観音となっている.

大きなわらじがお出迎え

弘安寺旧観音堂厨子(辨天堂)

だきつき柱は本堂の脇から入る

会津三十三観音巡礼地図

脇にはソフトクリーム屋がある.

駐車場とトイレも隣に併設されている.
【公共交通案内】
●会津若松駅から JR只見線 根岸駅下車 徒歩約10分

ふるさと会津工人まつり(三島町)【会津考察#31】

Aizu artisan festival in Mishima town


工人まつりの会場は
福島県三島町の生活工芸館

 


 ふるさと会津工人まつりは,全国各地からさまざまな工人が集まって,それぞれの作品である工芸品が出品され展示即売されるもので,毎年6月上旬の土・日2日間に渡って開催されている.編み組品,陶磁器,木工,染織,ガラス,皮革などの工芸品があり,出展小間数は150ほどとなっている(2012年の場合).開催地である三島町は,伝統的な手技(てわざ)を中心として町おこしを続けてきた地域で,工人まつりと同時開催イベントとして「てわっさの里まつり」を三島町の中心地である宮下地区(JR只見線会津宮下駅周辺)で開催している.2012(平成24)年は6月9~10日に開催され,あいにくの雨模様であったが,多くの観光客で賑わっていた.人気のある工芸品は早い時間になくなってしまうので,早い時間に行くのがポイントだとか.工人まつりは三島町生活工芸館で開催されているが,隣接された駐車場がないため,臨時駐車場からシャトルバスの移動となっている.主催は三島町.
 
臨時駐車場に車と止めて,シャトルバスで会場まで移動する.
臨時駐車場は3カ所ある.バスは10分間隔ほどでやってくる.
①町民グランド ②三島中学校 ③森の校舎カタクリ (写真は「森の校舎カタクリ」)

会場に貼ってあったシャトルバス運行図
一番奥にある「森の校舎カタクリ」に止めた方が,会場までの移動は短くてすむが,
てわっさの里まつりに途中下車することができなくなる.

こんな感じで会場内に小間が展開されている.
  
出展者は全国各地から参加している.
工人にとっては,この会津工人まつりに出展できるのは,ひとつのステータスとか.
  
  

ツリーイング体験 30分500円
 
露天も並んでいて,中央のテントの中で休憩をとることができる.
【公共交通案内】
●会津若松駅から JR只見線 会津西方駅下車 徒歩約15分

うつくしま・みずウォーク2012やないづ大会(柳津町)【会津考察#30】

The Utsukushima water walk 2012 in Yanaizu town


うつくしま・みずウォーク
赤べこの郷・やないづ大会

 


 うつくしま・みずウオーク2012柳津大会は,柳津町・福島民友新聞社・読売新聞社・福島中央テレビ・福島県ウオーキング協会による実行委員会の主催で2012(平成24)年6月2日に開催されたウオーキング大会である.日本市民スポーツ連盟認定大会,健やか爽やかウオーク日本1800認定大会となっている.2012年に開催される「みずウオーク大会」は,この柳津大会のほかに福島大会・三春大会・西郷大会・いわき大会の5大会が開催されており,柳津大会はその一連の大会の一つである.
今年は15kmコースが復活し,7kmコースと10kmコースとあわせ,3コースの設定となっている.私は手軽な10kmコースに参加し,赤べこ発祥の地・虚空蔵尊のある町として知られる柳津町を満喫した.天候にも恵まれ,主催者発表によると約2000人の参加であった.
 
スタートは道の駅「会津柳津」
国道252号は,参加者の車で大渋滞していた!
受付でエントリーを済ませる.

さすが,赤べこ発祥の地.
ステージ脇には巨大な赤べこがあった.

靴や帽子を忘れても,即売会が行われているので安心.
 
約2000人の参加.大勢の人で賑わった.

スタート直後,只見川の堤に向かって歩く.

只見川に沿って歩く.

田んぼの中も歩く.
 
東北電力の柳津発電所(柳津ダム)
発電開始は1953(昭和28)年8月.最大出力75000キロワット.

福島県は元気です!

婦人会によるサービス.

只見川と棚田.
赤い橋は国道252号の瑞光寺橋.
 
正面は虚空蔵尊(左写真)
只見川に沿った遊歩道を歩く(右写真)
 
そうめんの差し入れ(月見亭).

ちょっと登りが続く.

お坊さん(一休さん?)がお出迎え.
 
JR只見線の線路が見えてくると会津柳津駅.
  
会津柳津駅では,柳津名物の粟まんじゅうが振る舞われた.

粟まんじゅうの老舗菓子店では行列ができている.
 
階段を登ると,福満虚空藏菩薩圓藏寺(虚空蔵尊).

虚空蔵尊(こくぞうそん)からの眺め.

酒屋さんではビールも.

ゴール到着.
 
ゴールでは,やないづ汁が振る舞われ,
抽選会で景品があたることもある.
 
配布されたもの.
【公共交通案内】
●会津若松駅から JR只見線 会津柳津駅下車 大会当日は無料送迎バスあり

石部桜(会津五桜)【会津考察#29】

Ishibe cherry tree (One of five Aizu cherry trees)


石部桜

 


 石部桜(いしべざくら)は,会津五桜にあげられる桜(エドヒガンザクラ)の銘木であり,中世会津の領主・葦名氏の重臣であった石部治部大輔の庭にあった樹であると言い伝えらており,「石部桜」の名もここからきている.幹が8本に分かれている大樹で,樹齢は約600年,田んぼの中にぽつんと1本立っている姿はとても様になっている.東日本大震災から1年が経過した5月のゴールデンウィーク,今年は寒い日が続いて桜の開花がゴールデンウィークまで大幅にずれ込み,天候にも恵まれて多くの観光客が訪れていた.通常の見頃は4月中旬から下旬となっている.
来年の2013(平成25)年に放送されるNHK大河ドラマ「八重の桜」のオープニングの桜の木に,この石部桜が使われるらしく(今は,使われています!),テレビクルーが田んぼの中で撮影を行っていた.放映が楽しみな「八重の桜」である.田んぼの中に1本ぽつんと立つ石部桜=ハンサムウーマンとして気丈に生き抜いた新島八重(八重の桜),こんな構図ができあがるかもしれない.
 
観光客専用の市営無料駐車場
(飯盛山北駐車場,4月~11月 8:30~17:00 小型15台駐車可)
車の場合,ここに停めて歩いていくと便利
 
初めは,住宅地の中を歩く
 
そして,田んぼの中を歩いていくと・・・

石部桜に到着

田んぼのなかに1本ぽつんと立っている
桜が咲くと,ひときわ目立つ存在に
 
樹齢600年の巨木,枝分かれした幹は支柱で支えられている

周囲の田んぼは個人の所有地
警備員の人が見張りをしている
【公共交通案内】
●会津若松駅から 周遊バス・あかべぇ乗車 飯盛山下下車 徒歩約15分 (逆回りの周遊バス・はいからさんでも下車可能)

会津絵ろうそくまつり【会津考察#28】

The Aizu picture candle festival


鶴ヶ城

 


 会津絵ろうそくまつり(ゆきほたる)は,毎年2月の第2金・土曜日の夜に開催されている冬の祭りで,500年以上受け継がれてきた会津の伝統工芸品である「絵ろうそく」を,鶴ヶ城や御薬園で灯すお祭りである.絵ろうそくを知っていただこうと,2000(平成12)年に御薬園で初めて開催されたのが始まりで,今では鶴ヶ城や街なかで絵ろうそくの幻想的な灯火が,2日間点灯している.
会津の「絵ろうそく」とは,今から500年ほど前の領主・芦名盛信が漆樹の繁殖栽培を奨励して漆器の製造と共に,その実からとれる最上級の木ろうから「ろうそく」を作らせたことから始まる.その後,蒲生氏郷や保科正之による会津産業の振興のため,会津塗りやろうが多く生産されるようになった.そして,江戸時代には,参勤交代の際に献上品として「南天と福寿草(難を転じて福となす)」が描かれた絵ろうそくを献上したところ,時の将軍綱吉に喜ばれ、会津絵ろうそくは広く世間に知られることになる.主に,神社仏閣への奉納や高級な贈答品として使われるなど上流社会で愛用され,婚礼の際には一対の会津絵ろうそくが灯され,また,花のない会津の冬には仏壇に供える花の代わりに絵ろうそくを飾るようになったといわれている(会津絵ろうそくまつり実行委員会ホームページより抜粋).
(鶴ヶ城会場)

かわいい灯籠

メッセージの書かれた灯籠が迎えてくれる

優しい灯の「会津絵ろうそく」

中学生の製作による灯籠
 
四角い灯籠もある

絵ろうそく点灯中は,係員が定期的にろうそく芯の清掃を行っている.

(御薬園会場)

鶴ヶ城会場から御薬園会場へは,100円のバスに乗って移動する.
もともと,この絵ろうそくまつりは御薬園から始まった.

竹筒に灯された蝋燭

御茶屋御殿では琴の演奏が行われていた
(御薬園の写真は,暗くてうまく撮影できなかった)
【公共交通案内】
●会津若松駅から 周遊バス・ハイカラさん乗車 鶴ヶ城下車・御薬園下車

松平家御廟(院内)【会津考察#27】

The Matsudaira house mausoleum


松平家御廟所

 


 松平家御廟所は,東山温泉の手前である東山町院内にある会津松平家のお墓である.1657(明暦3)年の藩祖保科正之の子正頼が亡くなったときにはじまり,二代目の保科正経から九代目松平容保までの墓所がここにある.大名家の神式墓所として1987(昭和62)年に国の史跡に指定されている.二代目の正経(まさつね)は仏式で,三代目正容(まさたか)から九代目容保(かたもり)までが神式となっている.神式の墓として,まず前面には亀形の石の上に碑石があり,その奥の高い場所に灯篭が並んでいる.さらにその奥に墳丘を造ってその上に八角形の鎮石が置かれている.麓から頂上までは階段を登って約20分程度はかかるので,ちょっとした登山であり,気軽に訪れれる場所ではない.しかし,お墓とはそういうものではないかと思う.

山の麓まで院内の住宅街を歩いていく

ここから山を登っていく

急な石段を登っていく

道標では「松平家御廟 すぐ」と書かれているのだが,
その上にテプラで「ここから3代正容の墓所まで徒歩15分~20分かかります」と追記されている.
テプラの方が真実を伝えているのだと感じた.


松平家墓所案合図
  
昔のままで,急な石段が続く.
でも,この整備されていない道が,かえって昔を彷彿させていい雰囲気.
(でも,登るのは辛い!)
 
これが,神式の墓となる,亀形石の上に立つ碑石.

その奥に,鎮石がある.

9代目容保(かたもり)の墓は,さらに上がった奥にある.

9代目 松平容保(かたもり)の墓
【公共交通案内】
●会津若松駅より 周遊バス・ハイカラさん 「院内」下車

満田屋(味噌田楽)【会津考察#26】

Mitsutaya (Miso Dengaku)


満田屋(田楽・味噌)

 


 満田屋は1834(天保5)年に,味噌の製造と販売を始めたのが始まりで,店内の囲炉裏で焼いた味噌田楽を食べることができる.そもそも「田楽」とは,田植えなどの農耕の儀礼として笛や鼓などによって舞った日本芸能(能楽より古い)のことであるが,そのときの白装束の踊りが串形豆腐の形に似ていることから,豆腐を竹串に刺して味噌をつけて火であぶったものが「田楽焼き」となっているという(満田屋ホームページより).食事の営業時間は10時から17時まで.
 
奥にある食事処

囲炉裏で田楽を焼く

こんにゃく

カウンターでも食べられる

味噌なども含めお土産を購入できる
【公共交通案内】
●会津若松駅から 周遊バス「ハイカラさん」 大和町下車 徒歩3分
●JR只見線・会津鉄道 七日町駅から徒歩10分

道の駅ばんだい(磐梯町)【会津考察#25】

The road station at Bandai


道の駅ばんだい

 


 道の駅ばんだいは,2009(平成21)年8月に磐梯町の県道猪苗代塩川線沿いにオープンした道の駅である.愛称は「徳一の里きらり」となっているが,これは,近くにある慧日寺(東北地方では開基の明らかな寺院としては最古のものとして知られている)を平安の初めに開いた南都法相宗の高僧徳一からとったものである.レストラン・売店・コンビニの他,農産物直売所も設けられており,地元の特産品を購入するのに便利な施設である.トイレは24時間利用が可能.面白いのは,「ばんだい」にかけて,おもちゃメーカーの「バンダイ」の製品が売られているところ.特産品も含め,レアな商品も置いてあるので,必見である.喜多方から猪苗代,会津若松から裏磐梯方面へ向かうときの,国道49号線のバイパス的な役割をしている県道沿いにあるので,休憩がてら途中で立ち寄るにも便利な場所にある.

コンビニ「ヤマザキYショップ」 7時~21時まで営業
東北限定商品も並べられている

こちらはお土産品コーナー
 
BANDAIのおもちゃ売り場 ウルトラマンシリーズなどが置いてある
 
農産物直売所 鮮度が良くて美味しそう
  
そばソフトクリームがある
三色団子も.

研修所などを備えた磐梯町地域活性化センターが併設されている

トレイには可愛い子供用もある
【交通案内】
●県道猪苗代塩川線 磐梯町町内

山都・宮古集落の水そば【会津考察#24】

Water soba in Yamato/Miyako


宮古集落

 


 福島県喜多方市の旧山都町は,「山都のそば」として美味しいそばを味わえるところである.一番粉を使用してつなぎを一切使わないそば粉100%のそばが味わえ,福島県内のスーパーでは「山都そば」として生そばも販売されている.山都のそばが美味しい理由は,標高が高くて昼夜の寒暖の差が大きいこと,朝霧のたつ耕地でそばが栽培されていること,そして,飯豊連峰の伏流水による水のおいしさ,これらによってコシのある美味しいそばを食べることが出来る.その「山都のそば」の中でも,水につけて食べる「水そば」として有名なところが,JR磐越西線山都駅から国道459号線を約10km北西に走ったところにある宮古集落である.宮古集落は全戸数30戸のうち12戸が農家の客間座敷を解放した農家食堂としてそば屋を営んでおり,そばの打ち方やつゆ,一品メニューまで,それぞれのお店で独自な製法でそばを提供している.なお,料金は宮古地区の組合で決められており,どの店に入っても料金はほぼ同じである.完全予約制となっていた店がほとんどであったが,最近は予約無しでも食べることができるようになっている.

山都駅から山道(国道459号)を約10km走っていく

宮古そば街道の旗がでている

宮古トンネルを抜けると宮古集落となる
 
ようやく宮古集落に到着
  
全30戸中12戸がそば屋とのこと
 
このように普通の農家がそば屋となっている(西村屋)
 
今回は「とのや」で食べることに.
コース料金はどこも同じだが,
店ごとにそばの打ち方やつけつゆ,
だされる山菜料理が違う.

壁に貼られている「宮古そばの里組合」の料金表
値段はどこでも同じだが,
内容が店ごとに違っている.
最近はリーズナブルなコースを
設定しているところもあり,
Dコース1,500円,
そば1枚700円などとなっている.

とのやのメニュー
Aコースは3,500円で,
天ぷらや川魚の塩焼き,山菜料理,そば食べ放題
Bコースは3,000円で,
天ぷら又は川魚の塩焼き,山菜料理,そば食べ放題

こちらは,Cコース2,500円
自家製そば豆腐やこんにゃく,山菜料理など4品がつく.
このほかに,そば3枚
(1枚は水そば,2枚はつゆにつけて食べるもりそば)

こちらは,Dコース1,500円
そば2枚(「水そば」と「もりそば」)とこんにゃく,
山菜料理などの2品がつく.
このコースでも結構お腹いっぱいになる.

こちらは,そば1枚700円
ただし,「水そば」ではなく「もりそば」が出てくるので,
水そばを食べたい場合は,
Dコースを注文すること.(各店でメニューは違う)

これが「水そば」
水につけて出される.
甘みがあってそば純粋の味が堪能できる.
この中に塩をいれて食べる「塩そば」もおすすめ.
(個人的には,水につけないで,
もりそばをつゆにつけずにそのまま食べた方が好き)

【公共交通案内】
●JR磐越西線 山都駅からタクシー利用 約15分

冬の只見線(ローカル線)【会津考察#23】

JR Tadami line in winter (Local line)


究極のローカル線・只見線

 


 只見線は,福島県会津若松(あいづわかまつ)駅から新潟県小出(こいで)駅まで,135.2kmを結ぶ日本でも有数のローカル路線である.只見から小出までの区間には国道252号線が並行して走っているが,冬期間は道路が通行止めとなり,鉄道が唯一の交通機関となることから,国鉄再建法による赤字ローカル線廃止の対象から除外となった路線である.1972(昭和46)年に全線開通している.秋の紅葉はすばらしく,只見川に沿った山間をのんびりと走り,冬には2m以上も雪が積もる只見を通る.会津若松から小出まで,途中には大きな都市もなく,時速60km程度のスピードでマイペースで走っていく.乗り通すと約4時間もかかる.国鉄時代からの赤字ローカル線の雰囲気を残す路線として,全国からファンがやってくるのである.スピードと効率化が求められている時代に,この只見線の雰囲気を味わってみるのも,たまにはいい.

会津若松駅の時刻表
小出まで直通するのは1日3往復のみ
必然的に,連絡がよく景色が見られる列車は,昼の13:08となる.

3連休の中日とあって車内は満席
2両編成のうち,1両はロングシートの場合もある.
 
只見川沿いを走っていく.
電源開発で行った水力発電のダムにより水が貯められている.
  
会津宮下や会津川口,只見などといった沿線で核となる駅では,
列車交換などのため10分程度の停車時間がある.
車内の乗客も降りて,写真を撮影したりする.
 
豪雪地帯には欠かせない除雪機械
ホームの雪を掻くためのハンド式除雪機械である.

停車時間中,子供達も大はしゃぎ
お兄ちゃんにやられた仕返しに,今度は妹がお兄ちゃんを雪の中へ!
子供を連れて乗り通している家族も多かった.
 
美しい只見川の風景の中,のんびりと走っていく.
 
こちらは線路の除雪車
前のアームにより細かい作業ができそう
 
車内は非冷房車.扇風機のスイッチがある.懐かしい.
 
只見に近づいてくると,雪の量も多くなる.
駅舎待合室の屋根の積雪もごらんのとおり.
ちなみに只見(蒲生)の警戒積雪深は280cmだとか.
2m80cmまでは普通の積雪ということになる.
  
  
只見線の雪景色
 
只見駅

只見駅の外にある防雪柵

除雪で積み上げられた雪の山
 
田子倉湖と田子倉駅 冬期閉鎖の駅

田子倉駅をでると六十里越トンネルで新潟県へ.
夕刻となり,梅酒で乾杯!
 
17:42小出駅到着
長い旅でした.

【公共交通案内】
●本数
会津若松から小出まで,直通する列車は1日3往復

田季野(わっぱ飯)【会津考察#22】

Takino (Wappa-meshi)

 


 田季野は「わっぱ(輪箱)飯」の店として有名である.わっぱ飯は,尾瀬を有する檜枝岐村における山人の弁当の器として用いられてきた「曲げわっぱ(輪箱)」に,会津の食材を活かした料理を盛り込んだ創作料理で,1970(昭和45)年にオープンしている.わっぱ飯の他にも,会津の郷土料理が食べられ,会津に来たら一度は立ち寄りたいお店である.また,建物も歴史があり,築150から200年前に建てられたもので,会津西街道の旧家であったものを移築復元したものとなっている.

田季野の店構え
 
わっぱ飯 いくつか種類があるが,色々と入った五種輪箱がお薦め.

会津西街道にあった旧家を移築した店内

【公共交通案内】
●路線バス
・ハイカラさん
若松駅→若松市役所前→鶴ヶ城→飯盛山→若松駅  若松駅からバス約20分
・若松駅より西若松駅行,本郷行,高田行,芦の牧温泉行などで神明通り下車.徒歩5分.

会津武家屋敷【会津考察#21】

Aizu Samurai residence


会津武家屋敷

 


 会津武家屋敷は会津藩の家老西郷頼母邸を中心に,江戸時代の会津藩の生活・文化がわかるテーマパークである.重要文化財の旧中畑陣屋,茶室, 藩米精米所,会津歴史資料館の他に,会津の郷土料理を味わえるレストランも併設されている.

駐車場から階段を登って入口へ

家老屋敷・西郷頼母邸をぐるりと一周見て回る.

容保公接見
上級の部屋から順番に見る順路となっている.

福島県の重要文化財に指定されている旧中畑陣屋
矢吹町から移築復元されたもの.

茶室もある

弓道体験もできる
このほかに,赤べこ絵塗り体験,ガラス絵彫りができる.

【公共交通案内】
●路線バス(ハイカラさん)
若松駅→鶴ヶ城→会津武家屋敷→飯盛山→若松駅
・若松駅からバス約30分,タクシー10分

新宮熊野神社の長床(喜多方市)【会津考察#20】

Nagatoko in Singu kumano jinja shrine (Kitakata city)


新宮熊野神社(喜多方市)

 


 新宮熊野神社は,源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)親子が1055(天喜3)年に紀州熊野から熊野堂村(河東町)に勧請創建したのが始まりで,その後1089(寛治3)年にこの地に遷座して現在まで至っている.その中にある長床(ながとこ)は,平安末期から鎌倉初期の時代に拝殿として建てられたといわれており,長くて太い柱の配列が特徴の建築物である.直径1尺5寸(45.4cm)の円柱44本が10尺(303cm)の等間隔に5列並んでいる.1963(昭和38)年に国の重要文化財に指定されている.
長床は,1611(慶長16)年の大地震で倒壊してしまい,蒲生氏郷が旧材を用いて一回り小さくした長床(拝殿)を再建した.1974(昭和49)には解体修理が行われて,出来る限り当初の姿に復元している.境内には創建時に植えられたといわれている約8mの大銀杏があり,紅葉時には黄色に色づいた美しい姿を見ることができる.
ちなみに,1089(寛治3)年に長床が建立されたとすると,東北地方では長床が一番古くなり,その後1124年に平泉の中尊寺金色堂(岩手県)が建てられ,続いて1160年に白水の阿弥陀堂(いわき市)が建てられたことになる.

参道が続く

イチョウの木と長床

イチョウの木の下には,落ちた葉っぱで「黄色いじゅうたん」となっていた

長床(拝殿)の正面

奥の階段上部に熊野三社の本殿がある
ここが拝殿であることがわかる

太い柱が並んでいる.窓や壁はない.

3つ並んだ本殿

【公共交通案内】
●路線バス(会津バス)
喜多方駅→新宮(長床)→真木   1日5往復運行(要時刻確認)
・喜多方駅からバス約25分,タクシー15分
※路線バスは通勤通学主体のダイヤのため,タクシーの利用をお薦めします

神指城跡【会津考察#19】

Kozasi-jo Castle (Aizu-wakamatsu city)


神指城跡(北東端の櫓台の土塁)

 


 知る人ぞ知る「神指城跡」である.地図の標記では,「神指城跡」というよりは「高瀬の大木(ケヤキ)」と記されていることが多い.神指城は,慶長年間(1600年)に領主上杉景勝が家老直江兼継に築城を指示して工事を開始した.築城の目的として,会津鶴ヶ城は東に山が迫っていて拡張の余地がなかったため,徳川家康との戦いに備えて拡張のため築城したとも,東日本における中心都市をつくることが目的であるともいわれているが,関ヶ原の戦いが徳川家康の勝利に終わったため,お城が完成せずに土塁や石垣,水堀と門が完成したところで工事は中止し,幻の巨城となった.
高瀬の大木は,神指城築城前から既に大木だと言われており,根本の周囲が12.55m,樹高約25mのケヤキの木で,1941(昭和16)年に国指定の天然記念物に指定されている.なお,この高瀬の大木があるところは,二の丸・北東端の櫓台の土塁であり,本丸の土塁はここから南に300mほどいったところにあるが,本丸の土塁跡は繁みや畑などになっていて,看板などは何も建っていない.
2009年のNHK大河ドラマ「天地人」では直江兼継が主人公となっているが,直江兼継とゆかりのある史跡として,注目を浴びるかもしれない.この神指城跡は,史跡の名所としてきれいに整備されているわけではなく,築城後の跡地がそのまま400年にわたってひっそりと時を過ごしてきたといった感じ(ちょっと悪い表現をすれば「ほったらかしのまんま」)で,駐車場やお土産屋などがあるわけでもなく,田んぼの中に大木の繁みがあって,石垣の石がごろんと置かれているので,あえて説明をされないと「単なる石」だと思ってしまう.でも,このような雰囲気の方が,なんだか歴史の事実をそのまま素直に,手を加えずに伝えてくれているようで,私は好きである.この大木や石が,戊辰戦争の会津を眺めていたかと思うと,なんだか不思議な気分になる.大木の脇に立って稲刈りの終わった会津盆地と猫魔ヶ岳・磐梯山の姿を眺めて,そう思った.

何の飾り気もなく,田んぼの中にぽつんとある土塁跡地(北東櫓台)

これが高瀬の大木(ケヤキ)

ここから南に300mの本丸跡地にあった石垣の基礎石をここに移設したもの

ちょっとした休憩施設がある

高瀬の大木(二の丸・北東側櫓台土塁)と本丸との関係図
赤い矢印を入れていないが,高瀬の大木の左(西)側の田んぼの真ん中に不自然にある地図上の○線も北西側の櫓台土塁跡である

稲刈りが終わったばかりの会津盆地.背景の山は猫魔ヶ岳と磐梯山

【公共交通案内】
●路線バスなし
タクシーで約10分,距離は約5km.

塔のへつり【会津考察#18】

Tou-no-hetsuri (Simogo town)


塔のへつり

 


 「へつり(岪)」とは会津地方の方言で「危険な崖」という意味である.塔のへつりは,大川(下流にいくにしたがって,阿賀川,阿賀野川となる)沿いに広がる景勝地で,浸食と風化を繰り返してできた奇岩奇石である.百万年の歳月をかけており,1943(昭和18)年に国指定の天然記念物に指定されている.岩にはそれぞれ名前が付けられており,屏風岩・烏帽子岩・護摩塔岩・九輪塔岩・櫓塔岩・獅子塔岩・鷲塔岩などとなっている.吊橋をわたって対岸にわたって,これらの奇岩を見ることができる.また,対岸には虚空蔵菩薩がある.
 
国道121号からちょっと入ったところに駐車場がある.
大型バスも止めることが出来る.

階段を下りて吊り橋に向かう
 
階段の途中におみやげ物屋がある.ナメコ汁無料プレゼントを行っていた.

対岸から見た塔のへつり

昭和時代の看板.なんか懐かしい感じ.

1987(昭和62)年に架け替えられた吊り橋.結構ゆれます.

手すりはないので,けっこうスリル満点.

昔は奥まで歩いて行けたが,現在は危険なので立ち入り禁止となっている.

細くて急な階段を登ると,虚空蔵菩薩がある.

新緑と紅葉の時期は,より一層美しい景観となる

【公共交通案内】
●会津鉄道 「塔のへつり」駅下車 徒歩5分程度
会津若松-湯野上温泉-塔のへつり-会津田島-鬼怒川温泉-(東武鉄道)-浅草

雄国沼のニッコウキスゲ【会津考察#17】

Nikko-kisuge (The yellow lily) in Oguni-numa


雄国沼湿原

 


 雄国沼湿原は,周囲4kmの雄国沼を中心に標高1100mの高原に広がる高層湿原であり,ニッコウキスゲやヒオウギアヤメ,ミズバショウなどの高山植物が群生しており,雄国沼湿原植物群落として国の天然記念物に指定されている.雄国沼湿原は,ミズゴケやヨシなどの植物が枯れて腐食して積み重なって泥炭層をつくり,長い年月をかけて(何千年,何万年の世界で)造り上げたものである.雄国沼の高層湿原の泥炭層は深さ約1.3mあるという.高層湿原とは,ミズゴケ等の泥炭により地下水位より高いレベルに発達した湿原のことをいう.
雄国沼へは,裏磐梯の檜原湖(国道459号)から登ってくる「雄国せせらぎ探勝路」や,ラビスパ裏磐梯から登ってくる「雄国パノラマ探勝路」の登山道が一般的だが,会津盆地側の喜多方から狭い道路を利用して車で金沢峠まで登ってくることも可能である.しかし,シーズン期になると多くの訪問客がやってくることから,6月上旬から7月下旬までの期間は,ふもとの雄国萩平駐車場(駐車無料)から金沢峠までを一般車通行止めにし,シャトルバス(有料)による輸送を行っている.金沢峠から雄国沼湿原までは,整備された約500段の階段を下りて湿原に降りる.30分程度で木道を一周して金沢峠まで戻ってくることが可能であるが,静寂で神秘的な雄国沼湿原の空気をゆっくり味わって戻ってみたい.帰りは上り階段となるので,段数を数えながら金沢峠のバス乗り場駐車場まで頑張ろう.
 
雄国萩平駐車場
ここでシャトルバスに乗り換える
 
標高1000mまで約25分かけて登る
狭い道路でエンジンを轟かせながら登っていく.会津盆地のパノラマは絶景.
バスは無線機で位置情報の連絡を取り合いながら,すれ違う.
余談だが,昔マイカーで金沢峠まで登ってきたら,
エンジンがオーバーヒートしてしまった経験がある.
 
金沢峠.ここからは歩いて雄国沼へ.
最終バスに乗り遅れたらタクシーを呼ぶこともできるが・・・.

これが金沢峠から眺める雄国沼と雄国沼湿原
 
ひたすら階段を下りていく
ウッドチップが敷いてあり歩きやすい

湿原が広がる

ニッコウキスゲの中を歩く

咲き乱れるニッコウキスゲ.ユリ科の植物
漢字で書くと「日光黄菅」.朝咲くと夕方にはしぼんでしまう1日花
朝から午前中にかけてが見頃のようだが,
この写真は夕方17時頃のものであり,夕方でも見応えは十分

アヤメも咲いている

静寂な湿原の中で

五色沼自然探勝路(裏磐梯)【会津考察#16】

The Goshiki-numa nature enjoying route (Ura-Bandai)

五色沼自然探勝路(裏磐梯)

 


 五色沼は,1888(明治21)年の磐梯山噴火によって長瀬川が堰き止められて出来た湖沼群である.水中に溶け込んでいる鉱物の層(アロヘン)が太陽光を浴びることにより,青・緑・エメラルドグリーン・コバルトブルー・茶褐色(水というよりは鉄分により植物の根っこが赤くなっている)など多彩な色を見せることから「五色沼」の名称がついている.これら五色沼湖沼群は,約3.6km・1時間10分程度の自然探勝路で見ることができ,標高800mの高原に位置することから,夏でも爽やかで涼しい空気の中をハイキングすることができる.観光バスなどのツアーでは,五色沼湖沼群の中で一番大きな毘沙門沼だけを眺めて,写真を撮って帰ってしまう旅行者も多いが,多彩な五色沼を十分に堪能するためには,自然探勝路を歩かないと本当の良さは感じられない.中間に位置する弁天沼の美しさは神秘的である.
五色沼入口バス停(裏磐梯ビジターセンター隣),または裏磐梯高原駅バス停(檜原湖畔)付近には無料駐車場が設けられているので,車をそれら駐車場に置いて,帰りは路線バスで戻ってくることも可能である.休日などのシーズン期には臨時バスも運行される.なお,裏磐梯高原駅側から歩いた方が,やや下り坂のハイキングコースとなり,最後に一番大きな毘沙門沼が現れてゴールとなるので,磐梯高原駅から五色沼入口バス停に向かって歩く方がお薦めである.1時間10分となっているが,景色が変化に富むことから,あっという間に時間が過ぎ去るハイキングコースである.五色沼自然探勝路は,急な登坂はなく比較的平坦で,誰でも気軽に歩くことが可能であるが,さすがにハイヒールでは歩きづらいのでご参考までに.

緑の中をハイキングする.
ひんやりとして涼しい

そのものずばり「青沼」

るり沼から流れ出る水
裏磐梯湖沼群の水質は日本でもトップクラスで
透明度の高い,透き通るような水を見ることができる.
 
木々の間にブルーの沼が見えてきた

中間にある「弁天沼」
個人的に,最も美しい沼だと思う.
(写真ではなかなかこの美しさ・神秘さが伝わらないが,
太陽の出ているときにハイキングして,この沼が現れたときは感動する)
 
せせらぎを聴きながら休むこともできる

コケに覆われた不思議な沼(名前はないらしい)

黄緑と茶褐色の「みどろ沼」

酸性度の強い「赤沼」
植物の根っこの部分が鉄分で赤くなっている

最も大きい「毘沙門沼」
背後の山は噴火口をバックリと開けている磐梯山

毘沙門沼のお決まり撮影ポイント
背後に裏磐梯の山姿を望むことができる

磐梯東都バスの路線バスで駐車場まで戻ってくることが可能

【公共交通案内】
●路線バス(磐梯東都バス) 五色沼入口または裏磐梯高原駅下車  ハイキングコースは約1時間10分
猪苗代駅→五色沼入口→裏磐梯高原駅→桧原 (猪苗代駅から約30分)
喜多方駅→裏磐梯高原駅→五色沼入口 (喜多方駅から約1時間)
※五色沼入口・裏磐梯高原駅間は,シーズン時期に臨時バスが運行されます.

うなぎの「えびや」(馬場町)【会津考察#15】

EBIYA in the eel restaurant


大きな「う」ののれんが目印

 


 明治時代に創業した老舗の鰻屋であり,現在の店主は4代目.若松でうなぎと言えば「えびや」である.店前には炭火で焼かれている鰻の香りが漂い,大いに食欲をそそる.おおきな「う」の字ののれんが目印で,年末年始には縦長のカレンダーが配られる.うなぎはもちろんのこと,ご飯も炭火で炊かれている.かつての中央公民館の斜め前,市中心部の馬場町にある.入り口の扉を開けると,2階へ上る大きな木の階段が目に入り,冬には炭の炉が暖かく迎えてくれる.
 
歴史を感じさせる店内

観光パンフレットやお店の案内など,
お店の人が渡してくれる.

これ,たばこ盆.木製で懐かしい.
(うちのじいちゃんもこんなのを使っていた)

うな丼(きも吸い付き)
今回はサービスで茶碗蒸しもついていた.
手前の箸入れには会津のことが書かれていて,
記念に持ち帰る人も多い.

【公共交通案内】
●路線バス(市内3コース・西若松駅行・芦の牧温泉行・本郷高田行・坂下行など) 郵便局前下車徒歩5分程度
若松駅→郵便局前→神明通り→各方面
●まちなか周遊バスはいからさん 市役所前下車徒歩5分程度
若松駅→七日町駅→市役所前→武家屋敷→飯盛山→若松駅

磐梯山登山(八方台ルート)【会津考察#14】

The Mt.Bandai mountaineering ( Happoudai route )


 磐梯山は,会津の人々にとって心に刻み込まれているランドマークである.標高は1819m,猪苗代町,磐梯町,北塩原村の3町村にまたがっている山で,別名会津富士,会津磐梯山とも呼ばれている.磐梯山は活火山であり,806(大同元)年と1888(明治21)年に大噴火を起こしているが,806年の噴火の時に磐梯山頂部分がふっとんで,当時は3000m程あった富士山のような姿だった容姿から,現在のように櫛ヶ峰と赤埴山と磐梯山からなる3峰の形になった.そんな磐梯山は,日本百名山のひとつでもあり,シーズンになると多くの登山客で賑わっている.特に頂上からの360度大パノラマの眺望は素晴らしく,裏磐梯湖沼群や猪苗代湖,会津盆地などの絶景を眺めていると,それまでの苦労がいっぺんに吹っ飛んでしまう.
登山ルートは全部で6つあるが,若松方面の磐梯町と裏磐梯とを結ぶ有料道路・ゴールドラインの途中にある八方台登山口からの登山は,最も標高差が少ないため,多くの登山客の一般的なルートとなっている.初心者でも大丈夫なルートである.なお,五色沼自然探勝路のようなハイキングコースではなく,あくまでも登山となるので初心者コースといえどもそれなりの準備をして登山に臨むようにしたい.頂上までは2時間~2時間半程度でつく.弘法清水についたときの清水の冷たさ,山小屋でのナメコ味噌汁の塩味,頂上での絶景を味わうと,充足感で満たされる.

磐梯山ゴールドライン
有料道路は入場時に料金を支払う.普通車730円(2007年現在)
八方台登山口は,有料道路の途中にある.

八方台登山口の駐車場
約50台が止められる.トイレもついている.
磐梯山方面と猫魔ヶ岳・雄国沼方面への登山口.
 
八方台登山口
いよいよ磐梯山への登山開始である.
 
しばらくは緩やかなブナ林を進む
まだまだ余裕.ここで無理すると,あとが大変となる・・・.
 
約30分でひらけて「中の湯」となる
硫黄の臭いが立ちこめており,かつては「磐梯温泉中の湯」の温泉旅館があった

登山道脇には,硫化水素の鉱泉がアワとともに噴出している
熱くはなく,噴煙もない.

中の湯旅館跡は,今でも廃墟のように建っている.
その前には温泉湧出箇所があって,
今となっては底が泥となっている露天風呂があり,
野湯秘湯ファンが服を脱いで入っていたりしている.
(登山道から丸見えである)
どういうわけか,カゴとオケが置いてある.
しかし,硫化水素ガスの濃度が高くなると危険なので,
あまり近づかないほうが賢明である.


八方台登山口から中の湯まで1.1km
これから先の弘法清水まで1.7kmと書かれているので,
(写真はちょっと先の裏磐梯登山口との分岐で1.6kmとなっている)
「な~んだ,あとちょっとだ!」と安心してはいけない.
ここから急登がはじまるのである.
弘法清水までは,約1時間かかる.
 
自分のペースで無理せず登りを続ける
  
途中,視界が広がるところがある.
ここは火口壁の頂部となっているところ.
眼下に広がるのは裏磐梯の檜原湖・小野川湖・秋元湖
ロープ柵のところで眺めると,銅沼(手前下)や火口原・火口壁が見える.
一休み,ひとやすみ.

急登が終わると,ちょっと下りがあったりして平らな道となる.
木の根っこを跨いで歩いていく.ブナやダケカンバの樹林帯である.

だんだんと大きな樹木が少なくなっていき,笹の中を歩いていく.

途中,ちょこっと頂上が見える箇所がある.
「まだ,あんなに登るの~」とげんなりしてはいけない.
冷たい清水の飲める「弘法清水」まではすぐそこなので,
あとひと踏ん張り,がんばろう.

右に行くと弘法清水直行,左に行くとお花畑経由となる.
お花畑経由でも約100m遠いだけで弘法清水に行けるのだが,
眺望のよいお花畑は帰りにゆっくり経由することにして,
もう一踏ん張り,弘法清水へ直行することとする.


弘法清水
右側の塩ビ管から清水が出ている.
売店が2つある.

コンコンと湧く「弘法清水」
こんな高いところに清水が湧くなんて不思議である.
ちなみに,弘法清水は4合目であり,頂上は5合目である.
噴火前の磐梯山によるものか.

弘法清水には鐘が置いてあり,登山途中で鐘の音が近づいてくると,
弘法清水が近いんだな,と感じさせてくれる.
昔は鐘のところに
「気軽にあいさつ.Let’s say Hello」
と書かれた木の札が掛けられていた.
 
奥にある「弘法清水山小屋」でなめこ汁を食べた.
これがうまかった.会津の味噌とナメコと姫竹が入ったもの.

弘法清水から裏磐梯の眺望は最高である.
体力を取り戻して,頂上まであともうちょっとである.


弘法清水への入り口脇に,頂上までの登山道がある.
頂上までは約25分.一気に頂上まで登る.
  
急登が続く.でも時々,裏磐梯・猫魔の絶景が見れる.
ガレた石が多くなってきた.頂上までもうすぐだ.

もしかして???
 
頂上到着.
頂上はガレ場となっていて,祠がひとつ建っている.


背景の湖は「猪苗代湖」

こちらは,会津盆地方面


弘法清水から見たお花畑コース
背景の湖は裏磐梯の「檜原湖」
下りはこちらを経由した

また違った景色が広がる.
シーズンには様々な花が咲くという

お花畑からは,弘法清水の売店小屋と山頂が見渡せる

櫛ヶ峰が望める
裏磐梯の荒々しい火口壁の頂上周辺

なお,磐梯山は,裏磐梯側の火口原の荒涼とした風景,
爆発の凄さを感じる火口壁の荒々しさも魅力のひとつである.
その火口原や火口壁を見ながら登山する裏磐梯・川上ルートもある.
ただし,裏磐梯・川上ルートの火口壁を登りきるコースはきついので,
弘法清水まで登らなくても,銅(あか)沼や火口原まで歩くだけでも,
素晴らしい風景が堪能できる.
火口壁の頂部から裏磐梯方面の下を撮影した写真.
左上が銅沼で,中央の緑が点在しているところが荒涼とした火口原
転げ落ちたら真っ逆さま・・・である.
(なお,この風景は今回の通常のルートでは見られません)

【公共交通案内】
●八方台登山口までの路線バスはなし (猪苗代駅または裏磐梯高原からタクシー利用)

切立橋(隠れた歴史的遺産)【会津考察#13】

The Kittate Bridge


切立橋

 


 猪苗代湖から流れてくる日橋川(にっぱしがわ)の会津若松市(旧河東町)と喜多方市(旧塩川町)と磐梯町の3市町の境に,切立橋(きったてばし)と名付けられたアーチ橋がかかっている.春になると桜が満開となるところでもあり隠れた名所でもあるが,桜のみならずこの切立橋そのものも,実は隠れた歴史的土木遺産として価値のあるものである.
切立橋は,1925(大正14)年に東京電灯(株)(現東京電力)の猪苗代第四発電所建設時(橋のすぐ前の山頂に水力発電所がある)に資材輸送用の線路を敷設した際に日橋川に架けられたもので,磐越西線の広田駅からこの発電所間を結んでいた. 
 この橋は,1890(明治23)年にドイツで製作され翌年に九州鉄道(現JR九州)の鹿児島本線矢部川(福岡県)に架けられていたが,列車の荷重増加に耐えられなくなって引退することになり,この地に移設され転用された.当時の猪苗代水力電気(株)(東京電灯の前身)の社長・仙石貢氏が,かつて九州鉄道の社長でもあったということで,ここに転用されたとのことである.この橋はドイツから日本に11橋輸入されたが,現存する橋はここも含めて僅かに2橋となっているという.ちなみに残りの1橋は,栃木県足尾にある古河橋で,現在は歩道専用橋となっている.
製作はドイツ「ハーコート社」,長さは49m,ボーストリングトラス橋という種類であり,部材をボルトで連結組立するプレハブ橋(現場で組み立てるものをプレハブという)といった特徴がある.所有管理は東京電力猪苗代電力所で行っている.


静かなところで余生を送っている切立橋
 
横からみたところ

6tまでの乗用車は通れるが,コンクリートの床版の上に木が敷いてある.
雨が降ると,通常でもブレーキをかけるとスリップする.
落ち葉の季節は要注意.止まれないと県道に出てしまうので,最徐行で運転を.
 
上流側(左)と下流側(右)
下流には,第四発電所から落とされる水を放流する吐口があって,
そこから下流はおどろくほど水量が増加する.
水質のきれいな猪苗代湖から流れてくるので,水はとてもきれい.

向かいの山には猪苗代第四発電所(水力発電)の施設がある

 

橋の真ん中には,ささやかながら案内板が取り付けられている
でも,この静かな環境が,余生を送るのにはよい環境なのかもしれない.

 
このボルト接合が時代を感じさせてくれる

橋中央の上部に「丸いスピーカーみたいなもの」がぶら下がっているが,
これが何の役目を果たしていたのか不明.ランプ(照明)だろうか?

X型に組まれているトラス部材

桜の季節になると,また美しい橋となる.

橋の親柱には「東京電力株式会社」の橋名板がある
所有は東電だが,一般車も通行することが可能で,
橋の奥へ進むと鬱蒼とした林となるが,登り坂で抜けると,
ひらけて田畑の広がる柏原集落となり,
まっすぐ進むと農道となってJR広田駅に向かうことができる.

【公共交通案内】
●会津バス 西若松駅→神明通り→若松駅→大和田鍛冶屋前→島(1日4往復 要ダイヤ確認) 島停留所下車 若松駅からバス約30分,下車後徒歩約30分


 

柳津悠々紀行#2(柳津町)【会津考察#12】

The Yanaizu YuYu trip ( Yanaizu-machi in Kokuuzouson )
~ 虚空蔵尊のある門前町・2 ~

赤ベコ博物館
ベコとは牛のこと.赤ベコ発祥の地,柳津ならではである.
(残念ながら,訪れたのが朝早かったので,オープンしていなかった)

会津桐の直売もやっている.
会津の良さは酒の良さ「花春」の黄色い看板をみると,会津に戻ってきたな,と感じる.
地元福島のTVでは,昔から花春のコマーシャルが流れていた.

街なかの点景.
あわまんじゅう,くりまんじゅう元祖の店・岩井屋

まんじゅう屋の湯気
朝8時過ぎの風景

ほっとinやないづ
「まちなか」

パンフレットなどが置いてある情報ステーション.といっても無人であるが,いすが置いてあって中で休憩することができる.

催し物案内も掲示されている

洋服屋の前にもまちなかギャラリーが.

道の駅「柳津」で売られている「あわソフトクリーム」.本物のあわソフトクリームは,写真右のように真っ黄色ではなく,淡いクリーム色(写真下).ここまで黄色いとちょっと別な「モノ」のようでリアルである.

魚渕
弘法大師が虚空蔵尊を刻んだ木屑を只見川に入れるとウグイに姿を変えたという伝説が残されている.
ウグイは淡水魚で,ハヤ・マルタ・アカハラなどとも呼ばれ,一般には群れる習性をもたないが,ここ魚渕では群れていることから,国の天然記念物に指定され,禁漁区として保護されている.

川霧が立つのも柳津らしさ
一般的には,気温が下がり川の水が温かいときに起きる現象.しかし,ここ只見川ではその逆が多いとか.背後に虚空蔵尊が見え,幻想的で美しい風景となる.

吊り橋もある
川霧が立ちこめている.

只見川ラインくだり。40分 1000円(小さく手前に見えるのが船)

赤く塗られたアーチ橋も,柳津の景観に強烈なインパクトを与えている.国道252号線に架かるもので,柳津橋と瑞光寺橋の2つあり,どちらも同じ形式で統一されている.1973(昭和48)年の完成.背景のお寺が虚空蔵尊.

午前10時頃になると,立ちこめていた川霧もなくなって,日差しが強くなってきた.ゆったりと流れる只見川をみながら,悠々とした時を刻むヒューマンスケールの飾り気ない街・柳津をあとにすることにした・・・.

柳津悠々紀行#1(柳津町)【会津考察#11】

The Yanaizu YuYu trip ( Yanaizu-machi in Kokuuzouson )
~ 虚空蔵尊のある門前町・1 ~

柳津と書いて「やないづ」と読む.「津」と名の付くところは,昔から水との関わりが強いところが多い.「津」とは船舶の停泊する船着きという意味があり,ここ柳津も街の中に只見川が悠々と流れ,明治時代までは柳の大木が川岸に茂っていて,船やいかだの発着所であったので「柳津」の地名が付いたと言われている.
柳津町は,会津若松から約25kmほど西に向かったところにある.807(大同2)年に開基した福満虚空蔵尊(圓蔵寺)の門前町として,参詣客でにぎわってきた歴史ある街である.そして,只見川が流れ,温泉が湧出し,斎藤清画伯が晩年住んでいた柳津は,ヒューマンスケールの空間が広がっている街だと直感できる.華々しく観光地化されていない,只見川に寄り添って時を刻んできた,心癒される街並みを歩いてみることにした.
会津柳津駅
日本一のローカル線として有名な只見線が走っている.会津若松から昔ながらのディーゼルカーが,エンジンを轟かせながらゆっくりと走っている.1日6往復.温泉宿のある街中心部まで歩いて15分程度で着く.
ローカル線のホームは旅情があってよい.本数は少なくて不便かもしれないが,時間に追いまくられている現代において,そんな忙しい生活とは無縁な,只見線の旅もアプローチとしてお薦めである.
駅前に置かれているSL「C11-244」
昭和18年に製造され,約30年間働いたあと,昭和48年11月に現役を引退し,この場所で余生を過ごしている.復活の話もあったに違いない.
駅の待合室に貼られていた「柳津ウォークマップ」
柳津はコンパクトな街なので,歩いて十分に回ることができる.歩いて回れる規模こそが,ヒューマンスケールの街並みである.
柳津町の案内板
観光ポイントには同じタイプの看板が置かれていて,土地勘のない観光客にとってはありがたい看板であった.
駐車場から虚空蔵尊へ向かう道
あじさいがしっとりと咲いていた
満虚空蔵尊(菊光堂)
全国的にも有名な正月7日に行われる「七日堂裸まいり」は,この菊光堂の中で行われる.大鰐口を目指し,男たちが綱をよじ登って競い合う祭りは,迫力がある.(中にはいると,「綱によじのぼらないでください」とかかれた張り紙が貼ってあった.普段もよじ登ろうとする人がいるのだろう)
海運 撫牛
虚空蔵菩薩は,丑と寅の守り本尊でもある.会津の民芸品である「あかべこ」の発祥の地として有名である.
菊光堂から眺める風景
只見川が流れ,そこにかかる赤いアーチ橋が見える.手前には吊り橋も架かる.
柳津の名物のひとつ「あわまんじゅう」店からは,まんじゅうを蒸すときの蒸気があちこちで出ている.店の中では,土産物として並べるためのまんじゅうづくりで,朝早くから忙しい.
今から180年前,柳津を様々な災害が襲ったとき,災害に「あわ」ないようにとの願いを込めて,虚空蔵尊に奉納されたのが,あわまんじゅうのはじまりとされている.朝の出来たてはうまい.
農産物直売所「ふれあい市」
地元でとれた野菜や花などを,100円から販売している.虚空蔵尊の仁王門へ登る階段の登り口前にある.大がかりな朝市ではなく,こじんまりとして手作りといった感じがして,生産者との距離が離れず新鮮な野菜を買える.浴衣でもふらっと立ち寄れる.
路線バスは坂下(ばんげ)から走っている.(会津)坂下では,(会津)若松駅からの便に接続している.
街中のストリート
ヒューマンスケールの空間となっているが,ときどき自動車が走り抜けていくので,街なかを歩いて散策するには,ちょっと落ち着かない.
まちなかスタンプギャラリー
店先や宿の入り口に斎藤清画伯の絵を飾って,スタンプラリーをやっている.街なか散策をしていて発見した.自動車では決して気が付かないユニークな取り組みである.

温泉の玉?
柳津温泉の源泉を玉の上から少しだけ流しているモニュメント.触ると暖かく,舐めるとしょっぱい.柳津温泉は昭和62年に柳津町が虚空蔵尊の境内で掘削したところ,地下700mから塩化物泉の温泉が湧き出たもので,比較的新しい温泉である.柳津は,それまでの宿坊から温泉街へと変化した.
このモニュメントも,歩いてみないと気づかない.

虚空蔵尊の仁王門への階段
虚空蔵尊への浴衣での参詣は禁止されている.温泉の玉,わかりますか?
柳津の大清水(弘法清水)
虚空蔵菩薩をつくられた弘法大師が,コンと杖をたたくと,冷たい清水が湧き出るようになったと伝えられる清水.干ばつや地震のときも,決して涸れることがなかったという.

野菜などを洗える場所もある.右上のかごに入っているのは「あさつき」だった.この施設は平成13年に完成した.

花ホテル「滝のや」
このホテルでは月1回程度の講演会(花ホテル講演会)を開催し,地元住民や柳津に興味のある方々とともに,地域を盛り上げようとしている.日帰り入浴も可.

会津鉄道のトロッコ列車【会津考察#10】

The lorry train of Aizu railroad


湯野上温泉駅に停車中のトロッコ列車

 


 ゴールデンウィークや観光シーズンになると会津鉄道のトロッコ列車が運行される.会津浪漫の花号・星号・風号と,時期によって名前を変える.
会津鉄道は会津若松から湯野上温泉・芦の牧温泉・田島・会津高原尾瀬口までを結ぶ第三セクターで,旧国鉄時代の会津線から転換された路線である.会津高原尾瀬口からは野岩鉄道を経由して,東武鉄道の鬼怒川温泉へ抜けることができるので,北千住・浅草までが1本のレールでつながっていることになる.
トロッコ列車に乗るためには,乗車券のほかにトロッコ整理券(大人300円)を購入すれば乗車ができ,車内には小さいながら売店もあるので,ビール片手にのんびりと南会津への車窓を楽しめる.なお,撮影は5月のゴールデンウィークのときのものである.

トロッコ会津浪漫星号・会津田島行きに乗る
 
トロッコ列車は3両編成で,
それぞれが違った仕様(内装)の車両となっている.
どのタイプの車両に乗るか,整理券を購入するときに決める.
トロッコ席・展望席・お座敷席の3タイプ
 
こちらは展望席で,最も座席がよいタイプ.
運転席から前方が展望できるのであるが,
田島に向かうときは逆方向となっている.

こちらはトロッコ席で真ん中の2両目となる.
ガラスを外すこともできるが,寒いときはこのようにつけたままとなる.
トンネル内では天井に星が広がる演出がある.
 
こちらはお座敷席.掘りごたつ式となっていて,居心地がよい.
今回,会津若松駅からの乗客は全5名で,全てお座敷席を選んでいた.

2両目にちょっとした売店があって,
飲み物やお菓子を買うことができる.栃もちを買った.

大川の渓谷が車窓に広がる

西若松駅から湯野上温泉駅まで,ツアー客でトロッコ席は埋まった

トンネルに入るとトロッコ席の車両では,
プラネタリウムが点灯する.

橋の上では一旦停車するサービスもある
 
茅葺き屋根の湯野上温泉駅には囲炉裏もある

終点会津田島駅
  
田島駅で売っていた駅弁.おいしかった.
弁当を買って野岩鉄道・東武鉄道と乗り継いで東京まで行ける

陶磁器の街・会津本郷【会津考察#9】

The town and Hongo of the earthenware


インフォメーションセンター前

 


 会津本郷焼は,1593(文禄2)年に会津藩領主の蒲生氏郷が,若松城の改修を行うにあたり城郭の屋根を瓦葺きとするために,播磨国から瓦工を招いて黒瓦を製造したのが始まりとされている.その後,保科正之が尾張国瀬戸生まれの陶工を迎えてから,本格的な陶器の製造が開始された.1993(平成5)年に,通産省(現経産省)より伝統的工芸品産地として指定を受けている.(会津本郷焼事業協同組合のHPより)
街は非常にコンパクトなので,各窯元めぐりをするのにも十分歩いて回れるが,インフォメーションセンターでは無料のレンタサイクルをやっているので,自転車で街中を巡るのもよい.地図を見ると「瀬戸町」といった地名があって,陶器の街だなと思わせてくれる.
 
インフォメーションセンター
2階は会津本郷焼歴史資料展示室となっている.
無料のレンタサイクルを貸し出してくれる.
窯元が入った会津本郷焼散策マップもある.

インフォメーションセンター前の県道

会津美里町誕生記念「第2回会津みさと祭り」として
「風と土の芸術祭」が行われていた.
まちなかのあらゆるスポットに本郷焼が展示されていた.

会津本郷陶磁器会館
組合に加盟している14窯元の作品を展示販売しているところ.
本郷焼はここで購入するとよい.
会津本郷焼事業協同組合もここにある.

陶磁器会館には窯元案内図がある
  
まちなかの狭い路地裏には,各窯元がある.
手ひねりや絵付け,見学を行っているので,それぞれの窯元に問い合わせるとよい.

【公共交通案内】
●会津バス 若松駅→本郷→関山 (日中は90分間隔で運行 若松駅から約30分)
●JR只見線 若松駅→会津本郷駅→只見→小出 (1日7往復 日中は本数ない 若松駅から約12分)

大内宿【会津考察#8】

oouchi-juku


茅葺き屋根の残る大内宿

 


 大内宿は,会津若松と日光今市とを結ぶ会津西街道の宿場町として,江戸時代の宿場の雰囲気を残している場所である.集落全体がそっくり茅葺き屋根として残っており,1981(昭和56)年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている.今はシーズンになると多くの観光客が訪れるようになり,軒先で名産品やおみやげ,そばなどの飲食店を営むようになっている.毎年9月1日の防災の日には,消火栓の一斉放水訓練が行われ,この放水の様子を眺めるのは圧巻である.今回はちょうどその時に訪れたので,その模様もお伝えする.ちなみに,来年(2008年)は9月1日が日曜日とのことである.

バスは一応走っているのだが,
朝1本と夕3本の4本のみ.地元住民通学用のダイヤとなっている.
観光客は自家用車か観光バス,もしくは,
会津鉄道湯野上温泉駅からタクシーでくるしかない.

駐車場は有料で,普通車300円となっている.
大内宿整備保全協力費として集められている.
 
放水訓練中の模様.
放水は,9月1日の午前10時から3分程度行われる.
2008年は日曜日開催とのこと.
 
普段,消火栓はこのようにコンクリートの箱の中に納められ,
上には木製の蓋がかけられている.

電柱など一切ない.江戸時代の空間が体感できる

軒先でお土産品などを売っている

起き上がり小法師も売っている
 
民家の先には,山からの水が流れていて,
ラムネやジュース,缶ビール,キュウリやトマトなどが冷やされて,売られている.

しんごろう餅
店先で無料のお茶を飲みながら座って食べることもできる.

ねぎ1本で食べる「ねぎそば」の店
大内宿では,1軒1軒微妙に扱っているものが違うので,
それぞれ回ってみると楽しい.

茅葺き屋根の民家

子安観音へ向かう階段を上がると,山の中腹から大内宿の全体を眺めることができる.

【公共交通案内】
●会津鉄道 湯野上温泉駅下車 タクシーで約15分(片道2000円程度
※路線バスは地元住民通学用のダイヤとなっており,観光客には不適.

お秀茶屋(奴郎ヶ前の味噌田楽)【会津考察#7】

Ohide-chaya(The miso dengaku)


歴史のある田楽・お秀茶屋
営業時間:10時から17時頃
(材料がなくなったら終了)

 


 お秀茶屋の味噌田楽は,無性に食べたくなるときがある.若松にきたときは,時々立ち寄って食べている.
「お秀茶屋」は,創業が延宝年間(1673~80年)の歴史ある茶屋で,東山温泉に向かう東山街道沿いにある.なんといっても,名物は甘い味噌を塗って囲炉裏でじっくりと焼き上げる「田楽」で,自家製餅・揚げ豆腐・身欠きにしん・こんにゃく(秋は里芋となる)の4種類6本の田楽セット(735円(2007年現在))となっている.田楽は,戦国時代において,串に刺して田圃などで焼いて食べたのが始まりと言われており,田楽という言葉も,田圃で食べる楽しみというところから付けられているという.この店には,山下清画伯が度々訪れていたといい,現在でも,有名人が数多く訪れて,店内には写真やサイン色紙が貼られている.
ちなみに,奴郎ヶ前と書いて「やろうがまえ」と読む.お店には「元祖・奴老ヶ前」と記されていて,「老」の字が用いられている.

店内の様子.暖かいときは,池の鯉を眺めながら,
縁側で食べることもできる.

壁に貼られているメニュー
田楽の他にも,くるみ餅やそばなどもある.
田楽だけでは物足りない場合は,ソバも一緒に注文すると良い.

田楽は,囲炉裏の炭火で焼かれる
ご主人は16代目.

これが,田楽セット
素朴な味わいで,時々無性に食べたくなる味なのである.
串が炭火ですすけているところも,「普段着のまま」といった感じでよい

ざるそばもあります.
柔らかいそばといった感じ
 
店の脇にある狭い道路を登っていったところに
専用の駐車場がある.

その道路脇にはお地蔵さんがある
かつて,近くの河原には会津藩士用の処刑場があった
罪人達の供養のために設置されたものが残っている
(参考文献:新寿堂HP

【公共交通案内】
●まちなか周遊バス「ハイカラさん」  若松駅→鶴ヶ城→奴郎ヶ前→飯盛山→若松駅(逆回りなし.8時~18時頃.30分間隔)
●飯盛山・鶴ヶ城循環(飯盛山先回り) 若松駅→飯盛山→奴郎ヶ前→鶴ヶ城→若松駅
●鶴ヶ城・飯盛山循環(鶴ヶ城先回り)  若松駅→鶴ヶ城→奴郎ヶ前→飯盛山→若松駅

ハイカラさん(まちなか周遊バス)【会津考察#6】

The bus which tours through the inside of the city in Aizu wakamatsu

まちなか周遊バス「ハイカラさん」
エンジ色と深緑色の2種類走っている

 


 平成13年7月より,会津若松市内の観光施設を周遊できるバスとして運行開始されたのが,まちなか周遊バス「ハイカラさん」である.レトロ調のボンネットバスを導入し,補助ステップや車いす用のリフトなども備えられている.車いすを利用するときは背後部のドアが開くようになっている.ドライバーは女性が乗務しており,城下町特有の細い路地裏道路を,大きなハンドルを握りながら運転している.
1回大人200円,ハイカラさん専用1日乗車券は500円,ハイカラさんと路線バス(市内中心部限定)も乗れる1日乗車券は700円で販売しており,若松市内の観光名所をひと通り巡りたいのであれば,1日乗車券を購入してハイカラさんを乗り継いでいけば,大抵の見所は観光することができる.
運行ルートは左回りの1方向運行(運行当初は両方向だったが,現在は本数を増やして1方向運行に変更されている)で,午前8時~18時頃まで30分間隔,朝夕は東山温泉も経由して走る.(現在の右回り運行は赤色の「あかべえ」で運行されている.)

「ハイカラさんのりば」では多くの観光客が並んでいる

ボンネットバスが整備中のときに走る中型バスタイプの周遊バス
このバスでも満席になるので,ちいさなボンネットバスでは
満員で乗りきれない時もあるのではないかと思う

1日乗車券は,駅前にある会津バス観光案内所で購入できる

ハイカラさん車内
コンパクトなつくりである
【公共交通案内】
●まちなか周遊バス「ハイカラさん」 若松駅→大町四つ角→七日町→野口英世青春通り→市役所→鶴ヶ城→県立博物館→御薬園→武家屋敷→(東山温泉)→慶山→飯盛山→若松駅(逆回りは「あかべえ」で運行.8時~18時頃.30分間隔)

会津若松駅バスターミナル(高速バス)【会津考察#5】

Aizu wakamatsu station Bus terminal


駅前にあるバスターミナル

 


 会津地方では,会津乗合自動車がバス事業を行っており,地元では「会津バス」と呼ばれている.高速バスや長距離路線バスは,駅前交差点を渡ったバスターミナルから発車する.「市内循環線」や「神明通り・米代」,「まちなか周遊バスハイカラさん」は,駅前バスのりばからの発車となる.高速バスの歴史はそれほど古くなく,磐越自動車道が開通したあとの1996(平成8)年に,それまで特急バスとして国道49号線を走っていた郡山・いわきとを結ぶ路線を高速バスとしたのが始まりで,東京新宿行きは1999(平成11)年より運行され,現在は,東京新宿・仙台・郡山・いわき・福島・新潟・野沢とを結ぶネットワークが形成されている.会津バスの路線バスは,前乗り前降りで乗降口が前1カ所のみなので,乗るときは降りる人が終わってから乗車することになる.
なお,福島県民は「会津若松」のことを,会津を付けずに「若松」と呼ぶ.バスの行き先案内板も「若松駅」と表示されているが,「若松駅」=「会津若松駅」のことなのでご安心を.
福島県高速バスネットワーク(時刻表リンク)一覧

会津若松駅とバスターミナルの途中にある「会津バス観光案内所」
バスに関する情報はここで集めることができる.バス1日乗車券はここで購入する

駅前バス乗り場
市内1・2・3・4・5・6コース/会津大学・居合団地・松長団地/
飯盛山回り・鶴ヶ城回り循環/神明通り・米代/周遊バスハイカラさん
上記のバスはこちらから発車する

ターミナルの中は冬でも暖かい

高速バスのりばは,ターミナルを裏口から出たところにある

予約不要の高速バスは,行き先別に列をつくって並んでいる

会津バス(前乗り前降り)
 
懐かしの会津バス

会津若松駅【会津考察#4】

Aizu wakamatsu station


お城をイメージした会津若松駅

 


 会津若松駅は,1899(明治32)年に岩越鉄道の若松駅として開業し,1917(大正6)年に現在の「会津若松」という名称になった.
郡山と新津を結ぶJR磐越西線をはじめ,只見・小出とを結ぶJR只見線(究極のローカル線で通し運行は1日3本のみ),田島・会津高原尾瀬口とを結ぶ会津鉄道(元国鉄会津線で,会津高原尾瀬口からは野岩鉄道・東武鉄道と接続し,春日部・北千住・浅草へ乗り継ぐことができる)が発着している.
磐越西線は,この駅でスイッチバックする形となっているため,郡山方面と喜多方・新津方面とでは同じ方向に発車する構造となっている.この構造を利用して,2台のSLの同時発車イベントが行われたときもある.駅構内には円形の転車台が現役で車庫として活躍しているため,磐越西線ではSL運行が可能となっており,時々SLの勇姿を眺めることができる.線路沿線にカメラマンが多くいるときは,SLが運行されている日である.運行されている日には,SLの汽笛が会津盆地に響き渡っている.(SLの汽笛は,結構遠くまで聞こえる)
現在の駅舎は,鶴ヶ城の改修に併せて,お城をイメージしたデザインにリニューアル(2001(平成13)年)された.発車メロディは,「AIZUその名の情熱」が流れている.

磐越西線はスイッチバック式なため,串刺し式で終点となる
電車は磐越西線専用の455系電車
新幹線開通前は「急行ばんだい号」として活躍していたもの
(平成19年7月より車両が変更となり,今は走っていない)
NTT東日本-福島より提供されている駅構内ライブ映像はこちら

1番線ホーム
特急あいづ号はここから発車していた

改札口では「あかべぇ」と大きな「起きあがり小坊師」がお出迎え

改札口も赤く塗られている
 
改札口を出ると,目の前に観光案内所がある
 
観光案内所の隣にはパンフレットが数多く置かれている.
会津若松市のみならず全会津の観光パンフが置かれているので,
旅行者はここで情報収集することができる

銘品館では会津のおみやげを買える

一會庵では,会津の郷土料理を食べることができる
 
待合室の奥には,立ち食いソバ屋の「立ちあおい」がある
右は「にしん天そば」.お金がなくて会津の郷土料理を食べたいときは,これに限る.
この立ち食いソバ屋には,中高生へのコロッケ1個サービスの得点がある.

もちろん駅レンタカーもある
 
駅前にある白虎隊士の像
記念撮影をする人が多い


改修前の会津若松駅
看板が多くて雑然とした感じだった
昔 

会津盆地の見渡せるドライブコース【会津考察#3】

The scenic route which can survey Aizu-bonchi


広域地図

詳細地図

 


 会津若松市や喜多方市は,周りを山々に囲まれた盆地である.この会津盆地(年配の方には「あいづだいら」という人もいる)を車の中から見渡せるお気に入りのドライブコースを紹介する.地元の方なら誰でも知っていると思われるが,観光ルートとして大々的に宣伝はしていないので,初めての方は地図を見て迷わないように.ここにくると,会津盆地が見渡せて,天気が良いときは,新潟県との県境にある飯豊山も望むことができる.
磐梯河東インターから,県道会津若松裏磐梯線に入って会津若松方面に向かう(国道49号で会津若松に向かってはいけない).途中の大きなカープから会津盆地が2回程望める.そして,松長団地から居合団地にかけての市道からは,低標高になって会津若松市街の街並みが身近に見える景観が望める.周囲が住宅団地の場所では,騒音などに配慮しましょう.

会津若松市街が一望できる
【公共交通案内】
●居合・松長団地循環  若松駅-北滝沢-居合・松長団地-会津大学-若松駅(逆回りあり)
※居合団地から松長団地にかけて,坂を走っていくときに上の景色が見れます.(バス30分間隔.両回り方向合わせると15分間隔で運行)