「■世界の旅」カテゴリーアーカイブ

BANCHAN WORLD の海外をテーマにしたカテゴリーです.

リージェントストリート・グリニッジ天文台[ロンドン散策#1]

ロンドンに降り立ち街を歩いた。ロンドンの街並みは…、イギリスの表情は……。
ちょこっと撮影したフォトアルバム集です。

(旅行年月:1997年3月)


リージェントストリート  Regent.St.

写真に写るタクシー、ロンドン名物ブラックキャビンである。ロンドンのタクシーは世界一厳しいと言われる試験をパスしたドライバーのみがハンドルを握っており、安心して乗車できる乗り物であるが、ドアは手動ですのでお間違いなく。
この道をまっすぐ行ったところが、エロスの像が建つロンドンの中心街・ピカデリーサーカスである。曲線のリージェントストリートにビルのファサードが美しい弧を描いている。重厚な街並みが続くロンドン中心部である。リージェントストリートはロンドンの東西を分ける道路で,この道を挟んで東と西では地域の性格が変わる.

2階バスからの眺め

ロンドンといえば2階建ての真っ赤な路線バスである。2階最前列はまさに特等席。高い位置からロンドンの街並みを、じっくりと眺めることができる。
ロンドンの街を歩くには、地下鉄とバスが乗り放題となるトラベルカードの1日券(One Day Travelcard)を購入するとよい。ロンドンではバスも地下鉄も料金がゾーン制となっており、トラベルカードを持っていれば料金の心配もしなくて済む。

世界標準時 グリニッジ天文台 Greenwich

グリニッジ天文台、世界標準時を刻む地である。左の写真の建物に赤い線が入っており、道路上にも区切り線が引かれているが、ここが東経0度の子午線となっている。右の時計では、世界標準時を24時間表示で示している。

コヴェントガーデン・カムデンロック[ロンドン散策#2]

コヴェント・ガーデン  COVENT GARDEN

週末、ロンドンに滞在しているのなら、是非ともマーケットに行ってみよう。コベントガーデンもそのひとつ。アップルマーケットとも呼ばれ、再開発によって生まれた商業観光エリアである。もともとコベントガーデンは1800年代にロンドンで最初に行われた貴族によるエステート開発で,野菜や果物,花などを扱う市場だった.現在の広場では大道芸人によるパフォーマンスが開かれ、その周りには溢れんばかりの人々で賑わっている。観客も大声で笑い、大きな拍手を捧げる。皆が一体となって楽しい雰囲気を創り出しており、ここに居るだけで楽しくなってくる。ぶらぶら歩いているだけでも、あっと言う間に時間が過ぎてゆく、そんなところである。

大道芸人 コベントガーデンのストリートにて

これも大道芸のひとつ。1分に1回くらい、「ピク」と動く。
日本でも近頃は新宿の新宿通りの歩行者天国などで大道芸人を見ることができるようになったが、その隣には警察からの禁止看板が立てられており、今は黙認されている形となっているのだろう。しかし、大道芸人も街の中に賑わいと楽しさを創出するひとつの文化なのだから、多少のことには目くじらを立てず、警察や役所も暖かく見守ってもらいたいと思う。中心市街地活性化には、大道芸人とライブ演奏などのソフト面を充実させる方法が最も良い方法だと思う。

カムデン・ロック CAMDEN LOCK MARKET

ロンドン版「原宿・渋谷」と言ったところか。若者に人気のあるストリートマーケットである。日曜には人々でごった返し、おしくらまんじゅう状態になる。地下鉄の改札口も大混雑。とにかく、混んでいるのでスリに注意。アクセサリー、古着、ミュージックテープ、若者に人気のあるものはなんでもある。歩道だけでは人が歩けず、車道に人があふれている。

ケンブリッジ・バース・カーディフ[ロンドン散策#3]

★ちょっとロンドン郊外に足を延ばして…

ケンブリッジ Cambridge

ケンブリッジは言わずと知れた大学の街である。街は非常にコンパクトにまとまっており、歩いて十分に回れるところである。写真は休日の商業中心地帯、歩いている人がどことなく賢く見えるのは気のせいだろうか。

バース Bath

バースはお風呂の語源となった地である。つまりローマ時代に浴場がつくられたところ。右の写真は「浴場」である。ここはかつてイギリス屈指の行楽地だったという。ジョージア朝の建物が建ち並ぶ美しい街でもある。

単なる橋かと思ったら… ウエールズの首都・カーディフ  Cardiff

ウエールズの首都・カーディフで珍しい橋に出会った。
一見すると何の変哲もないただの橋であるが、この橋を道路に立って見てみると、下の写真から見えるところが橋の上である。つまり橋の上に商店が建ち並んでいるのである。橋上ストアといったところか。
この橋は18世紀に造られた世界遺産にも登録されている「パルティニー橋」である。

ケアンズとクランダ鉄道[自然豊かなオーストラリア大陸#1]

旅行年月:1995年3月


ケアンズにて

お店の並んでいる中心街

ケアンズはのんびりとして大らかな感じを受ける街である.

オーストラリアは緑の多い都市であることが実感できる.

バスターミナル

ホテルの窓から~海の広がるリゾート都市でもある

南半球の海が広がる

動物園に行くとカンガルーに会える!

ケアンズ鉄道駅
鉄道にはここから乗車する

クランダ高原鉄道の車窓から

クランダとはアボリジニ語で熱帯雨林の村という意味だという.ケアンズの北西にある人口約700人の村である.クランダ高原鉄道は,約100年前にクランダ村とケアンズとの間の物資などを運ぶ鉄道として開通したものであり,現在は観光専用列車のみが1日1~2往復運行されている.

クランダ村へ向けて走っていく.
熱帯雨林の中を,トコトコと走っていく.

バロンフォールズ駅
目の前に大きな滝がある.
世界各国からの観光客が乗車している.

STONEY CREEK 駅

クランダ駅
クランダ高原鉄道の客車.

ウルル(エアーズロック)[自然豊かなオーストラリア大陸#2]

機内から見た光景  砂漠の中に隆起した茶色の岩が見える

Connellan Airport コネラン空港
エアーズロックリゾートに最も近い空港
アリススプリングス空港で乗り換えて到着する.屋根の色が砂漠の土の色と同じになっている.いつも風が強く,着陸時に揺れた.

上は日没直前のエアーズロック。日没前と日没後では、エアーズロックの色合いが変化するため、それを眺めようとサンセットビューポイントに観光客が集まっている。

下は日の出時のエアーズロック.

エアーズロックは標高867m(地表からは348m)、砂漠の真ん中に突然と現れる一枚岩である。近くにエアーズロックリゾートと呼ばれる観光拠点の街があり、ホテルやショッピングなどエアーズロック観光のためのリゾート施設が砂漠の真ん中に存在し、観光客は必ずここにお世話になることになる。各種ツアーも用意されている。水は、地下水を汲み上げて使用している。
余談として、風の谷のナウシカに登場する「オウム」は、このエアーズロックがモデルとなってできたキャラクターである。

こちらは,マウントオルガの割れ目のふもと。強い風が吹き抜ける。まさに風の谷の舞台である。砂漠の真ん中なので日中は非常に暑くなるが、夜は逆にとても冷える。

場所によって,様々な形を見せるマウントオルガ

何とも不思議な自然の造形である

エアーズロックは砂漠の真ん中にある

エアーズロックに来たら、エアーズロックに登らずして帰るなかれ。
西側に1カ所だけ登り口がある。
写真岩肌の色が変わっているところが登山道。
頂上まで1時間半~2時間で到着する。
途中は滑りやすく、鎖が張られているところもあるが、健康な人であれば登山に問題はない。
ツアーでは「昼までに戻ってきてください」と言われ、半日で登り降りを強いられる。
ちょいと忙しい。

頂上は風が非常に強い。
しかし、視界は最高である。
360度、砂漠である。
まったく、何もない。

エアーズロックの名称は,アボリジニ語に敬意を表して今は「ウルル」に変更されている.

シドニーとキャンベラ[自然豊かなオーストラリア大陸#3]

シドニーにて

キングスクロス駅前
南半球最大の歓楽街として有名
呼び込みがすごい.

シドニー中央駅
Central Sta.

シドニーモノレール
Darling Park 駅

シドニーのダウンタウン

キャンベラにて

キャンベラは遷都によりできたオーストラリアの首都である.全く街の無かったところに,人工的に作り上げた都市として,ブラジリアとともに都市計画上,何かと話題になる都市である.

キャンベラのバスターミナル
シドニーからグレイハウンドの高速バスで約3時間程度だったように思う.

人工的な街だからか,整然として無機的な感じがする

広々とした歩道

人工的に造られたグリフィン湖
グリフィンとは都市を設計した人の名前

湖に架かる橋の上より

香港HongKong[アジアの風景#2]

チム・シャ・ツォイ 香港の中心地

チム・シャ・ツォイ、九龍半島南端に位置する香港の商業中心地である。香港の雑然とした混沌な街並み。人々が行き交い、エネルギッシュでエキサイトな街である。高層ビルが建ち並び、街を歩くと非常に密度の高い都市空間が形成されていることを実感できる。道路にせりだした広告看板、香港名物のひとつである。このコンピュータの辞書に「チム・シャ・ツォイ」の漢字がないので、漢字で地名を表現できないのが残念であるが、漢字で書くとチムは「大」の上に「小」かんむり、シャは「沙」、ツォイは「口」へんに「且」となる。

トラムからの眺め

香港といえば街の中にトラムと呼ばれる2階建ての路面電車が走っている。写真は香港島のセントラル(中環)地区を走るトラムの2階から撮影した。香港島中環は超高層ビルが林立するビジネス街である。ひしめきあうビルの間を縫うように走るトラム。あまりにも密度の高い都市空間に息がつまりそうである。

路地裏は…

香港の路地裏。ビル壁面の工事足場が「竹」で組まれている。雨が降ったときは滑らないのだろうか。クーラーの冷却装置が窓からせりだし、いつ「モノ」が落ちてきても不思議ではない。実際、街を歩いていると天気は晴れているのに、水?らしきモノが空からヒタヒタと落ちてくる。香港で落ち着こうと思ったら大間違い、次々と遭遇するアジア的なカオスが、旅人の好奇心をかき立てる。それがアジアである。

高層ビルが密度を高める

香港を歩いていると,都市の空間としての密度が非常に高いことを実感する.歩いていて空が見えず,圧迫感が感じられるのである.この高層ビル群を眺めていると,それも頷ける光景である.

(旅行年月:1995年3月)

シンガポールSingapore[アジアの風景#1]

雲にかすむ高層ビル群

シンガポールは淡路島と同じくらいの大きさの島に約270万人の人々が住む国である。近代的な建物が建ち並び、アジア独特の混沌とした昔ながらの風情は感じられなくなった。
気候は1年中「夏」であり、亜熱帯地方特有のスコールが時々地面を叩きつける。人種は、7割強が中国系であり、土着のマレー系が1割強、インド系が約0.5割である。

整備された道路

シンガポーは交通施設の発達した国でもある。道路はごらんの通りバスポケットもきちっと完備された広い道路が整備されており、渋滞は滅多に発生しないと言われる程である。
MRTと呼ばれる地下鉄の駅前広場も、バスターミナルが完備されており、初めて訪れる人にもわかりやすくなっている。
道路端の縁石のペイントが「黒・白」の縞模様となっているところや2階建てバスが走っているところなど、イギリスの面影をところどころ見ることができる。

RESTRICTED ZONE~車乗り入れ規制区域

渋滞知らずの素晴らしき交通施策、ゴミを捨てたら罰金を課せられるシンガポール、そこには厳しい規制が存在している。道路をまたぐように設置してある青い標識には「RESTRICTED ZONE(規制区域)」と書かれており、中央商業地区(CBD・Central Business District)に乗り入れる車に対して、朝夕のラッシュ時のみ料金を徴収する。この標識はその規制区域を示すものである。

シンガポールの団地風景

シンガポールでは人口の約8割強の人々が、国の住宅開発局が建設したこの団地に住んでいる。1960年代までは、カンポンと呼ばれる木造の住宅に住んでいたが、高度経済成長に伴って、この団地に人種・民族関係なく居住することになった。
天気のいい日には色とりどりの洗濯物が、街の景観として美しいか醜いかの議論はさておいて、無味乾燥なコンクリートの団地に彩りを添えている。
共働きが多いこともあって、食事は屋台でとることが多く、団地の広場では様々な屋台が並んでおり、味も美味い。断食が終了するラマダン開けのときには、イスラム教徒の家庭ではベランダに電飾をチカチカ光らせ、お祝いが続く。

地下鉄 MRT

シンガポールにはMRTと呼ばれる地下鉄が走っており,郊外部では地上を走って,郊外の団地と都心部とを結んでいる.施設はきれいであるがスピードは出さない.車内のイスがプラスチック製の硬いイスなので,日本の電車に乗り慣れていると座りごこちが悪く感じてしまう.

地下鉄のホームもきれいで静か.線路とホームの間にはドアで仕切られていて,電車が到着しても電車の音がほとんど聞こえない.いつの間にか到着してドアが開く感じである.日本でもホームドアの付いている東京メトロ南北線があるが,こんなに静かに到着はしない.この差はホームドアの構造に違いがあり,日本では建築基準法だか消防法だかの規定により,ホーム側を密閉空間にすることが認められていなくて,ホームドアの上側にすき間が開いているために電車の騒音がホームまで聞こえてくるからである.シンガポールでは,ホームドアの壁でホームと線路の空間が完全に分断されているのである.

開店前の屋台

共働きの多いシンガポールでは,家で夕飯などのご飯を食べるよりは,外の屋台で食事をとることが多いらしい.ビジネスエリアでは昼食のため,住宅街では夕食のため,オープンに向けて準備が進められていた.

スコールのあと

赤道に近いシンガポール.1年中いつでも最高気温は32~3度,最低気温は25度,湿度は80%を超える熱帯性モンスーン気候である.夕方ちかくには必ずバケツをひっくり返したようなスコールが降るけれど,すぐにやんでしまう.スコールが止んだあとには,道路に水が溜まってタクシーが水しぶきを上げていた.(シティーホール駅出口のそごうデパート前)

路線バスの車内にて

公共交通の発達しているシンガポール.路線バスも全てに番号が付けられていて,土地に不慣れな外国人でも,バスの時刻表とバス停の案内を頼りに,楽に路線バスを利用することができる.シンガポール人も地下鉄の走っていないところはバスに乗って移動する.イギリスの植民地であったこともあり,香港と同じく2階建てのバスも走っていた.

(旅行年月:1994年3月)

訪欧・ヨーロッパ1[ロンドン編]

初めて海外旅行に行ったのがヨーロッパだった.イギリス・ロンドンからフランス・パリへ,スイスのジュネーブを経由してイタリア・ローマまでの旅だった.オーソドックスな旅だったが,このときの旅の体験が,のちの海外旅行の情熱に火をつけたのである.それまでの自分は,「海外旅行なんてどこが楽しいのだろうか」,と海外に対して蔑視していたところがあった.しかし,外の世界に足を踏み入れてみると,建物・景色・食べ物と全てが日本と違っていて,いままで気づかなかった好奇心を大いにくすぐるものであった.そんな,初めての海外旅行の時に撮影した点景を,当時を思い出しながらお送りします.

(旅行年月:1993年3月)


ロンドン編

ロンドン名物2階建てバス.今は,この古いタイプのバスは見られなくなっている.
後ろにはドアがなくて,いつでも飛び乗り自由であった.

トラファルガースクエアー
ヨーロッパにはこういった四角形の広場が街の中にあって,その中心にはシンボルが置かれていることが多い.

ロンドン中心部
建物のファサードが美しい.電線などは一切ない.

地下鉄ピカデリー・サーカス駅前
ロンドンでも賑やかなところ

ウエストミンスター寺院
イギリス王室と深く関わりのある寺院である.

「シティ」と呼ばれる金融街のゴミ箱(LITTER BOX)には,特別なロゴが入っている.

テムズ川にかかる「タワーブリッジ」
有名な撮影ポイントである

テムズ川とビックベン(国会議事堂)

イギリス王室とロンドンタクシー

ホテルの窓から撮影.アパートの裏側である

これはホテルのエレベータ.イギリスでは「LIFT」となる.
扉が手前に引く型の手動式で,エレベータがやってくると手で手前に扉を開いて中に入る.建物の歴史が古いロンドンらしいエレベータである.

訪欧・ヨーロッパ2[パリ編]

パリ編

パリも街並みはきれい.建物のラインが整っている

スカイラインが一直線で気持ちいい

ベルサイユ宮殿
ただ,ただ,建物に圧巻していた.

宮殿内部.装飾品がすごい

ベルサイユ宮殿の建物から庭を眺める中央に道路があって,左右対称になっているところなど,本物である.

エッフェル塔.TVCMでおなじみのショット

ルーブル美術館
三角形のガラス屋根の建物は,この時に出来たばかりであった.

パリ地下鉄
「メトロ」の愛称で親しまれている.

オペラ座
日本で言う「歌舞伎座」であろうか.

リヨン駅
TGV(フランス新幹線)でスイスジュネーブに向かった.

リヨン駅構内
ヨーロッパの終着駅は線路の配置が櫛形になっていて,それを大きな屋根で覆っており,いかにも終着ターミナルといった感じになっている.
日本では上野駅の低いホームが一番雰囲気が似ているだろうか.昔のオレンジのTGVが小さく映っている.

訪欧・ヨーロッパ3[ジュネーブ・ローマ編]

ジュネーブ編

ジュネーブの空港.トロリーバスが走っていた.
横断歩道では自動車が止まってくれて,人に優しいドライバーが多い国だった.

レマン湖の畔
空気の綺麗な爽やかな風の吹くところだった

ローマ編

ローマ遺跡 コロッセオ.古代遺跡の円形闘技場
雨が降っていたので,傘を売り歩く物売りが沢山声をかけてきた.

ローマの路地裏.道路は石畳である.

スペイン広場.
世界各国の観光客で賑わっていた

トレビの泉
後ろ向きにコインを投げると・・・

バチカン市国.世界で最も小さい国.
といっても入国審査があるわけでもなく,ただ白い区画線が引いてあるだけである.カトリック教会の総本山.

バチカンの博物館
とにかく圧巻である.首が痛くなるので注意!

Underground[ロンドン地下鉄の話]

アンダーグラウンド(Underground)はロンドンの地下鉄、メトロ(Metro)はパリの地下鉄の呼称である。この両都市にとって、駅も本数も多い地下鉄は人々の流通を支える上で不可欠な存在であり、観光でこの都市を移動するにも、最も便利な乗り物である。
初めて外国旅行をしたときに,はじめて外国の地下鉄に乗ったときの体験記です。

(旅行年月:1993年3月)


ENGLAND: LONDON (Underground)

ピカデリーサーカス駅
チューブの愛称こと、アンダーグラウンド

トラファルガー・スクエア一(Trafalgar SQ.)やナショナル・ギャラリー(National Gallery)などロンドン市内を観光し、ホテルへ戻る時に地下鉄を利用した。ビカデリー線(Piccadilly Line)のピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)駅からグロスター・ロード(Gloucester Road)駅までの5駅である。

ピカデリー.サーカスはロンドン歓楽街の中心地であり、日本の渋谷ハチ公広場といったところである。サーカスの中央にはエロスの像が建っているのだが、現在は修理中で見ることができない。その像の周りには、若者が地べたに座りたむろしている。ピカデリー周辺は、世界各国からの観光客でにぎやかな場所であった。

地下鉄の入口には、赤船の丸に青の横棒の入ったマークが掲げてある。誰でも人目で地下鉄の入口を見つけることができる。階段を降りて地下に入った。

地上の明るい世界から地下に入ると、気分が圧迫される。お世辞にもきれいで明るいとは言えない。浮浪者の大きな奇声が聞こえてきた。と言っても人々は大勢歩いており、もちろん特別身に迫る危険はない。新宿駅西口の都庁へ向かう暗い地下の雑踏といったような所である。新宿西口の地下もあまり気分の良い場所ではない。

人波をかきわけ、自動券売機の前にたどり着いた。料金は距離制であり、横に貼ってある駅名表によって値段を見る。「Gloucester Road-90P」と書いてあったので、90ペンスである。ロンドンの通貨単位はイギリス・ボンド(£)で、1ボンドは100ペンス(P)である。当時£1=\185だったので、料金は日本円で170円程度ということになる。初乗りは80P(=150円)であった。

自動券売機にはおつりの出るものと出ないものの2種類ある。釣り銭の出る券売機を使った。金色の縁のある1ポンド硬貨を入れた。が、しばらくすると下の受け取り口に戻ってきてしまった。もうー度入れてみたが、結果は同じ。外国ではよく機械が壊れているから注意せよ、という忠告を聞いたことがあったので、隣の券売機で買うことにした。ところがやはり硬貨は戻ってきてしまった。隣の人の買うところを観察してみると、購入したい金額のボタンを先に押してからコインを入れていた。なるほど、先に料金ボタンを押すのである。90Pのボタンを押すと、前面のディスプレイに「90P」の表示が表われ、コインを入たら、あっけなく切符と10P硬貨が出てきた。

後ろには自動改札機が並んでいた。これから乗る地下鉄はピカデリー線のヒースロー空港(Heathrow Airport)方面である。改札の隣に制服を着た長身の駅員がいたので、とっさに大声で聞いた。

「Excuse me.え-つと、Heathrow Airport !」

これだけを喋った。晋段英語を全く使っていないので、突然だと文を組み立てている余裕がなく、何と聞いていいのか、言葉が浮かんでこない。今考えると、『Which subway …・・・』と聞けばよいと思えるのだが。普通の声では聞こえないほど、まわりは喧操としていた。そしたら、駅員の人は顔を僕の高さに持ってきて、改札内のエスカレーターを指差しながらゆっくりとした口調で、

「0.K.! Heathrow Airport・・…○○○(今思うと、何と言っていたのか思い出せない! そのときの意味ではまつすぐ行ってエスカレーターを降りて、といった感じだった)Tracknumber 4!!」

と、最後は4本の指をたてながら、笑顔で言葉が返ってきた。

「Thank you!」

こちらも笑顔で答えた。単純な僕は、これだけでイギリス人は噂どおり寛大で親切だな、と思った。(実際、旅行中のイギリス人はこちらから尋ねれば親切に応対してくれた。)

自動改札を通り、4番線へ向かうエスカレーターに乗った。ロンドンの地下鉄も日本と同じように色別で路線が表示されているので、案内は非常にわかりやすい。日本と同じようになるのは当たり前で、日本の地下鉄はロンドンを見本にしているのである。ビカデリー線は紫色であった。

イギリスでは、エスカレーターは急ぐ人の為に左側を空けておく、という有名な習慣がある。それを思い出し、右側に寄って下へと降りていった。確かに全員左側をきれいに空けていた。メンテナンスが悪いのか、キーキー金属のきしむ音があちこちで聞こえている。足元にはごみも多少散らばっていた。すると、フルートの高らかな音楽が聞こえてきた。エスカレーターの降り口に笛を吹く、髭を生やしたおじさんが立っていた。体をリスムにのせながら、エスカレーターに乗っている人々を見つめていた。地下なので音は隅々まで響き渡り、それがかえって不気味でもあった。地下鉄構内で芸をして稼いでいるのである。面倒見のいい日本では、即営団や警察によって排除されてしまうに違いない。これも寛大なロンドンらしさなのか。

4番線に着いた。地下鉄を待つ人々が大勢いた。列は作っておらず、ただ漠然と待っているといった感じである。発光ダイオードの電光掲示板には、今度の電車と次の電車の行き先が表示されており、どちらも「Heathrow Airport」と書かれていた。

銀色の地下鉄がやって来た。乗客がどっと降りどっと乗ったので、車内は再び混雑した。なんとか体がくっつかない程度であった。車内は小さく、天井はトンネル断面に合わせて丸くなっており、手を伸ばせば上に届く。前述の通り、トンネル断面は1900年当時のままの12フィート(約3.6m)であり、現在では手狭な感じである。

出入り口のドアも上にいくにしたがって大きく湾曲している。そのため、駅停車中にドア付近に立つと、天井がないのでもっと中に入りたくなるのだが、ドアが閉まると上も閉じてひと安心となる。ドアが閉まる時は、上部にも気を配らないと髪の毛が挟まれることになる。

つり革はなく、その代わり30cm程のばねの付いた鉄の握り棒が、日本の車内のつり革の位置に斜めに取り付けるれている。立ち客はそれを握っていた。

スピード’よ遅かった。都心部だからだろうが、東京の銀座線くらいだろう。駅の案内放送はない。ドアが閉まるときだけボソボソと放送が入る。見逃していると乗り過ごすことになる。あっという間に次の駅、グリーン・パーク(Green Park)に到着した。

ハイドパーク.コーナー(Hyde Park corner),サウス・ケンジントン(South kensington)を過ぎ、下車駅グロスター・ロード(Gloucester RD.)に到着した。

ホームには、列車に乗らず足を伸ばして座っている若者達がいた。このように、ただグループで集まって喋っている光景は欧米では普通であるという。下車した乗客達は、ガラスの入った銀色の大きなドアの前で立ち止まった。地上へはエレベーターに乗って出るようである。2-30人は乗れそうな大きなエレベーターであった。階段を捜してみたが、見当たらない。ないのだろうか。ラッシュ時はどうするのか、密室のエレベータ内で犯罪は起こらないのだろうか、などと心配してしまう。まあ、ロンドンはそれなりに治安が良いので、凶悪犯罪には出くわさないと思うけど……。

地上は明るかった。改札は1階に設けられており、自動改札を出たらそこは道路である。ロンドンの地下鉄は、設備が古いこともあって、奇麗で快適とはいいがたいが、慣れれば使い勝手の良い交通機関であると思う。

オックスフォード駅
地下鉄はもちろん、2階建てバス、国鉄も乗れる1日乗車券

Metro[パリ地下鉄の話]

FRANCE:PARIS (Metro)

パリはフランスの首都であり、芸術の都・フアッショナプルな都として、経済は低迷しているにもかかわらず、現在でも全世界から一目置かれている都市である。

パリ市だけの人口は200万人弱、面積は105km2である。世田谷区の約2倍、山手線の内側程の広さしかない。しかし、現在は郊外にまで都市化が広がっており、そのパリ大都市圏全体では、人口約800万人、面積1000km2となる。ここに住む人々が、いわゆる「パリジャン、パリジェンヌ」と呼ばれている人々である。

パリ市内は20区に分けられており、セーヌ川右岸の中心部を1区として右回りの渦巻き状に2・3・4区・・・・・・と付けられている。1860年の市街拡大(オスマンの大改造)時に、エスカルゴを参考にして付け直したと言われている。そんな小さいバリ市内を縦横無尽に走っているのが地下鉄「メトロ」である。

ショセダンダン駅
オペラ駅

やはりパリでも、ホテルに戻るときに地下鉄を利用した。オペラ座から一本北の道路にあるショセ・ダンタン(Chaussee d’ Antin)駅から、ホテル近くのボルト・ド・モントルイユ(Porte de Montreuil)駅までの9号線である。

メトロの入口には大抵、黄色い大きな「M」の文字がポールで掲げられている。マクドナルドの「m」のような感じである。階段を降りると薄暗い地下鉄の雰囲気となった。何処からともなく路上生活者の匂いが漂ってくる。

もともと「メトロ」という言葉には「地下」という意味はなかった。首都という意味だけであった。ところが、ロンドンの地下鉄がメトロポリタン鉄道という名で地下鉄を開通させたため、他のヨーロッパ諸国も地下鉄開通時にはこれを真似て、略してメトロと名付けるようになった。これがそのまま「地下」として定着してしまったとのことである。

パリの地下鉄には自動券売機がないところが多く、切符はギ・ソシェ(Guichet)と呼ばれる窓口で買うようになる。パリ市内は均一料金で6フラン(FFr)であった。1FFr=\20なので日本円では120円ということになる。ちなみにフランスの補助貨幣はサンチーム(C)であり、1FFr=100Cである。

普通の切符の他にも力ルネ(Camet)と呼ばれる10枚綴りの回数券がある。値段が約半額になるので、何度もメトロに乗る場合はカルネの方が経済的である。

窓口の横には手書きと思われる料金表が、はがき程の大きさの紙に書かれて貼ってあり、一番上の6FFrと書いてあるところを指差して、「This one.This one.シルヴブレ! 」
と言って切符を買った。シルヴプレ(s’il vous plait)とは英語のプリース(please)と同じで、『お願いします、ください』という意味である。

窓口のおねえさんは愛想がなく、隣の従業員と喋りながらガムを噛みながらの対応である。声さえ出さない。フランスではどこの窓口でもこのような態度であった。日本の習慣に慣れていると、『なんという態度だ! サービスが悪い! 』ということになるのだが、フランスではこれが普通なのである。逆に、極端に気を使うことの方が珍しいのかも知れない。他人は他人、自分は自分という、徹底した個人主義のフランスをかいま見たような気がした。

自動改札を通り、階段をおりた。自動改札では駅員の目を盗み、切符も買わずに飛び越えていく若者がいた。

メトロでは各路線に名前が付いておらず、番号と色で路線が区別されている。そして、案内表示板にはその電車の終点駅名だけが表示されている。だから、号線名と終点駅名さえ覚えれば目的の地下鉄に容易に乗ることができる。

9号線、メリー・ド・モントルイユ(Mairie de Montreuil)行きの電車がやってきた。車体には黒のスプレーで落書きがしてある。乗客がかなり降りて車内はすいた。椅子は向かい合って座るクロスシートとなっており、出入り口の横には折りたたみ式の補肋椅子がついていた。

すし詰めのラッシュのある東京ではこのような座席の配置は考えられないように思う。ロンドンのチューブとは違い、天井は高かった。つい最近までメトロには、昔の名残で1等車・2等車が存在していたが、それぞれの車内設備は全く同じであった。現在は廃止され、等級は無くなっている。

ドアからトンネルの内部をのぞくと、ところどころ、トンネル壁面にまで落書きが書かれている。夜中に侵入して落書きをするのだろう。しかし、メトロでは電流の流れる架線が線路脇にあるので、感電したりしないのだろうかと思う。もっとも夜は流れていないのかもしれないが。また、どこから地下に侵入するのかも疑問である。落書きに関して(特に車両)、パリ市は莫大な費用をかけて追放運動をしている。

車内放送や駅案内放送などは一切ない。目的のポルト・ド・モントルイユ駅までは14駅あり、見過ごしていると乗り越してしまう。駅に着くたびに駅名を確認した。

経済の低迷や高い失業率が続く現在のフランス・バリのメトロは、ロンドンのチューブよりも治安は良くない。場所によってはすりやかっぱらいが多く、特に旅行者が狙われると聞く。それでも、昼間に乗るには安全だし、単独でなければまず身の危険を感じる犯罪には出くわさない。市交通局の方でも観光都市であることから、多数の係員を導入して警戒に当たり、長い通路の角には鏡を設置して待ち伏せを防止するなど、犯罪防止に力を入れている。その甲斐あって、年々犯罪件数-特にすりやかっぱらいは減ってきている。

メトロでは扉は自動では開かない。このような表現には語弊があるかも知れない。自動で開くのであるが、扉にホックが掛かっており、最初に降りる(乗る)人がそのホックのレバーを回すとドアが自動で開くしくみになっている。また、最近の電車ではボタン式のものもあり、その場合青いボタンを押せば開く。閉まるときは全自動で閉まる。

ポルト・ド・モントルイユ駅に着いた。ホームはアーチ型の断面であり、壁には所々欠け落ちている白いタイルが並んでいた。

出口は自動改札ではなく、回転式の鉄格子を通り抜けて外に出る。反対には回らないし、外から中には入れないようになっている。また、反対側からは開かないガラス扉になっている出口もある。切符は手元に残り、記念に持ち帰った。

パリの地下鉄も奇麗とは言い難いが、駅によっては改装工事がなされているという。パリジャンにとってメトロは、必要不可欠な乗り物である。

落書きのされた電車
メトロの切符