「雑誌に掲載されたコラム」カテゴリーアーカイブ

旅に関する私のコラムがかつて雑誌に掲載されたことがあります.その記事を紹介いたします.

「きらら289」オープン[雑誌に掲載されたコラム]

雑誌名:「旅」
1998年7月号(第72巻第7号)
P.214
発行:JTB・日本交通公社
コーナー:トラベルペンスタッフ「「きらら289」オープン」


「きらら289」オープン

福島県の奥会津に位置する南郷村に交流促進センター・物産館「山口温泉きらら289(ニーパーキュー)」がオープンした.「ニーパーキュー」とは目の前を走る会津田島と南会津郡西部地区(只見町・南郷村・伊南村・舘岩村・檜枝岐村をさす)とを結ぶ国道のことで,地元ではこのように呼ばれ親しまれている.
温泉は,和風の「山桜の湯」と洋風の「リンドウの湯」があり,どちらにも露天風呂とサウナがある.露天風呂からは目の前に迫る山を望むことができる上に,夜には山がライトアップされ,四季折々の樹木の表情を眺めながら入浴できる.泉質はナトリウム塩化物温泉.神経痛や筋肉痛・消化器病・皮膚病などに効能がある.
館内には物産コーナー・大広間・マルチメディアふるさと情報案内などが備えられている.
南郷村は人口約3000人,時の刻みがゆっくりとした自然豊かなところだ.中心を,釣りのできる伊南川が流れ,宮床湿原やヒメサユリ群生地もある.足を伸ばせば尾瀬への玄関口,御池・沼山峠に行くこともできる.冬にはスキー場オープンが待ち遠しい.春夏秋冬それぞれ楽しめるこの地区に,立ち寄ってみませんか.

対馬・ハングル語案内板[雑誌に掲載されたコラム]

雑誌名:「旅」
1996年3月号(第70巻第3号)
P.225
発行:JTB・日本交通公社
コーナー:旅のエチュード「対馬・ハングル語案内板」


対馬・ハングル語案内板

北九州での所用を済ませた後,せっかく九州まで来たのだからと思い,対馬・壱岐まで足を伸ばした.ちょうど週末で土・日曜が使える日程だったためできたことだ.九州地方には寒波が来ていて非常に肌寒い.前日もみぞれ混じりの雨が頬を突き刺すように降っていた.
対馬までの飛行機に乗るため福岡空港へと向かった.小倉からJRの快速列車に乗り,博多で地下鉄に乗り換える.駅のコンコースを地下鉄乗り場へと頭上にある案内表示板の指示に従って進む.案内表示板は日本語と英語のほかに,中国語やハングル語で書かれている.地下鉄に乗るとすべてのドアに「ドアにご注意ください」「MIND THE DOOR」「(中国語)」「(ハングル語)」と四カ国語で書かれたステッカーが貼られていた.福岡空港の国内線のゴミ箱にも,「もえるゴミ・もえないゴミ」という日本語の隣に,○や|の入り混じったハングル文字や中国語らしい見慣れない感じが記されているのに気づいた.
飛行機で対馬までの所要時間は約一時間.当日は天気が良く眼下の景色が一望できた.飛行機が高度を上げると空港が徐々に小さくなっていき,福岡の街並みが見渡せるようになる.博多湾に目を移すと「海の中道」が,線のように細く長く海中に美しい弧を描いて延びていた.
対馬も寒かった.まずは浅芽湾の美しい景観が見られる万関展望台へ行こうと思った.展望台行きのバスの時刻を調べたが,ちょうどいい時間のバスがなかったためタクシーを利用,対馬空港のロータリーには「歓迎 WELCOME (ハングル語で「歓迎」)」と書かれた観光案内板が立っている.ここにもハングル文字.不思議に思い,タクシーの運転手さんに聞いてみた.
「韓国からの観光客は多いんですか」
「それほど多くないですね.年に1度の対馬の祭りの時にはよくみかけますけど」
「あちこちでハングル語を見かけたので,もしかしたら,と思ったのです」
「あの表示板は,すぐ近くのお隣の国へ親しみを込めて設置したのでしょう」
なるほど,思わず納得した.
対馬は古来,日本列島と朝鮮半島とを結ぶ海路の要衝として栄えていたところである.対馬から博多までは147km.一方,朝鮮半島までは約53km.対馬では日本本島よりも韓国はかなり身近な国に映るのだろう.
「国際化,国際化」と叫ばれている昨今,国際交流の意識が高まっているということを改めて実感.国境に近いところほどその意識は強いのではないかと思った.
対馬では,観光案内の文章,道路案内の標識,町村名の看板にもハングル語の標記がついていた.近い将来,北海道ではロシア語,沖縄地方では中国語,などといった標記があちこちで見られる日が到来するのだろうか.

温かくて素朴な「幕の内弁当」[雑誌に掲載されたコラム]

雑誌名:「旅」
1995年11月号(第69巻第11号)
P.122
発行:JTB・日本交通公社
コーナー:思い出の駅弁「温かくて素朴な「幕の内弁当」」


温かくて素朴な「幕の内弁当」 =東武鉄道・下今市駅=

8年度歩前の中学三年の夏休み,両親の生家がある福島県の会津若松へ行った.その帰り,開通して間もない野岩線に乗ることにした.
会津若松から会津鉄道に乗って会津高原まで行く.そこから野岩鉄道の浅草行き快速電車に乗り換えて,東京へと向かった.快速電車は4人掛けのボックスシートで,前の座席には50歳位の白髪混じりの男性が座った.
会津高原を出発すると,電車は緑の山々に囲まれた県境を軽快に走った.そして,僕は前に座っていた男性と会話をするようになった.やはり東京出身だそうで,その日は会津高原まで日帰り旅行中とのことであった.流れる車窓を眺めながら様々な話を交わした.
電車は東武線に入り,鬼怒川温泉のホテル群をかすめて徐々に山を降りる.下今市駅に到着すると,東武日光からやってくる電車と連結作業を行うため,電車はしばらく停車した.車窓からホームを見ると,肩からベルトをかけて弁当を持った販売員が,「べんとーう,べんとーう」と大声を上げ,車内を見ながらゆっくり歩いていた.
「弁当を買ってくるから,ここで待ってて」
向かいに座っていた男性は,こういってホームに降りていった.
しばらくすると,弁当とお茶を2個ずつ買って戻ってきた.
「お腹がすいただろう.食べなよ」
こう言って,弁当とお茶を渡してくれた.弁当を開けてみた.すると,まだJRが国鉄だったころ,会津若松に行く途中でよく買った,懐かしい「幕の内弁当」であった.ご飯とおかずが箱の真ん中で区切られており,白米の中心には梅干しがひとつのっている.おかずは煮物とフライと漬物が入っている素朴な弁当であった.
正直言って,この弁当の味はあまり期待していはいなかった.昔買った幕の内弁当がおいしかったという記憶もない.ところが,ひと口食べてみてびっくり.弁当は温かく,ご飯は炊きたて.おかずの味付けも良かった.素朴な中にも真心が感じられた.こんなにおいしい弁当を食べたのは生まれて初めてだった.あっという間に全部平らげてしまった.
その後も,ときどき野岩線に乗って帰郷するが,下今市駅に到着すると,「べんとーう,べんとーう」という声が今でも聞こえてくる.この声を聞くたびに,おいしかった幕の内弁当のことを思い出す.そしてまたいつか食べてみようと,いつも思う.

都バスで東京見物[雑誌に掲載されたコラム]

雑誌名:「旅」
1992年6月号(第66巻第6号)
P.136
発行:JTB・日本交通公社
コーナー:私のおすすめバス路線「都バスで東京見物」


都バスで東京見物 [浅草~上野~新宿~品川]

首都東京の中心部を中心部を縦横無尽に走る都営バス.最近はバス現在地や現所要時間を知らせるバスロケーションシステムの導入によって,利用者の増加を目指しています.そんな路線バスに乗って素顔の東京を見物してみてはいかがでしょうか.
まずは,浅草から真っ赤な2階建てバスに乗って上野公園へ.予約無しで誰でも気軽に乗れます.上野の周辺をちょっと散策し,「上60 大塚駅」行で大塚へ.東京大学横を通り過ぎ,巨大な怪物のような東京ドームを背にして,文京区小石川界隈を走ります.
大塚からはちょっとルール違反をして,都電に乗って早稲田に向かいます.下町情緒の残る電車からは,サンシャイン60が間近に見え,雑司ヶ谷,学習院下をトコトコと走っていきます.
早稲田大学の北に位置する終点で下車し,そこから今度は「早77 新宿駅西口」行で新宿に移動.明治通りを南下し,都内有数の歓楽街「歌舞伎町」を突っ切ると目の前に,超高層ビル街と新都庁が見えて新宿に到着.
ここからは,バスロケーションシステムの完備された新都市バス「都03 晴海埠頭」行で,ベイエリアへと向かいます.新宿通りを東に走り,半蔵門にて右に曲がると,左に皇居のお堀,右には国立劇場,最高裁判所が現れます.さらに三宅坂,警視庁前,日比谷,そして,銀座の中心,銀座四丁目交差点を横切ります.勝鬨橋を渡ると,客船ターミナルのある晴海埠頭に到着.現在建設中の東京ベイブリッジも見えます.
数本のバスを乗り継いで,門前仲町に移動し,「海01 品川駅東口(海上公園で乗り換えの便もある)」行に乗車.東雲を過ぎると,埋め立て地である有明テニスの森公園,お台場海浜公園近くを通り,船の科学館に到着します.ここからバスは東京湾岸道路の料金所を通り,海底トンネル(東京港トンネル)を抜け,大井埠頭に入るとまもなく終点品川です.
最後に「浜95 東京タワー」行に乗って,東京の夜景を空から眺めて締めくくり.
1日乗車券は大人650円で,都バスはもちろん,都電,都営地下鉄に乗り放題です.また,営業所にて分かりやすい路線案内図がもらえます.