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西新井ラーメン(西新井駅構内立ち食いラーメン)【東京考察#296】

The Nishi-arai Ramen noodle ( The eating at a stand in the station premises)


西新井ラーメンの看板

 


 西新井駅のホームに降りると,「ぷ~ん」とスープの香りが漂ってくる.西新井ラーメンは,東武鉄道伊勢崎線の西新井駅構内ホームにある立ち食いラーメンで,1969(昭和44)年に東武鉄道の東武ラーメンとしてオープンしており,下りの3・4番ホームの階段下にある.昔,小学生の時に西新井に住んでいたことがあって,25年ぶりくらいにこのラーメンを食べてみたが,その当時と味は変わらなかった.味は,今流行の凝ったラーメンではなく,昔ながらの東京の醤油ラーメンであるが,駅のホームでキーキー音をたてて停車する東武電車の音を聞きながらすするこのラーメンは,とてもうまい!のである.ラーメンの値段が1杯400円(2018年9月現在は450円.2019年2月現在は500円)というのも嬉しい.

場所は,西新井駅の下りホームの階段下にある.
  
3・4番線の階段下にある.
店の目の前にあったベンチはなくなってしまったが,
カウンターでの立ち食いは8人程度まで可能である.
(ちょっと離れれば,待合いベンチがある)

食券を買ってカウンターで渡す
ラーメン400円 チャーシューメン600円 ミソラーメン600円,カレーラーメン400円 ワンタンメン450円 ワンタン400円,コーンラーメン450円 カレーライス400円 ミニカレーライス300円,キムチラーメン500円 ねぎラーメン450円 モヤシラーメン450円,メンマラーメン 450円 かけラーメン330円 ライス200円 玉子50円,(夏期のみ:冷やし中華600円 ざる中華400円 氷イチゴ・メロン150円),大盛りは現金払いで+50円
(2010年3月現在の料金)
ちょっと気になるのが,夏期メニューの「氷イチゴ・メロン」.

2010年2月17日より全品50円値下げが断行され,前の値段に戻った.(しかし,2018年9月現在,+50円アップされており,2019年2月現在,さらに+50円アップされて,ラーメン500円となっている)
 (2018年9月現在の料金)
すべて50円値上がりした.
ラーメン450円,チャーシューメン650円,ワンタンメン500円,カレーライス450円,ワンタン450円,みそラーメン650円,コーンラーメン500円,メンマラーメン500円,もやしラーメン500円,ねぎラーメン500円,キムチラーメン550円,カレーラーメン450円,冷やし中華650円,ざる中華450円,ミニカレーライス350円,氷イチゴメロン200円(2019年2月現在,さらに+50円アップされてラーメン500円となっている)

カウンター上部に並ぶメニュー写真

麺のみの「かけラーメン」は330円也.
かけラーメンは,立ち食いそばの「かけそば」と同じ発想.
(2018年9月現在,このメニューはありません)

これが「西新井ラーメン」.チャーシューもほど良い大きさ.
生麺からゆであげ,スープやチャーシューは手作りの本格的なラーメンである.
このラーメンをデジカメで撮影しようとしたところ,
お店のお姉さんが,どんぶりを動かしてくれて,
「チャーシューを手前にすると綺麗にとれるわよ.チャーシューがかわいそうだから」
といって,チャーシューが手前にくるようにしてくれた.
ラーメンに対する愛情が,長年の変わらぬ営業の秘訣であると感じた.

素朴な味わいの東京ラーメンといえる西新井ラーメン.
40年以上続く,懐かし味が楽しめる.
年中無休(正月のぞく).営業時間7:30から20:30頃まで.


[一口コラム] 懐かしの東武電車

○昔の東武電車は,停車したときにゴムのようなものが焼ける独特の匂いがホームに充満していましたが,新しいステンレスの車両になってから,匂いはなくなりました.
○さらに,クリーム色の時代には床が木でできた電車も走っていて, なんとも時代に翻弄されない奥深い東武沿線を,醸し出していました.
○昔の西新井駅では,電車が到着すると,独特の低音で案内放送をする駅員さんがいて, 「にしあらい~,にしあらい~,にしあらいです.大師線乗り換え~,にしあらいです. 西新井の次は,草加にとまります.途中の竹の塚,谷塚には止まりません.4番線,準急,幸手行きです」 と独特のリズムで案内が流れていました.
○時代は流れ,半蔵門線・東急田園都市線との直通運転が開始されてから,準急は急行へと名前を変え,駅の案内放送も,自動放送に変わっていきましたが,この西新井ラーメンの味だけは,脈々と受け継がれています.
○西新井駅は,複々線となって外側の線路を走っている急行・区間急行・準急・区間準急と 内側の線路を走っている各駅停車とが同じホームで乗り換えることができるため,この乗り換え時に西新井ラーメンを食べる人もいます.
○これからも,末永く東京ラーメンの素朴な味を残して欲しいお店でした.

日暮里・舎人ライナー【東京考察#262】

Nippori Toneri Liner


無人運転の舎人ライナー


 日暮里舎人ライナーは,荒川区の日暮里駅と足立区の見沼代親水公園駅とを結ぶ全長9.7km・駅数13駅の新交通システムである.2008(平成20)年3月30日に開業し,東京都交通局により運行されている.足立区西部地区は,JR日暮里駅や王子駅,東武伊勢崎線西新井駅・竹の塚駅などとを結ぶバスのみが公共交通となっており,非常に不便な地域であった.そこで1985(昭和60)年の運輸政策審議会答申「東京都における都市高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」で位置付けられたのが,この路線建設のスタートとなっている.当初は地下鉄南北線(7号線)の一部として計画されていたが,その後変更された.
日暮里・舎人ライナーは,西日暮里駅から尾久橋通り上を,高架橋で真っ直ぐ北に向かって走っていく.雰囲気はお台場に走っている「ゆりかもめ」とほぼ同じである.高架橋が高いので,あまり高い建物のない荒川区・足立区の眺望がよい.荒川を渡るときには,首都高速中央環状線のさらに上を越えて交差するため,かなりの高さを舎人ライナーが走ることになり,眺めがかなりよい.無人運転なので,最前列のシートに座れば,運転士気分が味わえて面白い.

江北駅
尾久橋通りの上を走る

改札口
お台場とを結ぶ「ゆりかもめ」と基本的な構造が似ている

ホームの雰囲気も「ゆりかもめ」と一緒

シートは固定式のクロスシートで,方向が互い違いになっている.

高架橋を走っていくので,眺めはよい.
足立区を縦断して,街並みを眺望することができる.
 
日暮里舎人ライナーは無人運転なので,
最前列の座席に座ることもできる.運転士気分の味わえる特等席.

母なる川!?「荒川」
北区で育った私にとって,
人工的な曲線美を持つ荒川土手を見ると何かホッとする.

日暮里駅付近では,ビルの合間を走る.

終点・見沼代公園駅の先は,
高架橋の線路がポッツリと途切れている.
すぐ先は埼玉県草加市となる.

堀切・牛田・千住界隈(金八先生のロケ地)【東京考察#165】

The Horikiri, Ushida and Senju neighborhood
(The home town of the Kinpachi teacher)


オープニングで流れる荒川土手
冬なので茶色である


 東武伊勢崎線,JR常磐線,京成本線それと荒川放水路に囲まれた地区は,3年B組金八先生のロケ地となっている,下町情緒の色濃く残る地域である.金八先生のドラマの設定通り,バイクに乗った暴走族や校内暴力(ちょっと古いか!?),お高くとまっていないざっくばらんな市民が登場するのにはぴったりといったところであろうか.でも,街並みを歩いていると,昔懐かしいラーメン屋や自転車を押しているおばあちゃん,幅員の狭い近隣商店街などが存在して,心がほっとするのは不思議である.路地のカドから,「よぉ,元気か~.久しぶりだな~」などと金八先生がすぐに現れてきそうな,そんな雰囲気の街並みであった.(金八先生のドラマは大好きで第1シリーズよりずっと見ておりました・・・)
荒川土手から眺める界隈
3Bはこの地域で育っている
中華そば・甘味処「日の出屋」 店構えが下町らしくていい
当地域で唯一,金八先生のポスターが貼ってあった
実は,撮影スタッフのお休み処で中にはサインが多く貼ってある
 
桜中学・・・ではなく,足立区立足立第二中学校
堀切駅のすぐ裏手にある
金八先生に関するものは一切掲示していない
なんと,平成17年3月で統廃合のため廃止になるとか.
現在,金八記念館推進運動が起こっており,
足立区長に対して署名活動などを行っている.
背後の建物が足立二中. まもなく統廃合で移転となる
東武伊勢崎線堀切駅
駅の雰囲気も下町である
入試の出発時のシーンでよく使われる
このガード下,見覚えありませんか?
周辺は,細い路地と密集した住宅街となっている
 
いかにも下町らしい近隣商店街 柳原商店街(千草通り)
たい焼きを買いました
ドラマでもよく出てくる「学園通り(旭町商店街)」
北千住駅東口から延びる商店街
卒業生のスーパーもここにある
商店街には金八先生に関するポスター等は一切なかった
地元としてはロケ地として積極的にPRしていないようである
 
偶然にも第7シリーズのロケをやっていた
救急車もロケ用(倒れたお婆ちゃんを生徒が助けているシーンだった)
柳原千草園という公園があった
ロケ地を散策するときは,近隣の住民等へ迷惑のかからないようにしましょう.

 

西新井大師【東京考察#123】

Nishi-arai-daishi


西新井大師(総持寺)の本殿

 


 

 西新井大師は,正式には五智山遍照院総持寺といい,真言宗豊山派の寺院である.
天長の昔に弘法大師が関東巡錫の折りにこの地に立ち寄り,悪疫流行に悩む村人たちを救おうと十一面観音様を造って21日間の祈祷を行った.すると枯れた井戸から清らかな水が湧いてきて病はたちどころに平癒したと伝えられている.その井戸がお堂の西側にあったので「西新井」の地名ができたという.
露天が建ち並ぶ賑やかな縁日は,毎月21日に行われている.



参道


日本文化が香るところには必ずある「センベイ屋」
醤油の香ばしいにおいが漂っている


だるま屋もよく見かける光景.


うなぎ屋も日本文化


だんご屋も定番



正月初詣の準備はOK


塩地蔵
お地蔵さんが塩で覆われている
まるで雪のようだ


延命水洗地蔵尊


線香をあげて煙をかぶる


お地蔵さん


お稲荷さん


庭園

王49 千住車庫⇔王子駅[都バスで東京発見]

足立区西部の環七通り沿線をカバーする路線

王49 千住車庫⇔王子駅(経由)環七 千住営業所

路線keyword:環七通り,西新井大師,鹿浜の中古車販売店,梅田町


営団地下鉄南北線の開業によって、駒込駅・王子駅間が廃止され、現在の運行に短縮された。足立区西部の環七通り沿線をカバーしているが、道路渋滞が激しく、定時運行がままならない路線でもある。
王子駅から島根三丁目までは、王30系統と同じルートを走る。
島根三丁目にて右折し、二車線道路をしばらく走ると、東武伊勢崎線梅島駅前となる。東武線のガードをくぐり、駅前の商店街を抜ける。左手に女性総合センター・Lソフィアが現れて、しばらく行くと終点千住車庫に到着する。

里48 足立流通センター終点-日暮里駅[都バスで東京発見]

日暮里駅と足立流通センターまでを尾久橋通りで南北に結ぶ路線

里48 足立流通センター終点⇔日暮里駅(経由)江北六団地・扇大橋南詰 巣鴨・千住営業所

路線keyword:尾久橋通り,足立流通センター,足立トラックターミナル,北足立市場


日暮里駅から足立区舎人の足立流通センターまでを走っている。地図をみると分かるが、南北に走る尾久橋通りをただひたすらに走っていくのみであり、車窓の変化は乏しい。電車へのアクセスが不便な江北・谷在家地区を走っていることから、乗客は多い。現在、この路線の走る尾久橋通りには新交通システムの計画があり、工事が鋭意進められている。新交通システムが完成すれば、団地の多い江北地区のアクセス向上が図られ、この路線はもとより、王40系統の混雑緩和も図られるに違いない。
噴水のある日暮里駅前ロータリーからバスは発車する。長距離の乗客が多いため、座っていこうとする人が多く、次のバスに乗るために2列になって並んでいる。JR常磐線の高架をくぐり、京成線高架下で西日暮里駅前停留所となって、尾久橋通りとなる。あとは、ただひたすら北上するのみである。車窓も単調になる。
尾久橋で隅田川を渡り、扇大橋で荒川放水路を渡る。左手には、江北橋のアーチ橋が見える。広々とした荒川土手の中に存在するアクセントとして、景観を形成している。
扇・江北になると徐々に乗客が下車していく。道路の中央には新交通システム・日暮里舎人線の橋脚ができあがっている。谷在家・舎人になると車内は空いてくる。広い原っぱが見えると、舎人公園となる。
尾久橋通りから左に曲がり、しばらく走ると、突然巨大な「東京団地倉庫」が出現する。足立流通センターは、東京都の都市計画に位置づけられている流通団地であり、このような流通団地は足立の他に、葛西、板橋、京浜2区がある。敷地内には、足立流通センターの他に、足立トラックターミナル、北足立市場があり、東京の物流を支える拠点のひとつとなっている。近くには東北自動車道と結ぶ首都高速川口線が走っており、高速からのアクセスもよいところに流通センターはつくられている。
東京湾岸地域のような、殺伐とした風景の流通センター内を走り、北足立市場の前で終点となる。

北47 北千住駅⇔足立清掃工場[都バスで東京発見]

日光街道を走って東京23区内都バスの最北端・西保木間を目指す路線

北47 北千住駅⇔足立清掃工場(経由)千住車庫・竹の塚駅 千住営業所

路線keyword:日光街道(国道4号),足立清掃工場,足立区役所,足立区縦断,埼玉県境


都バスの中では全区間足立区内を走る唯一の路線であり、東京都特別区(23区)内の都営バスで最北端を目指す路線である。埼玉県との県境手前である西保木間にある足立清掃工場と北千住駅を結び、日光街道で足立区内を南北に縦断している。かつて、足立区役所本庁舎は北千住に存在していたが、平成8(1996)年に足立区の中央部である日光街道沿いの中央本町に移転した。それため、最近は足立区役所へ向かう人が多く利用するようになった。
北千住駅前の袋路ロータリーからバスは発車する。「キタロード1010(せんじゅう)」の商店街を走り、千住二丁目にて日光街道(国道4号)に右折する。あとはひたすら北を目指すのみである。
千住新橋で荒川を渡り、千住車庫のある梅田となる。東武伊勢崎線のガードをくぐり、右手に高層ビルが見えてくると足立区役所前となって多くの乗客が下車する。反対側の北千住駅行のバスは、7時30分から18時まで区役所構内にある庁舎前のバス停留所に立ち寄る形をとっている。
左手にホテルエンペラーのラブホテルを見て、環七通りと交差する。保木間交差点にて、竹の塚駅に立ち寄るため左折する。足立清掃工場行のバスは竹の塚駅に一旦寄って再び日光街道に戻るルートとなっている。
公団の開発した団地と公園の広がる沿線をバスは走り、バス停名にもなっている旧日光街道を横切って、竹の塚駅前のロータリーに入る。ロータリーでは下車のみが行われ、都バスの乗車バス停のみロータリーを出た所に置かれている。竹の塚駅は東武バスの縄張りであることがよく実感できる。その駅前のロータリーは、高層住宅でぐるりと駅前広場を取り囲むグルーピングを行っており、独特な雰囲気の空間を造っている。
竹の塚は「団地」と呼ばれる開発が昭和30年代の早い時期から行われた所であり、また、駅前放置自転車台数がワーストワンという記録を持つ所でもある。
再び保木間交差点から日光街道に戻り、さらに北を目指す。竹の塚駅・足立清掃工場間のバス便はガクッと減少してしまう。そして、左手に赤い帯を付けた真っ白で巨大なエントツが1本見えてきた。清掃工場の煙突である。バスは陸橋に上らず左の側道に入って、2車線の細い道路に左折する。しばらく走ると、右手に工場の建物が見えて、敷地内の操車場に入り、正面に巨大なエントツと巨大な建物が現れて終点となる。隣には老人センターが存在している。

上46 南千住汐入⇔上野松坂屋[都バスで東京発見]

上野から浅草をじっくり堪能して汐入まで結ぶ下町路線

上46 南千住汐入⇔上野松坂屋(経由)南千住駅入口・浅草寿町 南千住営業所

路線keyword:汐入の都営住宅,山谷界隈,浅草,浅草公園六区,狭路


かつては「迷路のまち」といわれるほと毛細血管のように細く曲がった道に木造住宅が密集する地域だったところが汐入(しおいり)である。しかし、近年の再開発によって高層住宅が建ち並ぶ団地に大変身した。そこへのアクセス路線である。
上野松坂屋前を出発すると、上野広小路のアブアブ、しのばずの池などの繁華街を走り抜け、JR線のガードをくぐって上野駅正面玄関を左に見て、浅草へ向け走って浅草通りをいく。仏壇仏具の問屋街が現れて下谷、合羽橋道具街が左手にちょこっと見えて菊屋橋、そして浅草寿町となる。
国際通りへ左折し、雷門前の商店街、昭和初期の大繁華街・浅草公園六区、花やしき遊園地を見て、言問通りへ右折する。するとすぐに2車線の狭い道路に左折し、商店街の中を走っていく。浅草のずいのずいまで堪能できる。江戸時代からの遊郭があった吉原の入口だったところが「吉原大門」で、これはバス停名にその名が残っている。路線バスの楽しみは、このように地域の歴史的な背景が停留所名に残っているところにある。大通りに出て、左手に黄色いシェル石油のスタンド前に1本だけ立っている「見返りの柳」の木を見ると、バスは右に曲がって山谷界隈に入っていく。見返りの柳とは吉原で遊んだ男どもが、帰るときにもう一度後ろを振り返って、余韻を名残惜しんでいくところから付けられた名称であるという。
山谷は、日本最大の日雇い労働者の街で、1泊2000円台の簡易宿泊所が軒を連ねている。道路横断者が後を絶えない。歩道にしゃがみ込み酒を飲んでいる者、日陰で寝っ転がっている者、日本の高度経済成長の国土建設を真に支えてきた人々である。泪橋(なみだばし)で明治通りと交差し、南千住駅となる。
JR線のガードをくぐらず右折すると、雰囲気ががらっと変わる。ガス会社のタンクが現れ、貨物のヤードが見えてJR貨物の隅田川駅となる。都立航空高専前を過ぎると、目の前に都営住宅の高層住宅群が忽然と現れ、バスはその中をしばらく走り、終点南千住汐入の操車場に到着する。かつては、ただただ空き地の広がる原っぱと、迷路のような昔ながらの下町の街並みが広がっていたところであり、あたりの様相は様変わりした。

王45 王子駅⇔北千住駅[都バスで東京発見]

荒川放水路と隅田川に挟まれた狭長な地域を走る路線

王45 王子駅⇔北千住駅(経由)王子五丁目・新田土手通り・千住桜木 北営業所

路線keyword:荒川放水路と隅田川,工場地帯,裏小段


つい最近(1996年執筆)までは王子駅・足立区役所間の運行であったが、平成8年に足立区役所が中央本町(最寄駅:東武伊勢崎線梅島駅)に移転したため、北千住駅に乗り入れるルートに変更された。
私の推測するところ、恐らくこの路線は荒川と隅田川に囲まれた地域に住む足立区民の区役所本庁舎への利便性を考えて設けられた路線であると思われる。本数が少ないし、通勤通学者は本数の多いJR王子駅や田端駅、日暮里駅へのバスを利用しているだろう。地図を眺めていても、両河川に囲まれているために土地がほとんど存在せず、またお互いの地域を結ぶ意味合いも感じられず、それほど需要が見込める路線だとは思えない。バスはいつ乗ってもたいてい座れるが、この地域間に用のある人にとっては、大変便利な路線である。
王子駅から途中の新田3丁目までは、王41系統と同じルートを走り、王41系統の補完的な役割を果たす。新田3丁目からこの路線は右折し、トーアスチールの工場前を通る。荒川土手が左手に現れ、土手に沿ってバスは走る。しらばくするとこのバスは、堤防の中程にある「裏小段」と呼ばれる水平な段のところの道路を走るようになり、千住桜木までその裏小段の部分を走っていく。
豊島橋バス停あたりになると、右手に公団豊島5丁目団地を背景にして隅田川が現れる。左に荒川、右に隅田川、この豊島橋バス停を利用する人は果たしているのだろうかと疑問に思う。
また、この豊島橋停留所付近は北区と足立区の区境が、この地域だけ隅田川ではなくせり出して荒川で線が引かれており、ちょっとした話題になったことがある。これは、荒川放水路完成以前の隅田川(当時の荒川本流)の川筋の名残で、水路は整備されたが、区境はそのまま残されたということである。川筋の形から「天狗の鼻」と呼ばれていた。
現在の荒川の岩淵水門より下流部は、開削によって19年の歳月をかけて昭和5年に完成した放水路であり、川筋や土手が整然としているのは人工河川だからである。それまでは現在の隅田川が荒川本流であり、下流では度々洪水を繰り返し、高潮による被害も続出していた。そこで、荒川放水路の建設が行われ、岩淵水門で荒川を荒川放水路と隅田川(旧荒川)とに分水させたのである。数年前までは隅田川という名前は正式な名称ではなかったが(国の登録上の話.庶民には放水路開削以前から隅田川と呼ばれて親しまれており、一般的には鐘淵中学校あたりの屈曲部より下流のことを隅田川と呼んでいた.)、現在は正式名称「隅田川」として建設省に登録されている。
荒川に架かる江北橋、扇大橋を横切る時だけ、川面を見ることができる。都市の川沿いの風景らしく、沿線には中小の工場や倉庫群が多く目に付く。土手の芝生の緑が心を和ませる。
西新井橋の手前でバスは右に折れ千住桜木となる。ここにはかつて、東京電力火力発電所の「お化け煙突」が立っていた。常磐線の車窓からこの煙突を眺めると、見る方向によって4本の煙突が姿を変える煙突だった。右側がその跡地である。
日光街道を横切ると北千住駅前の商店街に入り、正面にJRの駅ビルが見えると、終点北千住駅となる。道路は駅前で行き止まりとなっており、都内の大きな駅としては珍しい袋小路型の構造をした駅前である。

端44 北千住駅⇔駒込病院[都バスで東京発見]

荒川区町屋・東尾久界隈を走って北千住駅と田端駅・駒込病院を結ぶ路線

端44 北千住駅⇔駒込病院(経由)熊野前・田端駅 千住営業所

路線keyword:駒込病院,熊野前,尾久橋通り


全体的に捕らえどころのない地味な路線である。北千住駅から荒川区を通って田端駅・駒込病院までを結んでおり、荒川区の町屋、東尾久に住む住民にとっての生活路線でもある。
北千住駅を発車すると商店街を走り、千住二丁目で日光街道と横切る。バスは墨堤通りを西新井橋方面に向けて走る。かつてお化け煙突と呼ばれていた火力発電所のあった千住桜木の西新井橋南詰にて左折し、隅田川を尾竹橋で越える。
荒木田交差点にて右に曲がる。商店の続く2車線道を西に走っていく。右手に大きな原っぱが現れた。都立尾久の原公園と名付けられているが、この敷地には将来、文化教育施設の建設が予定されており、その建設までの暫定的な公園であるという看板が立てられている。
右手に都立医療技術短大が現れて、都電の走る熊野前となり、バスは左折して尾久橋通りを南下する。東尾久界隈を走り、田端新町一丁目の明治通りと交差する5差路の交差点で右折するが、明治通りに右折するのではなく、明治通りの南にある右前方の2車線道路へ入る。
田端新町、下田端を走り、陸橋を上って東北・上越新幹線とJR山手・京浜東北線を横切ってJR田端駅前となる。ここからは東43系統と同じルートを走り、急坂を上って右手に駒込病院が見えてくると、構内に入って終点となる。

草43 千住車庫⇔浅草雷門[都バスで東京発見]

浅草・三ノ輪・千住・梅田(千住車庫)を日光街道で結ぶ路線

草43 千住車庫⇔浅草雷門(経由)千住大橋・千束 千住営業所

路線keyword:浅草,日光街道,千住


休日には浅草への買物・行楽客を輸送するために本数がほぼ倍増する。
千住車庫を出発すると、梅田交差点より国道4号線・日光街道へ入ってすぐに荒川を千住新橋で渡る。左手を眺めると、地下鉄千代田線・JR常磐線・東武線の鉄橋が見え、時間が合えば電車の姿を捉えることができる。
幅広い日光街道にビルが多く立って千住界隈・日光街道の宿場町として賑わった地である。北千住駅はここから左に10分程歩いたところにある。バスは隅田川と荒川に囲まれた千住の街を縦断し、京成中組で京成線のガードをくぐり、左手に足立卸売市場を見て隅田川を千住大橋で渡る。
三ノ輪橋となる。都電のりばは右手奥の商店街を越えた住宅地のど真ん中にこじんまりと存在しており、日光街道からは「早稲田方面のりば」と書かれた看板のかかる路地を通り抜けて向かうことになる。
大関横丁で明治通りと交差し、地下鉄三ノ輪駅前となる。バスは左斜め前方の国際通りに入って南下し、竜泉、吉原に近い千束と通って右手に浅草ビューホテルが見えると浅草公園六区となる。左手には花やしき遊園地が一瞬顔を出す。浅草寿町にて左折し、右手にブルーの駒形橋が現れると再び左折して終点浅草雷門前となる。正面には赤い大提灯のぶら下がった雷門が建っており、その奥にはみやげ物店などが建ち並ぶ仲見世通りが続いている。

草41 足立梅田町⇔浅草寿町[都バスで東京発見]

浅草と梅田町を結ぶ地域住民路線

草41 足立梅田町⇔浅草寿町(経由)町屋駅・中入谷 千住営業所

路線keyword:梅田町,浅草,尾竹橋通り,狭路


浅草を起終点となるバスの中でもループ運行をしない路線である。浅草郵便局近くの国際通りにある浅草寿町バス停から発車する。足立区梅田町では細く曲がりくねった道路を走ることからなのか、ひと回り小さなバスで運行されている。
次の浅草一丁目バス停で大勢の客を乗せ、国際通りを北に進む。左手に浅草ビューホテルが現れて浅草公園六区を過ぎ、西浅草三丁目で言問通りに左折する。入谷二丁目バス停を過ぎると、料理器具等の飲食店で使用する道具を扱う専門店が約200店ほど連なっている合羽橋道具街・かっぱ橋通りと交差する。道具街は左手方向に約1km続いている。
入谷にて日光街道を横切ると、左手には、毎年7月6日~8日に朝顔市が開催される入谷鬼子母神が現れる。そして、鶯谷駅前停留所となる。「駅前」といっても、駅前からは少し離れた所に位置する。バスは右折して尾竹橋通りへと入る。少し走ると、左前方に別れる道が存在するが、あちらは尾久橋通りとなって北へ伸びている。尾久橋、尾竹橋とは隅田川に架かる橋の名前であるが、似たような名前で紛らわしい。このバスは尾竹橋通りを北上する。
住宅が密集し、そして商店が続く2車線の道を走っていく。JR線三河島駅を通り、宮地交差点で明治通りの陸橋下を横切り、町屋の商店街が続くようになると地下鉄千代田線町屋駅前となる。都電も走っているが、かつての早稲田方面の都電のりばは、レコード屋や売店などが長屋になって密集した店先が乗り場となっていて、昔ながらの下町風情を十分に味わえる貴重な雰囲気を醸し出していた。ところが最近、市街地再開発事業によって駅ビル・センターまちやを備えた高層ビルに生まれ変わり、都電乗り場もきれいに整備されてしまった。防災や居住環境といった視点からは問題点のある地域だったのだろうが、あの都電乗り場がなくなってしまったかと思うとなんだか心惜しい気もする。
一本松バス停まで商店街が長く続く。どの川に架かる橋も渋滞のため通過するのに時間がかかる。ここも例外ではなく、隅田川の尾竹橋、そして千住桜木の先にある荒川の西新井橋を渡るためによく渋滞する。
高速道路のピンク色の高架橋を前方に眺め、西新井橋北詰にてバスは右折し、土手を下って梅田町に入る。歩道が存在しない二車線の狭路となる。緩やかなくねくねしたカーブが続く。バスの折返し所が住宅地の中に現れると、終点足立梅田町に到着する。歩いて5分程のところに東武線梅島駅がある。

王41 王子駅⇔新田一丁目[都バスで東京発見]

王子駅と新田地区を結ぶ路線

王41 王子駅⇔新田一丁目(経由)王子五丁目・新田橋 北営業所

路線keyword:新田町,超狭路


王子駅と豊島七・八丁目、及び隅田川と荒川とに囲まれた新田とを結ぶ生活路線であり、さらに、登校日の朝夕の通学時間帯には沿線のマンモス女子高に通う学生で車内が満員になる路線でもある。距離が短いためなのか、正面方向幕の表示が「王41 王子駅-新田一丁目」となっており、往路復路で正面方向幕の変化がない。
王子駅から北本通りを王子二丁目・三丁目・四丁目と北上する。王子消防署前の交差点を右折し、ここから新田橋までは、上下線のルートが一致しない。豊島七丁目のバス停を出発するとバスは左折し、バスがやっと通れるような一方通行の狭路に入る。しばらくすると狭路のクライマックスがやってくる。バスは左に曲がったかと思うとまたすぐに右に曲がり、城下町に残る鍵型十字路のようなルートを走る。その交差点の左隅には、左折時におけるバスの民家接触防止を目的としたコンクリートの塊が置かれている。左側の窓際に座って真下をのぞいていると見つけることができる。王子駅行方面の場合は狭路の商店街(庚申通り商店街)の中を走り、買い物客や自転車などが道路を横切る中、速度を落としてバスは走っている。
隅田川を新田橋で渡ると、足立区新田地区となる。新田三丁目で王45系統は右折して別れてしまい、このバスは直進する。環七通りを横切って、正面に隅田川の無機質な堤防が現れると道は行き止まりとなり、そこにバスの折り返し所、新田一丁目停留所があり、バス誘導員のための小屋がぽつんと建っている。

王40丙 王子駅⇔宮城循環[都バスで東京発見]

宮城地区を循環して王子駅まで戻る王40系統の補助的路線

王40丙 王子駅⇔宮城循環(経由)宮城都営住宅 北営業所

路線keyword:宮城町,豊島五丁目団地


王子駅から宮城2丁目までは王40系統と同じ路線を走る.隅田川を渡ると一旦左折して宮城2丁目停留所となるが,荒川の江北橋陸橋へは上らず,下の側道を走って180度旋回し,同じ交差点に戻って宮城町方面へと向かう.右回りで宮城町をぐるりと周り再び宮城2丁目に戻って王子駅へと帰っていく.

王40甲 池袋駅東口⇔西新井駅[都バスで東京発見]

都内北部の交通不便な地域を走る乗客数の多い通勤通学路線

王40甲 池袋駅東口⇔西新井駅(経由)王子駅・荒川土手 北営業所

路線keyword:車内混雑,飛鳥山,明治通り,狭道,都電と併走


ビックカメラ正面の池袋駅東口バス乗り場には、いつも長蛇の列ができている。先発のバスが満員になっていなくても、次のバスに乗る乗客が多い。この路線は北区・足立区の鉄道の便の良くない地域を走るため、その地域に行く人はバスに頼らざるを得ない。そこで池袋からの長い道中、座っていこうと考える乗客が多いのである。座るためには最低1本、混雑時には2本以上のバスを待つ覚悟が必要である。
池袋を出発すると、バスは三越の裏手を走り、明治通りに入る。豊島区役所を右手に見て、池袋六ツ又陸橋交差点を過ぎ、JR山手線を跨ぐ。王子までは緩い坂を上り下りしながら明治通りを直進する。上池袋、西巣鴨、滝野川、そして正面に緑の茂みが見えると飛鳥山に突き当たる。西巣鴨から飛鳥山までは首都高速建設の高架工事を行っており、将来は道路の真ん中に高速道路が覆い被さることだろう。バスは左折し、運が良ければ都内唯一残った都電との併走が見られる。都電は車に押され気味に、そろりそろりと気を使いながら走っている。左手に昭和5年に架けられたクラシックな音無橋、右手に飛鳥山を眺めながら、大きなカーブと急なくだり坂を走り、JR京浜東北線のガードをくぐり抜けて王子駅前となる。
さらに乗客を乗せ、バスは2車線の狭い道を走る。この区間はバスの本数が多く、追い越し車線がないため、朝夕のラッシュ時はバス渋滞が発生し、そのために朝はバス専用道路となっている。豊島二丁目、三丁目、四丁目、六丁目と豊島のオンパレードを過ぎると公団の豊島五丁目団地が突然現れる。ここはかつての日産化学工業の王子工場であり、跡地を団地開発したところである。左手には団地群が、右手には日本出版の流通センターや日本油脂の工場がある。この路線は両方向とも混雑していることが多い。朝の場合、ここに居住する人が駅に向かって乗車し、逆に工場や職場に向かう通勤者が駅から職場に向かって利用する。夕方はその逆パターンとなる。両方向とも混雑するのはその為である。
豊島五丁目団地を出ると、新豊島橋で隅田川を渡り、江北橋で荒川放水路を渡る。左手には首都高速中央環状線の2層構造の江北橋が見える。橋の中央部分は一般道の江北橋と同じアーチが取り付けられており、さながら親子といった感じである。
荒川土手の停留所を過ぎると、バスは右折し、再び狭い2車線の道路に入る。密集した地域の中に、東43系統折り返しのための荒川土手操車所があり、発車待ちのバスが数台停車している。さっき通った豊島二丁目から五丁目間の2車線道路とは違って、この道路には歩行者専用の歩道がなく、電柱の存在が更に道路を狭くしているので、お互いの大型バスがすれ違うときは運転手同士の連携と相互の譲り合いが欠かせない。出会った場所が悪いときは最徐行しながらすれ違う。乗客のおばあさんが、「この辺りは戦争で焼けなかったから道が狭いのよ」と教えてくれた。地図を眺めると、バス通り以外の道路は区画整理がされていない曲がった道が多く存在していた。江北四丁目にて尾久橋通りと交差する。尾久橋通りには新交通システム(日暮里-舎人間)が開通することになっている。それが開通すれば、本路線の混雑が多少は緩和されるに違いない。阿弥陀橋停留所を過ぎ、環七通りに出ると古くから川崎大師とともに厄除開運の霊場として有名だった西新井大師前停留所となる。本道は左手に少し入ったところに存在する。そして、東武線を跨ぐ陸橋の手前でバスは左の車線に入り、線路を越えずに一方通行の道を走ると終点西新井駅となる。

平成12年12月より、池袋駅から豊島五丁目団地間に急行バスが登場した。

王30 王子駅⇔亀有駅(北口)[都バスで東京発見]

足立区中央部を環七通りで東西に横断する路線

王30 王子駅⇔亀有駅(北口)(経由)鹿浜橋・西新井大師 千住営業所

路線keyword:環七通り,足立区横断,西新井大師,中古車販売店,大渋滞


王子駅と亀有駅とを環七通りで結び、足立区の中央部を横断していく路線であるが、渋滞で評判の悪い環七通りの中でも、さらに渋滞の激しさで定評のある足立区東部を走っており、定時運行がしにくい路線である。本数が少なく、3本に1本の割合で東武バスが運行しており、都バスの1日乗車券では非常に乗りにくいバスである。近年、足立区役所の本庁舎が沿線近くに移転したことから、区東部・区西部に住む住民が区役所本庁へ行くには大変便利であり、足立区を東西に直線的に結んでいる事を考えれば、もっと本数・利用客共に多くても良さそうであるが、本数も少なければ、利用客も足立区東部になるほど少なくなる。やはり、環七の渋滞が一因なのだろうか。
王子駅を発車すると、北とぴあを左に見て北本通りを北に進む。王子二丁目、三丁目、四丁目と走り、公団王子五丁目団地が現れると、王子五丁目・営団地下鉄南北線王子神谷駅前となる。宮堀陸橋(交差点)で環七通り(→p.)へと右折し、坂を上って環七通りと合流してすぐに隅田川を新神谷橋で渡る。ここから足立区となる。車窓からは無味乾燥とした隅田川のカミソリ型堤防と工場と住宅が混合している川沿いの風景が見られる。
新田を走り、新田小学校を右手に見ると鹿浜橋にさしかかり荒川を渡る。左手には河川敷のゴルフ場と、そのさらに奥に水色の3つの水門が見える。水門は荒川から隅田川への分岐点である岩淵水門である。昭和5(1930)年以前は、現在の隅田川が荒川の本流であった。
首都高速川口線をくぐり、右にカーブしながら陸橋の坂を下って鹿浜となる。環七沿線にはファミリーレストランやガソリンスタンドがやたらに多く、様々な店舗が後ろに過ぎ去っていく。この辺りから環七沿線の雰囲気が若干変化し、郊外の長閑な風景になってくる。
鹿浜から、「現金買取・下取歓迎」と書かれた中古車販売の店が多くなる。値段を記入したボードを中古車内のフロント部分に置いて、野ざらしに車を並べている販売店が次々と現れる。値段のボードに「124」と書いてある車は、124万円ということであり、バスが止まったときによく見ると、「万円」という文字が小さく付いていた。子供の頃、中古車はこんなに安く買えるのか、と本気で思ったことがあった。
畑が見られるようになり、江北陸橋にて尾久橋通りと交差する。尾久橋通りでは現在、日暮里と舎人とを結ぶ新交通システムの計画が進行している。
商店などが軒を連ねるようになると、川崎大師と共に厄除開運の霊場として有名な西新井大師となる。そして、右手に西新井駅を見ながら陸橋で東武伊勢崎線の複々線の線路を越える。島根三丁目にて、王49系統の千住車庫行が右に分かれていく。
日光街道を横切ると、足立区役所の最寄り停である本庁五丁目となる。ビニールハウスや畑が時々見えて、首都高速6号線の珍しい円形ループ型の加平ランプが現れる。
綾瀬警察署前に営団地下鉄千代田線北綾瀬駅がある。環七を走る車の交通量が多くなり、特にトラック等の大型車が多く走っているように思える。大谷田橋の陸橋を越え、中川四丁目になると左手に東京都下水道局の建設残土改良プラントの大きな空き地が広がる。
JR常磐線の高架橋手前にてバスは右に曲がり、終点亀有駅北口に到着する。

現在は、都営交通としては廃止されているが、東武バスのみ1日2本だけ細々と運行されている。