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ファーブル昆虫館【東京考察#355】

Fabre insect pavilion


ファーブル昆虫館の入口

ファーブル昆虫館は文京区千駄木にあり,NPO法人日本アンリ・ファーブル会が運営している施設である.フランス文学者である奥本大三郎氏(館長)が昆虫に関する標本などを収蔵している建物であるが,一般の人が入れるのは展示室の1階と,ファーブルの生家を再現した地下1階のみとなる.2階以上は標本収蔵庫や研究室・集会室となっており立ち入りはできない.

日本アンリ・ファーブル会は,フランスの博物学者であるファーブルをひとつの理想像として,日本の子供を中心に自然に対する健全な感覚を養い育てることを目的として活動しており,子供たちが虫に楽しむきっかけを作るため,昆虫採集や標本教室などのイベントを開催している.子供たちは遅くとも10歳くらいまでのあいだに,仲間と自然の中で遊ぶことが望ましいとのことである.(ファーブル昆虫館パンフレットより)

館内を個人的に撮影することはできるが,SNSに掲載することが禁止されているため,館内の写真は掲載していない.最近は昆虫を見られる機会も減ってきているが,昆虫の生態を知れば知るほどその奥の深さを感じる.

入場は無料であるが,運営資金とするための募金を行っている.開館は,土曜日と日曜日の午後1時~5時のみ.ホームページを確認してから訪問する方がよい.


ファーブル昆虫館は住宅街の中にある


お土産に買った標本.左がタマムシ.右がオオスズメバチ.売り上げは昆虫館の活動資金となる.

珠玉の昆虫標本(東京大学総合研究博物館)【東京考察#346】

Ultimate Insect specimens(The University Museum,The Univeersity of Tokyo)

今年の夏の東京は「昆虫」が熱い.国立科学博物館,東京スカイツリー,そしてここ東京大学総合研究博物館で昆虫展をやっている.「江戸から平成の昆虫研究を支えた珠玉の昆虫標本」というタイトルが正式な東大博物館の展示名称で,2018(平成30)年7月14日から10月14日までの開催となっている.

江戸時代の標本が公開されるのは,今回が最初で最後になるとのこと.さすが東京大学の秘蔵コレクションだけあって,貴重な見応えのある標本がずらりズラリと並べられており,万人向けに展示されている国立科学博物館の昆虫展とはひと味違う.本当に昆虫が大好きな玄人には,東大の展示の方が夢中になるに違いない.入場が無料というのも素晴らしい.虫好きの小1の息子も食い入るように標本を眺めていた.

懐徳門.東大総合研究博物館には,この門から入ると一番近い.地下鉄丸ノ内線本郷三丁目駅から徒歩5分程度でつく.

懐徳門を右に曲がったところに東京大学総合研究博物館がある.

入館無料!これは嬉しい.外国人観光客の姿もチラホラ見ることができた.

館内では,研究室内の様子を見ることができる.

研究試料を入れるためのケースがずらずらを並べられている.

剥製がお出迎え.奥に行くと昆虫展の展示室となる.

これが江戸時代の標本.大変貴重なもので,劣化を防ぐため,最初で最後の展示だとか.

蝉が羽化するまでの標本.時系列になっていてとてもわかりやすい.この瞬間・瞬間を,すべて集めているところがすごい.

標本がずらり.

息子も虫(標本)に夢中!

これまたカブトムシの羽化までの標本が.

最後にみる標本箱.中身がからっぽ!今後の未来に向けて,標本箱の中身が空っぽにならないようにするにはどうすればよいか.昆虫が将来にわたっていなくなってしまわないよう,考えるきっかけになるように展示されている.昆虫はいま,激減している.

(撮影:2018年8月)

テーブルウェアフェスティバル(東京ドーム)【東京考察#214】

The tableware festival in Tokyo Dome


ドラマ「華麗なる一族」のテーブルウェア


 テーブルウェアフェスティバル2007は今年(2007年)で15回目を迎えた「暮らしを彩る器展」である.2007年は2月3日から12日まで東京ドームで開催されており,女性を中心とした入場客で場内は賑わっている.世界各国の華やかなテーブルウェア,洗練された華麗なる彩り,テーブルを飾る様々な食器や雑貨,各個人のコーディネートによるテーブルウェアコンテストなど,興味のある女性にとっては,じっくり見て回ると1日があっという間に過ぎ去って行くに違いない.今回は,テーブルウェアフェスティバルの様子と合わせて,「東京ドーム」をコンベンションホールとして利用している場合を紹介していきたい.

地下鉄後楽園駅側から見た東京ドーム
正面は反対側のJR水道橋駅側となる
1988(昭和63)年に日本初のドーム球場としてオープンした
設計:日建設計・竹中工務店/施工:竹中工務店
 
正面の22番ゲート ちょうどバックネット裏にあたる

中に入る前に荷物チェックがある

ドームには回転扉を通って中に入る
屋根は空気の圧力で支えており,
中の気圧は外の気圧よりも0.3%高い(ビルの1階と9階程度の差)という
中にはいると気圧差の関係でちょっとだけ耳が痛くなる
ただし人体に影響は全くなし


グラウンドの部分を使用して展示が行われる

会場(グランド)へはスタンドの通路を降りて入る
帰りは登らなければならないのでちょっとしんどい
 
なかなかグランドに入る機会はないので
このような視点でドームを歩いているのが不思議
 
ロイヤルコペンハーゲンの食器
毎年創られるイヤーズプレート(テーマ皿)が年代順に全て並べてある

9割は女性客
ただ,デザインなどの感性に触れられるという点では
男女を問わず楽しめる展示である

黒と白を基調にしたテーブルウェア
館内は撮影自由である(ただし三脚等の使用は禁止)
 
会津塗などの漆器や有田焼などの陶器も展示してある
「和」の文化も大切である
 
人工芝は取り払われ,樹脂製のタイルマットが敷かれている
 
各ブースでは世界各国・全国各地の食器や雑貨を展示販売していて
購入することができる.これを見るだけでも時間は過ぎ去る
【テーブルウェア大賞ノミネート作品】
人気の展示コーナーとして,テーブルウェア大賞の出品作品のブースがある
出品者がそれぞれのテーマでコーディネートした作品が並べられ,
食器やテーブルクロスのバランス・色合いなど,結構面白い.
  

  


ベンチは宅配便の受付場所に

バックネットの部分

ベンチから出入りするところ
よく選手の歩いている映像が映し出されるところ

半日で回りきれなかったときは,
弁当を買ってスタンドのベンチで食べることができる

湯島天神(学問の神様)【東京考察#258】

Yushima-tenjin ( The God of the learning )


湯島天神(銅鳥居と本殿)


 湯島天神(湯島神社)は,菅原道真公を祀ったもので学問の神様として有名である.湯島天満宮とも呼ばれており,1355(文和4)年における湯島郷民の勧請によって始まり,1478(文明10)年太田道灌が修建したといわれている.境内には数百本にわたる梅の木が植えられており,毎年2月から3月にかけて行われる梅まつりのときには多くの人で賑わっている.銅鳥居は1667(寛文7)年に創建されたものであり,都文化財に指定されている.

本殿にかけての参道には出店がでている.

学問の神様
多くの合格祈願の絵馬が奉納されている.

修学旅行で合格祈願を行う人も多い.
 
梅の木(もう散ってしまっていたが・・・)

本殿
1995(平成7)年に総檜づくりで造営されたもの
現在の建築基準法における防火地域では
木造建築が認められていないが,この本殿は
建設大臣認定第一号として特に木造建築が許可されたものだとか.

ガス灯(瓦斯灯)
ガス灯は,1872(明治5)年に横浜で点灯したのが最初であるが,
その後東京にも設置されるようになっていった.
この境内には5基のガス灯があったが,1965(昭和40)年に全て撤去となった.
これは東京ガスの協力により屋外に設置されている貴重なガス灯である.
 
湯島駅方面の入口
左が急な「男坂」 右が緩やかな「女坂」

「もぉ~」

 

小石川植物園(白山)【東京考察#208】

Koishikawa Botanical Garden


入口


 都心にこれほどまでの「森」があったとは驚きである.
小石川植物園は,「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」というのが正式名称で,東大の付属機関なのである.もとは五代将軍の徳川綱吉の別邸だったところを,江戸幕府が小石川御薬園として薬になる植物を育てるようになったのがはじまりで,明治に入ってから東京帝国大学の付属施設となって植物学研究所として一般に公開されるようになったものである.日本最古の植物園であり,面積約16万m2,東京都指定の旧跡となっている.園内は,都内のコンクリートジャングルからは想像も出来ないほどの大きな樹木や木々の茂みがあって,また普段あまり見ることのできない植物が見られることから,さながら本物の植物図鑑を観察しているようである.都会の喧噪がいやになって緑が見たくなったときには,とても心が落ち着く場所である.

入場券(330円)は入口向かいの
昔ながらの「タバコ屋」で買うところが面白い.

園内はかなり広い.入口は一カ所(白山2丁目)しかない.
 
ソテツも見られる(左).
植物にはプレートで名前が記載されているので分かりやすい.

「ただの草」に見えてしまうが,当然ながら1つ1つに名前がある.

木漏れ日の中を・・・
 
日本庭園があって,そこから背後に広がる樹林の迫力は圧巻である.
 
日本庭園の隣りにある「東京大学総合研究博物館小石川分館」
旧東京医学校本館で1876年完成の建物であり,国の重要文化財に指定されている.
当初は東大構内にあったが,1969年に移築再建されたもの.
一般公開されているので中に入ることが出来るが,
一旦,出口専用の門から植物園の外に出てからでないと入れない.
(一度,外に出てしまうと,外の道路で入口まで戻らなければ再び入れない)
 
都心とは思えない

「精子発見六十周年記念」 イチョウの話である

温室もあるが,温室の一般公開は限られている.
原則毎週火・水曜の午後1~3時までのみ(祝日は入れない)
 
休み処(売店)もあって,ソフトクリームが食べられる
 
「分類標本園」
植物の多様性が理解しやすいようにと,
東アジアの高等植物約500種をズラズラと
分類体系に従って配列(植栽)しているもの
なかなか面白い.学術的な展示である.

「薬園保存園」
こちらは,御薬園時代の薬用植物約120種を栽培している
地下鉄の駅からはちょっと離れているので,
都バス上60系統 大塚駅-上野公園 白山2丁目下車が便利である

 

東京ドームシティ(後楽園)【東京考察#201】

Tokyo Dome city


JR水道橋駅から通じる入口


 東京ドームを中心として㈱東京ドームが運営する一連の施設を東京ドームシティと呼んでいる.平成12(2000)年よりこのような名称に変更し,ホテルなどの開業によって今までの後楽園のイメージを一新している.東京ドームをはじめ,かつての後楽園ゆうえんちだった「東京ドームシティアトラクションズ」,東京ドームホテル,フィットネスクラブや天然温泉のある「ラクーア」,昔からおなじみのJRA・WINS(場外馬券場)・ボーリング場のある黄色いビル,ボクシングやプロレス・笑点が収録されている後楽園ホールのある青いビルなどが,JR水道橋駅前に広がっている.
かつて後楽園球場(ドームが完成する前の球場)があったとき,旧後楽園ゆうえんちの傘が開いてゴンドラが落下する乗り物・パラシュートにのると,ちょっとの時間であるが巨人戦の球場のグラウンドを外から見ることができて,子供ごころに嬉しく思った想い出がある.当時は,松本・篠塚・原・クロマティ・中畑・吉村・・・といったメンバーだった(懐かしい).

2000(平成12)年にオープンした東京ドームホテル

旧後楽園ゆうえんちのアトラクションズ

都心の遊園地なので狭隘な空間に
スリルあるマシンが設置してある
 
後楽園といえば「WINS」である
 
黄色いビルは,そのまんま「黄」色に塗られたビルである
 
東京ドームはメインの施設である

ベースボールショップを見ると球場に来たなと思う
メガホンと背番号シール(黒と白がある,これを重ねて貼ると
影が出来てかっこよかった)をよく買ったっけ!
後楽園球場時代は紙吹雪もOKで,
新聞紙を切り刻んで持っていき,
ホームランが出るたびに周りの人に配って大はしゃぎしていた.

東京ドームホテルと「パラシュート」

湯島聖堂【東京考察#132】

Yushima-Seido


大成殿(孔子廟)

湯島聖堂は,儒学に傾倒した5代将軍徳川綱吉が上野忍ヶ岡にあった孔子廟(先聖殿)を現在地に移して聖堂と称したものであり,儒教の教えを説いた孔子を祀っているところである.さらに,この地には孔子の生まれた地名をとって名付けられた「昌平坂学問所」が存在していた跡地であり,明治維新までの江戸時代において官立の大学として文教センターの役割を果たしたところでもある(道路を挟んで向かい側の東京医科歯科大学も昌平坂学問所の跡地).大成殿は土日のみ内部公開されている.都心における静寂な日本文化の空間として,外国人にも喜ばれる場所であろう.
聖堂(大成殿)は過去に4回の大火にあって焼失しており,現在の大成殿は関東大震災で焼失したものを,1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造りで再建したものであるが,入徳門だけは1704年に建てられたものがそのまま残っている.
1922年(大正11年)に国の史跡に指定されている.


1704年に建てられた入徳門


孔子の銅像


絵馬には多くの合格祈願が書かれている


「合格」の文字

東京大学(本郷)【東京考察#122】

The Tokyo University (Hongo)


安田講堂
1925(大正14)年に完成した大講堂
安田財閥の寄付によって建った
東大闘争の舞台となり学生運動の象徴でもある

 


 東京大学は,日本の最高学府である.あらゆるトップには必ずといっていいほど「東大」が名を連ねている.前期課程は駒場キャンパスで学ぶため,ここ本郷キャンパスは後期課程の学生が学んでいる.大学の歴史も古く,徳川幕府の「晶平黌」学問所が起源である.


東大正門
記念撮影する人が多い


正門を入ると,正面には安田講堂が見える.


レンガ調の重厚な建物が並ぶ


図書館


よく見ると,建物の壁面には「ペン」の形をした飾りが施されている

 
図書館の開架図書と閲覧室の木製の机 年輪が感じられる


洋書閲覧コーナー シャンデリアが豪華


東大赤門
1827年に加賀藩主前田家に嫁いだ
11代将軍徳川家齊の息女溶姫のために建てられた
朱塗りの御守殿門.重要文化財に指定されている.


TV番組「トリビアの泉」でも紹介された
東大専用のトイレットペーパ
裏には「保存期限の切れた事務書類,試験,成績,
名簿等個人情報を含むものを処理した
再生資源が含まれています」
と想像をかき立てる生々しい情報がわざわざ記載されている.


東大周辺の本郷界隈


木製の柵が残る


本郷6丁目


「東大生と共に明治から 食堂もり川」
キャッチフレーズが歴史を感じさせる


古書籍の店がポツポツとある


重厚な塀の続く本郷通り


赤門前のお菓子屋で販売している「赤門もち」

草63 池袋駅東口-浅草寿町[都バスで東京発見]

千駄木・根津界隈の山の手台地の下町的住宅街を走る路線

草63 池袋駅東口⇔浅草寿町(経由)巣鴨駅・千束 巣鴨営業所

路線keyword:文京区の山の手住宅地,浅草公園六区,巣鴨とげぬき地蔵


池袋駅から浅草寿町までを走るバスは、王子駅を経由して明治通りを走っていく草64系統と、昭和初期の頃までは高級住宅地だったであろう山の手台地の住宅街を縫うようにしてはしっていくこの草63系統の2路線が存在する。
池袋駅東口パルコ前より発車する。豊島区役所前を過ぎ、明治通りを王子へ向けて走っていく。西巣鴨で国道17号・白山通りへ右折する。ここを左折すると中山道となる。
新庚申塚で都電の線路と交差し、左に豊島市場を見て巣鴨駅前となる。巣鴨にはおばあちゃんの原宿と呼ばれる「巣鴨とげぬき地蔵」があり、4のつく日は縁日となって、根津・千駄木あたりにすむご老人たちが、このバスに乗ってやってくる。
バスは旧白山通りの2車線の通りに入り、東洋大学前を走る。山の手台地らしく坂が多くなってくる。そして、白山上で左折。商店街を抜け、文京区内の古い街並みを縫うように走っていく。このあたりには、医者や弁護士など、かつて名声を馳せたご老人たちが多く住んでおり、街並みは古くてもどこか文化の香りが漂う街でもある。バスに乗ってくる乗客も、シルバーパスを持った人が多い。
駒込千駄木町を出ると急な下り坂となり、団子坂下。不忍通りへ左折する。商店街の続く通りを走り、道灌山下で右折すると、西日暮里駅となる。
ここから今度は、下町の風景となる。荒川4丁目で明治通りに右折し、草64系統と合流するが、大関横町で右折し、再び草64系統とは別れて浅草寿町に向かう。三ノ輪橋駅を過ぎ、国際通りとなって、かつての繁華街・浅草公園六区を左に見て、終点浅草寿町となる。

白61 練馬車庫-新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿から牛込をぐるりとまわって練馬までを結ぶ路線

白61 練馬車庫⇔新宿駅西口(経由)目白駅・江戸川橋 練馬支所

路線keyword:牛込界隈,新宿歌舞伎町,練馬区,狭路,閑静な住宅街


 この路線は、新宿から牛込をまわり練馬までを結ぶ路線で、釣り針のように「J」の字型に走っていく。全線乗り通す客は少なく、新宿と牛込界隈、目白駅と練馬方面と、路線は1本であるが、それぞれの地域を輸送する役割を担っている。本数は比較的多い。
住宅に囲まれた練馬車庫を発車すると、右手に武蔵大学のキャンパスが現れて、環七通りのしたをくぐる。江古田界隈となるのだが、西武線の駅名の読みは「えこだ」であるが、バス停の読みは「えごた」となっている。
南長崎六丁目より一方通行の非常に狭い道の商店街の中を走っていく。買い物客、自転車の横断が非常に多く、運行しづらい区間であろう。東長崎駅を過ぎ、落合の住宅街を目白通りで走ると、目白駅前となる。
左手に川村学園、右手に学習院大学が見え、千登勢橋で明治通りと都電荒川線を越える。日本女子大が現れ、目白台界隈となり、椿山荘となる。
坂をくだって高速をくぐり江戸川橋。つきあたりを右折、ここから方向を変えていく。いままでの山手台地の閑静な住宅街から、密度の高い街並みへ変化していく。早大通りへ右折し、都内では珍しく道路の中央分離帯にケヤキが植わる道路を走る。真っ直ぐ進むと早大正門になるが、バスは左折し牛込界隈を走っていく。
再び住宅街の中を走り、起伏のある道路を走っていき、曙橋で靖国通りに右折、新宿を目指す。厚生年金会館を過ぎ、新宿五丁目からはネオンや看板が多くなり、新宿の雑踏が近づいてきたことを感じる。
歌舞伎町ではゴミが多く、非常に汚い。正面に新宿副都心の超高層ビル群を見て、JRの大ガードをくぐり、左に曲がると終点西口バスターミナルとなる。

上60 池袋駅東口⇔上野公園[都バスで東京発見]

白山通り・春日通りの補完的な役割を果たす千川通りを走る路線

上60 池袋駅東口⇔上野公園(経由)大塚駅・文京区役所 大塚営業所

路線keyword:元祖山の手住宅地,文京区役所,千川通り,東京大学,上野広小路,不忍池


 かつては茶60系統として、池袋駅東口・御茶ノ水駅間の運行だったが、御茶ノ水駅行ではなく上野公園行に変更された路線である。池袋駅東口・大塚駅間は朝夕のみの運行であり、それ以外の時間は大塚駅の発着となっている。
上野公園バス停は不忍池南側・水上音楽堂に位置し、バスターミナルが存在しないので、上野公園付近ではループ状にルートを設定してバスを運行させている。上野公園を発車すると、中央通りに入り、アブアブや上野松坂屋のデパートを眺め、上野広小路の繁華街をぐるりと周回する。
右手に再び不忍池が現れ、バスは不忍通りを北上する。地下鉄千代田線根津駅までは、上58系統と同じルートを走る。
根津駅にてバスは左折する。この辺りを歩いている学生はほとんどが東大生である。バスは坂を上り、弥生となって東京大学を両手に眺め、本郷通りを横切って元祖山の手住宅地である古い街並みを進んでいく。
白山通りに入るとバスは南へ進む。バスは文京区役所に寄るように迂回したルートを走り、春日町交差点で右折し、文京区役所前を通ると再びバスは右折して、進路を北に向ける。後ろを振り返ると、東京ドームの巨大な白い屋根がビルの谷間に埋もれて見ることができる。
バスは2車線の千川通りを北上する。この通りは春日通りと白山通りの中間に位置し、沿線は小石川界隈の静寂で落ち着いた古い街並みが多く残る地域である。大塚までは緩やかな上り坂が続き、山の手台地の趣を感じ取ることができる。
右手奥には小石川植物園が存在する。不忍通りを横切って、しばらく行くと都電の走る大塚駅前となる。
大塚駅に寄ると、バスは180度方向を転換し、通りは違うが再び南に進路をとる。

大塚-池袋 未乗

水59 巣鴨駅⇔一ツ橋[都バスで東京発見]

巣鴨と一ツ橋を結ぶ都営三田線と平行に走る路線

水59 巣鴨駅⇔一ツ橋(経由)白山上・水道橋駅 巣鴨営業所

路線keyword:巨大な東京ドーム,後楽園遊園地,文京区,神保町本屋街


 

東京都交通局の地下鉄と競合する路線であるが、沿線に住むご老人のアクセスを考慮して、運行が継続されているであろうと思われる路線である。本数も少なく、乗客も必然的に老人が多い。
巣鴨駅から白山通りを南下し、千石駅を出ると旧白山通りの二車線の狭い道に入っていく。東洋大学前を通り、白山上(白山駅)となって、坂を下ると、白山下となる。旧道が終わって、再び、大通りの白山通りとなる。
文京区役所前を過ぎると、左手に文京区役所の高層ビルが見え、その隣に巨大な真っ白の東京ドームが現れ、観覧車も現れる。地下鉄丸の内線のガードをくぐり、後楽園遊園地の入り組んだジェットコースターを右手に見て、水道橋駅となる。
雰囲気はがらりと変わり、神保町の本屋街となって、ちょっと走ると終点一ツ橋となる。乗客の少ない寂しい終点である。

平成12年12月、廃止された。

上58 早稲田⇔上野松坂屋[都バスで東京発見]

文京区の縁を不忍通りでぐるりと走って上野と早稲田を結ぶ路線

上58 早稲田⇔上野松坂屋(経由)江戸川橋・動坂下 早稲田営業所

路線keyword:不忍通り,不忍池,古くからの山の手(根津・千駄木)


文京区の地図を眺めると、上58系統のルートがほぼ文京区の区境に沿ってぐるりとコの字型を描いて走っていることが分かる。古くからの下町と古くからの山の手住宅地である文京区の街並みを眺めることができる。
上野と早稲田の間にはこの路線の他に、上69系統の上野広小路・文京区役所・早稲田・小滝橋車庫と直線的に結ぶ路線がある。
バスは上野公園より少し南側に位置する上野松坂屋前(上野広小路)から発車する。右側にアブアブ(商業ビル)が見えると左折し、不忍池を右に見て上野公園停留所となる。不忍池は蓮の名所としても知られ、周囲約2km、かつてこの辺りが東京湾の入江だった頃の名残として池になったものである。北側は上野動物園の分園である水上動物園になり、西側は手漕ぎボートの浮かぶボート池となっており、休日には賑わいを見せている。
不忍池畔を北に向けて走り、池之端を通過する。地下鉄千代田線根津駅前となり、商店街が道路の両側に現れる。ここから本駒込あたりまで、延々と商店がほとんど途切れることなく続く。古くから栄える商店街である。根津、千駄木、団子坂下、道観山下といった古くから存在する下町の落ち着いた風景の中を、バスは路上駐車の車をよけながら、2車線の不忍通りをひた走る。
動坂下より急な上り坂を登って、六義園の最寄りバス停である上富士前となる。ここからは山の手台地となる。本郷通りを横切り、続いて白山通りを横切る。ここから先は坂が多くなり、坂を下って千石三丁目、坂を上って大塚三丁目、坂を下って護国寺正門となる。
護国寺より不忍通りに別れを告げて左折し、音羽通りを南に走る。江戸川橋にて神田川を渡り、首都高速をくぐって新目白通りに右折する。そして、リーガロイヤルホテルの高い建物が左に現れると、早稲田車庫前に到着して終点となる。

茶51 駒込駅⇔御茶ノ水駅[都バスで東京発見]

名所旧跡を本郷通りで結ぶ文化教養路線

茶51 駒込駅⇔御茶ノ水駅(経由)駒込駅南口・東大赤門 巣鴨営業所

路線keyword:本郷通り,飛鳥山,西ヶ原一里塚,旧古河庭園,六義園,東大赤門,都電と併走


平成7(1995)年の営団地下鉄南北線の駒込・四谷間開通により、バスの本数が半数以上減らされてしまった。王子から東京大学までの区間、南北線は本郷通りの真下を走り、その上にこのバス路線が走っている。
王子駅から飛鳥山の坂を都電と共に登り、右手に王子神社と音無親水公園の緑を、左手に標高27mの飛鳥山公園を望みながら、本郷通りを南進する。飛鳥山は、徳川吉宗が桜の苗木を千本移植してから江戸近郊の桜や紅葉の名所となったところで、音無橋や王子七滝(名主の滝など)も含めかつては江戸の日光と称されていた。
都電と分かれて渋沢栄一史料館前を過ぎ、一里塚バス停を過ぎると、道路の車線が左右に離れて、真ん中に榎の樹木が現れる場所がある。かつての岩槻街道(日光御成道)の西ヶ原一里塚である。東京都23区内で唯一、かつての位置にほぼ原型をとどめている一里塚であり、2つの塚に挟まれた片側車線の幅が旧道の幅ということになる。西ヶ原は日本橋から二里のところである。
左手に紙幣を製造している大蔵省印刷局滝野川工場と大蔵省印刷局東京病院が現れ、しばらく走ると右手に旧古河庭園の立派な門が現れる。古河庭園は明治の元勲陸奥宗之邸を受け継いだ旧財閥古河家の庭園だったところで、2層の明治建築様式の面影をとどめる洋館の前に、和風・洋風の庭園が広がっている。
駒込駅からは、同じ茶51系統の駒込駅・東京駅北口線が加わり、終点の御茶ノ水駅までほぼ同じ道を走っていく。そして、右側の建物の裏手に六義園が存在する。六義園は元禄8(1695)年に老中柳沢吉保が5代将軍徳川綱吉から中屋敷として拝領した土地に造った庭園であり、千川上水の水を引いた池を中心とする回遊式築山泉水の名園である。その後、明治時代に岩崎弥太郎が別邸として整備し、最終的には東京市へ寄贈されたものである。
本駒込、向丘を過ぎると、左手に赤煉瓦の塀と瀟洒な黒い柵が現れると、日本の最高学府「東京大学」となる。江戸時代には加賀百万石前田家の上屋敷だったところである。北側から順に辿っていくと、まず農学部、続いて道路を越えて工学部、法学部・文学部となって東大正門となる。大楠の立派な並木が本郷通りに沿って茂っており、アカデミックな雰囲気が車内にも漂ってくる。さらに、図書館、教育学部と続いて東大赤門となる。赤門の正式な名称は御守殿門であり、8代将軍徳川家斉の娘溶姫が前田家に嫁ぐときに建てられたものである。そして、経済学部、学士会館別館で東京大学の赤煉瓦の塀は終了する。ちなみに理学部、薬学部、医学部、安田記念講堂は奥の敷地に存在する。
本郷三丁目で春日通りを横切り、神田明神前を過ぎてバスはぐるりと回って、神田川に架かる聖橋を眺めると、終点御茶ノ水駅となる。左にはJR線の電車と御茶ノ水駅を望むことが出来る。

平成12年12月、都営大江戸線の開通により、王子駅-駒込駅間と御茶ノ水駅-東京駅北口間が廃止された。

東43 荒川土手(江北橋下)⇔ 東京駅北口[都バスで東京発見]

下町・川の手地域からビジネス街まで南北に縦断する路線

東43 荒川土手(江北橋下)⇔東京駅北口(経由)田端駅・御茶ノ水駅 北営業所

路線keyword:荒川土手,工場地帯,旧山の手,東京大学,大手町ビジネス街,赤煉瓦駅舎,狭路


江北橋(足立区)より少し北側に入ったところに荒川土手操車所が存在する。「荒川土手」と言っても場所は広範囲にわたり、何処の荒川土手なのかを明記しないと場所がわからず、近年、バスの方向幕に括弧書きで(江北橋下)と記載されるようになった。
幅の狭い道路に面して操車所が設けられているので、バスが操車場に入るときは、道路に走る車を誘導員が止めてから、バックをして定位置に入る。東京駅北口行はそんな荒川土手操車所前から発車する。なお、荒川土手行のバスは、一つ手前の荒川土手(江北橋下)停留所で終点となり、荒川土手操車所前停留所までは乗車できない。
正面に荒川土手の堤防が現るとバスは左折し、首都高速川口線(C2)の高架下を走る。高速のジャンクション下にてバスは右に入って坂を登り江北橋を渡る。右手には首都高速王子線(仮称・未開通)の真新しい江北橋が見え、都会の密度の高い圧迫的な空間とは違う開放的な荒川土手が広がる。
宮城にて左折し、工場の多い地区を走っていく。この辺りの宮城・小台は荒川と隅田川に囲まれた交通不便な地域でもあり、この地域にとってこの路線はJR田端駅までのアクセスとして利用されている。その為に駒込病院までの便が多数存在している。右手に荒川遊園地の観覧車が見えると小台二丁目となり、工場地帯の狭路をくねりながらバスは走る。
小台橋で隅田川を渡ると荒川区・西尾久となり、両側に商店街が続くようになる。小台にて都電荒川線と交差するが、ここは小台という町名ではないのだが、何故か都電と都バスの停留所には「小台」と名付けられている。明治通りを横切って北区となり、JRの引き込み線踏切を越えて下田端となる。そして、突き当たりを左折すると、右手にJR東日本東京地域本社のビルを眺めて、JR山手線・京浜東北線を田端大橋の陸橋で越えると田端駅前となる。ここでかなりの乗客が下車する。
田端駅を出るとバスは下町低地から山の手台地に入り、切り通しの中を通り抜ける。動坂下で不忍通りと交差して、急坂を登ると都立駒込病院が右手に現れる。
この辺りから街路樹の緑が目立ちだし、イチョウ並木が続く文京区のお寺の多い地域を走っていく。そして、本駒込にて本郷通りに合流する。ここから本郷二丁目までは茶51系統と同じルートを走る。東京大学を左に見て、正門・赤門を通り越すと本郷三丁目となる。本郷二丁目からバスは右に曲がって、順天堂病院、東京医科歯科大学を左に見て、神田川と美しい聖橋を眺めながら橋を渡ると、御茶ノ水駅前となる。
楽器専門店やスキー専門店などが多く連なる学生街を徐々に下りながら、右手に明治大学を眺めて、三省堂書店本店が見えると駿河台下交差点となる。本屋街・神田神保町は右手すぐのところにある。
駿河台下を過ぎると、オフィス街の様相を呈するようになる。近代的なビルディングが建ち並んでいる。神田錦町にて上下線が別れ、東京では珍しい5車線の一方通行の道を走る。神田橋にて日本橋川を渡り、首都高神田橋ランプを通り過ぎる。右手には気象庁・消防庁等が存在する大手町合同庁舎が見え、ビジネス街の中心地・大手町となる。
右手に皇居のお濠と森が見えるとバスは左折する。大正3(1914)年にオランダのアムステルダム中央駅を参考にして辰野金吾が設計したルネサンス様式赤煉瓦駅舎・東京駅丸の内口の姿が見えると、終点東京駅北口となる。

学07 東大構内⇔御茶ノ水駅[都バスで東京発見]

御茶ノ水駅と東京大学を直結する路線

学07 東大構内⇔御茶ノ水駅(経由)竜岡門 大塚営業所

路線keyword:東京大学,東京大学病院


上野駅と日本の最高学府・東京大学とを直結する路線である。系統番号の先頭が「学」となっている路線は、「学バス」と呼ばれ、大人運賃が170円で乗車することができる(通常200円)。行き先が「構内」となっているように、このバスの終点は、大学の門をくぐって東大の構内に操車場が設けてある。さすがは「東大」といったところか。
東大構内を出発すると、東大病院前に停車し、竜岡門を通過すると、東大構外となる。あとは御茶ノ水駅までノンストップ。順天堂大学病院が見えてくると、左手に御茶ノ水駅のホームとアーチ型の聖橋を見ながら神田川を渡って、御茶ノ水駅前となる。

都02乙 池袋駅東口⇔文京区役所[都バスで東京発見]

池袋と小石川・小日向・春日界隈とを結ぶ路線

都02乙 池袋駅東口⇔文京区役所(経由)大塚3丁目・伝通院 大塚営業所

路線keyword:雑司ヶ谷霊園,護国寺,文京区役所,小石川・春日界隈,グリーンライナー


かつては池67系統:池袋駅東口・一ツ橋間の運行だったが、現在は池袋駅東口・文京区役所間に短縮され、同時に系統番号が都02乙に変更された路線である。その時の名残で、現在でも平日・土曜の朝に数本、一ツ橋行のバスが走っている。
池袋駅東口を出ると、首都高速5号線の高架の下を南下し、都電荒川線の線路を横切り、雑司ヶ谷霊園付近を通る。護国寺にてバスは左に曲がり不忍通りを走る。
車内の乗客はかなり老人が多い。文京区は大正時代頃より「山の手住宅地」を形成していた古い住宅地なので、老人の数が多い地域となっており、文京区を走る都バスに乗ると、必ず老人の姿を見かけることができる。バスは地下鉄と違って気軽に乗降できることから、老人にとってはバスの方が便利な交通機関であろう。
大塚三丁目で右折し、春日通りへ入る。ここから終点の文京区役所まで、小石川・小日向・春日界隈を、都02系統とほぼ同じルートで走る。

都02 大塚駅⇔錦糸町駅[都バスで東京発見]

大塚から錦糸町までを春日通りで横断する乗客多い路線

都02 大塚駅⇔錦糸町駅(経由)文京区役所・御徒町駅・本所一丁目 大塚営業所

路線keyword:春日通り,文京シビックセンター,東京ドーム,上野広小路・アメ横,厩橋,グリーンライナー


鳩が戯れ、その横を都電が走る。錦糸町行の都市新バス・グリーンライナーはそんな大塚駅前広場より発車する。
大塚駅を出発するとバスは南下し、新大塚で春日通りに入る。大塚三丁目を過ぎて、右手にお茶の水大学、都バスの大塚営業所が現れて、茗荷谷駅となる。この辺りは台地なので、上野広小路までは坂の多い道を登ったり降りたりしながら、小日向、小石川、春日と文京区内を走っていく。文京区は、明治以降に諸大名の屋敷跡地に大学等の文教施設を多く設置したところから「文京」という名がついたという。東京大学を筆頭に、跡見学園短大、お茶の水女子大学、順天堂大学、拓殖大学、中央大学理工学部、東京医科歯科大学、東洋女子短大、東洋大学、東邦音楽短大、日本女子大学、文京女子短大と、これらの大学・短大が文京区内に存在している。かつては、東京教育大学(現筑波大学)、東京農業大学も存在していた。
また、文京区は大正時代の頃から、「山の手」住宅地となっていた地域であり、そのため老人の姿を多く目にする地域である。文京区は落ち着きのある独特な雰囲気の漂う場所である。
伝通院前<説明>を通ると、上部が半円形になっている真新しい高層ビル・文京シビックセンター(文京区役所)が前方に現れ、富坂上のバス停を過ぎると急な下り坂となって、文京区役所前となる。この区役所庁舎は「豪華庁舎」として一時期話題にのぼった建物で、最上部は無料展望台となっている。内部は吹き抜けになっており、シースルー(ガラス張り)の高速エレベーターから、区役所の各階の内部をのぞき込みながら展望台に行ける楽しい設計になっている。
ビルの谷間から東京ドームの丸い屋根が右手に現れ、白山通りを横切って東に進む。東京大学の最寄りバス停である本郷三丁目を過ぎると、学問の神様・菅原道真を祭る、合格祈願で有名な湯島天神前となり、坂を下って上野広小路となる。右手に上野松坂屋が現れ、御徒町の繁華街の中を突っ切る。左手のアメ横には人々が大勢うごめいていた。この場所は通過するのに時間がかかることが多いが、現在都営地下鉄12号線の駅建設工事中で、渋滞に一層拍車をかけている。
JR線のガードをくぐると、右手には宝石・貴金属専門店が建ち並ぶジュエリータウンが通り過ぎる。昭和通りを横切り、バスは春日通りを進むが、この辺りから文京区とは対照的な下町の雰囲気を徐々に呈するようになる。元浅草、三筋と過ぎると、隅田川を美しい3連アーチの厩橋で渡って、墨田区となる。
本所一丁目からは春日通りに別れを告げて、清澄通りを南下し、蔵前橋通りに左折する。バス停名は石原のオンパレードとなるのだが、正しい読みは「いしはら」なのか「いしわら」なのか。商店街やバス停留所のローマ字表記は「いしはら」となっているが、区役所の設置する町丁目名の看板やバスの車内案内放送では「いしわら」となっている。停留所の表記と案内放送とで異なっているのには「おや?」と思うが、地名辞典によると「いしわら」という読みで記載されているので、とりあえずは「いしわら」が正しいという結論にしておく。
そんな事を考えているうちに、終点錦糸町駅に到着した。

学01 東大構内⇔上野駅[都バスで東京発見]

上野駅と東京大学を直結する路線

学01 東大構内⇔上野駅(経由)上野松坂屋 大塚営業所

路線keyword:東京大学,東京大学病院


上野駅と日本の最高学府・東京大学とを直結する路線である。系統番号の先頭が「学」となっている路線は、「学バス」と呼ばれ、大人運賃が170円で乗車することができる(通常200円)。行き先が「構内」となっているように、このバスの終点は、大学の門をくぐって東大の構内に操車場が設けてある。さすがは「東大」といったところか。
上野駅浅草口を出ると、オートバイの専門店が連なる昭和通りに出て、上野駅正面口を眺める。右折して、御徒町駅のガードをくぐり、アメ横を過ぎると松坂屋前となり、中央通りと交差する。このあたりの渋滞がひどく、東大から上野駅までは、歩いた方が早いような気もする。
途中の停留所は飛ばして、竜岡門をくぐると東大構内となりレンガ調の建物が連なってアカデミックな雰囲気となる。東大病院を過ぎて、まもなく終点となる。安田講堂は左手奥すぐのところにある。