潮風公園【東京考察#141】

The Shiokaze park ( Odaiba )


ホテルグランパシフィックメリディアンを背景に
芝生が広がる潮風公園


 昔の東京都の区分地図を見てみると,現在のお台場は「13号地」と記されているだけの何もない茶色の埋め立て地の表記になっているが,潮風公園の部分はすでに緑色に塗られており「13号地公園」となっていた.かつての13号地の風景からは想像もつかないほど近未来的な都市に変貌したお台場であるが,公園の隣にある「船の科学館」とこの公園はお台場の老舗の施設と言ってよく,昭和49(1974)年の開園である.その後,臨海副都心・お台場の整備に伴って,平成4~8年に再整備され現在の潮風公園となった.かつては,品川駅と門前仲町駅を海底トンネル経由で結ぶ都営バスが走っていたが,当時は「海上公園」というバス停があって船の科学館へのアクセスを行っていた.草ぼうぼうの殺風景な埋め立て地だった風景がかすかに頭の中に残っている.
昔話はさておき,潮風公園はお台場の主要施設からは少し離れた東京港寄りにあるため,お台場の商業施設に来た人にとっては,この公園にわざわざ行こうと思って歩いてこなければ,気がつかない存在であろう.公園内には広い芝生や水遊びの出来る水のせせらぎ,バーべーキューコーナーなどがあり,家族連れでのんびりと休日を過ごすにはもってこいの場所である.また,風景が贅沢で,近代的なホテルやレインボーブリッジ,開放感ある東京港,そして羽田空港に離着陸する飛行機を眺めながら,非日常空間を体験するのも楽しいものである.

 
開放的な芝生が広がる(太陽の広場)


レインボーブリッジを背景に



バーベキューも出来る(要予約)


バーベキューは手ぶらで来ても大丈夫.
すべて貸出OK(食材も)



水遊びも出来る


家族の一コマ


隣には「船の科学館」がある
クイーンエリザベス号(6万トン級)と同じ大きさに造られている


ビニールシートを広げてランチタイム


13号地海底トンネルの坑口
首都高を挟んで北地区と南地区に分かれている


水と緑のプロムナード

竹芝桟橋【東京考察#140】

The Takeshiba pier


竹芝桟橋


 竹芝桟橋は,三宅島や八丈島などの伊豆諸島,父島・母島の小笠原諸島まで向かう船が発着する「竹芝客船ターミナル」があるところである.再開発によって「ニューピア竹芝」というオシャレなデートスポットに生まれ変わり,穴場的存在の場所でもある.ホテルインターコンチネンタル東京ベイをはじめ,レストランやショップも併設されており,竹芝埠頭公園には国旗の掲げられた帆船のモニュメントが置かれている.東京港(隅田川の河口)に面した部分には遊歩道が整備されており,晴海埠頭やお台場・レインボーブリッジなどのダイナミックで開放感ある景色を眺めることができる.
アクセスは,新橋駅・お台場から新交通ゆりかもめで竹芝駅下車徒歩1分,JR浜松町駅から徒歩約10分程度.


ランチクルーズ船


船乗り場


遊歩道からは開放感ある景色を眺められる

 
左:隅田川河口 橋は「勝どき橋」
右:お台場方面を望む


竹芝埠頭公園には帆船のモニュメントがある.


竹芝客船ターミナルの待合所 伊豆諸島・小笠原への玄関口


船への見送りが出来るように,送迎デッキもある.


「東京愛らんど」という伊豆諸島・小笠原の物産館もある

新橋駅日比谷口・烏森口【東京考察#139】

The Shimbashi station hibiya ・ karasumori gate


新橋駅日比谷口
(烏森口はさらに南側の出口)


 新橋というと「サラリーマンの街」というイメージがある.それは,新橋駅烏森口・日比谷口方面には霞ヶ関の官庁街をはじめ,本社業務の集中する虎ノ門を後背地に持っていることに起因している.線路を挟んだ反対側のオシャレで最先端の流行をいく汐留再開発とは対照的に,こちら烏森口はおしゃれな雰囲気はなく,赤提灯の一杯飲み屋が似合う,そんな街が形成されている.


日比谷口の広場にはSLが置かれている.
新橋(現:汐留)は日本鉄道発祥の駅である.
サラリーマンへのインタビューがよく行われているのも「ここ」.


烏森口は夜になると,サラリーマンが吸い込まれていく.


飲屋街.裏路地的な雰囲気がたまらない.


烏森口といえば「ニュー新橋ビル」ははずせない.
雑居ビルである.(詳しくは下で)


日曜日とあって,ほとんどの店が閉まっていたが,
このニュー新橋ビルには,サラリーマンのためのお店がカオス状態で入っている.


Yシャツがずらり


出張旅費を浮かせましょう.(チケットショップ)


営業の空いた時間に一稼ぎ!(パチンコ屋)


ストレス解消には指圧マッサージが一番.

このほかにも,薬屋・ハンコ屋・クリニック(病院)・理髪店・喫茶店・サラ金屋,
珍しいところでは,福島県いわき市のアンテナショップ「いわき・ら・ら」も入っている.


ニュー新橋ビルの壁面広告
やっぱり中年男性の悩みどころか・・・・.

渋谷スペイン坂【東京考察#138】

The Shibuya Spain slope


スペイン坂通り(開店前)

 


 渋谷という街は坂の街である.渋谷駅が谷底となっており,あとは外に向かうし従って徐々に上り坂となっている.そんな坂の地形をうまく利用して歩行者専用の道路があり,路地裏的な幅員の道路にびっしりとお店が張り付いている通りが「スペイン坂」である.なんともロマンチックな名前が付けられており,このヒューマンスケールの狭い道幅が,魅力を増幅している.頂上には東京FMのスペイン坂スタジオがあり,運が良ければガラス張りの放送室から人気のミュージシャンのライブ放送を見ることができる.スペイン坂を最初発見するのは難しいかもしれない.センター街を突っ切って右に曲がって,ハンズの手前で右に入る.ロフトの先のパルコの手前で左に曲がる.地図を見ながらたどり着きましょう.


スペイン坂
途中階段になる


上から下を見るスペイン坂
まだ午前中の開店前なので人通りが少ない


頂上にはミニシアターがある


そして,東京FMのスペイン坂スタジオ
パルコの1階にあたる

渋谷ハチ公前【東京考察#137】

Shibuya Hachiko


忠犬ハチ公


 渋谷ハチ公前はあまりにも有名な待ち合わせ場所である.週末の夕方となると,溢れんばかりの人だかりができていて,相手を探すのにも一苦労する場所である.そのため,待ち合わせを指定するときは,「喫煙所の近く」とか,半蔵門線(田園都市線)の階段の上あたり,とかハチ公前でもさらに細かい場所を指定しないといけない.
ご存じの方も多いと思われるが,忠犬ハチ公は大正12年秋田県で生まれた秋田犬で,農業土木の博士であった上野栄三郎に飼われていたが,先生が亡くなってからも毎日渋谷駅前で先生の帰りを7年間も待ち続けていたという実話があり,これが人々に感銘を与えて銅像が造られたものである.しかも,この銅像はハチ公が生きているときに造られており,ハチ公の目の前で除幕式が行われている模様の写真が残っている.生きているうちに銅像が建ってしまうのだから,偉大な犬である.戦時中には金属回収令により撤去されてしまったため,今の銅像は昭和23年に再建されたものである.ハチ公は昭和10年3月に11歳で一生を閉じたが,ご主人である上野先生のお墓の隣(青山墓地)に分骨が埋葬され,ハチ公の亡骸ははく製として上野の科学博物館に保存されている.


詳細地図


ハチ公前広場
夕方になると大混雑する(この中に小さくハチ公が見えます!)


今は喫煙所もできた


ハチ公前広場


スクランブル交差点・センター街方面を見る


「地下鉄階段の下から5段目」などといった待ち合わせ方法も・・・


JR線を降りて最初に見える風景


実は,こんな平和の銅像もある


もうひとつの待ち合わせ場所である「モアイ像」
ハチ公前とは京王井の頭線を挟んだ反対側にある

東京メトロ(営団地下鉄の民営化)【東京考察#136】

Tokyo Metro(The privatization in the Teito Rapid Transit Authority)


2004年4月より営団地下鉄が民営化して「東京地下鉄株式会社」,通称「東京メトロ」に生まれ変わった.今まで「S」を形取ったマークだったのが,メトロの「M」をイメージしたものに変更され,地下鉄の出入り口や車両にはこのマークが掲げられるようになった.
もともと「メトロ」という言葉には地下鉄という意味はなく,首都という意味だけだったが,イギリス・ロンドンの地下鉄がメトロポリタン鉄道という名でスタートさせたことから,ヨーロッパ各国でメトロという言葉で地下鉄を呼ぶようになり,意味が定着していったという.今でも,パリやモスクワでメトロという言葉が使われている.ちなみにロンドンではアンダーグラウンド,アメリカではサブウェイである.
この東京メトロの誕生にともなって,外国人観光客などに位置を把握してもらいやすいように,「駅番号」を付けることにした.これは,韓国・ソウルの地下鉄では既に実施されているものであり,国際観光都市「東京」を目指す石原都知事の一声により実施されることとなった.アルファベットが路線名,その後の番号が駅番号となっており,たとえば銀座線の渋谷駅は「G-01」という具合である.ホーム駅名看板や路線案内図,車内電光掲示板などに駅番号が記載されるようになったが,今後は東京の旅行ガイドブックなどにも盛り込まれていき,旅行者にも周知されていくことであろう.ただ,欲を言えば,地上にある地下鉄の入口(降り口階段の部分)にも駅番号を記載した路線の○マークを入れると,もっと外を歩いている旅行者には分かりやすいのではないかと思われる.ソウルでは地下鉄入り口にも番号が記載されている.
ちなみに,営団地下鉄の正式名称は「帝都高速度交通営団」であった.銀座線を運営していた地下鉄会社を役所が引き取り,帝都東京を走るのでこのような名前になったというが,今まで軍国主義日本を連想される「帝都」という言葉が陰ながら脈々と生き続けてきたところに,戦前の軍国主義的なものを垣間見ることができて,なんか不思議なものを感じる.「帝都」とは皇居のある都という意味である.でも,そんなことをいったら,「帝国ホテル」や「帝国劇場」も同じことか.


かつての営団地下鉄の「S」マーク
馴染みのマークだった.


駅番号の入ったホーム看板
Nは南北線を表す


こちらは銀座線(G)


銀座駅では,背景をダークブルーにした看板にリニューアルされていた
(日比谷線銀座駅)


丸ノ内線はこんな感じ


電車の先頭には「M」のマークが付けられている


車内の路線図にも番号が入った


ソウルの地下鉄出入り口
ソウルでは駅入り口にも駅番号が付けられている