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池86 東池袋四丁目⇔渋谷駅東口[都バスで東京発見]

渋谷-表参道-新宿-池袋のラインを明治通りで結ぶ路線

池86 東池袋四丁目⇔渋谷駅東口(経由)池袋駅東口・新宿伊勢丹 早稲田営業所

路線keyword:明治通り,新宿伊勢丹,高島屋タイムズスクエア,サンシャイン60,表参道,ハチ公前


東京でも有数な繁華街である渋谷・新宿・池袋を明治通りで結び、便利な路線のように思えるが、それ故に道路の渋滞も激しく、移動には時間のかかることが多い。
本系統と早81系統の早大正門行は、渋谷駅東口のバスターミナルからは発車せず、駅北側の三和銀行前(渋谷駅西口停留所)か東急イン前(渋谷駅東口停留所)のバス停から乗車することになる。渋谷駅を発車すると、左手に宮下公園が現れる。流行発信の街・渋谷から表参道までを結ぶ明治通り沿線には、さすがにお洒落なショップ・レストラン・ブティックが建ち並んでいる。
クリスマスシーズンになると電飾をつける立派なケヤキ並木の続く道路と交差すると、右手に原宿プラザ、左手にラフォーレ原宿が見えて表参道停留所となる。この辺りは土休日になると人々でごった返している。パレフランスの手前が原宿通りであり、左手に一瞬見ることができる。そして、神宮前一丁目となる。
神宮前一丁目を過ぎると、パタリと店がなくなって、賑わいのないビルの建ち並ぶ街並みがしばらく続く。千駄ヶ谷、北参道と過ぎると、再び街並みが賑やかになり、左手に東急ハンズや紀伊国屋書店がテナントとして入る高島屋タイムズスクエアの建物が過ぎ去って、JRAウインズ新宿前の新宿四丁目停留所となる。
左手に新宿駅南口ルミネを望むことができる甲州街道を横切り、右手に丸井が見えて、左手に新宿伊勢丹が現れると、新宿通りを横切って新宿伊勢丹前の停留所に到着する。
新宿五丁目交差点で靖国通りと交差し、バスは明治通りを北に進む。新宿の賑やかな街を抜けだし、左手に早稲田大学理工学部が現れて都立障害者センター前となる。
高戸橋交差点を過ぎると、右手に都内で唯一残った都電荒川線の線路が現れて、神田川を高戸橋で渡り、学習院下停留所となる。都電の停留所も右手にあって、乗換に便利なところである。学習院大学は左手の台地上に存在する。そして、バスは坂を上って千登勢橋をくぐり抜け、都電は右手に別れていき、左手に西武百貨店が現れると、池袋駅東口となる。
かつての本系統は池袋サンシャインシティーまでを結んでいたが、池袋駅東口・サンシャインシティ間に乗客がいなかったからなのか、現在は区間が変更され、バスの操車所が存在する東池袋四丁目という半端な行き先となった。
バスは池袋駅東口にて右折する。左手にサンシャイン60の超高層ビルが立っているが、周囲に高い超高層ビルが立っていないので、一際目立つ存在である。首都高速5号線の高架の下を走り、都電荒川線東池袋四丁目停留所と都電線路の手前にて、バスは終点となる。
せっかくの機会なので、サンシャインシティーについて記述する。サンシャインシティーは、昭和46(1971)年の東京拘置所(戦後米軍に接収されて以来「スガモ・プリズン」と呼ばれていた)の足立区小菅移転に伴ってできた跡地を再開発したところであり、昭和53(1978)年に地上60階、240mの日本一(当時)の超高層ビル・サンシャイン60が完成し、同時にサンシャインプリンスホテル・ワールドインポートマート・専門店街アルパ・プラネタリウム&国際水族館などを備えた複合施設である。サンシャインシティーは、池袋の地位向上に大きく貢献した開発である。

早81 早大正門-渋谷駅東口[都バスで東京発見]

渋谷から早稲田大学まで裏道を縫うようにして走る路線

早81 早大正門⇔渋谷駅東口(経由)四谷三・千駄ヶ谷駅 小滝橋営業所

路線keyword:早稲田大学,表参道のケヤキ並木,狭道,千駄ヶ谷界隈


渋谷駅ではターミナルに入らず、三千里薬局付近の西口、東映映画館前の東口に停車するループ運行となる。渋谷を発車すると左手に宮下公園を見て、おしゃれな店舗の続くケヤキ並木の道路をバスは快走する。表参道となり、かつてはクリスマスの電飾ツリーで名所となっていた通りを通って原宿駅前となる。近隣住民からの反対運動により、クリスマス時の電飾は中止となった。
左に明治神宮の森、右に竹下通りを見て、千駄ヶ谷に入ると、街並みは一変して落ち着いた雰囲気となる。仙寿院下のガードのコンクリート壁面には、芸術的なペイントアートが数多く描かれている。バスはぐるぐる迂回するように2車線の狭い道を走り、東京体育館・国立競技場が見えて千駄ヶ谷駅となる。
新宿御苑の東側を通り、四谷4丁目で晴海通りをちょいと走り、消防署前で外苑東通へ左折する。防衛庁を右に見て左折、かつてフジテレビ本社のあった河田町となり、東京女子医大前となる。
このあたりの道は狭く曲がりくねっている。車内のおばあちゃんたちからは「このあたりは戦争でやけなかったのよ」といった会話が聞こえてくる。若松町、喜久井町、馬場下町と過ぎ、早大正門となる。

四80 四谷駅⇔赤坂アークヒルズ[都バスで東京発見]

四谷駅から外濠(弁慶堀)沿いを走って赤坂アークヒルズまでを結ぶ路線

四80 四谷駅⇔赤坂アークヒルズ(経由)赤坂見附 新宿営業所

路線keyword:赤坂アークヒルズ,迎賓館(赤坂御所),高級感,弁慶堀(外濠),一流ホテル


アーク森ビルやサントリーホール、全日空ホテル、テレビ朝日放送センター等が存在するインテリジェントシティー・赤坂アークヒルズと四谷駅とを結ぶ路線であり、赤坂アークヒルズが地下鉄の駅から離れていることもあって、平日にはビジネスマンや訪問客によって混雑する路線である。現在、付近の六本木二丁目交差点にて営団地下鉄南北線・東六本木駅の開設工事が行われており、完成すると四谷-溜池-東六本木-麻布-目黒と結ぶことから、その後の本系統の存在が気になる路線でもある。
バスは四谷駅の裏手から発車し、外堀通りに入って四谷見附交差点を直進する。右手には国賓を迎えるための場所であるベルサイユ宮殿のような赤坂迎賓館(赤坂御所の一部)を見ることができる。緑の多く茂る落ち着いた空間をバスは走っていき、左手にはホテルニューオータニの建物群が現れる。カーブと下り坂が続き、左手には外濠・弁慶堀と首都高速が平行に走っていく。
金属的な外観を持つ赤坂プリンスホテルが左手に現れると赤坂見附交差点となり、バスは右折して新橋方面へ走る。赤坂東急プラザ(東急ホテル)前を通り、溜池にて六本木通りに右折して六本木方面へと向かう。すると間もなく六本木の手前にて全日空ホテル(赤坂アークヒルズ)1階のバス・タクシープールへと左折し、終点赤坂アークヒルズとなる。
赤坂アークヒルズ内にあるサントリーホールは、クラシック音楽専門のホールであり、世界でも最大級のパイプオルガンが置かれている。毎晩(平日)流れている「ニュースステーション」もここから放送されている。

平成12年12月、大江戸線・南北線の開通により廃止された。

王78 王子駅⇔新宿駅西口[都バスで東京発見]

ただひたすらに環七通りを走る東京23区内都営バス最長距離の路線

王78 王子駅⇔新宿駅西口(経由)豊玉北・高円寺駅入口 杉並・練馬営業所

路線keyword:環七通り(環状七号線),青梅街道,各種ファミリーレストラン,単調退屈


東京都23区(特別区)内の都営バスで最長距離(18.3km)を走る路線である。新宿と王子を結んでいるのだが、高円寺・豊玉北・東十条と環七通りをぐるりと迂回して結ぶルートとなっており、乗り通す乗客はまずいない。しかも、走る道路が青梅街道・環七通り・北本通りといった幹線道路であり、沿線風景も変化に乏しく、さらに交通量の多さ・渋滞の激しさでは悪評高き環七通りをひたすら走るとなれば、よほどの物好きでない限り本路線を乗り通す乗客はいないだろう。王子駅・新宿駅間の所要時間は約1時間となっているが、道路渋滞によっては2時間もかかってしまうことがある。
新宿駅西口路線バスターミナルを出発すると、左手に新宿エルタワー、裾の広がる安田火災海上ビル、新宿野村ビルの超高層ビル群が現れ、青梅街道を高円寺まで西に向けて走る。中野坂上で山手通りと交差し、相撲の二子山部屋が近くにある鍋屋横丁商店街を抜け、営団地下鉄丸ノ内線東高円寺駅を過ぎると、環七通り・高円寺陸橋となって、バスは右に曲がる。順調に走ればここまでおよそ20分である。
環七通りに突入である。東京には1号から8号までの環状道路が造られている。1号線から順に、内堀通り・外堀通り・外苑東通り・不忍通り・明治通り・山手通り・環七通り・環八通りとなっている。この中でも特に「かんなな」と呼ばれる環状七号線(環七通り)は東京湾部分を除く全区間において環状線が整備されており、東京都心部を通過したい自動車(例えば横浜から大宮に行きたい車)にとっては環状道路を使うことにより、都心部の密集した市街地を通ることなく短距離・短時間で通過することができる。そのためにトラック等の交通量も多くなるのであり、環状道路は交通政策上も重要な道路である。環七通りと郊外へ延びる放射状の幹線道路との交差点には、陸橋が設けられており、信号待ち等によって環状線を直進する車のスピードが落ちないように設計されている。
一般的に路線バスの停留所はそのような陸橋の下の側道部分に置かれていることが多く、陸橋の上を路線バスが走っていく姿はあまり見かけないが、本系統は陸橋下の停留所には停車せず、陸橋の上をバスが走っていく。
野方にて西武新宿線の下をくぐり、豊玉北を過ぎたあたりで西武池袋線の陸橋を越える。羽沢で西武有楽町線新桜台駅前となる。
沿線の風景はこれといった特徴があるわけでもなく、街路樹と車・トラックのひしめく道路が続くだけで退屈極まりないが、環七沿線に多く見られるある施設をつぶさに眺めてみると結構暇つぶしになる。それは、ファミリーレストランとガソリンスタンドである。特にファミリーレストランは、「デニーズ」や「ロイヤルホスト」等といったメジャーな店舗から、聞いたこともないマイナーな店舗まで、多種多様な店が次々と後ろへ過ぎ去っていく。おそらく、東京で営業しているファミリーレストラン企業のほとんどの店舗を環七沿線で見られるのではないかと思うほど、ありとあらゆる店が現れていく。
常盤台で東武東上線の下をくぐると、環七通りは右にカーブするが、その左手に赤提灯を並べた立ち食いラーメン屋「土佐っこラーメン」が現れる。夜になると赤提灯には明かりがついて、路上に車を止めてラーメンをすする客の姿が絶えない。この地点が先頭になって渋滞が起こることもあり、道路には、「夜間の違法駐車取締りを強化します-板橋警察署」と書かれた看板が立っている。
大和町にて高速道路(上側)と中山道(下側)と交差する。大和町交差点は大気汚染度が都内ワーストワンという記録を持つ交通量の激しい場所であり、都営地下鉄三田線板橋本町駅前でもある。
バスはさらに環七通りを東へ進む。JR埼京線を越え、なだらかな下り坂を走りながらJR京浜東北線と東北・上越新幹線と交差し、隅田川手前に位置する北区神谷町の宮堀陸橋にてようやく環七通りから北本通りへと右折する。そして、王子五・四・三・二丁目と王子のオンパレードとなって終点王子駅前に到着する。

早77 早稲田⇔新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿と早稲田を結ぶ明治通りを走る路線

早77 早稲田⇔新宿駅西口(経由)高田馬場2丁目・新田裏 早稲田営業所

路線keyword:早稲田大学,明治通り,新宿歌舞伎町


都電の早稲田停留所から東に少し歩いたところに都バスの早稲田営業所があり、そこに早稲田バス停留所がある。新宿駅西口行のバスは都電のりばの直前で左の道へ入り、坂を登りながら早稲田大学の真ん中を突っ切る。周りを歩く人々はほとんどが学生であり、昼どきは食事を求める人々がごった返している。店先に掲げられているランチセットも低料金のものが多く、思わず途中下車して入ってみたくなる店もある。コンビニエンスストアも学生達で混雑していた。
高田馬場口交差点で明治通りへ左折し、バスは南下する。停留所に止まる度に乗客がどんどん乗ってくる。いつのまにか車内は混雑していた。道沿いには高層ビルが建ち並び、道路の幅員が小さい(とは言っても4車線道路である)からなのか、高い壁に両側から囲まれているような圧迫感を感じる。
新宿5丁目にて右折し靖国通りに入る。新宿から早稲田に向かうバスは、一本南側にある新宿通りを走るので、ここは通らない。右手に丸井を見て、左手に伊勢丹が現れ、看板が派手になってくると、都内有数の歓楽街歌舞伎町であり、新宿大ガードでJR線の下をくぐると、新宿西口バスターミナル終点となる。

秋76 新宿車庫⇔秋葉原駅東口[都バスで東京発見]

初台・新宿・飯田橋・秋葉原と都心を東西に結ぶ路線

秋76 新宿車庫⇔秋葉原駅東口(経由)新宿駅西口・飯田橋 新宿営業所

路線keyword:峡谷のような神田川,牛込界隈,秋葉原電気街,歌舞伎町


秋葉原駅東口バスのりばは、営団地下鉄日比谷線秋葉原駅近くの小さな公園の前に存在する。新宿車庫・飯田橋間の折返し便が多数存在する路線であるが、日曜の日中には秋葉原等への買い物客を考慮して、全便全区間の運行となっている。
秋葉原駅を発車すると、右手に電気街、左手に神田川に架かる万世橋を見て中央通りを横切り、高い位置に架けられているJR総武線のグリーンの鉄橋下を通り抜ける。バスは飯田橋まで、神田川・JR総武・中央線に沿って走っていく。
左手に美しいアーチの形をした聖橋と神田川、そしてその奥にJR御茶ノ水駅が見えると、御茶ノ水駅停留所となる。御茶ノ水駅から順天堂大学前を通り過ぎると、左手には深く掘られた峡谷のような神田川と、その崖っぷちに走るJR線、崖上にそびえ立つビルディングが眺められ、東京ではあまり見られない一風変わった風景となる。この辺りの神田川は、江戸時代において駿河台の北側を開削して江戸城の外堀にしようと人工的に掘られたものである。
水道橋となり、右手に後楽園・東京ドームの正面入口と後楽園ゆうえんちのパラシュートが現れ、続いて後楽園の黄色いビル、青いビルが現れる。
飯田橋となり、左手に飯田橋駅と再開発ビルが現れて、飯田橋交差点を右斜め前方の大久保通りへ右折する。ここからは2車線の道路となり、坂が多くなる。
坂を上ると右手に東京厚生年金病院が現れ、続いて神楽坂となる。この辺りの地図を開いてみると、町名が細かく分割されていて、なおかつ丁目がないことに気づく。昭和37(1962)年に住居表示に関する法律が施行されて、町名の改正や地番整理が行われたが、この地域は昔から続く町名がそのまま踏襲され、変更されなかった。バスは、地下鉄の交通が不便な新宿区東部の牛込界隈の住宅街の中を走っていく。
若松町にて左前方の道に入り、東京女子医大病院と臨海副都心への移転を間近に控えたフジテレビ本社が近くに存在する河田町となる。このバスは両者の正門前は通らない。
抜弁天を通り、大久保一丁目にて明治通りに左折する。新宿駅から飯田橋へ向かうバスは明治通りを通らず、歌舞伎町の新宿区役所前を走るルートとなる。
新宿五丁目で靖国通りに右折し、大繁華街・新宿歌舞伎町の賑やかな街並みとなる。派手な看板の立ち並ぶ歌舞伎町を突っ切り、JRの大ガードをくぐって左折すると、バスターミナルの広がる新宿駅西口の広場となる。バスは小田急百貨店に沿って西口広場を走り、小田急百貨店に隣接する京王デパート前に来ると新宿駅西口停留所となる。右手には新宿副都心の超高層ビルが幾つもそびえ立っている。
バスは初台にほど近い新宿車庫まで運行する。新宿駅にて若干の乗客を乗せ、国道20号・甲州街道へと右折する。正面には新宿パークタワーの3棟の超高層ビルが、左手には文化服装学院が現れる。新宿パークタワーへ行くビジネスマンは西参道で降車する。
初台交差点にてバスは右折し、左手に新宿オペラシティータワーが現れると、右手に新宿車庫が現れて終点となる。新宿車庫は、背景に都庁や新宿パークタワー等の超高層ビル群が立ち並んでいる景観の中に、都営バスがズラリと並んでいる光景が見られる、都会的な風景画が楽しめる場所である。

平成12年12月、大江戸線の開通により廃止された。

宿74 新宿駅西口-東京女子医大[都バスで東京発見]

新宿から東京女子医大までを結ぶ路線

宿74甲乙 新宿駅西口⇔東京女子医大(経由)抜弁天・河田町・国立国際医療センター 新宿営業所

路線keyword:東京女子医大,新宿歌舞伎町,抜弁天


新宿駅から東京女子医大までを結ぶ路線であり、抜弁天経由と国立国際医療センター経由の2路線が存在し、交互に出発している。ルート的には抜弁天経由のほうが近い。東京女子医大病院までのアクセスもあるが、河田町・若松町・余丁町・戸山町地域の新宿駅までのアクセスの役割も果たしている。近年、地下鉄大江戸線が開通したが、地下深いホームまでの乗り降りを考えると、バスを利用した方が気軽で便利である。
新宿西口の小田急ハルク前から発車する。新宿駅の小田急デパートを正面に見て左折し、大ガード西の交差点を右折、JR線の大ガード下をくぐって、東口・歌舞伎町となる。左手にはネオン輝く歓楽街が広がり、歩道は人でごった返している。ゴミが散乱し、道路が非常に汚い。新宿5丁目で明治通りへ左折する。花園神社が現れる。
ビルとビルに挟まれた明治通りを北に向けて走り、抜弁天経由のバスは、東新宿駅(新宿7丁目交差点)で右に曲がる。

抜弁天経由---
そして抜弁天となる。昔は抜弁天という地名が浸透していたが、現在は河田町という町丁名になっている。山手の中の下町的な雰囲気の街並みが続く。かつてはフジテレビがあった河田町にて右に曲がり、まもなく左手に東京女子医大が見えて終点となる。大学病院前にバスの折り返し用の操車場がある。

国立国際医療センター経由---
明治通りを直進し、大久保通りで右に入る。各種統計資料を閲覧できる総務庁統計局の統計センター前を通り、国立国際医療センターとなる。若松町にて右にぐるりと曲がり、河田町にて左に曲がると、東京女子医大前となる。東京女子医大前では、白衣を着た若い医者の卵たちが、道路を横断している。救急車が頻繁にやってきて、「脳神経に入りまーす」、などとスピーカーからアナウンスしながら走っていく。

高71 高田馬場駅-九段下[都バスで東京発見]

高田馬場から防衛庁前を通り靖国神社・日本武道館のある九段下までを結ぶ路線

高71 高田馬場駅⇔九段下(経由)大久保通り・市ヶ谷駅 小滝橋営業所

路線keyword:靖国神社,日本武道館,防衛庁,BIGBOX


高田馬場駅から九段下までの路線は、他に小滝橋車庫からやってくる江戸川橋経由の飯64系統がある。
BIGBOX横を発車し、商店の並ぶ緩やかな登り坂の続く駅前通りを走る。明治通りにでて、新宿方面に進路を向ける。大久保1丁目で左折し、かつてフジテレビ本社のあった河田町となる。東京女子医大前、韓国学校を通り過ぎ、市ヶ谷界隈を走っていく。
防衛庁が左に見えてきて左折、合羽坂下となる。左手には塀とセキュリティーのセンサーが張り巡らされている敷地が続く。自衛隊市ヶ谷駐屯地そして防衛庁の立派な建物が現れる。広々とした庭を備える、豪華なリゾートホテルのような趣である。左手に釣り堀と市ヶ谷駅ホームを見ながらお堀を渡ると、市ヶ谷駅前となる。
左手に瓦屋根の塀と緑の茂みが現れた。靖国神社である。右手に皇居北の丸公園と日本武道館が見えると終点九段下となる。

田70 田町駅東口(港区スポーツセンター)⇔新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿・青山・六本木・麻布十番・田町と結ぶ路線

田70 田町駅東口(港区スポーツセンター)⇔新宿駅西口(経由)六本木 新宿営業所

路線keyword:新宿(新宿通り),青山,六本木,麻布十番,鳥居坂の急坂狭路,神宮外苑・赤坂御所


 本路線は、三田付近にて三ノ橋経由と赤羽橋経由の2つのルートを持っており、それぞれ交互に半数ずつ走るダイヤとなっている。系統そのものは目立たない地味な印象を受けるが、改めてルートを見てみると新宿・青山・六本木・麻布(十番)と都内有数の繁華スポットを走っている路線である。
新宿駅西口のバスターミナルを後にすると、裾の広がった安田火災海上ビルの高層ビルを左に眺めて右折し、東へ向けて走る。JR線の大ガードをくぐり抜けると右折して新宿通りとなり、右手に幾つも立ち並ぶ大きな映画の宣伝看板を眺めて新宿駅東口前となる。左はスタジオアルタ前となり、待ち合わせをする人々でごった返している。
新宿駅より都心(東)方向へのバスは、歌舞伎町に接する靖国通りを走る路線がほとんどであるが、この田70系統と早77系統の早稲田行のみ、靖国通りより1本南側に位置する新宿通りを走っている。人々で賑わう新宿通りを丸井・紀ノ国屋本店・三越・伊勢丹等を眺めながら四谷に向けて走っていく。
新宿二丁目から四谷三丁目までは都03系統と同じルートを走る。四谷三丁目にてバスは右折し、外苑東通りへ入って南に進路を変える。右手に信濃町煉瓦館の煉瓦の建物が見えて信濃町駅前となる。
信濃町駅を出ると、右手には神宮外苑の森、左手に明治記念館が現れる。続いて右手には都営北青山一丁目住宅、左手に赤坂御用地の森となり、緑の多い区間を走る。カーブが続いて青山通りと交差して、青山一丁目駅となる。
南青山一丁目、赤坂八丁目の落ち着いた街並みを走り、営団地下鉄千代田線乃木坂駅を過ぎると、左手に防衛庁が現れる。そして、六本木となる。
六本木交差点にてバスは往路復路が分かれ、右前方の喫茶店「アマンド」の横にある一方通行路へ入って急な下り坂を走る。午後8時以降はこの鳥居坂交通規制のため、港区スポーツセンター行も新宿駅西口行と同様の六本木五丁目を経由するルートになる。坂を降りて鳥居坂下となり、高速道路の高架橋が見えて一ノ橋・麻布十番となる。麻布十番商店街は右手に1本入った道沿いに存在する。
一ノ橋交差点で往路復路が一緒になる。かつての新宿駅西口行は城南中学校より分かれて、麻布トンネルを抜けてUターンし、六本木通りに出て六本木交差点を左折するルートであったが、現在は一ノ橋より飯倉片町・六本木五丁目を通って六本木交差点を直進するルートになっている。
一ノ橋から芝五丁目までは、三ノ橋回りと赤羽橋回りの2つのルートが存在する。
赤羽橋回りの場合、一ノ橋交差点を直進し、左手に東京タワーを眺めながら、首都高速の高架橋に沿って中ノ橋を走り、赤羽橋にて国道1号線に右折する。この区間は道路拡張工事を行っており、用地買収の済んだ空き地と商売等を続けている一軒家がポツポツと並んでいる。後ろを振り返ると、東京タワーが道路の軸線上にドカンと立っている。そして、芝五丁目となる。
三ノ橋回りの場合、……未乗。
札の辻にて第一京浜を横切り、JR東海道線・新幹線等の線路を越えて芝浦地区へと入り、藻塩橋にて左折して田町駅東口となる。バスは一つ先の港区スポーツセンターにて終点となる。

 平成12年12月、都営地下鉄大江戸線の開通により廃止された。

橋63 大久保駅⇔新橋駅[都バスで東京発見]

官僚の街を垣間見て国会議事堂を正面から眺められる唯一の路線

橋63 大久保駅⇔新橋駅(経由)市ヶ谷駅・国会議事堂 小滝橋営業所

路線keyword:国会議事堂,永田町,霞ヶ関,日テレ,番町,外国(韓国)人街


新橋を出発すると虎ノ門方面に向けて正面に霞ヶ関ビルを望みながらバスは走る。日本石油の眩しいほど輝く黄金の「希望の像」を右手に見ると、バスは右折し日比谷通りに入る。左手に日比谷シティーが現れる。内幸町にて今度は左折し、右手には市政会館(日比谷公会堂)、都立日比谷図書館、その背後に日比谷公園が存在する。
ここから先は、日本の中枢を担っている中央官庁街・霞ヶ関となる。まず手始めに、通商産業省が左手に現れ、家庭裁判所、合同庁舎5号館(厚生省・労働省・環境庁・国土庁・社会保険庁)、農林水産省(食糧庁・林野庁・水産庁)が右手に現れる。続いて次の街区に移ると、左手には大蔵省と合同庁舎4号館(総務庁・経済企画庁・北海道開発庁・国税庁)、右手には外務省・科学技術庁・公正取引委員会の建物が現れる。春になると街路樹の桜並木が美しく咲き誇る。正面に目を移すと、国会議事堂の姿がいつの間にか現れていた。現在の国会議事堂は、昭和11年に内幸町より移転してきたものである。
バスは、高さ65mの中央塔を左手に眺めながら国会議事堂横を南から北まで走る。北端になるとバスは左折し、今度は国会議事堂の横顔を眺めながら、日本で出版された全ての本の納品を義務づけている国会図書館前を通り過ぎる。そして、自由民主党の本部が見えると永田町となる。第2次世界大戦前までは、陸軍参謀本部として知られていた場所である。
この先の交差点は、国の中枢機関への警備のために事ある毎に検問所が設けられる場所である。不審者(外宣車やデモ隊など)が国会や霞ヶ関方面に進入しようとするときは、アコーデオン式の門を素早く道路に引いて、不審者を入れさせないようにする。
バスは青山通りに入るが、すぐに右折する。この右折の仕方が、ひとつの見物である。ここには信号機が取り付けられておらず、運転手が手を上げながら交通量の多い片側3(4かも)車線の自動車を強引に停止させて右折する。大型バスでなければ出来ない芸当である。ここからは2車線(両側)の狭い道になって平河町となる。
麹町となって晴海通りを鍵型に走ってバスは直進し、坂を下って上って江戸時代にはお屋敷が建ち並んでいた番長界隈となる。4チャンネルの日テレ前を通り過ぎ(ズームイン朝で後ろにグリーンの都バスが通り過ぎるときがあるが、あれはこの路線です)、坂を再び下ると市ヶ谷駅前となる。路上駐車が多く道も狭いので、非常に運転しづらいところであろう。
お堀を渡って右左折を繰り返すと、再び2車線の道路となり、牛込界隈となる。この辺りの地図を眺めると、町名の整理が行われておらず、旧町名が数多く残っている地域であることが伺える。山手台地の下町らしい街並みが続いていく。
牛込北町で左折し大久保通りとなる。国際医療センター、総務庁統計局前、戸山町を通り過ぎ、明治通りと交差する。大久保2丁目を過ぎると韓国のハングル文字が多くなり、新大久保駅となる。この界隈は韓国人などの外国人街が形成されており、地元商店街でもどのようにコミュニケーションを図っていくかがテーマとなっている。
左手には新宿副都心の超高層ビルがちょっと見えて、中央線の赤と総武線の黄色の電車が見えると、終点大久保駅となる。ここまで約1時間の旅路である。

白61 練馬車庫-新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿から牛込をぐるりとまわって練馬までを結ぶ路線

白61 練馬車庫⇔新宿駅西口(経由)目白駅・江戸川橋 練馬支所

路線keyword:牛込界隈,新宿歌舞伎町,練馬区,狭路,閑静な住宅街


 この路線は、新宿から牛込をまわり練馬までを結ぶ路線で、釣り針のように「J」の字型に走っていく。全線乗り通す客は少なく、新宿と牛込界隈、目白駅と練馬方面と、路線は1本であるが、それぞれの地域を輸送する役割を担っている。本数は比較的多い。
住宅に囲まれた練馬車庫を発車すると、右手に武蔵大学のキャンパスが現れて、環七通りのしたをくぐる。江古田界隈となるのだが、西武線の駅名の読みは「えこだ」であるが、バス停の読みは「えごた」となっている。
南長崎六丁目より一方通行の非常に狭い道の商店街の中を走っていく。買い物客、自転車の横断が非常に多く、運行しづらい区間であろう。東長崎駅を過ぎ、落合の住宅街を目白通りで走ると、目白駅前となる。
左手に川村学園、右手に学習院大学が見え、千登勢橋で明治通りと都電荒川線を越える。日本女子大が現れ、目白台界隈となり、椿山荘となる。
坂をくだって高速をくぐり江戸川橋。つきあたりを右折、ここから方向を変えていく。いままでの山手台地の閑静な住宅街から、密度の高い街並みへ変化していく。早大通りへ右折し、都内では珍しく道路の中央分離帯にケヤキが植わる道路を走る。真っ直ぐ進むと早大正門になるが、バスは左折し牛込界隈を走っていく。
再び住宅街の中を走り、起伏のある道路を走っていき、曙橋で靖国通りに右折、新宿を目指す。厚生年金会館を過ぎ、新宿五丁目からはネオンや看板が多くなり、新宿の雑踏が近づいてきたことを感じる。
歌舞伎町ではゴミが多く、非常に汚い。正面に新宿副都心の超高層ビル群を見て、JRの大ガードをくぐり、左に曲がると終点西口バスターミナルとなる。

上58 早稲田⇔上野松坂屋[都バスで東京発見]

文京区の縁を不忍通りでぐるりと走って上野と早稲田を結ぶ路線

上58 早稲田⇔上野松坂屋(経由)江戸川橋・動坂下 早稲田営業所

路線keyword:不忍通り,不忍池,古くからの山の手(根津・千駄木)


文京区の地図を眺めると、上58系統のルートがほぼ文京区の区境に沿ってぐるりとコの字型を描いて走っていることが分かる。古くからの下町と古くからの山の手住宅地である文京区の街並みを眺めることができる。
上野と早稲田の間にはこの路線の他に、上69系統の上野広小路・文京区役所・早稲田・小滝橋車庫と直線的に結ぶ路線がある。
バスは上野公園より少し南側に位置する上野松坂屋前(上野広小路)から発車する。右側にアブアブ(商業ビル)が見えると左折し、不忍池を右に見て上野公園停留所となる。不忍池は蓮の名所としても知られ、周囲約2km、かつてこの辺りが東京湾の入江だった頃の名残として池になったものである。北側は上野動物園の分園である水上動物園になり、西側は手漕ぎボートの浮かぶボート池となっており、休日には賑わいを見せている。
不忍池畔を北に向けて走り、池之端を通過する。地下鉄千代田線根津駅前となり、商店街が道路の両側に現れる。ここから本駒込あたりまで、延々と商店がほとんど途切れることなく続く。古くから栄える商店街である。根津、千駄木、団子坂下、道観山下といった古くから存在する下町の落ち着いた風景の中を、バスは路上駐車の車をよけながら、2車線の不忍通りをひた走る。
動坂下より急な上り坂を登って、六義園の最寄りバス停である上富士前となる。ここからは山の手台地となる。本郷通りを横切り、続いて白山通りを横切る。ここから先は坂が多くなり、坂を下って千石三丁目、坂を上って大塚三丁目、坂を下って護国寺正門となる。
護国寺より不忍通りに別れを告げて左折し、音羽通りを南に走る。江戸川橋にて神田川を渡り、首都高速をくぐって新目白通りに右折する。そして、リーガロイヤルホテルの高い建物が左に現れると、早稲田車庫前に到着して終点となる。

学02 高田馬場駅⇔早大正門[都バスで東京発見]

高田馬場駅と早稲田大学とを直結する路線

学02 高田馬場駅⇔早大正門(経由)西早稲田屋 小滝橋営業所

路線keyword:早稲田大学,BIGBOX


非常に本数が多く、利用客の多い路線である。早大の学生が利用するというよりは、高田馬場2丁目や西早稲田周辺への利用客が多い。学バスなので料金が170円で乗れるというのも嬉しい。
マラソンランナーが壁面に描かれているアミューズメント施設「BIGBOX」を背にしてバスは高田馬場駅を発車する。明治通りと交差し、学生街らしく古本屋、居酒屋、そしてラーメン屋が建ち並ぶ通りを走り、西早稲田となる。東西線早稲田駅のある馬場下門で左折すると、早稲田中高を通り過ぎ、まもなく正門前のロータリーとなる。

C・H01 新宿駅西口⇔都庁循環[都バスで東京発見]

超高層ビルのそびえ立つ新宿副都心・都庁を走る路線

C・H01 新宿駅西口⇔都庁循環(経由)都庁第一本庁舎 新宿営業所

路線keyword:東京都庁,新宿副都心,超高層ビル群


東京都庁の新宿副都心への移転に伴なって開設された路線であり、都庁には歩いても新宿駅西口から約10分程で到着することができる。新宿副都心に移転する前は、有楽町駅北側の丸の内に都庁が存在していた。
新宿副都心は、東京都がかつての淀橋浄水場跡地(約59ha)を昭和35(1960)年に新宿副都心計画として決定し、再開発を行ってきた場所であり、日本における超高層・高容積率都市開発の先駆的な例である。超高層ビルが建ち並ぶ景観は、アメリカ・ニューヨークの摩天楼を思わせるほどの迫力があり、新宿副都心で最初に開業したビルは京王プラザホテル(昭和47(1972)年)であった。
新東京都庁舎は丹下健三の設計によって昭和63(1988)年に起工し、平成3(1991)年に竣工した敷地面積約43,000㎡の庁舎である。新庁舎は、第一本庁舎・第二本庁舎・都議会議事堂の3つから成り立っており、この路線もそれぞれの建物を順に回って新宿駅に戻るルートとなっている。
都庁行のバスは1階の地上バスターミナルから発車するのではなく、タクシー乗り場等のある西口地下広場の噴水の見えるロータリから発車する。バス停付近には野宿をする人々の段ボール小屋がたくさん並んでおり、都庁行バスのりばには警備・案内も兼ねたバス誘導員が一人立っている。この路線はシャトルバスとして、他の一般路線(大人200円)よりも運賃が安く設定されており、大人180円で乗ることができる。
新宿駅西口を発車すると、バスは新宿副都心へ抜ける地下トンネルを西に向けて直進する。トンネルを出ると、左手に京王プラザホテル、右手に黒色の新宿三井ビル、右手前方に銀色の新宿住友ビルの超高層ビル群が目の前にそびえ立つ。そのままバスは直進し、左手に都庁第一本庁舎が現れると、都庁第一本庁舎停留所となる。右手にはホテルセンチュリーハイアット、第一生命ビルの超高層ビルが現れる。
新宿中央公園を正面に見てバスは左折し、第一本庁舎を通り過ぎると再び左折して都庁第二本庁舎停留所となる。ここは第一本庁舎と第二本庁舎とを結ぶ連絡通路にあたり、上には都庁通りが南北に通っているので、雨の日は第二本庁舎停留所で降りると濡れずに都庁に行くことができる。第二本庁舎は右手である。
第二本庁舎を出ると、バスは都議会議事堂の1階駐車場のゲートをリモコンで開けて左折する。その薄暗い駐車場内に都議会議事堂停留所があり、再びゲートを開けて駐車場を出てバスは右折する。駅西口に通じるトンネルを再び走って、タクシーの大勢並ぶ新宿駅西口地下広場に戻って終点となる。

夜の新宿【東京考察#19】

Shinjuku at night


アジア最大の歓楽街である新宿。夜の新宿を点景でお伝えします。


不法の露天商


東京一の歓楽街


怪しいネオン街


戦後闇市の面影が…


超高層ビルからの夜景


西口の地下。最終電車に乗り遅れないように…

都電荒川線(チンチン電車)【東京考察#18】

Toden Arakawa Line (only streetcar in Tokyo)


明治通りを走る都電
新幹線MAXの下をくぐる

 


 かつては縦横無尽に都内を走っていた都電であるが、モータリーゼーションの波には打ち勝つことができず、昭和42年~47年までの間に、この荒川線を残して全廃してしまった。この荒川線も廃止の予定であったが、専用軌道が多く代替交通機関がないこと、地元からの強い要望があったことにより、存続することになった。当時は、赤羽-王子-三ノ輪間と荒川車庫前-王子-早稲田間の2系統あったものを、赤羽-王子間を廃止して、1本化したもので、この時に荒川線という名が生まれた。


  
三ノ輪橋

 三ノ輪橋停留所は商店街に埋もれるように行き止まりとなっている場所である。この何とも言えない雰囲気が最高である。都電を降りると下町の商店街が目の前に広がり、小さいチンチン電車は街の中にすっかり溶け込んでいる。関東の駅百選に選定された。


 
小台-宮ノ前間

 都電が道路の上を走るのは、王子駅前-飛鳥山間と小台-宮ノ前間のみである。小台-宮ノ前間は、道路拡張が進み、もうじき道路中央に専用軌道が完成する見通しである。都電の車体には入口にステップがないので、ホームを設けなければならないが、段差がないので車椅子でも楽に乗ることができる。


 都電の運賃は大人160円である。乗るときに160円を運賃箱に入れる前乗り先払いとなる。しかし、朝のラッシュ時には運転手一人では多くの乗客をさばききれないため、朝の王子駅前では、車内にある運賃箱をホームに置いて臨時改札を行っている。

 


 
王子駅前-飛鳥山間

 この区間は、飛鳥山と音無川に挟まれているため、専用軌道になる見込みはない。明治通りの6車線の急坂を、車におされながらそろりそろりと走っていく。雨が降ると車輪が空転し、上らなくなってしまうことがある。そんなときは砂をまいて走っていく。


 
庚申塚

 4のつく日には巣鴨とげぬき地蔵の縁日となり、最寄の庚申塚停留所は大混雑する。都電はお年寄りにもやさしい乗り物で、地下鉄のように階段もなくすんなりと乗れるし、手軽に気軽に乗ることができる。世界的にこのようなライトレールの路面電車が見直されているのは、地球にやさしく、人にやさしい乗り物だからである。
停留所前に店を構える甘味どころの「氷」旗が風になびいて、降りてくる客を待っている。


  
庚申塚-巣鴨新田間

 線路の脇に勝手口がある、こんな家がたくさんある。この踏切には遮断機も警報機もついていない。まわりが静かなので、電車がやってくると、線路を伝って「カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン…」と段々音が大きくなってきて、電車が近づいてきていることを知る。


 
大塚駅前

 
学習院下-面影橋間

 下町ばかりを走っているように感じられる都電であるが、早稲田付近ではビルの林立する中をとことこ走っていく。サンシャイン60をバックに都電は快走する。



早稲田



チンチンとなる電動ベル

 チンチン電車とは、発車するときに「チンチン」と鐘がなることに由来する。もともとこのベルは、車掌さんが運転手さんに「乗降が終わって発車してもいいですよ」という合図を、紐を引っ張って鳴らしていたもので、車掌がいなくなってワンマン化された現在、あっても無くてもいいベルなのであるが、自動の電動ベルを車内に取りつけて、いまでも「チンチン」と鳴らして走っている。自動化してまでもこのベルを残そうと決断した当時の担当者(都の交通局か)にはユーモアと生きることに対するゆとりがあるように感じる。

歩行者天国【東京考察#17】

Pedestrian paradise (driveway only for pedestrians)


秋葉原電気街の歩行者天国(中央通り)

 


 子供の頃、車を通行止めにして車道の上を歩行者が歩ける歩行者天国を見て、なんてすごいことができるのだろうか、と感慨にふけった記憶がある。これこそ中心市街地活性化の一番の切り札であり、もっともっと導入されるべき施策である。
しかし、昭和50年代に始まったこの歩行者天国も、周辺道路の渋滞が激しくなり、徐々に廃止が広がり、今では、上野駅から秋葉原駅、日本橋から銀座、新宿駅から新宿3丁目、渋谷ハチ公前109付近などを残すのみとなってしまった。特に東洋一の長さを誇っていた、上野駅から銀座8丁目までの中央通りの歩行者天国は、神田駅付近で廃止となってしまい、上野駅まで自転車でくれば、あとは銀座まで一直線に快走できたのであるが、いまは出来なくなってしまった。たけのこ族などを生み出した原宿の歩行者天国(ホコ天)も過去のものとなってしまった。残念な限りである。新宿の歩行者天国では,「大道芸禁止」の看板の横で,大道芸などが繰り広げられている.現在は黙認ということにしているが,これも賑わい創出の策として,安全な範囲内でもっともっと導入されるべきである.



出店が立ち並ぶ(秋葉原)


暑い夏ならではのアイスキャンディー屋(秋葉原)



銀座4丁目交差点(銀座)

 
銀座の中央通り(銀座)



新宿三丁目付近(新宿)

 
新宿では大道芸が行われており,
大きな輪ができている(新宿)


「新宿の母」もいた


伊勢丹前で火を噴く大道芸人(新宿)

 
原則禁止であるが,賑わい創出策として有効である.

同潤会・江戸川アパート【東京考察#11】

The DOJUNKAI apartment at Edogawa

 


 

 No.5の東京考察で、
同潤会アパートのことを取り上げたところ、反響が多かった。
よって、第2段をお送りします。


現存する同潤会アパートは、「三ノ輪」「上野下」「清砂通」「大塚女子」、そして今回紹介する「江戸川」、前述の「青山」のみである。なにしろ、老朽化が激しく、雨漏りはするわ、ガスや水道の配管は腐敗してるわ、電気のアンペアは10A、風呂なし、などという条件が重なって、どのアパートでも建て替えの話が持ち上がっている。2001年11月の江戸東京博物館(両国)では、建築-都市の企画展を計画しているようで、その中で実物大の同潤会アパートの部屋を再現する予定だという。
江戸川アパートの入口には、上記のような看板が立てられていた。違反すると「110番」。全国から見学する人がやってくるのだろう。というわけで、外観のみの撮影とした。「無断見学の禁止」と書かれていたので、事前に話をすれば見させてくれるのか。特に1号館には、食堂や談話室などの共同施設が残っているので、是非この目で見てみたい気がする。

そしてついに,ようやく建て替えの話しがまとまり,11階建てのマンションになることが決定した.またひとつ,鉄筋コンクリート住宅の歴史的遺産がなくなることになる.是非,建て替えの前に一般公開していただけないか,切に願うものである.

 


新宿副都心(超高層ビル街)【東京考察#8】

Shinjujku sub center (Skyscraper town)


都庁からの眺め


 新宿副都心は、東京都の市街地整備の一環として掲げられた8つの「副都心」のひとつである。「副都心」とは、都心に集中する(ここでいう都心とは大手町などの東京駅周辺(千代田区・中央区・港区)の本社業務の集中している地区を指す)業務機能の受け皿として、また各地域の商業や文化、生活などの広域的な拠点として設定された地域で、新宿の他に、池袋、渋谷、大崎、錦糸町・亀戸、上野・浅草、そして臨海副都心(お台場)が存在する。
新宿の開発テーマは「ビジネスとふれあいの広がる街」だぞうで、昭和47年の京王プラザホテルを皮切りに、次々と超高層ビルを林立させ、今ではニューヨーク摩天楼を思わせる立派な超高層ビル街が形成された。ここはかつての淀橋浄水場跡地を開発したもので、開発当時は今の臨海副都心(お台場)のように、ただただ空き地の広がる空間があった。「太陽に吠えろ」のテレビドラマを見ていた方は、かつての新宿副都心の姿を思い出すに違いない。
現在、新宿副都心で最も高い建物は、東京都庁である。新宿副都心のいいところは、大抵のビルの展望台が無料であるというところである。いやなことがあって遠くを眺めたいとき、よくここの展望台に足を運んだものである。



京王プラザホテル


東京ヒルトンホテル


ホテルセンチュリーハイアットホテル



三井ビル


住友ビル

 
野村ビルと安田火災海上ビル
(どれも古参ビル)



KDDビルとNSビル


都庁前広場から見た超高層ビル群



都庁・第1本庁舎



大ガード付近から見た高層ビル