「中央区」タグアーカイブ

日本橋三越本店【東京考察#79】

The Nihonbashi MITSUKOSHI department store


 日本橋にある三越本店は,昭和10年に完成したルネサンス様式の建物である.東京都選定歴史的建造物に指定されているとおり,重厚な建物は買い物目当てでなくても一度は訪れてみたくなるところである.なかでも本館中央にある1~5階までの太陽光を取り入れた吹き抜けは圧倒され,戦前からこのような建築が日本にあったことに驚きを感じる.シンガポールのショッピングデパートにも,このようなタイプの中央が吹き抜けのビルが多く建設されているが,果たしてルーツは何処なのであろうか.内装に使用されている大理石にはアンモナイトの化石が含まれており,何もかもが本物の装飾で施されている.


吹き抜けの中央ホール
天女(まごころ)像が置かれている


三越といえば「ライオン像」


装飾もきらびやか


OTIS製のクラシックエレベーター
しかし,かつての真鍮製の内扉は今はなく,
ステンレス製の扉に替えられてしまった


銀座線三越前駅から三越に通じる地下道にも装飾がされている
駅のエスカレーターも金色に塗られている

日本橋(日本道路元標)【東京考察#77】

Nihonbashi (the Japan road origin mark)

 

 日本橋は,1603年に徳川家康によって架けられ,東海道・中山道・日光街道などの起点として役割を果たしている.現在でも日本道路元標として,この日本橋を中心として道路のキロ数が表示されており,国道1号や4号・6号沿いにある「起点(東京)まで○○km」という表示は,ここ日本橋までの距離である.現在の橋は明治44年に架けられたもので,石造2連アーチ橋として国の重要文化財に指定されている.


○印のところに「日本国道路元標」がある

 日本国道路元標は道路の真ん中,橋の真ん中にあるので,普段は車が走っているため近くでは見ることができないが,土日に行われる歩行者天国の時は堂々と見ることができる.そのため,元標の複製が歩道に設置されている.首都高速が日本橋川に沿って架けられているため,空間を圧迫されている日本橋であり,橋中央のモニュメントも高架橋の隙間をみつけて天に向かっている姿など,歴史的遺産を後世に残そうと踏まれても踏まれても生きようとしているように思える.


複製



日本橋


近くに証券街・兜町があるため,
平日はビジネスマンが多く歩く

日本橋兜町(証券街)【東京考察#75】

Security town (Nihonbashi Kabuto-cho)

 


 「兜町」は,明治11年に渋沢栄一や三井養之助らによって東京株式取引所が誕生したことにより,日本における証券市場の代名詞として知れ渡るようになった所である.東京証券取引所を中心に,さまざまな証券会社が店舗を構えており,ニューヨークの「ウォール街」,ロンドンの「シティ」とならんで,世界三大証券市場を形成しているのである.


東京証券取引所
TOKYO STOCK EXCHANGE

 東京証券取引所は,証券市場を開設して運営するところであり,市場で売買されている株式や債券(有価証券)の流通市場を管理している.かつては,紙切れをもった証券マンが場内をせわしなく歩き回って,株式の売買を行っていたが,現在は全てコンピュータによる管理になっており,かつてのような喧噪とした東京証券取引所は見ることができなくなった.証券取引所の館内は入口で受付を済ませれば,無料で誰でもガラス張りのマーケットセンターや取引の様子(といっても大画面に数字が羅列されているのを見るだけだが)を見学することができる.取引時間は,平日9:00~11:00,12:30~15:00となっている.


証券会社の看板が並ぶ(茅場町)


野村証券本社(日本橋)


労働組合のデモ


昼休みには「ホカ弁」も大混雑


居酒屋のランチ

 証券街の居酒屋でランチを食べたが,驚いたのは注文をしてからランチがでてくるまでの時間が短いことである.なんと,写真のメニューが「10秒」ででてきた.日替わりランチ以外のメニューでも,ランチメニューの定食(さしみ定食)は10秒で出されていた.さすがは,一寸の時間も惜しむ証券マンの街である.

(旧)歌舞伎座(東銀座)【東京考察#74】

Kabuki-za (at Higashiginza)


歌舞伎座正面

 


 東京で歌舞伎を見るならば東銀座にある「歌舞伎座」である.
現在の地に歌舞伎座がオープンしたのは明治時代のことで,大正から現在の「松竹」が興行を行うようになった.現在の桃山風建築の原型ができあがったのは,大正時代なのであるが,その後の戦災により焼失し,今の建物は昭和26年に復興したものである.1988(昭和63)年に開場100周年を迎えた.間口27mの舞台、直径18mの回り舞台を持ち,座席数は1,886席となっている.



昼の部の公演題目


切符売り場


歌舞伎座の座席表

 チケットは前売りの電話予約をして購入するのであるが,当日券も販売されている.
歌舞伎は「昼の部」と「夜の部」があり,昼の部は午前11時から5時間,夜の部は午後4時30分から4時間半程度行われる.といっても,通しで公演が行われているのではなく,3~4幕で構成されていて「幕間」には,トイレに行ったり食事をとったりすることができる.
チケットは,昼と夜とを「通し」で購入することもできるが,その場合は値段は2回分支払うこととなる.
3階席には,A席(4,200円)とB席(2,520円)があるが,B席は当日券での購入はできないこととなっている.しかし,団体客のキャンセルがでるときがあり,そのときはラッキーである.チケットを購入するときは画面を見ながら席を指定することが出来るが,当日券で割り当てられている場所は限りがある.
1・2階の席は,1等席(14,700円)と2等席(10,500円)に分かれているが,これらの違いは,ホールの天井が見える席は1等,上階の座席があるために天井が低い場所が2等となっている.さらに,両脇には桟敷席(16,800円)があって,ここは床より一段高くなっていて座布団が敷かれセミ個室のような特等席となっている.


3階席 前方がA席 後方がB席
(一番後ろは「一幕見席(後述)」となる)


3階から見た2階席と1階席
3階からは残念ながら花道を見ることはできない(立てば別)


1階の1等席 手前に「花道」が写っている


これが「桟敷席」 花道が丸見えである
桟敷とは板を敷いて土間より高くして見やすくしている場所
相撲や芝居小屋に見られる席である


 歌舞伎座には,唯一ここだけとなった「一幕見席」が現存する.これは4階部分の最後尾に2列イスが並んでいる席で,時間のないひとのための1幕のみの鑑賞や,学生・愛好家のための超格安な料金で見ることの出来る当日券のみの自由席である.幕によって料金が違うのであるが(800~1,200円前後),映画よりは安くなっており,さらに学生割引(100円引き)も存在する.幕見席はチケット売場も入口も別となっており,中で3階や1階に行くことはできない.
「よい舞台は3階席と幕見席が育てる」と言われており,間合いに掛けられる「○○屋」といったかけ声も後ろの方から聞こえてくるものである.


 
割烹やそば屋などのお店がある


みやげ物屋もある

 
弁当を買う人で行列ができる.
幕間に座席で弁当を食べることができる
幕の合間に食べるから「幕の内弁当」という名がついた.

 中には,喫茶店や高級割烹のような店,セルフサービスのカレーライス屋,そば屋,みやげ物屋,弁当屋など,ちょっとしたテーマパークのようになっており,不自由することはない.1日中歌舞伎を楽しむことができるようになっている.また,難解な古典歌舞伎をよりわかりやすく鑑賞するために,イヤホンガイド(650円)の貸し出しも行っている.やはり,歌舞伎座では「幕の内弁当」を食べることにしよう.



花道  前方にせり上がりの「すっぽん」がある


「焼豆大福」
焼き焦げが香ばしい大福


おまけ・・・


なんと,「小泉首相」が来ていた!

 


「かぶ~~き~~~ 歌舞伎座へ」

 生まれて初めて歌舞伎を見に行った。
海外旅行をして、外国の文化に触れているくせに、自国の文化についてどれだけ知っているのだろうか、と疑問に思い、歌舞伎を見てみることにした。

東京で歌舞伎といえば、東銀座にある「歌舞伎座」である。どんな題目をやっているかも十分理解せず、とりあえず11時から開演すると「ぴあ」に書いてあったので、10時頃に行ってみた。
歌舞伎座はさすがに貫禄ある面構えである。江戸時代を彷彿させるあのファサードはとても際立つものである。プログラムを見ると、「四月大歌舞伎」中村歌右衛門一年祭・中村魁春襲名披露とあり、昼の部が11時から夜の部が午後4時30分からとなっている。

なんとなくしか「歌舞伎」というものを知らなかったので、いろいろと驚くことが多かった。歌舞伎は江戸時代に完成した大衆劇で、現代で言うと演劇やドラマ・吉本興業のお笑いみたいなものなのだろうが、時代が過ぎると高貴あふれる日本を代表する伝統民族文芸となってしまうところが不思議である。
昼の部で5時間、夜の部でも4時間半という長丁場で、映画や演劇を見慣れていると2~3時間という感覚が普通であるので、ずいぶんと長く見るのだと感じた。といっても5時間ぶっとうしでやっているのではなく、中では4つの題目にわかれていて、それぞれが45分と1時間半で1幕となっている。途中、食事はどうするのかと思ってしまうが、食事のための休憩が30分間とられてあって、その間に食事を済ませることができる。

中に入ると、さすがは歌舞伎座だけあって、空間の重みが感じられる。そして、食堂や軽食、おでん屋やそば屋、みやげ物屋など、たくさんのお店があるのには驚いた。ただ、ホールだけかと思っていたのであるが、中に入るとそれなりに店がそろっていて、ある種のテーマパークと同じであり、1日中いられるようなところである。
チケットは、当日券でも手に入れることができたが、一番安いのは3階B席で3150円、これは既に前売りで売れ切れ。次に安いのが3階A席で5250円、これを購入した。座席を買うときはテレビ画面を見ながら、好きな席を選べるのであるが、3階の一番前の席が空いていたので、そこをGET!! これはラッキーであった。参考までに、次に高いのが2等席で、これは2階と1階の後ろの方の席である。そして1等席。これは1・2階の前のほうで、16800円となる。3階からだと花道は見れないのであるが、1等を買えばばっちり花道もOKであり、身近に歌舞伎役者を見ることができるのである。
さて、これで終わりかと思ったら大間違い。さらに上級の席がある。それは「桟敷席」と呼ばれるもので、1・2階の両サイドの壁伝いに座布団が引いてある席で、お茶のポットなどがおいてあるセミ個室みたいな席である。正面の席ではなく、脇の席のほうが値段が高いというのは、ちょっとよくわからないが、とにかく桟敷席は見るからに高そうな席である。

開演直前になると、改めて3色(4色か?)の幕が引かれて、それが開くと開演となる。ちょうちんが2階と3階の席のところに飾られており、これが「歌舞伎座かー」と改めて感動した。何気なしに訪れた歌舞伎座であったが、出演するメンバーはそうそうたる顔ぶれで、橋之助、福助、梅玉、吉右衛門、勘九郎、團十郎、玉三郎と豪華キャストである。イヤホンガイドというのがあったので、それを650円を出して借りて鑑賞することにした。これがないと、浄瑠璃だって「あぁーおーめーのー・・」などと何を言っているのかさっぱりわからない。おかげで、ストーリーと背景を知ることができた。ただ、イヤホンをつけていると空間の雰囲気を感じ取ることが半減してしまうので、阿古屋という題目で玉三郎が胡弓を弾いているときなどはイヤホンをはずして聞いていた。

2幕目が始まる前、場内が拍手で沸きかえった。下を除いてみると、なんと「小泉首相」がSPを連れて1階正面の真中あたりの席に座ろうとしているではないか。なんとも、またまた大物役者!!?を見ることができたではないか。「小泉サーーん」というおばさんの声に手を振って答えていた。
あらかじめ買っておいた幕の内弁当を食べ、5時間にわたる歌舞伎鑑賞を行ったのであった。中の様子は、おって東京考察のページに掲載しようと思います。(上演中の撮影は禁止されていたので、歌舞伎座の中の様子だけ写真を撮ってきました)

「蘭平物狂(倭仮名在原系図) ~六月大歌舞伎」

 最近僕の中でちょっとしたマイブームとなっているのが「歌舞伎」である.それも現代風にアレンジした猿之助演じるスーパー歌舞伎ではなく,東銀座の歌舞伎座で公演されている古典歌舞伎である.海外へ旅に出て異国の文化を肌で感じ取っているのに,自国の伝統芸能である「歌舞伎」を知らないとは言っていられないと思い,今年の4月に初めて歌舞伎を見に行ってみたのであるが,これが大変興味深く,僕の中ではいままでに体験したことのない表現方法の芸能を新たに発見した感動を覚えたのである.それ以降,毎月歌舞伎座に足を運んでいるのであるが,今月は今日,歌舞伎座にて歌舞伎を見に行った.

当日券は午前10時から先着順で販売する.だいたいは3階後方の安い席から満席になっていくので,5000円以下の3階席を希望する場合は,午前10時に行ったのでは売り切れてしまう.ところが,今日は不思議と3階前方の5000円の席が初めに売り切れて,3階後方の3000円の席は空いていた.3階席からは花道が見れないので歌舞伎の醍醐味が半減してしまうのであるが,1階席は1万円以上するので,貧乏人の僕としては3階後方席を購入し,オペラグラス持参で鑑賞しているのであった.

歌舞伎座には「イヤホンガイド」というのがある.古典歌舞伎は正直言って何をしゃべっているのかよくわからない.まして,浄瑠璃の歌などは外国語を聞いているようで何がなんだかさっぱりわからない.そんなストーリや背景,衣装や舞台装置の説明などをしてくれるのがイヤホンガイドなのである.小型の無線機となっていて,席に座りながらイヤホンを耳にはめて解説を聞く.僕が歌舞伎に興味を持てて面白く感じているのも,イヤホンガイドの解説によるところが非常に大きく,イヤホンガイドなくしては歌舞伎は見れないのが正直なところである.ただ,欠点もあって,片方の耳がふさがってしまうので舞台の臨場感を五官を使って100%味わえない.マイクで拾った場内の音をイヤホンから聞くことはできるのであるが,やはり舞台全体の生の音色を両方の耳で聞いたほうがよく,楽器や音を聞かせる部分ではイヤホンを外して臨場感を味わったりしている.ちょっとしたコツを最近発見し,イヤホンを完全に耳に押し込むのではなく,耳の穴にかけるようにして少し隙間をあけておくと,多少は臨場感を味わいながら解説を聞くことができる.

今年の四~六月大歌舞伎では襲名披露公演のため,蒼々たる顔ぶれで有名な題目が上演されている.「昼の部」と「夜の部」があり,通しで見る場合は2回分の料金が必要となる.昼の部では4幕,夜の部では襲名披露の口上があるので上演は3幕となっている.僕も歌舞伎を見に行って初めてわかったのだが,「歌舞伎」といっても様々な種類があって,三味線に合わせて日本舞踊のような華麗な踊りのみの歌舞伎,長唄とともに演じる浄瑠璃となっている歌舞伎,テレビでお馴染みの時代劇のような芝居となっている歌舞伎,阿古屋のような楽器(胡弓や琴など)を弾いてみせる歌舞伎,サーカスのような大立ち回りのある歌舞伎など,実に様々である.これらをうまく組み合わせて幕のプログラムが構成されており,最初は序幕として踊り中心の舞を見せ,そして常磐津節の浄瑠璃をやり,女形が登場する男女の恋仲の物語をやって,弁慶や忠臣蔵などといった歴史上の物語をやる,といった具合である.世界にも名を馳せる,美しい女形として有名な「玉三郎」の演技は,さすがに美しく,女性よりも女性らしい仕種である.おばさま方に人気が高いのも肯ける.また,男と女の恋心については江戸時代も今も変わらないのだな,と感じてしまう.

今月の題目のなかに,「蘭平物狂(倭仮名在原系図) らんぺいものぐるい(やまとがなありわらけいず)」という幕がある.刀を見ると乱心するという風変わりな奴の「蘭平」がおり,その蘭平の戦い大立ち回りの場面と,蘭平の小さな息子「繁蔵」との絆がこの芝居の見せ所である.しかし,なんといっても一番の見せ場は,幕の後半から始まる30人ほどを相手に立ち向かう蘭平の大立ち回りであり,スピードと迫力に圧巻である.まるでサーカスを見ているような歌舞伎であり,宙返りや棒立ち回りなどの技が決まると,場内からは歓声と大拍手が沸き起こる.この大立ち回りは20分以上にも及び,花道に大ハシゴを立ててその上部で敵が逆さまになるさまや,井戸の屋根から敵が落ちるとき宙返りを2連続やる演技,人間が6人ほど丸くなってうずくまり,その上を宙返りして飛び越える演技など,見ている観客も興奮してくる演出である.こういった歌舞伎もあるのか,と改めて歌舞伎の奥深さを知ることができ,ますます歌舞伎にのめり込んでしまいそうな幕であった.

まだ,歌舞伎を知らない方,是非一度,鑑賞してみてはいかがでしょう? ただし,イヤホンガイドを忘れずに.これがないと眠くなります.それから,幕の内弁当を入口の弁当屋で購入するのもお忘れなく.幕の間に座席で弁当を食べるのは,歌舞伎鑑賞の必須事項ですので.

「市川猿之助の歌舞伎 ~7月大歌舞伎」

 今月の歌舞伎は市川猿之助演出の公演となっており、猿之助一団の面々が顔を並べている。猿之助といえば、現代風にアレンジしたスーパー歌舞伎をはじめ、型破りの新しい歌舞伎の姿を創造しており、歌舞伎界からは「異端児」の異名をもつ。しかし、わかりやすくアレンジして観客に伝えようとする猿之助歌舞伎の人気は高く、当日券のチケットは発売と同時に売り切れとなる。特に夜の部の通し狂言「南総里見八犬伝」は大入りのようで、若い人の姿もかなり多く目につく。

猿之助一団は世襲にとらわれず、有能な人材を「お家」に関係なく育て上げて役者にしており、豪快な役柄が似合う「右近」や、女形を演じる「笑也」など、大人になってから弟子入りして育ってきた役者がそろっている。ただ、台詞や立ち回りについての厳しい意見を観客等からもらうこともあるようで、小さいころから叩き込まされてきた名門の役者との違いについて、感じさせられるものはある。古典歌舞伎の重厚な雰囲気が好きな観客にとっては、あんなのは「歌舞伎ではない」と一蹴してしまうような内容でも、現代の情勢を取り入れた新しい歌舞伎こそ、かつて江戸時代に行われていた歌舞伎と同じことを今やっているだけのことであり、これこそ真の歌舞伎であるように思う。

猿之助の歌舞伎では、「魚が出てきた。♪さかなー、さかなー、さかなーー、さかなーをたベーるとー」などと巷のスーパーで流れている魚の歌を歌ったり、「これは、タイタニックのディカプリーオー」などと笑いを誘う場面があったり、現在の経済不況の話題に触れたりと、過去の芝居と現代のユーモアをとりまぜたユニークにとんだ脚本がされていて、若者が見ても面白く笑える内容である。そして、3階奥の客席まで宙吊り(宙乗りという)になった猿之助が、客席に現れるところなど、サービス満点といったところである。

歌舞伎にはいろいろな種類があると以前書いたが、三味線など連中による浄瑠璃や日本舞踊のはいった舞の歌舞伎などは「古典歌舞伎」と呼ばれるもので、話している内容はわからないが、歌舞伎の持つ美しさや奥深さ、直接的な表現をせずに美しく演じるところなど、これこそが歌舞伎だな、と思わせるものが古典歌舞伎である。「芸術の完成度・美しさ」といったら断然古典歌舞伎のほうに軍配が上がるであろう。一方、時代劇のような趣で、普通の着物を着て江戸時代の庶民の様子を劇で行っていくのは「新歌舞伎」と呼ばれるもので、話の内容もよく聞き取れ、動物の音やちゃわんの割れる音など、表現方法が現実的でリアリティーのあるものとなっている。古典歌舞伎に比べると「歌舞伎としての物足りなさ」があって、単なる時代劇を見ているような感じであるが、江戸時代の暮らしぶりがわかって新歌舞伎も面白い。演目は、古典と新とがうまく取り混ぜられて公演されている。

やっぱり「笑い」は勘九郎 ~八月納涼歌舞伎

 八月は納涼歌舞伎と題して3部構成のお芝居をやっている.今回は第2部の「浮かれ心中」と「四変化・弥生の浅草草祭り」を見た.「浮かれ心中」は喜劇である.さすがは勘九郎,笑いのツボを押さえた公演を見せてくれ,場内は終始笑いの渦に沸いていた.一番後ろの幕見席も超満員の立ち見がでるほどの人気ぶりで,こんなに幕見席が混雑している幕は初めてだった.

売れない戯曲家を演じているのが勘九郎で,人を笑わせ世間をあっといわせるようなことをやって脚本のネタを考えている.橋之助演じる太助とともにとにかく世間を驚かせるために色々と小細工を仕掛けるのである.新歌舞伎なので,小中学生でも何を言っているのか理解できる演目で,事実小学生も見かけることができた.テンポよく展開される舞台は,終始笑いが尽きない.吉本興業もビックリ,これを見れば誰でも「歌舞伎」に対して親近感が沸くに違いない.こういう役は勘九郎にはぴったりである.

ラストは市川猿之助が得意とする「宙乗り」を,ねずみにのって「ちゅう乗り」と題し,空中を飛ぶあたりも面白い.ねずみに乗って宙に浮いているときに「いやー,眺めがいいねぇー.澤潟屋の気持ちがよーくわかったよ」などといって笑いを誘っているところ,なんとも面白い.ちなみに澤潟屋とは市川猿之助の屋号である.28日で千穐楽なのであと日にちがないが,まだ見ていない方,歌舞伎を知らない方でも絶対面白いのでお見のがしなく.ちなみに歌舞伎では「千秋楽」とは書かず,「千穐楽」と書く.これはたびたび火事を起こしていた江戸時代に,大火を出さないことを願って火の入っている「秋」から「穐」に変えたのだという.

2幕目の弥生の花浅草祭りは,勘九郎の2人の息子である勘太郎と七之助の兄弟による踊りの浄瑠璃歌舞伎で,これも勘九郎ファンにとっては見逃せない.ますます歌舞伎に溺れていく今日このごろであった.

「ジャパニーズカルチャーを知らずして世界を語るなかれ」である.

馬喰横山問屋街(繊維・呉服・玩具)【東京考察#55】

The wholesale district of a cotton fiber (at Bakuroyokoyama)

 

 日本橋馬喰町(ばくろちょう)・日本橋横山町(よこやまちょう),浅草橋周辺は各種問屋街が形成されていることで有名であるが,浅草橋駅南側に位置するこの界隈は,洋品や雑貨問屋街とタオル・靴下・紳士婦人服・呉服・生地などを扱う木綿・繊維問屋街が日本橋小伝馬町あたりまで続いている.
一般個人客には,小売りを行わない店もあるが,そのような店は,入口に張り紙がしてあり,扉が閉められていて個人客が気軽に入れそうな雰囲気にはなっていない.タオルは各種さまざまなものが売られており,おしぼりの類まで売られている.ぶらぶらと歩いてみるのも面白い.


生地


タオル


小売りを行わない張り紙

交詢社ビルヂング【東京考察#40】

‘Kojunsya’ building (at 6 chome of Ginza)

 


 銀座6丁目の中央通りから1~2本JR線側に入ったところに、交詢社ビルディングが建っている。「建っている」と現在形で話ができるのもあとわずか、まもなく取り壊される運命にある。既に、解体用の仮設の壁がたてられ、ビルにはネットがかけられて、あとは入居者が出ていくのを待っている感じである(H13.3現在)。
交詢社ビルは昭和4年に建てられ、設計者は横河工務所の横河時介、当時流行のアールデコを意識した設計となっている。戦前の重厚な古き時代の銀座を象徴する建物として、広く親しまれてきたが、平成11年度の耐震調査等の結果により、取り壊されることが決定されたようである。
交詢社とは、福沢諭吉が設立した1880年創立の社交倶楽部であり、知識を交換し世務を諮詢することから命名されたという。


側面入口


交詢社通りからみたビル


解体の準備はもう始まっている


1階には「ピルゼン」というドイツ風ビアホールが営業されており、建物内部の重厚な雰囲気を味わうことができたが、店員さんによると、もう既に立ち退きの話がきていて、今すぐにでも営業をやめなければならないのであるが、ぎりぎりまで頑張って営業しているとのこと。しかし、6月(H13年)までが限界でしょうと話していた。残念な限りである。この店のトイレにいくと、いかにも昭和初期の建物であるというタイムスリップした雰囲気を肌で感じることができる。


ビアホール「ピルゼン」


店内の様子


トイレまでの道のり


いかにも昭和時代のトイレといった感じ
(改装はされていると思うが、タイル張りなところはいかにもといった感じ)


この店も6月頃までだとのこと


テナントは引っ越しの準備をしている

 古き良き時代のビルがまたひとつ消えることになる。

そして,取り壊されて跡形もなくなり,現在は新しい交詢ビルディングが建っている.

 

築地市場(場内)【東京考察#36】

The fish market in Tsukiji (inside market)

築地市場正門

 


 「築地の魚河岸」は有名である。それは、築地に東洋一の取扱量を誇る中央卸売市場があるからである。現在の築地の魚河岸(築地では青果も取り扱っている)は、関東大震災後に江戸時代より日本橋にあった魚市場を海軍兵学校跡地に移転したことに始まる。中央卸売市場の中を「場内」と呼ぶが、場内では小売りは行わずに原則として仲卸業者へのみの販売となる。小売りは「場外」と呼ばれる晴海通り沿いの市場で行っている。

築地に来たら、絶対に場内へ入ってみるべきである。この中に一歩足を踏み入れると、ここが日本なのか!と驚くほど威勢と活気と躍動感に満ちあふれており、気分が高揚してくる。この場内の風景を眺めていると、つくづく日本もアジア人だなと感じずにはいられない。とにかく、けたたましくて騒々しい。東京のエネルギーを十分すぎるほど肌で感じることができる場所である。

この築地市場は都市計画市場として位置づけられているが、場内の老朽化や手狭な敷地を解消するために、平成24年に豊洲への移転話が決定しており、この計画に反対運動も起きている。築地の魚河岸が過去の話として語られるときが、もうすぐそこまでやってきているのである。また、移転先の豊洲の埋め立て地において、土壌にベンゼンやヒ素などの有害物質が検出され、安全性の面からも移転反対の議論が沸き起こっている。

ちなみに、場内へは誰でも入ることができ、外国人観光客の姿も目にすることができる。一般者が見学するには、一段落する午前9時過ぎがちょうどいい時間であろう。が、ぼやぼやしていると場内を走っているリアカーやターレット車と呼ばれる三輪自動車にひき殺されそうになるので注意すること。すきがあればどんどん割り込んでくるし、待っているだけではいつまで経っても通路を横断することはできない。ぼけっと立っていると「ちょっとどいてー」と大声をかけられることになる。邪魔をしないように・・・。


動画コーナー

場内の様子1 (交差点の喧噪)

交通整理員が役目を果たしているのか・・・?不明.

場内の様子2 (交差点の喧噪)

 

場内の様子3 (建物内の喧噪)

 


新橋駅の市場行き都営バス(市01系統)
市場開催日には、午前5時02分が始発となる。
バスは築地市場正門から中に入っていき、場内で終点となる。
バスで行くと場内まですんなり入って行けるので便利である.


リアカーをひく


仲卸業者専用の店(小売りは行わない)

   


通路には番号が付けられている 「第五大通路」


巨大な冷凍マグロ


マグロをさばく

  
右のオレンジの荷車がターレット車 ハンドルの円形レバーを押すと走り出す


場内には食堂もある
休みの日には寿司屋など大行列である.

診療所もある


買い付けた荷をトラックに積む場所 買荷保管所


長靴や作業着なども売っている


某テレビ局の取材クルー



電通ビルから見た築地市場

築地市場(場外)【東京考察#35】

The fish market in Tsukiji (outside market)

 


 「築地の魚河岸」は有名である。それは、築地に東洋一の取扱量を誇る中央卸売市場があるからである。中央卸売市場の中を「場内」と呼ぶが、場内では小売りは行わずに仲卸業者へのみの販売となる。個人客は、その市場の隣(中央卸売市場の晴海通り寄り、築地4丁目交差点に向かった側に広がっている)にある「場外」と呼ばれる市場で購入することになる。魚はもちろん、包丁屋、かつお節屋、卵焼き屋、漬け物屋など、さまざまな小売店が並んでおり、アジアチックな市場を形成している。


 
場外市場

 
場外市場


雰囲気はアメ横に似ている


かつお節屋


包丁屋


漬け物屋(全国各地のさまざまな漬け物がある)


卵焼き屋(お寿司屋さん御用達)

 
立ち食いラーメン屋  ターレット車がテーブルに・・・


コーヒースタンド


市場移転「断固反対」のポスター
(豊洲への移転が決定している)

 

 

年末は,人でごった返し,大混雑となる.身動きがとれない.

快速バス 東京駅丸の内南口-お台場循環[都バスで東京発見]

東京駅から銀座・レインボーブリッジを経由してお台場までを結ぶ座席定員制の快速バス路線

快速バス 東京駅丸の内南口⇔お台場循環(経由)お台場海浜公園駅・船の科学館駅 目黒営業所

路線keyword:レインボーブリッジ,お台場,臨海副都心,銀座


今や一大観光スポットとなっているお台場までを結ぶ路線であるが、観光バスの車両を用いた座席定員制の快速バスで、料金が300円となっている。お台場までのアクセスとしては新交通システムのゆりかもめが思い浮かぶが、東京駅からお台場に行こうと思った場合、新橋でゆりかもめに乗り換えるよりも、この快速バスを利用した方が値段も安いし快適である。また、快速バスのサービスとして誕生日に乗車する人は無料になる特典がある。
発車は東京駅丸の内口(赤煉瓦駅舎)の南口から出発する。東京中央郵便局前を発車し、東京日帰りツアー観光の定番であるはとバスのりば横を通り過ぎ、元都庁跡地であった東京国際フォーラムの横を走っていく。
看板のないすっきりとした丸の内のビジネス街から有楽町・銀座のネオンきらめく賑やかな街に入っていく。マリオン前・銀座4丁目で乗客を乗せ、あとはお台場まで直行する。
三原橋交差点で昭和通りへ右折する。左手を眺めると歌舞伎座の江戸時代を思わせるような面構えを見ることができる。
右手に汐留の再開発地、左手に浜離宮庭園の緑を眺め、ゆりかもめの水色の高架橋が現れると、それに沿って走っていく。左手に四季劇場が過ぎ去り、三宅島や八丈島・小笠原諸島への乗船口である竹芝桟橋となる。竹芝桟橋は新しくリニューアルされ、真新しい再開発ビルが建ち並ぶ。
浜崎橋で運河を渡り、左手にレインボーブリッジが現れると、隅田川やお台場への水上バスのりばのある日の出桟橋となる。はとバスなどの大型観光バスが数多く停車している。
バスはお台場・船の科学館駅まで、ゆりかもめの高架にそって走っていく。大倉庫群の建つ芝浦埠頭を走り、レインボーブリッジにさしかかる。レインボーブリッジは2層構造となっており、上が首都高速道路、下が一般道路とゆりかもめとなっている。このバスは下の一般道路を走っていくのであるが、これらは橋への勾配やカーブのアプローチがとれないため、ぐるりとループ状に1周走って坂を上り橋にのっかるルートをとっている。左手にフジテレビ本社、コンテナ埠頭、天王洲アイル、東京タワーを見て、ぐるりと右回りに1周し、レインボーブリッジに入る。
非常に眺めはよい。といってもフェンスや橋の構造物で視界が遮られることもあるが、晴海埠頭や東京港が一望できる。江戸時代の砲台が配備されていたお台場が右手に見えて、橋を終わると臨海副都心・お台場海浜公園駅となる。
副都心とは、都心部への業務機能の集中を分散させて多心型都市構造への転換を図るために設けられた地区のことで、池袋、新宿、渋谷、大崎、上野・浅草、錦糸町・亀戸、そしてこの臨海副都心の7つが副都心として指定されている。東京都市博覧会の中止決定以降、景気の低迷も影響して、臨海副都心開発の見直しについての議論が行われ、就業人口10万6千人、居住人口6万3千人の街から、7万人が働き、4万人が生活する街を開発することに変更された。開発目標年度は21世紀初頭を目指して国際化・情報化に対応した機能を整備する計画である。
さらに細かく臨海副都心を探ってみると、有明北地区、有明南地区、台場地区、青海地区の4つの地区に分かれており、それぞれテーマを設定して開発が行われている。ちなみに臨海副都心全体のテーマは「国際化、情報化に対応した未来型の副都心」となっている。
臨海副都心の近未来的な風景のお台場をぐるりと走る。フジテレビ前、台場駅、船の科学館駅、パレットタウン(青海駅)と止まり、東京駅へ向かう乗客と、東京駅から乗ってきた乗客が少しずつ入れ替わっていく。そして、バスは再び銀座4丁目・東京駅へ向けて戻っていく。循環バスなので、ぼけっとしていると戻ってしまうので注意が必要である。

なお,現在この路線は廃止され,運行していない.

橋86 目黒駅⇔新橋[都バスで東京発見]

目黒から麻布の超高級住宅街を縫って新橋(銀座・日本橋=廃止)までを結ぶ路線

橋86 目黒駅⇔新橋駅(経由)愛育病院 目黒営業所

路線keyword:麻布界隈,各国大使館,超高級住宅地,有栖川公園,銀座目抜き通り(中央通り)


各国大使館の密集する高級感溢れる麻布の路地裏的な所を通り、新橋から中央通りで銀座の目抜き通りを走り抜け、日本橋の三越デパートまでを結ぶ、観光路線としても乗車価値の高い路線である。ブランド品を身につけて大きな買い物袋を手に持った気品の高い乗客を多く目にする。
目黒駅前のロータリーを出発すると、目黒通りを都心へ向けて走り、白金台にて外苑西通りに左折する。洒落たブティックやオープンカフェが建ち並び、夜になるとショーウインドウがライトアップされ、ムード溢れる景観が続いていく。
坂を下って白金六丁目となる。坂の上では「白金台」であったが、坂を下ると「台」が取れて「白金」となる。バスは右折し、天現寺橋にて明治通りと交差すると、左手に壁のように立ちはだかる都営広尾五丁目アパートを見て、地下鉄日比谷線広尾駅前(広尾橋)となる。
交差点角にある神戸屋キッチンを眺めながらバスは2車線の狭路に右折し、麻布へと突入する。「麻布」と言ってもその範囲は結構広く、本路線が走り抜ける麻布は、南麻布・元麻布界隈である。この辺りから外国人の姿を多く見つけることができ、日本に居ながらちょっとした異文化を味わえる地域である。
道なりに左折すると、右手には大使館関係の在日外国人の為のスーパー「National(ナショナル)」が現れる。店内には世界各国の食料品・嗜好品が陳列されており、見て回るだけでも楽しい。日本人でも自由に買い物をすることができる。ナショナルスーパーの奥がドイツ大使館である。
続いて、左に教会、右に都立中央図書館が存在する有栖川宮記念公園が現れ、坂を上ると右折して愛育病院前となる。右手に麻布運動場が現れて、高級マンションの連なる仙台坂を下ると二の橋となり、バスは左折する。
一の橋・麻布十番にて右折すると、左手に東京タワーを眺めながら中の橋を通り、赤羽橋にて左折、右手には東京タワーが目前に迫っている。
神谷町にて右折、第一京浜にて左折し、オフィス街となって新橋駅となる。平日の9時~18時台までは半数が新橋止まりの運行であるが、ここから先が麻布に続いて本路線の見せ場の一つであり、銀座の目抜き通りである中央通りを八丁目から一丁目まで突き抜けていく。しかも、休日などはプロムナード(歩行者天国)となってバスは迂回ルートを走ってしまうので、最も良い条件で乗車できる時間帯は限られてしまう。
首都高速をくぐると、銀座八丁目となる。両側にはビルが建ち並び、著名な店舗が続々と連なり、電柱は地中化され、街路灯が直線的に整然と先まで続く。さらに、夜になると看板とビルと街灯の明かりで眩しくなり、日本でも屈指の美しい都市景観が見れる。銀座の中心である銀座四丁目交差点で晴海通りと横切るが、ここは、地価日本一としてニュースによく登場する場所でもある。道路には人がうごめき合っており、日本一の「銀座」の繁華な雰囲気を感じることができる。そして、銀座一丁目となって、銀座は終了する。
首都高速をくぐると、京橋となる。オフィスビル街となってしばらく走ると、再び首都高速の高架橋が現れるが、バスはその手前にて左に曲がってしまう。その高速の下が道路元標のある日本橋である。日本橋三越から目黒駅行のバスに乗れば、日本橋を渡ることができる。
バスは日本橋川を渡って、日本橋に入り、三越新館の裏手にて終点となる。

平成12年12月、大江戸線の開通によって新橋-日本橋三越間が廃止されてしまった。唯一、銀座の目抜き通り(中央通り)を走るバスであったのに残念である。

東42甲 南千住⇔東京駅八重洲口[都バスで東京発見]

江戸通りで様々な問屋街を走り抜ける路線

東42甲 南千住⇔東京駅八重洲口(経由)浅草松屋・浅草橋駅 南千住営業所

路線keyword:各種問屋街,日本橋,浅草,山谷地区,リバーピア吾妻橋の景観,江戸通り


南千住停留所は、後ろにJR貨物線、営団地下鉄日比谷線南千住駅の高架駅舎を眺められるフェンス脇に存在する。隣に南千住車庫があり、車庫の上には都営南千住二丁目アパートが建っており、バスはその車庫からやってきて、南千住を後にする。
泪橋交差点で明治通りを横切ると、バスは山谷通りを南に走り、山谷地区にさしかかる。山谷は戦後、「ドヤ街」とも「日雇い労働者の街」とも呼ばれ、労働者のための簡易旅館街が形成されている所である。日雇い労働者は日本の高度成長や社会基盤整備を支えてきた人々であり、日本の繁栄はこの人々によって築かれたと言ってもよい。街は決して清潔とは言えず、ゴミが散らかり、横断歩道などお構いなしに道路を横断する人が後を絶えない。そして、清川二丁目となる。
山谷地区を過ぎて、中小皮革業者の多い地域である東浅草、今戸となる。バスは言問橋西詰より江戸通り(国道6号)となって、靴・下駄・草履などの靴履物問屋街が広がる花川戸を走る。本沿線最初の問屋街である。靴・履物がズラリと並べられた靴屋が続いていく。そして、浅草松屋前・東武浅草駅となる。
左手には、隅田川に架かる吾妻橋と、建設省主催による都市景観100選に選ばれた「リバーピア吾妻橋周辺地区」の景観である、墨田区役所とアサヒビール本社、炎のオブジェ等が眺められる。続いて、水色のアーチ型をした駒形橋が現れ、バスは江戸通りを直進する。
厩橋交差点を過ぎると蔵前となり、おもちゃ・ゲーム・花火・鯉のぼりなどを扱う玩具問屋街と五月人形などを扱う人形問屋街となるが、全て玩具などの問屋とは限らず、文具・造花などの問屋もある。そして、浅草橋駅となる。
浅草橋駅を過ぎても問屋街は続く。屋形船の浮かぶ神田川を浅草橋で渡ると、左手には神田川と隅田川の合流地点に架かる柳橋の小さなアーチ橋が見える。
浅草橋交差点で右前方へ進むと日本橋馬喰町となり、洋品・雑貨問屋街、タオル・靴下・紳士婦人服・呉服・生地などを扱う木綿・繊維問屋街が日本橋小伝馬町あたりまで続く。馬喰町には大規模な問屋街が商店街のように形成されている。続いて、日本橋本町(JR総武本線新日本橋駅)あたりには、製薬会社が集まる薬品問屋街が広がる。それ以外にも一歩路地裏に入ると、紙問屋街、金物問屋街、日本橋小伝馬町から日本橋人形町にかけては呉服問屋街が広がり、この周辺は卸売問屋が集中している地域である。
ここの町名には「日本橋○○町」というように、日本橋を冠した町名が多い。日本橋は江戸時代から栄えていた商業の中心地であり、明治維新後も日本の経済の中枢として繁栄してきた所である。昭和22(1947)年に日本橋区と京橋区が合併して現在の中央区が成立したが、「中央」と名付けられたのもそのためである。
バスは中央通りに左折し、右手にはライオン像が入口に構える日本橋三越本店が現れる。明治5(1872)年に日本道路元標として定められた日本橋を渡り、同時に高速道路の下をくぐり抜け、ビルの建ち並ぶ中央通りを走る。土日祝祭日には、中央通りが歩行者天国になるので、本系統は???前へ迂回運行となる。
左手に東急百貨店を見て、日本橋交差点を右折し、呉服橋にて左折して、右手に東京駅の大丸デパートが見えると、終点東京駅八重洲口に到着する。

日本橋高島屋の特別食堂とエレベーター【東京考察#33】

The ‘special dining-room’ and a ‘elevator’ at Nihonbashi TAKASHIMAYA

 


 日本橋にある高島屋。重厚な建物の中に入ると、高級感あふれる大人のデパートといった感じがひしひしと伝わってくる。ジーパンでお買い物がしづらい雰囲気である。休みの日になると(夫が働いている平日の昼にグループで来る人が多いという)、マダムたちがお目当ての高級ブランドを求めてお買い物をし、さらに4階にある「特別食堂」で昼食をとるのがパターンとなっている。
日本橋高島屋には、6階に「お好み食堂」というのがあって、こちらは普通の大衆的な値段(といっても最低でも1000円前後はするだろう)の食事が味わえる。一方で、4階に「特別食堂」などという昭和初期の戦後を思わせるような陳腐的なネーミング(それがかえって良い)の食堂がある。なにが特別かって、メニューが特別なのである。安くても3500円程度の懐石弁当であり、8000円のコースまであるブルジョワジーの食堂である。
照明の落とされた入り口を通ると、クロークに鞄やコートを預け、人数を係りの人間に伝える。机と椅子が並べられている待合室でメニューを見ながら名前が呼ばれるのを待ち、独特のかけ声で名前が呼ばれると席へと案内される。洋食の帝国ホテル、和風割烹の三宮、うなぎの野田岩の3店が入っているが、同じフロアーでそれぞれの料理を注文することができる。まわりを見渡すと、お金持ちそうなマダムたち、ご夫婦、ご家族連れと、みんなみんな上品に見えるから不思議である。おすすめ料理として、うなぎのかさね重(3900円)というのがあり、上段に蒲焼き(天然物であろう)、下段に白焼き(炭火で焼いただけのもの。わさびと醤油で食べる)が入っている膳がある。茶托のついたお茶が3杯も交換された。一度おためしあれ。


特別食堂(4階)入り口


入り口のメニューの一部


懐石弁当(3500円)


もうひとつ、老舗の日本橋高島屋には面白いものがある。それは、かなり年代物の「エレベーター」である。エレベーターの扉は、外側と内側に2枚あるのであるが、内側の扉が真鍮の檻のような格子でできており、じゃらじゃらと音を立てて扉(と言えるのだろうか)を閉めるのである。かつては、日本橋三越や池袋三越にもあったが、メンテナンスが大変であるとのことで、三越では透明なガラス張りの近代的なエレベーターに変えられてしまった。そういった点で、高島屋はえらい! もうちょっと前までは、違った種類の古いエレベーターがあったように思うが、そちらの方はなくなってしまったようである。回数を表示する部分がランプではなく、時計の針のような矢印で表示していた。これらのエレベーターは、世界で最初にエレベーターを発明した「OTIS オーチス」社製のものである。運転はエレベーターガールによって行われ、ハンドルを倒すと扉が閉まり、左に回すと上へ、右に回すと下へ動き出す。ハンドルをあげると次の階で停止するようになっている。


古参のオーチス製エレベーター


エレベーターの扉(内側)


運転ハンドル

それでは、みなさま、ごきげんよう。

門33 豊海水産埠頭⇔亀戸駅[都バスで東京発見]

亀戸から浅草駒形を経由して臨海部・豊海水産埠頭までを結ぶ路線

門33 豊海水産埠頭⇔亀戸駅(経由)門前仲町・業平橋 江東営業所

路線keyword:豊海水産埠頭,清澄通り,数々の運河,国技館,江戸東京博物館


亀戸駅から一旦北へ向かい駒形を経由し、ぐるりと方向を変えて臨海部の豊海水産埠頭までを走る路線であり、特に両国から門前仲町・月島にかけては乗客数が多い路線である。現在、この区間には地下鉄12号線の建設工事がされており、地下鉄が開通すると、バスの利用客もぐっと減るのではないかと思われる。
亀戸駅をでると明治通りの商店街を北に向けて走り、福神橋で浅草通りに左折する。都内では珍しい風情ある柳の街路樹の道路を北十間川に沿って走っていく。
墨田区と江東区の地図を眺めてみると、この北十間川をはじめ縦横無尽に運河が張り巡らせていることに気づく。この北十間川は隅田川と旧中川を結ぶために万治年間(1660年頃・江戸初期)に開削されたもので、木材輸送に重要な役割を果たした運河である。豊海海産埠頭に向かうこのバスは、これからこのような数々の運河を渡っていくことになる。
駒形橋東詰めで左折し清澄通りに入る。あとはひたすら南下していくのみである。横網1丁目というバス停、いかにも相撲らしい名前と思ってしまうが実は横綱ではなく、横網なのである。すると右手には両国国技館と江戸東京博物館が現れて、両国駅となる。
JR総武線と交差し、地下鉄工事の続く清澄通りを走っていく。運河を越えるたびに町丁目が、緑、森下、清澄、深川……と変わっていく。そして、門前仲町となる。バスは混雑し、また運河を渡って、左手に商船大学が見えて越中島、また橋を渡って佃・月島、またまた橋を渡って勝どき、またまたまた新島橋を渡ると終点豊海水産埠頭となる。豊海水産埠頭は、その名の通り水産関係の会社や冷蔵庫・冷凍庫がたくさん並ぶ埠頭であり、都営住宅なども建ち並ぶ地域でもある。

秋26 葛西駅⇔秋葉原駅[都バスで東京発見]

秋葉原と葛西とを結ぶ東西に横断する路線

秋26 葛西駅⇔秋葉原駅(経由)境川・浜町中の橋 葛西営業所

路線keyword:秋葉原電気街,日本橋町,清洲橋通り,碁盤目道路,葛西橋


都心から東方向に隅田川・荒川・中川を超えて江戸川区まで走る路線バスは、この秋26系統と草28系統の神田駅・葛西車庫線の2系統のみである。かつては上26系統も上野公園・亀戸駅・今井間を一本で結んでいたが、現在は亀戸駅で分割されて上26・亀26となってしまった。そのようなことから、秋26系統は都心と江戸川区とを一本で結ぶ貴重な路線である。
休日の歩行者天国実施時を除いて、バスは電気街に囲まれた秋葉原駅前(西口)のサトームセン前の小さな広場より発車する。サトームセンのCMソングが繰り返し流され、メロディーを覚えた頃にバスは発車した。
狭い駅前を抜けて右側に派手なネオン看板が建ち並ぶ秋葉原・電気街を見て左折、中央通りへ入る。神田川を万世橋で渡り、右手に交通博物館の新幹線の先頭車両を眺めて、須田町、神田駅前となる。かつては、この区間も休日には歩行者天国となって、上野広小路から銀座八丁目までの南北に長い歩行者専用道路(プロムナード)が続いていた。しかし、現在は周辺道路の渋滞等によって万世橋・日本橋間が廃止され、東洋一の長さと言われていた歩行者天国が分断されてしまった。
神田駅から浜町中の橋まで、往路復路が別れて都内では珍しい五車線一方通行道路を走っていく。右左折を繰り返し、日本橋馬喰町、日本橋横山町、東日本橋と衣料・繊維・化粧品・小間物・文具・雑貨・呉服等の中小の問屋街の広がる地域を通過する。首都高速の下をくぐって、隅田川を鋼製の吊り橋である清洲橋で渡り、清洲橋通りを東へと進む。「清洲橋」とは江東区清澄の「清」と中央区日本橋中州の「洲」をとってと名付けられたものである。
清澄、白河、扇橋と墨田区・江東区の碁盤の目状に整然と道路の入った地域を東に走っていく。この街路網は関東大震災後の震災復興計画によって造られたものである。
貨物線のガード下をくぐって境川となり、明治通りと交差する。北砂、東砂を通って旧葛西橋交差点でバスは右折し、荒川を葛西橋で渡るために1本南側の葛西橋通りに向かう。このまま直進すると荒川土手に突き当たり、川を越えることはできない。葛西橋行のバスは右折せずに直進して葛西橋詰下にある停留所に向かう。
葛西橋通りに入って荒川(放水路)を渡る。荒川も下流部になると北区・足立区で見られるような土手・堤防の内側(専門用語では堤外地と言う)に芝生の広がるオープンスペースがなくなり、堤防の中は全てが水面で覆われている。右手には地下鉄東西線のワーレントラス型鉄橋が見える。続いて堤防を挟んで中川(放水路)を渡って江戸川区となる。
団地やマンション等の高層集合住宅を多く目にするようになる。葛西車庫を右手に見て、長島町交差点にて右折、環七通りとなって南下すると、終点葛西駅バスターミナルに到着する。
葛西は、かつてより水田の広がる地域だった。しかし、昭和30(1955)年代から都市化の波を受け始め、地元の漁業組合が共同漁業権の放棄を東京都と取り決めたことによって海岸の埋め立てが承認され、さらに、昭和44(1969)年の営団地下鉄東西線の開業によって、地域の開発に拍車がかかったところである。

東17 潮見駅⇔東京駅八重洲口[都バスで東京発見]

東京駅・湊三丁目間が急行バスになる東京駅と潮見駅を結ぶ路線

東17 潮見駅⇔東京駅八重洲口(経由)豊洲駅・月島駅 深川営業所

路線keyword:住友ツインビル,佃大橋,佃・月島,湾岸埋立地,急行バス


東京駅・湊三丁目間は、住友ツインビル(潮見駅行は新川二丁目)のみの停車となる急行バスであるが、本数は少なく、もっぱら朝夕の通勤輸送に従事している路線である。各停留所に停車するバスは東15系統となる。
東京駅八重洲口を発車すると、大丸デパートを背にしながら、八重洲通りをひたすら湾岸目指して走っていく。首都高速宝町ランプを通り、八丁堀を通り、前方に住友ツインビルが現れるとバスは右折し新川二丁目となる。潮見行のバスは住友ツインビルの前には寄らないルートを走る。
右左折を繰り返し、湊界隈となって湊三丁目となる。湊界隈は、かつて佃島までの渡し船が発着していたところであり、古くからの街並みが残る地域である。
ここからバスは各停留所に停まっていく。地下鉄新富町駅のある入船橋交差点を左折し、佃大橋で隅田川を渡って佃に入る。左手には、江戸時代より佃煮の特産品をもつ佃島の古い街並み(佃一丁目)が広がり、その背後に大川端リバーシティーの再開発ビル群がそびえ立っている。佃大橋は昭和39(1964)年に架設された橋であり、それによって江戸時代より続いていた湊・佃間を結ぶ佃島渡船は廃止された。近くには記念碑が建っている。
地下鉄月島駅前となり、バスは左折する。バスは、何度も運河を渡って右左折を繰り返しながら潮見駅を目指す。左手に大川端リバーシティーの高層住宅を眺めながら、相生橋で運河を渡って越中島へ入る。かつては越中島練兵場だった東京商船大学を右に見て、豊洲運河をゼロメートル地帯特有のカマボコ型をした豊洲橋で渡る。
石川島播磨重工の工場を左に見て豊洲となる。豊洲は大工場の広がる工業地域である。地下鉄豊洲駅で左折し、再び豊洲運河をカマボコ型の朝凪橋で渡り、枝川となる。
そして、マンションや倉庫、工場地帯の中をしばらく走ると、終点潮見駅に到着する。

平成12年12月、廃止された。

錦13甲 錦糸町駅⇔晴海埠頭[都バスで東京発見]

錦糸町と臨海・晴海埠頭とを一本裏通りの大門通りで結ぶ路線

錦13甲 錦糸町駅⇔晴海埠頭(経由)東陽三・豊洲駅 深川営業所

路線keyword:大門通り,晴海埠頭,工場地帯,中小企業の工場,狭路


晴海客船ターミナルを背にしてバスは東京港を後にする。晴海埠頭の倉庫群が建ち並ぶ、殺伐とした独特の景色を見て、バスは直進する。春海橋で春海運河を渡ると豊洲となって、石川島播磨重工などの鉄工場のある無機質な工業地帯を走る。
豊洲駅で左折し、いくらかは人間の生活の香りがする街並みとなっていく。運河を渡るときは、かまぼこ型に道路が盛り上がり、陸橋を渡るように川を渡る。ゼロメートル地帯であることが実感できる。
枝川となって右左折を繰り返し、深川車庫からやってくる乙系統と合流して塩浜となり、中小企業と高層住宅が建ち並ぶ地域をバスはうねうねと走っていく。大門通りとなって、地下鉄東西線木場駅に近い東陽三丁目となる。
永代通りと交差し、バスは裏路地的な二車線の大門通りを錦糸町目指して北進する。千石、石島、扇橋、猿江、住吉などといった、聞き慣れない江東区の街を走っていく。
京葉道路で右折し、やがて錦糸町駅まえとなり、終点となる。

錦11 錦糸町駅⇔築地駅[都バスで東京発見]

錦糸町と築地とをビジネス街の路地裏的な道路で結ぶ路線

錦11 錦糸町駅⇔築地駅(経由)新大橋・茅場町 江東営業所

路線keyword:築地,下町的な風景とビジネス街


錦糸町駅前もずいぶん様変わりした。駅前デパートなどのリニューアルにより、汚らしい街から綺麗な街へ。築地駅のバスは駅前のターミナルから発車せず、少し離れた四つ目通りの住友銀行前から発車する。
錦糸町駅を出ると、四つ目通りを南下し、住吉にて右に曲がる。新大橋通りを東に走る。菊川、森下と都営新宿線の駅前を通り、隅田川を斜張橋の真新しい新大橋で渡って、中央区日本橋浜町となる。
左手に水天宮が現れ、蛎殻町となる。だんだんとオフィスビルが建ち並ぶようになり、景色が変化してくる。鎧橋で日本橋川(上には首都高速)を渡ると、証券会社のオンパレード・兜町界隈となって茅場町となる。
オフィスビルの谷間の裏路地的な2車線道路をバスは走っていく。八丁堀、桜橋、新富町となって、晴海通りの手前で終点築地駅となる。バスを降りて正面に歩くと、左手に築地本願寺の正面が見える。錦糸町駅行きのバス乗り場は、築地本願寺前からの発車となる。築地市場は、晴海通りを渡ってすぐのところにある。

都05 晴海埠頭⇔東京駅南口[都バスで東京発見]

東京駅と晴海埠頭を結ぶ路線

都05 晴海埠頭⇔東京駅南口(経由)銀座四 杉並・深川営業所

路線keyword:晴海埠頭,銀座,築地,勝鬨橋


東京駅と築地・勝どき・晴海地区とを結ぶ路線で、JRを利用するビジネス客も多く利用し、朝夕は混雑する。
東京駅南口の東京中央郵便局前を発車すると、東京フォーラム(都庁跡)を正面に見て、右手に曲がる。すぐに左に曲がり、有楽町そごうのあったところの脇を通って有楽町駅となる。そして、晴海通りへと左折し、数寄屋橋となる。ここからは、都03系統と同じルートを走る。

都04 豊海水産埠頭⇔東京駅南口[都バスで東京発見]

東京駅と豊海の水産埠頭とを結ぶ路線

都04 豊海水産埠頭⇔東京駅南口(経由)勝どき二・銀座四 江東営業所

路線keyword:豊海水産埠頭,勝どき,勝鬨橋,銀座,歌舞伎座,築地


東京駅から豊海水産埠頭までのアクセスラインである。
東京駅南口の東京中央郵便局前を発車すると、東京フォーラム(都庁跡)を正面に見て、右手に曲がる。すぐに左に曲がり、有楽町そごうのあったところの脇を通って有楽町駅となる。そして、晴海通りへと左折する。数寄屋橋の人通りの激しい、賑やかな交差点を通り、銀座の中心地・銀座四丁目交差点を横切る。歌舞伎座を左に眺め、築地を通り、勝どき橋を渡り、勝どき二丁目までは都03系統と同じルートを走る。勝どき2丁目で右折する。
勝どきの高層住宅を眺め、新島橋を渡ると、水産関係の倉庫群が建ち並ぶ豊海となり、終点となる。

都03 四谷駅⇔晴海埠頭[都バスで東京発見]

四谷(新宿駅西口=廃止)からベイエリア晴海埠頭までを走る路線

都03 四谷駅⇔晴海埠頭(経由)四谷駅・銀座四 杉並営業所

路線keyword:新宿超高層ビル,歌舞伎町,皇居・桜田濠,銀座,勝鬨橋,晴海埠頭,グリーンアローズ


さまざまな個性ある、見所多いポイントを走り、新宿から晴海までを横切る路線である。気分転換を図りたいとき、東京観光を行いたいときは、この路線を完乗することを薦める。とにかく、新宿歌舞伎町・皇居・銀座・勝鬨橋・ベイエリア晴海埠頭と変化に富む車窓には飽きが来ない。本数もほどほど走っており、気軽に乗れるバスである。
新宿副都心の超高層ビルを眺められる新宿駅西口のバスターミナルを発車すると、青梅街道で右に曲がってJRの大ガードをくぐり、東口の歌舞伎町を走る。左側が魅惑のネオン輝く歌舞伎町となり、道路にはゴミが散乱して汚い。新宿5丁目で右に曲がり、伊勢丹や丸井を見て、新宿3丁目で新宿通りに左折する。新宿の繁華街をひととおり眺めることができる。同性愛者の街・新宿2丁目にさしかかると、外を歩く同性のカップルが目につく。そして、新宿御苑前を過ぎると、四谷界隈へと変わっていく。
高いビルが道路に建ち並び、四谷駅前となると、右手に上智大学が現れる。麹町を走り、突き当たりに皇居が見えてくると、半蔵門となって、バスは右に曲がる。左手には緑々とした美しい皇居(本当に美しいと思える風景である)が広くて大きな道路と共に開放的な空間を形成しており、三宅坂の下り坂をバスは快走する。右手に国立劇場、最高裁判所、警視庁が現れ、桜田門の横を走り過ぎる。そして、日比谷となる。
有楽町・銀座界隈となり、JR線をくぐると、数寄屋橋交差点。そして、銀座の中心地・銀座四丁目交差点となり、銀座の街の中を横切っていく。すぐ左手に歌舞伎座の風格ある建物が現れ、築地となる。バスは、ひたすら晴海通りを直進する。
隅田川に架かる橋の中で、もっとも下流に位置する勝鬨橋(かつては中央部が「ハ」の字に開く橋だった)を渡り、勝どきとなる。運河を渡り、晴海埠頭に入ると右に曲がり、東京国際貿易センター(かつての晴海見本市会場)を右に見て、終点晴海埠頭となる。終点には、豪華客船などの大型客船が発着する晴海客船ターミナルがあり、ここからはレインボーブリッジの美しい姿を目の前で見ることができるデートスポットとなっている。

平成12年12月、新宿駅西口-四谷駅間が廃止された。都心を横断する見所多い場所を走るだけに、残念である。おそらく、新宿駅周辺の渋滞が激しく、定時運行が困難になったためだろうと思われる。

市01 新橋駅⇔築地中央市場[都バスで東京発見]

始発5時02分(開場日)、朝早くから威勢のある築地中央市場への路線

市01 新橋駅⇔築地中央市場(経由)朝日新聞 品川営業所

路線keyword:東京都中央卸売市場(築地市場・築地の魚河岸),朝日新聞本社,浜離宮


都バスに限らず、東京都内を走るバスの中で最も早い時間に運行する路線である。JRの始発電車に合わせて時刻が設定されており、バスに乗る人もほとんどがJR線からの乗り継ぎ客である。目的は当然、築地の市場への買い出しである。新橋駅に電車が到着すると、タクシー乗り場を目指して徒競走が繰り広げられる。お互いタクシーを相乗りして、一刻も早く鮮度の良い魚介類を買い付けようと市場に急ぐのである。バスも満員の乗客を乗せて、まだ闇の広がる新橋駅前を発車した。
始発バスは乙系統の朝日新聞循環行であり、市場構内には乗り入れないが、築地中央市場正門前にて下車し、正門を入って少し歩けば築地中央市場の構内バス停にたどり着く。また、市場休場日(バス停留所に1年間の市場休場日が掲載されている)には市場構内に入らず、乙系統の朝日新聞循環行となる。甲系統と乙系統の違いは、市場構内に入るか入らないかである。(現在は市01系統に一本化されている)
鉄道発祥地のゼロキロポストが残る汐留の更地を右手に見ながら昭和通りを途中で右折し、高速道路の下をしばらく走って浜離宮前となる。新大橋通りをカーブしながら走ると、右手に「青果門」と書かれた看板が現れ、横付けされたトラックに買い付けた青果の箱を積み込む場面が多く見られるようになる。ここからは今までの静寂が嘘のように、活気づいた地帯となる。
現在の築地の魚河岸は、関東大震災後に江戸時代より日本橋にあった魚市場を海軍兵学校跡地に移転したことに始まり、取り扱う貨物量は東洋一と言われている。
築地中央市場正門前にて、乙系統は左折して新橋駅へ戻るルートとなるが、甲系統は左折レーンをそのまま進んで右折し築地市場構内へと入っていく。3階建ての立体駐車場の薄暗い1階部分をトラック・ターレット車・パレット・買い付けた荷物などを眺めながら通過する。立体駐車場の出口部分で終点の降車場となり、前から後ろから満員の乗客が次々と降りて、正面にある買荷保管所・魚類部仲卸店舗の建物・場内へと足早に去っていく。
場内は卸売専門であり、私のような一般人には品物を売ってくれない。正門前には「卸売以外の販売はいたしません-東京都」と書かれた大きな看板が立っている。一般人への小売りは「場外」と呼ばれる、正門前の新大橋通りを築地本願寺方向に少し歩いたところの場外市場で行われている。そこには魚屋はもちろん、乾物屋・包丁屋・料理道具屋・冷蔵庫屋・玉子焼屋・長靴屋・のぼり旗屋・コーヒースタンド・ラーメン屋など様々な店が並んでいる。玉子焼専門店では数種類の玉子焼きを売っており、お得意先はお寿司屋さんだということである。
場内に話を戻す。雰囲気は騒然としており、活気に満ちあふれている。ぼやぼやしていると荷を積んだターレット車と呼ばれる荷を台車に積んで引っ張る三輪自動車やリヤカーにひき殺される。セリは建物内の仲卸店舗の奥で行われており、そこまで入っていくことはできるが、リヤカーやターレット車が暗黙の秩序で動き回っており、混雑時は立ち止まることができず、まごまごしていると邪魔になる。混雑時の見学(といっても一番の見所は朝の混雑時であるが……)は魚介類が多く並べられている仲卸店舗を足早にぐるりと一回りし、奥地は越えないで一寸眺めてすぐ引き返すのがベターである。それでも十分すぎるほど、場内の雰囲気を味わうことができる。見学する外国人の姿もちらほら見受けられ、威勢のいい掛け声があちこちから聞こえている。
正門立体駐車場の北側は、定食屋・売店・診療所等が立ち並ぶ場所である。朝早くから開店しており、卸売業者や市場従業員、買い付け人が多く利用している。築地場内はさながら”小さな街”といったところである。
新橋駅行の場内バス停留所は、立体駐車場1階の出口車線の正門寄りの柱脇に建っている。トラックに囲まれており、バス乗り場とは全く感じられない場所である。「場内混雑時はバスが入場しないので朝日新聞社前よりご乗車ください」と書かれた地図付きの看板が柱に取り付けられていた。
バスは、左手に昭和55(1980)年に有楽町より移転してきた朝日新聞本社、右手に国立がんセンター(現在工事中)の建物を見ながら道路を直進し、しばらく走って昭和通りへと左折する。左手に汐留の跡地を眺めると、まもなく終点新橋駅に到着する。

警察博物館【東京考察#23】

Police museum

 

 白バイの赤ランプがピカピカ光り、一見すると交番のような面構え、ここは警察博物館である。何も悪いことはしていないのに、入るのを躊躇ってしまうのは、僕だけではあるまい。あまりお金がかかっていないような展示の内容であるが、制服の変遷や、警察の歴史、運転シュミレーター、各都道府県警のエンブレム、実物の辞令、鑑識調査の道具、警察手帳などの道具が展示されている。中でも目を引くのが、いままでの殉職者の写真と、その時に着ていた血痕のついた制服、ナイフで切り裂かれた制服(どちらも本物)が展示されており、警察官という任務のシビアな面も感じることができる。わざわざ足を運ぶほどの展示ではないが、銀座に買い物に行ったとき時間が余っているのなら、ちょっと寄ってみるのも悪くはない。中央通り沿い、京橋の首都高速の高架橋下近くに存在する。


雨の晴海埠頭【東京考察#22】

Harumi Futo (passenger liner wharf)

 


 東京の海の玄関にふさわしい建物をと、昭和63年9月より着工し4年の歳月をかけ建設されたのが、晴海客船ターミナルです。近年のクルーズ人口の増加と客船の大型化に対応した先端の技術と安全性、そして斬新なデザインが与えられ、東京港開港50周年となる平成3年5月に完成しました。---

と、パンフレットには書いてある。つまり、2万トン級の豪華客船、にっぽん丸やふじ丸、飛鳥などといった大型客船を係留するための埠頭であり、世界各国の豪華客船や軍船を見ることができる。館内には、今月の入港船一覧表(時刻)が貼ってあるので、お目当ての船があれば、見学することもできるだろう。苫小牧や四国・九州方面へのフェリーは、この埠頭からの出航ではなく、有明にあるフェリー埠頭ターミナルより出航する。晴海埠頭は、あくまでもクルーズ船などの豪華客船が主である。建物は東京都の施設である。



晴海客船ターミナル


大きな荷物やカートものれる段差なしのエスカレーター


待合ロビー(CIQ検査室)


税関のお知らせ看板


大型客船を係留する埠頭


送迎デッキ(紙テープなどを投げて見送る)


臨港広場


雨にかすむレインボーブリッジ

 

歩行者天国【東京考察#17】

Pedestrian paradise (driveway only for pedestrians)


秋葉原電気街の歩行者天国(中央通り)

 


 子供の頃、車を通行止めにして車道の上を歩行者が歩ける歩行者天国を見て、なんてすごいことができるのだろうか、と感慨にふけった記憶がある。これこそ中心市街地活性化の一番の切り札であり、もっともっと導入されるべき施策である。
しかし、昭和50年代に始まったこの歩行者天国も、周辺道路の渋滞が激しくなり、徐々に廃止が広がり、今では、上野駅から秋葉原駅、日本橋から銀座、新宿駅から新宿3丁目、渋谷ハチ公前109付近などを残すのみとなってしまった。特に東洋一の長さを誇っていた、上野駅から銀座8丁目までの中央通りの歩行者天国は、神田駅付近で廃止となってしまい、上野駅まで自転車でくれば、あとは銀座まで一直線に快走できたのであるが、いまは出来なくなってしまった。たけのこ族などを生み出した原宿の歩行者天国(ホコ天)も過去のものとなってしまった。残念な限りである。新宿の歩行者天国では,「大道芸禁止」の看板の横で,大道芸などが繰り広げられている.現在は黙認ということにしているが,これも賑わい創出の策として,安全な範囲内でもっともっと導入されるべきである.



出店が立ち並ぶ(秋葉原)


暑い夏ならではのアイスキャンディー屋(秋葉原)



銀座4丁目交差点(銀座)

 
銀座の中央通り(銀座)



新宿三丁目付近(新宿)

 
新宿では大道芸が行われており,
大きな輪ができている(新宿)


「新宿の母」もいた


伊勢丹前で火を噴く大道芸人(新宿)

 
原則禁止であるが,賑わい創出策として有効である.

夜の銀座【東京考察#12】

The Ginza at night


銀座4丁目交差点 和光の時計台

 


 夜の銀座。ネオンが輝き、本当に日本は不景気なのか、と思わせるほどの明るさである。銀座は、渋谷・新宿の喧騒とは違って、どことなく落ち着きのある街であり、高級感ある大人のムードを味わえる街である。


 左側車線は客待ちするタクシーが並んでいる。後ろを走るバスの行先表示板が赤色になっているのは最終バスを意味する。ちなみに都営バスでは、最終の1本前のバスは緑色のランプを光らせて走る。


 夜11時を過ぎているが、人通りが絶えない。終電に間に合うように、人々は駅へ向かう。


 大都市の工事は、交通量の減る夜間に行われることが多い。ここでも下水道工事が行われていた。カメラを持った外国人観光客の姿も目立ち、この工事の模様をビデオに収める人もいた。

 


 パントマイム。


 高級クラブの並ぶ、銀座6・7丁目界隈。ママさんがお客さんを見送るため、下に降りてくる。



三愛ビル


おまけ…


江戸東京博物館
の展示模型
明治(銀座煉瓦街)時代の銀座4丁目交差点
右の建物が朝野新聞社(現 和光時計台)

隅田川橋梁群【東京考察#6】

The bridge at Sumida river (view from a water-bus)


水上バス

 


 隅田川にかかる橋梁(復興局施工による6大橋)は、土木史の中でも語り継がれるほど、優秀な土木構造物である。6大橋とは、相生橋・永代橋・清洲橋・蔵前橋・駒形橋・言問橋のことであるが、これらの橋は関東大震災の復興事業によって架けられたものであり、外国人技師らと共に当時の新技術を投入して、技術的にも工法的にも景観的にも高く評価されている橋である。
浅草~日の出桟橋間を走る水上バスから通過する全ての橋梁の写真を、浅草側から下流に向かって撮影した。当時の6大橋と近年架けられた橋(新大橋などの斜張橋)との対比などをしてみるのも面白い。
台風の翌日に撮影したので、隅田川の色がインドやタイの川のように濁っていた。普段はこんなには濁っていない。写真が18枚ありますので、全て表示されるまでに時間がかかるかと思います。ご了承ください。では、浅草から河口まで橋の旅をどうぞ。



東武鉄道の橋梁


吾妻橋


駒形橋


厩橋


蔵前橋


JR総武線の橋梁


両国橋


首都高6・7号の両国ジャンクション


新大橋


清洲橋


隅田川大橋(首都高9号)


永代橋


中央大橋


佃大橋


勝鬨橋 (真ん中がハの字に開く橋だった)

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