「■東京の情報」カテゴリーアーカイブ

BANCHAN WORLD の東京をテーマにしたカテゴリーです.

井91 大井町駅東口-大田市場[都バスで東京発見]

大井町駅から八潮パークタウンを経由して大田市場までを結ぶ路線

井91 大井町駅東口⇔大田市場(経由)八潮パークタウン 品川営業所

路線keyword:大田市場,八潮パークタウン,大井埠頭


本数が非常に少ない路線である。大田市場へは品川駅からバスが運行されている。
八潮パークタウンまでは品91系統と同じルートを走り、八潮パークタウンを出た東京陸運支局から東京港野鳥公園までは品98(甲)系統と同じルートを走る。
そして、東京港野鳥公園(環七大井埠頭交差点付近)から大田市場までは品98(丙)系統と同じルートを走り、終点大田市場に到着する。(それぞれの系統を参照してください。)

宿91 駒沢陸橋-新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿から東高円寺を通り、環七で駒沢までを結ぶ路線

宿91 駒沢陸橋⇔新宿駅西口(経由)新代田駅・東高円寺駅 杉並営業所

路線keyword:新宿副都心,青梅街道,環七通り,駒沢


新宿から東急王国の世田谷区駒沢までの都バスがあったのか、と思わせるような路線である。かつては大森駅まで走っていたのであるが、環七の道路渋滞が激しいためか、区間が短縮された。
新宿から高円寺陸橋までは青梅街道を王78系統と同じルートで走る。
高円寺陸橋で左に曲がり、あとはひたすら環七通りを南下するのみである。
丸の内線の方南町駅を過ぎ、甲州街道や首都高速と交差し、代田橋を過ぎて新代田駅となる。ここに東急バスの操車場があり、大森駅行きのバスが出ている。小田急線の下をくぐり、都内で2カ所だけになったチンチン電車・東急世田谷線と交差して若林となる。上馬、野沢と過ぎ、駒沢通りとの交差点に駒沢陸橋があり終点となる。青梅街道と環七通りしか走らないので、車窓の変化に乏しい路線である。

品91 品川駅東口⇔大井町東口[都バスで東京発見]

品川駅・大井町駅と八潮パークタウンとを結ぶ路線

品91 品川駅東口⇔大井町東口(経由)八潮パークタウン 品川営業所

路線keyword:八潮パークタウン,大井埠頭,湾岸埋立地


大井埠頭西部の八潮五丁目に存在する高層住宅・八潮パークタウンへのアクセス路線である。品川駅から八潮パークタウンを経由して大井町駅までを結んでおり、乗り通す乗客はまずいない。
大井町駅東口のきゅりあん(品川区総合区民会館)・丸井前のロータリーを出発すると、仙台坂を下って第一京浜を横切り、青物横丁となる。北ふ頭橋交差点にて海岸通りに右折し、今度は八潮橋交差点を左折する。
右手には、羽田空港へ向かう東京モノレールが運河の中を走っており、バスはS字カーブを描きながら八潮橋で京浜運河を渡って大井埠頭八潮五丁目・八潮パークタウンに入る。本路線は八潮パークタウン内を左回りでぐるりと一周して、再びこの八潮橋を渡って八潮パークタウンを後にするルートを走る。
高層住宅の団地群の中をバスは走り、八潮橋を渡って八潮橋交差点を右折する。海岸通りを北に進み、右手に天王洲アイルの再開発ビルを眺めながら天王洲橋を渡り、左手に食肉卸売市場、右手に東京水産大学を眺めて、交差点を左折すると終点品川駅東口(港南口)に到着する。

反90乙 五反田駅⇔三田駅[都バスで東京発見]

高輪の台地の路地裏的な所を走り抜けて五反田と田町を結ぶ路線

反90乙 五反田駅⇔三田駅(経由)高輪一丁目・田町駅 目黒営業所

路線keyword:高輪台,三田,高松宮邸,狭路


かつては反96系統、五反田駅循環路線として走っていたが、現在は三田で折り返す便に短縮された路線である。本数が少なくて捕まえにくい路線であり、地元の乗客もメモをして時刻を把握し乗車している姿を目にする。バスは高輪台の路地裏的な二車線道路を走っていき、生活の匂いの感じられる高輪の住宅地を垣間見ることができる。
五反田駅を出発すると、桜田通り(国道1号)の上り坂を都心へ向けて走っていく。島津山、??山と呼ばれる高級住宅街である。
坂を上りきった都営地下鉄浅草線高輪台駅前にてバスは右折し、狭い二車線道路へと入っていく。そしてすぐ正面に衆議院高輪議員会館を見て左折し、高輪三丁目となる。バスは高輪の住宅街の中をクネクネと走っていく。商店街が両手に現れ、高級な住宅街の中にも生活の匂いが感じられる下町的な風景が続くようになる。
左手に高松宮邸の森が現れて高輪一丁目となる。伊皿子交差点から三田となり、坂を下りながら三田四丁目・三丁目を走って、慶応大学の学生の多い街となると、突き当たりを左折しJR線田町駅前となる。ほとんどの乗客はここで下車する。
第一京浜を直進し、東京港口停留所を過ぎて左折し、さらに次の交差点で左折して、ループ状に運行ルートをとる。そして、ビルの真ん中に風を通すための穴が開けられている日本電気(NEC)本社ビルが右手に現れると、バスは終点都営地下鉄三田線三田駅前に到着する。

渋88甲 渋谷駅-東京駅南口[都バスで東京発見]

渋谷から青山アンティーク通り・六本木を経て新橋駅(東京駅=廃止)までを結ぶ路線

渋88 渋谷駅⇔新橋駅北口(経由)麻布台 渋谷営業所

路線keyword:渋谷・青山・六本木・麻布,東京タワー,ロシア大使館


渋谷駅・東京駅間は本数が非常に少なく、平日の日中は1時間に1本、休日でも4~50分に1本の割合で、乗りにくい路線である。渋谷・東京タワー間を結ぶ渋88乙系統は頻発している。
東京中央郵便局の重厚な建物の前を発車し、はとバスのりばを通過して、東京国際フォーラム前を左折する。鍛冶橋で今度は右に曲がり、銀座新橋を目指す。
プランタン銀座、西銀座宝くじチャンスセンター、ソニービルを見て、数寄屋橋交差点を通過する。そして、新橋となる。新橋駅北口バス停前に「新橋モダン食堂」という昭和初期を彷彿させるような看板のお店がある。外堀通りを走り、虎ノ門で左折する。
虎ノ門にはオフィス街が建ち並ぶ。日本ガス協会ビルディングの入口にはガス燈が2つ建っており、風情を醸し出している。
馬の鞍のような形をした飯倉交差点で左を眺めると、東京タワーの超アップが現れてバスは右折する。東京タワーからやってくる渋88乙系統は、ここで合流し渋谷まで同じルートを走っていく。ロシア大使館が左手に現れて、麻布台となる。
ここからは乗客、街を歩く人々ともに外国人が多くなる。そして六本木。街がにぎやかである。六本木通りに左折して渋谷に向かうが、西麻布をでると高樹町交差点でアンティーク通りに右折して青山通り(国道246号)に向かう。骨董品通りであるが、青山の骨董品と聞くと非常に高級な感じがする。
8車線の広々とした青山通りを走って、終点渋谷駅となる。

平成12年12月、新橋-東京駅間が廃止され、乙系統であった麻布台-東京タワー間も廃止された。

田87 渋谷駅⇔田町駅[都バスで東京発見]

三田・白金・恵比寿・東を走って田町と渋谷を結ぶ本数の多い路線

田87 渋谷駅⇔田町駅(経由)恵比寿駅・魚らん坂下 渋谷営業所

路線keyword:白金,恵比寿ガーデンプレイス,北里研究所,慶應義塾大学


地下鉄の過疎地域を走ることから、乗客数・本数ともに多い路線である。田町駅のバス乗り場は、第一京浜に面した西口側と港区スポーツセンターのある東口側の2ヶ所存在するが、本系統は第一京浜側の東口にバス停がある。
田町駅を出発するとバスはすぐに左折し、第一京浜から細い道路へと入っていく。慶応大学の学生が闊歩する町中を走り、国道1号の大きな通りに出ると、右手に慶應義塾大学が現れる。
三田界隈を走り、魚らん坂下となって桜田通りと交差し、2車線道路へ直進する。右手に北里大学研究所が現れ、バスは白金界隈をくねくねと走っていく。
外苑西通りを横切り、恵比寿界隈に入る。左手にサッポロビール恵比寿工場跡地を再開発した恵比寿ガーデンプレイスの建物群が見えて、最寄り停留所である恵比寿四丁目となる。商店・飲食店街が続き、しばらく走ると恵比寿駅となる。
明治通りに左折して、終点渋谷駅前まで都06系統と同じルートを走っていく。

橋86 目黒駅⇔新橋[都バスで東京発見]

目黒から麻布の超高級住宅街を縫って新橋(銀座・日本橋=廃止)までを結ぶ路線

橋86 目黒駅⇔新橋駅(経由)愛育病院 目黒営業所

路線keyword:麻布界隈,各国大使館,超高級住宅地,有栖川公園,銀座目抜き通り(中央通り)


各国大使館の密集する高級感溢れる麻布の路地裏的な所を通り、新橋から中央通りで銀座の目抜き通りを走り抜け、日本橋の三越デパートまでを結ぶ、観光路線としても乗車価値の高い路線である。ブランド品を身につけて大きな買い物袋を手に持った気品の高い乗客を多く目にする。
目黒駅前のロータリーを出発すると、目黒通りを都心へ向けて走り、白金台にて外苑西通りに左折する。洒落たブティックやオープンカフェが建ち並び、夜になるとショーウインドウがライトアップされ、ムード溢れる景観が続いていく。
坂を下って白金六丁目となる。坂の上では「白金台」であったが、坂を下ると「台」が取れて「白金」となる。バスは右折し、天現寺橋にて明治通りと交差すると、左手に壁のように立ちはだかる都営広尾五丁目アパートを見て、地下鉄日比谷線広尾駅前(広尾橋)となる。
交差点角にある神戸屋キッチンを眺めながらバスは2車線の狭路に右折し、麻布へと突入する。「麻布」と言ってもその範囲は結構広く、本路線が走り抜ける麻布は、南麻布・元麻布界隈である。この辺りから外国人の姿を多く見つけることができ、日本に居ながらちょっとした異文化を味わえる地域である。
道なりに左折すると、右手には大使館関係の在日外国人の為のスーパー「National(ナショナル)」が現れる。店内には世界各国の食料品・嗜好品が陳列されており、見て回るだけでも楽しい。日本人でも自由に買い物をすることができる。ナショナルスーパーの奥がドイツ大使館である。
続いて、左に教会、右に都立中央図書館が存在する有栖川宮記念公園が現れ、坂を上ると右折して愛育病院前となる。右手に麻布運動場が現れて、高級マンションの連なる仙台坂を下ると二の橋となり、バスは左折する。
一の橋・麻布十番にて右折すると、左手に東京タワーを眺めながら中の橋を通り、赤羽橋にて左折、右手には東京タワーが目前に迫っている。
神谷町にて右折、第一京浜にて左折し、オフィス街となって新橋駅となる。平日の9時~18時台までは半数が新橋止まりの運行であるが、ここから先が麻布に続いて本路線の見せ場の一つであり、銀座の目抜き通りである中央通りを八丁目から一丁目まで突き抜けていく。しかも、休日などはプロムナード(歩行者天国)となってバスは迂回ルートを走ってしまうので、最も良い条件で乗車できる時間帯は限られてしまう。
首都高速をくぐると、銀座八丁目となる。両側にはビルが建ち並び、著名な店舗が続々と連なり、電柱は地中化され、街路灯が直線的に整然と先まで続く。さらに、夜になると看板とビルと街灯の明かりで眩しくなり、日本でも屈指の美しい都市景観が見れる。銀座の中心である銀座四丁目交差点で晴海通りと横切るが、ここは、地価日本一としてニュースによく登場する場所でもある。道路には人がうごめき合っており、日本一の「銀座」の繁華な雰囲気を感じることができる。そして、銀座一丁目となって、銀座は終了する。
首都高速をくぐると、京橋となる。オフィスビル街となってしばらく走ると、再び首都高速の高架橋が現れるが、バスはその手前にて左に曲がってしまう。その高速の下が道路元標のある日本橋である。日本橋三越から目黒駅行のバスに乗れば、日本橋を渡ることができる。
バスは日本橋川を渡って、日本橋に入り、三越新館の裏手にて終点となる。

平成12年12月、大江戸線の開通によって新橋-日本橋三越間が廃止されてしまった。唯一、銀座の目抜き通り(中央通り)を走るバスであったのに残念である。

池86 東池袋四丁目⇔渋谷駅東口[都バスで東京発見]

渋谷-表参道-新宿-池袋のラインを明治通りで結ぶ路線

池86 東池袋四丁目⇔渋谷駅東口(経由)池袋駅東口・新宿伊勢丹 早稲田営業所

路線keyword:明治通り,新宿伊勢丹,高島屋タイムズスクエア,サンシャイン60,表参道,ハチ公前


東京でも有数な繁華街である渋谷・新宿・池袋を明治通りで結び、便利な路線のように思えるが、それ故に道路の渋滞も激しく、移動には時間のかかることが多い。
本系統と早81系統の早大正門行は、渋谷駅東口のバスターミナルからは発車せず、駅北側の三和銀行前(渋谷駅西口停留所)か東急イン前(渋谷駅東口停留所)のバス停から乗車することになる。渋谷駅を発車すると、左手に宮下公園が現れる。流行発信の街・渋谷から表参道までを結ぶ明治通り沿線には、さすがにお洒落なショップ・レストラン・ブティックが建ち並んでいる。
クリスマスシーズンになると電飾をつける立派なケヤキ並木の続く道路と交差すると、右手に原宿プラザ、左手にラフォーレ原宿が見えて表参道停留所となる。この辺りは土休日になると人々でごった返している。パレフランスの手前が原宿通りであり、左手に一瞬見ることができる。そして、神宮前一丁目となる。
神宮前一丁目を過ぎると、パタリと店がなくなって、賑わいのないビルの建ち並ぶ街並みがしばらく続く。千駄ヶ谷、北参道と過ぎると、再び街並みが賑やかになり、左手に東急ハンズや紀伊国屋書店がテナントとして入る高島屋タイムズスクエアの建物が過ぎ去って、JRAウインズ新宿前の新宿四丁目停留所となる。
左手に新宿駅南口ルミネを望むことができる甲州街道を横切り、右手に丸井が見えて、左手に新宿伊勢丹が現れると、新宿通りを横切って新宿伊勢丹前の停留所に到着する。
新宿五丁目交差点で靖国通りと交差し、バスは明治通りを北に進む。新宿の賑やかな街を抜けだし、左手に早稲田大学理工学部が現れて都立障害者センター前となる。
高戸橋交差点を過ぎると、右手に都内で唯一残った都電荒川線の線路が現れて、神田川を高戸橋で渡り、学習院下停留所となる。都電の停留所も右手にあって、乗換に便利なところである。学習院大学は左手の台地上に存在する。そして、バスは坂を上って千登勢橋をくぐり抜け、都電は右手に別れていき、左手に西武百貨店が現れると、池袋駅東口となる。
かつての本系統は池袋サンシャインシティーまでを結んでいたが、池袋駅東口・サンシャインシティ間に乗客がいなかったからなのか、現在は区間が変更され、バスの操車所が存在する東池袋四丁目という半端な行き先となった。
バスは池袋駅東口にて右折する。左手にサンシャイン60の超高層ビルが立っているが、周囲に高い超高層ビルが立っていないので、一際目立つ存在である。首都高速5号線の高架の下を走り、都電荒川線東池袋四丁目停留所と都電線路の手前にて、バスは終点となる。
せっかくの機会なので、サンシャインシティーについて記述する。サンシャインシティーは、昭和46(1971)年の東京拘置所(戦後米軍に接収されて以来「スガモ・プリズン」と呼ばれていた)の足立区小菅移転に伴ってできた跡地を再開発したところであり、昭和53(1978)年に地上60階、240mの日本一(当時)の超高層ビル・サンシャイン60が完成し、同時にサンシャインプリンスホテル・ワールドインポートマート・専門店街アルパ・プラネタリウム&国際水族館などを備えた複合施設である。サンシャインシティーは、池袋の地位向上に大きく貢献した開発である。

早81 早大正門-渋谷駅東口[都バスで東京発見]

渋谷から早稲田大学まで裏道を縫うようにして走る路線

早81 早大正門⇔渋谷駅東口(経由)四谷三・千駄ヶ谷駅 小滝橋営業所

路線keyword:早稲田大学,表参道のケヤキ並木,狭道,千駄ヶ谷界隈


渋谷駅ではターミナルに入らず、三千里薬局付近の西口、東映映画館前の東口に停車するループ運行となる。渋谷を発車すると左手に宮下公園を見て、おしゃれな店舗の続くケヤキ並木の道路をバスは快走する。表参道となり、かつてはクリスマスの電飾ツリーで名所となっていた通りを通って原宿駅前となる。近隣住民からの反対運動により、クリスマス時の電飾は中止となった。
左に明治神宮の森、右に竹下通りを見て、千駄ヶ谷に入ると、街並みは一変して落ち着いた雰囲気となる。仙寿院下のガードのコンクリート壁面には、芸術的なペイントアートが数多く描かれている。バスはぐるぐる迂回するように2車線の狭い道を走り、東京体育館・国立競技場が見えて千駄ヶ谷駅となる。
新宿御苑の東側を通り、四谷4丁目で晴海通りをちょいと走り、消防署前で外苑東通へ左折する。防衛庁を右に見て左折、かつてフジテレビ本社のあった河田町となり、東京女子医大前となる。
このあたりの道は狭く曲がりくねっている。車内のおばあちゃんたちからは「このあたりは戦争でやけなかったのよ」といった会話が聞こえてくる。若松町、喜久井町、馬場下町と過ぎ、早大正門となる。

茶81 渋谷駅⇔御茶ノ水駅(順天堂病院)[都バスで東京発見]

青山を突き抜けて番町を走る路線

茶81 渋谷駅⇔御茶ノ水駅(順天堂病院)(経由)青山一丁目駅・神保町 渋谷営業所

路線keyword:青山界隈,青山通り,番町,順天堂病院,靖国神社,本屋街・学生街


御茶ノ水駅行のバスは、渋谷駅東口の都営バスターミナルの最前端部分から発車する。宮益坂を登りながら渋谷の繁華街を走り、国道246号線・青山通りと合流する。あとは三宅坂の手前の最高裁判所まで、都心部では珍しく8車線もある広々とした青山通りを東に進んでいく。
右手に青山学院大学が現れて表参道となり、お洒落な店の多く集まる青山界隈となる。表参道交差点で左を眺めると、クリスマスの電飾ツリーで有名なケヤキ並木と道路左右に建つ石灯籠が目に入る。青山三丁目交差点左前方には、ファッションショッピングビルの草分け的存在である青山ベルコモンズが通り過ぎ、神宮外苑にほど近くなって外苑前となる。青山二丁目交差点で左を見ると、神宮外苑絵画館前に延びる立派なイチョウ並木が続いており、軸線を持つ美しいビスタ景観を見ることができる。
青山一丁目を過ぎると、左手に森が出現する。東宮御所、三笠宮邸、寛仁親王邸、秩父宮邸、迎賓館の存在する赤坂御用地である。そのうちの三笠宮邸、寛仁親王邸、秩父宮邸は青山通りのすぐ近くに建っており、入口の門前では警視庁の警備員の姿を見つけることができる。
赤坂見附交差点を陸橋にて通り過ぎ、陸橋の上からは右手に東急ホテル、左手にホテルニューオータニ・赤坂プリンスホテルのビル群を眺めることができる。地下鉄永田町駅を通り、最高裁判所手前でバスは左に大きく曲がる。直進すれば皇居に突き当たって三宅坂となる。
右手に石造りの堅牢な建物である最高裁判所(1972(昭和47)年完成)の裏を眺め、ほんの一瞬であるが国立劇場(1966(昭和41)年完成)の裏手の昇り旗を見ることができる。バスは路上駐車の多い2車線の道を北に進む。そして坂も多くなり、坂を下って一番町、坂を上って三番町の停留所となり、左手には大妻女子大学が現れる。
番町は、江戸期において旗本の多く居住武家地であったところであり、戦前までは華族をはじめ高級官僚等の邸宅の多いお屋敷町であった。現在でも都心有数の超高級住宅街として、独特の落ちつきのある界隈である。バスは再び下って、再び上って靖国神社交差点を右折、靖国通りへ入る。
左手は、終戦の1945(昭和20)年までに戦争などの国事で倒れた約250万人の霊をまつる靖国神社である。坂を下ると、右手には日本武道館への入口でもある北の丸公園の入口・田安門が現れ、千鳥ヶ渕のお濠が見える。
営団地下鉄東西線九段下駅を通り、古本屋や本屋の連なる神田・神保町の本屋街を通り抜けて駿河台下を左折し、明治大学を左に眺めて学生街を走るとお茶の水橋の橋上に停留所のあるJR御茶ノ水駅前となる。眼下にJR中央・総武線と神田川を眺めることができる。バスはここで終点とならず、そのまま直進して東京医科歯科大学を右手に見ながら、左手に順天堂病院が現れると終点となる。

平成12年12月、唯一青山通りを走る路線であったが、廃止された。

四80 四谷駅⇔赤坂アークヒルズ[都バスで東京発見]

四谷駅から外濠(弁慶堀)沿いを走って赤坂アークヒルズまでを結ぶ路線

四80 四谷駅⇔赤坂アークヒルズ(経由)赤坂見附 新宿営業所

路線keyword:赤坂アークヒルズ,迎賓館(赤坂御所),高級感,弁慶堀(外濠),一流ホテル


アーク森ビルやサントリーホール、全日空ホテル、テレビ朝日放送センター等が存在するインテリジェントシティー・赤坂アークヒルズと四谷駅とを結ぶ路線であり、赤坂アークヒルズが地下鉄の駅から離れていることもあって、平日にはビジネスマンや訪問客によって混雑する路線である。現在、付近の六本木二丁目交差点にて営団地下鉄南北線・東六本木駅の開設工事が行われており、完成すると四谷-溜池-東六本木-麻布-目黒と結ぶことから、その後の本系統の存在が気になる路線でもある。
バスは四谷駅の裏手から発車し、外堀通りに入って四谷見附交差点を直進する。右手には国賓を迎えるための場所であるベルサイユ宮殿のような赤坂迎賓館(赤坂御所の一部)を見ることができる。緑の多く茂る落ち着いた空間をバスは走っていき、左手にはホテルニューオータニの建物群が現れる。カーブと下り坂が続き、左手には外濠・弁慶堀と首都高速が平行に走っていく。
金属的な外観を持つ赤坂プリンスホテルが左手に現れると赤坂見附交差点となり、バスは右折して新橋方面へ走る。赤坂東急プラザ(東急ホテル)前を通り、溜池にて六本木通りに右折して六本木方面へと向かう。すると間もなく六本木の手前にて全日空ホテル(赤坂アークヒルズ)1階のバス・タクシープールへと左折し、終点赤坂アークヒルズとなる。
赤坂アークヒルズ内にあるサントリーホールは、クラシック音楽専門のホールであり、世界でも最大級のパイプオルガンが置かれている。毎晩(平日)流れている「ニュースステーション」もここから放送されている。

平成12年12月、大江戸線・南北線の開通により廃止された。

王78 王子駅⇔新宿駅西口[都バスで東京発見]

ただひたすらに環七通りを走る東京23区内都営バス最長距離の路線

王78 王子駅⇔新宿駅西口(経由)豊玉北・高円寺駅入口 杉並・練馬営業所

路線keyword:環七通り(環状七号線),青梅街道,各種ファミリーレストラン,単調退屈


東京都23区(特別区)内の都営バスで最長距離(18.3km)を走る路線である。新宿と王子を結んでいるのだが、高円寺・豊玉北・東十条と環七通りをぐるりと迂回して結ぶルートとなっており、乗り通す乗客はまずいない。しかも、走る道路が青梅街道・環七通り・北本通りといった幹線道路であり、沿線風景も変化に乏しく、さらに交通量の多さ・渋滞の激しさでは悪評高き環七通りをひたすら走るとなれば、よほどの物好きでない限り本路線を乗り通す乗客はいないだろう。王子駅・新宿駅間の所要時間は約1時間となっているが、道路渋滞によっては2時間もかかってしまうことがある。
新宿駅西口路線バスターミナルを出発すると、左手に新宿エルタワー、裾の広がる安田火災海上ビル、新宿野村ビルの超高層ビル群が現れ、青梅街道を高円寺まで西に向けて走る。中野坂上で山手通りと交差し、相撲の二子山部屋が近くにある鍋屋横丁商店街を抜け、営団地下鉄丸ノ内線東高円寺駅を過ぎると、環七通り・高円寺陸橋となって、バスは右に曲がる。順調に走ればここまでおよそ20分である。
環七通りに突入である。東京には1号から8号までの環状道路が造られている。1号線から順に、内堀通り・外堀通り・外苑東通り・不忍通り・明治通り・山手通り・環七通り・環八通りとなっている。この中でも特に「かんなな」と呼ばれる環状七号線(環七通り)は東京湾部分を除く全区間において環状線が整備されており、東京都心部を通過したい自動車(例えば横浜から大宮に行きたい車)にとっては環状道路を使うことにより、都心部の密集した市街地を通ることなく短距離・短時間で通過することができる。そのためにトラック等の交通量も多くなるのであり、環状道路は交通政策上も重要な道路である。環七通りと郊外へ延びる放射状の幹線道路との交差点には、陸橋が設けられており、信号待ち等によって環状線を直進する車のスピードが落ちないように設計されている。
一般的に路線バスの停留所はそのような陸橋の下の側道部分に置かれていることが多く、陸橋の上を路線バスが走っていく姿はあまり見かけないが、本系統は陸橋下の停留所には停車せず、陸橋の上をバスが走っていく。
野方にて西武新宿線の下をくぐり、豊玉北を過ぎたあたりで西武池袋線の陸橋を越える。羽沢で西武有楽町線新桜台駅前となる。
沿線の風景はこれといった特徴があるわけでもなく、街路樹と車・トラックのひしめく道路が続くだけで退屈極まりないが、環七沿線に多く見られるある施設をつぶさに眺めてみると結構暇つぶしになる。それは、ファミリーレストランとガソリンスタンドである。特にファミリーレストランは、「デニーズ」や「ロイヤルホスト」等といったメジャーな店舗から、聞いたこともないマイナーな店舗まで、多種多様な店が次々と後ろへ過ぎ去っていく。おそらく、東京で営業しているファミリーレストラン企業のほとんどの店舗を環七沿線で見られるのではないかと思うほど、ありとあらゆる店が現れていく。
常盤台で東武東上線の下をくぐると、環七通りは右にカーブするが、その左手に赤提灯を並べた立ち食いラーメン屋「土佐っこラーメン」が現れる。夜になると赤提灯には明かりがついて、路上に車を止めてラーメンをすする客の姿が絶えない。この地点が先頭になって渋滞が起こることもあり、道路には、「夜間の違法駐車取締りを強化します-板橋警察署」と書かれた看板が立っている。
大和町にて高速道路(上側)と中山道(下側)と交差する。大和町交差点は大気汚染度が都内ワーストワンという記録を持つ交通量の激しい場所であり、都営地下鉄三田線板橋本町駅前でもある。
バスはさらに環七通りを東へ進む。JR埼京線を越え、なだらかな下り坂を走りながらJR京浜東北線と東北・上越新幹線と交差し、隅田川手前に位置する北区神谷町の宮堀陸橋にてようやく環七通りから北本通りへと右折する。そして、王子五・四・三・二丁目と王子のオンパレードとなって終点王子駅前に到着する。

早77 早稲田⇔新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿と早稲田を結ぶ明治通りを走る路線

早77 早稲田⇔新宿駅西口(経由)高田馬場2丁目・新田裏 早稲田営業所

路線keyword:早稲田大学,明治通り,新宿歌舞伎町


都電の早稲田停留所から東に少し歩いたところに都バスの早稲田営業所があり、そこに早稲田バス停留所がある。新宿駅西口行のバスは都電のりばの直前で左の道へ入り、坂を登りながら早稲田大学の真ん中を突っ切る。周りを歩く人々はほとんどが学生であり、昼どきは食事を求める人々がごった返している。店先に掲げられているランチセットも低料金のものが多く、思わず途中下車して入ってみたくなる店もある。コンビニエンスストアも学生達で混雑していた。
高田馬場口交差点で明治通りへ左折し、バスは南下する。停留所に止まる度に乗客がどんどん乗ってくる。いつのまにか車内は混雑していた。道沿いには高層ビルが建ち並び、道路の幅員が小さい(とは言っても4車線道路である)からなのか、高い壁に両側から囲まれているような圧迫感を感じる。
新宿5丁目にて右折し靖国通りに入る。新宿から早稲田に向かうバスは、一本南側にある新宿通りを走るので、ここは通らない。右手に丸井を見て、左手に伊勢丹が現れ、看板が派手になってくると、都内有数の歓楽街歌舞伎町であり、新宿大ガードでJR線の下をくぐると、新宿西口バスターミナル終点となる。

秋76 新宿車庫⇔秋葉原駅東口[都バスで東京発見]

初台・新宿・飯田橋・秋葉原と都心を東西に結ぶ路線

秋76 新宿車庫⇔秋葉原駅東口(経由)新宿駅西口・飯田橋 新宿営業所

路線keyword:峡谷のような神田川,牛込界隈,秋葉原電気街,歌舞伎町


秋葉原駅東口バスのりばは、営団地下鉄日比谷線秋葉原駅近くの小さな公園の前に存在する。新宿車庫・飯田橋間の折返し便が多数存在する路線であるが、日曜の日中には秋葉原等への買い物客を考慮して、全便全区間の運行となっている。
秋葉原駅を発車すると、右手に電気街、左手に神田川に架かる万世橋を見て中央通りを横切り、高い位置に架けられているJR総武線のグリーンの鉄橋下を通り抜ける。バスは飯田橋まで、神田川・JR総武・中央線に沿って走っていく。
左手に美しいアーチの形をした聖橋と神田川、そしてその奥にJR御茶ノ水駅が見えると、御茶ノ水駅停留所となる。御茶ノ水駅から順天堂大学前を通り過ぎると、左手には深く掘られた峡谷のような神田川と、その崖っぷちに走るJR線、崖上にそびえ立つビルディングが眺められ、東京ではあまり見られない一風変わった風景となる。この辺りの神田川は、江戸時代において駿河台の北側を開削して江戸城の外堀にしようと人工的に掘られたものである。
水道橋となり、右手に後楽園・東京ドームの正面入口と後楽園ゆうえんちのパラシュートが現れ、続いて後楽園の黄色いビル、青いビルが現れる。
飯田橋となり、左手に飯田橋駅と再開発ビルが現れて、飯田橋交差点を右斜め前方の大久保通りへ右折する。ここからは2車線の道路となり、坂が多くなる。
坂を上ると右手に東京厚生年金病院が現れ、続いて神楽坂となる。この辺りの地図を開いてみると、町名が細かく分割されていて、なおかつ丁目がないことに気づく。昭和37(1962)年に住居表示に関する法律が施行されて、町名の改正や地番整理が行われたが、この地域は昔から続く町名がそのまま踏襲され、変更されなかった。バスは、地下鉄の交通が不便な新宿区東部の牛込界隈の住宅街の中を走っていく。
若松町にて左前方の道に入り、東京女子医大病院と臨海副都心への移転を間近に控えたフジテレビ本社が近くに存在する河田町となる。このバスは両者の正門前は通らない。
抜弁天を通り、大久保一丁目にて明治通りに左折する。新宿駅から飯田橋へ向かうバスは明治通りを通らず、歌舞伎町の新宿区役所前を走るルートとなる。
新宿五丁目で靖国通りに右折し、大繁華街・新宿歌舞伎町の賑やかな街並みとなる。派手な看板の立ち並ぶ歌舞伎町を突っ切り、JRの大ガードをくぐって左折すると、バスターミナルの広がる新宿駅西口の広場となる。バスは小田急百貨店に沿って西口広場を走り、小田急百貨店に隣接する京王デパート前に来ると新宿駅西口停留所となる。右手には新宿副都心の超高層ビルが幾つもそびえ立っている。
バスは初台にほど近い新宿車庫まで運行する。新宿駅にて若干の乗客を乗せ、国道20号・甲州街道へと右折する。正面には新宿パークタワーの3棟の超高層ビルが、左手には文化服装学院が現れる。新宿パークタワーへ行くビジネスマンは西参道で降車する。
初台交差点にてバスは右折し、左手に新宿オペラシティータワーが現れると、右手に新宿車庫が現れて終点となる。新宿車庫は、背景に都庁や新宿パークタワー等の超高層ビル群が立ち並んでいる景観の中に、都営バスがズラリと並んでいる光景が見られる、都会的な風景画が楽しめる場所である。

平成12年12月、大江戸線の開通により廃止された。

宿74 新宿駅西口-東京女子医大[都バスで東京発見]

新宿から東京女子医大までを結ぶ路線

宿74甲乙 新宿駅西口⇔東京女子医大(経由)抜弁天・河田町・国立国際医療センター 新宿営業所

路線keyword:東京女子医大,新宿歌舞伎町,抜弁天


新宿駅から東京女子医大までを結ぶ路線であり、抜弁天経由と国立国際医療センター経由の2路線が存在し、交互に出発している。ルート的には抜弁天経由のほうが近い。東京女子医大病院までのアクセスもあるが、河田町・若松町・余丁町・戸山町地域の新宿駅までのアクセスの役割も果たしている。近年、地下鉄大江戸線が開通したが、地下深いホームまでの乗り降りを考えると、バスを利用した方が気軽で便利である。
新宿西口の小田急ハルク前から発車する。新宿駅の小田急デパートを正面に見て左折し、大ガード西の交差点を右折、JR線の大ガード下をくぐって、東口・歌舞伎町となる。左手にはネオン輝く歓楽街が広がり、歩道は人でごった返している。ゴミが散乱し、道路が非常に汚い。新宿5丁目で明治通りへ左折する。花園神社が現れる。
ビルとビルに挟まれた明治通りを北に向けて走り、抜弁天経由のバスは、東新宿駅(新宿7丁目交差点)で右に曲がる。

抜弁天経由---
そして抜弁天となる。昔は抜弁天という地名が浸透していたが、現在は河田町という町丁名になっている。山手の中の下町的な雰囲気の街並みが続く。かつてはフジテレビがあった河田町にて右に曲がり、まもなく左手に東京女子医大が見えて終点となる。大学病院前にバスの折り返し用の操車場がある。

国立国際医療センター経由---
明治通りを直進し、大久保通りで右に入る。各種統計資料を閲覧できる総務庁統計局の統計センター前を通り、国立国際医療センターとなる。若松町にて右にぐるりと曲がり、河田町にて左に曲がると、東京女子医大前となる。東京女子医大前では、白衣を着た若い医者の卵たちが、道路を横断している。救急車が頻繁にやってきて、「脳神経に入りまーす」、などとスピーカーからアナウンスしながら走っていく。

高71 高田馬場駅-九段下[都バスで東京発見]

高田馬場から防衛庁前を通り靖国神社・日本武道館のある九段下までを結ぶ路線

高71 高田馬場駅⇔九段下(経由)大久保通り・市ヶ谷駅 小滝橋営業所

路線keyword:靖国神社,日本武道館,防衛庁,BIGBOX


高田馬場駅から九段下までの路線は、他に小滝橋車庫からやってくる江戸川橋経由の飯64系統がある。
BIGBOX横を発車し、商店の並ぶ緩やかな登り坂の続く駅前通りを走る。明治通りにでて、新宿方面に進路を向ける。大久保1丁目で左折し、かつてフジテレビ本社のあった河田町となる。東京女子医大前、韓国学校を通り過ぎ、市ヶ谷界隈を走っていく。
防衛庁が左に見えてきて左折、合羽坂下となる。左手には塀とセキュリティーのセンサーが張り巡らされている敷地が続く。自衛隊市ヶ谷駐屯地そして防衛庁の立派な建物が現れる。広々とした庭を備える、豪華なリゾートホテルのような趣である。左手に釣り堀と市ヶ谷駅ホームを見ながらお堀を渡ると、市ヶ谷駅前となる。
左手に瓦屋根の塀と緑の茂みが現れた。靖国神社である。右手に皇居北の丸公園と日本武道館が見えると終点九段下となる。

田70 田町駅東口(港区スポーツセンター)⇔新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿・青山・六本木・麻布十番・田町と結ぶ路線

田70 田町駅東口(港区スポーツセンター)⇔新宿駅西口(経由)六本木 新宿営業所

路線keyword:新宿(新宿通り),青山,六本木,麻布十番,鳥居坂の急坂狭路,神宮外苑・赤坂御所


 本路線は、三田付近にて三ノ橋経由と赤羽橋経由の2つのルートを持っており、それぞれ交互に半数ずつ走るダイヤとなっている。系統そのものは目立たない地味な印象を受けるが、改めてルートを見てみると新宿・青山・六本木・麻布(十番)と都内有数の繁華スポットを走っている路線である。
新宿駅西口のバスターミナルを後にすると、裾の広がった安田火災海上ビルの高層ビルを左に眺めて右折し、東へ向けて走る。JR線の大ガードをくぐり抜けると右折して新宿通りとなり、右手に幾つも立ち並ぶ大きな映画の宣伝看板を眺めて新宿駅東口前となる。左はスタジオアルタ前となり、待ち合わせをする人々でごった返している。
新宿駅より都心(東)方向へのバスは、歌舞伎町に接する靖国通りを走る路線がほとんどであるが、この田70系統と早77系統の早稲田行のみ、靖国通りより1本南側に位置する新宿通りを走っている。人々で賑わう新宿通りを丸井・紀ノ国屋本店・三越・伊勢丹等を眺めながら四谷に向けて走っていく。
新宿二丁目から四谷三丁目までは都03系統と同じルートを走る。四谷三丁目にてバスは右折し、外苑東通りへ入って南に進路を変える。右手に信濃町煉瓦館の煉瓦の建物が見えて信濃町駅前となる。
信濃町駅を出ると、右手には神宮外苑の森、左手に明治記念館が現れる。続いて右手には都営北青山一丁目住宅、左手に赤坂御用地の森となり、緑の多い区間を走る。カーブが続いて青山通りと交差して、青山一丁目駅となる。
南青山一丁目、赤坂八丁目の落ち着いた街並みを走り、営団地下鉄千代田線乃木坂駅を過ぎると、左手に防衛庁が現れる。そして、六本木となる。
六本木交差点にてバスは往路復路が分かれ、右前方の喫茶店「アマンド」の横にある一方通行路へ入って急な下り坂を走る。午後8時以降はこの鳥居坂交通規制のため、港区スポーツセンター行も新宿駅西口行と同様の六本木五丁目を経由するルートになる。坂を降りて鳥居坂下となり、高速道路の高架橋が見えて一ノ橋・麻布十番となる。麻布十番商店街は右手に1本入った道沿いに存在する。
一ノ橋交差点で往路復路が一緒になる。かつての新宿駅西口行は城南中学校より分かれて、麻布トンネルを抜けてUターンし、六本木通りに出て六本木交差点を左折するルートであったが、現在は一ノ橋より飯倉片町・六本木五丁目を通って六本木交差点を直進するルートになっている。
一ノ橋から芝五丁目までは、三ノ橋回りと赤羽橋回りの2つのルートが存在する。
赤羽橋回りの場合、一ノ橋交差点を直進し、左手に東京タワーを眺めながら、首都高速の高架橋に沿って中ノ橋を走り、赤羽橋にて国道1号線に右折する。この区間は道路拡張工事を行っており、用地買収の済んだ空き地と商売等を続けている一軒家がポツポツと並んでいる。後ろを振り返ると、東京タワーが道路の軸線上にドカンと立っている。そして、芝五丁目となる。
三ノ橋回りの場合、……未乗。
札の辻にて第一京浜を横切り、JR東海道線・新幹線等の線路を越えて芝浦地区へと入り、藻塩橋にて左折して田町駅東口となる。バスは一つ先の港区スポーツセンターにて終点となる。

 平成12年12月、都営地下鉄大江戸線の開通により廃止された。

渋66 阿佐ヶ谷駅-渋谷駅[都バスで東京発見]

渋谷駅と阿佐ヶ谷駅を幹線道路で結ぶ路線

渋66 阿佐ヶ谷駅⇔渋谷駅(経由)新高円寺・代田橋 杉並営業所

路線keyword:渋谷の雑踏と狭路,井の頭通り,甲州街道,阿佐ヶ谷のけやき並木


渋谷駅から阿佐ヶ谷駅までを、山手通り、甲州街道、環七通り、青梅街道を走って結んでいるが、見せ場は渋谷駅を出発してすぐやってくる。一時期、廃止の話が持ち上がったが、地元からの強い反対があって現在に至っている。京王バスと共同運行しているが、渋谷周辺の渋滞を考えると、廃止したい気持ちもわからないではない。
阿佐ヶ谷行きは、東急バスや京王バスの発車する西口からとなる。銀座線のガードをくぐり、北口ハチ公前広場を右に見て、スクランブル交差点を通過する。周りを見ると、人、人、人。さすがは渋谷である。しかし、この路線はこれだけで驚いていてはいけない。西武百貨店にて左に曲がり、一方通行の井の頭通りへと入っていく。非常に狭い通りで、ましてや渋谷一の繁華街・センター街が近くにあるため、道路には溢れんばかりの人の山となっている。人、人、人、人、人、人、人。そんな中を、大型バスがゆっくりと進んでいく。高い位置から、渋谷の雑踏を眺めることができる。よくこんなところを走って行くな、といった感じである。日本一の若者文化の発信地・渋谷をどっぷり感じることができるであろう。東急ハンズ横を過ぎ、宇田川町となり、NHK放送センタースタジオパークの裏を走って、代々木公園を右手に見ると、左折して富ヶ谷となる。休日はここまでで30分である。
小田急線代々木八幡駅となり、山手通りを北へ走っていく。首都高速環状線のための用地買収が進んでいるようで、一部工事を行っている区間もある。初台にて甲州街道へ左折し、東京オペラシティー、新東京国立劇場を右手に見て、西に走っていく。ここから先は、幹線道路の単調な車窓が続く。代田橋(大原)にて環七通りへ右折し、ますます単調な車窓に。高円寺陸橋で青梅街道へ左折し、杉並区役所で右へと曲がる。
ここから阿佐ヶ谷駅までは立派なけやき並木が続く道路で、昼間でも日陰となるほど道路を覆うほどの枝振りとなっている。まもなく終点阿佐ヶ谷駅となる。

池65 練馬車庫-池袋駅東口[都バスで東京発見]

池袋と南長崎・西落合・江古田界隈の住宅地とを結ぶ路線

池65 練馬車庫⇔池袋駅東口(経由)江古田2丁目・目白駅 練馬支所

路線keyword:閑静な住宅街,南長崎・西落合・江古田界隈,狭路


終点は練馬車庫となっているが、ほとんどの便は途中の江古田2丁目止まりとなってしまい、練馬車庫までいくバスは本数が非常に少ない。日中は走っていない時間帯もある。しかし、この路線の醍醐味は、江古田2丁目から先の細く曲がりくねった狭路であろう。大型バスが右に左に方向を変えて走っていく。
東口西武百貨店前を出発すると、明治通りを南下、千登勢橋手前で右に入り、千登勢橋を左に見ながら目白通りへ右折する。学習院大学を左に見て、イチョウ並木の続く美しい目白通りを走ると、JR山手線の線路を越えて目白駅となる。
バスは住宅街のなかを、関東バス、西武バス、国際興業バスと共に走っていく。このあたりは各社混在して走っている。
落合南長崎駅前で目白通りから新青梅街道と名前が変わって、哲学堂を過ぎると、小さな江古田川を渡る。すると左手に神田川の支流である妙正寺川が現れて、真っ赤な関東バスが並んで止まっている関東バス丸山営業所となる。
江古田の閑静な住宅街の中をはしり、江古田2丁目となる。バスは右折し、右手に操車場を見てしばらく走ると、だんだんと道幅が狭くなっていく。左に曲がったり右に曲がったり、うねうねと住宅地の中を縫うように走る。環七通りと交差し、豊玉中、豊玉北と過ぎ、桜台駅前を通って終点練馬車庫となる。

草64 池袋駅東口⇔浅草寿町[都バスで東京発見]

池袋・王子・浅草を明治通りで結ぶ路線

草64 池袋駅東口⇔浅草寿町(経由)王子駅・日本堤 巣鴨営業所

路線keyword:明治通り,池袋,飛鳥山,吉原大門,浅草公園六区,浅草雷門,都電と併走


池袋・王子・浅草と、電車では乗換なければならない地点を明治通りで結ぶ比較的利用価値のある路線であり、休日には若干本数が増える。池袋・浅草間には、この他に巣鴨駅・白山・千束を経由する草63系統が存在する。
池袋駅から王子駅までは王40系統と同じルートを走る。王子駅前を出発するとこのバスは溝田橋交差点で右折して王40・王57系統と別れるが、明治通りも右に曲がっているので、通り名称は変わらない。石神井川を小さな橋で渡り、梶原で都電荒川線と交差する。この路線は、都電の線路と平行に走って行くわけではないが、都電が結ぶ地域と同じ地域を結んで走っている。
右手にひっそりと佇むJR宇都宮・高崎線の尾久駅舎が現れる。注意をして見ないと気づかずに通り過ぎてしまう。駅の後ろにはJRの操車場が広大に広がっており、運が良ければ夜の発車を待つ東北方面への寝台列車をちらっと眺めることができる。
京成線新三河島駅を過ぎ、左手に荒川区役所前に広がる公園を眺め、バスは中小工業と住宅が混在する下町の中を走っていく。この辺りの明治通りは、渋谷駅前・新宿伊勢丹前・池袋駅前の明治通りとは全く異なった趣を呈す。
大関横丁で国道4号・日光街道と交差し、三ノ輪二丁目で明治通りは左斜め前に別れていく。バスはここで明治通りに別れを告げ、土手通りを南に走っていき、山谷地域に接している日本堤を通過する。そして、遊郭で有名だった吉原の裏手に位置する吉原大門となり、吉原大門交差点の昭和シェル石油ガソリンスタンド前歩道に「見返りの柳」が小さな石灯籠と共にぽつんと一本立っている。バスは高速で走り抜けていくので、車内から見るときは目を凝らして右手を眺めていなければ見過ごしてしまう。吉原(新吉原)は明暦3(1657)年に日本橋人形町あたりに存在していた旧吉原の遊郭を現在の千束四丁目に移転して形成された遊郭であるが、昭和33(1958)年の売春防止法の施行によって吉原遊郭は消滅した。現在は特殊浴場(ソープランド)街が形成されている。
浅草二丁目で往路復路が別れ、このバスは右に曲がる。駅前にバスターミナルのないところでは、バスをループ運行させて折り返させるルートとすることが多く、浅草の場合も繁華街が広域に広がっていることもあって、ループ運行をする路線が多く存在する。左手に浅草寺(浅草観音堂)の裏を一寸眺められ、西浅草三丁目交差点を左折し、左手に花やしき遊園地をこれまた一寸眺めて浅草公園六区となる。花やしきは江戸時代には花園で賑わったところで、昭和28(1953)年に日本初のローラーコースターが登場した遊園地である。
浅草公園六区の「六区」とは、明治15(1882)年より始まった浅草公園の築造・整備(全6区画に区分して整備)における区画番号のことである。その中でも第6区画は興行街として整備され、そのまま「浅草公園六区」という名称が東京の娯楽の代名詞のようになったのである。バス停の名称に「浅草公園六区」という名が今でも残されていることに拍手を送りたい。映画館は明治40(1907)年頃から登場し、現在も残る浅草六区の映画街が形成された。1本左手奥に入った道沿いに映画館が建ち並んでいる。
浅草の繁華な雰囲気となってバスは国際通りを直進し、右手には浅草ビューホテルの高層ビルが現れ、ROXビル前にて浅草一丁目のバス停となる。そして、地下鉄銀座線田原町駅前である終点浅草寿町に到着する。
浅草寿町発の池袋駅東口行は、浅草二丁目まではループ運行となる。浅草の見所の多いところを通過するので、浅草二丁目までを記載する。
浅草寿町を発車し、隅田川に架かる駒形橋を右手に見るとバスは左折する。正面には浅草雷門が現れ、「雷門」と黒字で書かれた大きな赤提灯が門にぶら下がっている。雷門は五穀豊穣を祈願して天慶5(942)年に建てられたもので、風神・雷神が安置されている。現在の雷門は昭和35(1960)に復元されたものである。雷門正面に突き当たると右折し、賑やかな商店街を走る。吾妻橋・隅田川橋めぐりの水上バスのりば・金色の炎のオブジェを右手に見ながらバスは左折し、松屋デパート・浅草駅前となって浅草松屋前(東武浅草駅)停留所となる。浅草寺に通じる二天門バス停を通って、浅草二丁目バス停となる。バスはそのまま直進して池袋に向かう。

草63 池袋駅東口-浅草寿町[都バスで東京発見]

千駄木・根津界隈の山の手台地の下町的住宅街を走る路線

草63 池袋駅東口⇔浅草寿町(経由)巣鴨駅・千束 巣鴨営業所

路線keyword:文京区の山の手住宅地,浅草公園六区,巣鴨とげぬき地蔵


池袋駅から浅草寿町までを走るバスは、王子駅を経由して明治通りを走っていく草64系統と、昭和初期の頃までは高級住宅地だったであろう山の手台地の住宅街を縫うようにしてはしっていくこの草63系統の2路線が存在する。
池袋駅東口パルコ前より発車する。豊島区役所前を過ぎ、明治通りを王子へ向けて走っていく。西巣鴨で国道17号・白山通りへ右折する。ここを左折すると中山道となる。
新庚申塚で都電の線路と交差し、左に豊島市場を見て巣鴨駅前となる。巣鴨にはおばあちゃんの原宿と呼ばれる「巣鴨とげぬき地蔵」があり、4のつく日は縁日となって、根津・千駄木あたりにすむご老人たちが、このバスに乗ってやってくる。
バスは旧白山通りの2車線の通りに入り、東洋大学前を走る。山の手台地らしく坂が多くなってくる。そして、白山上で左折。商店街を抜け、文京区内の古い街並みを縫うように走っていく。このあたりには、医者や弁護士など、かつて名声を馳せたご老人たちが多く住んでおり、街並みは古くてもどこか文化の香りが漂う街でもある。バスに乗ってくる乗客も、シルバーパスを持った人が多い。
駒込千駄木町を出ると急な下り坂となり、団子坂下。不忍通りへ左折する。商店街の続く通りを走り、道灌山下で右折すると、西日暮里駅となる。
ここから今度は、下町の風景となる。荒川4丁目で明治通りに右折し、草64系統と合流するが、大関横町で右折し、再び草64系統とは別れて浅草寿町に向かう。三ノ輪橋駅を過ぎ、国際通りとなって、かつての繁華街・浅草公園六区を左に見て、終点浅草寿町となる。

橋63 大久保駅⇔新橋駅[都バスで東京発見]

官僚の街を垣間見て国会議事堂を正面から眺められる唯一の路線

橋63 大久保駅⇔新橋駅(経由)市ヶ谷駅・国会議事堂 小滝橋営業所

路線keyword:国会議事堂,永田町,霞ヶ関,日テレ,番町,外国(韓国)人街


新橋を出発すると虎ノ門方面に向けて正面に霞ヶ関ビルを望みながらバスは走る。日本石油の眩しいほど輝く黄金の「希望の像」を右手に見ると、バスは右折し日比谷通りに入る。左手に日比谷シティーが現れる。内幸町にて今度は左折し、右手には市政会館(日比谷公会堂)、都立日比谷図書館、その背後に日比谷公園が存在する。
ここから先は、日本の中枢を担っている中央官庁街・霞ヶ関となる。まず手始めに、通商産業省が左手に現れ、家庭裁判所、合同庁舎5号館(厚生省・労働省・環境庁・国土庁・社会保険庁)、農林水産省(食糧庁・林野庁・水産庁)が右手に現れる。続いて次の街区に移ると、左手には大蔵省と合同庁舎4号館(総務庁・経済企画庁・北海道開発庁・国税庁)、右手には外務省・科学技術庁・公正取引委員会の建物が現れる。春になると街路樹の桜並木が美しく咲き誇る。正面に目を移すと、国会議事堂の姿がいつの間にか現れていた。現在の国会議事堂は、昭和11年に内幸町より移転してきたものである。
バスは、高さ65mの中央塔を左手に眺めながら国会議事堂横を南から北まで走る。北端になるとバスは左折し、今度は国会議事堂の横顔を眺めながら、日本で出版された全ての本の納品を義務づけている国会図書館前を通り過ぎる。そして、自由民主党の本部が見えると永田町となる。第2次世界大戦前までは、陸軍参謀本部として知られていた場所である。
この先の交差点は、国の中枢機関への警備のために事ある毎に検問所が設けられる場所である。不審者(外宣車やデモ隊など)が国会や霞ヶ関方面に進入しようとするときは、アコーデオン式の門を素早く道路に引いて、不審者を入れさせないようにする。
バスは青山通りに入るが、すぐに右折する。この右折の仕方が、ひとつの見物である。ここには信号機が取り付けられておらず、運転手が手を上げながら交通量の多い片側3(4かも)車線の自動車を強引に停止させて右折する。大型バスでなければ出来ない芸当である。ここからは2車線(両側)の狭い道になって平河町となる。
麹町となって晴海通りを鍵型に走ってバスは直進し、坂を下って上って江戸時代にはお屋敷が建ち並んでいた番長界隈となる。4チャンネルの日テレ前を通り過ぎ(ズームイン朝で後ろにグリーンの都バスが通り過ぎるときがあるが、あれはこの路線です)、坂を再び下ると市ヶ谷駅前となる。路上駐車が多く道も狭いので、非常に運転しづらいところであろう。
お堀を渡って右左折を繰り返すと、再び2車線の道路となり、牛込界隈となる。この辺りの地図を眺めると、町名の整理が行われておらず、旧町名が数多く残っている地域であることが伺える。山手台地の下町らしい街並みが続いていく。
牛込北町で左折し大久保通りとなる。国際医療センター、総務庁統計局前、戸山町を通り過ぎ、明治通りと交差する。大久保2丁目を過ぎると韓国のハングル文字が多くなり、新大久保駅となる。この界隈は韓国人などの外国人街が形成されており、地元商店街でもどのようにコミュニケーションを図っていくかがテーマとなっている。
左手には新宿副都心の超高層ビルがちょっと見えて、中央線の赤と総武線の黄色の電車が見えると、終点大久保駅となる。ここまで約1時間の旅路である。

新江62 大泉学園駅-新江古田駅[都バスで東京発見]

新江古田駅から練馬区を堪能して大泉学園駅までを走る路線

新江62 大泉学園駅⇔新江古田駅(経由)練馬区役所 練馬支所

路線keyword:練馬区,目白通り,練馬の牧歌的風景


かつては、新宿駅西口から出発して中野坂上で山手通りに入り、落合で目白通りに左折するルートを走っていたが、都営地下鉄大江戸線の開通により、路線が競合するため、新宿駅から新江古田駅間が廃止され、現在のように路線短縮が図られた。
新江古田駅を出発し、目白通りを西へ走る。豊玉で環七通りと交差し、桜台駅通りを過ぎると、街並みが賑やかになって練馬区の首都・練馬区役所前となる。
西武線をS字カーブの陸橋で越えて中村橋駅入口になると、目白通りから離れて旧道と思われる細い2車線の道路へと入る。大きな庭付きの一戸建てが建ち、畑も現れる。都心とは違って低密度の住宅街が形成されている。再び目白通りへと出る。
左手に中央卸売市場淀橋市場練馬分場が過ぎ、中原を出ると目白通りを離れて再び狭い2車線の道路を走る。ビニールハウス、畑、緑の生垣塀の家、練馬区の牧歌的(あえて田舎的とは言わないようにした)な風景が堪能できる。商店街が続いて、終点となる。

白61 練馬車庫-新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿から牛込をぐるりとまわって練馬までを結ぶ路線

白61 練馬車庫⇔新宿駅西口(経由)目白駅・江戸川橋 練馬支所

路線keyword:牛込界隈,新宿歌舞伎町,練馬区,狭路,閑静な住宅街


 この路線は、新宿から牛込をまわり練馬までを結ぶ路線で、釣り針のように「J」の字型に走っていく。全線乗り通す客は少なく、新宿と牛込界隈、目白駅と練馬方面と、路線は1本であるが、それぞれの地域を輸送する役割を担っている。本数は比較的多い。
住宅に囲まれた練馬車庫を発車すると、右手に武蔵大学のキャンパスが現れて、環七通りのしたをくぐる。江古田界隈となるのだが、西武線の駅名の読みは「えこだ」であるが、バス停の読みは「えごた」となっている。
南長崎六丁目より一方通行の非常に狭い道の商店街の中を走っていく。買い物客、自転車の横断が非常に多く、運行しづらい区間であろう。東長崎駅を過ぎ、落合の住宅街を目白通りで走ると、目白駅前となる。
左手に川村学園、右手に学習院大学が見え、千登勢橋で明治通りと都電荒川線を越える。日本女子大が現れ、目白台界隈となり、椿山荘となる。
坂をくだって高速をくぐり江戸川橋。つきあたりを右折、ここから方向を変えていく。いままでの山手台地の閑静な住宅街から、密度の高い街並みへ変化していく。早大通りへ右折し、都内では珍しく道路の中央分離帯にケヤキが植わる道路を走る。真っ直ぐ進むと早大正門になるが、バスは左折し牛込界隈を走っていく。
再び住宅街の中を走り、起伏のある道路を走っていき、曙橋で靖国通りに右折、新宿を目指す。厚生年金会館を過ぎ、新宿五丁目からはネオンや看板が多くなり、新宿の雑踏が近づいてきたことを感じる。
歌舞伎町ではゴミが多く、非常に汚い。正面に新宿副都心の超高層ビル群を見て、JRの大ガードをくぐり、左に曲がると終点西口バスターミナルとなる。

上60 池袋駅東口⇔上野公園[都バスで東京発見]

白山通り・春日通りの補完的な役割を果たす千川通りを走る路線

上60 池袋駅東口⇔上野公園(経由)大塚駅・文京区役所 大塚営業所

路線keyword:元祖山の手住宅地,文京区役所,千川通り,東京大学,上野広小路,不忍池


 かつては茶60系統として、池袋駅東口・御茶ノ水駅間の運行だったが、御茶ノ水駅行ではなく上野公園行に変更された路線である。池袋駅東口・大塚駅間は朝夕のみの運行であり、それ以外の時間は大塚駅の発着となっている。
上野公園バス停は不忍池南側・水上音楽堂に位置し、バスターミナルが存在しないので、上野公園付近ではループ状にルートを設定してバスを運行させている。上野公園を発車すると、中央通りに入り、アブアブや上野松坂屋のデパートを眺め、上野広小路の繁華街をぐるりと周回する。
右手に再び不忍池が現れ、バスは不忍通りを北上する。地下鉄千代田線根津駅までは、上58系統と同じルートを走る。
根津駅にてバスは左折する。この辺りを歩いている学生はほとんどが東大生である。バスは坂を上り、弥生となって東京大学を両手に眺め、本郷通りを横切って元祖山の手住宅地である古い街並みを進んでいく。
白山通りに入るとバスは南へ進む。バスは文京区役所に寄るように迂回したルートを走り、春日町交差点で右折し、文京区役所前を通ると再びバスは右折して、進路を北に向ける。後ろを振り返ると、東京ドームの巨大な白い屋根がビルの谷間に埋もれて見ることができる。
バスは2車線の千川通りを北上する。この通りは春日通りと白山通りの中間に位置し、沿線は小石川界隈の静寂で落ち着いた古い街並みが多く残る地域である。大塚までは緩やかな上り坂が続き、山の手台地の趣を感じ取ることができる。
右手奥には小石川植物園が存在する。不忍通りを横切って、しばらく行くと都電の走る大塚駅前となる。
大塚駅に寄ると、バスは180度方向を転換し、通りは違うが再び南に進路をとる。

大塚-池袋 未乗

水59 巣鴨駅⇔一ツ橋[都バスで東京発見]

巣鴨と一ツ橋を結ぶ都営三田線と平行に走る路線

水59 巣鴨駅⇔一ツ橋(経由)白山上・水道橋駅 巣鴨営業所

路線keyword:巨大な東京ドーム,後楽園遊園地,文京区,神保町本屋街


 

東京都交通局の地下鉄と競合する路線であるが、沿線に住むご老人のアクセスを考慮して、運行が継続されているであろうと思われる路線である。本数も少なく、乗客も必然的に老人が多い。
巣鴨駅から白山通りを南下し、千石駅を出ると旧白山通りの二車線の狭い道に入っていく。東洋大学前を通り、白山上(白山駅)となって、坂を下ると、白山下となる。旧道が終わって、再び、大通りの白山通りとなる。
文京区役所前を過ぎると、左手に文京区役所の高層ビルが見え、その隣に巨大な真っ白の東京ドームが現れ、観覧車も現れる。地下鉄丸の内線のガードをくぐり、後楽園遊園地の入り組んだジェットコースターを右手に見て、水道橋駅となる。
雰囲気はがらりと変わり、神保町の本屋街となって、ちょっと走ると終点一ツ橋となる。乗客の少ない寂しい終点である。

平成12年12月、廃止された。

上58 早稲田⇔上野松坂屋[都バスで東京発見]

文京区の縁を不忍通りでぐるりと走って上野と早稲田を結ぶ路線

上58 早稲田⇔上野松坂屋(経由)江戸川橋・動坂下 早稲田営業所

路線keyword:不忍通り,不忍池,古くからの山の手(根津・千駄木)


文京区の地図を眺めると、上58系統のルートがほぼ文京区の区境に沿ってぐるりとコの字型を描いて走っていることが分かる。古くからの下町と古くからの山の手住宅地である文京区の街並みを眺めることができる。
上野と早稲田の間にはこの路線の他に、上69系統の上野広小路・文京区役所・早稲田・小滝橋車庫と直線的に結ぶ路線がある。
バスは上野公園より少し南側に位置する上野松坂屋前(上野広小路)から発車する。右側にアブアブ(商業ビル)が見えると左折し、不忍池を右に見て上野公園停留所となる。不忍池は蓮の名所としても知られ、周囲約2km、かつてこの辺りが東京湾の入江だった頃の名残として池になったものである。北側は上野動物園の分園である水上動物園になり、西側は手漕ぎボートの浮かぶボート池となっており、休日には賑わいを見せている。
不忍池畔を北に向けて走り、池之端を通過する。地下鉄千代田線根津駅前となり、商店街が道路の両側に現れる。ここから本駒込あたりまで、延々と商店がほとんど途切れることなく続く。古くから栄える商店街である。根津、千駄木、団子坂下、道観山下といった古くから存在する下町の落ち着いた風景の中を、バスは路上駐車の車をよけながら、2車線の不忍通りをひた走る。
動坂下より急な上り坂を登って、六義園の最寄りバス停である上富士前となる。ここからは山の手台地となる。本郷通りを横切り、続いて白山通りを横切る。ここから先は坂が多くなり、坂を下って千石三丁目、坂を上って大塚三丁目、坂を下って護国寺正門となる。
護国寺より不忍通りに別れを告げて左折し、音羽通りを南に走る。江戸川橋にて神田川を渡り、首都高速をくぐって新目白通りに右折する。そして、リーガロイヤルホテルの高い建物が左に現れると、早稲田車庫前に到着して終点となる。

王57 赤羽駅東口⇔豊島五丁目団地[都バスで東京発見]

豊島五丁目団地の居住者が多く利用する通勤通学路線

王57 赤羽駅東口⇔豊島五丁目団地(経由)北区神谷町・王子駅 北営業所

路線keyword:豊島五丁目団地,北本通り,王子五丁目団地


この路線は王子駅を境にして性格が変わる。王子駅・豊島五丁目団地間は団地の住人や豊島四丁目にある職場・工場への通勤者が多く利用してかなり混雑するが、王子駅・赤羽駅間は北本通り沿線の住人が主に利用してそれほど混雑はしない。乗客が多いのは、王子駅から豊島五丁目団地までの区間である。
国際興業バスが多く走る赤羽駅東口を発車すると、ロータリーをぐるりと旋回してUターンする。しばらく走ると地下鉄南北線赤羽岩淵駅前となって右折し、国道122号線・北本通りを王子へ向けて走る。東北自動車道が川口インターで首都高速とつながる以前は、都心と東北道とを結ぶ、さらに交通量の多い道路だった。道路下には地下鉄南北線が王子まで平行して走っている。
荒川放水路と隅田川とを分水する岩淵水門のある岩淵町を過ぎ、緩やかな右カーブによって、いつの間にか東から南へと方向が変化していく。右手に建替工事中の清掃工場の煙突が現れ、左手はこのバスの営業所・北車庫となって、何台もの都バスが並んでいる光景が目に入る。工場が多く存在している。
環七通りの宮堀陸橋をくぐり、団地やマンションが多く目につくようになると王子五丁目・王子神谷駅前となる。右手に現れている高層住宅群は公団の王子五丁目団地である。ここからは王子のオンパレードとなる。王子三丁目より商店街となって、右手にバスターミナルが現れて王子駅前となる。
このバスはバスターミナルには入らず、降車専用停留所にて下車客を降ろし、道路突き当たりを左折した別の停留所で乗客を乗せる。王子駅からは団地へ帰宅する人々で、車内は混雑する。王子駅からはバス便も増発される。南北線開業前は赤羽からの便が多かったが、現在は半減されてその分が王子駅始発の便となった。
王子駅から終点の豊島五丁目団地までは、王40系統と同じルートを走る。豊島五丁目団地は、日産化学工業王子工場の跡地に、日本住宅公団(現、住宅・都市整備公団)が昭和47(1972)年に団地開発をしたところである。団地内にバスの操車場が設けられており、当時としては珍しいものであった。

茶51 駒込駅⇔御茶ノ水駅[都バスで東京発見]

名所旧跡を本郷通りで結ぶ文化教養路線

茶51 駒込駅⇔御茶ノ水駅(経由)駒込駅南口・東大赤門 巣鴨営業所

路線keyword:本郷通り,飛鳥山,西ヶ原一里塚,旧古河庭園,六義園,東大赤門,都電と併走


平成7(1995)年の営団地下鉄南北線の駒込・四谷間開通により、バスの本数が半数以上減らされてしまった。王子から東京大学までの区間、南北線は本郷通りの真下を走り、その上にこのバス路線が走っている。
王子駅から飛鳥山の坂を都電と共に登り、右手に王子神社と音無親水公園の緑を、左手に標高27mの飛鳥山公園を望みながら、本郷通りを南進する。飛鳥山は、徳川吉宗が桜の苗木を千本移植してから江戸近郊の桜や紅葉の名所となったところで、音無橋や王子七滝(名主の滝など)も含めかつては江戸の日光と称されていた。
都電と分かれて渋沢栄一史料館前を過ぎ、一里塚バス停を過ぎると、道路の車線が左右に離れて、真ん中に榎の樹木が現れる場所がある。かつての岩槻街道(日光御成道)の西ヶ原一里塚である。東京都23区内で唯一、かつての位置にほぼ原型をとどめている一里塚であり、2つの塚に挟まれた片側車線の幅が旧道の幅ということになる。西ヶ原は日本橋から二里のところである。
左手に紙幣を製造している大蔵省印刷局滝野川工場と大蔵省印刷局東京病院が現れ、しばらく走ると右手に旧古河庭園の立派な門が現れる。古河庭園は明治の元勲陸奥宗之邸を受け継いだ旧財閥古河家の庭園だったところで、2層の明治建築様式の面影をとどめる洋館の前に、和風・洋風の庭園が広がっている。
駒込駅からは、同じ茶51系統の駒込駅・東京駅北口線が加わり、終点の御茶ノ水駅までほぼ同じ道を走っていく。そして、右側の建物の裏手に六義園が存在する。六義園は元禄8(1695)年に老中柳沢吉保が5代将軍徳川綱吉から中屋敷として拝領した土地に造った庭園であり、千川上水の水を引いた池を中心とする回遊式築山泉水の名園である。その後、明治時代に岩崎弥太郎が別邸として整備し、最終的には東京市へ寄贈されたものである。
本駒込、向丘を過ぎると、左手に赤煉瓦の塀と瀟洒な黒い柵が現れると、日本の最高学府「東京大学」となる。江戸時代には加賀百万石前田家の上屋敷だったところである。北側から順に辿っていくと、まず農学部、続いて道路を越えて工学部、法学部・文学部となって東大正門となる。大楠の立派な並木が本郷通りに沿って茂っており、アカデミックな雰囲気が車内にも漂ってくる。さらに、図書館、教育学部と続いて東大赤門となる。赤門の正式な名称は御守殿門であり、8代将軍徳川家斉の娘溶姫が前田家に嫁ぐときに建てられたものである。そして、経済学部、学士会館別館で東京大学の赤煉瓦の塀は終了する。ちなみに理学部、薬学部、医学部、安田記念講堂は奥の敷地に存在する。
本郷三丁目で春日通りを横切り、神田明神前を過ぎてバスはぐるりと回って、神田川に架かる聖橋を眺めると、終点御茶ノ水駅となる。左にはJR線の電車と御茶ノ水駅を望むことが出来る。

平成12年12月、都営大江戸線の開通により、王子駅-駒込駅間と御茶ノ水駅-東京駅北口間が廃止された。

東京ミレナリオ(丸の内)【東京考察#34】

End-of-the-year illuminations (at Marunouchi)

 


 この「東京ミレナリオ」は、12月24日から1月1日まで開催されていた光の彫刻である。
主催は、東京2000年祭実行委員会(会長 : 稲葉興作 (東京商工会議所 会頭)、名誉会長: 石原慎太郎 (東京都知事)) と東京ミレナリオ実行委員会(会長 : 植松敏(東京商工会議所 専務理事)、名誉顧問 : 木村茂 (千代田区長))との共同で開催されたものである。

 この光の彫刻は「パラトゥーラ」と呼ばれ、世界的に著名なイタリアのアートディレクター、ヴァレリオ・フェスティ氏と、作品プロデューサーの今岡寛和氏により創作されたものである。様々なデザイン様式のアーチ式構造体に、色とりどりの電球により彩色が施された三次元的なアート空間が、アーチ型構造体を数百メートルの道路上に設置した「Galleria(ガレリア)」と呼ばれる遠近感のある光の回廊などで構成されている。
 この「パラトゥーラ」は、80年代以降、イタリア、スペイン、フランス、アメリカ等の各都市で作品が展開され、日本では「ルミナリエ」の名称で95年の夏に和歌山、同年12月に阪神淡路大震災の復興として神戸で開催、以降神戸では毎年開催されている。
「パラトゥーラ」の作者、フェスティ氏と今岡氏は、かねてよりイタリア各界からの要請を受け、東京での開催を検討し、東京の各地区を視察の結果、東京の中心丸の内地区の都市空間が創作キャンパスとして評価され、1999年の開催に至った。(東京ミレナリオHPより抜粋)

東京ミレナリオでは、屋台や出店が全く出ておらず、人気のない無機質な丸の内ビル群の合間に、光の芸術が展開されているので、また独特の雰囲気がある。規模は神戸の方が上のように思うが、東京駅丸の内口の赤煉瓦駅舎のライトアップがこれほどまでに美しいものだったのかと、改めて認識させてくれるイベントでもあった。



大混雑。交差点ではプラカードを持って「止まってください」と合図


空を眺める、人、人、人。


東京駅丸の内口前にある彫刻


「東京ミレナリオ食堂」出現!!