「東京都」タグアーカイブ

[Shinjuku Busterminal(Tokyo) – Inawashiro Station – Aizu Wakamatsu Station – Kitakata Station/ – Sukagawa – Koriyama Station – Fukushima Station / Highway bus]Timetable

Highway BUS
Yume Kaido Aizu Line / Abukuma Line(夢街道会津号/あぶくま号)

[Shinjuku Station=Busterminal Shinjuku(Tokyo) – Inawashiro Station – Aizu Wakamatsu Station – Kitakata Station]
[バスタ新宿(東京) – 猪苗代駅 – 会津若松駅 – 喜多方駅]

[Shinjuku Station=Busterminal Shinjuku(Tokyo) – Sukagawa – Koriyama Station – Fukushima Station]
[バスタ新宿(東京) – 須賀川 – 郡山駅 – 福島駅]

JR Bus Kanto JRバス関東
Aizu Bus 会津バス
Fukushima Transportation 福島交通
JR Bus Tohoku JRバス東北

Reservation required 予約制

JAPAN RAIL PASS
JR East-South Hokkaido Rail Pass
JR EAST PASS (Tohoku area)
×
TOHOKU HIGHWAY BUS TICKET ×
Aizu Gurutto Free Pass (会津ぐるっとカード ×
Koriyama Station Bus Stop Guide
Aizu Wakamatsu Station Guide
JR Highway Bus(Photo at Koriyama Station)
Highway Bus(Photo is Aizu Bus at Koriyama Station)
Highway Bus(Photo is Fukushima Transportaion at Koriyama Station)

都営バスの運行情報システム【東京考察#250】

The operation information system of the metropolitan bus


バス停(王40)

鳥井坂を下る田70系統(現廃止)


 都内を縦横無尽に走る都営バス.都バスでは全路線で運行情報システムを導入している.これは,パソコンや携帯電話からインターネットを通じて,「バス接近情報」,「系統運行状況」,「バス時刻表」,「ラッピングバス情報」,「経路検索/乗り換え案内」の情報が得られるというもので,大変便利なシステムとなっている.バスは電車と違って,駅構内の階段などの移動や,改札口から街中まで歩かなくてもいいといったメリットがあるため,路線を覚えてしまうと結構便利で使い勝手のよい移動手段である.都内の身近な風景をゆっくりと眺めることもできる.都内のバスといっても,路線によっては30分や1時間に1本程度しかないときもあり,また渋滞などで遅れることもあり,そんなとき,携帯電話を使ってバス情報を得れば,便利に快適にバスで移動することが出来る.
このシステムはNECのノウハウによって構築されている.都バスの位置情報をデジタルMCAと呼ばれる無線で取得し,収集した位置情報をリアルタイムで情報サーバに蓄積する.この位置情報は15秒に1度更新されて常に最新の位置情報が把握でき,このデータを整理してインターネットを通じて提供しているという.(参考引用:NECホームページより)
系統運行状況のページ(王40系統)
停留所を指定すると(この場合「王子駅前停留所」),その停留所を起点としたバスの運行情報が見れる.
そのバス停にあと何分で到着するか,そのバス停から何分で目的の停留所に到着するか,が一目でわかる.
携帯電話の場合でも,表示方法が異なるだけで,同じ情報が得られる.


時刻表も見ることができる.


ラッピングバス(広告バス)の運行情報も見ることができ,
今どこを走っているかが一目でわかる.


 
主要なバス停には,バス接近表示と
主要目的地までの所要時間が表示される

朝ラッシュ時の駅・ホーム 【東京考察#218】

The station at the time of Rush in the morning

朝の山手線(上野駅)


 東京にいて嫌なことのひとつに朝の通勤ラッシュ地獄がある.1日に与えられている時間は限られており,ラッシュによってその時間とエネルギーを奪われるのは,なんだかとても無駄なことだといつも感じてしまう.ラッシュは実際に体験してみないと,そのすごさは分からないのであるが,上野駅の山手線・京浜東北線の南方面行きの様子を撮影した.JR山手線でラッシュを体験したいのであれば,朝7時45分から8時30分頃の時間で,上野から御徒町までにかけて,代々木から原宿にかけてなどが,混雑度の高い区間として有名である.
近年は,フレックスタイムによる始業時刻の遅れや,鉄道整備などによって,混雑率は徐々に下がってきているが,それでも座って通勤などといった状況には程遠い.(なお,このページの写真は全て2004年7月に撮影したものである.作成しようと思っていたら忘れていて,過去の写真データを見ていたら出てきたので,思い出して改めて作成した)

上野駅では,終点となる宇都宮線や高崎線からの
乗換客であふれかえる

電車が到着すると階段に人が殺到する.
山手線や京浜東北線の電車が遅れているときは
ホームに人が溢れるので,危険防止のため入場規制が行われる

この区間の混雑率はおよそ200%とか
それでも今日は,山手線が遅れていないので,
ホームはすいているほうである.
電車が到着する直前は,3列に整然と並んだ人で溢れている

車内がいっぱいでも乗り込まなければならないときは,
前を向いて,手をドアの上に掛け,おしりをグイグイ押し入れて乗り込む.
このときカバンがドアに挟まれないよう注意が必要


ラッシュ時は駅員総出で対応(人を押し込んでドアを閉める)する
各ドアに一人ずつつかないと,ドアが閉まらない箇所もある
くどいようだが,乗り込むときにはドアに向かって前向きに.これポイント.

冬になるとコートなどを着込むので,
より車内は混雑する.俗に言う「着ぶくれラッシュ」


車内の奥に入りたいときは1台見送る

車内に入ったときのポイントは,
なるべく椅子の並んでいる奥に入ってしまった方が楽.
逆につり革のないドア前の中間部がいちばん辛い.

ラッシュ時は電車の運転間隔が密なので,
急に信号が変わって,速度制限のブレーキが自動制御でかかるときがあり,
将棋倒しが起こりやすい.加速しているのに突然ブレーキに転ずるのである.
こうなったら抵抗せずに力の動きに身を任せて,ドタドタと隣の人に寄りかかるしかない.
そして,足で踏ん張るか,つり革・棒などにつかまって,少しは慣性力を抑えることに努める.
これをしないと,本当にみんな倒れてしまう.
この急ブレーキはなんとかならないものかと,
通学で乗っていたときはいつも思った.


地下鉄銀座線【東京考察#215】

The Ginza Subway Line

地下鉄銀座線

路線図


 地下鉄銀座線は,日本で最初に開通した地下鉄である.1927(昭和2)年に浅草・上野間で開通し,現在のように浅草・渋谷間が全線開通したのは,1939(昭和14)年であった.当初は,東京地下鉄道が浅草・新橋間を運行し,新橋・渋谷間は東京高速鉄道(現東急の前身)によって運行されており,別会社によって相互乗り入れがされている形態だった.その後,1941(昭和16)年に営団地下鉄に統合されて,現在は営団地下鉄の民営化(2004年)により東京メトロとして運行されている.
地下深く走る新しい路線と違って,歴史の古い銀座線は地下の浅いところを走っているため,地上との乗り降りが非常に楽で,ちょっとした距離でも銀座線ならば乗ってもいいなと思える路線である.朝ラッシュ時は2分間隔,日中でも3分間隔の運行をしており,利用客が非常に多く,車両が小さい(つまりトンネルの断面が小さい)こともあって,いつ乗っても混雑していると感じる.
現在は走っていないが,昔の銀座線の車両(全部オレンジ色の電車)に乗ったとき,駅に着く手前で「ピカッ」と車内の電気が消えて,壁にある小さな非常灯のランプ(ガラスの形がオシャレで,なんかレトロムードのあるランプだった)が一瞬「ぴかっ」と光る現象がおきていた.前の車両から順々に後ろに移っていくので,子供のとき「そろそろくるぞ!」と銀座線にのるといつもワクワクしたものである.特に終点の浅草駅に着くときは線路を渡るためにポイントを通るので,長い時間車内が真っ暗になり,特に面白かった思い出がある.蓄電池を積んだ新型車両への置き換えにより,1993年にこの現象は見られなくなった.なぜ,電気が消えるのかというと,銀座線は電気を線路脇の第3軌条と呼ばれるレールからとっており,ホームへ着く前にはそれが右から左へ移るので,その切り替え時に電気が一瞬消えていたのであった.
もうひとつ,銀座線には昔の車両の思い出があり,その電気が消える時代,どういうわけか全6両のうちの4両目あたりの1両だけは,ドアが片側へ開く1枚扉で,鋲(リベット)が車体に打ち込まれている昭和初期を思わせるようなレトロチックな車両がつながれていた.なんか,銀座線だけはちょっと違うな,と思わせてくれるものだった.

銀座線は浅いところを走っている.
エスカレータにのったらすぐにホームで乗りやすい
 
銀座線の名がついた「銀座」駅.後ろは銀座4丁目交差点
この名がついたのは,丸ノ内線が開業する前年の1953(昭和28)年である

銀座駅は天井が低い.銀座線は全体的に狭く感じる造りである.

線路の脇にある第3軌条から電気をとる
これが切り替わるときに電気が消えていた

銀座線のカラーはオレンジ色
  
上野駅 鋼製の柱のリベットが渋い

上野駅には,電車が接近すると電車のマークが
右から順に光る接近表示板がある.結構古くからある.

稲荷町駅(2001年撮影)
開業当時(昭和2年)の駅入口が残っている
銀座線には,ホームの幅が狭い駅が多かった.これも開業当時の広さだったものである.また,神田駅や京橋駅なども,リベットの鋼製柱が残る古めかしいホームだったが,リフォームによって現在はきれいな空間に生まれ変わっている.しかし,化粧板を取っ払えば,昔ながらの構造物が見られるに違いない.

 

八丈島【島紀行】

(旅行年月:2004年11月)

八丈島は伊豆諸島の最南端に位置し,東京から南へ287km,黒潮に浮かぶ亜熱帯性の植物が茂る島である.面積68.52km2,人口約9300人であり,三根・大賀郷,樫立,中之郷,末吉の5つの集落に分かれている.
八丈島の歴史を考えるにあたっては,江戸時代における流人の歴史が大きなエポックとなる.江戸幕府はこの島に1862人の罪人を島流しにしたが,これらの流人や土着の人々によって造られた風俗,習慣,生活様式が島内で見ることができる.八丈島の歴史を知るには,「八丈島歴史民俗資料館」に行くと,流人のことも含めて展示がしてある.
羽田空港からジェット機で45分という近さで,亜熱帯を味わうことができる島が八丈島である.

八丈富士(西山)
八丈島には2つの山があるが,こちらは山の姿が美しい八丈富士である.標高854.3mで1時間程度で頂上まで登ることができる.

登山道には火山による噴石がごろごろしている.

頂上付近からの絶景

なんと,斜面の植裁が「アロエ」

アロエは自生している

玉石垣の道

ハイビスカスの花

名産「明日葉(あしたば)」のソフトクリーム

「あしたば」のおひたし

島寿司
白身魚のネタを醤油ダレにつけ込んで,握ったもの.わさびではなくカラシを入れる.

でたーーー!これが「くさや」である.
バキバキと折って食べるのであるが,結構焼酎には合う.
「あの独特の匂い」とガイドブックなどでは表現されることが多いが,具体的には,「へその中のゴマの香り」「汲み取りトイレの便器の匂い」といったところか!!

八丈島空港

南原千畳岩海岸からの日の入り

八丈小島
かつては人が住んでいた

夏休み!ポケモンスタンプラリー【東京考察#153】

The summer vacation! Pokemon stamp rally

御徒町駅のキャラクターは「ソーナノ」

 


 ポケモンスタンプラリーはJR東日本が首都圏で展開している,夏休み限定のファミリーイベントである.7月31日から8月15日(2004年の場合)までの期間,無料の専用パンフレットを駅でもらって,その裏にあるスタンプ欄に5つの駅のスタンプを押したら,ゴール駅となっている東京・品川・新宿・池袋・上野・松戸の6駅に提出すると,「オリジナルポケモンエアピロー」が貰えるというもの.さらにお楽しみとして,ゴール駅では全91駅のスタンプが押せるスタンプ帳も配っており,これを看破するとオレンジカードと認定証が貰えるというものもある.駅によってポケモンのキャラクターが違っているので,子供達も飽きることなく楽しむことができるが,意外と楽しんでいるのは親の方だったりもする.スタンプ台は駅の改札の外にあって(外にあるところがポイント!1日乗車券を買うか切符を買わなければ行けない),夏休みはスタンプ帳をめくる子供達で賑やかになる首都圏のJRであった.ただ,このイベントはJRが最初にやりだしたのかというと,そうでもなく,僕が中学生の時(20年近く前)には小田急で既にやっていて,子供達に大人気となっていた.


イベント中はスタンプ台の場所を示すポスターが駅構内に貼られる


みんな「スタンプ・ポン」


王子駅のキャラクターは「ヤドキング」

東京メトロ(営団地下鉄の民営化)【東京考察#136】

Tokyo Metro(The privatization in the Teito Rapid Transit Authority)


2004年4月より営団地下鉄が民営化して「東京地下鉄株式会社」,通称「東京メトロ」に生まれ変わった.今まで「S」を形取ったマークだったのが,メトロの「M」をイメージしたものに変更され,地下鉄の出入り口や車両にはこのマークが掲げられるようになった.
もともと「メトロ」という言葉には地下鉄という意味はなく,首都という意味だけだったが,イギリス・ロンドンの地下鉄がメトロポリタン鉄道という名でスタートさせたことから,ヨーロッパ各国でメトロという言葉で地下鉄を呼ぶようになり,意味が定着していったという.今でも,パリやモスクワでメトロという言葉が使われている.ちなみにロンドンではアンダーグラウンド,アメリカではサブウェイである.
この東京メトロの誕生にともなって,外国人観光客などに位置を把握してもらいやすいように,「駅番号」を付けることにした.これは,韓国・ソウルの地下鉄では既に実施されているものであり,国際観光都市「東京」を目指す石原都知事の一声により実施されることとなった.アルファベットが路線名,その後の番号が駅番号となっており,たとえば銀座線の渋谷駅は「G-01」という具合である.ホーム駅名看板や路線案内図,車内電光掲示板などに駅番号が記載されるようになったが,今後は東京の旅行ガイドブックなどにも盛り込まれていき,旅行者にも周知されていくことであろう.ただ,欲を言えば,地上にある地下鉄の入口(降り口階段の部分)にも駅番号を記載した路線の○マークを入れると,もっと外を歩いている旅行者には分かりやすいのではないかと思われる.ソウルでは地下鉄入り口にも番号が記載されている.
ちなみに,営団地下鉄の正式名称は「帝都高速度交通営団」であった.銀座線を運営していた地下鉄会社を役所が引き取り,帝都東京を走るのでこのような名前になったというが,今まで軍国主義日本を連想される「帝都」という言葉が陰ながら脈々と生き続けてきたところに,戦前の軍国主義的なものを垣間見ることができて,なんか不思議なものを感じる.「帝都」とは皇居のある都という意味である.でも,そんなことをいったら,「帝国ホテル」や「帝国劇場」も同じことか.


かつての営団地下鉄の「S」マーク
馴染みのマークだった.


駅番号の入ったホーム看板
Nは南北線を表す


こちらは銀座線(G)


銀座駅では,背景をダークブルーにした看板にリニューアルされていた
(日比谷線銀座駅)


丸ノ内線はこんな感じ


電車の先頭には「M」のマークが付けられている


車内の路線図にも番号が入った


ソウルの地下鉄出入り口
ソウルでは駅入り口にも駅番号が付けられている

東京港の屋形船【東京考察#100】

The houseboat of Tokyo harbor


屋形船より大川端リバーシティー21を望む

 


 屋形船は江戸時代より庶民に親しまれていた江戸のレジャーである.両国界隈には屋形船を営む店が数多くあったというが,そんな江戸情緒を今でも味わうことができる.駒形橋や両国,芝浦付近から,提灯のぶら下がった屋形船が貸しきりで運航され,船内は畳敷きとなっており,揚げたての天ぷらや刺身,カラオケなどができるようになっている.そして,なんと言っても最高の夜景は,お台場のきらびやかな近未来の灯であり,江戸情緒に浸りながら最先端の灯りを堪能することができるのである.

 

堤防の階段を下りて船に乗り込む

 
ライトアップされた隅田川橋梁群をくぐって東京港を目指す
(左:永代橋 右:新大橋)


隅田川を航行する船(首都高6号線より)


屋形船 船内

 
調理場や水洗トイレも完備されている


カラオケもできる


笑顔が素敵な従業員と・・・・


お台場の夜景
実際に船から眺めると,デックス東京やフジテレビの明かりが宝石のように瞬いて,
巨大な船・タイタニック号のように見える.これはとても美しい.

乗り継ぎ専用の自動改札機【東京考察#73】

The automatic ticket gate only for changes


乗り継ぎ専用の自動改札機(オレンジ色)

 


 ちょっとパズルのような話しなので,頭を柔らかくして読んでください.

電車の運賃というのはキロ制となっているので,同じ会社であれば乗り換えても通しの切符で乗ることが出来る.つまり,同じ会社であれば乗換駅でも改札を通らないで済むのである.ところが,営団地下鉄の場合,駅によっては離れているときがあって,構造上改札口を通らないと地下鉄を乗り換えることができないことがある.そんなときは,改札を出ても再び切符が必要となるので,検札をするだけで切符が再び出てくる自動改札機を通らなければならない.その改札機が「乗り継ぎ専用の自動改札機」なのである.

乗り継ぎ専用自動改札機は,オレンジ色に塗られており,この改札機を通ると切符が再びでてくる仕組みになっている.これ以外の改札機を通ると,乗り継ぎしないで当駅で下車するものとして切符が出てこないで回収される.

この「乗り継ぎ専用自動改札機」には賢い仕組みが取り入れられている.乗り継ぐ予定のなかった乗客が誤ってこの改札機を通ると,扉が開いて切符も回収されずに出てくるが,乗客は下車するつもりなので切符をとらないでそのまま通り抜けていく.すると,出ていた切符は5秒くらいくると自動的に引っ込んで回収される仕組みになっている.こうすれば,次の乗客がきても問題なく通常の待ちの状態に戻る.さて,ここで問題となるのが,乗客が混雑していて連続で乗り継ぎ専用自動改札機に進入したときである.

通過する人すべてが乗り継ぎ専用自動改札機の仕組みを知っていて,切符をとってくれれば問題は起こらない.次々とスムーズに乗客をさばいてくれる.
ところが,1番目の乗客が下車するつもりで切符をとらないで通過してしまったあとに,乗り継ぎ予定の2番目の乗客が切符をいれて自動改札機を通過すると,まだ前の人の切符が出ている状況で,その前の人の切符をとってしまうという現象が起こってしまうのである.さらに3番目の乗客も乗り継ぎ予定だと2番目の人の切符をとってしまい,4番目の人は3番目の人の切符をとってしまい・・・と.つまり前の人の切符を次々と取ってしまうのである.さらに問題なのは,本人たちには前の人の切符を取ってしまったという自覚がないから,そのまま乗換路線へとすたすたと去ってしまい,目的駅で降りるときに,「あれ,切符が入れ替わっている.目的地まで切符を買ったのに,この切符じゃ精算しなければならない」という事態に陥るのである.
「おやっ」とした顔をして乗客たちが立ち止まり,井戸端会議をしたあとに首を傾げながら切符をとっていったり,改札機の仕組みを知っていて気が付いた人は前の人の切符を取って捨ててから,自分の切符を取り直す人もいる.しかし,遠くまでの高い切符を買ったのに,取り違えて乗換駅までの切符にすり替わっていた時は,最悪のシナリオである.


パターン 1


この人は乗り継ぎ目的ではないので,
出てきた切符を取らないで通過した.
この切符を後ろの人が取ってしまうと,切符がすり替わる.


パターン 2


この人は前の人の切符を取って確認し,
自分の切符を入れて通過しようとしている.


パターン 3


この人は下車するつもりだったのに,
切符が再び出てきたので驚いている様子.
このあと,とりあえず切符をとって,首をかしげた.


地下鉄にご乗車の際,乗り換えの時はオレンジ色の「乗り継ぎ専用改札機」を,下車するときは普通の改札機を通りましょう.賢い使い方としては,途中下車ができるということですが,乗り継ぎ時間に制限がありますのでご注意を.

駅のエスカレーター【東京考察#63】

Escalator of a station


 ロンドンでは急ぐ人のためにエスカレーターの片側を開けておく習慣があるが,東京でも,ここ数年すっかり浸透するようになった.
東京の場合は,左側に寄って右側を急ぐ人のために開けておく.「急ぐ人」と「急がない人」の割合が1:1の時にはバランスがとれてちょうどよいが,日中や土日などは急がない人の割合の方が圧倒的に多く,左側にずらりと列ができて右側がガラガラといった光景がよく目に付く.下りはともかく,上りの場合はエスカレーターの段差は結構大きく,駆け上がって登ろうという気にはなかなかなれない.時間と体力を惜しまないビジネスマンのための習慣である.ちなみに,大阪ではこの習慣は早くから採り入れられているが,東京と違って右側に寄って左側を空けるようになっている.京都では東京と同じになっているので,大阪のみ反対となっているのである.


東京では左に寄って右側を空ける


一方,大阪では右に寄って左を空ける(御堂筋線心斎橋駅にて)

Suica(ICカード出改札システム)【東京考察#61】

The inspection-of-tickets system of an integrated circuit card formula


 JR東日本から画期的な改札システムが2001年11月18日に登場した.
従来の定期券やイオカード(切符のいらないプリペイド式カード)は,自動改札機の投入口にカードを入れて,それを受け取るという動作が必要であったが,Suica(スイカ)と呼ばれるICカードを自動改札機の読みとり部にタッチするだけで,改札を通過することが出来るようになった.
定期券が切れたとき,またはイオカードの残額がなくなったときは,自動券売機等の入金機でお金をチャージ(イオカードの場合,最高20000円まで)することにより,再び使用できるようになる.購入時にはデポジット(保証金)として500円必要となるが,ICカードを返却するときには払い戻しされる.定期券の場合は,イオカードの機能も併用することができるので,今までの定期券の乗り越しの場合はいちいち切符を買うか自動精算機に並んでいたのであるが,これからはタッチ&ゴーをするだけで,自動的に乗り越し分も精算されることとなる.
また,定期入れにいれたままでもタッチ&ゴーができるので,いちいち定期入れから出し入れする煩わしさもなくなる.


投入口の上にある○印のところにタッチする

 説明書きによると「必ずタッチしてください」と書かれてあるが,ICカードそのものをタッチさせる必要はなく,カードを持った手を「ポン」と置くと「ピピ」と音がなってディスプレイに残額等が表示され,通過することができる.出るときも同じ要領でタッチ&ゴーである.


残額がなくなってきたら,入金可能な自動券売機やのりこし精算機で入金する


今までのイオカードでは裏面に利用明細が記入されていたが,
ICカードでは記入されない.そこで,自動券売機で利用履歴を印刷することができる.
長距離用切符の様式に,利用の明細が印字される.(無料)


利用できる駅は,首都圏近郊のみである.(2007年当時)


これがICカードの「Suica」
銀行のキャッシュカードの厚さ

近頃の地下鉄【東京考察#59】

A recent subway


営団地下鉄南北線 ホームにドアがついている
運転手は確認ボタンを押すだけ.
運転はコンピューター制御されている.

 
都営地下鉄大江戸線
断面の小さいトンネルで車内も狭い
ロンドンのチューブのようだ

 

はとバス(定期観光バス)【東京考察#43】

‘HATO BUS’ (sight-seeing tour bus)

 


 旅に出かけると大抵の街(世界中どこでも)には日帰りの定期観光バスが走っている。定期観光バスは、自分の旅プランに合わせて見所をコンパクトに見てまわれるので便利である。そんな定期観光バスを東京で運行しているのが「株式会社はとバス」である。鮮やかな黄色いボディーに「HATO BUS」と描かれた赤文字のバスは、非常に目立つペイントである。はとバスの歴史は古く、今年(2001年)で創業52周年(1949年創業)とのことである。

はとバスのツアーは実に様々なコースが用意されており、初めて東京を訪れる人のためのコースから、最近流行のお台場やアクアラインへのコース、桜の名所めぐりや屋形船、夜景見物、有名ホテルでのディナー、歌舞伎鑑賞、ヘリコプターツアー、トップレスショー、ニューハーフショーなどなど、東京に住んでいる人にとっても多彩なコースが用意されている。一日コースから、半日コース、ナイトコースと時間も好みに合わせて選択でき、また、外国人観光客のための英語ガイドツアーも用意されている。(英語ツアーは浜松町駅・世界貿易センタービルからの発車となる)

はとバスのりばは、東京駅・新宿駅・浜松町駅・上野駅・池袋駅・渋谷駅にあるが、メインとなるのりばは、東京駅丸の内南口となっており、ほとんどが東京駅からの発車である。東京駅のチケット売場に行くと、電光掲示板にずらずらと発車コースと空席状況が表示され、東京にはこんなに「はとバス」が走っているのか、と驚いてしまう。発車のラッシュ時(9時、13時、17時頃)には、何台も連なったはとバスが、東京駅南口ののりばにずらりと並んでいる。

また、はとバスでは系列ホテル「銀座キャピタルホテル」の宿泊プランを組み合わせることができるコースもあり、これを利用すれば1泊5500円(コース代別)で東京に宿泊することが可能であるが、曜日限定なので利用の際は注意が必要である。(とはいっても、ナイトコース+宿泊プランのセットの場合、月・金・土・日・祝休前日限定となっており、土曜日に利用できないということはない。)

  
発車待ちのはとバス            チケット売場


参考までに、ツアーを一部紹介する。たまには黄色いはとバスで新たな東京を発見してみてはいかがでしょうか。

<昼のコース> 2000,4,1現在
東京1日(たっぷり東京を味わえる)
東京半日
東京三名所(皇居・浅草・お台場通過・東京タワー)
東京ハイライト
お台場と隅田川下り
隅田川下りと浅草
東京ドライブ(全て車中からの欲張り見学ツアー)
靖国神社と浅草隅田川下り
浅草とお台場
東京はやまわり
眺望抜群!東京都庁とお台場散策(クルーズ付き)
パノラマ三大ブリッジとアクアライン
お台場散策とアクアライン
お台場・海ほたると浅草観音
東京湾ぐるり周遊シーサイドライン(アクアライン全線通行して木更津を経由する)
東京タワーとベイスポット
お台場・横浜と海ほたるドライブ
春を遊ぼう!東京絵日記
東京横浜名所めぐり
山の手一日(サンシャイン60など。今となっては唯一サンシャインへ行くコースとなってしまった)
浅草・柴又・とげぬき地蔵(下町門前まちめぐり)
ホテルオークラと歌舞伎鑑賞
下町散策とヴィーナスフォート
東京下町物語(浅草園芸ホールなど)
講談師といく花のお江戸
東京上空ヘリコプター遊覧とお台場・ハーバークルーズ
東京ディズニーランド一日
綺麗にドレスアップ(有名ホテルでドレスを着て記念撮影。昼はケーキバイキング)
東京の優雅なひととき(帝国ホテルバイキング料理とクルーズ船で喫茶)
シンフォニーランチクルーズと絵になる一日
しだれ桜の名園散策と椿山荘のお花見膳

<夜のコース>
夜のヘリコプター遊覧と舞浜・ベイヒルトン(バイキング料理)
夜景の東京タワーとシンフォニー
夜の東京ディズニーランド
東京港サンセットクルーズとアクアライン
江戸の風流 屋形船
横浜チャイナタウンと夜景の海ほたる
巨人戦ナイター(東京ドーム 指定席B)
大相撲本場所
ホテルニューオータニと本場のフラメンコ
帝国ホテルバイキングとニューハーフレビューシアター
興味身心アルカザール(妖艶なニューハーフショー)
鉄人のレストランとアルカザール
夜の六本木とニューハーフ「金魚」
ギャルソンパブのニューハーフショー
黒鳥の湖とホテルオークラ(ホテルディナーとニューハーフショー)
黒鳥の湖と浅草米久(牛なべとニューハーフショー)
老舗の牛なべ米久と六本木トップレスショー
夜の赤坂ジェントルメンズクラブ(トップレスショー)
熱体高気圧!J MEN’S TOKYO(外国人男性ダンサーのストリップダンスショー)
淑女の指定席!新宿歌舞伎町ホストクラブ

 

新小22 葛西駅⇔新小岩駅[都バスで東京発見]

新小岩-葛西で江戸川区を縦断する路線

新小22 葛西駅⇔新小岩駅(経由)一之江駅・東小松川一 臨海営業所

路線keyword:今井街道,新中川のプレジャーボート,千葉県境,狭路


江戸川区はどちらかというと南北に広がりをもつ地域である。東西方向の交通は、JR総武線や都営新宿線、営団東西線、JR京葉線が走っているため便利なのであるが、南北方向の交通は非常に不便である。それを補完しているのが都営バスであり、この路線も比較的本数が多くなっている。区役所本庁舎に用事のある時には欠かせない交通機関である。
京成バスに混じって新小岩駅前のバスターミナルを発車する。江戸川区役所前を通り、京葉道路と交差して、東小松川1丁目で首都高小松川線と交差すると左に進路を変え、今井街道を走っていく。アーケードの近隣商店街が続くところをしばらく走っていき、環七通りと交差すると一之江駅となる。
瑞江大橋で新中川を渡ると、プレジャーボートが係留されている光景が目に入る。レジャーボートの増加による不法な係留を防ぐため東京都が整備したものである。そして今井となる。今井橋を渡ると千葉県となるが、バスは橋を渡らず右折する。水上バス乗り場のある公園横を走っていると、瑞穂大橋となって、右手に大きな水門が現れる。なんとなく江戸川区らしい風景である。しばらく川沿いに走っていき、カーブを過ぎると、環七通り通りへ出て南下。まもなく地下鉄博物館のある終点、葛西駅となる。

都バスでGO![都バスで東京発見]

旅の基本は路線バス! 都バスを路線ごとに紹介. 街を眺めるのにはバスに乗るのが一番です.地域の雰囲気が空間で伝わってきます.東京の中を縦横無尽に走っている都バスにのって,素顔の東京を発見するのもいいのではないでしょうか.

(~2000年12月作成)

各ページは以下のリンクからご覧ください.
都バスで東京発見サイトマップ

都営バス(走る広告塔)【東京考察#2】

The city-operated bus as an advertisement

 


 これも石原都知事の革新都政の現れだろうか。財政赤字を補うための策として、ボディーをすべて広告のペイントとしたバスがお目見えした。写真はコクヨの糊「プリット」の広告。このようなバスは地方の路面電車やバスに見られるが(福島県の会津バスなどは、このペイントをやっている)、大都市のバスではあまり見かけたことがない。このボディペイントがなかなか広告主にとって好評だそうで、そのうち全ての都バスがカラフルな広告塔になる日も、そう遠くないのかなと思う。
このボディペイントは結構インパクトのあるデザインになっており、見る側にとっても飽きることがなく楽しむことができる。ただ、一方で、色彩景観を乱すという議論も起こっており、デザインの決定にあたっては学識経験者等による審査委員会をつくって審議の上、デザインを決めているという。約8割は書き直しになるということである。広告料は路線によってまちまちであるというが、年間160万~60万円である。
以下にいくつかのバスの写真を載せておくが、この他にもバス全体がグリーンガムの包装紙に見立ててあるものや、缶コーヒーのボスの広告など、東京に行ったときには「広告バス」を探してみるのもおもしろいのではないだろうか。



清涼飲料水の広告


アート引越センターの広告

東京考察(Tokyo Guidance)

東京の街を写真と共にコラム形式で紹介. 東京は日本の顔であるとともに世界へ向けた窓口です.世界でも有数の大都市ですが,その中にも色々な街の表情があり,ひとつひとつ見ていくととても興味深いものがあります.そんな東京を紹介します.「考察」と言っていますが,内容は画像を中心として東京の街並みや話題を紹介するページです.お気軽にご訪問ください.

各ページは以下のリンクからご覧ください.
東京考察サイトマップ

三宅島【島紀行】

 澄みわたる秋空のもと、プロペラの音が高鳴り、ANK847便は定刻に羽田を離陸した。三宅島には約50分で到着する予定である。みるみるうちに建物が小さくなり、空港全体が見渡せるようになった。羽田の沖合展開工事のされているところだけは茶一色であり、真下には部会の埋立て地を象徴するような四角い島が、整然と広がっていた。

 高度を上げるにつれ、ビルの並び立つ東京の街が見えてきた。空から眺めると、改めて東京の巨大さに驚かされる。エネルギーの集結地という感である。飛行機は南に進路を向け、海上を三宅島めざして飛んでいた。

 さらに高度を上げた。東京上空は薄汚れたねずみ色のスモッグで覆われている。その霞の上に純白な富士山がすっきりと浮かんでいた。大気圏の膜の外側に山がのっかつているようである。我々は毎日、あのスモッグの下で生活をしている。海にはアメンボのようなつり船が、白い線を引きながら点々と存在していた。

 右に三宅島が近づき、飛行機は揺れながら、島づたいに飛んでいた。島の肌が突然赤茶黒の溶岩に変わり、そして三宅島空港に着陸した。

溶岩原 火山れきである
山服から流れ出た溶岩流

 タラップを降りた。暖かかった。今朝の東京とは10度以上違うように思う。黒潮の影響だろう。三宅島は東京の南約180kmにあり、周囲約35km、人口4000人、伊豆諸島の中では大島、八丈島についで3番目に大きい火山島である。明治以降だけでも明治7、昭和15、37、58年と4回も噴火を起こしている、まさに火山の島なのである。

 空港前より左周りの村営バスに乗った。昭和37年の噴火の際に一夜のうちにできあがったという三七(さんしち)山を過ぎると、赤茶黒の溶岩原が広がる七折峠にさしかかった。「三七」とは噴火の年号からとったものである。樹木は植わっておらず、前方には海が見えた。バスは溶岩の切り通しの中を右へ左へと身体を傾けていた。この辺りは赤場暁(あかばきょう)と呼ばれ、昭和15年の噴火で入江が埋立てられ、さらに昭和37年の爆発で溶岩流が重なったところである。機内から見えた溶岩はここである。

 運転手は道路工事作業員や道行く人と互いに笑顔で挨拶を交わす。途中から高校生がひとり乗ってきた。
「どこいくんだ」
「がっこ!」
素朴な会話である。顔見知りらしい。

 警察署、支庁前を通り過ぎ、バスは峠を越え、間もなく島西の阿古(あこ)の集落に入るところだった。案内テープから、「次は鉄砲場、鉄砲場です」と流れると、真っ黒な火山れきが帯になって山から続き、道路を横切っていた。未だに生々しい傷跡であった。しばらく溶岩流に沿って走った。

溶岩によって埋もれた学校
体育館は骨組みのみとなった

 昭和58年(1983)10月3日午後3時、なんの前ぶれもなく雄山(おやま)中腹のニ男山あたりを中心に、十数ケ所の火口から轟音とともに火柱と噴煙があがった。灼熱の溶岩流は5-600mの幅の流れとなって西、南西、南の3方向に向かって流れていった。この中で西に向かった溶岩流がこれであり、島最大の集落・阿古を襲ったものである。阿古の住宅約500戸のうち400戸の民家と学校などの公共施設が溶岩に埋もれて消失し、これは日本火山史上でも最大規模の災害であった。また、島南にある新澪池では池の水が干上がり、周りの木は枯れ、巨大な穴となってしまったということである。阿古に到着し、下車した。阿古小学校・中学校埋没地へと向かった。

 溶岩原に着いた。その溶岩を突っ切るようにアスファルト道路がひかれている。ソフトボール程の「れき」がー面に重なって横たわり、背後の緑の山肌には滝のように黒い帯が流れている。「れき」の上を歩くと素焼きをこすったような「カサカサ」とした音がする。黒い帯の部分だけは樹木も植物も植わっていない。これは8年前(旅行当時)の噴火である。

 学校埋没地にやってきた。校舎は溶岩に押され、半分ほど埋まっている。体育館の壁や屋根は剥がされ、無残な鉄骨の骨組みだけが残っていた。ひぴの入ったプールもあった。この惨い光景は、また違った自然の、恐ろしいー面を見たような気がした。

 帰る時間となった。帰路の飛行機は満席だったので、船で帰ることにした。東海汽船の「すとれちあ」丸が大きく揺れながら、阿古(錆ケ浜)の港に入ってきた。

新しい生命が誕生していた

都バスで東京見物[雑誌に掲載されたコラム]

雑誌名:「旅」
1992年6月号(第66巻第6号)
P.136
発行:JTB・日本交通公社
コーナー:私のおすすめバス路線「都バスで東京見物」


都バスで東京見物 [浅草~上野~新宿~品川]

首都東京の中心部を中心部を縦横無尽に走る都営バス.最近はバス現在地や現所要時間を知らせるバスロケーションシステムの導入によって,利用者の増加を目指しています.そんな路線バスに乗って素顔の東京を見物してみてはいかがでしょうか.
まずは,浅草から真っ赤な2階建てバスに乗って上野公園へ.予約無しで誰でも気軽に乗れます.上野の周辺をちょっと散策し,「上60 大塚駅」行で大塚へ.東京大学横を通り過ぎ,巨大な怪物のような東京ドームを背にして,文京区小石川界隈を走ります.
大塚からはちょっとルール違反をして,都電に乗って早稲田に向かいます.下町情緒の残る電車からは,サンシャイン60が間近に見え,雑司ヶ谷,学習院下をトコトコと走っていきます.
早稲田大学の北に位置する終点で下車し,そこから今度は「早77 新宿駅西口」行で新宿に移動.明治通りを南下し,都内有数の歓楽街「歌舞伎町」を突っ切ると目の前に,超高層ビル街と新都庁が見えて新宿に到着.
ここからは,バスロケーションシステムの完備された新都市バス「都03 晴海埠頭」行で,ベイエリアへと向かいます.新宿通りを東に走り,半蔵門にて右に曲がると,左に皇居のお堀,右には国立劇場,最高裁判所が現れます.さらに三宅坂,警視庁前,日比谷,そして,銀座の中心,銀座四丁目交差点を横切ります.勝鬨橋を渡ると,客船ターミナルのある晴海埠頭に到着.現在建設中の東京ベイブリッジも見えます.
数本のバスを乗り継いで,門前仲町に移動し,「海01 品川駅東口(海上公園で乗り換えの便もある)」行に乗車.東雲を過ぎると,埋め立て地である有明テニスの森公園,お台場海浜公園近くを通り,船の科学館に到着します.ここからバスは東京湾岸道路の料金所を通り,海底トンネル(東京港トンネル)を抜け,大井埠頭に入るとまもなく終点品川です.
最後に「浜95 東京タワー」行に乗って,東京の夜景を空から眺めて締めくくり.
1日乗車券は大人650円で,都バスはもちろん,都電,都営地下鉄に乗り放題です.また,営業所にて分かりやすい路線案内図がもらえます.

さぁ出発!夜行鈍行大垣行き[四国旅行記#1]

はじめに

 高校の卒業式を終えた1991(平成3)年の春休み、旅好きな友人2人と一緒に、3月24日(日)から7泊8日の四国旅行に出掛けました。これは、その時の旅の記録です。

(旅行年月:1991(平成3)年3月)

さぁ出発

 私はいつも旅行の準備というものは、出発する直前に行なっている。別にこだわり を持っているわけではないのだが、どうしてもそうなってしまうのである。そして、 今日も午後4時、出発の準備をしていた。この準備を始めると心が高揚しはじめる。 嬉しくて、楽しくて、ワクワクしてくるのである。準備が早く終わってしまうと出発 時間まで待ち切れなくなり、今回もそのようなパターンであった。集合は東京駅10 番ホーム品川寄りに午後6時であった。夜行普通列車大垣行きに乗るためである。
 午後5時20分、ちょっと早いが家を出発することにした。

夜行鈍行大垣行き

 東京駅に着いた。案の定1番のりで、友人は誰も来ていなかった。数分後友人がき た。大垣夜行は毎日運転されているが、春夏冬休みには青春18切符が使えるとあって大混雑する。ピーク時の混雑ぷりは大変なもので、今どきこんな列車があるのか、と思う程である。

 そこでやっと最近、混雑する日に臨時 の大垣夜行列車(9375M)が運転されるようになったのである。この臨時夜行、東京を定期夜行より3分遅く発車するのだが、浜松で追い抜いて大垣には8分早く到着するおもしろいダイヤになっている。こうなるとどうしても臨時夜行の方に乗ってみたくなる。そして我々は臨時の大垣行きに乗ることになった。

 念には念をということで、集合時間を発車時刻の5時間43分前、午後6時にした のだが、臨時列車ができたせいか誰も並んでいる人がいない。我々は、臨時ができてから乗るのは初めてであり、大垣夜行に乗る人かどうかは一目見ればすぐわかる。勿論『大垣行き』乗車案内板下(10番線)に先頭として陣取りをした。

 午後9時、ボチボチ並ぶ人がでてきた。ブルートレインが次々と目の前を発車していくが、発車していくたびに「金があったらなあ」と車内の乗客をうらやんでしまう。これくらいの旅行になると、結構お金がかさむ。しかも、ビンボーな若者!にとってはなおさらである。また高松行き「瀬戸」が出発した。そんなとき、定期夜行の発車する隣の7,8番ホームを見ると、中核派の制服!、ヘルメット、マスク、サングラス、ハットスピーカー、旗を持った大集団が前2両に並んでいて、鉄道公安員も警備のため立っていた。これから何処へ行くのかなどと友人と話をしていたが、なんとも物騒な感じであった。

 午後11時ともなると、いいかげん暇で暇でいやになってくる。最後のブルートレイン『銀河』を見送って、22時33分、まちにまった臨時夜行が入線してきた。

 8両編成でグリーン車はついていない。座席の背もたれ上部にJR東海独特の自いカバーがかかっていないので、JR東日本の車両だろう。7番線の大垣行きを見ると日よけカーテンが全部閉められていた。

 22時43分、定刻に発車。車内は80%位の乗車率だろうか。

『どうせ寝れるわけがない』と諦めていたが、我々の乗った車両(先頭)の暖房の調子が悪いのか、窓の具合が悪いのか、とても寒かった。隣の車両をみると窓が水滴でびっしょりなのに対し、こっちの車両の窓は涸れるどころか曇ってもいない。しかも
窓を開けてる若者がいて本当に寝むれずイライラした。浜松で両大垣行きが並んだ。日よけカーテンは閉ったままである。

 列車は闇の中をひたすら走っていった。