「豊島区」タグアーカイブ

トヨタアムラックス(東池袋)【東京考察#314】

Toyota Amlux (Higashi-Ikebukuro)


トヨタアムラックス東京


 トヨタの車を実際に見てみたいけど,ディーラーで試乗するまではちょっとな~,という場合にはトヨタアムラックスへ行くのがベター.トヨタアムラックスは池袋駅東口からサンシャインシティーに向かう途中にあって,トヨタの車がおよそ70台展示されており,運転席に座ったり車中を見てみたりすることができる展示場である.トヨタ自動車池袋ビルの地下1階から4階まで車が展示してある.一度に様々な車種を見比べることができるので,体系的に把握できて面白い.展示場の車は試乗して走らせることができないが,試乗したい場合は事前予約によるタイムレンタルという制度があって(一部車種のみ),低料金で車の試乗を行うこともできる(2012年10月現在,60分平日1,000円,60分土日祝日1,500円).アムラックスとは,「AUTOMOBILE(クルマ)とLUXE(優雅)の合成語で,優雅な雰囲気の中でゆったりとクルマを見ていただき多くのお客様にトヨタファンになって欲しい」という願いが込められているとのこと.
入場無料,開館時間は11:00~19:00,休館日は月曜日(祝祭日の場合は翌火曜日)及び年末年始.

東急ハンズからサンシャインシティーに向かう
地下道の途中(地下1階)に入口がある
  
  

展示車には仕様と価格が貼られている
 
ドライブシミュレーターもある

キッズコーナーもあるので,小さな子供がいても安心.
 
スケルトンタイプのエスカレーターがある

地下1階ではビンゴ大会が開催されていた

 

サンシャイン水族館【東京考察#313】

Sunshine Aquarium


サンシャインアクアリング


 かつてはサンシャイン国際水族館と呼ばれていたが,2010(平成22)年9月より1年間閉鎖して改装工事を行い,2011(平成23)年8月にサンシャイン水族館としてリニューアルオープンしたのが,現在の水族館である.サンシャインシティー・ワールドインポートマートビルの屋上(エレベータでは10階)に位置し,コンセプトは「天空のオアシス」を掲げている.決して広いわけではないが,都心の中の,しかも屋上に位置する水族館として,家族連れからカップルまで幅広い入場者で賑わっている.サンシャインシティーという超大型のショッピング施設のひとつとして,同じ建物の中に水族館が存在しているのも,小さな子供連れのファミリー層にとってはありがたい存在である.朝10時よりオープン,料金は大人1,800円,子供900円.ちなみに,年間パスポートは大人4,000円となっている.

エレベータの10階で降りた先にある入場券売り場

左側が水族館,右側はプラネタリウムの入口.

混雑時はベビーカーを持ち込めないので,
ベビーカーの一時預かり所がある.
  
様々な水槽

生命の海・東京湾

必ずいます「おいしそう!」という人が...

水槽の前には人がたくさん.

サンシャイン名物の「マンボウ」

アクアプランツ,箱庭的で個人的に好きである.

亀さん
 
リニューアル後の見所のひとつ「サンシャインアクアリング」
サンシャイン60とプリンスホテルが背後にそびえ建つ

背後に高層マンションがある「ペリカンの丘」

ペンギンもいる

カフェも併設されている

もちろん,ショップもある

「天空のオアシス」サンシャイン水族館

切手の博物館(目白)【東京考察#287】

The museum of the stamp ( Mejiro )


切手の博物館

 


 切手の博物館は,切手収集家の水原明窓が私財を当時で設立した財団によって運営されている博物館で,新宿で仮オープンしていた博物館を,1996(平成8)年に現在の目白に移転させてオープンしたものである.日本をはじめ海外の切手約30万種,図書・雑誌30,000冊以上を有する博物館で,1階では切手の販売も行っている.学習院大学の脇,JR山手線の線路沿いにある.3ヶ月毎に企画展を実施しており,特別展も行われている.入場料金大人200円,開館時間10:30~17:00,月曜休館.
 
入口にはちょっとした竹林がある

受付

これ,全て切手で作られている

2階には図書室がある

3階では特別展がひらかれる

国内外の切手を販売している

懐かしい郵便ポスト

鬼子母神(雑司ヶ谷)【東京考察#285】

The Kisimojin ( Zoshigaya )


鬼子母神像

 


 鬼子母神は安産や子育の神様である.雑司ヶ谷の法明寺に祀られている鬼子母神は,1561(永禄4)年に掘り出されたお像を清めてお寺に納めたのが始まりで,その後,1578(天正6)年に村の人々がお堂を建てて現在へ至っている.鬼子母神は,近隣の子供達を食べてしまう残虐な人物であったが,お釈迦様から鬼子母神の末の子供を隠されてしまい,それによって子供を失った父母の嘆きを知ってから,安産・子育の神となることを誓って崇拝されるようになったといわれている.ちなみに,「きしぼじん」と発音されることが多いが(都電の停留所名も「きしぼじん」),仏教用語としては「きしもじん」と呼ぶのが正しいとか.また,鬼子母神の「鬼」の字は上の角が取られている.
  
参道入口とケヤキ並木
都電の鬼子母神前停留所からの参道には,樹齢400年のケヤキ並木が並んでいる.こちらも江戸時代の景観を残すものとして,貴重な存在であり,都の天然記念物に指定されている.
 
毎月1回,雑司ヶ谷「手創り市」が開催されている.
(鬼子母神堂と大鳥神社で同時開催)
今日はたまたま開催日であった.
  
「手創り市」は,必ず自らが手作りしたものを出店することが条件となっているが,
並んでいる品々は可愛らしくて女性好みのものも多く,たくさんの人で賑わっていた.

本堂
「鬼」の字に「点」がないことに気づく

絵馬には子供に関する願い事が書かれている

雑司ヶ谷霊園【東京考察#284】

The Zoshigaya cemetery


東京都雑司ヶ谷霊園


 雑司ヶ谷霊園は都立の霊園で,1874(明治22)年に公共墓地として指定された.都電雑司ヶ谷停留所のすぐ近くの閑静な地域にあり,小泉八雲,夏目漱石,竹下夢二,永井荷風などの著名人の墓が多くある.この当時の公共墓地は,雑司ヶ谷墓地の他に,青山墓地,染井墓地,谷中墓地の4つが指定されている.現在の都営霊園は,さらに多磨霊園,八王子霊園,小平霊園,八柱霊園が加わって8霊園存在する.

都電雑司ヶ谷停留所
すぐ脇に霊園入り口がある

東京都雑司ヶ谷霊園(都電側)

霊園案内図
 
緑に囲まれ静寂な環境となっている

霊園の管理事務所がある

徳川吉宗の時代には,鷹狩りのための鷹を飼育するための部屋があった

線路は続くどこまでも・・・

エチカ池袋【東京考察#279】

Echika Ikebukuro


エチカ池袋

 


 エチカ池袋は,鉄道施設と商業施設とを融合させた駅空間として東京メトロが行っている商業施設で,東京メトロとしては表参道駅に続く第2の施設になる.池袋モンパルナスというコンセプトに基づいて,フランス・パリのイメージで芸術文化の香りが漂う街を目指している.メインターゲットは,池袋駅を拠点に行動する20~40代のカップルとのことであるが,周辺勤務のオフィスワーカーや近隣居住者などにもサービスを提供できるような設定とのこと.
店舗面積は約1,400m2で約40店舗が入っている.現在は副都心線部分がメインとなっているが,秋にはさらに有楽町線部分も開業する予定である.

池袋駅西口の東武ホープセンターから
エチカ池袋へ降りる階段
 
街灯もパリをイメージしたものになっている

地下に広がるエチカ池袋
 
女性も気軽に楽しめる空間

フードコーナーもある

隣は副都心線の改札口

丸井前の地下鉄入口も,パリ風のものになっている.

閉店前の池袋三越【東京考察#278】

Ikebukuro Mitsukoshi, Ltd. before closing

1階の入口

 


 池袋三越は1957(昭和32)年にオープンし,51年間にわたって池袋駅東口に店を構えていた.都心の池袋店も閉鎖されてしまうとは,百貨店業界の厳しい現実を見せられているようである.閉店2日前の2009(平成21)年5月4日の様子をお伝えする.

閉店さよならセールを実施しており,
大勢のお客さんで賑わっていた.

ライオン像も閉店を見守っていた.
 
閉店セールで大幅割引の品がたくさん並んでいた.
客層は,どちらかというと年輩の方が多い感じである.

レジには長蛇の列ができていた.

今は自動運転となっているエレベータだが,
かつでは真鍮の内扉のじゃばらがついているもので,
「じゃらじゃら」音がなって扉が閉まる旧式のエレベータだった.
 なお,その後は,ヤマダ電機が入居するとのことである.

夜のサンシャイン60通り(池袋)【東京考察#251】

Sunshine 60 street of night ( Ikebukuro )


サンシャイン60通り

 


 サンシャイン60通りは,池袋駅東口からサンシャインシティにかけて,両側に商業施設が建ち並ぶ道路で,池袋で最も賑わいのある通りである.いつも人で混雑しており,休日には大変な人で賑わっている.歩いている人の年齢層は若く,若年層に人気のあるエリアである.師走のサンシャイン60通りの点景をお送りする.

横断歩道は青になるといつも人でごった返す

パンダも頑張っている
立て看板を持っている人が多い

黄色いハッピを来て脚立にのって,
売り込みをしているドラッグストアの店員

キャッチセールスは多い

ゲーセン&パチンコ アミューズメント施設
 
最奥に東急ハンズがある.
ここからはエスカレータで地下に降りて,サンシャインシティーへ向かう.

池袋駅南口西武線構内売り場(宝くじ売り場)【東京考察#240】

The Ikebukuro station south exit Seibu Line premise counter ( The lottery counter )


池袋駅西武線構内売り場
(「構内」といっても改札の外である)

 


 今年もまた年末ジャンボのシーズンがやってくる.都内で最も多くの高額当選を出している宝くじ売り場は「西銀座チャンスセンター」であるが,それ以外にも高額当選を多く出している有名な売り場がある.高額当選が多く出ているということは,確率的に言えば多くの宝くじ枚数を販売しているということなのであるが,どうせ買うのなら,やはり大当たりの出ている売り場から購入したいと思うのは,人情というものであろう.
池袋駅南口西武線構内売場もそのひとつ.「西武線構内」と聞くと西武池袋線の改札内のエリアを想像してしまうが,「西武鉄道の敷地の中である駅構内」ということであり,改札内にあるのではなく,西武百貨店1階の南側通路のコンコース入口部分にある.さらに,「南口」と聞くよりは,「東口の南側」といった方が位置的なイメージはつけやすく,北通路・中央通路・南通路と3つの東西を結ぶ通路がある池袋駅であるが,とにかく東口に出てから目の前の明治通りを渡らずに歩いていけば売り場にたどりつける.
 
池袋駅南口(西武池袋駅) この売店の裏に宝くじ売り場がある.
地図などでは「南口」と標記されているが,現地看板では東口となっている.

横断歩道(明治通り)の前にある池袋駅への入口
この裏手に宝くじ売り場がある.緑の屋根は売店.
 
ナンバーズなどを記入するための台も売り場前に設けられている
かなり人通りの多いコンコースである

構内からみた東口出口方向
中央の黄色いところが宝くじ売り場
このページを見た方に,1等があたりますように・・・

 

乙女ロード(東池袋)【東京考察#206】

The Otome load


マンションの1階などにテナントとして入る
アニメ・同人誌ショップ


 最近なにかと話題になる「乙女ロード」であり,東京を紹介するガイドブックにも紹介されるようになっている場所である.しかし,初めてここにやってくると,「えっ,いったい何処が乙女ロードなの?」と気づかないことが多い.「ここが乙女ロードだ!」といった存在感がないのである.でも,こっそりと,そして脈々と存在しているところが,この乙女ロードを象徴しているように感じる.
「乙女ロード」と呼ばれるところには,主に女性向けアニメや同人系ショップが数軒建ち並んでおり,休日になるとアニメや同人誌を求めて,女性のみならず男性も訪れる地区である.サンシャイン60の西側にあり,トヨタのアムラックス展示場の隣りにある.秋葉原や中野ブロードウエイと並び,現代のオタク文化を感じることのできる場所である.

狭い路地裏といった感じではなく,
広い道路沿いの開放的な空間である.
 
アニメショップや同人誌ショップが建ち並んでいる
 
こちらはビル丸ごとアニメショップとなっている
各フロアー毎に「青年系」「少女系」「少年系」「キャラクター」などと分野が違っている

立教大学【東京考察#158】

Rikkyo St. Paul’s University


立教大学正門


 立教大学のキャンパス内に入ると,まるで外国に行ったかのような錯覚を覚える.立教大学は明治初期にアメリカ聖公会の宣教師,チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教によって,東京築地の外国人居留地に英語と聖書を教える私塾を開いたのが始まりで,宣教師たちによるキリスト教に基づく教育をうたってきた.この池袋にキャンパスを移したのは,1918(大正7)年で,本館・図書館・2号館・3号館・食堂は,このときに建てられた建物が今でも健在で残っている.英語ではセントポールズカレッジとなる.
何しろ全ての建物がレンガ調に統一されており,徹底的に景観に配慮している点が素晴らしい.この繊細なセンスは日本人にはないもののように感じてしまう.現在建設中の新しい公舎も,ガラスとコンクリートの合間にレンガを配するなど,赤煉瓦への徹底的な思い入れ・統一感は絶賛に値する.一歩足を踏み入れると,異国情緒たっぷりのキャンパス空間が広がっており,さらに大正時代に建てられた建物のちょっと狭苦しい空間が,かえって心地よさを持たせるようなものとなっている.また,食堂が素晴らしい.残念ながら行ったときは休日で営業していなかったが,ちょっとした洒落たレストランで食べているような感覚で,そのまま結婚式でも挙げられそうな雰囲気である.メニューはどうなのか味わってみたい.

ツタの絡まる本館(モリス館)
 この本館は,東京都選定歴史的建造物にも指定されており,立教大学が池袋に移転した1918(大正7年)に建てられたものである.この大学の計画はニューヨークの建築家マーフィ&ダナ建築事務所によるもので,当時は中央の塔屋を境に左が図書館,右に礼拝堂(チャペル)を配し,中央の軸線を延長して,中庭を囲んで学生食堂を中心に左右に寄宿舎を置くプランニングを行っている.各建物のデザインはゴシックリバイバル様式を基調とし,簡素でありながら重厚な赤レンガ造りでまとめられている.(東京都生活文化局看板より一部抜粋)

食堂の正面
 
食堂内部 なんともいい雰囲気!

中庭
  
建物(公舎)は徹底的にレンガ調を配している

チャペル(礼拝堂)とウイリアムズ主教の像
 
本館内部 扉が西洋風

各教室の扉には「授業中」というランプが付けられているが,
この文字が,いかにも慣れない外国人が
手書きで書いたような感じで趣がある
 
廊下の蛍光灯へのこだわりも徹底的
青白いのもではなく,電球色の蛍光灯が全てに使われている
一つだけ青白い蛍光灯などといった愚行は行われていない

学生用への掲示板の柱にもレンガが使われている

レクイエム奉唱会 立教大らしい

キャンパス内は狭い空間なのだけれども
統一感ある構成がとてもよい

池袋駅北口【東京考察#157】

The Ikebukuro station north exit


意外なことに,池袋に北口もあります

 


 池袋といえば,「東口に西武」「西口に東武」といった具合に東西対抗みたいなところがある.しかし,北口というエリアが存在していることを忘れてはいけない.北口は西口の北側なので厳密に言うと西口にあたるのであるが,「池袋北口」は池袋を代表する大人の歓楽街が存在しているエリアである.大人の欲求を満たすこのエリアは,夜になるとネオン輝く街となり,かつては暴力団の抗争による発砲事件などもあったが,今でもかつての西口のダーティな部分を残すエリアとなっている.


中央通り西一番街(繁華街)への入口


客引き禁止


池袋演芸場もあります

 

無料案内所は至る所にあります


怪しいピンクのネオンが瞬く


「ロマンス通り」なんともネーミングが怪しい


外壁がピンクの「ロサ会館」
ゲーセンやボーリング場,映画館が入る


この「情報喫茶」の情報って,何?

 

夜の池袋駅東口【東京考察#81】

The Ikebukuro station east gate at night

 


 池袋駅東口の夜を撮ってみた.
渋谷・新宿に次ぐ,一大繁華街である.
そんな景色をどうぞ.


ストリートライブ
明治通り上下線の間にはスペースがあって,人集りができていた.
東口の明るさはこのオープンスペースによるところが大きい.


西武百貨店のショーウインドウ
灯りがまぶしい!


サンシャイン60通りには若者でごった返す.
向かいには,横断歩道を待つ人・人・人・・・


居酒屋のチラシを配る店員


戦後闇市を思わせるような飲屋街も存在する


東口交番前交差点



「テレクラ」 ど派手な電光掲示板も池袋らしい


池袋は新宿・歌舞伎町に次ぐ風俗街でもある.
怪しいネオン街が続く.


同じく・・・ Part.1


同じく・・・ Part.2

とげぬき地蔵(巣鴨)【東京考察#65】

Togenuki Jizo (Sugamo Guardian deity of children)


高岩寺・洗い観音


 「おばあちゃんの原宿」としてすっかり有名となった巣鴨地蔵通り商店街.その目的はとげぬき地蔵にお参りに行くことである.毎月4日,14日,24日は縁日となって,門前市として発達していったとげぬき地蔵通り商店街には露店が建ち並び,賑やかな通りとなる.これこそが「縁日」といった感じである.
とげぬき地蔵(高岩寺)は,慶長3年(1598)の創建と伝えられており,本尊の延命地蔵菩薩はとげぬき地蔵として江戸時代から有名なところである.この本尊のお札を患部に貼って祈ればとげを抜いてくれるという言い伝えがある.これは,江戸長州藩邸の下女が誤って針を呑み込んでしまったが、本尊の尊影を水で飲み込んだところ、無事に針を吐き出す事ができたということからきている.


生地を買う人々


ボタンや裁縫道具が並ぶ
池袋・キンカ堂のようだ


甘味処は欠かせない


キルトベスト ¥2,000

 
かるめ焼き 七味唐辛子 どちらも縁日には欠かせない

 
もんぺは人気商品のひとつ


煙を患部にかける.
外国で発行されている「JAPAN」のガイドブックには,
必ずこの写真が掲載されている


「洗い観音」を洗うために並んでいる行列!


団子を食べる 1本100円


お花の販売


「塩大福」は有名


商店街入口

 しかし,おばあちゃんの原宿といっているが,おじいちゃんの存在はどこに行ってしまったのだろうか?
確かに街中を歩いているのは,おばあちゃんばっかりである.老後における男と女の行動力の差を見ているようで,男というのは定年を迎えてしまうと今までがむしゃらに働いてきた精魂を使い果たしたかのようにしぼんでしまうのは何故なのだろうか? 「男」として生きている生物学的な定めなのだろうか?

池袋駅西口の変貌【東京考察#60】

A change at the Ikebukuro station west entrance


都立池袋芸術劇場

 


  池袋駅西口はここ10年くらいで,かなり街の様子が変貌した.かつての西口は,東京で唯一残る戦後闇市時代の暗い雰囲気の漂うところだったのであるが,JR東日本グループの経営するメトロポリタンホテルの開業をきっかけに,東武百貨店の日本最大級の売場面積オープン,東京芸術劇場のオープン,西口駅前公園が整備され,既存の丸井とともに,徐々に人が集まる明るい雰囲気に変わってきた.昔から池袋といえば戦後闇市のイメージがつきまとうところであったのだが,巣鴨プリズン(刑務所)跡地のサンシャイン60再開発をきっかけに,東口の方が賑やかで若者の集まる活気ある街となり,西口はどことなく陰気な暗い雰囲気が残っている街が続いていた.ちなみに,池袋は東口に西武デパートが,西口に東武デパートがある「不思議な不思議な池袋」なのでありました.


変貌の最初のきっかけとなった「ホテルメトロポリタン」

 
東武百貨店とメトロポリタンプラザ
日本最大級の床面積へと変貌し,品揃え豊富なデパートとなった


メトロポリタンプラザ1階の噴水広場前
西口の待ち合わせ場所として定着している
(むかしの西口といえば,東武百貨店地下のマルチテレビジョン前が定番だった)


駅前の西口公園.都内有数のナンパスポットとなっている
ちょっと夜は危険な感じもする・・・


青空市場も開催
(野菜を売っているところなど池袋らしい)

 

ナイトアクアリウム(夜のサンシャイン水族館)【東京考察#58】

Night aquarium (Sun Shine aquarium)

 


 最近,ちょっとした話題のスポットがある.(2001年夏現在)
2001年夏の期間だけ,夕方18時より夜の水族館の生き物を見てもらおうと館内の照明を落とし,懐中電灯片手に館内を見て回る「ナイトアクアリウム」というイベントをやっている.入場客は入口で小型の懐中電灯を渡され,真っ暗な水槽の中にライトを照らして魚たちを眺めるのである.アイデアのある企画である.

館内は暗いので,画像は色調や輝度を調整し加工してあります.


入口で小型懐中電灯を渡される


イルカを照らす子供


熱帯魚の水槽


珊瑚礁に隠れていたクマノミ
ライトを照らすと出てくる


ラッコ


夜間水中餌付けショー

福島県いわき市小名浜にあるアクアマリンふくしま水族館でも,
ナイトファンタジアと称して夜間公開を行っていた.
来年も期間を長くして開催されることを願う.

サンシャインシティー【東京考察#46】

Sunshine City (redevelopment)


 サンシャインシティーは、東京拘置所(戦後米軍に接収されて以来「スガモ・プリズン」と呼ばれていた)の足立区小菅移転に伴ってできた跡地を再開発したものであり、昭和53(1978)年に地上60階、240mの日本一(当時)の超高層ビル・サンシャイン60の完成と同時に、サンシャインプリンスホテル・ワールドインポートマート・専門店街アルパ・プラネタリウム&国際水族館などを備えた複合施設である。

日本一高いビルもさることならが、日本一高いところにある水族館などが目玉となり、日本全国から観光客がやってきて、サンシャインシティーは一躍脚光を浴びる施設となった。この再開発の中には、オフィスをはじめホテル、会議や展示のできるコンベンションセンター、商業娯楽施設などが複合して入っており、日本における最初のミックスドユースの再開発と言っていいだろう。このような再開発手法を日本に浸透させるきっかけを作ったことはもとより、サンシャインシティーは東京の中に位置する「池袋」という街全体の地位向上に大きく貢献した開発である。

週末になると溢れんばかりの人が、池袋駅東口からサンシャイン60通りへとなだれ込み、そのまま東急ハンズ脇の地下歩道へと吸い込まれていく。日本一高いビルが東京都庁へと変わり、そして現在は横浜のランドマークタワーとなってしまった今、サンシャイン60の話題は以前に比べると少なくなってきているようである(サンシャインへ寄るはとバスツアーも少なくなってしまった)が、ナンジャタウンのオープンや、屋上である61階(スカイデッキ)を開放して最も高い位置の空気を肌で感じることができるようにするなど、イベント盛りだくさんで訪れる人を楽しませてくれる。


専門店街「アルパ」 地下1階から地上3階まで4層構造となっている


噴水広場

 サンシャインシティーに最初に行ったとき、なんと楽しい夢があふれるビルなのだろうと思った。そのひとつが、噴水広場である。地下1階から地上3階までを吹き抜けにして、その下に噴水とステージをつくり、上の階の人からも下のステージを見れるようになっている。初めてこれを見たときは、小学生ながら感動したものである。しかも、音楽に合わせて噴水のパターンが変化するというのも面白い。天井まで突き抜けるような大噴水になると、周りから歓声があがる。

 
天井まで突き抜けるような噴水

 
最上階(3階)では自然の光を取り入れる設計になっており、
この光が吹き抜けを通って地下1階まで届くようになっている。


スカイデッキ(61階屋上) 網が張られている


さすが高い建物だけあって、
屋上には各種アンテナ(携帯電話)が取り付けれれている

 
「似顔絵コーナー」や「記念メダル」 ・・・懐かしい・・・


東京都旅券課池袋分室がある つまりパスポートの引渡し所
隣にはトラベル用品店もある

 
サンシャイン60は、商業施設は下の階のみで、メインはオフィスビルである
オフィス用のエレベーターホール いたってシンプルなデザイン


地下歩道に設置された「動く歩道」
当時としては画期的であったように思う

   
今流行のテナントも入っている

駒込駅のツツジ【東京考察#44】

An azalea in the Komagome station


 JR山手線の駒込駅は、切り通し構造となっており、その法面(のりめん)には「ツツジ」が植えられている。そして、毎年5月になると濃ピンク色のツツジの花が、ホーム両側に広がって、乗客の目を和ませている。都内のJR線の車窓から季節が感じられる花としては、ツツジのほかに、サクラ、アブラナなどがあるが、駒込駅のツツジは最も鮮烈に目に飛び込んでくるものである。この季節、駒込駅に電車が到着すると、車内の色彩が一瞬変化する。


池86 東池袋四丁目⇔渋谷駅東口[都バスで東京発見]

渋谷-表参道-新宿-池袋のラインを明治通りで結ぶ路線

池86 東池袋四丁目⇔渋谷駅東口(経由)池袋駅東口・新宿伊勢丹 早稲田営業所

路線keyword:明治通り,新宿伊勢丹,高島屋タイムズスクエア,サンシャイン60,表参道,ハチ公前


東京でも有数な繁華街である渋谷・新宿・池袋を明治通りで結び、便利な路線のように思えるが、それ故に道路の渋滞も激しく、移動には時間のかかることが多い。
本系統と早81系統の早大正門行は、渋谷駅東口のバスターミナルからは発車せず、駅北側の三和銀行前(渋谷駅西口停留所)か東急イン前(渋谷駅東口停留所)のバス停から乗車することになる。渋谷駅を発車すると、左手に宮下公園が現れる。流行発信の街・渋谷から表参道までを結ぶ明治通り沿線には、さすがにお洒落なショップ・レストラン・ブティックが建ち並んでいる。
クリスマスシーズンになると電飾をつける立派なケヤキ並木の続く道路と交差すると、右手に原宿プラザ、左手にラフォーレ原宿が見えて表参道停留所となる。この辺りは土休日になると人々でごった返している。パレフランスの手前が原宿通りであり、左手に一瞬見ることができる。そして、神宮前一丁目となる。
神宮前一丁目を過ぎると、パタリと店がなくなって、賑わいのないビルの建ち並ぶ街並みがしばらく続く。千駄ヶ谷、北参道と過ぎると、再び街並みが賑やかになり、左手に東急ハンズや紀伊国屋書店がテナントとして入る高島屋タイムズスクエアの建物が過ぎ去って、JRAウインズ新宿前の新宿四丁目停留所となる。
左手に新宿駅南口ルミネを望むことができる甲州街道を横切り、右手に丸井が見えて、左手に新宿伊勢丹が現れると、新宿通りを横切って新宿伊勢丹前の停留所に到着する。
新宿五丁目交差点で靖国通りと交差し、バスは明治通りを北に進む。新宿の賑やかな街を抜けだし、左手に早稲田大学理工学部が現れて都立障害者センター前となる。
高戸橋交差点を過ぎると、右手に都内で唯一残った都電荒川線の線路が現れて、神田川を高戸橋で渡り、学習院下停留所となる。都電の停留所も右手にあって、乗換に便利なところである。学習院大学は左手の台地上に存在する。そして、バスは坂を上って千登勢橋をくぐり抜け、都電は右手に別れていき、左手に西武百貨店が現れると、池袋駅東口となる。
かつての本系統は池袋サンシャインシティーまでを結んでいたが、池袋駅東口・サンシャインシティ間に乗客がいなかったからなのか、現在は区間が変更され、バスの操車所が存在する東池袋四丁目という半端な行き先となった。
バスは池袋駅東口にて右折する。左手にサンシャイン60の超高層ビルが立っているが、周囲に高い超高層ビルが立っていないので、一際目立つ存在である。首都高速5号線の高架の下を走り、都電荒川線東池袋四丁目停留所と都電線路の手前にて、バスは終点となる。
せっかくの機会なので、サンシャインシティーについて記述する。サンシャインシティーは、昭和46(1971)年の東京拘置所(戦後米軍に接収されて以来「スガモ・プリズン」と呼ばれていた)の足立区小菅移転に伴ってできた跡地を再開発したところであり、昭和53(1978)年に地上60階、240mの日本一(当時)の超高層ビル・サンシャイン60が完成し、同時にサンシャインプリンスホテル・ワールドインポートマート・専門店街アルパ・プラネタリウム&国際水族館などを備えた複合施設である。サンシャインシティーは、池袋の地位向上に大きく貢献した開発である。

池65 練馬車庫-池袋駅東口[都バスで東京発見]

池袋と南長崎・西落合・江古田界隈の住宅地とを結ぶ路線

池65 練馬車庫⇔池袋駅東口(経由)江古田2丁目・目白駅 練馬支所

路線keyword:閑静な住宅街,南長崎・西落合・江古田界隈,狭路


終点は練馬車庫となっているが、ほとんどの便は途中の江古田2丁目止まりとなってしまい、練馬車庫までいくバスは本数が非常に少ない。日中は走っていない時間帯もある。しかし、この路線の醍醐味は、江古田2丁目から先の細く曲がりくねった狭路であろう。大型バスが右に左に方向を変えて走っていく。
東口西武百貨店前を出発すると、明治通りを南下、千登勢橋手前で右に入り、千登勢橋を左に見ながら目白通りへ右折する。学習院大学を左に見て、イチョウ並木の続く美しい目白通りを走ると、JR山手線の線路を越えて目白駅となる。
バスは住宅街のなかを、関東バス、西武バス、国際興業バスと共に走っていく。このあたりは各社混在して走っている。
落合南長崎駅前で目白通りから新青梅街道と名前が変わって、哲学堂を過ぎると、小さな江古田川を渡る。すると左手に神田川の支流である妙正寺川が現れて、真っ赤な関東バスが並んで止まっている関東バス丸山営業所となる。
江古田の閑静な住宅街の中をはしり、江古田2丁目となる。バスは右折し、右手に操車場を見てしばらく走ると、だんだんと道幅が狭くなっていく。左に曲がったり右に曲がったり、うねうねと住宅地の中を縫うように走る。環七通りと交差し、豊玉中、豊玉北と過ぎ、桜台駅前を通って終点練馬車庫となる。

草64 池袋駅東口⇔浅草寿町[都バスで東京発見]

池袋・王子・浅草を明治通りで結ぶ路線

草64 池袋駅東口⇔浅草寿町(経由)王子駅・日本堤 巣鴨営業所

路線keyword:明治通り,池袋,飛鳥山,吉原大門,浅草公園六区,浅草雷門,都電と併走


池袋・王子・浅草と、電車では乗換なければならない地点を明治通りで結ぶ比較的利用価値のある路線であり、休日には若干本数が増える。池袋・浅草間には、この他に巣鴨駅・白山・千束を経由する草63系統が存在する。
池袋駅から王子駅までは王40系統と同じルートを走る。王子駅前を出発するとこのバスは溝田橋交差点で右折して王40・王57系統と別れるが、明治通りも右に曲がっているので、通り名称は変わらない。石神井川を小さな橋で渡り、梶原で都電荒川線と交差する。この路線は、都電の線路と平行に走って行くわけではないが、都電が結ぶ地域と同じ地域を結んで走っている。
右手にひっそりと佇むJR宇都宮・高崎線の尾久駅舎が現れる。注意をして見ないと気づかずに通り過ぎてしまう。駅の後ろにはJRの操車場が広大に広がっており、運が良ければ夜の発車を待つ東北方面への寝台列車をちらっと眺めることができる。
京成線新三河島駅を過ぎ、左手に荒川区役所前に広がる公園を眺め、バスは中小工業と住宅が混在する下町の中を走っていく。この辺りの明治通りは、渋谷駅前・新宿伊勢丹前・池袋駅前の明治通りとは全く異なった趣を呈す。
大関横丁で国道4号・日光街道と交差し、三ノ輪二丁目で明治通りは左斜め前に別れていく。バスはここで明治通りに別れを告げ、土手通りを南に走っていき、山谷地域に接している日本堤を通過する。そして、遊郭で有名だった吉原の裏手に位置する吉原大門となり、吉原大門交差点の昭和シェル石油ガソリンスタンド前歩道に「見返りの柳」が小さな石灯籠と共にぽつんと一本立っている。バスは高速で走り抜けていくので、車内から見るときは目を凝らして右手を眺めていなければ見過ごしてしまう。吉原(新吉原)は明暦3(1657)年に日本橋人形町あたりに存在していた旧吉原の遊郭を現在の千束四丁目に移転して形成された遊郭であるが、昭和33(1958)年の売春防止法の施行によって吉原遊郭は消滅した。現在は特殊浴場(ソープランド)街が形成されている。
浅草二丁目で往路復路が別れ、このバスは右に曲がる。駅前にバスターミナルのないところでは、バスをループ運行させて折り返させるルートとすることが多く、浅草の場合も繁華街が広域に広がっていることもあって、ループ運行をする路線が多く存在する。左手に浅草寺(浅草観音堂)の裏を一寸眺められ、西浅草三丁目交差点を左折し、左手に花やしき遊園地をこれまた一寸眺めて浅草公園六区となる。花やしきは江戸時代には花園で賑わったところで、昭和28(1953)年に日本初のローラーコースターが登場した遊園地である。
浅草公園六区の「六区」とは、明治15(1882)年より始まった浅草公園の築造・整備(全6区画に区分して整備)における区画番号のことである。その中でも第6区画は興行街として整備され、そのまま「浅草公園六区」という名称が東京の娯楽の代名詞のようになったのである。バス停の名称に「浅草公園六区」という名が今でも残されていることに拍手を送りたい。映画館は明治40(1907)年頃から登場し、現在も残る浅草六区の映画街が形成された。1本左手奥に入った道沿いに映画館が建ち並んでいる。
浅草の繁華な雰囲気となってバスは国際通りを直進し、右手には浅草ビューホテルの高層ビルが現れ、ROXビル前にて浅草一丁目のバス停となる。そして、地下鉄銀座線田原町駅前である終点浅草寿町に到着する。
浅草寿町発の池袋駅東口行は、浅草二丁目まではループ運行となる。浅草の見所の多いところを通過するので、浅草二丁目までを記載する。
浅草寿町を発車し、隅田川に架かる駒形橋を右手に見るとバスは左折する。正面には浅草雷門が現れ、「雷門」と黒字で書かれた大きな赤提灯が門にぶら下がっている。雷門は五穀豊穣を祈願して天慶5(942)年に建てられたもので、風神・雷神が安置されている。現在の雷門は昭和35(1960)に復元されたものである。雷門正面に突き当たると右折し、賑やかな商店街を走る。吾妻橋・隅田川橋めぐりの水上バスのりば・金色の炎のオブジェを右手に見ながらバスは左折し、松屋デパート・浅草駅前となって浅草松屋前(東武浅草駅)停留所となる。浅草寺に通じる二天門バス停を通って、浅草二丁目バス停となる。バスはそのまま直進して池袋に向かう。

草63 池袋駅東口-浅草寿町[都バスで東京発見]

千駄木・根津界隈の山の手台地の下町的住宅街を走る路線

草63 池袋駅東口⇔浅草寿町(経由)巣鴨駅・千束 巣鴨営業所

路線keyword:文京区の山の手住宅地,浅草公園六区,巣鴨とげぬき地蔵


池袋駅から浅草寿町までを走るバスは、王子駅を経由して明治通りを走っていく草64系統と、昭和初期の頃までは高級住宅地だったであろう山の手台地の住宅街を縫うようにしてはしっていくこの草63系統の2路線が存在する。
池袋駅東口パルコ前より発車する。豊島区役所前を過ぎ、明治通りを王子へ向けて走っていく。西巣鴨で国道17号・白山通りへ右折する。ここを左折すると中山道となる。
新庚申塚で都電の線路と交差し、左に豊島市場を見て巣鴨駅前となる。巣鴨にはおばあちゃんの原宿と呼ばれる「巣鴨とげぬき地蔵」があり、4のつく日は縁日となって、根津・千駄木あたりにすむご老人たちが、このバスに乗ってやってくる。
バスは旧白山通りの2車線の通りに入り、東洋大学前を走る。山の手台地らしく坂が多くなってくる。そして、白山上で左折。商店街を抜け、文京区内の古い街並みを縫うように走っていく。このあたりには、医者や弁護士など、かつて名声を馳せたご老人たちが多く住んでおり、街並みは古くてもどこか文化の香りが漂う街でもある。バスに乗ってくる乗客も、シルバーパスを持った人が多い。
駒込千駄木町を出ると急な下り坂となり、団子坂下。不忍通りへ左折する。商店街の続く通りを走り、道灌山下で右折すると、西日暮里駅となる。
ここから今度は、下町の風景となる。荒川4丁目で明治通りに右折し、草64系統と合流するが、大関横町で右折し、再び草64系統とは別れて浅草寿町に向かう。三ノ輪橋駅を過ぎ、国際通りとなって、かつての繁華街・浅草公園六区を左に見て、終点浅草寿町となる。

白61 練馬車庫-新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿から牛込をぐるりとまわって練馬までを結ぶ路線

白61 練馬車庫⇔新宿駅西口(経由)目白駅・江戸川橋 練馬支所

路線keyword:牛込界隈,新宿歌舞伎町,練馬区,狭路,閑静な住宅街


 この路線は、新宿から牛込をまわり練馬までを結ぶ路線で、釣り針のように「J」の字型に走っていく。全線乗り通す客は少なく、新宿と牛込界隈、目白駅と練馬方面と、路線は1本であるが、それぞれの地域を輸送する役割を担っている。本数は比較的多い。
住宅に囲まれた練馬車庫を発車すると、右手に武蔵大学のキャンパスが現れて、環七通りのしたをくぐる。江古田界隈となるのだが、西武線の駅名の読みは「えこだ」であるが、バス停の読みは「えごた」となっている。
南長崎六丁目より一方通行の非常に狭い道の商店街の中を走っていく。買い物客、自転車の横断が非常に多く、運行しづらい区間であろう。東長崎駅を過ぎ、落合の住宅街を目白通りで走ると、目白駅前となる。
左手に川村学園、右手に学習院大学が見え、千登勢橋で明治通りと都電荒川線を越える。日本女子大が現れ、目白台界隈となり、椿山荘となる。
坂をくだって高速をくぐり江戸川橋。つきあたりを右折、ここから方向を変えていく。いままでの山手台地の閑静な住宅街から、密度の高い街並みへ変化していく。早大通りへ右折し、都内では珍しく道路の中央分離帯にケヤキが植わる道路を走る。真っ直ぐ進むと早大正門になるが、バスは左折し牛込界隈を走っていく。
再び住宅街の中を走り、起伏のある道路を走っていき、曙橋で靖国通りに右折、新宿を目指す。厚生年金会館を過ぎ、新宿五丁目からはネオンや看板が多くなり、新宿の雑踏が近づいてきたことを感じる。
歌舞伎町ではゴミが多く、非常に汚い。正面に新宿副都心の超高層ビル群を見て、JRの大ガードをくぐり、左に曲がると終点西口バスターミナルとなる。

上60 池袋駅東口⇔上野公園[都バスで東京発見]

白山通り・春日通りの補完的な役割を果たす千川通りを走る路線

上60 池袋駅東口⇔上野公園(経由)大塚駅・文京区役所 大塚営業所

路線keyword:元祖山の手住宅地,文京区役所,千川通り,東京大学,上野広小路,不忍池


 かつては茶60系統として、池袋駅東口・御茶ノ水駅間の運行だったが、御茶ノ水駅行ではなく上野公園行に変更された路線である。池袋駅東口・大塚駅間は朝夕のみの運行であり、それ以外の時間は大塚駅の発着となっている。
上野公園バス停は不忍池南側・水上音楽堂に位置し、バスターミナルが存在しないので、上野公園付近ではループ状にルートを設定してバスを運行させている。上野公園を発車すると、中央通りに入り、アブアブや上野松坂屋のデパートを眺め、上野広小路の繁華街をぐるりと周回する。
右手に再び不忍池が現れ、バスは不忍通りを北上する。地下鉄千代田線根津駅までは、上58系統と同じルートを走る。
根津駅にてバスは左折する。この辺りを歩いている学生はほとんどが東大生である。バスは坂を上り、弥生となって東京大学を両手に眺め、本郷通りを横切って元祖山の手住宅地である古い街並みを進んでいく。
白山通りに入るとバスは南へ進む。バスは文京区役所に寄るように迂回したルートを走り、春日町交差点で右折し、文京区役所前を通ると再びバスは右折して、進路を北に向ける。後ろを振り返ると、東京ドームの巨大な白い屋根がビルの谷間に埋もれて見ることができる。
バスは2車線の千川通りを北上する。この通りは春日通りと白山通りの中間に位置し、沿線は小石川界隈の静寂で落ち着いた古い街並みが多く残る地域である。大塚までは緩やかな上り坂が続き、山の手台地の趣を感じ取ることができる。
右手奥には小石川植物園が存在する。不忍通りを横切って、しばらく行くと都電の走る大塚駅前となる。
大塚駅に寄ると、バスは180度方向を転換し、通りは違うが再び南に進路をとる。

大塚-池袋 未乗

王40甲 池袋駅東口⇔西新井駅[都バスで東京発見]

都内北部の交通不便な地域を走る乗客数の多い通勤通学路線

王40甲 池袋駅東口⇔西新井駅(経由)王子駅・荒川土手 北営業所

路線keyword:車内混雑,飛鳥山,明治通り,狭道,都電と併走


ビックカメラ正面の池袋駅東口バス乗り場には、いつも長蛇の列ができている。先発のバスが満員になっていなくても、次のバスに乗る乗客が多い。この路線は北区・足立区の鉄道の便の良くない地域を走るため、その地域に行く人はバスに頼らざるを得ない。そこで池袋からの長い道中、座っていこうと考える乗客が多いのである。座るためには最低1本、混雑時には2本以上のバスを待つ覚悟が必要である。
池袋を出発すると、バスは三越の裏手を走り、明治通りに入る。豊島区役所を右手に見て、池袋六ツ又陸橋交差点を過ぎ、JR山手線を跨ぐ。王子までは緩い坂を上り下りしながら明治通りを直進する。上池袋、西巣鴨、滝野川、そして正面に緑の茂みが見えると飛鳥山に突き当たる。西巣鴨から飛鳥山までは首都高速建設の高架工事を行っており、将来は道路の真ん中に高速道路が覆い被さることだろう。バスは左折し、運が良ければ都内唯一残った都電との併走が見られる。都電は車に押され気味に、そろりそろりと気を使いながら走っている。左手に昭和5年に架けられたクラシックな音無橋、右手に飛鳥山を眺めながら、大きなカーブと急なくだり坂を走り、JR京浜東北線のガードをくぐり抜けて王子駅前となる。
さらに乗客を乗せ、バスは2車線の狭い道を走る。この区間はバスの本数が多く、追い越し車線がないため、朝夕のラッシュ時はバス渋滞が発生し、そのために朝はバス専用道路となっている。豊島二丁目、三丁目、四丁目、六丁目と豊島のオンパレードを過ぎると公団の豊島五丁目団地が突然現れる。ここはかつての日産化学工業の王子工場であり、跡地を団地開発したところである。左手には団地群が、右手には日本出版の流通センターや日本油脂の工場がある。この路線は両方向とも混雑していることが多い。朝の場合、ここに居住する人が駅に向かって乗車し、逆に工場や職場に向かう通勤者が駅から職場に向かって利用する。夕方はその逆パターンとなる。両方向とも混雑するのはその為である。
豊島五丁目団地を出ると、新豊島橋で隅田川を渡り、江北橋で荒川放水路を渡る。左手には首都高速中央環状線の2層構造の江北橋が見える。橋の中央部分は一般道の江北橋と同じアーチが取り付けられており、さながら親子といった感じである。
荒川土手の停留所を過ぎると、バスは右折し、再び狭い2車線の道路に入る。密集した地域の中に、東43系統折り返しのための荒川土手操車所があり、発車待ちのバスが数台停車している。さっき通った豊島二丁目から五丁目間の2車線道路とは違って、この道路には歩行者専用の歩道がなく、電柱の存在が更に道路を狭くしているので、お互いの大型バスがすれ違うときは運転手同士の連携と相互の譲り合いが欠かせない。出会った場所が悪いときは最徐行しながらすれ違う。乗客のおばあさんが、「この辺りは戦争で焼けなかったから道が狭いのよ」と教えてくれた。地図を眺めると、バス通り以外の道路は区画整理がされていない曲がった道が多く存在していた。江北四丁目にて尾久橋通りと交差する。尾久橋通りには新交通システム(日暮里-舎人間)が開通することになっている。それが開通すれば、本路線の混雑が多少は緩和されるに違いない。阿弥陀橋停留所を過ぎ、環七通りに出ると古くから川崎大師とともに厄除開運の霊場として有名だった西新井大師前停留所となる。本道は左手に少し入ったところに存在する。そして、東武線を跨ぐ陸橋の手前でバスは左の車線に入り、線路を越えずに一方通行の道を走ると終点西新井駅となる。

平成12年12月より、池袋駅から豊島五丁目団地間に急行バスが登場した。

都02乙 池袋駅東口⇔文京区役所[都バスで東京発見]

池袋と小石川・小日向・春日界隈とを結ぶ路線

都02乙 池袋駅東口⇔文京区役所(経由)大塚3丁目・伝通院 大塚営業所

路線keyword:雑司ヶ谷霊園,護国寺,文京区役所,小石川・春日界隈,グリーンライナー


かつては池67系統:池袋駅東口・一ツ橋間の運行だったが、現在は池袋駅東口・文京区役所間に短縮され、同時に系統番号が都02乙に変更された路線である。その時の名残で、現在でも平日・土曜の朝に数本、一ツ橋行のバスが走っている。
池袋駅東口を出ると、首都高速5号線の高架の下を南下し、都電荒川線の線路を横切り、雑司ヶ谷霊園付近を通る。護国寺にてバスは左に曲がり不忍通りを走る。
車内の乗客はかなり老人が多い。文京区は大正時代頃より「山の手住宅地」を形成していた古い住宅地なので、老人の数が多い地域となっており、文京区を走る都バスに乗ると、必ず老人の姿を見かけることができる。バスは地下鉄と違って気軽に乗降できることから、老人にとってはバスの方が便利な交通機関であろう。
大塚三丁目で右折し、春日通りへ入る。ここから終点の文京区役所まで、小石川・小日向・春日界隈を、都02系統とほぼ同じルートで走る。

都02 大塚駅⇔錦糸町駅[都バスで東京発見]

大塚から錦糸町までを春日通りで横断する乗客多い路線

都02 大塚駅⇔錦糸町駅(経由)文京区役所・御徒町駅・本所一丁目 大塚営業所

路線keyword:春日通り,文京シビックセンター,東京ドーム,上野広小路・アメ横,厩橋,グリーンライナー


鳩が戯れ、その横を都電が走る。錦糸町行の都市新バス・グリーンライナーはそんな大塚駅前広場より発車する。
大塚駅を出発するとバスは南下し、新大塚で春日通りに入る。大塚三丁目を過ぎて、右手にお茶の水大学、都バスの大塚営業所が現れて、茗荷谷駅となる。この辺りは台地なので、上野広小路までは坂の多い道を登ったり降りたりしながら、小日向、小石川、春日と文京区内を走っていく。文京区は、明治以降に諸大名の屋敷跡地に大学等の文教施設を多く設置したところから「文京」という名がついたという。東京大学を筆頭に、跡見学園短大、お茶の水女子大学、順天堂大学、拓殖大学、中央大学理工学部、東京医科歯科大学、東洋女子短大、東洋大学、東邦音楽短大、日本女子大学、文京女子短大と、これらの大学・短大が文京区内に存在している。かつては、東京教育大学(現筑波大学)、東京農業大学も存在していた。
また、文京区は大正時代の頃から、「山の手」住宅地となっていた地域であり、そのため老人の姿を多く目にする地域である。文京区は落ち着きのある独特な雰囲気の漂う場所である。
伝通院前<説明>を通ると、上部が半円形になっている真新しい高層ビル・文京シビックセンター(文京区役所)が前方に現れ、富坂上のバス停を過ぎると急な下り坂となって、文京区役所前となる。この区役所庁舎は「豪華庁舎」として一時期話題にのぼった建物で、最上部は無料展望台となっている。内部は吹き抜けになっており、シースルー(ガラス張り)の高速エレベーターから、区役所の各階の内部をのぞき込みながら展望台に行ける楽しい設計になっている。
ビルの谷間から東京ドームの丸い屋根が右手に現れ、白山通りを横切って東に進む。東京大学の最寄りバス停である本郷三丁目を過ぎると、学問の神様・菅原道真を祭る、合格祈願で有名な湯島天神前となり、坂を下って上野広小路となる。右手に上野松坂屋が現れ、御徒町の繁華街の中を突っ切る。左手のアメ横には人々が大勢うごめいていた。この場所は通過するのに時間がかかることが多いが、現在都営地下鉄12号線の駅建設工事中で、渋滞に一層拍車をかけている。
JR線のガードをくぐると、右手には宝石・貴金属専門店が建ち並ぶジュエリータウンが通り過ぎる。昭和通りを横切り、バスは春日通りを進むが、この辺りから文京区とは対照的な下町の雰囲気を徐々に呈するようになる。元浅草、三筋と過ぎると、隅田川を美しい3連アーチの厩橋で渡って、墨田区となる。
本所一丁目からは春日通りに別れを告げて、清澄通りを南下し、蔵前橋通りに左折する。バス停名は石原のオンパレードとなるのだが、正しい読みは「いしはら」なのか「いしわら」なのか。商店街やバス停留所のローマ字表記は「いしはら」となっているが、区役所の設置する町丁目名の看板やバスの車内案内放送では「いしわら」となっている。停留所の表記と案内放送とで異なっているのには「おや?」と思うが、地名辞典によると「いしわら」という読みで記載されているので、とりあえずは「いしわら」が正しいという結論にしておく。
そんな事を考えているうちに、終点錦糸町駅に到着した。

都電荒川線(チンチン電車)【東京考察#18】

Toden Arakawa Line (only streetcar in Tokyo)


明治通りを走る都電
新幹線MAXの下をくぐる

 


 かつては縦横無尽に都内を走っていた都電であるが、モータリーゼーションの波には打ち勝つことができず、昭和42年~47年までの間に、この荒川線を残して全廃してしまった。この荒川線も廃止の予定であったが、専用軌道が多く代替交通機関がないこと、地元からの強い要望があったことにより、存続することになった。当時は、赤羽-王子-三ノ輪間と荒川車庫前-王子-早稲田間の2系統あったものを、赤羽-王子間を廃止して、1本化したもので、この時に荒川線という名が生まれた。


  
三ノ輪橋

 三ノ輪橋停留所は商店街に埋もれるように行き止まりとなっている場所である。この何とも言えない雰囲気が最高である。都電を降りると下町の商店街が目の前に広がり、小さいチンチン電車は街の中にすっかり溶け込んでいる。関東の駅百選に選定された。


 
小台-宮ノ前間

 都電が道路の上を走るのは、王子駅前-飛鳥山間と小台-宮ノ前間のみである。小台-宮ノ前間は、道路拡張が進み、もうじき道路中央に専用軌道が完成する見通しである。都電の車体には入口にステップがないので、ホームを設けなければならないが、段差がないので車椅子でも楽に乗ることができる。


 都電の運賃は大人160円である。乗るときに160円を運賃箱に入れる前乗り先払いとなる。しかし、朝のラッシュ時には運転手一人では多くの乗客をさばききれないため、朝の王子駅前では、車内にある運賃箱をホームに置いて臨時改札を行っている。

 


 
王子駅前-飛鳥山間

 この区間は、飛鳥山と音無川に挟まれているため、専用軌道になる見込みはない。明治通りの6車線の急坂を、車におされながらそろりそろりと走っていく。雨が降ると車輪が空転し、上らなくなってしまうことがある。そんなときは砂をまいて走っていく。


 
庚申塚

 4のつく日には巣鴨とげぬき地蔵の縁日となり、最寄の庚申塚停留所は大混雑する。都電はお年寄りにもやさしい乗り物で、地下鉄のように階段もなくすんなりと乗れるし、手軽に気軽に乗ることができる。世界的にこのようなライトレールの路面電車が見直されているのは、地球にやさしく、人にやさしい乗り物だからである。
停留所前に店を構える甘味どころの「氷」旗が風になびいて、降りてくる客を待っている。


  
庚申塚-巣鴨新田間

 線路の脇に勝手口がある、こんな家がたくさんある。この踏切には遮断機も警報機もついていない。まわりが静かなので、電車がやってくると、線路を伝って「カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン…」と段々音が大きくなってきて、電車が近づいてきていることを知る。


 
大塚駅前

 
学習院下-面影橋間

 下町ばかりを走っているように感じられる都電であるが、早稲田付近ではビルの林立する中をとことこ走っていく。サンシャイン60をバックに都電は快走する。



早稲田



チンチンとなる電動ベル

 チンチン電車とは、発車するときに「チンチン」と鐘がなることに由来する。もともとこのベルは、車掌さんが運転手さんに「乗降が終わって発車してもいいですよ」という合図を、紐を引っ張って鳴らしていたもので、車掌がいなくなってワンマン化された現在、あっても無くてもいいベルなのであるが、自動の電動ベルを車内に取りつけて、いまでも「チンチン」と鳴らして走っている。自動化してまでもこのベルを残そうと決断した当時の担当者(都の交通局か)にはユーモアと生きることに対するゆとりがあるように感じる。