「都バスでGO!~都バスで東京発見~」カテゴリーアーカイブ

旅の基本は路線バス! 都バスを路線ごとに紹介. 街を眺めるのにはバスに乗るのが一番です.地域の雰囲気が空間で伝わってきます.東京の中を縦横無尽に走っている都バスにのって,素顔の東京を発見するのもいいのではないでしょうか.

秋76 新宿車庫⇔秋葉原駅東口[都バスで東京発見]

初台・新宿・飯田橋・秋葉原と都心を東西に結ぶ路線

秋76 新宿車庫⇔秋葉原駅東口(経由)新宿駅西口・飯田橋 新宿営業所

路線keyword:峡谷のような神田川,牛込界隈,秋葉原電気街,歌舞伎町


秋葉原駅東口バスのりばは、営団地下鉄日比谷線秋葉原駅近くの小さな公園の前に存在する。新宿車庫・飯田橋間の折返し便が多数存在する路線であるが、日曜の日中には秋葉原等への買い物客を考慮して、全便全区間の運行となっている。
秋葉原駅を発車すると、右手に電気街、左手に神田川に架かる万世橋を見て中央通りを横切り、高い位置に架けられているJR総武線のグリーンの鉄橋下を通り抜ける。バスは飯田橋まで、神田川・JR総武・中央線に沿って走っていく。
左手に美しいアーチの形をした聖橋と神田川、そしてその奥にJR御茶ノ水駅が見えると、御茶ノ水駅停留所となる。御茶ノ水駅から順天堂大学前を通り過ぎると、左手には深く掘られた峡谷のような神田川と、その崖っぷちに走るJR線、崖上にそびえ立つビルディングが眺められ、東京ではあまり見られない一風変わった風景となる。この辺りの神田川は、江戸時代において駿河台の北側を開削して江戸城の外堀にしようと人工的に掘られたものである。
水道橋となり、右手に後楽園・東京ドームの正面入口と後楽園ゆうえんちのパラシュートが現れ、続いて後楽園の黄色いビル、青いビルが現れる。
飯田橋となり、左手に飯田橋駅と再開発ビルが現れて、飯田橋交差点を右斜め前方の大久保通りへ右折する。ここからは2車線の道路となり、坂が多くなる。
坂を上ると右手に東京厚生年金病院が現れ、続いて神楽坂となる。この辺りの地図を開いてみると、町名が細かく分割されていて、なおかつ丁目がないことに気づく。昭和37(1962)年に住居表示に関する法律が施行されて、町名の改正や地番整理が行われたが、この地域は昔から続く町名がそのまま踏襲され、変更されなかった。バスは、地下鉄の交通が不便な新宿区東部の牛込界隈の住宅街の中を走っていく。
若松町にて左前方の道に入り、東京女子医大病院と臨海副都心への移転を間近に控えたフジテレビ本社が近くに存在する河田町となる。このバスは両者の正門前は通らない。
抜弁天を通り、大久保一丁目にて明治通りに左折する。新宿駅から飯田橋へ向かうバスは明治通りを通らず、歌舞伎町の新宿区役所前を走るルートとなる。
新宿五丁目で靖国通りに右折し、大繁華街・新宿歌舞伎町の賑やかな街並みとなる。派手な看板の立ち並ぶ歌舞伎町を突っ切り、JRの大ガードをくぐって左折すると、バスターミナルの広がる新宿駅西口の広場となる。バスは小田急百貨店に沿って西口広場を走り、小田急百貨店に隣接する京王デパート前に来ると新宿駅西口停留所となる。右手には新宿副都心の超高層ビルが幾つもそびえ立っている。
バスは初台にほど近い新宿車庫まで運行する。新宿駅にて若干の乗客を乗せ、国道20号・甲州街道へと右折する。正面には新宿パークタワーの3棟の超高層ビルが、左手には文化服装学院が現れる。新宿パークタワーへ行くビジネスマンは西参道で降車する。
初台交差点にてバスは右折し、左手に新宿オペラシティータワーが現れると、右手に新宿車庫が現れて終点となる。新宿車庫は、背景に都庁や新宿パークタワー等の超高層ビル群が立ち並んでいる景観の中に、都営バスがズラリと並んでいる光景が見られる、都会的な風景画が楽しめる場所である。

平成12年12月、大江戸線の開通により廃止された。

宿74 新宿駅西口-東京女子医大[都バスで東京発見]

新宿から東京女子医大までを結ぶ路線

宿74甲乙 新宿駅西口⇔東京女子医大(経由)抜弁天・河田町・国立国際医療センター 新宿営業所

路線keyword:東京女子医大,新宿歌舞伎町,抜弁天


新宿駅から東京女子医大までを結ぶ路線であり、抜弁天経由と国立国際医療センター経由の2路線が存在し、交互に出発している。ルート的には抜弁天経由のほうが近い。東京女子医大病院までのアクセスもあるが、河田町・若松町・余丁町・戸山町地域の新宿駅までのアクセスの役割も果たしている。近年、地下鉄大江戸線が開通したが、地下深いホームまでの乗り降りを考えると、バスを利用した方が気軽で便利である。
新宿西口の小田急ハルク前から発車する。新宿駅の小田急デパートを正面に見て左折し、大ガード西の交差点を右折、JR線の大ガード下をくぐって、東口・歌舞伎町となる。左手にはネオン輝く歓楽街が広がり、歩道は人でごった返している。ゴミが散乱し、道路が非常に汚い。新宿5丁目で明治通りへ左折する。花園神社が現れる。
ビルとビルに挟まれた明治通りを北に向けて走り、抜弁天経由のバスは、東新宿駅(新宿7丁目交差点)で右に曲がる。

抜弁天経由---
そして抜弁天となる。昔は抜弁天という地名が浸透していたが、現在は河田町という町丁名になっている。山手の中の下町的な雰囲気の街並みが続く。かつてはフジテレビがあった河田町にて右に曲がり、まもなく左手に東京女子医大が見えて終点となる。大学病院前にバスの折り返し用の操車場がある。

国立国際医療センター経由---
明治通りを直進し、大久保通りで右に入る。各種統計資料を閲覧できる総務庁統計局の統計センター前を通り、国立国際医療センターとなる。若松町にて右にぐるりと曲がり、河田町にて左に曲がると、東京女子医大前となる。東京女子医大前では、白衣を着た若い医者の卵たちが、道路を横断している。救急車が頻繁にやってきて、「脳神経に入りまーす」、などとスピーカーからアナウンスしながら走っていく。

高71 高田馬場駅-九段下[都バスで東京発見]

高田馬場から防衛庁前を通り靖国神社・日本武道館のある九段下までを結ぶ路線

高71 高田馬場駅⇔九段下(経由)大久保通り・市ヶ谷駅 小滝橋営業所

路線keyword:靖国神社,日本武道館,防衛庁,BIGBOX


高田馬場駅から九段下までの路線は、他に小滝橋車庫からやってくる江戸川橋経由の飯64系統がある。
BIGBOX横を発車し、商店の並ぶ緩やかな登り坂の続く駅前通りを走る。明治通りにでて、新宿方面に進路を向ける。大久保1丁目で左折し、かつてフジテレビ本社のあった河田町となる。東京女子医大前、韓国学校を通り過ぎ、市ヶ谷界隈を走っていく。
防衛庁が左に見えてきて左折、合羽坂下となる。左手には塀とセキュリティーのセンサーが張り巡らされている敷地が続く。自衛隊市ヶ谷駐屯地そして防衛庁の立派な建物が現れる。広々とした庭を備える、豪華なリゾートホテルのような趣である。左手に釣り堀と市ヶ谷駅ホームを見ながらお堀を渡ると、市ヶ谷駅前となる。
左手に瓦屋根の塀と緑の茂みが現れた。靖国神社である。右手に皇居北の丸公園と日本武道館が見えると終点九段下となる。

田70 田町駅東口(港区スポーツセンター)⇔新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿・青山・六本木・麻布十番・田町と結ぶ路線

田70 田町駅東口(港区スポーツセンター)⇔新宿駅西口(経由)六本木 新宿営業所

路線keyword:新宿(新宿通り),青山,六本木,麻布十番,鳥居坂の急坂狭路,神宮外苑・赤坂御所


 本路線は、三田付近にて三ノ橋経由と赤羽橋経由の2つのルートを持っており、それぞれ交互に半数ずつ走るダイヤとなっている。系統そのものは目立たない地味な印象を受けるが、改めてルートを見てみると新宿・青山・六本木・麻布(十番)と都内有数の繁華スポットを走っている路線である。
新宿駅西口のバスターミナルを後にすると、裾の広がった安田火災海上ビルの高層ビルを左に眺めて右折し、東へ向けて走る。JR線の大ガードをくぐり抜けると右折して新宿通りとなり、右手に幾つも立ち並ぶ大きな映画の宣伝看板を眺めて新宿駅東口前となる。左はスタジオアルタ前となり、待ち合わせをする人々でごった返している。
新宿駅より都心(東)方向へのバスは、歌舞伎町に接する靖国通りを走る路線がほとんどであるが、この田70系統と早77系統の早稲田行のみ、靖国通りより1本南側に位置する新宿通りを走っている。人々で賑わう新宿通りを丸井・紀ノ国屋本店・三越・伊勢丹等を眺めながら四谷に向けて走っていく。
新宿二丁目から四谷三丁目までは都03系統と同じルートを走る。四谷三丁目にてバスは右折し、外苑東通りへ入って南に進路を変える。右手に信濃町煉瓦館の煉瓦の建物が見えて信濃町駅前となる。
信濃町駅を出ると、右手には神宮外苑の森、左手に明治記念館が現れる。続いて右手には都営北青山一丁目住宅、左手に赤坂御用地の森となり、緑の多い区間を走る。カーブが続いて青山通りと交差して、青山一丁目駅となる。
南青山一丁目、赤坂八丁目の落ち着いた街並みを走り、営団地下鉄千代田線乃木坂駅を過ぎると、左手に防衛庁が現れる。そして、六本木となる。
六本木交差点にてバスは往路復路が分かれ、右前方の喫茶店「アマンド」の横にある一方通行路へ入って急な下り坂を走る。午後8時以降はこの鳥居坂交通規制のため、港区スポーツセンター行も新宿駅西口行と同様の六本木五丁目を経由するルートになる。坂を降りて鳥居坂下となり、高速道路の高架橋が見えて一ノ橋・麻布十番となる。麻布十番商店街は右手に1本入った道沿いに存在する。
一ノ橋交差点で往路復路が一緒になる。かつての新宿駅西口行は城南中学校より分かれて、麻布トンネルを抜けてUターンし、六本木通りに出て六本木交差点を左折するルートであったが、現在は一ノ橋より飯倉片町・六本木五丁目を通って六本木交差点を直進するルートになっている。
一ノ橋から芝五丁目までは、三ノ橋回りと赤羽橋回りの2つのルートが存在する。
赤羽橋回りの場合、一ノ橋交差点を直進し、左手に東京タワーを眺めながら、首都高速の高架橋に沿って中ノ橋を走り、赤羽橋にて国道1号線に右折する。この区間は道路拡張工事を行っており、用地買収の済んだ空き地と商売等を続けている一軒家がポツポツと並んでいる。後ろを振り返ると、東京タワーが道路の軸線上にドカンと立っている。そして、芝五丁目となる。
三ノ橋回りの場合、……未乗。
札の辻にて第一京浜を横切り、JR東海道線・新幹線等の線路を越えて芝浦地区へと入り、藻塩橋にて左折して田町駅東口となる。バスは一つ先の港区スポーツセンターにて終点となる。

 平成12年12月、都営地下鉄大江戸線の開通により廃止された。

渋66 阿佐ヶ谷駅-渋谷駅[都バスで東京発見]

渋谷駅と阿佐ヶ谷駅を幹線道路で結ぶ路線

渋66 阿佐ヶ谷駅⇔渋谷駅(経由)新高円寺・代田橋 杉並営業所

路線keyword:渋谷の雑踏と狭路,井の頭通り,甲州街道,阿佐ヶ谷のけやき並木


渋谷駅から阿佐ヶ谷駅までを、山手通り、甲州街道、環七通り、青梅街道を走って結んでいるが、見せ場は渋谷駅を出発してすぐやってくる。一時期、廃止の話が持ち上がったが、地元からの強い反対があって現在に至っている。京王バスと共同運行しているが、渋谷周辺の渋滞を考えると、廃止したい気持ちもわからないではない。
阿佐ヶ谷行きは、東急バスや京王バスの発車する西口からとなる。銀座線のガードをくぐり、北口ハチ公前広場を右に見て、スクランブル交差点を通過する。周りを見ると、人、人、人。さすがは渋谷である。しかし、この路線はこれだけで驚いていてはいけない。西武百貨店にて左に曲がり、一方通行の井の頭通りへと入っていく。非常に狭い通りで、ましてや渋谷一の繁華街・センター街が近くにあるため、道路には溢れんばかりの人の山となっている。人、人、人、人、人、人、人。そんな中を、大型バスがゆっくりと進んでいく。高い位置から、渋谷の雑踏を眺めることができる。よくこんなところを走って行くな、といった感じである。日本一の若者文化の発信地・渋谷をどっぷり感じることができるであろう。東急ハンズ横を過ぎ、宇田川町となり、NHK放送センタースタジオパークの裏を走って、代々木公園を右手に見ると、左折して富ヶ谷となる。休日はここまでで30分である。
小田急線代々木八幡駅となり、山手通りを北へ走っていく。首都高速環状線のための用地買収が進んでいるようで、一部工事を行っている区間もある。初台にて甲州街道へ左折し、東京オペラシティー、新東京国立劇場を右手に見て、西に走っていく。ここから先は、幹線道路の単調な車窓が続く。代田橋(大原)にて環七通りへ右折し、ますます単調な車窓に。高円寺陸橋で青梅街道へ左折し、杉並区役所で右へと曲がる。
ここから阿佐ヶ谷駅までは立派なけやき並木が続く道路で、昼間でも日陰となるほど道路を覆うほどの枝振りとなっている。まもなく終点阿佐ヶ谷駅となる。

池65 練馬車庫-池袋駅東口[都バスで東京発見]

池袋と南長崎・西落合・江古田界隈の住宅地とを結ぶ路線

池65 練馬車庫⇔池袋駅東口(経由)江古田2丁目・目白駅 練馬支所

路線keyword:閑静な住宅街,南長崎・西落合・江古田界隈,狭路


終点は練馬車庫となっているが、ほとんどの便は途中の江古田2丁目止まりとなってしまい、練馬車庫までいくバスは本数が非常に少ない。日中は走っていない時間帯もある。しかし、この路線の醍醐味は、江古田2丁目から先の細く曲がりくねった狭路であろう。大型バスが右に左に方向を変えて走っていく。
東口西武百貨店前を出発すると、明治通りを南下、千登勢橋手前で右に入り、千登勢橋を左に見ながら目白通りへ右折する。学習院大学を左に見て、イチョウ並木の続く美しい目白通りを走ると、JR山手線の線路を越えて目白駅となる。
バスは住宅街のなかを、関東バス、西武バス、国際興業バスと共に走っていく。このあたりは各社混在して走っている。
落合南長崎駅前で目白通りから新青梅街道と名前が変わって、哲学堂を過ぎると、小さな江古田川を渡る。すると左手に神田川の支流である妙正寺川が現れて、真っ赤な関東バスが並んで止まっている関東バス丸山営業所となる。
江古田の閑静な住宅街の中をはしり、江古田2丁目となる。バスは右折し、右手に操車場を見てしばらく走ると、だんだんと道幅が狭くなっていく。左に曲がったり右に曲がったり、うねうねと住宅地の中を縫うように走る。環七通りと交差し、豊玉中、豊玉北と過ぎ、桜台駅前を通って終点練馬車庫となる。

草64 池袋駅東口⇔浅草寿町[都バスで東京発見]

池袋・王子・浅草を明治通りで結ぶ路線

草64 池袋駅東口⇔浅草寿町(経由)王子駅・日本堤 巣鴨営業所

路線keyword:明治通り,池袋,飛鳥山,吉原大門,浅草公園六区,浅草雷門,都電と併走


池袋・王子・浅草と、電車では乗換なければならない地点を明治通りで結ぶ比較的利用価値のある路線であり、休日には若干本数が増える。池袋・浅草間には、この他に巣鴨駅・白山・千束を経由する草63系統が存在する。
池袋駅から王子駅までは王40系統と同じルートを走る。王子駅前を出発するとこのバスは溝田橋交差点で右折して王40・王57系統と別れるが、明治通りも右に曲がっているので、通り名称は変わらない。石神井川を小さな橋で渡り、梶原で都電荒川線と交差する。この路線は、都電の線路と平行に走って行くわけではないが、都電が結ぶ地域と同じ地域を結んで走っている。
右手にひっそりと佇むJR宇都宮・高崎線の尾久駅舎が現れる。注意をして見ないと気づかずに通り過ぎてしまう。駅の後ろにはJRの操車場が広大に広がっており、運が良ければ夜の発車を待つ東北方面への寝台列車をちらっと眺めることができる。
京成線新三河島駅を過ぎ、左手に荒川区役所前に広がる公園を眺め、バスは中小工業と住宅が混在する下町の中を走っていく。この辺りの明治通りは、渋谷駅前・新宿伊勢丹前・池袋駅前の明治通りとは全く異なった趣を呈す。
大関横丁で国道4号・日光街道と交差し、三ノ輪二丁目で明治通りは左斜め前に別れていく。バスはここで明治通りに別れを告げ、土手通りを南に走っていき、山谷地域に接している日本堤を通過する。そして、遊郭で有名だった吉原の裏手に位置する吉原大門となり、吉原大門交差点の昭和シェル石油ガソリンスタンド前歩道に「見返りの柳」が小さな石灯籠と共にぽつんと一本立っている。バスは高速で走り抜けていくので、車内から見るときは目を凝らして右手を眺めていなければ見過ごしてしまう。吉原(新吉原)は明暦3(1657)年に日本橋人形町あたりに存在していた旧吉原の遊郭を現在の千束四丁目に移転して形成された遊郭であるが、昭和33(1958)年の売春防止法の施行によって吉原遊郭は消滅した。現在は特殊浴場(ソープランド)街が形成されている。
浅草二丁目で往路復路が別れ、このバスは右に曲がる。駅前にバスターミナルのないところでは、バスをループ運行させて折り返させるルートとすることが多く、浅草の場合も繁華街が広域に広がっていることもあって、ループ運行をする路線が多く存在する。左手に浅草寺(浅草観音堂)の裏を一寸眺められ、西浅草三丁目交差点を左折し、左手に花やしき遊園地をこれまた一寸眺めて浅草公園六区となる。花やしきは江戸時代には花園で賑わったところで、昭和28(1953)年に日本初のローラーコースターが登場した遊園地である。
浅草公園六区の「六区」とは、明治15(1882)年より始まった浅草公園の築造・整備(全6区画に区分して整備)における区画番号のことである。その中でも第6区画は興行街として整備され、そのまま「浅草公園六区」という名称が東京の娯楽の代名詞のようになったのである。バス停の名称に「浅草公園六区」という名が今でも残されていることに拍手を送りたい。映画館は明治40(1907)年頃から登場し、現在も残る浅草六区の映画街が形成された。1本左手奥に入った道沿いに映画館が建ち並んでいる。
浅草の繁華な雰囲気となってバスは国際通りを直進し、右手には浅草ビューホテルの高層ビルが現れ、ROXビル前にて浅草一丁目のバス停となる。そして、地下鉄銀座線田原町駅前である終点浅草寿町に到着する。
浅草寿町発の池袋駅東口行は、浅草二丁目まではループ運行となる。浅草の見所の多いところを通過するので、浅草二丁目までを記載する。
浅草寿町を発車し、隅田川に架かる駒形橋を右手に見るとバスは左折する。正面には浅草雷門が現れ、「雷門」と黒字で書かれた大きな赤提灯が門にぶら下がっている。雷門は五穀豊穣を祈願して天慶5(942)年に建てられたもので、風神・雷神が安置されている。現在の雷門は昭和35(1960)に復元されたものである。雷門正面に突き当たると右折し、賑やかな商店街を走る。吾妻橋・隅田川橋めぐりの水上バスのりば・金色の炎のオブジェを右手に見ながらバスは左折し、松屋デパート・浅草駅前となって浅草松屋前(東武浅草駅)停留所となる。浅草寺に通じる二天門バス停を通って、浅草二丁目バス停となる。バスはそのまま直進して池袋に向かう。

草63 池袋駅東口-浅草寿町[都バスで東京発見]

千駄木・根津界隈の山の手台地の下町的住宅街を走る路線

草63 池袋駅東口⇔浅草寿町(経由)巣鴨駅・千束 巣鴨営業所

路線keyword:文京区の山の手住宅地,浅草公園六区,巣鴨とげぬき地蔵


池袋駅から浅草寿町までを走るバスは、王子駅を経由して明治通りを走っていく草64系統と、昭和初期の頃までは高級住宅地だったであろう山の手台地の住宅街を縫うようにしてはしっていくこの草63系統の2路線が存在する。
池袋駅東口パルコ前より発車する。豊島区役所前を過ぎ、明治通りを王子へ向けて走っていく。西巣鴨で国道17号・白山通りへ右折する。ここを左折すると中山道となる。
新庚申塚で都電の線路と交差し、左に豊島市場を見て巣鴨駅前となる。巣鴨にはおばあちゃんの原宿と呼ばれる「巣鴨とげぬき地蔵」があり、4のつく日は縁日となって、根津・千駄木あたりにすむご老人たちが、このバスに乗ってやってくる。
バスは旧白山通りの2車線の通りに入り、東洋大学前を走る。山の手台地らしく坂が多くなってくる。そして、白山上で左折。商店街を抜け、文京区内の古い街並みを縫うように走っていく。このあたりには、医者や弁護士など、かつて名声を馳せたご老人たちが多く住んでおり、街並みは古くてもどこか文化の香りが漂う街でもある。バスに乗ってくる乗客も、シルバーパスを持った人が多い。
駒込千駄木町を出ると急な下り坂となり、団子坂下。不忍通りへ左折する。商店街の続く通りを走り、道灌山下で右折すると、西日暮里駅となる。
ここから今度は、下町の風景となる。荒川4丁目で明治通りに右折し、草64系統と合流するが、大関横町で右折し、再び草64系統とは別れて浅草寿町に向かう。三ノ輪橋駅を過ぎ、国際通りとなって、かつての繁華街・浅草公園六区を左に見て、終点浅草寿町となる。

橋63 大久保駅⇔新橋駅[都バスで東京発見]

官僚の街を垣間見て国会議事堂を正面から眺められる唯一の路線

橋63 大久保駅⇔新橋駅(経由)市ヶ谷駅・国会議事堂 小滝橋営業所

路線keyword:国会議事堂,永田町,霞ヶ関,日テレ,番町,外国(韓国)人街


新橋を出発すると虎ノ門方面に向けて正面に霞ヶ関ビルを望みながらバスは走る。日本石油の眩しいほど輝く黄金の「希望の像」を右手に見ると、バスは右折し日比谷通りに入る。左手に日比谷シティーが現れる。内幸町にて今度は左折し、右手には市政会館(日比谷公会堂)、都立日比谷図書館、その背後に日比谷公園が存在する。
ここから先は、日本の中枢を担っている中央官庁街・霞ヶ関となる。まず手始めに、通商産業省が左手に現れ、家庭裁判所、合同庁舎5号館(厚生省・労働省・環境庁・国土庁・社会保険庁)、農林水産省(食糧庁・林野庁・水産庁)が右手に現れる。続いて次の街区に移ると、左手には大蔵省と合同庁舎4号館(総務庁・経済企画庁・北海道開発庁・国税庁)、右手には外務省・科学技術庁・公正取引委員会の建物が現れる。春になると街路樹の桜並木が美しく咲き誇る。正面に目を移すと、国会議事堂の姿がいつの間にか現れていた。現在の国会議事堂は、昭和11年に内幸町より移転してきたものである。
バスは、高さ65mの中央塔を左手に眺めながら国会議事堂横を南から北まで走る。北端になるとバスは左折し、今度は国会議事堂の横顔を眺めながら、日本で出版された全ての本の納品を義務づけている国会図書館前を通り過ぎる。そして、自由民主党の本部が見えると永田町となる。第2次世界大戦前までは、陸軍参謀本部として知られていた場所である。
この先の交差点は、国の中枢機関への警備のために事ある毎に検問所が設けられる場所である。不審者(外宣車やデモ隊など)が国会や霞ヶ関方面に進入しようとするときは、アコーデオン式の門を素早く道路に引いて、不審者を入れさせないようにする。
バスは青山通りに入るが、すぐに右折する。この右折の仕方が、ひとつの見物である。ここには信号機が取り付けられておらず、運転手が手を上げながら交通量の多い片側3(4かも)車線の自動車を強引に停止させて右折する。大型バスでなければ出来ない芸当である。ここからは2車線(両側)の狭い道になって平河町となる。
麹町となって晴海通りを鍵型に走ってバスは直進し、坂を下って上って江戸時代にはお屋敷が建ち並んでいた番長界隈となる。4チャンネルの日テレ前を通り過ぎ(ズームイン朝で後ろにグリーンの都バスが通り過ぎるときがあるが、あれはこの路線です)、坂を再び下ると市ヶ谷駅前となる。路上駐車が多く道も狭いので、非常に運転しづらいところであろう。
お堀を渡って右左折を繰り返すと、再び2車線の道路となり、牛込界隈となる。この辺りの地図を眺めると、町名の整理が行われておらず、旧町名が数多く残っている地域であることが伺える。山手台地の下町らしい街並みが続いていく。
牛込北町で左折し大久保通りとなる。国際医療センター、総務庁統計局前、戸山町を通り過ぎ、明治通りと交差する。大久保2丁目を過ぎると韓国のハングル文字が多くなり、新大久保駅となる。この界隈は韓国人などの外国人街が形成されており、地元商店街でもどのようにコミュニケーションを図っていくかがテーマとなっている。
左手には新宿副都心の超高層ビルがちょっと見えて、中央線の赤と総武線の黄色の電車が見えると、終点大久保駅となる。ここまで約1時間の旅路である。

新江62 大泉学園駅-新江古田駅[都バスで東京発見]

新江古田駅から練馬区を堪能して大泉学園駅までを走る路線

新江62 大泉学園駅⇔新江古田駅(経由)練馬区役所 練馬支所

路線keyword:練馬区,目白通り,練馬の牧歌的風景


かつては、新宿駅西口から出発して中野坂上で山手通りに入り、落合で目白通りに左折するルートを走っていたが、都営地下鉄大江戸線の開通により、路線が競合するため、新宿駅から新江古田駅間が廃止され、現在のように路線短縮が図られた。
新江古田駅を出発し、目白通りを西へ走る。豊玉で環七通りと交差し、桜台駅通りを過ぎると、街並みが賑やかになって練馬区の首都・練馬区役所前となる。
西武線をS字カーブの陸橋で越えて中村橋駅入口になると、目白通りから離れて旧道と思われる細い2車線の道路へと入る。大きな庭付きの一戸建てが建ち、畑も現れる。都心とは違って低密度の住宅街が形成されている。再び目白通りへと出る。
左手に中央卸売市場淀橋市場練馬分場が過ぎ、中原を出ると目白通りを離れて再び狭い2車線の道路を走る。ビニールハウス、畑、緑の生垣塀の家、練馬区の牧歌的(あえて田舎的とは言わないようにした)な風景が堪能できる。商店街が続いて、終点となる。

白61 練馬車庫-新宿駅西口[都バスで東京発見]

新宿から牛込をぐるりとまわって練馬までを結ぶ路線

白61 練馬車庫⇔新宿駅西口(経由)目白駅・江戸川橋 練馬支所

路線keyword:牛込界隈,新宿歌舞伎町,練馬区,狭路,閑静な住宅街


 この路線は、新宿から牛込をまわり練馬までを結ぶ路線で、釣り針のように「J」の字型に走っていく。全線乗り通す客は少なく、新宿と牛込界隈、目白駅と練馬方面と、路線は1本であるが、それぞれの地域を輸送する役割を担っている。本数は比較的多い。
住宅に囲まれた練馬車庫を発車すると、右手に武蔵大学のキャンパスが現れて、環七通りのしたをくぐる。江古田界隈となるのだが、西武線の駅名の読みは「えこだ」であるが、バス停の読みは「えごた」となっている。
南長崎六丁目より一方通行の非常に狭い道の商店街の中を走っていく。買い物客、自転車の横断が非常に多く、運行しづらい区間であろう。東長崎駅を過ぎ、落合の住宅街を目白通りで走ると、目白駅前となる。
左手に川村学園、右手に学習院大学が見え、千登勢橋で明治通りと都電荒川線を越える。日本女子大が現れ、目白台界隈となり、椿山荘となる。
坂をくだって高速をくぐり江戸川橋。つきあたりを右折、ここから方向を変えていく。いままでの山手台地の閑静な住宅街から、密度の高い街並みへ変化していく。早大通りへ右折し、都内では珍しく道路の中央分離帯にケヤキが植わる道路を走る。真っ直ぐ進むと早大正門になるが、バスは左折し牛込界隈を走っていく。
再び住宅街の中を走り、起伏のある道路を走っていき、曙橋で靖国通りに右折、新宿を目指す。厚生年金会館を過ぎ、新宿五丁目からはネオンや看板が多くなり、新宿の雑踏が近づいてきたことを感じる。
歌舞伎町ではゴミが多く、非常に汚い。正面に新宿副都心の超高層ビル群を見て、JRの大ガードをくぐり、左に曲がると終点西口バスターミナルとなる。

上60 池袋駅東口⇔上野公園[都バスで東京発見]

白山通り・春日通りの補完的な役割を果たす千川通りを走る路線

上60 池袋駅東口⇔上野公園(経由)大塚駅・文京区役所 大塚営業所

路線keyword:元祖山の手住宅地,文京区役所,千川通り,東京大学,上野広小路,不忍池


 かつては茶60系統として、池袋駅東口・御茶ノ水駅間の運行だったが、御茶ノ水駅行ではなく上野公園行に変更された路線である。池袋駅東口・大塚駅間は朝夕のみの運行であり、それ以外の時間は大塚駅の発着となっている。
上野公園バス停は不忍池南側・水上音楽堂に位置し、バスターミナルが存在しないので、上野公園付近ではループ状にルートを設定してバスを運行させている。上野公園を発車すると、中央通りに入り、アブアブや上野松坂屋のデパートを眺め、上野広小路の繁華街をぐるりと周回する。
右手に再び不忍池が現れ、バスは不忍通りを北上する。地下鉄千代田線根津駅までは、上58系統と同じルートを走る。
根津駅にてバスは左折する。この辺りを歩いている学生はほとんどが東大生である。バスは坂を上り、弥生となって東京大学を両手に眺め、本郷通りを横切って元祖山の手住宅地である古い街並みを進んでいく。
白山通りに入るとバスは南へ進む。バスは文京区役所に寄るように迂回したルートを走り、春日町交差点で右折し、文京区役所前を通ると再びバスは右折して、進路を北に向ける。後ろを振り返ると、東京ドームの巨大な白い屋根がビルの谷間に埋もれて見ることができる。
バスは2車線の千川通りを北上する。この通りは春日通りと白山通りの中間に位置し、沿線は小石川界隈の静寂で落ち着いた古い街並みが多く残る地域である。大塚までは緩やかな上り坂が続き、山の手台地の趣を感じ取ることができる。
右手奥には小石川植物園が存在する。不忍通りを横切って、しばらく行くと都電の走る大塚駅前となる。
大塚駅に寄ると、バスは180度方向を転換し、通りは違うが再び南に進路をとる。

大塚-池袋 未乗

水59 巣鴨駅⇔一ツ橋[都バスで東京発見]

巣鴨と一ツ橋を結ぶ都営三田線と平行に走る路線

水59 巣鴨駅⇔一ツ橋(経由)白山上・水道橋駅 巣鴨営業所

路線keyword:巨大な東京ドーム,後楽園遊園地,文京区,神保町本屋街


 

東京都交通局の地下鉄と競合する路線であるが、沿線に住むご老人のアクセスを考慮して、運行が継続されているであろうと思われる路線である。本数も少なく、乗客も必然的に老人が多い。
巣鴨駅から白山通りを南下し、千石駅を出ると旧白山通りの二車線の狭い道に入っていく。東洋大学前を通り、白山上(白山駅)となって、坂を下ると、白山下となる。旧道が終わって、再び、大通りの白山通りとなる。
文京区役所前を過ぎると、左手に文京区役所の高層ビルが見え、その隣に巨大な真っ白の東京ドームが現れ、観覧車も現れる。地下鉄丸の内線のガードをくぐり、後楽園遊園地の入り組んだジェットコースターを右手に見て、水道橋駅となる。
雰囲気はがらりと変わり、神保町の本屋街となって、ちょっと走ると終点一ツ橋となる。乗客の少ない寂しい終点である。

平成12年12月、廃止された。

上58 早稲田⇔上野松坂屋[都バスで東京発見]

文京区の縁を不忍通りでぐるりと走って上野と早稲田を結ぶ路線

上58 早稲田⇔上野松坂屋(経由)江戸川橋・動坂下 早稲田営業所

路線keyword:不忍通り,不忍池,古くからの山の手(根津・千駄木)


文京区の地図を眺めると、上58系統のルートがほぼ文京区の区境に沿ってぐるりとコの字型を描いて走っていることが分かる。古くからの下町と古くからの山の手住宅地である文京区の街並みを眺めることができる。
上野と早稲田の間にはこの路線の他に、上69系統の上野広小路・文京区役所・早稲田・小滝橋車庫と直線的に結ぶ路線がある。
バスは上野公園より少し南側に位置する上野松坂屋前(上野広小路)から発車する。右側にアブアブ(商業ビル)が見えると左折し、不忍池を右に見て上野公園停留所となる。不忍池は蓮の名所としても知られ、周囲約2km、かつてこの辺りが東京湾の入江だった頃の名残として池になったものである。北側は上野動物園の分園である水上動物園になり、西側は手漕ぎボートの浮かぶボート池となっており、休日には賑わいを見せている。
不忍池畔を北に向けて走り、池之端を通過する。地下鉄千代田線根津駅前となり、商店街が道路の両側に現れる。ここから本駒込あたりまで、延々と商店がほとんど途切れることなく続く。古くから栄える商店街である。根津、千駄木、団子坂下、道観山下といった古くから存在する下町の落ち着いた風景の中を、バスは路上駐車の車をよけながら、2車線の不忍通りをひた走る。
動坂下より急な上り坂を登って、六義園の最寄りバス停である上富士前となる。ここからは山の手台地となる。本郷通りを横切り、続いて白山通りを横切る。ここから先は坂が多くなり、坂を下って千石三丁目、坂を上って大塚三丁目、坂を下って護国寺正門となる。
護国寺より不忍通りに別れを告げて左折し、音羽通りを南に走る。江戸川橋にて神田川を渡り、首都高速をくぐって新目白通りに右折する。そして、リーガロイヤルホテルの高い建物が左に現れると、早稲田車庫前に到着して終点となる。

王57 赤羽駅東口⇔豊島五丁目団地[都バスで東京発見]

豊島五丁目団地の居住者が多く利用する通勤通学路線

王57 赤羽駅東口⇔豊島五丁目団地(経由)北区神谷町・王子駅 北営業所

路線keyword:豊島五丁目団地,北本通り,王子五丁目団地


この路線は王子駅を境にして性格が変わる。王子駅・豊島五丁目団地間は団地の住人や豊島四丁目にある職場・工場への通勤者が多く利用してかなり混雑するが、王子駅・赤羽駅間は北本通り沿線の住人が主に利用してそれほど混雑はしない。乗客が多いのは、王子駅から豊島五丁目団地までの区間である。
国際興業バスが多く走る赤羽駅東口を発車すると、ロータリーをぐるりと旋回してUターンする。しばらく走ると地下鉄南北線赤羽岩淵駅前となって右折し、国道122号線・北本通りを王子へ向けて走る。東北自動車道が川口インターで首都高速とつながる以前は、都心と東北道とを結ぶ、さらに交通量の多い道路だった。道路下には地下鉄南北線が王子まで平行して走っている。
荒川放水路と隅田川とを分水する岩淵水門のある岩淵町を過ぎ、緩やかな右カーブによって、いつの間にか東から南へと方向が変化していく。右手に建替工事中の清掃工場の煙突が現れ、左手はこのバスの営業所・北車庫となって、何台もの都バスが並んでいる光景が目に入る。工場が多く存在している。
環七通りの宮堀陸橋をくぐり、団地やマンションが多く目につくようになると王子五丁目・王子神谷駅前となる。右手に現れている高層住宅群は公団の王子五丁目団地である。ここからは王子のオンパレードとなる。王子三丁目より商店街となって、右手にバスターミナルが現れて王子駅前となる。
このバスはバスターミナルには入らず、降車専用停留所にて下車客を降ろし、道路突き当たりを左折した別の停留所で乗客を乗せる。王子駅からは団地へ帰宅する人々で、車内は混雑する。王子駅からはバス便も増発される。南北線開業前は赤羽からの便が多かったが、現在は半減されてその分が王子駅始発の便となった。
王子駅から終点の豊島五丁目団地までは、王40系統と同じルートを走る。豊島五丁目団地は、日産化学工業王子工場の跡地に、日本住宅公団(現、住宅・都市整備公団)が昭和47(1972)年に団地開発をしたところである。団地内にバスの操車場が設けられており、当時としては珍しいものであった。

茶51 駒込駅⇔御茶ノ水駅[都バスで東京発見]

名所旧跡を本郷通りで結ぶ文化教養路線

茶51 駒込駅⇔御茶ノ水駅(経由)駒込駅南口・東大赤門 巣鴨営業所

路線keyword:本郷通り,飛鳥山,西ヶ原一里塚,旧古河庭園,六義園,東大赤門,都電と併走


平成7(1995)年の営団地下鉄南北線の駒込・四谷間開通により、バスの本数が半数以上減らされてしまった。王子から東京大学までの区間、南北線は本郷通りの真下を走り、その上にこのバス路線が走っている。
王子駅から飛鳥山の坂を都電と共に登り、右手に王子神社と音無親水公園の緑を、左手に標高27mの飛鳥山公園を望みながら、本郷通りを南進する。飛鳥山は、徳川吉宗が桜の苗木を千本移植してから江戸近郊の桜や紅葉の名所となったところで、音無橋や王子七滝(名主の滝など)も含めかつては江戸の日光と称されていた。
都電と分かれて渋沢栄一史料館前を過ぎ、一里塚バス停を過ぎると、道路の車線が左右に離れて、真ん中に榎の樹木が現れる場所がある。かつての岩槻街道(日光御成道)の西ヶ原一里塚である。東京都23区内で唯一、かつての位置にほぼ原型をとどめている一里塚であり、2つの塚に挟まれた片側車線の幅が旧道の幅ということになる。西ヶ原は日本橋から二里のところである。
左手に紙幣を製造している大蔵省印刷局滝野川工場と大蔵省印刷局東京病院が現れ、しばらく走ると右手に旧古河庭園の立派な門が現れる。古河庭園は明治の元勲陸奥宗之邸を受け継いだ旧財閥古河家の庭園だったところで、2層の明治建築様式の面影をとどめる洋館の前に、和風・洋風の庭園が広がっている。
駒込駅からは、同じ茶51系統の駒込駅・東京駅北口線が加わり、終点の御茶ノ水駅までほぼ同じ道を走っていく。そして、右側の建物の裏手に六義園が存在する。六義園は元禄8(1695)年に老中柳沢吉保が5代将軍徳川綱吉から中屋敷として拝領した土地に造った庭園であり、千川上水の水を引いた池を中心とする回遊式築山泉水の名園である。その後、明治時代に岩崎弥太郎が別邸として整備し、最終的には東京市へ寄贈されたものである。
本駒込、向丘を過ぎると、左手に赤煉瓦の塀と瀟洒な黒い柵が現れると、日本の最高学府「東京大学」となる。江戸時代には加賀百万石前田家の上屋敷だったところである。北側から順に辿っていくと、まず農学部、続いて道路を越えて工学部、法学部・文学部となって東大正門となる。大楠の立派な並木が本郷通りに沿って茂っており、アカデミックな雰囲気が車内にも漂ってくる。さらに、図書館、教育学部と続いて東大赤門となる。赤門の正式な名称は御守殿門であり、8代将軍徳川家斉の娘溶姫が前田家に嫁ぐときに建てられたものである。そして、経済学部、学士会館別館で東京大学の赤煉瓦の塀は終了する。ちなみに理学部、薬学部、医学部、安田記念講堂は奥の敷地に存在する。
本郷三丁目で春日通りを横切り、神田明神前を過ぎてバスはぐるりと回って、神田川に架かる聖橋を眺めると、終点御茶ノ水駅となる。左にはJR線の電車と御茶ノ水駅を望むことが出来る。

平成12年12月、都営大江戸線の開通により、王子駅-駒込駅間と御茶ノ水駅-東京駅北口間が廃止された。

王49 千住車庫⇔王子駅[都バスで東京発見]

足立区西部の環七通り沿線をカバーする路線

王49 千住車庫⇔王子駅(経由)環七 千住営業所

路線keyword:環七通り,西新井大師,鹿浜の中古車販売店,梅田町


営団地下鉄南北線の開業によって、駒込駅・王子駅間が廃止され、現在の運行に短縮された。足立区西部の環七通り沿線をカバーしているが、道路渋滞が激しく、定時運行がままならない路線でもある。
王子駅から島根三丁目までは、王30系統と同じルートを走る。
島根三丁目にて右折し、二車線道路をしばらく走ると、東武伊勢崎線梅島駅前となる。東武線のガードをくぐり、駅前の商店街を抜ける。左手に女性総合センター・Lソフィアが現れて、しばらく行くと終点千住車庫に到着する。

里48 足立流通センター終点-日暮里駅[都バスで東京発見]

日暮里駅と足立流通センターまでを尾久橋通りで南北に結ぶ路線

里48 足立流通センター終点⇔日暮里駅(経由)江北六団地・扇大橋南詰 巣鴨・千住営業所

路線keyword:尾久橋通り,足立流通センター,足立トラックターミナル,北足立市場


日暮里駅から足立区舎人の足立流通センターまでを走っている。地図をみると分かるが、南北に走る尾久橋通りをただひたすらに走っていくのみであり、車窓の変化は乏しい。電車へのアクセスが不便な江北・谷在家地区を走っていることから、乗客は多い。現在、この路線の走る尾久橋通りには新交通システムの計画があり、工事が鋭意進められている。新交通システムが完成すれば、団地の多い江北地区のアクセス向上が図られ、この路線はもとより、王40系統の混雑緩和も図られるに違いない。
噴水のある日暮里駅前ロータリーからバスは発車する。長距離の乗客が多いため、座っていこうとする人が多く、次のバスに乗るために2列になって並んでいる。JR常磐線の高架をくぐり、京成線高架下で西日暮里駅前停留所となって、尾久橋通りとなる。あとは、ただひたすら北上するのみである。車窓も単調になる。
尾久橋で隅田川を渡り、扇大橋で荒川放水路を渡る。左手には、江北橋のアーチ橋が見える。広々とした荒川土手の中に存在するアクセントとして、景観を形成している。
扇・江北になると徐々に乗客が下車していく。道路の中央には新交通システム・日暮里舎人線の橋脚ができあがっている。谷在家・舎人になると車内は空いてくる。広い原っぱが見えると、舎人公園となる。
尾久橋通りから左に曲がり、しばらく走ると、突然巨大な「東京団地倉庫」が出現する。足立流通センターは、東京都の都市計画に位置づけられている流通団地であり、このような流通団地は足立の他に、葛西、板橋、京浜2区がある。敷地内には、足立流通センターの他に、足立トラックターミナル、北足立市場があり、東京の物流を支える拠点のひとつとなっている。近くには東北自動車道と結ぶ首都高速川口線が走っており、高速からのアクセスもよいところに流通センターはつくられている。
東京湾岸地域のような、殺伐とした風景の流通センター内を走り、北足立市場の前で終点となる。

北47 北千住駅⇔足立清掃工場[都バスで東京発見]

日光街道を走って東京23区内都バスの最北端・西保木間を目指す路線

北47 北千住駅⇔足立清掃工場(経由)千住車庫・竹の塚駅 千住営業所

路線keyword:日光街道(国道4号),足立清掃工場,足立区役所,足立区縦断,埼玉県境


都バスの中では全区間足立区内を走る唯一の路線であり、東京都特別区(23区)内の都営バスで最北端を目指す路線である。埼玉県との県境手前である西保木間にある足立清掃工場と北千住駅を結び、日光街道で足立区内を南北に縦断している。かつて、足立区役所本庁舎は北千住に存在していたが、平成8(1996)年に足立区の中央部である日光街道沿いの中央本町に移転した。それため、最近は足立区役所へ向かう人が多く利用するようになった。
北千住駅前の袋路ロータリーからバスは発車する。「キタロード1010(せんじゅう)」の商店街を走り、千住二丁目にて日光街道(国道4号)に右折する。あとはひたすら北を目指すのみである。
千住新橋で荒川を渡り、千住車庫のある梅田となる。東武伊勢崎線のガードをくぐり、右手に高層ビルが見えてくると足立区役所前となって多くの乗客が下車する。反対側の北千住駅行のバスは、7時30分から18時まで区役所構内にある庁舎前のバス停留所に立ち寄る形をとっている。
左手にホテルエンペラーのラブホテルを見て、環七通りと交差する。保木間交差点にて、竹の塚駅に立ち寄るため左折する。足立清掃工場行のバスは竹の塚駅に一旦寄って再び日光街道に戻るルートとなっている。
公団の開発した団地と公園の広がる沿線をバスは走り、バス停名にもなっている旧日光街道を横切って、竹の塚駅前のロータリーに入る。ロータリーでは下車のみが行われ、都バスの乗車バス停のみロータリーを出た所に置かれている。竹の塚駅は東武バスの縄張りであることがよく実感できる。その駅前のロータリーは、高層住宅でぐるりと駅前広場を取り囲むグルーピングを行っており、独特な雰囲気の空間を造っている。
竹の塚は「団地」と呼ばれる開発が昭和30年代の早い時期から行われた所であり、また、駅前放置自転車台数がワーストワンという記録を持つ所でもある。
再び保木間交差点から日光街道に戻り、さらに北を目指す。竹の塚駅・足立清掃工場間のバス便はガクッと減少してしまう。そして、左手に赤い帯を付けた真っ白で巨大なエントツが1本見えてきた。清掃工場の煙突である。バスは陸橋に上らず左の側道に入って、2車線の細い道路に左折する。しばらく走ると、右手に工場の建物が見えて、敷地内の操車場に入り、正面に巨大なエントツと巨大な建物が現れて終点となる。隣には老人センターが存在している。

上46 南千住汐入⇔上野松坂屋[都バスで東京発見]

上野から浅草をじっくり堪能して汐入まで結ぶ下町路線

上46 南千住汐入⇔上野松坂屋(経由)南千住駅入口・浅草寿町 南千住営業所

路線keyword:汐入の都営住宅,山谷界隈,浅草,浅草公園六区,狭路


かつては「迷路のまち」といわれるほと毛細血管のように細く曲がった道に木造住宅が密集する地域だったところが汐入(しおいり)である。しかし、近年の再開発によって高層住宅が建ち並ぶ団地に大変身した。そこへのアクセス路線である。
上野松坂屋前を出発すると、上野広小路のアブアブ、しのばずの池などの繁華街を走り抜け、JR線のガードをくぐって上野駅正面玄関を左に見て、浅草へ向け走って浅草通りをいく。仏壇仏具の問屋街が現れて下谷、合羽橋道具街が左手にちょこっと見えて菊屋橋、そして浅草寿町となる。
国際通りへ左折し、雷門前の商店街、昭和初期の大繁華街・浅草公園六区、花やしき遊園地を見て、言問通りへ右折する。するとすぐに2車線の狭い道路に左折し、商店街の中を走っていく。浅草のずいのずいまで堪能できる。江戸時代からの遊郭があった吉原の入口だったところが「吉原大門」で、これはバス停名にその名が残っている。路線バスの楽しみは、このように地域の歴史的な背景が停留所名に残っているところにある。大通りに出て、左手に黄色いシェル石油のスタンド前に1本だけ立っている「見返りの柳」の木を見ると、バスは右に曲がって山谷界隈に入っていく。見返りの柳とは吉原で遊んだ男どもが、帰るときにもう一度後ろを振り返って、余韻を名残惜しんでいくところから付けられた名称であるという。
山谷は、日本最大の日雇い労働者の街で、1泊2000円台の簡易宿泊所が軒を連ねている。道路横断者が後を絶えない。歩道にしゃがみ込み酒を飲んでいる者、日陰で寝っ転がっている者、日本の高度経済成長の国土建設を真に支えてきた人々である。泪橋(なみだばし)で明治通りと交差し、南千住駅となる。
JR線のガードをくぐらず右折すると、雰囲気ががらっと変わる。ガス会社のタンクが現れ、貨物のヤードが見えてJR貨物の隅田川駅となる。都立航空高専前を過ぎると、目の前に都営住宅の高層住宅群が忽然と現れ、バスはその中をしばらく走り、終点南千住汐入の操車場に到着する。かつては、ただただ空き地の広がる原っぱと、迷路のような昔ながらの下町の街並みが広がっていたところであり、あたりの様相は様変わりした。

王45 王子駅⇔北千住駅[都バスで東京発見]

荒川放水路と隅田川に挟まれた狭長な地域を走る路線

王45 王子駅⇔北千住駅(経由)王子五丁目・新田土手通り・千住桜木 北営業所

路線keyword:荒川放水路と隅田川,工場地帯,裏小段


つい最近(1996年執筆)までは王子駅・足立区役所間の運行であったが、平成8年に足立区役所が中央本町(最寄駅:東武伊勢崎線梅島駅)に移転したため、北千住駅に乗り入れるルートに変更された。
私の推測するところ、恐らくこの路線は荒川と隅田川に囲まれた地域に住む足立区民の区役所本庁舎への利便性を考えて設けられた路線であると思われる。本数が少ないし、通勤通学者は本数の多いJR王子駅や田端駅、日暮里駅へのバスを利用しているだろう。地図を眺めていても、両河川に囲まれているために土地がほとんど存在せず、またお互いの地域を結ぶ意味合いも感じられず、それほど需要が見込める路線だとは思えない。バスはいつ乗ってもたいてい座れるが、この地域間に用のある人にとっては、大変便利な路線である。
王子駅から途中の新田3丁目までは、王41系統と同じルートを走り、王41系統の補完的な役割を果たす。新田3丁目からこの路線は右折し、トーアスチールの工場前を通る。荒川土手が左手に現れ、土手に沿ってバスは走る。しらばくするとこのバスは、堤防の中程にある「裏小段」と呼ばれる水平な段のところの道路を走るようになり、千住桜木までその裏小段の部分を走っていく。
豊島橋バス停あたりになると、右手に公団豊島5丁目団地を背景にして隅田川が現れる。左に荒川、右に隅田川、この豊島橋バス停を利用する人は果たしているのだろうかと疑問に思う。
また、この豊島橋停留所付近は北区と足立区の区境が、この地域だけ隅田川ではなくせり出して荒川で線が引かれており、ちょっとした話題になったことがある。これは、荒川放水路完成以前の隅田川(当時の荒川本流)の川筋の名残で、水路は整備されたが、区境はそのまま残されたということである。川筋の形から「天狗の鼻」と呼ばれていた。
現在の荒川の岩淵水門より下流部は、開削によって19年の歳月をかけて昭和5年に完成した放水路であり、川筋や土手が整然としているのは人工河川だからである。それまでは現在の隅田川が荒川本流であり、下流では度々洪水を繰り返し、高潮による被害も続出していた。そこで、荒川放水路の建設が行われ、岩淵水門で荒川を荒川放水路と隅田川(旧荒川)とに分水させたのである。数年前までは隅田川という名前は正式な名称ではなかったが(国の登録上の話.庶民には放水路開削以前から隅田川と呼ばれて親しまれており、一般的には鐘淵中学校あたりの屈曲部より下流のことを隅田川と呼んでいた.)、現在は正式名称「隅田川」として建設省に登録されている。
荒川に架かる江北橋、扇大橋を横切る時だけ、川面を見ることができる。都市の川沿いの風景らしく、沿線には中小の工場や倉庫群が多く目に付く。土手の芝生の緑が心を和ませる。
西新井橋の手前でバスは右に折れ千住桜木となる。ここにはかつて、東京電力火力発電所の「お化け煙突」が立っていた。常磐線の車窓からこの煙突を眺めると、見る方向によって4本の煙突が姿を変える煙突だった。右側がその跡地である。
日光街道を横切ると北千住駅前の商店街に入り、正面にJRの駅ビルが見えると、終点北千住駅となる。道路は駅前で行き止まりとなっており、都内の大きな駅としては珍しい袋小路型の構造をした駅前である。

端44 北千住駅⇔駒込病院[都バスで東京発見]

荒川区町屋・東尾久界隈を走って北千住駅と田端駅・駒込病院を結ぶ路線

端44 北千住駅⇔駒込病院(経由)熊野前・田端駅 千住営業所

路線keyword:駒込病院,熊野前,尾久橋通り


全体的に捕らえどころのない地味な路線である。北千住駅から荒川区を通って田端駅・駒込病院までを結んでおり、荒川区の町屋、東尾久に住む住民にとっての生活路線でもある。
北千住駅を発車すると商店街を走り、千住二丁目で日光街道と横切る。バスは墨堤通りを西新井橋方面に向けて走る。かつてお化け煙突と呼ばれていた火力発電所のあった千住桜木の西新井橋南詰にて左折し、隅田川を尾竹橋で越える。
荒木田交差点にて右に曲がる。商店の続く2車線道を西に走っていく。右手に大きな原っぱが現れた。都立尾久の原公園と名付けられているが、この敷地には将来、文化教育施設の建設が予定されており、その建設までの暫定的な公園であるという看板が立てられている。
右手に都立医療技術短大が現れて、都電の走る熊野前となり、バスは左折して尾久橋通りを南下する。東尾久界隈を走り、田端新町一丁目の明治通りと交差する5差路の交差点で右折するが、明治通りに右折するのではなく、明治通りの南にある右前方の2車線道路へ入る。
田端新町、下田端を走り、陸橋を上って東北・上越新幹線とJR山手・京浜東北線を横切ってJR田端駅前となる。ここからは東43系統と同じルートを走り、急坂を上って右手に駒込病院が見えてくると、構内に入って終点となる。

草43 千住車庫⇔浅草雷門[都バスで東京発見]

浅草・三ノ輪・千住・梅田(千住車庫)を日光街道で結ぶ路線

草43 千住車庫⇔浅草雷門(経由)千住大橋・千束 千住営業所

路線keyword:浅草,日光街道,千住


休日には浅草への買物・行楽客を輸送するために本数がほぼ倍増する。
千住車庫を出発すると、梅田交差点より国道4号線・日光街道へ入ってすぐに荒川を千住新橋で渡る。左手を眺めると、地下鉄千代田線・JR常磐線・東武線の鉄橋が見え、時間が合えば電車の姿を捉えることができる。
幅広い日光街道にビルが多く立って千住界隈・日光街道の宿場町として賑わった地である。北千住駅はここから左に10分程歩いたところにある。バスは隅田川と荒川に囲まれた千住の街を縦断し、京成中組で京成線のガードをくぐり、左手に足立卸売市場を見て隅田川を千住大橋で渡る。
三ノ輪橋となる。都電のりばは右手奥の商店街を越えた住宅地のど真ん中にこじんまりと存在しており、日光街道からは「早稲田方面のりば」と書かれた看板のかかる路地を通り抜けて向かうことになる。
大関横丁で明治通りと交差し、地下鉄三ノ輪駅前となる。バスは左斜め前方の国際通りに入って南下し、竜泉、吉原に近い千束と通って右手に浅草ビューホテルが見えると浅草公園六区となる。左手には花やしき遊園地が一瞬顔を出す。浅草寿町にて左折し、右手にブルーの駒形橋が現れると再び左折して終点浅草雷門前となる。正面には赤い大提灯のぶら下がった雷門が建っており、その奥にはみやげ物店などが建ち並ぶ仲見世通りが続いている。

東43 荒川土手(江北橋下)⇔ 東京駅北口[都バスで東京発見]

下町・川の手地域からビジネス街まで南北に縦断する路線

東43 荒川土手(江北橋下)⇔東京駅北口(経由)田端駅・御茶ノ水駅 北営業所

路線keyword:荒川土手,工場地帯,旧山の手,東京大学,大手町ビジネス街,赤煉瓦駅舎,狭路


江北橋(足立区)より少し北側に入ったところに荒川土手操車所が存在する。「荒川土手」と言っても場所は広範囲にわたり、何処の荒川土手なのかを明記しないと場所がわからず、近年、バスの方向幕に括弧書きで(江北橋下)と記載されるようになった。
幅の狭い道路に面して操車所が設けられているので、バスが操車場に入るときは、道路に走る車を誘導員が止めてから、バックをして定位置に入る。東京駅北口行はそんな荒川土手操車所前から発車する。なお、荒川土手行のバスは、一つ手前の荒川土手(江北橋下)停留所で終点となり、荒川土手操車所前停留所までは乗車できない。
正面に荒川土手の堤防が現るとバスは左折し、首都高速川口線(C2)の高架下を走る。高速のジャンクション下にてバスは右に入って坂を登り江北橋を渡る。右手には首都高速王子線(仮称・未開通)の真新しい江北橋が見え、都会の密度の高い圧迫的な空間とは違う開放的な荒川土手が広がる。
宮城にて左折し、工場の多い地区を走っていく。この辺りの宮城・小台は荒川と隅田川に囲まれた交通不便な地域でもあり、この地域にとってこの路線はJR田端駅までのアクセスとして利用されている。その為に駒込病院までの便が多数存在している。右手に荒川遊園地の観覧車が見えると小台二丁目となり、工場地帯の狭路をくねりながらバスは走る。
小台橋で隅田川を渡ると荒川区・西尾久となり、両側に商店街が続くようになる。小台にて都電荒川線と交差するが、ここは小台という町名ではないのだが、何故か都電と都バスの停留所には「小台」と名付けられている。明治通りを横切って北区となり、JRの引き込み線踏切を越えて下田端となる。そして、突き当たりを左折すると、右手にJR東日本東京地域本社のビルを眺めて、JR山手線・京浜東北線を田端大橋の陸橋で越えると田端駅前となる。ここでかなりの乗客が下車する。
田端駅を出るとバスは下町低地から山の手台地に入り、切り通しの中を通り抜ける。動坂下で不忍通りと交差して、急坂を登ると都立駒込病院が右手に現れる。
この辺りから街路樹の緑が目立ちだし、イチョウ並木が続く文京区のお寺の多い地域を走っていく。そして、本駒込にて本郷通りに合流する。ここから本郷二丁目までは茶51系統と同じルートを走る。東京大学を左に見て、正門・赤門を通り越すと本郷三丁目となる。本郷二丁目からバスは右に曲がって、順天堂病院、東京医科歯科大学を左に見て、神田川と美しい聖橋を眺めながら橋を渡ると、御茶ノ水駅前となる。
楽器専門店やスキー専門店などが多く連なる学生街を徐々に下りながら、右手に明治大学を眺めて、三省堂書店本店が見えると駿河台下交差点となる。本屋街・神田神保町は右手すぐのところにある。
駿河台下を過ぎると、オフィス街の様相を呈するようになる。近代的なビルディングが建ち並んでいる。神田錦町にて上下線が別れ、東京では珍しい5車線の一方通行の道を走る。神田橋にて日本橋川を渡り、首都高神田橋ランプを通り過ぎる。右手には気象庁・消防庁等が存在する大手町合同庁舎が見え、ビジネス街の中心地・大手町となる。
右手に皇居のお濠と森が見えるとバスは左折する。大正3(1914)年にオランダのアムステルダム中央駅を参考にして辰野金吾が設計したルネサンス様式赤煉瓦駅舎・東京駅丸の内口の姿が見えると、終点東京駅北口となる。

東42乙 南千住⇔秋葉原駅[都バスで東京発見]

白髭橋から蔵前まで隅田川に沿って走り、南千住・秋葉原間を結ぶ路線

東42乙 南千住⇔秋葉原駅(経由)駒形橋 南千住営業所

路線keyword:隅田川橋梁群,隅田川リバーサイド,靴履物問屋街,玩具問屋街,浅草松屋前


東42甲系統と同じく、後ろにJR貨物線、営団地下鉄日比谷線南千住駅の高架駅舎を眺められる停留所から発車する。
泪橋交差点にて左折し、明治通りを東に走る。左手に丸いガスタンクが建ち並ぶ東京ガス工場を眺めて、白髭橋手前にてバスは右に曲がる。ここからは一方通行路となる。従って、往路と復路では運行ルートが違っており、南千住へ向かうバスは西に300m程行ったところにある北向きの一方通行路を走っていく。
バスは橋場、今戸といった隅田川のリバーサイド地区を走っていく。沿線は中小工業の集まる地域であり、毎年7月最終土曜日に開催される隅田川花火大会の時には、打ち上げ第1会場に近いことから大いに賑わう所でもある。隅田川の堤防といえば、かつてはコンクリート製の俗に言うカミソリ型堤防と呼ばれる無味乾燥としたもので水面を見ることが出来なかったが、隅田川の水質が向上したこともあって、近年では堤防の川側に散策路等のテラスを設けて水に親しめるように整備された堤防を多く目にするようになった。左手にはリバーサイドスポーツセンター、隅田公園が過ぎ去る。桜橋は左手奥に存在する。<説明>そして、言問橋西詰より江戸通り(国道6号)となって、花川戸の靴履物問屋街を走り、浅草松屋前・東武浅草駅となる。
秋葉原行のバスは浅草雷門前を通るルートとなる。上路アーチ橋である吾妻橋と金色の炎のオブジェを左手に見ると右折し、大きな赤い提灯のぶら下がる浅草雷門を右手に見ると左折し、浅草雷門停留所となる。本路線には、浅草雷門折返しとなる便が多数設定されている。
続いて中路アーチ橋である水色の駒形橋を左に見てバスは直進し、ビルの多くなった駒形を走っていく。厩橋交差点に差し掛かると、左手には下路アーチ橋である厩橋が現れバスはさらに直進する。玩具問屋街が現われて、かつては国技館が近くに存在していた都営地下鉄浅草線蔵前駅前となって、バスは蔵前一丁目交差点を右に曲がるのだが、左手を凝視しているとほんの一瞬だけ上路アーチ橋である蔵前橋を見ることができる。ここで隅田川とはお別れである。
ここで橋について少し触れておこう。橋梁は、自動車や歩行者の渡る通路を橋の側面から眺めた位置によって、上路橋・中路橋・下路橋の3種類に分けられている。つまり、通路が橋の上側にあるアーチ型の橋を「上路アーチ橋」、通路が橋の中央付近にあるアーチ橋を「中路アーチ橋」、通路が橋の下側にあるアーチ橋を「下路アーチ橋」と言う。中路アーチ橋や下路アーチ橋はバスの車内から眺めてみて、アーチ橋であることが一目で分かるが、上路アーチ橋の場合、道路がアーチの上側に設けられているので、川べりに行って橋の下側を眺めるか、川の上から橋を見上げないと、アーチの形を認識することは難しい。
隅田川に架かる6大橋(相生,永代,清洲,蔵前,駒形,言問)は関東大震災後の震災復興事業によって架け直されたもので、それぞれ異なった形式の橋をデザインし、現在でも東京の名所として有名な建造物である。
蔵前橋通りを東に走り、首都高速の高架道路が正面に見えてくると昭和通りへと左折する。しばらく高速の下を走ると、昭和通りにある終点秋葉原駅東口停留所に到着する。JR線の駅前からは少し離れており、駅東口はバスが向かっていた進行方向右手奥に存在している。
 

東42甲 南千住⇔東京駅八重洲口[都バスで東京発見]

江戸通りで様々な問屋街を走り抜ける路線

東42甲 南千住⇔東京駅八重洲口(経由)浅草松屋・浅草橋駅 南千住営業所

路線keyword:各種問屋街,日本橋,浅草,山谷地区,リバーピア吾妻橋の景観,江戸通り


南千住停留所は、後ろにJR貨物線、営団地下鉄日比谷線南千住駅の高架駅舎を眺められるフェンス脇に存在する。隣に南千住車庫があり、車庫の上には都営南千住二丁目アパートが建っており、バスはその車庫からやってきて、南千住を後にする。
泪橋交差点で明治通りを横切ると、バスは山谷通りを南に走り、山谷地区にさしかかる。山谷は戦後、「ドヤ街」とも「日雇い労働者の街」とも呼ばれ、労働者のための簡易旅館街が形成されている所である。日雇い労働者は日本の高度成長や社会基盤整備を支えてきた人々であり、日本の繁栄はこの人々によって築かれたと言ってもよい。街は決して清潔とは言えず、ゴミが散らかり、横断歩道などお構いなしに道路を横断する人が後を絶えない。そして、清川二丁目となる。
山谷地区を過ぎて、中小皮革業者の多い地域である東浅草、今戸となる。バスは言問橋西詰より江戸通り(国道6号)となって、靴・下駄・草履などの靴履物問屋街が広がる花川戸を走る。本沿線最初の問屋街である。靴・履物がズラリと並べられた靴屋が続いていく。そして、浅草松屋前・東武浅草駅となる。
左手には、隅田川に架かる吾妻橋と、建設省主催による都市景観100選に選ばれた「リバーピア吾妻橋周辺地区」の景観である、墨田区役所とアサヒビール本社、炎のオブジェ等が眺められる。続いて、水色のアーチ型をした駒形橋が現れ、バスは江戸通りを直進する。
厩橋交差点を過ぎると蔵前となり、おもちゃ・ゲーム・花火・鯉のぼりなどを扱う玩具問屋街と五月人形などを扱う人形問屋街となるが、全て玩具などの問屋とは限らず、文具・造花などの問屋もある。そして、浅草橋駅となる。
浅草橋駅を過ぎても問屋街は続く。屋形船の浮かぶ神田川を浅草橋で渡ると、左手には神田川と隅田川の合流地点に架かる柳橋の小さなアーチ橋が見える。
浅草橋交差点で右前方へ進むと日本橋馬喰町となり、洋品・雑貨問屋街、タオル・靴下・紳士婦人服・呉服・生地などを扱う木綿・繊維問屋街が日本橋小伝馬町あたりまで続く。馬喰町には大規模な問屋街が商店街のように形成されている。続いて、日本橋本町(JR総武本線新日本橋駅)あたりには、製薬会社が集まる薬品問屋街が広がる。それ以外にも一歩路地裏に入ると、紙問屋街、金物問屋街、日本橋小伝馬町から日本橋人形町にかけては呉服問屋街が広がり、この周辺は卸売問屋が集中している地域である。
ここの町名には「日本橋○○町」というように、日本橋を冠した町名が多い。日本橋は江戸時代から栄えていた商業の中心地であり、明治維新後も日本の経済の中枢として繁栄してきた所である。昭和22(1947)年に日本橋区と京橋区が合併して現在の中央区が成立したが、「中央」と名付けられたのもそのためである。
バスは中央通りに左折し、右手にはライオン像が入口に構える日本橋三越本店が現れる。明治5(1872)年に日本道路元標として定められた日本橋を渡り、同時に高速道路の下をくぐり抜け、ビルの建ち並ぶ中央通りを走る。土日祝祭日には、中央通りが歩行者天国になるので、本系統は???前へ迂回運行となる。
左手に東急百貨店を見て、日本橋交差点を右折し、呉服橋にて左折して、右手に東京駅の大丸デパートが見えると、終点東京駅八重洲口に到着する。

草41 足立梅田町⇔浅草寿町[都バスで東京発見]

浅草と梅田町を結ぶ地域住民路線

草41 足立梅田町⇔浅草寿町(経由)町屋駅・中入谷 千住営業所

路線keyword:梅田町,浅草,尾竹橋通り,狭路


浅草を起終点となるバスの中でもループ運行をしない路線である。浅草郵便局近くの国際通りにある浅草寿町バス停から発車する。足立区梅田町では細く曲がりくねった道路を走ることからなのか、ひと回り小さなバスで運行されている。
次の浅草一丁目バス停で大勢の客を乗せ、国際通りを北に進む。左手に浅草ビューホテルが現れて浅草公園六区を過ぎ、西浅草三丁目で言問通りに左折する。入谷二丁目バス停を過ぎると、料理器具等の飲食店で使用する道具を扱う専門店が約200店ほど連なっている合羽橋道具街・かっぱ橋通りと交差する。道具街は左手方向に約1km続いている。
入谷にて日光街道を横切ると、左手には、毎年7月6日~8日に朝顔市が開催される入谷鬼子母神が現れる。そして、鶯谷駅前停留所となる。「駅前」といっても、駅前からは少し離れた所に位置する。バスは右折して尾竹橋通りへと入る。少し走ると、左前方に別れる道が存在するが、あちらは尾久橋通りとなって北へ伸びている。尾久橋、尾竹橋とは隅田川に架かる橋の名前であるが、似たような名前で紛らわしい。このバスは尾竹橋通りを北上する。
住宅が密集し、そして商店が続く2車線の道を走っていく。JR線三河島駅を通り、宮地交差点で明治通りの陸橋下を横切り、町屋の商店街が続くようになると地下鉄千代田線町屋駅前となる。都電も走っているが、かつての早稲田方面の都電のりばは、レコード屋や売店などが長屋になって密集した店先が乗り場となっていて、昔ながらの下町風情を十分に味わえる貴重な雰囲気を醸し出していた。ところが最近、市街地再開発事業によって駅ビル・センターまちやを備えた高層ビルに生まれ変わり、都電乗り場もきれいに整備されてしまった。防災や居住環境といった視点からは問題点のある地域だったのだろうが、あの都電乗り場がなくなってしまったかと思うとなんだか心惜しい気もする。
一本松バス停まで商店街が長く続く。どの川に架かる橋も渋滞のため通過するのに時間がかかる。ここも例外ではなく、隅田川の尾竹橋、そして千住桜木の先にある荒川の西新井橋を渡るためによく渋滞する。
高速道路のピンク色の高架橋を前方に眺め、西新井橋北詰にてバスは右折し、土手を下って梅田町に入る。歩道が存在しない二車線の狭路となる。緩やかなくねくねしたカーブが続く。バスの折返し所が住宅地の中に現れると、終点足立梅田町に到着する。歩いて5分程のところに東武線梅島駅がある。

王41 王子駅⇔新田一丁目[都バスで東京発見]

王子駅と新田地区を結ぶ路線

王41 王子駅⇔新田一丁目(経由)王子五丁目・新田橋 北営業所

路線keyword:新田町,超狭路


王子駅と豊島七・八丁目、及び隅田川と荒川とに囲まれた新田とを結ぶ生活路線であり、さらに、登校日の朝夕の通学時間帯には沿線のマンモス女子高に通う学生で車内が満員になる路線でもある。距離が短いためなのか、正面方向幕の表示が「王41 王子駅-新田一丁目」となっており、往路復路で正面方向幕の変化がない。
王子駅から北本通りを王子二丁目・三丁目・四丁目と北上する。王子消防署前の交差点を右折し、ここから新田橋までは、上下線のルートが一致しない。豊島七丁目のバス停を出発するとバスは左折し、バスがやっと通れるような一方通行の狭路に入る。しばらくすると狭路のクライマックスがやってくる。バスは左に曲がったかと思うとまたすぐに右に曲がり、城下町に残る鍵型十字路のようなルートを走る。その交差点の左隅には、左折時におけるバスの民家接触防止を目的としたコンクリートの塊が置かれている。左側の窓際に座って真下をのぞいていると見つけることができる。王子駅行方面の場合は狭路の商店街(庚申通り商店街)の中を走り、買い物客や自転車などが道路を横切る中、速度を落としてバスは走っている。
隅田川を新田橋で渡ると、足立区新田地区となる。新田三丁目で王45系統は右折して別れてしまい、このバスは直進する。環七通りを横切って、正面に隅田川の無機質な堤防が現れると道は行き止まりとなり、そこにバスの折り返し所、新田一丁目停留所があり、バス誘導員のための小屋がぽつんと建っている。

王40乙 王子駅⇔豊島循環[都バスで東京発見]

王子・豊島を一周する循環路線

王40乙 王子駅⇔豊島循環(経由)トンボ鉛筆 北営業所

路線keyword:豊島町,王子町,トンボ鉛筆


午前(通勤)便と午後(帰宅)便で、逆回りとなる循環路線である。この路線は、豊島六丁目・王子駅間の朝ラッシュ時における乗客の取り残しを防止するのに一役買っている。
豊島六丁目・王子駅間はバス渋滞が著しいことから、朝の時間帯に限って原則的にバス専用道路となる2車線道路の区間である。西新井駅からやってくる王40系統、豊島五丁目団地始発の王57系統が王子駅方面に向けて頻繁に走っているのだが、いずれも既に満員になって通過してしまうことが多く、その為に江北・豊島五丁目団地方面からの乗客が乗っていない豊島循環路線は、豊島六・四・三丁目から乗ってくる乗客にとって有り難い路線である。午後便は帰宅客が分散するので、車内は比較的空いている。
午前便について記載する。
王子駅にてバスターミナルを発車すると、王子二丁目、王子三丁目、王子四丁目と北本通りを北上し、王子消防署前の交差点を右折する。成徳学園の女子高生が下車し、車内にはひとときのゆとりが生まれる。
鉛筆でお馴染みのトンボ鉛筆の工場前を通り、豊島五丁目交差点で右折する。王40・王57系統は正面からやってきて合流する。バス専用道路を豊島六丁目、四丁目、三丁目と走り、乗客を次々と乗せる。道路が広くなって豊島二丁目となり、溝田橋交差点から明治通りとなって、終点王子駅前停留所に到着する。降車場所はバスターミナルではなく、王57系統の赤羽駅東口行のりばとなる。

王40丙 王子駅⇔宮城循環[都バスで東京発見]

宮城地区を循環して王子駅まで戻る王40系統の補助的路線

王40丙 王子駅⇔宮城循環(経由)宮城都営住宅 北営業所

路線keyword:宮城町,豊島五丁目団地


王子駅から宮城2丁目までは王40系統と同じ路線を走る.隅田川を渡ると一旦左折して宮城2丁目停留所となるが,荒川の江北橋陸橋へは上らず,下の側道を走って180度旋回し,同じ交差点に戻って宮城町方面へと向かう.右回りで宮城町をぐるりと周り再び宮城2丁目に戻って王子駅へと帰っていく.