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東42乙 南千住⇔秋葉原駅[都バスで東京発見]

白髭橋から蔵前まで隅田川に沿って走り、南千住・秋葉原間を結ぶ路線

東42乙 南千住⇔秋葉原駅(経由)駒形橋 南千住営業所

路線keyword:隅田川橋梁群,隅田川リバーサイド,靴履物問屋街,玩具問屋街,浅草松屋前


東42甲系統と同じく、後ろにJR貨物線、営団地下鉄日比谷線南千住駅の高架駅舎を眺められる停留所から発車する。
泪橋交差点にて左折し、明治通りを東に走る。左手に丸いガスタンクが建ち並ぶ東京ガス工場を眺めて、白髭橋手前にてバスは右に曲がる。ここからは一方通行路となる。従って、往路と復路では運行ルートが違っており、南千住へ向かうバスは西に300m程行ったところにある北向きの一方通行路を走っていく。
バスは橋場、今戸といった隅田川のリバーサイド地区を走っていく。沿線は中小工業の集まる地域であり、毎年7月最終土曜日に開催される隅田川花火大会の時には、打ち上げ第1会場に近いことから大いに賑わう所でもある。隅田川の堤防といえば、かつてはコンクリート製の俗に言うカミソリ型堤防と呼ばれる無味乾燥としたもので水面を見ることが出来なかったが、隅田川の水質が向上したこともあって、近年では堤防の川側に散策路等のテラスを設けて水に親しめるように整備された堤防を多く目にするようになった。左手にはリバーサイドスポーツセンター、隅田公園が過ぎ去る。桜橋は左手奥に存在する。<説明>そして、言問橋西詰より江戸通り(国道6号)となって、花川戸の靴履物問屋街を走り、浅草松屋前・東武浅草駅となる。
秋葉原行のバスは浅草雷門前を通るルートとなる。上路アーチ橋である吾妻橋と金色の炎のオブジェを左手に見ると右折し、大きな赤い提灯のぶら下がる浅草雷門を右手に見ると左折し、浅草雷門停留所となる。本路線には、浅草雷門折返しとなる便が多数設定されている。
続いて中路アーチ橋である水色の駒形橋を左に見てバスは直進し、ビルの多くなった駒形を走っていく。厩橋交差点に差し掛かると、左手には下路アーチ橋である厩橋が現れバスはさらに直進する。玩具問屋街が現われて、かつては国技館が近くに存在していた都営地下鉄浅草線蔵前駅前となって、バスは蔵前一丁目交差点を右に曲がるのだが、左手を凝視しているとほんの一瞬だけ上路アーチ橋である蔵前橋を見ることができる。ここで隅田川とはお別れである。
ここで橋について少し触れておこう。橋梁は、自動車や歩行者の渡る通路を橋の側面から眺めた位置によって、上路橋・中路橋・下路橋の3種類に分けられている。つまり、通路が橋の上側にあるアーチ型の橋を「上路アーチ橋」、通路が橋の中央付近にあるアーチ橋を「中路アーチ橋」、通路が橋の下側にあるアーチ橋を「下路アーチ橋」と言う。中路アーチ橋や下路アーチ橋はバスの車内から眺めてみて、アーチ橋であることが一目で分かるが、上路アーチ橋の場合、道路がアーチの上側に設けられているので、川べりに行って橋の下側を眺めるか、川の上から橋を見上げないと、アーチの形を認識することは難しい。
隅田川に架かる6大橋(相生,永代,清洲,蔵前,駒形,言問)は関東大震災後の震災復興事業によって架け直されたもので、それぞれ異なった形式の橋をデザインし、現在でも東京の名所として有名な建造物である。
蔵前橋通りを東に走り、首都高速の高架道路が正面に見えてくると昭和通りへと左折する。しばらく高速の下を走ると、昭和通りにある終点秋葉原駅東口停留所に到着する。JR線の駅前からは少し離れており、駅東口はバスが向かっていた進行方向右手奥に存在している。
 

東42甲 南千住⇔東京駅八重洲口[都バスで東京発見]

江戸通りで様々な問屋街を走り抜ける路線

東42甲 南千住⇔東京駅八重洲口(経由)浅草松屋・浅草橋駅 南千住営業所

路線keyword:各種問屋街,日本橋,浅草,山谷地区,リバーピア吾妻橋の景観,江戸通り


南千住停留所は、後ろにJR貨物線、営団地下鉄日比谷線南千住駅の高架駅舎を眺められるフェンス脇に存在する。隣に南千住車庫があり、車庫の上には都営南千住二丁目アパートが建っており、バスはその車庫からやってきて、南千住を後にする。
泪橋交差点で明治通りを横切ると、バスは山谷通りを南に走り、山谷地区にさしかかる。山谷は戦後、「ドヤ街」とも「日雇い労働者の街」とも呼ばれ、労働者のための簡易旅館街が形成されている所である。日雇い労働者は日本の高度成長や社会基盤整備を支えてきた人々であり、日本の繁栄はこの人々によって築かれたと言ってもよい。街は決して清潔とは言えず、ゴミが散らかり、横断歩道などお構いなしに道路を横断する人が後を絶えない。そして、清川二丁目となる。
山谷地区を過ぎて、中小皮革業者の多い地域である東浅草、今戸となる。バスは言問橋西詰より江戸通り(国道6号)となって、靴・下駄・草履などの靴履物問屋街が広がる花川戸を走る。本沿線最初の問屋街である。靴・履物がズラリと並べられた靴屋が続いていく。そして、浅草松屋前・東武浅草駅となる。
左手には、隅田川に架かる吾妻橋と、建設省主催による都市景観100選に選ばれた「リバーピア吾妻橋周辺地区」の景観である、墨田区役所とアサヒビール本社、炎のオブジェ等が眺められる。続いて、水色のアーチ型をした駒形橋が現れ、バスは江戸通りを直進する。
厩橋交差点を過ぎると蔵前となり、おもちゃ・ゲーム・花火・鯉のぼりなどを扱う玩具問屋街と五月人形などを扱う人形問屋街となるが、全て玩具などの問屋とは限らず、文具・造花などの問屋もある。そして、浅草橋駅となる。
浅草橋駅を過ぎても問屋街は続く。屋形船の浮かぶ神田川を浅草橋で渡ると、左手には神田川と隅田川の合流地点に架かる柳橋の小さなアーチ橋が見える。
浅草橋交差点で右前方へ進むと日本橋馬喰町となり、洋品・雑貨問屋街、タオル・靴下・紳士婦人服・呉服・生地などを扱う木綿・繊維問屋街が日本橋小伝馬町あたりまで続く。馬喰町には大規模な問屋街が商店街のように形成されている。続いて、日本橋本町(JR総武本線新日本橋駅)あたりには、製薬会社が集まる薬品問屋街が広がる。それ以外にも一歩路地裏に入ると、紙問屋街、金物問屋街、日本橋小伝馬町から日本橋人形町にかけては呉服問屋街が広がり、この周辺は卸売問屋が集中している地域である。
ここの町名には「日本橋○○町」というように、日本橋を冠した町名が多い。日本橋は江戸時代から栄えていた商業の中心地であり、明治維新後も日本の経済の中枢として繁栄してきた所である。昭和22(1947)年に日本橋区と京橋区が合併して現在の中央区が成立したが、「中央」と名付けられたのもそのためである。
バスは中央通りに左折し、右手にはライオン像が入口に構える日本橋三越本店が現れる。明治5(1872)年に日本道路元標として定められた日本橋を渡り、同時に高速道路の下をくぐり抜け、ビルの建ち並ぶ中央通りを走る。土日祝祭日には、中央通りが歩行者天国になるので、本系統は???前へ迂回運行となる。
左手に東急百貨店を見て、日本橋交差点を右折し、呉服橋にて左折して、右手に東京駅の大丸デパートが見えると、終点東京駅八重洲口に到着する。

草41 足立梅田町⇔浅草寿町[都バスで東京発見]

浅草と梅田町を結ぶ地域住民路線

草41 足立梅田町⇔浅草寿町(経由)町屋駅・中入谷 千住営業所

路線keyword:梅田町,浅草,尾竹橋通り,狭路


浅草を起終点となるバスの中でもループ運行をしない路線である。浅草郵便局近くの国際通りにある浅草寿町バス停から発車する。足立区梅田町では細く曲がりくねった道路を走ることからなのか、ひと回り小さなバスで運行されている。
次の浅草一丁目バス停で大勢の客を乗せ、国際通りを北に進む。左手に浅草ビューホテルが現れて浅草公園六区を過ぎ、西浅草三丁目で言問通りに左折する。入谷二丁目バス停を過ぎると、料理器具等の飲食店で使用する道具を扱う専門店が約200店ほど連なっている合羽橋道具街・かっぱ橋通りと交差する。道具街は左手方向に約1km続いている。
入谷にて日光街道を横切ると、左手には、毎年7月6日~8日に朝顔市が開催される入谷鬼子母神が現れる。そして、鶯谷駅前停留所となる。「駅前」といっても、駅前からは少し離れた所に位置する。バスは右折して尾竹橋通りへと入る。少し走ると、左前方に別れる道が存在するが、あちらは尾久橋通りとなって北へ伸びている。尾久橋、尾竹橋とは隅田川に架かる橋の名前であるが、似たような名前で紛らわしい。このバスは尾竹橋通りを北上する。
住宅が密集し、そして商店が続く2車線の道を走っていく。JR線三河島駅を通り、宮地交差点で明治通りの陸橋下を横切り、町屋の商店街が続くようになると地下鉄千代田線町屋駅前となる。都電も走っているが、かつての早稲田方面の都電のりばは、レコード屋や売店などが長屋になって密集した店先が乗り場となっていて、昔ながらの下町風情を十分に味わえる貴重な雰囲気を醸し出していた。ところが最近、市街地再開発事業によって駅ビル・センターまちやを備えた高層ビルに生まれ変わり、都電乗り場もきれいに整備されてしまった。防災や居住環境といった視点からは問題点のある地域だったのだろうが、あの都電乗り場がなくなってしまったかと思うとなんだか心惜しい気もする。
一本松バス停まで商店街が長く続く。どの川に架かる橋も渋滞のため通過するのに時間がかかる。ここも例外ではなく、隅田川の尾竹橋、そして千住桜木の先にある荒川の西新井橋を渡るためによく渋滞する。
高速道路のピンク色の高架橋を前方に眺め、西新井橋北詰にてバスは右折し、土手を下って梅田町に入る。歩道が存在しない二車線の狭路となる。緩やかなくねくねしたカーブが続く。バスの折返し所が住宅地の中に現れると、終点足立梅田町に到着する。歩いて5分程のところに東武線梅島駅がある。

王41 王子駅⇔新田一丁目[都バスで東京発見]

王子駅と新田地区を結ぶ路線

王41 王子駅⇔新田一丁目(経由)王子五丁目・新田橋 北営業所

路線keyword:新田町,超狭路


王子駅と豊島七・八丁目、及び隅田川と荒川とに囲まれた新田とを結ぶ生活路線であり、さらに、登校日の朝夕の通学時間帯には沿線のマンモス女子高に通う学生で車内が満員になる路線でもある。距離が短いためなのか、正面方向幕の表示が「王41 王子駅-新田一丁目」となっており、往路復路で正面方向幕の変化がない。
王子駅から北本通りを王子二丁目・三丁目・四丁目と北上する。王子消防署前の交差点を右折し、ここから新田橋までは、上下線のルートが一致しない。豊島七丁目のバス停を出発するとバスは左折し、バスがやっと通れるような一方通行の狭路に入る。しばらくすると狭路のクライマックスがやってくる。バスは左に曲がったかと思うとまたすぐに右に曲がり、城下町に残る鍵型十字路のようなルートを走る。その交差点の左隅には、左折時におけるバスの民家接触防止を目的としたコンクリートの塊が置かれている。左側の窓際に座って真下をのぞいていると見つけることができる。王子駅行方面の場合は狭路の商店街(庚申通り商店街)の中を走り、買い物客や自転車などが道路を横切る中、速度を落としてバスは走っている。
隅田川を新田橋で渡ると、足立区新田地区となる。新田三丁目で王45系統は右折して別れてしまい、このバスは直進する。環七通りを横切って、正面に隅田川の無機質な堤防が現れると道は行き止まりとなり、そこにバスの折り返し所、新田一丁目停留所があり、バス誘導員のための小屋がぽつんと建っている。

王40乙 王子駅⇔豊島循環[都バスで東京発見]

王子・豊島を一周する循環路線

王40乙 王子駅⇔豊島循環(経由)トンボ鉛筆 北営業所

路線keyword:豊島町,王子町,トンボ鉛筆


午前(通勤)便と午後(帰宅)便で、逆回りとなる循環路線である。この路線は、豊島六丁目・王子駅間の朝ラッシュ時における乗客の取り残しを防止するのに一役買っている。
豊島六丁目・王子駅間はバス渋滞が著しいことから、朝の時間帯に限って原則的にバス専用道路となる2車線道路の区間である。西新井駅からやってくる王40系統、豊島五丁目団地始発の王57系統が王子駅方面に向けて頻繁に走っているのだが、いずれも既に満員になって通過してしまうことが多く、その為に江北・豊島五丁目団地方面からの乗客が乗っていない豊島循環路線は、豊島六・四・三丁目から乗ってくる乗客にとって有り難い路線である。午後便は帰宅客が分散するので、車内は比較的空いている。
午前便について記載する。
王子駅にてバスターミナルを発車すると、王子二丁目、王子三丁目、王子四丁目と北本通りを北上し、王子消防署前の交差点を右折する。成徳学園の女子高生が下車し、車内にはひとときのゆとりが生まれる。
鉛筆でお馴染みのトンボ鉛筆の工場前を通り、豊島五丁目交差点で右折する。王40・王57系統は正面からやってきて合流する。バス専用道路を豊島六丁目、四丁目、三丁目と走り、乗客を次々と乗せる。道路が広くなって豊島二丁目となり、溝田橋交差点から明治通りとなって、終点王子駅前停留所に到着する。降車場所はバスターミナルではなく、王57系統の赤羽駅東口行のりばとなる。

王40丙 王子駅⇔宮城循環[都バスで東京発見]

宮城地区を循環して王子駅まで戻る王40系統の補助的路線

王40丙 王子駅⇔宮城循環(経由)宮城都営住宅 北営業所

路線keyword:宮城町,豊島五丁目団地


王子駅から宮城2丁目までは王40系統と同じ路線を走る.隅田川を渡ると一旦左折して宮城2丁目停留所となるが,荒川の江北橋陸橋へは上らず,下の側道を走って180度旋回し,同じ交差点に戻って宮城町方面へと向かう.右回りで宮城町をぐるりと周り再び宮城2丁目に戻って王子駅へと帰っていく.

王40甲 池袋駅東口⇔西新井駅[都バスで東京発見]

都内北部の交通不便な地域を走る乗客数の多い通勤通学路線

王40甲 池袋駅東口⇔西新井駅(経由)王子駅・荒川土手 北営業所

路線keyword:車内混雑,飛鳥山,明治通り,狭道,都電と併走


ビックカメラ正面の池袋駅東口バス乗り場には、いつも長蛇の列ができている。先発のバスが満員になっていなくても、次のバスに乗る乗客が多い。この路線は北区・足立区の鉄道の便の良くない地域を走るため、その地域に行く人はバスに頼らざるを得ない。そこで池袋からの長い道中、座っていこうと考える乗客が多いのである。座るためには最低1本、混雑時には2本以上のバスを待つ覚悟が必要である。
池袋を出発すると、バスは三越の裏手を走り、明治通りに入る。豊島区役所を右手に見て、池袋六ツ又陸橋交差点を過ぎ、JR山手線を跨ぐ。王子までは緩い坂を上り下りしながら明治通りを直進する。上池袋、西巣鴨、滝野川、そして正面に緑の茂みが見えると飛鳥山に突き当たる。西巣鴨から飛鳥山までは首都高速建設の高架工事を行っており、将来は道路の真ん中に高速道路が覆い被さることだろう。バスは左折し、運が良ければ都内唯一残った都電との併走が見られる。都電は車に押され気味に、そろりそろりと気を使いながら走っている。左手に昭和5年に架けられたクラシックな音無橋、右手に飛鳥山を眺めながら、大きなカーブと急なくだり坂を走り、JR京浜東北線のガードをくぐり抜けて王子駅前となる。
さらに乗客を乗せ、バスは2車線の狭い道を走る。この区間はバスの本数が多く、追い越し車線がないため、朝夕のラッシュ時はバス渋滞が発生し、そのために朝はバス専用道路となっている。豊島二丁目、三丁目、四丁目、六丁目と豊島のオンパレードを過ぎると公団の豊島五丁目団地が突然現れる。ここはかつての日産化学工業の王子工場であり、跡地を団地開発したところである。左手には団地群が、右手には日本出版の流通センターや日本油脂の工場がある。この路線は両方向とも混雑していることが多い。朝の場合、ここに居住する人が駅に向かって乗車し、逆に工場や職場に向かう通勤者が駅から職場に向かって利用する。夕方はその逆パターンとなる。両方向とも混雑するのはその為である。
豊島五丁目団地を出ると、新豊島橋で隅田川を渡り、江北橋で荒川放水路を渡る。左手には首都高速中央環状線の2層構造の江北橋が見える。橋の中央部分は一般道の江北橋と同じアーチが取り付けられており、さながら親子といった感じである。
荒川土手の停留所を過ぎると、バスは右折し、再び狭い2車線の道路に入る。密集した地域の中に、東43系統折り返しのための荒川土手操車所があり、発車待ちのバスが数台停車している。さっき通った豊島二丁目から五丁目間の2車線道路とは違って、この道路には歩行者専用の歩道がなく、電柱の存在が更に道路を狭くしているので、お互いの大型バスがすれ違うときは運転手同士の連携と相互の譲り合いが欠かせない。出会った場所が悪いときは最徐行しながらすれ違う。乗客のおばあさんが、「この辺りは戦争で焼けなかったから道が狭いのよ」と教えてくれた。地図を眺めると、バス通り以外の道路は区画整理がされていない曲がった道が多く存在していた。江北四丁目にて尾久橋通りと交差する。尾久橋通りには新交通システム(日暮里-舎人間)が開通することになっている。それが開通すれば、本路線の混雑が多少は緩和されるに違いない。阿弥陀橋停留所を過ぎ、環七通りに出ると古くから川崎大師とともに厄除開運の霊場として有名だった西新井大師前停留所となる。本道は左手に少し入ったところに存在する。そして、東武線を跨ぐ陸橋の手前でバスは左の車線に入り、線路を越えずに一方通行の道を走ると終点西新井駅となる。

平成12年12月より、池袋駅から豊島五丁目団地間に急行バスが登場した。

日本橋高島屋の特別食堂とエレベーター【東京考察#33】

The ‘special dining-room’ and a ‘elevator’ at Nihonbashi TAKASHIMAYA

 


 日本橋にある高島屋。重厚な建物の中に入ると、高級感あふれる大人のデパートといった感じがひしひしと伝わってくる。ジーパンでお買い物がしづらい雰囲気である。休みの日になると(夫が働いている平日の昼にグループで来る人が多いという)、マダムたちがお目当ての高級ブランドを求めてお買い物をし、さらに4階にある「特別食堂」で昼食をとるのがパターンとなっている。
日本橋高島屋には、6階に「お好み食堂」というのがあって、こちらは普通の大衆的な値段(といっても最低でも1000円前後はするだろう)の食事が味わえる。一方で、4階に「特別食堂」などという昭和初期の戦後を思わせるような陳腐的なネーミング(それがかえって良い)の食堂がある。なにが特別かって、メニューが特別なのである。安くても3500円程度の懐石弁当であり、8000円のコースまであるブルジョワジーの食堂である。
照明の落とされた入り口を通ると、クロークに鞄やコートを預け、人数を係りの人間に伝える。机と椅子が並べられている待合室でメニューを見ながら名前が呼ばれるのを待ち、独特のかけ声で名前が呼ばれると席へと案内される。洋食の帝国ホテル、和風割烹の三宮、うなぎの野田岩の3店が入っているが、同じフロアーでそれぞれの料理を注文することができる。まわりを見渡すと、お金持ちそうなマダムたち、ご夫婦、ご家族連れと、みんなみんな上品に見えるから不思議である。おすすめ料理として、うなぎのかさね重(3900円)というのがあり、上段に蒲焼き(天然物であろう)、下段に白焼き(炭火で焼いただけのもの。わさびと醤油で食べる)が入っている膳がある。茶托のついたお茶が3杯も交換された。一度おためしあれ。


特別食堂(4階)入り口


入り口のメニューの一部


懐石弁当(3500円)


もうひとつ、老舗の日本橋高島屋には面白いものがある。それは、かなり年代物の「エレベーター」である。エレベーターの扉は、外側と内側に2枚あるのであるが、内側の扉が真鍮の檻のような格子でできており、じゃらじゃらと音を立てて扉(と言えるのだろうか)を閉めるのである。かつては、日本橋三越や池袋三越にもあったが、メンテナンスが大変であるとのことで、三越では透明なガラス張りの近代的なエレベーターに変えられてしまった。そういった点で、高島屋はえらい! もうちょっと前までは、違った種類の古いエレベーターがあったように思うが、そちらの方はなくなってしまったようである。回数を表示する部分がランプではなく、時計の針のような矢印で表示していた。これらのエレベーターは、世界で最初にエレベーターを発明した「OTIS オーチス」社製のものである。運転はエレベーターガールによって行われ、ハンドルを倒すと扉が閉まり、左に回すと上へ、右に回すと下へ動き出す。ハンドルをあげると次の階で停止するようになっている。


古参のオーチス製エレベーター


エレベーターの扉(内側)


運転ハンドル

それでは、みなさま、ごきげんよう。

草39 金町駅⇔浅草寿町(上野松坂屋)[都バスで東京発見]

上野・浅草から国道6号・水戸街道をただひたすら走る路線

草39 金町駅⇔浅草寿町(上野松坂屋)(経由)青戸車庫・東向島広小路 青戸支所

路線keyword:雷門の大提灯,国道6号・水戸街道


上野松坂屋から浅草寿町までは、平日の日中のみの運転となり本数が少ない。上野松坂屋から浅草寿町までは上46系統と同じルートを走る。
寿町を発車し、雷門の大提灯、東武浅草駅、水上バスのりばを見て、吾妻橋で隅田川を渡る。墨田区役所を過ぎて三ッ目通りへ左折する。言問橋より国道6号・水戸街道となり、あとはひたすら水戸街道を金町向けて走っていくのみである。
向島界隈の下町を走り、東武博物館のある東向島で東武線のガードをくぐって、四ツ木橋で荒川を渡る。国道6号沿いとあって、環七通り同様、中古車販売のディーラーやファミリーレストランが多く目に付く単調な風景が続く。
青戸車庫を過ぎ、中川を渡り、踏切を越えて、左折。また京成線の踏切を渡り、線路に沿って走ると、終点金町駅となる。

墨38 東京都リハビリテーション病院⇔両国駅[都バスで東京発見]

防災高層住宅が立ちはだかるリハビリテーション病院への通院路線

墨38 東京都リハビリテーション病院⇔両国駅(経由)業平橋駅・本所1丁目 千住営業所・青戸支所

路線keyword:東京都リハビリテーョン病院,白髭東住宅,江東地区防災拠点(白髭東地区)


この路線は東京都リハビリテーション病院への通院を目的に近年開設された路線である。その為なのか、19時になると早々とバスは走らなくなる。

両国-本所吾妻橋 未乗

浅草通りを業平橋で左折し、曳舟方面へ走る。東武線曳舟駅前を通過し、曳舟川交差点で左折して明治通りへと入る。
左手には、文化元年(1804年)に商人や文人らが梅樹を寄付したことによって開園した向島百花園が眺められ、前方に壁のような団地群が現れてくる。バスは白ひげ橋東交差点にて右折したいのだが、右折禁止交差点なので、一旦ひとつ先の信号まで進み、Uターンをして反対車線の左折専用道路に入る、面倒なルートを走る。
左手には白髭東住宅の高層住宅が壁のように立ちはだかっている。ここは江東地区防災拠点の指定を受けた白髭東地区であり、大災害時に高層住宅東側の住宅密集地で起きた火災を高層住宅西側にある避難活動場所である東白髭公園への延焼を防ぐため、高層住宅を10棟横につなぎ合わせて防災壁を作ったのである。この団地は、火災発生時は住棟間の隙間を鉄の扉で締めて火の手が広がらないようにし、壁が赤色に塗られている5階では、災害時のベース拠点として機能するために廊下が他の階よりも広くなっているなど、様々な防災対策が採用されている。
その住宅群の北端に東京リハビリテーション病院が存在し、バスはそこで終点となる。

門33 豊海水産埠頭⇔亀戸駅[都バスで東京発見]

亀戸から浅草駒形を経由して臨海部・豊海水産埠頭までを結ぶ路線

門33 豊海水産埠頭⇔亀戸駅(経由)門前仲町・業平橋 江東営業所

路線keyword:豊海水産埠頭,清澄通り,数々の運河,国技館,江戸東京博物館


亀戸駅から一旦北へ向かい駒形を経由し、ぐるりと方向を変えて臨海部の豊海水産埠頭までを走る路線であり、特に両国から門前仲町・月島にかけては乗客数が多い路線である。現在、この区間には地下鉄12号線の建設工事がされており、地下鉄が開通すると、バスの利用客もぐっと減るのではないかと思われる。
亀戸駅をでると明治通りの商店街を北に向けて走り、福神橋で浅草通りに左折する。都内では珍しい風情ある柳の街路樹の道路を北十間川に沿って走っていく。
墨田区と江東区の地図を眺めてみると、この北十間川をはじめ縦横無尽に運河が張り巡らせていることに気づく。この北十間川は隅田川と旧中川を結ぶために万治年間(1660年頃・江戸初期)に開削されたもので、木材輸送に重要な役割を果たした運河である。豊海海産埠頭に向かうこのバスは、これからこのような数々の運河を渡っていくことになる。
駒形橋東詰めで左折し清澄通りに入る。あとはひたすら南下していくのみである。横網1丁目というバス停、いかにも相撲らしい名前と思ってしまうが実は横綱ではなく、横網なのである。すると右手には両国国技館と江戸東京博物館が現れて、両国駅となる。
JR総武線と交差し、地下鉄工事の続く清澄通りを走っていく。運河を越えるたびに町丁目が、緑、森下、清澄、深川……と変わっていく。そして、門前仲町となる。バスは混雑し、また運河を渡って、左手に商船大学が見えて越中島、また橋を渡って佃・月島、またまた橋を渡って勝どき、またまたまた新島橋を渡ると終点豊海水産埠頭となる。豊海水産埠頭は、その名の通り水産関係の会社や冷蔵庫・冷凍庫がたくさん並ぶ埠頭であり、都営住宅なども建ち並ぶ地域でもある。

王30 王子駅⇔亀有駅(北口)[都バスで東京発見]

足立区中央部を環七通りで東西に横断する路線

王30 王子駅⇔亀有駅(北口)(経由)鹿浜橋・西新井大師 千住営業所

路線keyword:環七通り,足立区横断,西新井大師,中古車販売店,大渋滞


王子駅と亀有駅とを環七通りで結び、足立区の中央部を横断していく路線であるが、渋滞で評判の悪い環七通りの中でも、さらに渋滞の激しさで定評のある足立区東部を走っており、定時運行がしにくい路線である。本数が少なく、3本に1本の割合で東武バスが運行しており、都バスの1日乗車券では非常に乗りにくいバスである。近年、足立区役所の本庁舎が沿線近くに移転したことから、区東部・区西部に住む住民が区役所本庁へ行くには大変便利であり、足立区を東西に直線的に結んでいる事を考えれば、もっと本数・利用客共に多くても良さそうであるが、本数も少なければ、利用客も足立区東部になるほど少なくなる。やはり、環七の渋滞が一因なのだろうか。
王子駅を発車すると、北とぴあを左に見て北本通りを北に進む。王子二丁目、三丁目、四丁目と走り、公団王子五丁目団地が現れると、王子五丁目・営団地下鉄南北線王子神谷駅前となる。宮堀陸橋(交差点)で環七通り(→p.)へと右折し、坂を上って環七通りと合流してすぐに隅田川を新神谷橋で渡る。ここから足立区となる。車窓からは無味乾燥とした隅田川のカミソリ型堤防と工場と住宅が混合している川沿いの風景が見られる。
新田を走り、新田小学校を右手に見ると鹿浜橋にさしかかり荒川を渡る。左手には河川敷のゴルフ場と、そのさらに奥に水色の3つの水門が見える。水門は荒川から隅田川への分岐点である岩淵水門である。昭和5(1930)年以前は、現在の隅田川が荒川の本流であった。
首都高速川口線をくぐり、右にカーブしながら陸橋の坂を下って鹿浜となる。環七沿線にはファミリーレストランやガソリンスタンドがやたらに多く、様々な店舗が後ろに過ぎ去っていく。この辺りから環七沿線の雰囲気が若干変化し、郊外の長閑な風景になってくる。
鹿浜から、「現金買取・下取歓迎」と書かれた中古車販売の店が多くなる。値段を記入したボードを中古車内のフロント部分に置いて、野ざらしに車を並べている販売店が次々と現れる。値段のボードに「124」と書いてある車は、124万円ということであり、バスが止まったときによく見ると、「万円」という文字が小さく付いていた。子供の頃、中古車はこんなに安く買えるのか、と本気で思ったことがあった。
畑が見られるようになり、江北陸橋にて尾久橋通りと交差する。尾久橋通りでは現在、日暮里と舎人とを結ぶ新交通システムの計画が進行している。
商店などが軒を連ねるようになると、川崎大師と共に厄除開運の霊場として有名な西新井大師となる。そして、右手に西新井駅を見ながら陸橋で東武伊勢崎線の複々線の線路を越える。島根三丁目にて、王49系統の千住車庫行が右に分かれていく。
日光街道を横切ると、足立区役所の最寄り停である本庁五丁目となる。ビニールハウスや畑が時々見えて、首都高速6号線の珍しい円形ループ型の加平ランプが現れる。
綾瀬警察署前に営団地下鉄千代田線北綾瀬駅がある。環七を走る車の交通量が多くなり、特にトラック等の大型車が多く走っているように思える。大谷田橋の陸橋を越え、中川四丁目になると左手に東京都下水道局の建設残土改良プラントの大きな空き地が広がる。
JR常磐線の高架橋手前にてバスは右に曲がり、終点亀有駅北口に到着する。

現在は、都営交通としては廃止されているが、東武バスのみ1日2本だけ細々と運行されている。

昼の六本木【東京考察#32】

Roppongi at daytime


六本木駅前

 


 やはり六本木は夜の街である。もう正午近いというのに、街の雰囲気はまだ「明け方」と言った感じである。六本木には外国人が多く出没するが、大使館関係の人などのお金持ちの外国人が多いように思う。また、テレビ局の多く存在する赤坂等の都心と芸能人の多く住む目黒・世田谷区の中間地点に位置する六本木は、必然的に芸能人も多く出没するスポットである。



六本木アマンド前


首都高速3号線と六本木交差点


路地裏の飲屋街

 

新小29乙 春江町終点⇔東新小岩四丁目[都バスで東京発見]

都営瑞江葬儀所のある春江町までを結ぶ路線

新小29乙 春江町終点⇔東新小岩四丁目(経由)一之江駅・菅原橋 臨海営業所

路線keyword:瑞江葬儀場,春江町,中川のボート,同潤会という名のバス停


東新小岩四丁目から一之江駅までは、新小29甲系統と同じルートを走る。非常に本数が少なく、捕まえにくい路線である。
一之江駅をでると、新中川を渡るかと思いきや、手前を左折。川に沿ってしばらく走る。右手にレジャーボートの係留を眺めながら、そして川を渡る。住宅街に入ってまもなくすると終点の春江町終点となる。何故、停留所の名前が「春江町」ではなく「春江町終点」なのか?謎である。かつての都電の終点だったのだろうか?隣には都営瑞江葬儀所がある。このバスは、この都営の葬儀所のために残っているのだろう。終点に葬儀所がある春江町終点。なんだか「終点」という停留所名に重みが感じられる。
この区間には京成バスが、小岩駅・葛西駅間でバスを運行している。

新小29甲 葛西駅⇔東新小岩四丁目[都バスで東京発見]

新小岩・同潤会・一之江・葛西と縦断する路線

新小29甲 葛西駅⇔東新小岩四丁目(経由)一之江駅・菅原橋 臨海営業所

路線keyword:一之江,江戸川区,同潤会という名のバス停


平日と土曜日の朝の時間帯は、バスは東新小岩四丁目までやって来ない。道路混雑のため、新小岩駅北口を起終点として右回りループ運行となってしまう為であり、隣の東新小岩三丁目で右に曲がってショートカットして一之江駅・葛西駅へと向かうルートとなる。
東新小岩四丁目を出発すると、蔵前橋通りを西に進み、巽橋交差点を左折、そして新小岩駅北口となる。JR総武線のガードをくぐってから左折し、狭い2車線道路を走っていく。
菅原橋にて千葉街道を横切り、右斜め前方の道路に入る。しばらく走って同潤会通りの商店街が現れるようになると同潤会停留所となる。
同潤会とは現在の住宅・都市整備公団の全身で、関東大震災罹災地の住宅建設のために設置された公益法人のことである。罹災者向け住宅を建設した後も同潤会は解散せず、大正14(1924)年~昭和3(1927)年にかけて青山、代官山、千駄ヶ谷、清砂通(東大工町)、中之郷、柳島などに鉄筋コンクリート造アパートを建設したことは特筆すべき事項であり、同潤会は住宅供給と団地計画で重要な役割を果たした。
この中央二丁目から松江二丁目にかけての地域が同潤会と呼ばれるのは、昭和初期に「東小松川」として同潤会の分譲住宅が建設された場所だからであろうと推測され、古地図を眺めてみると、現在の同潤会通りを中心に南北に長細く格子状道路が入り、そこには「同潤会住宅地」と印刷されていた。京葉道路との交差点近くには同潤会病院も健在している。おそらく分譲時に開業した診療所である。
京葉道路と交差し、バスは南に歩を進める。松江にて突き当たりを左折し、今井街道を今井方面へ向けて走っていく。一之江駅北にて環七通りへ右折し、一之江駅となる。
一之江駅からは環七通りをひたすら南下する。江戸川区内では、水路や運河を水の流れる公園にした「親水公園」を多く目にする。長島町交差点で葛西橋通りを横切ると、まもなく終点葛西駅前となる。

亀29 なぎさニュ-タウン⇔亀戸駅[都バスで東京発見]

亀戸駅から西葛西駅を通り、なぎさニュータウンまでを結ぶ路線

亀29 なぎさニュ-タウン⇔亀戸駅(経由)西葛西駅・境川 葛西営業所

路線keyword:葛西橋,なぎさニュータウン,江戸川区の住宅・団地群


江戸川区の千葉県境寄りに建つ高層住宅・なぎさニュータウンまでのアクセスラインであるが、日中は全本数の半分が亀戸駅-西葛西駅間の運行となる。
亀戸駅から明治通りを南下し、境川までは都07系統と同じルートを走る。境川で清洲橋通りへと左折し、葛西橋手前にて右左折を繰り返し、荒川と中川を葛西橋で渡る。江戸川区に突入する。
宇喜田を出ると右折するのであるが、この右折の仕方が面白い。その方法は乗ってからのお楽しみ。そして、突然団地の中を縫うように走り、西葛西駅となる。
左折して、8車線の広い道路を東へ走り、途中で右に曲がる。住宅街の中をジグザグに走行していき、団地が現れると堀江となる。このあたりの風景は、東京のベットタウンという様相を呈しており、日中に乗車すると牧歌的なのんびりとした雰囲気を味わうことができる。
環七通りと交差して、直進すると高層住宅の建ち並ぶ、終点なぎさニュータウンとなる。

 

錦28乙 東大島駅⇔平井駅[都バスで東京発見]

江東地区防災拠点(亀戸・大島・小松川地区)を走る路線

錦28乙 東大島駅⇔平井駅(経由)小松川保健相談所 葛西営業所

路線keyword:江東地区防災拠点(亀戸・大島・小松川地区),中高層住宅,平井の商店街,小松川


錦28乙系統の東大島駅バス停は小松川口にある。目の前には小松川パークマンションがそびえ立ち、少し歩くとスーパー堤防に整備された荒川土手にたどり着く。スーパー堤防とは高規格堤防とも呼ばれ、河川の後背地が低地帯である場合に、計画の規模を上回る洪水による堤防の破壊を防ぐため、市街地と堤防とを一体的に整備したものである。つまり、市街地側に緩やかに傾斜する堤防の上に住宅等が建っているのである。こうすることで堤防の強度が増す。
東大島駅を出ると、左手に旧中川、右手に高層住宅がそびえる。高層住宅には雁行した屋根が付けられており、最近造られた高層住宅であることがうかがえる。この辺りは、住宅と工場が密集し火災の延焼を防ぐ施設がない荒川と墨田川に囲まれた江東デルタ地帯の一部であるため、大震災の防災上の対策から、東京都の江東再開発基本構想による江東地区防災拠点(全6ヶ所)「亀戸・大島・小松川地区」の指定を受けた地域である。この地区の開発は、市街地再開発事業によって、道路・公園・河川の整備をすすめると共に、不燃化、避難場所や避難道路などを整備している。その市街地再開発事業によって整備された中高層住宅街の中をバスは走る。
小松川保健相談所で上下線のルートが分かれる。京葉道路を横切ると、細い一方通行路の商店街の中を速度を落として走る。そして、終点平井駅に到着する。

錦28 東大島駅⇔錦糸町駅[都バスで東京発見]

錦糸町駅から北砂を通って東大島駅までを結ぶ路線

錦28 東大島駅⇔錦糸町駅(経由)西大島駅 葛西営業所

路線keyword:江東公会堂,団地,北砂町


錦糸町駅から北砂地区へのアクセス路線である。
高層住宅団地の建つ東大島駅を発車し、東砂団地で右折する。北砂界隈を走っていくと、今度は北砂5団地が現れる。都市基盤整備公団の前身である日本住宅公団が開発した団地である。このあたりの「砂町」という名の由来は、かつては海岸の寄り洲(風波などによって砂が吹き寄せられてできた洲)であって江戸初期に新田開発された地であるために、このような名が付けられたのだという。
明治通りへ右折し、かまぼこ型の進開橋を渡り、西大島駅で左折。新大橋通りを走って、住吉駅で右折。営団地下鉄半蔵門線の工事の上を通りるとまもなく終点、錦糸町駅となる。日曜日の16時頃は大混雑する(競馬終了のため)。

西葛27 西葛西駅⇔臨海町二団地[都バスで東京発見]

西葛西駅から高層住宅団地の合間を走っていく路線

西葛27 西葛西駅⇔臨海町二団地(経由)紅葉川高校 葛西営業所

路線keyword:江戸川陸上競技場高層住宅群,葛西下水処理場,高層住宅群


右を見ても高層住宅、左を見ても高層住宅、葛西クリーンタウンの団地の中を走っていく路線である。朝夕のみ葛西下水処理場に立ち寄る。
高層住宅の中にバスは入った。ボールを持った少年、自転車に乗った子供たち、買い物袋をぶら下げた主婦、学校帰りの学生・・。朝夕は疲れ切ったお父さんの姿が多いのだろう。
団地を抜けて、荒川の手前で左折する。左手にはJ2リーグのFC東京の試合がよく行われていた陸上競技場がある。橋を渡ると、新左近川マリーナが見え、レジャーボートが係留されている光景が目に入る。
バスは左折し、紅葉川高校を過ぎて、ループ運行となり、葛西市場が右手に現れてぐるりと回って終点となる。

亀26 今井⇔亀戸駅[都バスで東京発見]

亀戸と千葉県境近くの今井までを結ぶ路線

亀26 今井⇔亀戸駅(経由)一之江駅・東小松川一 臨海営業所

路線keyword:千葉県境,今井,一之江・松江・小松川


かつては上26系統の上野公園-亀戸駅と同じ路線であったが、亀戸駅で分割されて現在の姿になった。さらに、バスに転換になる前には、都電ではなく、トロリーポール路線として走っていた歴史ある路線でもある。
隣の旧江戸川を渡ると、すぐそこは千葉県浦安市となる今井の操車場よりバスは発車する。新中川をすぐ渡り、屋形船や小型のレジャーボートの係留を見て、一之江駅となる。延々と商店街の続く2車線の道路を、一之江、松江、小松川と走っていく。
京葉交差点で京葉道路に左折し、あとは錦25系統と同じルートを走る。
小松川橋で中川と荒川を渡り、京葉道路をひたすら西に向けて走る。終点の一つ手前の停留所、水神森にてほとんどの乗客が下車してしまう。バスは、右折レーンに入って、明治通りへと右折すてすぐ亀戸駅前となるのであるが、この右折に時間がかかるため、勝手知った乗客達は、ひとつ手前で下車して、駅まで歩いていくのであった。

上26 亀戸駅⇔上野公園[都バスで東京発見]

上野から谷中・根津・浅草を経由して亀戸を結ぶ路線

上26 亀戸駅⇔上野公園(経由)業平橋駅・根津駅 大塚・江東営業所

路線keyword:言問通り,谷中,碁盤の目状の道路,亀戸天神


かつては現在の亀26系統と繋がっていて、上野-今井間を結んでいたが、亀戸駅で分断されて現在のような姿になった路線である。本数は1時間に1~2本となっており、乗りづらい路線であるが、谷中のご老人にとっては欠かせない交通機関である。
上野の不忍池前より発車すると、中央通りへ出て広小路の松坂屋前で右に曲がり、上野の繁華街をぐるりと回って再び不忍池が右手に現れる。上野動物園の裏口を通過し、根津駅で言問通りへと右に曲がる。根津・谷中の下町的なしっとりとした町並みの中をバスは走っていく。すると、突然黄色い旗やビラが建物にべたべたと張ってある
地域に入る。一瞬、幸せの黄色いハンカチを思い出してしまった。某住宅メーカーが建設を予定している地上14階建ての高層マンションの反対運動が積極的に行われており、「古い街並みを守ろう」というスローガンのもと、地元住民が一致団結しているのだという。徳川家公墓所である谷中霊園を過ぎ、JR山手線など10本の線路を陸橋で越えて鶯谷駅となる(このバスは駅前では止まらない)。
入谷を過ぎると浅草の北側をかすめ、馬頭観音裏を通過し、隅田川を言問橋で渡る。毎年7月の第4土曜日に開催されている隅田川花火大会の会場はこの橋の両側であり、上流側(左)が第1会場、下流側(右)が第2会場となっている。隅田川の親水護岸の中には、段ボールと青いビニールシートをうまく箱形に組み立てて暮らしている人々のねぐらがずらりと並んでいる。この親水堤防は都民が川面に親しめるようにとかみそり堤防から造りなおしたものである。
墨田区になって、中小の零細企業が密集する下町の街並みとなる。墨田区と隅田川の「すみだ」は何故漢字が違うのか。これは墨田区という名称は、墨堤の「墨」と隅田川の「田」からとって付けられたからである。墨堤とは隅田川沿いの地域をこのように呼ぶのだそうである。
業平橋駅となる。東武鉄道の本社があるところであり、すぐにバスは北十間川を渡るが、その橋の名は「東武橋」と付けられている。浅草通りへと左折し、柳の街路樹の道路を東に向けて走る。押上で四つ目通りへ右折し、まっすぐ進むと錦糸町駅であるが、このバスは太平4丁目で左折し、亀戸へ向かう。このあたりの道路は碁盤の目のように入っている。この街路網は関東大震災後の震災復興計画によって造られたものである。
左手に亀戸天神が現れると、神社の屋根を模した亀戸天神バス停の屋根が見える。明治通りへ右折し商店街を走るとまもなく終点亀戸駅となる。

秋26 葛西駅⇔秋葉原駅[都バスで東京発見]

秋葉原と葛西とを結ぶ東西に横断する路線

秋26 葛西駅⇔秋葉原駅(経由)境川・浜町中の橋 葛西営業所

路線keyword:秋葉原電気街,日本橋町,清洲橋通り,碁盤目道路,葛西橋


都心から東方向に隅田川・荒川・中川を超えて江戸川区まで走る路線バスは、この秋26系統と草28系統の神田駅・葛西車庫線の2系統のみである。かつては上26系統も上野公園・亀戸駅・今井間を一本で結んでいたが、現在は亀戸駅で分割されて上26・亀26となってしまった。そのようなことから、秋26系統は都心と江戸川区とを一本で結ぶ貴重な路線である。
休日の歩行者天国実施時を除いて、バスは電気街に囲まれた秋葉原駅前(西口)のサトームセン前の小さな広場より発車する。サトームセンのCMソングが繰り返し流され、メロディーを覚えた頃にバスは発車した。
狭い駅前を抜けて右側に派手なネオン看板が建ち並ぶ秋葉原・電気街を見て左折、中央通りへ入る。神田川を万世橋で渡り、右手に交通博物館の新幹線の先頭車両を眺めて、須田町、神田駅前となる。かつては、この区間も休日には歩行者天国となって、上野広小路から銀座八丁目までの南北に長い歩行者専用道路(プロムナード)が続いていた。しかし、現在は周辺道路の渋滞等によって万世橋・日本橋間が廃止され、東洋一の長さと言われていた歩行者天国が分断されてしまった。
神田駅から浜町中の橋まで、往路復路が別れて都内では珍しい五車線一方通行道路を走っていく。右左折を繰り返し、日本橋馬喰町、日本橋横山町、東日本橋と衣料・繊維・化粧品・小間物・文具・雑貨・呉服等の中小の問屋街の広がる地域を通過する。首都高速の下をくぐって、隅田川を鋼製の吊り橋である清洲橋で渡り、清洲橋通りを東へと進む。「清洲橋」とは江東区清澄の「清」と中央区日本橋中州の「洲」をとってと名付けられたものである。
清澄、白河、扇橋と墨田区・江東区の碁盤の目状に整然と道路の入った地域を東に走っていく。この街路網は関東大震災後の震災復興計画によって造られたものである。
貨物線のガード下をくぐって境川となり、明治通りと交差する。北砂、東砂を通って旧葛西橋交差点でバスは右折し、荒川を葛西橋で渡るために1本南側の葛西橋通りに向かう。このまま直進すると荒川土手に突き当たり、川を越えることはできない。葛西橋行のバスは右折せずに直進して葛西橋詰下にある停留所に向かう。
葛西橋通りに入って荒川(放水路)を渡る。荒川も下流部になると北区・足立区で見られるような土手・堤防の内側(専門用語では堤外地と言う)に芝生の広がるオープンスペースがなくなり、堤防の中は全てが水面で覆われている。右手には地下鉄東西線のワーレントラス型鉄橋が見える。続いて堤防を挟んで中川(放水路)を渡って江戸川区となる。
団地やマンション等の高層集合住宅を多く目にするようになる。葛西車庫を右手に見て、長島町交差点にて右折、環七通りとなって南下すると、終点葛西駅バスターミナルに到着する。
葛西は、かつてより水田の広がる地域だった。しかし、昭和30(1955)年代から都市化の波を受け始め、地元の漁業組合が共同漁業権の放棄を東京都と取り決めたことによって海岸の埋め立てが承認され、さらに、昭和44(1969)年の営団地下鉄東西線の開業によって、地域の開発に拍車がかかったところである。

錦25 葛西駅⇔錦糸町駅 [都バスで東京発見]

葛西と錦糸町を結ぶ地味な地域住民路線

錦25 葛西駅⇔錦糸町駅(経由)船堀駅・亀戸駅通り 臨海営業所

路線keyword:京葉道路,錦糸町,小松川橋


葛西駅バスターミナルを出発すると環七通りを北上し、長島町交差点を左折して葛西橋通りを走ったかと思うと、すぐに右折する。葛西保健相談所停留所を出ると、超カマボコ型の橋で新川を越え、三角停留所となる。商店の点在する道路を走り、船堀小学校にて船堀街道へ右折して都営地下鉄新宿線船堀駅となる。船堀駅周辺は、団地やマンションなどの高層住宅が多く目に付く。
バスは船堀街道を直進して北上し、東小松川交差点にて京葉道路に左折する。小松川橋で中川・荒川を渡り、あとは錦糸町駅まで京葉道路を西に直進するだけである。左手には再開発された小松川地区の高層住宅群が見える。沿線には高層住宅が多く、バスの中から10階建て以上の団地やマンションをあちこちで見ることができる。
亀戸を通り、右手に映画館等が入る東京楽天地ビルが現れると終点錦糸町駅前に到着する。

平成12年12月12日のダイヤ改正で、FL01系統というフレキシブルバスが登場した。これは、錦糸町駅をでると水神守・船堀駅のみの停車、船堀駅から葛西駅までは各停留所に停車する急行バスであり、京葉交差点を通過しないルートを走っていく。運行は土日のみとなっている。側面の方向幕が錦25と同じであり、違いといえば朱色で「FL01」と表示されているだけなので、いつもの普通のバスかと思いこんで乗ってしまう乗客が多く、運転手さんがマイクでしつこく案内している。系統番号を、「急行××」としなかったのは何故なのだろうか。おそらく、他の急行バスと違って、運行経路が違うために区別したのだろうと思うが・・。

葛西24甲 船堀駅⇔ なぎさニュータウン[都バスで東京発見]

葛西・宇喜田界隈となぎさニュータウンを走る地域住民路線

葛西24甲 船堀駅⇔なぎさニュータウン(経由)宇喜田小学校・葛西駅 臨海営業所


船堀-葛西駅 未乗

葛西駅より環七通りをそのまま南下する。左手には総合レクリエーション公園が現れる。堀江団地にてバスは左折し、旧江戸川ほとりに位置するなぎさニュータウンを目指して東に進む。南葛西小学校を通って正面にに高層住宅群が現れると、終点なぎさニュータウンに到着する。なぎさニュータウン北側にバスの操車所があり、発車を待つバスが数台待機している。この辺りは飛行機の進路にあたるのか、空を見上げると大きな音と共にジャンボ機が空を飛ぶ姿を確認することができた。

亀24甲 葛西橋⇔亀戸駅[都バスで東京発見]

団地やマンション群の中を葛西橋まで走る路線

亀24甲 葛西橋⇔亀戸駅(経由)西大島駅 葛西営業所

路線keyword:団地マンション群,葛西橋,中小工場地帯,大島・東砂


亀戸駅を出ると明治通りを南下し、区民センター前である西大島駅で左折する。新大橋通りをしばらく走ると、大島駅前となり、ずらりと並ぶ大島6丁目団地群が現れる。団地やマンションが多い。そして、荒川(旧中川)の手前の大島8丁目でバスは右折し、再び南に進路を向ける。亀24乙系統の東大島駅行きはこのまま直進し、Uターンして駅前ロータリーにはいる。
左手には大きな再開発の工事が見える。東砂を走り、中小の工場群が現れて、荒川に架かる葛西橋の西詰めにて、終点葛西橋となる。

平23乙 新四ツ木橋⇔浅草寿町[都バスで東京発見]

新四つ木橋の手前で折り返す路線

平23乙 新四ツ木橋⇔浅草寿町(経由)押上駅・墨田区役所 南千住営業所青戸支所

路線keyword:下町,墨田区,浅草通り,浅草雷門,新四つ木橋,曳舟川


浅草寿町から八広2丁目までは、平23乙系統上野松坂屋・平井線と同じルートを走る。

八広2-新四つ木橋 未乗

曳舟川通りの下には、かつて曳舟川が流れていた。曳舟川とは、亀有上水として利用されていた水路が享保年間(1750年頃)に廃止され、その後、小梅村-四ツ木村-亀有村間の輸送用引舟の水路となり、曳舟川として知られるようになったものである。荒川放水路の開削によって川筋が切断され、現在は荒川以南では下水溝として暗渠となり、荒川以北では葛西用水として綾瀬川に注ぐ工業用水等の排水路となっている。新四つ木橋はかつての曳舟川の水路のあった場所に沿って忠実に架設されており、地図で眺めると荒川に対して斜めに架けられていることに気づく。

平23乙 平井駅⇔上野松坂屋(上野広小路)[都バスで東京発見]

上野・浅草から墨田区中央部を横切る路線

平23乙 平井駅⇔上野松坂屋(上野広小路)(経由)八広2丁目・押上駅 南千住営業所青戸支所

路線keyword:下町,川の手,工場地帯,墨田区,浅草通り,浅草雷門,上野広小路


平日・土曜日は平井駅から上野松坂屋までの便数が少なく、半数以上は浅草寿町止まりであるが、祝休日になると買物利用客を考慮してか全便上野松坂屋行きとなる。また、この系統は上野-平井間の他に、八広二丁目から分岐する、浅草寿町-新四ツ木橋間の便も存在するが、新四ツ木橋までのバスは本数が極端に少ない。
平井駅を出発すると、曲がりくねる2車線道路を密集した住宅に囲まれながら走る。そして、交差点を右折すると、水の流れている様子がほとんどない旧中川を中平井橋で渡る。
地図を眺めると、旧中川、中川、新中川と3つの中川が存在していることに気がつく。葛飾・江戸川区内の下流部は「七曲り」と称されるほど蛇行しており、荒川放水路の開削と同時に、その東側に中川放水路を開削して現在の中川となった(昭和3年完成)。その放水路完成時にかつての中川は旧中川となり、現在でも残っているのである。中川と旧中川は荒川を隔てているが、繋げて考えてみるとかつての川筋だった事が理解できる。さらに昭和38年には、高砂から分流して旧江戸川に注ぐ放水路が完成し、これが新中川なのである。かなり複雑な話である。
平井から浅草方面に向かう時は橋詰にて右折し、旧中川沿いを大きく迂回して走る。鉄工関係の工場が多く、工場の敷地内のような殺伐とした空間をバスは走る。大きな煙突が右から左へと移動していた。荒川土手の堤防が現れるとバスは堤防沿いに走り、東墨田をぐるりと一回りする。
八広2丁目で上下線が合流し、中居堀交差点で明治通りを横切る。そして、文花3丁目停留所を過ぎ、住宅・商工業が混在する日本有数の木造家屋人口密集市街地として有名な京島界隈に入る。京島は4mに満たない狭い道路が網目のように形成され、1m程の道路を挟んで家が建て込んでいる場所さえも存在する。いまだに長屋なども残り、東京の下町を最も感じることのできる場所であるが、都市計画的な視点で眺めると防災や居住環境などの点で問題の多く残る地域である。
北十間川を渡ると押上となり、浅草通りを上野まで西進する。本所吾妻橋を過ぎると右前方の2車線の道に入るが、通りの名前は浅草通りで変わらない。右手には、リバーピア吾妻橋・吾妻橋ホール・アサヒビール本社・墨田区役所等のビルが建つ再開発事業地が現れ、すっかり名物になった金色の炎のオブジェはアサヒビール本社の上に乗っている。隅田川を吾妻橋で渡り、後ろを振り向くと眩しい色彩を放つ金色のオブジェを見ることが出来る。
浅草松屋デパート・東武浅草駅、そして浅草雷門を右に見て、賑やかな浅草の商店街の中をバスは走る。国際通りへ左折し、地下鉄田原町駅前の浅草寿町にて浅草通りへ右折する。
菊屋橋交差点では、右手に料理器具等の飲食店で使用する道具を扱う専門店が約200店ほど連なっている合羽橋道具街・かっぱ橋通りと交差する。道具街は右左手方向に約1km続いている。バスは上野を目指して浅草通りを西に進む。道路の下には昭和2(1927)年に開業した日本初の地下鉄・銀座線が平行に走っている。
首都高速の高架橋が見えると、右手に駅ビル再開発構想で取り壊されそうになった上野駅舎が現れて上野駅となる。JR線のガードをくぐると、左手にアメ横入口が見えて、右手に上野の森と京成上野駅を見て上野公園山下停留所となる。アブアブや上野松坂屋、ショッピング街・飲食店街の広がる賑やかな上野広小路を走ると、終点上野松坂屋停留所に到着する。

里22 日暮里駅⇔亀戸駅[都バスで東京発見]

日暮里・亀戸を明治通りで結ぶ路線

里22 日暮里駅⇔亀戸駅(経由)三河島駅・白髭橋 南千住営業所

路線keyword:明治通り,山谷界隈,白髭橋,京島・向島


日暮里と亀戸を結ぶ、比較的利用価値のある路線である。この路線には中型バスが導入されている。
日暮里駅前のロータリーを出発すると、東日暮里三丁目で尾竹橋通りへ左折し北に進む。商店街が連なってJR常磐線三河島駅前を通過し、宮地交差点に来ると明治通りの陸橋となって、バスは右折する。あとは亀戸駅まで明治通りをひたすら走るのみである。
荒川区役所前、営団地下鉄日比谷線三ノ輪駅前である大関横丁にて日光街道を横切り、三ノ輪二丁目にて左の道に進み、南千住駅最寄り停留所である泪橋・山谷界隈となる。
隅田川を白髭橋で渡ると、左手に壁のように立ちはだかる防火壁の役目を果たしている白髭住宅を眺め、墨田区となって東向島界隈となる。京成線の踏切を渡ると、密集木造住宅市街地の広がる京島界隈となり、小村井で右に曲がって東武亀戸線の踏切を渡る。北十間川の運河を越えて、終点亀戸駅となる。

葛西22 葛西駅⇔一之江駅[都バスで東京発見]

江戸川区南東部の長閑な雰囲気の残る路線

西22 葛西駅⇔一之江駅(経由)雷 臨海営業所

路線keyword:旧江戸川,新中川,千葉県との県境,畑,赤い水門,くねり狭路


葛西駅から旧江戸川の西縁を通って一之江駅までを結ぶ路線である。沿線はかつてからの農村地帯であり、宅地化が進行する中にポツリポツリと畑が姿を現す路線である。
葛西駅を出発すると環七通りを南下して、仲町西組にて2車線の道路に左折する。仲町東組の次は雷となる。「雷」と書いて「いかづち」と読む。90度の直角カーブを左に曲がり、雷上組となる。「○○組」といった停留所名が続いている。車窓にはネギ・ナス・トマト畑が時々現れ、畑の隣にマンションが建つ光景が現れる。長閑さの中にも首都圏の住宅地としての宅地化が進行している地域である。
旧江戸川に架かる浦安橋の橋詰下をくぐり、バスは旧江戸川沿いを北上するが、堤防が邪魔をして川面は見えない。旧江戸川の対岸は千葉県浦安市・市川市となる。旧江戸川は大正8(1919)年に篠崎二丁目から別れる放水路が完成したことから、放水路を江戸川本流とし、かつての本流を旧江戸川としたものである。
江戸川五丁目よりカーブが多くなり、下今井になると右手には大きな江戸川清掃工場の煙突と旧江戸川と新中川の2つの川筋が現れる。ここは新中川が旧江戸川に合流する地点である。瑞江中よりバスは右折して新中川を瑞穂大橋で渡り、左手には立ち並んでいる赤い水門の姿を間近で眺めることができる。
今井にて左折し、今度は瑞江大橋で再び新中川を渡る。右手にはプレジャーボートの係留場(ここは暫定的に開設された場所である。現在、新川において平成12(2000)年の河川マリーナ開設を目指して護岸整備が行われている。)が、左手には夜の営業を待つ「あみ達」の屋形船納涼船が数隻係留されていた。そしてバスは、終点一之江駅のバスターミナルに到着する。

新小22 葛西駅⇔新小岩駅[都バスで東京発見]

新小岩-葛西で江戸川区を縦断する路線

新小22 葛西駅⇔新小岩駅(経由)一之江駅・東小松川一 臨海営業所

路線keyword:今井街道,新中川のプレジャーボート,千葉県境,狭路


江戸川区はどちらかというと南北に広がりをもつ地域である。東西方向の交通は、JR総武線や都営新宿線、営団東西線、JR京葉線が走っているため便利なのであるが、南北方向の交通は非常に不便である。それを補完しているのが都営バスであり、この路線も比較的本数が多くなっている。区役所本庁舎に用事のある時には欠かせない交通機関である。
京成バスに混じって新小岩駅前のバスターミナルを発車する。江戸川区役所前を通り、京葉道路と交差して、東小松川1丁目で首都高小松川線と交差すると左に進路を変え、今井街道を走っていく。アーケードの近隣商店街が続くところをしばらく走っていき、環七通りと交差すると一之江駅となる。
瑞江大橋で新中川を渡ると、プレジャーボートが係留されている光景が目に入る。レジャーボートの増加による不法な係留を防ぐため東京都が整備したものである。そして今井となる。今井橋を渡ると千葉県となるが、バスは橋を渡らず右折する。水上バス乗り場のある公園横を走っていると、瑞穂大橋となって、右手に大きな水門が現れる。なんとなく江戸川区らしい風景である。しばらく川沿いに走っていき、カーブを過ぎると、環七通り通りへ出て南下。まもなく地下鉄博物館のある終点、葛西駅となる。