「■東京の情報」カテゴリーアーカイブ

BANCHAN WORLD の東京をテーマにしたカテゴリーです.

錦25 葛西駅⇔錦糸町駅 [都バスで東京発見]

葛西と錦糸町を結ぶ地味な地域住民路線

錦25 葛西駅⇔錦糸町駅(経由)船堀駅・亀戸駅通り 臨海営業所

路線keyword:京葉道路,錦糸町,小松川橋


葛西駅バスターミナルを出発すると環七通りを北上し、長島町交差点を左折して葛西橋通りを走ったかと思うと、すぐに右折する。葛西保健相談所停留所を出ると、超カマボコ型の橋で新川を越え、三角停留所となる。商店の点在する道路を走り、船堀小学校にて船堀街道へ右折して都営地下鉄新宿線船堀駅となる。船堀駅周辺は、団地やマンションなどの高層住宅が多く目に付く。
バスは船堀街道を直進して北上し、東小松川交差点にて京葉道路に左折する。小松川橋で中川・荒川を渡り、あとは錦糸町駅まで京葉道路を西に直進するだけである。左手には再開発された小松川地区の高層住宅群が見える。沿線には高層住宅が多く、バスの中から10階建て以上の団地やマンションをあちこちで見ることができる。
亀戸を通り、右手に映画館等が入る東京楽天地ビルが現れると終点錦糸町駅前に到着する。

平成12年12月12日のダイヤ改正で、FL01系統というフレキシブルバスが登場した。これは、錦糸町駅をでると水神守・船堀駅のみの停車、船堀駅から葛西駅までは各停留所に停車する急行バスであり、京葉交差点を通過しないルートを走っていく。運行は土日のみとなっている。側面の方向幕が錦25と同じであり、違いといえば朱色で「FL01」と表示されているだけなので、いつもの普通のバスかと思いこんで乗ってしまう乗客が多く、運転手さんがマイクでしつこく案内している。系統番号を、「急行××」としなかったのは何故なのだろうか。おそらく、他の急行バスと違って、運行経路が違うために区別したのだろうと思うが・・。

葛西24甲 船堀駅⇔ なぎさニュータウン[都バスで東京発見]

葛西・宇喜田界隈となぎさニュータウンを走る地域住民路線

葛西24甲 船堀駅⇔なぎさニュータウン(経由)宇喜田小学校・葛西駅 臨海営業所


船堀-葛西駅 未乗

葛西駅より環七通りをそのまま南下する。左手には総合レクリエーション公園が現れる。堀江団地にてバスは左折し、旧江戸川ほとりに位置するなぎさニュータウンを目指して東に進む。南葛西小学校を通って正面にに高層住宅群が現れると、終点なぎさニュータウンに到着する。なぎさニュータウン北側にバスの操車所があり、発車を待つバスが数台待機している。この辺りは飛行機の進路にあたるのか、空を見上げると大きな音と共にジャンボ機が空を飛ぶ姿を確認することができた。

亀24甲 葛西橋⇔亀戸駅[都バスで東京発見]

団地やマンション群の中を葛西橋まで走る路線

亀24甲 葛西橋⇔亀戸駅(経由)西大島駅 葛西営業所

路線keyword:団地マンション群,葛西橋,中小工場地帯,大島・東砂


亀戸駅を出ると明治通りを南下し、区民センター前である西大島駅で左折する。新大橋通りをしばらく走ると、大島駅前となり、ずらりと並ぶ大島6丁目団地群が現れる。団地やマンションが多い。そして、荒川(旧中川)の手前の大島8丁目でバスは右折し、再び南に進路を向ける。亀24乙系統の東大島駅行きはこのまま直進し、Uターンして駅前ロータリーにはいる。
左手には大きな再開発の工事が見える。東砂を走り、中小の工場群が現れて、荒川に架かる葛西橋の西詰めにて、終点葛西橋となる。

平23乙 新四ツ木橋⇔浅草寿町[都バスで東京発見]

新四つ木橋の手前で折り返す路線

平23乙 新四ツ木橋⇔浅草寿町(経由)押上駅・墨田区役所 南千住営業所青戸支所

路線keyword:下町,墨田区,浅草通り,浅草雷門,新四つ木橋,曳舟川


浅草寿町から八広2丁目までは、平23乙系統上野松坂屋・平井線と同じルートを走る。

八広2-新四つ木橋 未乗

曳舟川通りの下には、かつて曳舟川が流れていた。曳舟川とは、亀有上水として利用されていた水路が享保年間(1750年頃)に廃止され、その後、小梅村-四ツ木村-亀有村間の輸送用引舟の水路となり、曳舟川として知られるようになったものである。荒川放水路の開削によって川筋が切断され、現在は荒川以南では下水溝として暗渠となり、荒川以北では葛西用水として綾瀬川に注ぐ工業用水等の排水路となっている。新四つ木橋はかつての曳舟川の水路のあった場所に沿って忠実に架設されており、地図で眺めると荒川に対して斜めに架けられていることに気づく。

平23乙 平井駅⇔上野松坂屋(上野広小路)[都バスで東京発見]

上野・浅草から墨田区中央部を横切る路線

平23乙 平井駅⇔上野松坂屋(上野広小路)(経由)八広2丁目・押上駅 南千住営業所青戸支所

路線keyword:下町,川の手,工場地帯,墨田区,浅草通り,浅草雷門,上野広小路


平日・土曜日は平井駅から上野松坂屋までの便数が少なく、半数以上は浅草寿町止まりであるが、祝休日になると買物利用客を考慮してか全便上野松坂屋行きとなる。また、この系統は上野-平井間の他に、八広二丁目から分岐する、浅草寿町-新四ツ木橋間の便も存在するが、新四ツ木橋までのバスは本数が極端に少ない。
平井駅を出発すると、曲がりくねる2車線道路を密集した住宅に囲まれながら走る。そして、交差点を右折すると、水の流れている様子がほとんどない旧中川を中平井橋で渡る。
地図を眺めると、旧中川、中川、新中川と3つの中川が存在していることに気がつく。葛飾・江戸川区内の下流部は「七曲り」と称されるほど蛇行しており、荒川放水路の開削と同時に、その東側に中川放水路を開削して現在の中川となった(昭和3年完成)。その放水路完成時にかつての中川は旧中川となり、現在でも残っているのである。中川と旧中川は荒川を隔てているが、繋げて考えてみるとかつての川筋だった事が理解できる。さらに昭和38年には、高砂から分流して旧江戸川に注ぐ放水路が完成し、これが新中川なのである。かなり複雑な話である。
平井から浅草方面に向かう時は橋詰にて右折し、旧中川沿いを大きく迂回して走る。鉄工関係の工場が多く、工場の敷地内のような殺伐とした空間をバスは走る。大きな煙突が右から左へと移動していた。荒川土手の堤防が現れるとバスは堤防沿いに走り、東墨田をぐるりと一回りする。
八広2丁目で上下線が合流し、中居堀交差点で明治通りを横切る。そして、文花3丁目停留所を過ぎ、住宅・商工業が混在する日本有数の木造家屋人口密集市街地として有名な京島界隈に入る。京島は4mに満たない狭い道路が網目のように形成され、1m程の道路を挟んで家が建て込んでいる場所さえも存在する。いまだに長屋なども残り、東京の下町を最も感じることのできる場所であるが、都市計画的な視点で眺めると防災や居住環境などの点で問題の多く残る地域である。
北十間川を渡ると押上となり、浅草通りを上野まで西進する。本所吾妻橋を過ぎると右前方の2車線の道に入るが、通りの名前は浅草通りで変わらない。右手には、リバーピア吾妻橋・吾妻橋ホール・アサヒビール本社・墨田区役所等のビルが建つ再開発事業地が現れ、すっかり名物になった金色の炎のオブジェはアサヒビール本社の上に乗っている。隅田川を吾妻橋で渡り、後ろを振り向くと眩しい色彩を放つ金色のオブジェを見ることが出来る。
浅草松屋デパート・東武浅草駅、そして浅草雷門を右に見て、賑やかな浅草の商店街の中をバスは走る。国際通りへ左折し、地下鉄田原町駅前の浅草寿町にて浅草通りへ右折する。
菊屋橋交差点では、右手に料理器具等の飲食店で使用する道具を扱う専門店が約200店ほど連なっている合羽橋道具街・かっぱ橋通りと交差する。道具街は右左手方向に約1km続いている。バスは上野を目指して浅草通りを西に進む。道路の下には昭和2(1927)年に開業した日本初の地下鉄・銀座線が平行に走っている。
首都高速の高架橋が見えると、右手に駅ビル再開発構想で取り壊されそうになった上野駅舎が現れて上野駅となる。JR線のガードをくぐると、左手にアメ横入口が見えて、右手に上野の森と京成上野駅を見て上野公園山下停留所となる。アブアブや上野松坂屋、ショッピング街・飲食店街の広がる賑やかな上野広小路を走ると、終点上野松坂屋停留所に到着する。

里22 日暮里駅⇔亀戸駅[都バスで東京発見]

日暮里・亀戸を明治通りで結ぶ路線

里22 日暮里駅⇔亀戸駅(経由)三河島駅・白髭橋 南千住営業所

路線keyword:明治通り,山谷界隈,白髭橋,京島・向島


日暮里と亀戸を結ぶ、比較的利用価値のある路線である。この路線には中型バスが導入されている。
日暮里駅前のロータリーを出発すると、東日暮里三丁目で尾竹橋通りへ左折し北に進む。商店街が連なってJR常磐線三河島駅前を通過し、宮地交差点に来ると明治通りの陸橋となって、バスは右折する。あとは亀戸駅まで明治通りをひたすら走るのみである。
荒川区役所前、営団地下鉄日比谷線三ノ輪駅前である大関横丁にて日光街道を横切り、三ノ輪二丁目にて左の道に進み、南千住駅最寄り停留所である泪橋・山谷界隈となる。
隅田川を白髭橋で渡ると、左手に壁のように立ちはだかる防火壁の役目を果たしている白髭住宅を眺め、墨田区となって東向島界隈となる。京成線の踏切を渡ると、密集木造住宅市街地の広がる京島界隈となり、小村井で右に曲がって東武亀戸線の踏切を渡る。北十間川の運河を越えて、終点亀戸駅となる。

葛西22 葛西駅⇔一之江駅[都バスで東京発見]

江戸川区南東部の長閑な雰囲気の残る路線

西22 葛西駅⇔一之江駅(経由)雷 臨海営業所

路線keyword:旧江戸川,新中川,千葉県との県境,畑,赤い水門,くねり狭路


葛西駅から旧江戸川の西縁を通って一之江駅までを結ぶ路線である。沿線はかつてからの農村地帯であり、宅地化が進行する中にポツリポツリと畑が姿を現す路線である。
葛西駅を出発すると環七通りを南下して、仲町西組にて2車線の道路に左折する。仲町東組の次は雷となる。「雷」と書いて「いかづち」と読む。90度の直角カーブを左に曲がり、雷上組となる。「○○組」といった停留所名が続いている。車窓にはネギ・ナス・トマト畑が時々現れ、畑の隣にマンションが建つ光景が現れる。長閑さの中にも首都圏の住宅地としての宅地化が進行している地域である。
旧江戸川に架かる浦安橋の橋詰下をくぐり、バスは旧江戸川沿いを北上するが、堤防が邪魔をして川面は見えない。旧江戸川の対岸は千葉県浦安市・市川市となる。旧江戸川は大正8(1919)年に篠崎二丁目から別れる放水路が完成したことから、放水路を江戸川本流とし、かつての本流を旧江戸川としたものである。
江戸川五丁目よりカーブが多くなり、下今井になると右手には大きな江戸川清掃工場の煙突と旧江戸川と新中川の2つの川筋が現れる。ここは新中川が旧江戸川に合流する地点である。瑞江中よりバスは右折して新中川を瑞穂大橋で渡り、左手には立ち並んでいる赤い水門の姿を間近で眺めることができる。
今井にて左折し、今度は瑞江大橋で再び新中川を渡る。右手にはプレジャーボートの係留場(ここは暫定的に開設された場所である。現在、新川において平成12(2000)年の河川マリーナ開設を目指して護岸整備が行われている。)が、左手には夜の営業を待つ「あみ達」の屋形船納涼船が数隻係留されていた。そしてバスは、終点一之江駅のバスターミナルに到着する。

新小22 葛西駅⇔新小岩駅[都バスで東京発見]

新小岩-葛西で江戸川区を縦断する路線

新小22 葛西駅⇔新小岩駅(経由)一之江駅・東小松川一 臨海営業所

路線keyword:今井街道,新中川のプレジャーボート,千葉県境,狭路


江戸川区はどちらかというと南北に広がりをもつ地域である。東西方向の交通は、JR総武線や都営新宿線、営団東西線、JR京葉線が走っているため便利なのであるが、南北方向の交通は非常に不便である。それを補完しているのが都営バスであり、この路線も比較的本数が多くなっている。区役所本庁舎に用事のある時には欠かせない交通機関である。
京成バスに混じって新小岩駅前のバスターミナルを発車する。江戸川区役所前を通り、京葉道路と交差して、東小松川1丁目で首都高小松川線と交差すると左に進路を変え、今井街道を走っていく。アーケードの近隣商店街が続くところをしばらく走っていき、環七通りと交差すると一之江駅となる。
瑞江大橋で新中川を渡ると、プレジャーボートが係留されている光景が目に入る。レジャーボートの増加による不法な係留を防ぐため東京都が整備したものである。そして今井となる。今井橋を渡ると千葉県となるが、バスは橋を渡らず右折する。水上バス乗り場のある公園横を走っていると、瑞穂大橋となって、右手に大きな水門が現れる。なんとなく江戸川区らしい風景である。しばらく川沿いに走っていき、カーブを過ぎると、環七通り通りへ出て南下。まもなく地下鉄博物館のある終点、葛西駅となる。

新小21 西葛西駅⇔新小岩駅[都バスで東京発見]

新小岩-西葛西で江戸川区を縦断する路線

新小21 西葛西駅⇔新小岩駅(経由)小島・船堀駅 臨海営業所

路線keyword:船堀街道,狭路,江戸川区縦断


江戸川区はどちらかというと南北に広がりをもつ地域である。東西方向の交通は、JR総武線や都営新宿線、営団東西線、JR京葉線が走っているため便利なのであるが、南北方向の交通は非常に不便である。それを補完しているのが都営バスであり、この路線も非常に本数が多くなっている。区役所本庁舎に用事のある時には欠かせない交通機関である。
西葛西駅前は大きな道路がなく、路上駐車の多い狭い2車線道路を走っていく。船堀街道に出ると北に向かって走っていくが、宇喜田の行橋公園前になると船堀街道から外れて北葛西の住宅街の中を走っていく。急行00系統の急行バスは、北葛西には寄らず船堀街道を直進して船堀駅に向かう。左手に中川・荒川土手のコンクリートブロックの護岸が見える。
再び船堀街道に戻って橋を渡り船堀駅となる。乗客が入れ替わる。
ひたすら北上し、松江・東小松川界隈を走り、京葉道路と交差して江戸川区役所前となる。そしてまもなく終点新小岩駅となる。

亀21 東陽町駅⇔亀戸駅[都バスで東京発見]

東陽町と亀戸を丸八通りで結ぶ路線

亀21 東陽町駅⇔亀戸駅(経由)南砂六丁目・北砂七丁目 深川営業所

路線keyword:丸八通り,南砂町・東砂町・北砂町,江東ゼロメートル地帯,狭路


東陽町駅・亀戸駅間を明治通りの東に位置する丸八通りで結ぶ路線である。
東陽町駅を出発すると永代通りを東へ進み、江東運転免許試験場を右手に見て、日曹橋交差点を明治通りに左折する。そして、明治通りを少し走り、南砂三丁目交差点でバスは右折する。
ここからは、歩行者専用分離帯のない2車線の狭い道を走るようになる。道路の境界線いっぱいに建てられている家々の軒をかすめるように大型バスは走っていく。バスがすれ違うときは、必ずどちらかが隅に寄って待機しなければならない。しかし、道は狭いが車の交通量は少ないのでその点は救われている。そのような道で南砂界隈を走り、突き当たりるとバスは左折する。
葛西橋西詰交差点にて葛西橋通りと交差し、旧葛西橋交差点で清洲橋通りに左折する。そして、亀高橋にて丸八通りに右折する。バスは北砂界隈を走っていく。この辺り、かつては工場の多い地域であったが、戦後多くの工場が移転し、その跡地に団地等の高層住宅が建ち並んだところであり、また、昭和10・30年代には地盤沈下が激しく「江東ゼロメートル地帯」と呼ばれた地域でもある。
北砂・東砂・南砂と、「砂」の付く地名が多が、かつては海岸の寄り洲(風波などによって砂が吹き寄せられてできた洲)であって江戸初期に新田開発された地であるために、このような名が付けられたのだという。
大きな陸橋で川(運河)を渡ると、地下鉄大島駅となる。亀戸七丁目で京葉道路に左折して西に走り、亀戸駅前の交差点を右折すると、終点亀戸駅前のバスターミナルに到着する。

西葛20乙 西葛西駅⇔葛西臨海公園駅[都バスで東京発見]

西葛西駅から葛西市場・トラックターミナルを通って葛西臨海公園駅までを結ぶ路線

西葛20乙 西葛西駅⇔葛西臨海公園駅(経由)中央卸売市場葛西市場 臨海営業所

路線keyword:中央卸売市場葛西市場,葛西トラックターミナル(流通業務団地),葛西臨海公園


朝は通勤通学客のために本数が多いが、日中には2~30分間隔になってしまう。臨海3丁目で別れて臨海車庫へ行く便もある。
西葛西駅を出ると南へ進み、右手に新田の団地を見ながら緩やかなカーブを走っていく。中葛西7丁目で右折し、大きな通りへと出る。中左近橋で川を渡ると、真新しい中央卸売市場葛西市場が現れる。葛西市場では主に青果を取り扱っている。
このあたりからトラックが多く目につくようになる。直進すれば臨海車庫となるが、バスは左に曲がり、左手に市場が見え、続いて葛西トラックターミナルとなる。団地から倉庫とトラックの殺伐とした風景に様変わりする。
葛西トラックターミナルは、「流通業務市街地の整備に関する法律」に基づいて、東京都が整備する5地区の流通業務団地のひとつである。道路交通の円滑化と流通機能の向上を図るため、都心に集中している卸売業、倉庫、トラックターミナルなどの流通業務施設を都市高速道路と主要環状道路との結節点に近い区部周辺部に一体的に立地させて整備しようというものである。5地区とは、南部(京浜2区)、西北部(板橋)、東部(葛西)、北部(足立)、西南部(未完成)であり、北部の足立流通業務団地は里48系統の終点「足立流通センター」のことである。
葛西流通業務団地は、全面積49.2ha、そのうちトラックターミナルが18.5ha・460バース、卸売市場が7.5ha、倉庫が9.2ha、卸売業が6.9haとなっている。
突き当たりを右折し、首都高速湾岸線とJR京葉線の高架下を通り、南国を思わせるヤシ科の街路樹が植わる曲線道路を走ると、終点葛西臨海公園駅となる。左手には、広大な葛西臨海公園が見え、その奥には葛西臨海水族館がある。

西葛20甲 西葛西駅⇔なぎさニュータウン[都バスで東京発見]

西葛西駅から新田住宅を通ってなぎさニュータウンまでを結ぶ路線

西葛20甲 西葛西駅⇔なぎさニュータウン(経由)新田住宅・堀江団地 臨海営業所

路線keyword:中葛西・南葛西,団地群,狭路


西葛西駅を出発すると南へ向けて走り、すぐに高層住宅の団地群が目に入る。新田住宅を右に見ながら緩やかな左カーブの2車線道路を走っていく。段々と道が狭くなり、右に曲がったり左に曲がったりして、中葛西・南葛西の住宅地の合間を走っていく。堀江団地を過ぎ、環七通りと交差すると南葛西小学校となる。サッカーの漫画「キャプテン翼」を見ていた人は、「南葛西」を「なんかつにし」と呼びたくなってしまうだろうが、「みなみかさい」である。そして、高層住宅群が正面に見えると、終点なぎさニュータウンとなる。

新小20 東新小岩四丁目⇔一之江駅[都バスで東京発見]

江戸川区北部を環七通りで縦断する路線

新小20 東新小岩四丁目⇔一之江駅(経由)新小岩駅北口・鹿本中学校 臨海営業所

路線keyword:環七通り,くねり狭路,ビニールハウス


この路線は京成バスとの共同運行であり、そのうえ本数が少ないので、都営バスで乗車しようと思う場合は捕まえにくい路線である。
新小20系統の一之江駅バスのりばは、バスターミナルのりばより少し離れた駅ビルの裏手に存在する。一之江駅を発車するとすぐに環七通りに入り、北を目指して進んでいく。首都高速の一之江ランプを過ぎ、一之江一丁目交差点で京葉道路と交差する。ネギやトウモロコシの植わる畑が時々横切っていく。駐車場と化したオープンスペースが目立ち、環七通り沿線の中で比べると建物の密集密度が低い方である。
大杉、松本、上一色と通過し、JR総武線を越える陸橋は渡らずに横の側道に入って、JR線の線路にぶつかると左にバスは曲がる。狭くくねった道路となり、23区内の都営バスにしては珍しく、白い破線が道路中央に入っている追い越し可能な道路を走っていく。ビニールハウスが過ぎ去っていった。
新小岩四丁目を出ると葛飾区となって、商店街の中をやはり狭い二車線道路で走っていく。朝の時間帯にはこの区間は新小岩駅北口を起終点とするループ運行となって、右回りのみの運行となるのだが、理由は道路が狭いために朝の混雑時はバス同士がすれ違えなくなるからではないか、と推測する。
新小岩駅南口にはバスターミナルが存在するが、このバスは入らずにJR線のガードをくぐって新小岩駅北口の停留所となる。終点まではあと4つであるが、それでも10名程の乗客が乗ってきた。京成バスも含めたバス路線図を眺めてみると、新小岩駅から東新小岩方面に向かうバスは都営バス(新小20・新小24・新小29甲乙)しか走っていない。
巽橋にて右折し、蔵前橋通りへ入る。東新小岩一丁目、東新小岩三丁目となり、朝のループ運行の時間帯には小松橋北交差点で右折してJR線の陸橋を渡り、一之江駅へと向かう。普通の時間帯では東新小岩四丁目を始発として、今通ってきた道を反対側に走り、新小岩駅北口に寄る通常のルートとなる。京成バスは東新小岩三丁目が起終点となり運行している。つい最近までは本系統の都営バスも東新小岩三丁目を起終点としていた。
右手前方にマクドナルドが見えると、その交差点を右折し狭い道をちょっと入ったところに都バス操車所があって、終点東新小岩四丁目となる。京成バスが東新小岩四丁目まで乗り入れないのは、自社の折返し施設がないためだと憶測する。操車所は、住都公団のエステート東新小岩の低層(5階建て)住宅が背後に建ち並ぶ、ひっそりとした佇まいの所にある。

東17 潮見駅⇔東京駅八重洲口[都バスで東京発見]

東京駅・湊三丁目間が急行バスになる東京駅と潮見駅を結ぶ路線

東17 潮見駅⇔東京駅八重洲口(経由)豊洲駅・月島駅 深川営業所

路線keyword:住友ツインビル,佃大橋,佃・月島,湾岸埋立地,急行バス


東京駅・湊三丁目間は、住友ツインビル(潮見駅行は新川二丁目)のみの停車となる急行バスであるが、本数は少なく、もっぱら朝夕の通勤輸送に従事している路線である。各停留所に停車するバスは東15系統となる。
東京駅八重洲口を発車すると、大丸デパートを背にしながら、八重洲通りをひたすら湾岸目指して走っていく。首都高速宝町ランプを通り、八丁堀を通り、前方に住友ツインビルが現れるとバスは右折し新川二丁目となる。潮見行のバスは住友ツインビルの前には寄らないルートを走る。
右左折を繰り返し、湊界隈となって湊三丁目となる。湊界隈は、かつて佃島までの渡し船が発着していたところであり、古くからの街並みが残る地域である。
ここからバスは各停留所に停まっていく。地下鉄新富町駅のある入船橋交差点を左折し、佃大橋で隅田川を渡って佃に入る。左手には、江戸時代より佃煮の特産品をもつ佃島の古い街並み(佃一丁目)が広がり、その背後に大川端リバーシティーの再開発ビル群がそびえ立っている。佃大橋は昭和39(1964)年に架設された橋であり、それによって江戸時代より続いていた湊・佃間を結ぶ佃島渡船は廃止された。近くには記念碑が建っている。
地下鉄月島駅前となり、バスは左折する。バスは、何度も運河を渡って右左折を繰り返しながら潮見駅を目指す。左手に大川端リバーシティーの高層住宅を眺めながら、相生橋で運河を渡って越中島へ入る。かつては越中島練兵場だった東京商船大学を右に見て、豊洲運河をゼロメートル地帯特有のカマボコ型をした豊洲橋で渡る。
石川島播磨重工の工場を左に見て豊洲となる。豊洲は大工場の広がる工業地域である。地下鉄豊洲駅で左折し、再び豊洲運河をカマボコ型の朝凪橋で渡り、枝川となる。
そして、マンションや倉庫、工場地帯の中をしばらく走ると、終点潮見駅に到着する。

平成12年12月、廃止された。

東16 東京駅八重洲口⇔ 東京テレポート駅[都バスで東京発見]

東京駅から佃島・月島・豊洲を通って臨海副都心までを結ぶ路線

東16 東京駅八重洲口⇔東京テレポート駅(経由)住友ツインビル・豊洲駅 深川営業所

路線keyword:住友ツインビル,大川端リバーシティー21,佃島,中央大橋,臨海副都心


平成8(1996)年の臨海副都心街開きをきっかけに、それまで豊洲駅までだった東15乙系統の運行を東京ビッグサイトまで延長して東16系統となり、さらに東京テレポート駅まで延長になった路線である。東京駅から臨海副都心へのアクセスは、他に最近登場した全席着席の快速バスがある。
東京駅のバスのりばは全部で3ヶ所ある。「東京駅北口」「東京駅南口」の方向幕を付けたバスは全て赤レンガ駅舎のある丸の内口側の発着となり、さらに丸の内口側は北口,南口と2ヶ所に分かれてバス乗り場が存在する。一方、「東京駅八重洲口」の方向幕を付けたバスは、八重洲南口の高速バスのりばの隣にあるバス乗り場発着となる。
「東京駅」と書かれた文字を掲げた大丸デパートを左に見て、バスは湾岸めざして右折する。八重洲通りを直進し、首都高速宝町ランプを通り過ぎ、亀島橋で亀島川の運河を渡って新川となる。豊洲方面の便のみ北側へ迂回して、東京ダイヤビル、近年開発された2棟並んで超高層ビルがそびえる住友ツインビルを眺めながらバスは走る。住友ツインビルは最寄りの鉄道駅から少々離れており、東京駅からこのバスを利用する人が結構多い。
住友ツインビルを出ると、隅田川をダイナミックなデザインの斜張橋・中央大橋で渡り、佃島の大川端リバーシティー21の高層住宅群となる。元は石川島播磨重工の工場・倉庫のあったところで、都心部における人口の回復をめざして、住宅・都市整備公団、東京都、東京都住宅供給公社、三井不動産の4者によって開発が行われた。全住戸賃貸住宅であり、最高階数は37階、ウォーターフロントにおける先駆的事例として、昭和61(1986)年に着工された。スーパー堤防(→p.)によって川との親水性も確保されている。
なお、江戸期以来から佃煮の特産品を持つ佃島とは、佃一丁目のことである。昭和39(1964)年に佃大橋が架けられる前は、その名の通り水に囲まれた「島」であり、江戸時代より佃の渡しが運行されていた。
突き当たりを右折して清澄通りに入り、営団地下鉄有楽町線月島駅で左折する。朝潮大橋で朝潮運河を渡り、左に晴海運河を眺めながらバスは快走する。左折して春海橋を渡ると、左手に大川端リバーシティ21の住宅群の遠景が見える。右手には、反対方向のバスに乗らないと見えにくいかも知れないが、今は廃線となった貨物線路の鉄橋が錆びついて残っている。ここから江東区となって、石川島播磨重工の工場が現れる。そして人間の生活が感じられる商業施設のある街並みになると、地下鉄豊洲駅前となる。
バスは晴海通りを直進し、東雲橋で運河を渡ると東雲となる。倉庫や大工場が多く目に付くが、工場が郊外移転して空き地となった敷地も目立つ。左手に、東京都交通局の深川研修所が見えると深川車庫となる。海01系統は有明テニスの森を経由する北側の道路を走って臨海副都心に入って行くが、この路線は南側を走って臨海副都心に入っていく。首都高速湾岸線の高架をくぐり、東京臨海高速鉄道東雲駅を左に見て、バスは右折する。
左前方に東京ビッグサイトの逆三角形の建物の遠景がいよいよ見えてきた。ほとんどが空き地で、都会ではなかなか味わえない開放的な空間が広がっている。右手には、新交通ゆりかもめの有明駅だけが不釣り合いに浮かんでいる。バスはスピードを上げて近未来都市・臨海副都心をダイナミックに駆け抜ける。ビッグサイトが目の前に迫ると、1階のバスターミナルに入る。そして、青海のパレットタウンを過ぎて東京テレポート駅となる。

錦13甲 錦糸町駅⇔晴海埠頭[都バスで東京発見]

錦糸町と臨海・晴海埠頭とを一本裏通りの大門通りで結ぶ路線

錦13甲 錦糸町駅⇔晴海埠頭(経由)東陽三・豊洲駅 深川営業所

路線keyword:大門通り,晴海埠頭,工場地帯,中小企業の工場,狭路


晴海客船ターミナルを背にしてバスは東京港を後にする。晴海埠頭の倉庫群が建ち並ぶ、殺伐とした独特の景色を見て、バスは直進する。春海橋で春海運河を渡ると豊洲となって、石川島播磨重工などの鉄工場のある無機質な工業地帯を走る。
豊洲駅で左折し、いくらかは人間の生活の香りがする街並みとなっていく。運河を渡るときは、かまぼこ型に道路が盛り上がり、陸橋を渡るように川を渡る。ゼロメートル地帯であることが実感できる。
枝川となって右左折を繰り返し、深川車庫からやってくる乙系統と合流して塩浜となり、中小企業と高層住宅が建ち並ぶ地域をバスはうねうねと走っていく。大門通りとなって、地下鉄東西線木場駅に近い東陽三丁目となる。
永代通りと交差し、バスは裏路地的な二車線の大門通りを錦糸町目指して北進する。千石、石島、扇橋、猿江、住吉などといった、聞き慣れない江東区の街を走っていく。
京葉道路で右折し、やがて錦糸町駅まえとなり、終点となる。

麻布十番商店街【東京考察#31】

Azabu-Juban shopping center

 

 「麻布十番」と聞くと六本木から鳥居坂を下ったところにあるため、芸能人御用達の飲み屋が並んでいて、敷居の高い街に思えるが、江戸時代から続く、下町情緒の残る商店街である。

麻布十番という名の由来にはいくつかの説がある。

1.延宝3(1675)年に江戸幕府が近くを流れる古川の改修工事を行った時、この地点を河口から10番目の工区とし表示の杭が後年まで残り地名になった
2.元禄11(1698)年に将軍綱吉の別荘を建設した時、舟運のため川さらいを行い、その人足の第10組をここから出したため。

地元では「十番」という呼び名が俗名として使われていたが、地番としては残っていなかった。昭和37年に「麻布十番○丁目」などという町名が復活したのである。
かつては地下鉄が通っておらず、唯一の交通機関は都営バスのみという交通不便な地域であったが、平成12年9月に営団南北線が12月に都営大江戸線がそれぞれ開通し、一気に便利になった。



営団麻布十番駅前


駅前のウエンディーズは若者のたむろの場


パチンコ屋もある


麻布十番温泉まである 大人1260円
泉質:重曹泉 効能:冷え性、ヒステリー、火傷、神経痛など


なんと、たい焼き屋まで・・・。


麻布十番の面白いところは、一本路地裏にいったところに、ちょっとした小さなお店(飲食店)が存在していることである。マンションの階段を上っていって4階のドアをあけると、個人で経営している多国籍料理店になっていたり、と歩いて見つけるのもまた楽しい。

武蔵小山商店街パルム【東京考察#30】

Musashi-Koyama shopping center

 


 東急目黒線武蔵小山駅前から中原街道まで、約750m(都内最長)にも渡って続くアーケード街がある。武蔵小山商店街・パルムである。たびたびテレビでも紹介されている商店街だが、ここに来ると身の回りのものは何でもそろってしまい、ただ歩くだけでも楽しい商店街である。昨今、大型店の出店により、駅前の小さな近隣商店街は苦境にさらされているところが多い中、ここは商店主や組合の努力が功を奏し奮闘している商店街である。
足を踏み入れてみると、商店主の方々の「売ってやろう」というやる気が感じられ、店先に出て呼び込みや店頭販売を行い、商店街の活気を盛り上げている。お互いが刺激しあって、商店街全体を盛り上げている感じがする。その地域を生かすも殺すも、そこに生活して活動している人々の努力の結果なのである。



アーケード内部  美川憲一が自転車で出てきそう「もっとはじっこ歩きなさいよ」


店先で焼き鳥を買ってその場で食べる


店先に並ぶパン


サウナもあるし、回転寿司もある


仏壇もある


武蔵小山商店街は目黒区との区界に近い品川区小山・荏原に存在している。目黒区といえば芸能人が多く住む気品の高い住宅地を連想するが、目蒲線(現目黒線・多摩川線)、池上線沿線は、下町的な風情の残る地域となっており、ここ武蔵小山商店街も歩いていると下町的な雰囲気を堪能できる街である。



合鍵と靴修理は外せない


化粧品の店頭販売  今日もマツモトキヨシでお買い物


お茶屋の店頭販売


必ずこういった「ゲーセン」がある


喜多方ラーメンもある


中には「閉店」も・・・

木11折返 東陽町駅⇔若洲キャンプ場[都バスで東京発見]

東京23区内唯一のゴルフ場もある若洲海浜公園までを結ぶ路線

木11折返 東陽町駅⇔若洲キャンプ場(経由)新木場駅 深川営業所

路線keyword:若洲海浜公園,若洲キャンプ場,若洲ゴルフリンクス,新木場


新木場のさらに南に位置する若洲海浜公園までを結ぶ路線であり、若洲の物流・倉庫関係会社へ通う通勤客と若洲海浜公園等へ向かうレジャー客を輸送している。
東陽町駅から東京ヘリポートまでは木11甲系統と同じルートを走る。
東京ヘリポートを過ぎると、砂町南運河を若洲橋で渡って若洲へと入る。若洲橋の上からは釣り糸を垂れる人々が数多くいるが、近くには釣り禁止と書かれた看板が立てられている。若洲は、夢の島同様、東京都内から出る生ゴミを埋め立てて造成された、物流業者の倉庫と公園等のレジャー施設が存在する人工島である。
若洲橋を渡り終わると、東京23区内唯一のゴルフ場である東京都若洲ゴルフリンクスのクラブハウス前(左手)となる。このゴルフ場は、18ホール、約6800ヤード、岡本綾子が監修した本格的なゴルフコースであり、都営であることから料金も格安なものとなっている。また、全国でも珍しく禁煙のゴルフ場となっているが、これは埋立地の地盤から出る可燃性ガスを放出するためのガス抜き管が、あちこちに設置されているためである。ちなみに、爆発の危険性はもうなくなっているのでご安心を。
バスは右折して、物流業者の事務所に立ち寄る迂回するルートをとる。休日になると、バスは右折せず、若洲海浜公園まで直進してしまう。若洲の埋立地は、忽然と建っている大倉庫と雑草の茂る大空地のみであり、大きな空き地に雑草が茂る風景は、まるで北海道の湿原のようである。ここは、発展途上の埋立地である。ちょっとむかしまでは、お台場(13号埋立地)もこうであった。
江東倉庫会館を出るとバスは右折し、若洲海浜公園へ向けて直進する。道路にはあちこちにゲートが取り付けられており、「関係者以外立入禁止-東京都港湾局」と書かれた看板が取り付けられているが、昼間は開いており、バスはそのゲートを通過していく。夜間における「走り屋」を閉め出すためのゲートなのだろう。ドライバーテクニックを試すには絶好の場所である。
左手にはゴルフ場が広がり、右手には若洲海浜公園が現れた。そして、突き当たりをUターンすると、終点若洲キャンプ場(若洲海浜公園)に到着する。
若洲海浜公園は、キャンプ場、多目的広場、サイクリングロード、遊歩道、サイクル広場、海釣り施設、人工磯、ゴルフ場、ヨット訓練所が存在する野外レクリエーション公園である。

木11乙 東陽町駅⇔潮見駅[都バスで東京発見]

東陽町駅と潮見駅を結ぶ路線

木11乙 東陽町駅⇔潮見駅(経由)新砂二丁目・新東京郵便局 深川営業所

路線keyword:明治通り,ウッディランド東京(東京木材センター)


東陽町駅から新砂一丁目までは、木11甲系統に沿って走り、そこから右に折れてJR潮見駅までを結ぶ路線である。新砂一丁目までは、木11甲系統と同じルートを走る。
新砂一丁目を出ると、新砂二丁目交差点を右折し、砂潮橋を渡って潮見に入り、JR京葉線の高架橋を見て右折すると、終点潮見駅に到着する。潮見には東京木材センターがあり、林野庁東京営林局による木に関する展示場「ウッデイランド東京」が存在する。

木11甲 東陽七丁目⇔新木場循環[都バスで東京発見]

東陽町と木材の貯木場・新木場を結ぶ循環路線

木11甲 東陽七丁目⇔新木場循環(経由)東陽町駅・新木場駅 深川営業所

路線keyword:新木場(貯木場),東京ヘリポート,夢の島,明治通り


木11系統は東陽町駅・新木場駅と新木場・若洲を結ぶ路線であり、貯木場を中心にぐるりと循環する木11甲系統、新砂一丁目から右折して潮見駅までを結ぶ木11乙系統、そして、新木場よりさらに南に位置する若洲キャンプ場までを結ぶ木11折返系統が存在する。

東陽七丁目・東陽町間は非常に本数が少なく、1日に数本しか運行されていない。
東陽7-東陽町駅 未乗

東陽町駅を出ると永代通りを東に走り、団地やマンション等の高層住宅を眺めながら、右手に江東運転免許試験場を見て、境川交差点を明治通りへ右折する。
沿線には大倉庫・工場が立ち並び、渋谷・新宿・池袋の明治通りとは全く違った景観を見せる。左手に新東京郵便局・東京小包郵便局を見て、夢の島大橋を渡る。橋の上からは、プレジャーボート等が係留されている夢の島マリーナを左手に見ることができる。
橋を渡ると、夢の島となる。夢の島は、東京都内の生ごみの処理場として、昭和32(1957)年に埋め立てが開始され、昭和42(1967)年に終了した14号埋立地のことである。一時期「ゴミの島」などと揶揄されたこともあったが、現在は、熱帯植物園、マリーナ、第五福竜丸展示館、夢の島公園、総合体育館などが存在し、「夢の島」はレクリエーションの場として定着している。「夢の島」という名称は正式な町丁目名であり、住所も「東京都江東区夢の島……」となっている。首都高速湾岸線、JR京葉線の高架をくぐると、新木場駅前となる。
新木場駅からは循環ループ運行となり、第一貯木場・第二貯木場を中心として右回りに走っていく。新木場は、それまで木場に集中していた木材業者を、水上交通の不便さと防災上の観点から移転させてできた木材流通基地である。
新木場一丁目、新木場東と過ぎ、左手に管制塔が現れると、東京のヘリコプターの基地である東京ヘリポートとなる。バスは右折し、車窓には角材の積まれた山が現れる。窓を開けると木の香りが車内にまで漂ってくる。そして新木場三丁目となる。
左折するとバスは最徐行し、上下に規則正しく小刻みにガタガタ揺れながら右カーブを走る。スピード防止のため、道路路面にバンブと呼ばれる凹凸が付けられているのである。たまに通過するなら楽しめるが、毎日通過する運転手や乗客にとっては気の毒な存在である。
左手に砂町南運河が広がった。向こうに見える陸は若洲である。雑草の茂る空き地も多く、埋立地特有の荒涼さも感じられる。
再びバンブを通過して右に曲がり、南千石橋を渡る。左右を見渡すと、水に浮かぶ木材を見つけることができる。そして、しばらく走ると新木場駅となり、バスは再び明治通りを戻っていき、東陽町を目指して走っていく。

錦11 錦糸町駅⇔築地駅[都バスで東京発見]

錦糸町と築地とをビジネス街の路地裏的な道路で結ぶ路線

錦11 錦糸町駅⇔築地駅(経由)新大橋・茅場町 江東営業所

路線keyword:築地,下町的な風景とビジネス街


錦糸町駅前もずいぶん様変わりした。駅前デパートなどのリニューアルにより、汚らしい街から綺麗な街へ。築地駅のバスは駅前のターミナルから発車せず、少し離れた四つ目通りの住友銀行前から発車する。
錦糸町駅を出ると、四つ目通りを南下し、住吉にて右に曲がる。新大橋通りを東に走る。菊川、森下と都営新宿線の駅前を通り、隅田川を斜張橋の真新しい新大橋で渡って、中央区日本橋浜町となる。
左手に水天宮が現れ、蛎殻町となる。だんだんとオフィスビルが建ち並ぶようになり、景色が変化してくる。鎧橋で日本橋川(上には首都高速)を渡ると、証券会社のオンパレード・兜町界隈となって茅場町となる。
オフィスビルの谷間の裏路地的な2車線道路をバスは走っていく。八丁堀、桜橋、新富町となって、晴海通りの手前で終点築地駅となる。バスを降りて正面に歩くと、左手に築地本願寺の正面が見える。錦糸町駅行きのバス乗り場は、築地本願寺前からの発車となる。築地市場は、晴海通りを渡ってすぐのところにある。

黒10 目黒駅⇔東京駅南口[都バスで東京発見]

東京駅・芝・麻布十番・白金台を結ぶ路線

黒10 目黒駅⇔東京駅南口(経由)一ノ橋・御成門 目黒営業所

路線keyword:増上寺の三解脱門,赤煉瓦駅舎,麻布十番,芝


威風堂々とした街並みの広がる東京駅南口の東京中央郵便局の隣から、バスは出発する。左手に赤煉瓦駅舎を見ながら右折し、続いてはとバスのりばが現れる。正面突き当たりは新宿副都心に移転した都庁の跡地であり、現在は国際的な総合文化情報施設である「東京国際フォーラム(国際会議場)」の建物がほぼ完成し、開業に向けて準備が進められている。
左手に東京国際フォーラムを眺めて、馬場先門交差点にて日比谷通りに左折する。直進すれば二重橋となる。右手には馬場先濠と皇居外苑の緑が眺められ、重厚な明治生命館等のビルディングが現れる。首都東京を思わせる威厳ある景観が続く。日比谷交差点を過ぎると、左手に帝国ホテル、右手に日比谷公園が現れる。
日比谷通りを南へ走り、御成門を過ぎると左手が港区役所となって、右手に芝公園の緑が現れる。そして右手には、徳川家康が徳川家の菩提寺とした増上寺の真っ赤な三解脱門が突然現れる。古川を芝園橋で渡ってバスは右折する。右手には東京タワーが望める。芝園橋から古川橋までは都06系統と同じルートを走る。
古川橋を出るとバスは直進せず、「く」の字型に経路をとって魚藍坂下の停留所に止まる。桜田通りに入って、終点まで東98系統と同じルートを走る。清正公前で目黒通りに右折し、白金台の界隈を走って、駅ビル「サンメグロ」が現れると、終点目黒駅に到着する。

平成12年12月、都営大江戸線・営団南北線の開通により廃止された。

都08 日暮里駅⇔錦糸町駅[都バスで東京発見]

川の手地域を走る利用価値の高い都市新バス・グリーンリバー

都08 日暮里駅⇔錦糸町駅(経由)千束・押上 南千住営業所

路線keyword:川の手(下町)地域,碁盤の目道路,リバーピア吾妻橋,日暮里駄菓子屋,グリーンリバー


電車では遠回りをしなければならない区間である日暮里駅と錦糸町駅とを結ぶ、比較的利用価値の高い都市新バス・グリーンリバー路線であり、かつての里23系統である。グリーンリバーとは「川の手」地域を走るということで付けられた名称である。「川の手」という言葉は、武蔵野台地に広がる「山の手」という言葉に対抗して作られたもので、川の多い下町低地の広がる地域を「川の手」と呼んで、地域のアイデンティティーを育んでいこうというものである。
錦糸町駅バスターミナルを出ると、JR線のガード下を通り、四ツ目通りを北上する。関東大震災後の帝都復興計画によって造られた錦糸公園を右手に見て、碁盤の目状に道路の入った地域を走っていく。太平、横川、業平と通過し、押上となると浅草通りへ左折する。北十間川北側に京成電鉄の本社がある。そして、商店街が続くようになると業平橋となり、こちらの北十間川北側には東武鉄道の本社が建っている。
吾妻橋二丁目交差点にて右前方の2車線の道に入るが、通りの名前は浅草通りで変わらない。右手には、リバーピア吾妻橋・吾妻橋ホール・アサヒビール本社・墨田区役所等のビルが建つ再開発事業地が現れ、すっかり名物になった金色の炎のオブジェがビルの上に乗っている。隅田川を吾妻橋で渡り、右手には東武鉄道の鉄橋、左手には駒形橋のアーチ橋、さらに後ろを振り向くと眩しい色彩を放つ金色の炎のオブジェを見ることが出来る。この「リバーピア吾妻橋周辺地区」の景観は、建設省主催による都市景観100選に選ばれている。
右手に水上バスのりば、東武浅草駅・浅草松屋デパートを見てバスは右折し、浅草松屋前となる。浅草二丁目で左折し、浅草寺の裏側を通って、西浅草三丁目で国際通りに右折する。
吉原遊郭で有名だった千束を抜け、竜泉となるとバスは狭い2車線道路に左折する。遊郭は千束四丁目あたりに存在していた。現在でも特殊浴場街として知られる場所である。
竜泉からは住宅の密集する下町風情を色濃く残す地域を走っていく。くねくねとしばらく走っていくと、噴水のある駅前ロータリーに入って、終点日暮里駅前に到着する。駅の北側には10軒ほどの駄菓子問屋街があり、昔懐かしい駄菓子を買うことができる。これも下町風情のひとつである。

都07 錦糸町駅⇔門前仲町駅[都バスで東京発見]

JR総武線と営団東西線とをコの字型に結ぶ都市新バス路線

都07 錦糸町駅⇔門前仲町駅(経由)亀戸駅通り・境川 葛西営業所

路線keyword:門前町,砂町,運河・水路,木場,貨物小名木川駅,グリーンスター


JR錦糸町駅前のバスターミナルを出ると、国道14号線・京葉道路をJR線と平行に東へ進む。亀戸駅前にてバスは右折し、明治通りへと入る。今度は南へと進路を変える。
都営地下鉄西大島駅を過ぎ、周囲にはマンションや団地などの高層住宅が多く目に付く。そして、北砂三丁目バス停付近に来ると、右手に聞き慣れない「小名木川駅」と書かれた看板が通り過ぎた。JR貨物の専用駅であり、昭和4(1929)年に開設された、木材の運送を主に行う貨物駅である。
この付近の地名を眺めると、北砂、東砂、南砂、そして新砂と、「砂」の名前が多いことに気づく。この辺り、かつては海岸の寄り洲(風波などによって砂が吹き寄せられてできた洲)であって江戸初期に新田開発された地であるという。
日曹橋交差点にてバスは右折し、永代通りを西に進む。この路線はきれいなコの字を描くようにルートが設定されている。左手には、都内に三ヶ所ある運転免許試験場のひとつである江東試験場が現れる。そして東陽町駅前となる。
バスは地下鉄東西線の上を走り、かつては木材の貯木場があり、江戸時代より材木業者が集まって賑わっていた木場となる。勿論「木場」という地名もそこからきているものである。現在、木場は移転しており、ここより南東に位置する14号埋立地に新木場として貯木場が存在している。
この界隈は水と関わりの深い地域である。運河や水路が道路のように縦横に貫いているのが分かる。昭和初期までは海にも近く、魚介採取を職業とする漁師も多かった。八月には江戸三大祭りの一つである”水かけ祭り”が行われる富岡八幡宮前、毎月1・15・28日の縁日には屋台で賑わう深川不動前を過ぎると、かつては深川富岡門前仲町、蛤町等と呼ばれていた門前仲町に到着してバスは終点となる。保存会のメンバーによる木場の角乗りや深川の力持ちが見られるのは、南に流れている大横川に架かる黒船橋付近においてである。

学07 東大構内⇔御茶ノ水駅[都バスで東京発見]

御茶ノ水駅と東京大学を直結する路線

学07 東大構内⇔御茶ノ水駅(経由)竜岡門 大塚営業所

路線keyword:東京大学,東京大学病院


上野駅と日本の最高学府・東京大学とを直結する路線である。系統番号の先頭が「学」となっている路線は、「学バス」と呼ばれ、大人運賃が170円で乗車することができる(通常200円)。行き先が「構内」となっているように、このバスの終点は、大学の門をくぐって東大の構内に操車場が設けてある。さすがは「東大」といったところか。
東大構内を出発すると、東大病院前に停車し、竜岡門を通過すると、東大構外となる。あとは御茶ノ水駅までノンストップ。順天堂大学病院が見えてくると、左手に御茶ノ水駅のホームとアーチ型の聖橋を見ながら神田川を渡って、御茶ノ水駅前となる。

学06 恵比寿駅⇔日赤医療センター[都バスで東京発見]

恵比寿駅と日赤医療センターを結ぶ学バス路線

学06 恵比寿駅⇔日赤医療センター(経由)東4丁目 渋谷営業所

路線keyword:日赤医療センター,狭路


広尾にある日本赤十字医療センターまでを結ぶ路線である。日本赤十字看護大学があるため学バスとなっているのであろう、大人170円で乗ることができる。日赤医療センターへのアクセスの他、東地区や広尾地区の住民にとってのアクセス路線ともなっている。恵比寿駅からの他に、学03系統の渋谷駅からも路線も存在する。
日赤医療センター前の鬱蒼と繁る緑のロータリーをまわり、門を出る。広尾の落ち着いた住宅地の狭路を走り、東4丁目で左に曲がる。あとは恵比寿駅を目指してまっすぐ走り、明治通りと交差して、終点恵比寿駅となる。

都06 渋谷駅⇔新橋駅[都バスで東京発見]

古川に沿って港区の交通不便な地域を走る都市新バス路線

都06 渋谷駅⇔新橋駅 (経由)天現寺橋・赤羽橋 目黒営業所

路線keyword:古川,麻布十番・広尾界隈,「○○橋」停留所のオンパレード,明治通り,グリーンエコー


渋谷-新橋間には、六本木・溜池経由の都01系統(グリーンシャトル)と天現寺橋・赤羽橋を経由する本系統の2路線が存在する。本路線はかつての橋85系統であり、交通不便な一の橋(麻布十番)などの地域を走ることから、乗客数の多い路線である。
新橋駅を発車すると、ゆりかもめ・東京臨海新交通の高架橋下から第一京浜(国道15号)を南に走っていく。都営地下鉄浅草線大門駅を通り、首都高速が上に覆い被さり、左手川面に屋形船の浮かぶ古川を金杉橋で渡って右折する。
バスはここから終点渋谷駅まで、古川(渋谷川)沿いをずっと走っていく。本路線の停留所の名前は古川に架かる橋名を付けたものが多く、半数近くが「○○橋」という停留所名になっている。古川は、新宿御苑の池を水源とする渋谷川、明治神宮内苑の南池を水源とする南の池川、代々木公園西側の宇田川がそれぞれ渋谷駅付近にて合流して渋谷川となり(渋谷駅から上流は全て暗渠となっている)、天現寺を通って青山墓地付近を水源とする川を合わせて古川となる。南麻布・麻布十番・三田・浜崎橋ジャンクション下を通って東京湾へ注いでいる。
左手に済生会中央病院が現れて赤羽橋、東京専売病院が現れて中の橋、古川を一之橋で渡って一の橋・麻布十番となりバスは左折する。古川も直角に川筋を変えて流れている。一の橋では営団地下鉄南北線の駅工事を行っており、将来は「麻布十番駅」として地下鉄が開業する予定である。(H12,9開業)
この辺りは地下鉄のアクセスの良くない地域であり、それ故に四方八方から多くのバス便が設定されている。一の橋を通るバスは6系統存在し、その行き先を全て挙げてみると、東京駅、新橋駅、田町駅、品川駅(品川車庫)、五反田駅、目黒駅、渋谷駅、新宿駅、四谷駅となり、多くのJR線の駅に向かうことができる。
麻布十番とは、延宝3(1675)年の幕府が古川の改修工事をしたときの十番目の工区であり、さらに後の将軍の南麻布の別荘建設に伴う工事で、この地域から十番組の人手を出したことから、十番と呼ばれるようになった。現在も麻布十番商店街は山の手の高級地にある下町的な商店街として麻布十番温泉と共に賑わっている。
二の橋・三の橋と過ぎて、古川橋にて明治通りに右折する。ここが明治通りの起点である。バスは古川と首都高速に沿って、四の橋、光林寺と走り、天現寺橋となる。道路拡張工事の進む広尾五丁目、広尾一丁目を過ぎて渋谷橋となる。東となって、沿道に飲食店等の商業施設が多くなると、明治通りの上下線が分かれて、その中央部分に都バスのターミナルが現れて、終点渋谷駅前に到着する。

都05 晴海埠頭⇔東京駅南口[都バスで東京発見]

東京駅と晴海埠頭を結ぶ路線

都05 晴海埠頭⇔東京駅南口(経由)銀座四 杉並・深川営業所

路線keyword:晴海埠頭,銀座,築地,勝鬨橋


東京駅と築地・勝どき・晴海地区とを結ぶ路線で、JRを利用するビジネス客も多く利用し、朝夕は混雑する。
東京駅南口の東京中央郵便局前を発車すると、東京フォーラム(都庁跡)を正面に見て、右手に曲がる。すぐに左に曲がり、有楽町そごうのあったところの脇を通って有楽町駅となる。そして、晴海通りへと左折し、数寄屋橋となる。ここからは、都03系統と同じルートを走る。

都04 豊海水産埠頭⇔東京駅南口[都バスで東京発見]

東京駅と豊海の水産埠頭とを結ぶ路線

都04 豊海水産埠頭⇔東京駅南口(経由)勝どき二・銀座四 江東営業所

路線keyword:豊海水産埠頭,勝どき,勝鬨橋,銀座,歌舞伎座,築地


東京駅から豊海水産埠頭までのアクセスラインである。
東京駅南口の東京中央郵便局前を発車すると、東京フォーラム(都庁跡)を正面に見て、右手に曲がる。すぐに左に曲がり、有楽町そごうのあったところの脇を通って有楽町駅となる。そして、晴海通りへと左折する。数寄屋橋の人通りの激しい、賑やかな交差点を通り、銀座の中心地・銀座四丁目交差点を横切る。歌舞伎座を左に眺め、築地を通り、勝どき橋を渡り、勝どき二丁目までは都03系統と同じルートを走る。勝どき2丁目で右折する。
勝どきの高層住宅を眺め、新島橋を渡ると、水産関係の倉庫群が建ち並ぶ豊海となり、終点となる。