「■東京の情報」カテゴリーアーカイブ

BANCHAN WORLD の東京をテーマにしたカテゴリーです.

都03 四谷駅⇔晴海埠頭[都バスで東京発見]

四谷(新宿駅西口=廃止)からベイエリア晴海埠頭までを走る路線

都03 四谷駅⇔晴海埠頭(経由)四谷駅・銀座四 杉並営業所

路線keyword:新宿超高層ビル,歌舞伎町,皇居・桜田濠,銀座,勝鬨橋,晴海埠頭,グリーンアローズ


さまざまな個性ある、見所多いポイントを走り、新宿から晴海までを横切る路線である。気分転換を図りたいとき、東京観光を行いたいときは、この路線を完乗することを薦める。とにかく、新宿歌舞伎町・皇居・銀座・勝鬨橋・ベイエリア晴海埠頭と変化に富む車窓には飽きが来ない。本数もほどほど走っており、気軽に乗れるバスである。
新宿副都心の超高層ビルを眺められる新宿駅西口のバスターミナルを発車すると、青梅街道で右に曲がってJRの大ガードをくぐり、東口の歌舞伎町を走る。左側が魅惑のネオン輝く歌舞伎町となり、道路にはゴミが散乱して汚い。新宿5丁目で右に曲がり、伊勢丹や丸井を見て、新宿3丁目で新宿通りに左折する。新宿の繁華街をひととおり眺めることができる。同性愛者の街・新宿2丁目にさしかかると、外を歩く同性のカップルが目につく。そして、新宿御苑前を過ぎると、四谷界隈へと変わっていく。
高いビルが道路に建ち並び、四谷駅前となると、右手に上智大学が現れる。麹町を走り、突き当たりに皇居が見えてくると、半蔵門となって、バスは右に曲がる。左手には緑々とした美しい皇居(本当に美しいと思える風景である)が広くて大きな道路と共に開放的な空間を形成しており、三宅坂の下り坂をバスは快走する。右手に国立劇場、最高裁判所、警視庁が現れ、桜田門の横を走り過ぎる。そして、日比谷となる。
有楽町・銀座界隈となり、JR線をくぐると、数寄屋橋交差点。そして、銀座の中心地・銀座四丁目交差点となり、銀座の街の中を横切っていく。すぐ左手に歌舞伎座の風格ある建物が現れ、築地となる。バスは、ひたすら晴海通りを直進する。
隅田川に架かる橋の中で、もっとも下流に位置する勝鬨橋(かつては中央部が「ハ」の字に開く橋だった)を渡り、勝どきとなる。運河を渡り、晴海埠頭に入ると右に曲がり、東京国際貿易センター(かつての晴海見本市会場)を右に見て、終点晴海埠頭となる。終点には、豪華客船などの大型客船が発着する晴海客船ターミナルがあり、ここからはレインボーブリッジの美しい姿を目の前で見ることができるデートスポットとなっている。

平成12年12月、新宿駅西口-四谷駅間が廃止された。都心を横断する見所多い場所を走るだけに、残念である。おそらく、新宿駅周辺の渋滞が激しく、定時運行が困難になったためだろうと思われる。

海03 東京テレポート駅⇔ 環境局中防合同庁舎[都バスで東京発見]

臨海副都心から中央防波堤ゴミ埋立処分場までを結ぶ路線

海03 東京テレポート駅⇔環境局中防合同庁舎(経由)テレコムセンター駅 深川営業所

路線keyword:中央防波堤,ゴミ処分場,埋立地,臨海副都心


ゴミ処分場(埋立地)の合同庁舎に勤める東京都環境局職員や来訪者のために設置されている路線であるが、合同庁舎の1階には処分場やゴミについての展示がされており、その見学のために利用する人もいる。中央防波堤埋立処分場は近未来的なお台場・臨海副都心の南側に位置するが、ここに降り立つとかつての13号埋立地(いまのお台場である)を彷彿させるような埋立地特有の殺伐とした風景が広がっており、首都東京の環境問題を考える上でも、お台場にショッピングやレジャーで来た人に是非寄ってもらいたい場所である。
東京では昭和初期よりゴミの埋立てが行われてきたが、処分場が満杯になる度に海側へ海側へと処分場が広がっていき、その変遷は、潮見(8号地)から始まって、夢の島(14号地)、若洲(15号地)、中央防波堤内側埋立地(このバスの終点、合同庁舎が建っている所)、羽田沖(羽田空港拡張による沖合展開工事部分)と続けられ、現在埋立てが行われているのが、合同庁舎の南側に位置する中央防波堤外側埋立処分場である。この中防外側埋立処分場も平成15年には満杯になるということで、さらに南側の新海面処分場が新たなゴミ埋立地として設置されている。しかし、この新海面処分場は東京湾における最後の処分場として考えられており、この新海面処分場までも満杯になってしまうと、東京都ではゴミの処分場が無くなってしまうことになる。遠い将来、東京湾はなくなってしまうかもしれない。
あまりにもきれいに整備された東京臨海高速鉄道の東京テレポート駅のロータリーを出発すると、パレットタウンの世界最大級の大観覧車、そして美しいワイヤーの張られた斜張橋を見て、巨大なビルと巨大な駐車場に囲まれている臨海副都心をバスは走っていく。
船の科学館前で左に曲がり、テレコムセンター駅で新交通ゆりかもめと接続すると、バスは右折し、青海埠頭へと入っていく。ここには、外貿(外国貿易)定期船埠頭があり、四角い巨大な倉庫群が壁のように立ちはだかっており、緑や朱色のコンテナが山のように積まれている光景が続く。近未来都市・お台場とはがらりと風景が変わる。
そして、青海埠頭から中央防波堤内側処分場の埋立地までを結ぶ第二航路海底トンネルへ入る。
海底トンネルを出ると、ススキなどの背の高い雑草が広がり、かつての何もなかった13号埋立地(お台場)を彷彿とさせる。左に曲がると、建物が見えてきて終点となる。
バスを降りると、腐った生ゴミの臭いがツンと鼻をつく。合同庁舎の隣には、粗大ゴミ破砕処理施設やゴミを分別してリサイクルに回す施設などが広がっており、消費社会の末路を全身で感じ取ることができる。

都02乙 池袋駅東口⇔文京区役所[都バスで東京発見]

池袋と小石川・小日向・春日界隈とを結ぶ路線

都02乙 池袋駅東口⇔文京区役所(経由)大塚3丁目・伝通院 大塚営業所

路線keyword:雑司ヶ谷霊園,護国寺,文京区役所,小石川・春日界隈,グリーンライナー


かつては池67系統:池袋駅東口・一ツ橋間の運行だったが、現在は池袋駅東口・文京区役所間に短縮され、同時に系統番号が都02乙に変更された路線である。その時の名残で、現在でも平日・土曜の朝に数本、一ツ橋行のバスが走っている。
池袋駅東口を出ると、首都高速5号線の高架の下を南下し、都電荒川線の線路を横切り、雑司ヶ谷霊園付近を通る。護国寺にてバスは左に曲がり不忍通りを走る。
車内の乗客はかなり老人が多い。文京区は大正時代頃より「山の手住宅地」を形成していた古い住宅地なので、老人の数が多い地域となっており、文京区を走る都バスに乗ると、必ず老人の姿を見かけることができる。バスは地下鉄と違って気軽に乗降できることから、老人にとってはバスの方が便利な交通機関であろう。
大塚三丁目で右折し、春日通りへ入る。ここから終点の文京区役所まで、小石川・小日向・春日界隈を、都02系統とほぼ同じルートで走る。

都02 大塚駅⇔錦糸町駅[都バスで東京発見]

大塚から錦糸町までを春日通りで横断する乗客多い路線

都02 大塚駅⇔錦糸町駅(経由)文京区役所・御徒町駅・本所一丁目 大塚営業所

路線keyword:春日通り,文京シビックセンター,東京ドーム,上野広小路・アメ横,厩橋,グリーンライナー


鳩が戯れ、その横を都電が走る。錦糸町行の都市新バス・グリーンライナーはそんな大塚駅前広場より発車する。
大塚駅を出発するとバスは南下し、新大塚で春日通りに入る。大塚三丁目を過ぎて、右手にお茶の水大学、都バスの大塚営業所が現れて、茗荷谷駅となる。この辺りは台地なので、上野広小路までは坂の多い道を登ったり降りたりしながら、小日向、小石川、春日と文京区内を走っていく。文京区は、明治以降に諸大名の屋敷跡地に大学等の文教施設を多く設置したところから「文京」という名がついたという。東京大学を筆頭に、跡見学園短大、お茶の水女子大学、順天堂大学、拓殖大学、中央大学理工学部、東京医科歯科大学、東洋女子短大、東洋大学、東邦音楽短大、日本女子大学、文京女子短大と、これらの大学・短大が文京区内に存在している。かつては、東京教育大学(現筑波大学)、東京農業大学も存在していた。
また、文京区は大正時代の頃から、「山の手」住宅地となっていた地域であり、そのため老人の姿を多く目にする地域である。文京区は落ち着きのある独特な雰囲気の漂う場所である。
伝通院前<説明>を通ると、上部が半円形になっている真新しい高層ビル・文京シビックセンター(文京区役所)が前方に現れ、富坂上のバス停を過ぎると急な下り坂となって、文京区役所前となる。この区役所庁舎は「豪華庁舎」として一時期話題にのぼった建物で、最上部は無料展望台となっている。内部は吹き抜けになっており、シースルー(ガラス張り)の高速エレベーターから、区役所の各階の内部をのぞき込みながら展望台に行ける楽しい設計になっている。
ビルの谷間から東京ドームの丸い屋根が右手に現れ、白山通りを横切って東に進む。東京大学の最寄りバス停である本郷三丁目を過ぎると、学問の神様・菅原道真を祭る、合格祈願で有名な湯島天神前となり、坂を下って上野広小路となる。右手に上野松坂屋が現れ、御徒町の繁華街の中を突っ切る。左手のアメ横には人々が大勢うごめいていた。この場所は通過するのに時間がかかることが多いが、現在都営地下鉄12号線の駅建設工事中で、渋滞に一層拍車をかけている。
JR線のガードをくぐると、右手には宝石・貴金属専門店が建ち並ぶジュエリータウンが通り過ぎる。昭和通りを横切り、バスは春日通りを進むが、この辺りから文京区とは対照的な下町の雰囲気を徐々に呈するようになる。元浅草、三筋と過ぎると、隅田川を美しい3連アーチの厩橋で渡って、墨田区となる。
本所一丁目からは春日通りに別れを告げて、清澄通りを南下し、蔵前橋通りに左折する。バス停名は石原のオンパレードとなるのだが、正しい読みは「いしはら」なのか「いしわら」なのか。商店街やバス停留所のローマ字表記は「いしはら」となっているが、区役所の設置する町丁目名の看板やバスの車内案内放送では「いしわら」となっている。停留所の表記と案内放送とで異なっているのには「おや?」と思うが、地名辞典によると「いしわら」という読みで記載されているので、とりあえずは「いしわら」が正しいという結論にしておく。
そんな事を考えているうちに、終点錦糸町駅に到着した。

海02 新木場駅⇔東京港フェルーターミナル[都バスで東京発見]

新木場駅、国際展示場駅から長距離フェリーの出航するフェリー埠頭までを結ぶ路線

海02 新木場駅⇔東京港フェリーターミナル(経由)国際展示場駅 深川営業所

路線keyword:フェリー埠頭,臨海副都心,東京ビッグサイト


東京港から出航する長距離フェリーは、ここから出航する。臨海副都心・お台場の南側に位置するのであるが、お台場のファッショナブルな近未来都市的な風景とは一変して、埋立地特有の殺伐とした物流地区が広がっている。物好きな観光客以外、あまり訪れる人もいない。
新木場駅を出たバスは、左手に貯木場を見ながら、臨海副都心を目指して西に進む。H鋼や電線リールなどの工事用資材が野積みされ、殺伐とした風景が続く。すすきが繁り、かつての13号埋立地を彷彿させる風景も見られる。りんかい線東雲駅となる。
正面に巨大な近代的高層ビルが現れると、雰囲気ががらりと変わって、近未来的な風景となる。そして、国際展示場駅となる。
左手に逆三角形の東京ビックサイト(国際展示場)が通り過ぎ、フェリー埠頭への唯一の橋である有明埠頭橋を渡って、フェリー埠頭に上陸する。地番では江東区有明4丁目となっている。
また雰囲気ががらりと変わって、大倉庫の建ち並ぶ異様な空間となる。沖縄行きフェリー乗り場入口停留所を通過する。コンテナが山のように詰まれ、トラック(コンテナ車)のオンパレードとなる。暴走族にとっても格好のレース場のようであり、その対策としてバンブと呼ばれる凹凸が道路に設けられている。このバンブが「これでもか!」と思えるほど設置してあるので、バスはスピードを上げることができず、ガタガタ揺れながら走っていく。
フェリー埠頭の最南端にターミナルがあり、バスは終点となる。釧路・苫小牧・高知・徳島・北九州へと、フェリーが出航していく。海を眺めると、現在廃棄物による埋め立てが進んでいる中央防波堤廃棄物処分場が見える。

学02 高田馬場駅⇔早大正門[都バスで東京発見]

高田馬場駅と早稲田大学とを直結する路線

学02 高田馬場駅⇔早大正門(経由)西早稲田屋 小滝橋営業所

路線keyword:早稲田大学,BIGBOX


非常に本数が多く、利用客の多い路線である。早大の学生が利用するというよりは、高田馬場2丁目や西早稲田周辺への利用客が多い。学バスなので料金が170円で乗れるというのも嬉しい。
マラソンランナーが壁面に描かれているアミューズメント施設「BIGBOX」を背にしてバスは高田馬場駅を発車する。明治通りと交差し、学生街らしく古本屋、居酒屋、そしてラーメン屋が建ち並ぶ通りを走り、西早稲田となる。東西線早稲田駅のある馬場下門で左折すると、早稲田中高を通り過ぎ、まもなく正門前のロータリーとなる。

C・H01 新宿駅西口⇔都庁循環[都バスで東京発見]

超高層ビルのそびえ立つ新宿副都心・都庁を走る路線

C・H01 新宿駅西口⇔都庁循環(経由)都庁第一本庁舎 新宿営業所

路線keyword:東京都庁,新宿副都心,超高層ビル群


東京都庁の新宿副都心への移転に伴なって開設された路線であり、都庁には歩いても新宿駅西口から約10分程で到着することができる。新宿副都心に移転する前は、有楽町駅北側の丸の内に都庁が存在していた。
新宿副都心は、東京都がかつての淀橋浄水場跡地(約59ha)を昭和35(1960)年に新宿副都心計画として決定し、再開発を行ってきた場所であり、日本における超高層・高容積率都市開発の先駆的な例である。超高層ビルが建ち並ぶ景観は、アメリカ・ニューヨークの摩天楼を思わせるほどの迫力があり、新宿副都心で最初に開業したビルは京王プラザホテル(昭和47(1972)年)であった。
新東京都庁舎は丹下健三の設計によって昭和63(1988)年に起工し、平成3(1991)年に竣工した敷地面積約43,000㎡の庁舎である。新庁舎は、第一本庁舎・第二本庁舎・都議会議事堂の3つから成り立っており、この路線もそれぞれの建物を順に回って新宿駅に戻るルートとなっている。
都庁行のバスは1階の地上バスターミナルから発車するのではなく、タクシー乗り場等のある西口地下広場の噴水の見えるロータリから発車する。バス停付近には野宿をする人々の段ボール小屋がたくさん並んでおり、都庁行バスのりばには警備・案内も兼ねたバス誘導員が一人立っている。この路線はシャトルバスとして、他の一般路線(大人200円)よりも運賃が安く設定されており、大人180円で乗ることができる。
新宿駅西口を発車すると、バスは新宿副都心へ抜ける地下トンネルを西に向けて直進する。トンネルを出ると、左手に京王プラザホテル、右手に黒色の新宿三井ビル、右手前方に銀色の新宿住友ビルの超高層ビル群が目の前にそびえ立つ。そのままバスは直進し、左手に都庁第一本庁舎が現れると、都庁第一本庁舎停留所となる。右手にはホテルセンチュリーハイアット、第一生命ビルの超高層ビルが現れる。
新宿中央公園を正面に見てバスは左折し、第一本庁舎を通り過ぎると再び左折して都庁第二本庁舎停留所となる。ここは第一本庁舎と第二本庁舎とを結ぶ連絡通路にあたり、上には都庁通りが南北に通っているので、雨の日は第二本庁舎停留所で降りると濡れずに都庁に行くことができる。第二本庁舎は右手である。
第二本庁舎を出ると、バスは都議会議事堂の1階駐車場のゲートをリモコンで開けて左折する。その薄暗い駐車場内に都議会議事堂停留所があり、再びゲートを開けて駐車場を出てバスは右折する。駅西口に通じるトンネルを再び走って、タクシーの大勢並ぶ新宿駅西口地下広場に戻って終点となる。

二階01 上野広小路⇔浅草雷門[都バスで東京発見]

日本で最初に二階建てバスが導入された路線

二階01 上野広小路⇔浅草雷門(経由)上野駅 南千住営業所

路線keyword:二階建てバス,上野広小路,浅草雷門,浅草通り


日本で最初に路線バスとして二階建てのバスが導入された区間である。昭和56(1981)年より運行されており、東京観光には欠かせない存在である。運賃は一般の路線(大人200円)よりも高く設定されており(大人250円、小人130円)、都営交通の一日乗車券で乗ることも出来ない。
上野行のバスが発車すると、すぐ左手に雷門の赤提灯が通り過ぎ、右手に吾妻橋と隅田川水上バスのりばを見て左折、浅草松屋・東武浅草駅前となる。これから寿町まで浅草公園(浅草寺・花やしき等)を中心にぐるりと回り、それから上野を目指す。浅草二丁目で左折し、「浅草寺は東京で最も古い寺である」等といった案内放送を聞きながら、浅草寺裏を通り過ぎる。2階からの眺めは、当然ながら普段乗るバスよりも視点が高い。手を伸ばせば信号機に手が届くような高さである。普通の路線バスが小さく見える。
西浅草三丁目交差点より国際通りへ左折し、右手に浅草ビューホテル、左手に花やしきをちょっとだけ眺めて浅草公園六区・映画館のある興行地区となる。寿町になると浅草通りへ右折する。
二階バスは浅草通りを上野駅へ向けて東に走るが、この下には昭和2(1927)年に開通した日本初の地下鉄・銀座線が通っている。首都高速の高架が見えると右手に上野駅舎が現れ、JR線の高架橋をくぐって、左手にアメ横の入口を、右手に上野の森と成田空港へ向かう京成線上野駅を見ると上野駅前下車停留所となる。
そして走ったかと思うと、すぐに終点上野広小路停留所に到着する。
残念なことに、2001年3月をもって廃止されることが決定した。これで、都内をはしる2階建て路線バスは全てなくなることになった。

海01折返 門前仲町⇔ 東京ビッグサイト(国際展示場)[都バスで東京発見]

門前仲町・豊洲と臨海副都心・東京国際展示場とを結ぶ路線

海01折返 門前仲町⇔東京ビッグサイト(国際展示場)(経由)豊洲駅 深川営業所

路線keyword:東京ビッグサイト(東京国際展示場),臨海副都心,有明


門前仲町から有明一丁目までは海01系統・門前仲町・品川駅東口線と同じルートを走る。
左手に下水処理場の銀色のカプセル型の建物が現れるとバスは左折して、高速湾岸線を横切って有明南地区に入る。開発テーマは「文化の出会う交流のまち」であり、東京ビッグサイトを核とした街づくりが行われている。
フェリー埠頭入り口にて左折し、ゆりかもめ(東京臨海新交通)の高架橋の下を走る。右手には東京ビッグサイトの逆三角形のひっくり返ってしまいそうな奇抜な建物が徐々に近づいてくる。東京ビッグサイトは、晴海見本市会場の約1.5倍の広さを誇る展示ホール、会議施設などのコンベンション施設が集中する施設である。無料で屋上に登ることができ、臨海副都心を海からの風にあたりながら眺めることができる場所である。
左手には東京ファッションタウンビルが現れ、ビル内にあるワンザ有明ベイモール吹き抜け部分に設けられている落差35mのシャワーツリー(滝.毎時0分に天井から降ってくる)は有名な観光スポットとなっている。そしてバスは終点東京ビッグサイトの1階バスターミナルに到着する。

海01乙 東京テレポート駅⇔ 青海流通センター[都バスで東京発見]

青海埠頭・青海流通センターへの通勤アクセス路線

海01乙 東京テレポート駅⇔青海流通センター(経由)船の科学館駅 深川営業所

路線keyword:青海埠頭,臨海副都心,青海流通センター,船の科学館


臨海副都心のさらに南側・青海埠頭への通勤アクセスを考慮して設定された便であるが、本数が極端に少なく、乗車するときは時刻を調べておく必要がある。かつては門前仲町からの直通便だったが、平成8(1996)年の臨海高速鉄道東京テレポート駅の開業により区間が短縮され、東京テレポート駅発となった。
バス停行先や路線案内図では「青海流通センター」となっているのだが、バス方向幕やバス停時刻表には「青海埠頭」となっている。都営バスの場合、同じ場所を表しているのにもかかわらず、行先方向幕・バス停・路線案内図それぞれに記載されている名称が若干違っている場合がけっこう存在する。その地域に馴れていない場合、うっかりためらって乗り損なうこともあるので注意する必要がある。
真新しくて閑散としている東京テレポート駅前広場よりバスは発車した。土曜日だからなのか、乗客は私一人である。左にフジテレビ本社屋の建物を見て左折し、右手にレインボーブリッジ、デックス東京(商業施設ビル)が現れて、ゆりかもめ・台場駅前となる。お台場海浜公園、ホテル日航東京を右手に眺めながらバスは左折し、船の形をした船の科学館が右手に現れるとゆりかもめ・船の科学館駅前となる。
左手には空地とその空地の中心に唐突に立ち並ぶ街路樹の並木を眺め、大きく左にカーブしてテレコムセンタービル前となると、ゆりかもめ・テレコムセンター駅前となる。テレコムセンター駅前からは、青海地区南に存在する企業の送迎バスも発着しており、バス停に群がる人々は、ほとんどが企業送迎バスを待っている人々である。
テレコムセンター前交差点を右折するとすぐ左手に東京港青海サービスセンターがある。ここにはトラックドライバーのために朝6時30分から営業をして朝定食等を用意しているレストランと仮眠がとれる休憩室が入っている。もちろん誰でも朝定食を食べることができる。
ここから先は周囲の景観ががらりと変わる。近未来的なオフィス・商業ビルが立ち並ぶ地区から、コンテナや巨大な大型倉庫が建ち並ぶ埋立地特有の風景に変わる。外国籍のコンテナが多く、「EVERGREEN」「UNIGLORY」「WAN HAI」「HAN JIN」……などと書かれた色とりどりのコンテナが多く積まれている。
中央車線はゴミ処分場となっている中央防波堤廃棄物処理場へ続く第二航路海底トンネルに向かう車線となる。建設残土を積んだトラックや都のゴミ収集車が絶え間なくトンネルへ吸い込まれていく。一般車はこのトンネルを通って中央防波堤埋立地に行くことはできず、トンネル入口には監視員の小屋が建てられている。バスはトンネル左の側道にはいって突き当たりでUターンし、ワールド流通センターの巨大な建物の前に来て終点となる。道路脇には背丈程ある雑草が生い茂り、埋立地特有の無味乾燥とした情景を醸し出している。現在、臨海副都心としてきれいに整備されているところも、かつてはこのような風景が広がっており、船の科学館(1974年開館)を見学した時などはよく蚊に刺されたものである。

海01 品川駅東口⇔門前仲町[都バスで東京発見]

臨海副都心を貫く近未来都市を快走する路線

海01 品川駅東口⇔門前仲町(経由)有明テニスの森・東京テレポート駅 深川・品川営業所

路線keyword:臨海副都心,東京港(海底)トンネル,首都高速湾岸線,お台場,有明地区


今話題のスポット・臨海副都心を横断する乗りごたえ充分な路線である。非日常的な空間を体験したくなったら、是非ともこの路線に乗ってみることをお薦めする。
門前仲町を出発すると越中島になり、左に曲がって東京商船大学前を通る。高層住宅の多い塩浜を過ぎて、枝川で右折し、豊洲で左折して、東雲となり、運河に囲まれた埋立地の四角い土地の上をバスは次々と渡っていく。運河を渡るたびにバスはかまぼこ型になっている橋を登っては降りるということを繰り返す。運送会社等の倉庫群が多くなってきた。
東雲で右折すると、いよいよ臨海副都心となる。副都心とは、都心部への業務機能の集中を分散させて多心型都市構造への転換を図るために設けられた地区のことで、池袋、新宿、渋谷、大崎、上野・浅草、錦糸町・亀戸、そしてこの臨海副都心の7つが副都心として指定されている。東京都市博覧会の中止決定以降、景気の低迷も影響して、臨海副都心開発の見直しについての議論が行われ、就業人口10万6千人、居住人口6万3千人の街から、7万人が働き、4万人が生活する街を開発することに変更された。開発目標年度は21世紀初頭を目指して国際化・情報化に対応した機能を整備する計画である。
さらに細かく臨海副都心を探ってみると、有明北地区、有明南地区、台場地区、青海地区の4つの地区に分かれており、それぞれテーマを設定して開発が行われている。ちなみに臨海副都心全体のテーマは「国際化、情報化に対応した未来型の副都心」となっている。左手奥に東京ビッグサイト(東京国際展示場)の逆三角形の建物が遠望でき、新交通システムの水色の高架橋が見えて、バスは有明北地区にさしかかった。
有明北地区の開発テーマは「うるおいゆたかな生活のまち」であり、中高層住宅やテニスの森などの公園・スポーツ施設を整備して人々が快適に生活できるような街を目指している。48面のテニスコートを有する東京都有明テニスの森、東洋一の規模を持つドーム型センターコートである有明コロシアムを右手に眺めながら、東へと進む。
左手に最新の設備を誇るクリーンセンター(下水処理場、清掃工場)を見て、首都高速のジャンクションをくぐり、のぞみ橋で運河を渡ると台場地区となる。開発テーマは「くらしを楽しむにぎわいのまち」であり、有明北地区同様生活に重点を置いた街づくりを展開しており、レインボーブリッジがベランダから眺められるという高層住宅や、人工浜が広がるお台場海浜公園、デックス東京等の商業施設やホテル日航東京等のビルが建ち並んでいる。フジテレビ本社も来年(1997年)の春に移転する予定であり、ビルの上部に丸い銀色の球体をはめ込んだ奇抜なデザインの建物が既に完成している。臨海副都心ではあちこちで奇抜なデザインの建築物を見ることができる。右手にはレインボーブリッジを背景にしたお台場海浜公園か見える。
6万トンの豪華客船クイーンエリザベス号と同じ形・大きさにした建物であるという船の科学館(1974年開館)を右手に見て、国際的な情報の受発信の機能を有する東京テレポートの中心的施設であるテレコムセンター前となる。首都高速湾岸線より南側は青海地区であり、開発テーマは「世界とむすぶ情報のまち」となっている。業務施設を中心とする開発地区である。いたるところ空地が目立ちち、その所々に高層ビルが建っており、空地の中には街路樹だけが植えられた歩道の道筋がはっきりと見て取れる、不思議な空間が広がっている。滅多に見れる光景ではない。青海地区をぐるりと周回して東京臨海高速鉄道東京テレポート駅のロータリーに入る。バス本数の半数程が東京テレポート駅での折返し便となる。
東京テレポート駅を出ると、バスは13号地ランプより首都高速湾岸線に入り、東京港トンネル(13号地海底トンネル)を快走し、大井埠頭へと渡る。大井ランプの料金所を通って高速を降りる。高速を走る都バスはこの路線のみである。他の都バスと同じ料金であるから、何だか得した気分になる。
ここからは品98系統と同じルートを走る。大井・品川火力発電所前を通り、天王洲アイルのビル群を見て、終点品川駅東口に到着する。

学01 東大構内⇔上野駅[都バスで東京発見]

上野駅と東京大学を直結する路線

学01 東大構内⇔上野駅(経由)上野松坂屋 大塚営業所

路線keyword:東京大学,東京大学病院


上野駅と日本の最高学府・東京大学とを直結する路線である。系統番号の先頭が「学」となっている路線は、「学バス」と呼ばれ、大人運賃が170円で乗車することができる(通常200円)。行き先が「構内」となっているように、このバスの終点は、大学の門をくぐって東大の構内に操車場が設けてある。さすがは「東大」といったところか。
上野駅浅草口を出ると、オートバイの専門店が連なる昭和通りに出て、上野駅正面口を眺める。右折して、御徒町駅のガードをくぐり、アメ横を過ぎると松坂屋前となり、中央通りと交差する。このあたりの渋滞がひどく、東大から上野駅までは、歩いた方が早いような気もする。
途中の停留所は飛ばして、竜岡門をくぐると東大構内となりレンガ調の建物が連なってアカデミックな雰囲気となる。東大病院を過ぎて、まもなく終点となる。安田講堂は左手奥すぐのところにある。

市01 新橋駅⇔築地中央市場[都バスで東京発見]

始発5時02分(開場日)、朝早くから威勢のある築地中央市場への路線

市01 新橋駅⇔築地中央市場(経由)朝日新聞 品川営業所

路線keyword:東京都中央卸売市場(築地市場・築地の魚河岸),朝日新聞本社,浜離宮


都バスに限らず、東京都内を走るバスの中で最も早い時間に運行する路線である。JRの始発電車に合わせて時刻が設定されており、バスに乗る人もほとんどがJR線からの乗り継ぎ客である。目的は当然、築地の市場への買い出しである。新橋駅に電車が到着すると、タクシー乗り場を目指して徒競走が繰り広げられる。お互いタクシーを相乗りして、一刻も早く鮮度の良い魚介類を買い付けようと市場に急ぐのである。バスも満員の乗客を乗せて、まだ闇の広がる新橋駅前を発車した。
始発バスは乙系統の朝日新聞循環行であり、市場構内には乗り入れないが、築地中央市場正門前にて下車し、正門を入って少し歩けば築地中央市場の構内バス停にたどり着く。また、市場休場日(バス停留所に1年間の市場休場日が掲載されている)には市場構内に入らず、乙系統の朝日新聞循環行となる。甲系統と乙系統の違いは、市場構内に入るか入らないかである。(現在は市01系統に一本化されている)
鉄道発祥地のゼロキロポストが残る汐留の更地を右手に見ながら昭和通りを途中で右折し、高速道路の下をしばらく走って浜離宮前となる。新大橋通りをカーブしながら走ると、右手に「青果門」と書かれた看板が現れ、横付けされたトラックに買い付けた青果の箱を積み込む場面が多く見られるようになる。ここからは今までの静寂が嘘のように、活気づいた地帯となる。
現在の築地の魚河岸は、関東大震災後に江戸時代より日本橋にあった魚市場を海軍兵学校跡地に移転したことに始まり、取り扱う貨物量は東洋一と言われている。
築地中央市場正門前にて、乙系統は左折して新橋駅へ戻るルートとなるが、甲系統は左折レーンをそのまま進んで右折し築地市場構内へと入っていく。3階建ての立体駐車場の薄暗い1階部分をトラック・ターレット車・パレット・買い付けた荷物などを眺めながら通過する。立体駐車場の出口部分で終点の降車場となり、前から後ろから満員の乗客が次々と降りて、正面にある買荷保管所・魚類部仲卸店舗の建物・場内へと足早に去っていく。
場内は卸売専門であり、私のような一般人には品物を売ってくれない。正門前には「卸売以外の販売はいたしません-東京都」と書かれた大きな看板が立っている。一般人への小売りは「場外」と呼ばれる、正門前の新大橋通りを築地本願寺方向に少し歩いたところの場外市場で行われている。そこには魚屋はもちろん、乾物屋・包丁屋・料理道具屋・冷蔵庫屋・玉子焼屋・長靴屋・のぼり旗屋・コーヒースタンド・ラーメン屋など様々な店が並んでいる。玉子焼専門店では数種類の玉子焼きを売っており、お得意先はお寿司屋さんだということである。
場内に話を戻す。雰囲気は騒然としており、活気に満ちあふれている。ぼやぼやしていると荷を積んだターレット車と呼ばれる荷を台車に積んで引っ張る三輪自動車やリヤカーにひき殺される。セリは建物内の仲卸店舗の奥で行われており、そこまで入っていくことはできるが、リヤカーやターレット車が暗黙の秩序で動き回っており、混雑時は立ち止まることができず、まごまごしていると邪魔になる。混雑時の見学(といっても一番の見所は朝の混雑時であるが……)は魚介類が多く並べられている仲卸店舗を足早にぐるりと一回りし、奥地は越えないで一寸眺めてすぐ引き返すのがベターである。それでも十分すぎるほど、場内の雰囲気を味わうことができる。見学する外国人の姿もちらほら見受けられ、威勢のいい掛け声があちこちから聞こえている。
正門立体駐車場の北側は、定食屋・売店・診療所等が立ち並ぶ場所である。朝早くから開店しており、卸売業者や市場従業員、買い付け人が多く利用している。築地場内はさながら”小さな街”といったところである。
新橋駅行の場内バス停留所は、立体駐車場1階の出口車線の正門寄りの柱脇に建っている。トラックに囲まれており、バス乗り場とは全く感じられない場所である。「場内混雑時はバスが入場しないので朝日新聞社前よりご乗車ください」と書かれた地図付きの看板が柱に取り付けられていた。
バスは、左手に昭和55(1980)年に有楽町より移転してきた朝日新聞本社、右手に国立がんセンター(現在工事中)の建物を見ながら道路を直進し、しばらく走って昭和通りへと左折する。左手に汐留の跡地を眺めると、まもなく終点新橋駅に到着する。

虹01 浜松町駅⇔ 国際展示場駅(東京ビッグサイト)[都バスで東京発見]

浜松町駅から臨海副都心・お台場までレインボーブリッジを渡って結ぶ路線

虹01 浜松町駅⇔国際展示場駅(東京ビッグサイト)(経由)お台場海浜公園駅・船の科学館駅 目黒・深川営業所

路線keyword:レインボーブリッジ,お台場,臨海副都心,東京ビッグサイト,世界貿易センタービル


今や一大観光スポットとなってしまったお台場までを結ぶ路線である。お台場までのアクセスとしては新交通システムのゆりかもめが思い浮かぶが、この浜松町駅からのバスの他に、品川駅東口(レインボーブリッジ経由)、東京駅南口(銀座4丁目経由の快速バス)からそれぞれ運行されている。バスの方がすいていて座れるので、ゆっくり景色を見ることができるに違いない。
発車は世界貿易センタービル1階の高速バスターミナルから発車する。夜の発車を待つ高速バスがずらりと止まっている。
JR線のガードをくぐり、車を積んで寝台に乗れる列車の駅であるカートレイン浜松町駅を右手に見る。三宅島や八丈島・小笠原諸島への乗船口である竹芝桟橋で右に曲がる。新しくリニューアルされ、真新しい再開発ビルが建ち並ぶ。
運河を渡り、左手にレインボーブリッジが現れると、隅田川やお台場への水上バスのりばのある日の出桟橋となる。はとバスなどの大型観光バスが数多く停車している。
バスはお台場・船の科学館駅まで、ゆりかもめの高架にそって走っていく。大倉庫群の建つ芝浦埠頭を走り、レインボーブリッジにさしかかる。レインボーブリッジは2層構造となっており、上が首都高速道路、下が一般道路とゆりかもめとなっている。このバスは下の一般道路を走っていくのであるが、これらは橋への勾配やカーブのアプローチがとれないため、ぐるりとループ状に1周走って坂を上り橋にのっかるルートをとっている。左手にフジテレビ本社、天王洲アイルのビル群をみて、ぐるりと右回りに1周し、レインボーブリッジに入る。
非常に眺めはよい。といってもフェンスや橋の構造物で視界が遮られることもあるが、晴海埠頭や東京港が一望できる。江戸時代の砲台が配備されていたお台場が右手に見て、橋を降りるとお台場海浜公園駅となる。臨海副都心お台場の説明は別ページに譲る。
臨海副都心の近未来的な風景のお台場をぐるりと走り、逆三角形型の建物が右手に見えると東京国際展示場・ビッグサイトとなる。ここ止まりのバスが多い。そして、国際展示場駅となる。レインボーブリッジを渡るから「虹01」と名づけた系統番号は、なかなか洒落ている。

都01 渋谷駅⇔新橋駅[都バスで東京発見]

都市新バスの老舗、渋谷・六本木・溜池・新橋と結ぶ成績優秀模範路線

都01 渋谷駅⇔新橋駅(経由)六本木・溜池 渋谷営業所

路線keyword:渋谷,赤坂アークヒルズ,六本木・西麻布,霞が関ビル,新橋,車内混雑,
グリーンシャトル


現在では、日本各地で見られるようになり珍しい存在ではなくなったバスロケーションシステムであるが、バスの運行を適切に行うためにコンピュータによる運行管理を導入し、停留所にバスの接近表示や所要時間等を表示するバスロケーションシステムを、都バスで最初に導入(昭和59(1984)年設置)したのが本路線である。運行本数、乗客数ともに優秀であり、理想的なバス運行を行っている。沿線に西麻布・六本木などの繁華街、赤坂アークヒルズ・溜池・虎ノ門などの業務オフィス地域を抱え、渋谷・新橋からその地域までの地下鉄によるアクセスが不便であることなどから、本系統を利用する乗客が多い。渋谷から六本木へ行くには、このバスに乗るのが一番便利な行き方である。
渋谷駅バスのりばの足元には、整列乗車のために白のラインが描かれており、乗客の列の誘導を行っている。先発のバスの後ろには既に次発のバスが待機しており、バスが発車するとすぐに次のバスがやってくる。乗客も途切れることがなく、ポツリポツリとやってきて、座りたい人は列の最後尾に並び、急いでいる人は先発のバスに乗り込んでいく。バス停に貼り付けてある時刻表には、驚くほど数字がびっしりと並んでいる。
若者の街・最先端の流行を生み出す渋谷を出発し、青山通り(国道246号)を少し走って、そのまま六本木通りを首都高速3号線とともに直進する。お洒落な店が時々現れて、後ろへ過ぎ去っていく。南青山をバスは快走する。
西麻布にて外苑西通りと横切り、しばらく走ると六本木の中心・六本木交差点を通過する。夜ともなると人垣が途絶えることがなくなり、渋谷などと同様に24時間眠ることのない賑やかな繁華街である。各国大使館などの人々が居住する地域と近いこともあって、外国人の姿も多く目にする。
赤坂になると、右手に森ビル・サントリーホールなどがある赤坂アークヒルズのインテリジェント・シティーが現れる。そして、溜池交差点にて外堀通りに右折する。
左手が霞が関、右手が虎ノ門である。左手には特許庁が現れ、続いて日本初の超高層ビル・霞が関ビル(1967(昭和42)年オープン)が少し奥に現れる。国立教育会館・虎ノ門ホールと文部省が左手に見えて虎ノ門交差点となり、桜田通り(国道1号)と交差する。
虎ノ門を過ぎると看板を付けたビルディングが多くなり、後ろを振り向けば道路の軸線上に霞が関ビルが存在している。霞が関ビルがオープンした頃は周りには高いビルがあまりなく、目立った存在だっただろう。そして、JR線のガード下を通って右に曲がると、終点新橋駅の銀座口・汐留口側に到着する。

都バスでGO![都バスで東京発見]

旅の基本は路線バス! 都バスを路線ごとに紹介. 街を眺めるのにはバスに乗るのが一番です.地域の雰囲気が空間で伝わってきます.東京の中を縦横無尽に走っている都バスにのって,素顔の東京を発見するのもいいのではないでしょうか.

(~2000年12月作成)

各ページは以下のリンクからご覧ください.
都バスで東京発見サイトマップ

アメヤ横丁(上野御徒町)【東京考察#29】

Ameya Yokocho (at Ueno Okachimachi)


JR御徒町駅前のアメ横入口

 

 「アメ横」を知らない人はいないだろう。大晦日になると必ずといっていいほど、TV中継がされる商店街である。正式にはアメヤ横丁というが、戦後アメリカのものを売っていたことからこの名がついたという。なにしろ、このアメ横は普通の商店街を超越していて、アジア人としての日本を意識せずにはいられなくなる。混沌としたカオス状態なのである。魚屋のとなりに洋服屋があり、乾物屋のとなりでゴルフのクラブを売っている・・・。このアンバランスさと混沌とした状態が、いかにも「アジア」的でエキゾチックなのである。そして、この混沌とした風景に接したとき、なぜかホッとするのは、僕だけではないだろう。やはり、我々はアジアの中の日本人なのである。



JR線のガード下に所狭しと広がるアメ横


服を金物に引っかけて、上へ上へと陳列する タイのマーケットのようである


乾物屋の隣にあるアーミーショップ


洋服屋の隣で大トロやマグロを売る これがアメ横


魚屋のおっチャンとのやりとりも楽しい すぐ値引きが始まる


アメ横で買い物をするとき注意することがひとつある。それは、「本物を見極める目を養うこと」である。なにしろ値段が安いので、ついつい手を出したくなってしまうが、なかには縫製が甘かったり、鮮度の落ちたカニだったり、バッタものに出くわすことがある。ただ、元々値が安いのを承知で買っているのだから、それはそれとして、買い物を楽しむのがアメ横である。



日本ではないようだ


赤提灯の一杯飲み屋もある


モツ煮込みは下町飲み屋の定番

ジュエリータウン(御徒町)【東京考察#28】

Jewelry town (at Okachimachi)

 


 ルビー通り、ダイヤモンド通り、ひすい通り、サファイヤ通り・・・、女性であれば目が輝いてしまうような名前が通りに付けられている。この辺りは、貴金属・宝石の問屋が集まるところであり、別名「ジュエリータウン」と呼ばれている。結婚が決まって指輪を贈るとき、この街で指輪を購入し、近くの韓国人街でキムチを買って、アメ横で夕食のおかずを買って帰るのも悪くはないのでは。


狭い通りには宝石店が建ち並ぶ


左手に見える高架橋はJR山手・京浜東北線


金銀財宝がケースに並んでいる・・・


店をはしごすると欲しくなっちゃうんだよね,ダイヤモンドって.


だいたい定価の20~40%引きで売っている

東京港フェリー埠頭ターミナル【東京考察#27】

The Tokyo harbor ferry terminal



徳島・新門司までを結ぶフェリー(おーしゃんのーす)


 東京港から出港するフェリーは、東京ビッグサイト南側に位置するこの有明フェリー埠頭から出航する。那智勝浦・高知、徳島・新門司とを結ぶ航路が存在するが、かつては北海道の苫小牧、釧路航路も存在していた。現在、北海道へフェリーで向かいたい場合、茨城県の大洗港から室蘭、苫小牧まで向かうことができる。
近未来都市・お台場からすぐ近くのところにフェリー埠頭は存在しているが、辺りの雰囲気は一変して、埋め立て地独特の殺伐とした光景が広がる。まず、観光でこの埠頭にやってくる人はいないだろう。交通のアクセスも悪く、新木場・国際展示場駅から海02系統の都営バスが、1時間に1本程度走っているのみである。



乗船名簿等を提出する窓口


海を眺められる待合室


埠頭とターミナルからのびるタラップ


東京湾で釣りをする人々


台切シャーシとは下の写真のことを言うのか?


遠くにお台場の観覧車とビル群が見える


ブルーハイウエイラインのさんふらわあ号

 

浅草雷門と仲見世・公園六区【東京考察#26】

Asakusa Kaminari-mon and Nakamise, Koen-rokku
(The town where the Edo culture of old Japan remains)

 

 今の浅草は、外国からの観光客が必ず立ち寄る国際観光地となった趣があり、古き良き東京、江戸情緒を残す街として、賑わっている。昭和初期や戦後時代には、日本の流行発信地として、現在の渋谷・新宿に匹敵するような大繁華街を形成していたが、東京の繁華街は西へ西へと移動していき、斜陽化する浅草をなんとか復活させようと、数々の祭りを催したり、新しいタイプのホテルやビルを建てたりし、往年の繁華街の復権に力を入れている。



雷門


雷門の先に続く仲見世


古風な日本を感じさせるみやげもの屋。
外国人観光客にはこのような日本風なものに人気があるのだろう。


せんべい屋。香ばしい醤油の香りが漂ってくる。


仲見世の裏側


人力車。お金を払えば誰でも乗れる。


浅草では、年中、行事と祭りを行っている


伝法院通り。この雰囲気は浅草と大阪・新世界でしか味わえない

 
こんなものまで売っている。大村昆のオロナミンCは9900円。女のかつらはなんと15万円。


浅草公園六区。かつては一大繁華街・映画街であった。


浅草公園六区の「六区」とは、明治15(1882)年より始まった浅草公園の築造・整備(全6区画に区分して整備)における区画番号のことである。その中でも第6区画は興行街として整備され、そのまま「浅草公園六区」という名称が東京の娯楽の代名詞のようになったのである。バス停の名称に「浅草公園六区」という名が今でも残されていることに拍手を送りたい。映画館は明治40(1907)年頃から登場し、現在も残る浅草六区の映画街が形成された。



地下鉄銀座線の浅草駅。赤提灯が浅草らしい。


「東京時代祭り」で歩く中村勘九郎 歓声があがる。

東京国際空港(羽田空港・ビッグバード)【東京考察#25】

Tokyo International Airport (Haneda Airport)

 


 羽田空港は、正式には「東京国際空港」という。成田空港は「新東京国際空港」。1978(昭和53)年に成田が開港するまでは、羽田が東京の国際空港も担っていた。
現在の羽田空港は、空港機能の増強と航空機騒音問題を解決するために沖合に移転拡張して大きさを過去の3倍にした24時間空港であり、新旅客ターミナルは1993(平成5)年にビッグバードの愛称でオープンした。年間の離着陸処理能力は約23万回であり、滑走路は新A滑走路(3000m)、新B滑走路(2500m)、新C滑走路(3000m)の3本である。さらに、沖合に桟橋方式の海上空港を建設するよう、東京都が運輸省に要望を行ったところである。首都圏第3空港などの議論が行われているが、東京都心からのアクセスを考えれば、羽田に勝るところはない。


 
着陸する飛行機(JAS) タイヤから煙りが出ている 背後は京浜工業地帯


チェックインカウンター


ボディチェックを受けて待合室へ


バスタクシー乗降場


中央部の吹き抜け


吹き抜け


離陸するびかちゅうジャンボ(ANA) ~屋上展望デッキより

巨人軍優勝パレード【東京考察#24】

Baseball Tokyo Giants team championship parade(in Ginza Nihonbashi)


 2000年秋、6年ぶりの日本一、長嶋監督率いる巨人軍の優勝パレードが、大手町から日本橋・京橋・銀座まで走り抜けた。約34万人の人出となったが、何の混乱もなく無事終了した。



日本橋高島屋前


当日配られた応援旗


旗を配る人


警備員は何を思う? 「俺は後ろを振り向けないんだ!」


取材陣は脚立に乗って…


取材ヘリが物々しい音を立てて飛び回る


パレードカー登場。巨人ナインは3台の改造トラックに分乗していた。

警察博物館【東京考察#23】

Police museum

 

 白バイの赤ランプがピカピカ光り、一見すると交番のような面構え、ここは警察博物館である。何も悪いことはしていないのに、入るのを躊躇ってしまうのは、僕だけではあるまい。あまりお金がかかっていないような展示の内容であるが、制服の変遷や、警察の歴史、運転シュミレーター、各都道府県警のエンブレム、実物の辞令、鑑識調査の道具、警察手帳などの道具が展示されている。中でも目を引くのが、いままでの殉職者の写真と、その時に着ていた血痕のついた制服、ナイフで切り裂かれた制服(どちらも本物)が展示されており、警察官という任務のシビアな面も感じることができる。わざわざ足を運ぶほどの展示ではないが、銀座に買い物に行ったとき時間が余っているのなら、ちょっと寄ってみるのも悪くはない。中央通り沿い、京橋の首都高速の高架橋下近くに存在する。


雨の晴海埠頭【東京考察#22】

Harumi Futo (passenger liner wharf)

 


 東京の海の玄関にふさわしい建物をと、昭和63年9月より着工し4年の歳月をかけ建設されたのが、晴海客船ターミナルです。近年のクルーズ人口の増加と客船の大型化に対応した先端の技術と安全性、そして斬新なデザインが与えられ、東京港開港50周年となる平成3年5月に完成しました。---

と、パンフレットには書いてある。つまり、2万トン級の豪華客船、にっぽん丸やふじ丸、飛鳥などといった大型客船を係留するための埠頭であり、世界各国の豪華客船や軍船を見ることができる。館内には、今月の入港船一覧表(時刻)が貼ってあるので、お目当ての船があれば、見学することもできるだろう。苫小牧や四国・九州方面へのフェリーは、この埠頭からの出航ではなく、有明にあるフェリー埠頭ターミナルより出航する。晴海埠頭は、あくまでもクルーズ船などの豪華客船が主である。建物は東京都の施設である。



晴海客船ターミナル


大きな荷物やカートものれる段差なしのエスカレーター


待合ロビー(CIQ検査室)


税関のお知らせ看板


大型客船を係留する埠頭


送迎デッキ(紙テープなどを投げて見送る)


臨港広場


雨にかすむレインボーブリッジ

 

鶯谷駅からの風景【東京考察#21】

Scenery from the Uguisudani station


  JR鶯谷駅のホームから撮影した風景である。こう堂々と人目につくところにホテル街があるのは珍しい。普通は、人目につかない繁華街の奥の方に、忽然ときらびやかに姿を現すのがラブホテルであろう。夜になると、山手線や京浜東北線の車窓から怪しいネオンを拝見することができる。
普通のホテルより安い値段で泊まれるので、ビジネスホテルが満杯の時は、このホテル街をアタックしてみるのも悪くはないのでは…。


田園調布(高級住宅街)【東京考察#20】

Den-enchofu (overly high-class residential street)


田園調布駅 近年の立体交差事業で、鉄道は下にもぐった


田園調布、誰もが一度は住んでみたいと思う憧れの高級住宅街である。田園調布は1923年(大正12年)に田園都市株式会社(現在の東急電鉄)の民間ディベロッパーによって開発されたところである。
駅に降り立つだけで、静寂な緑あふれる高級感がひしひしと感じられる。歩く人、走る車、散歩する犬、標識のポール…すべてが高級に見えてくるから不思議である。



駅前にぽつんとあるパン屋さん


駅前から放射状にのびる道路


犬も休憩する


派手な看板がない駅前のお店


田調の子供はローラーブレードで買い物


味のある牛乳屋 戦後の雰囲気


標識のポールも緑と白に塗られており、緑を意識している


銀杏並木の道路

 ちなみに田調は、世田谷区ではなく大田区である。

夜の新宿【東京考察#19】

Shinjuku at night


アジア最大の歓楽街である新宿。夜の新宿を点景でお伝えします。


不法の露天商


東京一の歓楽街


怪しいネオン街


戦後闇市の面影が…


超高層ビルからの夜景


西口の地下。最終電車に乗り遅れないように…

都電荒川線(チンチン電車)【東京考察#18】

Toden Arakawa Line (only streetcar in Tokyo)


明治通りを走る都電
新幹線MAXの下をくぐる

 


 かつては縦横無尽に都内を走っていた都電であるが、モータリーゼーションの波には打ち勝つことができず、昭和42年~47年までの間に、この荒川線を残して全廃してしまった。この荒川線も廃止の予定であったが、専用軌道が多く代替交通機関がないこと、地元からの強い要望があったことにより、存続することになった。当時は、赤羽-王子-三ノ輪間と荒川車庫前-王子-早稲田間の2系統あったものを、赤羽-王子間を廃止して、1本化したもので、この時に荒川線という名が生まれた。


  
三ノ輪橋

 三ノ輪橋停留所は商店街に埋もれるように行き止まりとなっている場所である。この何とも言えない雰囲気が最高である。都電を降りると下町の商店街が目の前に広がり、小さいチンチン電車は街の中にすっかり溶け込んでいる。関東の駅百選に選定された。


 
小台-宮ノ前間

 都電が道路の上を走るのは、王子駅前-飛鳥山間と小台-宮ノ前間のみである。小台-宮ノ前間は、道路拡張が進み、もうじき道路中央に専用軌道が完成する見通しである。都電の車体には入口にステップがないので、ホームを設けなければならないが、段差がないので車椅子でも楽に乗ることができる。


 都電の運賃は大人160円である。乗るときに160円を運賃箱に入れる前乗り先払いとなる。しかし、朝のラッシュ時には運転手一人では多くの乗客をさばききれないため、朝の王子駅前では、車内にある運賃箱をホームに置いて臨時改札を行っている。

 


 
王子駅前-飛鳥山間

 この区間は、飛鳥山と音無川に挟まれているため、専用軌道になる見込みはない。明治通りの6車線の急坂を、車におされながらそろりそろりと走っていく。雨が降ると車輪が空転し、上らなくなってしまうことがある。そんなときは砂をまいて走っていく。


 
庚申塚

 4のつく日には巣鴨とげぬき地蔵の縁日となり、最寄の庚申塚停留所は大混雑する。都電はお年寄りにもやさしい乗り物で、地下鉄のように階段もなくすんなりと乗れるし、手軽に気軽に乗ることができる。世界的にこのようなライトレールの路面電車が見直されているのは、地球にやさしく、人にやさしい乗り物だからである。
停留所前に店を構える甘味どころの「氷」旗が風になびいて、降りてくる客を待っている。


  
庚申塚-巣鴨新田間

 線路の脇に勝手口がある、こんな家がたくさんある。この踏切には遮断機も警報機もついていない。まわりが静かなので、電車がやってくると、線路を伝って「カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン…」と段々音が大きくなってきて、電車が近づいてきていることを知る。


 
大塚駅前

 
学習院下-面影橋間

 下町ばかりを走っているように感じられる都電であるが、早稲田付近ではビルの林立する中をとことこ走っていく。サンシャイン60をバックに都電は快走する。



早稲田



チンチンとなる電動ベル

 チンチン電車とは、発車するときに「チンチン」と鐘がなることに由来する。もともとこのベルは、車掌さんが運転手さんに「乗降が終わって発車してもいいですよ」という合図を、紐を引っ張って鳴らしていたもので、車掌がいなくなってワンマン化された現在、あっても無くてもいいベルなのであるが、自動の電動ベルを車内に取りつけて、いまでも「チンチン」と鳴らして走っている。自動化してまでもこのベルを残そうと決断した当時の担当者(都の交通局か)にはユーモアと生きることに対するゆとりがあるように感じる。

歩行者天国【東京考察#17】

Pedestrian paradise (driveway only for pedestrians)


秋葉原電気街の歩行者天国(中央通り)

 


 子供の頃、車を通行止めにして車道の上を歩行者が歩ける歩行者天国を見て、なんてすごいことができるのだろうか、と感慨にふけった記憶がある。これこそ中心市街地活性化の一番の切り札であり、もっともっと導入されるべき施策である。
しかし、昭和50年代に始まったこの歩行者天国も、周辺道路の渋滞が激しくなり、徐々に廃止が広がり、今では、上野駅から秋葉原駅、日本橋から銀座、新宿駅から新宿3丁目、渋谷ハチ公前109付近などを残すのみとなってしまった。特に東洋一の長さを誇っていた、上野駅から銀座8丁目までの中央通りの歩行者天国は、神田駅付近で廃止となってしまい、上野駅まで自転車でくれば、あとは銀座まで一直線に快走できたのであるが、いまは出来なくなってしまった。たけのこ族などを生み出した原宿の歩行者天国(ホコ天)も過去のものとなってしまった。残念な限りである。新宿の歩行者天国では,「大道芸禁止」の看板の横で,大道芸などが繰り広げられている.現在は黙認ということにしているが,これも賑わい創出の策として,安全な範囲内でもっともっと導入されるべきである.



出店が立ち並ぶ(秋葉原)


暑い夏ならではのアイスキャンディー屋(秋葉原)



銀座4丁目交差点(銀座)

 
銀座の中央通り(銀座)



新宿三丁目付近(新宿)

 
新宿では大道芸が行われており,
大きな輪ができている(新宿)


「新宿の母」もいた


伊勢丹前で火を噴く大道芸人(新宿)

 
原則禁止であるが,賑わい創出策として有効である.

秋葉原駅前の広場(神田青果市場跡地)【東京考察#16】

The open space in front at the Akihabara station
(the Kanda vegetable and fruit market former site)

 

 JR京浜東北線や山手線の車窓から見た覚えのある光景だろう。ここにはかつて、神田青果市場(現在は大田市場に移転)があったところで、その跡地には、広大な駐車場と広場がつくられた。その広場では、時々イベントなどを開催しているのだが、それ以外の日には、スケボーを練習する若者やスリーオンスリーをやる若者など、どこからともなく若者が集まって汗を流している。
考えてみると、東京の都心部では、このように自由にできる平たい空間はなくなってしまっている。この光景は、都会の中のヒトこまとして、非常に印象に残るものである。
また、ここに集まってくる若者達は、見られることを意識しているのかもしれない。大勢のギャラリーはいないのであるが、電車からは丸見えだし、通行人からもよく見える。あまり下手くそな人は恥ずかしくて、ここでは遊べないかもしれない。

なお,現在は再開発工事が始まり,広場はなくなって立体駐車場となっている.