お台場(レインボータウン)【東京考察#1】

Odaiba (Rainbow Town)

写真
大観覧車と菜の花畑
Map

 


 今や「お台場」は東京の観光名所のひとつとなっており、国内はもとより海外からの観光客も足を運ぶところである。昨年には世界最大級の観覧車が完成し、ますますレジャーランド化しているお台場である。しかし、東京都が開発したこの臨海副都心、もともとは業務地区と居住地区と商業地区がバランス良く配置された都市を描いて計画されたものであるが、近年の不況により企業の進出が少なく、かつての「太陽に吠えろ」が放送されていた当時の新宿副都心(超高層ビルの立ち並ぶ地域、もとは淀橋浄水場であった)のように、だだっぴろい空き地がただただ広がる光景が見られ、出鼻をくじかれた感のする開発である。



フジテレビと空き地


ゆりかもめと空き地


 東京都の借金は臨海副都心開発によるものが大きなウエイトを占めている。なにしろ、インフラストラクチャーに非常にお金がかかっているのである。島内(お台場は建設残土等によって埋め立てられてできた島である)の道路下には地下鉄の規模とおなじような共同溝が網の目のように張り巡らされ、その中には電気・ガス・上水道・下水道はもちろん、ゴミ収集管なども埋設されており、ゴミは大きな掃除機のようなバキュームでゴミ収集場までパイプで吸い上げる方式がとられている。電柱はもちろん立っておらず、きれいな街並みが形成されているが、ヒューマンスケールで建物が配置されておらず、歩いて各施設をまわろうとすると、ちょっと歩き疲れる距離である。(つまり、机上で線を引いて計画された街なので、人間の生活する尺度・スケールで建物や道路(街路)の配置がされていないのである。この問題はお台場に限ったことではなく、世界の計画されて作られた都市(キャンベラやブラジリア、筑波学園都市など)でも同じことが人工都市の問題として議論されている)



空き地を利用して開催される有明フリーマーケット


ぞくぞくオープンする遊興施設(アクアシティお台場)


 業務・オフィスの進出が少ない代わりに、レジャー産業である室内テーマパークや13スクリーンの映画館、車のショールームなどが進出しているため、お台場がレジャーランドの様相を呈しているのである。そんな中で文化が育ち、土日には空き地を利用したフリーマーケット等が開催されている。入場料300円を取られるが、中に入ると、自動車の横で古着やおもちゃなどを地面に並べてセールしており、こんな汚いクツを誰が買うのかと思ってしまうものもあるが、貴重なブランドの品物なのだろうか、たぶん購入していく人がいるのであろう。古CDやプラモデル、茶碗などの食器類、いろいろなものが売られている。
このような都市景観を体験できることは、世界的にみても非常に希である。大きな建物と大きな空き地、ゆりかもめの新交通システムに乗って少し高い位置からこの両極端な街を眺めていると、つくづく異空間にいるような非現実的な感覚を体験することができる。あと20年も経つと、ニューヨークのマンハッタンのような地区に変貌しているのであろうか、今の新宿副都心が成熟したオフィス街になってきているように……。


夜の観覧車

 

THE 豪雪[奥会津の風景]

南郷村役場(福島県南会津郡)

山口交差点(除雪車がゆく)

埋もれた車(1日放置しておくと……)

除雪ドーザ(頼もしい除雪車)

流雪溝へ雪を捨てる住民(雪捨て用の側溝・積もった雪は流してしまう)

猛吹雪3連発(視界が効かなくなる)


只見町役場(福島県南会津郡)

国道沿いの家 Part1 (積雪2m50cm)

信号機

家の入口(雪の壁を通って)

屋根の雪おろし

国道沿いの家 Part2

消雪パイプ

JR只見駅

飛島【島紀行】

 

飛島は山形県酒田市に位置し、酒田から北西約40km離れた日本海に存在する周囲約10kmの小さな小さな島である。スルメイカの産地として知られ、酒田港からの定期航路で1時間30分で到着する。海釣りやダイビングも盛んである。晩飯も朝食も、これでもか、という具合に魚介海藻類が出てくる。
写真は飛島の勝浦港である。船が入港すると、港は一時だけ賑やかになり、島はどこでもそうであるが、この雰囲気が離島の醍醐味であり、離島の旅がやめられない一因でもある。

桜島【島紀行】

今でも噴煙を上げる鹿児島県・桜島。風向きによっては灰がパラパラと降ってきて、傘がないとあっというまに頭が真っ白になってしまう厄介者である。洗濯物は外に干せず、車が通ると「ぼふぁっ」と煙が舞いたって、すさまじい砂ぼこりとなる。写真左下に見えるトンネルは、万が一の時のための避難壕である。桜島は大根でも有名。

噴煙をあげる桜島
桜島桟橋
大根が描かれている

牛たん・ネルドリップ珈琲専門店「牛たん・KOYAMA」(福島県いわき市)

JJR常磐線いわき駅より バス8分 6番のりば 鹿島SC経由小名浜行き・飯野経由ラパークニュータウン行き「上荒川公園入口」下車 徒歩10分


鹿島街道の平工業高校近く下荒川の住宅地の中で本場「牛たん料理」と本格派「ネルドリップ珈琲」を味わえる店である.
炭火で焼かれた柔らかい牛たんは,あっと言う間に一皿ぺろりとたいらげてしまう絶品である.牛が苦手,という人は,豚ロースや鶏つくね,ハンバーグなどもある.

https://gyutan-koyama.com/

店は,「蔵」をイメージしたつくりとなっており,和を基本としてアンティークさを感じる落ち着いた清潔な空間となっている.夜,店内から窓の外を見ると,モミジや竹がライトアップされ,
お店の人の「空間」に対するこだわりが感じられる.

また,マスターは音楽バンドを結成し,かつては年に1回,三崎公園の野外音楽堂にて「野音フェスティバル」を主催していた.いわきにおける音楽活動の拠点として活動されている.

ランチメニュー 牛たん塩&味噌の合い盛りセット

ハンバーグもお勧め!

ちなみに,私のお薦めは数量限定の「味噌味」.
この味を越える味噌牛タンを食べたことがありません(個人の嗜好はわかれるところですが).
仕込みに手間暇をかけているので,味噌の味がしみこんでいて,
柔らかい牛タン味噌味となっています.
塩味と味噌味は同じ値段で,これは信じられません.
一度食べたら味噌味がやみつきになります.

場所は住宅地の中のちょっと入り込んだところにあるので,
最初はわかりづらいかもしれませんが,
看板がでているので(メガネトンネルの通りのみ),
その案内にそって交差点を曲がりましょう.

クリスマスライブの模様(キーボードが僕です!!)

「美好食堂」のソースかつ丼(福島県只見町)


美好食堂


福島県南会津郡只見町
JR只見線只見駅より徒歩数分


日本有数の豪雪地帯・只見。この只見に店独自のソースをからめてある甘口のソースカツ丼が存在する。食堂の名は「美好食堂」。都会では考えられない店構えであるが、店内に入っても、その雰囲気は変わることはない。ここのソースかつ丼は、ご飯の上に薄い半熟状態の卵焼きがのっかり、その上にキャベツ、そしてソースのからめてある揚げたてのカツがのっかっている。当地域では、カツ丼というと、卵とだしで揚げたカツをからめてある、いわゆる普通のカツ丼(これを「煮込みカツ丼」と言う)と、ソースのからめてある「ソースカツ丼」の2種類が存在するので、どちらかを選択することになる。


ソースカツ丼 ¥800


ご飯・卵焼き・キャベツ・ソースカツの順にはいっている


店内には漫画本がたくさん置いてある、元祖マンガ食堂。

味のれん「さくら」(福島県南会津町)



味のれん「さくら」


福島県南会津郡田島町
会津鉄道会津田島駅より徒歩3分
(グリーンホテルミナト第2駐車場向かい)
営業時間:23時まで


南会津の山の中に、新鮮な鮮魚やこだわりの魚料理を出してくれる寿司屋がある。その名は「味のれん・さくら」。店内に張ってある「今日のおすすめ」メニューには、仕入れによってその時期の魚が味わうことができ、マスターのこだわりの味を堪能することができる。鮮魚の保存方法にも気を配っており、ほんとうにここが田島なのか、と思うほど、うまい海の幸を味わうことができる。
手作りの塩辛、酢めしのお茶漬け、イワシの握りなどがお奨め。時期によっては岩かき、メヒカリ、さよりなども味わえる。冬になると鍋料理、予約をすればふぐ鍋も食べられる。馬刺「さくら肉」も店の名前にちなんでメニューに存在する。しもふりの馬刺である。


手作りの塩辛(肝が入っているときもある。絶品!)


ヒラメの刺身


タラの白子と刺身 桜の花びらのようだ


清潔な店内

東京考察(Tokyo Guidance)

東京の街を写真と共にコラム形式で紹介. 東京は日本の顔であるとともに世界へ向けた窓口です.世界でも有数の大都市ですが,その中にも色々な街の表情があり,ひとつひとつ見ていくととても興味深いものがあります.そんな東京を紹介します.「考察」と言っていますが,内容は画像を中心として東京の街並みや話題を紹介するページです.お気軽にご訪問ください.

各ページは以下のリンクからご覧ください.
東京考察サイトマップ

カレーハウス「じゃんご」(北区王子)


東京都北区王子1丁目界隈
JR京浜東北線王子駅中央口より徒歩1分
営業時間:(午前中から23時頃まで)


店内はカウンターとテーブル席の清潔感あふれるコンパクトな造り。カレーはちょっぴりスパイスのきいた「インド(ムルギー)カレー」と我々が普段食べているカレー味の「マイルドカレー」とがあり、好みに合わせてルーを選ぶことができる。何も言わないとインドカレーの方がでてくるので、普通のカレーが食べたい方はマスターにひとこと伝えましょう。
カツカレーやコロッケカレーなどの揚げ物カレーは、その場でパン粉をつけて揚げたてのものが出てくるので、大変美味い。もちろんコロッケも手作りのコロッケだとか。また、ハンバーグもお手製の手作りハンバーグが出てくるので、市販のハンバーグとはちょっと違った味が楽しめる。とにかく全てが手作りなので、味に落ち度はない。マスターのこだわりが感じられる。

すべてのカレーが「おすすめ」なのであるが、左記のスペシャルシリーズを食べると、また違ったカレーの楽しみ方を味わえる。
とんこつスペシャルでは、豚の角煮と豆腐という組み合わせの上に、ニンニクが2粒のっかっているもので、これがなかなかいける。
ムルギーカレーはチキンと風呂ふき大根という組み合わせで、大根のあっさりしたテイストが、なんともカレーのスパイシーさを中和させてくれる。

カレーのスパイス

とんこつスペシャルカレー(骨付きポークと豆腐、ニンニクがのっかっている)

フィッシュスペシャルカレー(ムニエル風のアジの上にチーズがのっかるスープカレー)

サンバルカレー (インドマメのカレー.旬のタケノコが具でした!)

南アフリカ旅行記#1[トップ]

南アフリカ ~喜望峰へ Cape of Good Hope

日本から約14000km離れた国・南アフリカ。地球の裏側である。
日本ではあまり情報の入らない地域である未知の国・南アは僕の好奇心を刺激した。
そんな南アの旅のフォトアルバムをどうぞ。

入国許可証

プレトリア[南アフリカ旅行記#2]

Tokyo — Johannesburg —Pretoria
<日本→ヨハネスブルグ→プレトリア

プレトリア市街 ~動物園より

プレトリア-Pretpria-。南アの首都である。アフリカ最大の都市・ヨハネスブルグから北に車で40分程のところに位置する。日本からヨハネスブルグの国際空港に降り立ち、本来ならばヨハネスブルグに宿を取りたかったのであるが、あまりにも治安が悪いとのことで、プレトリアに2泊することにした。プレトリアからも南ア各方面への長距離バスが出発しているので、ヨハネスブルグよりは比較的治安が安定している(あくまでもヨハネスブルグと比較してである。)ここが宿泊地としては適地である。
南アはアフリカで最も近代化の進んだ国であり、欧米や日本と変わらない生活を送ることができるが、すべての国民がそのような生活を享受しているかといえば、そうとは言えない。

チャーチ通りの街並み

プレトリアの中心街・チャーチ通り。上写真の中央左に写っているオレンジと黄色の反射ベストを着ている人はセキュリティーである。近くのスーパーは入口と出口が分かれており、出口ではレシートと購入したものを警備員にチェックさせられた。
首都だからか、比較的落ち着いた雰囲気であった。街並みは欧米と変わらない。

チャーチ通りの風景

チャーチ通りの商店。カバンやくつ、洋服などを売っている。太陽が出ている日中は人通りも多く賑やかであるが、午後5時頃になると、檻のような格子状の頑丈なシャッターが閉まり、昼の賑やかさが嘘のように「さーっ」と人々がいなくなってしまう。

プレトリアの街並み

街を歩いている人はほとんどが黒人であり、白人はあまり街の中を歩いていない。白人はたとえ近距離でも車で目的地に移動するようだ。しかもヨハネスブルグやプレトリアにはカラードと呼ばれる混血の人種が少ないため、本当に真っ黒い肌の色をした黒人の姿に慣れるまで時間がかかる。
東洋人が珍しいからなのか、それとも治安の悪さから周囲に警戒心を持って歩いているからなのか、すれ違う人が「じろっ」と鋭くにらみながら歩いていく。それでも、歩いているうちにそのような状況にも慣れた。

プレトリア駅・バスターミナル

写真に写っているのはミニバスのターミナル。グレイハウンドなどの長距離バスは、写真には写っていないが、左側の方にあるバスのりば(建物などで覆われておらず,停留所が外に並んでいる感じである)からの発車となる。このレンガ造りの建物の中に、バスが止まっているのであるが、暗い感じであり黒人にジロジロ睨まれて怖い感じがしたので、すぐに建物の外に飛び出してきた。ミニバスのりば側のターミナルは,旅行者はあまり利用しない方が賢明である。

ホテルの窓の外には・・・

プレトリアで宿泊したホテルの部屋の窓から撮った写真.よく見ると,外には電流の流れた鉄線が張り巡らされており,ドクロマークと「DANGER」と書かれた看板が貼ってあった.外からの侵入者を防ぐためだろう.治安の悪いことが実感できる.

ヨハネスブルグ(ソウェト)[南アフリカ旅行記#3]

Johannesburg  (Soweto)
<ヨハネスブルグ (ソウェト)>

ヨハネスブルグ中央駅

ヨハネスブルグ。アフリカ最大の都市であり、ゴールドラッシュによって栄えた街である。しかし、アパルトヘイト撤廃後、移民の流入などによって治安の悪化が進み、今では「世界で最も危険な都市」というレッテルまで貼られてしまった。上の写真は日曜日午前10時頃のヨハネスブルグ中央駅の駅前広場(バスの中から撮影)であるが、誰も人が歩いていない。市中心部はゴーストタウンのようになっており、白人を中心とした住民や外資系資本の会社などは、郊外のサントン地区に拠点を移している。
「バックを持った白人の旅行者は,ほぼ確実に襲われるので、絶対に昼間でも外を歩かないように」と言われており,南アフリカ政府観光局の人にも「外は歩かないでください」と言われていたので、残念ながら街の中を歩くことは断念した。観光にはツアーに参加するとよい。ちなみに現地英語では「ヨハネスブルグ」とは発音せずに「ジョハネスバーグ」と言う。

街中の写真

駐車場との境界には柵がつけられているが,その上にあるのは鉄条網.南アでは至る所に鉄条網が張り巡らされている.車を荒らす侵入者を完全に防御するためである.治安の悪いことが伺える.

オフィスビルの1階なのだが,まるで刑務所のような格子状の柵がドアや窓につけられている.人通りが少なく,まさにゴーストタウンのよう.明るいのに人が全く歩いていない大都市の風景は不気味である.果たしてテナントが入っているのだろうか.

格子状の防護柵.出入り口の扉部分にもつけられている

ソエトの街並み ~かつての黒人居住区の風景

ソエト(South-West Townships)は、ヨハネスブルグの南西約30kmに位置する南ア最大の黒人居住区である。南アといえばケープタウン・喜望峰、クルーガー国立公園など美しい自然景観が観光客を魅了しているが、一方でアパルトヘイトによる人種隔離政策が実施されていた国でもあり、ソエトはアパルトヘイト中の黒人のみが居住するエリアだったことから、南アを理解する上で見ておかなければならない地区である。ソエトは黒人解放運動の拠点でもあった。バラックの建物が所狭しと密集しており、劣悪な居住環境が存在する一方で、レンガづくりの豪邸も建つ。しかし、どちらもほとんど黒人しか住んでいないことには変わりがない。アパルトヘイト廃止以前は、黒人はこのソエト以外で外泊することが認められていなかった。
高層ビルが建ち並び、インターネットが普及している大都市がある一方で、電話も下水も整備されていない黒人居住区が存在する。貧富の差を目の当たりにした。

ソエトの風景

天気のいい日曜日。
家族で買い物にでも行こうか。

車の修理をしているらしい.

手をつないだ親子

街角では少年がゴミ拾いをしていた.

ターミナルみたいなところだった

広場では古着を広げて売っているのか?

ミニバス駐車場

ソエト住人の主な交通手段は、このミニバスである。3人座りのシートには4人を詰め込み、ぎゅうぎゅうの人を乗せて発車する。ミニバスにも冷房の効くものから冷房のないオンボロ車まで、いろいろな種類があり、僕もヨハネスブルグ空港からプレトリアまでミニバスに乗車した。(冷房つきで乗客は全員白人だったが…)

ソエトの子供達

屈託のない子供達。写真を見る限りそのように感じる。
「マネー、マネー」
子供達は手を伸ばしてこのように叫んでいる。

我々はソエトのツアーに参加した(ドライバー兼ガイド1名、ツアー客4名)のだが、白人のツアー客がくるたびに、子供達が家の中から走ってきて、「money」と窓越しに叫ぶ。もちろんツアー中は外に降りることは禁止されている.ここまでの写真は,全て車内から撮影したものである.バンタイプのワゴン車であるツアーバスは,外側からも頑丈な鍵が掛けられる特別な車で,ドライバー兼ガイドは無線機を持ちながら,万一の事故に備えて準備している.唯一,下車して見学できたところが,ネルソンマンデラの育った家の中の見学であった.同じ人間同士なのに車から降りることのできないツアーという形態にちょっと違和感を感じた.しかし,このようにしてソエトの実情,アパルトヘイト撤廃後の南アの根深い問題を知ることができるという側面もある.

アピントン[南アフリカ旅行記#4]

Pretoria —  Upington
<プレトリア→アピントン

プレトリアからアピントンへ ~インターケープの長距離バス

ひたすら砂漠の乾燥地帯を走る

今日はアピントンまでの移動日である。プレトリアを午前8時30分定刻に出発、アピントンまでは11時間の道のりである。南アの道路はかなりよく整備されており、ドライバーも非常によくスピードを出す。N12からR507を通りN14へ。ひたすら乾燥地帯の中をバスは走っていく。

車内は快適で、コーヒーや茶菓のサービスがあり、休憩時間も1回あたり30分ほど取るので、バーガーショップで軽食をとることもできる。ビデオ上映もある。南アのコーヒーは日本で言う「コーヒー牛乳」のようなものであり、ミルクがたっぷり入っておりノーシュガーでも甘い。現地の人は、その甘いコーヒーにさらに黒砂糖を入れて飲んでおり、あまーいコーヒーが嗜好されているのかと思う。

乗客は半分が黒人、半分が白人であった。南アの黒人にとっては料金が高い(プレトリア・アピントン片道190ランド=約4,500円)ため、黒人も身なりのいい人が乗っている。安い交通機関はミニバスである。南アの長距離バス会社は、グレイハウンド、インターケープ、トランスラックスの3社があるが、どのバス会社もさほどサービスに差はなく、深夜・早朝に治安の悪い地区のターミナルに到着する便(特にヨハネスブルグ)を利用しなければ、そんなに安全について神経質になる乗り物ではない。女性車掌が2人、ドライバーが2人乗車していた。

アピントンのダウンタウン

アピントンは人口6万人の田舎町である。日本人観光客はほとんど立ち寄ることのない内陸部である。これといって見るところもなく、オレンジ川のほとりに街が形成されている。
南アを知るために、観光客が行かない小さな田舎町に行ってみたかった。南ア全土で治安が悪いのか。
どの国も田舎はのんびりとしている。このアピントンも同じであった。すれ違う人々の顔も硬直しておらず、じろじろにらまれることもない。何処から来たのかと聞かれ、ようこそ南アフリカへと笑顔が返ってきたこともあった。プレトリアやヨハネスブルグでよく設置してあった塀の上の有刺鉄線も、アピントンではほとんど見かけることがなかった。本屋に入って地図を買おうとうろうろしていると、警備員が僕の隣にやってきて、
「May I help you?」
と、逆に警戒されることもあった。

オレンジ川 Orange River

乾燥地帯に悠々と流れるオレンジ川。川のほとりに寝転んで、旅の疲れを癒すことができた。このホッとしたリラックスできる感覚は、久しぶりに経験する。
アピントンは人間らしさを取り戻せるいい街である。

鉄条網

それでも,アパルトヘイト時代の名残なのか、ときどき街の中で鉄条網を見かける。黒人と白人の区域を区切っていたときの境界線なのだろうか。それとも、治安の悪い南アなので、立ち入り禁止の場所には鉄条網が張ってあるのか。

ケープタウン[南アフリカ旅行記#5]

Upington  — Cape Town
<アピントン→ケープタウン

テーブルマウンテンとケープタウン

ケープタウンは美しい街である。目の前にはテーブルマウンテンがそびえ立ち、街の風景にインパクトを与えている。こんな岩山が街の中に聳え立つ都市は他に見当たらない。ケープタウンは世界各国から観光客が集まる街である。それ故に、旅行者にとっては南アの中で最も動きやすい地域である。治安もヨハネスブルグに比べるとはるかに安全である。しかし近日、外務省の海外危険情報によると、ケープタウンも「危険度1(注意喚起)」が発出された。(ヨハネスブルグのダウンタウン地区にも「危険度1」が継続して発出されている)

写真は、ホテルの部屋の窓から撮影したものである。チェックインの際、カードに既に書かれていたルームナンバーにボールペンで線を引かれ、同じ11階の別な部屋に変更させられた。つたない英語しか話せないので聞くこともできず、なぜだろうと思いつつ部屋に入ってみると、そこは角部屋であり、テーブルマウンテンが一望できる部屋であった。ホテルのフロントマンに感謝した。ホテルの名は、Holiday Inn Garden Court St.George’s Mall、1泊9,500円。日本の旅行代理店で予約可能である。

ケープタウンの街並み

ウォーターフロントのビクトリアワーフからの眺め

ケープタウンにいると、どこからでもテーブルマウンテンの山を眺めることが出来る。やはり、テーブルマウンテンの景色には圧倒される。

テーブルマウンテン頂上からの眺め

テープルマウンテンにはロープウェイで簡単に登ることができる。頂上からは、ケープタウンの街並みが望める。頂上はまっ平らであり、テーブルマウンテンという名の由来はここからきている。そこには、世界各国から観光客がやってきており、
「Please  take us picture.」
などと言われ、写真の撮影を頼まれる。
その時、
「This is Japanese Camera.」
とカメラを指してコミュニケーションが図られ、見ると確かにキャノンのカメラであった。しかし、何故一目見て日本人だとわかったのか、南アでは日本人よりも韓国や中国からのツアー客が多く見られたのだが…。

トイレ事情

南アの男子トイレは非常に高い。位置が高いのである。確かに黒人は足の長い人が多いかもしれないが、我々日本人にとっては、背伸びをしないと用を足せない。自分の足が短いのかも知れないが。

喜望峰[南アフリカ旅行記#6]

Cape of Good Hope
<喜望峰>

オースリッチ ~ダチョウ

喜望峰に向かう途中、ダチョウの群れに出会った。美しい海岸線が続くケープ半島である。車は海岸線に沿って、南下する。

美しいケープ半島

Cape Point  ~ケープポイント

ケープポイントと喜望峰は別の岬である。こちらはケープポイント。写真では見れないが、ここに立つと地球が丸いことが実感できる。目の前に大海原のパノラマが360度、一面に広がる。絶景である。

Cape of Good Hope  ~喜望峰

ケープポイントから見た喜望峰。
アフリカ大陸・最南端である。(本当の最南端はアグラス岬である)

Cape Point  ~ケープポイントに立つ

地球は丸い!! まさに実感する. ついにやってきたぞ! アフリカ大陸最南端!!

Cape of Good Hope  ~喜望峰の立看板


今日1日、ケープ半島とワインランドを案内してくれた、ドライバーのダグラスさん。普段はタクシーの運転手である。昨日ケープタウンで乗ったタクシーのドライバーがたまたまダグラスさんであり、明日ケープ半島に行くのなら案内すると言われ、その話にのった。ケープ半島には路線バスなどが出ていないので、観光客は必然的にツアーに参加しなければならない。大型バスのツアーからワゴン車タイプのツアー、そして個人専用のプライベートツアーまでさまざまなツアーが用意されている。ツアーの予約は、ホテルのカウンターで可能である。
ダグラスさんはプレトリアの出身、ミュージシャンを目指し来年アメリカに渡るという。白人にとって住みにくくなっているといわれる南アフリカ。ダグラスさんも南アに見切りをつけた白人のひとりなのだろうか。

ちょっとブレイク[南アフリカ旅行記#7]

★ちょっとブレイク★

南アについてもっと詳しく教えてください,というメールをよく頂きます.
そこで,これまでに返信したメッセージをお伝えします.

Q1.南アフリカの旅行について詳しく教えてください.

僕が南アフリカに訪れたのは,1999年のゴールデンウィークで,4月29日から5月8日までの10日間でした.10日間といっても移動に1日半もかかるところですから,実質7日間くらいの旅となってしまいます.

さて,南アには美しい自然と遠い国と未知の好奇心ということで訪れました.本当はもっと南アの人と色々な話しをして,国の現状を聞きたいところなのですが,なにせつたない英語しかはなせなくて・・・・.ソエトのツアーにも参加したのですが,ちょっとしか内容が分かりませんでした!!現地ではいろいろと話しを伺ってみたいところです.

ゴールデンウィークと言うこともあって,飛行機代はめちゃ高く,マレーシア航空(これが一番安いと思います)で17万円弱でした.クアラルンプールでの接続に7時間くらいあるので,ちょっと時間がかかるルートかと思います.
成田10時30分→KUL16:35 01:05→JNB05:40着(計搭乗時間17時間40分)
シンガポール航空とかキャセイだとさらに1万円くらい高かったような気がします.帰りはケープタウンから乗って,ヨハネスブルグ経由で帰りました.

ヨハネスブルグには早朝に到着します.ちょっと怖い感じでしたが,僕も両替は空港ロビーでやりました!ミニバスタクシーでプレトリアに移動し(白人ばかり),ホテルに荷物を置いて,2泊しました.詳しくはHPのとおりです! まぁ,首都らしい落ち着いた空気の漂う街でした.

次の訪問地アピントンまでの移動は長距離バスを考えていたので,駅ターミナルでチケットを予約購入し,プレトリア8:30発の2階建てバスに乗りました.車内は快適で女性車掌が2人乗務し,珈琲や茶菓のサービスがあって全然危険なことは感じませんでした.南アとしては料金が高いので,それなりの方が乗っているのだろうと思います.アピントンまでは11時間の乗車.途中休憩をとりますが,日本の高速バスと違って30分以上の休憩なので,食事をしたりすることができます.

アピントンでは,本当にのんびりすることが出来ました.南アは治安が悪いと言われていたので,非常に緊張して街を歩いていたのですが,アピントンにきてやっと本来の緊張感のない旅をすることができたと思います.プレトリアなどではじろじろ睨まれることが多く,治安の悪さを肌で感じ取っていたのですが,アピントンではそんな思いはせず,むしろちょっとした雑談をしたりして,好意的に受け入れてもらえました.やはり田舎街はどこも,のんびりとして人間らしい街が形成されていることを実感したところです.

ケープタウンまでは夜行高速バスで移動しました.チケットはプレトリアで一緒に買っていました.南アの長距離バスは隔日運行というものもあり,この便も1日おきの運行なので,旅程には注意が必要です.バスの時刻表などは,日本の南ア政府観光局に資料請求してコピーを送っていただきましたが,とても親切な方でいろいろと南アの情報も教えていただきました.今ではインターネットでも時刻表を見ることができると思います.夜行バスもそれほど危険を感じることはなく,快適な旅(といっても疲れますが・・)でした.

ケープタウンは非常に見慣れた風景の広がる都市でした.それ故,アフリカらしさは薄れていますが,観光客にとっては歩きやすい街でした.ケープタウンにきたら,テーブルマウンテンと喜望峰は外せません.時間があればステレンボッシュのワインテイスティングもお勧めです.
ケープ半島の喜望峰には交通機関がないので,ツアーに参加するかタクシー・レンタカーなどで行かなければなりません.たまたま乗車したタクシーの運転手さん(白人)が,「ケープ半島に行くなら明日案内するよ,決まったら電話をして」と名刺をくれたので,その話しにのっかって,1日タクシーで移動しました.といっても,翌日になると車はタクシーではなく,ダグラス(運転手)さんの個人の車らしく(日本車のマツダだった),つまり自分の車で個人的に案内しているのでした!
つまり白タクといったところでしょうか.お金も払いましたが,個人プライベートツアーにしてはまぁまぁかなと思うので,まぁよしとしましょう.今考えると,ちょっと危険な行為かなとも思ってしまいますが,ダグラスさんはとても良い人で,来年にはアメリカに渡ると言っていましたので,僕としてはとても良い思い出であり,効率よくケープ半島(ステレンボッシュも行きました)を回ることができました.25歳でとてもしっかりとした考えを持っている人で,外国の人っていうのは日本人の同じ年齢の人よりも自立していると思います.
次の日の朝,空港まで送ってもらいました.

滞在のホテルは1泊1万円位でした.僕の場合シティーホテルに泊まることが多いのですが,
ホテルを現地で探すのは時間がもったいないので,いつも日本で予約をしていきます.
しかし,南アの場合は旅行代理店でもなかなかとれないので,直接ホテルにFAXを送信して,予約表を送り返してもらいました.その紙をもって当日チェックインすれば,つたない英語でも大丈夫でした.

Q2. 管理人さんのように、ヨハネスブルクも行ってみたいのですが、やはり治安面で心配なので、無理に時間を割くよりは他のところで時間を作った方が良いのかなと、色々と迷っています。どうでしょうか。

そうですね.
でも,僕もヨハネスブルグでは一切外には降りていないんですよ.ヨハネスブルグの空港には,朝の5時30分頃到着したので,明るくなるまでの1時間ぐらいは空港のロビーのイスで待機していて,(このときに,何人かの性格の明るい黒人に宿などの手配について声をかけられましたが,空港内は警備がしっかりしているのでいざとなっても大丈夫だと思います)明るくなってから,ミニバスタイプ(つまりワゴン車)の白人用の乗り合いタクシーで移動し,(空港のタクシーカウンターに行ったら,白人用のタクシーに案内されました.日本人は,名誉白人ということで,ホワイトではないですが,扱いは白人として見てくれているようです)プレトリアのホテル前まで連れて行ってくれて,ホテルのロビーで今晩宿泊することを伝えて荷物を預かってもらい,プレトリアの町中を観光しに行きました.

ヨハネスブルグのソエト(黒人居住区)は是非とも訪れて見ておくべきところだと思います.南アの現実が見られて,いろいろと考えさせられるものがあります.プレトリアからもホテル前集合の英語のツアーバスがでていて,4人程度のツアー客と白人ガイドとで,ミニバスで案内してくれます.
ホテルのカウンターデスクで申し込むことができます.(それ相応のホテル(1泊1室1万円程度)に泊まらないとだめですが) この時も一切外に出て自由にブラブラ歩くことは禁止されていて,(ネルソンマンデラの生家だけは降りれました)車内から外を観光したツアーでした.

Q3.管理人さんのような長距離バス移動も可能なのですね。私一人でバスを利用するのは、何となく心配ですし、時間もかなりかかると思うので、移動手段は長距離は飛行機、短い距離はタクシーになるのかな、とは思っているのですが、実際如何でしたか?

プレトリアからはヨハネスブルグ経由のアピントンという都市にインターケープの長距離バスで移動したのですが,ヨハネスブルグでは駅のターミナルには立ち寄りますが,外に下車しないので,安心してそのまま移動できました.
プレトリアに宿をとったのも,ヨハネスブルグが危険だからであり,長距離バスもプレトリアが始発となって南方面の長距離バスが発車しているので,南ア北部はプレトリアを拠点にするといいと思います.

インターケープなどの長距離バスは,南アの中では高い運賃のようで,車内に乗っている人たちも身なりのいい黒人や白人が多くのっていました.飛行機のように荷物にはタグを付けてトランクで管理するので,安心してのることができます.お金のない人は冷房の効かないミニバスで移動するようです.

タクシーはプレトリアとケープタウンで乗りました.

プレトリアで乗ったタクシーは黒人の運転手で,やたらとメーターが早くカチャカチャと上がっていく感じで,なんだかぼったくられたのではないかと思う感じでした.

ケープタウンでは白人の運転手さんでとても親切な人でした.喜望峰へは路線バスなどないので,ツアーバスに参加するか,タクシーをチャーターするしか行く方法がないのですが,その白人の運転手さんが,明日行くなら車を○○ランドで出したあげるから,決まったら名刺の連絡先に電話を頂戴といわれて,ホテルに帰ってから電話で案内をお願いしたのでした.

次の日は,タクシーの営業車でくるのかと思いきや,ホンダのマイカーでやってきて,格好もタクシーに乗っていたときとは違ってラフなジーパン姿でつまり,白タク営業みたいな感じで案内をしてくれたようでした.でも,ワインランドや喜望峰をゆっくりと1日案内してくれて,次の日の朝にはホテルから空港までも送ってくれて(もちろんそれ相場のお金は払いましたが)ラッキーな人に巡り会うことができました.

ホテルをターミナルや市街地の近くにしていて歩いていけるところにしていたので,それほど多くタクシーを利用することはありませんでした.

バス移動のメリットは国内の風景を眺めながら移動することが出来ることです.といっても,乾燥地帯の砂漠とサトウキビ?麦?畑の広がる風景が延々と続いていましたが・・・.

Q4.治安が悪いと聞いていますが,どうなんでしょうか.

確かに治安は良いとは言えないでしょう.特にヨハネスブルグでは「世界最悪」と言っていいくらいです.南アの政府観光局の人にも「絶対にヨハネスブルグでは外を歩かないでください」と言われていたほどです.年間約2万人が殺人事件で殺害(毎日50人が殺されていることになる)され,殺人未遂事件が約3万件,強姦や強盗は年間あわせて約27万件が発生し,路上では大人数で暴力的に襲われて財布や荷物が奪われ,夜はあまりにも危険なので赤信号で車は止まらない,近郊の鉄道では身ぐるみはがされて窓から放り投げ出される,ピアノ線を道路に貼って車をパンクさせて強奪する,停車中の車のフロントガラスを割って荷物を奪う,などなど,色々な情報が耳に入ってきます.国の外務省の海外安全ホームページでも下記のように記載しているくらいですので,治安については相当悪いと言っていいでしょう.日中の明るいうちに,複数の人数(できれば男2人以上が望ましい)で移動は極力車にするといった行動すれば,よいのではないかと思います.

●在留邦人安全対策マニュアル在南アフリカ共和国日本国大使館発行

【2006年7月現在の南アフリカの海外安全ホームページ】
1.概況
(1)南アフリカは世界でも有数の犯罪発生率の高い国の一つであり、一般犯罪による治安は深刻な状況にあります。また、犯罪の特徴は、犯行時に銃器を使用する等、悪質且つ凶悪であること、また、複数犯で犯行に及ぶことです。南アフリカは銃社会であり、比較的簡単に銃器が所持出来る他、違法な銃器が犯罪社会に氾濫し、しかも安易に使用・発砲されることもあります。また、外国人により組織された犯罪シンジケートが230以上あるとも言われており、これら犯罪シンジゲートの活動や職を持たない貧困層の増加、周辺諸国からの不法移民等の流入のため、犯罪は都市部及びその周辺地域に集中しています。このうち、ヨハネスブルグのダウンタウン地区は最も危険であり、邦人旅行者に対する強盗被害も頻発しています。
(2)ヨハネスブルグやプレトリア等の都市部では、武装強盗、強姦、窃盗  等の犯罪が多発しており、悪化した治安状況は依然として改善の兆しが見られません。特に、銀行やショッピングセンター等を武装集団が襲撃する事件や現金輸送車襲撃、カージャック等の犯罪が多発しており、その殆どが銃器を使用した凶悪犯罪で、銃撃戦になる場合もあります。
(3)低所得者の間には、好転しない失業率や労働条件等への不満が潜在的に存在しますので、各種労働団体等による賃上げや労働条件改善要求等のストライキやデモが断続的に発生しています。また、最近はこれらストライキやデモが暴力的になってきています。
2.地域情勢
(1)ヨハネスブルグ
ヨハネスブルグのダウンタウン地区(カールトンセンター付近から鉄道のヨハネスブルグ中央駅及びヒルブローに至る地区)では、殺人、強盗、強姦、恐喝、暴行、引ったくり、車上狙い、麻薬売買等の犯罪が時間、場所を問わずに発生している現状にあります。特に鉄道のヨハネスブルグ中央駅付近やバスターミナルのパークステーション等において、公共交通機関(長距離バス等)を利用する邦人旅行者が、バスターミナル付近を歩行中に路上強盗(突然背後から首を絞めて複数で襲い所持品を奪う等)に襲われる事件が頻発しており危険な状態ですので、可能な限り公共交通手段の利用は避け、同地区には立ち入らないようおすすめします。また、比較的安全と思われていたサントンシティにおいても、近年、在留邦人や旅行者がよく利用するサントンシティ・ショッピングセンターの宝石店で武装強盗事件が発生し、レストランに押し入った武装強盗による被害が報告されていますので、十分な注意が必要です。
(2)プレトリア
ツワネ・メトロ・エリア(プレトリア市及びその周辺地区)では、セントラル地区において強盗や窃盗等の犯罪が日常的に発生している他、同地区以外のマメロディ地区、サニーサイド地区、ウエスト地区でも住居侵入強盗やスマッシュ・アンド・グラブ(3.(3)(イ)  参照)、カージャック、殺人や強姦といった凶悪犯罪、自動車・バイク  盗難等が多発しています。また、最近は邦人が居住しているブルックリン地区においても武装強盗事件の増加が報告されており、治安が悪化しています。特に、プレトリア駅周辺やバスターミナル付近では、日中でも邦人旅行者が路上強盗(首絞め強盗)に遭う事件が報告されておりますので、周囲に対する警戒を怠らず、身の安全を第一に考えて慎重に行動してください。
(3)ケープタウン
ケープタウン市街地及びケープフラット地域においては、強盗、窃盗、ひったくり、置き引き等の一般犯罪が増加しています。特にケープフラット地域の中でカエリチャ(KHAYELITSHA)等の貧困者居住地(タウンシップ)は、人口75万人とも言われる大きな地域で、ギャング、麻薬密売者などが多く、観光客にとっては大変危険な地域です。また、外国人観光客が必ず訪れるウォーターフロントでも、スリ、置き引き、ATM犯罪(ATMの外に強盗が待ち伏せしていたり、ATMのカード差し込み口を使用不能にしておいて、困った使用者に親切を装ってカード情報を盗む等)の被害が多発しておりますので注意が必要です。
(4)ダーバン
南アフリカ国内の他の大都市の例に漏れず、治安状況は悪く、殺人、住居侵入強盗、路上強盗の犯罪が多発しています。昼夜を問わず一人歩きは避け、慎重に行動する必要があります。また、マリーンパレード等の海岸沿いの通りにおいては、邦人旅行者が複数の犯罪者に取り囲まれナイフを突きつけられて所持品を奪われたり、ホテル等のロビーで置き引き被害に遭う被害例が報告されています。つきましては、上記の各地域に渡航・滞在される方は、犯罪や事件に巻き込まれないよう、それぞれの情勢を踏まえ、十分注意してください。
3.防犯対策
(1)空港からの追尾強盗の被害も発生していますので、夜間到着の便は避けると共に空港では多額の両替はしないでください。
(2)電車、バス、ミニバス等の公共交通機関(ブルートレイン等の特別な列車は除く)は、車内で強盗やスリ等の被害に遭う確率が高いので可能な限り利用を避けてください。
(3)交差点で停車中の自動車の助手席側の窓ガラスを割り、座席に置いてあるバッグ等を強奪する事件(スマッシュ・アンド・グラブと言われる手口)が多発しています。ドアは必ずロックし、助手席等外部から見える場所にバッグやウエストポーチ、貴重品等を置かないでください。また、ヒッチハイクをしている者は乗せない、暗闇には停車しない等の注意も必要です。
(4)拳銃等の銃器を使用したカージャックが多発しています。不審な尾行車や行き先地で待ち伏せしているような不審車(者)がある時は、不用意に行き先地へ行くことはせず、尾行がなくなるまで走行し続けるか、最寄りの警察署へ一時立ち寄る等して安全を確認してください。
(5)昼夜を問わず、一人歩きは狙われやすいので極力控えるとともに、やむを得ず出歩く場合には、周囲の警戒を怠らないようにし、高価な所持品の携行や華美な服装は避けてください。特に、ヨハネスブルグのダウンタウン地区、ケープフラット地域には日中でも立ち入らないようおすすめします。
(6)ヨハネスブルグに滞在する場合には、ローズバンクやサントンといった北部地区の中でも定評のある著名なホテルを利用してください。
(7)クレジットカードやキャッシュカードで現金を引き出すために、ATMを利用する場合には、場所、時間、周囲の状況等に留意し、尾行等のある場合には最寄りの警備員や警察に通報してください。ATMの親切盗(ATMのカード差込口に予め紙などを差し込んでおいて、利用者(特に外国人)がカードが差し込めない等、操作にまごついている様子を見て近づき、「どうしましたか。私がやってあげましょう」などと言ってカードを持ち去ったり、ATMを操作し出てきた現金からいくらか抜き取り、残りを利用者に渡す手口)にもご注意ください。
(8)ヨハネスブルグの中央駅(鉄道)付近、セントラルパークステーション(バスターミナル)、プレトリア駅付近では鉄道やバス、ミニバス等を利用する邦人旅行者が日中歩行中に突然背後から首を締められ身動きできない状態で複数にとり囲まれ金品を強奪される路上強盗事件が多発しております、可能な限り同地区には立ち入らないようおすすめします。
(9)道路を走行中に別の車(青色灯を点滅させて覆面パトカーを装う場合もある。)が近づいてきて、助手席に乗っている男がIDカードのような物を提示、停車を求めた上で、警察官や麻薬取締官を名乗り、銃器や麻薬捜査を口実に所持品を検査して、現金や貴重品を強奪する事件(ブルーライト・ギャングと言われる手口)が発生しています。覆面パトカーや私服警察官を装う者から停車を求められた場合は、理解できない振りをして停車しないことが肝要です。進路前方に割り込んだり、拳銃を向けてくる等、停車せざるを得ない場合は相手を刺激せず、路肩ではなくガソリンスタンド等の人の大勢いる場所で停車するように心掛けてください。その上で相手の身分(IDカード、所属、氏名)や停車の目的などを確認するようにしてください。なお、強盗だと判明すれば絶対に抵抗せず、相手の人相・着衣、自動車のナンバー・形・色等を可能な限り記憶するように心掛けてください。
(10)419号事件(国際的詐欺事件)
 従来、ナイジェリアを舞台にした国際的詐欺事件(通称419号事件)が南アフリカにおいても頻繁に発生しています。今まであったようなアフリカ各国政府高官や公社の名を名乗る裏資金洗浄を装った詐欺だけでなく、通常の商取引を装った詐欺により多数の邦人被害者がでています。本件に関しての被害は詐欺だけに止まらず、強盗、武装犯人による監禁、身代金要求と言った凶悪犯罪の被害に及びます(被害者の中には殺害された外国人の例もあります)。
 つきましては、南アフリカにおいて多額の金銭を扱う取引・銀行口座開設の誘いがある場合は十分注意してください。また、多額の配当や成功報酬を約束するようなFAXやEメールによる誘いは間違いなく本件詐欺事件ですから、その誘いに乗って南アフリカへ渡航することのないよう十分ご注意ください。また、犯人側と接触した場合は、生命に危険が及ぶ可能性があることを十分ご理解ください。

タイThailand[アジアの風景#3]

タイの屋台

バンコクの屋台。道路脇の歩道の上で所狭しと並んでいる。スープ、炒め物、麺類など何でもそろっているが、タイ人庶民の味だからなのか、どうも私の口にはちょいと合わない。味はスパイシー(辛口)なものが多く、独特の強い香りのする葉っぱが使われている料理が多いような気がする。バンコクは1年中暖かく、このときも1月中旬にもかかわらず半袖でOKであった。
バンコクでは夕方になると、洋服屋や小物、絵、カバン、靴などを売る露天商(上野アメ横をもっとすごくしたような感じ)が、歩道上に所狭しと並んで、アジア的な賑わいを見せる。

 バンコクの渋滞

バンコクの渋滞は世界一。噂では聞いていたが、実際その通りである。その上、燃料が悪いのか排ガス対策が遅れているからなのか、非常に空気が悪い。トゥクトゥクと呼ばれる小型の三輪タクシーが、黒煙をあげながら「ブンブン」走り回っている。渋滞の切り札として新交通システムの工事が進んでいる。(現在は開通した)

チャオプラヤー川の水上バス

バンコクは水の都でもある。チャオブラヤー川には水上バスが運行されているが、バンコクを訪れたら是非この公共交通機関に乗ってみるべきである。木製の舟には唸るように響くバイクから付け替えられたエンジンが高く鳴り響き、桟橋に近づくと車掌が笛を「ピーーー、ピーーー」と吹いて、桟橋で待っている乗客に舟が近づいたことを知らせる。桟橋に近づくと荒々しい操縦で舟を桟橋のタイヤの緩衝材に「ゴツン」とぶつけ、乗客が乗り降りする。このワイルドな乗り心地は日本では味わえない。混雑するときは、舟が沈むのではないかというほど乗客を乗せて出航する。川の水は茶色に濁っていた。

水上バスの乗降口 サンダルはタイの基本仕様

水上バスの乗降口は舟の後ろにある。柵などが設けられているわけでもなく、桟橋に着くと乗客がポンポン飛び降りていく。クツを履いているのは白人の観光客のみ。タイの人々の基本は「サンダル履き」であった。

(旅行年月:1999年1月)

「きらら289」オープン[雑誌に掲載されたコラム]

雑誌名:「旅」
1998年7月号(第72巻第7号)
P.214
発行:JTB・日本交通公社
コーナー:トラベルペンスタッフ「「きらら289」オープン」


「きらら289」オープン

福島県の奥会津に位置する南郷村に交流促進センター・物産館「山口温泉きらら289(ニーパーキュー)」がオープンした.「ニーパーキュー」とは目の前を走る会津田島と南会津郡西部地区(只見町・南郷村・伊南村・舘岩村・檜枝岐村をさす)とを結ぶ国道のことで,地元ではこのように呼ばれ親しまれている.
温泉は,和風の「山桜の湯」と洋風の「リンドウの湯」があり,どちらにも露天風呂とサウナがある.露天風呂からは目の前に迫る山を望むことができる上に,夜には山がライトアップされ,四季折々の樹木の表情を眺めながら入浴できる.泉質はナトリウム塩化物温泉.神経痛や筋肉痛・消化器病・皮膚病などに効能がある.
館内には物産コーナー・大広間・マルチメディアふるさと情報案内などが備えられている.
南郷村は人口約3000人,時の刻みがゆっくりとした自然豊かなところだ.中心を,釣りのできる伊南川が流れ,宮床湿原やヒメサユリ群生地もある.足を伸ばせば尾瀬への玄関口,御池・沼山峠に行くこともできる.冬にはスキー場オープンが待ち遠しい.春夏秋冬それぞれ楽しめるこの地区に,立ち寄ってみませんか.

リージェントストリート・グリニッジ天文台[ロンドン散策#1]

ロンドンに降り立ち街を歩いた。ロンドンの街並みは…、イギリスの表情は……。
ちょこっと撮影したフォトアルバム集です。

(旅行年月:1997年3月)


リージェントストリート  Regent.St.

写真に写るタクシー、ロンドン名物ブラックキャビンである。ロンドンのタクシーは世界一厳しいと言われる試験をパスしたドライバーのみがハンドルを握っており、安心して乗車できる乗り物であるが、ドアは手動ですのでお間違いなく。
この道をまっすぐ行ったところが、エロスの像が建つロンドンの中心街・ピカデリーサーカスである。曲線のリージェントストリートにビルのファサードが美しい弧を描いている。重厚な街並みが続くロンドン中心部である。リージェントストリートはロンドンの東西を分ける道路で,この道を挟んで東と西では地域の性格が変わる.

2階バスからの眺め

ロンドンといえば2階建ての真っ赤な路線バスである。2階最前列はまさに特等席。高い位置からロンドンの街並みを、じっくりと眺めることができる。
ロンドンの街を歩くには、地下鉄とバスが乗り放題となるトラベルカードの1日券(One Day Travelcard)を購入するとよい。ロンドンではバスも地下鉄も料金がゾーン制となっており、トラベルカードを持っていれば料金の心配もしなくて済む。

世界標準時 グリニッジ天文台 Greenwich

グリニッジ天文台、世界標準時を刻む地である。左の写真の建物に赤い線が入っており、道路上にも区切り線が引かれているが、ここが東経0度の子午線となっている。右の時計では、世界標準時を24時間表示で示している。

コヴェントガーデン・カムデンロック[ロンドン散策#2]

コヴェント・ガーデン  COVENT GARDEN

週末、ロンドンに滞在しているのなら、是非ともマーケットに行ってみよう。コベントガーデンもそのひとつ。アップルマーケットとも呼ばれ、再開発によって生まれた商業観光エリアである。もともとコベントガーデンは1800年代にロンドンで最初に行われた貴族によるエステート開発で,野菜や果物,花などを扱う市場だった.現在の広場では大道芸人によるパフォーマンスが開かれ、その周りには溢れんばかりの人々で賑わっている。観客も大声で笑い、大きな拍手を捧げる。皆が一体となって楽しい雰囲気を創り出しており、ここに居るだけで楽しくなってくる。ぶらぶら歩いているだけでも、あっと言う間に時間が過ぎてゆく、そんなところである。

大道芸人 コベントガーデンのストリートにて

これも大道芸のひとつ。1分に1回くらい、「ピク」と動く。
日本でも近頃は新宿の新宿通りの歩行者天国などで大道芸人を見ることができるようになったが、その隣には警察からの禁止看板が立てられており、今は黙認されている形となっているのだろう。しかし、大道芸人も街の中に賑わいと楽しさを創出するひとつの文化なのだから、多少のことには目くじらを立てず、警察や役所も暖かく見守ってもらいたいと思う。中心市街地活性化には、大道芸人とライブ演奏などのソフト面を充実させる方法が最も良い方法だと思う。

カムデン・ロック CAMDEN LOCK MARKET

ロンドン版「原宿・渋谷」と言ったところか。若者に人気のあるストリートマーケットである。日曜には人々でごった返し、おしくらまんじゅう状態になる。地下鉄の改札口も大混雑。とにかく、混んでいるのでスリに注意。アクセサリー、古着、ミュージックテープ、若者に人気のあるものはなんでもある。歩道だけでは人が歩けず、車道に人があふれている。

ケンブリッジ・バース・カーディフ[ロンドン散策#3]

★ちょっとロンドン郊外に足を延ばして…

ケンブリッジ Cambridge

ケンブリッジは言わずと知れた大学の街である。街は非常にコンパクトにまとまっており、歩いて十分に回れるところである。写真は休日の商業中心地帯、歩いている人がどことなく賢く見えるのは気のせいだろうか。

バース Bath

バースはお風呂の語源となった地である。つまりローマ時代に浴場がつくられたところ。右の写真は「浴場」である。ここはかつてイギリス屈指の行楽地だったという。ジョージア朝の建物が建ち並ぶ美しい街でもある。

単なる橋かと思ったら… ウエールズの首都・カーディフ  Cardiff

ウエールズの首都・カーディフで珍しい橋に出会った。
一見すると何の変哲もないただの橋であるが、この橋を道路に立って見てみると、下の写真から見えるところが橋の上である。つまり橋の上に商店が建ち並んでいるのである。橋上ストアといったところか。
この橋は18世紀に造られた世界遺産にも登録されている「パルティニー橋」である。

対馬島・壱岐島【島紀行】

対馬・ハングル語標記

北九州で所用があり、それを済ませた後、「せっかく九州まで来た」ということで、対馬・壱岐へ足を伸ばすことにした。ちょうど土・日も挟まり、小旅行をするのには適した日程だった。
九州地方はこの冬初の寒波がやって来て、非常に肌寒い天気だった。昨日は冷たい風が強く吹き、みぞれ混じりの雨が頬を突き刺すように降っていた。
対馬までの飛行機に乗るため、福岡空港へと向かった。小倉から快速に乗り、博多で地下鉄へと乗り換えた。
頭上にある案内表示板の指示に従って、駅のコンコースを地下鉄のりばへと歩いていった。すると、日本語と英語による案内の他に、中国語、ハングル語による標記もその横にされていた。そして、地下鉄に乗ると、「ドアにご注意ください」「MIND THE DOOR」「開門門時請小心」「○○○○ハングル語」と4ヶ国語で書かれたステッカーが全てのドアのガラスに貼ってあった。福岡空港の国内線のごみ箱にも、「もえるゴミ・もえないゴミ」という日本語の隣に、○や|の入り混じったハングルの文字や中国の見慣れない漢字が標記されていた。
対馬までは約1時間である。今日は天気が良く、眼下の景色がー望できた。飛行機が高度を上げて空港が徐々に小さくなっていき、福岡の街並みが見渡せるようになった。こうして見てみると福岡の街がかなり大きいことがうかがえる。博多湾に目をやると、「海の中道」とよばれる半島が、線のように細く長く美しく海中に弧を描いて延びていた。

対馬の玄関口・対馬空港

対馬の最北・比田勝のバス待合室

対馬も寒かった。まずは浅茅湾の美しい景観が見られる万関展望台へ行こうと思った。バスの時刻を調べたが、適当なバスが走っておらず、タクシーを利用することにした。
対馬空港のロータリーには
『歓迎 WELCOME ○○(ハングル語) 』
と書かれた観光案内板が立っており、ここでもハングル文字に出会うことができた。タクシーの運転手さんに聞いてみた。
「韓国からの観光客はかなり多いんですか。」
「そんなにでもないですねぇ。年に1度の祭りの時には、やって来るんだけどね。」
「あらそうですか。結構あちこちでハングル語を見かけたもんですから。」
「あー、あれね。お隣の国ですから、親しい気持ちを込めて付けているものなんですよ。」
という事であった。
対馬は古来、日本列島と朝鮮半島とを結ぶ海路の要衝として栄えていたところである。対馬から朝鮮半島までは53kmであり、博多港までの147kmよりもはるかに近い。「国際化、国際化」と叫ばれている昨今、国際交流の意識が盛んになってきているということを改めて実感し、国境に近いところほどその意識は高いのではないか、という気がした。
観光案内の文章、道路の道案内の標識、町村名の看板にもハングル語の標記がついていた。近い将来、北海道ではロシア語.沖縄地方では中国語、などといった標記があちこちで見られる日が到来するのだろうか。

壱岐の玄関口・芦辺港

小さな漁港・勝本

壱岐を結ぶ
国道フェリー(呼子側)

対馬・ハングル語案内板[雑誌に掲載されたコラム]

雑誌名:「旅」
1996年3月号(第70巻第3号)
P.225
発行:JTB・日本交通公社
コーナー:旅のエチュード「対馬・ハングル語案内板」


対馬・ハングル語案内板

北九州での所用を済ませた後,せっかく九州まで来たのだからと思い,対馬・壱岐まで足を伸ばした.ちょうど週末で土・日曜が使える日程だったためできたことだ.九州地方には寒波が来ていて非常に肌寒い.前日もみぞれ混じりの雨が頬を突き刺すように降っていた.
対馬までの飛行機に乗るため福岡空港へと向かった.小倉からJRの快速列車に乗り,博多で地下鉄に乗り換える.駅のコンコースを地下鉄乗り場へと頭上にある案内表示板の指示に従って進む.案内表示板は日本語と英語のほかに,中国語やハングル語で書かれている.地下鉄に乗るとすべてのドアに「ドアにご注意ください」「MIND THE DOOR」「(中国語)」「(ハングル語)」と四カ国語で書かれたステッカーが貼られていた.福岡空港の国内線のゴミ箱にも,「もえるゴミ・もえないゴミ」という日本語の隣に,○や|の入り混じったハングル文字や中国語らしい見慣れない感じが記されているのに気づいた.
飛行機で対馬までの所要時間は約一時間.当日は天気が良く眼下の景色が一望できた.飛行機が高度を上げると空港が徐々に小さくなっていき,福岡の街並みが見渡せるようになる.博多湾に目を移すと「海の中道」が,線のように細く長く海中に美しい弧を描いて延びていた.
対馬も寒かった.まずは浅芽湾の美しい景観が見られる万関展望台へ行こうと思った.展望台行きのバスの時刻を調べたが,ちょうどいい時間のバスがなかったためタクシーを利用,対馬空港のロータリーには「歓迎 WELCOME (ハングル語で「歓迎」)」と書かれた観光案内板が立っている.ここにもハングル文字.不思議に思い,タクシーの運転手さんに聞いてみた.
「韓国からの観光客は多いんですか」
「それほど多くないですね.年に1度の対馬の祭りの時にはよくみかけますけど」
「あちこちでハングル語を見かけたので,もしかしたら,と思ったのです」
「あの表示板は,すぐ近くのお隣の国へ親しみを込めて設置したのでしょう」
なるほど,思わず納得した.
対馬は古来,日本列島と朝鮮半島とを結ぶ海路の要衝として栄えていたところである.対馬から博多までは147km.一方,朝鮮半島までは約53km.対馬では日本本島よりも韓国はかなり身近な国に映るのだろう.
「国際化,国際化」と叫ばれている昨今,国際交流の意識が高まっているということを改めて実感.国境に近いところほどその意識は強いのではないかと思った.
対馬では,観光案内の文章,道路案内の標識,町村名の看板にもハングル語の標記がついていた.近い将来,北海道ではロシア語,沖縄地方では中国語,などといった標記があちこちで見られる日が到来するのだろうか.

温かくて素朴な「幕の内弁当」[雑誌に掲載されたコラム]

雑誌名:「旅」
1995年11月号(第69巻第11号)
P.122
発行:JTB・日本交通公社
コーナー:思い出の駅弁「温かくて素朴な「幕の内弁当」」


温かくて素朴な「幕の内弁当」 =東武鉄道・下今市駅=

8年度歩前の中学三年の夏休み,両親の生家がある福島県の会津若松へ行った.その帰り,開通して間もない野岩線に乗ることにした.
会津若松から会津鉄道に乗って会津高原まで行く.そこから野岩鉄道の浅草行き快速電車に乗り換えて,東京へと向かった.快速電車は4人掛けのボックスシートで,前の座席には50歳位の白髪混じりの男性が座った.
会津高原を出発すると,電車は緑の山々に囲まれた県境を軽快に走った.そして,僕は前に座っていた男性と会話をするようになった.やはり東京出身だそうで,その日は会津高原まで日帰り旅行中とのことであった.流れる車窓を眺めながら様々な話を交わした.
電車は東武線に入り,鬼怒川温泉のホテル群をかすめて徐々に山を降りる.下今市駅に到着すると,東武日光からやってくる電車と連結作業を行うため,電車はしばらく停車した.車窓からホームを見ると,肩からベルトをかけて弁当を持った販売員が,「べんとーう,べんとーう」と大声を上げ,車内を見ながらゆっくり歩いていた.
「弁当を買ってくるから,ここで待ってて」
向かいに座っていた男性は,こういってホームに降りていった.
しばらくすると,弁当とお茶を2個ずつ買って戻ってきた.
「お腹がすいただろう.食べなよ」
こう言って,弁当とお茶を渡してくれた.弁当を開けてみた.すると,まだJRが国鉄だったころ,会津若松に行く途中でよく買った,懐かしい「幕の内弁当」であった.ご飯とおかずが箱の真ん中で区切られており,白米の中心には梅干しがひとつのっている.おかずは煮物とフライと漬物が入っている素朴な弁当であった.
正直言って,この弁当の味はあまり期待していはいなかった.昔買った幕の内弁当がおいしかったという記憶もない.ところが,ひと口食べてみてびっくり.弁当は温かく,ご飯は炊きたて.おかずの味付けも良かった.素朴な中にも真心が感じられた.こんなにおいしい弁当を食べたのは生まれて初めてだった.あっという間に全部平らげてしまった.
その後も,ときどき野岩線に乗って帰郷するが,下今市駅に到着すると,「べんとーう,べんとーう」という声が今でも聞こえてくる.この声を聞くたびに,おいしかった幕の内弁当のことを思い出す.そしてまたいつか食べてみようと,いつも思う.

ケアンズとクランダ鉄道[自然豊かなオーストラリア大陸#1]

旅行年月:1995年3月


ケアンズにて

お店の並んでいる中心街

ケアンズはのんびりとして大らかな感じを受ける街である.

オーストラリアは緑の多い都市であることが実感できる.

バスターミナル

ホテルの窓から~海の広がるリゾート都市でもある

南半球の海が広がる

動物園に行くとカンガルーに会える!

ケアンズ鉄道駅
鉄道にはここから乗車する

クランダ高原鉄道の車窓から

クランダとはアボリジニ語で熱帯雨林の村という意味だという.ケアンズの北西にある人口約700人の村である.クランダ高原鉄道は,約100年前にクランダ村とケアンズとの間の物資などを運ぶ鉄道として開通したものであり,現在は観光専用列車のみが1日1~2往復運行されている.

クランダ村へ向けて走っていく.
熱帯雨林の中を,トコトコと走っていく.

バロンフォールズ駅
目の前に大きな滝がある.
世界各国からの観光客が乗車している.

STONEY CREEK 駅

クランダ駅
クランダ高原鉄道の客車.

ウルル(エアーズロック)[自然豊かなオーストラリア大陸#2]

機内から見た光景  砂漠の中に隆起した茶色の岩が見える

Connellan Airport コネラン空港
エアーズロックリゾートに最も近い空港
アリススプリングス空港で乗り換えて到着する.屋根の色が砂漠の土の色と同じになっている.いつも風が強く,着陸時に揺れた.

上は日没直前のエアーズロック。日没前と日没後では、エアーズロックの色合いが変化するため、それを眺めようとサンセットビューポイントに観光客が集まっている。

下は日の出時のエアーズロック.

エアーズロックは標高867m(地表からは348m)、砂漠の真ん中に突然と現れる一枚岩である。近くにエアーズロックリゾートと呼ばれる観光拠点の街があり、ホテルやショッピングなどエアーズロック観光のためのリゾート施設が砂漠の真ん中に存在し、観光客は必ずここにお世話になることになる。各種ツアーも用意されている。水は、地下水を汲み上げて使用している。
余談として、風の谷のナウシカに登場する「オウム」は、このエアーズロックがモデルとなってできたキャラクターである。

こちらは,マウントオルガの割れ目のふもと。強い風が吹き抜ける。まさに風の谷の舞台である。砂漠の真ん中なので日中は非常に暑くなるが、夜は逆にとても冷える。

場所によって,様々な形を見せるマウントオルガ

何とも不思議な自然の造形である

エアーズロックは砂漠の真ん中にある

エアーズロックに来たら、エアーズロックに登らずして帰るなかれ。
西側に1カ所だけ登り口がある。
写真岩肌の色が変わっているところが登山道。
頂上まで1時間半~2時間で到着する。
途中は滑りやすく、鎖が張られているところもあるが、健康な人であれば登山に問題はない。
ツアーでは「昼までに戻ってきてください」と言われ、半日で登り降りを強いられる。
ちょいと忙しい。

頂上は風が非常に強い。
しかし、視界は最高である。
360度、砂漠である。
まったく、何もない。

エアーズロックの名称は,アボリジニ語に敬意を表して今は「ウルル」に変更されている.

シドニーとキャンベラ[自然豊かなオーストラリア大陸#3]

シドニーにて

キングスクロス駅前
南半球最大の歓楽街として有名
呼び込みがすごい.

シドニー中央駅
Central Sta.

シドニーモノレール
Darling Park 駅

シドニーのダウンタウン

キャンベラにて

キャンベラは遷都によりできたオーストラリアの首都である.全く街の無かったところに,人工的に作り上げた都市として,ブラジリアとともに都市計画上,何かと話題になる都市である.

キャンベラのバスターミナル
シドニーからグレイハウンドの高速バスで約3時間程度だったように思う.

人工的な街だからか,整然として無機的な感じがする

広々とした歩道

人工的に造られたグリフィン湖
グリフィンとは都市を設計した人の名前

湖に架かる橋の上より

香港HongKong[アジアの風景#2]

チム・シャ・ツォイ 香港の中心地

チム・シャ・ツォイ、九龍半島南端に位置する香港の商業中心地である。香港の雑然とした混沌な街並み。人々が行き交い、エネルギッシュでエキサイトな街である。高層ビルが建ち並び、街を歩くと非常に密度の高い都市空間が形成されていることを実感できる。道路にせりだした広告看板、香港名物のひとつである。このコンピュータの辞書に「チム・シャ・ツォイ」の漢字がないので、漢字で地名を表現できないのが残念であるが、漢字で書くとチムは「大」の上に「小」かんむり、シャは「沙」、ツォイは「口」へんに「且」となる。

トラムからの眺め

香港といえば街の中にトラムと呼ばれる2階建ての路面電車が走っている。写真は香港島のセントラル(中環)地区を走るトラムの2階から撮影した。香港島中環は超高層ビルが林立するビジネス街である。ひしめきあうビルの間を縫うように走るトラム。あまりにも密度の高い都市空間に息がつまりそうである。

路地裏は…

香港の路地裏。ビル壁面の工事足場が「竹」で組まれている。雨が降ったときは滑らないのだろうか。クーラーの冷却装置が窓からせりだし、いつ「モノ」が落ちてきても不思議ではない。実際、街を歩いていると天気は晴れているのに、水?らしきモノが空からヒタヒタと落ちてくる。香港で落ち着こうと思ったら大間違い、次々と遭遇するアジア的なカオスが、旅人の好奇心をかき立てる。それがアジアである。

高層ビルが密度を高める

香港を歩いていると,都市の空間としての密度が非常に高いことを実感する.歩いていて空が見えず,圧迫感が感じられるのである.この高層ビル群を眺めていると,それも頷ける光景である.

(旅行年月:1995年3月)

利尻島(最果て紀行#1)

急行「利尻」号稚内行の人となった。札幌22時発の夜行列車である。今日も札幌は寒かった。昼間の気温は16℃。ここ2~3日、北海道は涼しいというよりも寒いといった日が続いていた。
『東京では、今年最高の35℃を記録し、厳しい残暑が続いております。』
ニュースはこう伝えていた。Tシャツの他にヨットパーカーしか持っておらず、この2枚だけでは着たりない気候だった。闇の広がる窓ガラスには、露が隙間なくびっしりと埋まっていた。
車内は満席だった。若者が多く、その中でも大きな登山用リュックを持ったワンダーホーゲル風の若者が多い。皆、最北を目指す人々だった。車内の明かりが消えた。

曇り空の中、列車は湿原を走っていた。すぐに兜沼駅を通り過ぎた。サロベツ原野である。緑の潅木が間隔をあけて後ろへと去っていく。これこそが北海道の車窓である。しばらくすると左眼下に陰鬱とした海が広がった。列車は徐行し、
「晴れていれば、左手に利尻富士の姿を望むことができます。」
と放送が流れた。利尻島の頂上は雲に隠れ、島の裾のみが海上に浮かんでいた。そして午前6時、最北の街・終点稚内に到着した。
稚内は道北随一の漁業基地であり、アイヌ語で「ヤムワッカナイ」-冷たい水のある沢-の意だという。戦後の樺太引き上げ者には稚内に留まる人が多く、それによって市制施行が可能になった所でもある。
フェリーのりばへと向かった。まず、利尻島へ上陸し、午後に礼文島。日帰りで稚内に戻ってきて一泊し、明日、宗谷岬へ行く予定である。ずいぶんと駆け足の旅程になってしまった。もっと時間をかけてじっくり回りたかったが、どうしても今後の日程の都合がつかず、急がざるを得なかった。ターミナル前の定食屋にて、朝定食を注文、まずは腹ごしらえをした。待合室では乗船客がコーヒーを片手に暖をとっていた。
7時30分、稚内港を出航した。ジュータンの敷かれた2等船室は、中高年のツアー団体客と旅行中の若者とで埋まっていった。約1時間30分で利尻島の鴛泊(おしどまり)港に入港する。3000トン級の船なので、海に出るといつもの事ながら上下に「グワン、グワン」と揺れはじめた。この利礼航路が開設されたのは鉄道が稚内へ伸びた後の昭和8年であり、稚内と利尻と礼文とを結ぶことから別名三角航路とも呼ばれている。
鴛泊まであと20分となった。甲板に出てみた。海上にポッカリ浮かぶ利尻島は最高である、と聞いていたが、やはり雲は取り去られていなかった。分厚く覆っている灰色の雲と海が、最北の地を表現していた。
利尻島はノシャップ岬から西へ約52㎞、周囲63㎞、面積182.1k㎡、利尻町と利尻富士町の2町からなり、北海道の離島の中では最も大きく、伊豆の大島よりひとまわり大きい島である。噴火によって出来たこの島は、島そのものが一つの山を形成している。一つの頂きから海に向かって美しくのびる裾を持ち、しかも高さが1700mもあるような島(山)は、日本では利尻島以外にはない。
利尻礼文の開拓は貞亨年間(1684~)から始まったが、本州からの移住者は明治に入ってから増えた。産業の中心は鰊漁であり、はじめのうちは出稼ぎ農漁民だったが、次第に定住する者が増え、最盛期の昭和30年には約2万人の人口があった。ところが、鰊漁の不振とともに人口が減少し、今では人口約1万人、アワビやウニなどの栽培漁業、ホッケ、スケソウダラ、イカなどの沿岸漁業に力を注いでいる。昭和49年に「利尻礼文サロベツ国立公園」に指定され、現在では漁業とともに観光が島の重要な産業になっている。
鴛泊のターミナルは堅牢な建物である。昭和58年に建てられたものだという。次の香深港(礼文島)行のフェリー出航まで2時間半しかなかった。バスの時刻表を見てみたが、一周する時間はない。待合室をさまよっていると、胸に名札をつけた制服を着たおじさんが近づいてきた。
「この後の予定は決まってるの?」
「いや、全然きめていないんですけど、とにかく、11時25分の船で礼文島へ行くのだけは決まっているんですが。」
「あ、それなら、ハイヤーでぐるっと一周するよ。船には十分間に合うから、どう?」
その方法が、今の状況では最良の島内見物に思えた。しかし、気になることと言えば、
「それで、値段の方は。」
「1時間半で1万3、4千円ぐらいかかっちゃうけど。」
「1万3、4千円かぁー。……。」
僕は渋い顔をしていた。
「せっかく一周できる時間があるんだからさ。もったいないよ。予算はいくらぐらい?」
「5千円位ならばいいんだけど。」
「5千円だと1箇所の往復だけで全然みれなくなるからね。誰か他に一緒にいく人がひとりいればいいんだけど。誰かいないかね。」
運転手さんと僕は待合室に入り、一人旅の人間を探した。一人青年がいたが、これから折り返しの船で発つとのことだった。
「じゃ、1万円でいいよ。」
それでも、頭の中で2つの思惑が交差した。
『タクシーに1万円を使うのは高くてもったいない!』
『せっかく最北まできたのだし限られた時間内では多少の出費も仕方ない、1万円は安い方だ!』
結局、後者を選んだ。

沼浦展望台

姫沼

運転手さんより、役場の発行している観光案内パンフレットを手渡され、島全体が載っている地図を開いた。これから、島北部に位置する鴛泊より右回りに一周するという。まずは姫沼に行くことになった。利尻島は鴛泊・鬼脇・仙法志・沓形の4つの集落から成り立っている。道は閑散としており、左は海、右は小高い丘という風景だった。鴛泊の市街を抜け、車は海岸沿いの一周道路から右の道へ曲がって姫沼へ向かった。姫沼は針葉樹林や高山植物に囲まれた周囲1㎞の沼で、利尻山を逆さに写すことから、「姫沼のさかさ富士」として知られている。今日は山は写っていない。うっそうと茂る林のなかにある静寂な小沼だった。
再び一周道路に戻り、車は南下した。左手には、利尻水道を挟んで北海道がぼんやりと望める。島の人々は北海道のことを「本土」、本州のことを「内地」と呼ぶという。島民にとって、本州は遠い地なのである。「内地」という言葉には、北海道を開拓した人々のフロンティアスピリット、夢と希望と不安が表われているように感じる。
エゾマツとトドマツの違いについて聞いてみた。この2つは非常に見分けのつかない松である。
「これから先に、両方の木が生えているいい場所があるから。」
そして、その場所で車は止まった。右側には岩礁のような山にマツがごそっと立っていた。そこを指差して、
「左がエゾマツで右がトドマツですよ。」
一見しただけでは見分けがつかなかった。
「幹からわかれている枝が、上を向いているのがトドマツ、下を向いているのがエゾマツね。覚え方は『天まで・と・どけ・ト・ドマツ、どうでも・え・えぞ・エ・ゾマツ』と歌うんだよ。」
多少なまりのある言葉で、リズムにのせて繰り返し歌った。確かに、よく見ると枝ぶりが違っていた。見た目には、やはり上向きのトドマツの方が整っている。どうでもいいエゾマツは葉がボザッとしていてしまりがない。歌詞に影響されているかもしれないが……。
左手に赤と白の縞に塗られた巨大な灯台が現れた。石崎灯台である。赤白に塗られているのが無人灯台で、黒白に塗られているのが有人灯台である。今はほとんどが無人化されており、昔はここも黒白に塗られていたという。沖合い漁業の盛んな鬼脇の集落に入った。
オタトマリ沼を右手に見て、坂を登った小高い山頂にある沼浦展望台に着いた。涼しい風が吹いている。海抜42.7mと書かれた看板横で写真を撮った。山側の眼下にはオタトマリ沼が見え、その背後には木の点在する草原状の丘が続いていた。晴れていればそこに山がそびえているはずである。なんとも荒涼とした眺めであった。
島の南端を通過し、仙法志に入った。アザラシがいるという仙法志御崎公園に立ち寄り、北のいつくしま弁天宮を通り過ぎて、寝熊の岩に着いた。その名の通り熊が寝ているように見える岩礁である。仙法志の海岸は奇岩・奇石が点在しており、他にも人の横顔に見える人面岩もあった。人面岩の頭の部分には白いしめ縄がハチマキのように巻かれていた。
島内に信号は3箇所あるという。そのうちの一つは押しボタン式であり、
「赤になったのを見たことがないよ。」
と言う。
信号などなくてもよさそうであるが、島民が都会に出た時に困らないように教育上必要なのだそうである。
家の煙突は集納煙突といい、煙を一ヵ所に集めて外に出すしくみになっているという。そして北海道の家々に四角い煙突が多いのは、雪などから守るため頑丈に造られているからだという。
沓形に入った。小樽と礼文からのフェリーが寄る町(旅行時は運航していたが、現在は廃止された)で、アイヌ語で「クツアカンタ」-岩が多い所-という意である。海岸に広がっている黒い岩は、利尻岳噴火の際の溶岩であるという。右手はクマザサなどの生い茂る平原が続いている。上空に小さな飛行機が見えた。近くにある利尻空港から飛び立った稚内行のプロペラ機で、19名乗り、稚内までは20分で到着してしまう。船の弱い人が利用するそうである。現在空港はジェット化に向けて工事をしているという。
「ジェット化すれば、札幌から大勢乗った飛行機がびゅんとやってきて、便利になるだろう。」
と未来への希望を語っていた。
冬の吹雪はすさまじい。車で外を走っていても前が見えず、そういう時は車を運転しないという。大時化の時は、岸に風船ぐらいの大きさの岩が打ち上げられるというから驚きである。
「2~3日分まとめて新聞が配達されることもあるよ。もう何十年も前のことだけど、一週間くらい船が来なくて、島の食糧が底をつくという時もあったよ。」
と話していた。
沓形には会津藩士の墓があり、そこに寄ってもらうことにした。故郷が会津の僕としては気になる所であった。文化4(1807)年、ロシア軍艦の襲撃に対する警備のため、津軽藩や会津藩を配置させたが、この時に水腫病で死亡した藩士の墓である。墓は、道路より少し入った場所にひっそりと立っていた。
6年前、天皇(現皇太子)が山登りをされたため道路が良くなった、泊まったホテルはあそこだよ、などと話をしているうちに鴛泊へ戻ってきた。タクシーもたまにはいいな、と思った。

~旅・万歳!街歩きの風が吹く~