BANCHAN のすべての投稿

桜の隅田公園西岸(浅草)【東京考察#69】

Sumida Park of a cherry tree (Asakusa)

 


 隅田公園は隅田川を挟んで二つに分かれている.今回お伝えするのは隅田川西岸側であるが,隅田公園の歴史は隅田川東岸の墨堤に八代将軍徳川吉宗によって初めてさくらが植えられてから「桜の名所」となるようになった.その後,江戸時代には水戸徳川家の下屋敷で小梅御殿と呼ばれていたが,明治になって水戸徳川家の本邸となり,昭和6年に帝都復興計画により公園として開園したものである.
ということで「本当に隅田公園に行った」と言えるのは,東岸の隅田公園に足を運んだときなのである.

西岸の桜は約1kmにわたってソメイヨシノが植えられており,毎年春になると花見客で混雑する.



やきとりと缶ビールは花見に欠かせない


やっぱりマットを敷いて宴会だ~.


隅田川西岸の桜並木


場所取りは「新入社員の仕事」としているところも多いが,
今年の開花は早く,3月中には散ってしまいそうである.


「カミソリ堤防」と呼ばれたかつての無味乾燥とした隅田川の堤防は,河川の浄化が進んだこともあって人々が川面に触れられるように,堤防の川側にデッキを設けて散策できるように整備された.これによって川を見ながら散歩できるようになったのであるが,その場所に占拠しはじめたものが,ダンボールハウス(ビニールシートハウス)である.これによって逆に市民が心おきなくこの場所に立ち入ることをためらうようになり,今となっては上から川を眺めながら,「ずいぶん立派な家をつくっているねー.」などと一種の観光名所となっている.首都高6号線にのって北に向かっていると,車窓左側に色とりどりのハウス群を眺めることができるが,水が増水したときは堤防すれすれまで水が溢れる河川断面の計算となっているのだろうから,台風などの大雨後は命がけで逃げなければならない.


整備された堤防内に住まうビニールハウス


立派に造られているハウス


ちゃんと玄関扉までついている


橋の下は「桟橋」で渡れるようになっている

目黒寄生虫館【東京考察#68】

The parasitic museum in Meguro


 知る人ぞしる「目黒寄生虫館」である.

「寄生虫」とは,他の動物の表面や体内にくっついて生きていく虫のことである.食べ物を頂戴している宿主を殺してしまうと,自分も死んでしまうので,宿主を殺さない程度に栄養を頂いて生き延びるという,調子のいい虫である.権力や実力のある人のそばにくっついて生きのびている人は,まさに「あの人は寄生虫のような人だ!」ということになる.
身近な寄生虫として,肛門の周りに産卵する「ぎょう虫」や,サバの刺身などから口に入って腸で成長する「サナダムシ」などがある.最近胃炎や潰瘍などの原因とされている「ピロリ菌」も寄生虫である.これらの標本(ピロリ菌はない)が,この展示館にいくと見られるのである.

目黒寄生虫館は,1953年に医学博士亀谷了の私財投入によって設立された研究機関で,現在は財団法人として研究活動を行っている.世界でもたったひとつしかない寄生虫の博物館ということで,内外から注目を浴びており,現在の建物が完成したのは1993年であった.展示館となっているのは1階と2階のみで,その他の階は寄生虫関連の研究施設・資料書庫・会議室などとなっている.生きた寄生虫は展示されておらず,全てホルマリンに浸してある標本となっているが,約300点の標本は「うぉっ」と思わずにはいられない.入館は無料である.

気持ちの悪い寄生虫であるが,人間にとっては伝染病などの病気の克服といった観点から,非常に重要な研究分野であり,それらの功績や歴史に触れることができるのも,この博物館である.


寄生虫の標本が並ぶ


ミュージアムショップでは,館内のパンフレットや
サナダムシが立体になったTシャツなどを販売している


300円で売られている「目黒寄生虫館ガイドブック」の表紙
上がミンククジラの胃に寄生するアニサキス成虫
下がスケトウダラの肝臓表面に寄生するアニサキス幼虫
非常にグロテスク!!

見たい方は,足を運んで購入しましょう.

根・標・釧~道東の冬~#1[トップ]

北海道は冬に訪れるべきである.
一番厳しい季節だからこそ,本当の姿を見ることができる.
とはいうものの,2002年2月9~10日は暖かい春のような陽気であった.

原野の広がる道東へ. 冬に訪れてみた.

羽田-釧路間の飛行機は運賃が高い.
羽田-札幌(千歳)では,エアドゥの登場により,割引率の高い「特割」がたくさん登場し,
航空運賃を安く仕上げることができる.しかし,そのとばっちりを受けているのが地方路線.

釧路便などはその最たるもので,「特割」の設定はあるのだけれど,割引率が極端に低い.
往復割引よりもちょっと安い程度である.これならば,変更の自由がきく往復割引を購入してしまう.往復約57,000円也.道東は時間のない人間にとっては,交通費が高くつくところである.

でも,北海道に来たら,道東(釧路より北東)か道北(名寄より北)に行かなければいけない.真の「北の大地」を味わえるのがここなのである.高いお金を払っても,行くことに時間のかかる道東へ行かなければならないのである.札幌だけで北海道を語ってはいけない.

霧多布,風蓮湖,そして納沙布岬へ.
根室のエスカロップも見逃せない

パイロットファームの広がる標津
根釧原野は素晴らしい.
この荒涼感がたまらない.

神秘の摩周湖.
釧路湿原の丹頂鶴.
釧路は道東の拠点である.

(旅行年月:2002年2月)

根室[根・標・釧~道東の冬~#2]

釧路から最東端を目指して,国道44号を走っていった.

~厚岸~厚岸~厚岸~厚岸~厚岸~

厚岸味覚ターミナル・コンキリエ
厚岸(あっけし)の街と厚岸湖・厚岸湖・厚岸大橋が望めるセンター.ここには名産の「カキ」を主体とする地場産品の販売等を行っており,2階のレストランではカキ料理が味わえる.
コンキリエとはイタリア語で貝の形をした食べ物という意だそうで,建物の外観もカキをイメージしたものとなっている.
本来なら全て凍っているらしいが,気温が高い影響で半分しか氷が張っていない厚岸湖.

コンキリレストランにて
とろろ昆布の上にカキの唐揚げ.そしていくらがのっかっている.

生オイスターは欠かせない

北方領土のパンフレット

~霧多布~霧多布~霧多布~霧多布~霧多布~

琵琶瀬展望台からの霧多布湿原
霧多布湿原は国内3番目に大きな湿原で,3,168haの広さがある.夏は花が咲き乱れ,美しい湿原が広がっているのだが,冬の湿原もまんざらすてたものではない.白いパウダーの中に琵琶瀬川が蛇行して流れ,空気は冷たいが景色は暖かみの感じる白い世界が広がっている.

霧多布湿原の中をはしる道路

~厚床~厚床~厚床~厚床~厚床~

広大な根釧台地が車窓に広がる.この景色を見なければ,北海道に来たとは言えない.
荒涼としたこの景色こそが”北海道”なのである.

道路脇に建っている矢印(↓)は,路肩の位置を表示するデリネーターである.積雪と吹雪の多い北海道では,吹き溜まりなどで埋もれないように上から矢印で路肩を示しているのであるが,景観的にはどうなのかと疑問も残る.
夜になると,赤くチカチカ点滅するものもあり,さながら赤い蛍が飛んでいるような気分になる.

~温根沼~温根沼~温根沼~温根沼~温根沼~

風蓮湖
春国岱(しゅんくにたい)の長大な砂州によってオホーツク湾と区切られている汽水湖.海水が混じっている.

北海道のちょっとしたイベント会場には必ず氷や雪で作った「滑り台」がある.これも冬の北海道.

氷を滑るときは,お尻に農協などで手に入れる肥料のビニール袋を敷いてすべる.このビニールだと抵抗が少なく,かつ破れにくいのでちょうど良いのであろう.

「ナクルロード」380円
”しばれる”北海道の道路はテカテカに凍っている.道路には塩化系の凍結防止剤がまかれているが,それを道の駅「スワン44ねむろ」で販売している.ジュースと一緒に凍結防止剤が並べられているが,この凍結防止剤,買ったはいいがドライバーはどこに使えばよいのだろう.

~根室~根室~根室~根室~根室~

根室市街の標識には,「ロシア語」も併記されている.英語の下にロシア語があり,青い道路標識の看板にも併記されている.ロシアへの親しみを込めた交流の現れか.福岡や対馬ではハングル語の表記が見られるのと同じ.

こちらは全てロシア語の地図

根室の喫茶店ではごく普通のメニュー.
バターライスの上にデミグラスソースのかかったカツがのっているもので,ソースはハヤシライスに似ているものであった.横浜から移り住んだ料理人が根室で若い女性向けにメニューを作ったのが始まりだとか.語源はイタリア語を変形させたもの.

~納沙布岬~納沙布岬~納沙布岬~納沙布岬~納沙布岬~

北海道の道路沿いには,交通安全を示す黄色い旗をよく見かける.寒風に吹きさらされながら,バタバタと交通安全を訴えている.遠くに見える白い塔は展望台.

北方領土の早期返還を願ったモニュメント「四島のかけはし」

納沙布岬

不毛の根釧原野が広がる

標津[根・標・釧~道東の冬~#3]

~別海~別海~別海~別海~別海~

別海町は酪農の町.広大な原野にパイロットファームが広がる.
「べつかい牛乳」
なつかしい三角形のパックに入った牛乳.

寒さの厳しい北海道では,ボイラーで温水を配管して,壁際に温水の熱を放出する暖房器が設置してあることが多い.全館暖房となっている.温度の調節は,温水の量をバルブで調節して行う.

動物王国・北海道.
道路沿いにはさまざまな動物の横断注意を促す看板が建てられている.牛,馬,鹿・・・ 他にも何かあるかも・・・

~尾岱沼・野付~尾岱沼・野付~尾岱沼・野付~尾岱沼・野付~

白鳥台(北方展望塔)からのオホーツク海.野付半島の向こうにうっすらと国後島が見えた.(この写真では難しい・・)

知床の山とパイロットファーム

野付半島は根室海峡に突き出る日本最大の砂嘴(さし)である.砂でできている半島で,あと数百年経つと浸食されて原型があるかどうか・・・?.右も左も海となり,道路が突っ切っている.
ここにはトドワラ(トドマツが海水におかされ枯れて風化したもの)などの荒涼とした風景が広がる.地図を見ると不可思議な地形を描いているだけに,行ってみたくなるところである.

野付半島の一コマ

寒い!

北海道の住宅.
入口は二重構造となっており,さらに中に本物の玄関扉がある.アルミサッシは防寒用.窓も二重である.そして,軒先には必ず赤いスノーダンプ(小さいサイズはママさんダンプともいう!)が置いてあり,煙突は強度を増すためなのか,歴史的にそうなのか,四角い頑丈な煙突が多い.

~標津~標津~標津~標津~標津~

とにかく真っ直ぐな道路が多い.このあたりの地図を眺めると,ただ,ただ,原野の中に道路の線をひいたことを感じる.

各牧場の入口には,表札看板が掲げられている.

地球が丸く見える「開陽台」.標津のパイロットファームが一望できる.ここはライダーたちの聖地と呼ばれていた.ここから大地を眺めるとなんと自分が小さいことか・・

北海道を代表する景観のひとつだった「サイロ」.これはエサを発酵させるための施設であるが,現在は右側のようにエサをくるんで発酵させるようになっている.つまり,サイロは今は使っておらず,徐々に姿を消していく.

釧路[根・標・釧~道東の冬~#4]

~摩周湖~摩周湖~摩周湖~摩周湖~摩周湖~

冬の摩周湖.本来なら氷が張っているのであるが,今年は暖かくて凍っていない.といっても風は冷たく,ほっぺたが痛い!!

摩周湖からみた弟子屈の街

釧路に向かう途中,美しい風景に出会った.

北海道のアパート.煙突の形など,内地とはちょっと違う感じ.

アパート Part.2

~鶴居村~鶴居村~鶴居村~鶴居村~鶴居村~

鶴居村は,釧路湿原の北に位置し,その村名からも伺えるとおり,丹頂鶴の生息するところである.丹頂鶴は一時絶滅の危機に瀕したが,保護活動が実り,いまでは600羽程度の鶴が観測されている.

丹頂鶴は,飛ぶ姿がとても優雅なため,全国各地から「鶴」を求めて,カメラマンが訪れている.何十万もする超望遠レンズを鶴に向け,シャッターチャンスをねらっている.池中玄太の世界!(懐かしい)

夕方になると,丹頂はねぐらに戻ってくる.川の真ん中に鶴がいる.(音羽橋より撮影)

「この道路での撮影は除雪作業の邪魔になるので駐車はご遠慮ください」
鶴の保護のため,撮影できる場所は限られている.その限りある撮影地を求めて,アマチュアカメラマンは移動し,飛んでくる鶴の姿を待ちかまえている.マイナス10度.バッテリーはすぐになくなってしまうので注意が必要である.

夕方になると餌場から寝ぐらに帰るため,鶴たちが飛び立っていく.
鶴は「生き物」である.その日によって,飛行ルートが異なっている.待っていたところの上空をうまく飛んでいってくれれば「大当たり」.遠くに飛んでいってしまったときは「はずれ」.
「今日はだめだった~.」
鶴の撮影には,ばくち的な要素があり,うまい構図を撮ろうとして,結構はまっていくものである.

やっと撮った1枚.「いまいち」の出来だが,うまい構図を捕らえようとして,鶴の虜になっていく・・・.このあとバッテリーが切れた!足は寒いし,顔はひりひりする.

日が沈む鶴居村の風景.この上空を,つがいの丹頂鶴が飛んでいく.

交通博物館【東京考察#67】

Transportation Museum

 


 交通博物館は,交通のしくみを模型を用いて展示している歴史ある博物館である.元国鉄,現在はJR東日本が運営する博物館であるので,必然的に鉄道に重きが置かれているが,バスや航空,駕籠からリニアモーターカーまで,幅広く模型を用いて展示されている.展示物については,何十年も同じ模型が置かれており(僕が小学生だった頃とほとんど変わっていない!),ちょっと古い感じがするのは否めないが,鉄道運転シュミレーションや鉄道模型運転ショーなどは,子供たちに人気のコーナーとなっている.
なお,残念なことに,2006(平成18)年5月14日で長い歴史に幕が下ろされ閉館することが決まっている(現在は閉館した).交通博物館は鉄道博物館と名前を変えて,さいたま市(埼玉新都市交通ニューシャトル大成駅)に2007年10月14日のオープンを目指してJR東日本によって準備が進められている.(現在は鉄道博物館がオープンしている.)


入場すると蒸気機関車がお出迎え


人気の運転シュミレーター
運転手の気分が味わえる.

 
台車とブレーキの仕組みが実物の模型でわかる
マスコンハンドルを回すと本当に車輪が回る

  


列車案内板を実際に操作できる
これも昔から変わっていない


バスもある

  
船,バイク,自転車・・・

  
駕籠からリニアからファーストクラスまで・・・



一番人気は鉄道模型ショー


夕焼けとなり・・


夜となる・・


闇の中,ライトを光らせながら走る模型は
なかなかのムードがある

模型ショーを動画で.

マチグワー(牧志市場)[めんそ~れ沖縄#1]

独特の時と文化を育んできた琉球.怒濤の時代を生き抜いてきた沖縄へ9年ぶりに訪ねてみた.珊瑚礁の広がるビーチ,きらびやかな琉球文化の首里城,第二次世界大戦で最悪の戦場となった沖縄,アメリカによる占領時代・・・.改めて沖縄を見つめてみると,様々な様子を発見することができた.そんな沖縄の旅をどうぞ.

★★ めんそーれ = ようこそ ★★

(旅行年月:2002年1月)


マチグワーとは「市場」のことである.迷路のように入り組んだ路地の中に,所狭しと店が軒を連ね,市場が形成されている.上野アメ横に雰囲気はにている.

「那覇市第一牧志公設市場」肉・魚・惣菜などがならぶ.沖縄らしいカラフルな魚が並び,
豚の顔!がこちらをにらみ,海ブドウや豆腐用ようなどの珍品も並ぶ.一度立ち入ったら病みつきになる市場である.

「マチグワカイ ユーメンソーチェピーサヤー」
沖縄の言葉は難しい.標準語の語気がまるでない.

ずらりと肉が並ぶ.さすが沖縄,「豚」がメイン.

「チラガー」と呼ばれる豚の顔!1枚400円也.千切りにして酢味噌で食べる.

色とりどりの魚がならぶ.

オレンジや青い魚もならぶ.食べておいしいのかと思ってしまう.

エビもこんなに沢山.

1階で買った魚は,2階の食堂で調理してもらえる.ただし,500円也.

2階の食堂.

沖縄の野菜には「ゴーヤー」が欠かせない.

首里城[めんそ~れ沖縄#2]

現在の首里城は,1992年に沖縄復帰20周年を記念して復元されたものである.琉球王国(1429~1879年)歴代の国王の居城であり,中国と日本の文化が混在する独特の城となっている.第二次世界大戦までは現存していた.この首里城は世界文化遺産に登録されている.

正殿
この正殿を復元するにあたり,当時の技術を精巧に模して施工が行われた.中にはいると当時の技術のすばらしさと琉球のきらびやかな繁栄ぶりが伺える.

漏刻門
漏刻とは中国で水時計の意だとか.

瑞泉門の近くにある「泉」

「だいじょぶさぁ~沖縄」
アメリカのテロ事件以来,観光客が減っているという.県をあげてキャンペーンを行っている.

沖縄の赤瓦は下に敷く瓦とそれらのつなぎ部分を上から包む瓦があり,さらに台風で飛ばないように漆喰で固める.

ちょっと一枚

首里城から見たパノラマ写真.

ルート58(北谷→コザ(沖縄市)→嘉手納)[めんそ~れ沖縄#3]

沖縄本島を南北に貫く国道58号.沖縄の基幹道路である.レンタカーを借りて北上した.ルート58沿線の風景をどうぞ.

国道58号の風景

アメリカ中古家具店
沿線には米軍の払い下げ品やアメリカから直輸入の店が多い.まるでアメリカを旅行しているかのようだ.

普通の交差点.赤信号で止まったので撮ってみた.

信号待ち.タクシーの停止位置が・・・

北谷(ちゃたん)

北谷は今,若者の人気スポットである.かつての米軍ハンビー基地の跡地を利用し,再開発を行ったウォーターフロントで,ハンビータウン・アメリカンビレッジとして賑わいを見せる地域である.写真はアメリカンビレッジの60m観覧車.

美浜サンセットビーチ.人工海浜である

「シャワーではありません」「THIS IS NOT A SHOWER」
誰が見たってシャワーじゃないことは理解できる.おそらくこの忠告には続きがあって,「シャワーではありませんので,頭や体を洗わないでください」というのが趣旨だと思う.

もう一枚.サンセットビーチ.その名の通り夕日がきれいな浜である.

コザ(沖縄市)

胡屋十字路の歩道橋から撮影.「空港通り」と呼ばれている.
真っ直ぐ行くと「米軍嘉手納基地第2ゲート」.第2ゲート内付近には米軍住宅があり,外国人も多く,英語の看板を掲げた店も多い.
1970年のコザ騒動の時は,この付近の米国人車両70台余りが焼きうちされた.基地の街の住民の不満が爆発したところ.

コザの夜は外国人が多く出歩く賑やかな街に違いない.英語の看板があちこちで目に付く

な,な,なんと・・・.基地の街にも「喜多方ラーメン」が・・・

1時間 $2.00

ゴヤ(胡屋)市場

嘉手納

基地へ入る「ゲート」.もちろん一般人は入れない.

嘉手納基地のフェンス.嘉手納町は面積の8割が米軍基地

星条旗がたなびく・・・・

沖縄の道路沿いでは工事予告看板のようにアイスクリームのマークの看板が出てくると,パラソルを出してアイスを売る人が現れる.

基地周辺では警備員が目を光らせている.

ルート58(残波岬→琉球村→万座毛)[めんそ~れ沖縄#4]

沖縄本島を南北に貫く国道58号.沖縄の基幹道路である.レンタカーを借りて北上した.ルート58沿線の街の風景をどうぞ.

残波岬

残波岬の灯台
ここは戦後米軍の実弾演習場だったが,沖縄復帰によって灯台が設置された.南西諸島随一の高さ(31m)を誇る.光の強さは64万カンデラ.

灯台には階段で上ることができる(有料).360度の大パノラマが広がる.写真は真栄田岬.背後は名護.

ダイビングをする人々

釣り人はどんなところでも・・

夕日が沈むときは素晴らしい景色が広がる.

琉球村(テーマパーク)

「琉球村」とは行政上の市町村ではなく,むかしの沖縄・琉球の文化を伝えるために造られたテーマパークである.この琉球村には昔の生活の様式を再現しているが,ろう人形などの「まがいもの」によって昔の伝統工芸や生活等を再現しているのではなく,本物の人間が昔の建物のなかで文化を再現していたり,製糖工場を忠実に復元していたり,リアリティーのある体験型テーマパークとなっている.

沖縄らしい開放的な家.

昔の家の台所では,本当に薪を焚いて揚げ物を作っている.
「おばぁ」が揚げているのは沖縄風ドーナツ「サーターアンダギー」.黒糖の香りがするお菓子である.100円で揚げたてを食べることができる

「紅型」を制作している.伝統工芸を再現している.

「亜熱帯の琉球」といった感じ.

三線(さんしん)を弾いて沖縄の歌を歌っている.

「水牛」もちろん本物.

万座毛

万座毛から見た万座ビーチ

「万座毛」は隆起サンゴ礁の断崖で,天然の芝で覆われた平坦な台地となっている.「万人が座するに足る」と賞賛されたことからこの名がついた

海の透明度は抜群である.

万座ビーチ

万座毛からのパノラマ写真.

美しい珊瑚礁.いつまでも残したい自然である.

「はい,チーズ」

平坦な台地となっている.

平和祈念公園[めんそ~れ沖縄#5]

かつて琉球の先人は
平和をこよなく愛する民として
海を渡り
アジア諸国と交易を結んだ
海は
豊かな生命の源として
平和と友好の掛け橋として
いまなお
人々の心に息づいている

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

太平洋と東シナ海の波間につらなる沖縄の島々・・・
海は
人々のくらしにさまざまな恵みをもたらしました
生活のかてを 富を そして文化を・・・
しかし この清ら島(ちゅらじま) 沖縄に
やがて 暗雲が たれこめ
鉄の暴風が・・・

(沖縄県平和祈念資料館プロローグより)


20数万人の命を奪った沖縄戦.日本における唯一の地上戦であり,太平洋戦争で最大規模の戦闘であった.
そんな歴史を伝えるのが平和祈念資料館である.
2000年に新しくリニューアルし,よりわかりやすく沖縄の歴史を伝えている.

実物の砲弾

平和の礎
沖縄戦で亡くなった全ての人々の氏名を刻んである祈念碑.太平洋戦争沖縄戦終結50周年を
記念して建設された.

平和祈念公園の式典広場でキャッチボールをする親子.このような平和な光景がつづいているのが今の沖縄である・・・


沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものは
これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはない
と思うのです

この なまなましい体験の前では
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです

戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか

戦争このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば と思いつづけてきました

これが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです

(平和祈念資料館 展示むすびのことば より)


サンゴ礁や白いビーチもいいけれど,沖縄に来たら,時代に翻弄されてきた歴史を振り返らなければなりません.
是非,この平和祈念資料館に立ち寄って,「平和の礎」の上に,青く広がる穏やかな空,そして,果てしなく広がる青い海を眺めてください・・・

ちょっとブレイク~沖縄の風景[めんそ~れ沖縄#6]

ちょっとした風景を集めてみた.沖縄の一面を.

米軍の車はナンバープレートが違う.

「Y」ナンバーの車.
「いろは・・」の欄が「Y」になっている. これは,米軍関係者の使用する車であることを示しているが,この制度は沖縄特有のことではなく,米軍基地の周辺ではよく見られるナンバーである.横浜で始まったことから「Y」となっている。ちなみに,アメリカからきた車には「E」がついている。
相手が米軍関係者の場合、事故にあっても保障が受けられないことなどがあったり,「車庫証明」が不要ということがあったり,不平等であるとの声があがっている.
「Y」ナンバーについては,日米特別行動委員会において廃止が合意されているという。

沖縄の公共交通機関は「バス」である.電車は走っていないが,現在モノレールが建設されており,平成15年には,空港~首里の間を結ぶ.
そんな沖縄のバスには各社共通の系統番号が付けられている.その路線マップは,走行する路線の上に系統番号を書いて示すものとなっていて,最初は見づらいが慣れると合理的な路線図であることに気づく.諸外国ではこの方式の路線図の方が主流である.日本では1本1本路線ごとに色を決めて線を書く路線図が主流である.

国際通りは沖縄一賑やかなストリートである.昼夜を問わず「呼び込み」が激しい.観光客とみると,すかさず声を掛けてくる.日本でもこんな都市があったのか,と驚き.
沖縄が観光立県であることを物語っている.

夜の国際通り.沖縄の夜は20時頃からである.というのも,沖縄人は一旦家に帰ってから
飲みにでかける.ライブハウスなどの開店時間は20時から.ファーストステージは21時から・・・夜が長い沖縄である.

ホテルのテレビチャンネル6chに「米軍放送 AFRTS」とあり,米軍の放送が流れていた.東京のAMラジオに「FEN」(810KHZ)というのがあるが,あれのTV版なのだろうか.

「バス停にお客様がいらっしゃる場合は必ず停車して行き先をアナウンス致します(手を挙げて合図する必要はありません)」と黄色いシールが貼ってある.
ガイドブックなどには,「沖縄では手を挙げないとバスが止まらない」と書いてあるので,乗客が手を挙げることは昔からの習慣なのだろうと思う.諸外国では手を挙げないと止まってくれないところが多く,沖縄では現在でも手を挙げてバスに乗る人は多いが,観光客等から苦情がきたのだろうか,必ず止まるようにしている.
しかし,手を挙げないと止まらないで走ってしまうバスもあるようで・・・.沖縄らしい一面である.

コザの市場の中にある裁縫屋.開放的でアジアチックな雰囲気が沢山残っているのも沖縄.

沖縄自動車道のサービスエリア.駐車場には屋根がついている.日差しが強い沖縄ならでわである.

沖縄の高速道路では最高時速80km.スピードを出す車は少なく,左側車線では80kmで走っている.追い越し車線でも100km程度.ばんばん抜かしていくのは「わ」ナンバーばかり・・・.警察の取り締まりが厳しいのかもしれない.

国際通りの電柱に貼ってあった張り紙.東京はいろいろな意味で華やかな街なのだ.

米軍関係者が事故を起こすと,迷彩服を着た米軍の警察もやってきて事故処理をするらしい.それとも米軍関係者のみの検問をやっていたのか? とにかく,迷彩服をきた人とアメリカのパトカーが止まっていた.

サザンライツ(新宿駅南口のイルミネーション)【東京考察#66】

Christmas illuminations (at the Shinjuku station southern entrance)


 クリスマスから年末にかけて,新宿駅南口に新しい話題のスポットが誕生しようとしている.東京駅丸の内で毎年開催されている「東京ミレナリオ」に対抗するかのように,高島屋と小田急とJR東日本の共催によって,美しいイルミネーションが展開されている.
新宿駅南口は,ここ十年余りの間に,タイムズスクエアーのオープンとともに,がらりと雰囲気を変えたところで,新宿における人々の流れを大きく変えた地域である.ここは人工の地盤を設けて土地のスペースを確保しており,限りある都市空間の限界に挑戦しているような趣さえある.時間になると,タイムズスクエアーのビルの壁面にレーザー光線によるショーが映し出され,新宿の衰えるところを知らないパワーを感じる.


代々木のNTTドコモのビル
NYのエンパイヤーステートビルを連想させる


豪華客船のようなタイムズスクエアの建物
高島屋・東急ハンズなどがテナントに入る


電球の配置が見事に理路整然と配されている

いわき小名浜見聞録【#21-#40】[一括掲載]

(このページは2001年に掲載したものです)

No.21 植田の地獄ラーメン

総じていわきのラーメンはあまりこれといって特徴がないが,植田の地獄ラーメンというと,ちょっとした話題になるラーメンである.ラーメン屋の看板には,どこにも地獄ラーメンの文字はない.正式には「らーめんランド」という店名である.
その店は,国道6号の泉から植田方面に走っていったところの小浜町あたりにバイパス店,旧6号である県道いわき上三坂小野線の植田中心地の手前に植田店がある.そのメニューのなかに「地獄ラーメン」という激辛ラーメンがあって,辛さに応じて1丁目から順になんと100丁目まである.値段も辛さに応じて高くなっていく.メニューには「1丁目から順にチャレンジしてください」と書かれており,更に30分以内に全てたいらげると,店内に貼られる証明書とデザートが付くという得点がある.地元では,「植田の地獄ラーメンにいる」というだけでどのラーメン屋なのか通じてしまう.
また,チャーシュー麺を頼むと,大きな4枚のチャーシューがドンブリから飛び出し,まるで巨大な花びらのようにチャーシューが咲いている. 100丁目をたいらげた人の証明書が貼ってあったので,超激辛ラーメンを制覇した人がいるのは確かなようである.

No.22 SEA WAVE (FMいわき) No.2

No.15でFMいわきのコミュニティーFMについて述べたが,さらにアイデアが面白い番組を紹介する.
朝,7時55分から「パパにエールを」をいうタイトルで,いわき市内の各幼稚園児が3人ほどでてきて,「パパ,アクアマリンに連れていってくれてどうもありがと.吉田一郎.」「おとーさん,車の運転に気を付けて,頑張ってね.田中知子.」「お父さん,今度デズニーランドに連れていってください.佐藤幸子.」などと,通勤途中のお父さんに向かってエールを送るという番組ある.これを聞いてると,なんだかほっとしてしまう.
昼の12時35分位から10分程度,小学校のお昼の放送がそのままFMで流される「こちら小学生放送局」という番組がある.小学校の校歌が流れ,リクエスト曲と学校での出来事などが放送される.出身校の放送が流れると,懐かしさのあまり目が潤むんではなかろうか.
また,お昼にはガラガラ声のレポーターとアクアマリンふくしまの職員が紹介する番組も流される.
夕方5時45分位からは,常交インフォメーションと題して,東京の話題や情報を紹介し,明日,あさっての高速バス東京行きの予約状況を伝えてくれる.
その他,いわき小名浜方言講座やいわき弁丸出しのクマクマタイムなど,面白番組盛りだくさんの「SEA WAVE」である.

No.23 スタッドレスタイヤ

いわきでは氷点下になることは珍しいらしく,いわき市(平野部に限る)から東京方面へ向かうだけの場合,スタッドレスタイヤをはかないで冬を過ごすことが可能であるという.僕の場合,会津方面へ向かうことがあるので,12月中旬にスタッドレスにはきかえたが,まわりで冬タイヤに交換した人は少ない.交換したのは「福島」ナンバーの車がほとんどである.それだけ,福島県の他地域から比較すると暖かいのである.道路の街路樹に亜熱帯地方に生えている「シュロ」が植わっているのは,まさしく東北の湘南をイメージした南国いわきを象徴している街路樹である.(いくら暖かいとはいえ,いわきの緯度は高く,冬は東京以上に寒いと思うのだが・・・)

No.24 レストラン「メヒコ」のカニピラフ

いわき人にとって,「メヒコ」レストランを知らない人はいないだろう.メニューもさることながら,レストラン内の演出が面白い.なかでも,鹿島(鹿島街道沿い・平と小名浜の中間地点)にある,水族館,フラミンゴ館,モンキー館の3店はユニークである.その名の通り,レストラン内が動物園・水族館のようになっており,水族館店では店内が暗くなって大きな巨大水槽(本当にでかい)の中を泳ぐ魚や亀を眺めながら食事をとることができ,モンキー館では「キャッキャ」はしる猿を見ながら食事ができる.
メニューは,カニ,ロブスター,ステーキが主なものとなっており,なかでも「カニピラフ」は,殻つきのカニがピラフの上にのっかってくるという豪快さ.このカニピラフ,味付けの方はシンプルで殻付きのカニとご飯をバターで炒めたいう感じであり,さらに,メニューの写真では茹でたカニをそのままのっけてあるような感じであるが,実際はカニの殻ごとご飯と炒めているので,カニ殻にご飯つぶがくっついていて,殻を割って食べるときに手もべとべとになるというちょっと食べづらいものとなっている.しかし,最初はバターで炒めただけの素朴なピラフかと思っていたが,食べ方によって味わいが変わることに気づいた.初めは殻付きのカニは,殻を割ってそのまま身を食べていてライスはそのまま別に食べていたのであるが,実は,このカニの身はほぐしてピラフと混ぜて食べると,塩気の利いたカニの身がパターライスと程良くマッチして,絶妙な味に変わるのであった.このカニピラフは人気メニューのひとつであり,この素朴で豪快なピラフは是非食べてみることをお勧めする.お土産も販売している.
そのほかに,ロブスターを注文すると,調理方法を焼くか蒸すか,選択することができる.ビーフシチューも美味しそうで,これもいけるのではないか.カニに飽きたらウニピラフもいけるとの情報も耳にした.
食後のデザートで,カボチャのプリンと生オレンジジュースを飲めば,後味もよくなって,ご満悦!といったところである.

No.25 スパ・リゾート・ハワイアンズ(旧常磐ハワイアンセンター)の功績

現在では,リニューアルされて「スパ・リゾート・ハワイアンズ」という名称になっているが,「常磐ハワイアンセンター」と言えば,「あぁー,あそこね」,と誰もが思い浮かぶテーマパークである.石炭から石油へのエネルギー転換の波は,炭坑の街・いわきを直撃した.次々と閉山される炭坑によって寂れる一方のいわき地方の産業を,なんとかしようと開業したのが,常磐ハワイアンセンターなのである.
常磐(じょうばん)地方は湯本温泉でも知られるとおり,硫黄泉質の温泉がわき出る地域であった.炭坑にとってはやっかいな噴出物であった温泉を逆手にとって,大きな屋内プール(温泉熱を利用して年中熱帯である)を作り,ハワイのフラダンスショー(ポリネシアンショー)を行って,あたかもハワイに行った気分になれるテーマパークを昭和41年に作ったのである.昭和41年といえばまだ海外旅行が自由化される前のことであり,当時としては画期的なテーマパークであって,さらに,従業員は(フラダンスを踊る人も)全て炭坑で働いていた人々を雇用しているということもあり,それ故にマスコミにも取り上げられて,全国的に名の知れたテーマパークとなった.いわき市における観光客入込数はずっとトップであった.(アクアマリンふくしまの開館により,小名浜港のららみゅうがトップになったらしい)
「この前,ハワイに行って来た」
「えっ,本当?」
「本当だよ,常磐ハワイアンセンター・・・」
といった会話をよく耳にしたものである.福島県内では腰をフリフリしてヒラヒラの腰ひもを付けたフラダンス踊りのCMがかつて(もう20年も前になるか)流れていたのであるが,そのポリネシアンショーは現在も健在で,炎をぶんぶん振り回すアトラクションとともにハワイアンズの目玉として人気が高い.1日2回,13:30と20:10から行われている.

-----

映画「フラガール」    涙がでます.感動のストーリー.
常磐ハワイアンセンターにおけるフラガール(フラダンスを踊る女性)の誕生物語を映画化したもの.
平成18年9月23日よりロードショー開始.

No.26 いわき市石炭・化石館(常磐炭田)

いわき市は炭坑の街だった.福島県富岡町からいわき市を経て,茨城県日立市付近までに広がる炭田は常磐炭田と呼ばれ,本州では最大,日本でも北海道の石狩,九州の筑豊に次ぐ大規模な炭田であった.ところが,石炭から石油へのエネルギー革命により,次第に閉山に追い込まれ,昭和51年の西部炭鉱の閉山を最後として,125年に及ぶ炭鉱の歴史に幕を下ろしたのであった.
その炭鉱について展示をしている資料館が,湯本駅前のかつて炭鉱の街が広がっていた跡地に存在する「いわき市石炭・化石館」である.
化石館という名が付け加えられているとおり,炭鉱のみの展示ではなく,恐竜や化石などの太古の世界の展示も行われている(1階入口部).しかし,やっぱり興味をそそるのは,炭鉱についての資料館である.石炭の利用方法や,採炭道具,常磐炭坑の歴史などの展示を2階で見学したあと,あたかも地下600mの坑底まで入坑するような感覚に陥るエレベータで1階に降りると(このエレベーターは登りは普通のスピードであがって行くが,下るときは超スローに動いてスピーカーからガタガタ音が聞こえ,ガラスの外にランプがチカチカ光り,あたかも坑内のエレベーターに乗っているように演出されている),薄暗い坑内が再現されており,実際の坑道の枠が各工法によって忠実に再現されている.そして,黒いダイヤと呼ばれる石炭を採炭する状況が,古い時代から現代に至るまで,実に12場面について,人形と効果音・音声案内によってこちらも忠実に再現されている.昔はふんどし一丁で,女性も下半身のみの服装で採炭を行っており,湿気が多く温泉が吹き出す常磐炭坑では,水風呂につかりながら採炭していたということであり,採炭現場は過酷で危険な労働であったことを伺い知ることができる.全国(石狩・筑豊も含む)で100人もの人々が命を落としていた(昭和40年くらいまでの話である)ということからも危険な仕事であったことが理解できる.また,昭和10年頃における炭坑の街で暮らす人々の様子も再現されており,炭坑の街の独特の雰囲気を感じ取ることができる.
いわき市の小学校では,遠足や社会科見学で必ず訪れるところなので,いわき市で育った人にとっては「あんなところ,おもしろくねぇー」などと言ってわざわざ見に行くことはないような資料館であるが,炭坑の歴史・ひいてはいわき市の歴史を知る上では非常に面白い資料館である.

No.27 いわき宇宙塾

これは「街づくり」を考える上で,いわき市を市民に知ってもらい,また勉強してもらうために,市企画調整課で行っている勉強会である.何故に「宇宙」塾と名付けられたかというと,「宙」とは時間の流れ,「宇」とは空間の広がりを表し,いわきという地域を時間の流れと空間の広がりの中でじっくり考えてもらいたいとの思いを「宇宙」という文字で表現しているとのことである.
平成2年度から毎年大きなテーマを設定して開催されており,日曜日の午前中に2時間程度,各テーマの専門家や著名活動人等の講演を聴講するというもので,全11回,9月頃から2月まで,2・3週間に1回の割合で開催されている.会費は無料であるが,年度ごとに塾生の募集を行っており,基本的に塾生のみの聴講となる.皆勤賞には賞状が渡される.
参加者は,年配の方が多いが,中には若い世代の人もぽつぽつと見かけることもでき,どの参加者も街づくりに関心をもつ人々であることには間違いない.市民の自己啓発や文化の向上,街づくりを考えるきっかけをつくる上で,このような市民講座は大変素晴らしく,なによりも無料で色々な立場の人の話を聞けるというのはお得であり,時代の流れ・情報をキャッチするのにはうってつけである.講師の中には,芸術家や設計士などといった話すことを職業としていない人も招かれている.会場は,いわき市内に点在するテーマにそった公共施設が使われており,たとえば障害者や年配の方にも配慮した街づくりを行っていかなければならないという思想であるユニバーサルデザインについての講演の場合は,健康増進施設いわきゆったり館の研修室を利用する,といった具合である.

No.28 ダイエー・ハイパーマート(鹿島SC)のレジ

鹿島ショッピングセンター(鹿島SC)については,No.19で紹介したが,その中にダイエーのスーパー・ハイパーマートがある.そのレジの仕方がちょっと変わっている.レジに向かってベルトコンベアーのようなものがあり,買い物客は手押しカートに入れた商品やかごの中身をベルトの上に乗せて,前の客の商品との区切りをつけるため,白いプラスチックの区切りの棒を置く.そのとき,ビニールの買い物袋が必要ない人は,その旨が書かれたカードを取って商品の上にのっけておく.袋がいらない人にはポイントが与えられ,20個たまると100円引きの商品券がもらえる.商品のレジが打ち終わると,ベルトコンベアーは少しずつレジの方向に動いていき,商品も同時に動いていく.
この後も変わっている.レジの打たれた商品は,かごに入れられるのではなく,丸い棒がいくつも並べられた滑り台のような上をなめらかに滑っていき,お客は自分が購入した全ての商品のレジが打ち終わらないうちに,次々と流れてきた商品をビニール袋に入れる.つまり,時間の短縮が図られるのである.袋を詰めるためのレーンは2つあるので,前の客が入れ終わっていないときは,電車のポイントのようなレバーを変えて,前がつまらないようになっている.
「変わっている」と表現したが,外国ではこの方式の方がよく見かける.パリやロンドンでも見たし,シンガポールでもそうであった.

No.29 さはこの湯

いわき湯本温泉に「さはこの湯」という公衆浴場がある.いわき市観光公社が管理運営する温泉保養所であるが,入浴料大人150円という破格の値段で温泉に入ることができる.営業時間は午前8時から午後10時(入場は午後9時)まで,休憩を行いたい人は710円を払えば休憩室が利用できる.温泉成分は,「硫黄水」であり,慢性皮膚病・やけど・動脈硬化等に効能がある.
なにしろ,安く入浴できるので,非常に混雑する.浴場は,決して広いとは言えないので,さるが群がって湯につかっているのと同じで,人間が所狭しと,湯につかっているさまは,ちょいと滑稽である.石鹸はあるがシャンプーはない.もちろんタオルも持参である(小物は売店で売っている).駐車場も狭くて台数が少なく,運良く開いていればいいが,開いていないときは辛抱強くどこかがあくまで道路で待っているしかない.入浴後に「木村牛乳」を飲むのは必須である.

No.30 泉小学校の校歌

FMいわき(SEA・WAVE)のお昼の時間に,「こちら小学生放送局」という番組をやっている.いわき市内の各小学校がかわるがわる放送を行っていくのであるが,必ず最初に学校の校歌が流れる.その中で,泉小学校の校歌はすばらしい.なにがかって,ハモるのである.「いずみ,いずみ,いずみ,いずみ・・・」,この部分でメジャー域とマイナー域のパートナーが二手に分かれてはもっているのである.学校の校歌でハモるなんて聞いたことがない.とても美しいこの校歌,実際に歌うときには,「君は高いほう,あなたは低いほう」,というように班分けしているのだろうか?出席番号の奇数が高いほう,偶数が低いほう,といった具合に班分けしているのかもしれない.

No.31 三崎公園

小名浜港の隣にマリンタワーなどが建つ公園がある.小名浜港からトンネルを抜け,坂をぐんぐんあがると,緑の芝生の公園が広々と広がる.ロンドンなどで見られる日本離れした素晴らしい公園である.世田谷区の砧公園に似ている.日本の公園というと,長方形の敷地内に,ベンチやブランコ,ジャングルジムなどを配し,いかにも箱庭的な公園といったものが多いが,この三崎公園は,どかーんと広々とした芝生のみが広がり,その中でキャッチボールをしたり,寝そべったり,かけっこをしたり,と思い思いの行動がとれる.ビルが建ち家が密集する都市部では,こういった公園が最も求められるオープンスペースであり,憩いの場になる真の姿の公園であるように思う.
三崎公園は,夜になると,カップルが密集することでも有名で,暴走族や不良のたまり場としても名をはせている.正月の「初日の出暴走」では,茨城の「族」達が,三崎公園を目指して突っ走ってくるというから,三崎公園もまんざら捨てたもんじゃぁない.

No.32 常交の路線バス乗車記

僕の場合,いわきでは路線バスに乗る機会は滅多にないが,平(たいら)で飲み会があると,居住地・小名浜まで帰るのに,タクシーだと深夜割増で5000円,運転代行でも4000円は取られる.そこで,たまには1次会で切り上げて最終バスで小名浜まで帰ってこようと思った.いわき駅前21時35分発が小名浜までの最終バスである.20人位の乗客を乗せて,鹿島街道を南へ向けて走っていく.
常交の整理券にはバーコードが入っている.何故かと思いきや,運賃を払うときに,整理券を専用の黄色い投入口に入れると,自分の運賃が表示されるようになっていた.進んでいる.初めて常交の路線バスに乗った人は気づかずに,整理券を運賃と一緒に運賃投入口に入れてしまうだろう.
東警察署を過ぎたあたりから,どんどん乗客が降りていき,小名浜のメインストリートを過ぎると車内は僕だけに.僕の下車する停留所の手前にて運転手さんが突然話しかけてきた.
「このバスは暴走族だよ.」
と,わけのわからないことをしゃべっている. 「はぁ?」 再び聞き返すと,
「普通の自動車でもここから平まで27分かかるんだよ.バスは乗客を乗せたり下ろしたりしているんだよ.それなのにバスのダイヤは30分で小名浜まで来るようになっている.スピードを上げていたのがわかるだろう.腕まくりしてぶっとばしてきたよ.このバスは暴走族だ.」
そして,料金を払って降りようとしたとき,
「人生楽しく行きようね.気を付けて.」
と一言.個性的な常交の運転手であった.運賃は630円である.

No.33 五浦美術館

五浦美術館はいわき市の施設ではなく,お隣茨城県北茨城市に存在する.しかし,国道6号を走り勿来の関を越えると,そこはすぐ北茨城市であり,県境を感じさせるような峠もない.気がつくと茨城県に入っていく感じである.したがって,いわき市民も気軽に訪れる施設であろう.
正式には「茨城県天心記念五浦美術館」であり,岡倉天心や五浦の作家たちの業績を紹介し,企画展などによる展示も行われ,芸術文化活動の拠点として平成9年にオープンした県立美術館である.入館料は,なんと180円.激安である.しかも,美術情報ライブラリーという美術に関する専門図書を閲覧できるスペースがあり,美術に興味のある人にとっては,素晴らしい施設である.建物は近代建築の素材であるコンクリートを打ちっ放しにしつつ,木目調の化粧版によって和の柔らかさを醸し出す落ち着いたものとなっている.館内からは太平洋が一望できる.いわき地方の芸術文化の向上に,五浦美術館は非常に役立つ施設である.

No.34 いわき日帰り大浴場のあれこれ

日本人たるもの,たまには足を伸ばして「ざぶーん」とお風呂に入りたいものである.いわき市には湯本温泉という有名な温泉があるが,結構あちこちに日帰り大浴場が存在する.そんな,大浴場を個人的に比較してみました.






















料金
コメント
さはこの湯 湯本温泉 硫黄 × × × × × 150 安いこともあって非常に混雑する温泉である.浴槽も大きくないので,芋洗い状態での入浴となる.黄色い石鹸のみが置いてある.
国民年金センター
「いわき」
三崎公園 塩化 × × × 500 三崎公園にある施設で,日帰り入浴は午後4時までとなる.浴場から海が望める.1階で新聞が読める.
神白温泉
民宿「国元屋」
上神白 酸っぱい × × × × × 500 飲むと胃腸によいという泉質で,療養のため長期にわたり泊まる客が多い.浴槽も普通のお風呂である.日帰り入浴は午後8時まで.
小名浜スプリングス
ホテル
下川
(大剣)
塩化 1000 ゴルフ場が併設されたリゾートホテル.プレー終了時間以外は空いており,浴槽も非常に大きい.照島や太平洋の大海原が一望でき,露天風呂は太平洋の絶壁の上にある.ロビーで英字新聞も読める.
蟹洗温泉
「太平洋健康センター」
四ツ倉
アルカリ
2100 太平洋に面した健康センター.大海原を目の前にして入る大浴場は,爽快で気持ちがいい.いわき市各地へ送迎バスが走っている.
いわき健康センター 小浜町 温泉なし
漢方湯
× 2100 健康センターである.漢方風呂があり,しばらく入っていると弱い部分(特にあそこ)がひりひりしてくる.
道の駅「ならは」
Jビレッジ湯遊ならは
楢葉町 塩化 × × × 500 道の駅にある温泉.ジャグジー風呂が充実しており,サウナもついて500円は安い.タオルセット付きだと800円となる.
天心の湯 北茨城市
五浦
塩化
× × 1000
(平日・夜間
割引有
露天風呂の「白泥湯」が珍しい.北茨城でとれる粘土質の泥を混ぜたもので,肌がすべすべになるという.中はそれほど広くはない.

飲食施設とは,軽食のとれるレストランのことである.
タオルとは無料のタオルがあることをいう.

No.35 小名浜に吉野屋オープン(いわき市再上陸)

小名浜の岡小名,鹿島街道沿いに「吉牛(吉野屋の牛丼)」がオープンした.いわき市では,かつて倒産する前の吉野屋が平駅前にオープンしていたが,倒産によって閉鎖.その後,吉野屋は復活したものの,いわき市内にはオープンしていなかった.いわき市民にとっては待望のオープンなのである.そんあこともあってか,オープン初日より大行列.店内では食べられないので,弁当を買って駐車場で食べる事態も・・.なおかつ,並250円セールと重なって,駐車場に白テントの臨時弁当売場ができて行列ができるという盛況ぶりであり,いかにいわき市民は「吉牛」に飢えていたかが伺える.
吉野屋というと,おやじや若者の男性客ばかりで,女性が入りづらいという雰囲気があるが,ここの店はボックス席があることもあって,家族連れや女子高生,OLといったいままでの吉野屋の客層とはちょいと違う感じを受ける.小名浜の喫茶店での話題は,もっぱら吉牛の話題で持ちきりで,「店は大混雑だっぺよ.行ってみたか」などといった会話が取り交わされている.
いわき市民は,郡山などの吉牛のある地域に住む人たちとの会話で,
「吉牛の朝定(朝定食のこと)が食いてぇーなー.」
などといった会話がはじまると,悔しい思いをしていたのであるが,これからは,胸をはって,
「そうだよなー.」
と,相づちを打つことができる.どういうわけか,吉野屋の牛丼は無性に食いたくなるときがある.僕も大変嬉しい限りである.

No.36 いわき東京線・高速バスVol.2(4月増便)

いわきは高速バスが発達しているところであり,各インターチェンジに乗用車用の無料駐車場を設けて,パーク・アンド・ライドを日本でも先駆けて導入したところでもある.値段が安いこともさることながら,そのような利便性のよさが功を奏して,いつも盛況満席といったところである.特に,いわき東京線については,2001年4月1日より更に3増便されて21往復体制となった.(2003年5月からは,さらに3往復増便の24往復体制となり,30分おきの時間帯が増えた.)
いわき駅始発が午前5時となり,いわき駅最終が20時となった.さらに,東京駅発の始発が7時30分となり,最終が22時(いわき駅到着はなんと午前1時となる)という便ができた.給料日後(月末)の週末や連休の最終日には,1便2台運行の増便体制にもかかわらず,東京駅発のバスが「本日すべて満席ですので電車で帰って下さい」などと言われるときがあったが,今回の改正で,東京駅発15時30分から21時までは30分間隔の発車となり,特に午後7時以降の利便性が格段に向上した.それから,綾瀬駅から東京駅までのルートが首都高経由から一般道経由に変更された.
さて,いわき東京線は,JRバス関東,東武鉄道,常磐交通の3社で運行されている.これは駅ターミナルの乗り入れ権利があって,東京駅はJRバス,綾瀬駅は東武バス,いわき駅は常磐交通となっているため,お互いのバス会社を運行させて駅前ターミナルからの発車を実現させている.綾瀬駅の停車は,首都高の混雑を避けるために都心手前の駅で乗客を下車させるために停車するのである.
この3社,どれに乗っても同じだろう,と思いきや,若干の違いがある.
バスが一番綺麗なのは東武鉄道である.次に常磐交通であり,JRは電車もそうであるがバスもちょっと汚い車両が回ってくることもある.特にJRバスの場合,各方面手広く路線を持っているので,どこかのお古が回ってきたりするのではないか.しかし,悪いことばかりでもなく,かつて夜行で使われていたフットレスト(足置き場と足のふくらはぎをのせる台)がついていることもあり,ちょっと得した気分になる.最近は新型バスも導入されるようになってきた.
一番安全運転なのはJRバスである.逆に吹っ飛ばすのが常磐交通.首都高の常交の走りっぷりは追い越し車線を走っていき,つくばセンター行きや水戸行きなどの高速バスを抜かしていく.

No.37 いわき市のさかな 「メヒカリ」

いわき市の魚を決定しようと,市民からの公募を行ったところ,「メヒカリ」と決まった.漁協組合からは漁獲高の大きな「カツオ」にしたいという思惑があったが,最終的には市民に親しまれているメヒカリとなり,一安心といったところである.カツオは土佐高知などで既に有名であり,今さらカツオを「いわきの魚」にしたところで,独自性やアイデンティティーは何ら感じることのできないものである.メヒカリは長持ちしない魚なので,会津などでは食することがあまりない.いわきに来た人にはメヒカリを薦めているが,皆珍しいと言って唐揚げなどを食べていく.魚そのものの値段はそれほど高価なものではない.
メヒカリとは,漢字で書くと「目光」,正式には「あおめえそ」,硬骨魚綱 はだかいわし目 あおめえそ科の魚である.英名は「green eyes」,その名の通り,青緑色に光る大きな目が特徴のシシャモのような小さな魚である.底引き網で漁獲され,特に9月から4月にかけて多くとれる.底引き網の休業期間である7・8月には水揚げがない.唐揚げ,干物,天ぷらなどで食べられ,珍品として刺身で味わうこともできる.刺身は,船から直送されるごく一部の飲み屋などで食べることができる.

No.38 大黒屋デパート倒産

大黒屋デパートが破産した.大黒屋についてはNo.13の項でも述べているが,いわきの老舗百貨店であった.今年は創業100周年を迎える記念すべき年だった.福島民友などでは号外が出され,コンビニのレジには号外がおかれるほど,いわき市民にとっては衝撃的な出来事であった.なにしろ大黒屋デパートは,福島県浜通り地方の唯一のデパートと呼べる百貨店だったのである.負債額は大黒屋と関連企業の大黒屋ストアーなどをあわせて約90億円,要因として,①大手資本による大型スーパーの相次ぐ出店での競争激化(バイパス沿いにたてられる大型店舗によるもの.中心市街地の衰退の元凶でもある),②デフレによる単価ダウン(中間の卸売りを通さないことで価格ダウンを果たしたユニクロが最たるもの),③各地デパート倒産を背景にした問屋との取引条件の変更(そごうの倒産を背景に,問屋業界も厳しい条件を突きつけてくるようになったのか),④金融機関の引き締め(いわゆる「貸し渋り」である)などによるもの,としている.
自主再建を断念した破産宣告(民事再生法などの自主再建ではないのである)ということで,平成13年5月22日よりシャッターは開かず,「大黒様の宝くじ」として有名な宝くじ売り場も閉鎖されてしまった.「せめて,宝くじ売り場だけは続けて・・・」といった声も多く聞かれるが,倒産したデパートの宝くじ売り場に果たしてどれだけの人が購入しに来るだろうか,といった疑問の声も聞かれる.
地域経済に与える影響は大きいと言われており,いわき市役所では商工労政課内に市内の取引企業に対する融資相談窓口と従業員雇用のための相談窓口を設置した.パートを含む296人は解雇されるという.
実は,大黒屋デパートの経営が芳しくないという噂はちらほら聞かれていた.いわき商工会議所の会頭でもある馬目社長の任期が平成13年10月まであり,任期が終わったところで倒産か!などと言った冗談交じりの囁きもなかったわけではなかったが,こんなに早く倒産するとは思っていなかったに違いない.大黒屋デパートは,バーバリーやシャネルなどが入る,いわき地方の消費文化レベルを引き上げた功績は大きなものであったと思われる.

No.39 いわき市の気温

暑い熱い夏がやってきた.天気予報で福島県の気温を見ると,必ずいわき市の夏の気温は,郡山や福島,会津若松と比べて3~5度程度低くなっている.夏暑くて冬寒い山々に囲まれた内陸型気候の中通り(郡山や福島)や会津地方の人々からは,「いわきは海に近くて夏は涼しくていいよな~」,などと言われる.しかし,いわき市全てが涼しいというのは誤りだと思う.というのも,いわきの気象庁の測候所は海の近くの小名浜にあり,いわきの気温や天気は,すべて小名浜が基準となっているのである.小名浜は確かに海からの涼しい風が吹いてきて,気温が低い.この小名浜のみの気温が,いわき全体の気温として,NHKを初め,TV各局で放送されているのはちょっと正確さにかけているように思う.いわきの中心地・平(たいら)は内陸に位置しているので,小名浜よりも2~3度は気温が高いといわれており,いわきに住んでいる人も,「天気予報は小名浜の気温だから,平はもっと暑いよ」と誰もが思っている.決していわきは涼しくない! ちなみに僕は,目の前に漁港の広がる小名浜港の前に住んでいるので,涼しいいわきを充分すぎるほど享受しております.

No.40 草野心平記念文学館

草野心平はいわき市出身の詩人であり,いわき市小川町にこの記念館がある.夏井川上流の小玉ダム近くの自然に囲まれた地域にあって,館内からは大きな透明なガラス窓越しに,阿武隈の山を望むことができる.常設展示室の構成も独特で,草野心平の肉声による詩の朗読を聞くことができるとともに,モニュメントが配されて展示空間そのものを楽しめるような作りとなっている.カフェレストラン「テン」では,手作りのこった料理を味わうことができ,食事だけでも訪れてみるのも良いところである.時々,草野心平と親交のあった人物などの企画展を開催しており,今年の夏は「中原中也展」を開催していた.「汚れっちまった悲しみに・・・.ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」である.

(このページは2001年に掲載したものです)

ファンタジーナイト[ネットでアクアマリンふくしま#6]

冬期限定で6日間のみ,午後9時まで「ファンタジーナイト」と題し,夜のアクアマリンふくしまを公開していた.照明が照らされ,昼とはまた違った幻想的なアクアリウムを体験することができる.次年度以降も期間を延ばして,是非やってほしい企画である.

入口

ライトアップされた川の流れ

光に集まる魚の群れ 潮目の大水槽

ラッコ

夜間限定 クラゲの展示
さまざまな種類のクラゲが幻想的なライトとともに展示されていた

亜熱帯のマングローブ林

とげぬき地蔵(巣鴨)【東京考察#65】

Togenuki Jizo (Sugamo Guardian deity of children)


高岩寺・洗い観音


 「おばあちゃんの原宿」としてすっかり有名となった巣鴨地蔵通り商店街.その目的はとげぬき地蔵にお参りに行くことである.毎月4日,14日,24日は縁日となって,門前市として発達していったとげぬき地蔵通り商店街には露店が建ち並び,賑やかな通りとなる.これこそが「縁日」といった感じである.
とげぬき地蔵(高岩寺)は,慶長3年(1598)の創建と伝えられており,本尊の延命地蔵菩薩はとげぬき地蔵として江戸時代から有名なところである.この本尊のお札を患部に貼って祈ればとげを抜いてくれるという言い伝えがある.これは,江戸長州藩邸の下女が誤って針を呑み込んでしまったが、本尊の尊影を水で飲み込んだところ、無事に針を吐き出す事ができたということからきている.


生地を買う人々


ボタンや裁縫道具が並ぶ
池袋・キンカ堂のようだ


甘味処は欠かせない


キルトベスト ¥2,000

 
かるめ焼き 七味唐辛子 どちらも縁日には欠かせない

 
もんぺは人気商品のひとつ


煙を患部にかける.
外国で発行されている「JAPAN」のガイドブックには,
必ずこの写真が掲載されている


「洗い観音」を洗うために並んでいる行列!


団子を食べる 1本100円


お花の販売


「塩大福」は有名


商店街入口

 しかし,おばあちゃんの原宿といっているが,おじいちゃんの存在はどこに行ってしまったのだろうか?
確かに街中を歩いているのは,おばあちゃんばっかりである.老後における男と女の行動力の差を見ているようで,男というのは定年を迎えてしまうと今までがむしゃらに働いてきた精魂を使い果たしたかのようにしぼんでしまうのは何故なのだろうか? 「男」として生きている生物学的な定めなのだろうか?

あらかわ遊園【東京考察#64】

Arakawa amusement park (small amusement park)

 

 東京で一番小さな遊園地がここ「あらかわ遊園地」であろう.よくTVでも,下町の遊園地などといって都電荒川線と共に紹介されているが,なんといっても魅力は,値段の安さである.施設そのものもコンパクトであるが,乗り物1回あたり200円程度で乗れるのだから,小学校入学前の子供たちにとっては,程良い遊園地なのである.豊島園のジェットコースターやディズニーランドのスペースマウンテンにはまだ乗れない小さな子供たちは,このあらかわ遊園で絶叫マシーンを楽しむというのが手頃なところである.親たちも財布の心配をしなくて済む.

  
あらかわ遊園地の絶叫マシーン「ミニコースター」
大人200円 子供100円


みんなで空中サイクリング


メリーゴーランドもあります


汽車ぽっぽ!!

 あらかわ遊園地には,乗り物の他にも動物園や釣り堀が併設されている.ポニーへの乗馬なども行われている.


馬のポニー


やぎ  「めぇ~~ぇ」


鳥かごの中に人が入ってバードウォッチング

 
釣り堀             広場

 休日の都電は小さい子供を連れた家族連れで賑わう.


都電「荒川遊園地前」停留所


おでんの屋台と看板 下町・荒川区らしい・・・

駅のエスカレーター【東京考察#63】

Escalator of a station


 ロンドンでは急ぐ人のためにエスカレーターの片側を開けておく習慣があるが,東京でも,ここ数年すっかり浸透するようになった.
東京の場合は,左側に寄って右側を急ぐ人のために開けておく.「急ぐ人」と「急がない人」の割合が1:1の時にはバランスがとれてちょうどよいが,日中や土日などは急がない人の割合の方が圧倒的に多く,左側にずらりと列ができて右側がガラガラといった光景がよく目に付く.下りはともかく,上りの場合はエスカレーターの段差は結構大きく,駆け上がって登ろうという気にはなかなかなれない.時間と体力を惜しまないビジネスマンのための習慣である.ちなみに,大阪ではこの習慣は早くから採り入れられているが,東京と違って右側に寄って左側を空けるようになっている.京都では東京と同じになっているので,大阪のみ反対となっているのである.


東京では左に寄って右側を空ける


一方,大阪では右に寄って左を空ける(御堂筋線心斎橋駅にて)

明治神宮外苑(銀杏・イチョウ並木)【東京考察#62】

The ginkgo tree roadside trees at the Meiji-jingu outer garden

 


 秋から初冬にかけて,真っ黄色に色づいた銀杏並木の続く道・・・
テレビドラマのロケ地としても有名な場所である.ここは明治神宮外苑の絵画館へとのびる道である.
銀杏は現存するもっとも古い植物のひとつで,東南アジア以外ではほとんど植えられていない街路樹である.都バスや都営地下鉄,東京都の発行する刊行物にはイチョウの葉のマークがつけられているとおり,イチョウは東京都の木に指定され,都民に親しみの持たれている木でもある.
明治神宮外苑の銀杏並木は大正15年に植えられたもので,新宿御苑の銀杏から採集して代々木の明治神宮内苑で育てられた木を植裁したものである.青山通りから直線道路に沿って4条にイチョウが植えられ,絵画館をアイストップとする景観は,見事な都市景観を創出している.
明治神宮(内苑)は代々木(原宿駅裏)にあるが,明治神宮外苑も明治天皇の近代国家としての基礎を築き上げた功績を伝えるため,大正15年に完成したもので,絵画館を中心に神宮球場,国立競技場,秩父宮ラグビー場などの運動施設が設けられている.神宮球場はヤクルトスワローズの本拠地となっている.


4条の銀杏並木


絵を描く人


休みの日には様々な店が並ぶ


でも,一番人気は「焼きいも屋」


絵画館前で草野球(贅沢な草野球である)


お決まりの撮影ポイント

Suica(ICカード出改札システム)【東京考察#61】

The inspection-of-tickets system of an integrated circuit card formula


 JR東日本から画期的な改札システムが2001年11月18日に登場した.
従来の定期券やイオカード(切符のいらないプリペイド式カード)は,自動改札機の投入口にカードを入れて,それを受け取るという動作が必要であったが,Suica(スイカ)と呼ばれるICカードを自動改札機の読みとり部にタッチするだけで,改札を通過することが出来るようになった.
定期券が切れたとき,またはイオカードの残額がなくなったときは,自動券売機等の入金機でお金をチャージ(イオカードの場合,最高20000円まで)することにより,再び使用できるようになる.購入時にはデポジット(保証金)として500円必要となるが,ICカードを返却するときには払い戻しされる.定期券の場合は,イオカードの機能も併用することができるので,今までの定期券の乗り越しの場合はいちいち切符を買うか自動精算機に並んでいたのであるが,これからはタッチ&ゴーをするだけで,自動的に乗り越し分も精算されることとなる.
また,定期入れにいれたままでもタッチ&ゴーができるので,いちいち定期入れから出し入れする煩わしさもなくなる.


投入口の上にある○印のところにタッチする

 説明書きによると「必ずタッチしてください」と書かれてあるが,ICカードそのものをタッチさせる必要はなく,カードを持った手を「ポン」と置くと「ピピ」と音がなってディスプレイに残額等が表示され,通過することができる.出るときも同じ要領でタッチ&ゴーである.


残額がなくなってきたら,入金可能な自動券売機やのりこし精算機で入金する


今までのイオカードでは裏面に利用明細が記入されていたが,
ICカードでは記入されない.そこで,自動券売機で利用履歴を印刷することができる.
長距離用切符の様式に,利用の明細が印字される.(無料)


利用できる駅は,首都圏近郊のみである.(2007年当時)


これがICカードの「Suica」
銀行のキャッシュカードの厚さ

池袋駅西口の変貌【東京考察#60】

A change at the Ikebukuro station west entrance


都立池袋芸術劇場

 


  池袋駅西口はここ10年くらいで,かなり街の様子が変貌した.かつての西口は,東京で唯一残る戦後闇市時代の暗い雰囲気の漂うところだったのであるが,JR東日本グループの経営するメトロポリタンホテルの開業をきっかけに,東武百貨店の日本最大級の売場面積オープン,東京芸術劇場のオープン,西口駅前公園が整備され,既存の丸井とともに,徐々に人が集まる明るい雰囲気に変わってきた.昔から池袋といえば戦後闇市のイメージがつきまとうところであったのだが,巣鴨プリズン(刑務所)跡地のサンシャイン60再開発をきっかけに,東口の方が賑やかで若者の集まる活気ある街となり,西口はどことなく陰気な暗い雰囲気が残っている街が続いていた.ちなみに,池袋は東口に西武デパートが,西口に東武デパートがある「不思議な不思議な池袋」なのでありました.


変貌の最初のきっかけとなった「ホテルメトロポリタン」

 
東武百貨店とメトロポリタンプラザ
日本最大級の床面積へと変貌し,品揃え豊富なデパートとなった


メトロポリタンプラザ1階の噴水広場前
西口の待ち合わせ場所として定着している
(むかしの西口といえば,東武百貨店地下のマルチテレビジョン前が定番だった)


駅前の西口公園.都内有数のナンパスポットとなっている
ちょっと夜は危険な感じもする・・・


青空市場も開催
(野菜を売っているところなど池袋らしい)

 

近頃の地下鉄【東京考察#59】

A recent subway


営団地下鉄南北線 ホームにドアがついている
運転手は確認ボタンを押すだけ.
運転はコンピューター制御されている.

 
都営地下鉄大江戸線
断面の小さいトンネルで車内も狭い
ロンドンのチューブのようだ

 

ナイトアクアリウム(夜のサンシャイン水族館)【東京考察#58】

Night aquarium (Sun Shine aquarium)

 


 最近,ちょっとした話題のスポットがある.(2001年夏現在)
2001年夏の期間だけ,夕方18時より夜の水族館の生き物を見てもらおうと館内の照明を落とし,懐中電灯片手に館内を見て回る「ナイトアクアリウム」というイベントをやっている.入場客は入口で小型の懐中電灯を渡され,真っ暗な水槽の中にライトを照らして魚たちを眺めるのである.アイデアのある企画である.

館内は暗いので,画像は色調や輝度を調整し加工してあります.


入口で小型懐中電灯を渡される


イルカを照らす子供


熱帯魚の水槽


珊瑚礁に隠れていたクマノミ
ライトを照らすと出てくる


ラッコ


夜間水中餌付けショー

福島県いわき市小名浜にあるアクアマリンふくしま水族館でも,
ナイトファンタジアと称して夜間公開を行っていた.
来年も期間を長くして開催されることを願う.

奥多摩,そして多摩源流(東京の水源地)【東京考察#57】

The origin at the Tama river (source of a Water service in Tokyo)


JR青梅線奥多摩駅
ここまでくると終着駅という感じがする
★東京都西多摩郡奥多摩町★

 


 奥多摩を訪れると「ここも東京都なのかぁ」と思わせるほどの大自然が広がっている.多摩川の源流域であり,ハイキングやキャンプ場として,老若男女を問わず人気のあるところとなっている.さらに,東京都民の水瓶である小河内ダム(奥多摩湖)を抱え,東京都民の水源地として重要な役割を担っている地域でもある.

超高層ビルの林立する新宿から中央線の赤い通勤電車に乗り込み,立川へと向かう.びっしりと建ち並んだ家々を高架橋上から眺め,西へ西へと走っていく.立川,青梅でそれぞれ乗り換えて,最後は4両編成の奥多摩行きに乗り込んだ.奥多摩に近づくに従って,リュックを背負った家族連れ,老夫婦,キャンプセットを担ぐ若者などの割合が多くなり,車窓も段々と山々が現れるようになってくる,
御岳駅からはいよいよ奥多摩らしくなってくる.屹立した山の中をキーキー車輪をきしませながら走るようになり,さながら渓谷鉄道の様相を呈する.通勤電車のロングシートでは,大人も車内に背を向けて車窓の景色に釘付けとなる.そして,トンネルを抜けると終着駅奥多摩となる.



JR奥多摩駅前


駅前からは各方面へバスが出ている.日原鍾乳洞,奥多摩湖,丹波,小菅へと,さらに奥地へ歩を進めることができる.どこへ行くか決めていなかったが,多摩源流の小菅村に「小菅の湯」という日帰り入浴施設があるとのことで,帰りのバス便を確認してから,小菅行きのバスに乗り込んだ.小菅までは西東京バスによって1日に5往復運転されており,さらに小菅の湯に行くには途中の金風呂か田元橋で接続する村営バスに乗り換えて行けばよいとのことであった.
小菅村は多摩川の源流域であり,かつての裏甲州街道(青梅街道)であった大菩薩峠への登山口でもある.大菩薩峠が多摩川水系と富士川水系との分水嶺となっている.分水嶺や尾根の入り方,バスの路線などから考えると,小菅村と丹波山村は東京都に属していそうなのであるが,そうではなく実は山梨県となっている.氷川(現奥多摩駅)との交通がよくなったのは大正時代における改修,昭和になってからの小河内ダム建設に伴う補償としての道路改修により車が通行できやすくなってからであり,それ以前の交易は塩山から大菩薩道を通って行われていた.現在,山梨県側の上野原や塩山方面への路線バスは走っておらず,全て東京都側の奥多摩駅からの便となっているが,行政上は山梨県なので,車のないお年寄りや学生にとっては,なにかと不便ではないかと思ったりもする.高校生は上野原へスクールバスで通っているという.
夏休み中ということもあって,立客がでるほどの客を乗せ,バスは発車した.現在は国道411号となっているが,昭和57年に主要地方道(県道)甲府青梅線から昇格した道路であり,これが新宿まで通じている青梅街道である.素堀の岩にモルタルを吹き付けただけのゴツゴツした壁面のトンネルが残る道路を通り過ぎ,ダムの堰堤が下から眺めるように現れると,奥多摩湖(小河内ダム)となる.半数の乗客がここで下車した.ここには東京都水道局の展示館が設置されている.


  
前方にトンネル出口の明かりが大きくなっていく--車内では観光パンフを眺め--車窓には奥多摩湖の湖面


バスはダム湖畔を縫うようにカーブしながら走っていく.湖の湖面が美しいが,この湖の下には移転によって水没した集落がある.石川達三の「日陰の村」には以下のような記述がある.
「東京という大都市が発展していく.すると大木の日陰にある草が枯れていくように小河内は発展する東京の犠牲になって枯れていくのです.山の日陰にある間はまだよかった.都会の日陰になってしまうと村はもう駄目なんです」
小河内ダムは昭和10年に着工し,戦時中の中断を経て昭和32年に完成,当時としては世界最大規模の水道用ダムである.ダムの上流端である峰谷橋までくると,車内の乗客も5人だけとなった.


 
小河内神社前 湖面を渡る浮き橋


丹波・塩山方面への国道411号・青梅街道とは別れて,国道139号へ入り,小菅へと向かう.小菅川にもせせらぎが戻り,屹立とした山に囲まれた静かな清流のなかをバスは唸りをあげながら走っていく.そして山梨県となって金風呂となる.小菅の湯まで行くには,ボンネットバスの村営バスに乗り換えなければならないが,ダイヤによって金風呂で乗り換える場合と,さらに先の田元橋で乗り換える場合とがあるので,奥多摩駅に掲示してある時刻表で確認しておく必要がある.ここで間違えてしまうと足がなくなってしまう.今回は田元橋での乗り換えとなるので,もうしばらく乗車となる.
先ほども記したように,丹波山村,小菅村は山梨県であるが,東京都による水源涵養林の指定がされている区域をもっている.このため丹波山村には東京都の水源涵養林の管理事務所が設けられている.山梨県といえど,東京都の水源地として重要な役割を担っているのである.
田元橋で全ての乗客が下車し,全ての乗客がかわいらしいボンネットバスに乗り込んだ.村内は全て100円均一という良心的なバスで,村民も気軽にこのバスを利用しているようである.村内の各集落を順に巡回して役場や小菅の湯,西東京バスとの乗り継ぎを行えるようにしている.そして,新宿から約3時間,多摩源流・小菅の湯に到着した.温泉は肌がすべすべするアルカリ性の無色透明の湯であった.駐車場には「八王子」「多摩」ナンバーの車がびっしり止まっていた.


 
田元橋の小菅川 多摩源流である

 
小菅の湯  村営のボンネットバス


チャーちゃんまんじゅう

靖国神社【東京考察#56】

Yasukuni Shrine

 


 夏になると何かと話題になる神社である.

靖国神社は「戦時または事変において戦死・戦傷死・戦病死もしくは公務殉職した軍人・軍族およびこれに準ずる者」を国の認定のもとに合祀する神社である.軍人・軍族のみであり,戦争によって亡くなった民間人は祀られていない.歴史は古く,戊辰戦争(明治維新)において亡くなった人々のことを伝えるために明治天皇が「東京招魂社」という名前で明治2年に建立したものである.その後,明治12年に「国を安らかでおだやかな平安にして,いつまでも平和な国につくりあげよう」ということを込めて「靖国」という名前に改められた.西南戦争・日清戦争・日露戦争・第1次世界大戦・満州事変・支那事変と,それぞれの戦争で亡くなった人を「神様」として祀られている.現在,約246万柱の神様が祀られており,そのうちの約8割は第2次世界大戦で亡くなった方である.

靖国神社だけは戦前まで陸軍省・海軍省の直轄にあった.そういったことからも,靖国神社は特別な存在だったことがうかがえる.「日本の首相が公式に靖国神社へ参拝すること」が中国等の周辺諸国から問題にされるのは,東京裁判において第2次世界大戦のA級戦犯とされた人(東條英機など)が祀られている靖国神社に参拝するのはけしからん,という点である.ここまで話を進めてくると,東京裁判そのものが国際法に基づくものだったのか,サンフランシスコ平和条約第11条の解釈はどうなのか,といったことに話が広がっていき,議論の決着がつかなくなってくる.(詳しくは,靖国神社内にある,日本人が戦った歴史を正しく理解してもらうことを目的として建てられている(靖国神社社務所のパンフレットより引用)展示館「遊就館」にパンフレット等が置かれているが,客観的な目で観覧することを願う.)

ただ,一般戦没者の遺族にとっては,国の至上命令のもとに尊い家族を失ったわけで,そういった方々への素直な気持ちでの慰霊は必要なことであろうと思う.戦争を引き起こし導いた者と,その戦争で亡くなった一国民の墓地を別々に設けて,それぞれ個人の自由な意志に基づいて参拝できるようにしたらいいのではないか,といった提案があがっている.

ちなみに,本殿には戊辰戦争で朝敵とされた会津藩や西南戦争で反乱を起こした西郷隆盛は祀られていないが,境内の隅にある鎮霊社において,本殿に祀られていない方々と世界各国の外国人戦死者とともに,会津藩や西郷隆盛は祀られている.



近代日本陸軍の創設者・大村益次郎の銅像と銀杏並木


ひのき造りの「神門」 扉の両方には直径1.5mの菊の御紋がついている


「拝殿」 菊の御紋が印象的である


平和の象徴である「白鳩」が約600羽飼育されている
モーツアルト作曲「おもちゃのシンフォニー」が流れると
餌付けの時間(AM10,PM3)となって鳩が空を飛び回るという


拝殿には,昭和天皇御製の歌が掲げられている


大東亜戦争中(靖国神社では,太平洋戦争や第2次世界大戦といった言葉は使われていない)に
東部ニューギニアで実際に使われていた野戦高射砲


砲弾

  
神社周辺に張られているビラ

小名浜港の昼下がり[小名浜港の点風景#1]

小名浜港の市場前の埠頭。日曜日の昼下がりは閑散としている。

埠頭から望む三崎公園のマリンタワー

サンマ船.
棒みたいなのは集光機でサンマを集めるためのライトである

埠頭は岸壁釣りを楽しむ人々で賑わう

市場直送の魚屋。なかなか客商売に慣れていて威勢がいい。

小名浜港にたたずむかもめと小名浜工業地帯、そしてアクアマリンふくしま。

夜の小名浜港[小名浜港の点風景#2]

ライトアップされたアクアマリンふくしま

アクアマリンパークのムードある街灯

波の音を伝える伝声管「Umi-Tsukushi」

クリスマス限定 * イルミネーション

停泊中の巡視船


Wave Wave Wave の上からの映像(波の音が聞こえますか?)MOV00023

ららミュウからアクアマリン、マリンパークへの映像(伝声管からの波の音が聞こえますか?)MOV00030

漁港の冷凍庫[小名浜港の点風景#3]

小名浜港は有数の漁港でもある。カツオやサンマをはじめ、イワシやカレイなど約4.53万トン、水揚げ金額で約38億円が水揚げされた(平成11年)。現在の漁業は、漁船の保冷設備が良くなったこともあって、漁場の近くの港に水揚げされるのではなく、少しでも値段の高くつく漁港に行って水揚げをするということであり、力のある仲買人のいる港で卸すことが多いという。
平成12年度は温暖化等の影響なのか暖流の勢力が強いため、いわき沖ではサンマが不漁である。金華山より北では、平年並みの漁獲が得られているということである。
そんな漁業基地に必ずあるのが冷凍庫。製氷倉庫と魚の冷凍庫をお見せします。

製氷するための冷凍庫内へ。室温はマイナス10度。漁業に出かける船や魚屋で使用される。

長方形に積まれた氷

倉庫内にあった氷は、このコンベアーで運ばれて砕かれた後に、管を落ちて船に積まれる。

こちらは魚の巨大な冷凍倉庫。冷風のエアーカーテンをくぐるとマイナス30度の世界となる。鼻毛がすぐ凍る。

魚のかたまり。すべて凍っている。

凍っているサンマ。

小名浜港の物流機能[小名浜港の点風景#4]

アクアマリンふくしま水族館やららみゅうの物産館だけが小名浜港ではない。もっと重要な、本来の機能が小名浜港にはある。それは、工業地帯小名浜の物流を支える機能である。
石炭などの原材料を荷揚げする埠頭、資材などを運搬するコンテナ埠頭、石油を荷揚げする石油基地、硫酸などの危険物薬品をあげる埠頭、丸太・角材を荷揚げする埠頭など、港湾としての本来の機能も果たしている。

荷揚げされた石炭(粉炭)【7号埠頭】

荷揚げされた原材料等はシートで保護する。飛散防止と雨を防ぐため。【3号埠頭】

セメントの原料は船からポンプで直接輸送管で圧送されている。【4号埠頭】

木材が積まれている。最近は加工材が多くなっている。【藤原埠頭】

石油タンク【大剣埠頭】

外国船。オーストラリアからの船が最も多いが、遠くは南アフリカから1ヶ月かけてやってくる船もある。【藤原埠頭】

大剣外貿コンテナ埠頭。たくさんのコンテナが並ぶ。外貿の定期航路は韓国のみ週3便。内貿は仙台・小名浜・那珂湊を経て東京港へ週2便.【大剣埠頭】

2000年9月に導入されたガントリークレーン。【大剣埠頭】