BANCHAN のすべての投稿

アメヤ横丁(上野御徒町)【東京考察#29】

Ameya Yokocho (at Ueno Okachimachi)


JR御徒町駅前のアメ横入口

 

 「アメ横」を知らない人はいないだろう。大晦日になると必ずといっていいほど、TV中継がされる商店街である。正式にはアメヤ横丁というが、戦後アメリカのものを売っていたことからこの名がついたという。なにしろ、このアメ横は普通の商店街を超越していて、アジア人としての日本を意識せずにはいられなくなる。混沌としたカオス状態なのである。魚屋のとなりに洋服屋があり、乾物屋のとなりでゴルフのクラブを売っている・・・。このアンバランスさと混沌とした状態が、いかにも「アジア」的でエキゾチックなのである。そして、この混沌とした風景に接したとき、なぜかホッとするのは、僕だけではないだろう。やはり、我々はアジアの中の日本人なのである。



JR線のガード下に所狭しと広がるアメ横


服を金物に引っかけて、上へ上へと陳列する タイのマーケットのようである


乾物屋の隣にあるアーミーショップ


洋服屋の隣で大トロやマグロを売る これがアメ横


魚屋のおっチャンとのやりとりも楽しい すぐ値引きが始まる


アメ横で買い物をするとき注意することがひとつある。それは、「本物を見極める目を養うこと」である。なにしろ値段が安いので、ついつい手を出したくなってしまうが、なかには縫製が甘かったり、鮮度の落ちたカニだったり、バッタものに出くわすことがある。ただ、元々値が安いのを承知で買っているのだから、それはそれとして、買い物を楽しむのがアメ横である。



日本ではないようだ


赤提灯の一杯飲み屋もある


モツ煮込みは下町飲み屋の定番

ジュエリータウン(御徒町)【東京考察#28】

Jewelry town (at Okachimachi)

 


 ルビー通り、ダイヤモンド通り、ひすい通り、サファイヤ通り・・・、女性であれば目が輝いてしまうような名前が通りに付けられている。この辺りは、貴金属・宝石の問屋が集まるところであり、別名「ジュエリータウン」と呼ばれている。結婚が決まって指輪を贈るとき、この街で指輪を購入し、近くの韓国人街でキムチを買って、アメ横で夕食のおかずを買って帰るのも悪くはないのでは。


狭い通りには宝石店が建ち並ぶ


左手に見える高架橋はJR山手・京浜東北線


金銀財宝がケースに並んでいる・・・


店をはしごすると欲しくなっちゃうんだよね,ダイヤモンドって.


だいたい定価の20~40%引きで売っている

東京港フェリー埠頭ターミナル【東京考察#27】

The Tokyo harbor ferry terminal



徳島・新門司までを結ぶフェリー(おーしゃんのーす)


 東京港から出港するフェリーは、東京ビッグサイト南側に位置するこの有明フェリー埠頭から出航する。那智勝浦・高知、徳島・新門司とを結ぶ航路が存在するが、かつては北海道の苫小牧、釧路航路も存在していた。現在、北海道へフェリーで向かいたい場合、茨城県の大洗港から室蘭、苫小牧まで向かうことができる。
近未来都市・お台場からすぐ近くのところにフェリー埠頭は存在しているが、辺りの雰囲気は一変して、埋め立て地独特の殺伐とした光景が広がる。まず、観光でこの埠頭にやってくる人はいないだろう。交通のアクセスも悪く、新木場・国際展示場駅から海02系統の都営バスが、1時間に1本程度走っているのみである。



乗船名簿等を提出する窓口


海を眺められる待合室


埠頭とターミナルからのびるタラップ


東京湾で釣りをする人々


台切シャーシとは下の写真のことを言うのか?


遠くにお台場の観覧車とビル群が見える


ブルーハイウエイラインのさんふらわあ号

 

浅草雷門と仲見世・公園六区【東京考察#26】

Asakusa Kaminari-mon and Nakamise, Koen-rokku
(The town where the Edo culture of old Japan remains)

 

 今の浅草は、外国からの観光客が必ず立ち寄る国際観光地となった趣があり、古き良き東京、江戸情緒を残す街として、賑わっている。昭和初期や戦後時代には、日本の流行発信地として、現在の渋谷・新宿に匹敵するような大繁華街を形成していたが、東京の繁華街は西へ西へと移動していき、斜陽化する浅草をなんとか復活させようと、数々の祭りを催したり、新しいタイプのホテルやビルを建てたりし、往年の繁華街の復権に力を入れている。



雷門


雷門の先に続く仲見世


古風な日本を感じさせるみやげもの屋。
外国人観光客にはこのような日本風なものに人気があるのだろう。


せんべい屋。香ばしい醤油の香りが漂ってくる。


仲見世の裏側


人力車。お金を払えば誰でも乗れる。


浅草では、年中、行事と祭りを行っている


伝法院通り。この雰囲気は浅草と大阪・新世界でしか味わえない

 
こんなものまで売っている。大村昆のオロナミンCは9900円。女のかつらはなんと15万円。


浅草公園六区。かつては一大繁華街・映画街であった。


浅草公園六区の「六区」とは、明治15(1882)年より始まった浅草公園の築造・整備(全6区画に区分して整備)における区画番号のことである。その中でも第6区画は興行街として整備され、そのまま「浅草公園六区」という名称が東京の娯楽の代名詞のようになったのである。バス停の名称に「浅草公園六区」という名が今でも残されていることに拍手を送りたい。映画館は明治40(1907)年頃から登場し、現在も残る浅草六区の映画街が形成された。



地下鉄銀座線の浅草駅。赤提灯が浅草らしい。


「東京時代祭り」で歩く中村勘九郎 歓声があがる。

東京国際空港(羽田空港・ビッグバード)【東京考察#25】

Tokyo International Airport (Haneda Airport)

 


 羽田空港は、正式には「東京国際空港」という。成田空港は「新東京国際空港」。1978(昭和53)年に成田が開港するまでは、羽田が東京の国際空港も担っていた。
現在の羽田空港は、空港機能の増強と航空機騒音問題を解決するために沖合に移転拡張して大きさを過去の3倍にした24時間空港であり、新旅客ターミナルは1993(平成5)年にビッグバードの愛称でオープンした。年間の離着陸処理能力は約23万回であり、滑走路は新A滑走路(3000m)、新B滑走路(2500m)、新C滑走路(3000m)の3本である。さらに、沖合に桟橋方式の海上空港を建設するよう、東京都が運輸省に要望を行ったところである。首都圏第3空港などの議論が行われているが、東京都心からのアクセスを考えれば、羽田に勝るところはない。


 
着陸する飛行機(JAS) タイヤから煙りが出ている 背後は京浜工業地帯


チェックインカウンター


ボディチェックを受けて待合室へ


バスタクシー乗降場


中央部の吹き抜け


吹き抜け


離陸するびかちゅうジャンボ(ANA) ~屋上展望デッキより

巨人軍優勝パレード【東京考察#24】

Baseball Tokyo Giants team championship parade(in Ginza Nihonbashi)


 2000年秋、6年ぶりの日本一、長嶋監督率いる巨人軍の優勝パレードが、大手町から日本橋・京橋・銀座まで走り抜けた。約34万人の人出となったが、何の混乱もなく無事終了した。



日本橋高島屋前


当日配られた応援旗


旗を配る人


警備員は何を思う? 「俺は後ろを振り向けないんだ!」


取材陣は脚立に乗って…


取材ヘリが物々しい音を立てて飛び回る


パレードカー登場。巨人ナインは3台の改造トラックに分乗していた。

警察博物館【東京考察#23】

Police museum

 

 白バイの赤ランプがピカピカ光り、一見すると交番のような面構え、ここは警察博物館である。何も悪いことはしていないのに、入るのを躊躇ってしまうのは、僕だけではあるまい。あまりお金がかかっていないような展示の内容であるが、制服の変遷や、警察の歴史、運転シュミレーター、各都道府県警のエンブレム、実物の辞令、鑑識調査の道具、警察手帳などの道具が展示されている。中でも目を引くのが、いままでの殉職者の写真と、その時に着ていた血痕のついた制服、ナイフで切り裂かれた制服(どちらも本物)が展示されており、警察官という任務のシビアな面も感じることができる。わざわざ足を運ぶほどの展示ではないが、銀座に買い物に行ったとき時間が余っているのなら、ちょっと寄ってみるのも悪くはない。中央通り沿い、京橋の首都高速の高架橋下近くに存在する。


雨の晴海埠頭【東京考察#22】

Harumi Futo (passenger liner wharf)

 


 東京の海の玄関にふさわしい建物をと、昭和63年9月より着工し4年の歳月をかけ建設されたのが、晴海客船ターミナルです。近年のクルーズ人口の増加と客船の大型化に対応した先端の技術と安全性、そして斬新なデザインが与えられ、東京港開港50周年となる平成3年5月に完成しました。---

と、パンフレットには書いてある。つまり、2万トン級の豪華客船、にっぽん丸やふじ丸、飛鳥などといった大型客船を係留するための埠頭であり、世界各国の豪華客船や軍船を見ることができる。館内には、今月の入港船一覧表(時刻)が貼ってあるので、お目当ての船があれば、見学することもできるだろう。苫小牧や四国・九州方面へのフェリーは、この埠頭からの出航ではなく、有明にあるフェリー埠頭ターミナルより出航する。晴海埠頭は、あくまでもクルーズ船などの豪華客船が主である。建物は東京都の施設である。



晴海客船ターミナル


大きな荷物やカートものれる段差なしのエスカレーター


待合ロビー(CIQ検査室)


税関のお知らせ看板


大型客船を係留する埠頭


送迎デッキ(紙テープなどを投げて見送る)


臨港広場


雨にかすむレインボーブリッジ

 

鶯谷駅からの風景【東京考察#21】

Scenery from the Uguisudani station


  JR鶯谷駅のホームから撮影した風景である。こう堂々と人目につくところにホテル街があるのは珍しい。普通は、人目につかない繁華街の奥の方に、忽然ときらびやかに姿を現すのがラブホテルであろう。夜になると、山手線や京浜東北線の車窓から怪しいネオンを拝見することができる。
普通のホテルより安い値段で泊まれるので、ビジネスホテルが満杯の時は、このホテル街をアタックしてみるのも悪くはないのでは…。


田園調布(高級住宅街)【東京考察#20】

Den-enchofu (overly high-class residential street)


田園調布駅 近年の立体交差事業で、鉄道は下にもぐった


田園調布、誰もが一度は住んでみたいと思う憧れの高級住宅街である。田園調布は1923年(大正12年)に田園都市株式会社(現在の東急電鉄)の民間ディベロッパーによって開発されたところである。
駅に降り立つだけで、静寂な緑あふれる高級感がひしひしと感じられる。歩く人、走る車、散歩する犬、標識のポール…すべてが高級に見えてくるから不思議である。



駅前にぽつんとあるパン屋さん


駅前から放射状にのびる道路


犬も休憩する


派手な看板がない駅前のお店


田調の子供はローラーブレードで買い物


味のある牛乳屋 戦後の雰囲気


標識のポールも緑と白に塗られており、緑を意識している


銀杏並木の道路

 ちなみに田調は、世田谷区ではなく大田区である。

夜の新宿【東京考察#19】

Shinjuku at night


アジア最大の歓楽街である新宿。夜の新宿を点景でお伝えします。


不法の露天商


東京一の歓楽街


怪しいネオン街


戦後闇市の面影が…


超高層ビルからの夜景


西口の地下。最終電車に乗り遅れないように…

都電荒川線(チンチン電車)【東京考察#18】

Toden Arakawa Line (only streetcar in Tokyo)


明治通りを走る都電
新幹線MAXの下をくぐる

 


 かつては縦横無尽に都内を走っていた都電であるが、モータリーゼーションの波には打ち勝つことができず、昭和42年~47年までの間に、この荒川線を残して全廃してしまった。この荒川線も廃止の予定であったが、専用軌道が多く代替交通機関がないこと、地元からの強い要望があったことにより、存続することになった。当時は、赤羽-王子-三ノ輪間と荒川車庫前-王子-早稲田間の2系統あったものを、赤羽-王子間を廃止して、1本化したもので、この時に荒川線という名が生まれた。


  
三ノ輪橋

 三ノ輪橋停留所は商店街に埋もれるように行き止まりとなっている場所である。この何とも言えない雰囲気が最高である。都電を降りると下町の商店街が目の前に広がり、小さいチンチン電車は街の中にすっかり溶け込んでいる。関東の駅百選に選定された。


 
小台-宮ノ前間

 都電が道路の上を走るのは、王子駅前-飛鳥山間と小台-宮ノ前間のみである。小台-宮ノ前間は、道路拡張が進み、もうじき道路中央に専用軌道が完成する見通しである。都電の車体には入口にステップがないので、ホームを設けなければならないが、段差がないので車椅子でも楽に乗ることができる。


 都電の運賃は大人160円である。乗るときに160円を運賃箱に入れる前乗り先払いとなる。しかし、朝のラッシュ時には運転手一人では多くの乗客をさばききれないため、朝の王子駅前では、車内にある運賃箱をホームに置いて臨時改札を行っている。

 


 
王子駅前-飛鳥山間

 この区間は、飛鳥山と音無川に挟まれているため、専用軌道になる見込みはない。明治通りの6車線の急坂を、車におされながらそろりそろりと走っていく。雨が降ると車輪が空転し、上らなくなってしまうことがある。そんなときは砂をまいて走っていく。


 
庚申塚

 4のつく日には巣鴨とげぬき地蔵の縁日となり、最寄の庚申塚停留所は大混雑する。都電はお年寄りにもやさしい乗り物で、地下鉄のように階段もなくすんなりと乗れるし、手軽に気軽に乗ることができる。世界的にこのようなライトレールの路面電車が見直されているのは、地球にやさしく、人にやさしい乗り物だからである。
停留所前に店を構える甘味どころの「氷」旗が風になびいて、降りてくる客を待っている。


  
庚申塚-巣鴨新田間

 線路の脇に勝手口がある、こんな家がたくさんある。この踏切には遮断機も警報機もついていない。まわりが静かなので、電車がやってくると、線路を伝って「カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン…」と段々音が大きくなってきて、電車が近づいてきていることを知る。


 
大塚駅前

 
学習院下-面影橋間

 下町ばかりを走っているように感じられる都電であるが、早稲田付近ではビルの林立する中をとことこ走っていく。サンシャイン60をバックに都電は快走する。



早稲田



チンチンとなる電動ベル

 チンチン電車とは、発車するときに「チンチン」と鐘がなることに由来する。もともとこのベルは、車掌さんが運転手さんに「乗降が終わって発車してもいいですよ」という合図を、紐を引っ張って鳴らしていたもので、車掌がいなくなってワンマン化された現在、あっても無くてもいいベルなのであるが、自動の電動ベルを車内に取りつけて、いまでも「チンチン」と鳴らして走っている。自動化してまでもこのベルを残そうと決断した当時の担当者(都の交通局か)にはユーモアと生きることに対するゆとりがあるように感じる。

歩行者天国【東京考察#17】

Pedestrian paradise (driveway only for pedestrians)


秋葉原電気街の歩行者天国(中央通り)

 


 子供の頃、車を通行止めにして車道の上を歩行者が歩ける歩行者天国を見て、なんてすごいことができるのだろうか、と感慨にふけった記憶がある。これこそ中心市街地活性化の一番の切り札であり、もっともっと導入されるべき施策である。
しかし、昭和50年代に始まったこの歩行者天国も、周辺道路の渋滞が激しくなり、徐々に廃止が広がり、今では、上野駅から秋葉原駅、日本橋から銀座、新宿駅から新宿3丁目、渋谷ハチ公前109付近などを残すのみとなってしまった。特に東洋一の長さを誇っていた、上野駅から銀座8丁目までの中央通りの歩行者天国は、神田駅付近で廃止となってしまい、上野駅まで自転車でくれば、あとは銀座まで一直線に快走できたのであるが、いまは出来なくなってしまった。たけのこ族などを生み出した原宿の歩行者天国(ホコ天)も過去のものとなってしまった。残念な限りである。新宿の歩行者天国では,「大道芸禁止」の看板の横で,大道芸などが繰り広げられている.現在は黙認ということにしているが,これも賑わい創出の策として,安全な範囲内でもっともっと導入されるべきである.



出店が立ち並ぶ(秋葉原)


暑い夏ならではのアイスキャンディー屋(秋葉原)



銀座4丁目交差点(銀座)

 
銀座の中央通り(銀座)



新宿三丁目付近(新宿)

 
新宿では大道芸が行われており,
大きな輪ができている(新宿)


「新宿の母」もいた


伊勢丹前で火を噴く大道芸人(新宿)

 
原則禁止であるが,賑わい創出策として有効である.

秋葉原駅前の広場(神田青果市場跡地)【東京考察#16】

The open space in front at the Akihabara station
(the Kanda vegetable and fruit market former site)

 

 JR京浜東北線や山手線の車窓から見た覚えのある光景だろう。ここにはかつて、神田青果市場(現在は大田市場に移転)があったところで、その跡地には、広大な駐車場と広場がつくられた。その広場では、時々イベントなどを開催しているのだが、それ以外の日には、スケボーを練習する若者やスリーオンスリーをやる若者など、どこからともなく若者が集まって汗を流している。
考えてみると、東京の都心部では、このように自由にできる平たい空間はなくなってしまっている。この光景は、都会の中のヒトこまとして、非常に印象に残るものである。
また、ここに集まってくる若者達は、見られることを意識しているのかもしれない。大勢のギャラリーはいないのであるが、電車からは丸見えだし、通行人からもよく見える。あまり下手くそな人は恥ずかしくて、ここでは遊べないかもしれない。

なお,現在は再開発工事が始まり,広場はなくなって立体駐車場となっている.


  

 

南千住汐入【東京考察#15】

Housing redevelopment (in Minamisenju Shioiri)


上部の細い道路がかつての街路

 


南千住汐入(しおいり)、ここはかつて隅田川の中州だったところで、昔ながらの東京の風景を色濃く残す街だったところである。「東京23区物語」泉麻人著の中でも語られているとおり、この街は迷路のように細い路地が曲がりくねり、昭和30年代の東京の風景を色濃く残す地域であったところである。「あった」と過去形になっているのは、この隣に草ぼうぼうの日紡の工場跡地があったのだが、その跡地とともに再開発が行われ、現在では高層住宅が建ち並ぶ住宅団地が形成された。街の様子が一変したのである。住宅地再開発の事例として、「東京考察」に取り上げた。

再開発された街並み

取り壊される家。この家に住んでいた人々は、隣の高層住宅に移り住んだのであろうが、長年住んだ自分の家が取り壊されるのは、見ていてつらいであろう。


取り壊される家 防災の日の訓練にも使われた

かつての汐入の風景。1991(H3)年に訪れた時の風景。

京都都市計画事業白髭西地区 第二種市街地再開発事業

この事業は、震災対策の一環として防災拠点の整備を図るとともに、地域特性を考慮した生活環境の改善及び経済基盤の強化を図ることを目的としています。
計画内容は、混在した住・商・工を計画的に再配置し、安全でうるおいのある住環境を目指すとともに、隅田川と一体となった総合公園や近隣公園を整備します。また、災害時の避難路をなる都市計画道路をはじめ、各種の生活道路や学校・保育所・コミュニティー施設等の公益施設を整備し、水と緑の豊かな安心して住めるまちづくりを行います。

工事現場に掲げてあった看板の文面。

有楽町そごう閉店セール【東京考察#14】

The department store closing sale at ‘Yurakucho SOGO’


入口は1カ所のみ スピーカーで案内する社員

 


 経営破綻により閉鎖が続くそごう店舗。有楽町で逢いましょうでも有名な、庶民派デパートの老舗「有楽町そごう」も閉鎖が決定され、2000年9月3日から17日まで、閉店売り尽くしセールが開催されることになった。10万円の商品が1万円台になったり、1万円の商品が500円になったりと、破格のバーゲンセールであり、また、マスコミでも取り上げられたこともあり、初日の今日は2時間待ちの大混雑となった。
有楽町は、銀座数寄屋橋に有楽町マリオンが出現してから、人の流れが一層マリオン・銀座方面へと流れるようになった。銀座の復権とも言われ、線路を挟んで銀座の反対側に位置するそごうは苦戦を強いられていたと思う。さらに追い打ちをかけたのが、都庁の新宿移転。やはり商業施設の成功は、人の流れをどのように読むか、また、呼び込むか、これに尽きる。
中に入るのはやめて、そとの行列の模様をお伝えします。閉店は24日だということです。



東京国際フォーラムの中庭を利用して行列をつくる


中庭の行列


東京国際フォーラム(元都庁跡)の中庭だけの行列かと思いきや、そのまま地下鉄入口の階段に列は続き、地下鉄コンコースをぐるーっと大回りする大行列であった。これでは2時間待ちである。



地下鉄のコンコースも利用して行列が作られていた 地下が唯一の入口だった


JR有楽町駅には「そごう口」という出口がある。そごうが閉店してしまうと、名称が変わるのだろうか。
都庁跡地に建った国際会議場「東京フォーラム口」などとなるのだろうか。


丸ノ内(大手町)と皇居前広場【東京考察#13】

Marunouchi (Otemachi) and Imperial Palace Plaza


国道1号と丸ノ内


 丸ノ内の景観と皇居前広場の空間は、非常に好きな場所のひとつである。皇居前広場にいると、こんなに空が抜けるような開放的な空間が都心にあったのか、と改めて驚愕する。そして、その広場から丸ノ内のビル群を眺めると、「さすが日本、ここまで成長したのだなー」、という感慨深いものが皇居を背にしながらこみ上げてくる。
丸ノ内のオフィス街は、江戸時代には譜代大名の屋敷地であったところを、三菱地所の岩崎弥之助に払い下げて、民間資本によって一大ビジネスゾーンが建設されたのが始まりである。日本の近代都市計画において都市設計思想の感じられる最初の開発ではないだろうか。現在では超高層ビルが建てられるようになったが、かつての旧建築基準法では建物の絶対高さ31mの規制があり、なおかつ美観地区の規制もかかっているため、ビルの高さが一致した看板広告の見られないすっきりした街並みが形成されている。重厚な安定感のある景観である。ただ、ネガティブな意見として、夜になると誰も人が歩かない地域になってしまい、人間らしさの感じられない街である、といった意見もある。
そして、その隣の皇居前広場には、ここが都心なのかと疑うほどの、広い広い空間が果てしなく広がっている。ここを歩いている観光客は外国人観光客が多くみられ、韓国などのアジア各国からの観光客も多い。



明治生命ビル(重要文化財)


皇居前広場の芝生

  


丸ノ内のビル群


桔梗門


桔梗門の前には警察官が門番をしている


皇居周囲ではマラソンをする人が多い.

夜の銀座【東京考察#12】

The Ginza at night


銀座4丁目交差点 和光の時計台

 


 夜の銀座。ネオンが輝き、本当に日本は不景気なのか、と思わせるほどの明るさである。銀座は、渋谷・新宿の喧騒とは違って、どことなく落ち着きのある街であり、高級感ある大人のムードを味わえる街である。


 左側車線は客待ちするタクシーが並んでいる。後ろを走るバスの行先表示板が赤色になっているのは最終バスを意味する。ちなみに都営バスでは、最終の1本前のバスは緑色のランプを光らせて走る。


 夜11時を過ぎているが、人通りが絶えない。終電に間に合うように、人々は駅へ向かう。


 大都市の工事は、交通量の減る夜間に行われることが多い。ここでも下水道工事が行われていた。カメラを持った外国人観光客の姿も目立ち、この工事の模様をビデオに収める人もいた。

 


 パントマイム。


 高級クラブの並ぶ、銀座6・7丁目界隈。ママさんがお客さんを見送るため、下に降りてくる。



三愛ビル


おまけ…


江戸東京博物館
の展示模型
明治(銀座煉瓦街)時代の銀座4丁目交差点
右の建物が朝野新聞社(現 和光時計台)

同潤会・江戸川アパート【東京考察#11】

The DOJUNKAI apartment at Edogawa

 


 

 No.5の東京考察で、
同潤会アパートのことを取り上げたところ、反響が多かった。
よって、第2段をお送りします。


現存する同潤会アパートは、「三ノ輪」「上野下」「清砂通」「大塚女子」、そして今回紹介する「江戸川」、前述の「青山」のみである。なにしろ、老朽化が激しく、雨漏りはするわ、ガスや水道の配管は腐敗してるわ、電気のアンペアは10A、風呂なし、などという条件が重なって、どのアパートでも建て替えの話が持ち上がっている。2001年11月の江戸東京博物館(両国)では、建築-都市の企画展を計画しているようで、その中で実物大の同潤会アパートの部屋を再現する予定だという。
江戸川アパートの入口には、上記のような看板が立てられていた。違反すると「110番」。全国から見学する人がやってくるのだろう。というわけで、外観のみの撮影とした。「無断見学の禁止」と書かれていたので、事前に話をすれば見させてくれるのか。特に1号館には、食堂や談話室などの共同施設が残っているので、是非この目で見てみたい気がする。

そしてついに,ようやく建て替えの話しがまとまり,11階建てのマンションになることが決定した.またひとつ,鉄筋コンクリート住宅の歴史的遺産がなくなることになる.是非,建て替えの前に一般公開していただけないか,切に願うものである.

 


山谷の風景【東京考察#10】

Scenery of ‘San-ya’ (a day laborer’s town)


 山谷(さんや)。日本の高度経済成長における国土建設、そして現在も発展を続ける東京。この発展を本当に支えていたのは、ここに暮らす人々なのではないだろうか。

 


山谷通りにさしかかるまえに注意を促す横断幕


 1泊2000円代の簡易宿泊所が軒を連ねている。朝5~6時には手配師がやってきて,その日の仕事が決まる.


  


やはり人生の楽しみは「酒」。スタンド飲み屋があちこちにある。山谷地区交番では、人々を刺激しないよう私服によって勤務している。


 

 


地域ぐるみでの環境美化に努めているのだが…。横断歩道は関係なし…。


看板の隣→

   

潮目の大水槽[ネットでアクアマリンふくしま#5]

潮目の大水槽の上部 水面も見ることができる

上から見た潮目のトンネル

下から見た潮目の大水槽

潮目のトンネル(左が親潮の寒流/右が黒潮の暖流)

サンマの群れ 見えますか? サンマは繊細な魚なので暗い水槽で泳ぐのした。
必ずいますこう言う人が…。焼いて食いてぇ~。あぶらがのっていないな~。

タッチングプール[ネットでアクアマリンふくしま#4]

タッチングスクールでは「海藻サラダが大変身」を開催中

実際に触れることができる

ウミウシにタッチング!!

黄色い服はボランティアの人々 アクアマリンの特徴のひとつ

展望室

トド[ネットでアクアマリンふくしま#3]

岩(Rock)

トド

漁業の歴史を知ることもできる

福島の森・亜熱帯[ネットでアクアマリンふくしま#2]

そして、午後3時、20分待ちで入場できることに。
展示は、古代から現代までのストーリーが展開されており、そして福島の地域性(アイデンティティー)をかなり出しており、さらに太陽の自然光をふんだんに取り入れた設計となっている。館内の構造を見ると、設計者はかなり繊細で細かい所まで気を配っていることが伺える。車椅子やベビーカーでも楽に見学する事ができる。
学術的にも優秀な展示となっているようで、ひけを感じさせない立派な水族館に仕上がっているのではないか。

福島の森を抜けて…

福島の川の魚(ヤマメ・イワナ…)

今度は亜熱帯の森

亜熱帯

マングローブ

※実際の展示順路とは異なります

オープン翌日[ネットでアクアマリンふくしま#1]

開館翌日(2000年7月16日)の午前10時、すでに大行列ができていた。入場まで1時間半。見るのはや~めた。館内情報はまた後ほど。(次ページ)

1号埠頭から見たアクアマリンふくしま

入口

最後尾はまだまだ後ろ

大行列

「ららミュウ」では大売り出し

ラジオセンター界隈(秋葉原電気街)【東京考察#9】

Radio center store (the Akihabara electricity town)



JR総武線の下にあるラジオセンター

 


 ネオン輝く秋葉原の電気街に、最も秋葉原らしい一角が存在する。それは、「ラジオセンター」と呼ばれるパーツ街である。ここはJR秋葉原駅に隣接したJR総武線のガード下に所狭しと商店が軒を連ねており、電気製品をはじめ無線機やパーツ類が並べられている。パーツに関しては素人では何がなんだか分からない。こんなものを買って何になるのか?と思ってしまうが、電気に詳しい人ならば一目瞭然なのだろう。ただ歩いているだけでも楽しめる空間である。なお、狭い上に人でごった返すので、スリにご用心!!



無線機売場


所狭しと並んでいる


パーツ類



ラジオセンター入口


こちらはラジオデパート


ラジオデパート内部


秋葉原電気街


駅前では実演販売が行われている

 

新宿副都心(超高層ビル街)【東京考察#8】

Shinjujku sub center (Skyscraper town)


都庁からの眺め


 新宿副都心は、東京都の市街地整備の一環として掲げられた8つの「副都心」のひとつである。「副都心」とは、都心に集中する(ここでいう都心とは大手町などの東京駅周辺(千代田区・中央区・港区)の本社業務の集中している地区を指す)業務機能の受け皿として、また各地域の商業や文化、生活などの広域的な拠点として設定された地域で、新宿の他に、池袋、渋谷、大崎、錦糸町・亀戸、上野・浅草、そして臨海副都心(お台場)が存在する。
新宿の開発テーマは「ビジネスとふれあいの広がる街」だぞうで、昭和47年の京王プラザホテルを皮切りに、次々と超高層ビルを林立させ、今ではニューヨーク摩天楼を思わせる立派な超高層ビル街が形成された。ここはかつての淀橋浄水場跡地を開発したもので、開発当時は今の臨海副都心(お台場)のように、ただただ空き地の広がる空間があった。「太陽に吠えろ」のテレビドラマを見ていた方は、かつての新宿副都心の姿を思い出すに違いない。
現在、新宿副都心で最も高い建物は、東京都庁である。新宿副都心のいいところは、大抵のビルの展望台が無料であるというところである。いやなことがあって遠くを眺めたいとき、よくここの展望台に足を運んだものである。



京王プラザホテル


東京ヒルトンホテル


ホテルセンチュリーハイアットホテル



三井ビル


住友ビル

 
野村ビルと安田火災海上ビル
(どれも古参ビル)



KDDビルとNSビル


都庁前広場から見た超高層ビル群



都庁・第1本庁舎



大ガード付近から見た高層ビル

渋谷スクランブル交差点と渋谷センター街【東京考察#7】

The scramble crossing and Centergai in Shibuya

 


 とにかく,ハチ公前のスクランブル交差点は,渡るたびに人とぶつかって非常に疲れる場所である.そんなスクランブル交差点を,東急百貨店(JR渋谷駅)と京王井の頭線渋谷駅とを結ぶ通路から撮影してみた.






渋谷センター街入口のスクランブル交差点前の点景をどうぞ.

  

  

  

隅田川橋梁群【東京考察#6】

The bridge at Sumida river (view from a water-bus)


水上バス

 


 隅田川にかかる橋梁(復興局施工による6大橋)は、土木史の中でも語り継がれるほど、優秀な土木構造物である。6大橋とは、相生橋・永代橋・清洲橋・蔵前橋・駒形橋・言問橋のことであるが、これらの橋は関東大震災の復興事業によって架けられたものであり、外国人技師らと共に当時の新技術を投入して、技術的にも工法的にも景観的にも高く評価されている橋である。
浅草~日の出桟橋間を走る水上バスから通過する全ての橋梁の写真を、浅草側から下流に向かって撮影した。当時の6大橋と近年架けられた橋(新大橋などの斜張橋)との対比などをしてみるのも面白い。
台風の翌日に撮影したので、隅田川の色がインドやタイの川のように濁っていた。普段はこんなには濁っていない。写真が18枚ありますので、全て表示されるまでに時間がかかるかと思います。ご了承ください。では、浅草から河口まで橋の旅をどうぞ。



東武鉄道の橋梁


吾妻橋


駒形橋


厩橋


蔵前橋


JR総武線の橋梁


両国橋


首都高6・7号の両国ジャンクション


新大橋


清洲橋


隅田川大橋(首都高9号)


永代橋


中央大橋


佃大橋


勝鬨橋 (真ん中がハの字に開く橋だった)

東京湾へ

同潤会・青山アパート【東京考察#5】

The DOJUNKAI apartment at Aoyama

 

 同潤会は、現在の都市基盤整備公団の前身であり、関東大震災後における大量の住宅供給を目的として、義捐金から出資して造られた外郭団体であった。この同潤会は1930年から40年にかけて住宅供給計画・住宅団地計画の上で、技術的に重要な特筆すべき点があげられる。それは、鉄筋コンクリート造のアパートを大量に取り入れた点である。この青山アパートは昭和2年に建設され、実に70年以上に渡って建ち続けている貴重な鉄筋コンクリート造りのアパートなのである。

2002年10月末,安藤忠雄氏の設計による地上6階,地下6階建てのガラス張りビルに建て替えられることが公表され,2003年春までには取り壊されることが発表された.一部保存も検討したが構造的に問題があるとのことで,造りを復元することで現在のアパートの面影を残すこととなった.またひとつ,鉄筋コンクリートの歴史的なアパートメントが消えることになる.築70年余り,日本の建物は70年程度で終わりのようである.



表参道のケヤキ並木にとけこむ同潤会アパート


おしゃれなギャラリーに改装している。レトロな建物が実によくマッチしている


階段を照らす電球が何ともいえない


この同潤会アパートに突きつけられている問題が、老朽化による建て替えである。テレビのドキュメンタリーなどにもたびたび登場しているアパートであり、今後の集合住宅の老朽化問題を考える上で、先駆的な事例として注目されているところである。そんな中、この青山アパートもついに取り壊しが決定され、このアパートを見られる日もそう長くはなくなった。


  
階段と入口。  手すりが木製であり、電球が裸である。


1階の表札。「第拾号館、壱階、貳階」と書かれている。



建物の裏側。改造の跡が年月の経過を物語る。


四角い穴は、ダストシュートの排出口。建築年は昭和2年である。