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丸の内イルミネーション(丸の内仲通り)【東京考察#291】

The Marunouchi illuminations ( Marunouchi Nakadoori )


丸の内仲通りのイルミネーション

 


 毎年恒例となっている「丸の内イルミネーション」.2009年は11月12日から2月14日(日)のバレンタインデーまでの期間中に行われている.丸の内から有楽町にかけての丸の内仲通りを中心として約1.1kmにわたってLEDの電飾が施されている.シャンパンゴールド色のLEDが約85万球飾られており,さらにクリスマスまでは「Bright
Christmas」と題して,丸ビルと新丸ビルにおける7周年を祝う花をモチーフとした装飾が行われている.
丸の内イルミネーションであるが,もともとは1999(平成11)年からの年末年始恒例イベントであった「東京ミレナリオ」が開催されていた場所である.しかし,東京駅丸の内口の赤煉瓦駅舎の復元工事に着工することにより,美観が損なわれることや,資材置き場,警備上の問題等により,2005年から06年の開催を最後として東京ミレナリオは休止となってしまい,この丸の内イルミネーションが期間延長されて行われることになった.2011(平成23)年には赤煉瓦駅舎が竣工し,3階建てとなって復元されることから,是非とも東京ミレナリオを復活して,さらに美しいイルミネーションを再び見てみたいと思う.

丸の内仲通り
木々にLED電球がつけられている

ウインドーからも優しい色がこぼれている

丸の内は看板のない景観となっており,
アジアの雑多な景観とは違って個人的に好きである.
 
丸の内ブリックスクエアー

工事のためコーンが置かれている丸の内南口前
後ろの新丸ビル中層階にイルミネーションがある
 
再開発計画により取り壊されている東京中央郵便局の建物
保存について色々と話題になったが,既に時計の針が外されていた.
現在は,日本郵便による超高層ビル(仮称:JPタワー)が2013(平成25)年に完成している.

建設中の東京スカイツリー(業平橋・押上)【東京考察#290】

The Tokyo Skytree to be constructing ( Oshiage and Narihira-bashi )


東京スカイツリーのふもと


 東京タワーに代わる電波塔として,東京スカイツリーの建設が着々と進んでいる.高さは634m(当初は610mであったが世界一の電波塔となるため修正された)で自立式電波塔として世界一の高さとなる.634mは東京,埼玉,神奈川県の旧国名・武蔵(むさし)として覚えやすいようにもなっている.もともと東武鉄道の貨物駅だったところで土地所有者は東武鉄道となっており,事業主体は東武鉄道が全額出資している東武タワースカイツリー株式会社となっている.総事業費は600億円.2011(平成23)年12月の竣工予定で,開業は2012(平成24)年の予定となっている.
地上350mの部分に第1展望台,地上450mの部分に第2展望台が設けられる.デジタル放送用のアンテナは600m以上の部分となっており,これで関東一円に超高層ビルの影響を受けずに電波を送信することが可能となる.第2展望台では空中回廊と呼ばれるガラスで覆われたらせん状の展望台となる予定である.面白い施設だと思うが,ちょっと心配なことは,あまりにも高いために眺望が良すぎる展望台だと恐怖心が強くなって足下がすくわれてしまい,高所恐怖症の人などはすくんで歩けなくなる人が出てくるかもしれない(東京国際フォーラムの上階の空中通路や新宿NSビルの空中廊下は,正直歩いていて気持ちが悪い).
ちなみにエレベータであるが,地上から第1展望台までのエレベータは40人乗り4台,分速600m(時速36km)で約50秒で到着する超高速エレベータとなるもので東芝が受注した.ちなみに早さはサンシャイン60と同じである(サンシャインは三菱製).第1展望台から第2展望台へは40人乗り2台,分速240m(時速約14km)で日立が受注している.さらに業務用エレベータとして地上から第2展望台までを直結する日本最長(約465m)のエレベータが東芝によって2台設置される.また,ちょっと余計な心配をしてしまうが,地上から第1展望台までの超高速エレベータは外が見えるシースルータイプではないものになるかと思っている.分速600mでシースルーにするとまるでフリーホールジェットコースターに乗っているようで景色どころではない恐怖感とスリルあるエレベータになるかと思われる(個人的にはこういうエレベータは好きだが).

・・・と,いろいろと完成を楽しみに想像がふくらんでしまうのであるが,2009年11月21日現在,地上215mとなっており,見学者がたくさん周辺を歩いていた.最寄り駅は東武伊勢崎線業平橋駅,京成線・都営地下鉄・東京メトロ押上駅となっている.完成が待ち遠しい東京スカイツリーであった.

 
東武線業平橋駅ホーム
ホームのすぐ横が建設地であり,見学者が多い.
このローカルチックな駅の雰囲気もなかなか味わい深い.

一応,ホームでの見学は危険なのでやめるようお願いが貼られている.
 
業平橋駅のポスター広告はスカイツリーのものばかり
現在の高さも貼られている(右写真).

業平橋駅前の東武橋の上には見学者が沢山いる

みんな見上げて写真をパチリ.
  
東武橋から見るとこんな感じとなる
右に流れる川は北十間川.親水護岸と船着場が整備される.
2009年11月21日現在,高さ215m
建設現場下には大きく高さが表示されている.

北十間川沿いに歩いていくと(右側),押上駅まで行くことができる

東武鉄道本社(解体される)

押上業平橋駅周辺土地区画整理事業として区画整理も行われている.

クレーンの後ろに業平橋駅のホームがある
 
正面!?から撮影.また違った姿となる.
 
押上駅近くの京成橋の上から見た東京スカイツリー

京成電鉄本社
 
押上駅入口
 
東武橋に京成橋.北十間川に架かる橋の名前
それぞれの本社が近くにある

東京ミッドタウンのクリスマスイルミネーション(六本木)【東京考察#289】

The Christmas illuminations in the Tokyo midtown ( Roppongi )


東京ミッドタウンのクリスマスイルミネーション
(芝生広場ゾーン)


 今年(2009年)もクリスマスのシーズンが近づいてきた.東京ミッドタウンでは,2009年11月12日から12月25日まで,クリスマスイルミネーションが行われている.特に見所なのは,ミッドタウンガーデン内の芝生広場ゾーンに設置されたイルミネーションで,青色の発光ダイオードが一面にきらめき,まるで宇宙空間に身を置いているような感覚になる.白色のイルミネーションが流れ星となって流れ,大きな天の川が大河となって動く.動きのあるイルミネーションの演出がされているので,芝生広場の前に立って,ひととおり一巡するまで光の演出を楽しむことができる.

地下に光を差し込むガラス天井には水が流れている

竹にイルミネーションがされている

吹き抜けてガラス天井となっている「プラザ」にあるイルミネーション

「ガレリア」の中からガーデン内のイルミネーションが見えてきた

芝生広場ゾーンから山のせせらぎゾーンにかけて

山のせせらぎゾーンの道路沿いのイルミネーション
きらきらと白いしずくが流れ落ちている
まるでシャンパンの泡のようだという声も聞こえた.

東京タワーも見える

芝生広場のイルミネーション
まるで宇宙空間のようで,幻想的だ.

間近で見られる

山のせせらぎゾーン

おまけショット!
 
六本木ヒルズのイルミネーション

松平家御廟(院内)【会津考察#27】

The Matsudaira house mausoleum


松平家御廟所

 


 松平家御廟所は,東山温泉の手前である東山町院内にある会津松平家のお墓である.1657(明暦3)年の藩祖保科正之の子正頼が亡くなったときにはじまり,二代目の保科正経から九代目松平容保までの墓所がここにある.大名家の神式墓所として1987(昭和62)年に国の史跡に指定されている.二代目の正経(まさつね)は仏式で,三代目正容(まさたか)から九代目容保(かたもり)までが神式となっている.神式の墓として,まず前面には亀形の石の上に碑石があり,その奥の高い場所に灯篭が並んでいる.さらにその奥に墳丘を造ってその上に八角形の鎮石が置かれている.麓から頂上までは階段を登って約20分程度はかかるので,ちょっとした登山であり,気軽に訪れれる場所ではない.しかし,お墓とはそういうものではないかと思う.

山の麓まで院内の住宅街を歩いていく

ここから山を登っていく

急な石段を登っていく

道標では「松平家御廟 すぐ」と書かれているのだが,
その上にテプラで「ここから3代正容の墓所まで徒歩15分~20分かかります」と追記されている.
テプラの方が真実を伝えているのだと感じた.


松平家墓所案合図
  
昔のままで,急な石段が続く.
でも,この整備されていない道が,かえって昔を彷彿させていい雰囲気.
(でも,登るのは辛い!)
 
これが,神式の墓となる,亀形石の上に立つ碑石.

その奥に,鎮石がある.

9代目容保(かたもり)の墓は,さらに上がった奥にある.

9代目 松平容保(かたもり)の墓
【公共交通案内】
●会津若松駅より 周遊バス・ハイカラさん 「院内」下車

丸の内ブリックスクエアー【東京考察#288】

The Marunouchi Brick Square


丸の内ブリックスクエアー正面入口

 


 丸の内ブリックスクエアーは,丸の内パークビルディング内に2009(平成21)年9月にオープンした商業エリアである.三菱地所では1998(平成10)年から丸の内一帯の再開発に取り組んでいるが,この第2ステージの第1弾として三菱商事ビル,古河ビル,丸ノ内八重洲ビルの立て替え再開発によってできた.同時に,丸ノ内に最初に出来た赤レンガ造りの「三菱一号館」も美術館として復元され,これらが一体となってオシャレな空間がうまれた.最近の丸の内界隈は,無機質なオフィス街から高級ブティックなどが入るオシャレな商業エリアに変身してきており,東京駅赤煉瓦駅舎の3階部分の復元など,今後も変貌が期待できるエリアである.看板のない丸の内を歩いていると,日本の雑多な街並みとは違った気分を味わえる.
 
オープンから日が浅く,大勢の人で賑わっている丸の内ブリックスクエアー

「一号館広場」は緑で覆われていて,
疲れたらちょっと休憩できる.

英国風の庭園らしく,バラが咲いている.

オープン式のレストラン
 
柱が植生で覆われているのが面白い.
 
室内は,新丸ビルに雰囲気が似ている.
電球色で統一されている.

エレベーターは新しいものであるが,
階数表示がレトロな矢印の表示盤となっている.

地下1階のレストランフロアー
 
復元された「三菱一号館」
背後は丸の内パークビルディング.
丸の内ブリックスクエアーは,この三菱一号館とパークビルディングの間にある.

明治時代後期には三菱が開発した赤煉瓦街が形成されていて,
「一丁倫敦(いっちょうろんどん)」と呼ばれていた.
三菱一号館は,1894年(明治27年)に竣工し,1968(昭和43)年に解体され,現在復元された.


三菱一号館の中には,カフェが入っており,
2010年には美術館がオープンする.

横断歩道を渡ると,三菱東京UFJ銀行(旧三菱銀行)の本店がある.

満田屋(味噌田楽)【会津考察#26】

Mitsutaya (Miso Dengaku)


満田屋(田楽・味噌)

 


 満田屋は1834(天保5)年に,味噌の製造と販売を始めたのが始まりで,店内の囲炉裏で焼いた味噌田楽を食べることができる.そもそも「田楽」とは,田植えなどの農耕の儀礼として笛や鼓などによって舞った日本芸能(能楽より古い)のことであるが,そのときの白装束の踊りが串形豆腐の形に似ていることから,豆腐を竹串に刺して味噌をつけて火であぶったものが「田楽焼き」となっているという(満田屋ホームページより).食事の営業時間は10時から17時まで.
 
奥にある食事処

囲炉裏で田楽を焼く

こんにゃく

カウンターでも食べられる

味噌なども含めお土産を購入できる
【公共交通案内】
●会津若松駅から 周遊バス「ハイカラさん」 大和町下車 徒歩3分
●JR只見線・会津鉄道 七日町駅から徒歩10分

道の駅ばんだい(磐梯町)【会津考察#25】

The road station at Bandai


道の駅ばんだい

 


 道の駅ばんだいは,2009(平成21)年8月に磐梯町の県道猪苗代塩川線沿いにオープンした道の駅である.愛称は「徳一の里きらり」となっているが,これは,近くにある慧日寺(東北地方では開基の明らかな寺院としては最古のものとして知られている)を平安の初めに開いた南都法相宗の高僧徳一からとったものである.レストラン・売店・コンビニの他,農産物直売所も設けられており,地元の特産品を購入するのに便利な施設である.トイレは24時間利用が可能.面白いのは,「ばんだい」にかけて,おもちゃメーカーの「バンダイ」の製品が売られているところ.特産品も含め,レアな商品も置いてあるので,必見である.喜多方から猪苗代,会津若松から裏磐梯方面へ向かうときの,国道49号線のバイパス的な役割をしている県道沿いにあるので,休憩がてら途中で立ち寄るにも便利な場所にある.

コンビニ「ヤマザキYショップ」 7時~21時まで営業
東北限定商品も並べられている

こちらはお土産品コーナー
 
BANDAIのおもちゃ売り場 ウルトラマンシリーズなどが置いてある
 
農産物直売所 鮮度が良くて美味しそう
  
そばソフトクリームがある
三色団子も.

研修所などを備えた磐梯町地域活性化センターが併設されている

トレイには可愛い子供用もある
【交通案内】
●県道猪苗代塩川線 磐梯町町内

切手の博物館(目白)【東京考察#287】

The museum of the stamp ( Mejiro )


切手の博物館

 


 切手の博物館は,切手収集家の水原明窓が私財を当時で設立した財団によって運営されている博物館で,新宿で仮オープンしていた博物館を,1996(平成8)年に現在の目白に移転させてオープンしたものである.日本をはじめ海外の切手約30万種,図書・雑誌30,000冊以上を有する博物館で,1階では切手の販売も行っている.学習院大学の脇,JR山手線の線路沿いにある.3ヶ月毎に企画展を実施しており,特別展も行われている.入場料金大人200円,開館時間10:30~17:00,月曜休館.
 
入口にはちょっとした竹林がある

受付

これ,全て切手で作られている

2階には図書室がある

3階では特別展がひらかれる

国内外の切手を販売している

懐かしい郵便ポスト

有栖川宮記念公園(南麻布)【東京考察#286】

The Arisugawanomiya memorial park ( Minami-azabu )


有栖川宮記念公園


 有栖川宮記念公園は閑静な広尾(住所は南麻布)に広がる公園であり,周辺には外国大使館が点在していることから,外国人の姿も多く見られるところである.江戸時代には盛岡南部藩の下屋敷として使用されていたが,1896(明治29)年に有栖川宮威仁親王の御用地となり,有栖川宮家が途絶えたあとは同家の祭祀を引き継いだ高松宮家に継承されていた.その後,1934(昭和9)年に東京市に賜与され,1975(昭和50)年からは港区に移管されて現在に至っている.
公園内は起伏に富んでおり,広尾駅側から坂を登ってあがったところに都立中央図書館があり,テニスコートや野球場もある.周辺は閑静な高級住宅地であり,地図を見れば一目瞭然のとおり各国大使館がずらずらと建ち並んでいる.現在の天皇陛下がお生まれになった愛育病院や,外国人向けのスーパー「ナショナル麻布スーパーマーケット」などもあって,周辺を散歩しながら,おしゃれなオープンカフェで一休みするのもいい.

休日には外国人家族がお散歩
周辺には大使館も多く存在している.

池で釣りをするひとも多い

池にはビオトープもある

池の先は階段となって登りとなる

有栖川宮の像

166万冊の蔵書,35万冊の開架図書をもつ都立中央図書館
学生時代,図書納入のアルバイトで通っていたことがあった.

外国人向けに各国の食材を扱う「ナショナル麻布スーパーマーケット」
珍しいものが置いてあって面白い.

有栖川公園の入口(広尾駅側から)

鬼子母神(雑司ヶ谷)【東京考察#285】

The Kisimojin ( Zoshigaya )


鬼子母神像

 


 鬼子母神は安産や子育の神様である.雑司ヶ谷の法明寺に祀られている鬼子母神は,1561(永禄4)年に掘り出されたお像を清めてお寺に納めたのが始まりで,その後,1578(天正6)年に村の人々がお堂を建てて現在へ至っている.鬼子母神は,近隣の子供達を食べてしまう残虐な人物であったが,お釈迦様から鬼子母神の末の子供を隠されてしまい,それによって子供を失った父母の嘆きを知ってから,安産・子育の神となることを誓って崇拝されるようになったといわれている.ちなみに,「きしぼじん」と発音されることが多いが(都電の停留所名も「きしぼじん」),仏教用語としては「きしもじん」と呼ぶのが正しいとか.また,鬼子母神の「鬼」の字は上の角が取られている.
  
参道入口とケヤキ並木
都電の鬼子母神前停留所からの参道には,樹齢400年のケヤキ並木が並んでいる.こちらも江戸時代の景観を残すものとして,貴重な存在であり,都の天然記念物に指定されている.
 
毎月1回,雑司ヶ谷「手創り市」が開催されている.
(鬼子母神堂と大鳥神社で同時開催)
今日はたまたま開催日であった.
  
「手創り市」は,必ず自らが手作りしたものを出店することが条件となっているが,
並んでいる品々は可愛らしくて女性好みのものも多く,たくさんの人で賑わっていた.

本堂
「鬼」の字に「点」がないことに気づく

絵馬には子供に関する願い事が書かれている

雑司ヶ谷霊園【東京考察#284】

The Zoshigaya cemetery


東京都雑司ヶ谷霊園


 雑司ヶ谷霊園は都立の霊園で,1874(明治22)年に公共墓地として指定された.都電雑司ヶ谷停留所のすぐ近くの閑静な地域にあり,小泉八雲,夏目漱石,竹下夢二,永井荷風などの著名人の墓が多くある.この当時の公共墓地は,雑司ヶ谷墓地の他に,青山墓地,染井墓地,谷中墓地の4つが指定されている.現在の都営霊園は,さらに多磨霊園,八王子霊園,小平霊園,八柱霊園が加わって8霊園存在する.

都電雑司ヶ谷停留所
すぐ脇に霊園入り口がある

東京都雑司ヶ谷霊園(都電側)

霊園案内図
 
緑に囲まれ静寂な環境となっている

霊園の管理事務所がある

徳川吉宗の時代には,鷹狩りのための鷹を飼育するための部屋があった

線路は続くどこまでも・・・

山都・宮古集落の水そば【会津考察#24】

Water soba in Yamato/Miyako


宮古集落

 


 福島県喜多方市の旧山都町は,「山都のそば」として美味しいそばを味わえるところである.一番粉を使用してつなぎを一切使わないそば粉100%のそばが味わえ,福島県内のスーパーでは「山都そば」として生そばも販売されている.山都のそばが美味しい理由は,標高が高くて昼夜の寒暖の差が大きいこと,朝霧のたつ耕地でそばが栽培されていること,そして,飯豊連峰の伏流水による水のおいしさ,これらによってコシのある美味しいそばを食べることが出来る.その「山都のそば」の中でも,水につけて食べる「水そば」として有名なところが,JR磐越西線山都駅から国道459号線を約10km北西に走ったところにある宮古集落である.宮古集落は全戸数30戸のうち12戸が農家の客間座敷を解放した農家食堂としてそば屋を営んでおり,そばの打ち方やつゆ,一品メニューまで,それぞれのお店で独自な製法でそばを提供している.なお,料金は宮古地区の組合で決められており,どの店に入っても料金はほぼ同じである.完全予約制となっていた店がほとんどであったが,最近は予約無しでも食べることができるようになっている.

山都駅から山道(国道459号)を約10km走っていく

宮古そば街道の旗がでている

宮古トンネルを抜けると宮古集落となる
 
ようやく宮古集落に到着
  
全30戸中12戸がそば屋とのこと
 
このように普通の農家がそば屋となっている(西村屋)
 
今回は「とのや」で食べることに.
コース料金はどこも同じだが,
店ごとにそばの打ち方やつけつゆ,
だされる山菜料理が違う.

壁に貼られている「宮古そばの里組合」の料金表
値段はどこでも同じだが,
内容が店ごとに違っている.
最近はリーズナブルなコースを
設定しているところもあり,
Dコース1,500円,
そば1枚700円などとなっている.

とのやのメニュー
Aコースは3,500円で,
天ぷらや川魚の塩焼き,山菜料理,そば食べ放題
Bコースは3,000円で,
天ぷら又は川魚の塩焼き,山菜料理,そば食べ放題

こちらは,Cコース2,500円
自家製そば豆腐やこんにゃく,山菜料理など4品がつく.
このほかに,そば3枚
(1枚は水そば,2枚はつゆにつけて食べるもりそば)

こちらは,Dコース1,500円
そば2枚(「水そば」と「もりそば」)とこんにゃく,
山菜料理などの2品がつく.
このコースでも結構お腹いっぱいになる.

こちらは,そば1枚700円
ただし,「水そば」ではなく「もりそば」が出てくるので,
水そばを食べたい場合は,
Dコースを注文すること.(各店でメニューは違う)

これが「水そば」
水につけて出される.
甘みがあってそば純粋の味が堪能できる.
この中に塩をいれて食べる「塩そば」もおすすめ.
(個人的には,水につけないで,
もりそばをつゆにつけずにそのまま食べた方が好き)

【公共交通案内】
●JR磐越西線 山都駅からタクシー利用 約15分

地下鉄博物館(葛西)【東京考察#283】

The subway museum(Kasai)


葛西駅高架下にある地下鉄博物館


 地下鉄博物館は,東京メトロ東西線の葛西駅高架下にあり「メトロ文化財団」によって運営されている.1986(昭和61)年7月にオープンした.東京メトロ銀座線や丸ノ内線の旧型車両が展示されているほか,模型展示や運転シミュレーター,シールド工法の説明などがあり,地下鉄について詳しく知ることができる.入場料が大人210円,子供100円と手頃なことから,休みになると子供連れでやってくる家族が多い.10時~17時まで,月曜日閉館日.

入口は自動改札機で入場

懐かしの丸ノ内線
車内がピンク色の壁色となっているところも懐かしい.
アルゼンチン・ブエノスアイレスの地下鉄では現役で走っているとか.

銀座線開業時の車両

地下鉄トンネル内の安全装置の説明

懐かしの吊り掛け式モーターが唸る展示
車内の運転台でハンドルを回すと車輪が回る仕組みとなっている
 
模型メトロパノラマ HOゲージの模型となっている
11時,13時,14時,15時30分からショーが始まる
 
人気の運転シミュレーター

図書室もあるが,土日祝祭日のみ利用可となっている

ミュージアムショップ

観光路線バス「東京・夢の下町」【東京考察#282】

Torism local bus “Tokyo and The downtown of the dream”


観光路線バス「東京・夢の下町」

 


 初めて東京を訪れる人でも気軽に都内の名所を巡れるように,2008(平成20)年4月より都バスで運行を開始した路線バスが「東京・夢の下町」号である.東京駅丸の内北口から日本橋,須田町(秋葉原電気街),上野公園下,菊屋橋(かっぱ橋入口),浅草雷門を経由して両国駅前までを結ぶ路線で,9時から18時まで30分間隔で運行されている.近年増加している外国人観光客にも対応できるように,車内放送やTVモニターでは日本語・英語・韓国語・中国語による案内がされ,車内に置かれている案内パンフレットも他言語版が用意されている.一般の都バスと同じ扱いなので,一日乗車券やパスモなどのIC乗車券でも乗れる.車両デザインは,首都大学東京との産学連携によるオリジナルデザインのバスを使用し,車体はステンレス製で塗装がないものとなっている.
 
車内に付いているTVモニター
映像と共に多言語で案内が流れる

車内 基本的には横に向いて座るロングシートタイプ

出入り口脇には,多言語のパンフレットが置かれている.

こちらは英語版のマップ

箱根登山鉄道[ぐるり箱根・乗り物旅#1]

ゴールデンウィークに念願の箱根へ1泊2日で行ってきた.「箱根」と聞くと宿泊料金が高いイメージがあって,だいたい日帰りで帰ってきていたのであるが,歴史ある保養地の箱根にも探せば手頃に泊まれる宿もある.個人旅行者にとっては,交通が便利で行きやすく,また様々な乗り物があって楽しい箱根の旅行記である.

(旅行年月:2009年5月)


■箱根登山鉄道■ [(小田原)~箱根湯本~強羅]

箱根登山鉄道は,国府津-湯本間に小田原馬車鉄道として1888(明治21)年に開業したのが始まりで,箱根湯本-強羅間が開業したのは1919(大正8)年である.翌年の1920年に東海道線の開通により国府津-小田原間は廃止されている.氷河急行などを走らせているスイスのレーティッシュ鉄道と姉妹鉄道を提携しており,日本を代表する登山電車となっている.小田原-強羅間の路線延長は15.0km,最高時速40km.

箱根湯本駅は,新宿からの小田急ロマンスカーが終着となるところである.ここから強羅方面へ向かうには,箱根登山鉄道に乗り換えなければならない.今日の宿泊地は強羅の国民宿舎なので,ホームの列に並んだ.さすが箱根のゴールデンウィーク,大勢の人で賑わっていた.標高108m.

箱根湯本を出ると,急勾配が始まる.箱根登山鉄道は日本で最も急な勾配を走る鉄道で,最高勾配は80パーミル(‰)=0.8%となっている.1000m進むと80m上がる勾配(12.5m進むと1m上がる)である.写真を見ても電車が斜めになって登っていくのが分かる.

新緑がまぶしい山が車窓に広がる.下に見える鉄橋は,今通ってきた箱根登山鉄道の線路である.

箱根登山鉄道は急な勾配を登っていくために,3カ所のスイッチバックがある.スイッチバックでは方向が逆になって,登山鉄道の気分が味わえる.

宮ノ下駅.
ここから歩いていくと,富士屋ホテルがある.

宮ノ下駅
宮ノ下駅

富士屋ホテルは,明治11年に創業したリゾートホテルで,クラシカルな雰囲気が人気となっている.ここでスイーツを食べた.

スイーツは食べきれない!

終点,強羅駅到着.急な勾配を登る箱根登山鉄道では,線路と車輪の摩耗を防ぐために水を撒きながら走っているのであるが,終着駅に到着すると係員が水を補給していた.

強羅駅の山小屋風駅舎.標高553m.ここで早雲山へ向かうケーブルカーに乗り換えることが出来る.

今晩の宿泊施設.民営の国民宿舎「太陽山荘」である.1泊2食付きで1万円.建物は,国の登録有形文化財の指定を受けていて,とても趣のある宿だった.温泉もGood.家族連れも多く泊まっていた.

箱根登山ケーブルカー[ぐるり箱根・乗り物旅#2]

■箱根登山ケーブルカー■ [強羅~早雲山]

箱根登山ケーブルカーの歴史は古く,1921(大正10)年に強羅(旧駅名:下強羅)-早雲山(旧駅名:上強羅)間で開業している.駅は,強羅-公園下-公園上-中強羅-上強羅-早雲山の6カ所で総延長は1.2kmであるが,ケーブルカーは2つの車両を頂上のモーターを経由した滑車を通して鋼索ロープで結んでいるため,中間地点ですれ違いの分岐点が設けられており,さらに駅と駅との距離が均等になっている.高低差は214m.

公園下駅のホーム.ホームそのものも傾斜している.これが線路の勾配である.

ずっと真っ直ぐ登っていく.

ホームは左右両側にあって,ケーブルカーが到着すると両方の扉が開くので,どちら側のホームで待っていても乗降することができる.駅によっては線路を跨いですぐに反対側へ行くことができないところもあるので,目的地側のホームに降りた方がよい.

ケーブルカーの車両
1995(平成7)年に4代目車両として運行を開始した車両で,線路の幅(ゲージ)を1000mmから983mmに変更して導入された.
スイスのガングロフ社製.2両編成.

これがロープ.動いているときは「カラカラ」と音がなっている.いつも疑問に思うこととして,ケーブルカーは上に行くほど勾配が急になっていくので,このロープがピーンと引っ張られて空中に浮いてしまうことがないのかと思うが,恐らく,車両と乗客の重さに比べて,このロープの重さは相対的に非常に重いので,上に浮かび上がることはないのかと推測している.当たっているのかどうか....
ロープが2本並んでいるときは,2つの車両が下にあることを意味する.

運転台(後ろ側)からの眺望.中間地点には上下線のすれ違いのため,分岐(ポイント)がある.

車内の様子.勾配に合わせて,車内も階段状になっている.

頂上の早雲山駅から撮影

車両が到着.

早雲山駅
ここで,箱根ロープウェイに乗り換えることができる.

箱根ロープウエイ[ぐるり箱根・乗り物旅#3]

■箱根ロープウェイ■ [早雲山~大涌谷~桃源台(芦ノ湖)]

箱根ロープウェイは,ケーブルカーの終点である早雲山から大涌谷を経て,芦ノ湖畔である桃源台までの約4kmを結んでいる.営業区間は日本一長く,1959(昭和34)年に早雲山-大涌谷間,翌年に全線開通した.ゴンドラは全線通しで乗ることはできず,大涌谷駅では必ず乗り換えが必要となる.シーズン時期における乗客数の増加や強風による運休をなくすことから,2002(平成14)年より現在の「フニテル」と呼ばれる2本のロープで支える形式に変更された(大涌谷-桃源台間は2007年より導入).正式には複式単線自動循環式普通索道という.
大涌谷の絶景や天気が良いと富士山が望め,景色の変化が大きく,乗っていて楽しいロープウェイである.特に大涌谷の大パノラマが広がる箇所では,ゴンドラ内で「うわぁー」と歓声があがる程である.

ロープウェイのゴンドラ.定員は18名.早雲山駅から乗車し,大涌谷へ向かう.早雲山駅の標高は757m.

しばらくは,山腹をぐんぐん登っていくように,急勾配で上がっていく.

後ろを振り返ると,上強羅の街並みが望める.

前方に空が見えてきて,ここを越えれば山頂の駅につくのかな,と思っていると,突然に大涌谷の大パノラマが視界に広がる.ここで「うわ~,すげ~,こんな展開になるとは知らなかった!」などといった声が聞こえる.高所恐怖症の人は目を覆いたくなる区間である.

このように,大涌谷を空中で飛んでいく感じである.

外国人観光客も写真をパチリ.

大涌谷は,約3000年前に箱根火山の爆発によってできた火口の爆裂跡で,今でも白煙と硫黄の匂いがたちこめている.標高は1,050mである.
ここから湧き出る温泉で茹でた「黒たまご」が売られているが,これを食べると寿命が7年延びるという.

湧き出る温泉.ここに含まれる硫化水素と鉄分によって卵を茹でると黒くなるとか.

富士山がうっすらと姿を現した(大涌谷より)

大涌谷駅では必ず乗り換えとなって,芦ノ湖方面の桃源台へと向かう.大涌谷駅が最も標高が高く,今度は芦ノ湖に向かって標高が徐々に下がっていく.天気が良いと,右手に富士山の美しい姿を見ることができる.
途中,「姥子」駅に停車し,桃源台駅が近づいてくると,左手に芦ノ湖が見えてきた.

そして,桃源台に到着.標高は741mとなる.

箱根海賊船・芦ノ湖の遊覧船[ぐるり箱根・乗り物旅#4]

■箱根海賊船・芦ノ湖の遊覧船■ [桃源台~箱根町(~元箱根)]

芦ノ湖には2つの遊覧船がある.ひとつは西武グループの伊豆箱根鉄道が運営する「芦ノ湖遊覧船」で,湖尻港から箱根園・関所跡・元箱根を結ぶ航路をとっている.もうひとつが小田急グループの箱根観光船が運営する「箱根観光船」で,通称「箱根海賊船」と呼ばれている.西武グループと小田急グループでは,かつて戦後の昭和時代に,箱根のシェアを争う箱根山戦争を繰り広げており,両者の遊覧船が芦ノ湖を運航している.
これは,路線バスも同じことで,小田急グループの箱根登山バスと,ライオンズカラーとなっている伊豆箱根鉄道バスの両者が同じ区間で別々に走らせていたりする.そのため,小田急系の箱根フリーパスでは,伊豆箱根鉄道の乗り物には乗れないといった状況となっており,今回の旅も小田急の箱根フリーパスを用いているので,西武系の乗り物は一切乗っていない.小田急の箱根フリーパスを購入していれば,箱根登山鉄道,ケーブルカー,ロープウェイ,海賊船,そして箱根登山バスも乗り降りフリーとなるので,こちらの方が便利である.

桃源台駅では,階段を下におりて,遊覧船乗り場の港へと向かう.

バーサ号
スェーデン国王グスタフ・アドルフが建造したバーサ号をモデルとした船とのこと。
定員650名.

桃源台港の桟橋

海賊船をイメージした船.甲板にも大勢の人がいる.

「ロワイヤル号」とすれ違う

こちらは「ビクトリー号」

箱根町港に到着した.
ここで下船し,路線バスの乗って,いくつか観光をして,箱根湯本駅へ向かうことにした.

箱根湯本駅

箱根湯本では,お土産を買うため,ちょっと駅前をぶらついた.色々なおみやげ屋が並んでおり,新宿行きの小田急ロマンスカーの発車時間までの時間つぶしにはちょうど良い.

箱根キャリーサービスとは,箱根登山バスが行っているサービスで,宿泊施設をチェックアウトするときに荷物をフロントに預ければ,箱根湯本駅まで運んでくれる.この逆パターン(箱根湯本駅から宿泊施設まで)も行っている.通常サイズで1個700円であり,箱根フリーパスを持っていれば100円引きとなるため,手ぶらで箱根を周遊して観光する場合は,とても便利である.私も利用した.

ロマンスカーが新宿駅に到着.
1泊2日のぐるり箱根の旅が終わった.

阿佐ヶ谷住宅【東京考察#281】

The Asagaya house

阿佐ヶ谷住宅
(傾斜屋根タイプのテラスハウス)


 阿佐ヶ谷住宅は,日本住宅公団が開発を行った分譲集合住宅であり,1958(昭和33)年に完成した.中層(3~4階)の住宅118戸と,低層2階建てのテラスハウスが232戸存在しているが,テラスハウスは公団が設計したヨウカン型の陸屋根タイプと,前川國男建築設計事務所が設計した傾斜屋根タイプの2種類がある.日本住宅公団が設立された当初の団地開発として,大変貴重な存在である.
この阿佐ヶ谷住宅では,築50年が経過して老朽化が激しいことなどにより,現在は全350戸中100戸程度しか入居しておらず,しかもその入居者のほとんどが70歳以上の高齢者であることなどから,1994(平成6)年から再開発委員会を発足させ,2006(平成18)年には組合が発足し,建て替え再開発の計画が進められている.一部6階建ての再開発組合側の案に対して,6階建て案に対する近隣住民からの反対意見などがあるが,再開発工事に向けて都市計画審議会が進められ,2009(平成21)年9月の解体工事,2012(平成24)年の完成を予定している.
 
傾斜屋根タイプのテラスハウス
 
陸屋根タイプのテラスハウス
 
中層の住宅

入居者がいないところはコンパネが立てられている

地盤沈下&老朽化の激しさが伺える

右の部分は庭に増築された部屋であろうと思われるが,
地盤沈下と思われる影響により,傾き始めている.

真ん中にある公園.ここも私有地だとか.

住宅案内図

近隣住民が立てている反対の旗

給水塔が見守っている

阿佐ヶ谷パールセンター【東京考察#280】

Asagaya Pearl center (The shopping district)

阿佐ヶ谷パールセンター

 


 阿佐ヶ谷パールセンターは,1922(大正11)年に阿佐ヶ谷駅が開通したときに,それまで円光院へのお詣りの狭い道(道幅は二間だったが,正味一間(1.8m)だった)を三間通りに拡げたときにできたものである.毎年8月7日を中心に行われる七夕祭りは,1954(昭和29)年以来毎年実施され,仙台と平塚の七夕祭りと並んで,日本三大七夕祭りの一つに数えられている.

直線ではなく,右左に緩やかにカーブしながら続いている商店街

阿佐ヶ谷駅方面を望む
 
「白いたいやき」 タピオカ粉が入っているモチモチとしたたいやきだった.

ミートソースパスタ専門店 ミート屋
食べてみたかった.(昼食直後に発見!)

エチカ池袋【東京考察#279】

Echika Ikebukuro


エチカ池袋

 


 エチカ池袋は,鉄道施設と商業施設とを融合させた駅空間として東京メトロが行っている商業施設で,東京メトロとしては表参道駅に続く第2の施設になる.池袋モンパルナスというコンセプトに基づいて,フランス・パリのイメージで芸術文化の香りが漂う街を目指している.メインターゲットは,池袋駅を拠点に行動する20~40代のカップルとのことであるが,周辺勤務のオフィスワーカーや近隣居住者などにもサービスを提供できるような設定とのこと.
店舗面積は約1,400m2で約40店舗が入っている.現在は副都心線部分がメインとなっているが,秋にはさらに有楽町線部分も開業する予定である.

池袋駅西口の東武ホープセンターから
エチカ池袋へ降りる階段
 
街灯もパリをイメージしたものになっている

地下に広がるエチカ池袋
 
女性も気軽に楽しめる空間

フードコーナーもある

隣は副都心線の改札口

丸井前の地下鉄入口も,パリ風のものになっている.

閉店前の池袋三越【東京考察#278】

Ikebukuro Mitsukoshi, Ltd. before closing

1階の入口

 


 池袋三越は1957(昭和32)年にオープンし,51年間にわたって池袋駅東口に店を構えていた.都心の池袋店も閉鎖されてしまうとは,百貨店業界の厳しい現実を見せられているようである.閉店2日前の2009(平成21)年5月4日の様子をお伝えする.

閉店さよならセールを実施しており,
大勢のお客さんで賑わっていた.

ライオン像も閉店を見守っていた.
 
閉店セールで大幅割引の品がたくさん並んでいた.
客層は,どちらかというと年輩の方が多い感じである.

レジには長蛇の列ができていた.

今は自動運転となっているエレベータだが,
かつでは真鍮の内扉のじゃばらがついているもので,
「じゃらじゃら」音がなって扉が閉まる旧式のエレベータだった.
 なお,その後は,ヤマダ電機が入居するとのことである.

田季野(わっぱ飯)【会津考察#22】

Takino (Wappa-meshi)

 


 田季野は「わっぱ(輪箱)飯」の店として有名である.わっぱ飯は,尾瀬を有する檜枝岐村における山人の弁当の器として用いられてきた「曲げわっぱ(輪箱)」に,会津の食材を活かした料理を盛り込んだ創作料理で,1970(昭和45)年にオープンしている.わっぱ飯の他にも,会津の郷土料理が食べられ,会津に来たら一度は立ち寄りたいお店である.また,建物も歴史があり,築150から200年前に建てられたもので,会津西街道の旧家であったものを移築復元したものとなっている.

田季野の店構え
 
わっぱ飯 いくつか種類があるが,色々と入った五種輪箱がお薦め.

会津西街道にあった旧家を移築した店内

【公共交通案内】
●路線バス
・ハイカラさん
若松駅→若松市役所前→鶴ヶ城→飯盛山→若松駅  若松駅からバス約20分
・若松駅より西若松駅行,本郷行,高田行,芦の牧温泉行などで神明通り下車.徒歩5分.

冬の只見線(ローカル線)【会津考察#23】

JR Tadami line in winter (Local line)


究極のローカル線・只見線

 


 只見線は,福島県会津若松(あいづわかまつ)駅から新潟県小出(こいで)駅まで,135.2kmを結ぶ日本でも有数のローカル路線である.只見から小出までの区間には国道252号線が並行して走っているが,冬期間は道路が通行止めとなり,鉄道が唯一の交通機関となることから,国鉄再建法による赤字ローカル線廃止の対象から除外となった路線である.1972(昭和46)年に全線開通している.秋の紅葉はすばらしく,只見川に沿った山間をのんびりと走り,冬には2m以上も雪が積もる只見を通る.会津若松から小出まで,途中には大きな都市もなく,時速60km程度のスピードでマイペースで走っていく.乗り通すと約4時間もかかる.国鉄時代からの赤字ローカル線の雰囲気を残す路線として,全国からファンがやってくるのである.スピードと効率化が求められている時代に,この只見線の雰囲気を味わってみるのも,たまにはいい.

会津若松駅の時刻表
小出まで直通するのは1日3往復のみ
必然的に,連絡がよく景色が見られる列車は,昼の13:08となる.

3連休の中日とあって車内は満席
2両編成のうち,1両はロングシートの場合もある.
 
只見川沿いを走っていく.
電源開発で行った水力発電のダムにより水が貯められている.
  
会津宮下や会津川口,只見などといった沿線で核となる駅では,
列車交換などのため10分程度の停車時間がある.
車内の乗客も降りて,写真を撮影したりする.
 
豪雪地帯には欠かせない除雪機械
ホームの雪を掻くためのハンド式除雪機械である.

停車時間中,子供達も大はしゃぎ
お兄ちゃんにやられた仕返しに,今度は妹がお兄ちゃんを雪の中へ!
子供を連れて乗り通している家族も多かった.
 
美しい只見川の風景の中,のんびりと走っていく.
 
こちらは線路の除雪車
前のアームにより細かい作業ができそう
 
車内は非冷房車.扇風機のスイッチがある.懐かしい.
 
只見に近づいてくると,雪の量も多くなる.
駅舎待合室の屋根の積雪もごらんのとおり.
ちなみに只見(蒲生)の警戒積雪深は280cmだとか.
2m80cmまでは普通の積雪ということになる.
  
  
只見線の雪景色
 
只見駅

只見駅の外にある防雪柵

除雪で積み上げられた雪の山
 
田子倉湖と田子倉駅 冬期閉鎖の駅

田子倉駅をでると六十里越トンネルで新潟県へ.
夕刻となり,梅酒で乾杯!
 
17:42小出駅到着
長い旅でした.

【公共交通案内】
●本数
会津若松から小出まで,直通する列車は1日3往復

会津武家屋敷【会津考察#21】

Aizu Samurai residence


会津武家屋敷

 


 会津武家屋敷は会津藩の家老西郷頼母邸を中心に,江戸時代の会津藩の生活・文化がわかるテーマパークである.重要文化財の旧中畑陣屋,茶室, 藩米精米所,会津歴史資料館の他に,会津の郷土料理を味わえるレストランも併設されている.

駐車場から階段を登って入口へ

家老屋敷・西郷頼母邸をぐるりと一周見て回る.

容保公接見
上級の部屋から順番に見る順路となっている.

福島県の重要文化財に指定されている旧中畑陣屋
矢吹町から移築復元されたもの.

茶室もある

弓道体験もできる
このほかに,赤べこ絵塗り体験,ガラス絵彫りができる.

【公共交通案内】
●路線バス(ハイカラさん)
若松駅→鶴ヶ城→会津武家屋敷→飯盛山→若松駅
・若松駅からバス約30分,タクシー10分

ディープな上野公園(社寺編)【東京考察#277】

The details in Ueno Park ( The shrine Buddhist temple )


 もともと上野公園は,江戸の三代将軍・徳川家光が鬼門を封じるために東叡山寛永寺の敷地であったが,戊辰戦争において寛永寺に立てこもった旧幕府軍を新政府軍が攻めたことにより,焼け野原となっていた.その場所に医学校と病院を建設する予定であったが,上野の山を視察したオランダ医者のボードワン博士が,公園として残すよう日本政府に働きかけて,1873年に日本初の公園に指定されたものである.現在では,春になると桜の名所となり,様々な博物館が建ち並び,上野動物園もあって,文化芸術の森となっているが,じっくり公園を歩いてみると様々な銅像や社寺があることに気づく.普段は見逃してしまいそうな,そんな上野公園を改めて散策した.こちらは社寺編となる.
 
上野東照宮 唐門と銅灯籠
 藤堂高虎が上野の屋敷内に,徳川家康と追慕して家康を祭神とする宮祠を造った.これが上野東照宮の創建といわれている.現在の社殿は1651(慶安)4年に3代将軍家光が大規模に作りかえたもので,現在に至っている.国の重要文化財に指定されている.唐門は日本には一つしかない金箔のものである.灯籠は神事や法会を行うときの浄火を目的としているが,上野東照宮には50基ほどの銅灯籠があり,これは諸国の大名が納めたものとなっている.竿の部分には寄進した大名の姓名と官職名・年月日などが刻印されている.
 
尊顔のみ残った上野大仏
 上野大仏は,1631(寛永8)年に越後の国村山城主・堀丹後守直寄公旧自邸内であったこの高台に,戦乱に倒れた敵味方将兵の冥福を祈るために土で釈迦如来像を建てたのが始まりで,その後火災によって,1841(天保12)年に大仏を新鋳したものである.1923(大正12)年の関東大震災によって仏頭が落ちて寛永寺にて保管されていたが,第二次世界大戦により体が献納されて尊顔のみが残っていた.1972(昭和47)年に,尊顔を再び旧地に迎えて再建したのが,現在の上野大仏となっている.
 
花園稲荷神社
 安産・縁結びの神といわれている花園稲荷神社.
 
五條天神社
 学問の神様となる天神社である.
 いずれの施設も,上野公園に隣接しており,日本文化が身近に感じられるとあって,外国人観光客が多く訪問している.

祖師谷大蔵のウルトラマン商店街【東京考察#276】

Ultraman shopping district in the Soshigaya-Okura


 ウルトラマン商店街とは,祖師ヶ谷大蔵駅周辺にある3つの商店街(祖師谷みなみ商店街・祖師谷商店街振興組合・昇進会)について,2005(平成17)年4月に命名された商店街名である.命名の由来は,ウルトラマンの生みの親である「円谷プロダクション」が砧にあったことからつけられたが,現在本社は世田谷区八幡山に移転し,砧には社屋が存在しない.商店街の振興,そして「まちづくり」として,地元にゆかりのある円谷プロのウルトラマンを用いて,地域を盛り上げていこうとする取り組みに注目があつまり,話題となった商店街である.今回撮影したのは,駅北側の「祖師谷商店街振興組合」のエリアである.

小田急線祖師ヶ谷大蔵駅
複々線の高架化により,がらりと駅周辺の雰囲気が変わった.
 
商店街にはウルトラマン商店街の旗がかけられている

商店街の街灯.何をデザインしている?
 
そしがやカレーの看板が.昼食はカレーに決定.
豚バラ煮あぶりカレーが人気.スパイスの効いたカレー.

気になった「祖師谷まんじゅう」

祖師ヶ谷大蔵駅前にあるウルトラマンの像

駒沢オリンピック公園【東京考察#275】

The Komazawa Olympics park


駒沢公園

 


 駒沢公園は,1964(昭和39)年の東京オリンピックの第二会場として,サッカーやバレーボール,レスリング,ホッケーなどが開催されたところで,もともとは駒沢ゴルフ場だったという.1940(昭和15)年に開催される予定であった東京オリンピックではメイン会場となる予定だったが,その開催は中止となり,戦後は東映フライヤーズの本拠地として野球場となっていた.東京オリンピックの開催後,現在のような公園となったものである.東京都スポーツ文化事業団が指定管理者として管理を行っている.
駒沢オリンピック総合運動場にある施設は,陸上競技場・補助競技場・第一球技場・第二球技場・硬式野球場・軟式野球場・テニスコート・体育館・屋内球技場・弓道場・屋外プール・トレーニングルームなどとなっており,なかには,東京オリンピックの資料が展示してある「東京オリンピックメモリアルギャラリー」もある.周辺は,目黒区・世田谷区の人気の高い住宅街が広がっており,休日になるとジョギングやサイクリングなどスポーツを楽しむ人々で賑わい,家族連れの姿も多く見られる.駒澤大学や日本体育大学が近くにあるので,大学生の姿も多く見られる.

公園案内図

ぐるりと1周することができるサイクリングコースとジョギングコース
 
ブタがおいてある「ぶた公園」

広場ではキャッチボールなどができる

サッカーなどが出来る球技場

メイン施設といってもいい「陸上競技場」

オリンピック記念塔(管制塔)
この下に聖火台がある

体育館

東京オリンピックメモリアルギャラリー
体育館の中にある

バス乗り場案内板

補助輪付き自転車乗り場
都心ならではの広場である

ファミリーセンターでは四輪車のサイクリングができる

スケボーの広場もある

隣にある駒澤大学

銀座スウォッチビルのエレベータ【東京考察#274】

The elevator at the Ginza swatch building


スウォッチビル入口(1階)

 


 銀座スウォッチビルとは,スイスの時計ブランドであるSwatch(スウォッチ)グループがオープンさせたウォッチランドマークとなるビルで,正式には「ニコラス・G・ハイエック センター」と呼ばれるビルであり,銀座7丁目に2007(平成19)年5月オープンした.地下1階にスウォッチ旗艦店ブティック,2~4階はスウォッチグループの高級ブランド(ブレゲ・ブランパン・グラスヒュッテオリジナル・ジャケドロー・レオンアト・オメガ),5階以上はカスタマーセンターやオフィス・イベントホールとなっており,ビル丸ごとが時計のスウォッチビルとなっている.
このビルの設計は坂茂氏である.銀座の限られたスペースに7ブランドのショールームをいかに設置するかを考慮し,敷地の前面裏面をガラス製の外壁で覆ってそこに7つのショールームを設置し,それぞれのショールームに通じるエレベータ自体をもショールームとして,地下1階から4階に存在するメイン店舗へ自然と導かれる独創的な空間としたとのこと(スウォッチジャパンホームページより).つまり,それぞれのブティックに直通で行けるガラス張りの油圧エレベータが並んでおり,エレベータに乗った瞬間から,ブティックの空間となっているのである.油圧エレベータは外側の壁が存在せず,カゴのみが存在して,1階と上部をゆっくりと結んでいる.一見するとエレベータがあるの?と思う1階フロアーであるが,よーく見てみると油圧エレベータがずらずらと止まっているのである.ちなみに,エレベータは横浜エレベータ(株)が7台とも製造している.

銀座スウォッチビル外観

これが1階のフロアーであるが,
矢印のところが油圧エレベータなのである.
ガラス張りのカゴがブティックに直行しており,
乗り込むとカゴの中も
ショールームとなっていて上下に移動していく.
7台のエレベータがあり,
ガラス中央に書かれているブランドのショールームに直行する.
 
オメガ(左),ブランパン(右)へ行く油圧エレベータ
 
このようにエレベータの中からショールームが始まっており,
このまま上階のショールームへ直行する.
 
<左>地下1階のブティック(カゴの中から店内を撮影)
<右>このカゴを支える油圧シリンダー
 
タケノコのようになっているシリンダー部

ディープな上野公園(銅像編)【東京考察#273】

The details in Ueno Park ( The statue )


野口英世像


 もともと上野公園は,江戸の三代将軍・徳川家光が鬼門を封じるために東叡山寛永寺の敷地であったが,戊辰戦争において寛永寺に立てこもった旧幕府軍を新政府軍が攻めたことにより,焼け野原となっていた.その場所に医学校と病院を建設する予定であったが,上野の山を視察したオランダ医者のボードワン博士が,公園として残すよう日本政府に働きかけて,1873年に日本初の公園に指定されたものである.現在では,春になると桜の名所となり,様々な博物館が建ち並び,上野動物園もあって,文化芸術の森となっているが,じっくり公園を歩いてみると様々な銅像や社寺があることに気づく.普段は見逃してしまいそうな,そんな上野公園を改めて散策した.こちらは銅像編となる.
 
安井誠一郎像
 JR上野駅の公園口を降りて横断歩道を渡り,東京文化会館の脇に設置してある銅像は,戦後初代の東京都知事となった安井誠一郎像である.戦後の東京復興,東京オリンピックの招致など,12年間にわたって知事を努め,この偉業を偲んで1966(昭和41)年に当時の東龍太郎知事が設置したものである.
 
試験管を振る野口英世像
 噴水広場の奥,国立科学博物館脇の散策路に立つのが世界的に有名な細菌学者・野口英世像である.1876(明治9)年に福島県猪苗代町で生まれ,その後中南米やアフリカに赴いて黄熱病の研究に努めたが,自ら黄熱病にかかってしまい1928(昭和3)年に53才で没した研究者である.銅像建立の活動は,当初,福島県三春町出身の玉応不三雄という人物が行っていたが,その後,日本医師会北里研究所野口英世記念会などの活動により1951(昭和26)年,現在の場所に建立された.
 
上野公園を提唱した生みの親「ボードワン博士」
 ボードワン博士はオランダ軍医の講師として,1862~1871(明治4)年まで滞在していた.ここは東叡山寛永寺の境内であり,幕末の上野戦争で荒廃したため,病院の建設計画があがっていたが,すぐれた自然が失われるのを惜しんで政府に公園造りを提言したのがボードワン博士である.そして,1873(明治6)年に日本で初めての公園が誕生することになり,いわはボードワン博士は,上野公園の生みの親と言われている.この像は上野恩賜公園開園百年を記念して1973(昭和48)年に建てられたが,製作の手違いにより弟の写真を基にした像が置かれていて,2006(平成18)年に本人の像に置き換えられた経緯がある.
 
女性の像
 噴水広場脇の散策路にひっそりと佇む女性の像であるが,特に説明書きもなく由来などは不明である.太もものコンクリートがはがれ落ち,芸術の森ということで作られた像なのだろうか?
 
小松宮彰仁親王銅像
 彰仁親王は,伏見宮邦家親王の第八王子である.1868(慶応4)年の鳥羽・伏見の戦いに征東大将軍として参戦し,会津征伐越後口総督となって戊辰戦争に従軍している.1877(明治10)年の西南戦争の負傷者救護団体として創立された博愛社(のちの日本赤十字社)の総長に就任し,以後赤十字活動の発展に貢献していった.銅像は1912(明治45)年に建てられたものである.

忘れてはいけない西郷隆盛像
 西郷隆盛の詳しい説明は省くが,上野公園で最も有名な銅像であろう.この銅像は高村光雲によって彫られた銅像で1897(明治30)年に完成した.