An azalea in the Komagome station
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JR山手線の駒込駅は、切り通し構造となっており、その法面(のりめん)には「ツツジ」が植えられている。そして、毎年5月になると濃ピンク色のツツジの花が、ホーム両側に広がって、乗客の目を和ませている。都内のJR線の車窓から季節が感じられる花としては、ツツジのほかに、サクラ、アブラナなどがあるが、駒込駅のツツジは最も鮮烈に目に飛び込んでくるものである。この季節、駒込駅に電車が到着すると、車内の色彩が一瞬変化する。
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東京の街を写真と共にコラム形式で紹介. 東京は日本の顔であるとともに世界へ向けた窓口です.世界でも有数の大都市ですが,その中にも色々な街の表情があり,ひとつひとつ見ていくととても興味深いものがあります.そんな東京を紹介します.
An azalea in the Komagome station
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JR山手線の駒込駅は、切り通し構造となっており、その法面(のりめん)には「ツツジ」が植えられている。そして、毎年5月になると濃ピンク色のツツジの花が、ホーム両側に広がって、乗客の目を和ませている。都内のJR線の車窓から季節が感じられる花としては、ツツジのほかに、サクラ、アブラナなどがあるが、駒込駅のツツジは最も鮮烈に目に飛び込んでくるものである。この季節、駒込駅に電車が到着すると、車内の色彩が一瞬変化する。
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‘HATO BUS’ (sight-seeing tour bus)
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| 旅に出かけると大抵の街(世界中どこでも)には日帰りの定期観光バスが走っている。定期観光バスは、自分の旅プランに合わせて見所をコンパクトに見てまわれるので便利である。そんな定期観光バスを東京で運行しているのが「株式会社はとバス」である。鮮やかな黄色いボディーに「HATO BUS」と描かれた赤文字のバスは、非常に目立つペイントである。はとバスの歴史は古く、今年(2001年)で創業52周年(1949年創業)とのことである。
はとバスのツアーは実に様々なコースが用意されており、初めて東京を訪れる人のためのコースから、最近流行のお台場やアクアラインへのコース、桜の名所めぐりや屋形船、夜景見物、有名ホテルでのディナー、歌舞伎鑑賞、ヘリコプターツアー、トップレスショー、ニューハーフショーなどなど、東京に住んでいる人にとっても多彩なコースが用意されている。一日コースから、半日コース、ナイトコースと時間も好みに合わせて選択でき、また、外国人観光客のための英語ガイドツアーも用意されている。(英語ツアーは浜松町駅・世界貿易センタービルからの発車となる) はとバスのりばは、東京駅・新宿駅・浜松町駅・上野駅・池袋駅・渋谷駅にあるが、メインとなるのりばは、東京駅丸の内南口となっており、ほとんどが東京駅からの発車である。東京駅のチケット売場に行くと、電光掲示板にずらずらと発車コースと空席状況が表示され、東京にはこんなに「はとバス」が走っているのか、と驚いてしまう。発車のラッシュ時(9時、13時、17時頃)には、何台も連なったはとバスが、東京駅南口ののりばにずらりと並んでいる。 また、はとバスでは系列ホテル「銀座キャピタルホテル」の宿泊プランを組み合わせることができるコースもあり、これを利用すれば1泊5500円(コース代別)で東京に宿泊することが可能であるが、曜日限定なので利用の際は注意が必要である。(とはいっても、ナイトコース+宿泊プランのセットの場合、月・金・土・日・祝休前日限定となっており、土曜日に利用できないということはない。)
参考までに、ツアーを一部紹介する。たまには黄色いはとバスで新たな東京を発見してみてはいかがでしょうか。
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Tennouzu Isle (City area redevelopment)
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| 天王洲アイルは、日本で最初に民間デベロッパーによって開発された大規模な開発事業である。「大規模な開発を民間で行った」というところに、天王洲アイルの特筆される部分がある。首都高速1号(羽田)線と浜松町駅と羽田空港とを結ぶ東京モノレールを中央に挟んで、スフィアタワー天王洲とシーフォートスクエアの高層ビル群を配しており、それらの高層ビルは歩行者専用のペデストリアンデッキによって相互につながっている。テレビドラマのロケ地としても使われたことがあるように、お洒落でハイセンスなムードを味わうことができ、オフィスとしてはもとより、ホテル・レストラン・ショップ・喫茶店・郵便局・写真屋・ファーストフードなどがテナントとして入っているミックスドユースの開発である。いろいろな店があるのであるが、それらが非常にコンパクトにまとまっていて、人間の尺度にほどよくフィットする。お台場に飽きてきたら、天王洲でデートといったコースはお奨めである。夜になると芸術的なライトアップにより、さらにムード満点の空間が演出され、ますますデートコースにもってこいのエリアとなる。
是非とも、夜に訪れて下さい。 |
Asukayama Park and three museums (at Oji)
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| 飛鳥山公園は北区民のシンボルである。JR京浜東北線や東北本線に乗っていると、鬱蒼とした緑が車窓に広がるのがわかる。公園の歴史は古く、徳川8代将軍「吉宗」が庶民の行楽のために桜の木を植えたことからはじまる。それ以来、桜の名所として、花見シーズンになると夜な夜な宴が繰り広げられるのである。王子にある小学校の写生大会や低学年の遠足は、必ずといっていいほど飛鳥山公園であった。首都高速中央環状線(王子線)の工事で、公園の上空を高架橋で渡す計画があったが、区民や環境団体の反対を受けて地下トンネルに工法が変更され、飛鳥山の自然環境は守られることになった。現在、トンネル工事は鋭意施工中である。
飛鳥山には1998(H10)年3月に開館した3つの博物館がある。 ちょっと余談になるが,製紙会社の沿革について記してみたい.現在,北海道の苫小牧にある王子製紙は,この王子に存在したから付けられた名前であり,王子製紙の創業者は渋沢栄一である.明治時代に苫小牧に移転したのち,戦後になって過度経済力集中排除法によって「十條製紙」「本州製紙」「苫小牧製紙」に分割され,今の王子にある施設を引き継いだのは十條製紙であった.その後,十條製紙は合併によって「日本製紙」となり,苫小牧製紙は「王子製紙」の名前を復活させて本州製紙と合併し,現在に至っている.駅前のサンスクエアビルは十條製紙(現日本製紙)グループが引き継いで運営しており,かつてはスケートリンクも存在していた.つまり,今の王子周辺にある製紙関係の施設は「日本製紙」であり,「現王子製紙」ではないのであるが,複雑に分割・合併を繰り返してきた製紙業の歴史を辿ると,製紙会社は「王子」から出発したことになるのである. 飛鳥山から明治通りの反対側(歩いていくとなると、駅前の歩道橋を越えて回らなければならない。王子駅北口の公園側)に音無親水公園という素晴らしい公園がある。日本の都市公園100選にも選ばれ、音無橋のアーチと音無川のせせらぎが心を和ませてくれる。玉子焼きで有名な割烹扇屋もこの近くにあり、江戸時代には扇屋から音無川の渓谷と紅葉が眺めることができる行楽地であった。音無川は、石神井川の飛鳥山下を通る隧道の通水によって豪雨時以外は使われることがなくなっていた河川であった。
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‘Kojunsya’ building (at 6 chome of Ginza)
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| 銀座6丁目の中央通りから1~2本JR線側に入ったところに、交詢社ビルディングが建っている。「建っている」と現在形で話ができるのもあとわずか、まもなく取り壊される運命にある。既に、解体用の仮設の壁がたてられ、ビルにはネットがかけられて、あとは入居者が出ていくのを待っている感じである(H13.3現在)。 交詢社ビルは昭和4年に建てられ、設計者は横河工務所の横河時介、当時流行のアールデコを意識した設計となっている。戦前の重厚な古き時代の銀座を象徴する建物として、広く親しまれてきたが、平成11年度の耐震調査等の結果により、取り壊されることが決定されたようである。 交詢社とは、福沢諭吉が設立した1880年創立の社交倶楽部であり、知識を交換し世務を諮詢することから命名されたという。
1階には「ピルゼン」というドイツ風ビアホールが営業されており、建物内部の重厚な雰囲気を味わうことができたが、店員さんによると、もう既に立ち退きの話がきていて、今すぐにでも営業をやめなければならないのであるが、ぎりぎりまで頑張って営業しているとのこと。しかし、6月(H13年)までが限界でしょうと話していた。残念な限りである。この店のトイレにいくと、いかにも昭和初期の建物であるというタイムスリップした雰囲気を肌で感じることができる。
古き良き時代のビルがまたひとつ消えることになる。 そして,取り壊されて跡形もなくなり,現在は新しい交詢ビルディングが建っている. |
豊ヶ丘4丁目までの行き方
多摩センター駅バスターミナル8番のりば 全路線が豊ヶ丘4丁目停車 約15分
A:豊ヶ丘・貝取南近隣センター
B:歩車分離(車道と立体交差)
C:タウンハウス(低層集合住宅)
D:鶴牧近隣センター
E:富士見通り(道路の軸線上に富士山が存在)
F:タウンハウス鶴牧(3つの公園を環状につなげ、その内外に住宅を配置)
G:鶴牧東公園
H:グリーンメゾン鶴牧(メニュー方式による中層住宅)
I:プロムナード多摩中央(プラス1住宅)
J:多摩中央公園
K:パルテノン多摩(多摩市総合複合文化施設 大小ホールと展示室、ギャラリー等)
L:多摩ヴァンサンカン(多摩ニュータウン展示室)
M:都市センターの中心地
N:多摩センター駅前広場(ペデストリアンデッキを配して、徹底的に歩車分離を図る設計)

O:東京都立大学(イタリアの山岳都市をイメージさせるような設計)
P:宮上中学校(学校も周辺の景観イメージに合わせて設計)
Q:ベルコリーヌ南大沢(マスターアキテクト制による、強烈な個性ある中・高層住宅)
三徳前バス停より南大沢駅までバスで約10分

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★ベルコリーヌ南大沢 1989(H1)年入居開始
★ライブ長池 1990(H2)入居開始
開発の行われる前の多摩NTは、畑や山が広がるのどかな丘陵地であり、このような街に大変身するとは、誰も想像していなかっただろう。その当時の写真や様子は、多摩ヴァンサンカンの展示室にて公開されている。タヌキやキツネがでそうな、雑木林であった。
参考文献 |
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1980年代前半 住環境の向上を図るため、多摩NTにタウンハウス(低層集合住宅)が建設された。多摩NTで最初にタウンハウスが建てられたのは諏訪地区(1979年)であり、続いて4年後に鶴牧地区で建設された。また、入居者がメニューの中から自分で設計するフリースペースを含んだ、メニュー方式による中層住宅も登場した。 ★タウンハウス諏訪 1979(S54)年入居開始 ★タウンハウス鶴牧 1982(S57)年入居開始 ★グリーンメゾン鶴牧 1983(S58)年入居開始
1980年代後半 この時代になると、アイデンティティー(個性・その人らしさ)を重視した街づくりが現れるようになってきた。プラスワン住宅と呼ばれる、通りに面して開かれたもう一つの部屋(フリースペース)を持つ住宅が登場し、キャラクタープランと呼ばれる、個性的な間取りが考え出されるようになった。また、マスターアーキテクト制を導入して、街全体を調和のあるデザインに設計された開発も登場した。 ★プロムナード多摩中央(プラスワン住宅) 1987(S62)年入居開始 ★ファインヒルいなぎ 1988(S63)年入居開始
参考文献 |

(出典:「多摩ニュータウン」パンフレット)
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多摩ニュータウン(以下多摩NT)は東京都南部の多摩丘陵に位置し、標高150m前後、多摩市を中心に稲城市、八王子市、町田市に及ぶ東西14km、南北2~4kmの大規模な住宅開発地域である。京王相模原線を利用することにより、新宿から約35分で結ばれており、大都市東京のニュータウンとして、大阪の千里ニュータウンとともに、大都市の住宅供給を行ってきた開発である。 1960年代、日本の高度経済成長によって東京圏は都市化が急速に広がっていき、大量の勤労者が流入していった。それに伴って、住宅宅地需要が増加していき、中心市街地の地価の高騰によって、郊外である多摩地域でも無秩序な開発(スプロール化)が進行していった。このことから、居住環境の良い宅地・住宅を大量に供給することを目的として、1965(昭和40)年、「新住宅市街地開発事業都市計画」が決定、計画人口約30万人、総面積約2980haの多摩NT開発が行われることになった。
多摩NTの宅地開発は、施行者が土地を全面買収して宅地造成などを整備する事業(新住宅市街地開発事業という)と、所有されている土地を換地という手続きによって区画形質の変更を行って宅地としての利用を増進する事業(土地区画整理事業という)によって行われている(道路や下水道などの整備は関連公共施設整備事業によって行われている)が、多摩NTでは前者の土地を全面買収することをメインとして宅地造成をしており、歩車分離を徹底させた(ラドバーン方式)道路構成やバランスのとれた建物や公園の配置など、開発設計思想の反映された個性と魅力のある面的な住宅開発がされている。 新住宅市街地開発事業の施行者は、都市基盤整備公団(前住宅・都市整備公団)、東京都住宅供給公社、東京都によって行われている。 1970年代前半 多摩NTで最初に入居開始された地区が諏訪・永山地区であり、その翌年に入居開始されたのが和田・愛宕東寺地区である。「安く良質な住宅を、早く大量に供給する」という時代であり、箱形の中層住宅(5階建て)が平行に建設され、ポイントには高層住宅(14階建て)も建設された。 ★諏訪・永山団地 1971(S46)年入居開始
1970年代後半 ★貝取・豊ヶ丘団地 1976(S51)年入居開始
公団住宅の入口は開放的で入りやすい。それは、居住者以外の人も入りやすいということであり、そういう構造上のこともあってか、公団の団地というのは、壁への落書きやエレベーターボタンのいたずら(ライターでプラスチックのボタンを溶かしてしまう)が多いように思う。
新住宅市街地開発事業で整備された区域内では、中学校区を基本的な単位として、幹線道路を境界に「住区」と呼ばれるブロックに分けられている。
参考文献 |
The fish market in Tsukiji (inside market)
築地市場正門 |
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| 「築地の魚河岸」は有名である。それは、築地に東洋一の取扱量を誇る中央卸売市場があるからである。現在の築地の魚河岸(築地では青果も取り扱っている)は、関東大震災後に江戸時代より日本橋にあった魚市場を海軍兵学校跡地に移転したことに始まる。中央卸売市場の中を「場内」と呼ぶが、場内では小売りは行わずに原則として仲卸業者へのみの販売となる。小売りは「場外」と呼ばれる晴海通り沿いの市場で行っている。
築地に来たら、絶対に場内へ入ってみるべきである。この中に一歩足を踏み入れると、ここが日本なのか!と驚くほど威勢と活気と躍動感に満ちあふれており、気分が高揚してくる。この場内の風景を眺めていると、つくづく日本もアジア人だなと感じずにはいられない。とにかく、けたたましくて騒々しい。東京のエネルギーを十分すぎるほど肌で感じることができる場所である。 この築地市場は都市計画市場として位置づけられているが、場内の老朽化や手狭な敷地を解消するために、平成24年に豊洲への移転話が決定しており、この計画に反対運動も起きている。築地の魚河岸が過去の話として語られるときが、もうすぐそこまでやってきているのである。また、移転先の豊洲の埋め立て地において、土壌にベンゼンやヒ素などの有害物質が検出され、安全性の面からも移転反対の議論が沸き起こっている。 ちなみに、場内へは誰でも入ることができ、外国人観光客の姿も目にすることができる。一般者が見学するには、一段落する午前9時過ぎがちょうどいい時間であろう。が、ぼやぼやしていると場内を走っているリアカーやターレット車と呼ばれる三輪自動車にひき殺されそうになるので注意すること。すきがあればどんどん割り込んでくるし、待っているだけではいつまで経っても通路を横断することはできない。ぼけっと立っていると「ちょっとどいてー」と大声をかけられることになる。邪魔をしないように・・・。 動画コーナー 場内の様子1 (交差点の喧噪) 交通整理員が役目を果たしているのか・・・?不明. 場内の様子2 (交差点の喧噪)
場内の様子3 (建物内の喧噪)
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The fish market in Tsukiji (outside market)
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| 「築地の魚河岸」は有名である。それは、築地に東洋一の取扱量を誇る中央卸売市場があるからである。中央卸売市場の中を「場内」と呼ぶが、場内では小売りは行わずに仲卸業者へのみの販売となる。個人客は、その市場の隣(中央卸売市場の晴海通り寄り、築地4丁目交差点に向かった側に広がっている)にある「場外」と呼ばれる市場で購入することになる。魚はもちろん、包丁屋、かつお節屋、卵焼き屋、漬け物屋など、さまざまな小売店が並んでおり、アジアチックな市場を形成している。
年末は,人でごった返し,大混雑となる.身動きがとれない. |
End-of-the-year illuminations (at Marunouchi)
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| この「東京ミレナリオ」は、12月24日から1月1日まで開催されていた光の彫刻である。 主催は、東京2000年祭実行委員会(会長 : 稲葉興作 (東京商工会議所 会頭)、名誉会長: 石原慎太郎 (東京都知事)) と東京ミレナリオ実行委員会(会長 : 植松敏(東京商工会議所 専務理事)、名誉顧問 : 木村茂 (千代田区長))との共同で開催されたものである。
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The ‘special dining-room’ and a ‘elevator’ at Nihonbashi TAKASHIMAYA
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| 日本橋にある高島屋。重厚な建物の中に入ると、高級感あふれる大人のデパートといった感じがひしひしと伝わってくる。ジーパンでお買い物がしづらい雰囲気である。休みの日になると(夫が働いている平日の昼にグループで来る人が多いという)、マダムたちがお目当ての高級ブランドを求めてお買い物をし、さらに4階にある「特別食堂」で昼食をとるのがパターンとなっている。 日本橋高島屋には、6階に「お好み食堂」というのがあって、こちらは普通の大衆的な値段(といっても最低でも1000円前後はするだろう)の食事が味わえる。一方で、4階に「特別食堂」などという昭和初期の戦後を思わせるような陳腐的なネーミング(それがかえって良い)の食堂がある。なにが特別かって、メニューが特別なのである。安くても3500円程度の懐石弁当であり、8000円のコースまであるブルジョワジーの食堂である。 照明の落とされた入り口を通ると、クロークに鞄やコートを預け、人数を係りの人間に伝える。机と椅子が並べられている待合室でメニューを見ながら名前が呼ばれるのを待ち、独特のかけ声で名前が呼ばれると席へと案内される。洋食の帝国ホテル、和風割烹の三宮、うなぎの野田岩の3店が入っているが、同じフロアーでそれぞれの料理を注文することができる。まわりを見渡すと、お金持ちそうなマダムたち、ご夫婦、ご家族連れと、みんなみんな上品に見えるから不思議である。おすすめ料理として、うなぎのかさね重(3900円)というのがあり、上段に蒲焼き(天然物であろう)、下段に白焼き(炭火で焼いただけのもの。わさびと醤油で食べる)が入っている膳がある。茶托のついたお茶が3杯も交換された。一度おためしあれ。
もうひとつ、老舗の日本橋高島屋には面白いものがある。それは、かなり年代物の「エレベーター」である。エレベーターの扉は、外側と内側に2枚あるのであるが、内側の扉が真鍮の檻のような格子でできており、じゃらじゃらと音を立てて扉(と言えるのだろうか)を閉めるのである。かつては、日本橋三越や池袋三越にもあったが、メンテナンスが大変であるとのことで、三越では透明なガラス張りの近代的なエレベーターに変えられてしまった。そういった点で、高島屋はえらい! もうちょっと前までは、違った種類の古いエレベーターがあったように思うが、そちらの方はなくなってしまったようである。回数を表示する部分がランプではなく、時計の針のような矢印で表示していた。これらのエレベーターは、世界で最初にエレベーターを発明した「OTIS オーチス」社製のものである。運転はエレベーターガールによって行われ、ハンドルを倒すと扉が閉まり、左に回すと上へ、右に回すと下へ動き出す。ハンドルをあげると次の階で停止するようになっている。
それでは、みなさま、ごきげんよう。 |
![]() 六本木駅前 |
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| やはり六本木は夜の街である。もう正午近いというのに、街の雰囲気はまだ「明け方」と言った感じである。六本木には外国人が多く出没するが、大使館関係の人などのお金持ちの外国人が多いように思う。また、テレビ局の多く存在する赤坂等の都心と芸能人の多く住む目黒・世田谷区の中間地点に位置する六本木は、必然的に芸能人も多く出没するスポットである。
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| 「麻布十番」と聞くと六本木から鳥居坂を下ったところにあるため、芸能人御用達の飲み屋が並んでいて、敷居の高い街に思えるが、江戸時代から続く、下町情緒の残る商店街である。
麻布十番という名の由来にはいくつかの説がある。 1.延宝3(1675)年に江戸幕府が近くを流れる古川の改修工事を行った時、この地点を河口から10番目の工区とし表示の杭が後年まで残り地名になった 地元では「十番」という呼び名が俗名として使われていたが、地番としては残っていなかった。昭和37年に「麻布十番○丁目」などという町名が復活したのである。
麻布十番の面白いところは、一本路地裏にいったところに、ちょっとした小さなお店(飲食店)が存在していることである。マンションの階段を上っていって4階のドアをあけると、個人で経営している多国籍料理店になっていたり、と歩いて見つけるのもまた楽しい。 |
Musashi-Koyama shopping center
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| 東急目黒線武蔵小山駅前から中原街道まで、約750m(都内最長)にも渡って続くアーケード街がある。武蔵小山商店街・パルムである。たびたびテレビでも紹介されている商店街だが、ここに来ると身の回りのものは何でもそろってしまい、ただ歩くだけでも楽しい商店街である。昨今、大型店の出店により、駅前の小さな近隣商店街は苦境にさらされているところが多い中、ここは商店主や組合の努力が功を奏し奮闘している商店街である。 足を踏み入れてみると、商店主の方々の「売ってやろう」というやる気が感じられ、店先に出て呼び込みや店頭販売を行い、商店街の活気を盛り上げている。お互いが刺激しあって、商店街全体を盛り上げている感じがする。その地域を生かすも殺すも、そこに生活して活動している人々の努力の結果なのである。
武蔵小山商店街は目黒区との区界に近い品川区小山・荏原に存在している。目黒区といえば芸能人が多く住む気品の高い住宅地を連想するが、目蒲線(現目黒線・多摩川線)、池上線沿線は、下町的な風情の残る地域となっており、ここ武蔵小山商店街も歩いていると下町的な雰囲気を堪能できる街である。
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Ameya Yokocho (at Ueno Okachimachi)
![]() JR御徒町駅前のアメ横入口 |
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| 「アメ横」を知らない人はいないだろう。大晦日になると必ずといっていいほど、TV中継がされる商店街である。正式にはアメヤ横丁というが、戦後アメリカのものを売っていたことからこの名がついたという。なにしろ、このアメ横は普通の商店街を超越していて、アジア人としての日本を意識せずにはいられなくなる。混沌としたカオス状態なのである。魚屋のとなりに洋服屋があり、乾物屋のとなりでゴルフのクラブを売っている・・・。このアンバランスさと混沌とした状態が、いかにも「アジア」的でエキゾチックなのである。そして、この混沌とした風景に接したとき、なぜかホッとするのは、僕だけではないだろう。やはり、我々はアジアの中の日本人なのである。
アメ横で買い物をするとき注意することがひとつある。それは、「本物を見極める目を養うこと」である。なにしろ値段が安いので、ついつい手を出したくなってしまうが、なかには縫製が甘かったり、鮮度の落ちたカニだったり、バッタものに出くわすことがある。ただ、元々値が安いのを承知で買っているのだから、それはそれとして、買い物を楽しむのがアメ横である。
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| ルビー通り、ダイヤモンド通り、ひすい通り、サファイヤ通り・・・、女性であれば目が輝いてしまうような名前が通りに付けられている。この辺りは、貴金属・宝石の問屋が集まるところであり、別名「ジュエリータウン」と呼ばれている。結婚が決まって指輪を贈るとき、この街で指輪を購入し、近くの韓国人街でキムチを買って、アメ横で夕食のおかずを買って帰るのも悪くはないのでは。
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The Tokyo harbor ferry terminal
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東京港から出港するフェリーは、東京ビッグサイト南側に位置するこの有明フェリー埠頭から出航する。那智勝浦・高知、徳島・新門司とを結ぶ航路が存在するが、かつては北海道の苫小牧、釧路航路も存在していた。現在、北海道へフェリーで向かいたい場合、茨城県の大洗港から室蘭、苫小牧まで向かうことができる。
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Asakusa Kaminari-mon and Nakamise, Koen-rokku
(The town where the Edo culture of old Japan remains)
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| 今の浅草は、外国からの観光客が必ず立ち寄る国際観光地となった趣があり、古き良き東京、江戸情緒を残す街として、賑わっている。昭和初期や戦後時代には、日本の流行発信地として、現在の渋谷・新宿に匹敵するような大繁華街を形成していたが、東京の繁華街は西へ西へと移動していき、斜陽化する浅草をなんとか復活させようと、数々の祭りを催したり、新しいタイプのホテルやビルを建てたりし、往年の繁華街の復権に力を入れている。
浅草公園六区の「六区」とは、明治15(1882)年より始まった浅草公園の築造・整備(全6区画に区分して整備)における区画番号のことである。その中でも第6区画は興行街として整備され、そのまま「浅草公園六区」という名称が東京の娯楽の代名詞のようになったのである。バス停の名称に「浅草公園六区」という名が今でも残されていることに拍手を送りたい。映画館は明治40(1907)年頃から登場し、現在も残る浅草六区の映画街が形成された。
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Tokyo International Airport (Haneda Airport)
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| 羽田空港は、正式には「東京国際空港」という。成田空港は「新東京国際空港」。1978(昭和53)年に成田が開港するまでは、羽田が東京の国際空港も担っていた。 現在の羽田空港は、空港機能の増強と航空機騒音問題を解決するために沖合に移転拡張して大きさを過去の3倍にした24時間空港であり、新旅客ターミナルは1993(平成5)年にビッグバードの愛称でオープンした。年間の離着陸処理能力は約23万回であり、滑走路は新A滑走路(3000m)、新B滑走路(2500m)、新C滑走路(3000m)の3本である。さらに、沖合に桟橋方式の海上空港を建設するよう、東京都が運輸省に要望を行ったところである。首都圏第3空港などの議論が行われているが、東京都心からのアクセスを考えれば、羽田に勝るところはない。
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Baseball Tokyo Giants team championship parade(in Ginza Nihonbashi)
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2000年秋、6年ぶりの日本一、長嶋監督率いる巨人軍の優勝パレードが、大手町から日本橋・京橋・銀座まで走り抜けた。約34万人の人出となったが、何の混乱もなく無事終了した。
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| 白バイの赤ランプがピカピカ光り、一見すると交番のような面構え、ここは警察博物館である。何も悪いことはしていないのに、入るのを躊躇ってしまうのは、僕だけではあるまい。あまりお金がかかっていないような展示の内容であるが、制服の変遷や、警察の歴史、運転シュミレーター、各都道府県警のエンブレム、実物の辞令、鑑識調査の道具、警察手帳などの道具が展示されている。中でも目を引くのが、いままでの殉職者の写真と、その時に着ていた血痕のついた制服、ナイフで切り裂かれた制服(どちらも本物)が展示されており、警察官という任務のシビアな面も感じることができる。わざわざ足を運ぶほどの展示ではないが、銀座に買い物に行ったとき時間が余っているのなら、ちょっと寄ってみるのも悪くはない。中央通り沿い、京橋の首都高速の高架橋下近くに存在する。
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Harumi Futo (passenger liner wharf)
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| 東京の海の玄関にふさわしい建物をと、昭和63年9月より着工し4年の歳月をかけ建設されたのが、晴海客船ターミナルです。近年のクルーズ人口の増加と客船の大型化に対応した先端の技術と安全性、そして斬新なデザインが与えられ、東京港開港50周年となる平成3年5月に完成しました。---
と、パンフレットには書いてある。つまり、2万トン級の豪華客船、にっぽん丸やふじ丸、飛鳥などといった大型客船を係留するための埠頭であり、世界各国の豪華客船や軍船を見ることができる。館内には、今月の入港船一覧表(時刻)が貼ってあるので、お目当ての船があれば、見学することもできるだろう。苫小牧や四国・九州方面へのフェリーは、この埠頭からの出航ではなく、有明にあるフェリー埠頭ターミナルより出航する。晴海埠頭は、あくまでもクルーズ船などの豪華客船が主である。建物は東京都の施設である。
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Scenery from the Uguisudani station

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JR鶯谷駅のホームから撮影した風景である。こう堂々と人目につくところにホテル街があるのは珍しい。普通は、人目につかない繁華街の奥の方に、忽然ときらびやかに姿を現すのがラブホテルであろう。夜になると、山手線や京浜東北線の車窓から怪しいネオンを拝見することができる。
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Den-enchofu (overly high-class residential street)
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田園調布、誰もが一度は住んでみたいと思う憧れの高級住宅街である。田園調布は1923年(大正12年)に田園都市株式会社(現在の東急電鉄)の民間ディベロッパーによって開発されたところである。
ちなみに田調は、世田谷区ではなく大田区である。 |
| アジア最大の歓楽街である新宿。夜の新宿を点景でお伝えします。
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Toden Arakawa Line (only streetcar in Tokyo)
![]() 明治通りを走る都電 新幹線MAXの下をくぐる |
| かつては縦横無尽に都内を走っていた都電であるが、モータリーゼーションの波には打ち勝つことができず、昭和42年~47年までの間に、この荒川線を残して全廃してしまった。この荒川線も廃止の予定であったが、専用軌道が多く代替交通機関がないこと、地元からの強い要望があったことにより、存続することになった。当時は、赤羽-王子-三ノ輪間と荒川車庫前-王子-早稲田間の2系統あったものを、赤羽-王子間を廃止して、1本化したもので、この時に荒川線という名が生まれた。
三ノ輪橋停留所は商店街に埋もれるように行き止まりとなっている場所である。この何とも言えない雰囲気が最高である。都電を降りると下町の商店街が目の前に広がり、小さいチンチン電車は街の中にすっかり溶け込んでいる。関東の駅百選に選定された。
都電が道路の上を走るのは、王子駅前-飛鳥山間と小台-宮ノ前間のみである。小台-宮ノ前間は、道路拡張が進み、もうじき道路中央に専用軌道が完成する見通しである。都電の車体には入口にステップがないので、ホームを設けなければならないが、段差がないので車椅子でも楽に乗ることができる。
都電の運賃は大人160円である。乗るときに160円を運賃箱に入れる前乗り先払いとなる。しかし、朝のラッシュ時には運転手一人では多くの乗客をさばききれないため、朝の王子駅前では、車内にある運賃箱をホームに置いて臨時改札を行っている。
この区間は、飛鳥山と音無川に挟まれているため、専用軌道になる見込みはない。明治通りの6車線の急坂を、車におされながらそろりそろりと走っていく。雨が降ると車輪が空転し、上らなくなってしまうことがある。そんなときは砂をまいて走っていく。 4のつく日には巣鴨とげぬき地蔵の縁日となり、最寄の庚申塚停留所は大混雑する。都電はお年寄りにもやさしい乗り物で、地下鉄のように階段もなくすんなりと乗れるし、手軽に気軽に乗ることができる。世界的にこのようなライトレールの路面電車が見直されているのは、地球にやさしく、人にやさしい乗り物だからである。 線路の脇に勝手口がある、こんな家がたくさんある。この踏切には遮断機も警報機もついていない。まわりが静かなので、電車がやってくると、線路を伝って「カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン…」と段々音が大きくなってきて、電車が近づいてきていることを知る。
下町ばかりを走っているように感じられる都電であるが、早稲田付近ではビルの林立する中をとことこ走っていく。サンシャイン60をバックに都電は快走する。
チンチン電車とは、発車するときに「チンチン」と鐘がなることに由来する。もともとこのベルは、車掌さんが運転手さんに「乗降が終わって発車してもいいですよ」という合図を、紐を引っ張って鳴らしていたもので、車掌がいなくなってワンマン化された現在、あっても無くてもいいベルなのであるが、自動の電動ベルを車内に取りつけて、いまでも「チンチン」と鳴らして走っている。自動化してまでもこのベルを残そうと決断した当時の担当者(都の交通局か)にはユーモアと生きることに対するゆとりがあるように感じる。 |
Pedestrian paradise (driveway only for pedestrians)
![]() 秋葉原電気街の歩行者天国(中央通り) |
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子供の頃、車を通行止めにして車道の上を歩行者が歩ける歩行者天国を見て、なんてすごいことができるのだろうか、と感慨にふけった記憶がある。これこそ中心市街地活性化の一番の切り札であり、もっともっと導入されるべき施策である。
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The open space in front at the Akihabara station
(the Kanda vegetable and fruit market former site)
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| JR京浜東北線や山手線の車窓から見た覚えのある光景だろう。ここにはかつて、神田青果市場(現在は大田市場に移転)があったところで、その跡地には、広大な駐車場と広場がつくられた。その広場では、時々イベントなどを開催しているのだが、それ以外の日には、スケボーを練習する若者やスリーオンスリーをやる若者など、どこからともなく若者が集まって汗を流している。 考えてみると、東京の都心部では、このように自由にできる平たい空間はなくなってしまっている。この光景は、都会の中のヒトこまとして、非常に印象に残るものである。 また、ここに集まってくる若者達は、見られることを意識しているのかもしれない。大勢のギャラリーはいないのであるが、電車からは丸見えだし、通行人からもよく見える。あまり下手くそな人は恥ずかしくて、ここでは遊べないかもしれない。 なお,現在は再開発工事が始まり,広場はなくなって立体駐車場となっている.
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