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伊勢丹の(旧)紙袋 【東京考察#228】

Isetan Co., Ltd.’s paper bag (Old version)


伊勢丹の紙バック(タータンチェック柄)


 伊勢丹は1886(明治19)年に神田旅籠町に伊勢屋丹治呉服店を創業したのが始まりで,その後百貨店へと変化し,伊勢丹となったのは1930(昭和5)のことである.流行のファッションをリードするアイテム・品揃えと店員さんの質の高さには定評があり,人気のある老舗百貨店の一つである.高島屋,三越,伊勢丹,松屋などなど・・・老舗百貨店で買い物をすると,その店の紙バックがもらえるが,その中で私が最もお気に入りなのが伊勢丹の紙バックである.
ちまたでは「伊勢丹チェック」などとも呼ばれているタータンチェック柄であるが,正式にはマクミラン・アンシェント・クラン・タータン(MacMillan
Ancient Clan tartan)という柄で,この紙袋は黄色の紙に赤と緑の2色刷で印刷されているのだとか.
まず,色合いが好きである.黄色と赤という取り合わせが暖かみを出してくれる.また,メンズ館の紙バックは緑と群青に色合いが変化した紙バックで渡される.それから,手提げの部分が「ひも」になっているところも高級感があっていい.新宿の街を歩いていると,高島屋の花柄の紙バック,三越の白を基調とした中央に青と赤い色が入った紙バックとともに,伊勢丹の紙バックをもって百貨店をはしごしている人が多い.

大小並べてみました

この手提げ部分が紐状になっているのがいい

メンズ館の紙袋 この色合いも渋い
紙バックは,この柄の他にも,単色バージョンもあります.

クリスマスバージョン
(Christmas at Home)


包装紙はこちら


新宿伊勢丹(本店)の外観

祝賀山車フェスティバル[福島市制施行100周年記念事業]

福島市制施行100周年記念事業のひとつとして,市内各所に存在している山車(だし)を駅前中心部に集結して練り歩く「祝賀山車フェスティバル」が2007年6月30日の夜に開催された.合計38台の山車(だし)が集結した.山車とは祭礼の時に飾り物をして引き出す車のことで,もともとは「出し物」の意で,神の依代として突き出した飾りに由来するのだという.国道13号線を全面的に通行止めにして祭りが行われ,市内各町内の山車が国道13号線に集結して,大きなかけ声と太鼓の囃子とともに練り歩く様子は,大いに盛り上がるものであった.
各町内の山車は色々な形,そしてお囃子のリズムがあって面白い.街路樹の樹木に当たらないように,山車の先端の部分をいちいち折りたたむのは,見ていて大変そうであった.山車の提灯の灯りも,発電機を積んで電球にしているものや,本物のロウソクを灯しているものなどあって,ロウソクを灯しているものは,ゆらゆらと光りが揺れるので風情が感じられるものである.旧長崎屋前の交差点では,最後に飯坂温泉の3台の山車による飯坂ケンカ祭り(岸和田のだんじり祭りとともに日本三大ケンカ祭りのひとつとされており,毎年10月第1土曜日に開催されている)のぶつかり合いも再現され,迫力ある山車の押し合いが見られた.

(撮影年月日:2007(平成19)年6月)


これから始まる祭りに向けて,準備している山車.国道13号を全面的に通行止めにして行われた.

駅前にある「中合デパート」では,クリアランスセールバーゲンの宣伝も行っていた.これだけ人が集まるのだから,絶好の広告チャンスである.普段の土日もこれだけ人出があればいいのにと思う.

矢剣町の山車.山車の上には人が乗っている.太鼓とお囃子が祭りを盛り上げる.

旧長崎屋の2階デッキ部分には,山車をみるための人だかりができていた.

土湯温泉のこけし山車.「かわいらしい」と評判だった.

国道13号にずらっと揃って練り歩いている.いろいろな山車があって面白い.

日が暮れると,提灯の灯りがより映える.

この山車は,街路樹を通るたびに,上に伸びている提灯を折りたたんでいて,練り歩くのには大変そうだった.

提灯がぞろぞろ.

飯坂ケンカ祭りの山車.両者の山車がぶつかり合ったところ.

都庁の展望台(西新宿) 【東京考察#227】

Tokyo Metropolitan Government’s observatory (shinjuku)


都庁を下から見上げる


 都庁は,平成3年に丸の内(現東京フォーラム敷地)から新宿副都心の現在の場所に移転したもので,都庁舎の竣工は平成3年3月,第一本庁舎,第二本庁舎,都議会議事堂からなっている.第一本庁舎の高さは243m(地上48階)で,しばらくの間は,かつて日本一だったサンシャイン60を抜いて日本一の高さだったのであるが,横浜のランドマークが完成してからは,日本一の座を明け渡して「都内一」の高さを誇っていた.ところが,六本木の東京ミッドタウンが完成してからは,都内一の座も明け渡すこととなったが,展望台への入場は無料ということもあり,高いところから手軽に東京を眺められるスポットとして,多くの人が訪れている.
展望室のあるところは第一本庁舎の45階,高さ202mである.第一本庁舎は,上層部にいくと北側と南側に分離されるようになっており,展望台も「北展望台」と「南展望台」の2カ所存在している.それぞれは展望室では行き来することができないので,1階の展望室行きエレベータに乗るときに北側に行くのか,南側に行くのかを選択しなければならない.
開館時間は,9時30分~23時までとなっており,夜遅くまで夜景を楽しむこともできる.ただ,17時30分以降オープンしているのは展望室フロアの一部でバーを営業している北展望室のみである.閉館日は火曜日であるが,南展望室と北展望室を交互に閉めているので,どちらかの展望室には入れるようになっている(点検日などの例外を除く).また,南展望室の一部をイベントなどの会場として、有料で利用することもできるようになっている.

展望室(45階)行き直通エレベータ
入口で荷物のチェックがある.このエレベータは結構遅い.
北展望台と南展望台では乗り場が違う.

銀座「博品館」のお土産ショップがある
 
無料で入れるのも魅力のひとつ

眼下には,首都東京の巨大な街並みが広がる
  
眺望三連発
 
展望室にはカフェ&バーがある
昼はカフェとして,夜はバーとして23時まで営業している
ピアノまで置いてあって,なんか本格的で役所的ではない

下りのエレベータに乗るのにも行列する

お土産屋に,王貞治や長島茂雄のブロマイドとともに石原裕次郎も置いてあった.
せっかくだから都知事石原慎太郎氏もあれば面白いのでは.
右に映っているジオラマ東京(鳥瞰図)は人気商品のひとつ


1階には「東京観光情報センター」があり,
国内外から東京を訪れる人のために
さまざまな種類の無料パンフレットが置かれている.

国立新美術館(六本木) 【東京考察#226】

The national new art museum (Roppongi)


国立新美術館

防衛庁は,現東京ミッドタウン


 国立新美術館は,1923(昭和3)年に旧陸軍第一師団歩兵第三連隊新兵舎として建設され,戦争が終了してからは,東京大学生産技術研究所として利用されてきた跡地に建てられたもので,2007(平成19)年1月にオープンした.東京大学生産技術研究所は駒場に移転している.独立行政法人の国立美術館としては5番目の美術館で,特定の美術品を所蔵せずに,国内最大級の展示場(延べ14,000m2)を有し,展覧会会場の提供や自主企画展などを実施している.
建物は建築家黒川紀章氏による設計で,外観は前面を覆うガラスカーテンウォールが波のようにうねって曲線を描いている.10を越える展覧会が同時並行で開催できるよう,作品の搬出入において機能性を重視し,バリアフリーへの対応も行っている.

美術館建物内への入口

最上階までは吹き抜けになっている

椅子と机が置いてあり,休憩をとることができる
 
曲線でうねる外壁・ガラスカーテンウォール
施工するのは大変だっただろうと想像する
右側写真の逆円錐の上の部分にはレストランやカフェがある

展示室側の壁は木目調

エスカレータの上階より撮影

やっぱり,ここにも「竹」が.

館内には,1つのレストランと3つのカフェがある.
ここは,フランスの三ツ星レストラン『レストラン ボキューズ』
初の海外進出だとか.

資料室「アートライブラリー」があって,誰でも利用することができる

地下1階はミュージアムショップ
 六本木には三角形を描くように3つの美術館が位置するようになり,この「国立新美術館」,東京ミッドタウンの「サントリー美術館」,六本木ヒルズの「森美術館」の3つのことを「六本木アートトライアングル」と称して,六本木をアートに親しめる街にしていくことを目指している.六本木ヒルズと国立新美術館との間には,無料のシャトルバスが運行されている.

東京ミッドタウン(六本木) 【東京考察#225】

The Tokyo midtown


六本木の新たな名所
「東京ミッドタウン」
地図が古いので「防衛庁」のまま
ちなみに,西側の東京大学生産技術研究所は
今は「国立新美術館」となっている


 東京ミッドタウンは,六本木の旧防衛庁跡地(防衛庁は市ヶ谷に移転)で行われた再開発であり,2007年3月30日にグランドオープンした.現在,日本で行われている再開発の中で最大規模の事業となり,隣接する檜町公園を含めた敷地面積は10.1haにもなる.事業者は,三井不動産・全国共済農業協同組合連合会・明治安田生命・富国生命・積水ハウス・大同生命となっており,マスターアーキテクト(全体建築計画)にアメリカの総合建築設計事務所スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリルを起用している.
再開発のコンセプトは,世界中の人や企業が交流できる「職・住・遊・憩」が高度に融合された街づくりで,敷地内には完成によって都内で最も高いビルとなるミッドタウンタワー(高さ248m)を中心として5棟のビルが建設されて,オフィスあり,商業施設あり,ホテルあり,住宅あり,文化施設ありの,今流行の複合再開発となっている.
六本木駅を中心に,六本木ヒルズとは対角線上に位置しており,国立新美術館とのトライアングル回遊によって,六本木全体の相乗効果も期待できるものとなる.実は,地名上は六本木ではなく,赤坂9丁目に位置している.

地下鉄六本木駅と直結している
こちらもすごい人出であった

東京ミッドタウンも「和」を意識したインテリアとなっており,
天井は木目を使用したものとなっている.
 
天井に水が流れている
この水の流れによって,差し込んでくる陽の光が
ゆらゆらと幾何学的な色彩となって
面白い光りの演出となっている.夏は涼しそう.

上から見ると,このように涼しげな水の流れとなっている.

1階の「プラザ」へ通じる空間
竹を使用しているところが「和」となっている

「プラザ」には大型のビジョンがある

 
商業施設の入る「ガレリア」
4階吹き抜けの空間となっており,木目を基調とした色彩になっている.
木目調は,暖かい温もりを感じる色彩である.
 
この吹き抜けにも「竹」があった

英語クラスもある料理教室

白の空間となっている
「ビューティー&ヘルスケア」

サントリー美術館入口

さすが六本木.外貨両替の窓口があった
最近は,東京でもようやく外貨両替窓口を見かけるようになった

24時間オープンの「スーパーマーケット」
東急ストア系列である


レストランは大行列なので,
先ほどのスーパーで弁当を買って昼食を外で食べた.
 
外では,座って休むことができる

檜町公園
再開発前からあったこの公園は,
地元住民の参加によって整備案が決定した.
 
動きのある噴水があって面白い
子供が触ることもできる.
 
ガーデンテラスのレストランは人気が高いとか
メキシコ料理店では,生演奏のサービスがあるとか.
 
いろいろな角度からミッドタウン

ミッドタウンタワーは,都内で一番高い建物となるが,
展望台は設けられておらず,上からの眺めを楽しみたいときは,
上層階で営業しているホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」を利用する.

何じゃこれ?

色々と面白い演出もあるのが,東京ミッドタウン!


浜離宮恩賜庭園 【東京考察#224】

The Hama-rikyu royal gift garden


中島の御茶屋と大泉水


 浜離宮庭園は,江戸城の出城としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園だったところで,明治になって皇室の離宮となり,昭和20(1945)年に東京都に下賜され現在に至っているものである.徳川時代には,鷹狩り場や鴨場が整備され,別邸を建てたりし,現在の姿の庭園になったのは,11代将軍の家斉の時だという.関東大震災や戦災によって大部分は損傷したが,その後の整備によって現在の姿になって公開がされている.近年は,汐留の再開発によって庭園近隣に超高層ビルが林立するようになり,公園からの景観が一変している.賛否両論あるようだが,自然の緑の背景に,このダイナミックな背景も面白いように感じる.周辺は,江戸時代には想像できなかった景観が広がっている.
 
浅草からやってくる「水上バス」で入園することもできる
アプローチが面白くてお奨めである.

横堀水門
浜離宮の池の特徴は,海水を引き入れた池となっていることにある.
潮の満ち引きによって水位が変わるが,その海水を引き入れる水門.

新樋の口山

東京湾側の海岸線
 
鴨場に設けられているのぞき穴
鴨場の池から小さな引掘り(写真右)が掘られており,
この土手の「のぞき穴」から覗きながら,
エサやアヒルで鴨を引き寄せて,すくい上げるという猟.

緑の中を歩くと,やっぱり心が安らぐ
都心にいるとなおさら強く感じる

「潮入の池」と「汐留シオサイト」の再開発
真ん中に見える建物は「中島の御茶屋」
このコントラストは,新たな都市景観として面白い.
潮入の池は,江戸の庭園では唯一現存する海水の池である.

御茶屋では抹茶セットを飲むことができる
お手前など堅苦しいことは不要.
とりあえず正座して,それなりの飲み方でOK.

お手伝い橋
総檜造りの橋で,平成9(1997)年に架け替えられたもの

馬場跡
馬を走らせる馬場の跡地

芝とビル
 
内堀
現在,潮が引いているときであり,
水位が下がり,どんどん水が外に流れていた

三百年の松
徳川6代将軍の家宣が植えた松

お花畑では菜の花やコスモスが咲き誇る

新橋駅からは大手門橋を渡り,大手門から入場する
入場料大人300円 9時から17時まで

谷中銀座 【東京考察#223】

Yanaka Ginza


休日には観光客で賑わう谷中銀座


 近年,下町情緒の残る街として脚光を浴びている「谷根千(やねせん)」である.谷根千とは,地名の谷中・根津・千駄木の頭文字をとって付けられたもので,昔の東京の面影を残す下町の路地裏に,小さな店や施設が点在しており,マップ片手にブラブラ歩くと新たな発見があったりして面白い.その谷根千の中にある商店街が「谷中ぎんざ」である.日暮里駅を降りて歩いていくと谷中銀座にたどり着くが,お寺,煎餅屋など,下町風情の香りが伝わってきて,谷中銀座では名物の谷中メンチを頬張って,ポカポカ陽気の下町をふらっと歩いてみるのもまた楽し.

JR日暮里駅
駅の西側は武蔵野台地となっていて,そこはもう谷中である

木陰で客待ちをする人力車

下町に必ずあるせんべい屋
もちろん1枚から買える.色々な種類のせんべいがある.

こちらは佃煮屋
大皿から量り売りする.
 
「経王寺」
慶応4(1868)年の新政府軍の攻撃を受けて,
この山門に今も銃弾痕が残っていることはあまり気づかれない.

ツツジが満開の延命院

だんだんと「谷中ぎんざ」が見えてきた

「夕やけだんだん」の階段を下りると,谷中ぎんざが広がる
ここから眺める夕焼けは絶景だという 命名は作家・森まゆみだとか

「夕やけだんだん」
谷中という地名は,台東区に位置するのであるが,
この階段は,荒川区西日暮里にある.
谷中銀座の中に区境があって,
行政区名上は荒川区西日暮里と台東区谷中が混在している.

飴(あめ)屋
 
狭い商店街,最近の谷根千ブームで人出が多い
カフェ有り,雑貨あり,肉屋あり・・・・
 
谷中名物のひとつに「谷中メンチ」がある
もともとはお肉屋さん.1個100円


「谷中ぎんざ」を抜けると「よみせ通り」となる

谷根千の魅力は,路地裏をブラブラ歩くことにある

福丸の10円まんじゅう

台東区循環バス「東西めぐりん号」も
人を避けながら路地裏を走っていく
いまはやりのコミュニティーバス

地下鉄千駄木駅に到着
(団子坂下交差点前)
明治時代は菊人形の名所だった.

東京国立博物館(上野) 【東京考察#222】

Tokyo National Museum


東京国立博物館


 東京国立博物館の歴史は古く,明治5(1872)年に文部省が湯島聖堂で最初の博覧会を開催したのが博物館としての始まりで,その後,明治15(1882)年に上野公園に移ってから,現在に至っているのが,東京国立博物館である.
展示館は,「本館」「東洋館」「平成館」「法隆寺宝物館」「表慶館」の5つに分かれており,全ての展示を見ようと思ったら,丸1日がかかるほど,ボリュームのある博物館である.国立博物館だけあって,常設展示されている本館の「日本ギャラリー」では,国宝や重要文化財などの展示品が紹介されており,日本文化を知る上では欠かすことのできない博物館である.彫刻,陶磁,刀剣など,日本に訪れた外国人観光客の方にとっても,興味深い展示である.
入場料金は大人600円と大変安いが,特別企画展などがあると料金は高くなる.時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)となっているが,特別展によっては金曜日は20時まで延長したり,土日は18時まで延長したりしており,夜までゆっくり鑑賞することも出来る.ちなみに,上野駅から歩いてくるよりも,実は鶯谷駅から歩いてきたほうが近い.しかし,鶯谷駅からは裏道を歩いてくる感じで,案内板などがないので,鶯谷駅から来る場合は地図などを見ながら歩いてくることをお奨めする.


入口正面にある「本館」
 現在の本館は,昭和13(1938)年に昭和天皇の即位を記念して開館したものである.渡辺仁設計で,コンクリート建築に瓦屋根をのせてた「帝冠洋式」の代表建築といわれており,平成13(2001)年に重要文化財に指定されている.この本館では,日本ギャラリーとして日本の美術,工芸,歴史資料などを展示しているが,企画展示室も設けられている.2007年ゴールデンウィークの時はレオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」が特別展示されていた.

本館内部 重厚な雰囲気である

本館から後ろの正面入口の先に広がる上野公園
 
人気のある企画展では行列ができる

日本ギャラリーでは兜も展示されている
撮影禁止マークが付いていなければ撮影OKである

本館から見える茶室

新しい「平成館」
平成館は,皇太子殿下のご成婚を記念して平成11(1999)年に開館したものである.1階は考古展示室,2階は特別展が開かれる展示室となっており,講堂なども備えている.

1階から2階へ向かうフロアー
こちらも重厚な感じに造られている

ラウンジにはドリンクコーナー(自販機)もある
京菓子の老舗・鶴屋吉信のあんみつを売っていた

エントランスから本館へ向かう通路


最も古い建物である「表慶館」
 東京国立博物館では最も古い建物で,大正天皇(当時は皇太子)のご成婚を記念して明治42(1909)年に開館したものである.日本における最初の本格的な美術館で,設計はJ.コンドルの弟子である片山東熊,中央と左右にドーム屋根があり,上部の外壁には製図用具や工具・楽器などのレリーフがある.昭和53(1978)年に重要文化財に指定されている.かつては通常の展示を行っていたが,改装が終わった2007年4月より教育普及活動を行う場所となっている.
 
中央ドームの内部
 
展示室 シンプルなシャンデリアがかえってよい


「法隆寺宝物館」
 かつては週1日だけの公開だったのであるが,平成11(1999)年に現在の新宝物館がオープンしたことにより,毎日公開されるようになった.法隆寺宝物館は,法隆寺献納宝物をまとめて保存展示する展示館として,昭和39(1964)年にオープンしたもので,お釈迦様などの像がずらりと並べてある.1階にレストランがある.


本館の右となりにある「東洋館」
 東洋館はアジアギャラリーとなっており,中国や朝鮮半島,東南アジア,インド,エジプトなど東洋の美術と考古物を展示するものとして昭和43(1968)年に開館した.ミイラなどが展示されている.内部は吹き抜けになっていて,半階ずつ上がっていく展示室になっているという.(夕刻になり時間がなくなってしまったので,内部には入らなかった)

東京国立博物館HPを参考に作成しています

新丸の内ビルディング 【東京考察#221】

The Shin-marunouchi building


オープンしたばかりの
新丸の内ビルディング

 


 2007年4月27日に,新しく生まれ変わった新丸ビルが誕生した.「新丸ビル」と頭に「新」がつくので,かつては「丸ビル」と呼ばれていた建物を新しく建て直したように思うかもしれないが,そうではなく,この場所にかつて建っていたビルも「新丸ノ内ビルヂング(昭和27年竣工)」と呼ばれていて,そのビルを新しく再開発したものが,この新丸の内ビルディングである.丸ビルは,新丸ビルの道路を隔てた南隣りに建っており,こちらは,一足早い2002年9月に再開発ビルとしてオープンしている.
もともと,この丸の内一帯は,明治時代に欧米のようなビジネスセンターを建設する構想を,軍用地の払い下げを受けた三菱財閥によって進めらたところで,旧丸ビルは大正12(1923)年に,旧新丸ビルは昭和27(1952)年に完成した.かつての丸の内地区では,高さや看板の規制により,統一したスカイラインのある景観に優れたビジネス街が形成されていたが,規制緩和によって高層ビルが建てられるようになり,建物の老朽化もあって,このような新しい再開発が次々と行われているのが,今の丸の内地区である.
新丸の内ビルディング(三菱地所)は,地上38階,高さ198mで,かつての新丸ビルの高さである31m以下の低層部の商業ゾーンと,高層部のオフィスゾーンに分かれている.新丸ビルでは,丸ビルのように最上階部への商業施設は設けていない.商業施設は,30代から40代の大人をターゲットにしているとのことで,インテリアも落ち着いていて,大人の雰囲気を演出する空間となっている.なお,丸ビルも新丸ビルも,商業施設のオープン時間は午前11時からなので,お間違いなく.
 
地下道(地下鉄の駅)から直結している
 
1階のエントランス

電球色の柔らかい照明が空間を暖かくさせている
木目を使用するのが,最近のインテリアの流行のようである

こちらも地下1階の飲食店街
 
壁に掛けられているスタンド照明がいい

このように床も木の素材が使われていて,
木の温もりと照明の電球食によって,和やかな雰囲気となっている

各フロアーにはソファーが設けられている
疲れたら足を休ませることができる
 
上階のレストラン街
明るい光りが入ってくる

店舗の窓からは,隣のオフィスビルが見える

アフタヌーン・ティー・ルームからは
皇居の緑を眺めることができる
 
2階フロアーからは
東京駅の赤煉瓦駅舎を眺めることができる
3階建てへの復元工事が行われる

その景色の拡大版
背後に見えるビルは八重洲口の再開発ビルで
東京駅周辺は超高層ビルの開発ラッシュである

2階から1階へ下るエスカレータより撮影
アーチの空間と照明がレトロな感じでいい

1階入口側から見たフロアー

この低層部の建物の高さが,
かつての新丸ビルの高さである31mとなっている
つまり,昔の高さ規制の限界値
商業施設は,この低層部に入っている

昔の東京駅丸の内口は,休日にこれだけの人出はなかった

春の花見山~福島の桃源郷~

春になると全国から人々が集まってくる花の名所が福島市にある.その名も「花見山」.写真家の故・秋山庄太郎氏が「福島に桃源郷あり」と毎年訪れていたという場所で,全国各地からカメラマンが数多く訪れている.桜をはじめ様々な花が咲き乱れており,ロウバイ・ウメ・サンシュユ・マンサク・レンギョウ・サクラ・ハナモモ・ボケ・モクレンなど,次々と花が咲き続いていく.
花見山は,福島市中心部から南東約4kmにあり,昭和の初め頃に養蚕の合間に花木を育てて,それを販売するようになったのがきっかけで,花木を増やしていくようになった.農家の方が「きれいな花を皆さんに楽しんでもらいたい」という善意により,昭和34年から土地を開放しているのが花見山であり,入場無料,春の里山からは吾妻連峰も見られ,まさに福島の桃源郷なのである.

(撮影年月:2007年4月)


新幹線のりかえ口には,「花見山は東口方面へ」と手書きで書かれた案内板が掲示されていた.一度のりかえ用の自動改札を通り過ぎ,在来線のコンコースを歩いて,東口へ向かう.

「ようこそ,花もみもあるふくしまへ」福島駅コンコースもサクラで満開

春のシーズンになると,
花見山までの臨時バスが運行される

2010年の臨時バス運行予定
3月27日(土)から4月30(金)まで

毎日運行している路線バス案内はスクロールして最下段をご覧ください

午前9時前だというのに,バス乗り場はこの行列! 臨時手荷物預かり所もあって,手ぶらで花見山散策を行うことも出来る.

花見山号の臨時乗車券.片道250円 往復500円.往復を買うと,帰りの周遊バスでは乗り降り自由となる.(写真2007年は片道230円であった)

臨時バスの運行は,3月末から4月末にかけての時期である.運行本数はかなり多くて,1時間に3本程度走っている.

花見山号の臨時バス

サクラにラッピングされたバスがやってくる.車内でも,花見山などに関する案内テープが流されて,観光客には嬉しい心配りがされている.

春のシーズンになると,大型バス駐車場にはずらりとバスが並ぶ.渡利地区の狭い住宅地の中を縫うように走ってくるので,周辺住民の方に感謝する次第である.

駐車場脇には,ちょっとした物産を販売するところがある.仮設トイレも設置されている.

正面に見えているのが「花見山」.駐車場からはちょっと歩いて向かう.

だんだんと,サクラが咲き乱れるようになってきた.

三脚を持ったカメラを担いでいる人も多くみられる.それぞれの構図で,花を撮影している.

とにかく人出が多い.でもサクラは美しい.

いろいろな色が競演している

黄色のレンギョウも.

菜の花も咲き乱れ

一眼レフの本格的なカメラを抱えて,最高の一瞬を求めて,ファインダーをのぞく.


ここからが,花見山公園なのである.
ここまでは,民地に咲き誇っていた花を,道路から眺めていたもの.

ふもとでは,無料で杖・ステッキを貸し出している.黄色い服を着た人は,ボランティアガイドの方々である.登山道の分かれ道などに立っていて,案内をしている.

花見山は「山」である.
頂上まで行くルートは,60分で戻ってくるコースとなっている.ハイヒールではちょっと無理!

サクラのトンネル

左上に小さく写っている「あずま屋」が頂上.あともうちょっとである.

頂上からの眺望.福島市街が一望できる絶景である.


路線バス案内(毎日運行)
福島駅東口8番乗り場より「渡利南回り」行き(1時間に1本程度)
「花見山入口」バス停下車:徒歩20分程度(住宅地の細い道を歩いていきます)

お秀茶屋(奴郎ヶ前の味噌田楽)【会津考察#7】

Ohide-chaya(The miso dengaku)


歴史のある田楽・お秀茶屋
営業時間:10時から17時頃
(材料がなくなったら終了)

 


 お秀茶屋の味噌田楽は,無性に食べたくなるときがある.若松にきたときは,時々立ち寄って食べている.
「お秀茶屋」は,創業が延宝年間(1673~80年)の歴史ある茶屋で,東山温泉に向かう東山街道沿いにある.なんといっても,名物は甘い味噌を塗って囲炉裏でじっくりと焼き上げる「田楽」で,自家製餅・揚げ豆腐・身欠きにしん・こんにゃく(秋は里芋となる)の4種類6本の田楽セット(735円(2007年現在))となっている.田楽は,戦国時代において,串に刺して田圃などで焼いて食べたのが始まりと言われており,田楽という言葉も,田圃で食べる楽しみというところから付けられているという.この店には,山下清画伯が度々訪れていたといい,現在でも,有名人が数多く訪れて,店内には写真やサイン色紙が貼られている.
ちなみに,奴郎ヶ前と書いて「やろうがまえ」と読む.お店には「元祖・奴老ヶ前」と記されていて,「老」の字が用いられている.

店内の様子.暖かいときは,池の鯉を眺めながら,
縁側で食べることもできる.

壁に貼られているメニュー
田楽の他にも,くるみ餅やそばなどもある.
田楽だけでは物足りない場合は,ソバも一緒に注文すると良い.

田楽は,囲炉裏の炭火で焼かれる
ご主人は16代目.

これが,田楽セット
素朴な味わいで,時々無性に食べたくなる味なのである.
串が炭火ですすけているところも,「普段着のまま」といった感じでよい

ざるそばもあります.
柔らかいそばといった感じ
 
店の脇にある狭い道路を登っていったところに
専用の駐車場がある.

その道路脇にはお地蔵さんがある
かつて,近くの河原には会津藩士用の処刑場があった
罪人達の供養のために設置されたものが残っている
(参考文献:新寿堂HP

【公共交通案内】
●まちなか周遊バス「ハイカラさん」  若松駅→鶴ヶ城→奴郎ヶ前→飯盛山→若松駅(逆回りなし.8時~18時頃.30分間隔)
●飯盛山・鶴ヶ城循環(飯盛山先回り) 若松駅→飯盛山→奴郎ヶ前→鶴ヶ城→若松駅
●鶴ヶ城・飯盛山循環(鶴ヶ城先回り)  若松駅→鶴ヶ城→奴郎ヶ前→飯盛山→若松駅

赤羽台団地(その2) 取り壊される団地群 【東京考察#220】

The Akabanedai housing complex part.2


取り壊される21号棟

 


 赤羽台団地(その2)では,赤羽台団地の建て替え事業によって,間もなく取り壊される建物群と,新しく生まれ変わったヌーヴェル赤羽台の建物を紹介する.2部構成で作成しており,(その1)では現在も入居されている建物群をお送りしている.
昭和の高度経済成長の象徴のような赤羽台団地も,老朽化によって建て替え事業が行われており,順次取り壊しが進んでいる.既に,赤羽台西小学校側にあった27~32号棟は取り壊されて真新しい賃貸住宅が建っている.16~26号棟も既に入居者の退去が済んでおり,人々のいなくなって鼓動が止まってしまった団地群が,取り壊される日をひっそりと待ち偲んでいる.昭和の一コマがまたひとつ消えてしまうようで,ちょっと寂しい感じもする.
 
団地の案内図
左が昔ながらの手書きの案内図で味があって渋い.


16~26号棟は,赤羽台団地建替事業(第Ⅰ期2ブロック)が着工されるため
平成19年1月より仮囲いによって通行止めとなった.
平成22年3月までの予定.
 
非常にインパクトのあった21号棟
他の住棟とは直交に配置されているため,
プライバシーを保つために廊下の壁を高く設置しているという.
右の写真を見てみると,確かに外からは見えにくい廊下である.
 
21号棟は既に入居者が退去し,
あとは取り壊される日を,ただ静かに待ち偲んでいる
 
入口が閉鎖されている25号棟
階段が横向きである
ダストシュートもある

正面は21号棟
右は25号棟

26号棟も空っぽである

手前から順に,24・23・22号棟
24号棟は,側面にベランダがついており,
23号棟は,側面に焼却炉がついており,
22号棟は,側面になにもついていない.
これを見ても,様々な設計の建物が建てられていることがわかる

16号棟 関係者以外立ち入り禁止

仮囲いで隔離された22号棟

 
かつての27~32号棟だったところで行われた
第Ⅰ期1ブロックの建替事業で建て変わった賃貸住宅
モダンなデザインの住宅である.(ヌーヴェル赤羽台)

入口はオートロックセキュリティー

「ヌーヴェル赤羽台」のモデルルーム
賃貸住宅であり,月額169,400円からだとか・・・・・。

団地内にある「あかいとり幼稚園」

桜が満開であった.
参考文献:「僕たちの大好きな団地」,洋泉社,平成19(2007)年4月

赤羽台団地(その1) 区内初の大規模団地開発 【東京考察#219】

The Akabanedai housing complex part.1


赤羽台団地

 


 知る人ぞ知る「赤羽台団地」である.
赤羽台団地は,旧陸軍被服本廠跡地であり国有地だったところを,当時の日本住宅公団(現在:独立行政法人都市再生機構)が団地開発したもので,1963(昭和38)に完成した.全戸数は3373戸,東京23区内で初めての大規模団地として知られ,単身者から4LDKファミリータイプまで幅広いユーザーをターゲットにしており,団地設計も当時としては様々な新しい試みを取り入れていることから,団地開発のモデルとして色々な形の団地や,住棟・公園の配置設計を見ることができて興味深い.
公団の団地は,洋式のダイニングキッチンや洋式トイレなどを備えたモダンな住宅で,当時は憧れの住まいであり,入居当初の倍率は高かったようである.賃貸住宅の家賃は当時の大学卒初任給と同じ程度するもので,高額所得者の住む団地であった.
この昭和の高度経済成長の象徴のような赤羽台団地も,老朽化によって建て替え事業が行われており,順次取り壊しが進んでいる.既に,赤羽台西小学校側にあった27~32号棟は取り壊されて真新しい賃貸住宅が建っている.16~26号棟も既に入居者の退去が済んでおり,人々のいなくなって鼓動が止まってしまった団地群が,取り壊される日をひっそりと待ち偲んでいる.昭和の一コマがまたひとつ消えてしまうようで,ちょっと寂しい感じもする.
写真の掲載量が多いので,2部構成でお送りする.(その1)では現在居住者のいる建物群を,(その2)では取り壊される建物群と新しく出来上がった建物を紹介する.
 
まずは,団地の案内図
左が昔ながらの手書きの案内図で味があって渋い.
下は新しいもの.(クリックすると拡大)

JR赤羽駅から歩いてくると赤羽台トンネルが見えてくる
その上に広がっているのが赤羽台団地.
トンネル脇に団地へ向かう階段がある.
シンボル的存在のスターハウス49号棟がお出迎え

これが「スターハウス」49号棟
団地の配置計画を行うときにポイントとなる場所に建てる住棟のことをポイントハウスと呼んでいるが,スターハウスは,そのポイントハウスの一種で,1フロアー3戸のY字型をしている建物である.非効率な形状をしており,近年はほとんど建てられなくなったが,公営の集合住宅の歴史を語る上で,スターハウスは外せない存在である.赤羽台団地では,駅から団地にかけて存在する崖線の頂上に,8棟のスターハウスを建てており,高台にスターハウスを並べることによって景観上のアクセントとしている.
 
左:裏側から見たスターハウス
右:8棟連続で並ぶスターハウス

緑地と6・8号棟
この公園(緑地)の下に赤羽台トンネルの道路が走っている
赤羽台トンネルは,団地を分断する都市計画道路をどうするかで議論が続き
最終的には現在のトンネルの形で決着がついた経緯がある.
 
14・15号棟
5階建ての住棟である
階段の向きが横向きになっている

4・6号棟
こちらの階段の向きは,よく見かける縦向きである.
 
50号棟の1階にある「赤羽台団地商店街」
赤羽駅前のイトーヨーカドーなどに押され気味の感が否めない
 
50号棟の廊下は,片廊下式であるが,室内式となっている
冬は暖かくて良さそうである

50~53号棟は,□型に囲まれていて,中心に公園を配している
写真は,エレベータ棟を境にして左が53・右が52号棟.
1階に診療所や郵便局がある.
左側の53号棟は単身者用の住宅で,トイレと風呂は共同だとか.

53号棟の脇の階段は,天気がいいと洗濯物や布団を干している
これを見ると,生活感があって「団地にきたな」と感じる.

20号棟1階部分
玄関まではちょっとしたアプローチがあって,
ガーデニングを楽しむこともできる
 
スキップフロアー形式の33号棟
廊下があるのは3階と6階のみで,
「33」と書かれた部分の出っ張っているところに6階の廊下がある.
例えば,5階に行くためには,一度6階まで上がって,
6階の廊下を歩いて,各戸に付けられている5階へ降りる階段を使う

40号棟の脇にある黄色い注意信号機
サイズが小さくてレトロチックである
 
住棟と住棟の間には,公園が配されている
参考文献:「僕たちの大好きな団地」,洋泉社,平成19(2007)年4月

朝ラッシュ時の駅・ホーム 【東京考察#218】

The station at the time of Rush in the morning

朝の山手線(上野駅)


 東京にいて嫌なことのひとつに朝の通勤ラッシュ地獄がある.1日に与えられている時間は限られており,ラッシュによってその時間とエネルギーを奪われるのは,なんだかとても無駄なことだといつも感じてしまう.ラッシュは実際に体験してみないと,そのすごさは分からないのであるが,上野駅の山手線・京浜東北線の南方面行きの様子を撮影した.JR山手線でラッシュを体験したいのであれば,朝7時45分から8時30分頃の時間で,上野から御徒町までにかけて,代々木から原宿にかけてなどが,混雑度の高い区間として有名である.
近年は,フレックスタイムによる始業時刻の遅れや,鉄道整備などによって,混雑率は徐々に下がってきているが,それでも座って通勤などといった状況には程遠い.(なお,このページの写真は全て2004年7月に撮影したものである.作成しようと思っていたら忘れていて,過去の写真データを見ていたら出てきたので,思い出して改めて作成した)

上野駅では,終点となる宇都宮線や高崎線からの
乗換客であふれかえる

電車が到着すると階段に人が殺到する.
山手線や京浜東北線の電車が遅れているときは
ホームに人が溢れるので,危険防止のため入場規制が行われる

この区間の混雑率はおよそ200%とか
それでも今日は,山手線が遅れていないので,
ホームはすいているほうである.
電車が到着する直前は,3列に整然と並んだ人で溢れている

車内がいっぱいでも乗り込まなければならないときは,
前を向いて,手をドアの上に掛け,おしりをグイグイ押し入れて乗り込む.
このときカバンがドアに挟まれないよう注意が必要


ラッシュ時は駅員総出で対応(人を押し込んでドアを閉める)する
各ドアに一人ずつつかないと,ドアが閉まらない箇所もある
くどいようだが,乗り込むときにはドアに向かって前向きに.これポイント.

冬になるとコートなどを着込むので,
より車内は混雑する.俗に言う「着ぶくれラッシュ」


車内の奥に入りたいときは1台見送る

車内に入ったときのポイントは,
なるべく椅子の並んでいる奥に入ってしまった方が楽.
逆につり革のないドア前の中間部がいちばん辛い.

ラッシュ時は電車の運転間隔が密なので,
急に信号が変わって,速度制限のブレーキが自動制御でかかるときがあり,
将棋倒しが起こりやすい.加速しているのに突然ブレーキに転ずるのである.
こうなったら抵抗せずに力の動きに身を任せて,ドタドタと隣の人に寄りかかるしかない.
そして,足で踏ん張るか,つり革・棒などにつかまって,少しは慣性力を抑えることに努める.
これをしないと,本当にみんな倒れてしまう.
この急ブレーキはなんとかならないものかと,
通学で乗っていたときはいつも思った.


江古田界隈(練馬区)【東京考察#217】

Ekoda St. neighborhood


江古田駅と言えば黄色い西武線


 江古田に住んでいる人は,「江古田っていいところだよ~」とよく言う.住んでみると居心地のいい何かがあるようである.池袋から西武線で3駅目,都心に近いけれども,下町的な雰囲気の残る地域である.江古田駅周辺には,日本大学の芸術学部,武蔵野音楽大学,武蔵大学などがあり,学生街としても知られている.駅に降り立つと,人とすれ違うのがやっとといった路地裏が広がっていて,そこに商店街が形成されている.昔から営んでいるお店も存在し,その下町的なヒューマンスケールの雰囲気が,住む人々をホッとさせているような気がした.
ちなみに,江古田駅は「えこだ」と読むが地名としては存在していない.ちょっと南に離れた中野区には江古田と書いて「えごた」と読む地名があるが,この江古田(えこだ)駅からは少し離れている.「えこだ」と「えごた」は,厳密に言うと別の区域のことを指しているが,目白通りの下に走っている地下鉄大江戸線はその南側に広がる中野区の江古田(えごた)に合わせて,新江古田(しんえごた)駅という名称になっている.今回は江古田(えこだ)駅周辺を紹介する.

江古田駅南口 駅前に商店街が広がる

居酒屋,本屋,飲食店などが,路地裏に密集している

大衆割烹.なんかそそられる雰囲気.

昭和33年創業の江古田で一番古い喫茶店
昭和の香りが漂っている

江古田銀座


日大芸術学部や武蔵野音大のある北口
私鉄の小さな駅といった雰囲気が満点

駅北口から日大へ続く日大通り商店街

日大前にある果物屋のシャッター
シャッターのデザインも芸術的?
 
日本大学藝術学部(江古田キャンパス) 昭和14年開校
2010(平成22)年を目指して改築工事を行っている
 
昭和の香りが漂う「江古田コンパ」
ネーミングもいい.カクテルなどが飲めるバーのようである.
 
じいじとばあばが作っているおにぎり屋
暖かい感じのおにぎり屋である
 
「江古田いちば」 生鮮食料品が中心となる市場
アメ横のような雰囲気で,下町情緒満点である.
1915(大正4)年の武蔵野鉄道(現西武鉄道)の駅開業により開設

武蔵野音楽大学 昭和4年開校
敷地内に楽器博物館があるが,平日しか開館していない.

江古田には,小演劇の出来るスタジオや
音楽練習のできるスタジオが多く存在している

一歩それると住宅やアパートが広がる

踏切から見た西武線江古田駅

無料巡回バス(運賃地域企業負担のバス) 丸の内・日本橋・お台場【東京考察#216】

The free round route bus


バス停

 


 新しい形態のバスとして注目されるのが,この無料巡回バスである.現在,走っているのは東京駅周辺の「丸の内地区(丸の内シャトル)」と「日本橋・京橋地区(メトロリンク日本橋)」,そして観光スポットとしても脚光を浴びている「お台場地区(東京ベイシャトル)」である.運行はオープンスカイバスを走らせている日の丸リムジンで,いずれの路線も10~20分間隔,20時頃まで運行されている.
なんといっても特筆されることは,誰が乗っても「無料」ということで,このバスの運行費用は,運行路線近辺にある地元企業が協賛しているのである.そのため,バスの車内には協賛企業のCMが流され,パンフレット類が置いてある.無料だと逆に何かあるんじゃぁないかと尻込みしてしまうが,押し売りや強制的な入会勧誘などは一切なく,普通の路線バスと同じように乗車できるので,誰でも安心して乗車できる.
バスはニュージーランド製のハイブリッドバスを導入しており,段差のない低床式でもあるため,非常に乗り降りも楽である.料金をとらないために路線バスとしての位置づけができないことから,バス停が道路に設置できない,駅前ターミナルに乗り入れできないなどといった制約がある.そこで,バス停は協賛企業の敷地内に設置し,駅の近くに協賛企業のバス停名等で停留所を設置したりしている.
東京駅から日本橋や京橋まで行きたいとき,また丸の内・大手町の皇居周辺まで行きたいとき,歩くと遠いお台場を周遊したいときなどは,この無料バスは重宝する.

環境にやさしいバスを導入している
 
バス停は,このように協賛企業の敷地内に置かれている
ちょっと目立たないので,バス停を探すときは建物の側を探すようにする

 

地下鉄銀座線【東京考察#215】

The Ginza Subway Line

地下鉄銀座線

路線図


 地下鉄銀座線は,日本で最初に開通した地下鉄である.1927(昭和2)年に浅草・上野間で開通し,現在のように浅草・渋谷間が全線開通したのは,1939(昭和14)年であった.当初は,東京地下鉄道が浅草・新橋間を運行し,新橋・渋谷間は東京高速鉄道(現東急の前身)によって運行されており,別会社によって相互乗り入れがされている形態だった.その後,1941(昭和16)年に営団地下鉄に統合されて,現在は営団地下鉄の民営化(2004年)により東京メトロとして運行されている.
地下深く走る新しい路線と違って,歴史の古い銀座線は地下の浅いところを走っているため,地上との乗り降りが非常に楽で,ちょっとした距離でも銀座線ならば乗ってもいいなと思える路線である.朝ラッシュ時は2分間隔,日中でも3分間隔の運行をしており,利用客が非常に多く,車両が小さい(つまりトンネルの断面が小さい)こともあって,いつ乗っても混雑していると感じる.
現在は走っていないが,昔の銀座線の車両(全部オレンジ色の電車)に乗ったとき,駅に着く手前で「ピカッ」と車内の電気が消えて,壁にある小さな非常灯のランプ(ガラスの形がオシャレで,なんかレトロムードのあるランプだった)が一瞬「ぴかっ」と光る現象がおきていた.前の車両から順々に後ろに移っていくので,子供のとき「そろそろくるぞ!」と銀座線にのるといつもワクワクしたものである.特に終点の浅草駅に着くときは線路を渡るためにポイントを通るので,長い時間車内が真っ暗になり,特に面白かった思い出がある.蓄電池を積んだ新型車両への置き換えにより,1993年にこの現象は見られなくなった.なぜ,電気が消えるのかというと,銀座線は電気を線路脇の第3軌条と呼ばれるレールからとっており,ホームへ着く前にはそれが右から左へ移るので,その切り替え時に電気が一瞬消えていたのであった.
もうひとつ,銀座線には昔の車両の思い出があり,その電気が消える時代,どういうわけか全6両のうちの4両目あたりの1両だけは,ドアが片側へ開く1枚扉で,鋲(リベット)が車体に打ち込まれている昭和初期を思わせるようなレトロチックな車両がつながれていた.なんか,銀座線だけはちょっと違うな,と思わせてくれるものだった.

銀座線は浅いところを走っている.
エスカレータにのったらすぐにホームで乗りやすい
 
銀座線の名がついた「銀座」駅.後ろは銀座4丁目交差点
この名がついたのは,丸ノ内線が開業する前年の1953(昭和28)年である

銀座駅は天井が低い.銀座線は全体的に狭く感じる造りである.

線路の脇にある第3軌条から電気をとる
これが切り替わるときに電気が消えていた

銀座線のカラーはオレンジ色
  
上野駅 鋼製の柱のリベットが渋い

上野駅には,電車が接近すると電車のマークが
右から順に光る接近表示板がある.結構古くからある.

稲荷町駅(2001年撮影)
開業当時(昭和2年)の駅入口が残っている
銀座線には,ホームの幅が狭い駅が多かった.これも開業当時の広さだったものである.また,神田駅や京橋駅なども,リベットの鋼製柱が残る古めかしいホームだったが,リフォームによって現在はきれいな空間に生まれ変わっている.しかし,化粧板を取っ払えば,昔ながらの構造物が見られるに違いない.

 

ハイカラさん(まちなか周遊バス)【会津考察#6】

The bus which tours through the inside of the city in Aizu wakamatsu

まちなか周遊バス「ハイカラさん」
エンジ色と深緑色の2種類走っている

 


 平成13年7月より,会津若松市内の観光施設を周遊できるバスとして運行開始されたのが,まちなか周遊バス「ハイカラさん」である.レトロ調のボンネットバスを導入し,補助ステップや車いす用のリフトなども備えられている.車いすを利用するときは背後部のドアが開くようになっている.ドライバーは女性が乗務しており,城下町特有の細い路地裏道路を,大きなハンドルを握りながら運転している.
1回大人200円,ハイカラさん専用1日乗車券は500円,ハイカラさんと路線バス(市内中心部限定)も乗れる1日乗車券は700円で販売しており,若松市内の観光名所をひと通り巡りたいのであれば,1日乗車券を購入してハイカラさんを乗り継いでいけば,大抵の見所は観光することができる.
運行ルートは左回りの1方向運行(運行当初は両方向だったが,現在は本数を増やして1方向運行に変更されている)で,午前8時~18時頃まで30分間隔,朝夕は東山温泉も経由して走る.(現在の右回り運行は赤色の「あかべえ」で運行されている.)

「ハイカラさんのりば」では多くの観光客が並んでいる

ボンネットバスが整備中のときに走る中型バスタイプの周遊バス
このバスでも満席になるので,ちいさなボンネットバスでは
満員で乗りきれない時もあるのではないかと思う

1日乗車券は,駅前にある会津バス観光案内所で購入できる

ハイカラさん車内
コンパクトなつくりである
【公共交通案内】
●まちなか周遊バス「ハイカラさん」 若松駅→大町四つ角→七日町→野口英世青春通り→市役所→鶴ヶ城→県立博物館→御薬園→武家屋敷→(東山温泉)→慶山→飯盛山→若松駅(逆回りは「あかべえ」で運行.8時~18時頃.30分間隔)

会津若松駅バスターミナル(高速バス)【会津考察#5】

Aizu wakamatsu station Bus terminal


駅前にあるバスターミナル

 


 会津地方では,会津乗合自動車がバス事業を行っており,地元では「会津バス」と呼ばれている.高速バスや長距離路線バスは,駅前交差点を渡ったバスターミナルから発車する.「市内循環線」や「神明通り・米代」,「まちなか周遊バスハイカラさん」は,駅前バスのりばからの発車となる.高速バスの歴史はそれほど古くなく,磐越自動車道が開通したあとの1996(平成8)年に,それまで特急バスとして国道49号線を走っていた郡山・いわきとを結ぶ路線を高速バスとしたのが始まりで,東京新宿行きは1999(平成11)年より運行され,現在は,東京新宿・仙台・郡山・いわき・福島・新潟・野沢とを結ぶネットワークが形成されている.会津バスの路線バスは,前乗り前降りで乗降口が前1カ所のみなので,乗るときは降りる人が終わってから乗車することになる.
なお,福島県民は「会津若松」のことを,会津を付けずに「若松」と呼ぶ.バスの行き先案内板も「若松駅」と表示されているが,「若松駅」=「会津若松駅」のことなのでご安心を.
福島県高速バスネットワーク(時刻表リンク)一覧

会津若松駅とバスターミナルの途中にある「会津バス観光案内所」
バスに関する情報はここで集めることができる.バス1日乗車券はここで購入する

駅前バス乗り場
市内1・2・3・4・5・6コース/会津大学・居合団地・松長団地/
飯盛山回り・鶴ヶ城回り循環/神明通り・米代/周遊バスハイカラさん
上記のバスはこちらから発車する

ターミナルの中は冬でも暖かい

高速バスのりばは,ターミナルを裏口から出たところにある

予約不要の高速バスは,行き先別に列をつくって並んでいる

会津バス(前乗り前降り)
 
懐かしの会津バス

テーブルウェアフェスティバル(東京ドーム)【東京考察#214】

The tableware festival in Tokyo Dome


ドラマ「華麗なる一族」のテーブルウェア

 テーブルウェアフェスティバル2007は今年(2007年)で15回目を迎えた「暮らしを彩る器展」である.2007年は2月3日から12日まで東京ドームで開催されており,女性を中心とした入場客で場内は賑わっている.世界各国の華やかなテーブルウェア,洗練された華麗なる彩り,テーブルを飾る様々な食器や雑貨,各個人のコーディネートによるテーブルウェアコンテストなど,興味のある女性にとっては,じっくり見て回ると1日があっという間に過ぎ去って行くに違いない.今回は,テーブルウェアフェスティバルの様子と合わせて,「東京ドーム」をコンベンションホールとして利用している場合を紹介していきたい.

地下鉄後楽園駅側から見た東京ドーム
正面は反対側のJR水道橋駅側となる
1988(昭和63)年に日本初のドーム球場としてオープンした
設計:日建設計・竹中工務店/施工:竹中工務店
 
正面の22番ゲート ちょうどバックネット裏にあたる

中に入る前に荷物チェックがある

ドームには回転扉を通って中に入る
屋根は空気の圧力で支えており,
中の気圧は外の気圧よりも0.3%高い(ビルの1階と9階程度の差)という
中にはいると気圧差の関係でちょっとだけ耳が痛くなる
ただし人体に影響は全くなし


グラウンドの部分を使用して展示が行われる

会場(グランド)へはスタンドの通路を降りて入る
帰りは登らなければならないのでちょっとしんどい
 
なかなかグランドに入る機会はないので
このような視点でドームを歩いているのが不思議
 
ロイヤルコペンハーゲンの食器
毎年創られるイヤーズプレート(テーマ皿)が年代順に全て並べてある

9割は女性客
ただ,デザインなどの感性に触れられるという点では
男女を問わず楽しめる展示である

黒と白を基調にしたテーブルウェア
館内は撮影自由である(ただし三脚等の使用は禁止)
 
会津塗などの漆器や有田焼などの陶器も展示してある
「和」の文化も大切である
 
人工芝は取り払われ,樹脂製のタイルマットが敷かれている
 
各ブースでは世界各国・全国各地の食器や雑貨を展示販売していて
購入することができる.これを見るだけでも時間は過ぎ去る
【テーブルウェア大賞ノミネート作品】
人気の展示コーナーとして,テーブルウェア大賞の出品作品のブースがある
出品者がそれぞれのテーマでコーディネートした作品が並べられ,
食器やテーブルクロスのバランス・色合いなど,結構面白い.
    

ベンチは宅配便の受付場所に

バックネットの部分

ベンチから出入りするところ
よく選手の歩いている映像が映し出されるところ

半日で回りきれなかったときは,
弁当を買ってスタンドのベンチで食べることができる

会津若松駅【会津考察#4】

Aizu wakamatsu station


お城をイメージした会津若松駅

 


 会津若松駅は,1899(明治32)年に岩越鉄道の若松駅として開業し,1917(大正6)年に現在の「会津若松」という名称になった.
郡山と新津を結ぶJR磐越西線をはじめ,只見・小出とを結ぶJR只見線(究極のローカル線で通し運行は1日3本のみ),田島・会津高原尾瀬口とを結ぶ会津鉄道(元国鉄会津線で,会津高原尾瀬口からは野岩鉄道・東武鉄道と接続し,春日部・北千住・浅草へ乗り継ぐことができる)が発着している.
磐越西線は,この駅でスイッチバックする形となっているため,郡山方面と喜多方・新津方面とでは同じ方向に発車する構造となっている.この構造を利用して,2台のSLの同時発車イベントが行われたときもある.駅構内には円形の転車台が現役で車庫として活躍しているため,磐越西線ではSL運行が可能となっており,時々SLの勇姿を眺めることができる.線路沿線にカメラマンが多くいるときは,SLが運行されている日である.運行されている日には,SLの汽笛が会津盆地に響き渡っている.(SLの汽笛は,結構遠くまで聞こえる)
現在の駅舎は,鶴ヶ城の改修に併せて,お城をイメージしたデザインにリニューアル(2001(平成13)年)された.発車メロディは,「AIZUその名の情熱」が流れている.

磐越西線はスイッチバック式なため,串刺し式で終点となる
電車は磐越西線専用の455系電車
新幹線開通前は「急行ばんだい号」として活躍していたもの
(平成19年7月より車両が変更となり,今は走っていない)
NTT東日本-福島より提供されている駅構内ライブ映像はこちら

1番線ホーム
特急あいづ号はここから発車していた

改札口では「あかべぇ」と大きな「起きあがり小坊師」がお出迎え

改札口も赤く塗られている
 
改札口を出ると,目の前に観光案内所がある
 
観光案内所の隣にはパンフレットが数多く置かれている.
会津若松市のみならず全会津の観光パンフが置かれているので,
旅行者はここで情報収集することができる

銘品館では会津のおみやげを買える

一會庵では,会津の郷土料理を食べることができる
 
待合室の奥には,立ち食いソバ屋の「立ちあおい」がある
右は「にしん天そば」.お金がなくて会津の郷土料理を食べたいときは,これに限る.
この立ち食いソバ屋には,中高生へのコロッケ1個サービスの得点がある.

もちろん駅レンタカーもある
 
駅前にある白虎隊士の像
記念撮影をする人が多い


改修前の会津若松駅
看板が多くて雑然とした感じだった
昔 

東京大神宮(恋愛成就祈願)【東京考察#213】

The Tokyo Grand Shrine (The love prosecution prayer)


東京大神宮


 東京大神宮は,東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建されたものである.もともとは,日比谷に存在(日比谷大神宮)していたが,関東大震災後の昭和3年に現在の飯田橋に移転(飯田橋大神宮)して,戦後は「東京大神宮」と称するようになった神社である.結びの働きを司る「造化の三神」が祀られていることから、最近は若いカップルなどに「縁結びの神様」として知られるようになり,恋愛を成就させたいカップルが数多く見受けられている.
また,東京大神宮は日本で最初の神前結婚式を執り行ったところとしても有名で,現在でも伝統的な神前結婚式を挙げることができる.結婚式・披露宴などを行う「マツヤサロン」も併設されている.

本殿
 
恋愛成就を祈願した絵馬が数多く納められている
「○○と結婚できますように・・・」などといった具合に

それほど広い境内ではない
本殿から入口の門を眺めたところ

飯田橋駅から徒歩5分程度
ちょっと分かりづらいところにある
このように緑の繁みが見えたら神社である

十条銀座商店街(北区)【東京考察#212】

Jujo Ginza shopping district (Kita-Ward)


十条銀座


 十条銀座商店街は,荏原銀座(品川区)と砂町銀座(江東区)と並ぶ東京三大銀座のひとつと言われる商店街である.十条駅西口の北に広がる十条銀座商店街は昭和13年に組合が発足し,昭和52年に全覆式のアーケードが完成,平成10年にリニューアルされ,多くの人々で賑わっている.何といっても,「安い」ことが魅力であり,ブラブラ歩いていても財布に優しい買い物ができる.商店街に存在する店の種類を列挙してみる.美容室・理髪店・日用雑貨・飲食店・菓子・パン・食料品・酒たばこ・茶のり・化粧品・クスリ・靴履物かばん・時計メガネ宝飾・玩具スポーツ用品・医療・呉服・紳士服・洋装洋品子供服・家電家具・寝具・文具・書籍・パチンコ・ゲーム・携帯電話・不動産・金融機関・キャッシュローン・・・・・これらの店が一本の道に凝縮しているのが銀座商店街なのである.十条駅周辺には,アーケードのある十条銀座商店街の他にも,十条中央商店街(演芸場通り)や十条富士見銀座商店街,十条仲通り商店街などの商店街も並んでおり,これらの商店街がくっついて一大商店街を形成しているのである.十条銀座商店街は,さらに細かく,駅前・本通1区・本通2区・本通3区・東通り・西通り・フジサンロードに分割されている.

十条駅から広がる十条銀座商店街
アーケードで覆われている
 
アーケードからは太陽の光も入るので,
日中は明るいし,雨に当たる心配もない
 
魚屋や八百屋など,食料品も1つ1つの店で買う
大型スーパーが無い時代は,これが普通だった

このセーターは399円.

バーゲンなどをしていると人が集まる

富士見中学校・十条中学校 体育衣料指定店
学校の体操着や帽子などは,近隣の商店街に指定店があってそこで買う.

「もったいない。」捨てる前にご相談ください。
リサイクルセンターの店
 
総菜屋も数多くあるので,夕飯のおかずも心配ない

懐かしい! ジャボニカ学習帳!

甘味処「だるまや」 団子や豆大福が美味しい
お菓子も販売している
 
10円小饅寿(こまんじゅ)
1個10円の饅頭を売っており,1パック10個から販売している.
パック代として10円かかり,紙箱になると別に箱代がかかる.
それでもこの値段は安い! いつも行列ができている.
  
帝京大学医学部病院方面に向かう仲通り商店街
冬に「おでん」は合う
 
十条銀座を環七方面にいくと富士見銀座となる

昔はこのような街の電気屋さんがあって
取り付けや修理などをお願いできて便利だった
最近は,専ら大型量販店である.
 
十条中央商店街と十条銀座の境には,埼京線の踏切がある

ドラマのロケが行われていた

十条駅東側に広がる演芸場通り(十条中央商店街)
住宅密集地である

篠原演芸場
昭和26年にオープンした大衆演劇の劇場
東京で最も古い大衆演劇劇場

郡山見聞録【81-85】[一括掲載]

以下の記事は2006~2007年に掲載したものです)

No.85 「郡山」よ,ありがとう(最終回)

4年間とちょっとにわたり連載を続けてきたこのコーナーも,郡山を離れることになり,今回が最終回となってしまいました.「郡山」らしい出来事,住んでみないとわからないこと,郡山の情報を少しでも多くの方に知ってもらいたくて,情報を発信しました.まだまだ,お伝えしたいことは沢山あるのですが,時間切れです.
また,このコーナーには色々な方からメールや励ましをいただくことが多く,大変励みになっていました.ご訪問してくださった方々に改めて感謝いたします.さて,今度は何処の「見聞録」を発行することになるのでしょうか!!?.引越作業が落ち着いたら,新見聞録を立ち上げますので,他ページ共々,今後ともよろしくお願いします.
では,最後に,「郡山」よ,ありがとう・・・・・.(2007,06)

No.84 ネギ嫌いに嬉しい「比内やサスケ」の親子丼

親子丼には,タマネギがどっさり混ざっているのが普通である.玉子とタマネギと鶏肉が密着し,食べるときに分けて食べづらいので,ネギ嫌いにとって親子丼はあまり乗り気になれない食べ物である.しかし,うすい前のなかまち夢通りから,ビルの中に入って通っている芭蕉小路を進んでいったところに蔵造りの建物があって,その中で比内地鶏を中心としたメニューを提供する店が「比内やサスケ」である.昼は親子丼専門店,夜は比内地鶏メニューを中心とした居酒屋となる.この店は築100年経過している蔵の中で営業をしており,店内のインテリアも赤松を使用するといったこだわりを見せており,店内は落ち着いた雰囲気となっている.ここの名物が「親子丼」なのである.炭火で焼いた鶏肉と,半熟の玉子がマッチして,非常に上品な親子丼が出されるのであるが,なんといっても大変嬉しいのは,「ネギが入っていない!」ということなのである.玉子と炭火の香ばしい鶏肉の,まさに親子のみが,絶妙なハーモニーで味わうことができるのである.親子丼も色々な種類があって,地玉子2個を使用した「あっさり味親子丼」,地玉子3個を使用した「究極の親子丼」,上質の肉を使用した「極上の親子丼」,玉子が嫌いな人のための「照り焼き丼」,すき焼き風にした「極上鶏すき丼」など,好みに合わせてメニューを選ぶことができる.いずれもネギが入っていないところが,大変嬉しい限りである,ネギ嫌いにとっては・・・.(2007,06)

No.83 365mania(フリーペーパー)

365mania(サン・ロク・ゴ・マニア)とは,郡山で発行されている月刊のフリーペーパーで,「郡山人の、郡山人による、郡山人のための情報誌」である.4月(2007年)より,巷で発行されているフリーペーパーのような本の体裁となり,ホットペッパーのように郡山市内各所にラックを置いて配布している.毎月1日の発行で,発行部数は70,000部,協賛している各店舗にも設置されている.ホットペッパーほどの店舗の情報量はないが,なんといっても読み応えのある点は,郡山で編集しているので,巻頭の特集やインタビューなど郡山に関する記事が掲載されていて,地元ネタを詳しく知ることが出来るところにある.「365」は,この「365マニア」のフリーペーパー,「365ブログ」,そして「365カード」と呼ばれる加盟店での共通ポイント制度の3つで構成されている.加盟店になって協賛をしないと,その店の情報は掲載されないようであるが(フリーペーパーなので),郡山にある商業施設が全て「365」に加盟するようになれば,読み応えのあるフリーペーパーになるに違いない.本の体裁は見劣りしない内容でフルカラーとなっており,郡山で完結するフリーペーパーがあったことに嬉しくなった.(2007,04)

No.82 丸井郡山店閉店決定

若者向けファッションを中心に販売していた○|○|(丸井百貨店)郡山店が,来年(2008年)2月を目途に閉店する方針となった.新聞報道(福島民報)によると,売り上げの伸び悩みやテナント関係の課題,老朽化した店舗面積も狭いため改装効果も薄いことなどが理由として挙げられている.郡山店は昭和50年にオープンし,8階建て,売り場面積8800m2,駅前の一等地である交差点前に建っている.郡山(というより福島県内)では,若者向けのデパートとして数少ない存在で,GAPなどの若者家族に人気のショップや,充実した時計売り場などがあり,丸井に行けばわざわざ仙台や東京に行かなくても,ちょっとしたカジュアルな品物は揃えることができる店だった.新宿伊勢丹で欲しいと思っていた商品が,郡山丸井で見つけることができたりしていたので,丸井が閉店してしまうことは,郡山の若者ファッション文化にとって大きな痛手となることは間違いない.郡山店は,丸井の店舗の中では最北に位置しており,東北では唯一の店舗であった(現在,仙台に出店を計画しているという).そんなことからも,郡山に丸井があるということは,郡山の都市としてのステータスにもなっていた.
近年の丸井は,東京近郊の店舗(津田沼・所沢・川越・戸塚・川口など)を相次いで閉店させる一方で,百貨店の競合激戦地となっている新宿においては,新宿3丁目にシネコンを備えた丸井シティーを2館オープンさせるなど,店舗の再統合を行っているようである.地方(東京近郊)の売り上げの小さい店は閉鎖して,激戦地への投資を重点的に行っている感じである.しかし,津田沼や所沢など,1時間も電車に乗れば新宿などの都心にでれるのであればともかく,高い交通費を払って仙台や東京まで時間をかけなければ行けない郡山とは,商業圏としての都市のバックグラウンドが違うような気もする.
駅前の中心市街地を活性化させる議論が活発になっているが,ますます市街地の空洞化が懸念される残念な出来事である.年始恒例のスパークリングセールも,来年で最後なのである.

No.81 ピカピカ光るビッグアイ

ビッグアイ(Big-i)は郡山駅前に建つ,福島県で最も高いビルである.郡山市街地からは大抵どこからでも見ることができ,市民にとってのランドマークとしても役立っている.そんなビッグアイが,夜になると「ピカピカ」光っているのである.ビッグアイを外から見ると,最上階のふれあいパーク内にある球形のプラネタリウム(宇宙劇場)部分が,英語の小文字の「i」の点の部分になっていて,ビル全体が「i」の文字にデザインされている.その「i」の点の部分が,夜になるとピカピカ光るのである.光るのは,毎時00分,15分,30分,45分の15分おきで,時間になると,球形の部分にスポットライトやカラフルなライトが当てられて,チカチカリズミカルに瞬くのである.決して明るい光りではないので,なかなか目立たなくて気づきにくいのであるが,よーく見ていると,宇宙の幻想を思わせるような光りの競演が1分間程度行われているのである.また,00分の時には,違ったバージョンの光りの競演も見られ,ちょっとしたところに遊び心のあるビッグアイなのであった.
ちなみに,このことに気づいたのは,郡山ビューホテルアネックスの最上階13階にあるバー「スターロード」のソファーに座って,郡山駅方面の煌めく夜景を眺めながらカクテルを味わっていたときに,瞬くビッグアイが望めたのである.この店は,カクテルの他にも各種ワインやウイスキーなど色々なお酒を味わえるが(勿論,メニューにないカクテルも自由に作ってもらえる),カクテル1杯1000円程度~,ワインもそれなりの値段がする(ハーフボトル有り)ので,郡山で最も贅沢なバーの1つと言ってよい店である.ビッグアイのピカピカ光りの競演は,ひっそりとそして贅沢な空間からしか,味わえないのであった.

(この記事は2006~2007年に掲載したものです)

会津盆地の見渡せるドライブコース【会津考察#3】

The scenic route which can survey Aizu-bonchi


広域地図

詳細地図

 


 会津若松市や喜多方市は,周りを山々に囲まれた盆地である.この会津盆地(年配の方には「あいづだいら」という人もいる)を車の中から見渡せるお気に入りのドライブコースを紹介する.地元の方なら誰でも知っていると思われるが,観光ルートとして大々的に宣伝はしていないので,初めての方は地図を見て迷わないように.ここにくると,会津盆地が見渡せて,天気が良いときは,新潟県との県境にある飯豊山も望むことができる.
磐梯河東インターから,県道会津若松裏磐梯線に入って会津若松方面に向かう(国道49号で会津若松に向かってはいけない).途中の大きなカープから会津盆地が2回程望める.そして,松長団地から居合団地にかけての市道からは,低標高になって会津若松市街の街並みが身近に見える景観が望める.周囲が住宅団地の場所では,騒音などに配慮しましょう.

会津若松市街が一望できる
【公共交通案内】
●居合・松長団地循環  若松駅-北滝沢-居合・松長団地-会津大学-若松駅(逆回りあり)
※居合団地から松長団地にかけて,坂を走っていくときに上の景色が見れます.(バス30分間隔.両回り方向合わせると15分間隔で運行)

夜のカレッタ汐留(電通本社ビル)【東京考察#211】

Karetta Shiodome at night (Dentsu headquarters building)


夜の電通本社ビル
地図が古いのでまだ白紙です


 旧国鉄の貨物ターミナル跡地である汐留の再開発(汐留シオサイト)のうちの1つの再開発ビルが「カレッタ汐留」である.カレッタ汐留には,電通東京本社ビルの高層ビルが建っており,低層階の商業スペースとともに,最上階には東京湾のお台場やレインボーブリッジ,東京タワーなどが一望できるレストラン街が造られている.この最上階レストラン街に一度行ってみたいと思いつづけて早3年,年末にやっと実現した.「電通」は世界でも最大の売り上げ規模を誇る広告代理店であり,サッカーワールドカップなど各種イベントの企画・運営などを行っている.
時代を先取りする広告代理店という性格からか,この高層ビルも含めたカレッタ汐留の再開発の空間は,非常に興味深いものである.館内には,いたるところにそれぞれ個性のある椅子が置いてあったり,吹き抜けでゆったりと流れる滝(というか水のモニュメントといった静かな感じである)があったり,ビル中央に見える高速エレベーター群がガラス張りで配されていたり,と演出がとても面白い.そんな夜のカレッタ汐留の様子をお送りします.

汐留には,新橋駅の「ゆりかもめ」乗り場の
コンコースを歩いていくと行きやすい
<<チェアー ライブラリー>>
いろいろな椅子を撮ってみた.
  
  
  

最上階(47階)にある椅子.ペアで並べてある.
お台場の夜景を眺めながら,カップルで未来の愛を語ることが出来る.
ここに来れば,彼氏&彼女もイチコロだ.
(書いていて恥ずかしい!)

47階へいくには,一旦46階で降りて,
別のエレベータか階段で登らなければならない.
46-47階が展望レストラン街となっていて,ここも空間構成が面白い.

46階エレベーターホール
雰囲気が伝わりますか? 気がつけば,すごい演出だとわかるんです,ここは.

正面に写っている扉がエレベータの扉で,それ以外はガラス張りになっており,
背景の東京の夜景がまるで宇宙のように見えるのである.
さらにすごいのは,エレベーターのカゴもほぼ全面ガラス張りなので,
エレベーターが到着して扉が開き,人が乗り降りしているときも,
ホールから見ていると,まるで宇宙船に乗るような感じで,
背景に夜景が瞬いて見えるのである.
なんともロマンチック!!

このエレベーターのスピードには逸話があって,
当初は世界最速のスピードであったが,
外が見える展望エレベーターなので
速すぎて怖いという意見がでてスピードが落とされたとか.
それでも,今乗ってもぐんぐん加速してスピードがあるなと感じる.
分速360m(時速約22km)でシースルーエレベーターでは日本最高速級.


外からエレベーターを見るとこんな感じ(昼)


47階のレストラン「ZIPANG
高級割烹「なだ万」系列の和食レストランである
レインボーブリッジから東京タワーまで一望できる
 
46階のダイニング&バー「ソラシオ
夜景(窓)に向かってペアで並んで座る席は人気(左写真の窓沿いと真ん中の白い布がテーブル)
写真は47階フロアー通路から吹き抜けの店内を眺めたところ(右写真)

夜のレストラン街は照明を落としているので
ムード満点である


近くにある,旧新橋停車場跡地のイルミネーション


冬の飯盛山【会津考察#2】

Mt.Iimori in winter  (Iimori-yama)


正面に見える飯盛山

 


 飯盛山は,幕末の戊辰戦争において白虎隊士19名が自刃した最後の地となったところである.詳しい話は,幕末を描いた多くの書物が出ているので,そちらに譲るとして,僅か16~17歳の少年達が会津の為に戦って自決した話が,多くの感銘を呼んで,現在でも全国から訪れる人々による墓前の線香の煙が絶えないという.飯盛山には,白虎隊記念館やさざえ堂,戸の口堰から流れる用水の洞門などがあり,自刃した山腹からは鶴ヶ城が望める.
なお,冬は雪と氷に覆われて,山腹まで登っていけないので,夏に訪れることをお奨めする.詳しいレポートはまた夏にしたいと考えている.

飯盛山への入口
手前にみやげ物店,奥に階段がある

階段はごらんのとおりの「つるつる」
白虎隊記念館の隣り(左側)にはやや緩やかな参道があるので
そちらのルートで山腹(上)まで登ることができる
ただ,いずれにしても大雪が降ると登るのはきつい

飯盛山 動く坂道
夏にはエスカレーターが山腹まで動いている

ふもとの「白虎隊記念館」
こちらは通年でオープンしている
テレ朝系でジャニーズが主演する「白虎隊」のドラマが放送されたこともあり,
若いカップルなども含めて訪問者が増えているとか.

酒井峰治と愛犬クマの銅像
【公共交通案内】
●まちなか周遊バス(ハイカラさん) 若松駅→七日町→鶴ヶ城→飯盛山下→若松駅(逆回りは「あかべえ」)
●居合団地・松長団地循環(中島町経由) 若松駅→飯盛山下→中島町→居合・松長団地→会津大学→若松駅(逆回りあり)
●飯盛山・鶴ヶ城循環(飯盛山先回り) 若松駅→飯盛山→武家屋敷→鶴ヶ城→若松駅(逆回りあり)

築地本願寺【東京考察#210】

Tsukiji-hongan-ji (temple)


築地本願寺正門より


 築地にやってくると,これは何だろうと思わせる建築物である.これは,築地本願寺である.一般的にイメージしているお寺とは雰囲気を異にしているが,京都東山の本願寺(西本願寺)の別院として1617(元和3)年に当初は浅草横山町に建立されたものである.正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」という.1657年の明暦の大火によって現在の築地に再建され,場外市場のあるところはかつて門前町となっていた.その後,関東大震災で焼失し,現在の建築物は1934(昭和9)年に古代インド仏教様式で再建されたものである.外観がインド洋式の外観,本堂内部は桃山様式を取り入れており,阿弥陀如来などが安置されているとともに,大きなパイプオルガンも設置されている.
築地市場に近いことから,外国人観光客の姿も散見される.市場の喧噪とはうってかわって,静かな境内を歩いていると非常に心地がよい.

門の中から,露出を変えてもう1枚撮影した

本堂へ向かう階段の左側

いつも見慣れている「お寺」といったイメージとは異なる
古代インド仏教様式
 
本堂への入口

本堂内にあるパイプオルガン
旧西ドイツのワルカー社製
毎月最終金曜日の12:20~12:50には
ランチタイムコンサートが無料で行われている

南門近くの第1伝道会館には喫茶店があるので,
築地市場を歩き疲れたら,静かな境内でちょっと休憩するのもよい

南門を出ると,目の前が場外市場である
 
場外市場はこのように大混雑の大喧噪である

磐梯山(会津磐梯山)【会津考察#1】

Mt.Bandai (Aizu-Bandaisan)

 


 磐梯山は,会津の人々にとって心に刻み込まれているランドマークである.標高は1819m,猪苗代町,磐梯町,北塩原村の3町村にまたがっている山で,別名会津富士,会津磐梯山とも呼ばれている.磐梯山は活火山であり,806(大同元)年と1888(明治21)年に大噴火を起こしている.
806年の噴火の時に磐梯山頂部分がふっとんで,当時は3000m程あった富士山のような姿だった容姿から,現在のように櫛ヶ峰と赤埴山と磐梯山からなる3峰の形になった.写真を見ると3つの山頂からなっていることがわかる.
1888年の大噴火では,泥流によって村が埋没するなどの被害がでて多数の死者をだしている.その時に川が堰き止められて,檜原湖や小野川湖,五色沼といった裏磐梯湖沼群が形成された.
磐梯山は,表から見る女性的な容姿の磐梯山と,噴火口が見える荒々しく男性的な容姿である裏磐梯の2面の表情を見せ,全国各地からその美しい自然の姿を見に,多くの観光客が訪れている.春夏秋冬,様々な表情を見せる磐梯山である.磐梯山は日本百名山にも選ばれ,夏は登山者で賑わい,冬には磐梯山を取り囲んで整備されているスキー場へくるスキー客で賑わっている.

磐越自動車道の高速道路から見える磐梯山
郡山から猪苗代へ走っていくと,トンネルを抜けて緩やかな下り坂と左カーブにより
磐梯山が徐々にフロントガラスに現れてくる.
この自動車からのシークエンス景観はお見事!といえる程の,
感動的な動く景色である
【公共交通案内】
会津若松駅と東京新宿・郡山・いわき・福島・仙台を結ぶ高速バスの車窓から眺められます(特に若松駅行きの右側席)

猪苗代湖天神浜から見える磐梯山
この姿は「表」磐梯である

会津若松市(河東町より)から見た磐梯山
右側の小さな白い山が磐梯山である.
会津若松市までくると猫魔ヶ岳(左)が大きく見えて,
磐梯山は小さくなってみえるが,
これも場所によって,その姿を変える.

No.14 磐梯山登山(八方台ルート)へ

会津考察(Aizu Guidance)

会津の街を写真と共にコラム形式で紹介. 会津は心のふるさとです.会津人は「ならぬことはなりませぬ」の精神で,戊辰戦争以降,ゆっくりとした時の刻みの中で,会津文化を守ってきました.そんな会津を紹介します.

各ページは以下のリンクからご覧ください.
会津考察サイトマップ