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汐留シオサイト【東京考察#115】

Siodome Siosite (Land readjustsment plan)

 


 「♪汽笛いっせい新橋の~」で始まる鉄道唱歌,この新橋とは「汐留」のことを指す.明治5年に新橋・横浜間に日本最初の鉄道が開通したが,そのときの新橋駅とはここ汐留に存在していたのである.その後大正3年に今の東京駅が開業したときに,新橋駅は今の新橋駅の場所に移設され,汐留は貨物専用駅として発展していった.しかし,トラック輸送による物流の変化により貨物の取扱量は年々減少し,昭和61年に汐留駅は廃止され,国鉄分割民営化により国鉄清算事業団からこの汐留の貨物ターミナル跡地は売却されることになった.
しかし,いざ国鉄の借金を返済しようと売りに出した土地であるが,バブルによる土地高騰の煽りをうけて,周辺地域へのさらなる高騰を招く恐れがあるとして,一時売却にストップがかけられ,土地高騰が沈静化したのちに事業は動き出すことになる.平成2年に東京都は汐留地区の開発に関する基本方針をまとめ,汐留地区の開発が高い公共性を有するということから,東京都施行による土地区画整理事業を実施することとなった.(東地区では再開発地区計画も定めている.)

汐留地区土地区画整理事業(土地区画整理事業とは,所有されている土地を換地という手続きによって区画形質の変更を行って土地の利用を増進するものである)は,施行面積30.7ha,平成7年3月から平成19年3月までの施工期間となっており,今でも高速ビルの建設が行われている.JR山手線を挟んだ地区も施行範囲にとりこまれているが,この西地区では地元地権者がつくりあげるイタリア街「チッタ・イタリア」の整備が進められている.
汐留の開発は戦後最大級の開発とも言われており,完成すると就業人口6万人,居住人口6千人の街が誕生する.麹町にあった「日本テレビ」は社屋をここ汐留に移し,お台場のフジテレビと対抗して汐留を盛り上げようと懸命になっている.都庁が新宿に移転し,新宿・渋谷などの西側に東京のエネルギーを持って行かれっぱなしであった東側地区であるが,お台場・汐留の再開発で,銀座も含めた復権を目指している.


JR新橋駅からは地下通路で結ばれている.


旧新橋駅
全く同じ場所に復元されている


日本テレビ社屋にある
汐留ラーメンの行列(オープン初日)
地下までつながっている行列だが,
いつラーメンが食べられるのだろうか.


日本テレビ社屋前のイベント


ビルとビルの空間では,ショーが行われている.


 
電通本社ビル
個人的に一番面白かったビルディング
矢印はエレベーターで,ガラス張りのエレベーターが
12列並んで配置されていることになる.


この電通ビル内には,ちょっとした休憩スペースに
個性的な椅子が並べられており,
様々ないすに自由に座ることができる.

 
電通ビル展望レストラン街にある中庭とレストラン
空間の使い方が非常に面白い.

 
左:築地市場と隅田川勝どき橋
右:浜離宮庭園と東京湾・お台場


エレベーターホール


カレッタ汐留にある亀の噴水


 
建設中のビルディングも数多くある


ゆりかもめ「汐留駅」


おまけ・・・

喜多方ラーメンもあります.

新宿高速バスターミナル(京王バス)【東京考察#114】

Shinjuku high-way bus terminal (Keio Bus)

 


 新宿西口のヨドバシカメラ前には京王バスの中央高速バスのバスターミナルが存在する.甲府・松本・飯田・駒ヶ根・長野などといった中央高速方面のバスが頻繁に発着しており,ヨドバシカメラの「まぁーるい緑の山手線・・・・」という音楽とともに,次々とバスが発車していく.地方のバス会社と京王バスが共同運行することにより,地方のバス会社も都心への乗り入れが実現し,貴重なドル箱路線を維持している.なお,日本最長距離である福岡まで結ぶ路線(はかた号/京王バス・西日本鉄道)も,ここ新宿高速バスターミナルから発車している.この高速バスターミナルはかなり昔から存在しており,近年路線拡大を図ったJRバスの高速バスターミナルは高島屋タイムズスクエアに向かう途中の新南口ガード下にあるが,JRバスの方はこの京王バスのターミナルとは違い,狭い空間を無理矢理バスターミナルにした感のある乗り場となっている.JRバスの乗り場はNo.156へ.


駒ヶ根行き高速バス


チケット売り場
電光掲示板には空席情報も表示される


3番のりば


目の前は「ヨドバシカメラ本店」


背景は京王百貨店

福島空港から出発[福島空港から行く韓国・ソウルへ#1]

福島空港に国際線が就航したのが1999年の初夏.6月18日に上海便が,続いて6月23日にソウル便が就航した.以来,国際交流に大きな役割を果たしてきたが,テロ事件やSARS伝染病の影響で搭乗率が激減している.最近はSARS流行に終止符が打たれ,休航していたソウル便も復活し,徐々に活気を取り戻しつつあるが,より一層の搭乗率が望まれるところであり,空港活性化に一役買おうと「福島空港から行くソウルツアー」に参加することとした.日本から最も近い外国の大都市であるソウルへ,2泊3日の旅の様子をお伝えします.

(旅行年月 2003年7月)

<福島空港に国際線が就航>

福島空港からソウルへは週に3便就航している.金曜日が9時半頃,日曜日と火曜日が13時頃の出発便となっており,金曜日出発にすればソウルに昼頃到着するため,その日の午後を市内観光などで有効に使える旅程を組める.アシアナ航空の機体は,木曜日の夕方に福島にやってきてわざわざ福島に一晩駐機させ,次の日の午前便を確保しているところ,日本側の旅行者のニーズも考えているダイヤ設定だと感じる.(2003年7月現在)

アシアナ航空は韓国第2の航空会社であり,すでに国際線の老舗・大韓航空や日本航空などが就航していて満杯に近い成田空港の発着枠を確保することが困難なこと,しかし,将来の仁川(インチョン)空港のハブ化をにらみ需要の見込める日本路線の拡大を行いたいという思惑があり,また日本の地方自治体では地方空港におけるより一層の路線拡充を図りたいという思惑があり,これら両者の思惑が一致して地方空港における韓国路線が実現している.福島以外でも,韓国路線が就航している空港は,成田・大阪・名古屋・福岡・仙台はもちろんのこと,青森・秋田・新潟・小松・富山・岡山・広島・米子・松山・高松・大分・長崎・鹿児島・宮崎・沖縄と,全国至る所に就航しているのである.特に九州は韓国における温泉ブームもあって,あちらから訪れる観光客も多くなっているように感じる.東京(成田)とソウル(仁川)を結ぶ路線にあたっては,毎日18便も運行されており,30分から1時間間隔でソウルに飛んでいる計算になる.もうすでに韓国と日本は,全国広い範囲で交流が進んでいるのである.

<いよいよソウルへ>

福島空港のメリットは,なんといっても駐車場が無料で利用できるという点である.それも空港の目の前に広がる駐車場に止められるので,成田のように一日で2000円も取られるということはない.おみやげを沢山買ってきても,すぐに自動車に積んで帰ることができるのである.これはかなりメリットが高い.

ツアー客専用のチケット引換所で航空券をもらい,搭乗待合室に向かった.最近の旅行ツアーは旅行費用を抑えるため,添乗員さんがずっとついて回るという旅行ではなく,飛行機は旅行者だけで乗って,空港ロビーで現地のガイドさんと待ち合わせてツアーを行うやり方が多くなってきている.

福島空港 搭乗者専用の待合室と免税品店

飛行機は満席であった.客層を見てみると半分くらいはこれから韓国へ帰国する韓国人のようである.ディズニーランドの大きな袋を抱え,免税品店では多くの人が買い物を楽しんでいた(ただ,1店しかないので物足りないかもしれないが,そもそも成田空港も免税品店は世界に比べると充実していない).
ソウル線は福島から韓国に向かう日本人観光客ばかりではなく,韓国からの観光客も多く利用しているようである.福島空港の到着ロビーでは「アルツ磐梯」の札を持った人などがいたので,県内の温泉のある施設で1泊し,次の日は東京に移動して自由行動,再び福島に戻ってきて帰国,というパターンが一般的なのではないだろうか.

飛行機はエアバスA321の170人程度乗りのジェット機である.「ずいぶん小さい飛行機だな」という意見も聞かれ,確かに500人も乗れるジャンボと比べれば小さい飛行機であるが,近距離の国際線ではこのレベルの飛行機を使用するのが一般的である.世界で最も売れている飛行機は140人程度乗りのボーイング737型機であることを考えると,妥当な大きさなのである.日本の国内線はジャンボ機をはじめ大きな機体が多く就航しているが,世界的に見るとこちらの方が珍しく,これは羽田空港の発着枠の無さが,大量輸送をせざるを得ない状況を生み出しているようである.ちなみに羽田-札幌線の輸送可能人員は世界一であるという.

ツアー行程を見ると「昼食は機内食」となっている.最近の欧米では2~3時間程度の国際線では菓子とジュースのみしか出さないところがほとんどで,アメリカン航空では12時間も乗車する太平洋路線でさえ,アルコール類は全て有料(500円)となってしまったので,世界的に航空機内のサービスは簡略化されつつある傾向にある.そのため,このアシアナ航空のソウル線も菓子パンとジュース程度で昼食となってしまうのではないかと心配していたが,予想は大はずれ! ちゃんとした国際線の昼食が出され,さらにビールを注文すれば無料で出されるといった具合であった.アジアでは,まだ国際線のサービスの質は落とされていないようである.これからますます交流が増し,お互いの敷居が低くなっていくと,中途半端な時間に出される機内食のあり方に疑問が投げかけられ,経費削減や合理化ということで国内線のようにサービスが簡略化していく可能性はあるだろうが・・・・.今回も,離陸してすぐの10時頃に食事が出されたので,午後のお腹空かし対策として,おにぎり1個くらい持っていった方がいいかもしれない.

機内食 松花堂弁当のような感じ

<午後は「市内観光ツアー」と「骨付きカルビの夕食」で>

到着ロビーではツアー名を掲げて現地ガイドさんが待っている

近年のテロ事件もあり,入国審査では目的や滞在日数などをしつこく聞かれることが多くなってきたが,日本人であることもあるのか,韓国の入国審査は何も聞かれず,帰りの航空券の提示も要求されなかったので,楽々パスすることができた.英語など話せなくても問題なく,何の心配もいらない.入国カードとパスポートを渡すだけでOKである.

さて,現地ガイドさんと合流した.ガイドさんが日本円で1万円分の韓国ウォンをバスの中で両替してくれるというのであるが,もう少し両替しておきたかったので,空港ロビーの両替所でもさらに1万円分韓国ウォンに両替した.両替は市中の銀行かホテルでできるのであるが,市中の銀行で両替するのは結構面倒であるし,ホテルの両替所ではレートが悪いので,韓国で利用するであろうお金は全て空港で両替しておいたほうがよい.ただし,日本人観光客が大挙して押し寄せる施設(免税店など)やツアーで回るおみやげやさんでは,ほぼ「円」が通用するので,現地の街中を自由行動で歩き回るのでなければ,とりあえず1万円で十分かもしれない.

ちなみに10ウォンで1円であり,10000ウォンが1000円となる.ウォンから「0」を一つとったものが円になると考えればよい.韓国での最高額のお札は10000ウォンであり,それ以上の高額紙幣は存在しない.つまり日本円で言う1000円札が最高の高額紙幣であることになる.通貨レートは1/10であるが,物価は半分程度である.ただ,韓国では経済成長に伴うインフレ傾向にあるようなので,物価はこれからも上昇していくのではないかと感じる.

バスに乗って市内観光へ
仁川(インチョン)空港からの高速道路

仁川空港からはバスに乗り,今日の午後はガイドさん付きの団体行動となる.市内観光と免税店・おみやげ店巡り,そして骨付きカルビの夕食となる.僕としてはこの団体行動を取りやめて,すぐにでもソウル市内の街歩きをしたいところだが,安いツアー料金となっている背景には,この団体ツアーの中で連れて行かれる「おみやげ屋」などが絡んでおり,ここは我慢しておつきあいするしかない.でも,空港から専用バスで一気に市内まで連れて行ってくれるので,バスや地下鉄を乗り継ぐ手間が省けて楽ちんである.仁川からソウルまでは約1時間である.

仁川からソウルまでは高速道路を走っていくが,片道4車線の広々とした道路である.高速道路料金が普通車で6500ウォン(650円)程度であるが,これは韓国で一番高い高速道路料金であり,つい先日地元住民が車線を塞いで料金の高さを訴えるためのデモを行ったという.日本の高速道路(というよりは物価なのか)がいかに高いかということであるが,車線を塞いでデモをする国民性もすごい.それでも高速道路料金は下がらなかったという.

仁川空港は埋め立ててできた空港であり,バスは埋め立て途中の中を走っていく.車窓にはその殺伐とした風景が広がっているのであるが,この写真の紫色の物体は「藻」なんだそうである.ゴミや廃棄物を埋め立てているのであるが,こうしてみると結構美しい景色に見えたりする.

埋め立て途中の浜が広がる

高層の集合住宅 建設会社がデベロッパーとなっているらしい

ソウルでも高層住宅(マンション)が多く建っており,土地のない都市では上へ上へいかざるを得ない.それでも香港ほど密度の高い都市ではない.2~3階建てのアパートも多く見られ,それらはレンガ造りの家が多い.


「景福宮」

景福宮は李氏朝鮮王朝の創始者李成桂が1394年に建てた王宮である.日本統治時代や朝鮮戦争時に破壊されてしまったため,その後復元されたもの.ガイドさんが案内してくれる.朝鮮の歴史を知ることができる施設である.

ポカリスエットの自動販売機
大統領官邸の裏にある仁王山

景福宮見学のあとは,バスの車中から大統領官邸を眺めて,新羅免税店とお土産屋さんに行くことになる.
まずは「新羅免税店」へと向かう.ブランド物がお目当ての場合は,免税店で買うのが一番いい.市内には新羅免税店の他に,ロッテ免税店やウォーカーヒル免税店など数カ所存在し,政府公認の免税店なので安心して買い物もできる.外国人と出国予定の韓国人しか買うことができない.品物を購入するときには,パスポートと航空券(ツアーの場合は,あらかじめ各個人に配布された買い物カード)を提出し,品物は空港内の免税品受け取りカウンターで引換券を提出して受け取る仕組みとなっている.
さすがに免税品店は安い.日本で5,500円するイブサンローランの香水(オードトワレ)が,ここでは3,000円で購入することができた.値札よりさらに10%,20%の割引を行っているので,ブランド品を探しているのであれば,免税品店をはしごして見つけるのもお勧めである.日本語も通じるし,支払いも円でOKである.

仁川空港28番ゲート付近にある免税品受取所

さて,次に訪れたお土産屋が,水晶のお店である.だんだん連れて行かれる店も怪しくなってくる.韓国に限らずどこの国に行っても,ガイド付きツアーに参加すると必ずお土産物店には連れて行かれるが,そのお店というのが一般の人は入らない「日本人ツアー客専用」のお店のようで,店の看板を掲げていないビルの地下1階とかビルの2階とかのフロアーに店を構えていることが多い.どういうわけかどこでも「円」が使える.この辺の詳しい仕組みはよくわからないが,現地旅行会社とお土産物屋はどこかでつながっていて,うまい具合にお金が回るようになっているのかもしれない.

さて,さらに,まだ時間があるとのことで,もう1軒行った.これがなんと「コピー商品」を販売する店,つまりニセモノのブランド商品を販売する「闇のお土産屋」とでも言ったらいいのだろうか,「本物のニセモノを売る店です」とのこと.ガイドさんも「全てコピー商品ですが,遊び感覚で見てみてくださーい.あはははは!」とのこと.ルイビトンの財布が9000円で売られていたり,グッチのバッグが5000円で売られていたり,とアジアの怪しさが段々と現れてきたぞ! といった感じである.ちなみに,日本の税関ではニセモノ商品を持ち込むこと(関税法第69条の11に触れるもの,つまり特許権や商標権,著作権を侵害するもの)は一切禁止されていますのでお間違いなく.あとは各個人の判断ということでしょうか.


ホテルにチェックインしたのち,骨付きカルビのお店へ.ここでガイドさんから,「焼き肉を食べた後,みなさんどうしますかー.時間があるでしょう? せっかくソウルに来たのだから,ショーでも見てみませんか.おかまやストリップ,手品などを見れるショーがあり,20時から22時くらいまでビールのみ放題で5000円,もしくは50000ウォンでお連れしまーす.せっかくなので全員で参加されてみてはどうでしょうか.幹事さんどうです? 焼き肉を食べ終わってからでいいですので,参加される方はおっしゃってください.また,参加されなくても,途中の南大門市場とかに行かれる方は,そちらで途中下車することができますので,伝えてくださーい.」
旅行会社も商売上手である.こうやって,少しずつお金が落ちていくのである.韓国は治安がいいからいいが,治安のあまりよくない国の場合は「治安が悪い」ことをさんざんツアー客に説明して,最後に安心なオプショナルツアーをご用意してますのでそちらに参加してはいかがでしょうか,とくる.まぁ,なにはともあれ,ガイド付きツアーには様々なオプションが用意されているのである.

残念ながら,このときはカメラを持っていかなかったので,骨付きカルビの画像はありません!! 皆さん,実際に行って食べましょう.はさみでジョキジョキと肉を切ります.味は下味がしみこんでいて絶品でした.箸はステンレス製のものです.

ちなみに,その後のショーツアー,結局9名が参加することとなり,決して上品とはいえないショーを見にいったのでした.ショーでは「おひねり」ばっかり要求され,結局さらに3000円くらいは飛んでいったでしょうか・・・.(ぼったくりの店ではなかったです)


解剖してみよう!ハングル語コーナー

ハングル語の読みは一見すると難しそうですが,基本を押さえてしまえばそれほど難しくはありません.このハングルは日本語でいう「ひらがな」に相当するもので,「音」を表す文字となっています.かつては漢字も使われていましたが,今の韓国では漢字を使用しないので,新聞等すべてこのハングル語で表記するようになっています.つまり,全てひらがなだけの表記になっているということです.

ハングルは,母音と子音の組み合わせとなっています.「福島」はこのとおり.それぞれの記号がそれぞれのアルファベットに対応していて,その組み合わせで音を読むようになっています.

ハングル語では「パッチム」という独特の使い方があります.ソウルの「ウル」の字は,「U」だけでは終わらず下に「R」を表す音をくっつけているのですが,これをパッチムといい,「ウ」の音だけで終わらずに「ル」という音をくっつけて読むことになります.

汝矣島・南大門・明洞・戦争記念館[福島空港から行く韓国・ソウルへ#2]

さて,次の日は自由行動である.オプショナルツアーへ参加するという選択肢もあるが,ここは地下鉄を自由に乗り継いでソウル市街を歩き回ってみた.人気のオプショナルツアーは,38度線の非武装地帯にある板門店に行くツアーであるが,結構中止となってしまうことが多くてこの日も中止となっていた.その代わり,侵略トンネル見学と北朝鮮を望むことができる展望台,それから脱北者と実際に会って体験談を聞くというツアーに変更されていた.
余談であるが,未だに休戦状態である北朝鮮をツアーの観光名所としてしまうのも凄いが,それを緊張感ある観光ツアーとして楽しんでいる日本人もなかなかのものである.でも,このようなツアーを行っている韓国人(というよりは朝鮮人と言った方がいいのかもしれない)の背景には,「北」と「南」とに分断されている現状を,ひとりでも多くの人に実感してもらい,もともとひとつであった朝鮮半島の南北統一の力になって欲しいことを願っているのだろうと思う.

<移動は地下鉄で>

地下鉄の入口
地下鉄のホーム

自動券売機と5000ウォンの定額券
(5000ウォン分乗車できる回数券である)

韓国の地下鉄は日本と同じく路線毎に色分けされており,乗りにくいことはない.駅には全て番号が付けられているので,地図さえあればどこの駅かがすぐわかる.また,漢字とアルファベット表記がついているので,ハングルが読めなくても大丈夫である.運賃は,市内は700ウォン(70円)であり,自動券売機で切符を買うか,おつりが必要なときは窓口で切符を購入し,自動改札機に切符を通してホームに向かう.乗り方は日本と全く同じで,違うのは自動券売機で切符を買うときに,先に運賃のボタンを押してからお金を投入することぐらいである.

また,5000ウォン,10000ウォン,20000ウォン分の乗車ができる回数券も販売しており,これを使うといちいち切符を買う必要がなく,そのまま自動改札機に向かうことができる.最後の余り分は,700ウォンまでお金が足りなくてもサービスで乗車ができるというのもうれしい.この回数券も専用の自動販売機か窓口で買うことができる.日本人観光客が多く利用する駅では,日本語で自動券売機の使い方が張ってあるところもあった.

<汝矣島(ヨイド)の63ビル・漢江(ハンガン)遊覧船>

大韓生命63ビルディング

ソウル市内を悠々と流れる川・漢江の中洲に汝矣島と呼ばれる島がある.1958年までは飛行場として使われていた場所だそうだが,ここは国会議事堂の建設から始まって,近年新しくオフィス業務地区として発展している地区であり,そこにソウルで一番高いビルである63ビルが建っている.日本の大成建設が施工したこのビルには,地上60階の最上階に展望室が設けられており,天気が良ければ仁川まで見えるという.展望室へ向かうエレベータはガラス張りの展望エレベーターであり,漢江の景色を眺めながらみるみるうちに60階へと向かう.展望室の他に,水族館などが併設されている.

漢江の遊覧船
国鉄(地下鉄1号線)の鉄橋
国会議事堂

漢江には約1時間の周遊遊覧船が運航されている.料金は7000ウォン.船からは,高層住宅団地群や鉄橋を走る国鉄,国会議事堂などを眺めることができ,歩き疲れた足を休ませるのにはちょうど良い.

<南大門(ナムデムン)市場>

南大門市場

食堂街 ここで「ソルロンタン」を食べた

出前はこのように頭にのせて運ぶ.お餅をコチュジャンで甘辛く炒めた「トッポッキ」

夜の南大門市場 ちょっと寂しい感じ

韓国で最も古いマーケットが南大門市場である.雰囲気は東京上野のアメ横に似ており,洋服から食料品までありとあらゆるものを手に入れることができる.夜になると屋台が並び,また違った趣のマーケットになるが,最近の韓国の若者には敬遠されている地区らしく,もっぱら韓国のおばちゃんと観光客専用の街になってしまっている感がある.夜に再び訪れてみたが,雨がぱらついていたこともあってか人が少なく寂れており,明洞の若者の喧噪(後記述)とは比較にならないほど静かで閑古鳥が鳴いていた.

昼食は南大門市場の食堂で食べた.店先にサンプルが並べてあるので,指をさしておばちゃんにアピールすれば,あとは店の中にいる店員に伝えてくれるので,中で料理が出てくるのを待つのみである.骨付き牛肉の切れ端や内臓を煮込んだ「ソルロンタン」スープとライスを注文した.韓国の食堂では必ずキムチがついてくる.朝昼晩,必ずキムチが出され,よく毎日こんなに辛い物を食べ続けられるなと正直思ってしまう.今回の昼食も,正直キムチがおかずのようになっていた.あとから知ったことなのだが,ソルロンタンスープは,キムチを入れたり塩を入れたりして自分で味付けをするらしく,どうも味の薄いスープだなと思って醤油を足して飲んだものであった.箸は必ずステンレス製,ごはんもステンレスの器に蓋が被さって出てくる.ごはんは日本とおなじように湿り気と粘りのあるものであった.

<戦争記念館>

入口にあるモニュメントと何十機も並べてある実物の戦闘機

国連軍として朝鮮戦争に参加した国々の国旗(もちろん日本はない)

韓国に来たら朝鮮戦争を知らなければならない.まぁ,朝鮮戦争を知るには第二次世界大戦と大日本帝国の占領を知らなければならないのであるが,そのような過去の戦争について詳しく展示してある博物館が,この戦争記念館である.ここでは祖国のために戦って亡くなった兵士の業績を讃えており,戦争に関する資料や兵器が並べられている.特に朝鮮戦争については広いスペースを使って展示されており,爆弾を発射させるときや,戦闘機から橋や道路・民家を襲撃するときのモノクロ映像などが,これでもかというほどの大画面で流され,実にリアリティのある映像を見ることができる.

また,朝鮮戦争の南北境界(最前線)がどのように進行していったかを,地図を用いながら時系列で把握することができる.朝鮮戦争の展示の始まりは,広島と長崎に原爆が落とされて,大日本帝国が降伏する1945年8月15日からの映像や展示となっている.自由を勝ち得た朝鮮半島であるが,38度線を境に北をソビエト,南をアメリカの体制で国造りが行われていくことになり,ついに北から攻められて一時はソウルも占領され,釜山のみが砦となっていたが,国連軍の応援もあって仁川の上陸作戦によってソウルを奪還し,さらに平壌も手に入れる.再び最前線は南下して今の軍事境界線をもって休戦状態になるまでの展示がされているのである.日本語表記も一部されているので,展示内容の大まかなストーリーはつかむことが可能だし,映像は言葉がわからなくても見ているだけで何となく内容が伝わってくる.金日成の若い映像も見ることができる.

日本でこのような博物館をつくるときには,「平和」とか「祈念」などという文字を使用し,戦争はいけないこと,平和を育むことに重きを置いた内容になるが,休戦中の韓国では「記念」として,戦争を行うことは国を護る上で必要なことであると訴えかけるような印象を受けた.館内には,軍人を疑似体験できるコーナーや,戦争ゲームを行うことのできるゲーム機械が設置してあるところなど,今の日本ではタブーとされていることが平然と展示されている.

朝鮮戦争の展示は,1945.8.15から始まる

日本降伏の文章

<活気ある夜の明洞(ミョンドン)>

地下鉄明洞駅前.屋外ステージでイベントが行われている.

溢れる人で埋め尽くされている

 

明洞はソウルで最も賑やかな繁華街である.午後9時頃であるにもかかわらず,道路には人で溢れている.午前中までは雨が降っていたにもかかわらず,これだけの人出があるのだから,ソウルのパワーを感じずにはいられない.ここにいるとこっちも元気が沸いてくる,そんな地区である.

<駅で見た光景 ~迷彩服の若者~>

写真は地下鉄ソウルステーション駅の切符売り場である.この駅では韓国国内に路線網を張り巡らせている国鉄と乗り換えられる駅であるが,このソウル駅では迷彩服を着た若者の姿を多く見かけることができた.ご存じの通り,いまだに北朝鮮と休戦中の韓国では徴兵制があり,20歳になると24ヶ月の入隊をしなければならない.入隊後は100日の訓練を受けた後,3日ほどの休暇をもらえるらしく,この迷彩服を着た若者はその休暇中の軍人なのだという.入隊中は国鉄に無料で乗れるという.韓国の若者の99%は,この徴兵制を嫌っているといい,青春時代の貴重な2年間を厳しい訓練としごきのある軍隊で過ごさなければならない現実がある.


機内から見た猪苗代湖

さて,福島空港からソウルへ,2時間半ちょっとのフライトで到着します.是非一度,韓国ソウルへ足を運んでみてはいかがでしょうか.

<おまけのコーナー>

コンビニではおにぎりを売っているのだが,ハングルが読めないので,中身が何なのかさっぱり判りません!これはロシアンルーレット並のスリルがあります.

阪神タイガースショップ(京王百貨店)【東京考察#113】

Hanshin Tigers shop(Keio Dept Store)

 


 2003年,絶好調の阪神タイガースである.6月末で2位に12.5ゲーム差をつけてぶっちぎりの首位.優勝も夢ではなくなりつつある.関東で唯一(阪神タイガースの公式サイトを見る限り,大阪以東では唯一であるように思う)の阪神タイガースショップが,新宿駅西口にある「京王百貨店」の7階にある.まだ,優勝もしていないというのに,売り上げがうなぎ登りであり,休日には売り場が混雑している.優勝したときにはどのようなことになるのか? 吉田タイガース以来,底辺を低迷していたタイガースであるが,今年は優勝に向け,今から楽しみである.


売り場は黄と黒のオンパレードといった感じ


「買い物かご」まで黄色にしているこだわりよう


思ったよりも売り場面積は広い

 
一番人気は,7回の攻撃の時に球場で放つ,
「ピュー」となる風船だとか.


レジには「最後尾」を示す看板までが・・・


京王百貨店の案内看板

白金台の外苑西通り【東京考察#112】

Sirokanedai(Gaien-Nisi-Street)

 


 白金台は若奥様が憧れる高級住宅街であり,「シロガネーゼ」という言葉が生まれるように,おしゃれでハイセンスなブティックやお店がしっとりと建ち並んでいる.広尾などに雰囲気は似ているが,渋谷や原宿のように大きな喧噪に囲まれることはない.外苑西通り沿いにお店がこじんまりと並んでいる.夜になるとショーウィンドウやカフェテラスがライトアップし,また違った趣を演出する.ぶらっと散歩がてらに訪れてみるとよい.営団南北線・都営三田線の白金台駅下車である.


美容室


ケーキお菓子屋


インテリアの店


ウエディングドレス


オープンカフェ(外国人も多い)


レストラン


照明インテリア


イチョウとガラスのビルディング


レストラン(結婚式の二次会などに人気)

六本木ヒルズ【東京考察#111】

Roppongi-hills (The first-class urban area redevelopment project)


森タワー (最上階には展望台がある)

 


 「六本木ヒルズ」は,民間デベロッパーとしては国内最大級の市街地再開発事業である(施行者:森ビル).施工区域面積11.6ha,東京ドーム9個分(東京ドームグラウンドの広さを基準とした場合)の広さを持つ.事業開始から実に17年の歳月をかけて,2003(平成15)年4月25日オープンした.再開発前は狭隘な道路が残る市街地であり,防災上難点のある地域だった.その六本木六丁目地区に第1種市街地再開発事業を導入し,地権者は従前における権利と同等の権利を新しい六本木ヒルズ内の敷地で受け取る「変換変換方式」によって,見違えるほどの立派な地区が完成した.

六本木ヒルズ内には,オフィスや商業地域の他に,映画館などの文化施設,居住スペースとしての高層住宅も配置されている.現在行われる再開発事業では,都心・オフィス地区への人口回帰ということを狙った職住一体となった再開発事業を行う事例がほとんどであるが,この再開発もミックスされた複合再開発となっている.都市計画の事例としてはとても興味深い歴史に残る再開発事業であろう.

なお,2003年9月21日まで,森タワー52階ギャラリー(展望台1,500円の他に1,000円の入場料がとられる)にて「世界都市」展が開かれている.そのなかでは世界七都市の高層化の事例を精巧な模型を使って紹介していることの他に,この六本木六丁目の再開発事業についてのパネル展示があり,従前の街の様子のビデオや,再開発事業の歴史などが丁寧に紹介されている.都市計画に興味ある方は一見の価値がある.



地下鉄六本木駅からは直通の地下道が通じている.
駅から来るとこの「メトロハット」内のエスカレーターで地上にでることになる.


森タワーの周りには水が流れている.


オープンスペースには緑が欠かせない.


大きな「クモ」のオブジェが・・・


建物の隙間からは東京タワーが見える


六本木ヒルズの中心的な高層ビルが「森タワー」であり,最上階には地上250mから大都市・東京を360度眺めることができる.この森タワーのエレベーターは世界初の最高技術を用いた超高速エレベーターとなっている.乗っているだけでは「静かだな」「揺れが少ないな」などということしか理解できないが,実は上下2つの「カゴ」を持つダブルデッキ・二階建てのエレベータなのである.
さらに驚いたことに 場所によって上下階の高さの違いをクリアーするために,上下2つのエレベータ(カゴ)の間には「パンタグラフ」と呼ばれる調整装置が入っており,停止する直前のわずか2秒間で間隔の調整が行われているという凄いエレベーターなのである.
このことは言われないと気づかないが,ちょうど僕の乗っているときに途中で止まったのにドアが開かないことがあり,エレベーターガールの人が「下のエレベーターが止まって乗降しているため一時止まっております」という案内によって初めて気づいたのであった.
ちなみに開発を行ったエレベーター会社は,エレベーターを世界で初めて開発した「OTIS(オーチス)」である.(個人的にはオーチス社エレベーターのファンである.個性的なエレベーターが多い.ちなみに福島県庁の古いエレベーターもオーチス社製である)


六本木ヒルズの中心的な高層ビル「森タワー」の52F展望台
現代建築の素材であるガラスをふんだんに用いている


眼下に広がる東京タワー


快晴のときの眺め

 
屋外デッキに出ることができる
(現在はなくなっている)



森タワーのショッピングゾーン

 
光をふんだんに取り入れた空間設計となっている
温もりを出すためか,所々「木」が使われている
全体的には,鉄とガラスとコンクリートの,いかにも現代の建築である



敷地内には「毛利庭園」も設けられている


せせらぎ


屋外ステージもある


こちらから眺めると,南欧山岳のようなイメージに感じる


J-WAVEのけやき坂スタジオ
東京FMの渋谷スペイン坂に対抗している.


レジデンスゾーンの高層住宅


ベランダには緑化のための
「コンクリート製プランター」
が置いてあった


レストラン



麻布警察署の前
よっぽど道を尋ねられるのか,手書きの張り紙がしてあった.

雅楽(皇居東御苑楽部)【東京考察#110】

Gagaku(East Gardens of the Imperial Palace,Department of musical matters)


雅楽を演奏する舞台


 雅楽とは,アジア大陸から伝わってきた器楽と舞と歌が日本化したもので,平安時代の中期に完成した日本最古の古典音楽である.特に,宮廷や貴族社会などで演奏されてきたもので,現在では宮内庁の楽部が伝承するものとなっている.国の重要無形文化財の指定を受けている.その宮内庁楽部による雅楽の演奏は,皇居東御苑の楽部ホールで行われている.なお,演奏を聴くには抽選申込みによる招待状か紹介による招待状が必要となる.


皇居・東御苑内にある楽部


1階の席には白い砂(玉石)が敷き詰められている


2階席から見た舞台
雰囲気的に中国からきた文化だな,と感じる


廊下の電球がなんともいい


観客席


観客席(後ろの丸いものは太鼓)

雅楽の演奏形態には,「管弦」,「舞楽」,「歌謡」の3つがある.管楽器・弦楽器・打楽器による演奏と,踊りと,歌と3つの種類があるのである.
管楽器では,龍笛や高麗笛などの他に,神社に行くとよく聞かれる「フワァー」といった独特の音を奏でる「笙(しょう)」と呼ばれるものもある.弦楽器では,琵琶や和琴などとなる.打楽器は鼓である.


演奏が終わっても記念撮影で忙しい観客達

 


皇居東御苑の風景

皇居東御苑は無料で一般公開されている.曜日や時間帯によっては入れないので,事前に確認する必要がある.


大手門(東御苑への入り口は2カ所のみ)


大手町のビル群を背に


ツツジが満開

いわき小名浜見聞録【#61-#71】[一括掲載]

(このページは2002年~03年3月に掲載したものです)

No.61 ミュージックカーニバル ~三崎公園野外音楽堂

毎年夏の終わりに三崎公園野外音楽堂で恒例のフェスティバルが開催されている.県内外のアマチュアバンドがあつまって演奏を行う「ミュージックカーニバル」である.1989年ジャズフェスティバルと題して行われたのが最初で,今年で13回目となり,当初7組だった出演バンドも20を数えるまでに成長した.なんといっても,普段はサラリーマンや自営業を営なみながら音楽をこよなく愛する人々が年に1日だけ演奏できるイベントとあって,ステージと会場との間に高い壁がなく,お互い一体となって踊りながら音楽を楽しむこともできる.いわき地方の音楽文化の育成に大きく貢献しているイベントである.会場内では,やきとりやビールも販売しているので,太陽の降り注ぐ会場で,ビールを飲みながら,日頃の成果を堪能するのも悪くはない.

No.62 風台風直撃!(最大風速48.1m)

先日襲った台風21号.戦後最大級とのふれこみで,天気予報でも警戒を伝えていたが,午後9時頃までは平穏な天候で本当に台風が来ているのだろうか,程度のものであった.このままちょっと雨と風が強くなって過ぎ去っていくだろうと思っていた.ところが,午後10時頃になると,突然突風が吹くようになり,雨足が強くなってきた.それが段々と更に強くなり,鉄筋コンクリートのこの建物が壊れるのではないかと思うくらい,突風が続いていった.外を見ると,発泡スチロールやダンボールなどのゴミが空を舞い,雨が波打っていた.隣の塀の柵が倒れた.すると,電気が消えた.と思ったらすぐついた.また消えた.またついた.これがしばらく繰り返されたあと,ついに電気はつかなくなり停電となる.
風による轟音と雨音が真っ暗な中で響く.身の危険を感じてしまう.懐中電灯とラジオを付けて,外を眺めた.部屋の中を暗くすると,外はよく見えるようになる.火花がスパークして空が明るくなる.電線が切れているのだろうか.海に浮かぶ船はライトを照らしている.すさまじい風と雨である.すると,ぴたりと風と雨が止んだ.台風の目に入ったらしい.本当にぴたりと止まった.そしてしばらくするとまた風が吹き出した・・・・.いっこうに電気がつく気配がないので,そのまま寝ることにした.
翌日,信号機は曲がり,店先の看板が落ち,ビニールのひさしは破れ,柵は倒れている.最大瞬間風速は48.1mであった.道路上にはどこから飛んできたのかコンクリート片の崩れた残骸のようなものが落ちており,ドラム缶がゴロゴロと転がっている.久々の台風らしい台風であった.おかげで,車は潮だらけ.葉っぱやワカメがこびりつき,空から海水が降ってきたのであった.

No.63 目光り大作戦!!

メヒカリとはいわき市の魚として認定された深海魚である.詳しくはNo.37の項目で記しているが,この「目光」にかけて,いわき市民総ぐるみ・秋の交通安全運動「目光り大作戦」が実施されている.その内容は,「昼夜を問わずライト点灯の目光り運転を実施しよう」というものである.トラック業界ではかねてよりライトを点灯しながら運転していたようであるが,ライトを点灯しながら運転すると昼間の事故が減少したという報告を受けて,いわき中央・常磐地区交通安全協議会・安全運転管理者協会・事業主会・警察署によって,いわき市全域でライト点灯の運動を展開しているものである.
効果として,①相手に自車の存在を早く知らせることができる,②カーブミラー内の車は確認しやすい,③遠くにいても早く気がつく,ことが挙げられている.ただし,その運動を行っていく上での対策として,①対向右折車が道を譲ってくれたと勘違いする,②消し忘れと思われパッシングされる,③降車時にライトを切るのを忘れることなどが挙げられている.
市内では,率先して官公庁や事業所においてライトをつけて走っており,ライトをつけて走る車をポツポツ見かけるようになった.しかし,9割方はライトをつけて走ってはいない.交差点では「ライトを点灯して走行」などと書かれたプラカードを持って,市民に浸透させようと広報活動を行っている.初めのうちはよくパッシングされたが,今はライトをつけていてもパッシングされることはなくなった.職務上の運転としてライトをつけることには抵抗を感じないが,個人の運転時にはバッテリーが消耗しそうで,何だかつける気はならない.どこまで,浸透していくのか,今後に注目である.

No.64 いわき東京線・高速バス Vol.4

年末も近づき,3連休には大混雑する高速バスである.安さが魅力の高速バスだが,最近はJRも休みの日に限って2日間有効の「週末東京フリー切符」というものを発売し,巻き返しを図っている.このJRのフリー切符はなかなか優れもので,スーパーひたちの往復指定席特急券と東京近郊乗り放題のフリー切符がセットになったもので,往復7500円で販売(前日まで購入)されている.高速バスよりは高いが,JRを使って都内で乗り降りする場合や電車のゆったりした空間と時間の早さを考えれば,妥当な値段である.通常の特急指定席では往復12000円程度するので,JRも高速バスを意識した相当の割引を行っていることになる.ただし,これは期間限定で2002年11月30日までとなっているが,かつては冬の期間(12月~3月)のみで販売していたものを,今年から夏まで延期したという経緯があり,今回もおそらく期間が延期されて発売されることと思う.
さて,2001年の4月より増便され,いわき発の最終が20時,東京発の最終が22時となった(2003年5月よりさらに3往復増便となり,30分おきの時間帯が増えた).さらに.金曜日のいわきから東京行きの夕方便はいつも満席で,20時発ができたことにより金曜日の乗りこぼしはなくなった.金曜日のいわき20時発のバスは,初めのうちはガラガラで半分も乗っていなかったのであるが,最近はだんだんと知れ渡ったのか,満席とはならないが結構混雑するようになっている.東京22時発の最終は,ナイターやお芝居,コンサートなどを見終わった後でも乗れるとあって,休みの日には満席となる.どうしても乗りきれないときは補助椅子にも乗客を乗せている.いわき着は午前1時であるが,1泊するよりは帰ったほうが安上がりとなるので,利用客が多いのであろう.
ちなみに,休日の東京駅15時30分以降のバスは,たいてい混雑して満席となる.そのため,2台に増便しているのであるが,2台増便は19時までとなっている.19時発になると,いわき到着が22時頃となるため,連休などの混雑時を除いては,半数くらいしか乗車しておらず,結構穴場の時間である.19時30分以降になると1台運行となっていることが多く,結構混んでいて満席に近い状態となっている.19時発は「狙い目」である.

No.65 上矢田交差点(国道の立体交差)

上矢田交差点とは,いわき市を南北に貫く国道6号と,福島県を東西に結ぶ国道49号がT字型に交わる交差点である.つまり国道49号の起点なのであるが,国道の幹線であることもあって大型車が多く通行する交通量の多い交差点となっており,平面交差の信号機による交通制御であるため,この交差点が引き金となって朝夕のラッシュ時などは大渋滞を引き起こしている交差点なのである.そこで国土交通省によって立体化工事が進められており,今年(2002年)の12月17日に供用開始予定として,急ピッチで工事が進められている.この立体化が完成すると,高速のジャンクションのようになって(一般国道でこのようなジャンクション型の立体化が行われるのは福島県初だという),信号機のないスムーズな分岐と合流ができるようになり,渋滞が大幅に解消されると予想される.現場には「12月供用(予定)」とデカデカと書かれた看板が掲げられ(「予定」と入っているところがミソであるが),もうじきあのノロノロの慢性的な渋滞から解放される日が近づいているのである.
国道49号から国道6号に向かう場合,地形的な方角は左側が四倉・原町方面で,右側が日立・東京方面なのであるが,スペースや構造上の問題もあってか,新しい立体化後には右車線が四倉・原町方面となり,左車線が日立・東京方面となるような車線構成となる.日立・東京方面の場合,左車線で陸橋になっていったん左にふってから,右に大きくカーブながら原町方面の車線と国道6号をオーバークロスして合流するようになる.つまり,地理的な方向と逆の車線を走らないと,目的に向かうことができないのである.初めのうちは戸惑うドライバーが多いような気がする.東京方面に行こうと思っている人が,右側が東京だろうと思って右車線をスピードを出して走っていたら,実は左車線が東京方面であることに気づき,急に車線変更をして事故を起こす・・・・.最悪の場合,周辺の景色は単調な山林なので,間違って走っていることに気がつかず,四倉まで行ってから気がつくといった事態もありえるかもしれない.(余談だが,北陸道から新潟に向かうとき,長岡ジャンクションが同じような構造で,越後湯沢・高崎方面と新津・新潟方面が地理的方向と逆車線の分岐となっていて,間違いが多い)
国道バイパス交差点の完成のときには,看板をよく見て間違いないように走行しましょう.国土交通省磐城国道工事事務所のホームページには詳しい情報が掲載されています.

No.66 アクアマリンふくしまのイルミネーション

クリスマスシーズンも近づき,街のあちこちでイルミネーションが見られるようになった.小名浜港の2号埠頭にあるアクアマリンふくしま水族館では,駐車場前にある7本の街路樹に電飾を取り付けられて,幻想的なイルミネーションを点灯してクリスマスムードを盛り上げている.さらに街路樹以外にも,アクアマリン館内1階のエントランスホール天井や,ラッコやトドなどがいる天井の柱にも電飾を三角形に配し,外からももガラス張りの館内がチカチカ光るように演出されている.港湾道路(市民の間では「産業道路」と呼ばれている)を大剣から三崎方面に走っていると,右側にきれいに点灯したイルミネーションを見ることができ,殺伐とした港湾の風景に心の灯火を与えている.ただし,商業施設がほとんどないアクアマリンパークなため,せっかくイルミネーションが点灯し,さらに日頃からライトアップもされているにもかかわらず,人の気配がまるでない.あまりにも「ひとけ」がなくて,ちょっと歩くには不気味ささえ感じてしまう.是非とも,デートのできる洒落たバーやレストラン,ショッピングモールなどが欲しい小名浜港である.イルミネーションは12月25日まで点灯している.

No.67 世界の人に有名な「磐城」

国際線の飛行機に乗ると,前方の大画面には映画やニュースの合間に,GISを利用した世界地図に今まで飛んできた航路の軌跡と,現在の航空機の位置及び方向が示されるようになっている.地図は全世界の大陸が載っている縮尺の小さい地図から,主な地名まで明記された縮尺の大きい地図へと,交互に表示されていくのであるが,日本列島の上空を飛んでいるときに,ふと日本地図を眺めていると,「仙台(Sendai)」,「東京(Tokyo)」の二つの点の他に,どういうわけか「磐城(Iwaki)」のポイントが掲載されているのである.仙台と東京の真ん中あたりでちょうどよかったからなのか,とにかく「いわき」の名称が日本を発着する国際線の中で,世界中の人々の目に止まっているのである.しかも,ひらがなで「いわき」と表記されずに,「磐城」と表現されているところなど,どうも日本の地理に詳しくない人がシステムを構築したのではないかと思えるのであるが,漢字で表記されているほうがなんか「渋い」!! アメリカ大陸から太平洋路線で日本に向かうと,ちょうど磐城あたりから高度を落としていく.矢祭あたりには航空管制用の信号基地があるらしいので,航空関係者の間では,「磐城」は位置を把握する上で重要なポイントにでもなっているのだろうか?

No.68 飯塚のパン(小名浜)

知る人ぞ知る昔ながらのパン屋さんである.小名浜の本町通りを江名方面へ走っていき,旧東邦銀行の隣(小名浜駅のバス停付近)にあるのが飯塚パン屋である.店に入ると「プーン」と焼きたてのパンの香りがして,奥の方ではパン作りに忙しそうに動くおばちゃんたちがいる.なんといっても手作りのパンは,昔ながらのガラスのショーケースに,ひとつひとつ丁寧にラップに巻かれておかれており,夕方でもお客さんが並んで購入するほどの人気ぶりである.これが,結構うまい! メロンパンなんて,パンの中にメロンのソースが入っていて,なんとも言えないおいしさ.あんぱん,うぐいすぱん,チョコレートパン,カツサンド,食パン・・・・,いろいろなパンを売っている.スーパーのような画一的で無味乾燥とした感じではなく,見ただけでもひとつひとつが「手作り」という風に感じ取れるパンで,実際,食べてみても手作りの味で美味しい.なお,1日おいてしまうと固くなってしまうのも特徴である.是非,ご試食を.
なお,もう一度繰り返すが,飯塚のパンは昔ながらのパン屋であある.「クロワッサン」というパンはコッペパンに赤いハムが挟んであるパンだったりする.都会的なセンスの「ブレッド」を好む人には向いていないパン屋である.

No.69 小名浜ショッピングセンタと名店街(現タウンモールリスポ)

小名浜の商業中心地は寂れてしまった・・・.それを最も感じ取れるのが小名浜ショッピングセンター跡地である.かつて小名浜には二つのショッピングセンターがあって,今はつぶれてしまって閉鎖されている「小名浜ショッピングセンター」と,現在は「タウンモール・リスポ」と呼ばれている専門店街が入る「名店街」と二つの大きな商業施設があった.休日となると大勢の買い物客で賑わっていた.この二つのショッピングセンターは,昭和40年代の中頃には既にオープンしていたといい,噴水のある中庭や透明な展望エレベーター,イベントを行えるスペースなどを備え持ち,当時としては画期的な大型ショッピングセンターであったに違いない.商業センターの先駆けとして,先見性をもった施設であったはずである.今でも,タウンモール・リスポを歩いていると,ちょっと圧迫される空間の中に,ショッピングセンターのエッセンスを「ぎゅっ」と詰め込んでいる感じを味わうことができ,旅好きの僕としてはちょっと興味のそそる空間である.東京・青山にある「ベルコモンズ」というショッピングビルも,昭和40年代頃に出来たのであろうと思われるが,やはりこのような圧迫感のある空間を持つ商業デパートである.
今は,鹿島に近代的で空間の広々としたきれいなショッピングセンター「エブリア(専門店街)」と「ダイエー」がオープンし,大きな駐車場も兼ね備えていることから,たくさんの買い物客で賑わっている.小名浜ショッピングセンターに入居していた商店も,この新しい鹿島ショッピングセンターに移転した店主が多かったため,閉鎖を余儀なくされたとのことである.これも,時代の流れである.でも,ちょっとした買い物をするのなら,タウンモール・リスポも結構便利である.いつ行っても空いていて,駐車場にもすぐ車をとめられる.僕は,お茶っ葉「宇治」を買うときにリスポの「高木園」(実は鹿島SPにも高木園はあって,ソフトクリームが人気となっている)に行っている.高木園ではお茶を買うと,お茶1杯がサービスで出される.ちょっとした楽しみである.やっぱり日本人は,ジャパニーズ・ティー(日本茶)である.

No.70 BREAD-GARDEN(ブレッドガーデン)のパン屋

No.68で飯塚のパン屋を紹介したが,そことは全く正反対といってもいい雰囲気のパン屋が「ブレッドガーデン」である.場所は,ヨークベニマル小名浜店の裏手の道路を泉駅方面にちょっといったところに「ちょこん」とあるお店で,フランスパンやクルミ入りの欧風田舎パンなど焼きたてのパンを売っている.毎日焼くパンの種類が違うので,お店に置いてあるパンの種類と焼き上がり時間のカレンダーを持って帰ってチェックする必要がある.このパン屋さんは,都会的な味を好む人には定評があり,いままで東京でパンを購入していたというこだわりの人が,ここのパン屋なら東京の一流の味と同じだといって買っていくとのこと.
実際食べてみると,なかなか不思議な形のパンと,香ばしいパンの焼けた外皮の味と,もちもちとした食感がたまらなく,繰り返し足を運びたくなる味である.しかし,そんな人気店ゆえ,売れきれるのも早く,午後3時頃いってみると,ケースの中にはほとんどパンがなく,本当に営業しているのかと疑いたくなるようなディスプレイになってしまう.焼き上がり時間は午前中が多いので,恐らく昼前は行列ができているに違いない.聞いた話であるが,ここのご主人は面白い方で,「俺の焼いたパンは日本一うまい!」,とパンにかける情熱はすごい人らしい.ここに来たら,菓子パンのような小さなパンではなく,フランスパンやクルミの入った大きいパンを1斤買っていくことをお勧めする.

No.71 「いわき」よ,ありがとう(最終回)

3年間にわたり連載を続けてきたこのコーナーも,今回が最終回となってしまいました.郡山へ引越すことになり,4月からは郡山での生活になります.「いわき・小名浜」らしい出来事,住んでみないとわからないこと,いわきの情報を少しでも多くの方に知ってもらいたくて,情報を発信しました.まだまだ,お伝えしたいことは沢山あるのですが,時間切れです.
また,このコーナーには色々な方からメールや励ましをいただくことが多く,大変励みになっていました.ご訪問してくださった方々に改めて感謝いたします.今度は「郡山見聞録」なるものを発行しようと考えておりますので,他ページ共々,今後ともよろしくお願いします.
「いわき小名浜」よ,ありがとう・・・・・.

(このページは2002年~03年3月に掲載したものです)

浅草橋の問屋街【東京考察#109】

The wholesale district in Asakusabashi

 

 浅草橋といえば問屋街である.最近の問屋は小売りも行ってくれるようになり,色々な種類の商品を選ぶことが出来るので,スーパーや百貨店とはまた違った面白さがある.特に「江戸通り」沿いにたくさんの問屋が並んでおり,人形・玩具・模型・文具・装飾品などの問屋が多い.この江戸通りは,銀座などの都心から浅草に向かうときの観光バスルートとなっているため,バス車中から「ここは浅草橋の問屋街で,人形の九月や吉徳などが見えます・・・」などとガイドさんが案内をするところである.
なお,問屋街は日曜・祝日が休業日となっているところが多いので,平日か土曜日に出かけることをお奨めする.


ひな祭りが近い


駅前では,問屋の割引券を配る人がいる

 
桜の装飾品

 
アクセサリーやパーツの店


地下鉄の出口に置かれている
服¥250 靴¥77 也


玩具・鯉のぼり・花火の店もある

 
ゴム風船やクリスマス用品の専門店


「ハンドバック会館」という名のビル
いかにも問屋街らしい名前である


点景

オラ!メキシコシティ!#1[トップ]

メキシコシティーは人口約2,000万人,標高2,240mの高地に広がる世界最大の都市(人口規模)と言われている.ラテンアメリカ最大の都市で,中南米の物・人が集まっており,大変賑やかな大都市である.メキシコシティーへの旅が実現した.そんな,旅の風景をお届けします.

(旅行年月 2003年2月)


私的コラム「とでも、とでも。」(当時)に掲載したメキシコシティー旅行に関するコラム

メキシコシティーへ   Date: 2003-02-08 (Sat)

いよいよ魅惑の中米・メキシコシティーへ行くことになりました.一昨年からの夢でありいつかいきたいと常々プランを練ってはいたのですが,仕事が忙しくなってしまいなかなか行くことが出来ませんでした.ついに決断していけることとなりました.最初は南米のアルゼンチンに行きたいと思ったのですが,予算的なことと日程的なことでちょっと近めのメキシコに決定!! いよいよ今夜のフライトで離陸します.

今回は,インターネットを本格的にやり始めてから初の海外旅行で,デジカメをもっていきます.現地のインターネットカフェなどで画像をアップロードし画像掲示板に動画を載せようと試みようと考えておりますので,ご期待ください.ただし,デジカメの画像をどのようにパソコンに取り込むかが課題で,USB接続のカードリーダーを持っていくのですが,それが認識してくれるかどうか・・不明です.(結局失敗しましたが)

メキシコでは,ピラミッドがあるテオティワカンの遺跡や闘牛・サッカー観戦などができればと思っています.ソカロ広場観光やメキシコ料理も欠かせません.航空券の予約がやっと1週間前に取ることができて,さらにホテルの予約はインターネットでダイレクトに予約し,一昨日にとることができました.海外のホテルもインターネットで予約をするとちょっとは安いらしく,旅行代理店のアップルワールドのホテルクーポンの料金よりもちょっと安くなっている感じです.

では,メキシコにいってまいります.帰国後には,もちろんHP制作をいたしますので,お楽しみに.タイトルは・・・・どうしよう・・ 未定です.旅行中に決めます.


時差ぼけとの戦い   Date: 2003-02-15 (Sat)

メキシコから帰ってきました.東回りの旅行では時差ぼけがつらいと聞いてはいましたが,まさにその通り,立ち直りに時間がかかっています.今まではヨーロッパ方面ばかりいっていたので,あまり時差ぼけは気になっていませんでした.西回り(ヨーロッパ方面)の旅の場合は1日の周期が長くなる方に時間を合わせればいいので,比較的時差に順応しやすいが,東回り(アメリカ方面)の場合,周期が短くなる方に時間を合わせるため,西回りに比べると時差に順応しづらく,時差ぼけがひどくなるという.

今回,初めてアメリカ方面の旅となったのですが,さすがに旅行中も疲労がたまりやすく,さらに頭痛が起こったりと今までの旅とはちょっと違った症状がでていました.ただ,メキシコシティーは標高が高い(2300m)ため,酸素の量が平地の2/3であることを考えると,高山病もあったのかもしれません.

日本に帰ってからは,午後になると頭がぼーっとしてきて,まぶたが重くなります.現在,日本時間で午後8時ですが,メキシコ時間では午前5時であり,体内時計ではまさに徹夜しているのと同じ状況なのです.さっきもちょっと寝てしまいました.実は,「眠くても寝てはいけない」,というのが時差ぼけを治す決まりなのですが,眠いものは眠い! 思わず寝てしまいました.気持ちいいんですね,これが.

というわけで,今も,まぶたを我慢してあけながら,この記事を書いているのでした.


【メキシコ顛末記・1】 テロの危険度がアップ! 厳しいボディーチェック   Date: 2003-03-03 (Mon)

メキシコへはダラスで乗換えるアメリカン航空で行った.イラク攻撃が囁かれる中,戦争が始まる前にメキシコに行っておこうと思ったのも,旅を2月に決行した理由の1つなのであるが,特にアメリカが標的となっているので,アメリカ系航空会社で旅行をするのは,正直ちょっと抵抗があった.

しかし,日本航空の直行便は週2便しか飛んでおらず,ロサンゼルスまで日航で,そこからメヒカーナ航空で行くという手もあるのだが,値段が高い.リーズナブルな旅行となると,アメリカ系の航空会社を使用するのが一番なのであった.

飛行機に乗って新聞を眺めていると,テロの危険度を1段階アップしたという記事が載っていた.「やれ,やれ」と思ったが,もう既に行きの飛行機の中で,太平洋の上! 今更どうしようもないと腹をくくり,12時間の空の旅を楽しんだ.これだけ,世界中が注目している中では,テロは行わないだろう.もし,ここでテロが起きれば,それこそ宣戦布告で有無を言わさずアメリカは攻撃を開始するに違いない.そう思っていた.

アメリカ系の航空会社は,9,11のNYテロ以来,業績不振にあえいでいる.ユナイテッド航空は既に破産してしまい,会社更生を図って営業を続けている.アメリカン航空もまもなく破産すると言われており,事実,アメリカに向かっているときに,そのような噂で株価が下落していたのであった.

機内におけるサービスも,徹底的に合理化が図られている.なんと,アルコールのドリンクについては,600円か5ドルの料金が取られるようになり,乗客はほとんどがジュースを飲んでいた.酔っぱらいがいなくなるのは大いに賛成だが,ちょっとアルコールを引っかけてぐっすり眠るのが楽しみだったのに,ついに国際線までジュースのみになってしまったのか,といった感じである.

ダラス空港におけるセキュリティーチェックも厳しかった.金属チェックの時には,上着を脱げ,靴を脱げ,ベルトを外せと言われ,金属探知機の中を裸足で通る.荷物も丹念に時間をかけてチェックし,中身をあけたときは次々と袋を開けろと言われて,なんと歯ブラシのケースの中までチェックさせられる始末.まぁ,ここまでチェックしてもらえると逆に安心するのであるが,他の外国人は靴下まで脱いでチェックさせられていた.

ここで荷物チェックが終わりかと思いきや,搭乗口の前でチケットをチェックするところで,机が置いてあって,またランダムに荷物をチェックさせられる.運良く,僕はチェックさせられずに済んだが2重3重のチェック体制である.

今日付のニュースで知ったのだが,アルカイダは航空機のテロによる真珠湾攻撃の計画を立てていたとか.真珠湾といえば太平洋のど真ん中であり,となると狙われる飛行機はアジアとアメリカを結ぶ太平洋路線となるわけで,そう考えると「ぞっと」するニュースであった.

都市の風景[オラ!メキシコシティ!#2]

ソカロ広場周辺

正式には憲法広場と呼ばれる大きなオープンスペースである.スペインの征服によってスペイン風の建物に建て替えられた.中央の大きな国旗は毎日軍隊によって掲揚が行われている.この周辺は,昔からの建物が密集し,歴史的建造物が多く建ち並ぶ観光名所としても価値のある地区である.

ソカロ広場周辺には屋台がたくさんでて,民芸品からスナックから雑貨から,いろいろなものが売られており,見ているだけでも楽しい.


メトロポリタン・カテドラル,つまり教会である.この教会はメキシコにある全教会を統括するもので,ラテンアメリカでは最大級である.日曜日の午後,教会内では厳かにミサが行われていた.パイプオルガンと共に皆で合唱する声を聞いていると,天井高い教会内に声が澄みわたり,体がぞくぞくと震えてくる.

ちなみに,最後の写真の奥に「足場」が写っているのがわかりますか? 実はメキシコシティーでは地盤沈下が激しく,ひどいところでは10m以上も沈下をしているという.その補強工事が行われている足場なのである.メキシコシティーはかつて湖だったところをスペイン人の征服によって埋め立ててできた街なので,地盤が非常に軟弱なのだという.

スペイン風の西欧の街並みが続く.メキシコではトロリーバスも走っている.

歴史的地区でも,平日になると屋台が建ち並び,賑やかになる.

ソナ・ロッサ周辺

独立記念塔.インディペンデンス・モニュメントである.1810年にスペインから独立して,その100周年を記念して造った物がこれである.高さは36m,ソカロ周辺とは違って,近代的なビルディングの建ち並ぶオフィス街のロータリーにそびえている.

ロータリーの中心には,このように噴水があったりする.近代的なビルがたつソナ・ロッサ地区であり,日本大使館や日本航空の事務所などもある.

交差点で車が信号待ちになると,中央分離帯や歩道で待機していた商売人が,短い時間の勝負として,ドライバーなどに売り込みを行う.写真は新聞であったが,他に,キャンディー,文房具,窓ふきなど,色々な商売があった.


路地裏のソナ・ロッサ地区は,バブや飲食店・ディスコ・民芸品店などが建ち並ぶ商業繁華街となっている.写真は午前中なので,まだ街中には賑わいが見られない.

ポランコ周辺

ポランコ周辺地区は,高級ホテルや高級住宅街・高級ブティックが建ち並ぶ地域である.道路にも緑が多く,ホコリっぽいメキシコシティーにしては良好な居住環境が形成されている.

国立人類学博物館の入口にある遺跡のモニュメント.広大なチャプルテペック公園内にある.

「国立人類学博物館」は大変興味深い博物館で,メキシコの遺跡はもちろん,人類の起源から文明を紹介し,わかりやすい模型と遺跡の再現によって,人類文明を体系的に展示している博物館である.考古学に興味のある人にはとてもよい.さらに,日曜日には入場無料となるところなど,良心的である.入場料N$35.月曜休館.
アステカ時代に行われていた生け贄儀式の再現模型や,埋め立てる前のかつては湖だったメキシコシティーの様子などの展示などもある.かつての民家を復元したところには,メキシコの主食であるトウモロコシがぶらさがっている.

メトロ[オラ!メキシコシティ!#3]

メキシコシティーのメトロ 【地下鉄】

メキシコシティーの地下鉄は非常に面白い! いかにもメキシコらしいのである.メキシコシティーに来たならば,是非何回か乗ってみることをお勧めする.駅に時刻表などは貼っていないが,次から次へと電車はやってくる.両数も多く,9両くらいつないでいたであろうか.スリが多く,場合によっては取り囲まれて荷物を取られる事があるというが,地図を広げたり「ぼけーっ」としたりしないで隙を見せない行動をとってれば,それほど神経質になる必要はないと思う(夜間は別).結構混雑するので,むしろドアに挟まれて引きずられないようにすることのほうが大変である.

1.ゴムタイヤとレールの軌道で「いいとこどり」の凄まじい性能を発揮

メキシコシティーの地下鉄は,外側にゴムタイヤがあって,その内側に車輪がついている.日本では,レールの地下鉄かゴムタイヤの地下鉄か,どちらか一方の方式のみであるが,この両方の長所をとりいれているのが,このフランス製の地下鉄である.

レールは車両の方向を導く役割を果たし,ゴムタイヤは摩擦抵抗を増して加速減速を高める役割を果たす.このゴムタイヤがついていることが,メキシコシティーの地下鉄を「くせもの」にしているのであり,凄まじさを演出しているのである.

加速は自動車並みの高加速であっというまにスピードが出る.そして,ブレーキも急で握り棒につかまっていないと,足を広げているだけでは耐えられないほどである.

ラッシュ時には,赤信号でしょっちゅう途中で停車するのであるが,どういうわけか日本のように徐々にブレーキをかけて止まっていくのではなく,いきなり「プシュっ!」という空気の音とともに,一気に非常ブレーキではないかと思われるほどの急ブレーキをかけて停止するのである.この時は,両手で握り棒をつかんでいないと吹っ飛ばされそうになる.ゴムの焼けるような臭いがして,再びすぐに動き出す.このワイルドさは乗って経験してみないとわからない! とにかく運転が粗い地下鉄である(「自動車」では運転が粗いと聞くが,「電車」で運転が粗いとはあまり聞かないような気がする).

2.駅でドアの開いている時間は超短い! 乗務員次第!?

ドアの開いている時間には乗務員による個人差があるようだが,概してドアの開いている時間は短い.混雑していて乗り降りが済んでいないのに,容赦なくドアを閉めてしまうのである.開いたと思ったら,すぐに発車ブザーがなってドアが閉まってしまうのである.ひどいときは,降りている人(乗っている人ではなく降りている人である!)が済んでいないのに閉まるときもある.

また,ドアが故障しているのか,乗務員が間違ってすぐ閉めてしまったからなのか,開いたと思ったら1秒で閉まってしまい,みんな挟まれているときもあった(さすがにこれは再びドアが開いたが・・・).

メキシコシティーの人は,このことを十分に周知していて,地下鉄の乗降の時だけはドアに挟まれないように素早く行動している.そして,途中でドアが閉まりかけたときには,躊躇することなく直ぐに車内にいる男の人がドアを引っ張っていてくれたりする(あまり期待はしないように!女性にはやってくれるが,男性にはやってくれない).そのため,中央のゴムの部分(写真オレンジ色の○印)がボロボロになっている車両が多い.僕も何度かドアに挟まれたため,当たったところの腕が痛かった.

どう考えても,何人かはドアに挟まれて引きずられる事故があると思われる光景である.

混雑するホーム

3.「物売り」と「音楽流し」が乗ってくる賑やかな車内

なんといっても,最もメキシコシティーらしいのは,これである.

ひょこっと乗ってきて,ドアが閉まり発車すると,いきなり大声で物売りを始める.物売りといっても,僕が見た限りでは押し売りされることはなく,物が欲しい人は合図を送ってN$5かN$10を払っている感じである.いい表現をすれば「車内販売」である.商品は,キャンディー,ファイル,ボールペン,雑誌,占い本,電池など,ありとあらゆる物があったが,これらをまとめてワゴンなどで売りにくるのではなく,必ず1人で1商品のみを売りに来るのである.商品を高くかざして,スペイン語で大声で叫びながら車両を歩いていく.二人以上でバッティングすることはなかった.

そして,物売り以外にも「音楽演奏の流し」が乗ってくるのである.いきなりギターを弾き出して,マリアッチのような歌を歌いながら車内を歩いていく.パーカッションをもって3人トリオのリズムを刻んでいく.笛を吹いて自作のカセットを売り歩く・・・.車内の乗客はクールなもので,誰一人として拍手をするものもいなければ,見て見ぬふりをしている感じである.混雑していてもギターを縦にして渡り歩いていくのであるから,たいしたものである.観光客の僕としては,大いに盛り上がって「グラーシアス!」などと叫びたいところであるが,「じゃぁ,お金をちょうだい」などと言われるのも困るので,僕も見て見ぬふり! しかし,心の中では大いに拍手喝采,「さすがはメキシコだ!」と叫んでいた.

1~2駅で次の車両へ移っていく.外国の地下鉄は車両と車両との間は人が行き来できるようになっていないので,駅に着くと,隣の車両へと渡り歩いていく.

4.チケット(切符)

すべて窓口で購入する.全区間均一料金でN$2(≒20円).日本の公共交通機関に比べると破格の安さである.切符を買うときは,1枚の時は「ウノ(UNO・スペイン語で1の意)」といって買っている.切符は乗るときに自動改札機に通し,そこで回収される.出るときは,出口(SALIDA)の改札口を通って外に出る.飛び乗って無賃乗車をするのを防ぐため,改札機の脇には必ず警備員が立っている.

改札口(Universidad駅) 大きな壁画がある

闘牛[オラ!メキシコシティ!#4]

闘牛観戦

闘牛はスペインの国技であるが,スペインの征服後からヨーロッパより輸入され,以来人気のあるスポーツとなっている.シーズンは10月から2月までで,毎週日曜日の午後4時から開催されている.ただ,最近は競技場が満席になることはなく,メキシコで最も人気のあるスポーツは「サッカー」であるようだ.サッカーも日曜日に開催されるため,闘牛かサッカーか,観光客は選択を迫られることになる.

闘牛の広告ポスター.出演する闘牛士は毎回違うため,人気のある闘牛士,うまい闘牛士,一流の闘牛士,いろいろな闘牛士が出場する.

プラザ・デ・メヒコ(闘牛場)の前では出店が開かれ,ちょっとしたお祭り気分となる.


チケット売り場.前列から順に種類が細かくわけられており,その種類のチケットを扱っている窓口で購入する.さらに,日陰(SOMBRA)と日なた(SOL)に分けられている.前列から順に,[BARRERA][1er.TENDIDO][2o.TENDIDO][BALCONES][PALCOS][LUMBRERA][GENERAL]となっている.窓口は,入口に向かって左側が「日なた」,右側が「日陰」用の窓口となっている.日陰の方が料金は高い.日差しの強いメキシコでは,涼しい方がいいのであろうか.

実に細かく設定されている料金表.席列の順番毎に細かく料金が決められている.席が1つ後ろになる毎にN$5ずつ安くなっている.この設定は,[2o.TENDIDOまで]で,2階席より上は自由席であった.僕が入ったのは一番安い最上段の[GENERAL]の日なた(SOL)で,料金はN$35(≒350円).

プラザ・デ・メヒコの場内.大きなすり鉢のようになっていて,64,000人収容できる.濃い青の席が最前列の[BARRERA].試合前には自動式の散水器で水をまいていた.

入口ではバックの中をチェックさせられ,ペットボトルなどはゴミ箱に捨てるように言われる.東京ドームでの野球観戦と一緒で,お酒を飲んで興奮する観客の暴走を防止するためだろうと思う.場外には非常に多い警察官が待機していた.

牛を興奮させて,背中に矢を刺していく.だんだんと牛は弱ってくる.

最後の剣のような刃で,とどめの一撃を刺す.闘牛には色々な「型」があるようで,赤いマントに向かって牛が突進するときに,「オーレー」という歓声が場内に響き渡る.
動画でお送りします(クリックしてください)

No.1 オーレー

No.2 牛を避ける

とどめの1突きが決まると,牛はぱたりと倒れる.このあと馬に引きずられて退場する.場内はブラボーの大歓声となる.1日に4~5頭が出場する.

ビールにコーラ,おつまみにピザなど,日本の野球場のように色々な物を売っている.

【プラザ・デ・メヒコ(闘牛場)】
場所は,地下鉄7号線の[San Antonio]駅から徒歩10分程度.
駅を降りてから案内看板などは無いので,地図をお忘れなく.

テオティワカン[オラ!メキシコシティ!#5]

アメリカ大陸最大の都市遺跡  【Teotihuacan】

テオティワカンはメキシコシティーの北に50km程行ったところにある古代都市遺跡である.紀元前2世紀頃に出現し,7世紀半ばに突然と姿を消した.何故都市が滅んだのか,いまだに謎は解けておらず,大災害が起こったのか,他民族との争いがあったのか,経済交易ルートが絶たれたからなのか,真相は不明である.ピラミッドに登って遺跡を眺めると,遥か15世紀も前に,人口20万人程度の大都市があったのか,と感慨にふけることができる.

“路線バス”でテオティワカンへ

北方面バスターミナル(治安があまり良くない)

テオティワカンは世界的な観光遺跡なので,さまざまな現地発のツアーが用意されていて,英語・スペイン語はもちろんのこと,旅行代理店によっては日本語ツアーも用意されている.僕もせっかくの機会なので詳しいガイドが聞ける「日本語ツアー」に参加しようと思っていたら,日曜日で旅行代理店が休みであり連絡をとることができなかった.そこで,路線バスでテオティワカンに行くことに決めた.
日本語ツアーに参加するとなると,N$1000(≒10,000円)程度の費用が必要であるが,路線バスでは片道N$21(=210円)と入場料N$37(=370円)だけで済んでしまう.移動は面倒くさいのであるが,後から考えると,街の風景をゆっくり眺めることができ,経済的にも安く済んだ,路線バスの方で正解だったと思った.

テオティワカン行きのバスは,北方面バスターミナル(Terminal Central Autobuses del Norte)から発車する.メトロを降りてバスターミナルの建物の中を左に進むと,一番端っこに「Teotihuacan ‘Los Piramides’」と書かれたカウンターがあり,バスの席が指定された予約チケットを手渡される.行きは席指定のようである.物乞いのおじさんに声をかけられたり,おつりを受け取るときに子供に腕を触られてお金を取られそうになったりしたが,バスターミナルはどこも大抵治安が悪い.バス乗り場に急いで足を運び,バスの発車を待った.テオティワカン行きは15分おきに出ているという.

バスのチケット(帰りは運転手に運賃を支払って席自由)

発車間際になると,お菓子を入れた小さな袋を次々と膝の上に落としていく人がいた.よくみるとN$5と書かれている.しばらくするとその袋を回収しに回るのだが,返さないでボケッとしているとお金をちょうだい,と言われる.その物売りが降りたところで,バスは発車した.
車内は冷房は入っていない2等バスのようである.窓ガラスはすべてスモークが入っていて,日差しを遮るようになっている.そのため,外からバスの車内の人を見ることができない.
さすがはメキシコ,途中の停留所からギターを抱えた二人組の男性が乗ってきた.薄々感じていたが,バスが発車すると車内のど真ん中に立って,やっぱりギターを弾き歌を歌い始めた.聞きたくない人にとっては大迷惑なライブ演奏であるが,冷房の効かない車内でメキシコのローカルなラテンミュージックを生で聴けるとは,何とも最高の贅沢ではないか!! 歌が終わると演奏者は自分でギターを叩いて,さも拍手が起こっているように音を出すのであるが,パラパラと拍手があっただけで,チップを上げる人はいなかった.非常にうまい人の場合だと,チップを上げる人がいるという.
サボテンのちらほら過ぎ去る高速道路を,約1時間程走ると”テオティワカン”のピラミッド入口に到着する.

太陽のピラミッド

太陽のピラミッド.高さ65m.222m×225m.世界でも第3位の大きさであるという.このピラミッドは頂上に神殿を建てて宗教儀礼のために建てられたものであると言われている.

空気の薄いメキシコシティー,平地に比べて酸素の量が2/3程度となるため,ちょっと運動すると息が切れる.248段の急な階段を上ってピラミッドの頂上に登ると,広大な都市遺跡群を一望することができる.

頂上では,世界各国から来た観光客が,景色に見入っている.背後に見えるのが月のピラミッド.

月のピラミッド

死者の道の突きあたりに,高さ46m,140m×150mの「月のピラミッド」が存在する.この上から眺めたテオティワカンは,死者の道を中心にして遺跡を一望できるので,非常にバランスの良い景色を眺めることができる.

ちょっと点景

メキシコにはサボテンがよく似合う.

民俗芸能をやっていた.

サボテンとピラミッド

バスの車窓から[オラ!メキシコシティ!#6]

路線バスの車窓から

帰りのバスチケット N$21のところでちぎって渡される

帰りももちろん乗合バスでメキシコシティーまで戻るのであるが,帰りは旧道の街中を走って途中から高速道路に乗るルートを走っていった.そこで,車中より車窓の風景を「ぱちぱち」撮りまくった.そんな普段着のメキシコの街並みをお送りする.

このバスには冷房なんてついていない.ラジオをガンガンにかけて,メキシコシティーへ向けて走っていく.車内から運転席を撮影した.

これ何だか解りますか? 街の集落内の直線道路で至る所に設置されている.「バンブ」と呼ばれるものでスピードを強制的に落とすために,わざと凹凸を道路につけて走りづらくしているものである.かなり多く設けられており,こんなに設置して苦情がこないのだろうか,と思えるぐらいである.ここを通過するたびに大型車はスピードを落として通過していく.

集落内の路地

トルティージャ(トウモロコシの粉を混ぜた生地を焼いたものでメキシコの主食・タコスの外皮はこれ)を造るための穀物でも売っているのであろうか?


集落の道端.写真(画像)が青っぽいのは,スモークの入った窓越しに撮影しているため.窓がちょっとしか開かなかったので,ご了承を.

下校する子供たち.バスが走っているので,ちょっと手ぶれをおこしている!

ちょっとした商店.コンビニといったところか.

広告がペイントされた塀.何の広告かは解りません!!

集落内の道はあまり広くない.右側通行で大型バスとすれ違っていく.メキシコの運転は概して粗く,スピードを出す.

駄菓子屋さんか? ちょっとした嗜好品を買うことができる感じ.

何だかよく解らないけれど,とりあえず撮ってみた.


とにかく落書きが多いのもメキシコの特徴か.大抵の壁にはスプレーで落書きが書かれていた.

中古品を売っている店.

タクシー乗り場.恐らく流しの「リブレ」タクシーだろう.タクシー強盗が多発しているので,旅行者は流しのリブレタクシーは乗らない方が賢明である.乗るなら「シティオ」か一流ホテルで待機している「トゥリスモ」を利用するべし.

なかなか遊び心のある街路樹である.こちらも塀の落書きはすごい.

終点のバスターミナルに到着.どういうわけか,行きに利用したバスターミナルに到着するのではなく,地下鉄で2駅ほど北にある「Politecnico」駅に到着した.「ペセロ」と呼ばれる小型バスが多く止まっているバスターミナルだった.

その他の話題[オラ!メキシコシティ!#7]

マリアッチ楽団のナイトライブ

マリアッチ楽団とは,メキシコの代表的な民族音楽のこと.陽気だが哀感漂う曲調が特徴となっている.語源は,結婚を意味するフランス語「マリアージュ」からきていると言われ,祝宴には欠かせないものである.楽団はトランペット,バイオリン,ギター,低音のギター「ギタロン」,5弦の小型ギター「ビウェラ」で編成されているが,これにアコーディオンが入ることもある.このアコーディオンの音色が,なんとも哀愁漂う音色で,個人的には好きである.
夜にナイトクラブへ行き,このマリアッチ楽団のライブを聞いてきた.なんと,最初は貸し切り状態で,英語とスペイン語を取り混ぜた1対1の対話をして盛り上がった.「Salud!・サルー(スペイン語で乾杯の意)」と叫んで,お互いに乾杯を交わし,「ジャポネ,サケ,サケ(酒)」と陽気に振る舞って,「上を向いて歩こう」を歌ってくれたりと,ラテンメキシコの陽気さを思う存分楽しむことができた.思わずサイン入りCDを買ってしまった.
テキーラを飲んだのであるが,ライムをかじりながらストレートのテキーラを飲むのが一般的とか.トマトジュースにタバスコが入ったグラスと,テキーラのストレートが入ったグラスと,二つのグラスが出てきたのであるが,どのようにして飲むのかわからなかった.両方交互に飲むのであろうか,そう思って僕は口の中でブレンドして飲んでいた.
ちなみに,マリアッチ楽団はガリバルディ広場でも聞くことができるが,この広場周辺はあまり治安のいいところではないので,ご注意を.

ガリバルディ広場

【マリアッチ楽団の聞けるナイトクラブ】
Jorongo(ホロンゴ)
シェラトン・マリア・イザベル・ホテル(高級ホテル)の1Fにあるので,帰りのタクシーを呼ぶ手間や心配もいらない.玄関に止まっているトゥリスモタクシーを使えばよい.
住所:Maria Isabel-Sheraton,Paceo de la Reforma 325  tel.5242-5555

交差点の喧噪

とにかくメキシコシティーの運転は粗い.タクシーに乗ると,スピードは出すわ,車線変更は強引だわ,隙間があればどこにでも入っていくのである.しかもブレーキも急で,車も地下鉄も運転に関してはどれも粗い.日本のように歩行者がいると止まってくれると思ったら大間違いで(日本の方が珍しい.他の国で車が止まってくれた優しい国はスイスのみだった気がする),危うくひき殺されそうになる.でも,現地の人は慣れたもので,そんな中でもスイスイとすり抜けて歩いていく.
また,エンジンが悪いのか,燃料が悪いのか,とにかく排気ガスが臭くて,空気が汚れている.

穴の開いたマンホール

これはマンホールである.コンクリート製なのであるが,すでにコンクリートがはがれ落ち,鉄筋だけがむき出しになっている.このようなマンホールが歩道上にあちこち見受けられた.日本では管理上の責任が生じるので,もし事故があった場合,管理者にも責任が被さるが,メキシコではどうなのであろうか.こんなマンホールにつまずいて怪我をしても,怪我する方が悪いという自己責任が通用するのだろうか.あまり細かいことにこだわらないのもラテンアメリカ・メキシコらしさなのだろう.

タクシー・TAXI

リブレタクシー

写真のタクシーは,「リブレ(Libre)」と呼ばれる流しのタクシーである.流しのタクシーは全てビートルを使用している.今どきビートルを見られるなんて,と思ってしまうが,フォルクスワーゲン社のメキシコ工場のみで,今でも生産しているのだという(2003年夏に生産中止が決定された).メキシコ人にとっては最も一般的なタクシーなのであるが,観光客にとってはあまり利用しないほうがよい.というのも,メキシコではタクシー強盗やバスジャックが頻発しており,流しのタクシーの場合,運転手もグルになって金品を巻き上げたり,不当な料金を要求されるとのことである.

タクシーを利用する場合は,所属がはっきりしている「シティオ(Sitio)」か,一流ホテル前に停車している「トゥリスモ(Turismo)」を利用するようにした.値段は高いが安心して乗れる.
空港からのタクシーはシティオのタクシーチケットを購入して乗車するとよい.距離(ゾーン)に応じて料金が決まっている.ちなみに,メキシコではタクシーにチップはいらないという.

シティオのタクシーチケットの半券

地下鉄の出口では・・・

地下鉄の出口には,いろいろな屋台が並んでいる.タコスを売ったり,CDを売ったり,キャンディーを売ったり,靴磨きがあったり.そして,メキシコ人は立ち食いでタコスを食べ,腹ごしらえをしている.タコスはちょっとしたスナック感覚の軽食のようで,独特の香辛料の臭いと共に,鉄板で具を焼いてトルティージャに巻いて食べている.

夜景

ホテルの窓から撮った夜景である.メキシコシティーの宝石のような光が,窓一面にちりばめられていた.

パトカー・警察

メキシコシティーでは至る所で警察官の姿を目にする.結構厳しく取り締まっているのかと思いきや,ショッピングをしていたり,時には車の中で「グースカ」寝ていたりする.なんともメキシコらしいポリスマンである.

メキシコシティー上空を飛ぶ飛行機

メキシコシティーの空港は,ベニート・フアレス国際空港で発着している.中心部から車で30分程度の距離にあり,近年は騒音問題もあって移転の話も持ち上がっているというが,どういうわけか,メキシコシティーの空港に着陸するときは,上空で左に大きく旋回して降下しランディングするのである.闘牛場の上では,その旋回中の飛行機がひっきりなしに飛んでいた.僕は夜に着陸する便でやってきたのであるが,そのときは車窓にダイヤモンドのように輝くメキシコシティーの街の灯りを旋回しながら眺めることができ,いままでの旅の疲れがいっぺんに吹っ飛んでしまうほどの,素晴らしい夜景であった.移転してしまうと,この素晴らしい夜景が飛行機から見れなくなるのであろう.右写真の上空の線は,飛行機のヘッドライトである.

入国スタンプ

メキシコの入国スタンプであるが,ハンコがつぶれていて日付は読むことができない.入国審査もずいぶんとラフなもので,笑顔が飛び出ることも・・・.税関のチェックが,ボタンを押して「赤」のランプがついた人だけ,中身をチェックさせられるという宝くじのような仕組みであると聞いていたが,僕の場合は係員の人がいて対応していた.

メキシコシティーの気候

メキシコシティーでは今は乾季となっていて,ほとんど雨が降りません.気温は,最高気温が24度程度,最低気温が7度程度で,1日の高低差が激しく,典型的な内陸型の気候となっている.昼間は半袖で十分だが,夜はジャケットなどの上着が必要であった.

最後に・・・

メキシコでは全然英語が通じません! スペイン語オンリーです.
メモ帳と筆記用具を忘れずに・・・

テプコ浅草館(東京電力展示室)【東京考察#108】

TEPCO Asakusa Exhibition hall (The Tokyo Electric Power exhibition room)

 


 合羽橋から浅草方面へ向けて「ぶらぶら」と歩いていたら,面白そうな展示室を見つけた.ここは東京電力が公開している展示室で,かつては大賑わいの繁華街であった大正・昭和時代の浅草に実際に存在していた施設を,実物大の模型で再現し解説している面白い展示室である.なんと入場は無料であり,ちょっとしたタイムスリップを味わうことができる.お台場やサンシャインにも昔の街並みを再現したテーマパークがあるけれど,本場浅草で懐かしい街並みを体験できるのはうれしい.ちょっとした穴場のスポットである.


映画館の入口(電氣館と呼ばれていたらしい)


水族館の入口(かつては水族館があったらしい)


電氣館(映画)のパンフレット


懐かしい裸電球の街灯


古い街並み


懐かしの写真も展示されている

竹下通りから裏原宿,そして表参道【東京考察#107】

Takesita-Dori to Ura-Harajuku , And Omote-Sando

 


 竹下通りは全国各地から若者が集まってくる商業エリアである.かつては歩行者天国のタケノコ族などを生み出した若者の街であるが,今となっては年齢層が下がり,渋谷よりもさらに若い中学~高校生をターゲットにした感のある地域で,いろんな雑貨を求める人々でごった返している.その竹下通りを突き抜けると,最近流行になった「裏原宿」と呼ばれる地域となり,ここは裏路地にこじんまりとショップを出している店が次々と集まって,いつの間にか街全体がヒューマンスケールの迷宮ショッピングゾーンとなっているようなところ(下北沢や自由が丘に似ている)である.表参道交差点までの点景をどうぞ・・・.


★ 竹下通り ★


クレープ店は相変わらず人気

 
今話題の「サイクリングタクシー」
乗り込むのに狭そうである


竹下通り


クレープ飲食禁止!! 衣服商品につくのだろう!
この他に,「しゃがみ込み禁止」というのもあった!


声をかけられたらまず注意!
でも,「原宿でスカウトされた」という芸能人は多い!


竹下通りの喧噪


★ 裏原宿 ★


裏原宿も人でいっぱい!


竹下通りに比べると普通っぽい街並み


落書きがすごい自動販売機


同潤會アパートも近くにあります


★ 表参道 ★


明治神宮(原宿駅)から続くケヤキ並木


これ,工事現場を囲む仮囲い板
さすがは表参道.ライトアップまでされる.


明治通りと交差する表参道交差点には
石灯籠が建っている.
もちろん明治神宮へ続く参道である.


★ おまけ ★


原宿駅前! この集団は一体!!??

 

合羽橋道具街【東京考察#106】

Kappa-Bashi cooking tool town(Aasakusa Kappabashi)


 ここは問屋街の中でも,もっとも面白いところだと思う.合羽橋道具街は食器具・調理器具・サンプル品・調理衣装など,調理に関するものなら,ありとあらゆるものが揃う問屋街である.小売りも行っており,こだわった調理器具を買いたい場合はここに足を運ぶことをお奨めする.もちろんプロ用の調理器具も揃っているので,お店をやっている人にとっても満足するものである.なお,日曜日は店を閉めているところが多いので,土曜日に行かれることをお奨めする.
地名の由来は,近くに合羽屋があったので橋の名前に付けられた,合羽屋喜八が隅田川に住む河童に助けられて新堀を開いたという伝承もある.


皿がずらりと並ぶ

 
片手鍋もずらり


提灯もずら~り


看板.すべて商品です.


衣装もあります


釜もあります


調理台


椅子,椅子,椅子・・・


ここもすべて商品です.飲食店ではありません.

 
カレーライスがなんと4,500円! もちろんサンプルの値段です.

取り壊し決定後,冬の同潤会青山アパート【東京考察#105】

DOJUNKAI Aoyama Apartment in the winter after the demolition decision

 

 同潤會青山アパートはNo.5のページでも紹介しているとおり,日本で最初に建てられた鉄筋コンクリートアパートである.平成14年末,この青山アパートも取り壊されることが決定し,安藤忠雄氏設計による再開発ビルに生まれ変わることとなった.入居者は続々と退去しており,いまなおギャラリーなどをオープンさせている店は,数少なくなった.平成15(2003)年1月の同潤會青山アパートの様子をお送りする.


ギャラリーなどの入居者はすでに移転を始めている


すでに中は空っぽ!


まだ階段の電球がついているところもあった


玄関扉.まだオープンしているギャラリーもある.
ガラス部分の装飾がなんともいい.


すでに退去が進んでいる部分は,居住者以外立ち入り禁止となっている.


窓枠の改造の痕は歴史を物語っている
でも,後は解体を待つのみなのである


閉店セールをやっているショップ.


空っぽになったアパート
どこかもの悲しい


行き交う人々の賑やかさとは対照的に,
あとはただ取り壊されるのを待つアパートメントである.
どのくらいの人々が,このアパートの存在を意識しているのだろうか.


背面.

 このアパートをまだご覧になっていない方,まもなくギャラリーが閉店し建物の中にも入れなくなります.是非一度,急いで足をお運びください.

夜の隅田川橋梁群【東京考察#104】

The bridge of Sumida river at night(view from a water-bus)

水上バス

 


  東京考察No.6では昼の隅田川橋梁群を紹介した.ここでは,夜バージョンでお送りします.では,浅草から河口まで橋の旅をどうぞ.



東武鉄道の橋梁


吾妻橋


駒形橋


厩橋


蔵前橋


JR総武線の橋梁


両国橋


首都高6・7号の両国ジャンクション


新大橋


清洲橋


永代橋


中央大橋


勝鬨橋 (真ん中がハの字に開く橋だった)

東京湾へ

おまけ・・・

レインボーブリッジ

新宿アルタ前【東京考察#103】

The Shinjuku ALTA (The Shinjuku station east gate)

 

 新宿アルタ前といえば,大ビジョンを観ながら待ち合わせを行う場所として定着しているが,つまりは新宿駅東口なのである.新宿アルタはファッションなどを扱うショッピングビルで1980年にオープンした.新宿アルタの他に,「池袋サンシャインシティアルタ」「札幌アルタ」「新潟アルタ」が存在する.そして,新宿アルタの最上階には「スタジオアルタ」があって,すっかりお馴染みの平日お昼のバラエティー「森田一義アワー・笑っていいとも」が生放送で行われている.新宿アルタの存在は,この「笑っていいとも」によって有名になったものであり,さらに特筆できることは,街頭におけるオオロラビジョンの先駆けとなった大画面を壁に掲げていることである.いまでは,渋谷や銀座や池袋など,どの繁華街でも観ることができるようになったが,ALTAに大画面ができた当時は,珍しいものであった.

 
アルタのオオロラビジョン


つまりは新宿駅東口


ミニライブができるステージもある
こんなに利用価値の高い駅前広場は他にない.


昔から変わらない風景として,
ずらっと並ぶ映画宣伝の大看板がある.
(現在はなくなっている)

 

いわき小名浜見聞録【#41-#60】[一括掲載]

 (このページは2001~02年に掲載したものです)

No.41 海が鳴る!!

海の近くに住んでいて,奇妙な経験をした.台風や低気圧が近づいていて海が大時化の時,海のしぶきが霧状になってあたりを包み込む.そして,地鳴りのような「ゴー,ゴー」という音が不気味に響き渡るのである.初めのうちは,空の方から響いてくるので,飛行機でもとんでいるのかなと思ったが,荒々としぶきあがる波のうねりの音なのである.滝が落ちるときの音が空に響くので,夜になるとよりいっそう不気味に感じる.まさに,海が鳴いているのである.

No.42 「大黒様の宝くじ」復活

「大黒様の宝くじ」として全国の宝くじファンから人気のあった大黒屋百貨店1階の宝くじ売り場.デパートの倒産によって宝くじ売り場も閉鎖されたのであるが,大黒屋デパートの屋上にあった守護神でもある大国魂神社を分社してもらい,平1丁目再開発ビルの1階に売り場が設けられることになった.運営は「平1丁目都市開発」が行い,2002年4月のビルオープンまでは仮設の売り場で販売され,ビル完成後はビル内に移転する.
初日の販売日は9月27日である.
もともと再開発ビルに宝くじ売り場を設ける予定はなかったが,時間が経たないうちにあの大黒様の宝くじ売り場をなんとかしたい,とのことで関係機関と相談の上,4月のオープンを待たずに仮設売り場まで設けてオープンさせることになった.年末ジャンボに穴をあけたくない,という思惑があったのだろう.しかし,仮設の売り場を新聞で見る限り,以前と比べるとやはりお粗末な感じは否めなく,本当に大黒様の御利益があるのかな,ちゃんとお客さんが来てくれるのかな,と思ってしまうのであるが,これは今年の年末ジャンボで1等賞を2本以上だして実績を作る以外にないであろう.実際売り場に行ってみるとどうなのであろうか?近々行ってみようと思う.
いわき民報の新聞には「いわき市のシンボルであり文化だった「大黒様の宝くじ」・・・」と記してある.宝くじ売り場が「いわき市の文化だ」と断言しているところがすごい.石田純一の「不倫は文化だ」に匹敵する名言のような気がする.JRAの福島競馬場を持つ,さすがはギャンブル立県うつくしま,っていった感じである.

No.43 吉野屋の牛丼-小名浜での評判

いわきに吉牛が上陸したことは,No.35で述べたところである.さらに国道4号の草野付近にも1件オープンし,次第に吉牛勢力が浸透してきている次第である.その吉牛の評判なのであるが,「小名浜の吉牛はまずい! 味が薄い!」といった意見が大勢を占めている.この話は小名浜のどこにいっても聞かれることであり,いわき市民の口には合わない味なのかなと思ってしまう.吉牛の味付けは,おそらく全国統一で,地方地方で味が変わることはないと思われ,事実僕が食べたときはそれほど東京の吉牛と味が変わっているとは感じられなかった.
小名浜でレストランを経営している人が言っていた.「レストランをオープンさせるとき,その地方で「好まれる味」というのがあり,東京で成功した味でもいわきでは流行らない味ということがある,その地域の実情を考えて店を出さなければいけない.いわきでは味の濃い煮魚やしょうゆをたっぷりつけた刺身などが食されてきたところなので,どうも味付けは濃いめの方が好まれるらしい」,と
そうなると,味付けの濃い牛丼が好まれるのも理解できるが,もうひとつの要因として開店当初は大行列ができるほどの繁盛ぶりで,牛丼の肉や汁を次から次へと出さなければならない状態であり,ということは,普段は鍋に入れて暖めておくのである程度水分が蒸発されて,中身が濃くなっているのであるが,その蒸発する時間がなく,結果として薄味と感じられる牛丼が供されていったのではないか.

No.44 松喜鮨

小名浜でうまい寿司屋は・・と聞くと必ず返ってくる言葉が「松喜鮨(まつきずし)」である.小名浜の中心地の細い路地の中に店があり,いつもにぎわっている鮨屋である.休日にもランチタイムメニューをやっていて,800円でにぎりやちらし,鉄火丼,いくら丼,あなご丼,うな丼などが食べられ,さらにサラダ・かに汁・小鉢がつくのでお得である.ランチのスタンプカードもやっている.ランチ以外でも,新鮮な魚介類を提供してくれるのであるが,なかでもワニの唐揚げやうみぶどうなどといった珍しい一品も出してくれる.特上にぎりは3000円でランチタイムにもかかわらずこれを食べていくお客さんも多い.店員さんたちも夏場をのぞいてはネクタイを着用して鮨を握っており,愛想はないが人間味のあるお寿司屋さんが松喜鮨のプライドとして感じられる.カウンター席のイスには,すべて白のシーツがかけられているのも,松喜鮨ならではといった感じである.ちなみに回転寿司でうまい店は鹿島街道沿い東警察署小名浜寄りにある「源洋丸」,刺身定食のうまい店は源洋丸の隣にある海鮮レストラン「和千荘」であると僕は思う.

No.45 夜の小名浜といえば・・・

いわき小名浜見聞録や小名浜観光情報で殿方が待ちわびていた情報,それが「夜の小名浜」の話題ではないだろうか?
福島県で「夜は小名浜で豪遊だ!」などと言えば,それは必ずソープランド街での湯遊びのことをさす.いわきで酒飲みや宴会で泊まりにきた殿方たちは,1次会で宴が終わったあとに「ちょっと行って来るか」などと言ってタクシーを呼びつけ街に繰り出したりする.小名浜は各地からの船が停泊して発展していった港街だからなのか,福島県で随一の風俗街が形成されていて,約20件ほどの個室付き特殊浴場(都市計画の専門用語ではこう呼ぶ)街がネオンをキラキラさせながら密集して建ち並んでいる.
小名浜には「いわき特殊浴場協会」なるものがあって,新宿歌舞伎町などのようにぼったくり店というのは存在しないようなので,安心して遊ぶことができる.料金は60分16,000円.これはどの店でも共通しているようで,協会で設定されている値段なのであろう.朝9時位から深夜23時50分までの営業が多く,金土日曜日や給料日後などは混雑して2時間待ちもざらなので事前予約をしてくる客が多いという.どのお店が評判なのか?それは小名浜で酒を飲んだときにまわりの客や店員さんから情報を得るか,タクシーの運ちゃんに聞いてみるなどして情報を手に入れましょう.若い子がいる店と,おばさんが出てくる店といろいろあるようなので,情報収集は欠かせない.小名浜の街を走っていて,「小名浜配湯株式会社」なる看板を目にすることがあるが,この会社はまさしくお風呂にお湯を提供している会社なのであった.工場で出た排熱を利用してお湯を供給しているということである.

No.46 いわき東京線・高速バスVol.3

相変わらず好調のいわき東京線の高速バスである.連休初日の朝の便は4台も増便されていたのであるが,アメリカテロ事件の影響もあってか,国内旅行が復活しているようであり,首都高に入ったとたん大渋滞に巻き込まれ,綾瀬駅到着が1時間も遅れてしまった.首都高の渋滞は葛西まで20kmも続いていたということから,東京ディズニーシーへの行楽渋滞のように思う.
さて,綾瀬駅で降りる場合と東京駅まで行く場合とでは運賃に200円の差がある.この料金設定は非常に良心的だと思うのだが,回数券の場合,綾瀬駅までと東京駅までとを別々に購入しておけばいけないのか,といえばそうではない.回数券は4枚綴りで無期限なので,綾瀬駅までの回数券(表示を正確に言うならば「綾瀬駅から○○円と書かれた回数券」)を使って東京駅からも乗車することが可能で,そのときは乗車時に運転手さんに差額200円を払えばOKなのである.だから,東京に今後も行く予定があるのであれば,割引率の高い回数券を買った方が絶対にお得である.
東京からいわきまでの便は電話予約ができないので,いわきの窓口で予約するか,当日東京駅の窓口で便指定をしなければならない.といっても,連休最終日などの午後の便は混雑し,すぐ次の便には乗ることができず,2~3時間後の便からしか空いていないことがよくある.その時は「キャンセル待ち」をすることができる.窓口でキャンセル待ちの番号札を持ってのりばの先頭で待っていると,空席がある場合に限り,番号順に乗せてもらえる.ただし,キャンセル待ちの時はあとの便の予約をすることができない.つまり,予約していた便より早いバスに乗りたいが満席だったという場合にキャンセル待ちをするためにはあとの便の予約を解除してからキャンセル待ちをすることになる.この辺は「かけ」になるが,予約便が1~2時間後くらいであれば,予約便に乗った方が確実である.たいてい,キャンセル待ちで3~4名乗ることができる.
そして,キャンセル待ちの乗客がすべて乗ったあとにも空席がある場合には,「繰り上げ乗車」といってあとの便の予約をしている客でも乗せてもらえることができる.ちなみに,今までキャンセル待ちを何回かやったとこがあるが,次の便に乗れなかったということはなかった.キャンセル待ちをする客はそう多くはない.
最近は最新型のきれいなバスも投入されるようになっている.そして,常磐交通でも2003年5月より,塗装も新たに新型のバスが投入されるようになった.

No.47 小地震王国!いわき

福島県は地震保険の等級が一番低い県であり,地震が少ない地域であると言われている.しかし,それは大きな地震という意味であると思われ,事実,いわきに住んでみると,小さな地震がかなり多いことに気づく.福島県の中でも太平洋側のいわき特有の現象なのかもしれないが,震度1~2,ときには3以上の地震が頻発している.震源地は宮城県沖や福島県沖といったものが多く,海のすぐそばに住んでいる僕にとって,地震が起こる度に津波が襲ってこないか不安になったりする.まぁ,地震が多いということは,エネルギーの放出がされているということなので,逆に大きな地震の心配がない地域であるということの証なのかもしれないが・・・.

No.48 新川緑地公園,1本のイルミネーション

旧大黒屋デパートの脇に「新川公園」というグリーンベルトがある.ここにある街路樹は,毎年クリスマスシーズンになるとイルミネーションが施され,ムードあふれる公園となっていた.ところが,このイルミネーションは大黒屋デパートの協賛によって電飾の設置と電気代が支払われていたということであり,今年はこのイルミネーションが見れないものと思われていた.ところが,周辺商店街や住民からのボランティアによる募金などによって1本だけイルミネーションが復活したのである.かつては年末ジャンボ宝くじを求める人たちの行列ができ,賑やかな新川公園であったが,今年は人出がさっぱりだとか.イルミネーションだけでも復活させたいという思いが,1本の光り輝くクリスマスツリーとなったのであった.

No.49 湯ノ岳からの眺望

常磐道湯本インターから小名浜方面に走ったところにある交差点を曲がって,ぐんぐん山道を登っていくと湯ノ岳となる.湯ノ岳は標高593.6mの山なのであるが,ここからの眺めは「素晴らしい」の一言.いわきにこんなに眺望のすぐれた場所があったということに驚きを覚え,もっと早くからこの場所を知っていればと後悔してしまうほど,眼下に広がるいわき市の景色が素晴らしい場所である.煙突からモクモクと煙があがる小名浜の工場地帯があり,その背後には紺碧の太平洋が広がり,いわきの特徴でもある丘陵地の地形が波を打ち,植田の常磐共同火力の大きな煙突が見える.頂上にある展望台からは,いわき市の中心地「平」のビル群が眼下に眺められ,夜になると夜景がとてもきれいでデートスポットとなっている.車で簡単に行くことが出来るので,是非とも一度は足を運んでみるべきポイントである.ただし,冬はカーブなどで路面が凍結しているので要注意であるが,冬の空気の澄んでいるときの方が景色は最高であろう.

No.50 冬のいわき地方の気候

福島県は大きく分けて3つの地域に分けられている.新潟県境の越後山脈と奥羽山脈に挟まれている地域が「会津」と呼ばれ,白虎隊や鶴ケ城・喜多方ラーメン・猪苗代湖・スキー場・檜枝岐や尾瀬も会津地方となり,福島県の中では最も全国的に知名度の高い地域である.次に,奥羽山脈と阿武隈高地に挟まれている地域が「中通り」と呼ばれ,県庁所在地の福島・経済商業都市の郡山・最近ラーメンが脚光を浴びている白河と,福島県の動脈となっている地域である.そして,阿武隈高地から太平洋にかけてが「浜通り」と呼ばれている地域であり,野馬追いの相馬・Jビレッジの楢葉・塩屋崎やアクアマリンふくしま水族館のあるいわき市が該当する.
福島県の面積は北海道,岩手県に次いで日本第3位,東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県の合計面積をよりも若干広いという広大な県であり,三者三様,文化も違えば気候も全く異なっている.
冬の気候について,会津では毎日毎日雪が降り続き,気温の低い日が続いているのであるが,高速道路で太平洋側の浜通り(いわき)にくると「どっ,ぴかーん」といった晴天の広がる温暖で穏やかな気候となる.いわきでは山沿いを除いては雪が滅多に降らず,スタッドレスタイヤに履き替えない人も多いという.同じ県内でこの差は何なのか?と時々思うが,ラジオやテレビで「中通りや会津では大雪で交通がストップしています」などと放送されていても,いわきでは晴天が広がる別世界といったところである.四季の変化は乏しいが,雪がないのは非常に暮らしやすい.

No.51 Jビレッジに「アルゼンチン」

楢葉・広野町に「Jビレッジ」というサッカー場とクラブハウスを備えた日本最高レベルのサッカーナショナルトレーニングセンターがある.1997年に福島県・日本サッカー協会Jリーグ・東京電力のパートナーシップにより設立されたものである.東京電力が関係しているのは,太平洋沿いに設置されている原子力発電所の見返りとしての施設であるからで,原発がなければこの地にこのような素晴らしい施設は誕生していないと思う.
そんな「Jビレッジ」に,今年の夏開催される日韓共催ワールドカップに参加するアルゼンチンのチームがキャンプ地となることが決定した.アルゼンチンといえば最強チームのひとつ.そんなチームがJビレッジにやってくることは,福島県内ではちょっとしたニュースとなっており,チームサポートや地域交流・ボランティア活動など,全面的に応援する態勢を整えている.アルゼンチン代表が訪れるのは5月とのこと.地元としては,日本のみならずアルゼンチンも応援したくなるのが心情であろう.

No.52 いわき小名浜方言講座(FMいわき)

FMいわき・SEAWAVEに「いわき小名浜方言講座」という番組がある.タイトル名からして,年輩のおじいちゃんやおばあちゃんが出てきて,いわき地方に伝わる方言を,その言葉の歴史や意味合いを訥々と語る面白みのない番組かと想像してしまう.ところがどっこい,これほどユーモア溢れるおかしな番組はない.パーソナリティーは声の若い!?男性2人で,いわき地方で普段使われる方言を毎日1語ずつ取り上げていく.言葉の意味を伝えることに加え,中学校の時に「This is a pen.」などとレクチャーしたように,その言葉を混ぜたフレーズを繰り返して読み返し(これを聞くとどうしても「くすっ」と笑ってしまうのは僕だけではないだろう.というのも例文の中身がふざけていて面白い.),そして更にそのフレーズの英語訳も読み上げるといった,いわき小名浜の方言と英語を学べる一石二鳥の教養番組なのである.
例えば,「こけにする」という方言,意味は「馬鹿にする」ということであるが,レクチャーする例文は,
「あんにゃろ いづも おれのごど こけにすんだ」
訳文「あの人はいつも私を馬鹿にします」
英文「He always makes fun of me.」
となり,もう一人のパーソナリティーがまじめな声でこれをレクチャーするのである.
また,別の例文は,
「おめー はなし ごっちゃにすんな」
訳文「あなた話をおかしくしないでください」
英文「Are you fallowing me?」
さらにもう一つ.
「おめーの はなぐら うっちぇしくって ねむちぇー」
訳文「あなたのイビキがうるさくて眠れませんでした。」
英文「I couldn’t sleep because of your noise.」
放送時間は,平日7:20 15:50(再) 土曜9:30 16:30(再) となっている.この番組は聞かないとおもしろさが分かりません.

・・・と,この項目を載せたとたん,平成14年3月30日をもって,番組が終了してしまった・・・.是非,同じ内容の再放送をしてもらいたいものである.(恐らく方言のネタがなくなったものと思われるが・・)

No.53 太平洋健康センター(蟹洗温泉)

四倉の国道6号沿いに温泉娯楽施設・太平洋健康センターがある.健康センターは日本全国どこにでもあるので,ご存じの方も多いと思うが,ここの健康センターも,大浴場あり,サウナあり,マッサージあり,足裏壺マッサージあり,食堂あり,仮眠室あり,演歌ショーあり,とありふれた健康センターである.しかし,立地している場所がすごい.目の前が海,建物からは「海」しか見えないのである.大きなガラスに向かってイスにもたれならが,小さくなったカーフェリー(太陽のマークが入っているので,ブルーハイウェイラインのサンフラワー号であろう)を眺め,また,時化のときは大荒れになった灰色の波しぶきをみながら自然のすごさを感じることのできる,ダイナミックな景観を味うことのできる健康センターである.
それ故に人気が高く,日曜や連休などは大混雑となる.2階にはゲームコーナーがあって,パチンコやパチスロも置いてある.100円で60発できるのであるが,本物のパチンコよりも甘い釘でよく回る.大当たりするとメダルが1枚でてきて,3枚でてくると入泉券(1250円の金券としても使える)と交換できる.つまり確率変動が続けば次回もただにすることができる.しかし,世の中そう甘くはない.入泉料は2100円なので,2100円以上投資したら赤字なのである.運が良ければ黒字だが,大抵は赤字である.ただ,前まではすごく爆発する壊れた台(だと思う)があっていつも10連チャン以上出る台が1台だけあったのであるが,いまは通常の台に戻されてしまった.
全身マッサージは人気が高く,休日は1~2時間待ちとなるので,早めに予約をいれて入浴後に程良くあたたまってから受けるとよい.やはり部分マッサージではなく40分以上の全身マッサージがおすすめである.あっという間に時間が過ぎてしまう.
深夜0時を過ぎると,深夜料金が加算され,翌朝まで泊まっていくことができる.健康センターの魅力は安い料金で1泊できるところにあるが,加算料金は1050円なので,3150円(税込)で1泊できることになる(8時30分チェックアウト).仮眠室や休憩室,なかには廊下で寝ている人もいるが,他人のいびきさえ気にならなければ,さほど眠れないことはない.ただ,冬や夏は空調をとめないので喉がやられることがある.いわきは日の出を拝むことができるので,晴れていれば水平線から登る太陽を見ることができる.(先日泊まったが,残念ながら曇りだった.)
ちなみに,勿来(勿来海岸隣り)にも来年あたり,太平洋健康センターがオープンする.北茨城や日立から日帰りの観光客がやってくること間違いなしであろう.いわきには泉と植田の中間あたりの国道6号沿いにもう1件「いわき健康センター」が存在するが,こちらは温泉ではないが,マッサージがカイロプラクティック療法を用いたちょっと痛い(僕はちょっとどころではなかったが)マッサージを味わうことができる.
四倉の健康センターに行く場合は,ローソンのコンビニにおいてある端末機・ロッピーで画面操作をすると,JTBを通じて発行されている割引された入泉券を買うことができる.2100円が1650円になるのでローソンで買っていくことをお勧めする.

No.54 さらにゴミ分別が細かく・・・

ただでさえ細かい「いわき市のゴミ分別」が,平成14年6月からさらに細かく分別されることになった.既にNo.2の項でいわき市のゴミ分別について記載してあるとおり,現在は8分類にゴミを分別をして出さなければならない.台所のゴミ置き場には,種類ごとのビニール袋が置かれていて,どの袋が何のゴミだったかごちゃごちゃになってしまう状況である.
さらに追加された分別とは,今までは「燃えるゴミ」で一括して出しておけば良かったものを,
①「プラ」マークのついている「リサイクルするプラスチック」 →新たに2週に1回回収
②「紙」マークのついている「紙箱・紙袋・包装紙」 →古紙類として一緒に出す
③その他の燃えるゴミ(従来の燃えるゴミ) →週2回回収
に分けなければならなくなった.またまた,さらにゴミ分別用のビニール袋が増えそうな事態である.「リサイクルするプラスチック」とは,カップラーメンのカップやサンドイッチを包んでいるビニール袋,卵の透明なケース,シャンプーの殻,ペットボトルに巻かれている包装フィルムなどである.ただし,惣菜等で汚れたラップやマヨネーズや汚れの落ちにくいマーガリンのついたプラスチック類は,その他の燃えるゴミに出してくださいとのこと.台所のゴミ置き場は,さらに置き場面積が増えること間違いなしである.この市民の分別の成果を,きちっと反映したリサイクルをやっていただきたいものである.

No.55 磐越自動車道,三和I.C.と中央I.C.

いわき市から郡山,会津若松市を経て新潟市まで,福島県を横断するように結んでいる磐越自動車道であるが,常磐道とのジャンクションから分岐して最初のインターチェンジが「いわき三和インター」である.いわき市の中心部から最も近いインターは,好間にある「いわき中央インター」なのであるが,いわきから郡山・福島・会津若松方面に高速で向かおうとする人は,中央インターでは乗らず,中央インターから三和インターまで国道49号で走っていき高速にのっかる.というのも,中央インターから磐越道に向かおうとすると,一旦常磐道を東京方面に向けて走った後,ジャンクションにて分岐し,再び三和インターで国道49号とぶつかるといった三角形のルートをとるため,ショートカットして直線で走る国道49号を走っても時間が変わらないからなのである.若干であるが,高速料金も節約できる.いわきから郡山方面へ向かう高速バスは,中央インターから乗って律儀にぐるりと迂回して磐越道を走っていくルートをとっている.郡山方面からいわき市の中心部へ向かおうとしている方,三和インターで降りた方がお得であるのでお忘れなく・・・.

No.56 いわきの夏祭り

熱い夏がやってきた.いわきでは数々の夏祭りが行われる.

2002年
7月20日 第2回おなはま海遊祭 アクアマリンパーク
7月26日 いわきおどり勿来大会 植田街商店街
7月27日 四倉ねぶたといわきおどりの夕べ 四倉街商店街
7月28日 ゆもと温泉大江戸宿場まつり 湯本温泉
8月 2日 はないちもんめ/いわきおどり常磐大会 湯本駅前
いわきおどり小名浜大会 鹿島街道岡小名
8月 3日 はないちもんめ/金魚つかみ大会 湯本駅前
第2回おなはま海遊祭 アクアマリンパーク
第41回いわき小名浜ミュウ花火(15000発) 小名浜港アクアマリンパーク
8月 4日 第2回おなはま海遊祭 アクアマリンパーク
8月 6日~8日 平七夕まつり 平商店街
8月 9日 いわきおどり いわき駅前通り
8月14日~15日 いわき回転櫓盆踊大会 内郷駅前

特に,いわき小名浜の花火大会は15000発もの花火が打ち上げられ,尺玉の連続打ち上げには圧倒される.いわきおどりは「どんわっせ!」の掛け声と共に,いわき市民が踊り歩くもので,職場や学校などでチームを結成し,毎年夏の恒例行事となっている.各地区で予選大会が行われて,最後のいわき駅前で行われる「いわきおどり」で祭りの頂点に達する.皆さんお誘い合わせの上,いわきの熱い夏をご堪能ください.

No.57 海水浴のあとの温泉

2002年の夏がやってきた.今年の海開きは7月17日(水).薄磯海岸をメイン開場として海開きが行われる予定である.8月18日までの33日間の海水浴である.例年海水浴客は減少しており,おととしから海水浴期間を1週間短くしたこともあって,昨年は曇りの日が多かったため約43万人の人出となり,平成になってからは最低の人数であった.今年は台風が襲来しているが,なんだか暑くなりそうな気配があるので(なんの根拠もない!),東北の湘南と言われるいわき市内10海水浴場に人出が多くなることを期待したい.
さて,海岸沿いには,簡保や国民年金などの温泉付き保養宿泊施設が存在する.この温泉は,海岸沿いということもあって,塩化物泉のしょっぱい温泉が湧き出ている.
これが「くせもの」なのである.
海水浴で日焼けをした体でお風呂にはいると,ひりひりと痛む.これが,塩化物泉の温泉となれば,火に油を注ぐのと同じことで,痛みの極みを経験することができる.日焼けした体を塩で揉んでいるようなものである.海水浴と温泉はマッチしない.肌によいアルカリ性の温泉が出ていればいいのであるが,海岸沿いでは期待できない泉質であろう.気の利いた宿泊施設では,温泉の風呂とジャグジー付きの普通のお湯の風呂の2種類があるからいいが,塩化物泉の湯船しかないお風呂では,シャワーのみといったところであろう.

No.58 いわきおどり小名浜大会

いわきおどり小名浜大会の祭りにいってきた.いわきおどりは昭和56年,いわき市制施行15周年を記念してつくられたものであり,それまであった,小名浜天狗おどり,常磐やっぺ踊り,じゃんがら念仏おどり,常磐炭坑節などの踊りを継承しつつ,市民が気軽に参加できる踊りを創作しようとつくられたものであるという.札幌で開催されている「よさこいソーラン祭り」と同じで,学校や企業などの市民グループが参加して踊るという市民参加型のお祭りであり,いわきの夏の風物詩として定着している.
いわきおどりは,勿来,四倉,常磐,小名浜の各地方で大会が開催され,平で行われるいわきおどりで頂点に達するのであるが,その小名浜大会にいってみたのである.この時期になると,各職場や学校ではいわきおどりへの準備を行うようになり,「もうじき,いわきおどりがやってくるな」などといった会話が繰り広げられ(かつて東京線の高速バスの車内で,いわきおどりについて話しをしているひともいた!),各チームお揃いはっぴなどを用意して参加する.美容組合ではパーマのカツラをかぶって踊り,病院では看護婦さんがナースの格好で踊る.踊り方は基本形があるのだが,自由に振り付けを行ってよく,チームによってさまざまな踊りを見ることができる.
30分踊り続けて,15分の休憩を挟む.これを3回繰り返すので,体力がかなり消耗する.でも,非日常の祭りパワーは,人々を踊りの虜と変えてしまう.各チームの最後尾には,水分補給のための飲み物を運ぶ人がついており,かなりハードであることが伺える.こうして,いわきの夏が過ぎてゆくのである.小名浜では,次の日に15,000発の花火大会が開催され,その次の日には港祭りが開催される.祭りが目白押しの小名浜であった.
当サイト内にいわきおどり小名浜大会の模様を掲載しております.是非,ご覧ください.

No.59 小名浜港の再開発はこうしよう!!

夏祭りが続く小名浜港には,各地から大勢の人々がやってきている.年間100万人を越える観光客が小名浜港にやってくるといい,いわき市ではNo.1の観光客入り込み数を記録するまでになっている.1・2号埠頭では,いわき・ら・ら・ミュウやアクアマリンふくしま(ふくしま海洋科学館)がオープンし,その1・2号埠頭はアクアマリンパークというウッドデッキのオープンスペースで散策できるようになっており,週末や休日には家族連れやグループで大変賑わっている.小名浜でも「小名浜まちづくり市民会議」を発足させ,街全体のまちづくりをどのように行っていくか議論を重ねているところであり,小名浜の将来ビジョンを創っていく機運が高まっているところである.
そんな小名浜港の未来について,個人的に語ってみたい.このことを実現するためには,地元の合意形成や開発制度の問題,資金調達や開発手法など困難なステップをクリアーしていかなければならないが,人々はユートピアに向かって活動をおこなっているのであり,そんな実現不可能な勝手気ままなユートピア(夢物語)だと思って,読んでいただければと思う.

ら・ら・ミュウ(1号埠頭)とアクアマリン(2号埠頭)との間には,ウッドデッキのアクアマリンパークが整備され人々が回遊する素晴らしいオープンスペースがつくられている.しかし,その後背地には倉庫群が存在している.その倉庫は物流の拠点として使用されているのであろうが,その倉庫群にレストランや喫茶店,アウトレットモールなどの商業施設を展開すれば,人々は絶対に立ち寄ること間違いなしである.現在は,ここを訪れた観光客がただぶらぶら歩いているだけの状態で,この人々を取り込めないのは非常に「もったいない」のである.なんらかの融資や補助制度を確立して小名浜の街中の個人商店の人が移転して店を開けるようにし,是非ともあの無味乾燥とした倉庫街を「商業地」として賑わいのある空間にできないものだろうか.
小名浜駅から港湾道路を横切って,アクアマリンふくしまのある2号埠頭に向かって,貨物線が1本走っている.港湾道路を車で走ると,信号機式の踏切なので一旦停止をせず,突っ走ることができ,この線路に貨物が走ることはあるのだろうか,と疑問に思いながらも,車でいつも通過する.この貨物線は,かつて2・3号埠頭で資材や石炭などを積み上げていたときに,小名浜駅まで運ぶための引き込み線だったと思われ,ということは小名浜港における工業生産活動として機能していた「歴史的遺産」なのである.これを活用しない手はない! 小名浜駅付近に大型の駐車場をつくり,そこから「ら・ら・みゅう」や「アクアマリン」に行く人のために,夢のあるトロッコ列車を走らせるのである.車内では,かつてのこの線路の役割を案内すれば,日本の生産活動・工業についての社会科見学ともなって,一石二鳥なのである.駐車場は小名浜の街中と港との中間あたりになるので,街中に行く人にとっても便利となり,また港にやってきた人をトロッコ列車に乗せて街中に引き込ませる交通手段を確保することにもなり,小名浜街全体の向上にも寄与する.もちろん街中の魅力向上策を練らねばならないが・・・.
最近のウォーターフロント開発には「観覧車」が切っても切れない関係である.「お台場」も「葛西臨海公園」も「みなとみらい21(横浜)」もどこにも日本最大級の観覧車がついている.まぁ,小名浜にも観覧車といった画一的な施設をつくりましょうとは言わないが,アミューズメント施設があってもいい.日本初の海上ジェットコースターをつくるとか・・・.つまり,若者をターゲットにした「遊び場」が必要である.さらに,遊び場だけではなく,世界会議や展示が行えるようなコンベンションホール(ビッグサイトや幕張メッセのようなコンベンションセンター)をつくるべきである.ここでは世界一流の劇やショー・コンサートを行えるようにもし,芸術文化の発信基地としての役割を担うのである.
これだけの再開発を行ってくると,バスよりも輸送密度の高いアクセス交通機関が必要となってくる.そこで,かつて泉駅から小名浜駅まで走っていた鉄道を復活させたり,今,環境の面や乗降のしやすさなどユニバーサルデザインといった視点からも世界的に再注目をされている路面電車(ライトレール)を鹿島街道沿いの平から小名浜にかけて敷設し,自動車だけに頼らないいわき市内の交通網の確立を行って行ければ最高である.
そして近年,倉庫群の一部改装が行われて,徐々に小名浜港の魅力アップが推進されている.

No.60 小名浜グリーン劇場

小名浜には「小名浜グリーン劇場」という映画館が1軒だけある.タウンモールリスポと呼ばれる専門店街(かつての小名浜ショッピングセンター隣)から東へ道路2本行ったところにあるのだが,この映画館がすごい! かつての小名浜の繁栄を物語る施設なのであろうが,とにかくすごい! 上映は,土休祝日のみであり,上映作品も一月遅れといった内容で,中に入ると湿気からくるカビの臭いが鼻を突き,ドアを開けるとジメジメした空気が漂うばかりか,汚れたカバーの掛かる傷ついた緑色のイスが並んでいる.体がかゆくなってきた.地方の昔からある映画館ではよくある光景なのであるが,シネコンなどが建設される昨今,天国と地獄の差がある.そして,お客がいないかと思いきや,7~8人位居るのである! 車の運転できない小中学生のグループと招待券できているらしいおばちゃん達.まぁ,僕もその一人なので,物好きな奴と言われればそれまでだが,とにかくすごい映画館である.今夏の上映作品は5月中旬に公開された「ナースのお仕事・ザ・ムービー」.人間とは不思議なもので,5分もするとカビの臭いが気にならなくなり,こんなものかと体が慣れてきた.
ちなみに「グリーン劇場」は1階なのであるが,同じ建物の2階は「ローズ劇場」というのがある.その名からもピンとくるとおり,成人のピンク映画館である.正確には,小名浜の映画館は2軒あるということになる.左の窓口で買うと「ナースのお仕事」,右の窓口で買うと「成人映画」,愛想よく販売するおばちゃんは同じ人である.

 (このページは2001~02年に掲載したものです)

千代田区生活環境条例(路上禁煙)【東京考察#102】

The Chiyoda-ku living environment regulations(No smoking on the street)


アスファルトにスプレーで書かれたマーク

 


  2002年10月から千代田区の一部地域(駅前など)において,路上禁煙などを行う生活環境条例「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」が施行された.「路上禁煙地区」のみならず,ゴミなどのポイ捨てを禁止した「環境美化・浄化推進モデル地区」,「違法駐車防止重点地区」が区域ごとに指定されており,路上禁煙地区では歩きタバコだけでなく、道路上で喫煙する行為全てが禁止されることとなった.区職員の巡回者に見つかると2000円(当面)の過料がとられる.
シンガポールに行ったとき,とても街並みががきれいだったが,ゴミ捨てや喫煙についてまでも罰金を課していると聞いたとき,そこまでして造られた綺麗さ・モラルだったのか,とシンガポール国民が自らの意志で綺麗にしようとしているのではないことに,何か人工的なしらじらしさを感じたことがあったが,まさしく日本も同じようなことをしないと街が綺麗にならないのかと感じる条例であった.

 
環境美化・浄化推進モデル(ゴミ捨て禁止)地区のマーク


例えば,境界線を境に民地側で喫煙した場合は,
条例違反とはならない.

新木場(木材流通基地)【東京考察#101】

Shin-Kiba (New Wood circulation base)


新木場駅の看板は「木製」

 


  「新木場」は14号埋立地だったところを昭和47年に江東区に編入した地域で,「木場」に代わって木材流通基地の整備が進んでいるところである.木場は2km程北北西にいったところに存在する地域で,江戸時代に日本橋・神田周辺にあった木材置場(貯木場)を集中的に移転させたのが始まりである.その後,最近まで東京港における木材の需要を引き受けていた.しかし,埋立地の造成により内陸地となってしまったこと,木材需要の増大による敷地の狭隘化,さらに木場周辺も含めた江東区は地盤が低く木造家屋が密集していることから抜本的な防災対策の観点から,木材流通拠点を新木場に移転することとなり,現在の新木場ができあがっている.

新木場駅を降り立つと,材木の香りが鼻をつく.木材のショールームなどもあって,木に関するものはあらゆるものを手に入れることができる.お台場とは違って,殺伐とした東京港湾を味わうことができるのも新木場である.付近には東京ヘリポート,キャンプ場や都内唯一のゴルフ場を併設する若洲,ゴミで埋め立てられた夢の島などが存在する.

 
貯木場


材木が積まれている

 
木材関係の会社が集積されている

 
WOOD & DIY ショップ もくもく」(駅前)では
中古の樽やログハウスまで売っている.


丸太がゴロンと置かれている.


砂町南運河の向こうは,若洲である.
コンテナを積み込む船が見える

東京港の屋形船【東京考察#100】

The houseboat of Tokyo harbor


屋形船より大川端リバーシティー21を望む

 


 屋形船は江戸時代より庶民に親しまれていた江戸のレジャーである.両国界隈には屋形船を営む店が数多くあったというが,そんな江戸情緒を今でも味わうことができる.駒形橋や両国,芝浦付近から,提灯のぶら下がった屋形船が貸しきりで運航され,船内は畳敷きとなっており,揚げたての天ぷらや刺身,カラオケなどができるようになっている.そして,なんと言っても最高の夜景は,お台場のきらびやかな近未来の灯であり,江戸情緒に浸りながら最先端の灯りを堪能することができるのである.

 

堤防の階段を下りて船に乗り込む

 
ライトアップされた隅田川橋梁群をくぐって東京港を目指す
(左:永代橋 右:新大橋)


隅田川を航行する船(首都高6号線より)


屋形船 船内

 
調理場や水洗トイレも完備されている


カラオケもできる


笑顔が素敵な従業員と・・・・


お台場の夜景
実際に船から眺めると,デックス東京やフジテレビの明かりが宝石のように瞬いて,
巨大な船・タイタニック号のように見える.これはとても美しい.

柳橋【東京考察#99】

Yanagi-Bridge(The bridge of the Kanda-river lowest style)

 


 柳橋は神田川最下流にかかる橋である.隅田川との合流地点にかけられており,昭和4年に架設された37.9mの鋼橋である.橋の歴史は古く,渡し船による行き来が不便だということで1698(元禄11)年に架設されたのが始まりで,その後,1887(明治21)年に鋼鉄製となったが,関東大震災で落ちてしまい,復興局によって1929(昭和4)年に完成したのが現在の橋となっている.隅田川にかかる橋梁群と同じ時期に復興された橋であり,土木遺産として価値のあるものとなっている.
柳橋の由来については、江戸時代に付けられていた「矢の倉橋」が変化したもの,柳が並ぶ柳原堤の端にあるから,橋のたもとに柳が1本あったことからなどの説がある.このあたりは,江戸時代の繁華街だった両国が近くにあり,吉原への渡船場ともなっていて,花街も形成されていたという.戦前の昭和初期には,料亭や船宿などが建ち並び,現在も,屋形船の発着場としてかつての江戸情緒の賑わいを感じ取ることができる.


柳が立つ. 袂は屋形船のりばとなっている.


屋形船

江戸東京博物館【東京考察#98】

Edo-Tokyo Museum

 


 江戸時代から賑わいのあった「両国」につくられた江戸東京博物館は,江戸東京の歴史遺産を振り返り未来の東京を考える博物館として平成5年にオープンした施設である.特に見所としては,世界でも有数の大都市といわれた江戸の町割(都市計画)や生活・芸能・文化を,精巧な模型などを用いて丁寧に復元しており,江戸という都市に興味のある人にとっては見応えのある展示内容である.江戸だけでは終わらず,現代の東京(昭和40年代頃)まで展示は続いていく.入口は6階まで一気にエスカレーターで上り,上から徐々に降りていくような順路となっている.
博物館の所在地は墨田区横網1丁目となっている.さすがは相撲の地「横綱」なんて,と思ってしまうが,実は,横綱(よこづな)ではなく横網(よこあみ)である.なんとも紛らわしい地名である.隅田川の近くで網漁でも営む者がいたのか,隅田川にかかわる地名であろう.


再現された「日本橋」


再現された「芝居小屋中村座の正面」


武家屋敷の模型


お産の様子


町人町の模型

神楽坂(料亭街の路地)【東京考察#97】

Kagurazaka(The alley of a Japanese-style cooking town)


神楽坂の商店街

 


 神楽坂の由来は,坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)で神楽を奏したから,津久戸明神が移ってきたときにこの坂で神楽を奏したから,若宮八幡の神楽が聞こえてきたからなど,いずれも神楽にちなんだ諸説からきている.明治から昭和初期にかけて,山の手でもっとも栄えた繁華街で,坂の上にある山の手七福神の一つ「毘沙門天(善国寺)」の縁日でにぎわったところである.人がすれ違うのがやっとの石畳の路地に連なる割烹料亭は,神楽坂の風情を最も醸し出している.しかし,料亭街はほんの一部で,神楽坂は居酒屋や飲食店,パチンコ屋,ゲームセンターなどが広がる賑やかな商業地域で,東京理科大や日本歯科大学,法政大学などが近くにあるため,若者のコンパなどでも賑わうところである.イメージよりも現代的な街である.


石畳の料亭街


石畳の料亭街


入口には明かりが灯されている


料亭街の路地


毘沙門天(善国寺)


これが路地の幅  街灯が奥へと続いている
建物と建物の間を縫うように入る
ボケッとしていると気がつかない路地である

 
ふつうの飲屋街もある


ゲーセンで太鼓を打つ外国人
外国人観光客の姿も目につく


これが今の神楽坂である


飯田橋駅から神楽坂へ
(外堀通り 神楽坂下から)