「■東京の情報」カテゴリーアーカイブ

BANCHAN WORLD の東京をテーマにしたカテゴリーです.

サンシャインシティー【東京考察#46】

Sunshine City (redevelopment)


 サンシャインシティーは、東京拘置所(戦後米軍に接収されて以来「スガモ・プリズン」と呼ばれていた)の足立区小菅移転に伴ってできた跡地を再開発したものであり、昭和53(1978)年に地上60階、240mの日本一(当時)の超高層ビル・サンシャイン60の完成と同時に、サンシャインプリンスホテル・ワールドインポートマート・専門店街アルパ・プラネタリウム&国際水族館などを備えた複合施設である。

日本一高いビルもさることならが、日本一高いところにある水族館などが目玉となり、日本全国から観光客がやってきて、サンシャインシティーは一躍脚光を浴びる施設となった。この再開発の中には、オフィスをはじめホテル、会議や展示のできるコンベンションセンター、商業娯楽施設などが複合して入っており、日本における最初のミックスドユースの再開発と言っていいだろう。このような再開発手法を日本に浸透させるきっかけを作ったことはもとより、サンシャインシティーは東京の中に位置する「池袋」という街全体の地位向上に大きく貢献した開発である。

週末になると溢れんばかりの人が、池袋駅東口からサンシャイン60通りへとなだれ込み、そのまま東急ハンズ脇の地下歩道へと吸い込まれていく。日本一高いビルが東京都庁へと変わり、そして現在は横浜のランドマークタワーとなってしまった今、サンシャイン60の話題は以前に比べると少なくなってきているようである(サンシャインへ寄るはとバスツアーも少なくなってしまった)が、ナンジャタウンのオープンや、屋上である61階(スカイデッキ)を開放して最も高い位置の空気を肌で感じることができるようにするなど、イベント盛りだくさんで訪れる人を楽しませてくれる。


専門店街「アルパ」 地下1階から地上3階まで4層構造となっている


噴水広場

 サンシャインシティーに最初に行ったとき、なんと楽しい夢があふれるビルなのだろうと思った。そのひとつが、噴水広場である。地下1階から地上3階までを吹き抜けにして、その下に噴水とステージをつくり、上の階の人からも下のステージを見れるようになっている。初めてこれを見たときは、小学生ながら感動したものである。しかも、音楽に合わせて噴水のパターンが変化するというのも面白い。天井まで突き抜けるような大噴水になると、周りから歓声があがる。

 
天井まで突き抜けるような噴水

 
最上階(3階)では自然の光を取り入れる設計になっており、
この光が吹き抜けを通って地下1階まで届くようになっている。


スカイデッキ(61階屋上) 網が張られている


さすが高い建物だけあって、
屋上には各種アンテナ(携帯電話)が取り付けれれている

 
「似顔絵コーナー」や「記念メダル」 ・・・懐かしい・・・


東京都旅券課池袋分室がある つまりパスポートの引渡し所
隣にはトラベル用品店もある

 
サンシャイン60は、商業施設は下の階のみで、メインはオフィスビルである
オフィス用のエレベーターホール いたってシンプルなデザイン


地下歩道に設置された「動く歩道」
当時としては画期的であったように思う

   
今流行のテナントも入っている

恵比寿ガーデンプレイス【東京考察#45】

Ebisu Garden Place (redevelopment of a beer factory former site)

 


 恵比寿ガーデンプレイスは、サッポロビール恵比寿工場の跡地に1994年に開業した、ミックスドユースの複合再開発である。
敷地内には、サッポロビールの本社をはじめ、オフィス地区、レストラン街、デパート、映画館、東京都写真美術館、ホテル、そして住宅まで、職・住・商が一体となった再開発である。都心では、インナーシティー問題として、夜間における居住人口の減少が問題となっており、近年の再開発では必ずといっていいほど、居住地域が併設される開発が行われるようになっている。


サッポロビールステーション 煉瓦調の建物である。

 サッポロビール恵比寿工場は、日本における最初のビール発祥の地であり、1889年に創業が開始された。恵比寿駅もビール出荷のために設置されたものであり、駅の名称もエビスビールからとってつけられたものである。近年は、増産における工場敷地の手狭及び環境基準の強化により対応できなくなり、移転(千葉県船橋)によって閉鎖したのである。


恵比寿工場(麦酒記念館の模型展示より)

 事業主はサッポロビール㈱、運営管理はエビスガーデンプレイス㈱が行っている。イベントなどを随時開催しており、中央の広場ではヨーロッパ民族衣装の生演奏などが行われており、日本でもこのような光景が見られるのは非常にうれしい。ロンドンのアップルマーケットのようである。また、サッポロビールということもあって、新発売のビールの無料サービスが振舞われたりすることもあり(GW中)、ビール党にはたまらないものとなっている。


ビールの無料サービスには長蛇の列・・・。コップ1杯、350ml。新発売の発泡酒。


センター広場ではイベント等が行われている

センター広場での演奏(動画でお送りします)

 

恵比寿麦酒記念館というビールの博物館がある。入場は無料であり、ビールの製造工程や歴史について展示が行われている。その中で、ビールの利き酒ならぬ利きビールがあり、400円を払うと4種類のビールを飲み比べることができる。


麦酒記念館入口(無料)


ピアノ生演奏をやっていた


恵比寿ガーデンプレイスの開発テーマは「水と緑」である。敷地内には水の流れと緑の木立が配置されており、「ガーデンプレイス」との名のとおり、庭をイメージして設計が行われている。


両脇には水が流れている。

  
センター広場


天井から吊り下げられているアートワーク 「空からの声」
敷地内には全部で20種類のアートワーク(モニュメント)が存在する。

 

駒込駅のツツジ【東京考察#44】

An azalea in the Komagome station


 JR山手線の駒込駅は、切り通し構造となっており、その法面(のりめん)には「ツツジ」が植えられている。そして、毎年5月になると濃ピンク色のツツジの花が、ホーム両側に広がって、乗客の目を和ませている。都内のJR線の車窓から季節が感じられる花としては、ツツジのほかに、サクラ、アブラナなどがあるが、駒込駅のツツジは最も鮮烈に目に飛び込んでくるものである。この季節、駒込駅に電車が到着すると、車内の色彩が一瞬変化する。


はとバス(定期観光バス)【東京考察#43】

‘HATO BUS’ (sight-seeing tour bus)

 


 旅に出かけると大抵の街(世界中どこでも)には日帰りの定期観光バスが走っている。定期観光バスは、自分の旅プランに合わせて見所をコンパクトに見てまわれるので便利である。そんな定期観光バスを東京で運行しているのが「株式会社はとバス」である。鮮やかな黄色いボディーに「HATO BUS」と描かれた赤文字のバスは、非常に目立つペイントである。はとバスの歴史は古く、今年(2001年)で創業52周年(1949年創業)とのことである。

はとバスのツアーは実に様々なコースが用意されており、初めて東京を訪れる人のためのコースから、最近流行のお台場やアクアラインへのコース、桜の名所めぐりや屋形船、夜景見物、有名ホテルでのディナー、歌舞伎鑑賞、ヘリコプターツアー、トップレスショー、ニューハーフショーなどなど、東京に住んでいる人にとっても多彩なコースが用意されている。一日コースから、半日コース、ナイトコースと時間も好みに合わせて選択でき、また、外国人観光客のための英語ガイドツアーも用意されている。(英語ツアーは浜松町駅・世界貿易センタービルからの発車となる)

はとバスのりばは、東京駅・新宿駅・浜松町駅・上野駅・池袋駅・渋谷駅にあるが、メインとなるのりばは、東京駅丸の内南口となっており、ほとんどが東京駅からの発車である。東京駅のチケット売場に行くと、電光掲示板にずらずらと発車コースと空席状況が表示され、東京にはこんなに「はとバス」が走っているのか、と驚いてしまう。発車のラッシュ時(9時、13時、17時頃)には、何台も連なったはとバスが、東京駅南口ののりばにずらりと並んでいる。

また、はとバスでは系列ホテル「銀座キャピタルホテル」の宿泊プランを組み合わせることができるコースもあり、これを利用すれば1泊5500円(コース代別)で東京に宿泊することが可能であるが、曜日限定なので利用の際は注意が必要である。(とはいっても、ナイトコース+宿泊プランのセットの場合、月・金・土・日・祝休前日限定となっており、土曜日に利用できないということはない。)

  
発車待ちのはとバス            チケット売場


参考までに、ツアーを一部紹介する。たまには黄色いはとバスで新たな東京を発見してみてはいかがでしょうか。

<昼のコース> 2000,4,1現在
東京1日(たっぷり東京を味わえる)
東京半日
東京三名所(皇居・浅草・お台場通過・東京タワー)
東京ハイライト
お台場と隅田川下り
隅田川下りと浅草
東京ドライブ(全て車中からの欲張り見学ツアー)
靖国神社と浅草隅田川下り
浅草とお台場
東京はやまわり
眺望抜群!東京都庁とお台場散策(クルーズ付き)
パノラマ三大ブリッジとアクアライン
お台場散策とアクアライン
お台場・海ほたると浅草観音
東京湾ぐるり周遊シーサイドライン(アクアライン全線通行して木更津を経由する)
東京タワーとベイスポット
お台場・横浜と海ほたるドライブ
春を遊ぼう!東京絵日記
東京横浜名所めぐり
山の手一日(サンシャイン60など。今となっては唯一サンシャインへ行くコースとなってしまった)
浅草・柴又・とげぬき地蔵(下町門前まちめぐり)
ホテルオークラと歌舞伎鑑賞
下町散策とヴィーナスフォート
東京下町物語(浅草園芸ホールなど)
講談師といく花のお江戸
東京上空ヘリコプター遊覧とお台場・ハーバークルーズ
東京ディズニーランド一日
綺麗にドレスアップ(有名ホテルでドレスを着て記念撮影。昼はケーキバイキング)
東京の優雅なひととき(帝国ホテルバイキング料理とクルーズ船で喫茶)
シンフォニーランチクルーズと絵になる一日
しだれ桜の名園散策と椿山荘のお花見膳

<夜のコース>
夜のヘリコプター遊覧と舞浜・ベイヒルトン(バイキング料理)
夜景の東京タワーとシンフォニー
夜の東京ディズニーランド
東京港サンセットクルーズとアクアライン
江戸の風流 屋形船
横浜チャイナタウンと夜景の海ほたる
巨人戦ナイター(東京ドーム 指定席B)
大相撲本場所
ホテルニューオータニと本場のフラメンコ
帝国ホテルバイキングとニューハーフレビューシアター
興味身心アルカザール(妖艶なニューハーフショー)
鉄人のレストランとアルカザール
夜の六本木とニューハーフ「金魚」
ギャルソンパブのニューハーフショー
黒鳥の湖とホテルオークラ(ホテルディナーとニューハーフショー)
黒鳥の湖と浅草米久(牛なべとニューハーフショー)
老舗の牛なべ米久と六本木トップレスショー
夜の赤坂ジェントルメンズクラブ(トップレスショー)
熱体高気圧!J MEN’S TOKYO(外国人男性ダンサーのストリップダンスショー)
淑女の指定席!新宿歌舞伎町ホストクラブ

 

天王洲アイル【東京考察#42】

Tennouzu Isle (City area redevelopment)

 


 天王洲アイルは、日本で最初に民間デベロッパーによって開発された大規模な開発事業である。「大規模な開発を民間で行った」というところに、天王洲アイルの特筆される部分がある。首都高速1号(羽田)線と浜松町駅と羽田空港とを結ぶ東京モノレールを中央に挟んで、スフィアタワー天王洲とシーフォートスクエアの高層ビル群を配しており、それらの高層ビルは歩行者専用のペデストリアンデッキによって相互につながっている。テレビドラマのロケ地としても使われたことがあるように、お洒落でハイセンスなムードを味わうことができ、オフィスとしてはもとより、ホテル・レストラン・ショップ・喫茶店・郵便局・写真屋・ファーストフードなどがテナントとして入っているミックスドユースの開発である。いろいろな店があるのであるが、それらが非常にコンパクトにまとまっていて、人間の尺度にほどよくフィットする。お台場に飽きてきたら、天王洲でデートといったコースはお奨めである。夜になると芸術的なライトアップにより、さらにムード満点の空間が演出され、ますますデートコースにもってこいのエリアとなる。


ビルとビルはペデストリアンデッキ(歩道橋)で結ばれている

 
ビルとビルの谷間には中庭が配されている 緑の演出が嬉しい


首都高速と東京モノレール
街開きに伴い、モノレールの天王洲アイル駅が新設された

 
シーフォートスクエアのガレリア アートスフィアの劇場もある


運河に面してウッドデッキがある


結婚式の記念撮影・・・


オープンカフェのテーブル


レストランの外には水が流れる


ライトアップ用のライト お洒落なガラス管となっている

 是非とも、夜に訪れて下さい。

飛鳥山公園と3つの博物館【東京考察#41】

Asukayama Park and three museums (at Oji)

 

 飛鳥山公園は北区民のシンボルである。JR京浜東北線や東北本線に乗っていると、鬱蒼とした緑が車窓に広がるのがわかる。公園の歴史は古く、徳川8代将軍「吉宗」が庶民の行楽のために桜の木を植えたことからはじまる。それ以来、桜の名所として、花見シーズンになると夜な夜な宴が繰り広げられるのである。王子にある小学校の写生大会や低学年の遠足は、必ずといっていいほど飛鳥山公園であった。首都高速中央環状線(王子線)の工事で、公園の上空を高架橋で渡す計画があったが、区民や環境団体の反対を受けて地下トンネルに工法が変更され、飛鳥山の自然環境は守られることになった。現在、トンネル工事は鋭意施工中である。



野外ステージがある

  
「せせらぎ」では子供が水遊び        D51と昔の都電


バトミントン


桜のトンネル

 
災害用給水所(都市の公園は災害の本部になる)


 飛鳥山には1998(H10)年3月に開館した3つの博物館がある。
王子は明治時代から製紙会社(王子製紙)の工場があったところで、その跡地に紙専門の博物館として世界にも知られている「紙の博物館」があったが、首都高速の工事によって王子駅東側にあった展示館を飛鳥山に移転した。それがまずひとつ。北区の自然や歴史を紹介した「区立飛鳥山博物館」、実業家・渋沢栄一に関する史料を集めた「渋沢史料館」の3館である。それぞれがこじんまりとした博物館であるが、3館を巡ると結構な時間になる。紙の博物館については、紙ができるまでをわかりやすくパネルやビデオで展示されており、一見の価値がある。飛鳥山博物館では、北区の生い立ちや歴史について知ることができ、蝋人形の飛鳥山劇場の仕掛けは「王子の狐」に引っかけていて面白い。渋沢史料館の2階からは、隣の旧渋沢庭園の青淵(せいえん)文庫を眺めることができる。

ちょっと余談になるが,製紙会社の沿革について記してみたい.現在,北海道の苫小牧にある王子製紙は,この王子に存在したから付けられた名前であり,王子製紙の創業者は渋沢栄一である.明治時代に苫小牧に移転したのち,戦後になって過度経済力集中排除法によって「十條製紙」「本州製紙」「苫小牧製紙」に分割され,今の王子にある施設を引き継いだのは十條製紙であった.その後,十條製紙は合併によって「日本製紙」となり,苫小牧製紙は「王子製紙」の名前を復活させて本州製紙と合併し,現在に至っている.駅前のサンスクエアビルは十條製紙(現日本製紙)グループが引き継いで運営しており,かつてはスケートリンクも存在していた.つまり,今の王子周辺にある製紙関係の施設は「日本製紙」であり,「現王子製紙」ではないのであるが,複雑に分割・合併を繰り返してきた製紙業の歴史を辿ると,製紙会社は「王子」から出発したことになるのである.

    
左から、「渋沢史料館」、「区立飛鳥山博物館」、「紙の博物館」


飛鳥山から明治通りの反対側(歩いていくとなると、駅前の歩道橋を越えて回らなければならない。王子駅北口の公園側)に音無親水公園という素晴らしい公園がある。日本の都市公園100選にも選ばれ、音無橋のアーチと音無川のせせらぎが心を和ませてくれる。玉子焼きで有名な割烹扇屋もこの近くにあり、江戸時代には扇屋から音無川の渓谷と紅葉が眺めることができる行楽地であった。音無川は、石神井川の飛鳥山下を通る隧道の通水によって豪雨時以外は使われることがなくなっていた河川であった。


音無橋と音無川(実際は塩素の入った循環水が流れている)

 
音無親水公園


花見で宴が盛り上がる

交詢社ビルヂング【東京考察#40】

‘Kojunsya’ building (at 6 chome of Ginza)

 


 銀座6丁目の中央通りから1~2本JR線側に入ったところに、交詢社ビルディングが建っている。「建っている」と現在形で話ができるのもあとわずか、まもなく取り壊される運命にある。既に、解体用の仮設の壁がたてられ、ビルにはネットがかけられて、あとは入居者が出ていくのを待っている感じである(H13.3現在)。
交詢社ビルは昭和4年に建てられ、設計者は横河工務所の横河時介、当時流行のアールデコを意識した設計となっている。戦前の重厚な古き時代の銀座を象徴する建物として、広く親しまれてきたが、平成11年度の耐震調査等の結果により、取り壊されることが決定されたようである。
交詢社とは、福沢諭吉が設立した1880年創立の社交倶楽部であり、知識を交換し世務を諮詢することから命名されたという。


側面入口


交詢社通りからみたビル


解体の準備はもう始まっている


1階には「ピルゼン」というドイツ風ビアホールが営業されており、建物内部の重厚な雰囲気を味わうことができたが、店員さんによると、もう既に立ち退きの話がきていて、今すぐにでも営業をやめなければならないのであるが、ぎりぎりまで頑張って営業しているとのこと。しかし、6月(H13年)までが限界でしょうと話していた。残念な限りである。この店のトイレにいくと、いかにも昭和初期の建物であるというタイムスリップした雰囲気を肌で感じることができる。


ビアホール「ピルゼン」


店内の様子


トイレまでの道のり


いかにも昭和時代のトイレといった感じ
(改装はされていると思うが、タイル張りなところはいかにもといった感じ)


この店も6月頃までだとのこと


テナントは引っ越しの準備をしている

 古き良き時代のビルがまたひとつ消えることになる。

そして,取り壊されて跡形もなくなり,現在は新しい交詢ビルディングが建っている.

 

多摩ニュータウン見学モデルルート【東京考察#】

多摩ニュータウン 見学モデルルート

豊ヶ丘4丁目までの行き方
多摩センター駅バスターミナル8番のりば 全路線が豊ヶ丘4丁目停車 約15分

A:豊ヶ丘・貝取南近隣センター
B:歩車分離(車道と立体交差)
C:タウンハウス(低層集合住宅)
D:鶴牧近隣センター
E:富士見通り(道路の軸線上に富士山が存在)
F:タウンハウス鶴牧(3つの公園を環状につなげ、その内外に住宅を配置)
G:鶴牧東公園
H:グリーンメゾン鶴牧(メニュー方式による中層住宅)
I:プロムナード多摩中央(プラス1住宅)
J:多摩中央公園
K:パルテノン多摩(多摩市総合複合文化施設 大小ホールと展示室、ギャラリー等)
L:多摩ヴァンサンカン(多摩ニュータウン展示室)
M:都市センターの中心地
N:多摩センター駅前広場(ペデストリアンデッキを配して、徹底的に歩車分離を図る設計)

O:東京都立大学(イタリアの山岳都市をイメージさせるような設計)
P:宮上中学校(学校も周辺の景観イメージに合わせて設計)
Q:ベルコリーヌ南大沢(マスターアキテクト制による、強烈な個性ある中・高層住宅)

三徳前バス停より南大沢駅までバスで約10分

 

多摩ニュータウン(その3)【東京考察#39】

Tama housing new town (Vol.3)


南大沢駅北側に広がる都立大学
イタリアの山岳都市をイメージした設計となっている


「宝くじ」までイタリア調である


近年オープンしたアウトレットモール


仮面ライダーショーに集まった親子

★ベルコリーヌ南大沢 1989(H1)年入居開始
内井昭蔵氏をマスターアーキテクト(主任建築士とでもいったところか)として各クラスターの設計を担当した建築家の独自のデザインを尊重し、南欧山岳都市をイメージした非常に個性的な街づくりを行った。住宅は主に中層のタウンハウス型式であるが、高層住宅棟は地区の北側にバランスよく配置されている。


南大沢の高層住宅 三角屋根のとんがりが特徴的
デザインに個性が感じられる


川が流れるベルコリーヌ南大沢
レンガ調の強烈な個性ある色彩である


中層住宅


イタリアにいるようだ


建物の側面には地番が明記されている

★ライブ長池 1990(H2)入居開始
堀之内地区の再奥部にある長池をシンボルとし、「せせらぎ」がテーマとして開発が行われている。堀之内駅前と住宅地区をつなぐガウデイ調の屋外通路は非常に個性的である。


四谷にあった見附橋を移設したもの
長池から流れ出る川にかけられている


長池


長池から流れてくる「せせらぎ」をテーマとしている


ライブ長池 これも一連の「せせらぎ」である


堀之内駅前と斜面上の住宅までをエスカレーターで結んでいる

 
堀之内駅前と住宅を結ぶ斜行エレベーター
斜めに動いていく珍しいエレベーターである

開発の行われる前の多摩NTは、畑や山が広がるのどかな丘陵地であり、このような街に大変身するとは、誰も想像していなかっただろう。その当時の写真や様子は、多摩ヴァンサンカンの展示室にて公開されている。タヌキやキツネがでそうな、雑木林であった。

見学モデルルート

参考文献
・多摩ニュータウンパンフレット
・日経アーキテクチュア 93年3月号

多摩ニュータウン(その2)【東京考察#38】

Tama housing new town (Vol.2)

見学モデルルート

1980年代前半

住環境の向上を図るため、多摩NTにタウンハウス(低層集合住宅)が建設された。多摩NTで最初にタウンハウスが建てられたのは諏訪地区(1979年)であり、続いて4年後に鶴牧地区で建設された。また、入居者がメニューの中から自分で設計するフリースペースを含んだ、メニュー方式による中層住宅も登場した。

★タウンハウス諏訪 1979(S54)年入居開始
タウンハウスの先駆的事例として知られる。しかし、高密化できないこと、建ぺい率が高く駐車場の確保が難しいこと、コストが割高であることなどにより、タウンハウスの時代はあまり長続きしなかった。

★タウンハウス鶴牧 1982(S57)年入居開始

★グリーンメゾン鶴牧 1983(S58)年入居開始
中層および高層からなる住宅。中層棟に勾配のある屋根を付けて雁行させるなど、外観に一工夫付け加えている。入居者が設計できるメニュー方式による中層住宅もある。


2階建てのタウンハウス鶴牧


住居案内板
緑のラインが歩行者・自転車専用道路
灰色のラインが自動車・二輪車道路
完全に歩車分離がされている


歩行者専用道路


自動車の道路

区画整理事業によって建てられた戸建住宅もある


雁行屋根をつけたタウンハウス


道路の軸線上に富士山が見えるように設計された「富士見通り」
運良く富士山が見えている


公園の広場ではサッカー

1980年代後半

この時代になると、アイデンティティー(個性・その人らしさ)を重視した街づくりが現れるようになってきた。プラスワン住宅と呼ばれる、通りに面して開かれたもう一つの部屋(フリースペース)を持つ住宅が登場し、キャラクタープランと呼ばれる、個性的な間取りが考え出されるようになった。また、マスターアーキテクト制を導入して、街全体を調和のあるデザインに設計された開発も登場した。

★プロムナード多摩中央(プラスワン住宅) 1987(S62)年入居開始
「プラスワン住宅」である。通りに面した部屋(フリースペース)での趣味活動などにより、地域とのコミュニケーションが図られ、暮らしの営みにプラス1のふくらみが生まれる。通りに対して賑わいを創出する狙いもあった。

★ファインヒルいなぎ 1988(S63)年入居開始
戸建から中層・高層住宅が扇形に広がる配置と、色彩の統一や歩車融合(ボーンエルフ式・多摩NTの基本的考え方と逆である)を図った街づくりが特徴。キャラクタープランにより、個性的な考え方が出されるようになった。


プラスワン住宅。
通りに面して、アトリエなどを開くことができる。
プラスワン部屋専用の玄関もある。もちろん中の部屋とつながっている。
この部屋は1階に住む人だけの部屋であろう。


多摩中央公園


パルテノン多摩から多摩センター駅へまっすぐのびる都市軸
多摩NTの中心地である。
パルテノン大通りと呼ばれる歩行者専用のペデストリアンデッキである
自動車の軸線はこの下の階にある。


たまヴァンサンカン
多摩NTの情報展示館である
開発変遷の展示が行われており、
住宅案内も行っている


三越前からサンリオピューロランドを望む


カード売りの露天商に群がる子供達


多摩センター駅

参考文献
・多摩ニュータウンパンフレット
・日経アーキテクチュア 93年3月号

多摩ニュータウン(その1)【東京考察#37】

Tama housing new town (Vol.1)


(出典:「多摩ニュータウン」パンフレット)


 多摩ニュータウン(以下多摩NT)は東京都南部の多摩丘陵に位置し、標高150m前後、多摩市を中心に稲城市、八王子市、町田市に及ぶ東西14km、南北2~4kmの大規模な住宅開発地域である。京王相模原線を利用することにより、新宿から約35分で結ばれており、大都市東京のニュータウンとして、大阪の千里ニュータウンとともに、大都市の住宅供給を行ってきた開発である。

1960年代、日本の高度経済成長によって東京圏は都市化が急速に広がっていき、大量の勤労者が流入していった。それに伴って、住宅宅地需要が増加していき、中心市街地の地価の高騰によって、郊外である多摩地域でも無秩序な開発(スプロール化)が進行していった。このことから、居住環境の良い宅地・住宅を大量に供給することを目的として、1965(昭和40)年、「新住宅市街地開発事業都市計画」が決定、計画人口約30万人、総面積約2980haの多摩NT開発が行われることになった。

 多摩NTの宅地開発は、施行者が土地を全面買収して宅地造成などを整備する事業(新住宅市街地開発事業という)と、所有されている土地を換地という手続きによって区画形質の変更を行って宅地としての利用を増進する事業(土地区画整理事業という)によって行われている(道路や下水道などの整備は関連公共施設整備事業によって行われている)が、多摩NTでは前者の土地を全面買収することをメインとして宅地造成をしており、歩車分離を徹底させた(ラドバーン方式)道路構成やバランスのとれた建物や公園の配置など、開発設計思想の反映された個性と魅力のある面的な住宅開発がされている。

新住宅市街地開発事業の施行者は、都市基盤整備公団(前住宅・都市整備公団)、東京都住宅供給公社、東京都によって行われている。

見学モデルルート


1970年代前半

多摩NTで最初に入居開始された地区が諏訪・永山地区であり、その翌年に入居開始されたのが和田・愛宕東寺地区である。「安く良質な住宅を、早く大量に供給する」という時代であり、箱形の中層住宅(5階建て)が平行に建設され、ポイントには高層住宅(14階建て)も建設された。

★諏訪・永山団地 1971(S46)年入居開始
3DKを中心都市、平均住戸専用面積は約50m2。直方体の箱形中層住宅と高層住宅が建設された。


初期に開発された貝取団地


豊ヶ丘・貝取近隣センター(構成図:戸店)


近隣センター構成図

 
大型スーパーなどの出店による小売店の衰退は
近隣センターでも起こっている。
中心市街地の衰退と同じことである


近隣センターにある医者村(構成図:病)

1970年代後半

★貝取・豊ヶ丘団地 1976(S51)年入居開始
基本的な外観、プランは諏訪・永山団地と同じである。分譲住宅については広いLDKを導入するなどして面積を大きくしたため、平均住戸専用面積は70m2を越えた。また、1971年の道路法改正によって、諏訪・永山地区ではできなかったペデストリアンデッキによる歩行者専用道路のネットワーク(歩車分離のラドバーン方式)が実現した。公園もただ真四角の広場をとるだけではなくて、池を配するなどの工夫が見られるようになった。


ペデストリアンデッキ(歩道橋)によって徹底的に
歩車分離が図られている


初期の箱形中層住宅(ようかん型とも言う)


ゴミ集積所


1階の掲示板

 公団住宅の入口は開放的で入りやすい。それは、居住者以外の人も入りやすいということであり、そういう構造上のこともあってか、公団の団地というのは、壁への落書きやエレベーターボタンのいたずら(ライターでプラスチックのボタンを溶かしてしまう)が多いように思う。


犯罪防止のため、午後11時から午前5時まで、
強制的に各階に停止するエレベーター
14階の住人にはたまらない(深夜は全てドアが開くのである)


新住宅市街地開発事業で整備された区域内では、中学校区を基本的な単位として、幹線道路を境界に「住区」と呼ばれるブロックに分けられている。
全住区数は21住区であり、1住区は面積約100ha、住宅3,000~5,000戸、人口12,000~20,000人が計画されている。
各住区には原則として中学校1校、小学校2校を設置し、スーパーや店舗、交番、郵便局、診療所などの住民サービス施設の集まる近隣センターが配置されている。
さらに、住区をいくつかあつめた「地区」が構成されており、地区の中心(鉄道駅となっている)には地区におけるサービスセンターである地区センターが配置されている。
このように、学校やスーパー、警察などといった公共機関も含めて一体的に開発できるところに、土地を全面的に買収して開発する新住宅市街地開発事業の魅力があり、多摩NTの魅力と特徴になっている。公団や都道府県などの役所による開発でなければ、このような開発は難しいであろう。

住区マップ1 住区マップ2

参考文献
・多摩ニュータウンパンフレット
・日経アーキテクチュア 93年3月号

築地市場(場内)【東京考察#36】

The fish market in Tsukiji (inside market)

築地市場正門

 


 「築地の魚河岸」は有名である。それは、築地に東洋一の取扱量を誇る中央卸売市場があるからである。現在の築地の魚河岸(築地では青果も取り扱っている)は、関東大震災後に江戸時代より日本橋にあった魚市場を海軍兵学校跡地に移転したことに始まる。中央卸売市場の中を「場内」と呼ぶが、場内では小売りは行わずに原則として仲卸業者へのみの販売となる。小売りは「場外」と呼ばれる晴海通り沿いの市場で行っている。

築地に来たら、絶対に場内へ入ってみるべきである。この中に一歩足を踏み入れると、ここが日本なのか!と驚くほど威勢と活気と躍動感に満ちあふれており、気分が高揚してくる。この場内の風景を眺めていると、つくづく日本もアジア人だなと感じずにはいられない。とにかく、けたたましくて騒々しい。東京のエネルギーを十分すぎるほど肌で感じることができる場所である。

この築地市場は都市計画市場として位置づけられているが、場内の老朽化や手狭な敷地を解消するために、平成24年に豊洲への移転話が決定しており、この計画に反対運動も起きている。築地の魚河岸が過去の話として語られるときが、もうすぐそこまでやってきているのである。また、移転先の豊洲の埋め立て地において、土壌にベンゼンやヒ素などの有害物質が検出され、安全性の面からも移転反対の議論が沸き起こっている。

ちなみに、場内へは誰でも入ることができ、外国人観光客の姿も目にすることができる。一般者が見学するには、一段落する午前9時過ぎがちょうどいい時間であろう。が、ぼやぼやしていると場内を走っているリアカーやターレット車と呼ばれる三輪自動車にひき殺されそうになるので注意すること。すきがあればどんどん割り込んでくるし、待っているだけではいつまで経っても通路を横断することはできない。ぼけっと立っていると「ちょっとどいてー」と大声をかけられることになる。邪魔をしないように・・・。


動画コーナー

場内の様子1 (交差点の喧噪)

交通整理員が役目を果たしているのか・・・?不明.

場内の様子2 (交差点の喧噪)

 

場内の様子3 (建物内の喧噪)

 


新橋駅の市場行き都営バス(市01系統)
市場開催日には、午前5時02分が始発となる。
バスは築地市場正門から中に入っていき、場内で終点となる。
バスで行くと場内まですんなり入って行けるので便利である.


リアカーをひく


仲卸業者専用の店(小売りは行わない)

   


通路には番号が付けられている 「第五大通路」


巨大な冷凍マグロ


マグロをさばく

  
右のオレンジの荷車がターレット車 ハンドルの円形レバーを押すと走り出す


場内には食堂もある
休みの日には寿司屋など大行列である.

診療所もある


買い付けた荷をトラックに積む場所 買荷保管所


長靴や作業着なども売っている


某テレビ局の取材クルー



電通ビルから見た築地市場

築地市場(場外)【東京考察#35】

The fish market in Tsukiji (outside market)

 


 「築地の魚河岸」は有名である。それは、築地に東洋一の取扱量を誇る中央卸売市場があるからである。中央卸売市場の中を「場内」と呼ぶが、場内では小売りは行わずに仲卸業者へのみの販売となる。個人客は、その市場の隣(中央卸売市場の晴海通り寄り、築地4丁目交差点に向かった側に広がっている)にある「場外」と呼ばれる市場で購入することになる。魚はもちろん、包丁屋、かつお節屋、卵焼き屋、漬け物屋など、さまざまな小売店が並んでおり、アジアチックな市場を形成している。


 
場外市場

 
場外市場


雰囲気はアメ横に似ている


かつお節屋


包丁屋


漬け物屋(全国各地のさまざまな漬け物がある)


卵焼き屋(お寿司屋さん御用達)

 
立ち食いラーメン屋  ターレット車がテーブルに・・・


コーヒースタンド


市場移転「断固反対」のポスター
(豊洲への移転が決定している)

 

 

年末は,人でごった返し,大混雑となる.身動きがとれない.

快速バス 東京駅丸の内南口-お台場循環[都バスで東京発見]

東京駅から銀座・レインボーブリッジを経由してお台場までを結ぶ座席定員制の快速バス路線

快速バス 東京駅丸の内南口⇔お台場循環(経由)お台場海浜公園駅・船の科学館駅 目黒営業所

路線keyword:レインボーブリッジ,お台場,臨海副都心,銀座


今や一大観光スポットとなっているお台場までを結ぶ路線であるが、観光バスの車両を用いた座席定員制の快速バスで、料金が300円となっている。お台場までのアクセスとしては新交通システムのゆりかもめが思い浮かぶが、東京駅からお台場に行こうと思った場合、新橋でゆりかもめに乗り換えるよりも、この快速バスを利用した方が値段も安いし快適である。また、快速バスのサービスとして誕生日に乗車する人は無料になる特典がある。
発車は東京駅丸の内口(赤煉瓦駅舎)の南口から出発する。東京中央郵便局前を発車し、東京日帰りツアー観光の定番であるはとバスのりば横を通り過ぎ、元都庁跡地であった東京国際フォーラムの横を走っていく。
看板のないすっきりとした丸の内のビジネス街から有楽町・銀座のネオンきらめく賑やかな街に入っていく。マリオン前・銀座4丁目で乗客を乗せ、あとはお台場まで直行する。
三原橋交差点で昭和通りへ右折する。左手を眺めると歌舞伎座の江戸時代を思わせるような面構えを見ることができる。
右手に汐留の再開発地、左手に浜離宮庭園の緑を眺め、ゆりかもめの水色の高架橋が現れると、それに沿って走っていく。左手に四季劇場が過ぎ去り、三宅島や八丈島・小笠原諸島への乗船口である竹芝桟橋となる。竹芝桟橋は新しくリニューアルされ、真新しい再開発ビルが建ち並ぶ。
浜崎橋で運河を渡り、左手にレインボーブリッジが現れると、隅田川やお台場への水上バスのりばのある日の出桟橋となる。はとバスなどの大型観光バスが数多く停車している。
バスはお台場・船の科学館駅まで、ゆりかもめの高架にそって走っていく。大倉庫群の建つ芝浦埠頭を走り、レインボーブリッジにさしかかる。レインボーブリッジは2層構造となっており、上が首都高速道路、下が一般道路とゆりかもめとなっている。このバスは下の一般道路を走っていくのであるが、これらは橋への勾配やカーブのアプローチがとれないため、ぐるりとループ状に1周走って坂を上り橋にのっかるルートをとっている。左手にフジテレビ本社、コンテナ埠頭、天王洲アイル、東京タワーを見て、ぐるりと右回りに1周し、レインボーブリッジに入る。
非常に眺めはよい。といってもフェンスや橋の構造物で視界が遮られることもあるが、晴海埠頭や東京港が一望できる。江戸時代の砲台が配備されていたお台場が右手に見えて、橋を終わると臨海副都心・お台場海浜公園駅となる。
副都心とは、都心部への業務機能の集中を分散させて多心型都市構造への転換を図るために設けられた地区のことで、池袋、新宿、渋谷、大崎、上野・浅草、錦糸町・亀戸、そしてこの臨海副都心の7つが副都心として指定されている。東京都市博覧会の中止決定以降、景気の低迷も影響して、臨海副都心開発の見直しについての議論が行われ、就業人口10万6千人、居住人口6万3千人の街から、7万人が働き、4万人が生活する街を開発することに変更された。開発目標年度は21世紀初頭を目指して国際化・情報化に対応した機能を整備する計画である。
さらに細かく臨海副都心を探ってみると、有明北地区、有明南地区、台場地区、青海地区の4つの地区に分かれており、それぞれテーマを設定して開発が行われている。ちなみに臨海副都心全体のテーマは「国際化、情報化に対応した未来型の副都心」となっている。
臨海副都心の近未来的な風景のお台場をぐるりと走る。フジテレビ前、台場駅、船の科学館駅、パレットタウン(青海駅)と止まり、東京駅へ向かう乗客と、東京駅から乗ってきた乗客が少しずつ入れ替わっていく。そして、バスは再び銀座4丁目・東京駅へ向けて戻っていく。循環バスなので、ぼけっとしていると戻ってしまうので注意が必要である。

なお,現在この路線は廃止され,運行していない.

田99 品川駅東口-港区スポーツセンター[都バスで東京発見]

港南・芝浦埠頭界隈の老舗の埋立地を走る路線

田99 品川駅東口⇔港区スポーツセンター(田町駅)(経由)汐路橋 目黒営業所

路線keyword:港南・芝浦界隈,倉庫群,元祖埋立地,モダンなオフィス


朝と夕方しか走らない路線であり、芝浦埠頭への通勤を考慮して運行されているのだろうと思われるが、本数は20分に1本程度であり、それほど多くはない。
NTT品川ビル前の品川駅東口を出発すると、旧海岸通りを横切って御楯橋を渡ってすぐ左折する。右手に芝浦第2住宅の団地群を見て、新港南橋で右折し、高浜運河を渡る。
首都高速1号線が見えると左折し、その下を走っていく。埋立地特有の殺伐とした倉庫群が車窓に広がる一方で、モダンなオフィスが建っている。一時は「ジュリアナ東京」などの倉庫跡とディスコとして開発した事例があったが、やはり芝浦の基本は流通倉庫である。汐路橋で左折する。そして、田町駅を過ぎて、港区スポーツセンター終点となる。

品99 品川駅東口⇔品川埠頭循環[都バスで東京発見]

品川埠頭を複雑な循環ルートで走る路線

品99 品川駅東口⇔品川埠頭循環(経由)東京港湾合同庁舎・品川埠頭 品川営業所

路線keyword:品川埠頭,水上警察署


品川駅東口を出発すると旧海岸通りを横切り、高浜運河を御楯橋で渡るとすぐ左折する。右手には都営港南団地が現れ、港南三丁目交差点を右折する。首都高速1号の高架道路と東京モノレールのレール下を横切り、左手に東京港湾合同庁舎が見えてくると港南大橋で京浜運河を渡る。橋の上からは海に浮かぶ海上保安庁の巡視艇やレインボーブリッジの迫力ある全姿を眺めることが出来る。
橋を渡ると品川埠頭である。右に大きくカーブしてバスは道なりに沿って直進する。左手に東京税関が現れると東京税関停留所となる。周辺には物流関係の企業が多く立地しており、大きな倉庫が並んでいる。
埠頭通り停留所あたりから、客の流れが変わる。ここまでは品川駅から乗った乗客が降りる一方であったが、ここからは品川駅に向かう客が乗車してくるようになる。大きく右にカーブすると、品川火力発電所停留所になり、左手に東京電力の発電所が存在する。
次の交差点でバスは右折する。今通ってきた道の1本東側の道路を今度は逆方面に走っていく。左手には天王洲アイルのビル群が立ち並び、夜になると運河に面する木製デッキ部分に照明が灯され、対岸にいてもそのムードは充分に伝わってくる。
バスは港南大橋の陸橋下を走り、海に面する道路を走っていく。海上には警視庁の船が何艘か浮かんでおり、しばらく走ると水上警察署前となる。正面に品川埠頭の内貿上屋が見えると、左前方にレインボーブリッジを眺めながらバスは右折する。
左手に埠頭岸壁を見ながら、さらに右折して品川埠頭岸壁入口停留所となる。次の交差点をまたまた右折してバスはぐるぐる品川埠頭の中を回っていく。そして、港南大橋を再び渡って品川埠頭を後にして、終点品川駅東口を目指して走っていく。

井98 大井町駅東口-大井水産物埠頭[都バスで東京発見]

大井町駅からコンテナ埠頭を通って水産物埠頭までを結ぶ通勤路線

井98 大井町駅東口⇔大井水産物埠頭(経由)青物横丁・5号バース 品川営業所

路線keyword:大井埠頭,大井コンテナ埠頭,大井水産物埠頭


大井町駅から大井埠頭までの通勤アクセス路線である。大井埠頭までの路線はこの他に品98(甲)系統が存在しているが、本系統は大井埠頭を直通で結ぶという目的から、品98(甲)系統とは違う運行経路を走っている。大井埠頭へ向かうバス路線の運行形態はかなり複雑である。
「直通 大井ふ頭」と書かれた行先方向幕を掲げ、バスは品川区総合区民会館きゅりあん・丸井前のロータリーから発車した。朝は大井埠頭方面が混雑し、夕方は駅方向の便が混雑する。逆方向の便は誰も乗車しておらず、空気を運んでいる状態になる。
仙台坂を下って第一京浜を横切り、青物横丁を過ぎる。海岸通りと交差すると、中央車線に入って陸橋を上り京浜運河を大井北ふ頭橋で渡る。左手に天王洲アイルのビル群、右手には八潮パークタウンの団地群を眺めることができる。ここから大井埠頭である。
左手前方に大井火力発電所の煙突を見て、周囲の視界が開けているカーブを右に曲がりながら陸橋を下りる。そして、2号バースとなり、以後3号バース、4号バース……と、コンテナ船からコンテナを積み下ろす基地のオンパレードとなる。夜になると、バース内にはオレンジ色の照明が照らされ、一種独特の風景を見ることができる。
6号バースを出ると、左手に日本郵船を見ながら右折し、東京税関大井出張所前に立ち寄るルートを走る。再び同じ道路に戻って8号バースとなる。
植物防疫所大井出張所を出ると左折し、大井水産物埠頭入口停留所となる。ここで品川区八潮から大田区東海に地名が変わる。と同時に、埠頭の役割もコンテナ埠頭から水産物埠頭に変わる。ここから先の路線は、午前便と午後便とでルートが変更する。午前便は右折して、ニチレイ、大井埠頭シャーシープールを経由して大井水産物埠頭となり、午後便は直進して大井水産物埠頭にて一旦終点となり、大井町駅行となって大井埠頭シャーシープール、ニチレイを経由して大井町駅に向かうルートとなる。

品98丙 品川駅東口⇔大田市場(急行)[都バスで東京発見]

品川駅と大田市場をノンストップで結ぶ路線

品98丙 品川駅東口⇔大田市場(急行) 品川営業所

路線keyword:大田市場(東京都中央卸売市場),急行バス


朝早い市場へのアクセスの為に設けられた路線であり、5時32分の始発より6本のみがノンストップの急行バスとなる(現在は日中も走っている)。大田市場までは約20分で到着する。品98(乙)系統の大田市場行とは走行するルートが異なる。
品川駅東口(港南口)を出発すると、新港南橋交差点にて右折し、旧海岸通りを南下する。天王洲橋で運河を渡ると、左手に天王洲アイル(→p.)の再開発ビル群が現れて、バスは左折し新東海橋で高浜運河を渡る。今度は京浜運河を品川埠頭橋で渡って右折する。運河の多さは湾岸の埋立地であることを実感する。
左手に火力発電所の赤白に塗られた煙突を見ながら、バスは柳の街路樹の植わる道路を南に進む。左手に大井清掃工場を見て大きく左にカーブすると、首都高速湾岸線を渡って右折する。左には東海道新幹線の広大な車両基地が広がり、のぞみ号やひかり号が出番を待っている。右には八潮パークタウンの高層住宅群が建ち並んでいる。バスは中央に首都高速湾岸線を挟んだ国道357号線をひたすら快走する。
環七大井埠頭交差点で環七通りに左折し、すぐに左の側道に入って右に曲がり、大田市場北門をくぐり抜ける。市場内に入ると、段ボール箱・青果物・ターレット車・トラックなどが目に飛び込んでくる。場内は広々として整然としており、スケールが大きい。
大田市場は、秋葉原に存在していた神田市場が平成 年に移転してきたものであり、築地市場とは違ってござっぱりとしている。敷地面積約39万㎡、青果、水産、花などを扱っている。場内には見学者用の徒歩コースも設けられており(無料・いつでも見学可)、建物内の上部からセリ(5時30分~8時30分頃)などを見学することができるようになっている。
市場内のバスはループ運行となり、市場の建物を右手に見ながら大田市場北門→水産棟と右回りに走って、正門・事務棟のある大田市場に到着して終点となる。

品98乙 品川駅東口⇔大田市場[都バスで東京発見]

品川駅・大井コンテナ埠頭・大田市場とを結ぶ路線

品98乙 品川駅東口⇔大田市場(経由)5号バース 品川営業所

路線keyword:大井埠頭(コンテナ埠頭),大田市場,倉庫群,コンテナ,湾岸埋立地


品川駅と大井埠頭とを結ぶ路線であり、終点の大田市場を除いて品98(甲)系統の品川駅東口-大井町駅東口線と同じルートを走る。
品川駅東口(港南口)を出発すると、新港南橋交差点にて右折し、旧海岸通りを南下する。天王洲橋で運河を渡ると、左手に天王洲アイルの再開発ビル群が現れて、バスは左折し新東海橋で高浜運河を渡る。今度は京浜運河を品川埠頭橋で渡って右折する。運河の多さは湾岸の埋立地であることを実感する。
左手に大井火力発電所の煙突、東京港海底トンネルの出入口を見ながら、バスは左折して陸橋を下りながら右にカーブしていく。そして、コンテナ埠頭となり、2号バース、3号バース……と「バース」の連続となる(→p.)。周囲を走る車は、ほとんどがコンテナ車であり、埠頭内に入場を待つトラックの列が、道路の端にズラリと並んでいる。
運輸・物流関係の社名が記載された巨大な倉庫群の中を走り、側道に入って左に曲がると大田市場北門を通り抜け、市場内を右回りに走って終点大田市場に到着する。

品98甲 品川駅東口⇔大井町駅東口[都バスで東京発見]

日本有数のコンテナ埠頭・大井埠頭をぐるりとめぐる社会科見学路線

品98甲 品川駅東口⇔大井町駅東口(経由)5号バース・大井競馬場 品川営業所

路線keyword:大井埠頭,コンテナ,倉庫群,バース,東京港野鳥公園,大井競馬場,湾岸臨海部


JR京浜東北線を利用すれば僅かひと駅3分の区間を、このバスは約1時間もかけて大井埠頭をぐるりと1周する。非日常的な空間を味わいたい時には、この路線に乗車することをお薦めする。
大井埠頭へのバス便は、この路線以外にも太田市場行や大井水産物埠頭行、さらには品川駅からの路線や急行便など数系統運行されており、それぞれルートや運行時間帯が若干違って複雑なので、全てを把握するには少々厄介な地域である。大井埠頭の骨格的な路線はこの品98(甲)系統である。
大井町駅東口の丸井前よりバスは発車し、仙台坂を下って第一京浜を横切る。昭和6年までは品川青物市場があった青物横丁を過ぎ、海岸通りに入って南下すると、東京陸運支局と免許更新時にお世話になる鮫洲運転免許試験場が左手に現れる。試験場の道路を挟んだ向かい側には品川自動車教習所があり、敷地のない都市の教習場らしく2階建ての教習コースが眺められる。ここで、正面やや上部に目を移すと、ニュース等を流す巨大な電光掲示板とサントリーの巨大なネオン広告が見える。夜になるとひときわ目立つ色彩を放つが、これは羽田空港に離着陸する飛行機の乗客に向かって宣伝するために取り付けられた広告なのである。この左手上空は羽田空港A滑走路に離着陸するときの飛行ルートとなっており、巨大な飛行機を間近で見ることができる。運が良ければバスとの併走がみられる場所である。
正面突き当たりが大井競馬場である。バスは左折し、東京モノレールの下をくぐり抜けると、京浜運河を勝島橋で渡る。右前方には大井ふ頭中央海浜公園の緑の茂みが見渡せる。この運河を越えると大井埠頭に突入する。
首都高速湾岸線が現れるとバスは右折し、高速沿いの国道357号線を走る。左には東海道新幹線の車両基地が見える。そしてバスは左折し、環7通りへ入る。この辺りの環七通りは、都心とは違って8車線(片側4車線)もの道幅を誇り、広々とした空間が保たれている。同時に周辺には空き地も目立つようになった。
東京港野鳥公園を過ぎると、青や茶色の色とりどりのコンテナが目立つようになる。バス停名も「ダイトー大井物流センター」「丸全昭和アムウェイ」「鴻池運輸」「ニチレイ」などといった会社名称が多くなる。周囲を走る車は、コンテナを牽引したコンテナ車がほとんどである。一方、休日になるとこの大井埠頭はほとんど車の走らないゴーストタウンの様相を呈する。太田市場は右手奥に存在する。
右手にコンテナをコンテナ船に積み降ろしするクレーンと山積みにされたコンテナ群が見えるようになる。コンテナ埠頭と呼ばれる所以である。8号バース、6号バース、5号バース……2号バースと、バス停留所が「バース」のオンパレードとなる。バースとは船1隻分の接岸係留に要する水域のことをいう。大井埠頭は、京浜運河北側に位置する外国・国内貨物船と東京電力原油輸送船の大型船専用埠頭であり、8つ(8バース)の外貿コンテナ専用埠頭と2つ(2バース)の水産物専用埠頭を有する、昭和48年に完成した世界でも最大級のコンテナ埠頭である。。
右手に大井・品川火力発電所の煙突が現れ、ブルーに塗られた橋で京浜運河を渡ると天王洲アイルの超高層のビル群が見え、旧海岸通りを東京水産大学の脇を通って北上すると、終点品川駅東口となる。

東98 等々力(操車所)⇔東京駅南口[都バスで東京発見]

東京駅と世田谷区等々力を目黒通りで結ぶ長距離路線

東98 等々力(操車所)⇔東京駅南口(経由)目黒駅・東京タワー 目黒営業所

路線keyword:目黒通り,新山の手住宅地(目黒区),東京タワー,赤煉瓦駅舎


赤煉瓦駅舎の東京駅丸の内口(南口)から、山の手住宅地として人気の高い目黒区を通って、神奈川県との県境近くである世田谷区等々力駅までを結ぶ路線である。東急バスと共同運行しており、東京駅で赤い帯を締めた東急バスの姿を見ることができる。
内幸町までは黒10系統と同じルートを走る。
内幸町にて右折し国会通りに入る。右手には比谷公会堂・市政会館、都立日比谷図書館が現れ、バスは次の家裁前交差点にて左折する。まっすぐ進めば霞が関となって国会議事堂に突き当たる。家裁前交差点の左手にはロンドンの二階建てバスをそのまま喫茶店にした店が過ぎ去って、通産省前停留所となる。
中小オフィスビルの立ち並ぶ西新橋界隈の2車線道路をバスは南に走っていく。左手に東京慈恵会医科大学看護専門学校、続いて芝公園が現れて突き当たりを右折すると東京タワー停留所となる。東京タワーはあまりにも近すぎる為に右側の窓側に座って首をひねり上げないと見ることができない。左には東京プリンスホテルがある。
赤羽橋を通り桜田通り(国道1号)となる。三田二丁目にて右折すると右手に慶應義塾大学が現れて正門前となる。魚藍坂下を過ぎて清正公前になると目黒通りに右折する。ここが目黒通りの起点である。赤羽橋から清正公前までは右左折を繰り返したが、通り名は同じ桜田通り(国道1号)である。
坂を上って白金台となり、首都高速と交差してしばらく走ると駅ビル「サンメグロ」が見えて目黒駅前となる。
ここから先は東急バスのエリアとなる。権之助坂<説明>と呼ばれる大きな坂を下って目黒川を渡り、今度は坂を上って大鳥神社前となる。山手通りと横切り、かつては競馬場のあった元競馬場停留所となる。バス停の名前には、かつての街の様子を伝えてくれるものもあり、路線バス旅の魅力の一つである。
三代将軍家光の鷹狩りの狩猟地であった鷹番、そして碑文谷を過ぎ、柿の木坂陸橋にて環七通りと横切り、東急東横線のガードを上に見て都立大学駅前となる。この辺りは昭和以降に高級住宅街として人気の高くなった地域であり、現在の「山の手住宅地」と言えば目黒区・世田谷区あたりのことを指す。付近には芸能人も多く住んでいる。目黒通りからの風景では高級住宅街の家並みを見ることは難しいが、一歩裏の路地に入ると庭付きの豪華な一戸建て住宅が現れ、そこには東急バスが縦横無尽に走っている。
ケニア大使館のある八雲を過ぎ、目黒区から世田谷区に入って等々力となる。密度の低い住宅地の広がるところである。この辺りまでくると、丸の内や日比谷、霞が関のピリッとした緊張感の走る刺々しさがなくなり、静閑な住宅街の様相を呈するようになる。東急大井町線を越える陸橋には上らずに側道に入り、線路手前を右折する。そして終点等々力駅前に到着する。等々力操車所は少しまっすぐ行ったところにあり、始発はその操車所からの発車となる。

四97 品川車庫⇔新宿駅西口[都バスで東京発見]

品川・高輪・天現寺・広尾・西麻布・青山・新宿を結ぶお洒落路線

品97 品川車庫⇔新宿駅西口(経由)広尾橋・信濃町駅 品川・新宿営業所

路線keyword:青山墓地,赤坂御所,神宮外苑,外苑東通り,新宿・歌舞伎町,西麻布


平成12年12月の都営大江戸線の開通による路線改変によって、四97から品97となり、路線区間が四谷駅から新宿駅西口へと変更した。都03と田70系統を補う形となったのだろう。
都営北品川アパートの1階に品川車庫がある。品川車庫を出発すると、坂を上り八ツ山橋でJR線を越え、踏切で京浜急行の線路を通過する。京浜急行の線路はこの付近でカーブしており、さらに終着品川駅へ近いことから電車のスピードが出せず、踏切が閉まってから電車が通過し終わるまで時間がかかる踏切である。第一京浜の8車線もある広い通りを快走すると、左手に品川プリンスホテル、ホテルパシフィック東京の高層ビルが現れて賑やかになり、品川駅前となる。
ホテルパシフィック前を離れ、浅野家の菩提寺で浅野内匠頭や赤穂浪士47士の墓がある泉岳寺にてバスは左折し、坂とカーブの続く2車線道路を桜田通り目指して走る。周辺は高輪の高級住宅街である。魚藍坂を下って、魚らん坂下より北上し、古川橋となる。
古川橋より左折して明治通りに入る。古川橋交差点は明治通りの起点である。バスは古川とその川に沿って建設されている首都高速の高架橋を左に見ながら走っていく。四ノ橋を過ぎて、天現寺橋となる。この辺りの「○○橋」という地名は全て古川に架けられている橋の名前である。
天現寺にてバスは右折し、左手に都営広尾五丁目アパートを眺めると、テナントとして明治屋の入る広尾プラザ前(地下鉄広尾駅前)の広尾橋停留所となる。ここは付近に各国大使館があることから外国人を多く見かけるお洒落でハイセンスな店の連なる地域でもある。
男性ダンサーのストリップで話題となった「東京J’mens」を左に見て西麻布となる。六本木通り・首都高速と交差し、左手に青山墓地が見えてくると墓地下停留所となる。しばらくは墓石の続く車窓となる。お墓と道路はフェンスの柵で区切られているので、車から墓地が丸見えとなる。続いて青山斎場となり、墓地は赤坂高校停留所まで続く。西麻布から広尾にかけてはお洒落なオープンカフェやブティックなどが建ち並ぶ。外国人の乗客もちらほら乗ってくる。みんなお金持ちに見える。
カーブを過ぎると青山一丁目となって青山通りを横切る。再びカーブが続いて、右手に赤坂御所の森、左手に神宮外苑の森が現れて、緑の茂る空間をバスは走り抜けると、JR線信濃町駅前となる。左手に慶應義塾大学病院が見える。
バスは北に進み、四谷三丁目にて新宿通りへ右折する。四谷三丁目交差点の左前方には消防博物館の併設された四谷消防署があり、その屋上には真っ赤なヘリコプターが出動を待っている。
かつては、新宿通りを東へ進み、右手に上智大学と土塁の堤が見えると、終点四谷駅に到着していたが、地下鉄大江戸線の開通により新宿駅西口へと路線経路の変更が行われた。都03系統の新宿駅西口-晴海埠頭間が四谷駅-晴海埠頭間に短縮され、田70系統の新宿駅西口-港区スポーツセンター間の廃止を補う形となった。
新宿通りを左に曲がって西に進み、新宿御苑、新宿2丁目を通り越し、伊勢丹前で明治通りと交差する。ここから先は平日と土日でルートが異なり、平日はまっすぐ新宿通りをすすみ、紀伊国屋書店前やアルタ前を通ってJR大ガードをくぐる。土日は、靖国通りへ回って歌舞伎町を通りJR大ガードをくぐって西口に向かう。どちらにしても、道路渋滞の激しい所を走っていく。

井96 大井町駅東口-天王州アイル[都バスで東京発見]

大井町駅から天王洲アイルを結ぶ循環路線

井96 大井町駅東口⇔天王洲アイル循環(経由)青物横丁 品川営業所

路線keyword:天王州アイル


大井町駅から天王洲アイルを結ぶ、平日のみの運行路線であり、本数もそれほど多くはない。
大井町駅東口の丸井前より発車し、仙台坂を下って第一京浜を横切る。昭和6年までは品川青物市場があった青物横丁を過ぎ、海岸通りを横切ると突き当たりをバスは左折する。
東品川橋で運河を渡ると天王洲アイルとなり、左手に高層ビルの姿を見ることができる。日本航空本社のJALビル前を通って、天王洲アイル・パークスクエア停留所に到着する。
交差点で左折して新東海橋停留所となり、運河を新東海橋で渡ると再び左折し、シナネンカナルサイドビル前の昭和橋停留所となる。旧海岸通りを南下し、東品川を走って青物横丁を通り、仙台坂を上って大井町駅東口に戻ってくる。

品96乙 品川駅東口⇔JALビル[都バスで東京発見]

品川駅・天王洲アイル・日本航空本社ビルとを結ぶビジネスアクセス路線

品96乙 品川駅東口⇔JALビル(経由)天王洲アイル 品川営業所

路線keyword:日本航空本社ビル,天王洲アイル,東京水産大学


日本航空本社の天王洲アイル地区への移転に伴って平成8(1996)年に開設された新しい路線である。それまでの品96乙系統は、天王洲アイルを通って品川埠頭に入って品川駅に戻ってくる循環路線であった。本路線も品96甲系統と同様、ビジネス客の輸送を目的とした路線であるが、甲系統と違って祝休日に運休とならないのは、祝休日の天王洲アイルへの見物・観光客等のアクセスをも考慮してのことであろうか。平日の朝夕のバス車内は、ネクタイを締めたサラリーマンで混雑し、社内の噂話が聞こえてくる。
NTTのビルが立ち並ぶ品川駅東口を出ると海岸通りを横切り、高浜運河を御楯橋で越えると右手に東京水産大学の正門が現れる。車内の客層は、ネクタイを締めたサラリーマンが多い。突き当たりを右折して首都高速とモノレールに沿って南に走り、天王洲運河を天王洲大橋で渡ると天王洲アイルの再開発地区となる。そして、左手に日本航空本社ビルが現れて、ビル1階の専用バスポケットに入り、終点JALビルとなる。

品96甲 品川駅東口⇔天王州アイル循環[都バスで東京発見]

品川駅から天王洲アイルを結ぶビジネス循環路線

品96甲 品川駅東口⇔天王洲アイル循環(経由)食肉市場 品川営業所

路線keyword:天王洲アイル,東京中央卸売市場食肉市場,東京水産大学


天王洲アイルは約20haの面積を持つ埋立地の島全体の名称であり、かつては殺風景な流通倉庫群であったところを民間事業者が主体となって再開発を行ったところである。民間事業者による開発としては、最大級のプロジェクトである。平成4(1992)年に浜松町・羽田空港間を結ぶ東京モノレールに「天王洲アイル」の新駅が開業し、天王洲アイル・インテリジェントシティーの街開きとなった。
天王洲アイルの街づくりコンセプトは、「人間と知性と創造性に働きかける環境づくり」であり、オフィス・ホテル・住宅・劇場・飲食ショッピング街などが集まる話題のスポットである。運河に囲まれていることから、運河沿いには水に面して広場や公園・ボードウォークが整備されており、夜にはライトアップされたムードたっぷりの雰囲気の中で、東京湾の夜を満喫することができる。
本路線は天王洲アイルへのビジネス客を輸送する目的で設定されたものであり、ダイヤを見ると平日と祝休日とで極端に本数が違うことから一目でその事に察しがつく。
NTTのビルが立ち並ぶ品川駅東口を発車すると、旧海岸通りへ右折する。右手には食肉市場において日本最大の取扱量を誇る東京中央卸売市場食肉市場が現れ、バスは倉庫の建ち並ぶ地域を走っていく。
天王洲橋を渡ると、左手に天王洲アイルの高層ビル群のそそり立つ姿が現れる。バスは交差点で左折し、新東海橋を渡ると天王洲アイルと呼ばれる東品川二丁目の埋立地の島(アイル)に入る。さらに左折して、天王洲アイル停留所となる。商業施設等が多く営業されているシーフォートスクエアは右手側である。
バスは循環路線なので、今度は品川駅東口へ向かう。次の停留所が終点の品川駅東口となる。天王洲大橋を渡ると、左手には陸に上がった東京水産大学の雲鷹丸の船を見ることができ、報知新聞社停留所には止まらずに港南四丁目交差点で左折する。左手に東京水産大学の正門を見て御楯橋を渡ると、まもなく終点品川駅東口となる。
平日の朝夕のバス車内は、ネクタイを締めたサラリーマンでいっぱいになる。

反96甲乙 五反田駅⇔五反田駅[都バスで東京発見]

五反田駅を起終点として8の字運行する循環路線

反96甲乙 五反田駅⇔五反田駅(経由)赤羽橋駅 品川営業所

路線keyword:循環路線,赤羽橋,品川駅,第一京浜,桜田通り


平成12年12月の路線改変によって、路線が統合されてできた循環路線である。魚らん坂下を交点として8の字に運行していく面白い運行ルートとなっている。甲系統と乙系統の違いは、右回りか左回りかの違いである。五反田駅を出発するときの行先表示は、「赤羽橋駅循環」となっている。本数はそれほど多くはない。
乙系統に乗車した。左手に山手線のホームを見ながら五反田駅を発車すると、8車線もある桜田通りを高輪向けて走っていく。急な上り坂を、エンジンを唸らせながらぐんぐん上っていく。高輪・白金界隈となり、左手に明治学院大学が現れる。魚らん坂下で右斜め前の道路に入り、三田界隈へと入っていく。そして、慶應義塾大学を左に見て、左折する。正面に東京タワーが「どかん」と現れる。ここは、昔から道路拡張の工事が進められており、まもなく完成するのだろうか。僕の友達もここに住んでいて、移転していったが、それはもう10年も前の話である。
赤羽橋駅手前にて方向巻が変わって、五反田駅行きとなる。アナウンスも、今までは赤羽橋駅行きだったのが、五反田駅行きに変更する。循環バスなので、このまま乗り続けることができる。
JTの専売病院を左に見て、麻布十番(一の橋)で左折する。二の橋、三の橋と過ぎ、再び魚らん坂下となる。カーブと下り坂を走って泉岳寺となり、第一京浜の大通りへ右折すると、まもなく品川駅前となる。
品川-五反田間は、ちょっと本数が増加する。第一京浜をそのまままっすぐ走り、京急の線路を左に見て、トンネルをくぐり、御殿山となる。ソニー前、そして、終点五反田駅へと戻ってくる。

反96 五反田駅⇔新橋駅[都バスで東京発見]

溜池・一ノ橋(麻布十番)・高輪台を通って五反田を結ぶ路線

反96 五反田駅⇔溜池(経由)一ノ橋・赤坂アークヒルズ 品川営業所

路線keyword:桜田通り(国道1号線),赤坂アークヒルズ,一の橋(麻布十番),白金台・高輪台


かつては、五反田駅・一ノ橋間が旧反96系統五反田駅循環線の一部であったが、循環線を廃止して飯倉片町・溜池を通って新橋駅まで至るようになった路線である。その後、さらに短縮して溜池までとなった。旧反96系統は、本路線の五反田・一ノ橋間と現在の反90乙系統の路線とを合わせて、起終点が五反田駅となる循環経路となっていた。新橋駅からのときに取材をしたので、新橋駅からのことを記す。
新橋駅から赤坂アークヒルズまでは都01系統と同じルートを走るが、都01系統は渋谷→新橋の記述をしているので、省略せずに記載する。新橋駅汐留口を出発すると外堀通りに入り、正面に霞が関ビルを見ながら虎ノ門を目指す。霞が関ビルは1967(昭和42)年に完成した日本初の超高層ビルであり、高さ147m、地上36階建ての建物である。最上部のレストランなどからは、霞が関の官庁街や皇居を鳥瞰することができる。
虎ノ門交差点となり、右手に文部省や特許庁などの霞が関の官庁街、左手には虎ノ門三井ビルや商船三井ビルなどの虎ノ門オフィス街が広がる。特許庁前交差点で左手の方向を眺めると、「共同通信社」と書かれたビルが見えるが、その道路の突き当たりにアメリカ大使館が存在する。溜池にて六本木通りへ左折する。
左手に赤坂アークヒルズが現れて、六本木二丁目交差点を左前方に進む。この交差点の上の高速道路は、高速3号渋谷線と都心環状線が分岐する谷町ジャンクションとなっている。
ここからは坂が多くなる。飯倉片町を通り、一ノ橋(麻布十番)となる。一ノ橋は首都高速道路の高速2号目黒線と都心環状線が分岐する一ノ橋ジャンクションとなっており、高速の高架橋が複雑に入り乱れている。二ノ橋、三ノ橋、古川橋と古川に架かる橋の名称が続き、清正公前までは黒10系統と同じルートを走る(→p.)。
桜田通り(国道1号)となり、高級住宅街として人気のある白金台・高輪台界隈を通り、??山(右手)、??山(左手)と呼ばれる地域の崖部に建ち並んだ高級住宅街を見ながら、長い下り坂を走り抜けると、終点五反田駅前に到着する。坂の途中の歩道には、「ご自由にお使いください」と書かれたすべり止め用の砂の入った鉄の箱が建設省によって設置されている。

平成12年12月、地下鉄大江戸線・南北線の開通により、路線短縮されて四92系統と統合された。

浜95 品川車庫-東京タワー[都バスで東京発見]

港南・芝浦・海岸の湾岸地域を走って東京タワーへ向かう路線

浜95 品川車庫⇔東京タワー(経由)品川駅東口・浜松町駅 品川営業所

路線keyword:東京タワー,湾岸地域,世界貿易センタービル


東京タワーへの観光アクセス路線と思えるが、どちらかというと倉庫や中規模工場などが存在する港南・芝浦・海岸地区へのアクセスを担っているといえる路線である。JR東海道(京浜東北)線の東側である湾岸地域を走っていく。
都営アパートの1階に品川車庫がある。東京タワー行きのりばは道路沿いの大井競馬場行きと同じ停留所となっている。品川車庫を出ると、一旦東京タワーとは反対方向に進み、天王洲アイルのビル群を眺められる天王洲にて左折を2回行って、旧海岸通りを北に進むようになる。
天王洲橋を渡ると港南地区となり、右手に東京水産大学、左手に食肉卸売市場が現れる。湾岸地域特有の殺伐とした倉庫やコンクリートの建物が目に付く。しかし、湾岸エリアとして新たに注目されている地域でもあり、真新しい近代的な高層ビルの姿もちらほら見つけることもできる。
品川駅東口となる。駅前広場は整備され、以前とは変わって整然ときれいなターミナルと変身した。東海道新幹線の品川駅開業に向けて、工事が進められている。品川駅をでると、正面に小さく東京タワーを見ることができる。
再び旧海岸通りを走り、芝浦下水処理場を左に見て、新幹線の車庫への線路と交差して、高浜橋で芝浦地区へと入る。芝浦は「元祖ベイエリア」ともいえる場所で、湾岸地域における空の倉庫を改装してジュリアナ東京(今はない)のディスコなどをオープンさせる再開発を行った最初の場所である。ジュリアナ東京(今はない)のディスコなどは無機質な芝浦地区をメジャーなものとする施設であった。
潮路橋を渡ると海岸地区となる。住所が海岸3丁目となり、東京湾に近いことが伺える。右手には新交通ゆりかもめ、水上バスのりばである日の出桟橋が存在する。首都高速1号線の薄暗い高架下をバスは走っていく。
休日になると、浜松町駅からどっと乗客が乗ってくる。東京タワーへの観光客である。満員の乗客を乗せて発車する。正面には東京タワーの大きな姿が見える。増上寺の大きな門を正面に見ながら、バスは 第一京浜へ右折する。芝公園越しに巨大な東京タワーが見えたかと思うと、バスは神谷町駅へとぐるりとまわって、東京タワーの真下(ほんとうに真下である)で終点となる。

品93 大井競馬場-目黒駅[都バスで東京発見]

白金・高輪地区と大井競馬場へのアクセス路線

品93 大井競馬場⇔目黒駅(経由)東京陸運支局・品川駅 品川営業所

路線keyword:大井競馬場,白金・高輪,狭路


この路線は品川駅を境に客層が入れ替わる。大井競馬場-品川駅間は、大井競馬場への来場者はもちろんのこと、東品川・勝島地区へのアクセス路線となる。品川駅-目黒駅間では、高輪・白金地区へのアクセス路線となる。本数は多い。
大井競馬場は東京都が行っている?地方競馬である。大井競馬場の説明・・・
場内入口の正門がある1階のバスプールから発車すると、首都高速の下を走り、倉庫の建ち並ぶ湾岸地域の海岸通りを走っていく。運転免許試験場のある鮫洲、品川ナンバーの登録を行う東京陸運支局を通り過ぎ、都立高専前となる。
右手に天王洲アイルの再開発ビル群が見えると左折する。品川車庫を過ぎて京浜急行の線路を八ツ山踏切で越えて第1京浜の広い道路にでる。平日の朝は踏切渋滞を避けるために、国道15号経由となる。そして、プリンスホテルが左手に見えると品川駅前となる。

四92 品川車庫⇔四谷見附(四谷駅)[都バスで東京発見]

品川・高輪・麻布十番・虎ノ門・赤坂見附・四谷と南北に結ぶ路線

四92 品川車庫⇔四谷見附(四谷駅)(経由)一ノ橋・虎ノ門 品川営業所

路線keyword:麻布十番,虎ノ門,赤坂見附,一流ホテル,迎賓館,東京タワー,ビジネス街


品川車庫から四谷駅(四谷見附)までの路線は、天現寺・青山を経由する四97系統と、麻布・虎ノ門・赤坂を経由するこの四92系統の2つが存在する。地下鉄の便の悪い地区を縦(南北)に結ぶ路線であり、平日の日中はビジネス客も利用する路線である。
都営北品川アパートの1階に品川車庫がある。品川車庫を出発すると、坂を上り八ツ山橋でJR線を越え、踏切で京浜急行の線路を通過する。京浜急行の線路はこの付近でカーブしており、さらに終着品川駅へ近いことから電車のスピードが出せず、踏切が閉まってから電車が通過し終わるまで時間がかかる踏切である。第一京浜の8車線もある広い通りを快走すると、左手に品川プリンスホテル、ホテルパシフィック東京の高層ビルが現れて賑やかになり、品川駅前となる。
ホテルパシフィック前を離れ、浅野家の菩提寺で浅野内匠頭や赤穂浪士47士の墓がある泉岳寺にてバスは左折し、坂とカーブの続く2車線道路を桜田通り目指して走る。周辺は高輪の高級住宅街である。魚藍坂を下って、魚らん坂下より北上し、古川橋、三ノ橋、二ノ橋、そして一ノ橋の麻布十番となる。桜田通りでは現在、営団地下鉄南北線の麻布駅(仮称)工事が行われている。
バスは一ノ橋で右折し、中の橋を通って右に共生会中央病院を見て赤羽橋を左折、国道1号・桜田通りに入る。右手に東京のランドマーク・東京タワーが目の前に現れる。右の窓側に座って首をひねり上げないと東京タワーの先端を見ることができない。馬の鞍のような地形となっている飯倉交差点を山型に通過し、営団地下鉄日比谷線神谷町駅前となる。
この辺りから番号の振られた「森ビル」が多くなり、オフィス業務ビルが建ち並ぶ景観が続く。虎ノ門三丁目交差点では、右手にサムライ美術専門店を開く日本刀剣の専門店が現れる。車内から見ることはできないが、左手奥には各国の来賓が宿泊するホテルオークラが存在する。そして、虎ノ門交差点となり、バスは左折し外堀通りに入る。直進すれば官庁街・霞ヶ関になる。
文部省、霞ヶ関ビル、特許庁を右に見て、溜池交差点を通過する。右手奥は首相官邸である。火災によって閉鎖していたホテルニュージャパンの煤けた建物がかつては建っていた跡地を右手に見ると、赤坂東急プラザ(ホテル)が現れて、赤坂見附となる。右手には陸橋・高速道路の高架橋ごしに赤坂プリンスホテルの高層ビルが見え、続いてビル上部が円形となっているホテルニューオータニの本館・新館の高層ビルが江戸城の外堀・弁慶濠ごしに現れる。
ここからは喧噪としたビル群がなくなり、周辺の雰囲気ががらりと変わる。左手には迎賓館(赤坂御所)の森が現れ、右手に外堀の土塁と上智大学敷地内の聖イグナチオ教会の十字架を見て四谷見附交差点となり、まもなく終点四谷駅の停留所に到着する。

平成12年12月、大江戸線の開通により、反96系統と統合され、短縮された。