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新宿アルタ前【東京考察#103】

The Shinjuku ALTA (The Shinjuku station east gate)

 

 新宿アルタ前といえば,大ビジョンを観ながら待ち合わせを行う場所として定着しているが,つまりは新宿駅東口なのである.新宿アルタはファッションなどを扱うショッピングビルで1980年にオープンした.新宿アルタの他に,「池袋サンシャインシティアルタ」「札幌アルタ」「新潟アルタ」が存在する.そして,新宿アルタの最上階には「スタジオアルタ」があって,すっかりお馴染みの平日お昼のバラエティー「森田一義アワー・笑っていいとも」が生放送で行われている.新宿アルタの存在は,この「笑っていいとも」によって有名になったものであり,さらに特筆できることは,街頭におけるオオロラビジョンの先駆けとなった大画面を壁に掲げていることである.いまでは,渋谷や銀座や池袋など,どの繁華街でも観ることができるようになったが,ALTAに大画面ができた当時は,珍しいものであった.

 
アルタのオオロラビジョン


つまりは新宿駅東口


ミニライブができるステージもある
こんなに利用価値の高い駅前広場は他にない.


昔から変わらない風景として,
ずらっと並ぶ映画宣伝の大看板がある.
(現在はなくなっている)

 

いわき小名浜見聞録【#41-#60】[一括掲載]

 (このページは2001~02年に掲載したものです)

No.41 海が鳴る!!

海の近くに住んでいて,奇妙な経験をした.台風や低気圧が近づいていて海が大時化の時,海のしぶきが霧状になってあたりを包み込む.そして,地鳴りのような「ゴー,ゴー」という音が不気味に響き渡るのである.初めのうちは,空の方から響いてくるので,飛行機でもとんでいるのかなと思ったが,荒々としぶきあがる波のうねりの音なのである.滝が落ちるときの音が空に響くので,夜になるとよりいっそう不気味に感じる.まさに,海が鳴いているのである.

No.42 「大黒様の宝くじ」復活

「大黒様の宝くじ」として全国の宝くじファンから人気のあった大黒屋百貨店1階の宝くじ売り場.デパートの倒産によって宝くじ売り場も閉鎖されたのであるが,大黒屋デパートの屋上にあった守護神でもある大国魂神社を分社してもらい,平1丁目再開発ビルの1階に売り場が設けられることになった.運営は「平1丁目都市開発」が行い,2002年4月のビルオープンまでは仮設の売り場で販売され,ビル完成後はビル内に移転する.
初日の販売日は9月27日である.
もともと再開発ビルに宝くじ売り場を設ける予定はなかったが,時間が経たないうちにあの大黒様の宝くじ売り場をなんとかしたい,とのことで関係機関と相談の上,4月のオープンを待たずに仮設売り場まで設けてオープンさせることになった.年末ジャンボに穴をあけたくない,という思惑があったのだろう.しかし,仮設の売り場を新聞で見る限り,以前と比べるとやはりお粗末な感じは否めなく,本当に大黒様の御利益があるのかな,ちゃんとお客さんが来てくれるのかな,と思ってしまうのであるが,これは今年の年末ジャンボで1等賞を2本以上だして実績を作る以外にないであろう.実際売り場に行ってみるとどうなのであろうか?近々行ってみようと思う.
いわき民報の新聞には「いわき市のシンボルであり文化だった「大黒様の宝くじ」・・・」と記してある.宝くじ売り場が「いわき市の文化だ」と断言しているところがすごい.石田純一の「不倫は文化だ」に匹敵する名言のような気がする.JRAの福島競馬場を持つ,さすがはギャンブル立県うつくしま,っていった感じである.

No.43 吉野屋の牛丼-小名浜での評判

いわきに吉牛が上陸したことは,No.35で述べたところである.さらに国道4号の草野付近にも1件オープンし,次第に吉牛勢力が浸透してきている次第である.その吉牛の評判なのであるが,「小名浜の吉牛はまずい! 味が薄い!」といった意見が大勢を占めている.この話は小名浜のどこにいっても聞かれることであり,いわき市民の口には合わない味なのかなと思ってしまう.吉牛の味付けは,おそらく全国統一で,地方地方で味が変わることはないと思われ,事実僕が食べたときはそれほど東京の吉牛と味が変わっているとは感じられなかった.
小名浜でレストランを経営している人が言っていた.「レストランをオープンさせるとき,その地方で「好まれる味」というのがあり,東京で成功した味でもいわきでは流行らない味ということがある,その地域の実情を考えて店を出さなければいけない.いわきでは味の濃い煮魚やしょうゆをたっぷりつけた刺身などが食されてきたところなので,どうも味付けは濃いめの方が好まれるらしい」,と
そうなると,味付けの濃い牛丼が好まれるのも理解できるが,もうひとつの要因として開店当初は大行列ができるほどの繁盛ぶりで,牛丼の肉や汁を次から次へと出さなければならない状態であり,ということは,普段は鍋に入れて暖めておくのである程度水分が蒸発されて,中身が濃くなっているのであるが,その蒸発する時間がなく,結果として薄味と感じられる牛丼が供されていったのではないか.

No.44 松喜鮨

小名浜でうまい寿司屋は・・と聞くと必ず返ってくる言葉が「松喜鮨(まつきずし)」である.小名浜の中心地の細い路地の中に店があり,いつもにぎわっている鮨屋である.休日にもランチタイムメニューをやっていて,800円でにぎりやちらし,鉄火丼,いくら丼,あなご丼,うな丼などが食べられ,さらにサラダ・かに汁・小鉢がつくのでお得である.ランチのスタンプカードもやっている.ランチ以外でも,新鮮な魚介類を提供してくれるのであるが,なかでもワニの唐揚げやうみぶどうなどといった珍しい一品も出してくれる.特上にぎりは3000円でランチタイムにもかかわらずこれを食べていくお客さんも多い.店員さんたちも夏場をのぞいてはネクタイを着用して鮨を握っており,愛想はないが人間味のあるお寿司屋さんが松喜鮨のプライドとして感じられる.カウンター席のイスには,すべて白のシーツがかけられているのも,松喜鮨ならではといった感じである.ちなみに回転寿司でうまい店は鹿島街道沿い東警察署小名浜寄りにある「源洋丸」,刺身定食のうまい店は源洋丸の隣にある海鮮レストラン「和千荘」であると僕は思う.

No.45 夜の小名浜といえば・・・

いわき小名浜見聞録や小名浜観光情報で殿方が待ちわびていた情報,それが「夜の小名浜」の話題ではないだろうか?
福島県で「夜は小名浜で豪遊だ!」などと言えば,それは必ずソープランド街での湯遊びのことをさす.いわきで酒飲みや宴会で泊まりにきた殿方たちは,1次会で宴が終わったあとに「ちょっと行って来るか」などと言ってタクシーを呼びつけ街に繰り出したりする.小名浜は各地からの船が停泊して発展していった港街だからなのか,福島県で随一の風俗街が形成されていて,約20件ほどの個室付き特殊浴場(都市計画の専門用語ではこう呼ぶ)街がネオンをキラキラさせながら密集して建ち並んでいる.
小名浜には「いわき特殊浴場協会」なるものがあって,新宿歌舞伎町などのようにぼったくり店というのは存在しないようなので,安心して遊ぶことができる.料金は60分16,000円.これはどの店でも共通しているようで,協会で設定されている値段なのであろう.朝9時位から深夜23時50分までの営業が多く,金土日曜日や給料日後などは混雑して2時間待ちもざらなので事前予約をしてくる客が多いという.どのお店が評判なのか?それは小名浜で酒を飲んだときにまわりの客や店員さんから情報を得るか,タクシーの運ちゃんに聞いてみるなどして情報を手に入れましょう.若い子がいる店と,おばさんが出てくる店といろいろあるようなので,情報収集は欠かせない.小名浜の街を走っていて,「小名浜配湯株式会社」なる看板を目にすることがあるが,この会社はまさしくお風呂にお湯を提供している会社なのであった.工場で出た排熱を利用してお湯を供給しているということである.

No.46 いわき東京線・高速バスVol.3

相変わらず好調のいわき東京線の高速バスである.連休初日の朝の便は4台も増便されていたのであるが,アメリカテロ事件の影響もあってか,国内旅行が復活しているようであり,首都高に入ったとたん大渋滞に巻き込まれ,綾瀬駅到着が1時間も遅れてしまった.首都高の渋滞は葛西まで20kmも続いていたということから,東京ディズニーシーへの行楽渋滞のように思う.
さて,綾瀬駅で降りる場合と東京駅まで行く場合とでは運賃に200円の差がある.この料金設定は非常に良心的だと思うのだが,回数券の場合,綾瀬駅までと東京駅までとを別々に購入しておけばいけないのか,といえばそうではない.回数券は4枚綴りで無期限なので,綾瀬駅までの回数券(表示を正確に言うならば「綾瀬駅から○○円と書かれた回数券」)を使って東京駅からも乗車することが可能で,そのときは乗車時に運転手さんに差額200円を払えばOKなのである.だから,東京に今後も行く予定があるのであれば,割引率の高い回数券を買った方が絶対にお得である.
東京からいわきまでの便は電話予約ができないので,いわきの窓口で予約するか,当日東京駅の窓口で便指定をしなければならない.といっても,連休最終日などの午後の便は混雑し,すぐ次の便には乗ることができず,2~3時間後の便からしか空いていないことがよくある.その時は「キャンセル待ち」をすることができる.窓口でキャンセル待ちの番号札を持ってのりばの先頭で待っていると,空席がある場合に限り,番号順に乗せてもらえる.ただし,キャンセル待ちの時はあとの便の予約をすることができない.つまり,予約していた便より早いバスに乗りたいが満席だったという場合にキャンセル待ちをするためにはあとの便の予約を解除してからキャンセル待ちをすることになる.この辺は「かけ」になるが,予約便が1~2時間後くらいであれば,予約便に乗った方が確実である.たいてい,キャンセル待ちで3~4名乗ることができる.
そして,キャンセル待ちの乗客がすべて乗ったあとにも空席がある場合には,「繰り上げ乗車」といってあとの便の予約をしている客でも乗せてもらえることができる.ちなみに,今までキャンセル待ちを何回かやったとこがあるが,次の便に乗れなかったということはなかった.キャンセル待ちをする客はそう多くはない.
最近は最新型のきれいなバスも投入されるようになっている.そして,常磐交通でも2003年5月より,塗装も新たに新型のバスが投入されるようになった.

No.47 小地震王国!いわき

福島県は地震保険の等級が一番低い県であり,地震が少ない地域であると言われている.しかし,それは大きな地震という意味であると思われ,事実,いわきに住んでみると,小さな地震がかなり多いことに気づく.福島県の中でも太平洋側のいわき特有の現象なのかもしれないが,震度1~2,ときには3以上の地震が頻発している.震源地は宮城県沖や福島県沖といったものが多く,海のすぐそばに住んでいる僕にとって,地震が起こる度に津波が襲ってこないか不安になったりする.まぁ,地震が多いということは,エネルギーの放出がされているということなので,逆に大きな地震の心配がない地域であるということの証なのかもしれないが・・・.

No.48 新川緑地公園,1本のイルミネーション

旧大黒屋デパートの脇に「新川公園」というグリーンベルトがある.ここにある街路樹は,毎年クリスマスシーズンになるとイルミネーションが施され,ムードあふれる公園となっていた.ところが,このイルミネーションは大黒屋デパートの協賛によって電飾の設置と電気代が支払われていたということであり,今年はこのイルミネーションが見れないものと思われていた.ところが,周辺商店街や住民からのボランティアによる募金などによって1本だけイルミネーションが復活したのである.かつては年末ジャンボ宝くじを求める人たちの行列ができ,賑やかな新川公園であったが,今年は人出がさっぱりだとか.イルミネーションだけでも復活させたいという思いが,1本の光り輝くクリスマスツリーとなったのであった.

No.49 湯ノ岳からの眺望

常磐道湯本インターから小名浜方面に走ったところにある交差点を曲がって,ぐんぐん山道を登っていくと湯ノ岳となる.湯ノ岳は標高593.6mの山なのであるが,ここからの眺めは「素晴らしい」の一言.いわきにこんなに眺望のすぐれた場所があったということに驚きを覚え,もっと早くからこの場所を知っていればと後悔してしまうほど,眼下に広がるいわき市の景色が素晴らしい場所である.煙突からモクモクと煙があがる小名浜の工場地帯があり,その背後には紺碧の太平洋が広がり,いわきの特徴でもある丘陵地の地形が波を打ち,植田の常磐共同火力の大きな煙突が見える.頂上にある展望台からは,いわき市の中心地「平」のビル群が眼下に眺められ,夜になると夜景がとてもきれいでデートスポットとなっている.車で簡単に行くことが出来るので,是非とも一度は足を運んでみるべきポイントである.ただし,冬はカーブなどで路面が凍結しているので要注意であるが,冬の空気の澄んでいるときの方が景色は最高であろう.

No.50 冬のいわき地方の気候

福島県は大きく分けて3つの地域に分けられている.新潟県境の越後山脈と奥羽山脈に挟まれている地域が「会津」と呼ばれ,白虎隊や鶴ケ城・喜多方ラーメン・猪苗代湖・スキー場・檜枝岐や尾瀬も会津地方となり,福島県の中では最も全国的に知名度の高い地域である.次に,奥羽山脈と阿武隈高地に挟まれている地域が「中通り」と呼ばれ,県庁所在地の福島・経済商業都市の郡山・最近ラーメンが脚光を浴びている白河と,福島県の動脈となっている地域である.そして,阿武隈高地から太平洋にかけてが「浜通り」と呼ばれている地域であり,野馬追いの相馬・Jビレッジの楢葉・塩屋崎やアクアマリンふくしま水族館のあるいわき市が該当する.
福島県の面積は北海道,岩手県に次いで日本第3位,東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県の合計面積をよりも若干広いという広大な県であり,三者三様,文化も違えば気候も全く異なっている.
冬の気候について,会津では毎日毎日雪が降り続き,気温の低い日が続いているのであるが,高速道路で太平洋側の浜通り(いわき)にくると「どっ,ぴかーん」といった晴天の広がる温暖で穏やかな気候となる.いわきでは山沿いを除いては雪が滅多に降らず,スタッドレスタイヤに履き替えない人も多いという.同じ県内でこの差は何なのか?と時々思うが,ラジオやテレビで「中通りや会津では大雪で交通がストップしています」などと放送されていても,いわきでは晴天が広がる別世界といったところである.四季の変化は乏しいが,雪がないのは非常に暮らしやすい.

No.51 Jビレッジに「アルゼンチン」

楢葉・広野町に「Jビレッジ」というサッカー場とクラブハウスを備えた日本最高レベルのサッカーナショナルトレーニングセンターがある.1997年に福島県・日本サッカー協会Jリーグ・東京電力のパートナーシップにより設立されたものである.東京電力が関係しているのは,太平洋沿いに設置されている原子力発電所の見返りとしての施設であるからで,原発がなければこの地にこのような素晴らしい施設は誕生していないと思う.
そんな「Jビレッジ」に,今年の夏開催される日韓共催ワールドカップに参加するアルゼンチンのチームがキャンプ地となることが決定した.アルゼンチンといえば最強チームのひとつ.そんなチームがJビレッジにやってくることは,福島県内ではちょっとしたニュースとなっており,チームサポートや地域交流・ボランティア活動など,全面的に応援する態勢を整えている.アルゼンチン代表が訪れるのは5月とのこと.地元としては,日本のみならずアルゼンチンも応援したくなるのが心情であろう.

No.52 いわき小名浜方言講座(FMいわき)

FMいわき・SEAWAVEに「いわき小名浜方言講座」という番組がある.タイトル名からして,年輩のおじいちゃんやおばあちゃんが出てきて,いわき地方に伝わる方言を,その言葉の歴史や意味合いを訥々と語る面白みのない番組かと想像してしまう.ところがどっこい,これほどユーモア溢れるおかしな番組はない.パーソナリティーは声の若い!?男性2人で,いわき地方で普段使われる方言を毎日1語ずつ取り上げていく.言葉の意味を伝えることに加え,中学校の時に「This is a pen.」などとレクチャーしたように,その言葉を混ぜたフレーズを繰り返して読み返し(これを聞くとどうしても「くすっ」と笑ってしまうのは僕だけではないだろう.というのも例文の中身がふざけていて面白い.),そして更にそのフレーズの英語訳も読み上げるといった,いわき小名浜の方言と英語を学べる一石二鳥の教養番組なのである.
例えば,「こけにする」という方言,意味は「馬鹿にする」ということであるが,レクチャーする例文は,
「あんにゃろ いづも おれのごど こけにすんだ」
訳文「あの人はいつも私を馬鹿にします」
英文「He always makes fun of me.」
となり,もう一人のパーソナリティーがまじめな声でこれをレクチャーするのである.
また,別の例文は,
「おめー はなし ごっちゃにすんな」
訳文「あなた話をおかしくしないでください」
英文「Are you fallowing me?」
さらにもう一つ.
「おめーの はなぐら うっちぇしくって ねむちぇー」
訳文「あなたのイビキがうるさくて眠れませんでした。」
英文「I couldn’t sleep because of your noise.」
放送時間は,平日7:20 15:50(再) 土曜9:30 16:30(再) となっている.この番組は聞かないとおもしろさが分かりません.

・・・と,この項目を載せたとたん,平成14年3月30日をもって,番組が終了してしまった・・・.是非,同じ内容の再放送をしてもらいたいものである.(恐らく方言のネタがなくなったものと思われるが・・)

No.53 太平洋健康センター(蟹洗温泉)

四倉の国道6号沿いに温泉娯楽施設・太平洋健康センターがある.健康センターは日本全国どこにでもあるので,ご存じの方も多いと思うが,ここの健康センターも,大浴場あり,サウナあり,マッサージあり,足裏壺マッサージあり,食堂あり,仮眠室あり,演歌ショーあり,とありふれた健康センターである.しかし,立地している場所がすごい.目の前が海,建物からは「海」しか見えないのである.大きなガラスに向かってイスにもたれならが,小さくなったカーフェリー(太陽のマークが入っているので,ブルーハイウェイラインのサンフラワー号であろう)を眺め,また,時化のときは大荒れになった灰色の波しぶきをみながら自然のすごさを感じることのできる,ダイナミックな景観を味うことのできる健康センターである.
それ故に人気が高く,日曜や連休などは大混雑となる.2階にはゲームコーナーがあって,パチンコやパチスロも置いてある.100円で60発できるのであるが,本物のパチンコよりも甘い釘でよく回る.大当たりするとメダルが1枚でてきて,3枚でてくると入泉券(1250円の金券としても使える)と交換できる.つまり確率変動が続けば次回もただにすることができる.しかし,世の中そう甘くはない.入泉料は2100円なので,2100円以上投資したら赤字なのである.運が良ければ黒字だが,大抵は赤字である.ただ,前まではすごく爆発する壊れた台(だと思う)があっていつも10連チャン以上出る台が1台だけあったのであるが,いまは通常の台に戻されてしまった.
全身マッサージは人気が高く,休日は1~2時間待ちとなるので,早めに予約をいれて入浴後に程良くあたたまってから受けるとよい.やはり部分マッサージではなく40分以上の全身マッサージがおすすめである.あっという間に時間が過ぎてしまう.
深夜0時を過ぎると,深夜料金が加算され,翌朝まで泊まっていくことができる.健康センターの魅力は安い料金で1泊できるところにあるが,加算料金は1050円なので,3150円(税込)で1泊できることになる(8時30分チェックアウト).仮眠室や休憩室,なかには廊下で寝ている人もいるが,他人のいびきさえ気にならなければ,さほど眠れないことはない.ただ,冬や夏は空調をとめないので喉がやられることがある.いわきは日の出を拝むことができるので,晴れていれば水平線から登る太陽を見ることができる.(先日泊まったが,残念ながら曇りだった.)
ちなみに,勿来(勿来海岸隣り)にも来年あたり,太平洋健康センターがオープンする.北茨城や日立から日帰りの観光客がやってくること間違いなしであろう.いわきには泉と植田の中間あたりの国道6号沿いにもう1件「いわき健康センター」が存在するが,こちらは温泉ではないが,マッサージがカイロプラクティック療法を用いたちょっと痛い(僕はちょっとどころではなかったが)マッサージを味わうことができる.
四倉の健康センターに行く場合は,ローソンのコンビニにおいてある端末機・ロッピーで画面操作をすると,JTBを通じて発行されている割引された入泉券を買うことができる.2100円が1650円になるのでローソンで買っていくことをお勧めする.

No.54 さらにゴミ分別が細かく・・・

ただでさえ細かい「いわき市のゴミ分別」が,平成14年6月からさらに細かく分別されることになった.既にNo.2の項でいわき市のゴミ分別について記載してあるとおり,現在は8分類にゴミを分別をして出さなければならない.台所のゴミ置き場には,種類ごとのビニール袋が置かれていて,どの袋が何のゴミだったかごちゃごちゃになってしまう状況である.
さらに追加された分別とは,今までは「燃えるゴミ」で一括して出しておけば良かったものを,
①「プラ」マークのついている「リサイクルするプラスチック」 →新たに2週に1回回収
②「紙」マークのついている「紙箱・紙袋・包装紙」 →古紙類として一緒に出す
③その他の燃えるゴミ(従来の燃えるゴミ) →週2回回収
に分けなければならなくなった.またまた,さらにゴミ分別用のビニール袋が増えそうな事態である.「リサイクルするプラスチック」とは,カップラーメンのカップやサンドイッチを包んでいるビニール袋,卵の透明なケース,シャンプーの殻,ペットボトルに巻かれている包装フィルムなどである.ただし,惣菜等で汚れたラップやマヨネーズや汚れの落ちにくいマーガリンのついたプラスチック類は,その他の燃えるゴミに出してくださいとのこと.台所のゴミ置き場は,さらに置き場面積が増えること間違いなしである.この市民の分別の成果を,きちっと反映したリサイクルをやっていただきたいものである.

No.55 磐越自動車道,三和I.C.と中央I.C.

いわき市から郡山,会津若松市を経て新潟市まで,福島県を横断するように結んでいる磐越自動車道であるが,常磐道とのジャンクションから分岐して最初のインターチェンジが「いわき三和インター」である.いわき市の中心部から最も近いインターは,好間にある「いわき中央インター」なのであるが,いわきから郡山・福島・会津若松方面に高速で向かおうとする人は,中央インターでは乗らず,中央インターから三和インターまで国道49号で走っていき高速にのっかる.というのも,中央インターから磐越道に向かおうとすると,一旦常磐道を東京方面に向けて走った後,ジャンクションにて分岐し,再び三和インターで国道49号とぶつかるといった三角形のルートをとるため,ショートカットして直線で走る国道49号を走っても時間が変わらないからなのである.若干であるが,高速料金も節約できる.いわきから郡山方面へ向かう高速バスは,中央インターから乗って律儀にぐるりと迂回して磐越道を走っていくルートをとっている.郡山方面からいわき市の中心部へ向かおうとしている方,三和インターで降りた方がお得であるのでお忘れなく・・・.

No.56 いわきの夏祭り

熱い夏がやってきた.いわきでは数々の夏祭りが行われる.

2002年
7月20日 第2回おなはま海遊祭 アクアマリンパーク
7月26日 いわきおどり勿来大会 植田街商店街
7月27日 四倉ねぶたといわきおどりの夕べ 四倉街商店街
7月28日 ゆもと温泉大江戸宿場まつり 湯本温泉
8月 2日 はないちもんめ/いわきおどり常磐大会 湯本駅前
いわきおどり小名浜大会 鹿島街道岡小名
8月 3日 はないちもんめ/金魚つかみ大会 湯本駅前
第2回おなはま海遊祭 アクアマリンパーク
第41回いわき小名浜ミュウ花火(15000発) 小名浜港アクアマリンパーク
8月 4日 第2回おなはま海遊祭 アクアマリンパーク
8月 6日~8日 平七夕まつり 平商店街
8月 9日 いわきおどり いわき駅前通り
8月14日~15日 いわき回転櫓盆踊大会 内郷駅前

特に,いわき小名浜の花火大会は15000発もの花火が打ち上げられ,尺玉の連続打ち上げには圧倒される.いわきおどりは「どんわっせ!」の掛け声と共に,いわき市民が踊り歩くもので,職場や学校などでチームを結成し,毎年夏の恒例行事となっている.各地区で予選大会が行われて,最後のいわき駅前で行われる「いわきおどり」で祭りの頂点に達する.皆さんお誘い合わせの上,いわきの熱い夏をご堪能ください.

No.57 海水浴のあとの温泉

2002年の夏がやってきた.今年の海開きは7月17日(水).薄磯海岸をメイン開場として海開きが行われる予定である.8月18日までの33日間の海水浴である.例年海水浴客は減少しており,おととしから海水浴期間を1週間短くしたこともあって,昨年は曇りの日が多かったため約43万人の人出となり,平成になってからは最低の人数であった.今年は台風が襲来しているが,なんだか暑くなりそうな気配があるので(なんの根拠もない!),東北の湘南と言われるいわき市内10海水浴場に人出が多くなることを期待したい.
さて,海岸沿いには,簡保や国民年金などの温泉付き保養宿泊施設が存在する.この温泉は,海岸沿いということもあって,塩化物泉のしょっぱい温泉が湧き出ている.
これが「くせもの」なのである.
海水浴で日焼けをした体でお風呂にはいると,ひりひりと痛む.これが,塩化物泉の温泉となれば,火に油を注ぐのと同じことで,痛みの極みを経験することができる.日焼けした体を塩で揉んでいるようなものである.海水浴と温泉はマッチしない.肌によいアルカリ性の温泉が出ていればいいのであるが,海岸沿いでは期待できない泉質であろう.気の利いた宿泊施設では,温泉の風呂とジャグジー付きの普通のお湯の風呂の2種類があるからいいが,塩化物泉の湯船しかないお風呂では,シャワーのみといったところであろう.

No.58 いわきおどり小名浜大会

いわきおどり小名浜大会の祭りにいってきた.いわきおどりは昭和56年,いわき市制施行15周年を記念してつくられたものであり,それまであった,小名浜天狗おどり,常磐やっぺ踊り,じゃんがら念仏おどり,常磐炭坑節などの踊りを継承しつつ,市民が気軽に参加できる踊りを創作しようとつくられたものであるという.札幌で開催されている「よさこいソーラン祭り」と同じで,学校や企業などの市民グループが参加して踊るという市民参加型のお祭りであり,いわきの夏の風物詩として定着している.
いわきおどりは,勿来,四倉,常磐,小名浜の各地方で大会が開催され,平で行われるいわきおどりで頂点に達するのであるが,その小名浜大会にいってみたのである.この時期になると,各職場や学校ではいわきおどりへの準備を行うようになり,「もうじき,いわきおどりがやってくるな」などといった会話が繰り広げられ(かつて東京線の高速バスの車内で,いわきおどりについて話しをしているひともいた!),各チームお揃いはっぴなどを用意して参加する.美容組合ではパーマのカツラをかぶって踊り,病院では看護婦さんがナースの格好で踊る.踊り方は基本形があるのだが,自由に振り付けを行ってよく,チームによってさまざまな踊りを見ることができる.
30分踊り続けて,15分の休憩を挟む.これを3回繰り返すので,体力がかなり消耗する.でも,非日常の祭りパワーは,人々を踊りの虜と変えてしまう.各チームの最後尾には,水分補給のための飲み物を運ぶ人がついており,かなりハードであることが伺える.こうして,いわきの夏が過ぎてゆくのである.小名浜では,次の日に15,000発の花火大会が開催され,その次の日には港祭りが開催される.祭りが目白押しの小名浜であった.
当サイト内にいわきおどり小名浜大会の模様を掲載しております.是非,ご覧ください.

No.59 小名浜港の再開発はこうしよう!!

夏祭りが続く小名浜港には,各地から大勢の人々がやってきている.年間100万人を越える観光客が小名浜港にやってくるといい,いわき市ではNo.1の観光客入り込み数を記録するまでになっている.1・2号埠頭では,いわき・ら・ら・ミュウやアクアマリンふくしま(ふくしま海洋科学館)がオープンし,その1・2号埠頭はアクアマリンパークというウッドデッキのオープンスペースで散策できるようになっており,週末や休日には家族連れやグループで大変賑わっている.小名浜でも「小名浜まちづくり市民会議」を発足させ,街全体のまちづくりをどのように行っていくか議論を重ねているところであり,小名浜の将来ビジョンを創っていく機運が高まっているところである.
そんな小名浜港の未来について,個人的に語ってみたい.このことを実現するためには,地元の合意形成や開発制度の問題,資金調達や開発手法など困難なステップをクリアーしていかなければならないが,人々はユートピアに向かって活動をおこなっているのであり,そんな実現不可能な勝手気ままなユートピア(夢物語)だと思って,読んでいただければと思う.

ら・ら・ミュウ(1号埠頭)とアクアマリン(2号埠頭)との間には,ウッドデッキのアクアマリンパークが整備され人々が回遊する素晴らしいオープンスペースがつくられている.しかし,その後背地には倉庫群が存在している.その倉庫は物流の拠点として使用されているのであろうが,その倉庫群にレストランや喫茶店,アウトレットモールなどの商業施設を展開すれば,人々は絶対に立ち寄ること間違いなしである.現在は,ここを訪れた観光客がただぶらぶら歩いているだけの状態で,この人々を取り込めないのは非常に「もったいない」のである.なんらかの融資や補助制度を確立して小名浜の街中の個人商店の人が移転して店を開けるようにし,是非ともあの無味乾燥とした倉庫街を「商業地」として賑わいのある空間にできないものだろうか.
小名浜駅から港湾道路を横切って,アクアマリンふくしまのある2号埠頭に向かって,貨物線が1本走っている.港湾道路を車で走ると,信号機式の踏切なので一旦停止をせず,突っ走ることができ,この線路に貨物が走ることはあるのだろうか,と疑問に思いながらも,車でいつも通過する.この貨物線は,かつて2・3号埠頭で資材や石炭などを積み上げていたときに,小名浜駅まで運ぶための引き込み線だったと思われ,ということは小名浜港における工業生産活動として機能していた「歴史的遺産」なのである.これを活用しない手はない! 小名浜駅付近に大型の駐車場をつくり,そこから「ら・ら・みゅう」や「アクアマリン」に行く人のために,夢のあるトロッコ列車を走らせるのである.車内では,かつてのこの線路の役割を案内すれば,日本の生産活動・工業についての社会科見学ともなって,一石二鳥なのである.駐車場は小名浜の街中と港との中間あたりになるので,街中に行く人にとっても便利となり,また港にやってきた人をトロッコ列車に乗せて街中に引き込ませる交通手段を確保することにもなり,小名浜街全体の向上にも寄与する.もちろん街中の魅力向上策を練らねばならないが・・・.
最近のウォーターフロント開発には「観覧車」が切っても切れない関係である.「お台場」も「葛西臨海公園」も「みなとみらい21(横浜)」もどこにも日本最大級の観覧車がついている.まぁ,小名浜にも観覧車といった画一的な施設をつくりましょうとは言わないが,アミューズメント施設があってもいい.日本初の海上ジェットコースターをつくるとか・・・.つまり,若者をターゲットにした「遊び場」が必要である.さらに,遊び場だけではなく,世界会議や展示が行えるようなコンベンションホール(ビッグサイトや幕張メッセのようなコンベンションセンター)をつくるべきである.ここでは世界一流の劇やショー・コンサートを行えるようにもし,芸術文化の発信基地としての役割を担うのである.
これだけの再開発を行ってくると,バスよりも輸送密度の高いアクセス交通機関が必要となってくる.そこで,かつて泉駅から小名浜駅まで走っていた鉄道を復活させたり,今,環境の面や乗降のしやすさなどユニバーサルデザインといった視点からも世界的に再注目をされている路面電車(ライトレール)を鹿島街道沿いの平から小名浜にかけて敷設し,自動車だけに頼らないいわき市内の交通網の確立を行って行ければ最高である.
そして近年,倉庫群の一部改装が行われて,徐々に小名浜港の魅力アップが推進されている.

No.60 小名浜グリーン劇場

小名浜には「小名浜グリーン劇場」という映画館が1軒だけある.タウンモールリスポと呼ばれる専門店街(かつての小名浜ショッピングセンター隣)から東へ道路2本行ったところにあるのだが,この映画館がすごい! かつての小名浜の繁栄を物語る施設なのであろうが,とにかくすごい! 上映は,土休祝日のみであり,上映作品も一月遅れといった内容で,中に入ると湿気からくるカビの臭いが鼻を突き,ドアを開けるとジメジメした空気が漂うばかりか,汚れたカバーの掛かる傷ついた緑色のイスが並んでいる.体がかゆくなってきた.地方の昔からある映画館ではよくある光景なのであるが,シネコンなどが建設される昨今,天国と地獄の差がある.そして,お客がいないかと思いきや,7~8人位居るのである! 車の運転できない小中学生のグループと招待券できているらしいおばちゃん達.まぁ,僕もその一人なので,物好きな奴と言われればそれまでだが,とにかくすごい映画館である.今夏の上映作品は5月中旬に公開された「ナースのお仕事・ザ・ムービー」.人間とは不思議なもので,5分もするとカビの臭いが気にならなくなり,こんなものかと体が慣れてきた.
ちなみに「グリーン劇場」は1階なのであるが,同じ建物の2階は「ローズ劇場」というのがある.その名からもピンとくるとおり,成人のピンク映画館である.正確には,小名浜の映画館は2軒あるということになる.左の窓口で買うと「ナースのお仕事」,右の窓口で買うと「成人映画」,愛想よく販売するおばちゃんは同じ人である.

 (このページは2001~02年に掲載したものです)

千代田区生活環境条例(路上禁煙)【東京考察#102】

The Chiyoda-ku living environment regulations(No smoking on the street)


アスファルトにスプレーで書かれたマーク

 


  2002年10月から千代田区の一部地域(駅前など)において,路上禁煙などを行う生活環境条例「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」が施行された.「路上禁煙地区」のみならず,ゴミなどのポイ捨てを禁止した「環境美化・浄化推進モデル地区」,「違法駐車防止重点地区」が区域ごとに指定されており,路上禁煙地区では歩きタバコだけでなく、道路上で喫煙する行為全てが禁止されることとなった.区職員の巡回者に見つかると2000円(当面)の過料がとられる.
シンガポールに行ったとき,とても街並みががきれいだったが,ゴミ捨てや喫煙についてまでも罰金を課していると聞いたとき,そこまでして造られた綺麗さ・モラルだったのか,とシンガポール国民が自らの意志で綺麗にしようとしているのではないことに,何か人工的なしらじらしさを感じたことがあったが,まさしく日本も同じようなことをしないと街が綺麗にならないのかと感じる条例であった.

 
環境美化・浄化推進モデル(ゴミ捨て禁止)地区のマーク


例えば,境界線を境に民地側で喫煙した場合は,
条例違反とはならない.

新木場(木材流通基地)【東京考察#101】

Shin-Kiba (New Wood circulation base)


新木場駅の看板は「木製」

 


  「新木場」は14号埋立地だったところを昭和47年に江東区に編入した地域で,「木場」に代わって木材流通基地の整備が進んでいるところである.木場は2km程北北西にいったところに存在する地域で,江戸時代に日本橋・神田周辺にあった木材置場(貯木場)を集中的に移転させたのが始まりである.その後,最近まで東京港における木材の需要を引き受けていた.しかし,埋立地の造成により内陸地となってしまったこと,木材需要の増大による敷地の狭隘化,さらに木場周辺も含めた江東区は地盤が低く木造家屋が密集していることから抜本的な防災対策の観点から,木材流通拠点を新木場に移転することとなり,現在の新木場ができあがっている.

新木場駅を降り立つと,材木の香りが鼻をつく.木材のショールームなどもあって,木に関するものはあらゆるものを手に入れることができる.お台場とは違って,殺伐とした東京港湾を味わうことができるのも新木場である.付近には東京ヘリポート,キャンプ場や都内唯一のゴルフ場を併設する若洲,ゴミで埋め立てられた夢の島などが存在する.

 
貯木場


材木が積まれている

 
木材関係の会社が集積されている

 
WOOD & DIY ショップ もくもく」(駅前)では
中古の樽やログハウスまで売っている.


丸太がゴロンと置かれている.


砂町南運河の向こうは,若洲である.
コンテナを積み込む船が見える

東京港の屋形船【東京考察#100】

The houseboat of Tokyo harbor


屋形船より大川端リバーシティー21を望む

 


 屋形船は江戸時代より庶民に親しまれていた江戸のレジャーである.両国界隈には屋形船を営む店が数多くあったというが,そんな江戸情緒を今でも味わうことができる.駒形橋や両国,芝浦付近から,提灯のぶら下がった屋形船が貸しきりで運航され,船内は畳敷きとなっており,揚げたての天ぷらや刺身,カラオケなどができるようになっている.そして,なんと言っても最高の夜景は,お台場のきらびやかな近未来の灯であり,江戸情緒に浸りながら最先端の灯りを堪能することができるのである.

 

堤防の階段を下りて船に乗り込む

 
ライトアップされた隅田川橋梁群をくぐって東京港を目指す
(左:永代橋 右:新大橋)


隅田川を航行する船(首都高6号線より)


屋形船 船内

 
調理場や水洗トイレも完備されている


カラオケもできる


笑顔が素敵な従業員と・・・・


お台場の夜景
実際に船から眺めると,デックス東京やフジテレビの明かりが宝石のように瞬いて,
巨大な船・タイタニック号のように見える.これはとても美しい.

柳橋【東京考察#99】

Yanagi-Bridge(The bridge of the Kanda-river lowest style)

 


 柳橋は神田川最下流にかかる橋である.隅田川との合流地点にかけられており,昭和4年に架設された37.9mの鋼橋である.橋の歴史は古く,渡し船による行き来が不便だということで1698(元禄11)年に架設されたのが始まりで,その後,1887(明治21)年に鋼鉄製となったが,関東大震災で落ちてしまい,復興局によって1929(昭和4)年に完成したのが現在の橋となっている.隅田川にかかる橋梁群と同じ時期に復興された橋であり,土木遺産として価値のあるものとなっている.
柳橋の由来については、江戸時代に付けられていた「矢の倉橋」が変化したもの,柳が並ぶ柳原堤の端にあるから,橋のたもとに柳が1本あったことからなどの説がある.このあたりは,江戸時代の繁華街だった両国が近くにあり,吉原への渡船場ともなっていて,花街も形成されていたという.戦前の昭和初期には,料亭や船宿などが建ち並び,現在も,屋形船の発着場としてかつての江戸情緒の賑わいを感じ取ることができる.


柳が立つ. 袂は屋形船のりばとなっている.


屋形船

江戸東京博物館【東京考察#98】

Edo-Tokyo Museum

 


 江戸時代から賑わいのあった「両国」につくられた江戸東京博物館は,江戸東京の歴史遺産を振り返り未来の東京を考える博物館として平成5年にオープンした施設である.特に見所としては,世界でも有数の大都市といわれた江戸の町割(都市計画)や生活・芸能・文化を,精巧な模型などを用いて丁寧に復元しており,江戸という都市に興味のある人にとっては見応えのある展示内容である.江戸だけでは終わらず,現代の東京(昭和40年代頃)まで展示は続いていく.入口は6階まで一気にエスカレーターで上り,上から徐々に降りていくような順路となっている.
博物館の所在地は墨田区横網1丁目となっている.さすがは相撲の地「横綱」なんて,と思ってしまうが,実は,横綱(よこづな)ではなく横網(よこあみ)である.なんとも紛らわしい地名である.隅田川の近くで網漁でも営む者がいたのか,隅田川にかかわる地名であろう.


再現された「日本橋」


再現された「芝居小屋中村座の正面」


武家屋敷の模型


お産の様子


町人町の模型

神楽坂(料亭街の路地)【東京考察#97】

Kagurazaka(The alley of a Japanese-style cooking town)


神楽坂の商店街

 


 神楽坂の由来は,坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)で神楽を奏したから,津久戸明神が移ってきたときにこの坂で神楽を奏したから,若宮八幡の神楽が聞こえてきたからなど,いずれも神楽にちなんだ諸説からきている.明治から昭和初期にかけて,山の手でもっとも栄えた繁華街で,坂の上にある山の手七福神の一つ「毘沙門天(善国寺)」の縁日でにぎわったところである.人がすれ違うのがやっとの石畳の路地に連なる割烹料亭は,神楽坂の風情を最も醸し出している.しかし,料亭街はほんの一部で,神楽坂は居酒屋や飲食店,パチンコ屋,ゲームセンターなどが広がる賑やかな商業地域で,東京理科大や日本歯科大学,法政大学などが近くにあるため,若者のコンパなどでも賑わうところである.イメージよりも現代的な街である.


石畳の料亭街


石畳の料亭街


入口には明かりが灯されている


料亭街の路地


毘沙門天(善国寺)


これが路地の幅  街灯が奥へと続いている
建物と建物の間を縫うように入る
ボケッとしていると気がつかない路地である

 
ふつうの飲屋街もある


ゲーセンで太鼓を打つ外国人
外国人観光客の姿も目につく


これが今の神楽坂である


飯田橋駅から神楽坂へ
(外堀通り 神楽坂下から)

番町【東京考察#96】

Bancho

 

 番町は江戸城の西側,外堀と内堀の間に広がっていた役職付きの旗本たちの住む武家地であった.番町の由来は,大番士の組屋敷が造られたことによる.明治維新後にはイギリスが大使館を置き,官吏や文化人の高級住宅街となっていく.また,番町には多くの学校が進出しており,特に女子教育の先駆的な学校が多くある.高級マンションやオフィスビルの進出により,姿を徐々に変えている番町であるが,住民たちによって「業務ビル街ではなく文教地区としての落ち着いた街並みに」といった運動も行われている.ちなみに新宿通り沿いに広がる「麹町」は,番町や赤坂に住む武士たちの買い物の場として,商人や職人の住む町人町であった.現在の行政上の町丁目名は,一番町から六番町までとなっている.


お屋敷町の面影は残る


門にも重厚さが感じられる


なんか渋い. 塀の雰囲気とか.


「麹町六番館」という建物


南国風も.


日本テレビ. それって日テレ!!
ズームインはここの1階スタジオから生放送.
道路からスタジオがみれる
しかし,汐留の再開発地に移転が決まっている.


雙葉小中高校 名門のお嬢様学校である.


番町小学校
千代田区立にもかかわらず,越境入学する人が多い人気校.

 
住民の街づくりへの意識は高い

復元前の東京駅赤煉瓦駅舎(丸の内)【東京考察#95】

The red brick station building of the Tokyo station (Marunouchi side)

 


 東京駅の丸の内口は,オランダのアムステルダム中央駅を参考に辰野金吾が設計をしたルネサンス様式の駅舎である.明治41年から6年の歳月をかけて大正3年に開業した.開業当時は3階建ての駅舎であったが,太平洋戦争の空襲で消失(昭和20年5月25日)し,その後の復興で2階建ての駅舎となった。北口と南口にはドーム状の空間が広がっており,1987年からは「とうきょうエキコン」と称して駅コンサートが2000年まで行われていた.ステーションギャラリーやステーションホテルなどを併設する日本を代表する駅舎である.


正面 反対側へは皇居までの直線道路が続いている


正面から真っ直ぐ進むと「皇居」である


ドーム式の広場 かつてはエキコンが開かれていた


ドーム


東京ステーションギャラリーの入口

 
重厚な赤煉瓦駅舎である

大隈通り商店街(早稲田大学裏)【東京考察#94】

Okuma-dori Shopping center (Waseda University side)

 


 大隈重信は早稲田大学の創始者である.早稲田大学の裏にその名が付けられている商店街がある.その名も「大隈通り商店街」.いかにも学生街らしい商店街であり,オシャレで近代的というよりは,ゲタとたばこがよく似合うようなところである.都電荒川線で早稲田大学に行くときは,この商店街を通って正門まで行くことになる.食堂などもあって早稲田大学生にとってはちょっとした生活の場でもある.


これは「焼肉屋」 韓国系料理の店も多い


やっぱり「雀荘」は外せない 全卓全自動である


弁当屋には列ができる


大隈通り商店街の通り

 
珍しい飲食店もある


大隈講堂


大隈重信の銅像(大学構内)

新しい丸の内ビルディング【東京考察#93】

Marunouchi Building

 


 丸の内地区は一丁ロンドンとも呼ばれる英国風ビジネス街が三菱財閥によって形成されていったところである.旧建築基準法の規制により高さ31mの基準が守られていたが,規制緩和により丸の内地区も高い建物が建てられるようになった.かつての丸ビルの高さである31mを低層部で再現しつつ新たな丸ビルが平成14年秋にオープンした.
丸の内は本社業務地区の集中するビジネス街として,ショッピング街やレストラン街などの商業施設は少なかった.新しい丸ビルは,土日になると閑散としていた丸の内から脱却しようと,低層部と高層階には賑わいのある商業施設を配し,人々の集まるアメニティーのあるビジネス街を形成している
オフィスゾーンは9階~34階,7・8階はインタラクティブゾーンとして300人収容の多目的ホールや6室の会議室を設けている.開発手法としては,隣接する三菱商事ビル別館街区との一体的な計画として「複数街区の特定街区」制度にて1998年6月に都市計画決定され,両街区一体で容積1300%となっている.別館の建て替えは2006年の予定だとのことである.



ガラスを基調にした空間である


しかし,天井と壁面は「木」を縦に配して暖かみを出している.


1階から吹き抜け


7階から下を望む


5階にあるデッキ
太陽の光が降り注ぐ.


とにかくオープンしたてということもあり,人がすごい.開店が午前11時にもかかわらず人が溢れており,シャッターが閉まるビル内をただ歩いているだけである.



午前11時開店前にもかかわらず
人・人・人・・・・・・


展望レストラン街へのエレベーターには長蛇の列


松濤(渋谷の高級住宅街)【東京考察#92】

Shoto(High-class residential street)

 


 渋谷駅のハチ公口をでて,人々で溢れかえるスクランブル交差点を渡り,109を眺めながら文化村通りを歩いていく.とにかく渋谷のエネルギーはすごい.肩と肩をぶつけ合いながら,雑踏の中を歩いていくと,オーチャードホール,文化村のある東急百貨店前となる.そして,その百貨店の裏手にまわると,雰囲気はがらりと一変する.

このギャップは何なのだろうか?

大きく立派な建物が建ち並ぶ,静閑な高級住宅街「松濤(しょうとう)」である.
すぐ隣には,円山町というかつての花街だったラブホテル街も存在する.渋谷の繁華街,円山町のホテル街,そして高級住宅街の松濤と,三者三様の街並みが歩いて10分程度の範囲内に存在しているところに,この地区の面白さがある.とにかく,歩いて街全体の空間を実際に感じてみましょう.



高級住宅街には緑が多い
塀も「生け垣」となっている


都知事公館
石原都知事はいるのか?


観世(かんぜ)能楽堂
能楽を堪能するには抜群の環境である

 


戸栗美術館

谷中(懐かしの日本の街なみ)【東京考察#91】

Yanaka(Japanese culture town ordinariness)

 


 谷中は日本文化の色濃く残る街である.寛永年間(1624~43年)に上野寛永寺の子院がここに建立されたのが谷中寺町の始まりで,現在では70数件にも及ぶ寺院が存在している.その後江戸府内再開発によって神田辺りの寺院が谷中に移転し,寺の門前に町屋が形成され,参詣客などによって行楽地となっていった.
1868年の幕末戦争の時には多くの寺院が焼失したが,その後再建され,関東大震災でも戦災でも被災しなかったことから,昔ながらの佇まいが今でも残っているのである.外国人観光客の姿も見られ,ガイドブックを片手に街をぶらぶらと散策する人が多い.

谷中霊園は明治5(1872)年に,旧天王寺境内の一部を官地とし,それに天王寺墓地,徳川墓地の一部などをあわせた谷中墓地が始まりである.東京都の公共墓地として発足し,東京の三大霊園のひとつに数えられている.広さは10万m2,墓地使用者は6000余りだという.墓地内は広く,迷路のように細かく入った路が墓地を形成している.100年以上も前のコケが生えた墓石や石灯籠などが,飾り気なく自然に置かれているのも,俗化されておらずいい.徳川慶喜や著名人が眠っている.


谷中霊園


谷中霊園の桜並木

 
谷中霊園は一度立ち入ると迷路のようなところである.
各区画には全て番号が付けられている.


このように墓地には区画番号がつけられている
(これは地図のほんの一部分)


石材店と花屋


谷中の街並み


交差点角にある木造の喫茶店
昭和初期といった感じである


酒屋を移設して復元したもの


和菓子屋と銭湯の煙突

 
寺も多い


玄関の外灯(電球)が気に入った
昔流行った様式のようである

 
狭い路地


1868年の幕末戦争のときの弾痕
(大黒天 経王寺)

国立能楽堂(千駄ヶ谷)【東京考察#90】

The national Nho hall(at Sendagaya)

 


  国立能楽堂は「能」「狂言」を演じる舞台として,樹齢400年の尾州檜を床材に使用した能舞台をもつホールである.定例公演,普及公演,企画公演などが月4日間公演されている.千駄ヶ谷駅を降りて,閑静な街並みの中に能楽堂があり,静かな「能」を鑑賞するにはもってこいの環境である.


正門からジャパニーズカルチャーである


チケット拝見


ロビーは「木」を基調とし,落ち着いた空間となっている


座席は能舞台を取り囲むよう扇形に配置されている
脇正面は横からの鑑賞であるが,
橋掛かりと呼ばれる渡り廊下のような補助舞台を歩く役者を間近で見ることができる
一番安いのは中正面の席 全591席


正面から見た舞台
左奥の揚幕から橋掛かり(廊下のような舞台)を通って演者がでてくる
能舞台は三方を開け放し,後座のうしろには老松・若竹を描くことになっている.
さらに正面先には階段をつけ,右に高欄をつける.
4本の柱も必要で,その柱に囲まれた空間が本舞台と呼ばれる .


能舞台の説明(広辞苑より)


脇正面からみた舞台


中庭もある


私的コラム「とでも、とでも。」より能に関するところを抜粋

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「神・男・女・狂・鬼」   Date: 2002-11-26 (Tue)

このタイトルを見て何だかわかる人は相当なジャパニーズカルチャー通である.「神(しん)・男(なん)・女(にょ)・狂(きょう)・鬼(き)」,これは「能」の番組構成上の分類を表しており,それぞれが初番目・二番目・三番目・四番目・五番目といった「五番立て」の曲柄のことである.現在は,五番立てで上演されることは少ないが,二幕以上の上演の時は,この順番に従って上演される.

初番目物「神」:脇能.神体を主人公として天下泰平,五穀豊穣を願う.
二番目物「男」:修羅能.源平の武将の亡霊たちによる修羅の苦患と敗北者の滅びの美学.
三番目物「女」:鬘物.王朝の優美な女性たちや天人などが織りなす幽玄の美.
四番目物「狂」:雑能.悲しみ,怒り,怨念,嘆き,執心など,人間の持つ情念を描いたドラマ.
五番目物「鬼」:切能.鬼・天狗・神・妖精などがダイナミックに活躍する華やかな舞台.

この中で,最も演目が多く,現代でも人気があるのは「四番目物」である.人間の怨念や母親の子供へ対する愛情,罪などを扱っており,今なお現代人に通じるものがあって,昔も今も人間の心の根底には普遍的なものが流れているんだな,と感じる演目である.

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国立能楽堂へ ~9月普及公演  Date: 2002-09-15 (Sun)

最近「ジャパニーズカルチャー」の世界にどんどんはまりこんでいる僕である.歌舞伎を見ているうちに,歌舞伎のルーツはなんだろうか,と思った.歌舞伎は江戸時代に行われていた大衆劇であるが,平安時代の公家のあいだで見られていた楽劇が「能」であり「狂言」である.そんな,日本文化の真髄とも言うべき「能」を見てみることにした.

能の公演は,各流派のもっている能楽堂で行われているが,東京千駄ヶ谷には国立能楽堂があって,月に4日間の公演を行っている.土曜日に見れるのは「普及公演」のみで,他の「定例公演」や「企画公演」は平日の夜に行われているため,遠方からの人は国立能楽堂での鑑賞の機会はとても少ない.門構えといい,建物の作りといい,そして中に入ったときのぬくもりのある木目の空間といい,日本文化を満喫できるような施設である.さらに,中庭があって,心の落ち着きを取り戻すことができる.

2つの題目があって,最初が狂言の「蝸牛」,2つめが能の「梅枝」である.
「蝸牛」は狂言であり言葉も難しくなく,見ていて理解ができる.「でんでんむしむし,でんでんむっしむっし!」「風も吹かずに・・・」といったやりとりが滑稽で,カタツムリと間違えて山伏を連れて帰ってくる戯け者のお話であった.国立能楽堂は歌舞伎座のように広いわけではなく,間近に役者を見ることができるのであるが,腹の底から響き渡るような大声を上げているのには驚いた.歌舞伎座では後ろの方でしか見たことがないので気づかなかったが,役者はそうとう大きい声をあげているのである.
そして,能の「梅枝」である.鼓と笛の雅楽とともに,そろりそろりと役者が入ってくる.主役(シテ)は「お面」をかぶり,そろりそろりと演じていく.何を言っているのか,正直わからないが,560円のパンフレットには台本が記載されているので,それを見ながらだと,難解な古文も多少は理解ができるようになる.高校生のときもっと「古典」の勉強をしておけばよかった.古文なんて何に役立つのだろうと思い,赤点まで取るほどに勉強をしない科目であった.「・・・なりにけり」や「・・給うぞや」などと終止形や連体形などといったかすかな記憶の言葉が沢山でてくるのであった.

スピードが求められる現代に生きているものにとって,この「能」のスピードはとても緩やかに感じる.最初に歌舞伎を見たときに「なんてまったりと表現する演劇だろう」と思ったのだが,能を見ると「歌舞伎はなんてダイナミックで大衆に受ける演劇だろう」と思ってしまう.「静の舞台」である.これが能の幽玄である,ということなのだろうか.扇子を持って優雅に踊る.京都の龍安寺にある石庭に何か通じるものがあるな,と感じた.

幕引きもまた独特である.演じ終わるとそろりそろりと主役(シテ)が時間をかけて去ってゆく.この間,場内は全くの沈黙である.咳をしようものなら館内中に響き渡ってしまう.そして脇役(ワキ,ワキツレ)もそろりそろりと去っていき,笛や太鼓・地謡の人々が去っていく.なんとも楽しい宴が終わってしまった侘びしい余韻を充分感じ取れるほどの「間」である.現代の演劇では,幕をさーっと引いて舞台を隠してしまって幕を終わらせるが,歌舞伎俳優が花道をそろりそろりと去っていくように,能も舞台に通じている廊下をそろりそろりと去っていくのであった.館内に案内放送もなく,舞台が終わるとお客もすーと席を立ち上がって,そろりそろりと帰っていった.

ジャパニーズカルチャーの真髄をちょっとだけ,かいま見れたような気がする.歳を取ると日本文化に回帰するようになるのだろう.ということは,あと10年もするとカラオケで演歌を歌うようになるのだろうか・・・?

いわきおどり小名浜大会2002

いわきおどりは昭和56年,いわき市制施行15周年を記念してつくられたものである.
それまであった,小名浜天狗おどり,常磐やっぺ踊り,じゃんがら念仏おどり,常磐炭坑節などの踊りを継承しつつ,市民が気軽に参加できる踊りを創作しようとつくられたものである.
札幌のよさこいソーラン祭りと同じで,学校や企業などの市民グループが参加して踊り狂うというお祭りであり,いわきの夏の風物詩として定着している.

いわきおどりは,勿来,四倉,常磐,小名浜の各地方で大会が開催され,平で行われるいわきおどりで頂点に達する.踊り方は自由であるが基本形があって,各参加グループが少しずつ手を加えてアレンジをしているので,踊りを見比べてみるのも面白い.30分踊り続けて,15分の休憩を挟む.これを3回繰り返すので,体力がかなり消耗する.でも,非日常の祭りパワーは,人々を踊りの虜と変えてしまう.

2002年の小名浜大会の模様をどうぞ.


右にいって,左にいって・・・

信用金庫のグループ

看護婦さんも踊ります

グループの最後には,水分補給のための飲み物を運ぶ人がいる.踊り続けているので「暑い!熱い!」

塩を製塩している会社では,小名浜産の塩を振る舞っている

踊りの音楽は,生演奏により行われている

焼き鳥とビールは欠かせない

小名浜大会は,小名浜支所~岡自動車間の鹿島街道で行われる

バックヤードツアー[ネットでアクアマリンふくしま#7]

アクアマリンふくしまでは,魚と海と水辺を体験するために,いろいろな体験学習やイベント,ツアーが用意されている.その中のひとつに,「バックヤードツアー」というツアーがあって,普段は見ることのできない水族館の裏側へ案内され,水族館の仕組みや機能など,興味深い内容を聞くことができる.約50分のこのツアーは,是非1度,ご参加されることをお勧めします.新たな水族館の側面を知ることができるはずです.1日に3~4回行われており,1回の定員が30名程度と少ないため,申し込み開始と同時に締めきりとなる人気ツアーである.ツアー開始時刻の30分前から3階のオセアニックガレリアで受付が開始されるので,時間を確認して受付を済ませましょう!

そんなバックヤードツアーをちょっとだけご覧ください.
是非,バックヤードツアーに参加され,自分の目でご覧になるとまた違った発見があるかと思います.

参加者には「参加証」が配られる

「潮目の大水槽の上」と「福島の森」
天井がガラス張りなので植物が育つ.資材を運搬するためのクレーンも取り付けられている.

熱帯サンゴ礁の水槽の上部.岩は擬岩であるという.本物では重すぎて建物が潰れてしまうとか・・・

みんなでぞろぞろと「裏道」を歩きます!

水槽の水をきれいにする浄化装置

パネルを使って浄化の仕組みを説明する

餌を調合する部屋

動物の病気などを調べる部屋.理科の実験室のようだ.小型のレントゲンもある.

レントゲンで撮影した写真.針の刺さったウミネコ.

ホルマリン室では剥製にさわることができる
病気等の調査のためホルマリンで保存する

大久保アジアエスニックタウン(韓国人街)【東京考察#89】

The Asia ethnic minority town at Okubo(Korean town)

 


 2002年夏の日韓共催によるワールドカップは盛り上がった.最も暑く燃えていた地区のひとつに,ここが挙げられるだろう.エスニックとは少数民族という意味であるが,大久保・新大久保駅から職安通りにかけての大久保・百人町には,中国や東南アジア,韓国出身の人々が多く住んでいる.
この周辺には,日本語学校が集中していることと,家賃の安い木賃アパートが多く残っていることから,少しでも経済的に安く済ませようとする外国人に受け入れられていった.新宿という大都市が近くに存在していることも大きな魅力のひとつであろう.目立って多く居住するようになったのは,バブル絶頂期における労働力不足が背景にあった1980年あたりからである.
近年は職安通り付近の地価が上昇し,職安通り周辺は裕福な韓国人による韓国料理店などの出店が多く見られるようになった.そのため,石焼きビビンバやチジミ,冷麺など本場の韓国料理を味わうことができる.一方,大久保駅から新大久保駅にかけての大久保通り周辺では,インドネシアやベトナム,タイ,中国などのアジア各国の料理も味わうことができ,ここにくると「アジアの中のニッポン」を十分感じることができる.
韓国から日本へやってくる旅行者は,この街に立ち寄って情報を得たり,異国への不安を取り除いているのではないだろうか.


ハングルの旗が立つ職安通り


無料の情報誌 住まいの情報等


中国語やハングルの看板が多い大久保通り


ホテル入口 看板もハングル


中国アジア食品館


インターネットカフェの垂れ幕


「南大門市場」という名のスーパー


パチンコ屋の宣伝看板もハングル


本場の韓国料理が味わえる

 
専門学校などの文教施設が多くある一方で,
隣にはラブホテル街も存在する.
防犯抑止効果のチラシには,ハングルと中国語が併記されている.

 

新宿・歌舞伎町【東京考察#88】

The Shinjuku kabuki-cho town


靖国通りから見た歌舞伎町のビル
看板の色彩が派手なところ
いかにも繁華街である.

 


 歌舞伎町は日本最大の歓楽街と言っていいだろう.そこは「不夜城」という言葉がよく似合う.昼も夜も人々が溢れ,非日常を味わうために人々が交錯している.光と影,明と闇,都市の明るい賑やかさを持つ反面,都市の不気味な闇も併せ持つ地区である.
歌舞伎町の歴史はそれほど古くはない.戦災によって移転した府立第5女子高校の跡地にスケートリンク(現ボーリング場),オデヨン座,新宿劇場,グランドオデヨン座,東宝コマ劇場,ゲームセンターなどができたのが昭和25(1950)年であり,そのときが今の歌舞伎町のはじまりといっていい.それまでは新宿追分あたり(伊勢丹周辺の新宿2~3丁目付近)が新宿の繁華街だった.「歌舞伎町」の由来は大戦後の復興計画の際に銀座や浅草のような庶民の娯楽の場として歌舞伎劇場などの建設を意図していたことによるという.今となっては,浅草や銀座を凌ぐアジア最大の歓楽街と言われるまでになっている歌舞伎町であり,劇場,映画館,ボーリング場,喫茶店,ファーストフード,居酒屋,風俗店,サウナ,ゲーセン,パチンコ・パチスロなど,なんでもできる歓楽街である.

 
とにかく看板が派手で賑やか.


コマ劇場 細川たかしや吉幾三など演歌ショーも見れる


映画館とボーリング場と・・・
コマ劇場の前にはビルで囲まれた広場がある
夜になると大変な賑わいの場所となり・・・
深夜になると物騒な歌舞伎町となり・・・


風俗もたくさん・・・・

 
監視カメラが分かりますか?
歌舞伎町には50箇所にもわたって監視カメラが取り付けられており,
犯罪防止ということで,道行く人々はいたるところから監視されている


近くの大久保公園には,
防犯上なのか出入り口に扉がついており,
夜間は閉鎖される.


歌舞伎町から見た新宿副都心
サラリーマンたちは,昼は西新宿で,夜は歌舞伎町で・・・・


この中にもカメラがあります.さて,どこでしょう.(答えは一番下)



カメラの位置の解答:「歌舞伎町一番街」という白い看板の「町」の字のすぐ下

海開き前の永崎海岸(いわき市)

2002年7月14日の永崎海岸です.

海の水は「冷たい」
波が押し寄せる
霧がかかる永崎海岸
「海の家」は工事中!
17日に海開き
遠くに三崎公園のマリンタワーが見える

永崎海岸のパノラマ写真.

吉原大門の「見返り柳」【東京考察#87】

The willow looked back upon and seen at Yoshiwara Ohmon


 「吉原」は江戸で唯一,幕府から公認を受けた遊郭である.もともとは日本橋葺屋町(現:日本橋人形町付近)に土地を与えられて1617年に開設したもので,ヨシやカヤの茂るところだったので「葭原(よしわら)」と命名された.その後,1656年に田圃の広がる浅草千束村日本堤へと移転した.正確には,前者を旧吉原,後者を新吉原と呼んでいる.この新吉原が,魚河岸,芝居街と並んで,江戸の繁栄を物語るところとして名を馳せる不夜城の遊里「吉原」なのである.1958(昭和33)年まで続いた.

吉原の遊郭が広がっていたのは,現在の台東区千束4丁目と千束3丁目の一部である.新吉原の周囲には堀をめぐらして,出入り口は大門1ヶ所のみとしていた.その大門が存在していたところが,今でも交差点名とバス停に名の残る「吉原大門」なのである.

江戸の人口は男性の方が多く,遊郭は必要悪とされ悪所とはいいつつも大変賑わっていた.歌舞伎の演目を見ると,女形では必ずと言っていいほど遊女が登場する.幕府の高貴な武士を相手にすることから,遊女の中にはかなりの知識と教養を持つものもおり,三味線や琴,日本舞踊に茶道の心得を持っていた.しかし,華やかさの反面,劣悪な遊女の生活も伝えられており,遊女の大半は貧困なため身売りされた農村の娘たちで,満足な食事も与えら得ず客が少ないと言って折檻されるものもいた.死亡年齢も若く,死亡すると浄閑寺(荒川区)に投げ込まれるかのように埋葬されたという.

 
見返りの柳


台東区教育委員会の看板

 「見返り柳」は,遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ,この柳の辺りで遊郭を振り返ってしんみりとしたところから,この名がついたという.多くの川柳の題材となっており,台東区教育委員会の看板まで立っている.かつては山谷堀脇の土手にあったが,区画整理に伴い現在地に移され,震災や戦災によって数代にわたり植え替えられている.しかし,時代が過ぎれば「遊郭」も教育委員会の看板が立ってしまう「名所」となってしまうのだから,現在の新宿歌舞伎町などの風俗街も,3~400年も経つとかつての東京の繁栄として,教科書で紹介されるのだろうか.



夜になるとネオンきらめく街となる現在の吉原


タクシーは店の前で客待ちをしている

 1958(昭和33)年の売春防止法の施行にともなう赤線廃業によって吉原は幕を閉じる.その後,元赤線業者が経営するトルコ風呂がオープンし,現在のようなソープランド街が形成されている.

 

お台場海浜公園【東京考察#86】

Odaiba Kaihin Park


 「お台場」と言えば,今となっては東京の新しい名所として,非日常的なアミューズメント施設の建ち並ぶ再開発地を指すようになったが,元々の由来はこの地に「台場」と呼ばれる砲台跡が現存していることから名付けられた.台場は江戸幕府が黒船来航に備えて品川沖に築いたもので,1853年から着工され,全部で6基の台場がつくられた.現在は第三台場と第六台場のみが残されており,このうち第三台場は「台場公園」として誰でも中に立ち入ることができるようになっている.周囲には海面から5~7mの石垣積みの土手が築かれ,黒松が植えられている.また,内側にあるくぼ地には陣屋や弾薬庫跡などが現存している.
そして「お台場」の街開きと同時に,かつては第三台場貯木場だったところに人工的な渚をつくって海浜公園としたものが,現在のお台場海浜公園である.砂浜の広がる海浜公園から,レインボーブリッジの美しい吊り橋と江戸時代に黒船襲来から守るためにつくられた砲台跡・台場を同時に眺めながら,東京の優雅な浜辺を体験することができる.


お台場海浜公園


レインボーブリッジと第三台場(手前の石垣と緑)


お台場海浜公園の砂浜


ボードをかかえて・・・


第三台場(台場公園)


石垣に囲まれた第三台場


黒船来航に備えた砲台跡


黒松が植わる(背後にはフジテレビ)


台場内のくぼ地 史跡が点在する


第三台場からの眺めも最高
(夜は人気もなくなって真っ暗となり,絶好のデートスポットとなる)

両国国技館(相撲観戦)【東京考察#85】

Ryogoku Kokugikan (watching Sumo wrestling games)

 


 現在の両国国技館は2代目である.旧両国国技館は明治42(1906)年に回向院境内(両国駅南側,京葉道路南)に建てられ,それまでは屋外でやられていた相撲を屋内でやるようになった,日本で最初の屋根付き国技館である.明治時代に東京ドームの先駆けのような屋内競技場ができていたことを考えると驚きに値する.その後,失火,大震災,戦災と幾たびも建て替えられたが,昭和29(1954)年に蔵前国技館が完成すると,相撲試合は蔵前で行われるようになった.
蔵前では昭和59(1984)年まで相撲が行われていたが,昭和60(1985)年,新両国国技館が完成すると,再び両国で相撲が行われるようになった.土俵や吊り屋根は自動で昇降して格納することができ,相撲以外のイベントもできるという.館内には相撲博物館や相撲診療所,相撲教習所なども併設されており,災害時の食糧備蓄倉庫や自家発電装置,屋根に降った雨水を浄化する装置も備えられており,近代設備を取り入れた最先端の国技館となっている.



幕下力士の戦い


お目当ての力士の入場を待つ観客

NHKの中継は午後4時くらいから行われているが,これは幕内力士の中継のみを行うからであって,相撲の取組みは午前9時から行われている.幕下力士の試合の時は,まだ席に空席が目立つ.


入口では力士OBが切符を切る


案内所.枡席までビールや食物を運んでくれる.おみやげもここで・・・

 
座席は方向別に,「正」「向」「東」「西」となっている.
「向」は「むこうじょうめん」と呼ばれている席.

  
1階は全て「枡席」となっており,4人で1セットの席となる.


館内上部には歴代横綱の写真が並べられている



いよいよ幕内土俵入り


横綱土俵入り.午後4時頃から.(武蔵丸)


「満員御礼」と「日の丸」
1階枡席が満員になると札が垂れる


人気の取り組みには懸賞がたくさん付く


弓取り式で終了


櫓(やぐら=19.5m).相撲が終わると太鼓が叩かれる.これが風情のある音を響かせる.


動画でお楽しみください.Click!

成城の街並み(高級住宅街)【東京考察#84】

Rows of houses of Seijo (overly high-class residential street)

 


 

 成城は田園調布と並ぶ超高級住宅街である.中学高校と6年間,成城学園前駅から徒歩15分のところに学校があったため,豪邸の建ち並ぶ家並みを何気なく登校する学生生活を送っていたのであるが,大人になって改めて歩いてみると,なんとすごい街並みの中を歩いて通っていたことか!,と改めて感じてしまう.家は大きく,門構えがしっかりとしていて,塀は高く,監視カメラ付き,車は高級外車で,街路には桜が植わっている・・・.こんな家に一度でいいから住んでみたい! ちなみに,田園調布よりも成城の方が地価は高いそうである.
成城は,大正14年に牛込にあった成城学園を喜多見に移転する際に,周辺を宅地分譲して事業費を生み出すということで始まったもので,昭和2年の小田急線の開通とともにその南北に広がる住宅街となった.「成城」という名は,学園からとってつけられたものである.イギリスにおける田園都市(ハワードの田園都市論)を意識して宅地開発がされており,当時の宅地分譲では,宅地の周囲には板塀や煉瓦塀を用いず,樹木か生け垣にして欲しい旨,申し合わせがあったといい,緑溢れる落ち着きのある開放的な現在の街並みは,このときの申し合わせによって形成されているのである.現在ではこのルールはなくなっているという.

緑の生け垣アラカルト
 

 

 

下北沢の魅力【東京考察#83】

Charm at Shimokitazawa

 


 「シモキタ」,このように呼ばれる下北沢は,大変魅力のある街である.とにかくヒューマンスケールで街並みが形成されているのである.車がやっとすれ違えるような細い路地が迷路のように広がり,その道沿いには所狭しと店が連なっている.歩いて楽しむにはちょうど良い「スケール」なのである.地方都市では,中心市街地の空洞化が問題となっているが,中心市街地活性化の原点はここにあるような気がする.下北沢は小劇場から始まっていった街である.


とにかく休日の人出はすごい


「シモキタ」もアジア的なカオスである


シャッターの落書きも「シモキタ」ではアートとなってしまう


ティッシュを配る人


「シモキタ」の原点は小劇場である.(本多劇場)


味わいのある「鈴なり横丁」 唯一の映画館がある


踏切と小田急線は外せない. これが開かずの踏切でして・・・


下北沢駅前.ティッシュを配る人は5人います.


下北沢駅は,街を如実に表しているように,迷路のようになっている.


小田急の立ち食いそばといえば「箱そば」である

砧公園(世田谷区)【東京考察#82】

Kinuta Park (at Setagaya-word)

 


 砧(きぬた)公園は,かつてゴルフ場だったところを都立公園として整備したものである.敷地面積は約35.8ha,広大な敷地内には,サイクリングロード,バードウォッチング,ファミリー広場と呼ばれる広大な芝生,桜の林,せせらぎの川ありと,ここが都内かと思わせるような緑が広がっている.日本の公園というのは,狭い空間にブランコや滑り台などを箱庭的におく公園が多いが,このようにだだっ広い広場だけというイギリスのような公園というのは,どのようにして広場を利用するか考える機会が与えられ,人間の遊びの想像力を広げる素晴らしい公園である.
公園内には他に,世田谷美術館や野球場,サッカー場も備えており,休日には思い思いの休みを満喫する人々で賑わっている.


休日は家族で凧揚げ


芝生の広がる「ファミリーパーク」内は犬の連れ込み禁止.
その通り.犬のフンがゴロゴロ転がっていたらたまったもんじゃない!


一応「ジャングルジム」等の遊戯施設もある


公園を周回するサイクリングロード


小径  マラソンコースである


バードサンクチュアリ → 覗くと右の通り


木陰の散歩道


サッカー場もある


世田谷美術館


やっぱり砧公園のイメージは,この広大な芝生である.

夜の池袋駅東口【東京考察#81】

The Ikebukuro station east gate at night

 


 池袋駅東口の夜を撮ってみた.
渋谷・新宿に次ぐ,一大繁華街である.
そんな景色をどうぞ.


ストリートライブ
明治通り上下線の間にはスペースがあって,人集りができていた.
東口の明るさはこのオープンスペースによるところが大きい.


西武百貨店のショーウインドウ
灯りがまぶしい!


サンシャイン60通りには若者でごった返す.
向かいには,横断歩道を待つ人・人・人・・・


居酒屋のチラシを配る店員


戦後闇市を思わせるような飲屋街も存在する


東口交番前交差点



「テレクラ」 ど派手な電光掲示板も池袋らしい


池袋は新宿・歌舞伎町に次ぐ風俗街でもある.
怪しいネオン街が続く.


同じく・・・ Part.1


同じく・・・ Part.2

東京ビッグサイト(東京国際展示場)【東京考察#80】

Tokyo International Exhibition Hall (Tokyo Big Sight)

 

 「東京ビッグサイト」はお台場にあるコンベンション施設「東京国際展示場」のことであり,かつて晴海埠頭にあった東京晴海見本市会場の代替施設である.展示面積23万m2.幕張メッセ(千葉県)やみなとみらい21(神奈川県)等,各自治体では競って国際展示場を作っているが,その東京都版が東京ビッグサイトである.平成8年に開業した.
かつて晴海で行われていた東京モーターショーは,手狭のため幕張メッセに移転して展示を行っている.東京ビッグサイトのオープンをきっかけに,こちらに移転させる話しが持ち上がったが,幕張メッセ側の反対もあって実現していない.コンベンションホールも乱立ぎみの傾向にある気がする.


エントランス
間近でみるとかなり大きいことに気づく
 


館内への入り口

 


コンベンションホールまでの内部の様子
この先に大きな体育館のような空間(展示場)がある

日本橋三越本店【東京考察#79】

The Nihonbashi MITSUKOSHI department store


 日本橋にある三越本店は,昭和10年に完成したルネサンス様式の建物である.東京都選定歴史的建造物に指定されているとおり,重厚な建物は買い物目当てでなくても一度は訪れてみたくなるところである.なかでも本館中央にある1~5階までの太陽光を取り入れた吹き抜けは圧倒され,戦前からこのような建築が日本にあったことに驚きを感じる.シンガポールのショッピングデパートにも,このようなタイプの中央が吹き抜けのビルが多く建設されているが,果たしてルーツは何処なのであろうか.内装に使用されている大理石にはアンモナイトの化石が含まれており,何もかもが本物の装飾で施されている.


吹き抜けの中央ホール
天女(まごころ)像が置かれている


三越といえば「ライオン像」


装飾もきらびやか


OTIS製のクラシックエレベーター
しかし,かつての真鍮製の内扉は今はなく,
ステンレス製の扉に替えられてしまった


銀座線三越前駅から三越に通じる地下道にも装飾がされている
駅のエスカレーターも金色に塗られている

神谷町界隈(港区)【東京考察#78】

Kamiya-chyo neighborhood (Toranomon)

 


 地下鉄神谷町駅は,日比谷線しか通らない目立たぬ存在であるが,この駅を降り立つと,ホテルオークラやアメリカ大使館,テレビ東京などが建ち,東京のちょっと奥まった落ち着きと品のあるビジネス街が広がっているエリアである.銀座線に「虎ノ門駅」があるが,銀座線の虎ノ門駅は虎ノ門1丁目にあり,かつては虎ノ門1丁目あたりだけがビルの建ち並ぶ所で,神谷町駅付近は小さな商店の並ぶ街であった.25年ほど前から神谷町駅周辺にもビルが建ち並ぶようになってきたのだという.かつては「芝神谷町」という地名だったが,今その地名は存在していない.(読者からメールにて連絡いただいた内容を引用して記載しました)
虎ノ門とは、江戸城の一番外側にあったお堀を渡るところにあった門のひとつであり,明治になって撤去された.江戸城の門のなかでも動物の名前がついているのはここだけであるという.いくつかの説があり,大名屋敷に虎の尾と呼ぶ桜があった、太田道濯が出陣するときに千里行って無事に千里帰るという虎にあやかって名づけた、虎の櫨を通そうと門を改造した,など諸説がある.


虎ノ門には「重役」や「専務」が似合う


やっぱり歩いているのは「重役」っぽい人


虎ノ門といえば「森ビル」 写真は40番の森ビル
森不動産が出発点のビルである
とにかくいたるところに森ビルだらけである


アメリカ大使館
正確には「赤坂1丁目」である(溜池)


ホテルオークラ
アメリカ大使館の隣にあることもあって,
外国からの要人が宿泊する超一流ホテル
一流の雰囲気を味わいにロビーへ行ってみるのもよし!


「桜坂」
六本木通りと虎ノ門を結ぶ

 
左がスウェーデン大使館
右がスペイン大使館


渋滞をスイスイ抜ける「チャリンコメール便」が大活躍
無線機を首から下げて,ヘルメットをかぶり疾走している


Japanese Lessons!!


やっぱり神谷町で「テレビ東京」は外せない
むかしは「東京12チャンネル」といっていた.