BANCHAN のすべての投稿

番町【東京考察#96】

Bancho

 

 番町は江戸城の西側,外堀と内堀の間に広がっていた役職付きの旗本たちの住む武家地であった.番町の由来は,大番士の組屋敷が造られたことによる.明治維新後にはイギリスが大使館を置き,官吏や文化人の高級住宅街となっていく.また,番町には多くの学校が進出しており,特に女子教育の先駆的な学校が多くある.高級マンションやオフィスビルの進出により,姿を徐々に変えている番町であるが,住民たちによって「業務ビル街ではなく文教地区としての落ち着いた街並みに」といった運動も行われている.ちなみに新宿通り沿いに広がる「麹町」は,番町や赤坂に住む武士たちの買い物の場として,商人や職人の住む町人町であった.現在の行政上の町丁目名は,一番町から六番町までとなっている.


お屋敷町の面影は残る


門にも重厚さが感じられる


なんか渋い. 塀の雰囲気とか.


「麹町六番館」という建物


南国風も.


日本テレビ. それって日テレ!!
ズームインはここの1階スタジオから生放送.
道路からスタジオがみれる
しかし,汐留の再開発地に移転が決まっている.


雙葉小中高校 名門のお嬢様学校である.


番町小学校
千代田区立にもかかわらず,越境入学する人が多い人気校.

 
住民の街づくりへの意識は高い

復元前の東京駅赤煉瓦駅舎(丸の内)【東京考察#95】

The red brick station building of the Tokyo station (Marunouchi side)

 


 東京駅の丸の内口は,オランダのアムステルダム中央駅を参考に辰野金吾が設計をしたルネサンス様式の駅舎である.明治41年から6年の歳月をかけて大正3年に開業した.開業当時は3階建ての駅舎であったが,太平洋戦争の空襲で消失(昭和20年5月25日)し,その後の復興で2階建ての駅舎となった。北口と南口にはドーム状の空間が広がっており,1987年からは「とうきょうエキコン」と称して駅コンサートが2000年まで行われていた.ステーションギャラリーやステーションホテルなどを併設する日本を代表する駅舎である.


正面 反対側へは皇居までの直線道路が続いている


正面から真っ直ぐ進むと「皇居」である


ドーム式の広場 かつてはエキコンが開かれていた


ドーム


東京ステーションギャラリーの入口

 
重厚な赤煉瓦駅舎である

大隈通り商店街(早稲田大学裏)【東京考察#94】

Okuma-dori Shopping center (Waseda University side)

 


 大隈重信は早稲田大学の創始者である.早稲田大学の裏にその名が付けられている商店街がある.その名も「大隈通り商店街」.いかにも学生街らしい商店街であり,オシャレで近代的というよりは,ゲタとたばこがよく似合うようなところである.都電荒川線で早稲田大学に行くときは,この商店街を通って正門まで行くことになる.食堂などもあって早稲田大学生にとってはちょっとした生活の場でもある.


これは「焼肉屋」 韓国系料理の店も多い


やっぱり「雀荘」は外せない 全卓全自動である


弁当屋には列ができる


大隈通り商店街の通り

 
珍しい飲食店もある


大隈講堂


大隈重信の銅像(大学構内)

新しい丸の内ビルディング【東京考察#93】

Marunouchi Building

 


 丸の内地区は一丁ロンドンとも呼ばれる英国風ビジネス街が三菱財閥によって形成されていったところである.旧建築基準法の規制により高さ31mの基準が守られていたが,規制緩和により丸の内地区も高い建物が建てられるようになった.かつての丸ビルの高さである31mを低層部で再現しつつ新たな丸ビルが平成14年秋にオープンした.
丸の内は本社業務地区の集中するビジネス街として,ショッピング街やレストラン街などの商業施設は少なかった.新しい丸ビルは,土日になると閑散としていた丸の内から脱却しようと,低層部と高層階には賑わいのある商業施設を配し,人々の集まるアメニティーのあるビジネス街を形成している
オフィスゾーンは9階~34階,7・8階はインタラクティブゾーンとして300人収容の多目的ホールや6室の会議室を設けている.開発手法としては,隣接する三菱商事ビル別館街区との一体的な計画として「複数街区の特定街区」制度にて1998年6月に都市計画決定され,両街区一体で容積1300%となっている.別館の建て替えは2006年の予定だとのことである.



ガラスを基調にした空間である


しかし,天井と壁面は「木」を縦に配して暖かみを出している.


1階から吹き抜け


7階から下を望む


5階にあるデッキ
太陽の光が降り注ぐ.


とにかくオープンしたてということもあり,人がすごい.開店が午前11時にもかかわらず人が溢れており,シャッターが閉まるビル内をただ歩いているだけである.



午前11時開店前にもかかわらず
人・人・人・・・・・・


展望レストラン街へのエレベーターには長蛇の列


松濤(渋谷の高級住宅街)【東京考察#92】

Shoto(High-class residential street)

 


 渋谷駅のハチ公口をでて,人々で溢れかえるスクランブル交差点を渡り,109を眺めながら文化村通りを歩いていく.とにかく渋谷のエネルギーはすごい.肩と肩をぶつけ合いながら,雑踏の中を歩いていくと,オーチャードホール,文化村のある東急百貨店前となる.そして,その百貨店の裏手にまわると,雰囲気はがらりと一変する.

このギャップは何なのだろうか?

大きく立派な建物が建ち並ぶ,静閑な高級住宅街「松濤(しょうとう)」である.
すぐ隣には,円山町というかつての花街だったラブホテル街も存在する.渋谷の繁華街,円山町のホテル街,そして高級住宅街の松濤と,三者三様の街並みが歩いて10分程度の範囲内に存在しているところに,この地区の面白さがある.とにかく,歩いて街全体の空間を実際に感じてみましょう.



高級住宅街には緑が多い
塀も「生け垣」となっている


都知事公館
石原都知事はいるのか?


観世(かんぜ)能楽堂
能楽を堪能するには抜群の環境である

 


戸栗美術館

谷中(懐かしの日本の街なみ)【東京考察#91】

Yanaka(Japanese culture town ordinariness)

 


 谷中は日本文化の色濃く残る街である.寛永年間(1624~43年)に上野寛永寺の子院がここに建立されたのが谷中寺町の始まりで,現在では70数件にも及ぶ寺院が存在している.その後江戸府内再開発によって神田辺りの寺院が谷中に移転し,寺の門前に町屋が形成され,参詣客などによって行楽地となっていった.
1868年の幕末戦争の時には多くの寺院が焼失したが,その後再建され,関東大震災でも戦災でも被災しなかったことから,昔ながらの佇まいが今でも残っているのである.外国人観光客の姿も見られ,ガイドブックを片手に街をぶらぶらと散策する人が多い.

谷中霊園は明治5(1872)年に,旧天王寺境内の一部を官地とし,それに天王寺墓地,徳川墓地の一部などをあわせた谷中墓地が始まりである.東京都の公共墓地として発足し,東京の三大霊園のひとつに数えられている.広さは10万m2,墓地使用者は6000余りだという.墓地内は広く,迷路のように細かく入った路が墓地を形成している.100年以上も前のコケが生えた墓石や石灯籠などが,飾り気なく自然に置かれているのも,俗化されておらずいい.徳川慶喜や著名人が眠っている.


谷中霊園


谷中霊園の桜並木

 
谷中霊園は一度立ち入ると迷路のようなところである.
各区画には全て番号が付けられている.


このように墓地には区画番号がつけられている
(これは地図のほんの一部分)


石材店と花屋


谷中の街並み


交差点角にある木造の喫茶店
昭和初期といった感じである


酒屋を移設して復元したもの


和菓子屋と銭湯の煙突

 
寺も多い


玄関の外灯(電球)が気に入った
昔流行った様式のようである

 
狭い路地


1868年の幕末戦争のときの弾痕
(大黒天 経王寺)

国立能楽堂(千駄ヶ谷)【東京考察#90】

The national Nho hall(at Sendagaya)

 


  国立能楽堂は「能」「狂言」を演じる舞台として,樹齢400年の尾州檜を床材に使用した能舞台をもつホールである.定例公演,普及公演,企画公演などが月4日間公演されている.千駄ヶ谷駅を降りて,閑静な街並みの中に能楽堂があり,静かな「能」を鑑賞するにはもってこいの環境である.


正門からジャパニーズカルチャーである


チケット拝見


ロビーは「木」を基調とし,落ち着いた空間となっている


座席は能舞台を取り囲むよう扇形に配置されている
脇正面は横からの鑑賞であるが,
橋掛かりと呼ばれる渡り廊下のような補助舞台を歩く役者を間近で見ることができる
一番安いのは中正面の席 全591席


正面から見た舞台
左奥の揚幕から橋掛かり(廊下のような舞台)を通って演者がでてくる
能舞台は三方を開け放し,後座のうしろには老松・若竹を描くことになっている.
さらに正面先には階段をつけ,右に高欄をつける.
4本の柱も必要で,その柱に囲まれた空間が本舞台と呼ばれる .


能舞台の説明(広辞苑より)


脇正面からみた舞台


中庭もある


私的コラム「とでも、とでも。」より能に関するところを抜粋

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「神・男・女・狂・鬼」   Date: 2002-11-26 (Tue)

このタイトルを見て何だかわかる人は相当なジャパニーズカルチャー通である.「神(しん)・男(なん)・女(にょ)・狂(きょう)・鬼(き)」,これは「能」の番組構成上の分類を表しており,それぞれが初番目・二番目・三番目・四番目・五番目といった「五番立て」の曲柄のことである.現在は,五番立てで上演されることは少ないが,二幕以上の上演の時は,この順番に従って上演される.

初番目物「神」:脇能.神体を主人公として天下泰平,五穀豊穣を願う.
二番目物「男」:修羅能.源平の武将の亡霊たちによる修羅の苦患と敗北者の滅びの美学.
三番目物「女」:鬘物.王朝の優美な女性たちや天人などが織りなす幽玄の美.
四番目物「狂」:雑能.悲しみ,怒り,怨念,嘆き,執心など,人間の持つ情念を描いたドラマ.
五番目物「鬼」:切能.鬼・天狗・神・妖精などがダイナミックに活躍する華やかな舞台.

この中で,最も演目が多く,現代でも人気があるのは「四番目物」である.人間の怨念や母親の子供へ対する愛情,罪などを扱っており,今なお現代人に通じるものがあって,昔も今も人間の心の根底には普遍的なものが流れているんだな,と感じる演目である.

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国立能楽堂へ ~9月普及公演  Date: 2002-09-15 (Sun)

最近「ジャパニーズカルチャー」の世界にどんどんはまりこんでいる僕である.歌舞伎を見ているうちに,歌舞伎のルーツはなんだろうか,と思った.歌舞伎は江戸時代に行われていた大衆劇であるが,平安時代の公家のあいだで見られていた楽劇が「能」であり「狂言」である.そんな,日本文化の真髄とも言うべき「能」を見てみることにした.

能の公演は,各流派のもっている能楽堂で行われているが,東京千駄ヶ谷には国立能楽堂があって,月に4日間の公演を行っている.土曜日に見れるのは「普及公演」のみで,他の「定例公演」や「企画公演」は平日の夜に行われているため,遠方からの人は国立能楽堂での鑑賞の機会はとても少ない.門構えといい,建物の作りといい,そして中に入ったときのぬくもりのある木目の空間といい,日本文化を満喫できるような施設である.さらに,中庭があって,心の落ち着きを取り戻すことができる.

2つの題目があって,最初が狂言の「蝸牛」,2つめが能の「梅枝」である.
「蝸牛」は狂言であり言葉も難しくなく,見ていて理解ができる.「でんでんむしむし,でんでんむっしむっし!」「風も吹かずに・・・」といったやりとりが滑稽で,カタツムリと間違えて山伏を連れて帰ってくる戯け者のお話であった.国立能楽堂は歌舞伎座のように広いわけではなく,間近に役者を見ることができるのであるが,腹の底から響き渡るような大声を上げているのには驚いた.歌舞伎座では後ろの方でしか見たことがないので気づかなかったが,役者はそうとう大きい声をあげているのである.
そして,能の「梅枝」である.鼓と笛の雅楽とともに,そろりそろりと役者が入ってくる.主役(シテ)は「お面」をかぶり,そろりそろりと演じていく.何を言っているのか,正直わからないが,560円のパンフレットには台本が記載されているので,それを見ながらだと,難解な古文も多少は理解ができるようになる.高校生のときもっと「古典」の勉強をしておけばよかった.古文なんて何に役立つのだろうと思い,赤点まで取るほどに勉強をしない科目であった.「・・・なりにけり」や「・・給うぞや」などと終止形や連体形などといったかすかな記憶の言葉が沢山でてくるのであった.

スピードが求められる現代に生きているものにとって,この「能」のスピードはとても緩やかに感じる.最初に歌舞伎を見たときに「なんてまったりと表現する演劇だろう」と思ったのだが,能を見ると「歌舞伎はなんてダイナミックで大衆に受ける演劇だろう」と思ってしまう.「静の舞台」である.これが能の幽玄である,ということなのだろうか.扇子を持って優雅に踊る.京都の龍安寺にある石庭に何か通じるものがあるな,と感じた.

幕引きもまた独特である.演じ終わるとそろりそろりと主役(シテ)が時間をかけて去ってゆく.この間,場内は全くの沈黙である.咳をしようものなら館内中に響き渡ってしまう.そして脇役(ワキ,ワキツレ)もそろりそろりと去っていき,笛や太鼓・地謡の人々が去っていく.なんとも楽しい宴が終わってしまった侘びしい余韻を充分感じ取れるほどの「間」である.現代の演劇では,幕をさーっと引いて舞台を隠してしまって幕を終わらせるが,歌舞伎俳優が花道をそろりそろりと去っていくように,能も舞台に通じている廊下をそろりそろりと去っていくのであった.館内に案内放送もなく,舞台が終わるとお客もすーと席を立ち上がって,そろりそろりと帰っていった.

ジャパニーズカルチャーの真髄をちょっとだけ,かいま見れたような気がする.歳を取ると日本文化に回帰するようになるのだろう.ということは,あと10年もするとカラオケで演歌を歌うようになるのだろうか・・・?

いわきおどり小名浜大会2002

いわきおどりは昭和56年,いわき市制施行15周年を記念してつくられたものである.
それまであった,小名浜天狗おどり,常磐やっぺ踊り,じゃんがら念仏おどり,常磐炭坑節などの踊りを継承しつつ,市民が気軽に参加できる踊りを創作しようとつくられたものである.
札幌のよさこいソーラン祭りと同じで,学校や企業などの市民グループが参加して踊り狂うというお祭りであり,いわきの夏の風物詩として定着している.

いわきおどりは,勿来,四倉,常磐,小名浜の各地方で大会が開催され,平で行われるいわきおどりで頂点に達する.踊り方は自由であるが基本形があって,各参加グループが少しずつ手を加えてアレンジをしているので,踊りを見比べてみるのも面白い.30分踊り続けて,15分の休憩を挟む.これを3回繰り返すので,体力がかなり消耗する.でも,非日常の祭りパワーは,人々を踊りの虜と変えてしまう.

2002年の小名浜大会の模様をどうぞ.


右にいって,左にいって・・・

信用金庫のグループ

看護婦さんも踊ります

グループの最後には,水分補給のための飲み物を運ぶ人がいる.踊り続けているので「暑い!熱い!」

塩を製塩している会社では,小名浜産の塩を振る舞っている

踊りの音楽は,生演奏により行われている

焼き鳥とビールは欠かせない

小名浜大会は,小名浜支所~岡自動車間の鹿島街道で行われる

バックヤードツアー[ネットでアクアマリンふくしま#7]

アクアマリンふくしまでは,魚と海と水辺を体験するために,いろいろな体験学習やイベント,ツアーが用意されている.その中のひとつに,「バックヤードツアー」というツアーがあって,普段は見ることのできない水族館の裏側へ案内され,水族館の仕組みや機能など,興味深い内容を聞くことができる.約50分のこのツアーは,是非1度,ご参加されることをお勧めします.新たな水族館の側面を知ることができるはずです.1日に3~4回行われており,1回の定員が30名程度と少ないため,申し込み開始と同時に締めきりとなる人気ツアーである.ツアー開始時刻の30分前から3階のオセアニックガレリアで受付が開始されるので,時間を確認して受付を済ませましょう!

そんなバックヤードツアーをちょっとだけご覧ください.
是非,バックヤードツアーに参加され,自分の目でご覧になるとまた違った発見があるかと思います.

参加者には「参加証」が配られる

「潮目の大水槽の上」と「福島の森」
天井がガラス張りなので植物が育つ.資材を運搬するためのクレーンも取り付けられている.

熱帯サンゴ礁の水槽の上部.岩は擬岩であるという.本物では重すぎて建物が潰れてしまうとか・・・

みんなでぞろぞろと「裏道」を歩きます!

水槽の水をきれいにする浄化装置

パネルを使って浄化の仕組みを説明する

餌を調合する部屋

動物の病気などを調べる部屋.理科の実験室のようだ.小型のレントゲンもある.

レントゲンで撮影した写真.針の刺さったウミネコ.

ホルマリン室では剥製にさわることができる
病気等の調査のためホルマリンで保存する

大久保アジアエスニックタウン(韓国人街)【東京考察#89】

The Asia ethnic minority town at Okubo(Korean town)

 


 2002年夏の日韓共催によるワールドカップは盛り上がった.最も暑く燃えていた地区のひとつに,ここが挙げられるだろう.エスニックとは少数民族という意味であるが,大久保・新大久保駅から職安通りにかけての大久保・百人町には,中国や東南アジア,韓国出身の人々が多く住んでいる.
この周辺には,日本語学校が集中していることと,家賃の安い木賃アパートが多く残っていることから,少しでも経済的に安く済ませようとする外国人に受け入れられていった.新宿という大都市が近くに存在していることも大きな魅力のひとつであろう.目立って多く居住するようになったのは,バブル絶頂期における労働力不足が背景にあった1980年あたりからである.
近年は職安通り付近の地価が上昇し,職安通り周辺は裕福な韓国人による韓国料理店などの出店が多く見られるようになった.そのため,石焼きビビンバやチジミ,冷麺など本場の韓国料理を味わうことができる.一方,大久保駅から新大久保駅にかけての大久保通り周辺では,インドネシアやベトナム,タイ,中国などのアジア各国の料理も味わうことができ,ここにくると「アジアの中のニッポン」を十分感じることができる.
韓国から日本へやってくる旅行者は,この街に立ち寄って情報を得たり,異国への不安を取り除いているのではないだろうか.


ハングルの旗が立つ職安通り


無料の情報誌 住まいの情報等


中国語やハングルの看板が多い大久保通り


ホテル入口 看板もハングル


中国アジア食品館


インターネットカフェの垂れ幕


「南大門市場」という名のスーパー


パチンコ屋の宣伝看板もハングル


本場の韓国料理が味わえる

 
専門学校などの文教施設が多くある一方で,
隣にはラブホテル街も存在する.
防犯抑止効果のチラシには,ハングルと中国語が併記されている.

 

新宿・歌舞伎町【東京考察#88】

The Shinjuku kabuki-cho town


靖国通りから見た歌舞伎町のビル
看板の色彩が派手なところ
いかにも繁華街である.

 


 歌舞伎町は日本最大の歓楽街と言っていいだろう.そこは「不夜城」という言葉がよく似合う.昼も夜も人々が溢れ,非日常を味わうために人々が交錯している.光と影,明と闇,都市の明るい賑やかさを持つ反面,都市の不気味な闇も併せ持つ地区である.
歌舞伎町の歴史はそれほど古くはない.戦災によって移転した府立第5女子高校の跡地にスケートリンク(現ボーリング場),オデヨン座,新宿劇場,グランドオデヨン座,東宝コマ劇場,ゲームセンターなどができたのが昭和25(1950)年であり,そのときが今の歌舞伎町のはじまりといっていい.それまでは新宿追分あたり(伊勢丹周辺の新宿2~3丁目付近)が新宿の繁華街だった.「歌舞伎町」の由来は大戦後の復興計画の際に銀座や浅草のような庶民の娯楽の場として歌舞伎劇場などの建設を意図していたことによるという.今となっては,浅草や銀座を凌ぐアジア最大の歓楽街と言われるまでになっている歌舞伎町であり,劇場,映画館,ボーリング場,喫茶店,ファーストフード,居酒屋,風俗店,サウナ,ゲーセン,パチンコ・パチスロなど,なんでもできる歓楽街である.

 
とにかく看板が派手で賑やか.


コマ劇場 細川たかしや吉幾三など演歌ショーも見れる


映画館とボーリング場と・・・
コマ劇場の前にはビルで囲まれた広場がある
夜になると大変な賑わいの場所となり・・・
深夜になると物騒な歌舞伎町となり・・・


風俗もたくさん・・・・

 
監視カメラが分かりますか?
歌舞伎町には50箇所にもわたって監視カメラが取り付けられており,
犯罪防止ということで,道行く人々はいたるところから監視されている


近くの大久保公園には,
防犯上なのか出入り口に扉がついており,
夜間は閉鎖される.


歌舞伎町から見た新宿副都心
サラリーマンたちは,昼は西新宿で,夜は歌舞伎町で・・・・


この中にもカメラがあります.さて,どこでしょう.(答えは一番下)



カメラの位置の解答:「歌舞伎町一番街」という白い看板の「町」の字のすぐ下

海開き前の永崎海岸(いわき市)

2002年7月14日の永崎海岸です.

海の水は「冷たい」
波が押し寄せる
霧がかかる永崎海岸
「海の家」は工事中!
17日に海開き
遠くに三崎公園のマリンタワーが見える

永崎海岸のパノラマ写真.

吉原大門の「見返り柳」【東京考察#87】

The willow looked back upon and seen at Yoshiwara Ohmon


 「吉原」は江戸で唯一,幕府から公認を受けた遊郭である.もともとは日本橋葺屋町(現:日本橋人形町付近)に土地を与えられて1617年に開設したもので,ヨシやカヤの茂るところだったので「葭原(よしわら)」と命名された.その後,1656年に田圃の広がる浅草千束村日本堤へと移転した.正確には,前者を旧吉原,後者を新吉原と呼んでいる.この新吉原が,魚河岸,芝居街と並んで,江戸の繁栄を物語るところとして名を馳せる不夜城の遊里「吉原」なのである.1958(昭和33)年まで続いた.

吉原の遊郭が広がっていたのは,現在の台東区千束4丁目と千束3丁目の一部である.新吉原の周囲には堀をめぐらして,出入り口は大門1ヶ所のみとしていた.その大門が存在していたところが,今でも交差点名とバス停に名の残る「吉原大門」なのである.

江戸の人口は男性の方が多く,遊郭は必要悪とされ悪所とはいいつつも大変賑わっていた.歌舞伎の演目を見ると,女形では必ずと言っていいほど遊女が登場する.幕府の高貴な武士を相手にすることから,遊女の中にはかなりの知識と教養を持つものもおり,三味線や琴,日本舞踊に茶道の心得を持っていた.しかし,華やかさの反面,劣悪な遊女の生活も伝えられており,遊女の大半は貧困なため身売りされた農村の娘たちで,満足な食事も与えら得ず客が少ないと言って折檻されるものもいた.死亡年齢も若く,死亡すると浄閑寺(荒川区)に投げ込まれるかのように埋葬されたという.

 
見返りの柳


台東区教育委員会の看板

 「見返り柳」は,遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ,この柳の辺りで遊郭を振り返ってしんみりとしたところから,この名がついたという.多くの川柳の題材となっており,台東区教育委員会の看板まで立っている.かつては山谷堀脇の土手にあったが,区画整理に伴い現在地に移され,震災や戦災によって数代にわたり植え替えられている.しかし,時代が過ぎれば「遊郭」も教育委員会の看板が立ってしまう「名所」となってしまうのだから,現在の新宿歌舞伎町などの風俗街も,3~400年も経つとかつての東京の繁栄として,教科書で紹介されるのだろうか.



夜になるとネオンきらめく街となる現在の吉原


タクシーは店の前で客待ちをしている

 1958(昭和33)年の売春防止法の施行にともなう赤線廃業によって吉原は幕を閉じる.その後,元赤線業者が経営するトルコ風呂がオープンし,現在のようなソープランド街が形成されている.

 

お台場海浜公園【東京考察#86】

Odaiba Kaihin Park


 「お台場」と言えば,今となっては東京の新しい名所として,非日常的なアミューズメント施設の建ち並ぶ再開発地を指すようになったが,元々の由来はこの地に「台場」と呼ばれる砲台跡が現存していることから名付けられた.台場は江戸幕府が黒船来航に備えて品川沖に築いたもので,1853年から着工され,全部で6基の台場がつくられた.現在は第三台場と第六台場のみが残されており,このうち第三台場は「台場公園」として誰でも中に立ち入ることができるようになっている.周囲には海面から5~7mの石垣積みの土手が築かれ,黒松が植えられている.また,内側にあるくぼ地には陣屋や弾薬庫跡などが現存している.
そして「お台場」の街開きと同時に,かつては第三台場貯木場だったところに人工的な渚をつくって海浜公園としたものが,現在のお台場海浜公園である.砂浜の広がる海浜公園から,レインボーブリッジの美しい吊り橋と江戸時代に黒船襲来から守るためにつくられた砲台跡・台場を同時に眺めながら,東京の優雅な浜辺を体験することができる.


お台場海浜公園


レインボーブリッジと第三台場(手前の石垣と緑)


お台場海浜公園の砂浜


ボードをかかえて・・・


第三台場(台場公園)


石垣に囲まれた第三台場


黒船来航に備えた砲台跡


黒松が植わる(背後にはフジテレビ)


台場内のくぼ地 史跡が点在する


第三台場からの眺めも最高
(夜は人気もなくなって真っ暗となり,絶好のデートスポットとなる)

両国国技館(相撲観戦)【東京考察#85】

Ryogoku Kokugikan (watching Sumo wrestling games)

 


 現在の両国国技館は2代目である.旧両国国技館は明治42(1906)年に回向院境内(両国駅南側,京葉道路南)に建てられ,それまでは屋外でやられていた相撲を屋内でやるようになった,日本で最初の屋根付き国技館である.明治時代に東京ドームの先駆けのような屋内競技場ができていたことを考えると驚きに値する.その後,失火,大震災,戦災と幾たびも建て替えられたが,昭和29(1954)年に蔵前国技館が完成すると,相撲試合は蔵前で行われるようになった.
蔵前では昭和59(1984)年まで相撲が行われていたが,昭和60(1985)年,新両国国技館が完成すると,再び両国で相撲が行われるようになった.土俵や吊り屋根は自動で昇降して格納することができ,相撲以外のイベントもできるという.館内には相撲博物館や相撲診療所,相撲教習所なども併設されており,災害時の食糧備蓄倉庫や自家発電装置,屋根に降った雨水を浄化する装置も備えられており,近代設備を取り入れた最先端の国技館となっている.



幕下力士の戦い


お目当ての力士の入場を待つ観客

NHKの中継は午後4時くらいから行われているが,これは幕内力士の中継のみを行うからであって,相撲の取組みは午前9時から行われている.幕下力士の試合の時は,まだ席に空席が目立つ.


入口では力士OBが切符を切る


案内所.枡席までビールや食物を運んでくれる.おみやげもここで・・・

 
座席は方向別に,「正」「向」「東」「西」となっている.
「向」は「むこうじょうめん」と呼ばれている席.

  
1階は全て「枡席」となっており,4人で1セットの席となる.


館内上部には歴代横綱の写真が並べられている



いよいよ幕内土俵入り


横綱土俵入り.午後4時頃から.(武蔵丸)


「満員御礼」と「日の丸」
1階枡席が満員になると札が垂れる


人気の取り組みには懸賞がたくさん付く


弓取り式で終了


櫓(やぐら=19.5m).相撲が終わると太鼓が叩かれる.これが風情のある音を響かせる.


動画でお楽しみください.Click!

成城の街並み(高級住宅街)【東京考察#84】

Rows of houses of Seijo (overly high-class residential street)

 


 

 成城は田園調布と並ぶ超高級住宅街である.中学高校と6年間,成城学園前駅から徒歩15分のところに学校があったため,豪邸の建ち並ぶ家並みを何気なく登校する学生生活を送っていたのであるが,大人になって改めて歩いてみると,なんとすごい街並みの中を歩いて通っていたことか!,と改めて感じてしまう.家は大きく,門構えがしっかりとしていて,塀は高く,監視カメラ付き,車は高級外車で,街路には桜が植わっている・・・.こんな家に一度でいいから住んでみたい! ちなみに,田園調布よりも成城の方が地価は高いそうである.
成城は,大正14年に牛込にあった成城学園を喜多見に移転する際に,周辺を宅地分譲して事業費を生み出すということで始まったもので,昭和2年の小田急線の開通とともにその南北に広がる住宅街となった.「成城」という名は,学園からとってつけられたものである.イギリスにおける田園都市(ハワードの田園都市論)を意識して宅地開発がされており,当時の宅地分譲では,宅地の周囲には板塀や煉瓦塀を用いず,樹木か生け垣にして欲しい旨,申し合わせがあったといい,緑溢れる落ち着きのある開放的な現在の街並みは,このときの申し合わせによって形成されているのである.現在ではこのルールはなくなっているという.

緑の生け垣アラカルト
 

 

 

下北沢の魅力【東京考察#83】

Charm at Shimokitazawa

 


 「シモキタ」,このように呼ばれる下北沢は,大変魅力のある街である.とにかくヒューマンスケールで街並みが形成されているのである.車がやっとすれ違えるような細い路地が迷路のように広がり,その道沿いには所狭しと店が連なっている.歩いて楽しむにはちょうど良い「スケール」なのである.地方都市では,中心市街地の空洞化が問題となっているが,中心市街地活性化の原点はここにあるような気がする.下北沢は小劇場から始まっていった街である.


とにかく休日の人出はすごい


「シモキタ」もアジア的なカオスである


シャッターの落書きも「シモキタ」ではアートとなってしまう


ティッシュを配る人


「シモキタ」の原点は小劇場である.(本多劇場)


味わいのある「鈴なり横丁」 唯一の映画館がある


踏切と小田急線は外せない. これが開かずの踏切でして・・・


下北沢駅前.ティッシュを配る人は5人います.


下北沢駅は,街を如実に表しているように,迷路のようになっている.


小田急の立ち食いそばといえば「箱そば」である

砧公園(世田谷区)【東京考察#82】

Kinuta Park (at Setagaya-word)

 


 砧(きぬた)公園は,かつてゴルフ場だったところを都立公園として整備したものである.敷地面積は約35.8ha,広大な敷地内には,サイクリングロード,バードウォッチング,ファミリー広場と呼ばれる広大な芝生,桜の林,せせらぎの川ありと,ここが都内かと思わせるような緑が広がっている.日本の公園というのは,狭い空間にブランコや滑り台などを箱庭的におく公園が多いが,このようにだだっ広い広場だけというイギリスのような公園というのは,どのようにして広場を利用するか考える機会が与えられ,人間の遊びの想像力を広げる素晴らしい公園である.
公園内には他に,世田谷美術館や野球場,サッカー場も備えており,休日には思い思いの休みを満喫する人々で賑わっている.


休日は家族で凧揚げ


芝生の広がる「ファミリーパーク」内は犬の連れ込み禁止.
その通り.犬のフンがゴロゴロ転がっていたらたまったもんじゃない!


一応「ジャングルジム」等の遊戯施設もある


公園を周回するサイクリングロード


小径  マラソンコースである


バードサンクチュアリ → 覗くと右の通り


木陰の散歩道


サッカー場もある


世田谷美術館


やっぱり砧公園のイメージは,この広大な芝生である.

夜の池袋駅東口【東京考察#81】

The Ikebukuro station east gate at night

 


 池袋駅東口の夜を撮ってみた.
渋谷・新宿に次ぐ,一大繁華街である.
そんな景色をどうぞ.


ストリートライブ
明治通り上下線の間にはスペースがあって,人集りができていた.
東口の明るさはこのオープンスペースによるところが大きい.


西武百貨店のショーウインドウ
灯りがまぶしい!


サンシャイン60通りには若者でごった返す.
向かいには,横断歩道を待つ人・人・人・・・


居酒屋のチラシを配る店員


戦後闇市を思わせるような飲屋街も存在する


東口交番前交差点



「テレクラ」 ど派手な電光掲示板も池袋らしい


池袋は新宿・歌舞伎町に次ぐ風俗街でもある.
怪しいネオン街が続く.


同じく・・・ Part.1


同じく・・・ Part.2

東京ビッグサイト(東京国際展示場)【東京考察#80】

Tokyo International Exhibition Hall (Tokyo Big Sight)

 

 「東京ビッグサイト」はお台場にあるコンベンション施設「東京国際展示場」のことであり,かつて晴海埠頭にあった東京晴海見本市会場の代替施設である.展示面積23万m2.幕張メッセ(千葉県)やみなとみらい21(神奈川県)等,各自治体では競って国際展示場を作っているが,その東京都版が東京ビッグサイトである.平成8年に開業した.
かつて晴海で行われていた東京モーターショーは,手狭のため幕張メッセに移転して展示を行っている.東京ビッグサイトのオープンをきっかけに,こちらに移転させる話しが持ち上がったが,幕張メッセ側の反対もあって実現していない.コンベンションホールも乱立ぎみの傾向にある気がする.


エントランス
間近でみるとかなり大きいことに気づく
 


館内への入り口

 


コンベンションホールまでの内部の様子
この先に大きな体育館のような空間(展示場)がある

日本橋三越本店【東京考察#79】

The Nihonbashi MITSUKOSHI department store


 日本橋にある三越本店は,昭和10年に完成したルネサンス様式の建物である.東京都選定歴史的建造物に指定されているとおり,重厚な建物は買い物目当てでなくても一度は訪れてみたくなるところである.なかでも本館中央にある1~5階までの太陽光を取り入れた吹き抜けは圧倒され,戦前からこのような建築が日本にあったことに驚きを感じる.シンガポールのショッピングデパートにも,このようなタイプの中央が吹き抜けのビルが多く建設されているが,果たしてルーツは何処なのであろうか.内装に使用されている大理石にはアンモナイトの化石が含まれており,何もかもが本物の装飾で施されている.


吹き抜けの中央ホール
天女(まごころ)像が置かれている


三越といえば「ライオン像」


装飾もきらびやか


OTIS製のクラシックエレベーター
しかし,かつての真鍮製の内扉は今はなく,
ステンレス製の扉に替えられてしまった


銀座線三越前駅から三越に通じる地下道にも装飾がされている
駅のエスカレーターも金色に塗られている

神谷町界隈(港区)【東京考察#78】

Kamiya-chyo neighborhood (Toranomon)

 


 地下鉄神谷町駅は,日比谷線しか通らない目立たぬ存在であるが,この駅を降り立つと,ホテルオークラやアメリカ大使館,テレビ東京などが建ち,東京のちょっと奥まった落ち着きと品のあるビジネス街が広がっているエリアである.銀座線に「虎ノ門駅」があるが,銀座線の虎ノ門駅は虎ノ門1丁目にあり,かつては虎ノ門1丁目あたりだけがビルの建ち並ぶ所で,神谷町駅付近は小さな商店の並ぶ街であった.25年ほど前から神谷町駅周辺にもビルが建ち並ぶようになってきたのだという.かつては「芝神谷町」という地名だったが,今その地名は存在していない.(読者からメールにて連絡いただいた内容を引用して記載しました)
虎ノ門とは、江戸城の一番外側にあったお堀を渡るところにあった門のひとつであり,明治になって撤去された.江戸城の門のなかでも動物の名前がついているのはここだけであるという.いくつかの説があり,大名屋敷に虎の尾と呼ぶ桜があった、太田道濯が出陣するときに千里行って無事に千里帰るという虎にあやかって名づけた、虎の櫨を通そうと門を改造した,など諸説がある.


虎ノ門には「重役」や「専務」が似合う


やっぱり歩いているのは「重役」っぽい人


虎ノ門といえば「森ビル」 写真は40番の森ビル
森不動産が出発点のビルである
とにかくいたるところに森ビルだらけである


アメリカ大使館
正確には「赤坂1丁目」である(溜池)


ホテルオークラ
アメリカ大使館の隣にあることもあって,
外国からの要人が宿泊する超一流ホテル
一流の雰囲気を味わいにロビーへ行ってみるのもよし!


「桜坂」
六本木通りと虎ノ門を結ぶ

 
左がスウェーデン大使館
右がスペイン大使館


渋滞をスイスイ抜ける「チャリンコメール便」が大活躍
無線機を首から下げて,ヘルメットをかぶり疾走している


Japanese Lessons!!


やっぱり神谷町で「テレビ東京」は外せない
むかしは「東京12チャンネル」といっていた.

日本橋(日本道路元標)【東京考察#77】

Nihonbashi (the Japan road origin mark)

 

 日本橋は,1603年に徳川家康によって架けられ,東海道・中山道・日光街道などの起点として役割を果たしている.現在でも日本道路元標として,この日本橋を中心として道路のキロ数が表示されており,国道1号や4号・6号沿いにある「起点(東京)まで○○km」という表示は,ここ日本橋までの距離である.現在の橋は明治44年に架けられたもので,石造2連アーチ橋として国の重要文化財に指定されている.


○印のところに「日本国道路元標」がある

 日本国道路元標は道路の真ん中,橋の真ん中にあるので,普段は車が走っているため近くでは見ることができないが,土日に行われる歩行者天国の時は堂々と見ることができる.そのため,元標の複製が歩道に設置されている.首都高速が日本橋川に沿って架けられているため,空間を圧迫されている日本橋であり,橋中央のモニュメントも高架橋の隙間をみつけて天に向かっている姿など,歴史的遺産を後世に残そうと踏まれても踏まれても生きようとしているように思える.


複製



日本橋


近くに証券街・兜町があるため,
平日はビジネスマンが多く歩く

東京交通会館の回転するスカイラウンジ【東京考察#76】

The skylounge which a floor rotates (Yurakucho)


上部の丸い部分が「銀座スカイラウンジ」


 有楽町駅の銀座側に東京交通会館がある.2階には東京都旅券課有楽町分室があって,パスポートの交付を受けることもできるビルであるが,その最上階に東京會舘の運営する銀座スカイラウンジのレストランがある.このスカイラウンジは円形になっていて,床がゆっくりと左回りで回っており,約1時間でぐるりと1週するようになっている.このレストランは僕が生まれる頃には既にあったというので,1970年頃には営業していたということであるが,当時は周囲にもあまり高い建物が存在せずに,銀座の街や皇居のみならず,東京の街並みを遠望することができたであろう.現在でも,銀座や汐留再開発,皇居の森,丸の内オフィス街,そして新幹線やJR線が模型のように走っていき,都庁跡地にできた東京国際フォーラムの船をイメージした巨大な建物や,東京駅の何本も広がっている広大なホームを眺めることができるので,料理もさることながら,東京の景色も楽しむことができるレストランである.
夜になると,キャンドルが灯され,ピアノの生演奏を聞きながら,ムードある食事をすることができるので,ヤングからお年寄りまで,幅広い年齢層(もともと銀座は落ち着いた大人の街なので,コギャル系にはちょっと合わないかもしれない)に受け入れられるレストランである.


テーブルの外の景色
ホームはJR有楽町駅 新幹線が走る


雨で霞む工事中の「汐留再開発」

 
交通会館の屋上には「ゴルフ練習場」がある
背後はJR東京駅


時代を感じさせる「救助袋」と書かれた扉
脱出用シューターのことだと思う


店内の様子


ホール中央と回転床との境
オレンジ線を境に回転している
トイレに行っていると,ちょっと場所が変わっているので注意

日本橋兜町(証券街)【東京考察#75】

Security town (Nihonbashi Kabuto-cho)

 


 「兜町」は,明治11年に渋沢栄一や三井養之助らによって東京株式取引所が誕生したことにより,日本における証券市場の代名詞として知れ渡るようになった所である.東京証券取引所を中心に,さまざまな証券会社が店舗を構えており,ニューヨークの「ウォール街」,ロンドンの「シティ」とならんで,世界三大証券市場を形成しているのである.


東京証券取引所
TOKYO STOCK EXCHANGE

 東京証券取引所は,証券市場を開設して運営するところであり,市場で売買されている株式や債券(有価証券)の流通市場を管理している.かつては,紙切れをもった証券マンが場内をせわしなく歩き回って,株式の売買を行っていたが,現在は全てコンピュータによる管理になっており,かつてのような喧噪とした東京証券取引所は見ることができなくなった.証券取引所の館内は入口で受付を済ませれば,無料で誰でもガラス張りのマーケットセンターや取引の様子(といっても大画面に数字が羅列されているのを見るだけだが)を見学することができる.取引時間は,平日9:00~11:00,12:30~15:00となっている.


証券会社の看板が並ぶ(茅場町)


野村証券本社(日本橋)


労働組合のデモ


昼休みには「ホカ弁」も大混雑


居酒屋のランチ

 証券街の居酒屋でランチを食べたが,驚いたのは注文をしてからランチがでてくるまでの時間が短いことである.なんと,写真のメニューが「10秒」ででてきた.日替わりランチ以外のメニューでも,ランチメニューの定食(さしみ定食)は10秒で出されていた.さすがは,一寸の時間も惜しむ証券マンの街である.

(旧)歌舞伎座(東銀座)【東京考察#74】

Kabuki-za (at Higashiginza)


歌舞伎座正面

 


 東京で歌舞伎を見るならば東銀座にある「歌舞伎座」である.
現在の地に歌舞伎座がオープンしたのは明治時代のことで,大正から現在の「松竹」が興行を行うようになった.現在の桃山風建築の原型ができあがったのは,大正時代なのであるが,その後の戦災により焼失し,今の建物は昭和26年に復興したものである.1988(昭和63)年に開場100周年を迎えた.間口27mの舞台、直径18mの回り舞台を持ち,座席数は1,886席となっている.



昼の部の公演題目


切符売り場


歌舞伎座の座席表

 チケットは前売りの電話予約をして購入するのであるが,当日券も販売されている.
歌舞伎は「昼の部」と「夜の部」があり,昼の部は午前11時から5時間,夜の部は午後4時30分から4時間半程度行われる.といっても,通しで公演が行われているのではなく,3~4幕で構成されていて「幕間」には,トイレに行ったり食事をとったりすることができる.
チケットは,昼と夜とを「通し」で購入することもできるが,その場合は値段は2回分支払うこととなる.
3階席には,A席(4,200円)とB席(2,520円)があるが,B席は当日券での購入はできないこととなっている.しかし,団体客のキャンセルがでるときがあり,そのときはラッキーである.チケットを購入するときは画面を見ながら席を指定することが出来るが,当日券で割り当てられている場所は限りがある.
1・2階の席は,1等席(14,700円)と2等席(10,500円)に分かれているが,これらの違いは,ホールの天井が見える席は1等,上階の座席があるために天井が低い場所が2等となっている.さらに,両脇には桟敷席(16,800円)があって,ここは床より一段高くなっていて座布団が敷かれセミ個室のような特等席となっている.


3階席 前方がA席 後方がB席
(一番後ろは「一幕見席(後述)」となる)


3階から見た2階席と1階席
3階からは残念ながら花道を見ることはできない(立てば別)


1階の1等席 手前に「花道」が写っている


これが「桟敷席」 花道が丸見えである
桟敷とは板を敷いて土間より高くして見やすくしている場所
相撲や芝居小屋に見られる席である


 歌舞伎座には,唯一ここだけとなった「一幕見席」が現存する.これは4階部分の最後尾に2列イスが並んでいる席で,時間のないひとのための1幕のみの鑑賞や,学生・愛好家のための超格安な料金で見ることの出来る当日券のみの自由席である.幕によって料金が違うのであるが(800~1,200円前後),映画よりは安くなっており,さらに学生割引(100円引き)も存在する.幕見席はチケット売場も入口も別となっており,中で3階や1階に行くことはできない.
「よい舞台は3階席と幕見席が育てる」と言われており,間合いに掛けられる「○○屋」といったかけ声も後ろの方から聞こえてくるものである.


 
割烹やそば屋などのお店がある


みやげ物屋もある

 
弁当を買う人で行列ができる.
幕間に座席で弁当を食べることができる
幕の合間に食べるから「幕の内弁当」という名がついた.

 中には,喫茶店や高級割烹のような店,セルフサービスのカレーライス屋,そば屋,みやげ物屋,弁当屋など,ちょっとしたテーマパークのようになっており,不自由することはない.1日中歌舞伎を楽しむことができるようになっている.また,難解な古典歌舞伎をよりわかりやすく鑑賞するために,イヤホンガイド(650円)の貸し出しも行っている.やはり,歌舞伎座では「幕の内弁当」を食べることにしよう.



花道  前方にせり上がりの「すっぽん」がある


「焼豆大福」
焼き焦げが香ばしい大福


おまけ・・・


なんと,「小泉首相」が来ていた!

 


「かぶ~~き~~~ 歌舞伎座へ」

 生まれて初めて歌舞伎を見に行った。
海外旅行をして、外国の文化に触れているくせに、自国の文化についてどれだけ知っているのだろうか、と疑問に思い、歌舞伎を見てみることにした。

東京で歌舞伎といえば、東銀座にある「歌舞伎座」である。どんな題目をやっているかも十分理解せず、とりあえず11時から開演すると「ぴあ」に書いてあったので、10時頃に行ってみた。
歌舞伎座はさすがに貫禄ある面構えである。江戸時代を彷彿させるあのファサードはとても際立つものである。プログラムを見ると、「四月大歌舞伎」中村歌右衛門一年祭・中村魁春襲名披露とあり、昼の部が11時から夜の部が午後4時30分からとなっている。

なんとなくしか「歌舞伎」というものを知らなかったので、いろいろと驚くことが多かった。歌舞伎は江戸時代に完成した大衆劇で、現代で言うと演劇やドラマ・吉本興業のお笑いみたいなものなのだろうが、時代が過ぎると高貴あふれる日本を代表する伝統民族文芸となってしまうところが不思議である。
昼の部で5時間、夜の部でも4時間半という長丁場で、映画や演劇を見慣れていると2~3時間という感覚が普通であるので、ずいぶんと長く見るのだと感じた。といっても5時間ぶっとうしでやっているのではなく、中では4つの題目にわかれていて、それぞれが45分と1時間半で1幕となっている。途中、食事はどうするのかと思ってしまうが、食事のための休憩が30分間とられてあって、その間に食事を済ませることができる。

中に入ると、さすがは歌舞伎座だけあって、空間の重みが感じられる。そして、食堂や軽食、おでん屋やそば屋、みやげ物屋など、たくさんのお店があるのには驚いた。ただ、ホールだけかと思っていたのであるが、中に入るとそれなりに店がそろっていて、ある種のテーマパークと同じであり、1日中いられるようなところである。
チケットは、当日券でも手に入れることができたが、一番安いのは3階B席で3150円、これは既に前売りで売れ切れ。次に安いのが3階A席で5250円、これを購入した。座席を買うときはテレビ画面を見ながら、好きな席を選べるのであるが、3階の一番前の席が空いていたので、そこをGET!! これはラッキーであった。参考までに、次に高いのが2等席で、これは2階と1階の後ろの方の席である。そして1等席。これは1・2階の前のほうで、16800円となる。3階からだと花道は見れないのであるが、1等を買えばばっちり花道もOKであり、身近に歌舞伎役者を見ることができるのである。
さて、これで終わりかと思ったら大間違い。さらに上級の席がある。それは「桟敷席」と呼ばれるもので、1・2階の両サイドの壁伝いに座布団が引いてある席で、お茶のポットなどがおいてあるセミ個室みたいな席である。正面の席ではなく、脇の席のほうが値段が高いというのは、ちょっとよくわからないが、とにかく桟敷席は見るからに高そうな席である。

開演直前になると、改めて3色(4色か?)の幕が引かれて、それが開くと開演となる。ちょうちんが2階と3階の席のところに飾られており、これが「歌舞伎座かー」と改めて感動した。何気なしに訪れた歌舞伎座であったが、出演するメンバーはそうそうたる顔ぶれで、橋之助、福助、梅玉、吉右衛門、勘九郎、團十郎、玉三郎と豪華キャストである。イヤホンガイドというのがあったので、それを650円を出して借りて鑑賞することにした。これがないと、浄瑠璃だって「あぁーおーめーのー・・」などと何を言っているのかさっぱりわからない。おかげで、ストーリーと背景を知ることができた。ただ、イヤホンをつけていると空間の雰囲気を感じ取ることが半減してしまうので、阿古屋という題目で玉三郎が胡弓を弾いているときなどはイヤホンをはずして聞いていた。

2幕目が始まる前、場内が拍手で沸きかえった。下を除いてみると、なんと「小泉首相」がSPを連れて1階正面の真中あたりの席に座ろうとしているではないか。なんとも、またまた大物役者!!?を見ることができたではないか。「小泉サーーん」というおばさんの声に手を振って答えていた。
あらかじめ買っておいた幕の内弁当を食べ、5時間にわたる歌舞伎鑑賞を行ったのであった。中の様子は、おって東京考察のページに掲載しようと思います。(上演中の撮影は禁止されていたので、歌舞伎座の中の様子だけ写真を撮ってきました)

「蘭平物狂(倭仮名在原系図) ~六月大歌舞伎」

 最近僕の中でちょっとしたマイブームとなっているのが「歌舞伎」である.それも現代風にアレンジした猿之助演じるスーパー歌舞伎ではなく,東銀座の歌舞伎座で公演されている古典歌舞伎である.海外へ旅に出て異国の文化を肌で感じ取っているのに,自国の伝統芸能である「歌舞伎」を知らないとは言っていられないと思い,今年の4月に初めて歌舞伎を見に行ってみたのであるが,これが大変興味深く,僕の中ではいままでに体験したことのない表現方法の芸能を新たに発見した感動を覚えたのである.それ以降,毎月歌舞伎座に足を運んでいるのであるが,今月は今日,歌舞伎座にて歌舞伎を見に行った.

当日券は午前10時から先着順で販売する.だいたいは3階後方の安い席から満席になっていくので,5000円以下の3階席を希望する場合は,午前10時に行ったのでは売り切れてしまう.ところが,今日は不思議と3階前方の5000円の席が初めに売り切れて,3階後方の3000円の席は空いていた.3階席からは花道が見れないので歌舞伎の醍醐味が半減してしまうのであるが,1階席は1万円以上するので,貧乏人の僕としては3階後方席を購入し,オペラグラス持参で鑑賞しているのであった.

歌舞伎座には「イヤホンガイド」というのがある.古典歌舞伎は正直言って何をしゃべっているのかよくわからない.まして,浄瑠璃の歌などは外国語を聞いているようで何がなんだかさっぱりわからない.そんなストーリや背景,衣装や舞台装置の説明などをしてくれるのがイヤホンガイドなのである.小型の無線機となっていて,席に座りながらイヤホンを耳にはめて解説を聞く.僕が歌舞伎に興味を持てて面白く感じているのも,イヤホンガイドの解説によるところが非常に大きく,イヤホンガイドなくしては歌舞伎は見れないのが正直なところである.ただ,欠点もあって,片方の耳がふさがってしまうので舞台の臨場感を五官を使って100%味わえない.マイクで拾った場内の音をイヤホンから聞くことはできるのであるが,やはり舞台全体の生の音色を両方の耳で聞いたほうがよく,楽器や音を聞かせる部分ではイヤホンを外して臨場感を味わったりしている.ちょっとしたコツを最近発見し,イヤホンを完全に耳に押し込むのではなく,耳の穴にかけるようにして少し隙間をあけておくと,多少は臨場感を味わいながら解説を聞くことができる.

今年の四~六月大歌舞伎では襲名披露公演のため,蒼々たる顔ぶれで有名な題目が上演されている.「昼の部」と「夜の部」があり,通しで見る場合は2回分の料金が必要となる.昼の部では4幕,夜の部では襲名披露の口上があるので上演は3幕となっている.僕も歌舞伎を見に行って初めてわかったのだが,「歌舞伎」といっても様々な種類があって,三味線に合わせて日本舞踊のような華麗な踊りのみの歌舞伎,長唄とともに演じる浄瑠璃となっている歌舞伎,テレビでお馴染みの時代劇のような芝居となっている歌舞伎,阿古屋のような楽器(胡弓や琴など)を弾いてみせる歌舞伎,サーカスのような大立ち回りのある歌舞伎など,実に様々である.これらをうまく組み合わせて幕のプログラムが構成されており,最初は序幕として踊り中心の舞を見せ,そして常磐津節の浄瑠璃をやり,女形が登場する男女の恋仲の物語をやって,弁慶や忠臣蔵などといった歴史上の物語をやる,といった具合である.世界にも名を馳せる,美しい女形として有名な「玉三郎」の演技は,さすがに美しく,女性よりも女性らしい仕種である.おばさま方に人気が高いのも肯ける.また,男と女の恋心については江戸時代も今も変わらないのだな,と感じてしまう.

今月の題目のなかに,「蘭平物狂(倭仮名在原系図) らんぺいものぐるい(やまとがなありわらけいず)」という幕がある.刀を見ると乱心するという風変わりな奴の「蘭平」がおり,その蘭平の戦い大立ち回りの場面と,蘭平の小さな息子「繁蔵」との絆がこの芝居の見せ所である.しかし,なんといっても一番の見せ場は,幕の後半から始まる30人ほどを相手に立ち向かう蘭平の大立ち回りであり,スピードと迫力に圧巻である.まるでサーカスを見ているような歌舞伎であり,宙返りや棒立ち回りなどの技が決まると,場内からは歓声と大拍手が沸き起こる.この大立ち回りは20分以上にも及び,花道に大ハシゴを立ててその上部で敵が逆さまになるさまや,井戸の屋根から敵が落ちるとき宙返りを2連続やる演技,人間が6人ほど丸くなってうずくまり,その上を宙返りして飛び越える演技など,見ている観客も興奮してくる演出である.こういった歌舞伎もあるのか,と改めて歌舞伎の奥深さを知ることができ,ますます歌舞伎にのめり込んでしまいそうな幕であった.

まだ,歌舞伎を知らない方,是非一度,鑑賞してみてはいかがでしょう? ただし,イヤホンガイドを忘れずに.これがないと眠くなります.それから,幕の内弁当を入口の弁当屋で購入するのもお忘れなく.幕の間に座席で弁当を食べるのは,歌舞伎鑑賞の必須事項ですので.

「市川猿之助の歌舞伎 ~7月大歌舞伎」

 今月の歌舞伎は市川猿之助演出の公演となっており、猿之助一団の面々が顔を並べている。猿之助といえば、現代風にアレンジしたスーパー歌舞伎をはじめ、型破りの新しい歌舞伎の姿を創造しており、歌舞伎界からは「異端児」の異名をもつ。しかし、わかりやすくアレンジして観客に伝えようとする猿之助歌舞伎の人気は高く、当日券のチケットは発売と同時に売り切れとなる。特に夜の部の通し狂言「南総里見八犬伝」は大入りのようで、若い人の姿もかなり多く目につく。

猿之助一団は世襲にとらわれず、有能な人材を「お家」に関係なく育て上げて役者にしており、豪快な役柄が似合う「右近」や、女形を演じる「笑也」など、大人になってから弟子入りして育ってきた役者がそろっている。ただ、台詞や立ち回りについての厳しい意見を観客等からもらうこともあるようで、小さいころから叩き込まされてきた名門の役者との違いについて、感じさせられるものはある。古典歌舞伎の重厚な雰囲気が好きな観客にとっては、あんなのは「歌舞伎ではない」と一蹴してしまうような内容でも、現代の情勢を取り入れた新しい歌舞伎こそ、かつて江戸時代に行われていた歌舞伎と同じことを今やっているだけのことであり、これこそ真の歌舞伎であるように思う。

猿之助の歌舞伎では、「魚が出てきた。♪さかなー、さかなー、さかなーー、さかなーをたベーるとー」などと巷のスーパーで流れている魚の歌を歌ったり、「これは、タイタニックのディカプリーオー」などと笑いを誘う場面があったり、現在の経済不況の話題に触れたりと、過去の芝居と現代のユーモアをとりまぜたユニークにとんだ脚本がされていて、若者が見ても面白く笑える内容である。そして、3階奥の客席まで宙吊り(宙乗りという)になった猿之助が、客席に現れるところなど、サービス満点といったところである。

歌舞伎にはいろいろな種類があると以前書いたが、三味線など連中による浄瑠璃や日本舞踊のはいった舞の歌舞伎などは「古典歌舞伎」と呼ばれるもので、話している内容はわからないが、歌舞伎の持つ美しさや奥深さ、直接的な表現をせずに美しく演じるところなど、これこそが歌舞伎だな、と思わせるものが古典歌舞伎である。「芸術の完成度・美しさ」といったら断然古典歌舞伎のほうに軍配が上がるであろう。一方、時代劇のような趣で、普通の着物を着て江戸時代の庶民の様子を劇で行っていくのは「新歌舞伎」と呼ばれるもので、話の内容もよく聞き取れ、動物の音やちゃわんの割れる音など、表現方法が現実的でリアリティーのあるものとなっている。古典歌舞伎に比べると「歌舞伎としての物足りなさ」があって、単なる時代劇を見ているような感じであるが、江戸時代の暮らしぶりがわかって新歌舞伎も面白い。演目は、古典と新とがうまく取り混ぜられて公演されている。

やっぱり「笑い」は勘九郎 ~八月納涼歌舞伎

 八月は納涼歌舞伎と題して3部構成のお芝居をやっている.今回は第2部の「浮かれ心中」と「四変化・弥生の浅草草祭り」を見た.「浮かれ心中」は喜劇である.さすがは勘九郎,笑いのツボを押さえた公演を見せてくれ,場内は終始笑いの渦に沸いていた.一番後ろの幕見席も超満員の立ち見がでるほどの人気ぶりで,こんなに幕見席が混雑している幕は初めてだった.

売れない戯曲家を演じているのが勘九郎で,人を笑わせ世間をあっといわせるようなことをやって脚本のネタを考えている.橋之助演じる太助とともにとにかく世間を驚かせるために色々と小細工を仕掛けるのである.新歌舞伎なので,小中学生でも何を言っているのか理解できる演目で,事実小学生も見かけることができた.テンポよく展開される舞台は,終始笑いが尽きない.吉本興業もビックリ,これを見れば誰でも「歌舞伎」に対して親近感が沸くに違いない.こういう役は勘九郎にはぴったりである.

ラストは市川猿之助が得意とする「宙乗り」を,ねずみにのって「ちゅう乗り」と題し,空中を飛ぶあたりも面白い.ねずみに乗って宙に浮いているときに「いやー,眺めがいいねぇー.澤潟屋の気持ちがよーくわかったよ」などといって笑いを誘っているところ,なんとも面白い.ちなみに澤潟屋とは市川猿之助の屋号である.28日で千穐楽なのであと日にちがないが,まだ見ていない方,歌舞伎を知らない方でも絶対面白いのでお見のがしなく.ちなみに歌舞伎では「千秋楽」とは書かず,「千穐楽」と書く.これはたびたび火事を起こしていた江戸時代に,大火を出さないことを願って火の入っている「秋」から「穐」に変えたのだという.

2幕目の弥生の花浅草祭りは,勘九郎の2人の息子である勘太郎と七之助の兄弟による踊りの浄瑠璃歌舞伎で,これも勘九郎ファンにとっては見逃せない.ますます歌舞伎に溺れていく今日このごろであった.

「ジャパニーズカルチャーを知らずして世界を語るなかれ」である.

乗り継ぎ専用の自動改札機【東京考察#73】

The automatic ticket gate only for changes


乗り継ぎ専用の自動改札機(オレンジ色)

 


 ちょっとパズルのような話しなので,頭を柔らかくして読んでください.

電車の運賃というのはキロ制となっているので,同じ会社であれば乗り換えても通しの切符で乗ることが出来る.つまり,同じ会社であれば乗換駅でも改札を通らないで済むのである.ところが,営団地下鉄の場合,駅によっては離れているときがあって,構造上改札口を通らないと地下鉄を乗り換えることができないことがある.そんなときは,改札を出ても再び切符が必要となるので,検札をするだけで切符が再び出てくる自動改札機を通らなければならない.その改札機が「乗り継ぎ専用の自動改札機」なのである.

乗り継ぎ専用自動改札機は,オレンジ色に塗られており,この改札機を通ると切符が再びでてくる仕組みになっている.これ以外の改札機を通ると,乗り継ぎしないで当駅で下車するものとして切符が出てこないで回収される.

この「乗り継ぎ専用自動改札機」には賢い仕組みが取り入れられている.乗り継ぐ予定のなかった乗客が誤ってこの改札機を通ると,扉が開いて切符も回収されずに出てくるが,乗客は下車するつもりなので切符をとらないでそのまま通り抜けていく.すると,出ていた切符は5秒くらいくると自動的に引っ込んで回収される仕組みになっている.こうすれば,次の乗客がきても問題なく通常の待ちの状態に戻る.さて,ここで問題となるのが,乗客が混雑していて連続で乗り継ぎ専用自動改札機に進入したときである.

通過する人すべてが乗り継ぎ専用自動改札機の仕組みを知っていて,切符をとってくれれば問題は起こらない.次々とスムーズに乗客をさばいてくれる.
ところが,1番目の乗客が下車するつもりで切符をとらないで通過してしまったあとに,乗り継ぎ予定の2番目の乗客が切符をいれて自動改札機を通過すると,まだ前の人の切符が出ている状況で,その前の人の切符をとってしまうという現象が起こってしまうのである.さらに3番目の乗客も乗り継ぎ予定だと2番目の人の切符をとってしまい,4番目の人は3番目の人の切符をとってしまい・・・と.つまり前の人の切符を次々と取ってしまうのである.さらに問題なのは,本人たちには前の人の切符を取ってしまったという自覚がないから,そのまま乗換路線へとすたすたと去ってしまい,目的駅で降りるときに,「あれ,切符が入れ替わっている.目的地まで切符を買ったのに,この切符じゃ精算しなければならない」という事態に陥るのである.
「おやっ」とした顔をして乗客たちが立ち止まり,井戸端会議をしたあとに首を傾げながら切符をとっていったり,改札機の仕組みを知っていて気が付いた人は前の人の切符を取って捨ててから,自分の切符を取り直す人もいる.しかし,遠くまでの高い切符を買ったのに,取り違えて乗換駅までの切符にすり替わっていた時は,最悪のシナリオである.


パターン 1


この人は乗り継ぎ目的ではないので,
出てきた切符を取らないで通過した.
この切符を後ろの人が取ってしまうと,切符がすり替わる.


パターン 2


この人は前の人の切符を取って確認し,
自分の切符を入れて通過しようとしている.


パターン 3


この人は下車するつもりだったのに,
切符が再び出てきたので驚いている様子.
このあと,とりあえず切符をとって,首をかしげた.


地下鉄にご乗車の際,乗り換えの時はオレンジ色の「乗り継ぎ専用改札機」を,下車するときは普通の改札機を通りましょう.賢い使い方としては,途中下車ができるということですが,乗り継ぎ時間に制限がありますのでご注意を.

浅草地下商店街(地下鉄浅草駅)【東京考察#72】

Underground shopping center (Asakusa station)

 

 ここは「浅草らしい」地下商店街である.上野や浅草というとこのような薄汚い地下街にラーメン屋などが建ち並ぶイメージがあるが,まさに昭和前期(といった感じの)時代の面影を残す場所である.現在では,虫食い状態になっている商店街であるが,リニューアルもされずに味わいのある空間が形成されている.


靴屋さん.閉店セールをやっていた.


天井には時代の変遷を感じさせる配管が丸出し


ラーメン屋


立ち食いそば


マッサージ屋もある


どういう訳か「鶏肉・鶏卵」屋もある
昔は生活を支える商店街だったのだろう

ピース!ピース!上野駅(リニューサルされた上野駅)【東京考察#71】

The renewed Ueno station

 


 JR東日本が上野駅のリニューアルを行った.
「乗り降りするだけの駅から,生活のまん中にいる駅に」というキャッチフレーズのポスターが張られていたが,中央口改札の外にでると今までの薄汚い上野駅構内だったのが,一変,おしゃれなショッピングタウンに変身しているではないか.「上野駅がこんなにきれいでおしゃれになっていいのか!」と思ってしまうが,上野駅の復権をかけたリニューアルである.若い女性向けのテナントも数多くあり,上野駅のイメージが変わること間違いなしであろう.日本で唯一,ヨーロッパ型の広い終着駅タイプの空間をもつ上野駅を明るく改造しており,おしゃれなスポットとして定着していくだろう.
また,しのばず口の下には,天井の低い迷宮のようなショッピング街が広がっていて,この空間の狭さが,かえって訪問者をわくわくさせる魅力となっている.


大きな吹き抜けをもつヨーロッパ型の駅ターミナル
おしゃれで明るくなった


青山フラワーマーケット 花屋さんもお洒落


ハードロックカフェもオープン


看板には,中国語とハングル語の標記が追加された


不忍口と中央口を結ぶ通路が新設された


昔はパンダの像があったところ

靴の問屋街(花川戸)【東京考察#70】

The wholesale district of shoes (HanaKawado)

 


 浅草駅の北側に広がるのが「花川戸」である.ここは靴の問屋街が広がるところで,約70店舗が建ち並んでいる.といっても原則として小売りは行っていないが,店先には靴が並べられており,個人でも購入することはできる.靴(鞄も扱っている)に関してはありとあらゆる関連商品も取り扱っており,靴としては全国一の問屋街である.個人向けの店舗ではないので,渋谷や銀座などのようにショーウインドウなどはなく,一見地味な街並みであるが,靴屋さんに納品されている商品は,このような問屋を通じて卸されているのであり,扱っている品数は豊富なはずである.


浅草には下駄が似合う


靴の問屋街が並ぶ


セッタ・草履は祭りにつきもの~これも浅草らしい