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小金井周辺の玉川上水(中流部)【東京考察#237】

Tamagawa-josui in Koganei

都立小金井公園の南側の五日市街道に沿って流れている


 玉川上水は,1653(承応2)年に羽村から四谷大木戸まで約43kmを開削によって上水路工事を行い,江戸時代に江戸市中へ上水を通水したものである.四谷から先は木樋などで地下水道となっていたが,その後の新田開発によって分水路が開削されるようになり,武蔵野の農地へも水を供給するようになっていた.
現在の玉川上水は3つの区間に分けることができ,現役の導水路として東村山浄水場へ導水を行っている羽村(羽村市)~小平監視所(立川市)間の約12kmの上流部,淀橋浄水場の廃止によって導水路としての役割は行っていないが,下水道の高度二次処理水を流して清流復活を行っている小平監視所(立川市)~浅間橋(杉並区)間の約18kmの中流部,そして,暗渠や公園などとなっている浅間橋(杉並区)~大木戸(新宿区)間の約13kmの下流部の3つである.
ここでは,小金井市の都立小金井公園付近の玉川上水中流部の風景をお送りする.

五日市街道に沿って流れる玉川上水
水路に沿って,桜などの樹木が植えられて,
グリーンベルトとなっている.
玉川上水を挟んで上下の車線が別れている.

橋の下に玉川上水がある

鯉がたくさん泳いでいた

夏は周辺の木々が生い茂っており,
水路を遠くまで見通すことはできない.

水路に沿って遊歩道が整備されている

羽村から浅間橋まで,橋のマップが作られている
 
玉川上水は,東京の歴史的遺産である

江戸東京たてもの園(小金井市)【東京考察#236】

Edo Tokyo old building Garden


ビジターセンターの旧光華殿


 江戸東京たてもの園は,両国にある江戸東京博物館の分館として,1993(平成5)年に小金井市の都立小金井公園内に建設された博物館で,江戸から昭和に渡って現存した歴史的建造物を移築し展示しているものである.この江戸東京たてもの園ができる前までは,武蔵野郷土館とよばれる武蔵野の生い立ちをテーマにした博物館が存在していた.現在27の復元建造物が展示されており,それぞれの建築物は中に入ることができるので,昔の建物内部の空間を感じることができて楽しい.じっくり見て回るには半日かかる博物館である.建物に入るときは靴を脱ぐので,くつ紐のない靴を履いてくることがお薦めである.
アクセスはJR中央線の武蔵小金井駅またはJR東小金井駅から100円循環CoCoバスに乗っていくと便利である.観覧料は大人400円,9時30分から17時30分(冬期は16時30分)まで.
 
【田園調布の家(大川邸)】
田園調布に建てられた住宅.
田園調布といえば田園都市株式会社(現在の東急電鉄)の
民間ディベロッパーによって開発された超高級住宅街である.
 
【小出邸】
文京区西片にあった住宅
木のお風呂が渋い!
 
建物内部へは玄関から靴を脱いで入れる.
玄関には靴べらがおいてある.
くつ紐のある靴だと何回も非常に面倒なので,
観覧中は紐を緩めて歩いていた.
 
【常盤台写真館】
東武東上線の常盤台駅前に広がっていた住宅地にあった写真館
館内には東武鉄道の常盤台宅地開発に関する古地図もある.
移築復元された建物とはいえ,バリアフリーに対応するためにエレベータがつけられている.
車いすでも安心して見学ができる博物館である.

【綱島家 (農家)】
世田谷区岡本に江戸時代にあった建物
 
建物を忠実に保存するため,囲炉裏やかまどには定期的に本物の火が入れられる.

段差はすべてバリアフリー対応である
 
【高橋是清邸】
1階には喫茶のできる休みどころがある.
↓<注文の仕方>↓
机にあるメニューを見て注文品が決まったら,部屋の隅にある内線電話で
テーブル番号と注文の品を伝えると運ばれてくる.半セルフ式

戸のガラスも明治時代に造られたもので,
よく見ると均一ではなく歪みが見える(写真ではわからない)
 
【都電7500型】
動きはしないが,車内には電気が通っていて扇風機も回っている

下町の風情が感じられる東ゾーン
正面は子宝湯
  
左から,醤油店,文具店,居酒屋
 
【銭湯 子宝湯】
足立区千住元町にあった銭湯
こういう銭湯はかつて都内にたくさんあった.熱い湯船のお風呂だった

屋上のモイスチャーミスト(小田急百貨店) 【東京考察#235】

The moisture mist at the rooftop ( Odakyu Department Store Co., Ltd. )


モイスチャーミストの機械


 今年(2007年)の夏は猛暑であった.日本各地で過去最高気温を更新していったが,そんな中で少しでも気温が涼しくなるような取り組みが見られる.その一つがこの「モイスチャーミスト」である.
モイスチャーミストとは直訳すると湿気の霧(モイスチャー=湿気,ミスト=霧)であるが,霧状の水であるミストと強力なファンの風を散布して,気化熱の作用により周囲の温度を下げる装置の名称で,2~3℃冷やすことができるという.さらに冬場は屋内の加湿装置としても利用できるので,冬でも有効活用ができる.近距離で手をかざすと濡れるが,離れれば霧が気化するので濡れなくてすみ,電気代も家庭用のエアコンと比べても電力が約20分の1ということで,環境にもやさしい装置である.今年はこの猛暑もあって全国各地で好評なため生産が追いつかないとのことであり,9月いっぱいまでは予約が難しいという.
小田急百貨店新宿店では9階の屋上広場に2007年9月30日まで設置している.その他,各地でも導入しているところがあるので,見つけたときは霧を浴びてみましょう.

屋上広場には4つの機械が設置され,
ミストが内向きに流されて,
その中の遊戯施設の空間が涼しくなっている

このように霧を吹き付ける
  

品川バスターミナル(京浜急行バス) 【東京考察#234】

Shinagawa bus terminal ( Keihin-Kyuko Bus )


品川バスターミナル


 品川バスターミナルは,品川駅から北に向かって5~10分程度歩いたところにある京浜急行バスの高速バスターミナルである.第一京浜(国道15号)沿いのJR線路側にある.東北・関西・山陽・山陰方面等の京浜急行バスと共同運行されているところの地域を結んでいる.駅からちょっと離れているので,大きな荷物を持っての移動はちょっとしんどい.しかしターミナル内は利用者以外立ち入り禁止とし,シャワー設備が付いているなど,設備が充実している.JR山手線や京浜東北線の田町・品川駅間に乗っていると車窓にバスターミナルが流れていく.
 
高輪口を降りて右側にバスターミナルがある.
ホテルパシフィックを背景に,小さな案内看板が立っている.

第一京浜の大きな道路沿いを北に向かって歩いていく
なかなか着かないなと思っていると
あと「直進200m」の看板が現れた
 
ターミナル入り口
バス乗車やチケット購入以外の者は
ターミナル内には立ち入り禁止

浜松町バスターミナル(世界貿易センタービル1階) 【東京考察#233】

Hamamatsu-cho bus terminal ( The 1st floor the World Trade Center buildings)


浜松町バスターミナル


 浜松町バスターミナルは,浜松町駅前の世界貿易センタービル別館1階にあるバスターミナルで,銚子・犬吠埼・君津・安房・小湊・勝浦方面(京成バス・千葉交通・日東交通・鴨川日東バス・ちばフラワーバス),横手・田沢湖方面(羽後交通・相鉄バス),仙台・山形方面(東北急行バス),萩・米子・鳥取・宮古・弘前方面(京浜急行バス),はとバスのツアー(主催旅行)バス,そして都バス虹01系統の東京ビックサイト(お台場)行きのバスが発着している.
JR山手線・京浜東北線や羽田空港へ向かう東京モノレールの浜松町駅,都営地下鉄浅草線・大江戸線大門駅と直結しており,アクセスは便利である.

世界貿易センタービル別館の1階にある
浜松町駅からのアクセスは便利

待合室を取り囲むようにバス乗り場があるので,
館内は冷暖房完備で快適である.

バス乗り場と待合室はドアで仕切られている

待合室の外.つまりバス乗り場

はとバスの案内所がある.しかし,ツアーバスの発着がメインなので,
定期観光バス(1日都内観光)は,東京駅丸の内南口のりばとなる.

清洲橋(隅田川橋梁) 【東京考察#232】

Kiyosu-bashi ( Sumidagawa bridge )


清洲橋


 清洲橋は,関東大震災の震災復興事業で架けられた隅田川橋梁群のひとつである.隅田川橋梁群は当時の新技術が駆使され,同じ形式の橋を造らず,ほぼ同じ長さのそれぞれ異なった形式を採用することにして,橋梁群全体のデザインを示しており,後世に語り継ぐことのできる土木遺産として高い評価を得ている.清洲橋の構造形式は三径間の鋼鉄製吊り橋,1928(昭和3)年に架設された,橋長186.6m,幅員22.0mの橋である.ドイツのケルン大吊橋を模範にしており,隅田川に架かる橋の中で最も美しいと言われ,人気の高い橋となっている.
「清洲」の名の由来は,深川の清澄町と日本橋中洲町を結ぶ橋であったことから付けられた.清澄町はセメント工場の発祥の地であり,中州町は1771(明和8)年に埋め立てを開始して造られ,一時は取り壊されていたが1886(明治19)年に再び埋め立てられた経緯のある場所である.

街灯もレトロで洒落ている

橋の下の川縁は歩けるようになっている.
隅田川の川面が見れる.

浅草や日の出桟橋からの水上バスが橋の下をくぐる

橋の下 いろいろな配管が付けられている
 
吊り橋の鋼製部分には,ライトアップ用の照明が取り付けられている

間近で見ると,鋼製の武骨なところがまた魅力的

歩道から


水上バスからみた清洲橋(昼)

水上バスからみた清洲橋(夜)

水天宮(日本橋蛎殻町) 【東京考察#231】

Suiten-gu ( The Nihonbashi kakigara cho )


水天宮へ向かう階段


 水天宮は,日本橋蛎殻町にある安産・子授けのお宮となっている.そもそも起源となっている水天宮は,福岡県久留米市の筑後川畔にある全国総本宮「水天宮」となっているが,江戸時代に参勤交代が義務づけられていた久留米藩主が水天宮にお参りができないので,第9代久留米藩主・有馬頼徳が久留米から分霊をして江戸屋敷内(港区赤羽橋付近)に水天宮を祀ったのが,東京水天宮のはじまりとなっている.当初は,一般人のお参りはできなかったが,次第に信仰が高まって塀越しに賽銭を投げ込む江戸の人が後を絶たなくなり,五の日に限り屋敷が開放されて参拝が許されるようになっていったという.
1871(明治4)年の屋敷移転とともに水天宮は青山に移り,その翌年に,現在の蛎殻町に移転して現在に至っている.おなかを大きくした妊婦さんや,若い夫婦たちの参拝する姿が後を絶たない.御利益があったときは,そのお礼参りとして,小さな赤ちゃんを抱きながら参拝にくる家族の姿も多く目にする.

人形町通りから階段でちょっと上る
結構急な階段である

妊婦さんなどのために,
社殿へ直行できるエレベータが
水天宮交差点脇(交番脇)に設置されている.

水天宮「社殿」
現在の社殿は,昭和41年に建てられた権現造りとなっている

若い家族連れが多い

境内にはベビーカーも置いてある

記念撮影をする家族が多く,警備員さんは専ら撮影係となっている
これも業務の範囲内ということで.
 
安産ご祈祷の時間になると,列を作って社殿の中に入っていく

子宝いぬ
産まれ年の干支のところを撫でると,安産・無事成長が祈念できる

境内にある屋台

通り沿いにある土産物
「安産狛犬煎餅」「安産人形焼き」

人形町界隈(日本橋人形町) 【東京考察#230】

The Ningyo-cho neighborhood


人形町の路地裏

 


 人形町は江戸時代の町人歓楽街として栄えていたところで,今でも江戸の面影を残す地区である.人形町の由来は,この地区に人形師が多く住んでいたことからつけられた名前で,江戸時代の人形町界隈は中村座や市村座などの江戸大歌舞伎が存在し,見世物小屋をはじめ人形芝居の小屋が並ぶ江戸唯一の歓楽街であった.これらの歓楽施設は,天保の改革の風俗取り締まり(1842(天保13)年)によって,浅草猿若町などに移転した.現在の人形町は,古き江戸時代の面影を残すとともに,東京都心のビジネス街・問屋となっており,休日はビジネスマンが少ないので,散策をするのには適している.ちなみに,1656(明暦2)年に新吉原に移転する前の元吉原も,人形町界隈にあった.
 
人形町駅前は甘酒横丁交差点となる
明治はじめに,この横丁の入り口に甘酒屋があったことから呼ばれている.
人形町駅から明治座にかけて,商店街が続いている

日本一のほうじ茶を売る「森乃園」 大正3年(1914)創業
「ほうじ茶 175g 820円」で売っている.
香ばしくておいしいほうじ茶である
店内には甘味処もある

自家製豆腐やがんもどきを売る「双葉」 明治40(1907)年創業
甘酒やソフトクリームも売っている
甘酒プリンもある!
  

 
路地裏は江戸風情を残す空間がある


甘酒横丁をまっすぐ歩き,隅田川近くの浜町になると
明治座がある.現在の明治座は1993(平成5)年に建てられたもの


「人形町今半」といえば,すき焼き・しゃぶしゃぶである
昼食は今半に決定!人形町今半は、1895(明治28)年創業した牛鍋屋が起源となっている.
1952(昭和27)年に浅草今半日本橋支店として開店したが,
1956(昭和31)年に別会社として独立分離し,今に至っている.
都内には,今半と名の付いた店は5社あるとか.

食べたいメニューによって,
1階のびーふ亭か,2階のお座敷か,に分かれる
入り口をくぐると,仲居さんに聞かれる
御膳や弁当だと,夜のコース料理よりは手頃な値段で食べれられる.
 
すき焼き御膳(2,625円)
御膳は2階の座敷で食べることになる

「御膳」を注文すると,仲居さんがすべて焼いてくれる
高級店のすき焼きは,自分で焼くのではないらしい
ちょっと緊張する.(弁当は直接机では焼かない)

基本的には,ビジネスビルの建ち並ぶ地域である

 

朝顔まつり(入谷鬼子母神) 【東京考察#229】

The morning-glory fair ( Iriya goddess of children )


いろいろな朝顔がある


 入谷朝顔市は,入谷鬼子母神を中心として,毎年7月6~8日の3日間開催されるものである.もともと朝顔は,奈良時代に薬用として中国より入ってきたもので,最初は青色のみだった.入谷で盛んに朝顔が栽培されるようになって,「入谷の朝顔」として知られるようになったのは明治の中頃からで,植木氏成田屋留次郎の活躍をはじめ,十数件の植木屋が始めたものと伝えられている.
大正初期に市街化によって途絶えた朝顔市だったが,戦後の昭和25年になって朝顔市が復活し,七夕にちなんで7月6・7・8日が祭りの開催日と決定したという.当初は朝顔の咲く時期ではなかったため,大変苦労したとのことである.毎年,大勢の人出で賑わい,土日開催の時などは身動きがとれない程の人出でごった返す(今回).朝顔市が始まると,これから暑い夏がやってくるんだな,と思わせる季節の風物詩である.

地下鉄入谷駅側の様子
JR鶯谷駅からもアプローチできる

言問通り沿いに出店が並べられる

たばこの自動販売機に貼られた朝顔まつりのポスター

朝顔が棚に並べられる
 
威勢のよいかけ声で,朝顔が売られる

色とりどりの朝顔

朝顔にも様々な種類があるようだが,
1鉢2000円となっていて,この値段は朝顔組合で決まっている.

溢れんばかりの人で歩道は満杯である


入谷鬼子母神
朝顔まつりの中心的存在である
 入谷鬼子母神は,日蓮上人の尊像とともにこの地の眞源寺に祀られており,1659(万治2)年に創建されたものである.入谷鬼子母神では,子育ての善神になったという由来から本来の名称記述には「鬼」の字の角(上のチョン)がない字を使用している.(変換文字にはないので,表記は「鬼」にしている)

お守りを買うと,火打ち石で念仏を唱えてくれる

入谷鬼子母神も人出が多い

組合の朝顔には,すべてこの札が取り付けられている

反対側の歩道は,食べ物の屋台が並んでいる

両手に朝顔!

伊勢丹の(旧)紙袋 【東京考察#228】

Isetan Co., Ltd.’s paper bag (Old version)


伊勢丹の紙バック(タータンチェック柄)


 伊勢丹は1886(明治19)年に神田旅籠町に伊勢屋丹治呉服店を創業したのが始まりで,その後百貨店へと変化し,伊勢丹となったのは1930(昭和5)のことである.流行のファッションをリードするアイテム・品揃えと店員さんの質の高さには定評があり,人気のある老舗百貨店の一つである.高島屋,三越,伊勢丹,松屋などなど・・・老舗百貨店で買い物をすると,その店の紙バックがもらえるが,その中で私が最もお気に入りなのが伊勢丹の紙バックである.
ちまたでは「伊勢丹チェック」などとも呼ばれているタータンチェック柄であるが,正式にはマクミラン・アンシェント・クラン・タータン(MacMillan
Ancient Clan tartan)という柄で,この紙袋は黄色の紙に赤と緑の2色刷で印刷されているのだとか.
まず,色合いが好きである.黄色と赤という取り合わせが暖かみを出してくれる.また,メンズ館の紙バックは緑と群青に色合いが変化した紙バックで渡される.それから,手提げの部分が「ひも」になっているところも高級感があっていい.新宿の街を歩いていると,高島屋の花柄の紙バック,三越の白を基調とした中央に青と赤い色が入った紙バックとともに,伊勢丹の紙バックをもって百貨店をはしごしている人が多い.

大小並べてみました

この手提げ部分が紐状になっているのがいい

メンズ館の紙袋 この色合いも渋い
紙バックは,この柄の他にも,単色バージョンもあります.

クリスマスバージョン
(Christmas at Home)


包装紙はこちら


新宿伊勢丹(本店)の外観

祝賀山車フェスティバル[福島市制施行100周年記念事業]

福島市制施行100周年記念事業のひとつとして,市内各所に存在している山車(だし)を駅前中心部に集結して練り歩く「祝賀山車フェスティバル」が2007年6月30日の夜に開催された.合計38台の山車(だし)が集結した.山車とは祭礼の時に飾り物をして引き出す車のことで,もともとは「出し物」の意で,神の依代として突き出した飾りに由来するのだという.国道13号線を全面的に通行止めにして祭りが行われ,市内各町内の山車が国道13号線に集結して,大きなかけ声と太鼓の囃子とともに練り歩く様子は,大いに盛り上がるものであった.
各町内の山車は色々な形,そしてお囃子のリズムがあって面白い.街路樹の樹木に当たらないように,山車の先端の部分をいちいち折りたたむのは,見ていて大変そうであった.山車の提灯の灯りも,発電機を積んで電球にしているものや,本物のロウソクを灯しているものなどあって,ロウソクを灯しているものは,ゆらゆらと光りが揺れるので風情が感じられるものである.旧長崎屋前の交差点では,最後に飯坂温泉の3台の山車による飯坂ケンカ祭り(岸和田のだんじり祭りとともに日本三大ケンカ祭りのひとつとされており,毎年10月第1土曜日に開催されている)のぶつかり合いも再現され,迫力ある山車の押し合いが見られた.

(撮影年月日:2007(平成19)年6月)


これから始まる祭りに向けて,準備している山車.国道13号を全面的に通行止めにして行われた.

駅前にある「中合デパート」では,クリアランスセールバーゲンの宣伝も行っていた.これだけ人が集まるのだから,絶好の広告チャンスである.普段の土日もこれだけ人出があればいいのにと思う.

矢剣町の山車.山車の上には人が乗っている.太鼓とお囃子が祭りを盛り上げる.

旧長崎屋の2階デッキ部分には,山車をみるための人だかりができていた.

土湯温泉のこけし山車.「かわいらしい」と評判だった.

国道13号にずらっと揃って練り歩いている.いろいろな山車があって面白い.

日が暮れると,提灯の灯りがより映える.

この山車は,街路樹を通るたびに,上に伸びている提灯を折りたたんでいて,練り歩くのには大変そうだった.

提灯がぞろぞろ.

飯坂ケンカ祭りの山車.両者の山車がぶつかり合ったところ.

都庁の展望台(西新宿) 【東京考察#227】

Tokyo Metropolitan Government’s observatory (shinjuku)


都庁を下から見上げる


 都庁は,平成3年に丸の内(現東京フォーラム敷地)から新宿副都心の現在の場所に移転したもので,都庁舎の竣工は平成3年3月,第一本庁舎,第二本庁舎,都議会議事堂からなっている.第一本庁舎の高さは243m(地上48階)で,しばらくの間は,かつて日本一だったサンシャイン60を抜いて日本一の高さだったのであるが,横浜のランドマークが完成してからは,日本一の座を明け渡して「都内一」の高さを誇っていた.ところが,六本木の東京ミッドタウンが完成してからは,都内一の座も明け渡すこととなったが,展望台への入場は無料ということもあり,高いところから手軽に東京を眺められるスポットとして,多くの人が訪れている.
展望室のあるところは第一本庁舎の45階,高さ202mである.第一本庁舎は,上層部にいくと北側と南側に分離されるようになっており,展望台も「北展望台」と「南展望台」の2カ所存在している.それぞれは展望室では行き来することができないので,1階の展望室行きエレベータに乗るときに北側に行くのか,南側に行くのかを選択しなければならない.
開館時間は,9時30分~23時までとなっており,夜遅くまで夜景を楽しむこともできる.ただ,17時30分以降オープンしているのは展望室フロアの一部でバーを営業している北展望室のみである.閉館日は火曜日であるが,南展望室と北展望室を交互に閉めているので,どちらかの展望室には入れるようになっている(点検日などの例外を除く).また,南展望室の一部をイベントなどの会場として、有料で利用することもできるようになっている.

展望室(45階)行き直通エレベータ
入口で荷物のチェックがある.このエレベータは結構遅い.
北展望台と南展望台では乗り場が違う.

銀座「博品館」のお土産ショップがある
 
無料で入れるのも魅力のひとつ

眼下には,首都東京の巨大な街並みが広がる
  
眺望三連発
 
展望室にはカフェ&バーがある
昼はカフェとして,夜はバーとして23時まで営業している
ピアノまで置いてあって,なんか本格的で役所的ではない

下りのエレベータに乗るのにも行列する

お土産屋に,王貞治や長島茂雄のブロマイドとともに石原裕次郎も置いてあった.
せっかくだから都知事石原慎太郎氏もあれば面白いのでは.
右に映っているジオラマ東京(鳥瞰図)は人気商品のひとつ


1階には「東京観光情報センター」があり,
国内外から東京を訪れる人のために
さまざまな種類の無料パンフレットが置かれている.

国立新美術館(六本木) 【東京考察#226】

The national new art museum (Roppongi)


国立新美術館

防衛庁は,現東京ミッドタウン


 国立新美術館は,1923(昭和3)年に旧陸軍第一師団歩兵第三連隊新兵舎として建設され,戦争が終了してからは,東京大学生産技術研究所として利用されてきた跡地に建てられたもので,2007(平成19)年1月にオープンした.東京大学生産技術研究所は駒場に移転している.独立行政法人の国立美術館としては5番目の美術館で,特定の美術品を所蔵せずに,国内最大級の展示場(延べ14,000m2)を有し,展覧会会場の提供や自主企画展などを実施している.
建物は建築家黒川紀章氏による設計で,外観は前面を覆うガラスカーテンウォールが波のようにうねって曲線を描いている.10を越える展覧会が同時並行で開催できるよう,作品の搬出入において機能性を重視し,バリアフリーへの対応も行っている.

美術館建物内への入口

最上階までは吹き抜けになっている

椅子と机が置いてあり,休憩をとることができる
 
曲線でうねる外壁・ガラスカーテンウォール
施工するのは大変だっただろうと想像する
右側写真の逆円錐の上の部分にはレストランやカフェがある

展示室側の壁は木目調

エスカレータの上階より撮影

やっぱり,ここにも「竹」が.

館内には,1つのレストランと3つのカフェがある.
ここは,フランスの三ツ星レストラン『レストラン ボキューズ』
初の海外進出だとか.

資料室「アートライブラリー」があって,誰でも利用することができる

地下1階はミュージアムショップ
 六本木には三角形を描くように3つの美術館が位置するようになり,この「国立新美術館」,東京ミッドタウンの「サントリー美術館」,六本木ヒルズの「森美術館」の3つのことを「六本木アートトライアングル」と称して,六本木をアートに親しめる街にしていくことを目指している.六本木ヒルズと国立新美術館との間には,無料のシャトルバスが運行されている.

東京ミッドタウン(六本木) 【東京考察#225】

The Tokyo midtown


六本木の新たな名所
「東京ミッドタウン」
地図が古いので「防衛庁」のまま
ちなみに,西側の東京大学生産技術研究所は
今は「国立新美術館」となっている


 東京ミッドタウンは,六本木の旧防衛庁跡地(防衛庁は市ヶ谷に移転)で行われた再開発であり,2007年3月30日にグランドオープンした.現在,日本で行われている再開発の中で最大規模の事業となり,隣接する檜町公園を含めた敷地面積は10.1haにもなる.事業者は,三井不動産・全国共済農業協同組合連合会・明治安田生命・富国生命・積水ハウス・大同生命となっており,マスターアーキテクト(全体建築計画)にアメリカの総合建築設計事務所スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリルを起用している.
再開発のコンセプトは,世界中の人や企業が交流できる「職・住・遊・憩」が高度に融合された街づくりで,敷地内には完成によって都内で最も高いビルとなるミッドタウンタワー(高さ248m)を中心として5棟のビルが建設されて,オフィスあり,商業施設あり,ホテルあり,住宅あり,文化施設ありの,今流行の複合再開発となっている.
六本木駅を中心に,六本木ヒルズとは対角線上に位置しており,国立新美術館とのトライアングル回遊によって,六本木全体の相乗効果も期待できるものとなる.実は,地名上は六本木ではなく,赤坂9丁目に位置している.

地下鉄六本木駅と直結している
こちらもすごい人出であった

東京ミッドタウンも「和」を意識したインテリアとなっており,
天井は木目を使用したものとなっている.
 
天井に水が流れている
この水の流れによって,差し込んでくる陽の光が
ゆらゆらと幾何学的な色彩となって
面白い光りの演出となっている.夏は涼しそう.

上から見ると,このように涼しげな水の流れとなっている.

1階の「プラザ」へ通じる空間
竹を使用しているところが「和」となっている

「プラザ」には大型のビジョンがある

 
商業施設の入る「ガレリア」
4階吹き抜けの空間となっており,木目を基調とした色彩になっている.
木目調は,暖かい温もりを感じる色彩である.
 
この吹き抜けにも「竹」があった

英語クラスもある料理教室

白の空間となっている
「ビューティー&ヘルスケア」

サントリー美術館入口

さすが六本木.外貨両替の窓口があった
最近は,東京でもようやく外貨両替窓口を見かけるようになった

24時間オープンの「スーパーマーケット」
東急ストア系列である


レストランは大行列なので,
先ほどのスーパーで弁当を買って昼食を外で食べた.
 
外では,座って休むことができる

檜町公園
再開発前からあったこの公園は,
地元住民の参加によって整備案が決定した.
 
動きのある噴水があって面白い
子供が触ることもできる.
 
ガーデンテラスのレストランは人気が高いとか
メキシコ料理店では,生演奏のサービスがあるとか.
 
いろいろな角度からミッドタウン

ミッドタウンタワーは,都内で一番高い建物となるが,
展望台は設けられておらず,上からの眺めを楽しみたいときは,
上層階で営業しているホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」を利用する.

何じゃこれ?

色々と面白い演出もあるのが,東京ミッドタウン!


浜離宮恩賜庭園 【東京考察#224】

The Hama-rikyu royal gift garden


中島の御茶屋と大泉水


 浜離宮庭園は,江戸城の出城としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園だったところで,明治になって皇室の離宮となり,昭和20(1945)年に東京都に下賜され現在に至っているものである.徳川時代には,鷹狩り場や鴨場が整備され,別邸を建てたりし,現在の姿の庭園になったのは,11代将軍の家斉の時だという.関東大震災や戦災によって大部分は損傷したが,その後の整備によって現在の姿になって公開がされている.近年は,汐留の再開発によって庭園近隣に超高層ビルが林立するようになり,公園からの景観が一変している.賛否両論あるようだが,自然の緑の背景に,このダイナミックな背景も面白いように感じる.周辺は,江戸時代には想像できなかった景観が広がっている.
 
浅草からやってくる「水上バス」で入園することもできる
アプローチが面白くてお奨めである.

横堀水門
浜離宮の池の特徴は,海水を引き入れた池となっていることにある.
潮の満ち引きによって水位が変わるが,その海水を引き入れる水門.

新樋の口山

東京湾側の海岸線
 
鴨場に設けられているのぞき穴
鴨場の池から小さな引掘り(写真右)が掘られており,
この土手の「のぞき穴」から覗きながら,
エサやアヒルで鴨を引き寄せて,すくい上げるという猟.

緑の中を歩くと,やっぱり心が安らぐ
都心にいるとなおさら強く感じる

「潮入の池」と「汐留シオサイト」の再開発
真ん中に見える建物は「中島の御茶屋」
このコントラストは,新たな都市景観として面白い.
潮入の池は,江戸の庭園では唯一現存する海水の池である.

御茶屋では抹茶セットを飲むことができる
お手前など堅苦しいことは不要.
とりあえず正座して,それなりの飲み方でOK.

お手伝い橋
総檜造りの橋で,平成9(1997)年に架け替えられたもの

馬場跡
馬を走らせる馬場の跡地

芝とビル
 
内堀
現在,潮が引いているときであり,
水位が下がり,どんどん水が外に流れていた

三百年の松
徳川6代将軍の家宣が植えた松

お花畑では菜の花やコスモスが咲き誇る

新橋駅からは大手門橋を渡り,大手門から入場する
入場料大人300円 9時から17時まで

谷中銀座 【東京考察#223】

Yanaka Ginza


休日には観光客で賑わう谷中銀座


 近年,下町情緒の残る街として脚光を浴びている「谷根千(やねせん)」である.谷根千とは,地名の谷中・根津・千駄木の頭文字をとって付けられたもので,昔の東京の面影を残す下町の路地裏に,小さな店や施設が点在しており,マップ片手にブラブラ歩くと新たな発見があったりして面白い.その谷根千の中にある商店街が「谷中ぎんざ」である.日暮里駅を降りて歩いていくと谷中銀座にたどり着くが,お寺,煎餅屋など,下町風情の香りが伝わってきて,谷中銀座では名物の谷中メンチを頬張って,ポカポカ陽気の下町をふらっと歩いてみるのもまた楽し.

JR日暮里駅
駅の西側は武蔵野台地となっていて,そこはもう谷中である

木陰で客待ちをする人力車

下町に必ずあるせんべい屋
もちろん1枚から買える.色々な種類のせんべいがある.

こちらは佃煮屋
大皿から量り売りする.
 
「経王寺」
慶応4(1868)年の新政府軍の攻撃を受けて,
この山門に今も銃弾痕が残っていることはあまり気づかれない.

ツツジが満開の延命院

だんだんと「谷中ぎんざ」が見えてきた

「夕やけだんだん」の階段を下りると,谷中ぎんざが広がる
ここから眺める夕焼けは絶景だという 命名は作家・森まゆみだとか

「夕やけだんだん」
谷中という地名は,台東区に位置するのであるが,
この階段は,荒川区西日暮里にある.
谷中銀座の中に区境があって,
行政区名上は荒川区西日暮里と台東区谷中が混在している.

飴(あめ)屋
 
狭い商店街,最近の谷根千ブームで人出が多い
カフェ有り,雑貨あり,肉屋あり・・・・
 
谷中名物のひとつに「谷中メンチ」がある
もともとはお肉屋さん.1個100円


「谷中ぎんざ」を抜けると「よみせ通り」となる

谷根千の魅力は,路地裏をブラブラ歩くことにある

福丸の10円まんじゅう

台東区循環バス「東西めぐりん号」も
人を避けながら路地裏を走っていく
いまはやりのコミュニティーバス

地下鉄千駄木駅に到着
(団子坂下交差点前)
明治時代は菊人形の名所だった.

東京国立博物館(上野) 【東京考察#222】

Tokyo National Museum


東京国立博物館


 東京国立博物館の歴史は古く,明治5(1872)年に文部省が湯島聖堂で最初の博覧会を開催したのが博物館としての始まりで,その後,明治15(1882)年に上野公園に移ってから,現在に至っているのが,東京国立博物館である.
展示館は,「本館」「東洋館」「平成館」「法隆寺宝物館」「表慶館」の5つに分かれており,全ての展示を見ようと思ったら,丸1日がかかるほど,ボリュームのある博物館である.国立博物館だけあって,常設展示されている本館の「日本ギャラリー」では,国宝や重要文化財などの展示品が紹介されており,日本文化を知る上では欠かすことのできない博物館である.彫刻,陶磁,刀剣など,日本に訪れた外国人観光客の方にとっても,興味深い展示である.
入場料金は大人600円と大変安いが,特別企画展などがあると料金は高くなる.時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)となっているが,特別展によっては金曜日は20時まで延長したり,土日は18時まで延長したりしており,夜までゆっくり鑑賞することも出来る.ちなみに,上野駅から歩いてくるよりも,実は鶯谷駅から歩いてきたほうが近い.しかし,鶯谷駅からは裏道を歩いてくる感じで,案内板などがないので,鶯谷駅から来る場合は地図などを見ながら歩いてくることをお奨めする.


入口正面にある「本館」
 現在の本館は,昭和13(1938)年に昭和天皇の即位を記念して開館したものである.渡辺仁設計で,コンクリート建築に瓦屋根をのせてた「帝冠洋式」の代表建築といわれており,平成13(2001)年に重要文化財に指定されている.この本館では,日本ギャラリーとして日本の美術,工芸,歴史資料などを展示しているが,企画展示室も設けられている.2007年ゴールデンウィークの時はレオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」が特別展示されていた.

本館内部 重厚な雰囲気である

本館から後ろの正面入口の先に広がる上野公園
 
人気のある企画展では行列ができる

日本ギャラリーでは兜も展示されている
撮影禁止マークが付いていなければ撮影OKである

本館から見える茶室

新しい「平成館」
平成館は,皇太子殿下のご成婚を記念して平成11(1999)年に開館したものである.1階は考古展示室,2階は特別展が開かれる展示室となっており,講堂なども備えている.

1階から2階へ向かうフロアー
こちらも重厚な感じに造られている

ラウンジにはドリンクコーナー(自販機)もある
京菓子の老舗・鶴屋吉信のあんみつを売っていた

エントランスから本館へ向かう通路


最も古い建物である「表慶館」
 東京国立博物館では最も古い建物で,大正天皇(当時は皇太子)のご成婚を記念して明治42(1909)年に開館したものである.日本における最初の本格的な美術館で,設計はJ.コンドルの弟子である片山東熊,中央と左右にドーム屋根があり,上部の外壁には製図用具や工具・楽器などのレリーフがある.昭和53(1978)年に重要文化財に指定されている.かつては通常の展示を行っていたが,改装が終わった2007年4月より教育普及活動を行う場所となっている.
 
中央ドームの内部
 
展示室 シンプルなシャンデリアがかえってよい


「法隆寺宝物館」
 かつては週1日だけの公開だったのであるが,平成11(1999)年に現在の新宝物館がオープンしたことにより,毎日公開されるようになった.法隆寺宝物館は,法隆寺献納宝物をまとめて保存展示する展示館として,昭和39(1964)年にオープンしたもので,お釈迦様などの像がずらりと並べてある.1階にレストランがある.


本館の右となりにある「東洋館」
 東洋館はアジアギャラリーとなっており,中国や朝鮮半島,東南アジア,インド,エジプトなど東洋の美術と考古物を展示するものとして昭和43(1968)年に開館した.ミイラなどが展示されている.内部は吹き抜けになっていて,半階ずつ上がっていく展示室になっているという.(夕刻になり時間がなくなってしまったので,内部には入らなかった)

東京国立博物館HPを参考に作成しています

新丸の内ビルディング 【東京考察#221】

The Shin-marunouchi building


オープンしたばかりの
新丸の内ビルディング

 


 2007年4月27日に,新しく生まれ変わった新丸ビルが誕生した.「新丸ビル」と頭に「新」がつくので,かつては「丸ビル」と呼ばれていた建物を新しく建て直したように思うかもしれないが,そうではなく,この場所にかつて建っていたビルも「新丸ノ内ビルヂング(昭和27年竣工)」と呼ばれていて,そのビルを新しく再開発したものが,この新丸の内ビルディングである.丸ビルは,新丸ビルの道路を隔てた南隣りに建っており,こちらは,一足早い2002年9月に再開発ビルとしてオープンしている.
もともと,この丸の内一帯は,明治時代に欧米のようなビジネスセンターを建設する構想を,軍用地の払い下げを受けた三菱財閥によって進めらたところで,旧丸ビルは大正12(1923)年に,旧新丸ビルは昭和27(1952)年に完成した.かつての丸の内地区では,高さや看板の規制により,統一したスカイラインのある景観に優れたビジネス街が形成されていたが,規制緩和によって高層ビルが建てられるようになり,建物の老朽化もあって,このような新しい再開発が次々と行われているのが,今の丸の内地区である.
新丸の内ビルディング(三菱地所)は,地上38階,高さ198mで,かつての新丸ビルの高さである31m以下の低層部の商業ゾーンと,高層部のオフィスゾーンに分かれている.新丸ビルでは,丸ビルのように最上階部への商業施設は設けていない.商業施設は,30代から40代の大人をターゲットにしているとのことで,インテリアも落ち着いていて,大人の雰囲気を演出する空間となっている.なお,丸ビルも新丸ビルも,商業施設のオープン時間は午前11時からなので,お間違いなく.
 
地下道(地下鉄の駅)から直結している
 
1階のエントランス

電球色の柔らかい照明が空間を暖かくさせている
木目を使用するのが,最近のインテリアの流行のようである

こちらも地下1階の飲食店街
 
壁に掛けられているスタンド照明がいい

このように床も木の素材が使われていて,
木の温もりと照明の電球食によって,和やかな雰囲気となっている

各フロアーにはソファーが設けられている
疲れたら足を休ませることができる
 
上階のレストラン街
明るい光りが入ってくる

店舗の窓からは,隣のオフィスビルが見える

アフタヌーン・ティー・ルームからは
皇居の緑を眺めることができる
 
2階フロアーからは
東京駅の赤煉瓦駅舎を眺めることができる
3階建てへの復元工事が行われる

その景色の拡大版
背後に見えるビルは八重洲口の再開発ビルで
東京駅周辺は超高層ビルの開発ラッシュである

2階から1階へ下るエスカレータより撮影
アーチの空間と照明がレトロな感じでいい

1階入口側から見たフロアー

この低層部の建物の高さが,
かつての新丸ビルの高さである31mとなっている
つまり,昔の高さ規制の限界値
商業施設は,この低層部に入っている

昔の東京駅丸の内口は,休日にこれだけの人出はなかった

春の花見山~福島の桃源郷~

春になると全国から人々が集まってくる花の名所が福島市にある.その名も「花見山」.写真家の故・秋山庄太郎氏が「福島に桃源郷あり」と毎年訪れていたという場所で,全国各地からカメラマンが数多く訪れている.桜をはじめ様々な花が咲き乱れており,ロウバイ・ウメ・サンシュユ・マンサク・レンギョウ・サクラ・ハナモモ・ボケ・モクレンなど,次々と花が咲き続いていく.
花見山は,福島市中心部から南東約4kmにあり,昭和の初め頃に養蚕の合間に花木を育てて,それを販売するようになったのがきっかけで,花木を増やしていくようになった.農家の方が「きれいな花を皆さんに楽しんでもらいたい」という善意により,昭和34年から土地を開放しているのが花見山であり,入場無料,春の里山からは吾妻連峰も見られ,まさに福島の桃源郷なのである.

(撮影年月:2007年4月)


新幹線のりかえ口には,「花見山は東口方面へ」と手書きで書かれた案内板が掲示されていた.一度のりかえ用の自動改札を通り過ぎ,在来線のコンコースを歩いて,東口へ向かう.

「ようこそ,花もみもあるふくしまへ」福島駅コンコースもサクラで満開

春のシーズンになると,
花見山までの臨時バスが運行される

2010年の臨時バス運行予定
3月27日(土)から4月30(金)まで

毎日運行している路線バス案内はスクロールして最下段をご覧ください

午前9時前だというのに,バス乗り場はこの行列! 臨時手荷物預かり所もあって,手ぶらで花見山散策を行うことも出来る.

花見山号の臨時乗車券.片道250円 往復500円.往復を買うと,帰りの周遊バスでは乗り降り自由となる.(写真2007年は片道230円であった)

臨時バスの運行は,3月末から4月末にかけての時期である.運行本数はかなり多くて,1時間に3本程度走っている.

花見山号の臨時バス

サクラにラッピングされたバスがやってくる.車内でも,花見山などに関する案内テープが流されて,観光客には嬉しい心配りがされている.

春のシーズンになると,大型バス駐車場にはずらりとバスが並ぶ.渡利地区の狭い住宅地の中を縫うように走ってくるので,周辺住民の方に感謝する次第である.

駐車場脇には,ちょっとした物産を販売するところがある.仮設トイレも設置されている.

正面に見えているのが「花見山」.駐車場からはちょっと歩いて向かう.

だんだんと,サクラが咲き乱れるようになってきた.

三脚を持ったカメラを担いでいる人も多くみられる.それぞれの構図で,花を撮影している.

とにかく人出が多い.でもサクラは美しい.

いろいろな色が競演している

黄色のレンギョウも.

菜の花も咲き乱れ

一眼レフの本格的なカメラを抱えて,最高の一瞬を求めて,ファインダーをのぞく.


ここからが,花見山公園なのである.
ここまでは,民地に咲き誇っていた花を,道路から眺めていたもの.

ふもとでは,無料で杖・ステッキを貸し出している.黄色い服を着た人は,ボランティアガイドの方々である.登山道の分かれ道などに立っていて,案内をしている.

花見山は「山」である.
頂上まで行くルートは,60分で戻ってくるコースとなっている.ハイヒールではちょっと無理!

サクラのトンネル

左上に小さく写っている「あずま屋」が頂上.あともうちょっとである.

頂上からの眺望.福島市街が一望できる絶景である.


路線バス案内(毎日運行)
福島駅東口8番乗り場より「渡利南回り」行き(1時間に1本程度)
「花見山入口」バス停下車:徒歩20分程度(住宅地の細い道を歩いていきます)

お秀茶屋(奴郎ヶ前の味噌田楽)【会津考察#7】

Ohide-chaya(The miso dengaku)


歴史のある田楽・お秀茶屋
営業時間:10時から17時頃
(材料がなくなったら終了)

 


 お秀茶屋の味噌田楽は,無性に食べたくなるときがある.若松にきたときは,時々立ち寄って食べている.
「お秀茶屋」は,創業が延宝年間(1673~80年)の歴史ある茶屋で,東山温泉に向かう東山街道沿いにある.なんといっても,名物は甘い味噌を塗って囲炉裏でじっくりと焼き上げる「田楽」で,自家製餅・揚げ豆腐・身欠きにしん・こんにゃく(秋は里芋となる)の4種類6本の田楽セット(735円(2007年現在))となっている.田楽は,戦国時代において,串に刺して田圃などで焼いて食べたのが始まりと言われており,田楽という言葉も,田圃で食べる楽しみというところから付けられているという.この店には,山下清画伯が度々訪れていたといい,現在でも,有名人が数多く訪れて,店内には写真やサイン色紙が貼られている.
ちなみに,奴郎ヶ前と書いて「やろうがまえ」と読む.お店には「元祖・奴老ヶ前」と記されていて,「老」の字が用いられている.

店内の様子.暖かいときは,池の鯉を眺めながら,
縁側で食べることもできる.

壁に貼られているメニュー
田楽の他にも,くるみ餅やそばなどもある.
田楽だけでは物足りない場合は,ソバも一緒に注文すると良い.

田楽は,囲炉裏の炭火で焼かれる
ご主人は16代目.

これが,田楽セット
素朴な味わいで,時々無性に食べたくなる味なのである.
串が炭火ですすけているところも,「普段着のまま」といった感じでよい

ざるそばもあります.
柔らかいそばといった感じ
 
店の脇にある狭い道路を登っていったところに
専用の駐車場がある.

その道路脇にはお地蔵さんがある
かつて,近くの河原には会津藩士用の処刑場があった
罪人達の供養のために設置されたものが残っている
(参考文献:新寿堂HP

【公共交通案内】
●まちなか周遊バス「ハイカラさん」  若松駅→鶴ヶ城→奴郎ヶ前→飯盛山→若松駅(逆回りなし.8時~18時頃.30分間隔)
●飯盛山・鶴ヶ城循環(飯盛山先回り) 若松駅→飯盛山→奴郎ヶ前→鶴ヶ城→若松駅
●鶴ヶ城・飯盛山循環(鶴ヶ城先回り)  若松駅→鶴ヶ城→奴郎ヶ前→飯盛山→若松駅

赤羽台団地(その2) 取り壊される団地群 【東京考察#220】

The Akabanedai housing complex part.2


取り壊される21号棟

 


 赤羽台団地(その2)では,赤羽台団地の建て替え事業によって,間もなく取り壊される建物群と,新しく生まれ変わったヌーヴェル赤羽台の建物を紹介する.2部構成で作成しており,(その1)では現在も入居されている建物群をお送りしている.
昭和の高度経済成長の象徴のような赤羽台団地も,老朽化によって建て替え事業が行われており,順次取り壊しが進んでいる.既に,赤羽台西小学校側にあった27~32号棟は取り壊されて真新しい賃貸住宅が建っている.16~26号棟も既に入居者の退去が済んでおり,人々のいなくなって鼓動が止まってしまった団地群が,取り壊される日をひっそりと待ち偲んでいる.昭和の一コマがまたひとつ消えてしまうようで,ちょっと寂しい感じもする.
 
団地の案内図
左が昔ながらの手書きの案内図で味があって渋い.


16~26号棟は,赤羽台団地建替事業(第Ⅰ期2ブロック)が着工されるため
平成19年1月より仮囲いによって通行止めとなった.
平成22年3月までの予定.
 
非常にインパクトのあった21号棟
他の住棟とは直交に配置されているため,
プライバシーを保つために廊下の壁を高く設置しているという.
右の写真を見てみると,確かに外からは見えにくい廊下である.
 
21号棟は既に入居者が退去し,
あとは取り壊される日を,ただ静かに待ち偲んでいる
 
入口が閉鎖されている25号棟
階段が横向きである
ダストシュートもある

正面は21号棟
右は25号棟

26号棟も空っぽである

手前から順に,24・23・22号棟
24号棟は,側面にベランダがついており,
23号棟は,側面に焼却炉がついており,
22号棟は,側面になにもついていない.
これを見ても,様々な設計の建物が建てられていることがわかる

16号棟 関係者以外立ち入り禁止

仮囲いで隔離された22号棟

 
かつての27~32号棟だったところで行われた
第Ⅰ期1ブロックの建替事業で建て変わった賃貸住宅
モダンなデザインの住宅である.(ヌーヴェル赤羽台)

入口はオートロックセキュリティー

「ヌーヴェル赤羽台」のモデルルーム
賃貸住宅であり,月額169,400円からだとか・・・・・。

団地内にある「あかいとり幼稚園」

桜が満開であった.
参考文献:「僕たちの大好きな団地」,洋泉社,平成19(2007)年4月

赤羽台団地(その1) 区内初の大規模団地開発 【東京考察#219】

The Akabanedai housing complex part.1


赤羽台団地

 


 知る人ぞ知る「赤羽台団地」である.
赤羽台団地は,旧陸軍被服本廠跡地であり国有地だったところを,当時の日本住宅公団(現在:独立行政法人都市再生機構)が団地開発したもので,1963(昭和38)に完成した.全戸数は3373戸,東京23区内で初めての大規模団地として知られ,単身者から4LDKファミリータイプまで幅広いユーザーをターゲットにしており,団地設計も当時としては様々な新しい試みを取り入れていることから,団地開発のモデルとして色々な形の団地や,住棟・公園の配置設計を見ることができて興味深い.
公団の団地は,洋式のダイニングキッチンや洋式トイレなどを備えたモダンな住宅で,当時は憧れの住まいであり,入居当初の倍率は高かったようである.賃貸住宅の家賃は当時の大学卒初任給と同じ程度するもので,高額所得者の住む団地であった.
この昭和の高度経済成長の象徴のような赤羽台団地も,老朽化によって建て替え事業が行われており,順次取り壊しが進んでいる.既に,赤羽台西小学校側にあった27~32号棟は取り壊されて真新しい賃貸住宅が建っている.16~26号棟も既に入居者の退去が済んでおり,人々のいなくなって鼓動が止まってしまった団地群が,取り壊される日をひっそりと待ち偲んでいる.昭和の一コマがまたひとつ消えてしまうようで,ちょっと寂しい感じもする.
写真の掲載量が多いので,2部構成でお送りする.(その1)では現在居住者のいる建物群を,(その2)では取り壊される建物群と新しく出来上がった建物を紹介する.
 
まずは,団地の案内図
左が昔ながらの手書きの案内図で味があって渋い.
下は新しいもの.(クリックすると拡大)

JR赤羽駅から歩いてくると赤羽台トンネルが見えてくる
その上に広がっているのが赤羽台団地.
トンネル脇に団地へ向かう階段がある.
シンボル的存在のスターハウス49号棟がお出迎え

これが「スターハウス」49号棟
団地の配置計画を行うときにポイントとなる場所に建てる住棟のことをポイントハウスと呼んでいるが,スターハウスは,そのポイントハウスの一種で,1フロアー3戸のY字型をしている建物である.非効率な形状をしており,近年はほとんど建てられなくなったが,公営の集合住宅の歴史を語る上で,スターハウスは外せない存在である.赤羽台団地では,駅から団地にかけて存在する崖線の頂上に,8棟のスターハウスを建てており,高台にスターハウスを並べることによって景観上のアクセントとしている.
 
左:裏側から見たスターハウス
右:8棟連続で並ぶスターハウス

緑地と6・8号棟
この公園(緑地)の下に赤羽台トンネルの道路が走っている
赤羽台トンネルは,団地を分断する都市計画道路をどうするかで議論が続き
最終的には現在のトンネルの形で決着がついた経緯がある.
 
14・15号棟
5階建ての住棟である
階段の向きが横向きになっている

4・6号棟
こちらの階段の向きは,よく見かける縦向きである.
 
50号棟の1階にある「赤羽台団地商店街」
赤羽駅前のイトーヨーカドーなどに押され気味の感が否めない
 
50号棟の廊下は,片廊下式であるが,室内式となっている
冬は暖かくて良さそうである

50~53号棟は,□型に囲まれていて,中心に公園を配している
写真は,エレベータ棟を境にして左が53・右が52号棟.
1階に診療所や郵便局がある.
左側の53号棟は単身者用の住宅で,トイレと風呂は共同だとか.

53号棟の脇の階段は,天気がいいと洗濯物や布団を干している
これを見ると,生活感があって「団地にきたな」と感じる.

20号棟1階部分
玄関まではちょっとしたアプローチがあって,
ガーデニングを楽しむこともできる
 
スキップフロアー形式の33号棟
廊下があるのは3階と6階のみで,
「33」と書かれた部分の出っ張っているところに6階の廊下がある.
例えば,5階に行くためには,一度6階まで上がって,
6階の廊下を歩いて,各戸に付けられている5階へ降りる階段を使う

40号棟の脇にある黄色い注意信号機
サイズが小さくてレトロチックである
 
住棟と住棟の間には,公園が配されている
参考文献:「僕たちの大好きな団地」,洋泉社,平成19(2007)年4月

朝ラッシュ時の駅・ホーム 【東京考察#218】

The station at the time of Rush in the morning

朝の山手線(上野駅)


 東京にいて嫌なことのひとつに朝の通勤ラッシュ地獄がある.1日に与えられている時間は限られており,ラッシュによってその時間とエネルギーを奪われるのは,なんだかとても無駄なことだといつも感じてしまう.ラッシュは実際に体験してみないと,そのすごさは分からないのであるが,上野駅の山手線・京浜東北線の南方面行きの様子を撮影した.JR山手線でラッシュを体験したいのであれば,朝7時45分から8時30分頃の時間で,上野から御徒町までにかけて,代々木から原宿にかけてなどが,混雑度の高い区間として有名である.
近年は,フレックスタイムによる始業時刻の遅れや,鉄道整備などによって,混雑率は徐々に下がってきているが,それでも座って通勤などといった状況には程遠い.(なお,このページの写真は全て2004年7月に撮影したものである.作成しようと思っていたら忘れていて,過去の写真データを見ていたら出てきたので,思い出して改めて作成した)

上野駅では,終点となる宇都宮線や高崎線からの
乗換客であふれかえる

電車が到着すると階段に人が殺到する.
山手線や京浜東北線の電車が遅れているときは
ホームに人が溢れるので,危険防止のため入場規制が行われる

この区間の混雑率はおよそ200%とか
それでも今日は,山手線が遅れていないので,
ホームはすいているほうである.
電車が到着する直前は,3列に整然と並んだ人で溢れている

車内がいっぱいでも乗り込まなければならないときは,
前を向いて,手をドアの上に掛け,おしりをグイグイ押し入れて乗り込む.
このときカバンがドアに挟まれないよう注意が必要


ラッシュ時は駅員総出で対応(人を押し込んでドアを閉める)する
各ドアに一人ずつつかないと,ドアが閉まらない箇所もある
くどいようだが,乗り込むときにはドアに向かって前向きに.これポイント.

冬になるとコートなどを着込むので,
より車内は混雑する.俗に言う「着ぶくれラッシュ」


車内の奥に入りたいときは1台見送る

車内に入ったときのポイントは,
なるべく椅子の並んでいる奥に入ってしまった方が楽.
逆につり革のないドア前の中間部がいちばん辛い.

ラッシュ時は電車の運転間隔が密なので,
急に信号が変わって,速度制限のブレーキが自動制御でかかるときがあり,
将棋倒しが起こりやすい.加速しているのに突然ブレーキに転ずるのである.
こうなったら抵抗せずに力の動きに身を任せて,ドタドタと隣の人に寄りかかるしかない.
そして,足で踏ん張るか,つり革・棒などにつかまって,少しは慣性力を抑えることに努める.
これをしないと,本当にみんな倒れてしまう.
この急ブレーキはなんとかならないものかと,
通学で乗っていたときはいつも思った.


江古田界隈(練馬区)【東京考察#217】

Ekoda St. neighborhood


江古田駅と言えば黄色い西武線


 江古田に住んでいる人は,「江古田っていいところだよ~」とよく言う.住んでみると居心地のいい何かがあるようである.池袋から西武線で3駅目,都心に近いけれども,下町的な雰囲気の残る地域である.江古田駅周辺には,日本大学の芸術学部,武蔵野音楽大学,武蔵大学などがあり,学生街としても知られている.駅に降り立つと,人とすれ違うのがやっとといった路地裏が広がっていて,そこに商店街が形成されている.昔から営んでいるお店も存在し,その下町的なヒューマンスケールの雰囲気が,住む人々をホッとさせているような気がした.
ちなみに,江古田駅は「えこだ」と読むが地名としては存在していない.ちょっと南に離れた中野区には江古田と書いて「えごた」と読む地名があるが,この江古田(えこだ)駅からは少し離れている.「えこだ」と「えごた」は,厳密に言うと別の区域のことを指しているが,目白通りの下に走っている地下鉄大江戸線はその南側に広がる中野区の江古田(えごた)に合わせて,新江古田(しんえごた)駅という名称になっている.今回は江古田(えこだ)駅周辺を紹介する.

江古田駅南口 駅前に商店街が広がる

居酒屋,本屋,飲食店などが,路地裏に密集している

大衆割烹.なんかそそられる雰囲気.

昭和33年創業の江古田で一番古い喫茶店
昭和の香りが漂っている

江古田銀座


日大芸術学部や武蔵野音大のある北口
私鉄の小さな駅といった雰囲気が満点

駅北口から日大へ続く日大通り商店街

日大前にある果物屋のシャッター
シャッターのデザインも芸術的?
 
日本大学藝術学部(江古田キャンパス) 昭和14年開校
2010(平成22)年を目指して改築工事を行っている
 
昭和の香りが漂う「江古田コンパ」
ネーミングもいい.カクテルなどが飲めるバーのようである.
 
じいじとばあばが作っているおにぎり屋
暖かい感じのおにぎり屋である
 
「江古田いちば」 生鮮食料品が中心となる市場
アメ横のような雰囲気で,下町情緒満点である.
1915(大正4)年の武蔵野鉄道(現西武鉄道)の駅開業により開設

武蔵野音楽大学 昭和4年開校
敷地内に楽器博物館があるが,平日しか開館していない.

江古田には,小演劇の出来るスタジオや
音楽練習のできるスタジオが多く存在している

一歩それると住宅やアパートが広がる

踏切から見た西武線江古田駅

無料巡回バス(運賃地域企業負担のバス) 丸の内・日本橋・お台場【東京考察#216】

The free round route bus


バス停

 


 新しい形態のバスとして注目されるのが,この無料巡回バスである.現在,走っているのは東京駅周辺の「丸の内地区(丸の内シャトル)」と「日本橋・京橋地区(メトロリンク日本橋)」,そして観光スポットとしても脚光を浴びている「お台場地区(東京ベイシャトル)」である.運行はオープンスカイバスを走らせている日の丸リムジンで,いずれの路線も10~20分間隔,20時頃まで運行されている.
なんといっても特筆されることは,誰が乗っても「無料」ということで,このバスの運行費用は,運行路線近辺にある地元企業が協賛しているのである.そのため,バスの車内には協賛企業のCMが流され,パンフレット類が置いてある.無料だと逆に何かあるんじゃぁないかと尻込みしてしまうが,押し売りや強制的な入会勧誘などは一切なく,普通の路線バスと同じように乗車できるので,誰でも安心して乗車できる.
バスはニュージーランド製のハイブリッドバスを導入しており,段差のない低床式でもあるため,非常に乗り降りも楽である.料金をとらないために路線バスとしての位置づけができないことから,バス停が道路に設置できない,駅前ターミナルに乗り入れできないなどといった制約がある.そこで,バス停は協賛企業の敷地内に設置し,駅の近くに協賛企業のバス停名等で停留所を設置したりしている.
東京駅から日本橋や京橋まで行きたいとき,また丸の内・大手町の皇居周辺まで行きたいとき,歩くと遠いお台場を周遊したいときなどは,この無料バスは重宝する.

環境にやさしいバスを導入している
 
バス停は,このように協賛企業の敷地内に置かれている
ちょっと目立たないので,バス停を探すときは建物の側を探すようにする

 

地下鉄銀座線【東京考察#215】

The Ginza Subway Line

地下鉄銀座線

路線図


 地下鉄銀座線は,日本で最初に開通した地下鉄である.1927(昭和2)年に浅草・上野間で開通し,現在のように浅草・渋谷間が全線開通したのは,1939(昭和14)年であった.当初は,東京地下鉄道が浅草・新橋間を運行し,新橋・渋谷間は東京高速鉄道(現東急の前身)によって運行されており,別会社によって相互乗り入れがされている形態だった.その後,1941(昭和16)年に営団地下鉄に統合されて,現在は営団地下鉄の民営化(2004年)により東京メトロとして運行されている.
地下深く走る新しい路線と違って,歴史の古い銀座線は地下の浅いところを走っているため,地上との乗り降りが非常に楽で,ちょっとした距離でも銀座線ならば乗ってもいいなと思える路線である.朝ラッシュ時は2分間隔,日中でも3分間隔の運行をしており,利用客が非常に多く,車両が小さい(つまりトンネルの断面が小さい)こともあって,いつ乗っても混雑していると感じる.
現在は走っていないが,昔の銀座線の車両(全部オレンジ色の電車)に乗ったとき,駅に着く手前で「ピカッ」と車内の電気が消えて,壁にある小さな非常灯のランプ(ガラスの形がオシャレで,なんかレトロムードのあるランプだった)が一瞬「ぴかっ」と光る現象がおきていた.前の車両から順々に後ろに移っていくので,子供のとき「そろそろくるぞ!」と銀座線にのるといつもワクワクしたものである.特に終点の浅草駅に着くときは線路を渡るためにポイントを通るので,長い時間車内が真っ暗になり,特に面白かった思い出がある.蓄電池を積んだ新型車両への置き換えにより,1993年にこの現象は見られなくなった.なぜ,電気が消えるのかというと,銀座線は電気を線路脇の第3軌条と呼ばれるレールからとっており,ホームへ着く前にはそれが右から左へ移るので,その切り替え時に電気が一瞬消えていたのであった.
もうひとつ,銀座線には昔の車両の思い出があり,その電気が消える時代,どういうわけか全6両のうちの4両目あたりの1両だけは,ドアが片側へ開く1枚扉で,鋲(リベット)が車体に打ち込まれている昭和初期を思わせるようなレトロチックな車両がつながれていた.なんか,銀座線だけはちょっと違うな,と思わせてくれるものだった.

銀座線は浅いところを走っている.
エスカレータにのったらすぐにホームで乗りやすい
 
銀座線の名がついた「銀座」駅.後ろは銀座4丁目交差点
この名がついたのは,丸ノ内線が開業する前年の1953(昭和28)年である

銀座駅は天井が低い.銀座線は全体的に狭く感じる造りである.

線路の脇にある第3軌条から電気をとる
これが切り替わるときに電気が消えていた

銀座線のカラーはオレンジ色
  
上野駅 鋼製の柱のリベットが渋い

上野駅には,電車が接近すると電車のマークが
右から順に光る接近表示板がある.結構古くからある.

稲荷町駅(2001年撮影)
開業当時(昭和2年)の駅入口が残っている
銀座線には,ホームの幅が狭い駅が多かった.これも開業当時の広さだったものである.また,神田駅や京橋駅なども,リベットの鋼製柱が残る古めかしいホームだったが,リフォームによって現在はきれいな空間に生まれ変わっている.しかし,化粧板を取っ払えば,昔ながらの構造物が見られるに違いない.

 

ハイカラさん(まちなか周遊バス)【会津考察#6】

The bus which tours through the inside of the city in Aizu wakamatsu

まちなか周遊バス「ハイカラさん」
エンジ色と深緑色の2種類走っている

 


 平成13年7月より,会津若松市内の観光施設を周遊できるバスとして運行開始されたのが,まちなか周遊バス「ハイカラさん」である.レトロ調のボンネットバスを導入し,補助ステップや車いす用のリフトなども備えられている.車いすを利用するときは背後部のドアが開くようになっている.ドライバーは女性が乗務しており,城下町特有の細い路地裏道路を,大きなハンドルを握りながら運転している.
1回大人200円,ハイカラさん専用1日乗車券は500円,ハイカラさんと路線バス(市内中心部限定)も乗れる1日乗車券は700円で販売しており,若松市内の観光名所をひと通り巡りたいのであれば,1日乗車券を購入してハイカラさんを乗り継いでいけば,大抵の見所は観光することができる.
運行ルートは左回りの1方向運行(運行当初は両方向だったが,現在は本数を増やして1方向運行に変更されている)で,午前8時~18時頃まで30分間隔,朝夕は東山温泉も経由して走る.(現在の右回り運行は赤色の「あかべえ」で運行されている.)

「ハイカラさんのりば」では多くの観光客が並んでいる

ボンネットバスが整備中のときに走る中型バスタイプの周遊バス
このバスでも満席になるので,ちいさなボンネットバスでは
満員で乗りきれない時もあるのではないかと思う

1日乗車券は,駅前にある会津バス観光案内所で購入できる

ハイカラさん車内
コンパクトなつくりである
【公共交通案内】
●まちなか周遊バス「ハイカラさん」 若松駅→大町四つ角→七日町→野口英世青春通り→市役所→鶴ヶ城→県立博物館→御薬園→武家屋敷→(東山温泉)→慶山→飯盛山→若松駅(逆回りは「あかべえ」で運行.8時~18時頃.30分間隔)

会津若松駅バスターミナル(高速バス)【会津考察#5】

Aizu wakamatsu station Bus terminal


駅前にあるバスターミナル

 


 会津地方では,会津乗合自動車がバス事業を行っており,地元では「会津バス」と呼ばれている.高速バスや長距離路線バスは,駅前交差点を渡ったバスターミナルから発車する.「市内循環線」や「神明通り・米代」,「まちなか周遊バスハイカラさん」は,駅前バスのりばからの発車となる.高速バスの歴史はそれほど古くなく,磐越自動車道が開通したあとの1996(平成8)年に,それまで特急バスとして国道49号線を走っていた郡山・いわきとを結ぶ路線を高速バスとしたのが始まりで,東京新宿行きは1999(平成11)年より運行され,現在は,東京新宿・仙台・郡山・いわき・福島・新潟・野沢とを結ぶネットワークが形成されている.会津バスの路線バスは,前乗り前降りで乗降口が前1カ所のみなので,乗るときは降りる人が終わってから乗車することになる.
なお,福島県民は「会津若松」のことを,会津を付けずに「若松」と呼ぶ.バスの行き先案内板も「若松駅」と表示されているが,「若松駅」=「会津若松駅」のことなのでご安心を.
福島県高速バスネットワーク(時刻表リンク)一覧

会津若松駅とバスターミナルの途中にある「会津バス観光案内所」
バスに関する情報はここで集めることができる.バス1日乗車券はここで購入する

駅前バス乗り場
市内1・2・3・4・5・6コース/会津大学・居合団地・松長団地/
飯盛山回り・鶴ヶ城回り循環/神明通り・米代/周遊バスハイカラさん
上記のバスはこちらから発車する

ターミナルの中は冬でも暖かい

高速バスのりばは,ターミナルを裏口から出たところにある

予約不要の高速バスは,行き先別に列をつくって並んでいる

会津バス(前乗り前降り)
 
懐かしの会津バス

テーブルウェアフェスティバル(東京ドーム)【東京考察#214】

The tableware festival in Tokyo Dome


ドラマ「華麗なる一族」のテーブルウェア

 テーブルウェアフェスティバル2007は今年(2007年)で15回目を迎えた「暮らしを彩る器展」である.2007年は2月3日から12日まで東京ドームで開催されており,女性を中心とした入場客で場内は賑わっている.世界各国の華やかなテーブルウェア,洗練された華麗なる彩り,テーブルを飾る様々な食器や雑貨,各個人のコーディネートによるテーブルウェアコンテストなど,興味のある女性にとっては,じっくり見て回ると1日があっという間に過ぎ去って行くに違いない.今回は,テーブルウェアフェスティバルの様子と合わせて,「東京ドーム」をコンベンションホールとして利用している場合を紹介していきたい.

地下鉄後楽園駅側から見た東京ドーム
正面は反対側のJR水道橋駅側となる
1988(昭和63)年に日本初のドーム球場としてオープンした
設計:日建設計・竹中工務店/施工:竹中工務店
 
正面の22番ゲート ちょうどバックネット裏にあたる

中に入る前に荷物チェックがある

ドームには回転扉を通って中に入る
屋根は空気の圧力で支えており,
中の気圧は外の気圧よりも0.3%高い(ビルの1階と9階程度の差)という
中にはいると気圧差の関係でちょっとだけ耳が痛くなる
ただし人体に影響は全くなし


グラウンドの部分を使用して展示が行われる

会場(グランド)へはスタンドの通路を降りて入る
帰りは登らなければならないのでちょっとしんどい
 
なかなかグランドに入る機会はないので
このような視点でドームを歩いているのが不思議
 
ロイヤルコペンハーゲンの食器
毎年創られるイヤーズプレート(テーマ皿)が年代順に全て並べてある

9割は女性客
ただ,デザインなどの感性に触れられるという点では
男女を問わず楽しめる展示である

黒と白を基調にしたテーブルウェア
館内は撮影自由である(ただし三脚等の使用は禁止)
 
会津塗などの漆器や有田焼などの陶器も展示してある
「和」の文化も大切である
 
人工芝は取り払われ,樹脂製のタイルマットが敷かれている
 
各ブースでは世界各国・全国各地の食器や雑貨を展示販売していて
購入することができる.これを見るだけでも時間は過ぎ去る
【テーブルウェア大賞ノミネート作品】
人気の展示コーナーとして,テーブルウェア大賞の出品作品のブースがある
出品者がそれぞれのテーマでコーディネートした作品が並べられ,
食器やテーブルクロスのバランス・色合いなど,結構面白い.
    

ベンチは宅配便の受付場所に

バックネットの部分

ベンチから出入りするところ
よく選手の歩いている映像が映し出されるところ

半日で回りきれなかったときは,
弁当を買ってスタンドのベンチで食べることができる

会津若松駅【会津考察#4】

Aizu wakamatsu station


お城をイメージした会津若松駅

 


 会津若松駅は,1899(明治32)年に岩越鉄道の若松駅として開業し,1917(大正6)年に現在の「会津若松」という名称になった.
郡山と新津を結ぶJR磐越西線をはじめ,只見・小出とを結ぶJR只見線(究極のローカル線で通し運行は1日3本のみ),田島・会津高原尾瀬口とを結ぶ会津鉄道(元国鉄会津線で,会津高原尾瀬口からは野岩鉄道・東武鉄道と接続し,春日部・北千住・浅草へ乗り継ぐことができる)が発着している.
磐越西線は,この駅でスイッチバックする形となっているため,郡山方面と喜多方・新津方面とでは同じ方向に発車する構造となっている.この構造を利用して,2台のSLの同時発車イベントが行われたときもある.駅構内には円形の転車台が現役で車庫として活躍しているため,磐越西線ではSL運行が可能となっており,時々SLの勇姿を眺めることができる.線路沿線にカメラマンが多くいるときは,SLが運行されている日である.運行されている日には,SLの汽笛が会津盆地に響き渡っている.(SLの汽笛は,結構遠くまで聞こえる)
現在の駅舎は,鶴ヶ城の改修に併せて,お城をイメージしたデザインにリニューアル(2001(平成13)年)された.発車メロディは,「AIZUその名の情熱」が流れている.

磐越西線はスイッチバック式なため,串刺し式で終点となる
電車は磐越西線専用の455系電車
新幹線開通前は「急行ばんだい号」として活躍していたもの
(平成19年7月より車両が変更となり,今は走っていない)
NTT東日本-福島より提供されている駅構内ライブ映像はこちら

1番線ホーム
特急あいづ号はここから発車していた

改札口では「あかべぇ」と大きな「起きあがり小坊師」がお出迎え

改札口も赤く塗られている
 
改札口を出ると,目の前に観光案内所がある
 
観光案内所の隣にはパンフレットが数多く置かれている.
会津若松市のみならず全会津の観光パンフが置かれているので,
旅行者はここで情報収集することができる

銘品館では会津のおみやげを買える

一會庵では,会津の郷土料理を食べることができる
 
待合室の奥には,立ち食いソバ屋の「立ちあおい」がある
右は「にしん天そば」.お金がなくて会津の郷土料理を食べたいときは,これに限る.
この立ち食いソバ屋には,中高生へのコロッケ1個サービスの得点がある.

もちろん駅レンタカーもある
 
駅前にある白虎隊士の像
記念撮影をする人が多い


改修前の会津若松駅
看板が多くて雑然とした感じだった
昔