小石川植物園(白山)【東京考察#208】

Koishikawa Botanical Garden


入口


 都心にこれほどまでの「森」があったとは驚きである.
小石川植物園は,「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」というのが正式名称で,東大の付属機関なのである.もとは五代将軍の徳川綱吉の別邸だったところを,江戸幕府が小石川御薬園として薬になる植物を育てるようになったのがはじまりで,明治に入ってから東京帝国大学の付属施設となって植物学研究所として一般に公開されるようになったものである.日本最古の植物園であり,面積約16万m2,東京都指定の旧跡となっている.園内は,都内のコンクリートジャングルからは想像も出来ないほどの大きな樹木や木々の茂みがあって,また普段あまり見ることのできない植物が見られることから,さながら本物の植物図鑑を観察しているようである.都会の喧噪がいやになって緑が見たくなったときには,とても心が落ち着く場所である.

入場券(330円)は入口向かいの
昔ながらの「タバコ屋」で買うところが面白い.

園内はかなり広い.入口は一カ所(白山2丁目)しかない.
 
ソテツも見られる(左).
植物にはプレートで名前が記載されているので分かりやすい.

「ただの草」に見えてしまうが,当然ながら1つ1つに名前がある.

木漏れ日の中を・・・
 
日本庭園があって,そこから背後に広がる樹林の迫力は圧巻である.
 
日本庭園の隣りにある「東京大学総合研究博物館小石川分館」
旧東京医学校本館で1876年完成の建物であり,国の重要文化財に指定されている.
当初は東大構内にあったが,1969年に移築再建されたもの.
一般公開されているので中に入ることが出来るが,
一旦,出口専用の門から植物園の外に出てからでないと入れない.
(一度,外に出てしまうと,外の道路で入口まで戻らなければ再び入れない)
 
都心とは思えない

「精子発見六十周年記念」 イチョウの話である

温室もあるが,温室の一般公開は限られている.
原則毎週火・水曜の午後1~3時までのみ(祝日は入れない)
 
休み処(売店)もあって,ソフトクリームが食べられる
 
「分類標本園」
植物の多様性が理解しやすいようにと,
東アジアの高等植物約500種をズラズラと
分類体系に従って配列(植栽)しているもの
なかなか面白い.学術的な展示である.

「薬園保存園」
こちらは,御薬園時代の薬用植物約120種を栽培している
地下鉄の駅からはちょっと離れているので,
都バス上60系統 大塚駅-上野公園 白山2丁目下車が便利である

 

ハッピーロード尾山台【東京考察#207】

Happy load Oyamadai


環八側からみた商店街


 二子玉川と自由が丘の街に挟まれて,東急文化の香りが漂うこじんまりとした上品な商店街が「ハッピーロード尾山台」である.尾山台商栄会商店街という名称が組合の正式名称となっている.東急大井町線の尾山台駅から環状八号線にかけて,緩やかな坂が一直線に続く商店街で,平成元(1989)年に現在のような石畳のブロックが敷かれた道路となった.この石畳ブロック,特に車道の石畳は敷設当時はハイヒールの「かかと」が挟まって女性にとっては歩きにくいとの評判が多かった.でも,その後も取り壊されることはなかったので,今では商店街に溶け込んでいる.まるで,ヨーロッパの中世の都市のようだ.
これと言って特徴があるわけではないが,周辺は芸能人や著名人が多く住む等々力・尾山台の高級な住宅街であることもあり,下町の雑多な商店街というよりは,上品な雰囲気が漂う落ち着いた商店街となっている.落ち着きのあるちょっと高級な,でも生活感のある雰囲気を,まったりと味わいたいのなら一度歩いてみることをお奨めする.隣の等々力駅の近くには「等々力渓谷」などもあるので,その帰りにでも寄ってみるのも良い.自由が丘や二子玉川からも電車で数駅で近い.尾山台駅から商店街を抜け環八を越えてまっすぐ行くと,東急グループ五島育英会の私立東京都市大学(旧武蔵工業大学)があり,さらにまっすぐ行くと多摩川土手となって,川の向こう側は神奈川県川崎市となる.
ちなみに,商店街の駅を背にして道路右側は「等々力1・2丁目」,道路左側が「尾山台2・3丁目」となっている.午後4時から6時までは歩行者天国となる.

尾山台駅
踏切があって,改札がそれぞれのホームの端にある
いかにも私鉄の小さな駅といった感じである

駅側から見たハッピーロード尾山台
 
歩道

車道はこんな感じ

オシャレな店構えが多い中,
このような昔ながらの豆腐店もある

中華料理「娘娘」
呼び方は「ニャンニャン」
大学の通学路となっているので,ラーメン店も多い

喧噪から離れて,品のある独特な雰囲気である

ナチュラルローソンもある
美容と健康をサポートする品揃えのローソンだとか
自然派志向の商品が並べられている
この店の商品は,全て店内左の机で食べることが出来る

やっぱり,「オーボンヴュータン」は外せない
フランス菓子の店 非常に有名である
ケーキは店内カウンターで食べることもできる
 
というわけでケーキを食べてきた
コーヒーはエスプレッソで,ミルクはついてこない
ケーキにナイフとフォークがついてきた!(右)
とにかく味の融和が素晴らしいケーキである

乙女ロード(東池袋)【東京考察#206】

The Otome load


マンションの1階などにテナントとして入る
アニメ・同人誌ショップ


 最近なにかと話題になる「乙女ロード」であり,東京を紹介するガイドブックにも紹介されるようになっている場所である.しかし,初めてここにやってくると,「えっ,いったい何処が乙女ロードなの?」と気づかないことが多い.「ここが乙女ロードだ!」といった存在感がないのである.でも,こっそりと,そして脈々と存在しているところが,この乙女ロードを象徴しているように感じる.
「乙女ロード」と呼ばれるところには,主に女性向けアニメや同人系ショップが数軒建ち並んでおり,休日になるとアニメや同人誌を求めて,女性のみならず男性も訪れる地区である.サンシャイン60の西側にあり,トヨタのアムラックス展示場の隣りにある.秋葉原や中野ブロードウエイと並び,現代のオタク文化を感じることのできる場所である.

狭い路地裏といった感じではなく,
広い道路沿いの開放的な空間である.
 
アニメショップや同人誌ショップが建ち並んでいる
 
こちらはビル丸ごとアニメショップとなっている
各フロアー毎に「青年系」「少女系」「少年系」「キャラクター」などと分野が違っている

明治生命館【東京考察#205】

The Meiji Life Insurance Co. building


背後に「丸の内マイプラザ」が建った
明治生命館


 明治生命館は,1934(昭和9)年に完成した洋風建築物である.昭和に建てられた建物としては初めて1997(平成9)年に国の重要文化財に指定されている.主なデザインは古典主義様式でまとめられており,圧巻なのは5階までを貫いているコリント式の柱が建ち並んでいる外観である.戦時中は館内の金属の多くが供出され,戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による接収が行われ,1956(昭和31)年にアメリカ軍から返還されるまで,対日理事会が現存する会議室で行われていた.(参考までに,マッカーサーがGHQ本部を置いたのはここではなく,近くの第一生命館である) その後,2001(平成13)年からのリニューアル工事によって,隣接する30階建ての明治安田生命ビルの完成(2004年)とあわせて「丸の内マイプラザ」として一体的な開発が行われ,古き良き建物を可能な限り忠実に残して「明治生命館」は残り続けている.
ちなみに,明治生命は明治以降の丸の内地区の開発を行ってきた旧三菱財閥グループであるが,2004年1月に旧安田財閥グループの安田生命と合併し,明治安田生命保険相互会社となっている.しかし,この建物の名称は「明治安田生命館」とせず,「明治生命館」としているところに,三菱グループの譲れない心の魂みたいなものを感じる.
この明治生命館は,土曜日と日曜日の11時から17時まで,入場無料で一般公開されている.

コリント式列柱の建ち並ぶ外観
目の前に国道1号・日比谷通りが走る
写真の裏手には皇居のお堀がある
 
重厚のある外観である.
ランタン型の照明器具も渋い

入口の文字が「館命生治明」となっている

土日のみ,見学コースが設けられて会議室などに入ることができる.
入場無料.
 
「エレベータで2階へ」との警備員さんの指示により受付のある2階へと向かった.
エレベータは東洋オーチス(現日本オーチス)社製のクラシックなもの
1階ホールにあるシグナルコントロール盤は貴重な操作盤だとか.
つまり1階の操作盤で呼ボタンに応じて3台の籠を運転管理していた.

受付でバッチをもらって見学者ルートへ
電球の明かりが,ほんのりと暖かい感じである
 
2階から1階までは吹き抜けとなっており,
1階は明治安田生命の「丸の内お客様ご相談センター」となっている.
平日は,ここがお客様との相談窓口となる
大理石がふんだんに使用されている

GHQ接収時代に,米・英・中・ソの4カ国代表による
対日理事会が開催された会議室
最高司令官のマッカーサーもこの部屋で会議に参加した

応接室
 
食堂.右の写真は食事を運ぶ配膳用のリフトらしい.

1階は,お客様ご相談センターとなっている.

 
東京駅丸の内口近く(三菱ビル)から無料巡回バスでくることもできる
丸の内マイプラザで下車.バスは15分間隔.
日の丸自動車興業㈱で運行

戸山公園(箱根山地区)【東京考察#204】

Toyama park (Hakoneyama area)


戸山公園の散策路


 戸山公園は,昭和29年に開園した面積約18万m2(両地区合計)の都立公園であり,明治通りを挟んで大久保地区と箱根山地区に分けられている.箱根山地区は,山手線内で最も標高の高い「箱根山」(標高44.6m)があり,ちょっとした登山(というほどの標高ではないが)を味わうことができる.江戸時代に尾張藩の徳川光友が東海道五十三次に似せてつくったという池泉回遊式の戸山荘庭園があり,その中心にあった築山が現在の箱根山となっているのである.
また,箱根山の麓は明治6年から終戦まで陸軍兵学校や軍医学校などの軍施設があったことでも有名で,戸山といえば陸軍というイメージを持つ年配の方も多い.その陸軍施設のひとつである「旧陸軍軍医学校防疫研究室」も設置されていた(現在は国立感染症研究所となっている)が,ここでは細菌兵器を造るための人体実験を行っていたらしく,1989年には頭と腰の人骨だけが不自然な形で約100体ほど発見され,過去の凄惨な歴史を感じる場所でもある.そんなことからなのか,心霊スポットとしても話題の多い公園である.
戸山公園へは,都バスだと池86系統の池袋駅東口-新宿追分-渋谷駅に乗車して大久保通り停留所で下車,地下鉄では都営大江戸線東新宿駅または東西線早稲田駅で下車が便利である.

公園そのものは不思議な形をしている
公園の周りは都営戸山ハイツアパートに囲まれている
つまり,戸山ハイツに囲まれたグルーピングの中に公園がある感じ
 
公園のようす.右の写真はいきいき広場

近くの早稲田大学の空手部は,
公園のスペースを使って練習「気合い!」を入れている

花を育てる「花の広場」

スポーツ広場ではキャッチボールなどをしている

せせらぎもある

「箱根山-陸軍戸山學校址」と刻まれている
 
箱根山頂上への登山口
といってもすぐに頂上となる

頂上からの景色
夏は葉が生い茂り,遠くは何も見えない

戸山教会の下階に残っている遺跡.
周囲には説明の看板など全く立っておらず,
樹木の茂みの中にひっそりと佇む様子はかえって不気味なのであるが,
これは,終戦まで使われていた陸軍戸山学校将校の集会所だったと伝えられている.
公のガイドブックなどではほとんど紹介されていない遺跡である.
 
周囲は都営戸山ハイツアパートで囲まれている
もともと「戸山ハイツ」と言えば,米軍の兵舎払い下げ資材で昭和24(1949)年に建てられた
約1000戸の都営木造アパートのことで団地開発の元祖ともいわれた.
今の都営アパートは昭和45年から鉄筋コンクリート造りに建て替えられたものである.

都心の団地商店街でもシャッター化が進んでいる

思い出横丁・やきとり横丁(新宿西口)【東京考察#203】

The remembrance alley and the grilled chicken alley (Shinjuku West)


思い出横丁入口


 新宿駅西口と青梅街道との間にJR線路際に広がる闇市的な雰囲気の飲食街が「思い出横丁」と「やきとり横丁」である.新宿西口商店街となっており約80店舗で構成されている.新宿ゴールデン街と雰囲気は似ているが,こちらの方はバーやスナック街というよりは,カウンターで定食などの定食とやきとりとビールでちょっと1杯といった感じの店が連なっている.新宿ゴールデン街といい,思い出横丁といい,戦後の新宿マーケットの闇市を彷彿させる雰囲気が十分残っている貴重な空間でもある.
いまだに再開発されなかったのは,この雰囲気の場所で営業を続けたいという店主の強い思いがあり,なかなかまとまらなかったという経緯がある.しかし,平成11年の火災をきっかけとして,店主たちの意見が賛成へと傾いていき,再開発ビルの準備組合の設立となり,この雰囲気を残した新たな計画が進められている.

狭い路地にはやきとりのにおいが漂っている
定食などを食べられる店もある

食堂では懐かしの味が味わえる
 
なんかビールが飲みたくなってきた!

トイレは共同のようで,
迷路のような路地を歩いてたどり着くことができる
 
やきとり横丁は,思い出横丁の隣りにあって
JR線路に沿って建ち並んでいる.
東口のアルタ前とつなぐ地下歩道ガード下への入口がある.

青梅街道の新大ガード西交差点にある入口
決して入りづらい雰囲気ではない

日が暮れるとこんな感じ

西口から出て青梅街道に歩いていくと
アーケードに案内看板が出ている.

昼の新宿ゴールデン街【東京考察#202】

Shinjuku Golden town at noon


新宿ゴールデン街


 戦後マーケットの露天街の雰囲気がそのまま残る飲屋街が新宿ゴールデン街である.新宿区役所と花園神社に挟まれた区域に存在している.昭和24年に,屋台による飲み屋街の移転命令を受けて現在の歌舞伎町1丁目に移ってきたのが始まりで,昭和33年の売春禁止法が制定されるまでは「青線」地帯として賑わっていた.その後,青線の廃止によって飲み屋やバーの連なる地域として再出発していき,昭和40年頃にゴールデン街という名称が生まれたという.全盛期には200軒程度あった店だが,今は150軒程度になっている.
一般的に新宿ゴールデン街と呼ばれている地域は,南側の新宿ゴールデン街商業組合による「新宿ゴールデン街」と,北側の新宿三光商店街振興組合による「花園街」から成り立っている.串刺しに6本の細い道路が走っており,4店程度が1つの建物となる長屋がびっしりと建ち並んでいる.かつては,やくざや暴力団が支配する怖い街・常連さんだけの飲屋街などといったイメージがあったが,最近は若い人が店を経営しているところもあり,世代交代も進んでいることもあって,少しずつ活気を取り戻している.作家や文化人と称する人々が常連として,議論を深めた場所でもある.
夜になると賑わうであろうこの地区の,まだ喧噪前の昼の様子をお届けする.

マップ.小さな店が軒を連ねている.
北側(青色色)が花園街.南側(赤色系)が新宿ゴールデン街.

こちらは花園街.見た目にはどちらも同じ雰囲気.
ただ,花園街の方が,長屋建物の長さが長く,
8店程度が1つの棟となっている.

東京でこのような狭い路地を見られる地域は
少なくなってきた.防災上は問題なんだろうが・・・.
 
これは,集中管理?している「火災受信所」
各店からの火災報知を一括して知らせるシステムらしい.

花園街の北端より撮影
隣りには,バブル期の地上げによって駐車場と化した空き地が広がる
 
靖国通りの交差点からは「四季の路」の遊歩道が整備されている.
ここはかつて都電の線路が走っていたところ.
昔は店の裏側で都電の走りゆく音が聞こえたのだろう.
ゴールデン街へはここから入っていくと行きやすい.

長屋と長屋の間にある路地
すれ違うのがやっとの幅である.

 

東京ドームシティ(後楽園)【東京考察#201】

Tokyo Dome city


JR水道橋駅から通じる入口


 東京ドームを中心として㈱東京ドームが運営する一連の施設を東京ドームシティと呼んでいる.平成12(2000)年よりこのような名称に変更し,ホテルなどの開業によって今までの後楽園のイメージを一新している.東京ドームをはじめ,かつての後楽園ゆうえんちだった「東京ドームシティアトラクションズ」,東京ドームホテル,フィットネスクラブや天然温泉のある「ラクーア」,昔からおなじみのJRA・WINS(場外馬券場)・ボーリング場のある黄色いビル,ボクシングやプロレス・笑点が収録されている後楽園ホールのある青いビルなどが,JR水道橋駅前に広がっている.
かつて後楽園球場(ドームが完成する前の球場)があったとき,旧後楽園ゆうえんちの傘が開いてゴンドラが落下する乗り物・パラシュートにのると,ちょっとの時間であるが巨人戦の球場のグラウンドを外から見ることができて,子供ごころに嬉しく思った想い出がある.当時は,松本・篠塚・原・クロマティ・中畑・吉村・・・といったメンバーだった(懐かしい).

2000(平成12)年にオープンした東京ドームホテル

旧後楽園ゆうえんちのアトラクションズ

都心の遊園地なので狭隘な空間に
スリルあるマシンが設置してある
 
後楽園といえば「WINS」である
 
黄色いビルは,そのまんま「黄」色に塗られたビルである
 
東京ドームはメインの施設である

ベースボールショップを見ると球場に来たなと思う
メガホンと背番号シール(黒と白がある,これを重ねて貼ると
影が出来てかっこよかった)をよく買ったっけ!
後楽園球場時代は紙吹雪もOKで,
新聞紙を切り刻んで持っていき,
ホームランが出るたびに周りの人に配って大はしゃぎしていた.

東京ドームホテルと「パラシュート」

芝東照宮【東京考察#200】

Siba Toshoguu


芝にも東照宮がある

 


 記念すべき東京考察No.200号は,今の東京の基礎を江戸文化で築いた徳川家康を祀った神社となった.
東照宮とは徳川家康を祀った神社のことである.ここ芝の東照宮は,もともと増上寺内の安国殿にあったが明治初期の神仏分離によって現在の場所に移ったものである.現社殿は戦災で焼失したのちの昭和44年に再建されたものである.東照宮創建時に徳川3代将軍家光が植えたという「手植え」の大きなイチョウが社殿の右側に存在している(写真なし).

社殿

日本文化である

芝公園【東京考察#199】

Siba Park


芝公園(南側)


 芝公園の案内図を見てみると,不思議な形のした公園であることがわかる.もともとは,中心にある増上寺も含めた区域が芝公園であったが,戦後の政教分離政策によって境内の部分が除かれて,現在のような環状の公園になったのである.日本で最も古い公園のひとつで,明治6年に開園し,ケヤキやイチョウなどの大木が見られる.施設としては野球場とテニスコートもあるが,明治35年に備えられたものであり,東京における公園に運動施設を設けるといったことの始まりだという.
また,園内には芝丸山古墳もあり,都内最大級の規模をもつ前方後円墳である.
なお,お送りする写真は古墳のある南側部分のみの撮影とした.気温が35度近くあり暑すぎて回りきれなかった!

芝公園の案内図
増上寺を囲むようにして緑色の公園が配されている

ちょっとした庭風なところもある

古墳に抜ける山道 木陰にはいると涼しくなる

都心で緑の中を歩くとほっとする

円山稲荷大明神
増上寺が移ってきたときに本尊を守護するために
桑名から江戸までお供されたいわれによる

芝丸山古墳
ぱっと見ただけでは「ただの山」である
原形はかなり削られてしまっており,
5世紀前半の築造といわれている
遺体や副葬品なども不明.南武蔵の統一的な首長の墳墓とされている

急な石段で登っていくことができる
ちょっとした都心のハイキング

上は広場になっている

いろいろな撮影が行われるためか
営利目的に映像を無断で撮影することを禁止する看板が立っている
恐らく公序不良ビデオを撮影するのを禁止しているのだろうと思われるが・・・

増上寺【東京考察#198】

Zojo-temple


背景に東京タワーが写る増上寺


 増上寺は浄土宗の七大本山のひとつで,上野の寛永寺とともに徳川家康の菩提寺として有名であり,徳川将軍家の墓所もある.徳川家の霊廟は戦災時に焼失してしまい,現在の大本堂も1974(昭和49)年に整備されたものである.三門や黒門などは焼失をまのがれた施設である.
現在は芝公園にぐるりと囲まれるように増上寺が存在している.昔は増上寺も含めて芝公園と言っていたが,戦後の政教分離によって境内の部分が除かれて,今のような形態となった.東京タワーが近くにあることから,外国人観光客の姿もよく見かけることができる.

芝大門 門の下には車が通っている

三門

水盤舎 手などを洗うところ

ブッシュ槙
米国第41代ブッシュ大統領が副大統領の時(昭和57年),
来日した際に参詣し植樹したという木
 
大殿
中に入ることが出来る

大梵鐘
徳川家綱の命により奥方のかんざしなどの寄付を集めて
江戸で初めてつくられた鐘だとか

増上寺会館 寺務所

東京タワーはこんなに近い
大殿の裏には,徳川将軍家墓所がある
(扉があって中には入れない)

赤坂料亭「金龍」の建物内【東京考察#197】

Akasaka Japanese-style restaurant ” Kinryuu ” building


金龍の床の間


 赤坂にあった料亭「金龍」は,政界や著名人によく使われた高級料亭である.おそらく一見さんはお断りの店であったであろう.時代の流れにより,派閥接待や料亭遊びが減少していったこともあり,ついにこの金龍も閉鎖を余儀なくされることになった.夜になると店の前にはVIP用の黒塗りの車とボディーガード兼警備員が物々しく集まっており,赤坂を代表する光景でもあった.閉鎖された金龍の建物は,日本の伝統的数寄屋建築の近代化に努め,近代数寄屋を開拓した建築家吉田五十八先生の息のかかった芸術的建築物であり,非常に価値ある建物なのであるが,取り壊しが決定されており,店主のお計らいによって最後に若手人気陶芸家の展覧会が開かれた.その展覧会の模様と一般人!?は入ることのできなかった料亭建物の内部を公開する.
なお,閉店当時は建物を取り壊して一部を移転保存するとのことであったが,建物をそのまま活用し,料亭ではなくレストランパブ「赤坂金龍」として2009(平成21)年に再オープンすることとなった.


【いただいたメールの内容】
当店記載有難うございます。日本の文化を継承していきたく頑張ってまいりましたが、この度金龍を閉店致しました。
しかし、日本の伝統的数寄屋建築の近代化に努め,近代数寄屋を開拓した建築家吉田五十八先生の息のかかった芸術的建築物を壊すには忍びなく、最後に芸大出身の前田正博先生 百田輝先生 川松弘美先生など若手人気陶芸陶芸家12名の展覧会を2006年6月23日より6月30日まで、金龍にて開催致したく考えております。
この機会に出来るだけ沢山の方々に近代陶芸の美と新興数奇屋の美をお楽しみ頂ければ、幸いと考えております。是非よろしくお願いいたします。



金龍の正面

入口

玄関部分

奥に続く廊下

1階奥の部屋 窓の外には日本庭園

同じく1階の部屋
 
男子便所
手を洗うところが珍しい

時代を感じさせる電灯スイッチ

窓の格子が横になったり縦になったりといった
デザインが珍しいとか

2階の奥の部屋

竹細工の椅子が置かれている

居心地のいい空間である

長嶋監督が1年で監督解任となったとき
監督とオーナーが会談した部屋だとか

2階の大広間

陶芸家の紹介が障子のしきり扉?(なんて言うのか)に貼られている

サロンルーム
 
階段を降りる

葛西臨海公園【東京考察#196】

Tokyo Metropolitan Kasai Rinkai Sea Life Park


葛西臨海公園内


 葛西臨海公園は,臨海部の自然環境をふんだんに取り入れて造られた公園で,平成元年6月にオープン,面積約80ha,東京都によって整備された公園である.水族園あり,鳥類園あり,人工なぎさあり,大観覧車あり,芝生公園あり,バーベキュー広場ありと,家族連れでゆったりと自然環境を満喫できるオープンスペースである.休日になると家族連れなどで大変賑わう.

JR京葉線の葛西臨海公園駅前にある噴水広場

駅前交番では子供達に白バイの試乗会をやっていた

駅から公園へつづく道

バーベキュー広場もある

仲間とのんびり・わいわいと過ごせる公園である

園内を走る「なのはな号」

東京湾が広がる
海沿いは風が強くて冷たい

橋を渡って,人工なぎさに行くことが出来る

東なぎさ
左手に小さく見えるビル群は
東京ディズニーリゾートのホテル郡

足洗い場もある

ガラス張りの建物である
「展望レストハウス・クリスタルビュー」

鳥類園

水族園入口(紹介はまた別の機会に)

アムステルダムの風景1[アムステルダム&ブリュッセル+パリの旅行記#1]

アムステルダム,ブリュッセル,そしてパリへ.あこがれのヨーロッパ大陸へ旅立った.自由な気風の漂うオランダのアムステルダム,EU本部のあるヨーロッパの首都として新しい風の吹くベルギーのブリュッセル,そして超特急タリスに乗って,世界各国から観光客が訪れる花の都フランス・パリ.それぞれの地でヨーロッパの感性を受けてきた.そんな旅の世界へ,皆さまをご案内いたします.

(旅行年月2006年6月)


飛行機の機内食

アムステルダムの前に,ちょっと機内食.ちょうどワールドカップドイツ大会が開催されているときであり,サポーティングカンパニーとなっている日本航空では,成田空港の係員がブルーのシャツを着て応対し,ロビーや機内では日本の試合結果の放送が流され,カップにはサムライブルーの文字が刻み込まれていた.結果的に残念な結果であったが,ヨーロッパでもワールドカップは盛り上がっていた.

今回の旅行は,アムステルダムでゲートインし,鉄道を使ってパリに移動してシャルルドゴール空港からゲートアウトするオープンジョーの行程を組みたかったので,日本航空のJAL悟空(PEX運賃)を使った.多少は値段が高いが,往復とも直行便が使えるし,時間が有効になって現地の滞在時間も増やせるし,日本の航空会社の安心感もあるしで,PEX運賃でもメリットがあった.

カメラがとらえた画像

エコノミークラスでも前シートの背もたれに各個人ごとに液晶モニターがついていて,外のカメラ映像を見ることができた.これはちょうどシベリア上空の北極圏を航行しているときの真下の映像で,白い模様が面白いので撮ってみた.山の谷(渓谷)の部分に残っている雪のようで,このような幾何学的な模様となって見えているのであった.上の方の白い雲みたいな部分は,水が凍っている映像らしい.

スキポール空港

12時間のフライトで到着したスキポール空港.日本航空のヨーロッパ直行便は,イギリス・ロンドン,フランス・パリ,ドイツ・フランクフルト,そしてオランダ・アムステルダムの4路線が設定されている.スキポール空港は近代的で大きな空港で,ここからヨーロッパ各地へのトランジットとしても利用される.

入国審査は驚くほど簡単で,パスポートをちょっと見ただけで終わり.帰りの航空券の提示も求められず,スタンプさえも押してくれなかったので,なんだか物足りない感じである.多くの移民を受け入れてきたオランダの気風を感じる.

アムステルダム中央駅

アムステルダム中央駅.ホテルが駅前にあったので,さっそく中央駅に行ってみた.東京駅丸ノ内口赤煉瓦駅舎のモデルとなったと言われ,1889年に完成している.ヨーロッパの駅には改札口はなく,切符の検札は車内で行うことになっているため,ホームまで自由に入っていくことが出来る.線路を大きなアーチで覆うホームを見ると,ヨーロッパに来たなと思わせる光景である.このときの時刻は夜の8時であるが,日本の感覚ではまだ午後4時頃の明るさである.緯度が高く,サマータイムを実施しているアムステルダムでは,夜10時過ぎまで空が明るい.

「夜」のダムラック通り

中央駅からダム広場にかけて続く「ダムラック」と呼ばれる大通り.アムステルダムという名前は,アムステル川を堰き止めてダムを造って人々が住み始めたことから付けられた.ダムラックには商店や土産物店,ビールを飲む店などが建ち並び,最も賑わいのある通りのひとつであり,色々なところから集まってきた若者らによって賑わっている.夜8時過ぎでも,気温がまだ30度近くあり,アムステルダムの若者達は暑くなると,すぐ服を脱いで街を闊歩していく.僕も近くのオープンカフェに入って,オランダビール・ハイネケンを注文して夜を過ごした.

自転車王国

アムステルダムは運河が多く張り巡らされている街であり,坂がないこともあってか,非常に自転車を利用する人が多い.オランダの政策として,1990年に策定された交通総合計画により,車道内への自転車レーンの設置や,5km以内の移動は自転車の移動を推奨するようにしている.これは,この計画の中で2005年までに中心部の自動車交通を30%削減するように定めていたためで,国をあげてアムステルダム中心部の自動車削減と歩行者空間の創出を行っているのである.(参考文献:西村幸格・服部重敬著,「都市と路面公共交通」,学芸出版社,2000)

左の写真はダムラック通りの片側車道を潰して,歩道と自転車道を拡幅した区間である.このように自転車専用道を積極的に造っていき,歩道を整備していった結果,街中には人々が戻ってきて賑わいが蘇ってきたとのことである.

右の写真はマウンドアップ(段差をつけること)によって,車道と自転車道と歩道の3段の道路構成になっているもので,一番左に車が止まっているところが車道であり,1段の段差がついて自転車道となり,さらに1段の段差があって歩道となっている.

自転車道に立ち入って「ぼけっ」と歩いていると,容赦なく「チャリン・チャリン!」とベルを鳴らされて,にらみつけられるので注意が必要である.僕も慣れるまで2~3回ベルを鳴らされた.自転車道と歩道との区別がペンキなどで明確に記されているのではなく,段差やちょっとした色違いのブロックを使うことによって区分けされているので,なおさら観光客にとっては判りづらいのであるが,これは景観に配慮してのことであり,このように目立たなく区分けして,それに違和感なく自然に順応しているアムステルダムの人々を見て,逆に感動した.

ミュージアム広場のオープンスペース

ミュージアム広場では,子供達が芝生の上でサッカーをしている.背景に写っている建物は国立ミュージアムで,レンブラントの『夜警』やフェルメールの絵画などが展示してある.残念ながら,夜警は展示してなくて見ることが出来なかった.

アムステルダムでは,I amsterdamとのキャッチフレーズが観光パンフレットなどに書かれていた.私はアムステルダムです,という帰属意識向上なのか.

アムステルダムの風景2[アムステルダム&ブリュッセル+パリの旅行記#2]

アムステルダムの運河

アムステルダムには,165の運河と1300程度の橋があるという.地図を見てみると,中央駅から扇状に運河が張り巡らされていることに気づく.アムステルダムは港町として発達し,17世紀には世界初の東インド会社の本拠地が置かれ,自由な貿易都市として繁栄していた.

アムステルダムの地図はこのとおり.

キャナルバス(Canal Bus)

その運河には水上バス(キャナルバス)が走っている.いくつかのコースがあるが,だいたい1時間半程度でぐるりと一周して戻ってくることが出来る.途中には桟橋があって,好きなところで降りて観光することもできるので,美術館などの観光施設と組み合わせて利用すると良い.
市内のトラム・バス・地下鉄,そしてこの水上バスに乗り放題の1日乗車券「オール・アムステルダム・トランスポート・パス(ALL AMSTERDAM TRANSPORT PASS)」が23ユーロで販売されている.購入は駅前の観光案内所でできる.このパスには,水上バスとトラム・地下鉄のチケットが別々に入っているので,それぞれ利用するときにチケットを見せることになる(トラムについては,「トラムの走る街」を参照).

水上バスからの眺め

水上バスに乗ると,また違った視点からアムステルダムの街を眺めることが出来る.1枚目の写真は,オランダでよく見られる建物のファサードである.1つの建物で3枚くらいの窓が並んで細長い高さになっている.家具などは1階から階段を使って上階に上げるのではなく,最上部からちょこっと梁が出っ張っているところにフックが取り付けられており,これを利用して窓からいれるようになっているらしい.(今もこれを利用しているのか,ちょっと詳細は不明)2枚目の写真は,よく見られる跳ね上げ式の橋である.街中,いたるところにこのような橋がある.3枚目の写真は,レーンごとになっている門のようなところ.目的は?4枚目の写真は,水上ボートで生活をしている人の舟.このように運河の縁にハウスボートを浮かべて生活している人が結構多い.

シンゲル運河沿いの小径

ライツェ通りからシンゲル運河沿いの道に入り,ムント広場に向かって歩いた.小道にはオープンカフェや花屋・小物を売る店が並んでおり,ブラブラ歩いているのも楽しい.

コーヒーショップ

アムステルダムの街を歩いていると,コーヒーショップに出くわすことがある.これが「コーヒーショップ」.でも,なんだか店構えが怪しい!? ここはコーヒーや紅茶を飲むところではなく,マリファナやハッシシなどのソフトドラッグを吸うための喫茶店なのである.オランダでは売春や安楽死は合法化され,麻薬は合法ではないがソフトドラッグであれば実質黙認という形をとっている.「自由と寛容」を受け入れるオランダらしい光景である.ヘロインやコカインなどのハードドラッグは厳しく罰せられる.
コーヒーショップでも,お客に対してマリファナなどを勧めてはいけないという決まりがあるらしく,店に入っても自分から注文しないと勧めることがないらしい.コーヒーが飲みたいときは,「コーヒーショップ」ではなく「カフェ」に行かなければならない.お間違えなく.

ダム広場

ダム広場はアムステルダムが街としてスタートしたところで,現在でも賑わいのある中心街である.左の写真は王宮で,現在は迎賓館として使用されている.各地からやってきた観光客などでいつも人で賑わっている.

ダムラックの賑わい

ダム広場から中央駅(写真奥に小さく写っている)にかけて通る「ダムラック」.歩道にはテーブルが置かれ,街並みを眺めながら美味しそうにビールを飲んでいる.そして,トラムが鐘を鳴らしながらゴトゴトと走っていき,自由と寛容を享受する人々の楽しい笑顔が満ちあふれている.もともと歩道はここまで広くなく,1990年代に片側車線を潰して,歩道と自転車道の拡幅を行ってこのようなトランジットモールになった.これによって人々の賑わいが復活したという.

いたるところに自転車

自転車が多く利用されているアムステルダムでは,いたるところの柵に自転車が鍵でくくりつけられている.

「飾り窓」地区

残念ながら,写真はありません.しかし,アムステルダムでは有名な地区なので,ちょっと紹介する.中央駅から旧教会や計量所にかけて,つまりダム広場の東側地区一帯は,飾り窓と呼ばれる地区で,日本で言うところのいわゆる風俗街である.オランダでは売春が2000年に合法化されており,売春婦も正式な職業として位置づけられている.ウインドー越しに女性が誘惑し,お気に入りの女性がいれば交渉して中に入る.カーテンが閉まっていればお取り込み中とのことで,ポルノショップや映画館なども建ち並んでいる.また,レズやゲイにも寛容な地区で,いろんな性風俗の文化がここでは渦巻いているのである.ただし,治安がよいところではないので注意のこと.

トラムの走る街[アムステルダム&ブリュッセル+パリの旅行記#3]

アムステルダムを歩いていて街にとけ込んでいるな,と思えるものに「トラム(路面電車)」がある.近年は,都市部における路面電車が環境に優しいユニバーサルデザインとして注目されるようになっており,ここアムステルダムのトラムも,さまざまな施策を取り入れて,路面電車の維持に力を注いでいる.

アムステルダムの概要
人口 724,000人
都市圏人口 約110万人
市域面積 806km2
人口密度 1,370人/km2

(出典:西村幸格・服部重敬著,「都市と路面公共交通」,学芸出版社,2000)

アムステルダムのトラムや地下鉄・バスは,GVB(Gemeentevervoerbedrijf Amsterdam)と呼ばれる市営交通によって運営されている.

アムステルダムは,積極的に路面電車の近代化を進めた都市のひとつで,1950年代より輸送力が大きくてきついカーブでも曲がれる連接車(車両と車両との間に車輪の台車をもってくる電車)を導入したり,信用による運賃収受方式を取り入れたりしていった.トラムの全車両には,車両の位置が検知できる装置が設置されており,運転手への運行時間の指示と主要停留所での発車時刻の案内が行われている.(参考文献:西村幸格・服部重敬著,「都市と路面公共交通」,学芸出版社,2000)

トラム(路面電車)の概要
路線延長 系統数 運行間隔 旅客数(1997年)
138km 17 5-9分 128.7百万人

(出典:西村幸格・服部重敬著,「都市と路面公共交通」,学芸出版社,2000)

アムステルダム中央駅前のトラム

軌道と歩道は柵などで区切られておらず,触ろうと思えば車体に触ることができる.写真は,信号待ちで停止していたトラムから運転手が降りてきて,故障した(?)ポイントを左手に持っている棒みたいなもので手動で動かして運転席に戻っているところ.

中央駅前のトラム光景

中央駅の乗り場は,駅の出口を出たすぐのところにあって,歩道橋などでホームを移動するのではなく,ひょこっと線路をまたいで隣のホームに行くことができる.トラムの車両も低床式のものが導入されているので,苦労することなく楽に乗降することが可能なユニバーサルデザインの思想となっている.なお,右下の写真はトラムではなくてバスであるが,連接式の車体の長いバスとなっていて珍しかったので撮ってみた.

国立ゴッホ美術館付近(Van Baerlestraat)

 

車道中央にある専用軌道の上を走っていく区間.電車にしては加速減速の能力が高くて,結構運転が荒く感じるが,これくらいの加速性能がないとトロトロしていて,路面電車としての機敏性が発揮されないかも知れない.

トラムの車内と1日乗車券

最新の車両(5両編成)の場合は,電光掲示板の停留所案内なども付けられていて,すっきりとしたデザインとなっている.車両のタイプによって乗り降りの仕方が違っていて,最新式の車両の場合は後ろから2両目に車掌さんが乗っているので,そこからしか乗車することができず,そこで運賃を払ったり回数券に刻印を打ってもらったりする.

旧式の場合(3両編成)は,どこからでも乗り降り自由で,車内にある黄色い刻印機に切符や回数券を通して,日付と時間を刻印して乗車することになる(つまり,これが信用乗車というやつ).ただし,車内検札がたまにあって,このときに無賃乗車をしていると容赦なく罰則金(約40ユーロ)がとられるとのこと.無賃乗車などが多いので,1994年より順次車掌を乗務させるようになってきたとのこと.

チケットは1ゾーンで1.6ユーロ(旧市街地のセントラル地区はほとんどこれでOK)で,1時間以内であれば何度でも乗り降り自由となっている.1日乗車券は6.3ユーロでトラム・地下鉄・バスに乗り降り自由.最初の乗車時に刻印が必要で,刻印時から24時間有効となるので,正確には24時間有効乗車券といったところだろうか.

旧市街地の密集地でもスイスイ走るトラム(Leidse straat)

建物が密集している旧市街地でもトラムはスイスイ走っている.ここはライツェ通り.両側には商店街が建ち並び,人々で賑わっている地区である.

商業空間に溶け込んでいるトラム(Leidse straat)【トランジットモール】

ライツェ(Leidse)通りでは,トラムが走っていないと左の写真のように人や自転車が普通に歩くことの出来る道路となっているが,トラムが鐘を鳴らしながらやってくると,スーッと人々は避けてトラムが走り去ってゆく.本数は結構多くて2~3分間隔でやってくるが,柵などの区分けもなくアムステルダムの人々が,さも当たり前のような顔をしてよけるので,人々と商業空間とトラムとが暗黙のルールの中で共存できているのだなと感じた.

この区間では,建物が迫っているので単線区間となっており,運河の上にかけられた橋の上の停留所だとすれ違うための空間が確保できるからなのか,そこで上下線のすれ違いを行うようになっていた(下図).

どうやって次から次へとやってくるトラムのポイント切り替えや操作を行っているのか疑問になって,よーく線路を観察してみた.その答えが下の写真である.

つまり,ポイントがないのである.単線区間ではレールが4本(通常は2本)敷いてあり,同じ区間なのであるが上りと下りのトラムは平行に敷かれた違うレールの上を走っているのである(ガントレット構造).さすがヨーロッパ!と感動してしまった.ちなみに,ライツェ通りを走るトラムの系統番号は「1」・「2」・「5」番である.

鐘を鳴らしながら走るトラム

アムステルダムのトラムは,発車するときや信号が青になって動き出すときには,たいてい警笛を鳴らしている.この警笛の音色が「鐘」の音なのである.いたるところのトラムから鐘の音が聞こえてくるのである.あじけない無機質な,いかにも「危ない!どけ!」と叫んでいるかのような暴力的な警笛ではなく,教会から聞こえてくる鐘と同じ音色をトラムに付けることによって,歴史との連続性を持たせ,「トラムが通ります!ちょっとだけどいてくださいね」と優しく促しているように感じる.アムステルダムでは音もサスティナブルなのである.

街中あちこちから鐘が鳴り響く街の風景は,空間すべてに配慮しているアムステルダムに,より一層の感動を覚えさせられるものであった.

 

最初に写っているトラムは,すれ違いの為に停留所で停車している.
反対側から鐘を鳴らしてやってきたトラムが停留所に入ると,
線路があいたので,出発して単線区間を鐘を鳴らしながら走り去っていく.

発車時刻を表示する案内板

トラムの全車両には車両の位置が検知できる装置が設置されており,主要な停留所では写真のような系統番号と発車時刻を知らせる案内板がついている.

ダム広場を走るトラム

新しいタイプのトラムは5両編成となっている.写真ではわからないのだが,よく見ていると全部の車両に車輪がついているわけではない.車両の長さを短くして車輪の数を少なくすることによって,狭いカーブのきつい区間でもスイスイ走ることができるようになっており,旧市街地の狭い地域を大量に輸送したい場合の知恵である.

旧タイプのトラム
昔は黄色や赤や広告などに塗られていて,
カラフルな時代もあった .

タリスでブリュッセルへ[アムステルダム&ブリュッセル+パリの旅行記#4]

高速列車「タリス」 ~アムステルダム駅

タリス(Thalys)とは,フランス・ベルギー・オランダ・ドイツの4カ国を結ぶ高速列車で,フランスで開発されたTGVを基本としている超特急列車である.日本で言うところの新幹線である.日本で新幹線が開発(1964年に開業)されてから,ヨーロッパの鉄道王国を誇っていたフランスでは,高速列車の開発が行われるようになり,TGVが初めて開通したのが1981年であった.

現在の高速列車を大別すると,フランス国内を拠点としてネットワークの広がる「TGV」,パリ・ブリュッセル・アムステルダム・ケルンを結ぶ「タリス」,パリ・ブリュッセルとロンドンをユーロトンネルで結ぶ「ユーロスター」,ドイツ国内を走る「ICE」,スペインの「AVE」などがある.

タリスの最高時速は300km/hで,現時点ではフランスTGVとドイツICEとJR西日本新幹線と同じ最高速度となっているが,どの国でも最高時速のアップを目指して鋭意開発中で,いずれ最高速度は更新されていくことになる.ただ,アムステルダムとブリュッセルの区間ではあまりスピードを出している感じはせず,時間も多くかかっていたので,恐らく最高速で走るのはパリ-アムステルダム間であるように感じる.

タリスは1996年1月より運転を開始し,6月にアムステルダムまで延長され,1997年12月にケルンまで運転区間が延長された.

チケット

アムステルダム(オランダ)からブリュッセル(ベルギー)へ,高速列車「タリス」で移動した.ヨーロッパに来たからには,鉄道技術発祥の地である鉄道に乗らないわけにはいかない.(ちなみに,2日後のブリュッセルからパリまでの移動にも同様にタリスで移動した.)

チケットは旅行出発前に旅行代理店のインターネット販売で購入した.せっかくなので,リッチに1等車を予約して優雅な鉄道旅行を楽しんだ.チケット表記の[COACH]とは号車番号のことで,[SEAT NUMBERH]が座席番号のこと.ヨーロッパの駅には改札口がないので,車内の検札でこのチケットを見せることになる.ちなみに,これは国境をまたぐ国際列車なのであるが,パスポートチェックは一切なし,隣の国へ移動しているのに,隣の「県」に移動しているような感覚でEU内は移動できるのであった.

1等車の車内

1等車は2列+1列の3列シートとなっている.そして,真ん中当たりではシートが向かい合わせになってテーブルが置かれており,4人や2人のグループで向かい合わせで座れるようにもなっている.新幹線と決定的に違うのは,全ての椅子が回転しないこと.つまり車両の中央を境に椅子の方向が2方向に分かれていて,半分の人は逆向きに座って移動することになっているのである.日本の新幹線でも初期の頃の3人がけシートは回転できない椅子であったが,今では背もたれリクライニング部を直角にすることによって3人がけのシートでさえも回転できるようにしており,このあたりは日本人の器用で緻密な技術に感心する.

乗り心地は非常に静かである.TGV方式では電気機関車を両端の車両につなげて運転しているので,客車の部分は非常に静かとなっている.

デッキ部分

入口のデッキには,新聞・雑誌や車内誌が置いてあって,自由に見ることができる.

アムステルダム-ブリュッセル間の昼食
ブリュッセル-パリ間の朝食

1等に乗ると食事と飲み物のサービスがある.食事が出されるのは朝食と昼食時間帯に運転されている列車のみで,それ以外ではスナックと飲み物がだされるらしいが,同じ料金だったらせっかくなので食事をしたいなと思い,日本で予約をするときに時刻表を見ていて,食事マークが付いている列車をあえて選んで予約をとった.飛行機の機内食のような感じで,パンはお代わりもできる.

車内の客室係の女性は日本語が堪能な人も乗っていたので,日本人観光客に対しても快適に旅行ができるように配慮しているなと感じた.最初に「Can you speak english?」と笑顔で聞かれたので,「A little」と笑顔で答えたら,優しい英単語でサービスをしてくれた.

車内サービスといえば,「タクシーの予約が必要ですか?」といった案内もあった.はじめは入国カードの記入かと思ったが,パスポートコントロールは全くなく,到着駅でのタクシー手配の案内であった.

世界の車窓から

アムステルダムからブリュッセルに向かう途中に,ロッテルダムという都市があった.ここの車窓は今まで見てきた石造りの古い建物の街並みではなく,日本でも見慣れている近代的な高層ビルが建ち並ぶ風景が広がっていた.ロッテルダムはオランダの中でも工業が盛んな都市で,街も近代化が進んでいるということらしい.ヨーロッパでも,新しい街では,鉄とガラスとコンクリートの近代建築が見られるのである.

右の写真は,2日後のブリュッセルからパリに向かうときの風景.広い畑が広がる農村風景の中を,時速300km/hで疾走するのであった.

ブリュッセル駅

ブリュッセル(ベルギー)駅に到着した.近代的で綺麗な建物であった.

ブリュッセル・街の風景1[アムステルダム&ブリュッセル+パリの旅行記#5]

ブリュッセルの街並み

ブリュッセルも歴史ある都市で,中心部は石畳の道に重厚な建物がびっしりと建てられている.どこが違うのかと言われるとちょっと困るのであるが,アムステルダムとはまた違った建物の雰囲気であることが感じられる.

グランプラス

グランプラスは観光客なら一度は訪れる場所であろう.グランプラス周辺はおみやげ物屋やレストランなどが建ち並んでおり,ぶらぶら歩いているだけでも時間は過ぎてゆく.
グランプラスはギルドハウスに囲まれた広場で,広さは約110×約70mとなっている.15~16世紀にかけてギルド(組合)ハウスが木造で建てられたが,1695年にフランス王ルイ14世の命を受けた軍によって攻撃され市庁舎以外は破壊されてしまった.その後,1699年には石造りの建物が再建されて現在のような姿になったという.
とにかくぐるりと取り囲むように建てられた建物は圧巻であり,オープンカフェに入って歴史をひもときながら,じっくりと空間の雰囲気を堪能したい広場であった.

地下を走る路面電車(プレメトロ)

ブリュッセルには珍しいトラムが走っている.地下を走る路面電車である.郊外に行くと路面電車となるのであるが,都心部では地下鉄となって走るので,プレメトロと呼ばれている.
チケットは1回券1.5ユーロとなっているが,グランプラスの観光案内所ではトラム・バス・メトロに乗れる1日乗車券を3.8ユーロで買うことができるので,それを使うと大変お得であるし乗りやすい.写真右側が1日乗車券であるが,乗車時に刻印機に通すと裏面にデータが印字されて乗車できるしくみとなっている.

街中を走るトラム

ブリュッセルでもトラムは重要な公共交通となっている.道路中央部にトラムが走って車はその脇を走っていることが多い.停留所から乗客が乗るときは,車道を横切らなければならないので危険ではないのかなと疑問に思って撮影したのが右側の写真である.つまり,停留所からトラムに乗るときは,停留所手前に引かれている停止白線で乗用車は停止するようになっており,安全に人が乗降できるしくみになっている.「仕組み」というよりは,昔から走っているトラムのルールに関して,ベルギー市民のドライバーにそのような意識がすり込まれているといっていいのかもしれない.

ベルギーのビアホール

ベルギーと言えば「ビール」である.約800種類の銘柄があると言われ,街中にあるオープンカフェでは色々な種類のベルギービールを味わうことができる.製法が違うビールがいくつもあり,日本で味わっているものとはひと味もふた味も違ったテイストを味わうことができる.

メニューを見ても,どのビールがどんな味なのかわからないので,とりあえず適当に頼んでみた.料理は「スカンジナビアなんとやら」と書いてあったものを選んで頼んでみた.そして出てきたのが写真のとおり.ビールは度数の強い「いかにもお酒」といった味わいの濃いビールで,日本人に合うかどうかは微妙なところ.料理は,サーモンとニシンと生ハムがレタスの上にのっているものであり,これはGOOD.

このようなオープンカフェでの精算の仕方は,注文された品を出すとウエイターがレシートを持ってきて机の上に置き,そこにお金を置いておくとしばらくして取りに来るという,その都度お金を精算するしくみ(キャッシュ・オン・デリバリー)であった.銀座でもこのような精算のしくみをやっている店に入ったことがあったが,今思うと「これを日本でも真似ていたんだな」と思った.

ブリュッセル・街の風景2[アムステルダム&ブリュッセル+パリの旅行記#6]

オープンカフェと路地裏(イロ・サクレ地区)

 グランプラス周辺の路地にはたくさんの飲食店が並んでおり,夜になると大変賑やかになる.写真は午前10時頃の様子であり,まだ準備中であったが,路地裏のオープンテーブルでベルギービールを片手に舌鼓を打つのも悪くはない.なお,観光名所でもあるのでぼったくりの被害が出ているとのことで,店選びは注意をすること.

いたるところに噴水が・・・

ブリュッセルを歩いていると,噴水が道路のコーナーなどに多く設けられていることに気づく.小便小僧は有名であるが,それ以外にもなかなかユニークな発想の噴水が多い.なんで口から水をはき出しているのか???

喫茶店にて

ベルギーといえば「チョコレート」でもある.歩き疲れたので喫茶店に入ってドリンク(ミルクティー)を注文したところ,ゴディバの四角いチョコレートがついてきた.名古屋の喫茶店に入るとコーヒーの他にピーナツが出てくるというが,それと同じこと.他のドリンクとして「ホットチョコレート」もあった.さすがはベルギー.

チョコレートの噴水

もうひとつチョコレートの話題.ウインドー越にチョコレートの噴水を発見した!写真ではわからないが,このチョコレートはトロトロと流れているのである.チョコレート専門店のフィリップマーチンのチョコ噴水であった.おいしそう.

オープンバスで観光

雨が降ってきたこともあり,また街の中をコンパクトに見て回りたかったので,オープンツアーのバスに乗ってぐるりと車窓から観光することにした.オープンバスといっても雨が降っているので,天井にはビニールの幌がかけられていたが.

ツアーバスは1人16ユーロで乗車時刻から24時間有効となっている.つまり午後3時から乗った場合は,明日の午後3時まで有効ということ.合理的で良心的な設定である.バスは30分間隔で13の停留所を循環運行しているので,降りたいところで自由に降りて観光し,再びバスに乗って元の場所に戻ることが出来る.

また,8カ国語対応の観光案内ガイドがついているので,車内でイヤホンをつなげてチャンネルを合わせれば,日本語ガイドを聞きながら観光をすることができる.チケットは観光案内所で購入可能.

近代的な街並み

ブリュッセル北駅周辺にはワールドトレードセンターが建ち,石造りの重厚な建物が密集する市街地中心部とはまた違った風景を見せている.こちらの空間の方が,日本では見慣れている風景であり,近代的なビル群が建ち並んでいる.
ブリュッセルはEU本部のある「ヨーロッパの首都」であり,歴史ある街並みと新たなEU連合に向けた新しい街並みが共存していく都市である.

オープンバスでパリ観光[アムステルダム&ブリュッセル+パリの旅行記#7]

ブリュッセルからパリまでは,再び超特急タリスに乗って移動し,パリには午前11時頃到着した.実は,今夜19時発の飛行機で日本に出発する予定となっており,パリでの滞在時間はあまりなかった.16時頃にはシャルルドゴール空港に向かわなければならなかった.実質5時間程度である.

時間がないときに,街中をコンパクトに見て回りたいときは,東京で言う「はとバス」などの定期観光バス(ツアーバス)に参加すると手っ取り早い.世界各国から観光客がやってくる大都市・パリ,ブリュッセルの時のように停留所を設けて観光用のオープン式の循環バスを走らせており,ノード駅構内にあるインフォメーションセンターのツアーデスクでチケットを購入し,オープンバスでパリ市内を観光することにした.

インフォメーションセンター

パリ・ノード駅構内にあるインフォメーションデスク.オープンツアーバスの1日乗車券を購入した.現金精算はできず,カードのみの決済となっている.後日,カード会社よりユーロを日本円に換算した値段で請求がきた.右側がチケットとなっており,最初に乗車するときにドライバーがボールペンで日付を記入し,ガイド用のイヤホンを渡される.1日1人25ユーロ.

オープンツアーバスのルートマップ

さすがは世界各国から観光客の訪問する大都市パリのオープンツアーバスは大変便利で使い勝手がよい.荷物をノード駅のコインロッカーに預けたのと,シャルルドゴール空港へ向かう電車はノード駅から出発するので,いずれにせよ同じ駅に戻ってこなければならない.ツアーバスは4ルートの循環路線(一方向運行)で構成されており,ノード駅は右上の☆印のところなので,まずは黄色いルートのバスに乗って中心部まで行く.主要な観光地を巡るのは緑色のルートなので,緑色のルートに乗り換えてぐるりと1周し,再び黄色のバスに乗って同じ駅に戻ってくるのである.だいたい4時間で戻ってこれる予定である.バスは15分から30分間隔で走っており,何処でも自由に乗り降りできる.

統一されたスカイライン

パリの建物のスカイラインは統一されている.1860~70年にかけてオスマン知事により,パリは大規模な都市計画による改造が行われた.広幅員による直線道路,広場の整備など,現在の都市の基盤が造られたのである.

緑の街路樹が美しい

緑の街路樹がまた美しいパリ市内であった.

セーヌ川

世界各国からの観光客で賑わっているセーヌ川畔.

コンコルド広場と凱旋門

天気も良くてオープンバスから眺めるパリ市内はすがすがしかった.シャンゼリゼ通りを走ると正面に凱旋門が見えてきた.

シャンゼリゼ通りを360度

エッフェル塔

どこかのCMで見たことのあるフレーム.これからバスは,エッフェル塔の真下を通っていく.

快走するバス

モンマルトルへ向け,狭い坂道を登っていく.

モンマルトル

黄色いルートはモンマルトルを走る.怪しいネオンもちらほら見られるモンマルトル.夜は賑やかになるという.画家が多く住み込んでいた下町的な地域である.

電車でシャルルドゴール空港へ

再びノード駅に戻ってきて,シャルルドゴール空港へ向かうRERのB線に乗った.ノード駅から空港まで8ユーロで約30分である.なお,シャルルドゴール空港はとても広く,隣のターミナルがだいぶ離れているので,自分の搭乗する航空会社がどのターミナルのどのゲートから出発するのか,調べてから向かう方がよい.同じターミナル番号でもさらにA・B・Cで分けられていて,バスで移動しなければならないことがあるので注意.

おもしろエレベーター[アムステルダム&ブリュッセル+パリの旅行記#8]

古い建物が多く建っているヨーロッパには,珍しいエレベーターが結構沢山残っている.今回の旅行の中で目にした珍しいエレベータを紹介する.

ビクトリアホテル  【アムステルダム】

このエレベーターはアムステルダムで宿泊したビクトリアホテルの低層階用のエレベーター.油圧式でゆっくりと動くもので,ロビー(1階)から3階までのエレベーター.扉やかごの外側がほぼ全面ガラス張りとなっていて,枠の部分のみがスチールとなっており,デザイン的にもすっきりとしている.

エレベータの中からとった写真.扉がほぼガラスなので,外の様子がよく見える.

オランダ国立博物館  【アムステルダム】

国立博物館のエレベーター.こちらもガラスが基調となったデザインであるが,円形の丸い形をしているところが面白い.車いすの人などが多く利用していた.

「とある」美術館  【アムステルダム】

「とある」美術館のエレベーター.このエレベーターは乗客が扉を手で引いて手動で開けるもので,エレベーターがきて止まったことをガラス部分で確認したら,観音式の扉を手で引いて開けて中に入るのである.さらに,内側(かご側)には扉がついていないので,エレベーターに乗っているときは,動いている壁に手で触ることができる(あえてそんなことをする人はいないが).ある意味,安全管理に自己責任が要求されるエレベーターである.子供と乗るときはちょっと怖い.

メトロポールホテル  【ブリュッセル】

ブリュッセルのメトロポールホテルのエレベーター.OTIS社製である.エレベーターの籠は,周囲との空間の区切りがなくて,極端なことを言うと手を伸ばせば籠に触ることができ,扉の柵から顔を出して下を覗けば(かなり危険なので実際はやらないほうがよい.右の写真は手だけを伸ばして撮影した)ロープに吊られた籠を見ることができる.そして扉は,玄関の門のような柵扉を手で引いて開けるというもの.こんなエレベーターは日本ではまずお目にかかることはできず,このホテルには他に普通のエレベーターも存在していたが,あえてこのエレベーターに何度も乗ってしまった.

これが手動式のホール側の扉.エレベーターがやってきて停止すると,ロックが自動的に解除されてドアノブを引くと扉が開くようになる.

かご側の扉も手動式であるが,こちらはアコーディオンの引き戸タイプとなっている.ホール側の扉も,がご側の扉も,非常に重い扉なので,思いっきり力を入れて開けないといけない.

エレベーターが動いているときのかご内から撮影した写真(左)と,最上階のエレベーターホール(右).一見するとエレベーターが止まるホールだとは思えない空間である.

成田空港第2ターミナル 【日本】

実はこれも分類上は「エレベーター」なのである.OTIS社製.日本で唯一の水平に走るエレベーターで,成田空港第2ターミナルの本館とサテライトを結ぶシャトル線である.しかし,水平エレベーターといってもケーブルカーのようにロープで牽引されているわけでもなく,見た目はゴムタイヤで走る新交通システムと同じようである.唯一,エレベーターだなと思わせるのは,出発するフロアー側の扉がエレベーターのような雰囲気の造り(というか意匠)になっていることと,かごの扉の下に「OTIS」と書かれたプレートが張ってある(他のエレベーターも扉下にはメーカーのプレートが張ってあるものが多い)点である.

エチカ表参道(地下鉄表参道駅)【東京考察#195】

ECHIKA Omotesando ( Subway Omotesando station )


地下鉄表参道駅


 エチカ表参道は,地下鉄の駅構内として始めてオープンさせたショップ街である.近年は,JRの上野駅構内の大幅リニューアルや,大宮駅のコンコース内にできたエキュートなど,駅構内(エキナカ)のショップ街が利便性とともに人気を呼んでいる.そんな時期に東京メトロによって若い女性をターゲットに地下鉄駅構内にオープンさせたショップ街が「エチカ表参道」なのである.今後,こういった駅構内におけるショップは増えていくかもしれない.
 
カフェ (CAFE de METRO)

パリをイメージした店内は,女性も気軽に入れる雰囲気
カフェだけではなく,パン屋やパスタ店なども入っており
セルフサービス式・好きな席で食べるようになっている

「CAFE de METRO」のロゴ入りカフェオレ

ショップが並んでいる

改札内にもショップがある

オシャレな雰囲気の駅構内

表参道ヒルズ(旧同潤会青山アパート)【東京考察#194】

Omotesando Hills ( The place which was the Dojunkai Aoyama apartment in the past )


生まれ変わった表参道ヒルズ

 


 表参道ヒルズは,日本で最初の鉄筋コンクリートアパートメントだった同潤会青山アパートの跡地に建てられた再開発ビルである.地上6階,地下6階からなり,設計は建築家・安藤忠雄氏によるもので,本館内は表参道と同じ傾斜角度を持つスパイラルスロープによって,独特な建物内部の構成がなされている.また,同潤館と呼ばれるエリアは,かつての同潤会青山アパートの一棟をリメイクしてそのまま再現させており,大正時代に建てられたアパートメントの狭い空間を肌で感じ取ることができるようになっている.同潤会青山アパートは,貴重な建築物であることから保存を望む声が大きかったが,使用(居住)する側からすると,風呂なし,アンペア不足,漏水,老朽化といったことから,現在となっては陳腐化が否めない建物であった.その建築遺産を,そのまま再現しているところに,この表参道ヒルズの素晴らしさがある.新しいものと古いものとをうまく融合させている.
 → 
左側がかつての「同潤会青山アパート」,右側が今の「表参道ヒルズ」.
建物の高さは,ケヤキ並木との調和を考えて,昔とほとんど同じ.

原宿駅から歩いてくると,いきなりジュエリーショップとなる.

建物の前には「水(せせらぎ)」が流れている

ドアの取っ手が面白い.
「ドルチェ&ガッバーナ」の店

本館の入り口 ここから中に入る

これが噂の「スパイラルスロープ」
ずっと歩いていくと,いつのまにか上の階に到着する

ショップウインドーの下を見ると,
スロープに傾斜のあることがわかる

こちらがそのまま再現された「同潤館」
 → 
左がかつて,右がリメイク後
 
階段の最上階 本館との連絡通路がある

ドアの大きさがなんともいい

裏側

同潤館1階部分のテナント内部
これから入居するらしい

地下鉄表参道駅方面から撮影した
取り壊し前の同潤会青山アパートはこちらへ.
No.5  No.105

夜の赤坂【東京考察#193】

Akasaka at night


外堀通りと平行に路地裏がある

 


 赤坂というと政治家がよく使う「赤坂の料亭」やTBSが思い浮かぶ.永田町の国会議事堂や首相官邸とは外堀通りを隔てているだけであり,賑やかなJR線の駅前のような雑多な感じもせず,赤坂のちょっと高貴な感じがする路地裏的な雰囲気は,政治家や報道関係者などにも好都合かもしれない.ただ,かつては100軒近くもあった料亭であるが,今は数件を残すのみとなっている.新宿や渋谷,銀座や新橋といった繁華街に見られるエネルギッシュな雰囲気こそないが,著名人がふらっと立ち寄れる落ち着いた繁華街であるように感じる.飲み屋に入ると,隣のテーブルから日本を取り巻くちょっとした話題が聞こえてくるかも知れない.

外堀通りと平行に「みすじ通り」や「一ツ木通り」が入っている
背後にホテルニューオータニのタワー館が映っている.

路上駐車の車は黒塗りの高級車が多い

ここはかつてホテルニュージャパンのあったところ

夜のディスプレイは綺麗

料亭の前には黒塗りの車が多く止まっており,
イヤホンをつけたボディガード?とともにあたりを伺っている
この料亭(「金龍」)もまもなく閉店だとか.
政治の世界でも料亭は使われなくなっている.
現在は閉店となった「赤坂・金龍」さんよりメールをいただきました.

当店記載有難うございます。日本の文化を継承していきたく頑張ってまいりましたが、この度金龍を閉店致しました。
しかし、日本の伝統的数寄屋建築の近代化に努め,近代数寄屋を開拓した建築家吉田五十八先生の息のかかった芸術的建築物を壊すには忍びなく、最後に芸大出身の前田正博先生 百田輝先生 川松弘美先生など若手人気陶芸陶芸家12名の展覧会を2006年6月23日より6月30日まで、金龍にて開催致したく考えております。
この機会に出来るだけ沢山の方々に近代陶芸の美と新興数奇屋の美をお楽しみ頂ければ、幸いと考えております。是非よろしくお願いいたします。



発見! 赤坂にもあります「幸楽苑」のラーメン

ビルの建設現場の背景に見えるTBS

「R25」というフリーペーパー【東京考察#192】

The free paper which is called “R25”


 「R25」は首都圏でのみ配布されているリクルート社発行のフリーペーパーである.25歳以上のM1世代(25~34歳の団塊ジュニア世代)男性をターゲットにした情報誌であるが,ちょっと気になっている話題などをオムニバスのコラム形式で掲載しており,どの世代にも読み応えのある冊子である.創刊は2004年7月.「オトコを刺激する情報マガジン」などと表紙に書いてあるが,決して風俗情報などを盛り込んだ雑誌ではない.無料の情報誌というのは,職場探し専門だったり,広告一辺倒であまり読む気にならず,すぐにポイ捨てしたくなるものが多いが,この「R25」は内容からすると,これで無料なの?と疑ってしまうような内容である.むしろ何で収入を得ているのかと思ったりもするが,団塊Jr.(ジュニア)世代にターゲットを絞ってた広告を出すことによっる広告料で賄っている.現在では日本で最も広告料が高い部類に属する雑誌となっているらしい.テレビ番組表が夜10時以降の深夜番組のみになっていたりと,ユーモアあるれる内容になっていたりするが,活字が苦手な若者世代に向けるため,1つのコラムの文字数を800字以内に納めているといった工夫も施されている.コンビニや商店,喫茶店,駅構内などで入手することができるが,配布と同時にすぐになくなってしまうほどの人気となっている.1冊あたり送料370円を払えば全国配送してもらえるので詳しくは公式HPで.また,バックナンバーも公式HPから読むことができるが,やはり通勤電車やちょっとした喫茶店で,センスのいい広告とともにペラペラめくりながら読みたいものである.毎週木曜日夕方発行.

地下鉄駅構内の壁にある配布スタンド

現在は休刊となっている.


浅草花やしき【東京考察#191】

Asakusa Hana Yashiki (The amusement park)


花やしき入口


 浅草花やしきは嘉永6年(1853)年に上野輪王寺宮の御出入りの造園師がこの地を下賜されて造園したもので,四季を通じた百花百草を栽培する庶民の憩いの場所であった.大正天皇がお忍びで御幼少のみぎり来園されたことがあったという.明治17年には浅草公園地改正の際に,浅草寺境内の盛り場や見世物小屋などの全てが公園六区に移転することとなったが,この花屋敷だけは現在の五区に残された.後に,珍鳥や猛獣を見せるようになり,あやつり人形や山雀の芸当で評判を呼んだが,第二次世界大戦中は閉園していた.戦後において,家族でも楽しめる遊園地として現在のような遊園地となった.
乗り物が小さくて,小学校低学年までの園児・児童にとって遊びやすい遊園地であり,あらかわ遊園のような感覚の遊園地である.宙返りするジェットコースターなどといったものは存在しない.小さな遊具施設が狭い敷地内に密集して配置されており,この密集した密度の高い空間が,かえって花やしきの良さを醸し出している.入園料は大人900円で,乗り物代は別となっているが最も高いアトラクションでさえ500円である.

入園券は懐かしの硬券入場券である

乗り物に乗るときはこのチケットボックスでチケットを購入する
1枚100円 乗り放題チケットは大人2200円 子供1900円

花やしきのランドマーク的存在「Beeタワー」
3枚(つまり300円)で乗れる
  
狭い空間に施設が密集している

「ぴょんぴょん」修理中

五重塔を背景にぶんぶん回る「ザ・ニューヨーク」
(別名「空飛ぶじゅうたん」とも呼んでいたが)

背景のビルは「浅草ビューホテル」
約20年前に浅草まち興しの起爆剤として
新しい風を吹き込んだホテルである

昔ながらの花やしきの雰囲気を残すところもある

「スワン」 2枚

定番「お化け屋敷」もある

一番人気は,日本で最も古いコースター
「ローラーコースター」 4枚
ガタガタと今にも壊れそうな音を出して疾走する.

ビルの壁面ギリギリを走り抜けていく

花の湯に突っ込んでいく

ほぼ全景
右後ろに見える三角屋根は浅草寺

新春の浅草公園六区【東京考察#190】

The neighborhood at Asakusa Koen Rokku

公園六区


 かつての浅草の賑わいの中心は「公園六区」であった.浅草公園六区の「六区」とは,明治15(1882)年より始まった浅草公園の築造・整備(全6区画に区分して整備)における区画番号のことである.その中でも第6区画は興行街として整備され,そのまま「浅草公園六区」という名称が明治・大正・昭和にかけて東京の娯楽の代名詞のようになったのである.映画館は明治40(1907)年頃から登場し、現在も残る浅草六区の映画街が形成された.バス停の名称に「浅草公園六区」という名が今でも残されていることに拍手を送りたい.近年,つくばエクスプレスの浅草駅が浅草ビューホテル前の国際通り下に開業したが,地下鉄銀座線や東武線の現浅草駅とはかけ離れているので,せっかくなら「浅草公園六区駅」という名称を復活させてもらいたかったと個人的には思う.今の浅草を象徴しているWINS浅草とその周辺の様子をお届けする.そして隣接する遊園地「浅草花やしき」は次のNo.191のページで.

六区の映画街
寅さんから成人映画まで
なんか懐かしい雰囲気である

公園六区の現在の象徴的存在であるWINS浅草
土日の競馬開催日は大勢の人で賑わう
 
 
WINS周辺にはホッピーが似合う
屋台やスタンドの飲み屋が建ち並ぶ

WINS内の投票所

トイレの中でも平らなスペースがあれば
そこが勝ち馬を選ぶ場所に・・・
(用を足しているのではありません.
入口の平らな場所を机代わりにしている)

WINSのすぐ隣には花やしきの遊園地がある
 
「全レース競馬中継」と看板を掲げた飲食店が多い

全席指定席の「レースカフェ」
2000円を払うと1日出入り自由となる

浅草びっくり食堂 何がびっくり?
 
日本で最初の高層ビル「浅草凌雲閣(通称十二階)」
があったところ.今はパチンコ屋である.
(右の画像は「浅草十二階計画」のWebサイトより引用)
 
懐かしのスマートボール
200円で50玉,300円で75玉.
番号の付いた穴に玉が入ると,その数字だけ玉がもらえる
玉が増えて帰りたいときに景品と交換する.

浅草演芸場
林屋こぶ平などが出演していた.

人力車で浅草観光
 
ちょっと高級感を味わいたくなったら
浅草ビューホテルへ

平和祈念展示資料館(新宿住友ビル)【東京考察#189】

The peace prayer display museum(Shinjuku Sumitomo building)


資料館の看板

 


 超高層ビル街の新宿住友ビル31階に,戦争体験の労苦を語り継ぐ場として「平和祈念展示資料館」が開設されている.独立行政法人平和祈念展示資料館が運営を行っており,第二次世界大戦による尊い戦争犠牲を銘記し,同時に永遠の平和を祈念するため,いわゆる恩給欠格者,戦後強制抑留者,引揚者の方々等の労苦について国民の理解を深めるために昭和63年に「平和祈念事業特別基金等に関する法律」に基づき設立された団体である.沖縄県の平和祈念資料館も同じ団体による資料館である.
展示内容は大きく分けて「導入部」・「恩給欠格者コーナー」・「戦後強制抑留コーナー」・「海外からの引揚げコーナー」・「語り継ぐ場」からなっている.入口を入ると,昭和元年からの年表が貼ってある導入部から始まり,現物の「招集赤紙」や「軍隊手帳」,「袖無しの防寒外套」,海外での収容生活の状況や引揚げの様子などがわかりやすく,そして生々しく展示してある.戦争が終わって60年が経過し,戦争体験を風化させないためにも語り継ぐ場として展示が行われている.入場は無料である.館内は撮影禁止だったので,外側の状況だけ掲載する.

住友ビル31階フロアー

住友三角ビル

 

中野サンモール・中野ブロードウェイ【東京考察#188】

Nakano Saint mall and Nakano Broadway


中野サンモール入口


 中野駅前からまっすぐ延びる商店街が「中野サンモール」,さらに奥に建っているモール形式のショッピングセンターが「中野ブロードウエイ」である.サンモールは賑わいのあるアーケードの付いた商店街で色々な店が並んでいるが,徐々に奥に進むに従って新種文化の伏線が感じられるようになる.そして最頂点を極めるのが中野ブロードウェイの2階より上階のフロアーに広がる「オタクワールド」である.何故ここに!?という感じだが,都心よりちょっと離れることによって,緊張感の解けた安らぎが得られるのかも知れないが,賃料が安くて都心に近いといったことも実情としてはあるような気がする.男性も女性もレアなものを探しに足を運んでいる.この世界(?)を知らない人間でさえ,ディスプレイを見ているだけでも楽しい異空間(!?)である.

たこ焼き屋には行列

アーケードで覆われている

サンモールの裏路地には飲屋街が形成されている

床屋の隣りに文具店
文具店の隣りに宝石店
商店街の面白いとところ

サンモールをずっと歩いていくと
中野ブロードウェイセンターとなる
さぁ~,ここからが本番である.

中古のパソコンパーツ売り場

1階は普通のショップが並ぶ
<2~4階に上がってみると・・・>
 
コスプレの服を売る店
 
フィギュアやプラモを売る店
 
なんか凄い

アニメセル画を売る店

ここはレンタルショーケースの店
ショーケースの空間を貸し出す
自分の作品や持ち物を出品する場
最低は1ヶ月1,600円程度から.
最前列の上から2段目は12,600円とか.

格闘ゲーム専門店なんていうものがある

メイドゲーセン(メイドのいるゲームセンター)
今日は対戦ゲームのイベントで人だかりができている
(ゲーセンの店内及びメイド店員は撮影禁止だった)

漫画の古本などを売る店

テレカなどのプレミアムなカードを売る店

普通の美容室(勿論,趣味の店以外のテナントも入っている)
かつてはこのような店だけだったのが,
だんだんと前述のようなマニアックな趣味の店が
テナントして多く入るようになっていったのだろう.

メイドな街・アキバ(秋葉原の点景)【東京考察#187】

Room maid town at AKIBA ( The staffage at Akihabara )


駅前でチラシを配るメイド

 


 「電気の街」から「メイドの街」へ.秋葉原ではどこもかしこもメイドになっている.上の写真は秋葉原駅前でメイドカフェの宣伝チラシを配布するメイドである.どちらも笑顔で楽しそうに喋っている.「メイド」を英和辞典で調べてみると(国語辞典には載っていない),「①お手伝い・女中,②(文語)少女・娘・未婚の女性」とある.メイドカフェに入ると「ご主人様いらっしゃいませ~」と出迎えてくれて,色々と世話をしてくれるところに癒しを感じるところが受けているらしい.つまり「萌え~(もえ~)」ということである.ちなみに,「萌える」を辞書で調べてみると,「芽が出る.萌(きざ)す.芽ぐむ」とあり,「萌す(兆す)」を調べると,「若木の芽がわずかに出る.芽生える」となっている.つまり,「萌え~」という時は当て字で,癒されるといった意味は全くない.新種文化の造語である.今はカフェ以外にもマッサージなどにも「メイド」ブームが巻き起こっている.そんな今の秋葉原の写真をパソコン街と共に撮ってみた.
 
メイドがレジを打つ輸入食品の店
毎日ではないらしいが出勤しているときは看板がでる.
(メイドの撮影は禁止)
 
メイド整体サロン
整体マッサージもメイド仕立て
 
メイド足モミサロン
足裏マッサージもメイド仕立て

今の秋葉原にはアニメショップもよく見られる

パソコンに関する部品を売っている

掘り出し物を探し出す
女性のショッピングと通じるものがある

「萌バーガー」
なんでも萌えをつけている

路地裏の風景

秋葉原駅前で歌を歌うアイドル?に群がる群衆

駅前は,メイドでいっぱい.
いつからこのような街になったのか.

~旅・万歳!街歩きの風が吹く~